音楽備忘録1040 音質の硬い柔らかいの真実➌
今回は達人達の録音とTour Liveでの機材差を副題とするが、かつての洋楽では本国での録音時の情報が僅少だったのとも関係が深い。
それでも日本でエレキBandが珍しかった内は全て持込んでたのが、世界的時代傾向も伴って途中から徐々に違いが増えてったのがある悲劇の源となっとるん。
人に依っちゃ信じ難いだろうけど日本ではその幻影を未だ引き摺ってると思しきがそこここに見受けられ、奏者が創造した音色が欧米比だと極端に少ないのとも関係アリと踏んでんだ。
楽器メーカ側で創造した音色だって開発時期の関係なんかで、日本発は一時期の電子楽器系統のが主体になってけどさ。
そんでもRolandのTR-808みたいな世界標準になったのだってあったのからすると、エレキでは俺言い「音色創作での勘違い」が大きな影を落としてるとしか思えねんだ。
この件で体験から印象深いのは「音色的歪ませ」をする前迄は日本もそんなに遜色無かったのに、特にAmpでの歪ませがやたらと下手なのがね。
歴異的経緯では歪ませ音色の流行や市民権獲得が遅れ、国産Ampも過大入力させても平気な仕様になるのが遅れたのもあっただろうけど。
でも最大の原因は何たって著しい実体験不足と考えてて、過激発言しちゃえば「モノホン知らねんじゃしゃーねー」となる。
さて今回は単純な音色の良し悪しじゃないのに相変わらずのを吠えてんのは、爆音を出せる場所だと特に昔ならかなり広くなるのが当然だったからでね。
中には例外もあろうがそんな環境なら、音の出口から耳迄の距離だって大抵は遠目になるもんじゃん。
それへ手前味噌のも一寸加えさせて頂いとくと屈強なAmpってその多くは本番仕様だから、遠くで聴かないと本来の音色になってないん。
すると例え過去ゴリ押しした整流管仕様のじゃなくったって、間の空気が多くなるからその分必然的にマイルド化されたのが耳に入っとるん。
ここでは随時頻吠えの硬めだと耐えられる限界音量が下がるのと相まって、爆音時特有の現象や性質はリアル体験しないと中々理解が難しいん。
なので老害扱いされ兼ねないが先ずは元はどうだったとか、現場ではああのながレコードやCDになるとそう聴こえるをご理解願いたいん。
そして今のサウンド傾向に興味の強い人に最も関係してるのが、真の明瞭と単に無駄に硬いのの分別能力で御座居。
邪魔が入んなきゃどっちもそれなりに前へ出て来てくれるが、硬さ依存だと言うなれば内弁慶サウンドになってるんすよ。
又最近じゃ滅多に無くなってるだろうが、かなり低性能な再生装置で掛けると硬さなんて殺されちゃうからね。
何時如何なる時でも目立つ為に生耳には少々ウルサイのを我慢したのが、まったく無効化して無駄になっちゃうんだ。
まっ功罪の続きは又後でとして、どんな音がどんな箇所で変質されてたか本題の方へ戻ろう。
電気楽器のは上略述の如くAmpの増幅素子の影響が先ずあるが、昨今ではPAレスのLiveはほぼ皆無だからその方面でのも無視出来ない。
それ以上にRockに絞ると元は海外にしか無かったし、国内のでもベテランになるとメンバーも機材も変更が多く各自の象徴だったそのものズバリの音色をそもそももう出してなかったりする。
のでやはり「その時」の録音物がより重要になって来るが、流通メディアがアナログ中心時代のでCD化されたのだと次の様な懸念が付き纏う。
オールアナログでの劣化補填を見込んだMixing・Masteringのを、当時の担当者若しくは関係者でデジタル向きに修正してあるか。
それが不可能なのを聴く際に極力当時同等のメディア・再生装置で聴けてるか等で、そうしないと製作者の意図した通りのは聴けて無いんだ。
<つづく>
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