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2022年8月

2022年8月31日 (水)

音楽備忘録1111 ネタ元②

意図的に探すならジャンル等「門外を中心にあたる」のが基本で、やはり従前から飛躍するには限られた範囲だけを彷徨って居ては苦しい。
けれどもたまたま○○のエッセンスを加えたいとか、□□風味にしたいなんてのが無い時ゃ何処へ行くべきか途方に暮れるかも知れない。

ではどうしたらそんなお困りを避けられるかったら、普段から許せる限りで巾広く色んなのを聴いとくのがほぼ唯一の道なのだ。
所詮嫌いなジャンルとかだと長時間継続して聴いたりは出来ないが、居合わせた誰かが見てるTV・ラジオ(最近はYoutubeとかの方が多いか)や駅のホームに流れるメロディとか完全回避困難な音源ってのがある。

そんな際鳴った瞬間から全否定してまうか堪えられる間だけでも一応耳を傾けてみるか、案外その程度の些細な違いも年月を重ねると結構な差になるもんなのだ。
個性の育成としては嫌いなのを我慢して聴いても失点になり易いが、但しそれもあまりに拙速に遮断するとより大きな損をする可能性がある。

一寸自虐的或はMっ気の強い印象を受けるかも知れんが、嫌いにしてもなるべく何処がどうってのを他人に容易に説明可能な位には把握しといた方が良い。
受け身オンリーだってソースチョイスの正確さに響くが、自分から編出して演ってやろうとするなら必要な箇所が足りるだけ理解出来て無いとね。

まあ気分的には嫌だから駄目なのを洗い出すより、好きなのに浸る時間が多い方が良いだろうけどさ。
人に依って必ずしも好きなのの方が嫌いなのより敏感とは限らんし、要はなるべく好き嫌いを具体的に明確化するのが目的なんすよ。

一口に嫌・駄目にしても、その内容は誰でもちゃんと分析すると結構多岐に渡ってる筈。
そこで感性を磨く訓練の一手法として愚痴の大家?野村克也っぽいが、好みのソースに恵まれない際にとっても具体的な駄目出しをしてみるのだ。

そうしてある程度他人に分かる形で自分の好みを表明可能になると、何かお薦めはなんてねだった際の当選確率が高まるのよ。
例えば俺がリッケンBassの音色で好きなのはローエンドがちゃんと出る処だが、Fender系のだって収音方法やEQ次第では出せなくはない。

そこでちっとも完璧じゃないけど「重い音色」なんて言う方が多く、それプラス歪み始めても破綻しないなんてのを良く付け加えてる。
コレF系君+EQでローを充足させてた場合感度が下程高くなってるんで、下の方から歪み始めて潰れるのも早くなるの。

そうなってぐちゃぐちゃ訳分らんになると困るから、F系君でGain高目のは必然的に大抵はロー控え目にしてあるんだ。
実際には破綻し難いからって俺は常に高Gainで使ったりゃしてねんだが、そう云う系統の音色の楽器が自分にとっては使い易いんだ。

と語っといてそんな風に告げられる様になったのは比較的最近と、又もや顔出す杜撰大王振り。
んがそれも昔よりどんどんどんな楽器でも色んな音に変身可能となったのもあってで、過去述Live時に必要音量確保の為に好みの音色を諦めさせられたり等あったんでね。

今だとそんな迄の妥協を強いられるケースはほぼ無くなってるだろうが、自由が増えた分こちらの意思と実現力の影響はより大きくなってるんじゃないかな。
個人の内心では至ってシンプルに唯△△な感じであればOKと認知してても、実際にそこへ辿り着くのにはもっとパラメータ値の指定が要るってな感じでせうかね。

例えるなら大昔町に駅が1つしか無い時代だったら、タクシーの運ちゃんに「駅」っ言うだけで連れてって貰えた。
のが街に4つも5つもとなるとお客も運ちゃんも慎重にならざるを得ず、しかし独りで音を作る場合お客と運ちゃん兼業同一人物になるからその場での他人のアシストが望めない。

<つづく>

2022年8月30日 (火)

音楽備忘録1110 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➊

こないだ迄ここでやってた「音質の硬い柔らかいの真実」と多少重複するが、近回別項で披露したB級アニメのテーマを暫く聴き続けたら妙な疲労に襲われてさ。
幾ら俺が本来の対象年齢から大分上にズレてるにしても、元々年寄りでも大丈夫なセレクトになってたんだからねえ。

それにもし音楽家オンリーだったらどうか知らんが、録音屋・音響屋兼業の俺には音質や音色が駄目過ぎるのは選外になってるのに。
そこで改めて分析し直してみると…って、実際はたまたまその後に自作品の幾つかを聴いただけだったんだけどさ。😓

してどんな差があったかったらそらあなた俺様のとそんなのじゃ…は無関係で、先ず気になったのが「隙間」だったん。
良く云や近年本邦のは「息付く間も与えぬスリル」満点だが、商品詰め放題セールじゃあるまいしやり過ぎちゃってんだよなぁ。

その結果俺様みたいに音楽には従順な聴き方をすると、息を吸うの連続で吐く場所が見つからないとでもいった感じでさ。
編曲家・プロデューサ観点で分析しても特に問題は見当たらず…、っと思いきや時間的聴野を拡大してみたら難有どした。

最近耳にしたので↑の対極にあったのっつうと頭脳警察のハイエナなんかが典型的だが、悪く云や多少の退屈感を強要する様な箇所があった。
歌の2番と3番の間の伴奏小節数が他の倍になってるのに、半分の1番と2番の間よりこれと云った遊びとかが何も入ってねんだ。

そもそも基本楽器パートはGuitar3ピースな上、そのGuitarはリフしか弾いて無いしねえ。
だから次に何が飛び出すかなんて期待してるとかなりスカされちゃうし、劣化今本邦J-Popに挟まれて掛ったら実に淡泊な事この上無い。

但し良く聴くとDrumとBassには地味目で短時間のばかりでも、随意の遊び要素はあるし歌にはそれなりに奇声等も入ってる。
なので遊び追放って訳でも無いが、隙間が生じるのは全く気にして無い風なのだ。

実際聴き回数の少ない内はその淡泊さに若干違和感を覚え、或はこっちが隠し味を聴き洩らしたのかとも感じてたんだけどさ。
回数が二桁を越し始めると見事な迄に形勢大逆転、詰め過ぎ君の大きな弱点がハッキリ見えて来たん。

折角の退屈させない工夫も聴者がすぐに過労になるんじゃ、逐一拾ってなんか居られなくなるんだよ。
俺言い「分析耳」で聴いててすらあそこってどうしてたっけみたいなの以外は、眩しくて目瞑っちゃったからもう何も見えんみたいに聴けなくなっちゃってんの。

今の詰め過ぎ君単体の初耳時とマクロ比較では、明らかに今のの方が良さげな印象だったんだけどねえ。
あっても平気な隙間を全部埋めるとか必要以上の明瞭度をどのパートにも与えたせいで、全体のコントラストが強い方にだけ偏っちゃってん。

多分かなり前に提示したthe peggiesの「君のせい」って曲では、第一印象はどの楽器も音色も中々良かった。
どれもそんなに硬くも無いしRockらしいし…、けど悪い意味でパワフル過ぎるのが段々引っ掛かって来てさ。

Drumのサウンドが全盛期のAerosnmithクリソツなのも好みにはドンピシャなものの、ガールズバンドで本人もしなやかな叩き方をしてるのにその方面の良さは完全に殺されちゃってる。
更に聴き進むとGuitarもどうも近似な処があって、一歩間違うと若き日のBruce Springsteenがヤケクソになってクドくなったみたいな…。

わざわざガールズバンドスタイルでやってる位だから決して本人達は女を捨てたりゃして無いんだろうし、多分プロデューサやエンジニアに恵まれなかったんだとは思うんだけどね。
一口にパワフルっても質その他に色々バリエーションがあるもんだし、独自性や個性を反故にしたんじゃ意味ないと思うんだけどなぁ。

<つづく>

2022年8月29日 (月)

音楽備忘録1109 不当低評価の是正❽

先ずは基本の基本すら誤認しちゃってる可哀想な方向けってんでRingoのが長々続いちゃったが、恐ろしい事にそれすら氷山の一角ってのが劣化本邦の現状で御座居。
そうなった根本原因は「ちゃんと聴かないから」ってのが俺の持論だが、音源の供給に大問題があるのも確かだ。

目先の利益やしがらみを気にし過ぎてソース選択を間違い続けた結果、日本の放送界は風前の灯と化してるよね。
音楽を志すにしても初期段階では「自分の入手経路」なんて持てて無いからその責は重いが、先生がヘボだったから成績が良くないとばかり言ってるみたいなのもどうかと思いまっせ。

そもそも自分なりの表現の為の学びって、世界中で自分唯独りにしかニーズが無いのだってあるもんなんだ。
となれば自ら探すとか漁るって行為抜きでは不成立で、無理矢理にでも売りたい商品みたいに簡単にアクセス出来なくてももう仕方ねえんでやんす。

となるとどうすればターゲットに近付けるのかが課題になるが、昔のになる程「録音Studio」や「レーベル」に独自傾向が強烈だったんでそれが役に立ったりするのだ。
一面でAl Jackson Jr.やJeff Porcaroの先輩格でPaul Humphreyって巨匠が居るんだが、現代劣化本邦ではRingoの低評価はおろか存在さえ無き者となってるらしい。

個人的には大して興味は持って無かったが、従兄から問われて手持ちメディアを確認してみたら慣れ親しんだ普段聴きしてる人だった。😵
って杜撰振りを宣伝するでも無いが名前だけは前から知ってたのは、好みの曲への参加率が高かったからでね。

その好みの曲を漁る方法として、例の消息不明のヲタ親友から↑を目安にするのを教わったんだ。
劣化現代本邦ではそんな真似されるとボロが出て困るからか、妙に何でも一纏め例えばポピュラー系なら強引にJ-Popってしちゃってるよねえ。

↑で最も滑稽なのが英詩でしか歌わん洋楽の人達で、わざわざ内容が不明になる呼称にされて本人達にしてみりゃさぞかし迷惑だろうさ。
最近は報道統制も偽表示の強制も著しいから新作では困難化してる恐れはあるが、それでも何処で録ったとかの情報から繰り寄せられればしめたもの。

特別な意図が無い限り庶民派Rockを録るのに、流石に国立第二劇場とかは使わんでしょ。
逆に大合唱隊付きの壮大なBeethovenの第九をウチで録ったり…、そもそも全員入り切り無いからもうこれは物理的に完全な無理ゲー。😃

は極&暴論としても、幾ら誤魔化そうったって限界ってもんがあら~ね。
んでコレの意味するのはある程度以上マッチングさせないと、求める音を作れないってのが演る側にとっちゃどうにも無視出来ない処なんすわ。

中には売名や話題性だけで海外名門Studioへ繰り出して大恥のかき捨てして来る迷惑者も居るが、その様な悪ビジネスマン以外は音を突詰めた結果それしか選択の余地が無くてする行為だしょ。
なので音を分かってる人達に認められてる様なのだと、そのパフォーマーの指向性やコンセプトが場所や携わったスタッフとリンクしちゃう訳。

もう少しマクロ視点な処では、例えば俺はRickenbacker Bassを使ってるのを優先的に試聴してんだ。
元々は楽器の限界を知りたいとか「リッケン使い」の頂点に立ってやろうなんて野心からだったが、他社Bass使用の作品と比べて音楽的に嫌いなのが驚く位少なかったからだ。

事後分析すりゃ演りたい内容や欲しいサウンドの都合での選択だったら半ば当然の結果なんだが、何れにしても紛い物じゃ無い音を出したけりゃ結構これは重要なポイントざんす。
商売観点(唯ひたすら数を捌く)なら現代本邦のはそこそこ優れた方法だが、音を優先したいなら名前や視覚に釣られちゃアカンのどす。

ので↑のリッケンってのもアルバムジャケに写ってりゃ少しは期待もするけれど、「そんな風に聴こえるの」の方が基準になっとりゃあす。
それだと勿論ちょくちょく外したりもするんだけど、俺の場合形状容姿より音が好みでだから音が大ハズレじゃ無きゃ間違ったって大した損失はねえんでがんす。

<つづく>

2022年8月28日 (日)

音楽備忘録1108 ネタ元①

完全無忖度な拙ブログらしくど真ん中直球なタイトルだが、こんな原始的にしたのは引用・応用の程度を限定しない意図もある。
それ処か実体験的には「アイデアの欠片」程度でもとても助かった事もあったんで、一般論でのパクリネタなんかよりもっと広範な話しになるのであ~る。

こっちの勝手な事情として並行執筆等もしてるんで、公表のタイミングがリンク別項と前後したりするがそこはご勘弁願いたい。
さて初回はメディアの件から行っちまうが、近年ではネット上の無料のが主流だろうからあまり類例は見られんかも知れない。

が俺等の幼少時は放送以外では「現物が手元に」無い限り聴けなかったし、放送では時間が合わなきゃ通過・再放送が無きゃ1回こっきりなのは今とかなり違ってた。
ので冒頭2行目みたいな場合なら発想だけ覚えとくのは可能でも、非手持ちのは聴き込みはおろか再確認すらとても困難だったんだ。

今感覚だと曲名だけでも覚えてたら後でどうにか出来ると思うだろうが、曲の途中で「オッこれはっ」と思っても終曲後に必ずアナウンスやテロップがあるとは限らんですから。
もし候補率の高そうな番組だったら掛る前にメモったりもあったが、TVやラジオを視聴する全てでそんなんやってらんないじゃん。

そうすっと家に既にあったレコード以外では、意図せず手に入った何某かの音源の貢献も結構バカにならなかったんよ。
私的には音響機器のデモ演用の付属メディアがそれで、シャープファイブの存在を認知出来たのが別項述の通りそんなテープだったんだ。

他にもオリジナル版では無かったがIronside(Quincy Jones)のよりElectricなバージョンとか、これは小学生時代の親友が買って貰ったラジカセの付属デモテープに入ってた等色々あった。
我が家のでは他に1971年の自家用車カーステレオのそれが結構良い出来栄えで、基本はBig Band Jazz編成のアンサンブルだかRockのカバーも入ってた。

この手の音源での特徴として一部市販されてるのもあるが、基本的には売る為に媚びる要素は少な目でいて無興味な人にもそれなりに楽しめる様な作りとなってた処。
当時そんなのの大抵は覆面Bandとか「それ用の仮称」が与えられるのが常で、となればしても無益なナルシスアピールも自然とされなくなる。

どうもそれ等がポピュラリティと個性の共存に繋がってた様で、加えて録音の水準が目的がHi-Fi試聴なだけにかなり頑張ってたみたいでさ。
一方これはちょっと杜撰かもと思わされたのは無名代理歌手の流行歌と、それの裏面にカラオケバージョンを入れてあったヤツだった。(主役でそんなだから演奏は推して図るべし)

2つ纏めての因みに裏面とはカセットテープの仕様に依る物で表記はA,Bや1,2等非統一、領布時期的には’70年代中盤以降のと良い方のそれ以前のに若干タイムラグがあったのも関係アリかも。
音の良さアピールから主目的が暇潰しお遊びネタに変わったのもあろうが、遊びこそ面白く無きゃわざわざ誰も手を出さん訳だから真相は単なるケチりか。

かなり好景気が続いてた処へ所謂オイルショックってのがあったからそれもキッカケになったか分からんが、衰退してって’80年代にはデモテープなんて付いて無いのが何時の間にか当たり前に。
これらかも音楽関係者は政治に景気策を求める必然があるのが分かるが、何れにしてもこちらが固く考え過ぎなけりゃ身近にも意外な材料はそれなりに転がってたりするんすよ。

拾おうとしてる者にとって一気に大漁ってのが楽だし儲かった気分になるけど、それには無意識下の丸パクリや他人との輻輳の高目リスクが付いとりゃあ~す。
ちまちま集めてジグソーパズル式に組立てるのは面倒だけど、作業が多い分その人の個性の反映する箇所と頻度は高くなるのだ。

<つづく>

2022年8月27日 (土)

音楽備忘録1107 定番と奇抜⓳

幾ら個人のブログでも今日も又手前味噌で済まないが、前回補遺でかなり重要な部分が更にあるんでそれから。
それは洋楽一筋にも拘らず本務のエレキBassに限っては、本国のが興味を持った直接の原因では無い件だ。

他楽器で強いて挙げるとしたらConga等が微妙な立ち位置で、それ以外は全て本家物に看過されてるのにね。
一寸唐突でテーマ逸脱感を覚えるかもだが、前回記事執筆後にふとコレを思い出しちゃってさ。

例に依って毎度の逆探知だが、日本のでも’70年代Rock系定番のリズム隊が積極的なのが主流だったからかもと思ったんよ。
これを再考察してくとDrumに関しても、もしもっと録音が良かったらどうだったかとも感じてて。

又々外輪山視点になっちゃうが昔から日本にだってナルシス君は居たが、やはり白人で典型的なのと比べると文化的背景もあってか控え目。
尤も近年では承認要求って別面からの攻勢がエライ事になってるが、そんな状況差からLeadパートより伴奏パートの方が冒険し易かったんじゃないかな。

Char以前にRock系Guitaristで国際基準を満たしてたったら、世間認知は未だ低いままだが加山雄三位しか居なかった様だ。
ってこれは実力よりも本国系外人がどの程度認めてたかってだけだが、前述岸部一徳を現役バリバリ当時のJohn Paul Jonesが絶賛したみたいなのを当時Rock系他パートでは訊いた覚えが無い。

加山雄三の場合はNokie Edwards・Charの場合はSteve Lukatherから↑同様の評価をされ、その後長く親交が続いてる。
但し半分は私基準だが加山御大はエレキとカテゴライズすれば間違い無く名人だが、Rock系とすると御大の長所の一部分しか適用出来ないので。

それと俺は失礼乍ら大して評価してないし近年ではかなり世間から忘れられてるが、向うのグループに参加して活躍した初期の日本人の山内テツもBassistだった。
等からすればまだまだアングラで黎明期のでも、Bassだと国産奏者が惹かれるに足りる存在だったのかも。

只当時のその系統の1群は少なくとも表向きのジャンル!?は多岐に散在してたんで、定番としての認識が困難なのは玉に傷なんだろうか。
しかしここ数回述の通りジャンル自体が定番化前夜であった以上、そもそもの日本式Rockみたいなのを追及するにはやむを得ない作業なのだ。

更にこの項の〆に付け加えときたいのが当時の音楽的内容はバリバリRockの作品を、ちっともRockじゃ無い作・編曲家が難なく熟してたのもあった部分だ。
奏者にしたって認知前だからその意味で本職不在で、今比だとそんな状況でこしらえるのはかなり大変だった筈なんだが…。

そんな言うなれば弱小チームでも勝利の可能性を追及する時って知恵がほぼ全てで、即座に実行可能なののタイミングとコンビネーションで補う訳よね。
それが当時の日本の音楽界のはある意味で、「非専門でもRockれる方法」のサンプルとしてはかなりの逸品だと思うんすよ。

加えて言うなればⅡで「手持ちジャンクで即Rock」(かなり失礼💦)となれば他所の要素が自然と沢山混入するんで、全く望んで無くてもそこそこ奇抜も含有されちまうっていう…。
なので個人的自己満では例えば俺の車にはあのF1チャンピオンのと同じ部品がなんてのもアリだろうけど、配達バイクの中古パーツを使ったって他より速いとかじゃないと他人には意味が無いのよ。

要するに完成作品を素人が聴いた印象を最優先とし、こっちがどんなつもりだったなんてのは2の次にしないとさ。
幾ら形式だけ踏襲したって↑が足んなきゃ、定番にも奇抜にもならなくて当然なんですわ。

<一応終了>

2022年8月26日 (金)

音楽備忘録1106 不当低評価の是正❼

だば俺言いRingoバスドラの特徴だが、Beatles初期にはBassとユニゾンのが多かった。
んがこれには近代との音質の差が結構関係してて、その頃はバスドラとBassの低音の質がかなり似通ってたんだ。

録音では録音機等の・Liveでは個別PAレスで、歌以外は一様に残響成分多目なのがそんな状況を作っててさ。
極端的に申せば低音は拾えて出せるだけで御の字に近いってな調子で、その分今より遥かに「低音でリズムを刻んだ」のが分かり難くなってたんだ。

これがGuitarや鍵盤とBassがユニゾンのだったら他楽器の中高域で輪郭を補えたが、毎度全部をそうしてたら小編成アンサンブルではバリエーションが限られちまう。
加えて今だと視野に入り難いのがそれ以前Bassはウッドの方が主流だった点で、エレキ比だと特に悪環境下では音程の聴き取りが困難だった。

すると他楽器が皆鳴ってる中でBassだけに別のラインを担わせようにも厳しかったのが、エレキ化する事で当時としては新しい編曲が可能になったですよ。
だがエレキ化で余韻(主に直後のDecay成分)が伸びた分今度はアタック音が、相対的に生より目立たなくなった。

アタック音と余韻のバランスって永遠の課題でもあって、近代の上手なスラッパーだって常時充分に両立させるのは困難だしょ。
それをBassのユニゾン相手をバスドラにするので解決しちゃったんだが、従前より音符が細分化する以上に鳴らすタイミングが当初は至難だったろう。

Ringoの場合左利きで右足でとなるから、今の右利きの人だったらFoot Hatを変な処でランダムに踏もうとしたら擬似体験出来るんじゃないかな。
そう云うもんだと知らされてて慣れて来ればどっうて事無くったって、ゼロから始める異世界…じゃ無かったとか未開の原野の開拓には想定不可能な困難があったろう。

純粋な技術的観点からだと俺言い「変・ランダム」は既にBuddy Rich等が実現してはいたが、使い方が異なる故求められる踏み方が違うんだ。
人間手だろうと足だろうと細かい適当なヤツは、先っちょの方でちまちまやるのがデフォだよねえ。

バチなら指も入るが手首・足首主導の方が、大抵は楽だし速さも出せるっしょ。
処が強拍と迄行かなくても弱いの駄目となると、全てを足首で鳴らしてる人以外は脚でも踏まなきゃなんなくなる。

動画で確かめると御大のはJazzなのもあって、案の定Accent以外はほぼ足首から先で鳴らしてたよ。
って事って先ずそんなに強く鳴らしても場所が適切なら大丈夫なのに気付くのと、それを実行するのに不慣れなタイミングでの脚動作の両方をクリアするのは親分てーへんでいで御座居やすぜ。

この面で常時殆どフルのDouble Strokeってのが、手も足も開祖に近かったと思うんだ。
右手の金物系でのDouble Strokeでは例の8の字のが有名だが、あれって普通は弱くなっちゃう方のをそうならなくするほぼ唯一の方法でさ。

足でのスイベル奏法には惜しくも手の8の字程のご利益は無いが、純粋な足首の直線的動作のみよりは補填があるよね。
後者は利用可能な筋肉の箇所を増やせるからだが、前者のは力よりバチの角度が問題だったからだ。

手首若しくは指動作の際バチは先端が下がるんで、HatやRideの「Edgeをバチの肩で叩く」のは角度が真逆になるんでほぼ非実用になってまう。
これってかなり風変りな観点かも知れんが、普通弱くしか出来ないのをそうじゃなくしたって処でもある種のパワーヒッターなのがお分かり頂けるんじゃないでせうかねえ。

<つづく>

2022年8月25日 (木)

音楽備忘録1105 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓮

PC師匠の親友には暫くは楽器本体中心でとのこちらの予測、物の見事に裏切られ!?ましてん。
所望のミニテレを持って行ってみたっけ、何時の間にかVOXのamPlugなんか買い込んでやんの。💦

どっちかったら彼は昔から衝動買いする方ではあったけど、近年は大部落着いた様に伺えてたんだけどねえ。
尤も好意的に捉えればそれだけ練習熱が上がってる訳で、その証拠に「買ったは良いが」ってプチ事故があった。

彼は以前VOXのミニAmpを買った事があったからか分からんが、どうやら浮足立って「ヘッドホン」Ampなのを誤認してたらしい。
その存在がかなり浸透してるが為に種類の記述が少な目で、GuitarのJackに挿し込むだけで音が出ると思い込んでた。😅

普通に考えれば元でも専門家なんだから杜撰大王も真っ青の初歩的勘違いだが、還暦が迫って来るとそんなやらかしをし易くなるのかね。
しかしスピーカユニット自体には例えばスマホ等を除外しても、LCDの画面の枠部分に収められる様なちっこいのも今は実在してる。

のである1点を除けば筐体には内蔵可能だが、そこ迄ミニマム化すれば能率が極端に落ちる。
するとこれの仕様の単4乾電池2本で足りるだけの音量を出そうとすれば、恐らく1時間と持たなくなって非実用化するだろうからね。

のでⅡで俺も楽器用ヘッドホンAmpには疎いんで念の為マニュアルを眺めてみて、↑の1点が正解らしいのが確認出来た。
遂にヘッドホンでしか出せないの文言は見つからなかったが、電池の持ち時間からスピーカ非内蔵がね。

ってのも○○Effectモードにするとその分短くなってて、その短くなり具合が結構大きかったから。
もし電力増幅回路が入ってたら例えデジタルのでも、その消費電力はプリ回路の比では無いから↑の様な差は殆ど出なくなるんだ。

それは兎も角そうなって来っと接続方法の方も刷新が必要となったが、何やら前回訪問時には見掛なかった赤い小型のアクティブスピーカが2つ程…。
恐いから何時入手したのかはもう訊かなかったが、その赤いのにはボリウムツマミと連動したLine入力が付いていた。

そこで先ずはお試しで前回述でこしらえといたケーブルで、従前からあった国産Stratoとミニテレを繋いで様子を見てみた。
って何の事は無いその時点でStereo Mini Jack(amPlug )とPin Jackを繋ぐケーブルが無かっただけなんだが、やはりボリウムツマミの付いてるご利益はバカにならなかった。

LCDのだって内部デジタル回路にボリウムはあったんだが、そっちのは大抵Guitar AmpでだとMaster Volume相当の機能だ。
例えビデオデッキ以外のが繋がれるにしても、基本的にそっちの用途では相手はほぼ民生規格の-10dBに限定されるからね。

だが赤君みたいなのだとポータブルオーディオプレイヤのヘッドホン出力経由もあるだろうしで、どうやら-20dB~+4dB程度の適応範囲が持たされてる感じだった。
そのお陰でミニテレでもフルアップにすると音量過剰な位で、もし手持ちにそう云うタイプのがあったら魔用にはより好都合だ。

何れにしても方法が一応定まったからまたジャンクからケーブルを作って次回持参と思ったっけ、せっかちさんはそんなに待てない&調べたら安かったから買うって…。
それでどうなったかはまたぶり返したコロナ対応で訪問を1週間延期したから、電話で一応の無事を訊いたに過ぎないがね。

個人的にはどちらかってば危険な兆候で、音色自体は偽物でもそれだけ充実して来ると更なる欲が湧くのは時間の問題になりそうで。
Guitar Ampの為に他のガラクタ(おっと失礼)を処分する覚悟が付きゃ良いが、プロを目指すでも無いと中々そんなに大胆な断捨離は難しいだろうからねえ。

<つづく>

2022年8月24日 (水)

音楽備忘録1104 定番と奇抜⓲

日本で黎明期のRockは今の感覚じゃ信じられない程アングラだったの続きで、Rockで日本のをあまり求めて無かった俺はかなり助かった口だったろう。
とは言えそれも環境に偶然恵まれてたからで、今考えると当時のこの方面での地域的格差はもっと大きかったからとても苦労してた子供が居ただろう。

当時今比だと年齢制限等は断然緩かったが、アングラとなると特定の店等へ行けないとありつけなかった。
又横文字アレルギーが無かったから本家物で間に合ってただけで、もしあったらラジオであっちのが折角掛っても受け付けない。

そんな場合に代用雛形になるのとすると、子供番組関係のBGMやテーマ曲の存在は相当大きかったと思うんだ。
今となってはRockも少しは劣化本邦でも市民権が得られた様だが、未だ元から情報の少なかったアングラを探し当て尚且つ音源を入手するのはそんなに簡単では無い。

この面でも流行った番組ならその威を借りる形で、音楽だけが目的でも探索も音源入手も一部を除くとハードルが下がってくれる。
加えてこれには当時本邦業界固有のプチ根拠があって、Rock系の多くでは活動費を稼ぐ為にも請負い仕事をせざるを得なかったんだ。

有名処の1つとして山下達郎等コマーシャルソングを100本以上手掛けてて、そこは杜撰大王なんでリアルタイムで散々体験してた癖に当時は全く気付いて無かったんだけどさ。
尤もどっちかったら宇崎竜童みたいにその後自身のより、手広く作家として活躍するなんて人の方が多かったみたいだ。

その他当時の変身物やアニソンには斜陽化したJazzからの達人達の流入も多く、歌番組の伴奏は主に生き残ったBig Bandが中心と今からすればどれもこれも虐げられた本人達には申し訳ないが随分豪勢だったわさ。
わ兎も角そんな状況だと畑違い同士の人脈も出来易かったし、「外から自分達のを見つめる」とか夫々の特徴を知るには良かっただろうね。

俺を強制弟子入りさせた師匠も元はブルーコーツ(Big Band)のメンバーで、その後水原弘のバックでRock系のを吹いてたそうだ。
それが時流からニーズが管よりSynthe等に移行し食えなくなったから、スピーカ屋のオヤジに転身したんだそうな。

わ兎も角Ⅱでこっちが全くその気も無いのに平気で強引に弟子にしたのも、恐らく上記の様な他流試合を日常的に沢山体験してたから音楽演るんなら後輩→弟子ってロジックだったんでせう。
何れにしても俺が洋の東西問わず’70年代が最強と思う裏にこんなのもあって、安い仕事でも当時無名に近くても本格派が携わってたとかが普通だったからだろう。

それがマイナーなまま大して売れなかったのでも音がしっかりしてたのと、本業の方で柔軟でありながら今よりらしいのを提供出来てたある意味秘訣だったのかねえ。
又全然別視点だし飽く迄想像の域を出ないが、皆が皆そんな調子だとさぞかしJam Sessionを頻繁に極簡単に演れた事だろう。

これ等の過去を踏まえると日本のRockの多数派の定番としては、食に代表される如く節操無く雑多→元から何でもアリとでも解釈するのが相応しいのかな。
それじゃあ形が不明瞭で困るったらそうだろうけど、強いて言うならBassを中心にリズム隊が積極的なのが多いと俺には感じられる。

’80年代に入ると何かやるってば高難度テクが主流化した感じで、けれどそれが入れられない・入れ難い曲も少なくない。
どんな曲でも必要なだけ元気に出来るとか底屈させる場面を無くす面で、テクよりフレーズ自体を重視するのは必定だしそこになら個性を委ねる余地も増えるんだよ。

<つづく>

2022年8月23日 (火)

音楽備忘録1103 不当低評価の是正❻

バスドラの踏んでて聴こえる聴こえないを論じるのに、奏者の意図っつうのをプチ予習してみよう。
典型的な4Beat等だと、隠し味として鳴らしてるのもあるからね。

Ringo Starrが定番化する以前はRock系でもJazz屋さんの叩いてるのが殆どだったし、RingoですらSnareのBackbeatは今みたいに常時全開とは限らなかったわな。
そこから又時間が経過すると過去の程隠し味では無いのが増えたが、必ずしも全部は聴き取れないのも出て来た。

個人的に好きだし尊敬もしてるけど例えば概述Jeff Porcaroの、裏拍16分音符(次小節寸前に入れるヤツ)に聴こえないのがそこそこあるのには一寸ストレスを覚える。
っつうのも速いSlide Doubleだと、平均比で「普段より弱くならない」のもあるからなんだろう。

BONZOは元が超爆音なんで聴こえなくなりゃしないけど、Accent時の単打よりは小さ目のが多いから呆けっとしてると時々聴き逃したりしてさ。
これってきっとヲタの我儘の典型だろうが、どうせならなるべく楽に聴こえてくれた方が嬉し。

この件以前述べた様にポピュラリティを気にするなら曖昧はご法度で、確かに単純だと深みや味が不足するんじゃと心配になるかも知れないけどね。
私的にはそう云うのって日本独特の逃げと感じてて、根源的には「勝負すべき箇所を間違え」てるんだと思うんだ。

俺自身は大してポピュラリティを求めて無いし取り立てて得意とも思ってないが、Pops好きな従兄の方が妙に玄人受けする様な部分でこれを実感しててさ。
最近では従兄も「Drummerのエゴ」を再認識したらしいんで、もう聴こえなくても構わない踏み方はしなくなってっかもだがね。

半分以上は偶然だったろうが中々Ringoが置かれてた程厳しい環境を、継続的に体験するって事は無いだろうから。
芸術性と今なら人力なのを尊重すれば豊富な強弱等はあった方が良いけど、超劣悪な環境下では殆ど有・無の2択に近い状況となっても珍しく無い。

それもDrumが主役だったらまだ良いが、歌が主役だと脇役に許される選択肢は極限られてしまう。
又パフォーマーのスタイル次第じゃ常に何時も通りとか録音に忠実にってのもあろうが、それで通用するのはマトモな環境が過半数の場合だろう。

幾ら演者が正直にこうだったんだって演った処で、その場に居る者にそう聴こえなければ意味が無くなる。
してこれは好環境下でも聴き手の負担は最も軽くなる行き方になってて、ポピュラー系では強弱や大小よりフレーズや音色変化等他の要素中心の表現を主体とするのに繋がってる訳。

故に好き嫌い良し悪しは別として悪環境を乗り越えてきた人程、鳴らしたのは全て聴こえ確実に聴き取れる保証が無いのは鳴らさん傾向が強くなるんじゃないかな。
これを僭越乍ら俺と従兄の比較に当て嵌めると、従兄の方が好環境に恵まれたかもと思うと妙に納得が行くのであぁる。😢

しかしそうして下手に優等生的に成り過ぎれば面白味が不足する懸念があるが、Ringoの場合は凡人が考えるより広い範囲の中から工夫してそれへ対処してるんだろう。
普通に叩いても左利きで右用セットを使うお陰でユニークさは自然と出るが、左用セットへ何時迄経ってもスイッチしないしたまにも披露しないのは本人の明確な意図があるからだろう。

で↑由来のオカズの個性よりも影響大なのが、曲の途中で譜割りを変えてしまう等の大胆な作戦だった。
リズム自体に興味の強い人にならば1回の珍オカズでも効果があるけど、かなり近似なのをしつこく繰り返さないとそうじゃ無い人には中々○○のオカズとは認知して貰えない。

だが例えば突然テンポが倍とか半分になった様に聴こえたら、どんな鈍感さんだって気付かずには居られんでしょ。
それがバスドラでは大流行したお陰でスッカリ「唯の定番」と化しちまったが、拍頭や強拍以外の箇所にパターン化させたのを初めて入れたなんてのだ。

コレってもう紛れも無い大革命だったんだが、日本ではRingo以前のを聴く機会と回数が少ないから実感に乏しいのかねえ。
んで本家のと下手模造との差が「劣悪環境下での耐性」有無にあると感じてて、余程こっちがハイエンドレベルに近付けないと全貌理解は厳しいんだけどさ。

<つづく>

2022年8月22日 (月)

音楽備忘録1102 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓯

と云う訳でそれなりに真面目に練習した分を無駄にしたくなかったら、チャラいポピュラー系のエレキでも楽器として成立してるかを考えなきゃなんない。
のをもし気にしないのであれば、形から入る必要すらねえんでやんすよ。

ブツが目に入った方がやる気が湧き易いってのはあるでせうが、それだと買い揃う迄の待ち時間が生じる。
その間に気持ちが萎えるかも知れないし、一番演ってみたかった事が曖昧化するやも知れまへん。

雑誌等では例えばA,B,Cを買い揃えれば後は練習次第で本家の音がなんて釣り記事が少なくないが、この「練習次第」ってのが曲者でしてねえ。
適性その他に依っちゃ幾らやっても足りるだけに届かない事だってホントはある訳で、そうなると半端なのを先に買った分の処分が正に「泣きっ面に蜂」状態を引き起すんざんす。(昔よりゃメルカリとある分気楽になったけど…)

勿論何らかの形でまだ持って無い物の体験は必要で、それがあまり遅れると加減ってのを知れないからね。
けど自分には○○Guitarを△△弾きするのが合ってるみたい位は判明してないと、そこから先の道具の適性が良く分からない。

となると取敢えずはこんなかなってのを暫くメインで続けつつ、それに飽きそうになった頃合いで毛色の違うのを少し他所で体験して来るみたいなサイクルが良さげ。
演奏自体より音色創作の方に興味が強かったPC師匠の親友や大昔の俺みたいなのも居るが、弾けるより先に考案した多くのはその時は良かったものの後に殆ど没になったよ。

当初の想像ではアイテムが揃ってないと近付けないと思ってたのの多くが、道具より弾き方由来の方が多かったのが分かってさ。
だから↑みたいに時々はアイテムに触れて浸るのも良いが、よっぽどの金満君以外どうせ急いだって全部揃う迄の空白期間が相当生じるでしょ。

そこで偏屈な発想かもだが暇潰し位の軽い気持ちで、損は無いんで弾き方だけで演れるのに先に挑戦するのだす。
その時一定以上に集中して来ると道具の影響は意識の外になるんで、弾きの差と出音の差さえ大体一致してくれれば後は関係おまへん。

その究極が恐らく最近の俺みたいな完全Ampレス状態なんだろうが、そこ迄じゃなくても最低限何か聴こえてくれさえすりゃ大きな支障は無いさね。
その一例としてPC師匠親友の依頼続編だが、概述の残した普通のだと大きさと重さが現状には一寸辛いらしい。

それで元々は彼所持品だったミニテレキャスターを持って来いとの事で、しかし現状はパッシブなので魔接続には向かない。
そこで少々内部の様子を見てみたが、標準の現行24mmサイズポットの厚みのお陰で9V電池がギリギリで入らないのが判明。

にも拘らずLCDの外部音声入力と接続する、Pin Plug×2⇔Phone Jackのケーブルはもうこしらえちまった。
元々以上のミスマッチ度にはなるが先方の今後の動向、USBインターフェイスのスマホ接続等が不明なんで追加処理は現地実地試験後とする予定。

取り回し負担は明らかに軽くなるだろうが、手の大きさはほぼ同じでもあちらは俺より身長だけで15cmも高い巨漢だからねえ。
フレット間隔の狭さに音を上げる可能性もある等、暫くの期間は両方を並行して試すのが最善だろう。

ハイパーミスマッチ接続で聴き取れるだけの音量が得られる保証は無いが、辛うじて聴こえてくれたら臨時試験にはそれでも最低条件はクリアとなる。
ので杜撰大王らしく博打を打った!?訳じゃ無く、将来的に全く不要にはならなさそうだから部分先行させてみたんだ。

かなり両極端なシステムだけど、どうせ妥協するなら可能な限り簡単なのって結構大事じゃん。
尚且つ今の彼宅では半ば独立した魔活用方法なんで、TV見ながら弾きたい以外は他へ一切影響を与えない良さがある。

※追記:何時もの事だが執筆から公開迄期間が開いてて、第7波寸前以降は未訪問です念の為。

<つづく>

2022年8月21日 (日)

音楽備忘録1101 定番と奇抜⓱

今回は「日本の定番」について掘っとくが、前提条件としてRock系ってのを付けさせといとくれ。
いやいやオッサンRockって元は向うのもんやろご尤もなのに何故ったら、それじゃあ何時迄経っても真の日本のRockってのが作れないじゃない。

所詮はそんなの源流じゃなくて亜流ではあるが、模倣から次の段階へ進むには必要なプロセスずら。
っと言いつつ杜撰大王様本人はロクすっぽそんな意識は無いんだけれど、毎度お馴染みの逆アプローチでどうしたら演歌や歌謡曲からなるべく遠ざかりつつRockっぽくするかで多少縁があったんだ。

近年劣化本邦では邦楽(私的にゃ悪ぃがJ-POPの大多数は偽洋楽)と洋楽の汚業界に依る意図的分断が凄いんで、外国から来た人にどうアピールしようとかって機会は激減してっけどよ。
まあそこ迄行かなくても普通の日常の交流で、所謂「お国自慢」みたいなのは無いより持ててた方が良いでしょ。

もっと実用面では例えば○○教徒なので豚肉食べられませんとか、色んな違いや事情を象徴的な何かで提示可能だとこっちも相手も助かったりするじゃん。
それはさて置き私的にはRockerとしての自信が足りる迄とそれ以降で、雛形認定に一寸差があった。

当初は先に日本で認められてた隣接ジャンルとの差別化に固執してたんで、俺言い「Rockじゃないと出て来ない」みたいなのが中心だった。
後にその限定は一応解除にはなったが、FolkやPopsとの誤認の余地が無いのとなると未だ候補はかなり少数派だ。

俺の主義を差し置いても一寸そこへ拘っちゃうのは、Rockの雛形と思って導入したのにPops演ってんだなんて思われたら可哀想かもってさ。
これに関しては俺言い「不可解な捻れ現象」が今本邦では結構激しくて、昔歌謡曲として売られてた西城秀樹や沢田研二の一部のよりJ-PopのRock Bandの方がひ弱なのが普通に沢山あったりってのはどうもねえ。

そんなになった源は良く云や柔軟悪く云や節操無さ過ぎな民族性!?もあるかも知れんが、演者単位だと俺が安心出来るのはJohnny,Louis & Char(Pinkcloud)位になってまう。
だが期間限定とか曲単位とすれば俄然豊富となり、しかしそれだけに非リアルタイムの人には辿り着くのが酷く大変になっちゃってるよ。

但し全く全部体当たりでしか行けないかったらそうとは限らず、昔のになる程特定の奏者や作・編曲・作詞者の携わったのをある程度は目印代わりに出来るんだ。
そもそも欧米でかつてマイナーレーベルがそれなりに活躍出来たのだって、そんな探し方をする人がどんどん増えてったからなんだしさ。

ってな処で又しても古くマイナー系(信奉者様ご勘弁を)且つ曲単位だが、今日はハイエナ-頭脳警察(’73/7)を提示しとこう。
一般認識では単に左翼系過激派なんだろうが確かに歌詞にドギツイ箇所もあったりするが、それ以外の全てはかなり洗練されてて音楽的には結構深く高いレベルになってるんだ。

技術面ではGuitarだけが難易度が低目だが、歪み音色の質が当時の日本では珍しくFuzzやチープなDistortionじゃ無いのもポイントだ。
サウンド全体としてはどの程度意識したか知らんが当時流行のT・REXとChicagoの合の子様で、しかし何より歌のリズムの「乗せ方」の秀逸さは至高と言っても良い位巧妙だ。

さて定番なのにこんな「アングラの旗手」みたいなのを出すとはどういう了見って、日本では欧米以上にRockって元はアングラの最たる存在だったからなのだ。
それ故本邦黎明期だとリアルタイムヲタにはメジャー系のは外見を似せただけの偽物視するのが当たり前で、その理由は今表現だとリア充の大人が絡んでたからだ。

既存のどれもが気に食わなくて、何とかして自分達でも納得出来るのを追及してたからねえ。
今となってはアングラであんなにリズム隊を中心に職人レベルってのは、かなり違和感を覚えそうで何とも皮肉だがね。

けど思想が破滅的とか歌詞がNGワード満載!?だからってプロなら・聴いてほしいなら、曲・演奏や録音はちゃんとしてないと駄目ってののサンプルには絶好のだと思ってな。
本国以上に日本のPunk系が短命だったのもこの辺の関係が大きく、出鱈目演ってる様に聴こえるのとホントに出鱈目な演奏するのって完全に別物なのに理解の足りない者が多かったのかな。

<つづく>

2022年8月20日 (土)

音楽備忘録1100 不当低評価の是正❺

今更Ringo Starr恐るべしなんて吠えてるのって、正直にバラせば俺だって最近迄はこんなにとは思ってなかったんだ。😅
Drumにも本腰を入れる様になって数年が経ち、自身の老いた今後の身の振り方の参考にと真面目に学び出したらでさ。😞

全くの個人事情だが齢取っても衰えないDrummerって他にも居るけど、体格に恵まれてる人は直接的候補からは外しててね。
マルチ奏者の体験からするとDrumは他より長距離移動があるし、縦方向に背骨長さが影響するのは他では殆ど無いと思うんだ。

一部女性等の手の大きさのせいでPianoのオクターヴが届かないのとは違うけど、大柄では無い民族にとってはそこそこ貴重な見本なんじゃないかな。
尤もBuddy RichやGene Krupaみたいに、太鼓名人にはRingoと同程度か更に少し小柄な人が多いんだけどさ。

何れにしても彼の最大の特徴は楽勝で醸し出してる爆音で、エコな叩き方と音量の割にやたらPopな音色のせいで劣化本邦の大多数が未だに気付けてないのは絶大損失や。
個人的には元々世界一客がウルサイ処で演ってた人だから、少なくとも非力じゃないとは思ってたけどね。

多分再出になるがずっと後でオールスターバンドの来日時に、他のDrummerより妙に荒い音色だなと感じたのが再検討の発端だった。
アレアレたった数行で言ってる事がひっくり返ってるが、↑の荒いは想定外でそう思った感じただけで事後検証すれば正確にはワイルドだったん。

因みにその時の他のとはLevon HelmとJim Keltnerで、前者はRingoとほぼ同じLudwig 3ply Reinforcementの後者はDWの当時現行のセットだった。
音色的にはLevonだけ特別綺麗で後の2人は近似だったが、ほんじゃあそんなにRingoだけ音が汚いのか…って数多の過去作からすりゃそりゃあり得んわな。

そこで音響技師として浮上したのが生での音量で、「Mic等で歪みが生じてた」と考えるのが使用楽器との兼合いからも最も妥当なんすよ。
更に追加の駄目押しもあってたまたま俺は前者とほぼ同じセットを常用してるんだが、従兄宅の近代TAMAで最汚叩き😵(良い子は真似せんといて)したの程の野蛮さは3ply R君じゃ出せないのを身を持って知っとるんじゃ。

これがBONZOみたいに度を越してりゃ、もっと誰にでも↑みたいな「異変の原因」が即座に想像付くだろうけどさ。
つまりかなり普通じゃない音量が出せない限り、そんな風に聴こえさせるのは不可能なんすよ。

その後従兄の助力を仰ぎ乍ら追及して行くと、バチの振り巾は小さく無くバチ自体の長さが一寸長目なのが判明。
叩く姿があまりに無造作なんで想像困難だろうが、驚爆音を出してても誰よりも慣れ親しんでるから本人は平然としてられるんだと我々凡人は解釈すべきなんすよ。

これにはお国柄ってのも大いに考慮に入れとくべきで、例えば英人は内実より平静を装いたがるとか米人なら逆に大袈裟にアピールしたがるとかあるじゃない。(飽く迄傾向なだけっすが)
動画全盛の現代感覚だとつい視覚に依存しがちだけど、音楽ではもっと音を中心に検証しないと誤認し易いんですよ。

又々俺言い「Ringoの爆音」には少し他と違う部分がある様で、瞬間最大より全平均の音量の大きさに特徴があるんだ。
次回はこれを専門の!?バスドラで他者と比べたのを綴るが、幾ら他より録音が良かったにしても同時代のでRingoって何か踏んだのが聴こえなくなる事が最も無かった人だよねえ。

<つづく>

2022年8月19日 (金)

音楽備忘録1099 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓮

Drumみたいな爆音系生楽器ら比べると電気楽器は音量調節が容易いので、外で借りる際等の本物への拘りが弱い方なのかも知れない。
日常的練習場所を借りる頻度としては少しでも安い方が良いが、それで俺言い「偽物に最適化した腕」になったら苦労の甲斐が大巾に減っちゃうから勿体無い。

これって実は生楽器ではより露骨に出るから少しは注意が払われてんだが、電気楽器でも分かり難いだけで実際には大差無いんすよ。
俺は最近防音室外で弦楽器を練習する際、殆どはAmpに繋がなくなって久しい。

アコギだって演らなか無いが深夜とかだとそれでもウルサイから、エレキでの頻度の方が圧倒的に高い。
そりゃあ音色を思案する際は防音室に入ってAmpに繋ぐけど、ベテラン化したからか生でどうなると繋いでどうなるかがかなり予測が付いちゃってね。

そうなって来っとマトモな音になりそうになる前にAmpに繋いでも落胆させられるだけなんで、特に耳を休めるとかって意図も無いのにこんな風に自然となっちゃったんだ。
勿論モノホン体験が自分的にそれなりに充足したからであろう事は認識しての話しだが、電気楽器って電子楽器と違って「音源は人力アナログ」なんだよね。

それからすっと原理的には至極当然の結果で、但しこんな俺言い「自然現象」に可能な限り逆らった様なストンプとかを常用してると危ねーぜっと。
腕の割に良い音がしてくれるストンプは有難いしニーズのあるのも良く分かるけど、それって「馬鹿と鋏は使い様」の典型ずら。

練習では腕の割にロクな音がしてくれないので頑張っといて、本番でだけスーパーお助け君を使えば効果絶大になるがね。
身近な良い方の実例としては若くして亡くなった親友とドラム講師の従兄あたりが思い浮かぶが、後者はグングン腕を上げてた時期はずっと国産最安セットで頑張ってたんだ。

CymbalやSnareみたいに「持込める物」に関しては所持品のグレードアップを継続してたが、俺言い「鳴り難い楽器」を鳴らし切ろうとしたのが彼には計り知れない効果があったらしい。
前者の方も楽器本体は本気になった当初から国産だが当時高評価を得てたNavigatorを中古乍ら奮発してたが、Ampの方は最後迄マトモな楽器屋には置いて無い無名のだった。

彼の場合少なくとも本人にとってはAmp代用になる物が他に見つからなかったかららしく、ラジカセ2台利用の多重録音自作品以外では殆ど使ってない様だった。
そして当時の俺比だと彼等は前者が鍵盤も使うのもあってか、練習でも借りるStudioのグレードには割と拘ってたな。

そうなったのはお小遣いの額の差もあった💦ろうが親友は元は生Pianoの方が先と、エレキ発進の俺より生楽器体験が多かったからなんじゃないかな。
只そんな昔と今の違いはストンプの所持数や利用頻度で、真実を知る為に借りる際に注意する部分は大部増えちまった。

歪み系ストンプと露骨な歪ませ回路は不使用とし、単にボリウムをフルして歪ませる想定のされてるAmpが置いてあってそうしないと意味が無い。
Metal系の人なんかだとそれでは歪みは足りないだろうが、充分な体験が得られる前に深さを優先するのも禁止ね。

これは普通を知らずに特殊だけ会得しようってのに無理があるからで、どうやって「深くなっていったか」を学べばその意義がもっと良く分かる筈だ。
遊びとしてなら真っ先に好物の深歪みに浸るのはアリだが、必然性の理解が足りないと上手に操れる様にはなれないでっせ。

<つづく>

2022年8月18日 (木)

音楽備忘録1098 定番と奇抜⓰

近年劣化本邦では奇抜ったら目立たせる為&サウンドの変形等ばっかになってるが、俺的には一寸オーディオと音楽の混同・勘違いにしか感じられない。
本来のサウンドヲタってのは非音楽限定で、それ等には法則性等に乏しいのも沢山含まれている。

そんなルール無用のもあるとなると、リズム・音程・和声その他諸々の縛りがある音楽じゃ並の方法じゃ全く対抗なんか出来やしない。
万一「音には無興味」で音楽だけに興味のある人でも居たらどうか知らんが、サウンド過依存奇抜って俺に大谷翔平の投げた球を全部ホームランにしろって位馬鹿げた話しなんよ。

悪気ゼロでも普段音楽人は「音楽に入ってる音」だけで考察しがちだが、世の中全体からしたら非音楽音の方が圧倒的に膨大に耳に入ってしまってるん。
それ故かつて電気力等で飛躍的なサウンド変形が不可だった頃の方が、音程とリズムをもっと魔用してたんだ。

それが尤も顕著なのがJazzや前衛で、だが前者はアドリブの都合で規制無しとしても突飛なのをやらかすのに限度があった。
後者は完全自由なのは良いが一般人の理解を越えちゃったのが多く、しかしリズムについては一時期のRockで少し冒険した他は意外とまだ手付かずなのが少なくないんだよねえ。

最も基本的なリズムフェイクとしては単に通常表のバスドラと裏のSnareを入替えるとかがあるが、そんな基礎的なのだって以前述John LennonのRememberみたいに部分的魔用なら応用範囲は無限に近くなる。
或は今では普及し過ぎて極当り前にしか聴こえないBeatlesのGet Back、けどチョイと分析するとBassが8分でGuitarの少なくとも強拍は4分ってのが実は一寸裏通りだわよ。

具体的にはあの様なストレートなRock ’N’ Rollでは、普通ならJohn(Guitar)とPaul(Bass)の刻み数は逆にするもんじゃんか。
まあ尤もウッドベースの時代はホントは演りたくても、Bassで8分連弾を強要したら殺す気かってなっちゃってただけかも知れんが。

この例はとても古典だし類例も少なくないから今じゃ何とも地味で目立たないだろうが、効果が薄れたのはファーストインパクトのみなのよね。
普通奇抜ってば真っ先にパッと入って来る物ばかりと思いがちだが、少なくとも劣化今本邦では「第一印象の為に盛っとく」って最も王道で当り前じゃん?。

それだとすぐ分かるのは良いが誰かと似通ったりもあるし、何より「奇抜の寿命」が極端に短いんだよ。
だから唯の「掴み」だったら後に残らなくても構わんが、その手のは奇抜っぽいだけでホントはちっとも奇抜じゃ御座んせんの。

尚且つ目先のディテール盛りに血道を上げ過ぎると、定番にしといたつもりの部分が何時の間にか侵食されちゃっててさ。
在り来りの奇抜(本人達だけのつもり)+誰も知らない定番!?みたいな様相を呈しちゃって、両者の落差が縮小するから唯でさえ半端なのを余計に全部纏めて弱体化させちゃうんだ。

これ等からもお利口さんだと薄々既に気付かれてるかもだが、如何に然も無いアイデアや偶発の中から逃さず抽出出来るかが鍵を握ってると思うんだ。
サウンド的には脳内合成より実践あるのみで、俺言い「気紛れな手」とかは既成概念の影響を受け難いからねえ。

その点打込みオンリーの人は少し気の毒だが、だからこそサウンド過依存ってのが真の奇抜には不向きなのよ。
でも意図的にやったタイミングが変とか音列が変なんてのは、楽器種や演奏が人力か機械か等一切不問ですぜ。

けどメカ的側面での自前進化には設計・製造技術が必須なんで、もしそれを持って無いなら結局は人力部分でしか稼げんのよ。
しかもスキル持ちで折角素晴らしいアイデアが浮かんでも、それを可能化する部品が無きゃ強制棚上げ決定。

つまり機材依存って確実性には勝るものの、新規の余地はかなり狭いんだ。
それに対し人力の偶然頼みは非効率極まりないが、当事者の体力や感性以外に横槍を入れて来る様な制約は無い。

<つづく>

2022年8月17日 (水)

音楽備忘録1097 不当低評価の是正❹

本邦の業界劣化は想像を絶する様相を呈して来ちまったが、それ等の根源の1つに本件も含まれてると考えている。
誰だって富も名声も得られるなら欲しいもんだが、魂を簡単に売ってしまえるのは本質の理解不足に他ならんのじゃ。

どうせ真面目に頑張っても収穫が少ないなら…俺だってそんな気持ちには常に苛まれてるが、中でも最もバカバカしいのが基礎レベルでの「あ~ぁ勘違い」なのよ。
努力の方向を誤ってりゃ運良く周りに金の亡者が居なくても高評価が得られぬのも当然で、教育の瑕疵責任はあるにしてもこっちも自分で学ばなきゃアカンよそりゃあ。

こんなに偏狭資本主義化しちまうと雇う側は金勘定しかせんが、雇われるこっちは実務遂行上真実を知らないままでは済ませられない。
要は「立場が違う」から世相がどうあれ理解出来て無いと、ある日突然首切りされてそれっきりに追いやられる訳ですよ。

貰いが少ないのに苦労が減らんとは理不尽そのものだが、「実際に演れる」為の代償みたいなもんだからしゃーないねん。
かなりワイドな脱線になるが亡き安倍元総理は最期迄自宅警備に数億をつぎ込んでたらしいが、嘘ばっか付いたのを本人は自覚があったからビビリ捲っとったんちゃう?。(そのお金すらも敢無く無効化しちまった)

一見突然こっちへ戻す呈だが、そんなのって音楽家でも役者でも経営者でも大泥棒でも基本構造は全部一緒なので御座居まし。
それが口だけ番長でも居られる現政治屋なら、失言が酷くなってってもスルーされるだけで今の処は済んでいる。(ホントはそんなじゃ実に困るがね)

だが作品なり本日の表現なりで内面を出さなきゃなんない職業だと、人が逝かれると仕事もイカレて段々お義理でしか使って貰えなくなる。
それを避けるには例え今は家族の膨大な療養費の為とかで悪の軍門に下ってたとしても、裏では日々修正・矯正をしとかんと後で困るんだ。(上記の可哀想なオジサンも利用したつもりが利用された挙句…)

とプチ久で長前置きになっちまったが、こう云う根源的誤認がRingo Starrみたいなベーシックな存在の誤評価に表出してると思うんよ。
無理に好きになる必要も無いし、興味を抱く必要は無いすよ。

けどだからって不当に低評価するってな、例えば「魚は畑で獲れるもの」なんて誤認するのと一緒でさぁ。
脳内物差しの目盛が1cmの次が10cmと記されてて、それでいてその次が2cmってなってる様なドエライ状況なのよ。

だから誰に心酔して誰に興味が薄かろうとそれだけなら構わないんだが、歴史や経緯を誤認して後で損するのは間違えた本人の被害が最大になるのを知っといて欲しいんだ。
決して最初から完璧を目指せとは思わないし、ちょくちょく間違えるのも仕方無いし杜撰大王ですから全く否定なんて出来ないっすよ。

只問題なのは概知のものへ一切の疑念を抱かず放置するとか、好みのへ忖度し過ぎて欠点まで丸々受け継いじゃうとかがやべえんだ。
Ringoに関して必要な予備知識としては当時の環境等も重要で、過酷な長時間演奏や劣悪なMic関係等現代では想像を絶する酷さだった処。

当時そこそのLive houseでレギュラーを張ろうとすれば、レパートリーは今の10倍は最低必要。
Jazz系ならまだ長い曲とかアドリブで引っ張れるけど、ホピュラー系はロカビリー・アメリカンポップスの全盛期だから1曲がどれもやたらとすぐに終わっちゃうし…。

Beatlesデビュー後ですら当初はブームスタンドも無かったりで、Snareの手前にストレートスタンドを立てて叩き乍ら歌うとか!。(当然の様にコロガシモニタとか一切無し)
必ずしも本人が偉い訳でも無いだろうが、恰も次元が異なる程の中で編み出し演り続けて来たのはどうにも外せないんじゃないかな。

<つづく>

2022年8月16日 (火)

音楽備忘録1096 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓭

小出力Amp程スピーカサイズに余裕が欲しいのを綴ったが、こう云うのは楽器特有の「訳アリ」の1つなんざます。
Guitarって中高域が目立つし印象的だけど、実は物理的には低音楽器だからなんよ。

コレってGuitarと限らず例えば音域は高いFlute、実用上は確かにそんなに低くは無いけど下の方が音色的にはより美味しいし使い出があったりするんだ。
最高音に近付くにつれ音楽的汎用性の為には意図的に苦労して柔らか目・音量も抑えめに吹いてくんないと、キツく喧し過ぎて聴けたもんじゃ無くなる。(毎度だがわざとする場合は別よ)

Cymbalでも安物と高級品で最も差のあるのは低い方の含有量で、不要に籠ってたり煌びやかさが足りないんじゃ駄目だけどさ。
けどPAiSTEユーザーとしては低域少な目なお陰で、高額な割にはそう聴こえない悲哀を容認し続けてたりしてねえ。

これに関し小出力Ampも過去にはどんなモデルが売られてたかを知って貰うと良いんだが、俺自身青二才当時は何だよ非力な癖に場所と金だけせびるのかよなんて思ってたんだ。
取敢えず歴が深く今も作ってるFender・Marshall・VOXの3社ので例示してくが、現行品でも石のや玩具じゃ無いヤツでは搭載スピーカは最低最安のでもM君で8inch(20cm)他は10inch(25cm)以上のしか無い。

さて出力の割にガタイもお値段も嵩張るのをここで推奨するのは、その方が「買った後が気楽」だからなんだ。
嫌味タップリに「石のや玩具」なんてディスったのは楽器本来の「普通の音」が得られんからで、本気で楽しんだり練習したりするにはとってもリスキーだからなのよ。

これがBass用鍵盤用ともなると現況は致死的状況で、そもそも小出力の球のが絶滅しとるがね。
Bassの方では俺自身も幾ら球でも非力だと聴こえないのに昔は散々苦労させられたが、石で妥協出来るなら狭小自宅には今やAmp何ぞ不要なのだ。

鍵盤系では楽器がデジタルのしか無かったら球Ampの必要性は僅少だが、エレピやクラビ等「楽器Ampに繋ぐ設計」のだと多方面にドえらい影響が実はあんねんで。
原設計組合せとそれに満たないのでは音色も然る事乍ら反応に大差が出て、そのせいで弾き方や使い方に迄多大な不利益をもたらしてくれるんだから。(過去述晴れて本物に恵まれたのにオヨヨ)

是又皮肉なもんでどちらもLine録りやデジタルバーチャルもある今だからこそ、リアルやアナログじゃ無いと得られない部分がかつてより重要化してるんだけどねえ。
リアルの体験が著しく困難化したからか、聴かなきゃ分かんない差が蔑ろにされとるがな。

っと半分ヤケ気味になり掛かったのを封じて進めると、なるべく誰にでもリアルを体験して欲しいけどそれが困難なのも承知しとりま。
だからこそリアルへの道が遠くなる様なのには吠え捲るのと、どうやって上手に近道!?するかを授けたいんだ。

人次第で向き不向きもあろうしアプローチもたった1つじゃ無いだろうが、先ずはどうせ妥協するなら大胆にケチった方がよろし。
そして次の段階でストンプやPreampを買うなら球のにするのがコツってもんで、楽器的基本性能もだがそうしとかんと腕のリアルに最適な方向への成長が見込めないで。

色んな達人達が石のだって上手に使ってるのは確かだが、その過半数はリアルでの最適を既に会得してるのもあってなんだ。
遅い速球(本件では仮に石)を速く感じさせる(リアルの球)為に、もっと遅い変化球を習得しといて球速差を稼ぐのとかと一緒。

それには最低でも何処がとの位弱いのか位は知ってないと、足りるだけの補填も出来ないずら。
そこで次回は充分な物を持って日常的に使えるようになる迄を、どうやって凌いで行くかを綴るとしよう。

<つづく>

2022年8月15日 (月)

音楽備忘録1095 定番と奇抜⓯

定番と奇抜って表向きはそれこそ表と裏だが、全てが正反対かってば強力必須な共通事項ってのもあるんだ。
それは事前知識ゼロでも一定以上理解可能な処で、但し音列や拍子の細部みたいなアカデミックな部分じゃ無くムードがね。

定番ではフレーズの大枠は要素に含まれるが譜面上は同一でも、聴き味が独特だったら耳馴染みが無い若しくは足りないから非認定になる。
但しそんな特殊現象が得られてたなら奇抜としては上等なんで、問題になるのは提供側の意志との一致・不一致だろう。

↑と比べると少し難しくるのが意図した奇抜で、幾ら煙に巻きたくても全く内容が感覚的に理解出来なくなると非認定になってまう。
珍しいとか風変りなのだけは分かって貰えなきゃなんないからで、譜面上ではどうなっても良いが聴いた感じに一定の固有を持たせとく必要がある。

その多くでは厳密さは要求されず、例えばスライドアップさせる開始フレットが1つ位ズレたって構わないのも少なくない。
だがオクターヴ以上スライドしたかどうか等、アウトラインに変化があると耳では同一認定の枠から外れる。

大古典再出ネタでスマソがThe Venturesの巻弦擦り+深スプリングReverbを生贄で説明すると、私感ではあるが「地下道の水溜まりに水滴が落ちた」様な感じから逸脱したらアウトだ。
登場時は奇抜・今となっては死語近似となった定番のつもりで書いてるが、登場時だと到底エレキGuitarでは出せなさそうであった点が恐らく最重要だったろう。

今では逆にかなり何でも出せるのが浸透したんで、「ああ、あれか」と感じられるかどうかにポイントは移動したと思う。
しかし何れであっても音程的にかなり高目になってるのと、その上で音程が上に素早く移動してるのが成立条件には違いない。

又「例の何時もの」に聴こえる様に繰り返さないと人耳に定着しない点と、なるべく少ない回数で印象付けるには独特固有な聴き味が求められる。
この面からは定番は奇抜の「成れの果て」とも看做せ、初期段階と最終段階では定番と奇抜のハードル高さは逆転してるんだね。

「フレーズは大枠…」の補遺として案外リズムは音程よりシビアな様で、概知のではSteve Gadd等で有名な俺言い「タッタラコトン」では譜割りリズムが違うと同等扱いされ難くなってる様だ。
杜撰大王なので未だちゃんとアナライズは出来て無いが、部分的譜割りリズムは完全一致で鳴らす太鼓が異なるKieth Moonの位が辛うじて内包が許されるかねえ。

他ジャンルでも譜割りリズムがリズムパターンを支配してる事は多いが、何故か今昔問わず割と日本では実際より軽視されてる傾向を感じるねぇ。
しかもこれ自体にも傾向があるみたいで子供は素直にそのままを受止め出すが、大人に・詳しくなる程妙に一々論理解析を優先してるかの様な…。

音程を正しく習得するには確かに印象だけに頼ると俺みたいにロクな事ぁねえが、それってどっちかったら「演ってる人の倫理」だと思うんだ。
決して全てでは無いけど比較的シンプルなリズムでの相違と比べると、聴き手の印象に対しての影響は小さい。

そう云や今はもう世間認識は変わってそうだけど、Rockってそもそもは技を犠牲にしてでもノリに忖度するジャンルだったんだ。
ポピュラー系全般も分り易さの為のシンプルさは今だって不変なのからすると、今本邦のリズム感性は鈍感に過ぎるんじゃないかな。

<尻切れ一旦終了???>

2022年8月14日 (日)

音楽備忘録1094 不当低評価の是正❸

続いてRingoの作曲や選曲とDrum奏力へ進むが、録音完成作品での録り方や弄り方ももっと含めて検証すべき課題だ。
作曲で全く並じゃ無いのが演奏技術非依存な処と、イメージより遥かに沢山作詞してる処だ。

Beatles時代も曲タイトルや独自造語ではかなり暗躍!?してて、中でも特筆すべきはそれ等が常に高いポピュラリティを持ってた処だ。
作詞・作曲って学んで修行を積めば可能化するのと、才能或は非直接的な感性がハイレベルじゃないと出来ない部分の両方があってね。

純然たる請負仕事なら上記前者のみでも失点にこそならないが、分かり易さと独自性を高度に併存させるには感性に余裕が無いと無理なんだ。
大昔Bachが今迄に無い音列を使ってみましたなんてのが未だに定評を持ってるが、本人としてはそうしないと新しい表現が出来なかったから採用しただけなんじゃないかな。

それを専門家が技術的に凄いと言ったのを大勢が曲解して、ムードよりテクが先との思い込みが蔓延しちまったか?。
俺だって例えば全盛期のPaul McCartneyのシャウトには大いに惹かれたし、相当無理してでも必死にマスターしたりしたけどさ。

でもそんなのは誰でもその場で歌えるもんじゃないし、単純に歌唱が上手なのとは少し違うんですわ。
この点かつての日本では正攻法が過多だったからか、今はその反動で普通じゃ無いとか真似出来そうに無いのの方ばかりが過大評価される始末だ。

何時もそんな変なのを入れなきゃならなくしちまったら、歌える楽曲に制限が掛るんだよねえ。
それがBeatlesだった人の中で最もカバーが多いのにも反映してると思われ、ネタに窮して古いの持出したんだろうなんて安易な邪推をするのはいと恥ずかしだ。

今本邦では真の意味での純粋なプロ歌手ってのが見当たらんから分かり難いが、歌い手としてはカバー程難しい物は無いざんすよ。
既にある物を後からわざわざやるからには、本家には含まれなかった付加価値だけで並べる位迄持ってかなきゃなんないんだぜ。

俺も近年は他人事で居られなくなってっから何だけど、真に奏力が持ててたら他人の曲ももっと平気でレパートリーに出来る筈なんよ。
えっ?何々?著作権使用料の問題がって?、そりゃ日本じゃ払わなくて良かった昔もおかしいが今のが高過ぎ設定なのも完全な失策なんじゃい。

本当に過去の偉業に敬意を持ってたなら、誰もがこれ位なら払えるって位に設定しとかなきゃ嘘やんけ。
かつてはポピュラーでも今後はヲタ様専用化でもしたいなら別だが、ロマンスカーで¥2,000位なのを山手線の1駅間をもし¥5,000とかにしちゃったら誰が乗れるか乗るかってんでいってな。

例に依ってゲスの勘繰りすると本家の衰えを悪アシストすべく、若い上手な奴等がやり難い様にわざとしたのかなってよ。
まあ何れにしてもそんなじゃ折角宿った「歌や曲の命」は殺す事になるから、全員洩れなく損なんすがねえ。

暴走ついでに!?歌謡曲のお披露目名称にも触れとくと、「歌謡ショー」ってのがありましたな。
今俺だって便利だからってここでも安易に「Live」なんて綴ってるが、それってホントは主語レス状態正体不明の怪しい呼称なんだわ。

Liveにはその前後に付くShowとかConcertとか色々あって、短縮翻訳ではそっちだけにすべき処だったんよ。
↑の歌謡ショーが適切な呼称と思うのは、ショーだったら歌の他に小芝居やら色々盛り沢山でもおかしく無いっしょ。

寧ろタレントとしての興味が強いお客さんには最適で、コンサートってば延々神妙に聴き続けなきゃいけないかも知れないんだからさ。
つまりそれ位エンタ系の様々な基本概念が劣化今本邦じゃハチャメチャになってて、それを一旦白紙にしてからじゃなきゃ良いとか悪いとか言っても始まんねんだ。

<つづく>

2022年8月13日 (土)

音楽備忘録1093 お気楽に電気楽器を楽しむ方法⓬

前回のスピーカ補遺から電気楽器Ampの体験へと進めるが、先ずはGuitar用についてもっと克明に基準を記しとこう。
単発なら25cm(10inch)・2発以上で20cm(8inch)以上、ってのが汎用性も持たせるなら小さい方の限度だ。

早出因みにでBassでは凡そ上記より5~8cm大きいのって事になるが、球の時代のFender Bassmanに10inch×4があったのは落選なのか?。
Ampeg SVTだってあんなに巨大でもスピーカユニット自体は10inchで平気なのは、振動板の「総面積」が充分に大きいからなんだ。

勿論それを成すにはサイズだけじゃ無く特性だって合わせてあるが、この項の目的では複数併用はほぼ無い前提になるだろうからね。
振動板総面積の増加って「空気を揺さぶる面積」が増える訳だから能率も上がって、爆音目的なら救いの神だがなるべく抑えたいなら避けたい方法なん。

で前回等述の自作小型Ampは流用事情から現況は20cm単発で、当初目論見はそうしといたら音質を犠牲にしても最大音量が控え目になるかと考えての事でね。
で実際やったら要らん時に限ってかなり大きく出やがって、低音の不足が他へも悪さするのだけがハッキリしちゃった。😓

コード感等の為には音程次第であんまり音量が違うと不味いから、必然的にAmpのBassツマミは上げ気味になりまさぁね。
処がそれで歪ませると歪みのニュアンスが所望のとは違っちゃって、音色ばかりか低い音程歪みが深くなってもうてのぉ。

それで過去に1度たまたまもう1つ同じユニットがあるから2つで試してみたんだが、そこそこ改善は見込めるが充分とは言えない位だった。
これとは別の貰い物の石のAmpで25cm単発のがあって、過去述Amp出力段でも歪ませるとやたらみみっちい音色で物凄く疲れるってアレ。

この石25君はスピーカユニットが楽器用なんで、球魔流用自作君よりサイズの割に低音控え目設計。
結果Bassレスアンサンブルだったり、伴奏主体のを演るには使えない代物でやんした。

俺がこれに比較的歴初期から気付いたのは、当初はリズムギターとかサイドギタリストしての参加が多かったからかも知れない。
昭和の中坊の劣認識ではGuitaristってな凄いソロ弾き捲れてなんぼが主流で、知人の中にはソロ以外は露骨な手抜き&やる気ゼロな姿勢の奴も居たんすよエエ。

なので俺変言い「高音だけ欲しい終身ソリスト」だったらどうか分からんが、普通に色々弾いてこうと思うならそんなのだと今良くても後で必ず大弱りになるんどす。
別面ではMarshall信者さんにもこの件は大問題で、M君って色んなAmpの中で最も回路はキンキン・スピーカで低音を充足させるコンセプトになっとんの。

せやさかい幾ら妥協の産物と容認しようにも、根幹に大きな違いを作っちゃったらどうしようもおまへんで。
又Ⅱで単にGuitarの音色バランスを思い出して頂けば、ガットでもフォークでも実はかなり低音の響きがタップリ来てるっしょ。

エレキみたいに余韻が長く無いからつい忘れそうだけど、あんまりペラッペラッだったら誰にでも安普請感満々やん?。
それに輪を掛けて極力小音量でとなると、例の人耳の対周波数感度特性のお陰で余計低音は聴こえ難くなるんだから。

そやさかい何とも皮肉な現象だが、小音量用の程スピーカにしっかり低音の出るのが要るんですわ。
しかしオーディオ用ウーハでは同様に耳感度の低下した中高域が絶対的な不足を来すんで、フルレンジタイプだけどそれなりの口径があるから低音も出るってのしか選択肢が無いんざんす。

<つづく>

2022年8月12日 (金)

音楽備忘録1092 定番と奇抜⓮

あまりにもベタなネタに更にもう一掘りとはもうクドイすら超えたかもだが、私的にはHighway StarでのRitchie Blackmoreの伴奏には一寸表現の珍しさを感じたんでそれから。
長らく単に雑目とか少しだらしないと思ってたんだが、途中でPunkなんかで意図的にそうしてるのとは明らかに何処かが違うのに気付いてね。

所詮は身勝手な憶測の域を脱しないが、何だかイメージ的には如何にもBeethovenがオケで使いそうな「ジャンジャンジャン」のシミュレートみたいな気がして来たんだ。
エレキの8分音符連弾っつうとまだ当時の殆どはもっと浅い歪みのしか無く、強いて参考になるとしたら有名処ではRevolutionでJohn Lennonが演ったの位じゃなかったかな。

歪み深さだけならPsychedelic系やジミヘンなんかで少しは類例はあったが、テンポがもっと遅いのか上記後者と同様フレーズに少しは動きのあったのばかりしか思い出せない。
つまり自宅の畑で採れない野菜の要る料理が作りたくなったら、何処かへ貰うか買いに行く様なもんでさ。

彼の出自のClassic系になら上記みたいなのはそこそこ昔からあったんで、もし上手く似た様な感じに料理出来ればアンサンブルで使える保証が最初からあった訳だ。
現行っても俺が視聴したのは2016年か何かのだったから、ホントの今は又少し変わってるか知らんが。

けど↑の21世紀版でオケ弦感覚だけ無くなってたのは、今ではエレキのジャジャジャが市民権を得てスタンダードになったからかも知れないなってね。
何れにしても定番の人が定番を演るのにどうしてるかでは恰好のサンプルかなと思うんだが、ソロパートでももう珍しく無くなったからとアームを使って無くても極端に変わっちまった感は僅少に感じられる。

これとは別で止むを得ぬ事情からチョーキングを全て指のスライドに変換してた晩年のJohnny Winterにしても、日常の俺💦みたいにいい加減な聴き方をしてたら出て来る音はスルー出来る程度の差に留まってたな。
これ等から奏法ありきや方法論では無く、定番の少なくとも創始者達は表現主体で取り扱ってたのがお分かり頂けるだろうか。

ヲタ的趣味性の高さとしては寸分違わずに価値はあるが、実用と云う事になると醸し出された音から来る印象が最優先且つ殆ど全てなんよ。
本家クリソツを達成出来て得られるのは最高峰であっても物真似止まりで、それは決して無価値じゃないが「貴方の音」では無いので御座居ます。

だから敬意を表する引用だとしても例えば音はそのものズバリでも、奏でてる人は外も中も演り方も本家とはかなり違う位の方が良いんざんす。
それが又アブノーマルな独特のだったら未だしも定番と思ってるなら、必要部以外は極力異なってて且つなるべく本家とは別の独特さがあった方が良いしそうあるべきなんじゃないかな。

それを例示曲に当て嵌めて原版のニュアンスを必要としてたなら、↑の「オケのジャンジャンジャン」っぽい感じが出せればそれだけでOK。
改訂版!?の方のより一般的なのが欲しかったら、8分音符の刻みが連なり過ぎずに全部容易く分離して聴こえりゃそれで正解なん。

実際には上記等のはある程度は音色とセットになってっけど、それだって求めるニュアンスの都合で掛った制限なのよ。
だからもし本家のより歪ませなくてもワイルドな音が出る楽器だったり、それこそモノホンのオケの弦だったら歪ませたら却って遠のいちまうべ。

近回は定番だけに全集中で来ちゃったが、かなりソックリなニュアンスを全く楽器からして違うので出しちゃったりするのも奇特の内に入るんじゃないかな。
それが上手く行ったのが独自のスタイルとか呼ばれ、しかし元の経緯が↑なんだから少なくともその分合奏にフィットさせ易い筈なんだ。

<つづく>

2022年8月11日 (木)

音楽備忘録1091 音質の硬い柔らかいの真実⓯

前回後部の話しはあれで終っても構わないんだが、俺は何処かの無責任政治屋と違うからしっかり対案!?を提示しとく。
執拗に「石駄目」と連呼しとき乍らUSBもPCも石の権化だから、そこで終っては本件としては直接的な解決には結び付かない。

のをどうしろってば、イヤホン・ヘッドホン・スピーカ等へAmp購入資金を回すのだ。
インナータイプに関して疎く推奨ゼロなのは毎度の杜撰だが、例えばヘッドホンならKOSS・スピーカならTANNOYのどちらも旧世代ドライバのだったら過刺激サウンドは出せないから😃出ない。

この方法がお得なのは楽器だろうと動画だろうと音楽だろうと、それだけで全ての音から危険な硬過ぎ君が駆逐可能となる処。(そりゃ音源から硬過ぎないのには負けちまうが…)
楽器だけなら録るにしても全部球ってのも可能性はあるが、既にデジタルデータ化された物を全段真空管で再生するのはそんな機器が無いから全く不可能だ。(具体的には球のDA/ADコンバータが無い)

俺には今の処無縁だがスマホで聴くのが主流となりつつある以上、最も頻度の高い箇所での保護が最重要だからね。
尤もこの方法の欠点は自宅でOKだったのが他所でOutになる可能性のある処で、けど劣化現代本邦の「自己中心主義」には最適と嫌味も混じるが言っとこう。😠

個人的には自分以外にこそ球サウンドを聴かせたいから、録る際に極力球経由度が高くなるように腐心してるがね。
只決して硬過ぎ君は勧められないがしかし何でどう聴くかは個人の自由だし、かのプーチンですら自国民の誰一人反戦を訴えたくならなくは出来なかった訳で。

と言いつつ今回時点で親友にこれはまだ勧めて無いが、それは彼が余計な音量を絶対的に出さない奴と熟知してたからではあったんだ。
将来的に本物に迫りたくなったらアクティブ:NG・石:NGと最低限の布教活動!?だけはしといたが、彼は乱暴な演奏・暴力的な爆音なんて出さんし求めてないからこそアクティブに魅力を感じてる節がある。

尚且つ彼現常用の球形サテライトスピーカが、かなり耳に優しい音のでね。
只10cm位の白い球体って以外接続方式はおろかブランドすら不明なのは、杜撰大王又々本領発揮でスマソであるが。

何れにしても球機器よりは高価じゃないし、共用とすれば1つで賄える分ハードルはかなり下がると思うんだ。
ここから再度従兄のDrumの硬過ぎだけ許容不可解の件へ戻るが、彼も俺みたいな無茶はしないからその分被害はきっと軽目になってるだろう。

だが↑の親友とは似て非なる部分があり、ずっと興味はあっても未だ電子Drumには全く手すら出していない。
すると普通に叩いて普通より小さい音量ってのが出来なく、極論では遠慮して叩く悪癖が付くか耳の劣化を早めるかの悲しい2択に迫られてる…迄は今は行ってないかも知れんがね。

しかし個人で叩くだけの時にそんな硬さや音量は不要なのからすると、少なくとも疲労度高目で損してる可能性はそこそこありそうだ。
もう1つ考慮すべきが最大音量の変化で、かつての思いっきり叩いても今より小音量なままだったら良かったかもだが。💦

しかし奏者としては今みたいにしっかり鳴らし切れる方が明らかに優れる訳で、要はこの部分で昔よりミスマッチが増えたのに気付けてないのかも知れない。
っと今は他人事の様に言ってるが、俺も含め誰にでも訪れる可能性はあるんだ。

楽器の演奏ってかなり個人で格闘する部分が多いし、それが音楽的である程感覚依存度は高まる。
その分裸の王様に陥り易い性質があるんだから、定期的な客観的チェックと必要とあらばスイッチする覚悟を持っといた方が良いと思うんだけどな。

<つづく>

2022年8月10日 (水)

音楽備忘録1090 不当低評価の是正❷

続いてRingo Starrの具体内容へ踏み込んで行くが、歌・曲・演奏の順で記して行こう。
3つに分別しても共通なのは分かり易さで、しかも本人の体裁等よりメロ・リズム・歌詞の内容が例外無く最優先とされてるのはかなり特筆ものだ。

歌に関し大多数の人がすぐ分かるのは多分「癒し系」位だろうし、声域は広くも無く・特別音程感やリズムが良くも無く並の凡庸な歌手っぽくしか聴こえないだろう。
だがそれは表面的歌唱技術だけを抜粋して吟味した結果で、それで誤評価が起きないのはアカペラ等の限定なんだ。

歌だけ聴くと最高っぽくても、大抵の曲には伴奏も付いてるよねえ。
すると歌音量が僅かに小さくても途端に聴き取りが悪化するし、それを嫌って伴奏を小さ目にし過ぎると今度は逆の不利益が起きる。

コレ俺は随時吠えしてるが例えば5人で演ってるなら、特例時を除き「4つしか聴こえない」になったら失格なんすよ。
編曲家観点からしたらそれって実に簡単な話しで、だったら「聴こえなくて構わなかった箇所」は休符にしとかにゃアカン。

どうせ影になって見えないら平気さなんてズボラをしてると、TVなら所謂放送事故の原因を用意しとく様なもんじゃん。
の裏を返せば何らかの意図があって5つ鳴らしてたなら、今度は技師観点からすりゃ全部が聴こえる様にしなかったら職務怠慢なんす。

但しパフォーマー側に補填不可能な瑕疵があれば別で、だからこそ「アンサンブル内の歌手」って認識が本来はかなり必要なんだ。
処が主役向きな歌手に限って個人主義が強いってのかハイパーナルシス君ってのか、常に「歌に伴奏が合せるもの」なんて意識が過剰でね。

なぁんて皮肉るのはそれで楽曲的に大丈夫かが欠けてるからで、伴奏→脇役→奴隷みたいなロジックが短絡思考過ぎるんですわ。
もしホントにそんなに伴奏の貢献度が低いなら、少なくとも歌が始まったら全休符・終った途端に演奏し出しゃ良いんじゃねって。

実際に何かのイベントとかでアナウンス開始前に注意を惹くのに先にBGM鳴らしといて、喋り出したらFade Out・喋り終わったらFade Inなんてのあるずら。
要するに少なくとも「グループミュージックの歌手」だったら、唯の一歌手とは伴奏との共存の部分が段違いに上手じゃないと存在意義が無くなるっしょ。

そんな風に「曲の中の歌手」として聴くと、実はかなり究極に近いレベルに彼が居るのが分かると思うんだが。
プチ余談になるが日本でこの手ので不可解なのが、F1レーサーとかだったら単純な速さよりレース成績をやたら重視する風潮でさ。

道具依存度の高いのの勝利にはお金や政治の影響も強いんで、レーサー自体の評価をするには速さや技術にもっと比重を置かなきゃなんだけどな。
それが音楽とか表面的にスポーツよりエンタメ寄りのになると、容姿や主役のパーソナリティとかがってあべこべもエエ加減にしとくれっての。

音楽って音にバラしちゃったら大した威力は無くなるもんで、全体俯瞰を差し置いて何処を評価しても意味が無いねん。
そしてこの部分が恐らく後のBeatlesメンバー内で、最も早期に歌唱力が評価されてた原因でもありそうだ。

その昔はPAは無くボロいVocal Ampしか無かったから、全部聴こえる様に歌えてるかが他のどんな要素より基本でそこで抜きん出てたと。
是又特に劣化今本邦ではほぼ失念されてるが、他の3人が今みたいな評価が得られたのはBeatlesが売れた後でなんだよなぁ。

っと上記も含めBeatlesも含め、その後のスタンダードやポピュラー系の開祖だったって事なんすわ。
基本過ぎて凄さも何も全て普通と感じられてしまうのは仕方無いが、聴くだけなら兎も角演る側に回ろうとしてて何時迄も気付けない様では灯台下暗しの典型でみっともないとワイは思うで。

<つづく>

2022年8月 9日 (火)

音楽備忘録1089 定番と奇抜⓭

クドイ代わりに懇切丁寧…なつもりで前回の内容を掘り下げてくが、音楽での定番は視覚的な形では無く「音の聴こえ」なのを証明する為だ。
っと言った処で今時クドイのは全く流行って無いだろうが、物事には拘るべきポイントってもんがあるからねえ。

ではエレキGuitarがそこそこ歪ませてて、StaccatoやMute一切不使用でキレが少しは出せてた原因をば。
弾き方の方でもアップダウンでは無くダウンだけでってのも粒揃い等には貢献してるが、基本的には用いた楽器とその使い方のお陰だ。

アタック音が際立ち易く余韻が少なくとも平均より長くは無いFender Stratocasterで、必要時Boosterのみで球Ampで歪ませていたからだ。
近年の周辺機器や使われ方では実感し難くなってるが原形Fenderの特にリアPUを無歪みでだと、悪環境下で奏でると殆どアタック音しか聴こえなくなんねん。

これはその昔Country以外ではSingle CoilでもFender以外のが重用されてたのに反映してて、リズムは良く分かっても音程感不足に陥り易かったからだ。
今回この件の検証をと思って初めて近年のRitchie Blackmore本人がどう弾いてるかググッてみたら、歪ませ方式変更と加齢を加味したからかお気楽アップダウンでハンドミュートの他空ピッキング迄使ってやがった。

そんでAmpと歪ませの方を進めてくと、一般的な歪み系ストンプとAmpのOverdriveでは「歪ませる方向」が真逆なんすよ。
全てでは無いが多数派比較だとストンプは安定・小奇麗・余韻芳醇で、Ampは生のワイルドさ・演奏の微細な相違の反映にそれぞれ勝ってると言った処だろう。

別な端的表現をするならAmpの方が音色が変わっても、反応は歪ませなかった時と大きくは変わり難いとも言えてね。
一見幼稚過ぎてアホらしいが、そりゃ元々入力をオーバーさせてただけなんだから至極当然なんだけどさ。

だがストンプでは設計時点で想定されてるの以外は、楽器本体のボリウムを絞って歪まなくしても普通の生音とは大抵特に反応がかなり違う様になってしまう。
のは是又稚拙だが嫌ならOffるだけで済んじゃうんだから、歪ませた時だけの最上を追及してるのが多くてもご尤もですがな。

只これは単純な音色とメカ的部分限定の話しで、音楽的結果と奏法の関係では大差が発生するんざんす。
近年の一部狡猾ストンプみたいにだらしなくアップダウンで弾いてもザクザク云う様なのを除けば、鍵盤に置換比喩すると差し詰めストンプ≒Organ系・Amp原典式歪ませ≒Piano系に近いものがありんす。

なので「実際に出て来る音」に対しての理屈は厳守だし残るけど、それ以外は脳内理論を優先させたらロクな結果は得られへんのどす。
上述本家Ritchie翁の奏法変化は若くイキリ立ってた当時のと完全には同じじゃ無くなってるが、露骨に印象が別物となる程へは至って無かったっす。

それすらアンサンブル全体としては俺より下世代にはかなり失礼かも知れないが、オリジナル編成のメンツと比べるとこの件(Beat生成)ではかなり落ちる面々だったんでね。
又しても殴った後でさする式擁護で何だけど、それだけ昔は只ちゃんと刻んだ音を出すだけでも厳しい諸事情からかなりの腕が無いと不可能だったのよ。

ので総体的に今の彼等が必ずしも劣ってる訳じゃねんだが、本人単体で聴けば今の方が丁寧になったしキレに直接貢献する様にはなってたよ。😵
因みにこの曲Highway Starで翁は作曲段階から携わってる点でも、聴き味をどうしたくて昔はああ・今はそうしてるのかの証拠となり得るんじゃないかな。

<つづく>

2022年8月 8日 (月)

音楽備忘録1088 音質の硬い柔らかいの真実⓮

続いては音の大多数に現代では関係する、スピーカを始めとした音再生装置についてだ。
前回述の管楽器みたいに電気不使用のも微かに残ってるが、それ等については生楽器と大凡近似と思って貰えれば。

ってんで電気利用の方ので進めてくが、真っ先に絶叫しときたいのは固有の特権を活用して耳を守れっざんす。
実際俺だって若い頃は「こんなの全然へっちゃらさ」みたいな似非格好良さに翻弄されたりもしてたけど、音圧と共に不毛競争は百害あって一利無しだす。

割と近回の何処かでも吠えたけど「人より常時爆音」を成立させるには、常音時には含まれない要素への注意と制御が要るだわ。
さてここでの俺言い「常音時」とは、日常生活活動中に誰もが継続的に受容出来る音の大きさと質でありんす。

してその具体値はご家庭のUplight Pianoでもパワフルな音大生等が轟然と奏でた級のは圏外で、それだと耳限界には随分余裕があるのにと疑問を持たれるでせう。
なしてったら↑では楽器の生演奏を引合いに出しちゃったけどイヤホンやスピーカの電気駆動では、電源が電灯線だったら止める迄ずっと設定したままの音量で鳴り続けたりするからや。

現代では体験困難化して久しいが大昔ソースメディアがレコードやテープでもオープンリールしか無かった頃は、普通は半日も持たなかったんだ。
具体的状況を一応提示しとくとメディア終端に達したら、オートリターン機能の無いレコードプレイヤでは延々終端溝のポツッポツッが居眠りから覚めるとなんてさ。

テープの方でも自動停止機能の無いのだったらテープ終端がリールから解けて、エロ用途用電動鞭(正式名称知らん)みたいにずっとパシッパシッと何処かを打つ音が続く。
これ等はCD以降のと違って決して無音にはならないが、ソース再生時と比べれば大抵は桁違いにその音量は小さかった。

もっと昔の蓄音機ならゼンマイが全緩すれば止まっちまうし、TVやラジオだって普段はメンテ都合もあって夜中になれば放送休止になったっしょ。
尤も最後のは雑音自動ミュート機能の無い受信機が殆どだったから、完全に電波が止まればズザ―ッと盛大なホワイトノイズが出て大変だったけどね。

まっ何れにしても同じ状態が続く事は無かったから、眠って居続けられる位で済むか誰でも飛び起きる位の2択しか無かったんよ。
それがネット経由で自動再生にしといたら停電でもしない限りそのまま続く訳で、これは極例だけどそれだけ静寂を得る方が色々昔より大変になってるですな。

携帯機器だって年々バッテリーは長持ちする様になったしで、続けるより必要な休憩を取る方が意識して無いとスルーっちゃうだす。
こう云うのって機械だったら今でも最大パワーには、一定時間限定のと連続のが併記されてる方が普通でさ。

生物的疲労と無縁の機械でもそんな位だから無対策だと すぐ疲れたりする人間如きじゃ、想像を絶する位大きなマージンが必要なんだ。
この部分では概述の色んな俺言い硬過ぎ君達は、完全な業務用か完全な趣味人の自宅お遊び用機器と定義されてなくては罪ってもんなのだ。

そうでなくてもたまたま先日狭隘室に住む親友のGuitarメンテに行った際、「繋いで音を鳴らしたい」に対しPC持ってるんだしアクティブ好きなんだから半端なAmpよりUSBインターフェイスの方がと勧めてね。
試しに2人でネットを漁ったら最近はもう¥2,000一寸で使えるのが見つかって、彼は早速注文しちゃった。

俺も今迄知らなかったが↑って殆ど普通のシールドケーブルの反対側がUSBプラグになっただけみたいな姿で、実際にはUSBプラグ内部に集積回路が入ってるんだろうけどね。
人の操作としてはAmpなんかに繋ぐのと全く同じ感覚で行けちゃうんで、こうなっては本当に耳壊リスクの高目な石のAmpなんて少なくとも人前で演奏するニーズが無くばもう買う価値は殆ど無きに等しいですぞ。

<つづく>

2022年8月 7日 (日)

音楽備忘録1087 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➓

音量制限したくても実用限界があるのにプチ触れしたが、これについて折角だからちゃんと掘っときまひょ。
頭だけで考えるともう少し何とかなりそうだろうけど、前回同様他楽器も引合いに先ずはそこから考察しよう。

生Pianoの小音量化で懸案になってるのに、弦の音量ってのがあると思うんだ。
その弦だけに着目すれば最近はエレキBassでも多弦のが増えて、最低音程が以前よりはかなりPianoやOrganに迫って来たよね。

それからするともっと音量も下げられそうな感じだが、共鳴とハンマーアクションの都合を考えるとそうもいかない。
いや正確には物理的になら昔のElectric Grand位迄は楽勝で行けるんだが、そうすると最早「普通のPianoの音色」じゃ無くなっちまうんよ。

個人的印象としてはYAMAHA CPは生ピよりBrightだけど、実際のレンジは生ピはおろかGuitarのエレアコより上は寸詰まりだ。
何故そんなになってるかったらPUインピーダンスの都合で
、出せてる高域を工夫して生よりスポイルされ難くしてある。

これは実はエレアコでも近似で、その理由は含有量が多かったからだ。
故に生ピ音色に拘らないならかなりどうとでも出来るもんで、ある意味その結果が「ヘンテコな音色の生ピ」(そんなんあるんかい???
)よりデジタルPianoって現況に表れてる訳や。

是又体験から太鼓胴の口径について申すと使用する皮次第の限界はあるが、単純な音程だけなら思ったよりゃ結構下げられるもんだ。
だが胴の共鳴だのバチが皮に当たったのとそれ以外の音のバランスのせいで、不適切な小口径だとアタック音しか殆ど聴こえなくなりやがった。

もちっと具体的には現所持のメロタムが所望より小さいんで、録音ではわざとアタック音を無視するかの様な位置にMicをセットしてんだ。
生耳ではギリギリセーフなのが録ると全然駄目で、極論すればまるで叩きそびれてリムをかすっただけみたいになっちゃうもんだからさ。

音自体はある程度物理解析で特定も可能だが、音楽となると理屈に反する様な部分が平然と色々現るん。
詳細に掘れば何処かに微細なパラメータの相違は出て来るんだが、「えっ?たったそれっぽっちで豹変するんでっか?」って感性とのリンクが非リニアなん。

ほんでも巧い事やりぁ少しはどうにか出来るだろうけど、音色は1つしか使いませんって事ぁ普通無いよねえ。
そうすっと例えばクリーンには最適を作れても、軽く歪ませたらもう全然ダメになったりとか適合範囲を足りるだけ取れなくなるんよ。

要するに基本の理屈よりかなり余裕がある状況にしとく必要がある様で、私的にはそれをBass用のスピーカユニットで実感させられますた。
多分大過去述だが物試でオーディオ用ウーハで鳴らしてみたら、ローエンドは結構毛だらけ猫灰だらけだったが「何Bassか」が判然としなくなっちった。

これエレキの型番とか細かいのじゃ無くって、弦かシンベかOrganの足鍵かみたいな段階でよ。
そこで改めてベーアンのスピーカユニットを分析すっと当然Guitar・鍵盤系よりは低域再生に力は入ってんだが、オーディオのウーハみたいに下さえちゃんと出せれば良いってな仕様にはなっとらんかってのぉ。

中高域が目立って前面に出つつもローエンドも来てたらそれが分かるってな状況になってて、それ故近代的なちゃんとした帯域分割駆動用のユニットじゃ向いてねんだ。
一口に帯域分割駆動っつっても昔の一般用はフルレンジプラスα発想が主体で、高能率の縛りからもそうせざるを得なかったん。

つまり黒い言い方をすりゃ頑強だが出鱈目で大雑把な方がってなもんで、他用途からの流用には昔の程可能性が高くなるんすよ。
但し半ば必然的に昔のは耐入力が小さいんで、本チャン用には少なくとも盛大に数を増やさなきゃなんない。

のが今テーマみたいなのには一種の抜道になるんで、電気楽器を演ってる人は「5Wしか入れられねんじゃ」って慌てて捨てない方が良か。
ってもそんなのが家にまだ残ってたらの話しで、こんなに月日が流れるとねえ…。

<つづく>

2022年8月 6日 (土)

音楽備忘録1086 不当低評価の是正❶

好みや人気が反映する分野では、数字的絶対比較が出来ないからある程度は仕方無い。
だが表面上の印象のみとか商業性だけで芸術を勝手に判定しては、最終的には手放しで心の底から楽しむのを阻害するだけなのだ。

さて冒頭の「ある程度」とは積極的に売ろうとはしてないとか、販売より製造に注力してる様な作品の事だ。
そう云う姿勢だと万人に分かり易くはならなかったりするから、内容の割に今なら「いいね」が少なかったり定評を得るのに時間が長く掛ったりする。

この件で俺の近辺では最近の日本の稚拙さが嘆かれてて、その酷さが海外の比じゃ無いんで又吠えたくなった。
さてⅡで今たまたま個人的にRingo Starrのソロアルバムに一寸嵌ってたんで、先ずは彼のハイパー不当低評価に徹底的に抵抗してやろうじゃありませんの。

Beatlesのソロになってからので俺がリアルタイムで最初に気に留まったのは、彼のBack Off Boogalooって曲だった。
曲全体の音世界の格好良さと奇特性に惹かれたんだが、彼のソロの他のがラジオで掛かる事が殆ど無かったからずっとそこで停滞したままだった。

それが今頃になって漸く自分的には聴ける時間が訪れたんだが、やはりシングルのチャートでの受けとかRockとしてどうかってば他の3人よりは少し物足りなさがあった。
しかし歌物Popsとして聴くと最も捨て曲!?が少なく、聴き手の知識等に左右されない出来栄えなのには感服させられた。

最初に世間で有名になった当時はDrummerを最もやってたから、どうもそれに俺も含め皆縛られてる節があってね。
個人のアルバムを順に聴いてくと、本人はどうも外野が思ってるよりPops歌手に力を入れてる風なんだ。

Drummerとしては売れただけで駄目じゃ無いがまあまあ、歌手としては上手な人と一緒に歌って迷惑掛けない程度ってのが今本邦の世間認識かねえ。
実際は当初はそうでも沢山聴き続けて↑のままってのは、知能指数マイナスって位恥ずかしい事なんですがね。

正直俺だって真の実力よりは低めに捉えてたが、その訳が最近ハッキリ分かっちゃったんだ。
↑で「Pops歌手」としたのは超意味アリで、演る側からは聴き手を選ばないのを重視してるらしい。

先ずPop Musicに拘ると聴き易さ最優先になるから、不要なパーソナリティのアピール等は邪魔になってしまう。
歌に関してもタレント性を楽しむんなら、素人が真似出来ないのをやって見せ付けるのもアリだろう。

が聴き手が気楽に即座に参加出来るようにと思えば、意図して「誰でもすぐ歌える」様にしとくのも大切。
その様な姿勢で取り組むと「楽しいけど凄く無い」と感じられるのが大多数となるもんで、しかし飛び道具一切無しで勝つのってホントは最も困難なんだけどねえ。

俺の中にもある演奏ヲタ的には今1つ面白味に欠けはするが、音楽全体は常にハイエンドレベル且つ新規物の導入が異常に早い。
只ここ迄のほぼ全てには大変重大な「裏」があって、近代の「ポピュラー系の普通」ってそもそもは彼等(Beatles)が作り上げた物って処でさ。

Beatlesより少しでも後の人にとっては単なる普通だが、本家にとっては「自分達オリジナルの流儀で演ってる」だけなのよ。
これは他に類を見ない現象なので皆失念してる様だが、彼に限っては先ずこの特異性その1を含めないと正しい評価なんて出来っこないのよ。

<つづく>

2022年8月 5日 (金)

音楽備忘録1085 定番と奇抜⓬

さて音楽でのスタイルとは一般的な日本語若しくは訳とは少々異なり、例えば流儀等としときゃホントは良かったんだろう。
ちゃんと考えりゃ音自体には視覚的な形って存在せず、確かに絵面を想像させ易いの程優れてはいるがね。

英語に関して現行劣化本邦の教育では、内容的意味合いの合致度より文言の正確さを追及しがち。
受験や偏差値の都合も勿論あろうが、大元はこっちののほうが表現等の単語数が格段に多いのもあったからなのかな。

何れにしてもかつての俺を筆頭に勘違いだけで済みゃまだ良いが、真の意味の探求がそれで疎かになるのが不味いんだ。
ここ迄数回に渡って散吠えして来た如く譜割り等では無く、実際に「合奏が可能か」で判断してきゃかなり簡単な話しだったんだ。

一方技術面からは誰にでも○○な感じを出し易い・得やすいやり方ってのはあって、定番となると珍しい方法のは含まれない事が多い。
だが出し易い・得やすいであれば方法だけ真似れば、何時でも誰でもそれだけで足りてるとは限らないんですよ。

では「キレの良い8Beatの刻み」の具体例を幾つか提示してくが、この場合ポイントとなるのはアタック音と余韻音のバランスだ。
8分音符連打が演られる様になった頃エレキGuitarは幾らも歪ませて無く、エレキよりウッドが主流だったBassも楽器としての余韻長さは今より短かった。

ので一々全部Staccatoにしたりとか細かい神経を使わなくても問題無かったのが、次のフェーズへ進むと一工夫しないと歯切れが不足する様になった。
奏者意識ではダダダのつもりが楽器余韻部が長く音量も大き目になって来っと、ダーダーダーみたいにLegatoさせたのかみたいにさ。

そこから「1音を鳴らす最適な長さ」意識が高まって行き、BassではPaul McCartney辺りを筆頭に鳴らす方だけじゃなく止める方のタイミングも色んな表現をする際の手段として常用され出した。
エレキGuitarの方ではハンドミュートでアタック強調・余韻弱体化等の方策が取られ出したが、中にはそれをしないで何とか凌いでしまってたのも幾つかあった。

ここでは再三出且つお馴染みDeep Purple-Highway Starのバッキングに例外があり、少なくとも俺の杜撰感性では聴感上はノンハンドミュート・ノンスタッカートには感じられなかった。
一寸真面目に聴けば直にそんなの間違いだと分かるんで、ギター奏法だけ意識して聴いてたら起らない失態だろう。

けれどアンサンブル全体を鼻歌化しろってなったら、先ず以てジャンジャンジャンとかじゃ無くダーダーダーなんて歌う奴は居ないと思うんだ。
その原因を全体の方から行くと全員リズムがノリも正確さでもハイレベルだったのと、Hammond OrganのStaccatoが特に秀逸だったからだろう。

当時としては前代未聞の深歪ませも使ってたから、今になってみりゃ絶対スルー出来なかっただけかも知れないけどね。
でGuitarの方も古典的Single Coilのを古典的歪ませをしていたお陰で、Larry Carlton以降の滑らかで良く伸びるのとは正反対の音色でね。

これ等を総括するとこの曲の演奏ではキレの主役はHammond・エキストラがGuitarって配役となってて、後の脇役は主役よりゃ貢献度は低くてもプラス作用をしてたからアンサンブルとしては↑の印象になったんだと思うんだ。
因みに歪ませ以前のでもChuck Berryが歌バックでダラダラ演ったのなんかはキレ無縁に近く(おひゃっと失礼)、テキトーこいただけなのか歌のリズムを前面に出したくてわざとそうしたのか不明だが。

只そんな調子でも楽曲的に何等の不足は全く無く、一面でこんな処にも8Beat開発者の目的や意図が強く滲み出てると思うんだ。
要するにアンサンブル全体の印象がジャージャージャーとかじゃ無く、ジャジャジャとかジャンジャンジャンとかって聴こえる様にしろってな。

<つづく>

2022年8月 4日 (木)

音楽備忘録1084 音質の硬い柔らかいの真実⓭

見方次第では危険領域とも思われるが、臆せず次はDrumのブランドに絞って語っちまおう。
現時点で最も危惧されるのは、かつては柔らかい方の旗手!?だったPearlだ。

未だ現物に一切接せずに論じるのは如何にも杜撰だが、TAMAを許容出来る従兄が絶望してるんだから只事では無い様だ。
俺基準では前出の一般向けYAMAHAと共にTAMAも硬過ぎでアウト判定だが、確かに悪環境下での音の通りは昔のツルツル丸々Pearl等より演者側としてはかなり良い印象だった。

だがそれとて一方向からだけの考察と思われ、何故多くの皆は他楽器の硬過ぎが主犯かどうか考えもしないのには正直呆れてたんだ。
従兄のTAMA好きは個人の自由だが、どうして許せるかにはずっと疑問を持っててね。

彼は俺よりたった8ヶ月でも年寄りだから微妙だが、聴き取れる高域限界周波数が結構俺より低いのと関係アリと踏んでてさ。
杜撰野郎の従兄な位だから!?彼も中々変人な処があって、太鼓叩く時ゃかなりウルサいのにそれ以外は静寂を愛しててね。

だから爆音に対する蓄積疲労は俺より少ない筈で、本人はLivehouse経営時代にかなり疲弊させてしまったとは言ってるがね。
実際概述の如く同じ人でも爆音許容限度ってな随時変動してるもんなんで、辛く感じてるのに下げられなかったりするとダメージはとても大きくなる。

んがぁ正しく!?そんなので懲りてるなら幾ら予算事情等があるにせよ、未だに彼所持の石のエレキAmpの硬過ぎ君達が許せるってのは俺にしてみりゃ妙な了見だ。
私的にはここに捻れ現象!?の原因があったと考えてるが、それは硬過ぎ君の普段使い時の音量だ。

休養君や俺が押し駆けない際は恐らく本番並み爆音迄上げてなく、良心的解釈をすれば再生音量が自由になる電気楽器の特徴を生かして平和と健康を守っていたとも看做せる。
それに対し俺の方と言えば独りBandごっこ時以外でも、GuitarはAmp歪ませだから所望歪みが同程度なら音量は常に全く変えられない。

本人意識では↑に特に準じたつもりは無いが、演奏内容以上に音色も気にする際は極力本番同様でやる癖が自然と付いちまってるらしい。
実行時音量が異なるとしたら防音室外での打込みのみ位で、それすら人力音源無添加で完成させるとしたら中へ入って爆音モニタリングを必ずするだろう。

ってな事って半分は愚痴かも知れないが、本人に悪意無くそれなりに注意を払っててもこう云うのは失念し易いと思うんだ。
俺の周囲じゃあまりにも狭い世界だが、もう少し視野を広げてみるとある共通性があるらしくてさ。

メインが生楽器で電気・電子楽器を時々だけ演る人には同じ傾向があるみたいで、生の時ゃ眼前の俺をからかってるのかこっちがしかめっ面になっててもガンガンフルに演って下さる。
のに電気・電子になった途端に普段の何分の一にも小さ~ぁくしちゃって、俺が幾ら何でもそれじゃ小さ過ぎるんじゃってもアッサリ却下されちゃって…。

どうやら「生楽器の爆音にだけ慣れ過ぎ」てるのが、本件での問題の根底にあるんだろう。
だからこそ俺としては生楽器の硬過ぎ君程危ない奴は居ないと感じてて、当然だが生楽器にはボリウムツマミの目盛やレベルメータみたいな可視化装置も一切非搭載だ。

知る範囲で難聴になった人の原因はインナーイヤーやスピーカが筆頭ではあるが、楽器原因の場合電気・電子のより金管系の人の方が俺周辺では実際多い。
まあ今の時代だとどんな楽器をやってても、その為に普段聴くのにイン君スピ君のお世話になるのが多いから微妙かも知れんがね。

<つづく>

2022年8月 3日 (水)

音楽備忘録1083 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➒

何ともお役立ち率の低いのばっか続いてるが、他所様じゃ書けそうにも無いからそのまま進んじゃえっと。
で今日の副題は電気楽器用スピーカは、オーディオ等のと比べるとグッと古典的で御座居まー。

現時点でどれ位の人が知ってるか気付いてるか、あたしゃちっとも知りません。
が恐らく真空管主流時代の体験があったら薄々位はと思うんだが、幾ら今より遥かに技術が未熟だったからってそれだけでそうなってた訳じゃ無いのよ。

一般論として球が石より非効率なのは確かだけど、少しだけ詳しく述べると必ずしもあらゆる条件下では無いん。
マンモスPAみたいな巨大出力のになると発熱量こそ大違いだが、エネルギー効率は小出力のみたいな大差は無かったんすよ。

ならば小出力だとなしてったら全消費エネルギー中の、所謂ヒーター電力の比率がとっても大きくなっちゃうからなんだ。
少々古い例えでスマンがかつて電卓(電子計算機)はEL(蛍光管)表示がデフォだったのが、今じゃかなり探さないと液晶のが当り前になってるよねえ。

実は視認性は今だってELの方が優れてんだが、液晶の方が圧倒的に省エネで小型・軽量・振動に強いからなん。
部屋の灯り程度で動いてくれる太陽電池駆動のとかって、液晶じゃなきゃ成立しないんだ。

話しは戻って球の場合小出力≒汎用・ご家庭用のに限って低効率になるし、何より昔の一般家庭の電気容量が今の数分の一とかだったのが決定打でさ。
仮に電気代を気にしなかった処でうっかりしてると、すぐヒューズが飛んじゃってね。(今はブレーカ)

今はブレーカなんでSWを入れ直すだけで良いし、もし又駄目でも余程の事が無い限り宅内配線がやられるとかは無い。
が大昔は幾ら臨時だからって針金なんかで代用しようもんなら、元の全体の信頼性が低いからアッという間に全焼なんてのも全然珍しく無かったん。

つまりは何とか限られた電力で必要な音量を出さなきゃなんなくて、スピーカの能率に依る貢献に大きく依存してたんだ。
これが現代で近いのったら例えば発電機利用の屋外Liveとかで、その辺の関係で楽器Amp用とたまたま条件が似てたんすよ。

少しでも大きくったらPAの方がよりそうなんだけど、今みたいにあらゆる音を扱うとなると能率だけを追及してもいられない。
これも逆説的に見れば大きな映画館とか以外では所謂Vocal Ampが主流だったのとも関係アリで、しかし現場での実質的な「音の通り」に拘ればPAもオールインワンじゃ無い頃の方が良かったねぇ。

それは兎も角そんななんで近年のステレオスピーカの方が低域再生限界は圧倒的に優れてるが、Bass用だからってそんなのからウーハを失敬して来ても好結果が得られる率はとっても低いんだ。
意図的に音量を落せる点では却って能率は低い方が良いんだが、音質も然る事乍ら何しろ反応の違いが致命的。

因みに前回記した自作魔流用球Amp、出力はピークで4W・平均で2Wしか無い。
ぅんがぁスピーカユニットが化石一体型ステレオから拝借した高能率のお陰で、防音室内じゃないとフルテンなんて全く無理な状況でやんした。

又特筆しときたいのが増幅素子が石でもスピーカユニットが楽器用だったら殆ど同じで、万人が「普通の音」と認められる様なのが付いてるのだとほぼ↑みたいなのが限界でそれ以上下げられまへん。
ミュートやサイレント機能レスで生Pianoの音量が下げられないが如く、そんでも金管楽器やDrumsetと比べりゃ随分マシなんだから文句言うなってか…。

<つづく>

2022年8月 2日 (火)

音楽備忘録1082 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑭

最近は並行してるののどれもが10回を越えんで、手始めに本項を締める努力をしてみるべっと。
っつう事って総括をしてみたいがポピュだろうとオリだろうと、必要なだけは調べて知ってみないと始まらないんだよね。

又してもわざわざ記す必要も無さそうな当り前だけど、実際にやろうとすると案外落し穴があるんですよ。
ホントはもっと適したのがありそうやが例えば体質的頭脳派と肉体派みたいなもんで、どっちかにかなり偏って興味を持ってるのが普通なんだ。

これが俺だと脳みそ筋肉製みたいな感じの様で知識欲や聴き欲も無かないが、何かオモロそうなのをでっち上げたい欲が凄い。
一方で聴き専の人達は驚く程詳しいし理解も深いんだけど、それを殆どの場合言葉等でしか活用出来て無くてさ。

って聴き専さんは俺みたいな変な野心が無いだけなんだろうが、心理的じゃ無く現実の「隣の芝生は青く見える」は結構堪えますぜ。
ってのも性質を理屈で強引に凌駕すれば、今度は個性の発揮に多分色々支障するだろうからね。

これ等を不完全でも少しでもバランスさせられるとしたら、後は「場所の問題」だと思うんだわ。
ここでの場所ってな演奏とか再生するののじゃ無くて、音楽構成要素の何処かって意味っす。

俺の場合音楽では概述編曲と音色がポイントだったが、運動なら陸上瞬発系・学問なら物理系が好きこそ物の上手なれに自然となってたよ。
上出聴き専の人は楽器には中々手を伸ばさなかったとしても、特に昔はずっと部屋に座してばかり居た訳じゃない。

捜索中のレコードだったりするとどんなに過酷で遠い旅も厭わなかったりする面もあり、確かに毎日夕方になるとめかし込んで出かけるパリピと頻度は違うけどさ。
病気に掛かってなけりゃ印象はどうであれ、籠りっ放しも居なきゃ出っ放しも実際には居ないんですよ。

それを俺に音楽面で投影すると非テク依存の変態技なんかは、普段自覚は皆無だったが思い返してみたら妙に詳しかった。😅
今だって変なフォームのコードを一杯常用してて、その名称や和音構成をちゃんと理解してる方が少ないって位の杜撰大王なのによ。

例外とは少し違うんだろうけどそう云う意外な一面って、キチンと自己アナライズしてみると結構誰だって思ったよりゃ色々持ってるんだ。(残念乍ら直ちに実用に直結するのは少ないかも知れないけど…)
この段階やプロセスじゃちっともそれっぽく無いし高級とは程遠いが、芸術へのアプローチとしてはかなり重要な一面ではあるん。

前回に現代劣化本邦の教育やら世間認識を持出したのも、↑みたいなある種の「柔らか頭」には実に不適切だからでさ。
おっとそれから忘れず吠えときたいのが最近の高級な歌詞についてで、単語やセンテンス単位では完全に御見それ致しましたと感じるが景色や物語の個性ではかなり劣化を感じるんだ。

私的にはその原因は自らから出た言葉じゃないからと推察してんだが、幾らその方がオサレになっても言葉をファッション化し過ぎたんじゃないかな。
今更別に一々メッセージ性なんて求めてないよってそりゃそうなんだろうけど、ホントに言いたい事が無かったらんじゃ何でインストじゃないんですかってね。

誰かたった1人にでも話せばそれは泡沫でもメッセージの一種と化すから、メッセージをファッション化する無理が祟ってんじゃないかな。
表現や世界観を現代や2次元から頂くのは結構だが、それだけじゃ不足する部分は昔のフォークとかを参考にすりゃ良いのにさ。

<強引に!?終了>

2022年8月 1日 (月)

音楽備忘録1081 定番と奇抜⓫

ここで一旦定番について杜撰流で纏めとくが、前回後部に記した如く最低限の実用性の有無が鍵だと考えている。
劣化今本邦では打込みや譜面との関係からも理論的な形にばかり捉われてる様だが、どれも大元は表現したいのを実現しようとしてる内に自然と出来上がった形なんすよ。

①定番にも一応形は大抵あるが、本来は形では無くその方法を使って得られる雰囲気である。
②更にその形も可視化出来る物の方が少なく、感覚的な存在である。

なので例えば丸っこいか角ばってるかみたいな違いは、印象差が明確だから問題になるだろうけどさ。
真円か楕円か・5角形か6角形かなんて細かいのは、実用上の問題が無きゃ2の次3の次で良いんですよ。

最も困るであろう例としては例えば勇ましい軍歌なのに、1人だけ強拍が裏になってるのとかね。
生真面目or神経細やかさんには驚かれそうな稚拙レベルだが、↑の場合なら本来の拍子を取り違えてたって「頭強し」さえ尊守出来てりゃ他のパターンになるより遥かにマシよ。

視覚換算すりゃ隊の力強い「足取り」がリズム選択の源になってたりするんだから、強拍が弱目でゆったりした裏になるなんてのが最悪なんだ。
テンポにしても足が絡まる程早まってったら駄目だけど、どんどん遅くなったりのんびりムードが蔓延しては戦意を損ねる事おびただしいっしょ。

なのでⅡで技術的側面からは俺みたいな杜撰な錯誤は無い程望ましいが、そんなんする目的や意図に関しては理解不足だと致命傷になるん。
例えば8Beatなのに4つしか鳴らさない奴が居たとして、8つ感妨害とかが無く周りで8つ鳴らしてるのとフィットしてたならそれは個人のスタイル認定とすべきなんだ。

それよりちゃんと8つの連打をしていても、硬質なメタル系でひょうきん感が出る程ハネたりしてたら台無しあるね。
ここは大事だから杜撰に反して一寸掘っとくが、↑のハネも譜割り上はシャッフルや3拍子系に迄は大抵は至っていない。

流石に意図しない限り、2拍3連とかにはしないだろうからね。
だけどそれを重戦車と仮定するなら、長閑に散歩する馬やなんかになっちゃねえ。

その馬の表現にしても散歩のはゆったり目なシャッフルで、必要性に駆られて馬を正に駆ってるのだと「タッタカ・タッタカ」とかで表現されてるのが多い。
それ等は元は実際の馬の歩行(走行)音をシミュレートした物で、完全では無いにしてもそんな風に聞えるのが多数派だからだ。

尤も競馬中継のなんかを耳にすると、実際はタッタカよりタカタッの方が近い様な気もするが…。
けど画が無い際は後者のだと疾走感の演出に問題が出そうで、Country系では少数派だがそれより古いClassic系ではそんなのもそこそこあった気がするよ。

強いて勝手に上記両者へ意味付けするなら、前者は自分が跨ってる・後者は傍目に眺めてるってなもんだろうか?。
ってこれも理屈より印象の方を重視してる例で、だからあらゆる面で形や理論の方を優先しちゃったら上手く行かねんだ。

っとこんな意識や手法が実際には正解なんだが、是又俺みたいに感受性自体が独特だったりして苦労させられる事もある。
一時期はそんな一般多数派との乖離に真剣に悩んだりもしてたが、上記の「個人のスタイル」って考え方や内容を知って救われたんだ。

<つづく>

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