音楽備忘録955 RockのスタンダードⅡ㉓
今日はRock界に於ける高齢化対策と銘打ってお送りするが、先ず根幹になるのは「齢だから仕方無い」との誤った妥協の排除だ。
いや実際は加齢由来劣化は絶対避けられないんだけど、だからこそまだ大丈夫な部分を自ら放棄するのが余計に不味いのよ。
近年の若者だともしかしたらそんなイメージは無いかも知れないが、他ジャンル比だと典型的なアイドルの次に若さとの結び付きがRockって強かったんだ。
これに際し敢えて極端な仮定として山本太郎が総理にでもなって急激に少産が改善したとして、その効果が反映するのは最低でも15年後になる。
となりゃ向う15年間は爺さん婆さんオッサンオバハンが代役を務められないと、ジャンルの消滅若しくは休止って事になり兼ねん訳だ。
既に老いちまった俺みたいなのにゃ一見有利な様でいて、下世代が僅少だと何時迄経っても中堅止まりなのは決して良い事じゃない。(本当の原因では無いって説も…)
特に集客面が深刻で是迄ずっと若年層をターゲットにして来てたのもあって、中高年層に適した店・会場が未整備同然だから救われない。
別面では配信物の問題で演る側にも多少あるが、年齢が上がる程非生を好まない傾向が未だにある処。
尤もここ迄のは世間の影響力が強大なのである程度は仕方無いとして、だからこそ本当はまだ可能なのにもう無理だと勝手に思い込んじまうのが最大の危機なのだ。
そこでここから体験も交えて誤諦めへ至る経路を上げてくが、筆頭は自意識と現実の乖離だろう。
と言ってもホントに感覚と音が以前よりズレるのは少数派で、記憶の自動美化のせいで衰えたと思い込むのが少なくない。
中でも音響条件の全く違う過去のと比較する際に起き易く、今より細部や粗の目立ち難いのを聴き込んだ印象に難が多いんだ。
要は若さ全盛時だって実はそんなにちゃんとなんか出来て無かったのを、その当時は勢いで封印してたのにたまたまバレ難かったから「無かった事」にしてただけってのが…。
確かに実際耳に入った時の第一印象は結構違ったりするんだけど、肉体の衰えを技術で補うにもここはとても重要だ。
耳での印象の次に考えられるのが頭と体の成長の乖離で、完全に離れない限り手足は劣化するが頭の方は少しは勝手に進歩しちまってる処。
つまりかつてより何時の間にか合格基準が上がってたり、以前は聴き洩らしてたマイナーミスが簡単に把握可能化してたりとかさ。
気分的には欠点が良く分かる様になる程厳しいが、いい齢して気付かずに不完全過ぎるまま垂れ流すよりゃはるかに幸せなんすよ。
齢を取る程一旦手放した演奏感覚を取り戻す時間は長くなるけれど、肉体的神経的に大きな故障が無かったならばキチンと出来てた分は必ず戻せるもんなんでやんす。
少々気の早い話しだが痴呆の予防や進行具合の把握にも1つの尺度となってくれ、気付かぬ内に重度化するのを結構防げそうなんだ。
人間って何らかの事情で偏りの生じてる方が普通な位で、所謂痴呆では無いにしても劣化ってかなり若い時から始まっちまうもんだしね。
<つづく>
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