音楽備忘録1036 音質の硬い柔らかいの真実➋
初回に「体験」とハンコを押したが如くとしたのは、誰だって極限かそれに近い実体験をすりゃ分かるんだけどね。
僅かでも踏み外せば忽ち聴覚や神経の破壊に繋がるから難しい処で、その点私的には自分でわざわざ出す音で体験するのが一番マシだ。
聴く方で被害者が圧倒的多数になってるのは、追加操作をしなければ過大音が継続するからでさ。
かなり苦労しないと出せないのだったら、前回述の「平常時」じゃ無くなれば少しは自然音量低下を期待出来るからね。
とは言え個人差も小さくないんでノーリスクでは試せないから、なるべくならこの年寄の言葉で躊躇って欲しいんだけどなぁ。
で毎回「体験」とアピールするのには電子回路・環境・録音システム等、どれも黎明期近似のから今に至る迄のを全くフラットに体験させられて来たからなんだ。
例に依って少々ひねた話しだがどの時代でも割と望みとは裏腹な状態の方が多く、まだ何処にでも真空管があった頃はもっと最新の半導体ので聴きたかったんだ。
幼少時虚弱で思いの丈を肉体で解消出来なかったからか唯のマセガキだったからか、物心付くよりRockへの憧憬の方が早くてよ。
まだジャンルとか何処の国のとかろくすっぽ分からないのにそうなったのは、リズムのノリとキレにご執心だったからなんだ。
だからRockだってタルいのとかには全然興味は無く、そんなだから当時の平均的ご家庭用球機器の寝ボケた様な音質じゃ物足りなくて仕方無かったんだ。
にも拘らず世間の大人達は子供に強い刺激は尚早、生育上よろしくないからそんなので丁度良いだなんて…。
そりゃ今の過激なのみたいだったら確かに危惧するのも納得だが、あたかも20代の兄ちゃんの耳が50・60のおっちゃんのみたいになって聴こえたんじゃ堪ったもんじゃない。
んじゃ今「球絶対教」なんてほざいてるのはおかしいってチョイ待ち、球でもLo-Fiで良いとか音源の再生装置が低レベルのアナログでも構わんとは一切言ってないでっせ。
超高級機だったらそれで全球が理想だけど、要はトータルでのバランスの問題なんよ。
大昔のご家庭用レコードプレイヤとかテレコでは音源に記録されてるのから大巾な欠落や変容が避けられなかって、だからもうこれ以上Ampで迄削られ変えられるのは勘弁してってさ。
そんな処から始まってある程度納得出来る装置が持てた頃には、自分で演る方にもいよいよ熱が入って来ててね。
当時はド素人のロクでも無い音色とは言え聴者として無改変再生装置のが聴けるより、楽器や音楽現場の「実際の音」の方を先に知っちゃったん。
全ては偶然のタイミングでもたらされたんだが、もし↑が逆だったら15~25才のイケイケ時代にヤバイの使ってヤバイの出して耳を最低でも半殺しにしてた公算が濃厚ね。
では何故回避出来たかの具体的構造だが、「現場で△△な音が聴者一般環境下では○○に聴こえる」を知ったからだ。
完成品でかなり硬質で刺激的に感じられる音でも、現場の人間が無理して不快さに耐えた結果なんかじゃ決して無かったんだってのをね。
健全思考に則れば至極当り前の事なんだけど、仮に命知らずで演ってたとしても体が壊れりゃそれ迄と同じ様には続けられなくなるっしょ。
聴き専で普段現場リアル音量になんかしないとか自演もするがたまにのアマチュアだと、「プロよりその時間が極端に短い」から気付け難いのは仕方無いだろうけどね。
尤も最近の本邦だとプロでも本番時以外は非リアル小音量ばかりの人も少なくないだろうから、意識的に学んで気を付けてないとリスクは上がってるかも知れない。
これ逆アプローチで述べるなら、人より大音量にしたきゃその分音色に工夫が出来ないとって事ですがな。
<つづく>
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