音楽備忘録1041 定番と奇抜➊
俺も従兄も奇をてらっての失敗が蓄積したから基礎の重要性に圧し掛かられてるのか分からんが、そんなアホオヤジの若い頃でもビックリなのが増加中の様なので考察したくなって来ましたよぉ。
我が国には過去に「精神論」なる完全に論理成分0%の悲しいのがあったが、当時そんな真っ赤な嘘をブチ上げたのは責任転嫁と悪政の都合だった。
んだけど俺の父親は学徒動員からの軍隊上がりだったからか、戦争自体は完全否定も「良かった部分」(実際は本人の感覚だけ)への愛着が強かった。
こっちとしちゃ戦争を知らない子供達であるから何を今更の、勘弁してよの恥ずかしいだろの…。
けれど気の持ち様で結果に差が出るとかは確かにある事で、これを今ちゃんと再分析するとどうも心理学と混同してたんじゃないかって思うんだ。
飽く迄幼少時に勝手に抱いてたイメージに過ぎないが、根性だけの日本人・合理的で冷静な米人って。
それが座間キャンプでの仕事等も含めネイティブの人との接触を重ねてくと、表面は杓子定規だが内実はだらだらな日本人に対し米人は丁度真逆な感じでね。
そんな実態に慣れる迄は束縛感僅少にして妙に熱いのに面食らってて、真面目って部分についても表裏が日米では逆転してる感じで意外だった。
そこで体格差と共に劣等感に苛まれてては舶来崇拝でしか無くなるが、だからって見るべき部分に迄眼を瞑っちゃ何にもならない。
これとJ-POPを始めとする本邦劣化音楽界との関係性として、以下の様な構造が災いしてんじゃねっと思ったん。
エンタメ性としての奇抜は有効だがそれは言わば表の顔で、お客さん視点・聴点はそっち寄りな方が娯楽としては正しい。
だが作品とその内容は夢物語であっても、実在する音にするには自然や物理の法則に忠実に従わなくてはならない。
ので工房でも厨房でも何でも良いが、内部では表とは打って変わって地道でつまらない位であって寧ろ然るべしなんだ。
一時期TVやラジオ番組で所謂「内輪ウケネタ」が横行してひんしゅくを買ってた様に、自分達だけしか楽しめないになっては放送する価値が無くなる。
身近にあったおかしなのをネタにしちゃいけなかないし、ヲタ度から来る物珍しさとしては却って独特ではある。
但しその際重要だし決して失敗が許されないのが、非専門の一般大衆が同じ心持になれる工夫等だ。
昔のギョーカイさんならドンバ用語は即分かるが、Band(バンド)がドンバと逆になってるのを知ってて慣れて無きゃ意味不に終る。
いやそんなんわーってらぁなアナタ、灯台下暗しってこう云う場面に最適なんすわ。
もし制作チームに一般人不在だと、僅かな不備はスルーされる方が多いんや。
幾ら確認の為でもクソ忙しい最中に一々毎回全部指摘されてたら気分的に沸点越えちゃったりあるし、相手が業界人の自分にだからそうなだけでお客さんの前では翻訳した方で言うかも知れない。
そんなのからすると翻訳し損ねが少しはある方が普通って認識位持って無いと、アンダーコントロールを維持出来ないんじゃないの。
この面では例えば料理の刺身と音楽制作等には違いがあり、素材をフルに活かすにしても音楽では俺言い「ネタ依存」は不可能なのだす。
トロ(マグロ)なら旨きゃ他の店のと似てたって全く構わないが、音楽はどんなにナチュラルでもレッキとした人工物ですからねえ。
例外があるとすれば自然界の音だけを編集した様なので、だがそれでは言語を直接的に表現するのが限りなく不可能に近い。
故に音楽での定番と奇抜は所詮比較上の定義みたいなもんで、片方だけに固執するのは不可能なんだ。
なのでマクロ(曲単位)では両者が一定以上のレベルで共存させられてないと、ミソもクソも無くなっちゃうんだよねえ。
<つづく>
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