音楽備忘録1078 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑬
さて前回のは教育や先生との関係性が入り切らなかったが、Classicのベーシックだけは強制的に学ばせてるね。
勿論BachやBeethovenの功績は無視出来ないが、流石に現代一般音楽とは一寸距離感が大きくなったのが否めない。
それと重要なのが↑は飽く迄一部の白人にとっての話しで、音楽の起源自体はもっと昔のアフリカだ。
日本にも↑より昔からのが色々あるのに、自前のを差し置いて学ばせるのは学問としてのポピュラリティのせいだろうね。
外国人との認識共有にそれは少しは貢献してくれるが、現況のは結局は木乃伊取りが木乃伊になった様と考えている。
確かにテストして採点するのに現行の方が都合は良いだろうが、そうこうして続けてる内に学問自体に段々ヲタ性が付いてっちゃって一般社会との乖離が進んだか?。
演歌ファンがClaptonを知らなくて構わん様に、今の庶民がBachを知ってて認識する必然性は無いんだよ。
時代性からしたらボーカロイドって何?初音ミクって誰?の方を先に知る方が意味があり、入口は身近な方が良いんじゃないかな。
そりゃ音楽を正式に演ろうとしたら古典も知らなきゃ厳しいが、わざわざ路線図を覚えさせたって最寄駅を知らされなきゃ意味の無い知識になっちゃうじゃん。
こんな一種の理不尽をガキの頃は先公の馬鹿野郎なんて恨んだりもしてて、後で色々知れば諸悪の根源はそこじゃ無いのは分かったけどさ。
けど年端の行かない者にそんなのを強要するのって、大人の都合でしかないから「ひねた子量産システム」でんがな。
してこんなのを持出したのは今の日本で普通に育ってると、それだけ思考がニュートラルよりかなり偏ってる確率が高いのを指摘しときたかったん。
音楽の授業を完全にサボったかテストが全て0点だったらいざ知らず、少しは知ってるとそれを基に考えようとし易いでっしゃろ。
これの厄介なのは好成績だったりそれだけ社会から認められてる人程偏ってる公算が高い処で、普段の他ではズレてても何の不自由も無いだけに自覚するのが難しい。
この様な基準点のズレが一般に浸透しちまってると、創作に携わるにはゼロからの再構築が先ずは必要だ。
なんてのは一寸情けない気もするが、全ては学問の博学の軽視が引起してるんだろうね。
学問って何物!?経済や芸術ってどう云う事?って基本認識に不足や錯誤があったら、その先の偏差値が幾ら稼げたって砂上の楼閣そのもの。
只博士にならない大多数の者にとっては、日常的にはそこで得た知識をそんなに実用しないから被害が少ないのよ。
何れにしても持参の物差しの目盛がアテにならないのに気付けないと、ポピュラリティもオリジナリティも認定がズレちまう。
それからすればポピュラリティは細分化すると、期間限定のと普遍性を伴った物に分けられると考えるのも良いのかな。
個人的には不要誤認と混濁を避けたいから普遍性のあるのだけを認定としてるが、仲間内だけで通用するローカルなのにもスタイル構築等に貢献する可能性はある。
但し他所様には通用しない時もあるから、ローカルポピュの方は流儀とか慣例として扱っとくのが良いと思うな。
実際の創作現場では何も知らなくたって求めた音が出てくれりゃ取敢えずOKだが、商品化には特許侵害の有無みたいなチェックは必要だ。
音楽の場合売らないなら法には触れないけど、こっちは自前のつもりでも耳にした人はそうは思ってくれない場合が結構頻繁に出て来ちゃうからさ。
<つづく>
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