音楽備忘録929 音量の正しい解釈④
ってな具合に音の難しさの真髄を知るなら、音量不足・悪環境下での極限状態が相応しいんでゲス。
とは言え今本邦では泥酔しない限り自由な音量は許されんらしいんで…、ってのが俺は最も気に食わんし許せんのやけどな。
過去は過去で俺の若い頃なら何時も不足機材に悩まされてたから、今も昔も出せるもんならもっと音量出したいって願望が肥大するのもやむを得ない。
しかし万一誤って俺言い「爆音依存症」になんかなっちまうと、仮に体が無事でも精神と感覚がやられちゃうんだ。
ではどうやって↑の魔誘惑から逃れるかったら、音の大きさが辛いと感じる場面を先ずは思い出してみるあるよ。
どんなに普段爆音がへっちゃらだって寝起きor就寝中とか、じっしとして静寂を保ってる時に突然ガンと来られりゃドキッとなるやん。
勿論個人差千差万別だから誰でも同じ状況や音では無いんだけれど、もし完全に平気って人が居たら受診を強烈にお勧めしますよ。
それって視点を変えりゃ目覚まし時計が鳴っても起きられんとかって事なんだから、普通の暮らしが送れてる限りはすぐには見つけらなくても必ずそんな音が何かあるもんなのよ。
んで例えば寝不足でも起きるのに掛ける目覚まし時計だと、ギリギリ気付けるかって位の音量のじゃ不安だよね。
せやさかいその人その時なりにうるさい群に分類される様なのを使う訳だが、どうしてもそのままにはしてらんない位うるさくても殆どのが肉体的限界よりゃ遥かに小さい。(精神・感覚的には中々堪えるが)
ではその目覚まし時計を自ら爆音出してる最中に鳴らしてみたらどうかってば、大抵はせいぜい鳴ったのが分かる程度で眠い朝の時とは随分印象が違う筈だ。
最終的にはアンサンブル内でのこの現象の把握が目標だが、他の音(静寂無音も含む)次第で印象も聴こえも先ずは別物となるのに気付きませう。
この話しから見えて来るのが肉体限界を超えるのは何時だってご法度として、[音楽≒気持ち良く無きゃ駄目]って条件が付くと限界より遥かに小さくったってアウトになるのが一杯ありそうだって事。
しかしって事ぁ逆も又真なりで、心地良いと感じてても限界越えちゃってる音もあるって事なんすよ。
オイ一寸待て限界超えてりゃ聴けない筈なのにどう云うこっちゃってば、人耳に瞬間的爆音への耐性があるからなんだ。
って事ぁⅡでもし短時間試聴でしか判断してなかったら、ホントは無理なのが沢山混じってる訳でんねん。
せやからどないでもギリギリの爆音をと思うなら、耳破壊覚悟で長時間継続試聴を自らで…って訳にもいかへんがな。
折角どれがヤバイか知れても、マトモに聴こえなくなっちまったら活かせんくなるさかい。
故にどんなに危険上等と思ってても、ギリギリで回復可能な範囲位迄しか体当たりは無理なんだ。
けれども体が耐えられたからって不要な音量には他にも大きな害があるんだから、物理的な大音量オリンピックは例え禁止されてなくったって価値が無いんすよ。
その害とは過大音量は人耳に音質劣化をもたらすってので、これは過残響・過共鳴もだが人耳の内蔵自動保護機能が発動されるからなんだ。
丸々聴こえると危ない・辛い→そのままは聴こえなくする事で負担を緩和ってなメカニズムになってんで、凄さだけは辛うじて分かっても真の迫力なんてもう認知不能領域へ追いやられちまうのよ。
<つづく>
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