音楽備忘録918 音量の正しい解釈①
拙ブログでは予てより不要爆音反対運動(何時からそんなのやってた??)で随時吠えしてるが、最近「中音が大き過ぎる」との一部の声を訊き又物申してみたくなった。
先ず高域・次に中域と高域の間の音が最も人耳には厳しいのに、ものを知ってるベテランが何故そんな表現をしたのか不思議で。
だが少し考えてみると思い当たるフシが出て来て、要はロクでも無いのを盛る為の低高域温存を誤魔化す為なんじゃってさ。
コレの由来に敢えて年寄りらしく挑ませて頂けば、誰でもお手軽に爆音が得られる様になったからってのが俺の見解。
もうねえ馬鹿みたいに単純な理屈なんだけどオッサンが若かった頃って、少なくとも日本じゃ例えば100W以上出せる音響機器って法外価格だったんだ。
オマケにまるで「こんなに出せるんだから一切文句言うな」ばりに、巨大で重くてそれでいて案外脆弱だったりとかしてさあ。
ので当時の素人サイドの俺とかは音量で補うのが不可能なんで、半ば必然的に「演奏に依る音色で迫力を求める」事になってたのかな。
んが今振り返ってみると玄人サイドのメーカ側にしても技術・コスト的限界が低かったんで、今より遥かに音量やレンジの広さに頼らない音創りをしてたみたいなんだ。
これがRockを中心とするポピュラー系には実は隠れた貢献をしてて、俺言い「目一杯出してます感」を演出するには好都合だったんだ。
ってか何しろ途中で壊れる位無理して使ったりもしてたんだからご尤もで、それが崩壊し出したのが1980年代に入ってからだった。
その時点では昔みたいに汚いのはもう流行らんさみたいに思ってたが、視野を広げると平民にも機材に丁度余裕が出て来た頃だったんだよなぁ。
処で本来なら有難い進化を崩壊だなんて称したのは、音量に余裕が出た代わりに音色への配慮が減り出したからなのよ。
個性の尊重からすると昭和の体罰みたいで少々変なんだが、余裕が少ないor不足だと誰でも聴こえる・聴き取れる音色になる様に調節するしかないやん。
困窮昔では1に聴こえた2に音程やリズムが分かったをクリアするだけでも一苦労で、個人の好みはそんな土台が出来上がってからじゃないと取り掛かれなかった。
無論だからって皆好みを放棄する気は全く無かったが、多分↑以前とはオリジナルトーンの構築順が徐々に逆になってったんだと思う。
それが運良く良い方へ転べば以前は無理だった新音色で済むが、大多数は実用上大きな弱点がある音色を音量上げで誤魔化す方へ…。
しかし必ずそれだけの音量が出せたならの話しなんで、騒音規制に引っ掛からなくても他パートからクレームが出りゃおじゃんでごんす。
異常にシンプルなアンサンブルでなら未だしも、俺言い「お邪魔率の高い音色」にするのは何時だって得策じゃないでしょうに。
なるべくより小さい音でも聴き取れるってのが、音色でも音量でも「不動の正解」なんじゃないかと思うだす。
そしてそれがその楽器の音量の絶対基準になるのでありんす。
<つづく>
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