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2022年7月

2022年7月31日 (日)

音楽備忘録1080 音質の硬い柔らかいの真実⓬

無駄に硬いの出すなについて、ここからは楽器毎等種類別に記して行こう。
しかし共通事項も幾らかあって主に道具の選択ミスと、使用法錯誤の2つがある。

少し意表感もあろうが最も恐いのは生楽器の一部で、平均より明瞭・強い・大きい音が出せる人程注意が要って来る。
一部ってな楽器自体が防音室を要す類のだが、小出力音量のでもMicで拡声する際には容疑者に加わる可能性がある。

私的には誰がどう扱おうと硬過ぎ君になるヤツは忌避してて、それはどんな達人が操っても唯の一度もオーバーさせないのは不可能に等しいからだ。
そらぁ場所・ジャンル…等色々な事情で出せる平均以下でしか演れない場面では、超過硬音を出してまう確率は大巾に低下するけどね。

そんで明瞭度を確保するのに楽だったり確実性の高い方が好まれるのは理解は出来るけど、誰かに聴かせる立場に居たなら自らの力や技で「聴こえる様にする」のが本来は最大の仕事っしょ。
これを奏者心理的に見て行くと過硬君を選ぶ人って、良く云や小さい方が気になり過ぎたりで大きい方は正確に把握し切れて無いんじゃないかな。

電気・電子楽器とかだともし舞台から離れた客席内にAmpやスピーカを置いときゃ、演ってるこっちは余裕しゃくしゃく静かなもんだけどさ。
だが生楽器は本人より共演者の方が音源に近くて大きくなる場合はあっても、聴者からすればほぼ必ず演者達より遠く小さく聴こえるんだから。

だったらアタックピークパルスだって閑話もとい緩和されるんだから気にしなくたって…って、ピークって位だから平均音量より大抵は倍以上大きいんでよっぽど遠く無い限りこの件にはご利益が無いんだ。
ので好きな方を始め関係各位には大変申し訳無いが、この基準で分別させて頂くと以下のブランド等は杜撰大王警部には取り調べ対象者となるのだ。

先ずは業務用且つ業界内流通のを除く一般向けYAMAHA全般、この2つは全く同じ型番のでも別物な程差異が大きくそれも大いに関係アリだ。
業界様専用のの私概体験からするとほぼ同一なのは俺言いアタピパ君の部分だけで、一般流通のは他が全て脆弱化してる感じだった。

結果元々どちらかと言えば硬質な味付なのと相まって、アタピパ君がかなり極端に突出しちまってる。
そんな調子でも達人が時間限定で使うならギリギリ許容範囲に収まるかもだが、達人で一般用を常用してる人が思い当たらない。

強いて魔言しとけばコネが持てたら様専用にありつけるんで、コネレス中:避ける・コネあり君:しっかり注文を付ける…で行くなら悪くないぞ。(完全な偶然で一度だけ実践した…っても中古のだし他に有望な道が無かっただけだけど😓)
と本件ではYは実に困った存在だが、教育方面で自給自足を成立させてる面では称えなくてはいけない部分もある。

この様な状況って他分野でも良くある事で、結構重大な欠点が半ば放置になるのは独禁法が充分に機能してないのもあるのかな。
全くの私感ではあるが大昔はこんな俺でもYに無駄な硬さを特には感じて無く、それが覆ったのがライバルのKAWAIがシェアと勢いを失った時期と重なっとん。

個人的に嫌ってるからって全てY社の方針等が悪いとは思ってないが、本来の使命より利潤追求に偏るのはやはり規模が巨大化し過ぎの欠点と言わざるを得ない。
多分再出だが日本の若い女性Pianistが海外コンテスト上位にあんなに居るのに、プロになってそれに見合った癒しや安らぎを提供する者の何と少ない事か。

技術競争に明け暮れた教育も勿論ゴミだが、そこで長年膨大に浴びる過硬音色の影響も俺はもっと懸念事項だと思ってんだ。
奏者が立派とか格好良く聴こえるのと、曲や聴者が気持ち良くなる音色って反目する事の方が多いのさ。

<つづく>

2022年7月30日 (土)

音楽備忘録1079 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➑

石でLCDモニタを代用する位なら球のだって…、そうです日本では昭和50年位迄に真空管に興味が芽生えた人にだったらそんなチャンスもありやした。
俺の場合実行したのは上記の4年後だったが、該当機は昭和40年製のオープンリールテレコでやんした。

残念だけど今に至っては恐らく地方の旧家で、立派な蔵なんかがある様なの以外自前供給は無理そうだ。
ヲタとしてオークション等で買うのを否定はせんけど、電気楽器と一部のオーディオ用だったら部品を掻き集める方が良いんじゃないかな。

まあそうとしてもどんなのなら魔用可能かは必要な知識なんで、社会貢献度は極端に低いが参考も兼ねて続けよう。
第1候補はMic入力の付いてるので、業務用のじゃ無きゃ球の時代のは今のより入力インピーダンスは高く設定されている。(一般用Micの仕様の都合)

それだって電気的には大抵はミスマッチなのが多いが、感度に関してはまあまあ一致してんでね。
但し過大入力で継続使用する様な前提にはなってないんで、Crunch以上の歪みを続けると壊すリスクはある。

魔用でもAmpでの歪みを求めないならLine入力があればで、これが第2候補になるかな。(その頃の外部入力はLine InよりAUX In表記の方が多かったのにプチ注意)
候補1は拡声機能を考えん限り録音機にしか無いが、候補2の方は再生専用装置でも昔の程付いてるのが多かった。

一体型ステレオ(ステレオオーディオラーとかって今だと良く分かんない呼称のタイプの)では案外外部入力の無いのもあって、当時としては既に「全部乗せ」したつもりだろうからやむを得ない処だろう。
その点「唯のラジオ」だと大昔は汎用ソースがほぼAMだけだったからか、拡張性に結構力の入ってるのが多かったんだ。

TVでも球時代のは外部入力端子付きの方が多かったものの、この用途では全く使わないブラウン管の分が色々と無駄だから向いてるとは言い難い。
それでも一寸興味深いのはソース機種数が今より少なかった昔の方が拡張性を持ってた点で、家電全体が高価だったり希少だったからなんだろうな。

前述の通り素材の確保はかつてよりかなり厳しくなったが、多少の改造等が出来る様になるとそれだけでも随分道は開ける。
俺のケースだと元はどれもそのままの形で流用してたけど、数が増えて来ると置き場所が問題になってさ。

TVは論外としてラジオも周波数表示が純粋な物理式だもんだから、その為だけでもかなりの空間を占拠していた。
加えて電波を扱う為の共振コイルも結構場所塞ぎで、テレコの場合は駆動関係のメカ部分に至っては場所のみならず重さでもかなりなもんだったからねえ。

無償で手に入ったのは全部Monoのだったのもあって、その系統のは石の一番新しい(っても50年は経過してるが)のだけ残して解体しちまった。
球のは3台の内2つは同じ形のだったんで、それに搭載されてた自動録音回路をコンプリミッタにしてやろうと目論んでね。

処がロット違いのお陰で出力トランスのタップに違いがあるのが後から分かって、野心はちっとも萎えてないが保留となっている。
が残りのは他の雑多なジャンクと抱き合わせて、15年程前から小型Ampに変身させて随時使用中だ。

現況必須ニーズは生じて無いんで直ちにグレードアップしたり改良する予定は無いが、やるとしたらああしてこうしてってのの蓄積は色々ある。
のに進歩を停滞させてるのはスピーカユニットの事情で、手持ち限定だと楽器用で相応しいと思えるのが無いんだ。

現用のは別の一体型ステレオのウーハなんで最適では無いが、しかし能率最優先な処はそれに依る反応の仕方も含めてそこそこ合ってるんでね。
これ古株さんだと知ってる人の方が多いんだけど、電気楽器Ampの開発当時って今みたいに○○様専用ユニットなんて殆ど無かったんだ。(カスタムメイドは除く)

だから耐入力さえクリアしてたら、球時代のやたらに古いスピーカユニットって流用出来るのがかなり多いよ。
もっとぶっちゃけちまえば要するに楽器用のだけ古代のが生き残ってる様なもんで、只現代標準からしたら耐入力が小さ過ぎなのが多いから実行例が少ないだけなんだ。

<つづく>

2022年7月29日 (金)

音楽備忘録1078 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑬

さて前回のは教育や先生との関係性が入り切らなかったが、Classicのベーシックだけは強制的に学ばせてるね。
勿論BachやBeethovenの功績は無視出来ないが、流石に現代一般音楽とは一寸距離感が大きくなったのが否めない。

それと重要なのが↑は飽く迄一部の白人にとっての話しで、音楽の起源自体はもっと昔のアフリカだ。
日本にも↑より昔からのが色々あるのに、自前のを差し置いて学ばせるのは学問としてのポピュラリティのせいだろうね。

外国人との認識共有にそれは少しは貢献してくれるが、現況のは結局は木乃伊取りが木乃伊になった様と考えている。
確かにテストして採点するのに現行の方が都合は良いだろうが、そうこうして続けてる内に学問自体に段々ヲタ性が付いてっちゃって一般社会との乖離が進んだか?。

演歌ファンがClaptonを知らなくて構わん様に、今の庶民がBachを知ってて認識する必然性は無いんだよ。
時代性からしたらボーカロイドって何?初音ミクって誰?の方を先に知る方が意味があり、入口は身近な方が良いんじゃないかな。

そりゃ音楽を正式に演ろうとしたら古典も知らなきゃ厳しいが、わざわざ路線図を覚えさせたって最寄駅を知らされなきゃ意味の無い知識になっちゃうじゃん。
こんな一種の理不尽をガキの頃は先公の馬鹿野郎なんて恨んだりもしてて、後で色々知れば諸悪の根源はそこじゃ無いのは分かったけどさ。

けど年端の行かない者にそんなのを強要するのって、大人の都合でしかないから「ひねた子量産システム」でんがな。
してこんなのを持出したのは今の日本で普通に育ってると、それだけ思考がニュートラルよりかなり偏ってる確率が高いのを指摘しときたかったん。

音楽の授業を完全にサボったかテストが全て0点だったらいざ知らず、少しは知ってるとそれを基に考えようとし易いでっしゃろ。
これの厄介なのは好成績だったりそれだけ社会から認められてる人程偏ってる公算が高い処で、普段の他ではズレてても何の不自由も無いだけに自覚するのが難しい。

この様な基準点のズレが一般に浸透しちまってると、創作に携わるにはゼロからの再構築が先ずは必要だ。
なんてのは一寸情けない気もするが、全ては学問の博学の軽視が引起してるんだろうね。

学問って何物!?経済や芸術ってどう云う事?って基本認識に不足や錯誤があったら、その先の偏差値が幾ら稼げたって砂上の楼閣そのもの。
只博士にならない大多数の者にとっては、日常的にはそこで得た知識をそんなに実用しないから被害が少ないのよ。

何れにしても持参の物差しの目盛がアテにならないのに気付けないと、ポピュラリティもオリジナリティも認定がズレちまう。
それからすればポピュラリティは細分化すると、期間限定のと普遍性を伴った物に分けられると考えるのも良いのかな。

個人的には不要誤認と混濁を避けたいから普遍性のあるのだけを認定としてるが、仲間内だけで通用するローカルなのにもスタイル構築等に貢献する可能性はある。
但し他所様には通用しない時もあるから、ローカルポピュの方は流儀とか慣例として扱っとくのが良いと思うな。

実際の創作現場では何も知らなくたって求めた音が出てくれりゃ取敢えずOKだが、商品化には特許侵害の有無みたいなチェックは必要だ。
音楽の場合売らないなら法には触れないけど、こっちは自前のつもりでも耳にした人はそうは思ってくれない場合が結構頻繁に出て来ちゃうからさ。

<つづく>

2022年7月28日 (木)

音楽備忘録1077 定番と奇抜➓

説明下手ならではの補遺入りは全面的に認めるとして、前回エレキのチョーキングの定番意識についてから。
豊富なキャリアがあっても杜撰大王だから世間一般とのズレもありそうだが、自分が指向してる分野では天然由来的正確さなら多分あると思うんだ。

クドイが何せ杜撰君であるからどれが定番かなんて元は全く意識が無く、演りたいのが出来る様にやってる内に勝手に出来上がってたんだから。😅
ので畑違いの人からしたら異論噴出かも知れないけど、実際の平均値としての価値は最高峰な筈よ。

こう云うのって余計な意識があると偏り易いもんで、音楽で問題になるのは好みとの不一致だ。
特に非合理的な手段のとかアブノーマルなのを頭ごなしに排除しちまうと、表現の為にわざとそうしてたりしたらそれを見逃すんですよ。

この点日本って情緒的な様でいて案外理屈に翻弄され過ぎてる処があり、感性と云う定量化出来ないものへの不安が強過ぎるのかも知れない。
これの私的分析としては日本の伝統芸能と海外由来のの一面での分断で、伝統の方が情緒過依存化したのに対抗心メラメラか輸入側では論理過依存になっとるぞい。

ほんでその原因はったら要は習得や慣れるのに使える時間の差っぽいんだが、後追いで追付こうとしたら要領良くやらなきゃなんないからね。
尤もそれで獲得可能なのは「追付く迄」だけで、抜き去るには新規独自開発の「何か」が無きゃ無理なんだ。

なので何人であろうと追付けたらそこからは転換が必要なんだが、それ迄の要領執着が強過ぎると最悪は自身の感性を逸失してる事もある。
そうなってしまえば気持ちに内容の付いて来様がもう無く、差し詰め甲子園に全精力を注ぎ込んじゃってプロに行ったらもう終わってたなんてのと同じだ。

中にはどうせプロなんて無理だから今だけでもなんてのもあろうが、本当にそんな才能しか無かったら即製栽培以外では甲子園だって届かない筈なんだ。
基礎が習得し切れて無い≒この件では定番の周知不足があると、一寸違うジャンルとか相手になった途端に普段とは打って変わってパフォーマンスが低下したりする。

そりゃ慣れや練度の影響は拭えないが例えば4Beatでと振られて、全くハネられない・スイング出来ないなんてのは最低限理解出来てれば起こり得ないんだ。
現時点では一点全集中で現行取組み中の流行のだけは上手くこなせても、ブームに去られたら初心者同然になったりするからおっかねーぞ。

そんな門外のについてちゃんとマスター出来たら素晴らしいが、この件に関しては必ずしもそこ迄要求されてはいねんだ。
体験からは先ずは最低限知っとけなきゃどうしようも無いが、存在の認知さえ出来てたら後はどんなにテキトーで遊びでも構わないからプチ実体験しとくのがお勧めでやんす。

奏者だったら実際やろうとしたらどんな感じを受けるのかは大切で、では打込み専業だったら不要かったらそうじゃないよ。
鼻歌程度でも良いからやはり体感を知っとくのは重要で、4BeatやFunkなんかの「微妙なハネ加減」は従来の楽譜では表記不能→定量的な数値化困難又はなされてないからね。

Cut&Tryで感覚的に調整しなきゃなんなくて、その時感覚が身に付いて無いと判断が付けらんないですから。
そりゃⅡで門外のだってより上手に出来た方が良いのは確かだが、それより先に問題にすべきは本業さんの足を引っ張ったりしてないかどうかだ。

<つづく>

2022年7月27日 (水)

音楽備忘録1076 音質の硬い柔らかいの真実⓫

前回は電気での歪みに依る硬化を取上げたので、今度は残響付加に依る硬過ぎ緩和について述べて行こう。
いきなりだがその実効性について申せば、正直に吐露すれば近年のの殆どは「気休め」なんざんす。

音源に他の響きが加われば、単純計算ではその分余韻部の総合音量が少しは増加する。
のでアタックピークパルスとの音量差減少で、突出度合いも減るのは確かだ。

何だか齢甲斐も無く一々噛付くかの如くだが、これには一般にも浸透してる客観的な理由があるんだ。
現況主流のデジタルリバーブのプリセットプログラムの多くで
は、明瞭度悪化を避ける為に原音よりワンテンポ遅れて残響が鳴り出す様に調整されている。

それが今回用途ではニーズが逆になるんでアタピパ君と残響の頭がわざと被る様に、理論上では唯Pre Delayをゼロ近くに設定変更すればよろしとなる。
だが瞬足デジ君でもリアルタイム合成では例のレイテンシ問題があって不適宣に遅れてくれるし、この方法で綺麗にクリアするのは不可能に近い。

Delayじゃ無くReverbのEffect音にはもうその時点で原音に含まれない成分が添加はされてるが、アタピパ君とエフェ君の波形が逆相若しくはそれに近くならないと減衰効果が得られない。
何せ音でも足し算でしか無いんだから、減らすには相殺させなきゃ増えちゃって当然ずら。

んでその相殺現象を得るのにアタピパ君の長さが無変化なら良かったが、大抵はかなり伸縮するもんなんでさ。
タイミングの合った分はマイルドになるが、ズレた分は使用前より増えてキツくなっちゃうんだよ。

だから全体の印象だけなら隙間が減る分アタピパ君は目立たなくなるが、肝心な有害成分の駆逐は限定的にしか効いてくれへんのや。
なので音色(周波数分布)を弄ったり残響での処理は、この目的ではもし次善策だったとしても気休め同然と思っとかなきゃなんないんだ。

こんな状況故現代主流のデジタルでの後加工で実質的な効果が得られるのは、ほぼリミッタ系のものだけだ。
但し生真面目なデジ君はその際やたら律儀にピークだけしか弄ってくんないんで、直後のSyntheで言う処のDecay部分との繋がりや整合性に問題を生じ易い。

その分は回りクドくても更にCompressorでって手が残っちゃいるが、↑同様アタピパ君の気紛れ!?全部には付合って貰えないし設定量が増えて酷く時間が掛かってまう。
もしかしたらぼちぼち「空気変容シミュレート」のEffectが登場するか分からんが、人耳健康等には重大な関連があるのに効果が分り難いし費用対効果の面でもとても不利だから期待薄か。

と云う具合なんで先ずはそもそも出す音を無駄に硬くならない様にするのが妥当で、それには明瞭度を硬度に依存するのが最悪なのでありんす。
但しこの「硬い」は単純な「聴いた印象」等では無く、強いて体感で表すなら疲労度って感じですかね。

厄介でスマンが(ってもこれは俺のせいじゃないからね)↑がハッキリ分かる様だと、オーバーしたら耳聴こえなくなるかんね。
耳が壊れたり劣化したりさせない範囲に留めとかないと公正な比較が出来なくなるしで、知らないで居られた方が幸せだったみたいな話しなんよ。

万一それでもって人が居たら全く責任持てへんけど、例えば1曲終る迄は平気で居られる音量で続けてみるとかかな。
その際なるべくなら自分で奏でて音を出すのが望ましく、更に録音しといて後でどんな音になってたか確認する。

それで体も気持ちも全く萎えたり草臥れたりもしてないのに、妙に遠慮した様な奏で方になってる処がもしあったら硬さがアウトの疑いアリよ。
純粋な受け身だと喉元過ぎれば熱さ忘れるもあるから、聴いてる最中の感覚を克明に覚えて居られないと分からない。

のが聴こえたのに対して自ら加減してたならある程度以上の健康体だと、条件反射に近い反応を勝手にしちまってっからねえ。
それが録ってあれば自意識では「こんな筈では」と思おうとどうしようと、音色と云う形で正直な記録が残るって寸法ね。

<つづく>

2022年7月26日 (火)

音楽備忘録1075 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➐

「Guitarなら正規本番用でも30Wありゃ足りる」の続きからだが、特に劣化現代本邦みたいにPAフル依存だと尚更なんじゃないかな。
随時クド頻吠で悪いが「ちゃんと出来る様になりたい」なら、練習時は歌唱や非爆音生楽器以外にPAやモンスターAmpなんか使っとったらアカンでえ。

これも概述&日本の環境下での原発なんかと同じで、必要以上のハイパワーはトチった時に超有害な存在になる。
アンサンブルではそれがどんなんかってば、要は安定度が低くなっちゃう訳っすよ。

故に一寸逆接的アプローチなんだが、僅かでも気が緩むと聴こえなくなる位の方が腕の向上にはお誂え向きなんどす。
と言いつつBassに限っては余程スピーカに恵まれない限り、100W位無いと苦しい。

のは主に低域再生限界の事情に依ってて、巨大タンス並の箱になっても良きゃ30Wでもちゃんと聴こえるんだけどね。
輸送と狭小を考慮すると現況には全くそぐわないんで、DrummerよりゃマシだがGuitar・鍵盤系の人より不遇を強いられる。

只何れも大抵はAmp出力だけでその音圧を獲得してるのはかなり少数派で、スピーカの方でも複数同時使用に依って能率アップをしている。
って事ぁ2個付いてるのを1個にすりゃ、それだけで普通は最低でも⅔位は音量を下げられるんだ。

実際にはユニットの耐入力やインピーダンスの都合で、単純に「片方の線を外す」だけじゃ上手く行かないのが多いがね。
そんでここ迄の基準って人力メインで演ってるのなんで、近年本邦J-POP系では従兄からの実状報告からすりゃ本番でも↑の⅔ので丁度良い位になってそう。

いくらハイパーPAを使ってもそれ位生の音量を抑えんと、過少声量の歌が聴こえなくなるらしい。
俺達は「正しい成長」の為にはそんなのは以ての外とは思ってるが、音色は殆どEffectorで作るんなら取敢えずは下げられるのは下げないと合奏出来ないやね。

んでこれ等を鑑みると模倣なら兎も角、実質的に本番にも耐え得るAmp出力は昔みたいなのは要らないんだ。
そうなればGuitar・鍵盤系の人は永続的将来性を加味しても、かつてみたいにハイパワーの為の代価は払わんで構わんって寸法になる。

因みにその「かつてスタイル」に普段固執してる俺ですら、現用の45W出力ので結構耳が一杯一杯なんだからね。
そんな実現状からしたらGuitar・鍵盤系の人ならサイズ・価格面では、モノホン球Ampを買うのが随分と昔より楽になってるんすよ。

そんな事から20W以上でそれなりの値段のする石のAmpを買うのは、お金をドブに捨てると迄は言わすとも勿体無い事この上無いのでありんす。
所謂名器になると特に球のは結構なお値段が付けられたりもするけど、それを除けば球でも30Wの以下のはそんなに高か御座んせん。

又内容無視で安い方から辿ってみると石なら古いのは物次第じゃ捨て値、それ以外は小規模な程・低機能な程思い切った価格にはなっとるのぉ。
けど一般論でプロの録音にも耐え得るって条件を足すと、石ならではの安さはほぼ無効化している。

に対し球はハイブリッド以外のはどんなに小規模なのでも最低必要構成部品数が殆ど変わらんから、10W以下になっても出力の割には安くなんない。
のを逆手にとれば20〜50Wクラスのだと石よりプロ録音対応してないのは僅少で、これを加味すると狙い目だと思うんすよ。

しかも元が旧式なだけに石以上に新品の必要性が無く、しかしそれでもこんな不景気じゃ高いよってのも分からんくは無い。
そんな際は今となってはかなり低確率になっちゃったけど、次回に一応楽器Amp以外の代用球機器を書いときま。

<つづく>

2022年7月25日 (月)

音楽備忘録1074 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑫

今日は学校の音楽の先生に噛付いちゃうが、根本原因は劣化本邦の教育システム自体の欠陥にあると前置きして。
本項でポピュラリティに影響するのは普通科の、オリジナリティに影響してるのは主に専科の先生だ。

プロなんか目指してない生徒の方が多数派の普通科の先生に必須なのは、理論や学術的成績より音楽への考え方や付合い方の方だと思うんだ。
一例として読譜を取上げると読めた方が良いのは確かだが、読めてもマトモに音楽を出来ないのなら意味が無い。

そんなのよりずっと先に上手な楽しみ方だとか、健康を害さない方法ってのが必須じゃないのかねえ。
音楽ってのが普通の人にとってどんなものかの正しい認識と扱いを知れなけりゃ、読譜の可否なんて全く意味を為さないんだからさ。

俺にはそんな力もキッカケも無いから残念乍ら実調査が出来ないが、現状で間違いじゃないと言い張るなら過大音量で若年難聴になった人に読譜出来る人は皆無だった位の証拠は示して頂きたいもんだ。
近年劣化本邦では大手事務所所属のプロに難聴者がそこそこ出るのはとても恥ずかしい失態ではあるが、世界的に見ると例外で身近に専門家が居る分居ない人達よりは助けは得られてるだろう。

それ故本筋は「学問としての音楽を教える」であっても、他人を論破する為だけの知見を授けたってしゃーないやろがい。
そう云うのだったら教育者である必要は無く、ひたすら特定の物に詳しい人の方がもっと上を行ってるだろうしね。

一方ここでの専科の先生とは教職資格についてではなく、その道へ進みたい生徒を導く立場の人達だ。
業界入りの最低限の前提として関連スキルのどれか1つでも水準を超えるのが先決ではあるが、芸術系の分野でそれ以上に本来必要なのが創作だ。

既に誰かがやれた事だったら学んで訓練すれば実現可能で、そんなのにだって適性の影響はあるがそれが響くのはレベルの上下だけ。
だが無から有を編み出すには、誰よりも先に孤独な闘いに挑まなきゃならない。

近年劣化本邦では一部の金満タレントに習って形だけそれらしいの作って一端の作曲家を気取ってるアホが居るが、非請負い作曲家に必要なのは体裁なんかじゃ無いんだぞ。
コレ視点を変えれば音楽家としては没でも営業力は究極に近い凄さなのを、正統評価してないのにも繋がるんだよ。

少々皮肉が効いてスマンが例えばどうでもいい曲を、ミリオンセラーにするのって売るのに限定すりゃ神業だよねえ。
ビジネス視点に立てばそれが音楽のお陰なんて言うのは、却ってビジネスのプロフェッショナルに対しては失礼千万じゃないさ。

売り方・パーソナリティその他音楽以外の部分が拮抗してたら良い曲の方が売れるのは確かだが、販売量だけで「音楽的ポピュラリティ」があったと看做すのは大変危険。
それでは是又タレントとしてのポピュラリティを侵食しちまう訳で、この様な錯誤を容認してて得する部分は1つも無いのよ。

今の日本でEric Claptonはそれなりに有名だし、GuitaristのLegendの1人には数えられてる。
だが歌謡曲や演歌でのエレキGuitarのSoloに迄大きく影響が及んでるのを正しく理解してる者は僅少で、最初にああいうのを演り出したよりも本質は応用性の方が凄かったのを失念されてたりする。

ここ迄範囲が広いとRockでのを超越しちゃってはいるが、こう云うのが音楽的なポピュラリティの実一例だ。
演歌ファンの大多数は恐らく名前すら知らない方が多いだろうし、自ら弾くのでなければ知らなくても何の不都合も無い。

確かにポピュラリティ≒有名なのに相違は無いけど、↑みたいなのが紛れも無い音楽力に依るポピュラリティなんすよ。
中には人も音も両方ってのも居るけど、Beatlesにしても音楽的ポピュラリティの方がタレント性より上回ってるからねえ。

今となっては全く真似したり参考にしたつもりが無くても、元を辿って行くと知らん間にお世話になってたってね。
今日は完全に話しが途中で尻切れになっちゃったが、音楽的ポピュラリティってこんな面で一寸分かり難さがある。

<つづく>

2022年7月24日 (日)

音楽備忘録1073 定番と奇抜➒

ここ迄は奇抜の具体的手段等が中心になったが恒例の逆順ご免!?で、奇抜の定義に今更だか触れとこう。
我々近辺では最近随時吠えだか、要するに敵を欺くには先ず味方からって寸法でしての。

音楽や音での奇抜って明確に定量的に定義する術が無く、定番からどれだけ遠のいてるかなんじゃないかな。
そもそも定番ってのすら一定数以上の人間が認めてるだけで、突詰めて行くとかなり少数に絞られてまう。

のを魔用すりゃ正確さ深さはそこそこ要すが、覚えなきゃなんない定番は絶望する程多くはないのだ。
その代り極力派生形では無く原典を先に押えとくのがコツで、形や素材としては加工度の低さと開発当初の意図の汲取り易さが重要なんだ。

そうして一面での絶対的な形が身に付いた当初は少し窮屈かも知れないが、時間経過と共に僅かな基本との差により敏感になれるみたいでさ。
一例として誰にでもは
当て嵌まりそうにないが、最近一寸凝ってるGuitarのHand Vibratoでの件をば。

発端は過去ネタだがお気に入りのSouthern Rock Bandの人で、チョーキング時に普通とは逆向きに引っ張る人が居てね。(普通引下げるのは低音弦だけで中高音弦は押上げるっしょ)
元々かなり昔ので全国区には少々届いて無かったんで動画は多く無かったが、杜撰大王の本領が発揮されて↑の発見には随分時間を要しちまった。

その人とは今や殆どが死に絶えたAtlanta Rhythm SectionってBandの故Barry Baileyなんだが、最初に興味を持ったのはBassのPaul Goddardの方だった。
内容的には「ジョージアサンダーボルト」の異名が付けられた如く
リッケンの攻めたピック弾きが俺の趣味に合致したんだが、一般には肥満体+黒縁眼鏡+昔のオバチャンパーマって異形が真っ先に目に付くだろう。

と発端はBassでも全体が高水準でとてもド田舎の連中とは思えない位、容姿以外は💦洗練されてたから彼等の軍門に下ったんだ。
それで順に学んで行く内にBarry氏の独特なニュアンスをモノにしたくなったんだが、どうも普通の弾き方では寄せられない部分が出て来てさ。

今でもそれだと大変な方が多いし俺には本家比では不向きっぽいが、そこから概知・実行中以外の方法等へも色々お試ししてみる様になって。
その後Jeff Beckのやたら細かいVibratoみたいなのが少し可能になって、技としてはたった1つの微々たる進歩でもかなり全体への影響が大きそうな予感があるんだ。

本家はStratoのフローティングにしてあるブリッジを振動させてるんだが、俺は弦切れ時の音程破綻や普段の安定度がもっと欲しいから浮かしてないんだ。
ので弾き手では掛けられなくてしかし押え手では無理かと思ってたのが、悪ふざけで激しくやってる内に何となく近づけちゃって。

っと本題から逸脱し掛けたんで戻すと、逆向きチョーキングでは「和音での半音上げ」で杜撰流ではあるが収穫があったん。
2弦と3弦で順向きでやると通常2弦の音程上昇が明確に出て、けど一般用途では張力等の事情で2弦の方が3弦より「上りが悪い」から丁度良かったんだろうね。

処がノーマルチューニングでは3弦の半音が調の長短を司るケースが多いんで、和音のまま3弦だけ上げられたらってニーズは元々あったんだ。
チョーキング自体が半音だと逆向きにすれば、3弦の上昇だけを目立たせられる様でさ。

結果従前はBluenote若しくはそれっぽいのは単弦でしか不可能だったのが、可能化したんで御座居。
ってそもそものお題のギミックとは大分離れちゃってるが、発想としてはこんなのが割と有力なんだ。

↑の逆向きも6弦だったらそっち向きしか殆ど出来ないから誰でもそうしてるんだが、私体験ではどっち向きも可能な弦でそんな真似してるのは他に覚えが無い。
「自然となり易いニュアンス」にやはり少し違いはあったものの、単音であれば修練次第で恐らく克服出来るだろうけどね。

<つづく>

2022年7月23日 (土)

音楽備忘録1072 音質の硬い柔らかいの真実➓

さてここまで記して来た不要瞬間過大音量は実際に硬さの主役なケースが多いが、他の要素で耳に辛くなるのだって勿論おま。
2番手として考えられるのは奇数次高調波歪みと混変調歪みだが、後者はFlute大合奏の逸話!?で概述なので前者の方をば。

空気でだって全然起らんくは無いが、やはり音に電気が絡んだ際に起こり易い。
音→空気の振動→無理してゆがむになれば、それも立派な一種の歪みには相違ない。

だが↑に「ゆがむ」と書いた通り音もそれに伴って変形させられるが、何処かの散らかりStudioみたいに同居する他の物が共振・共鳴でもしない限り新たに「余計な何か」付加される様な事は殆ど無いんだ。(残響・反響等は除く)

そんな反応の仕方が常に良いもんでも無いけれど、そうなる前よりボケたり籠ったりはしても尖ったりキツくなったりは原理的に無いカードなんだ。(残響・反響等は除くⅡ)
それに対し電気経由で電気的に飽和すると必ず高調波成分が勝手に足されちゃって、それ故特殊な状況以外では耳には優しくない方向へ行っちまうんよ。

ほんだば↑特殊ってのは意図的に歪みを利用する様な場合で、エレキGuitarのなんかが最も分かり易いかな。
昔だと打楽器系の不要ピークを、録音メディアのテープでわざと頭打ちさせるなんてのがあった。

只何れも使用前より使用後の方がキツくなるのを周知した上で施すんで、例えば超高域は無歪み時より適宣削ってあるのが多いんだ。
最早ストンプもAmpの機能もあり余る程盛り沢山になってるのに、未だ楽器本体にToneツマミの付いてるのの方が多いのはこの為でもある。

俺としては高域を削ってから増やすんじゃS/N比で
不利だから嫌なんだが、現行品のAmpで超高域を削れる機能の付いてるのが極少数派なんでさ。
けど楽器はマイルド・歪みはワイルドにしたい際は、Ampで削ると歪みの高調派成分も幾らかは減るものね。

ので好みじゃないからって全否定はしてないんだけど、せめて両方が出来るのでももう少し出してくれたら俺の気も晴れる!?んだけどなぁ。
因みにこの少数派の代表格ったらVOX AC-30で、パワー段に「Cut」って名称で付いてるツマミがそれでんがな。

この機能とかで超高域を押さえれば必然的に音色にも少しは影響があるが、音楽的にはほぼ無効で耳健康にだけ大きな影響がある領域なんだ。
それを多くの人が見逃してるのはテスト時の音量不足とか、アンサンブル内で試してなくて実感を得られて無いからなんじゃないかな。

随時頻吠えの如く人耳の周波数毎の感度って音量次第で特性変化があるんで、家等の小音量時にはこれでも足りない位と思っても本番の舞台でドカァンと演るとまるっきり過剰だったと後の祭りに。
又後者のア内に入れば他と悪干渉する存在は全体を濁らせて明瞭度や分離度を損ねるのと、逆に邪魔にならない程度に抑えられてたら全く聴こえなくて「出しとく意味が無かった」ってさ。

要するに最低の環境下で価値の残ったのが本当の音色構成成分で、高域を盛りたいにしてもポイントとかコツってのがあるんざんす。
と言いつつ俺自身未だホントにこんなで平気かと何時も不安に感じてたりするが、それでかつて極力盛った処でポイントが不適切だったのは単にホワイトノイジーになっただけだったよ。

そう云や高域の抜けの良さとか籠り感の少なさでは、従兄のCymbalのEQは何時も秀逸だったなぁ。
機材レベルはどっこいどっこい・音響機器の知識と操縦はこっちがちょい上、だが肝心の鳴らし方自体には雲泥の差が昔は明確にあったから音源自体の影響が最大要因ではあったんだろうけどね。

最良時にどんな響きになるかをあっちは熟知こっちはほぼ知らないのが、EQ等する際にポイント認知にも及んでたんでしょうなぁ。
そもそも音生成の順位からして大元の影響が最大なのは誰でも容易に想像付くだろうが、それがすっと後々まであらゆる面に予想以上の大影響が持続するってのは分かり足りて無い人が多いのかもね。

<つづく>

2022年7月22日 (金)

音楽備忘録1071 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➏

幾ら最安を狙ってもモノホンとなればそう甘くないが、今の日本で最も問題になるのはやはり音の大きさだろう。
約3割は独断偏見残りの7割は原典尊守で、電気楽器≒真空管増幅と敢えてここでは定義しますで。

真空管隆盛期迄のスピーカって音響性能が同等なので比較すると、汎用のではやっぱ近年のより低能率のが多かった。
のもあって今自室で昼間なら許される程度になってくれる、この件に都合の良い小出力管がそもそも作られた事が無いんだ。

なので常識的な電気楽器増幅回路を組もうとすれば、十中八九余分な音量のが出来上がっちまう。
尤もスピーカの能率に関し電気楽器用のはかなり特殊で、現代汎用のみたいな広帯域再生が不要な為どんな廉価版でも結構能率が良い。

のでオラぁ石でも構わんと言った処で、普通の音質と反応のとなると結局音量オーバーになるのが殆どだ。
歴の長さ&奏者・技師兼業の体験から苦言めいて念押ししとくが、Guitarで25cm・Bassで30cm以下のスピーカは前回迄に記したみたいな大妥協の大昔版とお考え頂きたく候。

一般電気性能面からならもっと小音量用の小さい楽器用も作れなか無いが、反応差が埋められないのとBassみたいに低音が欲しいとまだまだ厳しい。
となると結構になる開発費の回収が見込めないんで、私的にゃ微かな期待はしてるが難しいでせうな。

そこでミニマム超簡易遮音箱なんてのを作るのがお勧めではあるが、大工仕事が得意じゃないとそりゃ無理だわね。
そこでⅡで足りない口径のスピーカで誤魔化す方法としては、やたらに耳の近くで鳴らせる様にするってのが可能性としては最上だ。

杜撰大王ですから楽器用で試した事ぁ御座居ませんが、大昔自前計算や測定が不可だった頃スピーカユニット自体が出せる低域を調べるのにそんな風に試した経験はあるんだ。
昔の一般用スピーカの多くはユニットの性能限界より小さい箱に入れてるのが多くて、そうしないと実用に支障する巨大な箱になっちゃったからでさ。

ので敢えて非効率場所喰いを容認するなら、元のより数倍の箱に入れてやると低域が伸びたんだ。
と言っても元が出せて無きゃ無駄なんで、頑張ればどれ位になりそうかを「On耳」にして簡易調査してたん。

当時既にMicのも含め所謂「近接効果」を偶然気付いてたんで、今からしたら99%はアホだけどそんなんしとったん。
尤もⅡでかなり非力なスピーカだったから可能だったもので、立派なPAのなんかだったら耳即死ですから。

のでⅡでこの魔が使えるのは歪ませない音色限定で、しかし全く歪ませないのって実は電気楽器にはアブノーマルで不自然に近い状態でもある。
ならばとパワーアッテネータ等をAmpとスピーカ間に挟めばってのも、やはり反応の仕方にどうしても差が出るんで△になっちまう。

けれど将来的に音の出せる環境獲得を追及し続けるなら、それ迄の臨時対策としてならアリだと思うんだ。
理想は本番音量での耳音色的には無歪みでも各部全部で電気的には飽和(歪み)し始めてる位のが良いが、「Ampの動作状態が↑と同等」であるのがポイントとしては欠かせない処。

のでⅢで上記ポイント部分に特化させると、最大出力は10Wに満たなくても近似な反応は得られる。
でその際の最大音圧ならDrumsetの様な爆音にはならないんで、生PianoやVocal用程度の遮音性能で足りるんだ。

因みにメタル等爆音系ジャンルの人は少し可哀想になるが、本番音量って元々は今標準の100Wクラスのばっかじゃないんでっせ。
Rock系でもその原始時代にはMic(PA)があったのはLead Vocalだけで、Chorusすらも完全背景で良きゃNo Micだったんだから。

体験その他からDrumとの合奏可能基準に最適なのがVOX AC30で、これ自体は複数スピーカと特に高能率の青いのとかだと正規遮音が必要になっちゃうけどね。
Amp出力としてはGuitar・鍵盤系なら、30W程度もあればマトモな音色と反応が得られる証にはなっとるぞ。

<つづく>

2022年7月21日 (木)

音楽備忘録1070 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑪

今日は前回後部の撮り鉄問題を生贄に、脱線宣言をした上で外からこのテーマを見てみませう。
って宣言すりゃ何しても許されるもんじゃないだろうが、この2つにはある特有の共通性があるんずら。

掘れば今の鉄道の多くは電車だから電気もだとか、線路にもメディアにも容量の制限があるとか…。
一方公共性等では真逆に近いのも少なくないがそれは置いといて、かつてより俺言い「双方向通信では無くなった」ってのがキーワードだ。

鉄道で昭和の途中位迄は場所次第じゃ線路に柵すら無くても珍しくは無く、鉄道側と世間の境界線は実質的には民意に依って築かれてた側面もあった。
21世紀以降の人にこれの分かり易い例示をするなら、路面電車とかだったら少しはイメージが湧くのかな。

空間に余裕がありゃ今は路面電車だって柵とか分離帯が付けられてるが、江ノ電で狭い商店街を通る様な所じゃせいぜい道路に線を引いとく位で精一杯だからね。
勿論それでは民意ったって良心依存だから、不届き者や錯誤者に対しては明らかに今の方が安全だけどさ。

続きを差し置いて一旦音楽の方特にリアルパフォーマンスで比べると、ドサ回りとかパーティーバンドってのは随分と減ったよ。
環境変化や諸事情から、両者共必然性もあっての結果ではあるんだが。

鉄道の方では気の利いた会社にはご意見ご要望チャンネルみたいなのが用意されてたりゃするものの、大昔みたいに現場で当事者同士が直接話しをするのは殆ど不可能化してるんだよねえ。
音楽でも未だドサ回りを継続してる様な大御所に対し、歴が浅い連中の方がそんな体験がほぼ無いんじゃさ。

確かに狭隘・小規模なLive会場なら声は楽に届く距離ではあるが、↑では時々ある様な世間話とか井戸端会議レベルみたいなやり取りはムード的に出難いんじゃないかな。
要するに顧客の忌憚無い生の声が聴けなくなってて、こう云うのは間にビジネスライクな忖度野郎が挟まると最悪なんすわ。

プチ乱暴だが既存の方向性や手段で売行きが過去比じゃ劣化してんだから、時代が変ったから仕方無いとかばっか言ってないで少しは冒険しなきゃしゃーないのにさ。
中間管理職や経済的経営だけに従事してる音楽の内容に対しては言わば余所者が、顧客ニーズより自己保身を優先して判断下しちゃってんだから。

撮り鉄方面でも直接のコミュニケーションが取り辛くなった結果は、先ずヲタの側が現業の事情が分からなくなって無視する様になったと感じられる。
例えば同じ危険にしても内容や心理的影響は多岐に渡るんで、読み易い簡潔な文言にすれば当事者の気持の伝わりに欠落が多くなる。

かと言って文章で細密にやれば極力支払いを逃れようとしてる保険の約定みたいになって、身勝手な印象を与えちまう。
それがもし現場での生の肉声だったら景色や声色等のパラメータが具体化してるんで、かつての俺みたいに誤認が晴れたりする事もあると思うんだ。

何れにしてもこの様な分断は意識・認識の共有やポピュラリティには致命傷で、例え少々偏屈なRockの人でもあの純烈に本気で対抗してドサ回りする気概位は無いとそりゃ難しいでせうな。
他方オリジナリティに執着するなら売れるかどうかは殆ど無視して、全く売れなくても続けられる環境を構築するのが良いだろう。

それ位覚悟したってどれ位独自のを編み出せるかは未知数で、どっちかだけを水準に乗せるのだってとても大変なんだ。
誰だって知名度も個性も両方欲しがる方が
自然だが、片方だけでも至難なのに取組み方からして足りないのだらけじゃ宝くじより当たる確率は天文学的に低くなって当然なんすよ。

インターネットの普及で調べるのは飛躍的に向上してるが、情報の取捨選択が発信者主導じゃないからねえ。
こっちが思ってたのよりもっと別のを相手は先に訴えたかったとか、リアルコミュニケーションだったら相手がダメ出ししてくれたりして切り抜けられるのがネットではとても難しいかんね。

<つづく>

2022年7月20日 (水)

音楽備忘録1069 定番と奇抜➑

手加減命なんてったら非職人気質の人には苦痛と感じるかもだが、デジタルので計算に基づいて設定するのだってどうせ手は使う。
一応両方を一定以上体験して来たのからすると、労力だけの比較ではほぼ同等だに。

デジタル主利用では安定と確実では有利だが、微調整して行くプロセスが分離させなきゃなんない方が多数派な分時間が倍掛る。
それに対しアナクロ手加減は手が達人にならないと不安定極まりないが、リアルタイム調整が利く面では同時進行が可能だ。

なので使い分けしてくのが得策で、大雑把な設定で所望が得られる際はデジタルの方が楽で早い。
但しそれを実現するには少しは理論と計算が必要なんで、どんなに偶然で構わないと思ってもそれなりの学習が要る。

そして偶然の幸運を真に有効化させるにはどんなにテキトーな気分で設定したとしても、逐一その値をメモっとかないと折角の再現性が台無しになる。
こんな作業プロセスでは人の性質次第じゃ醒めてしまい易く、感覚を直感で実現するのには少々不向きな面が否めないのだ。

と言いつつかつてデジタルが自分の中で新参者と感じてた間は、仕事の確実性も鑑み↑みたいにロジカル思考主体で暫くやってたんだけどね。
それで最も窮したのは「お好きに」となった際で、好き嫌いって必ずしもスペックとか理屈通りにはなってないじゃん。

これって正に不条理の典型ではあるが、音楽って一面で非現実でも構わないから許されるんだ。
決して古いのを勧める気は無いが、「音だけ」だから今大昔のを鳴らしたって実害無く済むんだよ。

公道を走るバスやトラックが、昭和の途中迄のみたいにどれも煤煙もうもうじゃ困るがな。
これからすればどれだけ活用するかは別としても、固有の特権は知っといた方が良いと思うん。

特に私的に着目してるのは模倣では無く、独自提案したのがたまたま過去に既にあったケースでね。(印象が似てるだけのも含む)
音楽でだってメロやコード進行だと著作権でハネられるが、ギミックサウンドに関してはそれが少ない。

そして一段と声を大にして言っときたいのが動機で、手法が一緒になっても動機の細部迄完全に一致するのは稀なのではないかって処。
これがデジタルの設定だけで済ませれば同値になる可能性もそこそこ出て来るが、リアル手加減が加わるとそこには僅かでも心理的影響等が及ぶもんだ。

だからって聴き手がどう捉えるかはこちらから指定出来ないしすべきでも無いから、対外的には必要に応じて真似しましたとか引用させて頂きましたと一応答えといたりもあるけどね。
けどそれはあまり真剣には聴いてくれないとか鈍い人向けのプチリップサービスで、例え不充分だったとしても全く同じ音にはなって無いのが殆どだ。

その中でパーソナリティが出易いのが本人のリアル手加減で、登場時のテクノには目新しさの他に敢えてパーソナリティの呪縛から開放されたいなんてのもあったと思うんだ。
唐突だがウチの従兄のボカロ嫌悪派も自前で偽女声で歌えるのと関係が結構ありそうで、そうじゃない並の男で女歌ものをやりたくてでも歌って貰える女性が居なくてボカロも無かったら万事休すだ。

只最終的にはボカロのままで満足出来ては危険な気もするが、曲や歌がある程度以上具体化してないと余計分かって貰えないのは確かだからね。
この様に意図的になら個性を殺すのも一興だが、少しでも他人との違いを持たせたかったら何しろ自分の手等でリアルに弄るのが最短コースなんすよ。

<つづく>

2022年7月19日 (火)

音楽備忘録1068 音質の硬い柔らかいの真実➒

この項では希少!?な補遺入りからぁので行かせて貰うが、もしかして俺自身が老を付けても付けなくても毒性最強かも知れないのに老害ディスした件についてだす。
格闘技でのハードアタックと唯の暴力が似て非なる物の如く、爆音だって質や内容に依るんだよん。

ので先に正解を明かしとけば、変に遠慮しなくて良いから良いデカい音にして思いっ切り楽しんどくれっとね。
では順に内容をご説明致しやすが、遠慮とは不要な音量抑制の為に変に縮こまった演奏なんかすんなっと。

これには悲しい副作用の危惧があり、ガァンとは鳴らさないから何時もその分ボリウムを上げとく癖が付いてたとかってのでねえ。
そんなんなっとると万一間違って強く鳴っちゃったら、想定外の限界超越音量になるかも知れないじゃん。

最悪時はそれでAmp・スピーカ・耳・人気!?・人望○×△□諸共、一発で全部吹っ飛んじまうんだぜ。
そうならん為にはAmp手前で物理限界迄を常用する様にしとくと、初めて大きいのに壊さないが実現出来るんすよ。

とは言え何だか汗かいてる割に大きくないと損な感じもするだろうが、壊すよりは草臥れるだけで済んでくれた方が後々は幸せなんすよ。
そして大きい強い音を出すのに慣れてると無理せんで済むんで、音色は良くなってくしそのコントロールも向上するん。

何ででも自分の想定を超える力を無理に要求されると、やけっぱちになったりして雑且つ暴力寄りになるっしょ。
酷い音色だと例え肉体限界には全然遠くったって欠点の強調になるから、イカレてなきゃ本人恥ずい・周囲は迷惑認定で結局ストレスレスでは大きく鳴らせないん。

これが冒頭の「良い…」の半分で、ここ迄のはワイルド視点からのでありんす。
不要硬くなり過ぎ易さの面から電気楽器中心の記述になったが、生楽器ではAmpのボリウムの分迄俺言い「爆音演奏力」が反映するどす。

因みに何故大音量としなかったかったら劣化本邦Classic音大及び大手教育系で、単純な高度技法やパワーへの不毛競争が一向に収まらんからだ。
要は理屈的な凄いが全てに最優先されてて、音楽的には実用領域に満たない劣音質でもまかり通っちまっててよ。

そんなのは欲の亡者の集まるコンテスト位でしか通用しないんで、例えば騒音基準を越えちゃってるのに美しいから許されたみたいなのと区別する為なんどす。(だからと言って脱法行為はあきまへんが)
そして絶対音量は基本的にもう道具(楽器)で制限されてるんで、ある程度迄行き付くとそれだけでは人を上回れなくなるんだ。

では緻密サイドからだとどんなだっつうと、硬い≒瞬間最大音量が無駄に大きいとマージンを多くしとかんとならん。
だいいちけたたましくって喧しくって、オリァの楽しみより耐える苦痛の方が大きくなるしねえ。

その上「良いと感じてくれる人」が激減するだろうから、良い意味で音のデカさで席巻しようと思ったら絶対的に音色や硬さ案件は無視出来んのどす。
他方近年劣化本邦では現役若者と直接関わりのある人に依ると、歌声が歓声や嬌声より遥かに小さい歌手が多いそうな。

その分演奏もやたら小音量でも迫力だけは欲しいと無理な相談が来たりもするらしいが、耳の飛ぶ心配が無いからって硬過ぎたり悪音色の被害が少ないのに甘んじちゃったらこれもおっかないねえ。
2度出しになるが体力や機材的に最大音量になって無ければ僅かなムラや偶発で、意図せずより大きい音が出る可能性が常にある。

それが今本邦ではPAやクラブ等では音量を出せるだけ出す傾向があるんで、練習時に耐えられた硬さ醜さが本番では盛大にクローズアップされちまう。
オペ氏が完全なアホでなけりゃ流石に機材保身マージンまで超えるのは無いだろうけど、お客耳では結局オーバーロードする危惧が残ったままなのさ。

<つづく>

2022年7月18日 (月)

音楽備忘録1067 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➎

お気楽ったら今の一般論からすれば、オールインワンタイプのEffectorは筆頭候補だろう。
だが以前から随時吠えの如く私的には非推奨で、特に廉価版のは物に依っちゃ計り知れない副作用があるからでね。

昔のと違って音質・機能に関しては大きな不備はもう無くなってるけど、何しろ「反応の仕方」がリアルとはかなり違ってる。
ので散々修行して腕を上げてもオール君主体でやってると、モノホンにありつけた際に「こんな筈では」なんてなるのが目に見えとん。

デジタルPianoでも良いのだとかなり生ピに近付いては来てるが、生のにはある「気紛れ」要素を凌駕する技ってのが殆ど身に付いてくれんのと近似だ。
しかしPianoの場合は通常は一体型なのが電気楽器の多くでは分離してるし、本体は繋ぐ先がどれになろうと大抵は完全に同じの使ってるっしょ。

故に結構な出費をしてそこそこ場所も取られる位なら、そんなニーズには前述の通り概所持のPCやスマホへ繋ぐ方が今はもう良くなったんすよ。
強いて例外を挙げるとしたら真空管の入ってるヤツで、だがそれも方式等に依ってはデジタルバーチャルのと大きな差の無いのもある。

この方法での最大の欠点はレイテンシだが、インターフェイスをケチらず注意すればそこそこの改善は見込まれる。
因みにオール君は実在する機器ではあるが、極一部の高額例外を除くと今のはほぼ必ずデジタルのお世話になっている。

のでもしアナタが全く気にならなかったり気付かなくても程度が極軽くても、デジタルPCM方式では必ずレイテンシの洗礼を浴びとるん。
人次第で今は容認出来る人も少なくないだろうが、もし将来減らしたり無くしたりしたくなったらシステム全面変更が必須になるんでねえ。

それと若い世代では憧れの人がリアル不使用で、それを模倣するには確かにオール君の方が近くなるからって人も居そうだけどさ。
もしその憧れの人がホンマモンだったら現時点での作品にリアルのが無いからって、バーチャルしか使いこなせないなんて事ぁおまへんのや。

超忖度表現例示するならこの打者には150kmで抑えられるから、ホントは出せる160kmを投げて無いなんて可能性も濃厚なのよ。
故に貰い物でもして既に手元にあるとかってんなら別だけど、偽物に対価を払うって事実だけは絶対に忘れんといてーな。

又別観点から正直比較をするなら超マイナーな楽器だったら、恐らく素人お遊び用とか業務専用なんて無いのもあるじゃない?。
たまたま現時点で電気楽器はそれなりに活況だから選択肢が多いだけで、しかしそんな場所には金儲けのみで売り込んで来る連中が必ず紛れ込んでんだ。

現況無許諾完全複製以外は法に触れないんで、ビジネスの正義としては本道を外れる様なのを売っても罪にならない。
「お客がええゆうてんねんから、横槍入れるな」が確かに成立してるが、それで無問題なのはお金が余ってて玩具として買う様な場合。

つまり俺みたいに赤貧か↑みたいなら立場が明確だから実情を把握し易いが、大多数の中間層には「買おうと思えば買えなくはない」せいで理解が進み難くなってるんじゃないかな。
っつう事って次回は最安モノホンへの道、とでも題して秘技!?を授けると致しませうかね。

<つづく>

2022年7月17日 (日)

音楽備忘録1066 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑩

引き続き「パクリ対策」自衛手段の残りから行くが、厳密には作曲者やフレーズ製作兼務の奏者案件ではある。
けれどメロディライン以外周囲の組合せが変れば訴えられる様なケースは少なく、極一部分だけの創作だと2小節先達のと合致するのは少ないからそんなに注意されてない。

って自分の感覚で述べちゃってるが、副題の副題としては無意識で気付かずにやらかしたのをターゲットにしてるんでね。
今ではこんな俺でも年の功でそれなりに詳しくはなれたけれど、それでもやっぱり「出来たーっ」の後になってから「既にあったのか~」にはなるべくなりたくないから新たな方法に挑戦してみたんだ。

それは全然別件で存在を知った過去述「弾いちゃお検索」の活用を思い付いたが、僅差のタイミングでPCブラウザ版が終了になっちゃって挫折。
只お友達が少ないとか内緒で煮詰めたいなんて際に、半ば現代は持ってるのが常識化したスマホがあればそっちではやれるらしい。

PC経由だともう「曲メロ検索 midomi.com」しか残って無い様で、現況のこの手のの殆どは利用者が提示したのに基づくデータベース依存だからかなり漏れが多い。
がスマホ不所持なんで実態不知でスマンが、↑以外にも色々あるみたいだから一通り試してみる価値はあるんじゃないかな。

今更な話しだがネット以前はこんなニーズは何処が担ってたかと考えると、行きつけのレコード屋や練習Studioのオヤジさんとかが少しそうなってたのかも知れない。
実はこの人力解決のもプロ界では専門の人が残ってて、しかしメインストリームの癖にお伺いを立てずにリリースするアホが散見される。(恐ろしいが一部にはわざとスルーもある模様)

もっと酷いのになるとプロでも駆け出し君のリリース前のを横取りなんてのもあって、そりゃ確かに昔っから実際は弟子作のを師匠名義でなんてのは結構あったがね。
けど今と大違いなのは例え半強制的でも両者の合意がしっかりあった処で、弟子の責の全権を負わないでそんな真似しちゃアカンがな。

こんな面からも今後は作ったっ切りにしとくのはリスキーで、どうせ事前調査や証拠Dataの確保は必要になって来てるのかも知れないな。
尤もお金で専門家に任せない限りは万一に襲われるのを完封出来ず、心情的には当てにならぬならスルーしたくなったりもするけどさ。

真に新しいのとか独自のをこしらえたけりゃ、なるべく既存のと違うか譜割り的には近似でも聴き味が全く異なるのを作りたくはありませんかって。
これが歴が浅く聴き手がジャンル的に孤立してる様なのだったら別だけど、今はもう店舗の有線とかYoutubeから節操無く誰の耳にも興味に関係無く色んな音が入って来るじゃん。

J-POPの隆盛期には和のメロディ活用で何とか凌げたが、それもこう乱発されるとタネ切れになって洋物露骨盗を増やしたんじゃないの。
意図的に国内では以前より遥かに、洋楽聴くのが面倒になる様にし向けといて…。

又しても黒成分がダダ漏れした様な見解だが、こんな少子化では将来は国内専用じゃ商売的に困窮するのはもう目に見えてっからねえ。
現行黒業者がどうしてようと、続けたい者はそんなのに甘んじては居られんですぜ。

この現象って何か他分野でも感じてるんだが、今一度提供者と享受者がもっと仲良くなる方向に持ってかんと。
最早社会問題化した一部撮り鉄の暴挙にしても鉄道会社主催の撮影会が全て結構なお値段の有料にしたとか、安全の為とは言え高い柵だらけになって撮れる場所が激減したの
とも無関係とは思えねんだ俺は。

<つづく>

2022年7月16日 (土)

音楽備忘録1065 定番と奇抜➐

今回は前回出「無段階調整の可否」を深掘りするが、ギミック系のサウンドには生死に関わる程重要なパラメータなんだで。
っと少なくとも俺は痛感してて、その目的が他の音以上に雰囲気の演出だからなん。

RecordingとLiveの両方で同じ様に使えた方が便利だから、その点では再現性が高い方が有利ではある。
が生楽器は直接・電気楽器でもAmpをセットにしときゃその段階迄は同じ音が得られるが、映画やVideoの上映会並の音質を一般的な演奏会場に求めるのは少々厳しい。

となれば物理的な寸分違わずよりも例えばしつこさの質、ねちっこいとか切れ目が一切無いとかそんな感覚的な部分の尊守の方が効果が大きいと思うんだ。
その様な人の感覚は環境差等の補填はリアル人間にしか出来なく、正に「手加減」アナクロ調整でしか得られない。

具体的には例えばそれがDelayだったらリピート数が元は10回だったのが9回に減るより、次に鳴る音に被ってたかどうか等の方が問題となる。
Click不使用の生演奏(本来通常はこれが当然だが)で本番の興奮からテンポが上がったりすると、↑はとてつもなく重要度が高まるんじゃない。

加えて私感としては例えばPiano系の楽器は音階間の音程が普通は出せない等、どれもが自由に融通を利かせられはしない。
こちらの面ではギミック≒オマケには最大の自由が与えられてる筈だから、そこにデジタル化で生じた制約が付くと「使うの止めとくか」って気分になっちゃうんだ。

この問題を最も早く察知したと思しきにPrinceが居り、デビュー前から電子楽器に精通・多用してた割にギミックでの利用率はやたらと低い。
尤もその境界線は無きに等しくドラムマシン(Linn LM-1)の使い方で大流行を起こしたりもあったが、その実態は当時垂涎のサンプリングのを変態リズムボックスと見做してるとしか思えないとか。

んが頻度の多いのはエレキGuitarやSynthe+Effectorでこしらえたっぽいので、音の斬新さの割には随分昔の映画やドラマの効果音みたいに手作りをしてた様だ。
個人的にはそれが増え過ぎてデビュー時よりどんどんオーディオ的にはLo-Fi化してったから、興味が薄れて離れてったけどさ。

けれどもバリエーションの豊富さ自由さでは大いに見所満載で、逐一肉体的訓練や試行錯誤が要求されても余りあると感じられる。
最初の内は誰だってなるべく簡単で確実なのを求めるけど、一度使ったら少なくともすぐには同じのは使いたくない方が多いよね。

余程得意で気に入ってそれがお似合いのだったら、スタイルの一部としてトレードマークに出来るかも知んないけど。
何れにしても長く演ってくと技や方法の種類だけを増やそうにも限界はあろうし、折角違う新しいのを使っても音に大差が無かったら演る側だけの自己満認定されちまう。

ので今だから言えるだけなんだが理論物理なんて二の次で、結局はどれだけ「今迄に無かった感じの音」を出せるかなんだと思うん。
本当のアドリブでそれをするには達人級じゃないと難しいにしても、こんな部分で現状デジタルの融通の利かなさ過ぎよりは大分マシなんじゃないかな。

万人にわざわざ古いのを勧める気は無いけれど、万一より可能性の低い現状デジタルのだけで苦労して諦めてるとしたらさ。
この件のみじゃないだろうが最近の日本のに面白味が減り続けてるのと、オジサンは関係がある気がしてならないんだ。

<つづく>

2022年7月15日 (金)

音楽備忘録1064 音質の硬い柔らかいの真実➑

誰にでも容易に硬柔を体感するには比較サンプルが必要だが、残念乍ら柔組の衰退でそれが困難化して久しい。
この要因を綴ってくが後日悟ったのが、原理に従ったサイズ・仕様のだとそんなに弱点は強く無かったんだ。

長所の方でAltecやTANNOYが艶やかなのは初対面から感じてたが、プチオーディオヲタになった若年時は雲の上の存在 なので単に凄いのは凄いで終ってた。
為替レート固定時代だった上に冒頭に記した無理の無い作りの副作用で、お値段が平民小僧には無理でしか無い高さになっちゃってたから。

その後20代後半になって入手の可能性のある価格・サイズ・仕様のを試聴したら、低域のボヤけるのが気になって選外と化していた。
更にその約10年後録音屋を営む知人宅で12inchウーハの当時現行品の業務用モニタに触れたら、確かに音色は典型的なTANNOYだが他は至って普通の高解像度だったので少し戸惑った。

そんな体験を今整理して浮上したのが↑の総括で、ナチュラルな音色を堅持する為にどうやら設計が保守的に過ぎたらしい。
俺の世代だとGuitar Ampのオプション等に買えない頃にはラインナップされてて、買える可能性が出て来た頃には消失してた。

そこで昔の死蔵カタログを引っ張り出して熟読してみたら、硬組に対して柔組にはある共通の不便さがあったんだ。
それは耐入力の低さとサイズに忠実過ぎる低域再生周波数帯域の狭さで、限られた資金で好みに近付けたい際にそれじゃあ不親切だったん。

ハイエンドのになりゃ個性はそのままでも、どのブランドのだって性能的にはオールクリアだ。
けど下位のでは性能が理想に届いて無いからこそ、せめて少しでも好みに近いのをってのが人情でっしゃろ。

衰退境界期がAltecでは1985年頃・TANNOYだと1995年頃だったが、楽器AmpやPAで大き目ユニット複数搭載が全面容認されてた末期と合致しとん。
デジタルやD級増幅の実用化で巨大出力の極小化が可能になって、能率一辺倒より小型・軽量・広帯域・爆耐入力なスピーカユニットのニーズが生じて。

俺は球のが無いからってか球でそんなの無理だけど、Live houseへ余裕で持込めて余裕で使えるBass Ampとかストリート用のPAだとかが具体化像ね。
それ等は性能・用途では用件は満たせてるが原理的には相当無茶してるんで、音質・音色的にはやはり圧倒的な劣勢を抱えてん。

だが特に昔の日本では低音再生に関して世間の認識がとても貧しいからか、常設AmpだってBass用のはロクでも無いのの方が多数派だからねえ。
同じ駄目ならせめて少しは納得出来るのor我慢出来るのって典型的な消去法で、本質的には狭さが悪いんだけどさ。

何れにしても一部の人しか関係が持てないのが良くったって、資本主義社会じゃ衰退して仕方無かったんだろ。
只究極が要求される箇所や真逆の初心者が学ぶ場でまで居なくなられたのは大きな損失で、多数決システムの弱点がモロに反映しちまってらぁ。

これの最大の被害者は知らずに我慢した挙句耳を壊しちゃった若者で、自分達だけ知っといて音量を控えないからだなんて言ってる連中は全く無責任な真の老害じゃい。
この様に体験困難な状況では浸透も中々厳しそうだが、意識にだけでも助力すべく過去での「逆例」を披露しとこう。

今エレキGuitarではMarshallはその爆音以上に甘美さで支持されてるが、かつての一時期にはその根幹の1つのCelestionをわざわざ硬組筆頭のJBLに換装するのがプチブームだったんだ。
甘味好きでマー君使ってるのに何でそんな矛盾をしたかってば、大舞台での聴き取り(主に奏者同士)で難儀したからなんだ。

その頃のPAでは奏者は歌以外ほぼ
モニタレスだったんで、確実に合奏するには他に方法が無かったんよ。
それが最近だと違いの分かる達人達は結構大きな舞台で小柄なビルトインタイプ、しかもCelestionより更に古典的でぼんやり(プチ失礼)なJensenに換装してたりするんだ。

狙いは勿論唯1つ、少しでもお客さんを疲れさせたくないから。
尤もベテランの場合は、自身の耳の健康維持も含まれてたりしそうだけどね。

<つづく>

2022年7月14日 (木)

音楽備忘録1063 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➍

っつう事って普段の真空管正教!?の話しは極力封印しとくとして、邪道・魔道まっしぐらに進んで行きませう。
今がもしまだ1970年代だったら球のだって色々お安い方法はあったんだけど、価格の他に今となっては本人がある程度以上のスキル持ちじゃないと選べなくなっちゃった。

とは言え球に拘らなきゃ基本的な手段はそんなには変わってなくて、既存の「線を繋げばそこからの音を出せる機器」がはじめの一歩なのは同じだ。
尤も近年はそもそもスピーカ付きの機器が家庭内では減少中で、1人暮らしの若い方等には適用が難しくなってるかも知れない。

けれどPC不所持でも地デジTVがあったら大抵は、本来はビデオデッキ用でも音声入力端子は付いている。
概述「自動ミュートが…」についても実は解除不能では無かったが、必要時の再設定を要すのを嫌っての措置でね。

ので取敢えず↑等も含めLCDへ繋げるのについての色々を先ず記してくが、何分信号規格が不一致なんで充分な音量では鳴らせない覚悟が要るでせう。
しかしこれも考え様に依っちゃ騒音事故防止には好都合で、普通わざわざ専用の計測器を使って「今まだ○○ホンだから平気」なんてしないよねえ。

音楽を聴くだけだってお気に入りのだと興奮したりして、耳の音量感覚に狂いが起きる方が自然な位。
それが自ら奏でる楽器となれば尚更顕著化し易く、幾ら何でも10Wにも届かない出力だからフルテンにしても昼間だから大丈夫な筈…なんてさ


とは言えアクティブタイプや高出力のなら兎も角、パッシブタイプでは圧倒的に電力量が不足する。
のでなるべくならMic入力端子の方が感度の高さとしては向いてるが、昔と違って出力インピーダンス高目のMicを普通は繋がれる事が無いのでインピ自体のミスマッチ度はより大きくなり易い。

まあこの方法は完全な魔なんで現物合わせで、最もマシなのを探して選ぶしかない。
それより先ず先に留意すべきは今のご家庭用機器で入力にPhone(標準)Jackがあるのは、ほぼカラオケ機しか無くなってる処。

ので変換Plugなりケーブルだけは必須で、繋ぐ相手がステレオ(2ch)仕様の場合なるべくならMono信号が両方に入る様にしたい。
是又昔だったら只ラジオ・テレコ・ラジカセってばMonoが当り前だったのが、MicかLine入力の何れか両方のあるヤツは殆どがステレオのになった。

その関係でMono⇔Stereo変換のが案外品薄で、経費を気にするなら自作しちまった方が良い。
と云う様に魔だろうと邪道だろうとアブノーマルを実施するには、やはり普通よりは幾ばくか余計に知識やスキルは要求されるもんなんだ。

んじゃ少し位面白そうだからってなんでこんなの書いてんのってば、そこそこ機材を持ってたって壊れたとか修理中に急遽のニーズが生じる事だってあるかも知れないよね。
他にも新しい音を求めたりすると中身を発明・開発して作れる迄行かない人には、「今迄繋いだ事無いのへ試しに突っ込んでみる」って手段を避けちゃうと選択肢が激減するっしょ。

なのでその代り誰でもその気になれば可能な範囲の話しにここでは留めてあって、何十回挑戦しても無理だったって程大変じゃあないんだ。
今回の俺体験では提案も実行も俺だったけど、少し電気に詳しい人が居たら提案するだけだって随分実現性は上がるのよ。

マトモなスキル持ちは邪道を避けようとする方が自然で多いから、案外魔発想って出難いんだ。
何れにしても今回のはとっても邪道で音的に盛大な妥協を強いられる反面、ケーブルさえ用意出来れば他には電池交換等も含め一切不要なのが特徴なのだ。

<つづく>

2022年7月13日 (水)

音楽備忘録1062 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑨

ここから具体的な対処法を才能所持の有無別に二本立てで進めるが、俺は必ずしも「才能至上主義ではない」のをお断りさせといて頂こう。
但し創作に才能は密接な関係があるんで、天才と凡才ではやり方やアプローチが同じじゃ上手く行かへんのや。

では何処に最も差が出るかったら、予習の必要性だと思うんだ。
一口に才能ってもとても様々なのがあり全所持の三国一の幸せ者も居りゃ、ほぼオケラ君なんてのも居る。

只そのオケラ君にしても最後迄全く手ぶらなんて事は無く、見つけたり自覚するのがとても困難でもその時が不運にもまだ訪れて無いだけなのだ。
そして才能で最も影響が出るのは単純な所持の有無じゃなく、今やりたいのに対して「都合の良いの」を持ってるどうかでさ。

だからやり始めにたまたま都合の良いのを持ってると「こんなの簡単じゃん」、持って無いと「うひゃーこりゃ大変だ」とかって気分には随分な差が生じたりする。
しかるに当初はかなり色々一喜一憂しつつ長く格闘して来てみると、結局才能には関係無く一定以上は学んでちゃんと考えてやらなきゃ駄目と悟らされてん。

けど最適な取組み方を有効化させるにはえらい長い体験が要るんで、全ての免許皆伝を待っても居られない。
ので才能自覚が出来た人にはここでは一旦「油断するな」だけに留めといて、素の状態では手掛かりが掴めない(才能不所持若しくは覚醒前)時の方から進めよう。

因みに持てる人へは僻んで意地悪に軽くしか触れんって訳じゃなく、結果の成否判定は才能非依存なものだからなん。
イケそうな感じのがすぐに出来ても曲やタレント性に合ってるかは決まって無く、裸の王様になると困るなら私感で判定すると駄目なんだ。

↑で最悪のパターンってば今ならプーチン昔ならヒットラーとかが典型で、折角の類稀な能力も使い方を誤れば何処ぞの無能総理よりもっと酷い事になってるっしょ。(困った事に最近の日本は微妙だが)
では体験からこの件の一例を提示してくが、多分大昔述の通り一時期パクリ問題でかなり苦労した件を。

これ幾ら杜撰大王だからって盗もうとしてそうなったんじゃなく、自分から出て来たヤツが体験記憶の断片なのか新規のなのかの判断がロクに付かなかったってのだったん。
最深部迄掘るならば本家と同じの聴いててインスパイアされたから、出て来たのが激似だったなんてのも絶対あると思うん。

昨今は劣化本邦の主流系汚業界ではバレなきゃOK式のパクリが凄いから、パクリには悪い印象しか無いかも知れんがね。
本来音楽でのそれは「引用」であって、だって丸々そのまんまじゃ唯「他人の曲を演った」としか聴こえないじゃん。

元来はテレとかもあって引用って堅い表現を避けて、パクリなんてチョイ悪な言葉が闊歩しただけなんだが…。
大体最初から分かって盗むならバレてもセーフになる様に、ほんの僅かでも何処かを小細工して変えとくがな。

だからこそ気付けなかったとか知らなかった場合が最悲劇になり、しかし無過失でも駄目なものは駄目だかんねえ。
んで昔の俺のケースだと恵まれなかったには違いないが、公表前にちっとも確認を取らなかったのが直接の敗因。

自分と好みの近いプロ(当時の俺はアマ)のとか似てるのに無いか調べりゃ済んだ話しで、けど自分の記憶曲が多くない内はそこから逐一調べて行かなきゃなんない。
当時はネットとか無いからそれはかなり大変で、せめて聴き専の身内にでも先に聴いて貰や良かったんだけどね。

若気の至りか完パケ前に誰かに披露するのとかが嫌だし、自分で手に追い切れてない印象を持たれてはと務めて避けちゃって。
尤もその頃は周辺にベテラン生き字引みたいな人は居なかったんで、今よりゃお伺いを立てた処で多分漏れは多目になってただろうけどさ。

<つづく>

2022年7月12日 (火)

音楽備忘録1061 定番と奇抜➏

さて勢い込んで次の例曲をと思ったが、これがどうにも特定出来ないので早々に白旗を上げてしまう。
決して諦めちゃ居ないが加齢に依る劣化脳は、こう云うのが最も苦手なのは素直に認めた方がまだ近道になりそうだし。

んじゃどないすんねんったら曲や人単位では覚束なくても、ムーブメントや時期ではしっかり記憶に刻まれてるのがあったんで取敢えずはそんなのから。
と並行して単純な直球SE以外で同等効果のあるのも、手段と用法をセットでだうぞ。

俺忘却を忘れて貰えば実は前回後部にこうなる流れが露呈してて、非ヲタ向けのでは流行の取入れが限定される故の猫も杓子も現象が起こり易いんだろうねえ。
例えばサンプリングでおイタしようにもポピュラー系スター歌手の声だと、本人が積極的に望まないと実現させ辛い。

テクノやプログレであれば面白くなるなら待ってましたの何でもオッケーだが、肉声って弄ると大抵は恰好良くなるよりひょうきんになるでせう。
そんな風に多方面へ気を遣って行くと、結局は無難にオケヒットだけとかに陥り易い。

そうなると所詮はブルータスお前もかパターンにはなるが、サンプリング(同様効果のある音の断片含む)のネタがどんなのか次第ではそれでも耐えられたり😅容認出来るケースもあった。
決め手となるのは「何処かに独自性が残留」してるかどうかで、かつての電子楽器由来のだと幾らかバリエーションがあるにしても何処かの誰かのと大抵は被るのを避けられない。

に対しもしネタが自前であれば在り来りな音であっても、寧ろ他人のと完全に一致させる方が無理な位でしょ。
だったらもっと積極的に「ネタ作り」に精を出しゃ良いんだが、弾けないとか持って無い楽器とかの分こそサンプリングじゃないと出せない訳で。

と言いつつそれは今になってみて思い知った感じで、アナログしか無かった頃は逆に思ってたんだ。
記録メディアの都合から例えばテンポだけとか音程だけを変えるなんて無理で、オープンリールである程度悪戯した経験があるとネタバレする分テンション下がるみたいな…。

ポピュラー系でこれが積極的に使われる様になったのはAmerican Pops全盛期からPsychedelic流行期辺りだったが、理屈を抜きにすれば音的にはそんなのでも充分面白味はあった。
技術的にはほぼ速度変更と逆回転の2つ位しか無かったが、球種が多けりゃその分打たれないとは限らんのと一緒でね。

基本が2択なだけに何処でどんな風にどう使うかに自然と気持ちが向くもんで、音楽に効果のある技ってそれ自体より活用の仕方の比重の方が遥かに重いんよ。
その他に昔の俺が大きな失念をしてたのが、アナログ固有の「無段階調節可能」だった部分でさ。

上記後者のが杜撰大王ならではのパターンでして、当時何の気無しに散々活用してたのがデジタルになってから初めて「ありゃ同じ様には出来ないや」とね。
最初に懸念を持ったのはKORG Poly-800って初めて自分で買った(それ迄常時借用💦)Syntheの、Joystickがピッチもモジュレーションも深さに階段感がハッキリと…。

っつうか音源(DCO)も鋸歯状波じゃ充分に階段が体感可能で、けど廉価版でBit数が最低限だから高いヤツなら平気かもと思ってたんだけどね。
エレキのアームやSlide奏法みたいに全く気分次第で中間域をとかしようとすると高額のでも、曖昧さや出鱈目さがどうも足りなくてアカンかった。

これで再現性で断念に至ったのがストンプタイプのAnalog Delayでの魔用で、音が出入りしてる最中にTimeつまみを弄るとEchoの間隔のみならず音程もズレてくれるってのでさ。
音への効果としてはテープでも同じなんだけど、テープだと急激に速度を元に戻すってのが無理じゃん。

ツマミを回すんだって決して0秒とかにゃならないけど、回す人の根性と持ち主が部品の早期劣化を怖がらなきゃ格段に速い。😅
因みにテープスピードのだってツマミを回せる早さは同等だが、実際にテープが指定速度に到達するのは慣性モーメントの影響が収まってからですから。

万一実験して↑を覆してやろうって方が今更居られたら尊敬こそ致しまするが、恐らく余程特別な対策を盛っとかないとテープが弛んで絡むか切れちゃうと思いまっせ。
それでかどうかはアタシャ完全に存じませんが、DJ氏がより消耗の早そうなレコードではやってもテープでこんなのってのは記憶に御座居ません。

<つづく>

2022年7月11日 (月)

音楽備忘録1060 音質の硬い柔らかいの真実➐

毎度話の順番があべこべ気味で済まないが、今回は「自然界では存在しない硬い音」について掘り下げとこう。
是又何時もの如く「但し書き」必定で面倒だろうが、それすらも誤認の源となってるから頑張って読んどくれ。

自然界では…ってもっとちゃんと記すと、日常生活での一般的な音源と耳の距離関係にあればが付くん。
普通聴者として聴ける音って奏者と交錯しては演奏が止まったりし兼ねないから、最低でも凡そ人1人の活動範囲分は音源から離れる事になるよね。

近年は諸々から↑を逸脱するのもそこそこ出て来てるが、平均的な演奏会場では観客数もあってある程度音源からの距離が出るのがやっぱ普通ずら。
それが用途を限定しない楽器には「聴取標準距離」となり、これに従った音創りをしといてんだ。

スピーカにしてもニアフィールドモニタとかピロースピーカは標準より短距離仕様にしてはあるが、それだってヘッドホンよりゃ更にはインナータイプよりゃ設定距離は長い。
これが舞台用の楽器AmpやPAでは遠距離仕様とするのが普通で、尚且つ出力の大きいの程設定基準も遠くしてある。

ってぇか非力なのだと遠く迄届かないからって方が分り易いが、同程度の出力でエンクロージャ方式にバリエーションがあるのは主用途の違いの反映でもある。
何れにしてもWalkman登場後の1980年頃迄は、ヘッド・イヤホンだけが耳に特殊な近距離の存在だったん。

で↑の特殊以外は間が空いてる→邪魔が入り易いんで、厳しい使用環境が予測されるの程対抗策としてどんどん音色が硬目になってって。
可能性としてはそれ位の時点から硬過ぎミスマッチの危惧が発生したが、当時のその手のは高価・大柄・扱い面倒と三拍子揃ってたから用途外利用は稀で済んでたとな。

即座に感じ取れるやかましさとしてはその時代の一部のが最もキツかったが、明らかに立派な彫り物背負ってるから離れようなんて感じで半自動的な自衛の道が残ってた。
のがスピーカを中心とした反応速度が天然状態現実を上回り出すと、聴き出して数分位では硬さ過剰なのが分かり難くなってさ。

それが初期の頃は天然基準が皆記憶に克明に残ってたから或は直に比べられたから、少なくとも灰色認定は出来てたんだ。
だが習慣とか環境って時に恐いもんで、要するに「赤信号皆で渡れば怖くない」になってたん。

こんな古い死語を持出したのは単なる偶然か、丁度時期が大体一致しとって。
もしかしたら天然か人工的かより音の硬柔でも、既存のへ飽きた人が多かったのかな。

加えて日本等では居住空間の更なる縮小で生活空間での爆音が完全否定されたんで、言うなれば硬過ぎの害悪が地下に潜っちゃったんだ。
けど普段見えなくなっただけで駆除はされてなく、真相は疲労度増加や心地良さの低下を強要されてるだけなんですよーっと。

これに関し私的積年の疑問で瓦解したのが1つあるが、JBLのモニタスピーカの音質だ。(多分4311)
俺の好みとしては音は筋肉質で入ってるのは全部聴こえる方が好きで、だから俺言い柔組のの真の実力はずっと理解不足且つあまり魅力的に感じられなかった。

処が後年になって好きだったそのJBLを聴くとこんなにギクシャクカチンコチンだったっけってなって、でも再生内容に欠損が無いのは昔のまんまでどうしたかと感じて。
っつうのがあーそうか多少聴くのに高負荷になっても、昔はそんなのでしか全部聴きを可能にする方法が無かったんだなって。

駆動に供せるAmpも所詮石だと艶には乏しいが、後年のみたいにクッキリスッキリじゃ無く案外モヤっとしてたしね。
ので当時なら今よりは硬くなかったろうし、そんなAmpの弱点を補う必要があったんだろう。

<つづく>

2022年7月10日 (日)

音楽備忘録1059 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➌

劣化現代本邦の2極化傾向に迎合はせぬし否定的だが、このお題のこそ本来的な意味ではそんなのが向いてるんですよ。
一般論での楽は本件では手間が筆頭だが、少しでも美麗な音を楽しみたいニーズも無視はでけまへん。

そこでどんなニーズであろうと嗜好の分野では夢が見られるのが重要なんで、主目的に対して当初から限界が見えてる方法ってのが割りが悪いんす。
では①手間②素の音質③音色バラエティと3つに仮大別して、夫々の最適解を示して参りませう。

①に関して正攻法寄りでは、最近だと楽器Amp内蔵ヘッドホンなんてのが最良なのかな。
これ以前の物では最低ケーブルを2箇所は繋がないと音が聴けなかったのが、↑ならヘッドホンから生えてるケーブルを楽器に突っ込むワンアクションも可能だからね。

尤もその様なポータブル機器は電池交換か充電が別に必要になるのと、間接的にだが使用中は「電池をずっと頭からぶら下げる」事になるから首が凝って疲れ易いかも知れない。
こっちの方が気になる様なら「繋げば聴ける手持ち機器」の方が有力で、尚且つPreampやインターフェイス等追加機器不要のが望ましい。

別に状況次第じゃ事後グレードアップしても悪かないが、究極的にだと①と③はほぼ永遠に妥協の産物でしかない。
ので私的には①③でどうにかしたくなったら②へ移行するのがお勧めだが、②が無理だったら①で頑張り続けるよりは③へ移行する方がマシだとは思うよ。

②については真空管式で口径25cm以上の(なるべくなら30cm・Bassなら38cm
)スピーカの楽器Amp、ってのが最低条件でごわす。
一部には異論も御座居ましょうが私ゃこれに限っちゃ一切譲る気は無く、極論すれば「そう云う楽器」だからでして。

なまじ電気の力を借りてるから惑わされるんだろうが、弦の張られて無い生Piano!?だったら誰だって普通のPianoとは思わんのと一緒でんがな。
スピーカサイズは今迄必要性を感じて無かったとして、低域の含有量を生楽器より増やせるって利点を損ねるからね。

唯でさえそれなりの予算が要る上更に簡易でも遮音・防音も考えなきゃだから大変だが、惜しいヤツを次々買換えてくのも延々続きゃ結構な額になる。
しかも下手に遠慮したり妥協を続けると、永遠に満足出来る音にはありつけない。

③が前回迄に例示した様なのに最適なコースで、これにはPCやスマホ等のデジタル多機能機器とインターフェイスが入用ざんす。
しかも確実性と対応機種を考慮すると、概述何処かのオッサン2名がやらかした様なのでは駄目。

でそんなのを避けるには概知の範囲だと、ひと手間増えてもドライバの要インストールのの方が良いらしい。
音や機能だって価格差に反映しちゃいるがアナログのと比べるとそれ程でも無く、実は対応機種の多少やアフターサービス(この場合は主にドライバのアプデ)の違いと思っといた方が良いらしい。

でも昔だったら今迄に無い機能が欲しくなると一々実機の追加しか道が無かったのからすると、手間も費用も劇的に改善してんですよ。
大した事無いストンプだって1つ数¥1,000はする訳で、何十個も欲しくなると予算のみならず塵積でそれなりに場所は取られケーブルだって沢山入用になったしねえ。

揺るがぬ理想のハードルは決して低くないんで、まあ結局はどう上手に妥協するかって事になるんだけどさ。
一寸だけ遊べればってんなら今やリースやレンタルが激奨なんで、ある程度以上継続しそうな場合に最も影響が出るんじゃないかな。

先に絶対的ニーズの無いのに出費すれば後でつぎ込める分が当然減るんで、どうせ妥協するならかなり大胆にケチった方が良か。
確かに3流よりゃ2流の方が上だけど、そう云う半端なケチり方を続けてて恐いのは1流との違いに段々鈍くなる処。

<つづく>

2022年7月 9日 (土)

音楽備忘録1058 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑧

またぞろMixingだのMasteringだのが顔を出したが、その方面の専門家も目指してるでないなら極初歩レベル且つ概念だけでOK。
只完全丸投げ時以外は↑ゼロってな危険思想で、丸投ゲーだとポピュの方では多少有利でもオリジナリティの方でとっても不利だ。

さて最早この件で副題と化した感のあるプロデュ・ディレで、個人的に現代本邦に一寸不可解さを感じてるのがあんねん。
完全打込みだと↑は製作者兼任が多いから、それからすると今の方が理解度最大になってる筈なのがそうなってへん。

それも含めて発想ってか概念の欠落が原因と疑ってんだが、先ずは専門家に委ねた場合で例示してこう。
何も注文しなきゃ向うが専門なんだから勝手に最適化してくれるだろうって、まあそりゃなるべくそうしようとはするが高いレベルに持ってくのは困難だす。

稀に上手く行くとしたら偶然両者の趣味が被ってたなんて場合だけで、しかし方向性では良くても「新規」ってのがそれじゃあ作れんのどす。
毎度のカビ臭さスマソだが例えばBeatlesのRevolutionのJohnの深歪み、本人の横暴な迄の指示が無きゃあの音は絶対得られなかった。

石よりゃ丈夫な球のとは言え、Mixer卓のMic Preampを無理矢理過大入力で歪ませたんだから。💦
当然の様に技師達から猛反対されたのを押し切ったからか、どうやらPre部特有の高感度球が少し焼けて性能劣化を招いたらしい。

あれっ今更だけどVan Halenの過電圧駆動って、もしかしたら↑がヒントだったのかな。
まあ我々を始めとした一般庶民には切れないカードではあるが、この手のアイデアは専門家だったらヤバイから試す迄も無く即却下するわね。

今なら↑の前例があるからなるべく歪みはそのままに、回路定数を工夫して球が焼けない様にしたりもするだろうがね。
わざわざバカやる価値が不明だったら全力で避ける訳で、この様なアイデアは寧ろ非専門じゃないと出せないんですよ。

尤も素人考えには到底実行不可なのも含まれるから、折角勇気を振り絞って話したのに却下されたりもあるけどさ。
でも頼まれた側に善意があれば代案が提示されたりもするから、良い意味での「もっと○○にしたい」ってのはとっても大切なんす。

一方独力の際に今だと昔より圧倒的に改善したのが情報流通で、ネットで調べるとその手立てが動画化されたのすら出て来るかんね。
って語ったって最初からネットが既にあった人にはよくは分からんかもだが、昔はたった1つの情報の欠落で断念を余儀なくされる事がとっても多かったんだ。

特に日本の執筆者からの情報は言語特性か芸術家肌のどっちのせいか知らんが、文学的に過ぎる表現のお陰で実際やるには曖昧な部分が
多くてさ。
折角タイトルでそのものズバリの本が見つかっても、買って帰宅して読み込んだらアリァリァのリャってのが日常茶飯事で…。

余談になるが↑みたいな情報問題はGuitarのコードブックなんかでもこっちにしてみりゃ惨憺たるもんで、こんだけ詳しきゃ流石にジミヘンコードの1つ位は載ってるだろうなんてのが見果てぬ夢!?同然でね。
お馴染みコードで誰も使いそうにない響きの「押え方バリエーション」は完全網羅してる癖に、一寸でも使われるジャンルが限られる様なのは一切ガン無視って。

お陰で当時は皮肉・今はプチ感謝の本は放棄して言葉通りの手探りになり、随分苦労させられた代わり勝手にデッチ上げられる様になったわいってな。
けど今日のお題みたいなのは非本業だとそんなに手間暇掛けらんないから、大昔だと幾ら願って頑張っても大した効力を発揮出来なかったんだ。

<つづく>

2022年7月 8日 (金)

音楽備忘録1057 定番と奇抜➎

残念乍ら老いた上に趣味が古いのは勘弁して貰う代わり、公開からの経過時間が長くても色褪せなかった処が売りのつもり。
でなるべく色々頑張って思い出すから宜しくだうぞの、曲名-作者若しくは演者-アルバム表記で。

1.Remember-John Lennon(’70- John Lennon/Plastic Ono Band)
 SE(効果音)は曲終りの爆弾炸裂だけだが、シンプル且つミニマムアンサンブルな上怒りの力強さを除けば淡泊だ。
 からそこそこの落差があるのと、そんな結末の予測がとても付き難いんじゃないかな。

 しかしこの曲での「仕掛け」の真髄は↑では無く、リズム拍の表裏が入れ替わって聴こえる処だ。
 決して如何にも売れそうとか万人向けのキャッチ―なのでは無いが、俺言い「カウントヲタ」以外なら誰が耳にしても 
 同じ疑問を抱かされる部分が
真のポピュラーだと考えている。

 因みに「カウントヲタ」とは理論分析ヲタの一種で、ドラム講師の従兄等の場合は仕事上必要である程度はそう成らざるを得ない。
 が自ら奏でる気が無いとか評論家でも無いのなら、私的にはそんなのより作者・演者の気持ちの方へもっとフォーカスし
 たらって思うんだ。

 解析出来てちっとも悪かないし個人の自由だが、どうしてそこでそれを等の動機の理解が足りないと折角の知見の価値

 が下がるのは間違い御座居ませんぜ。
 そりゃまあもっと突詰めりゃ独自解釈が許されるのも音楽だけど、承認要求0%でわざわざ大衆へ公表したりゃせんだ
 ろうから。

2.Owner of a Lonely Heart-Yes(’83-90125)
 別項で既に提示した気もするがLo-Fiを逆手にとってSE化した部分を、もっと掘っとこうかね。
 その頃の電子音源で主にサンプリングは、達人が奏でてちゃんと録られたのと比べると明確な劣勢があってさ。

 大した事無い演奏とチープ目な機材で録ってりゃ、何とかそのままでもギリギリ融合させられたんだけどね。
 だから俺みたいなのだってそれなりに腐心してて、大枚叩いてKORG DSS-1を導入したものの活用率は低いまま
 に終始しちゃった。

 その点彼等はプログレ出身で弾く以上にシンセの使い方に長けてたからこそ、あんな方法が出てそれを実用化出来たん
 だろうなって。
 ってのもサンプリング利用ので生の方を大々的に加工してるのは他に記憶に無く、尚且つHi-FiとLo-Fiもと丸
 毎全部がハイブリッドってのが凄かった。

 故に登場時のインパクトも中々だったが、それ以上に評価して今更こんな処へ出してるのは経年劣化とほぼ無縁な処な
 んざんす。
 他のだと↑とは全然別系統のだがTVドラマ「あぶない刑事(デカ)」のサウンドが、私的にはサンプリング併用では印象
 深かった。

 Yesより数年後のではあるがブレンドの点で当時レベルでは最上の口で、だけど今になるとGSやトレンディドラマ
 みたいに良くも悪くも時代色が濃厚になった。
 流行歌としてだけならそんなのもアリだろうが、音楽って聴くのは数分位で終っちゃうのに作るのは下手すりゃ何十年
 も掛ったりするじゃん。

 せやさかい社会現象とか時代の象徴迄売れりゃ良いが、そこ迄行けなかったら後年に恥ずかし目のレパートリーを増や
 すだけになったりすんじゃねっとね。
 私的残念例としてユーミンの真夏の夜の夢に犠牲になって頂くが、特に最後の方でのサンプリングオケヒット連発はも
 う今聴くとお腹一杯で勘弁だ。

<つづく>

2022年7月 7日 (木)

音楽備忘録1056 音質の硬い柔らかいの真実➏

続いてはスピーカやMicで自然界に逆らう程高速反応のが出て来たのについてで、勿論理由も無く挑戦した訳じゃ無いんだけどね。
こんなのは乗り物や急傾斜地に家を建てるのとか他にも幾らでもあるが、何れも「有事の際は高リスク」って有り難くない条件が付いて来るもんだ。

今回のは環境的に普通より音が遅れるのの対策とか細部ディテールの更なる再現が目的だが、俺言い「際限無きディテール盛り競争」の勃発とそれが未だ終息の気配すら見せないのが害をもたらしてる。
これって男尊女卑並の片支持で、細部ディテールの維持が効能を発揮するのは全体像にゆがみ等が無い上での話しなんだけどさ。

視点が近過ぎると細かい粗は容易に分かるが、全体の僅かな変形とかは却って気付け憎くなるじゃん。
本来純粋に音楽を聴こうとしたら全体像となる筈が、装置選択時は性能に気が行って物理的判定に偏りがちだわな。

そんな時にディテールの方が断然差が明解になるんで、ついウッカリ深刻な全体象のゆがみをロストしちゃってんのよ。
又この件に関しても選択時の「連続試聴時間」と関係が深く、どんなに漫然と聞いてても一定時間を越えりゃ疲労度の差になって表れるんだけどな。

だが忙しさの他疲労限界の個人差がとても大きいんで、何分経てば誰にでもってならない上「何時来るか」がハッキリしない。
加えて疲労の原因成分次第でもXデーならぬXタイム(そんな語あるのか!?)が大巾伸縮するんで、現実的には膨大な体験からしか大体どれ位になりそうかの予測も出来ないんだ。

そんな状況が俺言い「疲れるスピーカ」であるかどうか知れるのにも時間が掛かり、それがMicともなればLiveの録音屋でもないと長時間連続って滅多に無いから余計把握し辛い。
更に駄目押しとなってるのが悪流行の影響で、「柔らか疲れない群」の衰退が著しい処。

かつては両雄共存の時代もあって硬組:JBL,Electro-Voice等、柔組:Altec,TANNOY等だったんだが…。
今日に柔組でかつての姿を残してるのったら、Guitar Amp用のCelestion位だけになっちまった。

それからするとエレキGuitar奏者には分かる人が多そうな処だが、硬組Effector乱用や非整流管仕様の主流化でかなりスポイルされてて意外と少ない。
それでも爆音と他メーカスピーカとの比較機会がそこそこ与えられてるから、候補生としては有力な方かもしれない。

一方Micの方ではハイエンドクラスに球で柔組のが生き残っちゃ居るが、一般人があり付ける機会の少ないのが惜しい。
これ等は現代では増幅素子の球と石以上に両極の体験が困難化してるんで、理解してる人が希少化するのも仕方無いっちゃ仕方無いんだけどね。

でももし比べられたらかなり一目瞭然で、尚且つ柔らかきゃボケたり地味になるもんでも無いのもね。
何よりそもそも重大な要素を握ってるのが音量で、不快と感じない範囲の大音量では全部・息を殺さずに済む程度の小音量になれば主役位しか聴こえなくなって当り前。

なので俺忌避の無理くりコンプも提供側で掛けちゃってるから迷惑千万なのであって、極小音量で全貌把握最優先の際は掛けた方が聴き易くなる。
と聴き方の自由剥奪に繋がってるから駄目認定してるだけで、大音量も出せるスピーカで不要に硬くするのが不味いんだ。

つまり後からでも出来るヤツは先にやらなきゃ良く、ユーザーに自由にならない部分はもう少し想定範囲を広げといてくれたらねえ。
それでも音楽非関係者なら流行尊守だろうと何だろうと構わねえが、仕事なのに毒入り食品みたいなのを容認するのは俺は気に食わねえなあ。

<つづく>

2022年7月 6日 (水)

音楽備忘録1055 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➋

何か「楽しむ」とか題しといてのっけから我慢大会の中継みたいになってるが、気にせず続きを読んで笑っておくんなまし。
では恒例の補遺入りで一寸大事だったかもの書き漏らしからだが、試験したGuitarはアクティブ仕様ので特にその部分の状態確認だったんだ。

この際プチ解説として一般オーディオと電気楽器の信号規格の不一致から行っと
くと、周波数帯域以外は本来は全て駄目だ。
周波数だけセーフってのも楽器→オーディオなら欠けずに済むってだけで、それより何よりパッシブタイプのだったら致命的な入力感度不足でやたら小さくしか鳴らせない。

それがたまたまアっ君だったからミスマッチ度が一桁程度は軽減するんで、全く試せないよりゃって事でしたん。
兎に角「繋げられれば鳴らせる」のはそれで分かったんで、そっからどれにどう繋ぐかへ話しは進んだ。

この主氏って隠蔽意図は皆無だったが例の大量預かりしたPC師匠の親友で、電気的に音を捏ね繰り回すのが大好物でさ。
無予算若しくは僅少予算で色々捏ねられるとすれば、今時+主の現況では概所持の1にPC・2にスマホを利用するのが得策だ。

フリーのソフトやアプリなら自由に選択・入替えが可能で、実機にしちまうと例え空間問題をクリアしてもそんな無尽蔵に色んな音は出せんですから。
そこで今度はUSBインターフェイスをネットで物色してくと、¥2,000ちょいで良さげなのが見つかってん。

それにオッサン等浮かれて早速注文したは良いが、3日後に商品が届いて試したら問題発覚!。
どうやら最新OSのWin11に正規対応してないらしく、「困った、認識するけど音出ない、どうしよう」と電話が掛って来ましてん。

相手が相手だからって油断した俺の責は逃れられるもんじゃ無いが、ネットで色々調べても唯音関係でWin10・11の悪評が並ぶばかりで解決策を明記してるの出て来ないよー。
まだ完全には諦めてはいないけどメーカの対応確認表とか眺めてみると、スマホOSの方のはかなり克明に出ててさ。

あーそうか世間様はそっちのほうがそりゃもう多いよねってんで、旧来のUSBプラグ(Aタイプ)を大抵はもっと小さいスマホのJackへ変換するのを当たってみてと今は言っといた処。
けれどスーパー魔実験で試行したルートも放棄はしてなくて、取敢えずジャンクからPhone(Mono) Plug若しくはJack⇔Pin Plug×2のケーブルはこしらえとこうと思ってんだ。

それでは楽器本体以外ではボリウム位しか変えられないから、最初はPreampでも追加しようかと思ったんだけどさ。
影響が小さくても場所は取るし、何より電源が必要になるからね。

そこで理想探求はUSBの方でやってって貰うとして、敢えてミニマムのにしようかと翻意したん。
その場合かなり不具合不満足があったとしても、手間暇費用が最低限なのが良いと思うんだ。

全く聴けないのと一寸でも「聴ける」のって、状況次第じゃ天と地程も違うずら。
但し今回述のケースは「アッ君ありき」の条件付きなんで、パッ君の場合は多分音量不足で選外になると思ひまふけど。

あまそんなのから一寸魔道の虫がざわつき出しまして、もっと色々発掘してみたくなったんですわ。
平成以降の世代だと昔俺が迫られた様な苦境にはあまり見舞われないとは思うが、普通のを普通に使うにしても少しでも価値や意味は知ってた方がきっと上手に扱えるから。

今俺がこんなに真空管絶対教教祖みたいになったのだって、かなり膨大な石の半導体とか集積回路ので死闘を繰り広げた挙句の結果なんだ。
こんなともすれば恥ずかしい変なのを書いたのだって、それ位想像を絶する体験を日々積み重ねてるってのを…。

わ真偽の程が自分でも定かでは無いすが、ある意味で究極の実体験がある証拠としてはお釣りくれても良んじゃねって。
わⅡで兎も角「鳴らせる・鳴らせない」の差に比べたら、暴論同然だが音の良し悪しなんて負けるじゃないさ。

<つづく>

2022年7月 4日 (月)

音楽備忘録1054 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題⑦

遅まき乍ら本件でのプロデューサ・ディレクタ重要性の概念みたいなのから先へ進めて、見つからない・雇えない・自身には適性が無かった場合の方法へ。
その前提として私的には「どうせ居ないんだから知らんわ・いいや」、は取敢えず無しにして頂きたい。

一応現行のは欧米由来のでそれの日本語称では、夫々製作者とか監督みたいなのになっている。
がこれがポピュラー系小規模の現代のにはマッチして無く、最も大袈裟にならお目付け役だが小袈裟にだったら留守番役って位に軽く捉えても良いと思ってんだ。

例えば空き巣対策としては屈強なガードマンや警官等がベストだろうが、完全に誰も居ないのと犬猫でも子供でも誰か居るのとではやはり同じじゃない。
強盗には無力でも絶対バレずにコッソリ働きたいのには大いに有効で、プロ中のプロの空き巣は長く安定して稼業を続ける為にはどんな僅かななリスクだって嫌う。

ここらしい屁理屈にはなるが無茶する奴ってな大抵は継続性が無いが、地味に地道にってのはしつこくしぶといからね。
もし日に500円玉1個づつでも、それが毎日何十年も盗られ続けりゃ最終的には大変な額になるさね。

だからこそ小さなコンビニが止まない万引きで潰れたりもしてる訳で、幾ら自己満で結構ったって全く他人に理解出来ない様なのになっちまったらもう表現じゃ無くなるずら。
自己満のみっても自分以外に世界でたった1人でも分かってくれなきゃ、そもそも作者の満足ってのが誰にも分からない。

んで承認要求全盛の今劣化本邦では作品自体を最大公約数にと舵を切ってるが、それだと他に激似類似品がテンコ盛りだから一体誰のかすら分かんなくなってんだ。
せやからもし「売れなさそうなタイプ」(俺か?)だったら残念ではあるが、かと言って↑みたいにして売れても同系統の中で最もイケメンの奴のと勘違いされて一時売れるだけだったりしてな。

ほいじゃ売れなさそうなら唯指を咥えて我慢かったらそうじゃ無く、作品自体では無くその周囲の部分の改良で僅かでも買って頂くってのが正しい道なのでありんす。
その一部がMixingやMasteringであり、非固定の曲中の構成とかで御座居。

作曲者が歌や演奏Soloパートと兼務ならそんなに登場しないが、体験的にもチーム創作の場合他人の担当部へはあまり口出ししたくないのが日本的人情でね。
例えば歌に悪影響が無きゃSoloはご自由にとかってなって、けれどお客さんは最初は飽く迄一塊として全体を聴くっしょ。

それが制作側は一応気に入ってそのメンツで演ってるから平気でも、お客さんが全員を最初から気に入ってくれる事はかなり少ない訳ですよ。
そうして分業率が高い際最終的には全員で可否判定するんだけど、普通にそのままやっちゃうとそれって専門家不在のまま進めちゃってるんだよね。

責任の所在の曖昧さは運が悪きゃ揉め事の種になるし、そうでなくても近年本邦劣化政治みたいにたらい回しの挙句未解決に終始って…。
そうなると最早空中分解をそれこそ唯指咥えて待つ状況に陥り、労力分の成果獲得すら怪しくなっちまう。

手前味噌では中坊の頃が全員中二病全開でそんなだったが、たまたま俺と従兄が録音ヲタだったから辛うじて黒記録が残っただけでも他所様よりゃまだマシだった!?。
もし何も残さなかったらお前ホントに昔Bandで曲作ってたのかよってなもんで…、あっ隠蔽したい人の方がたまたま
多いからあまり問題視されてないのかな?。

<つづく>

2022年7月 3日 (日)

音楽備忘録1053 定番と奇抜➍

では早速俺言い「毒音」についてでやんすが、用法が正しいのだったら演出的効果音若しくはその代用となってる様なもんでありんす。
併せて入り切る様だったら若年層程音色への拘りが退化してる件にも触れたいが、一般論若しくは認識からしたら寧ろ逆になのは承知の上で。

俺って楽器演奏よりオーディオに始まり音楽でも映画やドラマへの興味の方が先で、特にクソガキ時代はバカでも理解出来る色んな効果音にも同じ位嵌ってた時期があったんだ。
今振り返れば要するに面白いとか珍しい音のヲタだった様で、だから音楽でもジャンルも楽器も当時の自分にはお初のの方が興味深々だったんだ。

勿論美しいのやロマンチックなのにだって独りでだったらウットリしてたが、そこは男児特有のテレや恥ずかしさもあったからさあ。
特に男同士だと昭和のクソ坊主には共通性の高かった、アニメなら擬音・戦闘シーンのあるドラマなら格闘擬音・銃撃や砲撃とか爆発音なんかが話題の俎上に上ってたんだ。

その中からキリが無いからここでは主に拳銃の発射音を生贄として進めるが、実音を知らないから所謂「ズキューン」とか「バキューン」なんてのに見事に騙され「うぉお、カッケ―」なんてなってたのよ。
実際その偽音は恰好良かったけれど、火薬等の炸裂の他に金属共鳴とか機械動作成分がふんだんに盛られていた。

ずっと後になってまあまあ日常的に本物のを耳にする機会を得てみると、音量はかなり違うけど駄菓子屋や模型屋で買える紙火薬とほぼ同じ音色だったん。
因みに↑はナントカ組員になってたとかテロ組織とかとは全く無縁で、山奥の別荘の草刈りバイト時の猟師の銃声だかんね。

山ったって標高せいぜい200m未満だから高さは全然だが、人間の入植度とかからしたら道路以外は開拓に近い様な状況で。
わそれとしてそんな小振りなのでも山は幾つか連なってたから、典型的なやまびこ現象は頻繁に起きていた。

ので銃自体は「パン」だけのに天然DelayとReverbが付いて、「パッ、カァーン」なんて風に聴こえたよ。
それより大分前大人になった頃に刑事ドラマのは嘘とは知ってたが、猟師の撃つ前の掛け声が無かったらかなりビクッとなりそうな刺激はあった。

のでⅡで真実に触れて暫くは騙された虚しさが上回ってたが、後には寧ろ演出の秀逸さの方が心に残ってんだ。
その訳をつらつら行くと何れも現実比で再生可能音量範囲の狭さ、振動・匂い要素の完全欠落を少しでも補ってたんだわね。

火薬の匂いって花火大会とかで町場でも、風向き次第じゃ発射場至近じゃなくても分かるけどさ。
「パン」はタイヤのパンク・風船の割れ等他のでも破裂音自体は近似で、硝煙や火薬臭の方が特定要素なんだよねえ。
でも当り前だがTV・ラジオ・汎用メディアじゃ、そんなの付加するなんて不可やん。

ならば音量差の大きさでってのは少しは実現性があるが、例えばアルバム最後の曲だけに入ってる爆発音のリアルさの為に他のを法外な小音量にしとくってのも普通は非効率で駄目だべ。
それで前回匂いを伝えられる可能性のある生の舞台ならばと申した訳で、しかし今時は大抵の会場で安全性から火薬なんて駄目出し喰らうだろうねえ。

この様な状況があるんで意図的であっても単純に変なのを入れただけじゃ、こっちの思惑が伝わるのはとても僅少なんざます。
確かに他部分との音色の乖離は必要なんだけど、それ以外はメディアの規格でがんじがらめに縛られるから無理。

んでどうするかったら音に付随した画がある場合は、そこに映ってる物から「出てそうな音」を加えとくと音の面からも「何が出した音」かをアピール出来る。

んだが純粋に音楽となると画は含まない事になるので、更に別の方法を模索しないと全然匹敵させられんのです。
次回からこの件の好例を提示して行くが、楽曲中では音自体の奇特さより組合せや使い方の方が圧倒的に目立つし効果的なんすよ。

<つづく>

2022年7月 2日 (土)

音楽備忘録1052 音質の硬い柔らかいの真実➏

今回は音楽になる前の硬い音の脆さについて記してくが、「音楽になる前の」なんてヘンテコなのの正体からご説明させて頂きやしょう。
突詰めるとかなり様々なのがあるけど、ここでは例えば単体パートだけと全パート同時にって位に思って貰や事足りるっす。

この辺りで今一度ここでの「硬い」の定義をおさらいしとくが、音量が人の限界に近付いた際無駄に耳を刺激する様なの限定だかんね。
最近は研究が進んで生楽器でも無理矢理人工的っぽいのが少しは出せる様になっちゃったけど、エレベータやトンネルとかでの耳ツン現象が起きない程度の気圧変化域の天然
では決して表れない音なのよ。

昔現行の騒音規制が始まる前位の頃って、工事でも製造でも拷問級の騒音を撒き散らしてたっけ。
それって勿論音としてもアウトだったが、もっと害があったのが所謂「衝撃波」の方だったん。

メカニズムとしては平常状態の範囲を超えて、「無理矢理空気を動かす」とそんな具合になるですよ。
では無理を許さなけりゃどうなるかっつうと音質的にかなり硬さが感じられても、許容最大音量が他のとそんなに大きくは違わない程度に収まるん。

そこで音楽の中で用いる限りはどんな特殊効果を狙っても、ものを知ってる達人やプロであれば大抵は主役よりは控え目に調整して添付しやす。
だってもしSEのガガガガガの方が大きくしてあってそれでボリウム絞られたら、肝心の主役登場時の音が小さくなっちゃうずら。

ってなんか急転直下の単細胞話しだが、原理ってな時にそんなもんざんしょ。
そしてこの件で親の仇同然扱いしてるのは音波的にはパルス成分とかなんで、続いて少々音パルス君の予習と参りませう。

以前述「2つの音の間隔が一定値より短いと一塊にしか聴こえない」の如く、音って短くなり過ぎてくと段々何にも人には理解出来なくなってくんだ。
度を越したStaccatoは音程感を喪失ってのもそうだし、その中でこの件に関わるのは聴感上と物理的音量の落差でありんす。

「うわっ今の音デカっ」て人が認識可能になるのはパルスより長時間が必要で、それに満たなくば「今なんか凄く嫌な刺激受けた気がする」ってな按配で音量のせいかどうか明言出来んくなるある。
なしてったら脳内でサンプル(出てた音)の一部分しか分析が間に合わんくなってて、認知したのより実際には遥かに凶暴な爆音が出てんのよ。

して認知出来なかったんだから頭は無事で済むかもしれないが、鼓膜や伝達神経なんかは限界を超えてるからねえ。
そんなにヤバそうな感じでもなかったのに、えー嘘ォー何でーってなったりしちゃうからおっかねえの。

俺としては仕事で音を扱うならそんなの入れてたら犯罪だと思うんだが、それへ眼を瞑っても明瞭度効果への効率の悪さってのがおま。
上述した様に「全部は聴き取れない」んでやたら燃費の悪い車で近所の激安店へ買い物へ行って来るも同然、トータルで算出するとプラスよりマイナスが遥かに多いんだ。

日本以外の国でだって少しはあるんだろうが、激安量販店へBenzやレクサスで乗付ける矛盾って恥ずかしくないのかなぁ。
そりゃ金持ちだって時にはピンチとかドケチのお陰で成り立ってるのもあるんだろうけど、少なくともここいら辺じゃ徒歩・自転車・バス・タクシーと幾らでも他に手段があるからねえ。

敢えて非効率な真似が平気なのを見せつけるなんて考えも昔はあったけど、混みそうで大して広く無い処では取り回しが面倒だし擦られリスクも高い。
もし派手にガガガッと擦られても常に、狭いんだから仕方無いよ気にせんといて―と言い切れるならカッコエエけど。

おっとっと脱線復旧はお早めにで、他に「極短時間」は周囲からの干渉に脆弱なのもね。
お馴染み置換シリーズにすれば物理的に巨大≒高身長だから並の背丈の奴の完全に影にはならないが、体がガリガリに痩せてっから頭しか見えなくなってるってなもんすか。

人の居る居ないだったら顔だけでも事足りるが、音で体が無くなるってなその楽器から出てる他の成分と縁が切れちゃうって事よ。
ので概述の如く「何かが鳴った」にはなっても、「アレが鳴った」には殆ど役立たないんだ。

<つづく>

2022年7月 1日 (金)

音楽備忘録1051 お気楽に電気楽器を楽しむ方法➊

少々マジなテーマが続いたんで杜撰大王の真価を発揮させるべく、敢えて凄く出鱈目なのをお1つ。
例に依って身近な出来事が発端になってんだが、それは小型のGuitar Ampすら物を増やしてはいけないって家があってね。

正確には住人は欲しがってて管理責任を負ってる人から禁止事項として言い渡されてたんだが、部屋の条件としては鉄筋コンクリート製だがごくありふれた狭隘ワンルームであった。
その様な状況では遮音箱等を入れるのは無理なんで、俺言い「正式な音質のAmp」はその最大音量からどうせマトモにゃ使えない。

そんな際是迄だと楽器用ヘッドホンAmpかオールインワンタイプのEffectorでも買って、それに付いてる出力を使うのが多かったのかな。
少なくとも今迄本邦の基準ではそれでギリギリでもセーフなんだろうが、俺の体験からすると楽器用Ampとしては全く役不足でしかない。

物次第で耳の健康リスクが高いのもあるし、何しろコスパの悪さが頂けねんでやんす。
ってのも例え数¥1,000程度の負担でも、楽器としての音色を創作するのが殆ど出来ないからなんだ。

せめて真空管ので俺の秘技を駆使してやりゃ俺言い「楽器性」の最低限確保は叶いそうだが、サイズの割に資金も場所も取るからねえ。
そしてここ迄に登場させた方法は全て次善策だから不足があるのに、固有実体機器であるが為に調整出来る範囲が狭い。

と云う処からどうせ妥協するならどうするのがローコストか、或は割りが良くてお得なのかを色々思案してみたんだ。
っつうかもっと大元を暴露しちゃえばその部屋で、エレキ電気系統の音出し試験をするので行き詰まり掛けただけだったんだけどさ。

プチメンテを依頼されて訪問したんだがまさかその場でそこ迄要求されんだろうとタカを括ってたもんだから、再生装置や変換ケーブルの類を一切持参してなくてね。
にも拘らず依頼主さん思いの外せっかちで、直ちに何か買いに行ってでも聴きたい風だったから焦ったで。

しかし↑の様に管理者から禁則事項を言い渡されてお願いされちゃってるし、すぐに置けそうで買えそうな位ではロクなのが無いのは分かってたからね。
そこで魔代用手段を色々思案する内、その部屋に既にある物で外部音響信号を扱えるのが5つもあるのに気付いたんだ。

それはAudioのLine In付きLCDモニタとノートPCが夫々2台とスマホで、その時点で電気的に繋げられさえすりゃ見込みのあるのは前者2つだった。
それ等は本来の用途がビデオデッキ等なんでPin Jack仕様だから、ギグバックのポケットに運良く入れっ放しになってた両端Phone(標準)プラグのギターシールドも当然そのままでは繋げられない。

だがPin Jackの形状はシンプルなんで、「穴の中」と「外の輪っか」へ標準プラグの端子を接触させられれば一応電気は流れてくれるのだ。
そこで探したのが電線→針金→電気の通る細い棒状の物と来て、先ずは俺がピンセットを1つ持参してたのを思い出す。

そして遂に残りの1つはその部屋にあった細目のドライバとなったが、それでどうにか音出し試験は達成された。
その様子は語るも涙級で①Pin Jackの穴に挿し込んだドライバへ標準プラグを手で持ってHot端子に押付け、乍ら②夫々のCold部分を別の手でピンセットでブリッジさせ続けるってのだった。

こんな文面じゃ見当つき辛そうでスマンが、魔の内でも最も非推奨な部類だから敢えて図化とかはしない予定。
↑の探すのだって最初は変換ケーブルの類からやってて、見つからなかったからそうしただけだしね。

ついでの余談を加えとくとLCDのLine入力は2つとも生きてたが、片方は映像入力の有無で自動ミュートが掛るのだったから上記の俺言い「昭和的根性手持ち法」で電気的に繋げられても直ちにミュートされて駄目だったよ。

<つづく>

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