« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »

2022年1月

2022年1月31日 (月)

音楽備忘録900 Drumハードウェアへの私的妄想&現実的解決策⓫

お次は部分分散概述のCymbal等金物系についてたが、自らのレベル!?に沿って「壊し難い」を中心に進めてこう。
上手に鳴らすのについては最近より確信を持てたが、それは従兄のTwitterに出て来るCymbal屋さんから学んだんだ。

それが純粋なCymbalサウンドを確認する時ので、中心穴付近だけで保持するもので下手すりゃ軸すら無い様な状況だった。
とは言えそれでも乗せてる物の影響を完全には排除出来んが、従兄愛用のを上回る位どれも華奢なStand若しくは同等機能を有する何かだった。

ずっと以前から従兄には示唆されてたし薄々は感じてたが、その頃は肝心の検体が俺の好みのよりライトなのばかりだったんでね。
もう少しヘヴィなのだったら違うかもって疑念が晴れず、揺れて上手に叩けなかったのもあってさ。

今になって慣れてみれば元々「そう云う物」なだけだったし、重量級になった処で振れ巾と振動周期が長くなるだけなんだけどね。
しかし実演の場面となるとジャンル次第じゃ「乗せてるだけ」とは行かず、なるべく弱く叩いて足りるのを選んではいるんだが…。

俺の場合ピッチや音色の都合で、フェルトレスでは心配な場面が日常的に出て来ちまった。
それは目一杯振られた際は穴が軸に突っかえて動きが抑止される訳だが、フェルトの干渉が無いと一気にドンっと当たっちまうっしょ。

勿論極力そうならん様に叩くべきではあるが、だからって常におっかなびっくりで居るんじゃ音楽的に厳しい。
達人+最高環境では頻度は激減するだろうが、弘法も筆の誤りとか事故とかを皆無には出来ないだろうしね。

そこでフェルトは上下共付けてはいるが隙間だらけで、振れ角度が限界に近付いた時だけ機能する様な一寸変な加減となってるんだ。
Stand購入当初(Pearl製)はフェルトは常時Cymbalに触れる位になってたのを、何年か色々試行錯誤した後にDIY店で同等のビニールチューブを買って来て長く(間隔が拡がる)したんだ。

最初はわざとネジを緩めて対処してたが、それだと最大触れ角時にビニールのある所を時々行き過ぎちゃってね。
加えて当然だが振動でどんどんネジは締まってっちゃって、常に間隔を確認・調整しとかんと思ったより狭くなってるし。

メーカ次第じゃ緩めても軸とCymbalが触れない構造のもあるし、音も含め金属棒と接触するのが気にならないなら不要な処置ですがね。
これ以前から現用中古Hi-Hatでの摩耗問題もあったんで、そのトラウマみたいなのもあったのかも知れない。

これもきっと概述だが極簡単におさらいしとくと、その部分に「ネジ山」のあるのだったから後で苦労させられたんだ。
単純に擦り減るだけなら看過してたろうが、材質が軟らかかった(真鍮)から変形も伴っててね。

手入れやフェルト交換時にネジが途中で突っかえる様になっちまって、仕方無く金属ヤスリで整形手術をしたんですわ。
Cymbalの穴側だって凹凸のあるのに擦れてたんで、良く観察すると若干穴が拡がってたりもしてたけど。

それを我慢しても「ギザギザ通過時」に出る異音もあったんで、前半は薄いブリキ板・後半は最低限の耐久性を損なわない範囲で薄いビニールチューブを勝手に追加してるんだ。
その方法がコストや入手性の事情で涙ぐましい事になってるが、それは次回へ。

<つづく>

2022年1月30日 (日)

音楽備忘録899 魔修理の最近③

公開と執筆のタイムラグで去年の話しになっちまったが、暮れも差し迫った時分にPCキーボードの不調に翻弄されて参りやした。
過去にキーボード自体の故障や劣化の経験はあったけど、今回のは実に曖昧で原因箇所の特定からもう手古摺ったであるぞなもし。

事の始めはクリスマスが終ってすぐ、ブログを書いてる時に突然襲って来ただす。
何か反応が変に悪いなと思いつつも騙しだまし書いてたっけ、突然暴走も始まったッス。

例えば「て」と一文字打っただけなのに「ててててててててて…」と沢山入っちゃって、その内それが何行も止まらなくなるっていう。
悪反応だけの内は裏でアプデか何かあるとそんなだったんで、イラつき乍らも我慢してたんだけどね。

それから三日とたたぬ内に不動になっちゃったんだが、USB接続なので先ずは接触不良を疑った。
ってのは宅では自作アナログ切替SWで3台のPCで使ってたんだが、おかしくなったのは普段閲覧や執筆に使ってるサブ機でだけだったからだ。

当初はキーボード自体もかなり年季が入ってるんで、そろそろ寿命かと代替品の物色も始めてたんだ。
体験からは大抵は特定キーのSW逝かれから始まったが、キーボード内の半導体が先に逝かれる可能性だってあるだろうからさ。

わ兎も角兎に角USBの接続箇所を掃除してみたら、どこもかしこも見事な汚れのオンパレードでびっくり。
無接続でオープンになってりゃすぐ汚れるのは仕方無いが、繋ぎっ放しでもこんなに汚れるのは隙間が多いからなのかな。

んで清掃直後は一旦状態が戻ってくれたんだけど、幾らも経たない内に元の木阿弥に。
これからするとオンボードのUSB関係が怪しくなるが、同じくUSB接続のマウスの方は至って健全なので不可解だった。

それからデバイスマネージャ等で調べてみると、キーボード自体は認識してるのに何故か電源が入ってない。
いやいや電源SW付いて無いし、ワイヤレスじゃないんだから電池切れも無いのに。

となると次の可能性は電源電圧の低下で、ATX電源かマザボ上の何処かに容疑が移行した。
面倒+そもそも非公表なんで調べもしなかったが、省エネを売りにしたマウスと最低駆動電圧が違ってる可能性もあるかんね。

この仮説なら他の2機では両方平気で、当該機でのみキー坊が言う事訊かんって条件と一応合致するんで。
そこで浮上して来たのが例の「電解コンデンサ妊娠事故」で、もしこれが原因だったらお取替えだけで済むんで億劫だが内部を開ける覚悟をした。

ほんで開けゴマしてみたら、まあばっちいったらありゃしない。
数年前迄は最大1年以内に内部清掃もしてたんだけど、それなりに対策もしたんで近頃は不精してて。

掃除の前に一見して↑が2つ目に入ったんで、最低限で済ます訳に行かなくなっちまった。
具体的な様子としては電解君の頭の膨張に加え、マザボ基板から若干浮き上がってグラつきが出とりゃあした。

マザボをケースから取り出すには大々的な分解は避けたかったが仕方無く、期せずしてこんな処で大掃除をする羽目になったとです。
特に嫌だったのがCPU放熱器の取外しで、最悪時は間の伝熱グリスの再塗布をしなきゃなんないから。

それと今回は手持ち代用工具で何とかなったけど、当該機はビジネス用の中古のなんでネジが普通のじゃなかったんだ。
外部にも普通のじゃないのがあったんで多少は予測出来たけど、だったら何年経ってもメーカ側で責任持って面倒見とくれよなって…。

それはそれとして遠き道程を経て漸くマザボを取出せてみたら、何と既に1度自分で交換してたのが発覚。
多分6~7年前だったんですっかりコロッと忘れてたのが、基板裏の書込みでにわかに蘇っただす。

<つづく>

2022年1月29日 (土)

音楽備忘録898 録音でのプロとアマの違い⑪

今日は山下達郎氏のワウペダル後掛けの件の続きから行くが、所詮は私的見解とは言えそんなのの殆どには大抵は「別の伏線」を孕んでるもんなのよ。
上述の通りなんで確証は無いけどそう言ったからには、無問題だった
ら後掛けのも本人自身でやったんじゃないかってね。

そのRecordingでは他にGuitaristが居なかったでも無いんで、誰かに頼むならペダルだけなんてするよか演奏から丸毎依頼するだろうしさ。
つまり後掛け処理にも本人直々にってのと技師に任せたのと2種類ある訳で、これは音量調整にも当然適用されるだす。

前者は食事の食べ方みたいなもんでオカズと主食を並行して進めてくのと、どっちかを先行してたいらげるのみたいなもんだわね。
他人が見れば違和感のある食べ方もあろうが、本人にしてみりゃ唯普通に何時も通りに食べただけ。

なのでそう云うのなら各自の流儀や習慣に従っても、結果に変な違いは出ないだろう。
けどリアルタイム(前)なら自身で、事後処理時は技師任せにするってんなら大違いになるだす。

尤も結果良ければ全て良しと言っちまえばそれ迄だけど、単体箇所のクウォリティに捉われ過ぎるとトータルでは落ちる事の方が多いんでねぇ。
勿論基本は全てをより良くなんだが、例えば雑音が多目な電気楽器が加わったりする際とかだ。

体験的にはLine録りのエレピやクラビが印象に残ってるが、電磁Pickupの数が膨大な為インピーダンスが下げられないのに起因している。
その手が入らない曲より雑音の少なさを売りにするのが得策で無くなり、より欠点より魅力のアピールで勝負に出ざるを得なくなる。

コレ打込みオンリーの場合ですら実は殆ど変わりが無く、リアルが混ざるよりゃ有利な部分が増えるが絶対値はそんなに低雑音にはなってないんよ。
そりゃ何も鳴って無い時ゃ見事に無音になるのは助かるが、それで沢山鳴ってる時に無策で聴き取りが悪い様では本末転倒でんがな。

で俺が奏者と技師の兼業だからって推奨する訳じゃ無いんだが、一定以上の何処かが「凝った録音」とかにしたかったら全く「弾くだけしかしません」では難しいと思うのよね。
この辺が私感では本邦だけ他国に著しい遅れが感じられてて、機械を弄るにしてもハードとソフト面を日本でだけ分離し過ぎてる嫌いがあんねん。

特にラジオとかのじゃないDJ屋さんが市民権を得て以降、却って非DJ氏のそれは退化傾向が強く感じられる。
ここでのハードとは純粋な技術問題やメンテ等で、それ以外の特に「音楽的な調整」等をソフト面と分類しての話し。

実際に思いのままに操るには捻るボリウム・ペダル・直線に動かすFaderではかなり違うし、夫々に色んなタイプのがあるからそれなりの習熟が要求されはするよ。
けど音楽的に何処でどれ位絞るかってのはメカとは別問題な訳で、慣れの他は最低限の僅かな知識だけですぐ実践に移れるんだ。

その僅少知識にしてもエレキやキーボードのボリウムとかって機種毎にかなり違いがあり、それと比べるとMixer卓のの方が全然差は少ないんだよね。
日本だと借りた場所で担当者から触れるなと言われる事も少なくないんで何だけど、例えばLine録りでの卓Faderってな個人的にはリアル楽器AmpのMaster Volumeに相当してると思うんだ。

まあ投票には行かずに酷税に文句付けつつも結局大多数が収めちゃう様なお国柄ですから、それも文化だと断罪されりゃそれ迄ですがね。
しかしどっちもやるべき事に携わらなきゃ、現実を変えらんないんのは一緒で御座居ます。

<つづく>

2022年1月28日 (金)

音楽備忘録897 RockのスタンダードⅡ➒

The YardbirdsのStroll Onって、オッサンよっぽどお気に入りだからの再掲かよってか?。
全否定こそ出来んがこうなったりするからこそのスタンダードな訳で、以前のとは違う観点からの取上げだから後でちゃんと別の曲も出て来るんだよん。

自称低音の権威(正確には狂気のヲタなだけか)として、バスドラのローエンドに関して筆者は容赦が一切無い。
だから楽器単体だってちゃんと出てくれないのは不許可であるが、かと言って洋バスドラに和大太鼓の様な芳醇な低域を闇雲に求めては居りませぬ。

これは基本的な設計演奏環境想定に相違があるからで、しかしだからこそ下の良く響いてそうな場所でローが出て来るかには注目して来たんだ。
この点に限定すると例えば私的に他は満点以上のKieth Moonが落選し、Rockとしては全く門外の007映画の挿入歌だったShirley BasseyのGoldfingerなんてのも浮上して来る。

恐れ多くもBONZOや全盛期のIan Paiceが本件では当落線上って感じで、何時も生で聴けるならその限りでは無くなりそうなんだけどさ。
処でこのタイミングで本件を持出した真意は、「EQ非依存で出せてるロー」なんす。

聴者負担としてはローは必要最低限の方が疲れないし、聴き取り聴き分けも良好だす。
けど1音単体での味わい深さ≒説得力等を気にし出すと、楽であれば良いって訳にゃ必ずしも行かなくなるんで御座居ます。

見かけ上はオーソドックスな4Beat JazzよかRockの方が足数が多めに感じられるが、実数をカウントしてくと一部例外を除くとRockの方が少ないのが少なくない。
その絡繰りとしてJazzでは足でのゴーストみたいな使用法が多いからで、全く目立たなくてもアンサンブルがロー不足にならない様にはそれで補ってんだわさ。

んがRockじゃ踏むならハッキリせいで、必要に応じて幾らでも追加するなんて訳にゃ行かない。
そんなでJazzより大抵は重心を下げときたいとなると、「1音の印象」をより強力にしとく必要性が出て来ると思うんだ。

これとEQ非依存にどんな関係があるのってぇと、ローの中で「都合の良い部分だけを適宣響かせる」ってのが電気的加工だけじゃ困難だからなんだ。
今と昔じゃ録音音質の色々に違いがあるんで、録り方奏で方を正確にトレースしても「昔の印象のまま」の音にするのが厳しい。

楽音のみなら同じになってても周囲雑音迄ハッキリ拾えちまうんで、ゴチャ付くかターゲットが埋もれ気味になるのが関の山。
厳密にはどう考えたって昔のの方が雑音は各段に多かったんだが、殆どのがボケてくれたお陰で所謂「暗騒音」化してくれてその源の特定が不能だった。

又この音響的には不誠実だった曖昧さは余韻の短縮にも貢献してて、実音より一定以下になるとあたかも鳴り止んだかの様になっていた。
但し今だって演奏会場に大勢の他人と同席してたら、隣人の呼吸音やら椅子の軋みその他諸々で余韻の最後の方はマスクされてるのが常だ。

アイドル系Rock等では歓声・気勢が物凄いから、そもそも余韻なんて幾らも聴こえてやしない。
だからLive版ならどうにか出来るが、邪魔の入らないStudio録音の方で特に困るのだ。

この現実からすると実現性の乏しいのを提示しちゃ無責任だが、普通の楽器・皮・大したミュート無しでも「Rockっぽい音は出せる」事実の方を尊重しての事なのだ。
これを踏まえられて無いと奏法に誤りを生じたりするリスクがあり、Livehouse等で会場のセットを共用した際に悲劇に見舞われ兼ねない。

学園祭みたいなのに早期から出演して人のも聴いたりでもして無いと、同じ楽器・ペダルで自分の音は世間と比べてどんな位置に居るのかって案外分かって無いもんなんよ。
寸前出演の大人し目Popsグループのより、恰好も態度もご立派なのに軽く貧相なバスドラだったら…。

<つづく>

2022年1月27日 (木)

音楽備忘録896 纏めて録るかバラして録るか?⑫

ってな事ってDrum関係の未出のを行くとして、Drumだって追加する時もあるが「重なっても良い」んじゃないとかなり厳しくなる。
そりゃテンポゆっくり&とってもシンプルなフレーズなら少しは行けるが、概述の通りセットになってるフレーズでタイミングの正確さと安定度を維持するのが
至難だ。

さて最近は過去の一時期と比べると打楽器の複数並列使用が減ってるみたいなんで、サンプルが古いのは俺のせいじゃないもんねってホントかよっ???。
常に際どい怪しさ満々な拙ブログだが、今より近似音色ので併存させてたのは圧倒的に昔のの方が多い。

一寸邪道な話しだけど楽器種も然る事乍ら、何しろ昔って録れる音質が限られてたかんね。
例えば現場ではCongaよりFloor Tom、更にそれよりバスドラの方がローエンドが出ててもそこ迄拾えず再生出来なかったとか。

尤もそれが罪ばかりでは無く魔用した撹乱戦法みたいなのもあったが、脳内編曲のみでは実行すると違いが多く発生してたのは確かだ。
概述のではSnareのゴーストノートとバスドラの幻惑現象があったが、今回はSnareの胴鳴りや余韻が実はCongaのだったのを出しとこう。

’60~’70年代に米にあったHi
-RecordsってSoul系のレーベルで、Al Green等の作品にそんなのが多かったんだ。
アホで杜撰大王な俺だもんだから比較的近年迄、「どうしたらSnareをあんな太いローピッチに出来るんだろう?」なんて恥ずかしい勘違いをしたままだった。

と漸く💦気付きつつも只で転ぶんじゃ悔しいし、現代の録音では綺麗に分離しちまって上手く再現出来んのでね。
どうにかSnareだけで出来ないか暗闘してはいるんだが、Congaを足したって近い感じすら作れないのは残念だ。

けど分離しちまうとは言え常に
楽に聴き分けられる状態になってはくれないんで、音楽的!?には何とも中途半端で厄介だわ
この件苦しい言い訳をすれば件のレーベルって聴いた感じはそこそこゴージャスなのもあったが、実際は
当時としてもかなりLo-Fiな方だったから使えた技だったかも知れないんだけどさ。

近年は上記案件+オケヒットみたいな元から複数楽器の入ってる音源等もあるから、同一フレーズで複数楽器をマニュアルで鳴らして異なる響きを得る手法が激減したと感じている。
トラック数の節約やLive時の人員削減等にそんなキーボード等が活用されてるが、定番コンビのなら兎も角今だってあらゆる組合せのが用意されてる訳じゃない。

又状況如何でその影響はかなり増減するが、これ位高音質になって来ると「共鳴の有無」も看過出来なくなって来ている。
Hi-Recordsのは低音質なんで定かじゃないが、Beatlesのなんかだとバスドラで共鳴したSnareの響線の影響は計り知れないと感じている。

YoutubeにあったCome TogetherのDrumアイソレートのなんかが良く分かるんだが、リズム隊が様々に共鳴し合ったのが入ってる事で爆音感が表現されていた。
Studio録音の現代標準からすればBassで響線が鳴ってそれが入るのは迷惑サイドになってい易いが、生のアンサンブルだったら普通は殆ど気にも止まらんが実際は必ず入ってる音なんだよね。

とは言えアンサンブル自体も録りも達人級じゃないと中々上手く料理出来ないが、この様な失念し易い要素の欠落があるとその分リアルより淋しい音になるですよ。
こんな風に意図せずにバラけちゃう事の少なくないのを、取敢えず今日は提示させといて頂きやした。

常に何時もそれが問題になるとは限らんが、Micや聴き手の位置が違えば「普段の音」にはなってない方が多いからね。
もし昔の俺(ホントは今も?)みたくOff Micに自信が持てない様だったりしたら、足りなくなって足さなきゃ駄目かもと思っといた方が良いかも知れないよ。

<つづく>

2022年1月26日 (水)

音楽備忘録895 Drumハードウェアへの私的妄想&現実的解決策➓

こごては恒例の前2回の補遺からになるが、どっちも基本的には振動に関する案件なので少し整理してみよう。
Cymbal類等と太鼓の胴ではそれ自体が発音体であるか否かの違いがあるんで、その部分は分けて考えてこう。

かつての弦エレキでの余韻長さオリンピックみたいなブームのが教訓になりそうで、発音体の振動特性の純度を高めるには土台は微動だにしないのが良いのは確かだった。
けれど共鳴のし易さ・独特さの観点からするとそれでは片手落ちで、極端に施されたのなんて太鼓に置換えりゃ「胴無し」にしたも同然。

↑の様な作りにするとボディの材質・大きさ・重さ・構造等の差が幾らも出なくなってしまい、音響装置としての理論的な完璧には近付けても楽器としてはつまらん物になっちまった。
これを避けるには余韻長さだけに捉われず、本項でならハードウェアも音源の一部と考えた方が相応しい。

とは言え発音体とそれ以外の部分で賄われてる割合や量がまちまちなんで、各楽器に応じた最適解を求める処が腕の見せ所になるんじゃないかな。
では太鼓の方へ戻ってくとこちらには例外的存在があり、Rims若しくはそれに類するTomホルダがそれだ。

広義には独立Standに乗せたのだとかストラップで吊下げたのも含まれるのがあるが、鍵になるのは「胴を直接は支えて無い」事だ。
私論ではあるが概述の如く「発音体の影響をより受け易い胴」、ってのが和太鼓比では洋物の特徴だからだ。

それからすると特に薄胴のにはヤワなホルダ・Standの方が合ってはいるが、共振周波数の設定が不適切だとそれがチャラになっちまうのが一寸厄介な処。
これの生贄として大胆!?にも従兄宅のTAMAのセットへケチ付けちゃうが、Tom⇔Stand間の部分は適度な撓りがあって余韻性能は抜群だ。

がホルダベース(若しくはStand)側が堅固過ぎる為か、叩かれ方に応じた音色の変化量に乏しいのだ。
尤もメーカ側の設計思想と俺の趣味が不一致なだけと言われりゃそれ迄の話しだろうが、半端に撓る箇所があるお陰でこれの保持部の劣化の早いのは皆に共通だからね。

どゆこってすかったらコレが原因で叩くとTomはプルプル振動するが、それをホルダベースとの結合部だけで負担させてるのがね。
昔のみたくその先もヤワだったら所謂「応力の集中」を避けられてたから、結果オーライなだけだったにしても劣化・摩耗箇所が分散してたんすよ。

尤もⅡで考え方次第じゃ注意点が少なくて良いとも看做せなく無いが、もし好みに合わせて硬さを調整したくなってもその余地が無いんですよ。
それとは別にそもそも「Drum台の硬さ」ってのが欠損気味で、最近じゃ大昔のみたいなグラグラぶよぶよの頼り無いのは激減しとるだうろがのぉ。

とは言え設置する床が常に微動だにしない分厚いコンクリばかりじゃ無いんだから、何処迄Standを堅固にするかには絶対これを加味しとかなきゃイカン筈なんや。
しかもバスドラマウントのだとどうしたって下の胴の撓りは避けられんのやから、中間部だけやたら固定したってご利益が少ないんすよ。

現代の技術を駆使すりゃ共振周波数を事前計算で出しとくのは可能になったが、使われ方の巾に節操が無いとなるとこれも無効化する場合が出て来る。
ので私論ではあるが体験その他も含めると、実用上支障の出ない範囲でヤワ目に出来てた方が楽器としてなら結果が良いみたいなんだ。

<つづく>

2022年1月25日 (火)

音楽備忘録894 ケーブルの話し④

今回から体験を踏まえた用途による差について記してくが、最初はGuitar用と銘打たれてるのとそうじゃないのの違いについてだ。
何年使い続けるか未定な方には一見どっちらけかもだが、却ってそんな場合こそ例えばあと1回だけのLiveの為に買換えになったら勿体無いじゃない。

只残念乍ら我が国には明確な規定が存在しないんで、売り文句をまんま信用は出来ないけれどね。
けどある程度以上のグレードのだと、断線寿命にも差が出るもんだったんだ。

グレードの他にも若干心当たるのが出してる所で、絶対ではないが楽器や業務用音響のメーカからのの方が持ちが良い感じだった。
恐らく引っ張られや折り曲げに対する試験(所詮はしてたらの話しだが💦)内容からして、実使用状況の知識差があったりするからなんじゃないかな。

ウチではここ20年位はLiveとは疎遠なので条件的には緩めな筈だが、現用してるのは相棒の1人が置いてった40年位昔のヤツだ。
幾ら貧でも流石にエレキのシールド位はそれなりに沢山持ってるが、Live用の長いのだと狭小宅内ではこんがらがり易くて不便なので死蔵中。

で元はそんなに長く無い激安品を宅内用に買って使ってたが、そのどれもが最短5年・最長15年程度で断線してオシャカになったからなんよ。
勿論電気屋の端くれなんで何時もの様に断線箇所を特定して、障害部だけ破棄して残りはポケットの中のビスケットの歌の如くにして再用してたんだけどさ。

おっと万一そんな大昔の子供の歌なんて知らんて人用に一応歌詞内容に触れとくと、「叩くと中で割れて数が増える」(実際は細切れになるだけなんだが…)増えた分だけ食べられる人も増えるってオヤジギャグ紛いのストーリーだった。
アホガキだった俺もご多聞に漏れず実際試して泣きを見た口で、今だったら子供を蔑視した与太話しにカテゴライズされるだろう。

衛生面だって一体どうなんてんだぁであるが、昭和の頃って今より遥かに物不足な世の中だったんでね。
邪道でも思いやり的愛には溢れてた訳で、その部分迄無視するのは考えものだ。

閑話休題…2度目の断線の時点でその箇所がもう全然特定不可になって、多分芯線があちこちでブツ切りになっちゃってんだろうさ。
これ物理的には被膜やシールド線と芯線の伸縮度の差とかから起きたんだろうが、月に1回程度ではどうか分からんが中2日位以下とかの頻度で使うんなら考えといた方が良さげ。

これからするとケチり過ぎない方がとは思うが、丈夫で長寿なのを買っといたって事故る懸念は払拭し切れない。
結局はチープに行ってもリッチに行っても
更新の追加出費の覚悟が要るが、万一千載一遇のチャンスに事が起きればその痛手の方が大きいんじゃないかな。

なので私的にはどちらか一方の極端では無く、いざ鎌倉用に誰でも1Set位はそこそこのを持っとくのがお勧め。
因みに1Setなんて称したのは発音源(楽器とか)とAmp等の間にEffectorが挟まるとか、ステレオ仕様のなんかもあるからだ。

最低でも予備を用意するのが先決だが、数に余裕がありゃ信頼性の無いのでも平気って訳にゃ行きまへんでぇ。
これに例外があるとすりゃ常に新品も持ってる場合で、尚且つ未使用でも経年が高いのは駄目よん。

只宅練用なんかのだったら状況如何では、関係機器を壊さない限りでどんなの使ったって構やしない。
スピーカケーブルみたいに短絡(ショート)したらたちまちAmpにダメージ与える様な事は無く、突如盛大なハムノイズが出だす(シールド側の断線)かパッタリ音が出なくなる(Hot側の芯線)かのどっちかだけだから…。😅

(つづくかも)

2022年1月24日 (月)

音楽備忘録893 録音でのプロとアマの違い⑩

「手早さ」に鍵があるのは録音に限りはしないが、具体的にどうやって養成してくかに言及してこう。
何たって腕前や慣れの支配力は大きいが、それ以外の方法論とか手順にも結構それなりにコツみたいなのがあるんだ。

大昔は楽器系機器の切替機能が脆弱だったからそれ等を扱う補助要員が、プロの場合は従事してるのが普通だった。
芝居の世界なら黒子・鉄道だったら蒸気機関車しか無かったから、運転士の他に機関士や助手が必ず同伴してたのと同じだ。

但し音楽界でのそれって録音時とLive時では配置や担当に差があって、録音時は「後からでも可能」な分に関しては無理にリアルタイムで処理されては居なかったんだ。
尤もマルチトラック登場前とかトラック数が僅少な内は、幾らも差別化は図れて無かったんだけどね。

Liveより作業の実情が見え難いのと↑も相まって、古の映画界以上にリアルタイムでやってる姿の印象だけ強く残ったのかな。
そんで私的ではあるが大昔と現在の中間期の実態が案外更に知られて無いみたいで、しかし一見半端なそんな時期のにこそ応用範囲の広い思想や技が豊富だったんすよ。

例えば近年では放送や配信の都合から、Classic系オケでもMicの個別マルチ立てが随分悪普及!?しちゃってるね。
そんなのを選んだ背景に流行や他ジャンルへの対抗心もあるんだろうが、それを音楽的に充分なMix出来る人材が足りてるとは到底思えないんだ。

電気・電子楽器を常用するジャンルに比べて、ミュージシャン志望で挫折して流れて来た技師とかが僅少そう。
これ日本の過去の歌謡界とかでも誤認がとても多いんだが、音楽的に正しく弄れてた人で完全に非ミュージシャンだった奴なんて居なかったんだけどさ。

江戸から昭和敗戦期に至る身分制度の名残か、必要以上に裏方の存在を希薄にしたがってた風でね。
その頃から既に業界さんだったりした人達は皆熟知してたんだけど、伝承に失敗して元祖の大御所だとかその手法が忘れ去られてるに等しいんだ。

私的に最も痛感してる失われた手法としてはEffectの後掛けが印象深いが、これと並行して音量の増減の方は必要以上にSW切替が蔓延しちゃったな。
単純に高音質を狙うと電気・電子楽器のボリウムは絞って無い状態の方がHi-Fiだし、歪みだって弾く強さより設定で賄った方が音響的には確かに有利だ。

けどこれ等は生楽器であれば完全に演奏表現の範疇にあるもので、特にチープな電気楽器ではダイナミックレンジの狭さを補う為の奏者ボリウム操作なんだよね。
確実性だけでならそりゃ失敗してもやり直せる後からの方が良いんだけど、それがちゃんと成立するのはMixer氏が本人兼任か同レベル以上のスキル持ちであった場合限定なんす。

もっと言っちゃうと仮に奏者より高レベルだったとしても、個性や手法も完璧に読んで再現するのって至難だと思うだす。
奏者が低レベル過ぎたらそれだって手出しした方が当座の結果は良くなるが、そうして過保護みたいなのを続けてると育成面ではマイナスでしか無いしね。

子役は役者として大成しないなんてのも↑と似た様な環境が主因で、日米英等とそれ以外の国を比べると結構違いがある気がするよ。
話しを戻すが事前事後のどちらでも技術的には可能なのについて、どっちをどう選ぶかが焦点なのかな。

例えば上記の音量調節にしても、ペダルスティールGuitarが身近にあったなら正解はとても明瞭だ。
Hammond Organなんかもその口で、Claptonのハンドビヴラートと同等以上に各奏者の個性と腕の見せ所だったりするじゃん。

なのでリアルタイムでパラメータの変更がある様なのなら前、それが無いのなら後ってのを基本にするのが相応しいんじゃないかな。
山下達郎はBomberって曲のSoloのワウペダルを後掛けしたって言ってたが、リアルタイムでは「思った様に操縦出来なかったから」だそうでこれは例外の典型だろう。

<つづく>

2022年1月23日 (日)

音楽備忘録892 RockのスタンダードⅡ➑

本日はキーワードとして「時系列のズレにご用心」と掲げて進めてくが、Drumsetの音色設定と収録方法の関係では特に重要なんす。
この件も近年本邦の達人達の生の音を知れないシステムに難が大アリで、無用PAの乱用に負けた結果でもあるのよ。

一般のお客様に非日常を提供する手段の1つとして、無くても聴こえるのにPAを使って爆音化するのにもそれなりに意味はあるかも知れん。
継続的に自宅でも合奏しようとかしなけりゃ不用品なんで、個人所有して常用してる人ってかなり少数だろうし。

それとLive録音作品でも音質無調整の作品って、ポピュラー系じゃ先ずありゃしない。
んで元音・その加工等が何をどうしてそうなってるのかってのが只でさえ知り難かったんだが、小規模会場へ足を運んでも生にありつけないとなると素人にはお手上げだ。

となりゃ本家の生音はもう想像を中心に探ってくしか無くなるが、Drumsetの音色設定と収録方法の基本的傾向だけだったら個人でも体験的実験が可能なんだ。
これを重ねてくと「Micを通した音」のサンプルが蓄積されてくから、それを逆算してけばある程度元音も絞り込んでけるって寸法ね。

その際の留意点が組合せで今からしてみれば例えば50年前と60年前だと、大まかには殆ど唯の大昔だからつい一緒くたに考えちゃったりするんだよね。
実際の西暦にすると↑は’70と’60年代位になるんだが、その頃が楽器とMicの距離や本数に大きな変革があった時期なん。

それで具体的にどんな影響が出るかったら、似た様な音に聴こえても楽器自体の設定等にはかなり違いがあったであろう処。
影響の大きい順に列記してくと先ずはピッチ(チューニング)・余韻の長さ(ミュートの有無や度合い)、そして音質バランスの色々等がある。

ピッチについては私的にはロー好きなんで勝手に掘れたのかもだが、古典作品のは聴いた印象より実際は大分ハイピッチだったのが多かったとかね。
太鼓って口径次第で音量の出せる音程範囲に制限が掛ってんで、特殊状況の以外は印象通りに下げたら音量も追随しちゃって現場で殆ど聴こえなくなっちまう。

これを現代の一状況で例示すると、例えばMetal系のエレキではかなり下げたのも巾を利かしてるのにアコギでは全然少ないとかさ。
多分エレキみたいにGainを上げられりゃ低下した音量を補えるが、アコギじゃ無理だからなんじゃないかな。

アコでもエレアコなら補填自体は不可能じゃないが歪んじゃ駄目だし、ボディ等のタッチノイズも盛大に巨大化しちゃうもん。
それは兎も角中にはJazz時代のと楽器ピッチはほぼ一緒のでもそれよか低く感じらるのが少なくないのは、叩かれた強さが大巾に違ったから。

それと近年本邦では特にPA常用デフォなんで誤認されてるのが、「楽器だけの音が本当の音」ってヤツだ。
不特定多数に聴かせようとすりゃ聴者全員が楽器に張付くなんて不可能なんで、それからすっと演奏会場の響きが含まれてる方が当り前。

それからすっとⅡで演奏場所の残響込みのこそが「真の素音」ってなもんで、そんな環境下で狙い通りに聴こえる設定こそがモノホンって事になるんだよ。
そこで再掲になるがバスドラのローエンドの素晴らしかったのとして、The YardbirdsのStroll On
が1つの典型例なのを提示しとこう。

<つづく>

2022年1月22日 (土)

音楽備忘録891 纏めて録るかバラして録るか?⑪

恒例の前回補遺入りで続きを行くが、沢山重ねるスタイルのGuitaristにだって編曲力は要るわね。
鍵盤や歌だって同様なのにそれを前回記さなかったのは、編曲の意識すべき範囲に違いがあるからなんす。

曲のコード(和声)に抵触せん限り、↑等「うわもの」は比較的自由に振舞って差し支えない。
ってかBassとは音域が離れてるのが多いんで、ルート音喪失の可能性も自然と低いんすよ。

代表的な↑の例外としてはGuitarとBassって1オクターヴしか差が無いんで、真のユニゾンになるのも少なくない処かな。
但しわざわざ違う楽器で同じ音程を出す時って、端っから「独立して聴かせる意図」は無きに等しいっしょ。

誰がってよりその部分をどうあっても強調しときたいとか、聴こえる様にしときたい時だかんね。
つまりうわものの場合基本的には同一音域若しくはパート内での交通整理さえ出来てりゃOKなのが、リズム隊とは違ってんすよ。

又うわものの場合当たるのを嫌うなら、どれか他がイニシアチブを取ってる際には休みに出来る事も少なくない。
確かに独自の和声は個性等にも影響大なんで、それを決して軽視は出来ないけど。

けど曲にそれが必要なら伴奏の方を合わせりゃ良いんで、もし内弁慶的思考で為されててもセーフな事が多い。
Bassだって近年みたいにトラック数に余裕があれば、強弱やフレーズ違いのを数テイク録っとくのは可能になってるけどさ。

でもハーモニーの都合でライン(その音に至る経路
)の変更は利いても、特定箇所の音は変えられないケースの方が多いからなぁ。
先に入って無いと上へ乗せる人を困惑させちゃうが、バランスに関しては理想としては一番最後に入れられると助かるんだ。

と言いつつ現況は面倒臭いんで未実施だが、1,2番目と最後に入れ直すのも手なのかも知れない。
尤も強弱や音色以外で変更可能な箇所は多分僅少だし、編曲家マインドが不充分だと効果は低そうだ。

さてこの件打込みでは普通は「同時進行」になるんでその分楽にはなるが、特定箇所だけ音色を弄りたいとなるとかなり面倒な事となる。
音源が作り込まれてる程余計な強弱は付き難くなってるが、余程大き目バランスになって無い限り大抵は何処かで出過ぎたり引っ込み過ぎな箇所が出現するもんだ。

そんな時ゃ先ずは音量だけ盛ってはみるんだが、音色不変だとその分前述の通り盛り量を増さねばならない。
これが全体音量を酷く控え目にしてたらテンパらないで済むが、多少の歪みも辞さず上げたくともオールデジタルではそうは行ってくれない。

となるとBassパートの必要最大音量決定後に、もう一度他の全パートの音量を抑えめで再設定しなきゃなんなくなっちまう。
って裏を返しゃわざと当初は音量50%とかで作ってって、全体の構築が済んでから行ける処迄上げるなんてのが考えられるね。

只それで聴き取れる様にはなっても、極端に音量が違うのに全く同じ音色だと打込みのチープさが目立っちまう。
ならばと異なる音色のを用意するには、別にそれ用のトラックに必要箇所だけ打込んどいてっと。

そのトラックにだけMixerでEQを掛けとくとか、因みにこれは同一音色のバリエーションが無くてリアルの手動Mixingをしない前提での話し。
打込み最大の利点を利するには全部デジタルバーチャル処理するのが望ましいが、PC等でマウスとかでFaderをリアルタイム操作するとそれがノイズを出したりするんでね。

この部分に限ると例えせこくボロいのでも、リアル楽器を手弾きで加減する方が全然楽だったりする。
曲のニーズにも依ろうがどっちかったらドラムマシンは容認しても、ボーカロイドは拒絶なんて人が居たりするのはこんな処のせいもあるんじゃないか
と思うんだ。

<つづく>

2022年1月21日 (金)

音楽備忘録890 Drumハードウェアへの私的妄想&現実的解決策➑

今回は一時期のブーム以降Drumラックの可能性が実際より低く見られてる気がするんで、一般より広い観点から述べてみるだす。
前回それを見越して周到な計算からってのは真っ赤な嘘で、行き当たりバッタリがたまたま当たっただけっす。

ラックについては最近従兄と些細な問答があったんだが、彼らしい微妙に変態的なセッティングをするのにやたらと待たされたってのがあったんだ。
俺からすると宅での極限体験から普通のStandで困難なのは先ずラックとなってんだが、想像してみようとすらしない。

それでいて何時までも変に手古摺ってたんで、なしてそうラックを目の敵にすんのって訊いてみたとです。
そしたらCymbalを中心に「鳴りが変わってしまう」のが許せんらしく、要は「揺れる物を無理に止める」みたいなのが具合が悪いらしい。

コレ過去にHi-HatのStand・クラッチフェルトの記事で書いた通りで、普段全く気にならない人でも比べたら一目瞭然だったんだ。
現行のCymbalって中心穴の大きさが限られてるから、Cymbalと保持軸の間に緩衝機構を加える余地なんて殆ど無い。

って事ぁStandがCymbalにつられて震えてくれる位じゃないと、そんなつもりは全く無いがブレーキを掛けちゃってんですわ。
実際従兄のCymbal Standは必要最低限の強度のを意識的に選んでて、薄手のCymbalになる程どうにも無視出来ない位大きな影響があったよ。

けれどセッティングの自由度に関してはラックだったら、「脚が極端に減る」だけでも大違いだからね。
日本の常識!?ではDrumラックって一部のプロが使う物みたいな雰囲気があるけど、俺はそれって真逆だと思うんだな。

固まった自分のセッティングがラックじゃ無くて行けると分かってからこそ、ラックじゃ無くても良いってね。
主戦場が非持ち込みのLiveだったりすると微妙にはなって来るが、道具のせいで最適セッティングを見つけ損ねたりしたら勿体無い。

実際にはラックを使ったってかなり工夫を凝らさないと、そう簡単にはクリア出来なかったりするけどさ。
そう云やスポーツの世界でも海外比で日本って早期から「専念させたがる」が、それを極端に打破したのが日本人の大谷翔平ってのを良く考えないとですよ。

そこで提案且つ皆さんにお考え頂きたいのが「ラックでの追及度」で、独自改造や変態的使用法等のノウハウがどの程度蓄積してるかで御座居ます。
そもそもは完全独立Standから併設出来るのが次に生まれて、ラックってその後一番最後だからねえ。

尤も超黎明期にはテキトーに要るのを紐で縛り付けといたのなんかもあったみたいで、どちらさんでも全く出鱈目なのとキチンとしたのの間を行き来しつつ進歩してくみたいだがね。
実は俺も使い続けてある程度経つ迄は、Tom類の共鳴・共振の部分でラックには不安があったんだ。

もしかしたらギチギチに並べてるからそれもあるやもだが、すぐ近くにあると物理接触より空気振動の影響の方が断然大きかった。
それ処か実績的には同室内のGrand Pianoに最も反応しちゃってて、鳴り加減・響き具合を左右するのは圧倒的に周波数でしたですよ。

なので誰にでも同じ様になったりゃ多分決してしないだろうが、かと言って最大公約数が無いかったらそんな事も無いと思うんだ。
どっちかったら俺と従兄は逆サイドに居る感じだが従兄より遥かに拘りが無いにも関わらず、Hi-Hat関係のを悪影響の少ないので押通して来てたのはこっちだったりしたからねぇ。

<つづく>

※追記:通し番号の記入ミスから、公開順が前後してしまい失礼すますた。😓😅💦

2022年1月20日 (木)

音楽備忘録889 ケーブルの話し③

ケーブル接触に依る雑音混入の続きになるが、インピーダンス次第で影響度が変るのへフォーカスして行こう。
オーディオ系由来の高級ケーブルの俺的には失態、又しても「分断化」がその根底にあると考えられるのだ。

現代では電気楽器以外でハイインピーダンスのなんてほぼ絶滅してて、故にこれの実体験が無い≒ハイインピーダンスの使用実情を知れないにほぼ直結している。
その中でも特に「ハイインピーダンスのままじゃ無いと困る」理由が最大の焦点で、具体的にこの苦難に一定以上直面しないと脳内で理論を凌駕するのが困難な様だ。

何せあらゆる所で低雑音化と伝送の質を上げる為に、長年苦労してインピーダンスを下げて来た膨大な歴史があるんでね。
電気屋的にはわざわざ不利な旧式のを非推奨とするのは当然で、俺言い「電気楽器音響学」とか「電気楽器音響理論」ってカテゴリの概念すら日本じゃほぼ未普及だしさ。

だが本来なら汎用電気理論の他にどの分野でもそれ用のスキルがもっと要る筈なんだが、中身じゃ無く学歴だけで履歴書すら読み飛ばしてる有様だからな。
結果的に近年本邦ではどちらさんでも相応しい者が担当してなくなっちゃって、業績が振るわなくなるのも至極当然なんですがね。

だからってこちとら時には死活問題になるんで迎合なんてしてらんないが、音色が変わってもローインピーダンスにして構わんなら一気に解決しちまうだす。
管球式以外のオーディオ用のケーブルだったら、接触に依る雑音混入は末端順位の要件になってくれる。

但し例外が皆無な訳では無く、Micやヘッドホン・イヤホンでは例の俺言い「糸電話効果」が残存している。
つまり電気的に無関係になってても物理的な方が残ってて、これもハイインピの件と近い位そこそこ大事なのにアナウンスが僅少だ。

これも含めここからはパート別の必要条件へ進めてくが、楽器では系統次第で混在してる処が他と違っている。
先ずは条件の変動がほぼ無い方から行くが、歌・Drum・打込み等では殆どオーディオ用のと同じに考えて構わないから現代では楽ちんグループだ。

Drumには大枠で生のと電子式のがあるが、大昔の極一部の電子パーカッションを除けば方式が違ってもインピはローのばかりだ。
インピはほぼハイ側固定にはなるがGuitar・Bass類も、特殊なのを除けば楽器用Ampへ繋げられる都合でそう思っときゃ良い。

厄介なのは鍵盤系で、特に所謂マルチキーボーダーの方はロー・ハイ両方のの常備が必須だ。
奏者的には鍵盤のタッチとか機能の違い程度に感じられるが、機械的には異常に巾が広いんですよ。

中でも電気楽器系のがややこしく、設計時期等で「繋ぐ相手」の想定が違ってたりするからね。
例えばもう全く作られなくなって久しいけど、YAMAHAのCPシリーズ(エレアコ方式の)みたいなのはそんなにローインピにはなって無い癖に繋ぐ相手はハイのの想定になってない。

Fender Rhodes等の所謂エレピは真空管Guitar Ampに繋いだって何とかなるが、CPでそれをしちまうと本来の音色は殆ど得られなくなる。
要はエレアコタイプだからなんだろうが、エレアコでもGuitarのだったらGuitar Ampへ繋がれる想定が殆どので一応はされてるんだけどね。

音域の広大さや登場時期のPAの様式(鍵盤系はPA出し)もあって、そうしといた方が便利だったんだろう。
かなりカビ臭い余談になるがそんな中Nena(Band)のヒット曲のシンセが、Ampに繋いだ様な音にしてあったのがその当時は一寸斬新だった。

尤もかなりLo-Fiになっても珍しゃOKと考えての事かどうかは知らんが、鍵盤奏者の一存で選択出来る様な代物じゃ無かったよ。
今時先ずそんなお間抜けさんは居ないとは思うが、知らず考えずに不一致ケーブルを使ってるせいで「アイツはロクな音がしない」なんて思われてたら不幸ですわよ。

<つづく>

2022年1月19日 (水)

音楽備忘録888 録音でのプロとアマの違い⑨

既に色々記した後でとは正に杜撰だが、プロとアマの最大差は手早さなのを思い出したので○×△□…。
世間的印象では「このアルバムには3年も掛りました」なんて方が印象深いが、単に弾く・録る・混ぜる等にそんなに時間を掛けたりゃ先ずしてねんだ。

って今一承服し兼ねるとしたら少なくとも必要とあらば、幾らの準備も無く何時でも手早く水準に達したのを提供出来るって言うべきかな。
以前にごく普通の生活をし乍ら全く普通じゃない音を継続的に出せるとも記したと思うんだけど、↑が会得出来てないと安定した活動なんて続けられないんだす。

その最大要因はやはり期限でして、ビジネスとして自分達以外の人のお世話にもなる以上は決め事はどうしたって必要なので御座居ます。
ベテランの大御所ともなりゃ傍目には全く自由に振舞える様に見えたりするが、会社の稼ぎ頭になると社員の給料を確実に捻り出さなきゃなんないす。

すると新作を出せないならその分Liveを演るとか、各種イベントその他へその分沢山参加するとかしなきゃなんないす。
そりゃ契約内容次第では「出来たら持ってくだけ」なんてのも皆無じゃ無いが、それが可能なのは他に充分な資金源なり別事業をやれてたらの話し。

それ以前に既に大御所になられてるなら兎も角歴だけ長くたって俺みたいな末端君では、仕事単価がひもじいんでそんな呑気にやるのは全くの無理ゲーでごわす。
或は歴が浅いとやはり実績の蓄積量に乏しいんで、発注側は万一駄目だった際のマージンを多目に確保しときたい。

これ等事情から理想はクウォリティの高さ一点なんだけど、現実的には期限尊守とか急に頼んでも待たされずにこなしてくれるって方が優先になってんだわ。
若い頃は「大きな間違いさえ無きゃどうでもいいからサッサと終わらせて」なんてのには、強烈な抵抗感と尊厳の侵害を覚えたもんだがね。

今 時を経て冷静に分析するとそんな言い草は不適切だが、1つ演るのに時間が掛かればその分演り直す時間が減ったり出来なくなったりするんだよね。
どんなにポテンシャルがあったって完成に漕ぎ付けられんと、その一端を世間に知って貰うのすら出来ない。

なので上手く行けばベストってより、下手してもベターが先に必要になっちゃうんだ。
だからってベターだけで満足しちゃったら伸びしろがあってもそれを刈っちゃうから不味いけど、プロになれるのと上手なプロになるのは一寸別って事なんすよ。

又人間が日常的にやってくとなると体調やバイオリズムに波があるのが普通なんで、言うなれば「氷山の一角だけで飯が食える」状態の構築が必要と。
この件で私的には注意すべきと思うのは、ミスっても平気なLive時と正規録音で差があり過ぎたら美味しくないって処かな。

俺知りでこれを正攻法で最も上手くやってのけたのがBeatlesで、性悪政府に騙され切って修正しまくる何処ぞの国の今とは正反対でごわす。
曲を聴かせるのに無問題だったら敢えて直せるのをそのままにしといた体で、仕事をよりやり易くする為に余計なハードルを上げない為の作戦だったとも言えるんじゃないかな。

一方で当時対極にあったのがThe Monkees、ファンのキッズ達にはバレない程度にアテ振り(但し楽器のみ)。
だが今の口パクラーとは別物で元はTV番組の役者としてだけの登用にも拘らず、半分は歌手等のタレント残り半分はミュージシャンとして既にプロデビュー済みの人達だった。

今みたいなバーチャル加工が不可な当時としてはそれだって立派な紛い物!?ではあったが、歌は丸々本物だし一寸だけ弾いて見せる位は朝飯前だった訳だ。
素人に対してはハイパー加工があるとどんな偽物でも構わんかもだが、業界内→舞台裏の時点では今だって「加工前」しか無いんだからやっぱりマージンが要るのはホントは変わって無い筈なんだけど…。

<つづく>

2022年1月18日 (火)

音楽備忘録887 RockのスタンダードⅡ➐

今日は一応「歌物Rock」に絞っとくが、Snare音色とバスドラのフレーズについてだ。
元は個人の趣味性から気になり出した本件だが、近年本邦でその利点迄軽視され過ぎてるのに抗いたくなっての投稿だす。

俺言い「無為なドンパン節」(つまり意図してそれが成立してるのは除く)だと音色アピール位しか余地が無くなるから、Snareを中心により目立たせたいって心理が働いても仕方無かろう。
単に流行りだとかそんな程度の事かも知んないがそんなんするより前に、RockとJazzやClassicとの違いを気にして欲しいんだ。

それは奏でられる音量とか強さの割合で、Snareって弱く鳴らせば響線(スナッピー)主体の音になるのは今昔やジャンルの影響と無関係だ。
なのでフルストローク頻度が低ければどんなに派手な音色設定をしといたって、実際に悪目立ちする部分は限定的になるだす。

ってのの裏を返しゃ歌物でバンバン沢山フルで叩くなら、目立たせ過ぎはお邪魔虫となり兼ねないのをもっと考えなきゃね。
一方でこれが第2のポイントになるが、ほぼどんな歌とでも音域の全く違うバスドラならもっと沢山鳴らしたって↑の心配は僅少だ。

これに着目した最初が個人的にはRingo氏辺りと感じられ、それ迄の「小細工するなら手が中心」から脱却したのもRock固有の特徴じゃないかと思ってんだ。
Beatlesはシンプルとずっと思ってて間違いでは無かったけど、後になってメジャーデビュー寸前の音源が聴けた時かなり違和感を覚えた。

少なくとも当時のポピュラー系としては音数は多くアンサンブルも複雑で、それを直後のLove Me Doでは極限迄単純化させてたんだね。
どうやら「盛り過ぎて失敗」かと自己反省でもしたらしく、若造の想い付きによる安直な盛りへ一遍リセット掛けたんだな。

誰だって何かやっと出来る様になったら早速使いたくなるもんで、成長期にはどんな分野でも起こりがちな現象ですわ。
処でバスドラだって音量的にはアンサンブル内で最大になってんのが多いんだから、下手に乱打すりゃ邪魔になるんじゃって疑問にお答えしときますね。

確かに曲やフレーズと合致させてなかったらその懸念はビンゴだが、他ジャンル比だとRockだったら最もそうなり難い背景ってのがあるんすよ。
それは伴奏の音域が低い方へ偏寄してる処で、低音域だからこそ少々乱暴にガンガン鳴らしてても何とか人が堪えられるんだす。

音のエネルギー量は音程の低いの程大きいんで「運動会の次の日の筋肉痛」みたいな疲労感は拭えんが、黒板やガラスを擦った「キ~」みたいに一瞬たりとも我慢してらんないのとは質が違うでしょ。
より聴者への低負荷が求められるPops等よりゃこの許容値が高く取れるのからすると、差し詰めハロウィンの日は普段より変態扱いされずに済むコスプレイヤみたいなもんなのよ。

まあだからって素質的に足より手が得意なのを無理に曲げたりゃせんでええけど、それならせめて手が悪目立ちしない様な配慮位はしといて欲しいんよ。
それと内容は次回へ譲るけど録音の仕方とも密接な関係があって、On Mic収録って現場人耳平均より余韻が長く大きく録れちゃうもんだかんね。

バスドラだってノーミュートでオープン踏みがデフォのジャンルだったら、やたらドカドカしたら訳分んなくなるけどさ。
とどのつまりは単にバランスの問題ってだけなんだがね。

<つづく>

2022年1月17日 (月)

音楽備忘録886 纏めて録るかバラして録るか?⑩

何時迄続くか分からんコロナ禍では一発録り(纏めて録る)のはより困難化してるが、分割するにも色々と条件ってのがあるんで一部概述だが今回からこれに特化してこう。
比較的簡単に気付けるのは休み部分の多いのとか、途中から登場するパートを後回しにするのだが…。

私的にには丁度今直面してるのもあって、それ以外で気になるのがバランスの問題なんだ。
技術面だけなら後加工でも補えはするが、表現やらニュアンスやらも含めると演奏以外の他力本願にはかなりリスクがあるのよ。

それ何ってアンサンブルバランスのハーモニーや、曲のコード感の維持についてなんす。
その中で複数入ってて構わん物ならどうって事ぁ無いんだが、基本的には継続して同じのを入れとかないと変になるBassの扱いがさ。

過去’70年代の米作品のMixでは堂々とFaderでバランス変えちゃってるのがあって、例えば歌バックでは控えといたのを楽器Solo部ではガクンと大きくしちゃってたとかだ。
そうして録られた作品をLiveる際にもFader弄ってたかは様々だった様だが、BassだってSolo部とかLeadを取ってる部分でだけならまだ良かったんだけどね。

家で聴く分には兎も角、それをカーステで掛けると結構困らされたりするんだわ。
燃焼機関(エンジン)やロードノイズ(主にタイヤと道路の接触音)って低域が主体なんで、正規のオーディオ理念には反するが「聴こえる処迄音楽側の低域を増し盛り」しとかないと淋しくなるじゃない?。

これの面倒なのが大抵はずっと一定速で同一路面状況が続いてなんかくれんので、辛うじて聴き取れる⇔うるささや過多に耐えられるのの間を取る事となるす。
それには途中で急変されては迷惑ってもんで、録りや混ぜに関わらず再生装置・環境差に対しての究極の課題ではあるんだけども。

って随分お客さん忖度かったらそれも無か無いが、提供する側として↑の小さいサイドは最悪聴こえなくなっても構わんって覚悟をしとかなきゃなんないでしょ。
それもBassがお留守になっても和声に悪影響が無きゃの話しなんで、Rock系みたいにお留守厳禁の編曲のだとそれじゃあ不味いやね。

勿論編曲から予測して加減して弾いてはいるんだが、特にバスドラが大きく鳴る箇所で埋没するケースが後を絶たない。
って太鼓から先に録りゃ良いんだが、現況では従兄の意向でそう出来なくて。

尤もDrumファーストでも太鼓の広大なダイナミックレンジに、電楽器如きでは対応し切れない事もままあるがね。
Baasistとして努力の報われに欠損が出るのも惜しいが、それより問題になるのが和声の崩壊なのよ。

これに対する安全策はBassを大き目のMixにするのが一番だが、太鼓大き目バランスにしたいとなるとこの効力は弱体化しちまう。
故に不完全であろうと録るに際し予測精度を深めようとするんだが、リアル合奏体験抜きだとより厳しくなる。

とは言え無対策で只弾き易さにかまけててはもっと酷い事になるんで、無駄骨になるかもを覚悟してでも「曲としてのダイナミクス」は大いに意識しとかんとね。
これ確かに後加工で細工出来る様にはなったけど、「強い大きい箇所の方がヤワな音色」なんてなっちまうとやっぱ変だもん。

更に駄目押し付記しときゃ音色次第で認知度に差も出るんで、弱く弾いたのを基本的にレベルだけでバーチャルフォルテ化するには大巾な増し盛りが必要になる。
んでそんな真似すると今度は他パートを隠蔽する可能性が出て来たりするから、最低でも「弱くは弾いて無い音色」になってないとこの手は困難だ。

リアルアンサンブルで演り慣れてる曲だったら無意識でも自然とバランスさせられたりもすっけど、ホントの新曲だと非コロナ禍で頻繁に合奏出来ててもそこ迄には到達出来て無いケースも少なくないんでね。
この面からBassistは、最低でも「Band内のプチ編曲家」であるべきなのが要求されてるって寸法あるよ。

<つづく>

2022年1月16日 (日)

音楽備忘録885 Drumハードウェアへの私的妄想&現実的解決策➒

予算と根性不足から今はアイデアしかほぼ提供出来ない超低責任状態だが、ラックでのCymbal鳴り対策が色々浮かんで来たんでそれを。
その前に最近はバスドラにもラックにも「乗って無いTom」を散見するんで、それについてから。

共振の面ではCymbalと関連があると思えばこそなんだが、Drumset足回りの交通整理が一番の理由なのかな。
シンプルなセットだとラックも足の形状に依っちゃ案外無駄な場所塞ぎにもなるし、Tomの邪魔にならないCrash位置を保持するにはCymbalとの抱合せは良いアイデアっぽい。(もしズレる時ゃ必ず一緒になるんで
)

これだってもし見た目や音が嫌いだったら没だが、やるやらんは別として少しでも知識は多い方が良いと思うんだ。
その他の利点としてはゴツめのStandにし易い点で、2本だとつっかえても1本ならほぼ心配無くなるもんね。

けどこう云うのってラック使用のCymbal Standにも幾らでも余地はあるもんで、改造や魔用ほぼ不要のから記して行こう。
処で書き漏らしてたが俺が主に想定してるラックは元祖タイプので、足が縦にしかないタイプだ。

横向きがあったら駄目って程じゃ無いが、縦足オンリーで自立させられるには真上から見たらコの字型とかにしとかんと無理だからね。
逆T字型足のは囲われ感が無いのは良いが、捉え方次第ではラックじゃ無くて「大胆に横幅の広いStand」とも看做せるじゃん。(大分無理筋かも知れんが💧)

では先ず独立Standに近付ける手段としてパイプ長さに着目すると、①わざと遠くからにして長さをより稼ぐ。
ゴツ過ぎるのだとチャラになっちまいそうだが、短いよりゃ少しでも長い方が弾力が増すのは確かだ。

一般論からしたら安定性を低めるだけだが、現況で最長になってなきゃ即座に少しは試せるぞ。
恐らくわざわざ最非効率にしようってんだからとってもヘンテコなルックスにゃなるだろうけど、取敢えずは長さで違うかそれがどれ位かが知れりゃ良いんじゃねっと。

②は俺言い仮称「Trombone式」でかなりアホっぽかなるが、ラックからの縦軸を一旦地面近く迄行かせてから折り返すとか。
これを試すにはパイプとパイプ連結部品の追加購入等を要すが、まだ改造や魔用(ここでは想定用途外の使用法)の必要が無い。(単に非効率にするだけだから…)

奥の手!?の③は影響が多岐に渡っちまうが、ラックの横軸位置を地を這わんばかりに下げてしまうってのだ。
発想としては地面がラックの横軸になっただけってイメージで、万一これの音に文句がある奴ぁ金属パイプ等で組まれた舞台は絶対拒否れよ…なんちゃってね。

屋外イベントの仮設舞台には現にそんな構造のが多いんで、ラックを使わなくったって「引き籠り専門Drummer」じゃ無い限り近似条件が何時か何処かでその内強要されますぜ。
続いては長さ不問でパイプの重量と硬度へ焦点を当ててくと、実は独立Standよりラック利用の方が選択肢は増えるんざんす。

宅でも経費圧縮も兼ねてMic吊下げ用の縦軸は、突っ張り棒式カーテンレールだとか本棚に付いてたヤワなパイプとかを魔用してるんだ。
これの発想元はラックとパイプを締結させる部品に軽量フリーサイズ(軸径)のがラインナップされてたので、Drum規格用のより廉価だったのが駄目押しになっただす。

現況ではパイプ強度がチープ過ぎなんでMicが無駄にプルプル揺れちゃったりしてるけど、録ってみたら俺程度の腕前では何の不具合もなかったんでそのまんまになってるよ。
まあこれは超高域を濁らす可能性が高いんでわざわざする価値は無いけど、専用のだけで買い揃える呪縛から放たれればかなり発展性を秘めてる一例としてね。

<つづく>

2022年1月15日 (土)

音楽備忘録884 録音でのプロとアマの違い⑧

オッサンしつこく球球言いはるけど明瞭度一択にそんなの要らへんなアナタ、結構そうでも無いから執拗に吠えてるのに気付いとくんなはれ。
これ確かにパート別単独で聴けばそう感じても仕方無いんだけど、アンサンブル全体で聴くと俺言い「忖度戦法」には絶大な副作用があるんでおま。

俺忌避「現代本邦劣化J-POP」で不毛の音圧競争に陥ったのにも大いに絡んでて、↑の忖度戦法は他の犠牲の上にしか成り立たない明瞭度だからなんス。
古い録音の程コピーとかの為に聴き取りするのには難儀させられがちだが、実は近年本邦のでも案外よく分からない箇所ってあったりするぞ。

ではこの件の分析を進めてくがそうなるのが昔のは主に記録洩れで、例えば非BrightなBassのローエンドがあまりにも生より拾えなかった等に起因してるのが多い。
コレ明瞭度の基準が現代と異なるのも要注意で、かつてはどのパートにも所謂「エッジ」が求められたりなんてして無かったんだ。(そもそも充分に記録・再生するのが不可能だった)

音響関係全般が未発達だとなりゃどの段階どの方法でも、先ず瞬間的な音はそのままは扱えない。
それが録音に限らず生演奏ではもっと顕著になってた訳だから、もしかしたら60年以上前の世界へタイムスリップしたら皆から「音のエッジって何?」って不思議がられるかも知れんよ。

特に生楽器では無響室で至近で耳にする以外、現代的な録音物でのエッジ音に近いのを聴くのすら不可能だから。
つまり極論しちまうと「現代的エッジ音」ってな一種の捏造物とも看做せ、今だってそれ用の少し特殊な手段を使わなければ実在しない存在なんすよ。

そりゃ「浮気は文化だ」みたいな観点に立ちゃ盛り文化の1つではあるんだが、デジタル合成等抜きだとアニメ化は可能でも実写化は無理な映像世界みたいなもんなんよ。
さてではこの時点で敢えて盛り文化発祥の謎!?へ迫ってみると、結局はリアルにだけあってバーチャルでは得られない弱点の補填なんだわ。

んわ兎も角ではエッジ以外に分別要素が無いのかったら全然で、寧ろエッジが提供出来る要素って殆ど発音タイミングだけなんだよねぇ。
共通最大の分別要素ったら何たって音域に敵う物は無く、しかし近接してたり被ってると効果が薄れたりするけどね。

キリが無くなるから本題へ戻すが、そんなだからBassだったら必然的に先ず低域の状態をコントロールしようと思う人が主流になんねん。
これへ人間味溢れるエゴ!?も追加してやりゃ、何しろBassでは低域に最も敵が少ないしね。

現実的には周囲音質の変化からも高域は無視出来難いが、優先順位は不変のままと感じている。
私感としては顔立ちみたいなのはエッジ音の方が貢献してくれるが、「居るか居ないか」では低域に支配されている。

「エレキBassはどれだ?」と探せばエッジ音が無いと見付けにくいが、「ルート音は何?」って聴き方をすると少なくとも「低域の予想が付く」音が入って無いと分からなくなる。
差し詰め個人の特定とアンサンブルとしての配役のどっちを優先するかみたいなもんで、最近のは誰が何を奏でてるかに拘り過ぎてるのかも知れない。

Cymbal等の元から高域主体系のと比べると、所詮Bassなんて音色的には目立ち難い存在なんだ。
だから個性も単体音色より先に内容に求めるのが相応しいし、その方が効果的なんすよ。

強いて他の解決策を挙げとくとすれば、他パートの低音過多を駆逐する事かな。
単体聴きするとローもハイも忌憚なくワイドレンジな方が美麗だが、実際にアンサンブルになるとその全部なんて聴こえなくなってんだ。

流石に私的には’70~’80年代のLAサウンドみたいに低域を必要最低限迄絞る気にはなれないけど、高域だってそうだが楽器が一定数を超えると全員常時主役ってのは無理がある。
こんなの他力本願みたいで情けなっぽいが、アンサンブル全体のバランスの為には元々必要且つ重要な視点なんすよ。

<つづく>

2022年1月14日 (金)

音楽備忘録883 RockのスタンダードⅡ➏

では前回の続きだが最後部のボヤキを、より分かり易く変換するのから行ってみよう。
私感ではあるがDrummerって内容がキャッチーな人が、
他パートの人と比べると 割合が少ないなとずっと感じてたんだ。

特に小編成だとDrumのみが殆ど音程を扱わない特殊性からかもだが、確かに安易にキャッチーさへ振ると他のよりチープで浅はかな雰囲気に陥り易い。
俺自身Drummer耳の成長するにつれ、昔評価してたのの中に今だと稚拙さを感じる様になったのが出て来たりもしている。

しかしこう云うのってその世界固有の価値観に過ぎず、アンサンブル全体の観点からすると一種のナルシズムとなり兼ねないんだ。
お前兼業だからそこだけの評価が低目でも耐えられるんだろう、こっちはコレしか無いんだからそれじゃ困るんだって?。

確かに特に日本じゃそんな側面は無視出来ないが、表面上深みには優っててもそっちへ振った時の副作用への認識不足は大問題でもっと深刻なんすよ。
独自性とか個性の生成にはベーシックが複雑なの程不利で、どうしたって柔軟に弄れる箇所が減るからなんだ。

にも拘わらす何故技術至上主義みたいになってるかったら、一時期わが国は世界一の工業国だったからなのかな。
世間の関心事で新しくて高度な技術で儲かったみたいなのが主流になってると、音楽だってそんな部分の目立つのの方がウケが良かっただろうからね。

けどポピュラーミュージックってな系統的には「アイデア商品」方面の代物で、本質的にはこんなのとは逆の面に優れててそこがウケないと仕方ないもんなのよ。
極論しちゃえば「幾らでも平気でバカのフリが出来る人」にしか、Rockをやれる資格が無いとでも言っちまおうか。

この件の象徴としてもCharlie Watts氏の本邦での誤評価は致命傷で、彼はプロのJazz Drummerとして最低でも平均以上の技術を持っていた処だ。
Ringo Starr,Al Jackson Jr.,Mel Taylor他も完全にこの口で、実は技に余裕があったから思い切って切り捨てる事が出来た人達だったんよ。

コレ単純でテクレベルは低目のフレーズでもその精度を突詰めようとすると氷解して来るんだが、16分音符が叩けん奴だと正確な8分音符は叩け辛いとかに表れてんだ。
単なる練度とかより分解能が高かったら、ズレた際にそれがいとも簡単に分かっちゃうでしょ。

人間シーケンサの分解能が8だと今のと次ののどっちに近いかで判定が下されるんで、16分音符1個分にギリギリ満たなかったらセーフになっちまう。
だがもし脳内カウントが無意識下で32分音符だったりしたら、どんなにいい加減に取り組んでたって32分音符未満のズレじゃないと認可が自然と降りなくなるやん。

コレⅡで例えば16Beatの曲で正確な4分音符を叩こうとすると分かる筈なんだが、叩くのは4分でも脳内カウントは最低で16分にしとかないと合せるのエライ大変やでぇ。
つまり肉体的には細かく多く鳴らす方が負担が多いが、どのタイミングで鳴らせば良いかに関しては真逆になってんだよね。

↑で挙げた中でRingoは特にガードが堅くて!?未だに尻尾を全く出してくれんが、その正確さからすれば少なくとも頭は超ハイレベルできっと前か後ろかどの位どっちにズレたか常に認知出来てるんだと思うんだ。
又この件は誰かがとても細かい音符を弾いてるのとどれ位余裕でシンクロさせられてるかに表れるから、オーディション時等にはそれで判断を付けられるよ。

斯様に素人考えだと耳に単純な程演り易そうに感じられるが、実際にはシンプルにする方が大変な事も少なくないんだ。
他パートでも限られた音数で魅力を出すのに腐心する事があるが、Drumの場合はそれ処じゃ無かったんっすよ。

<つづく>

2022年1月13日 (木)

音楽備忘録882 ケーブルの話し②

さて前回の流れから今日は使用中に動く電気楽器に相応しい、ケーブルの要件を整理してみよう。
普通先ず気になるのは音質や耐久性だが、併せてワイヤレスにも少々触れとこう。

俺自身は表向きは望まぬインピーダンスの変化・内実は貧が為、幾らも大人しくしてられない癖にワイヤレス機器は未だ未所持が続いている。
一般的なストンプで歪ませてるならインピ案件はほぼ無関係になるが、録音で使えない(若しくは使わない)のより両方に使うのに予算を回さざるを得ないしね


それでいてある理由から自分からは所謂高級シールドを全く買わないんだが、これこそが今回の話しの核心なんだ。
前から薄々気付いてはいたが仲間の大盤振る舞いから、その類のを貰ってより確信が持ててしまった。(大変有難かったですが…💦)

頂いたのはどれも超高性能な優れ物で、誰にでも直にハッキリ分かる程音質の良い物だった。
だがフトしたキッカケが元である不都合が判明し、折角の優れ物も使用時を著しく限定する様になってんだ。

勿体付けずにそろそろそれを晒すと、接触時にそれが雑音として入ってしまうからなのだ。
当初は以前述「糸電話効果」でPUに伝わったのかと思ったが、試しにケーブルだけを繋いでそれを指先で弾いてみたらしっかり音が出ちまうじゃありませんか。

万一劣化が原因でそうなった可能性もあるんでネットを漁って調べてみると、この手のケーブルの開発経緯にある共通性があるのに気付いたんだす。
それは源泉がオーディオ系だった処で、あちらでは伝送特性に特化して磨きを掛けるだけでさして問題にならないんですがね。

人がぶら下げて使う楽器とかだと完全静止状態になんて滅多に無いんで、動いて音が出る可能性のあるのの方がもっと困るんすよ。
電気的に伝わりが良い材(ほぼ金属)って高純度高密度になるんで、そうすっとCymbalや音叉等それ自体からして「良く鳴る物」になっちまうだよ。

実際に曲げ強度も強めになりがちで、その面でも不自由を来す事もあるしね。
これって良く思い出してみればMic用のケーブルでも同傾向があって、置いとかないヤツにはケーブルの柔かさの方がもっと必須なんざんす。

ここで重要なのがケーブルの外装と芯材の両方が一定以上に柔軟である事で、主に外は俺言い「糸電話効果」への芯材(電線)は俺言い「接触鳴き」の耐性に寄与してる。
エレキみたいなハイインピーダンスだと接触音の根絶は原理的にどうせほぼ不可能ではあるが、どの程度伝えきれてるかよりコン・ポン・ボソみたいなのは誰にでも一発で分っちまうやん。

なので常時最良の環境下で演れる人なら兎も角、狭隘でゴチャ付いた所での方が多い俺みたいなのには伝送性能特化品はマッチしてくれへんのどす。
この件海外でだって一寸そんなだが、私的には日本で楽器音響界が不当に低く扱われてるのも大いに災いしてると感じられるよ。

かつて若い一時期にはカタログスペックの絶対値を盲信したりしちゃって、米のより日独ののほうがどれも優れてるじゃんなんて悦に入ったりもしてたがね。
想定範囲の広さみたいな点で多民族国家の強みが自然と出たのか、何故ずっと米が世界を席巻してるのかの一端が垣間見えた様な気もすんだ。

趣味性とか風情みたいな面では欧州やアジアののほうが味があって好ましいが、井の中の蛙になり過ぎるとそれすら活かせなくなるのでね。
只これにスポットを当て¥数万の高級品と一緒に公開実験するにはかなり勇気が要りそうなんで、弱小発信で広めるのも厳しそうだ。

なるべくなら暗黙の了解みたいに水面下の知識にはしたくないが、だからって購入者だけが不具合を負担するんじゃ癪に障るんだす。

<つづく>

2022年1月12日 (水)

音楽備忘録881 纏めて録るかバラして録るか?⑨

さて今回のは若干本項⑦の蒸し返しっぽくなっちまうが、グループ(若しくは録音時の人数)と必要パート数の問題についてだ。
少ない目なら補填に多い目ならお休みの宣告に苦慮させられたり、中々常にジャストフィットとは行かないもんだ。

俺は小編成の特に最小のトリオ体験が多かったからかはたまたコロナ禍のせいか、或は加齢でか分からんが最近は大編成に対する羨望が強まったりもしてる。
だがコロナ禍じゃ無くても資金も含めた運営が難関で、その中から私的気付きの幾つかを提示させて頂こう。

1.作編曲者が全員か否か
実際の負担割合は変動があって然りにしても、全員で作ってたなら単に演奏だけお休みって事で済む。
或は真逆に1人の天才を他の皆で支えようって趣旨なら、幾らも弾かなくて均等割りの経費を払う事となっても抵抗は無いかも知れない。

だが一定以上の人数でチームを組むと必然的に分担が細分化するんで、文句の出難い状態を維持し易いのは下世話だが結局は財力に帰結したりもしてしまう。
上記後者のも考え次第では才能を一種の財産とも看做せる訳で、打算的に過ぎるかもだが人の心の欲に自然に対応させるには必要な際も少なくないと思うんだ。

自称貧キングが突然妙なのを言い出してる様に思われるかもだが、急遽の出費が非対応だと先に考えとくしか解決策が無かったんよ。
この件本質は気持ちの問題であってお金じゃない筈だが、少なくとも資本主義社会では何を実行するにも先ずは「先立つもの」だし。

気持ち重視であればこそ飽く迄個人の見解やが、せめて金銭面での不平等感位は退治しときたいと思うんだ。
曲の出来栄えを最優先にすると出来た曲次第でパートや編成の人数の方は、弄れないし弄るべきじゃなくて融通が利かせらんないんだから。

2.本邦Rock系では編曲に対する認識が希薄
これは手前味噌でずっと虐げられて来た!?からちょいとナーバスにもなるが、演奏力と編曲力を分離して捉える力に劣った輩のなんと多い事か…。
小編成且つ低力量の内は演れる手段に乏しいんで気付け難くても仕方無い側面もあるが、カバーをする際にはとてつもなく大きな影響が露呈する。

近年本邦では不適切な著作権の事情もあって他人の曲を演るのが激減してるが、編曲を学んだりその力量を上げるには由々しき問題と考えている。
それ以前から概知の曲だと編曲や演奏のボロが露呈するのを嫌った面もあったかも知れんが、カバーから逃げ捲った処で「バレるタイミングを一寸遅らせる」効果しかおまへんでぇ。

悪い意味で自作曲に拘り過ぎてる方に是非お伝えしときたいのが、こんな一種の過剰保身って却ってブーメランになったりもする処でゲス。
実は曲はそこそこの出来なのに、劣編曲のせいで低評価されてたら勿体無いしね。

まあ曲自体への興味が強いとどうしたってそれ以外の部分のは薄くなるもんだけど、作曲・編曲・演奏と場合に依っちゃその録りってのは全部表裏一体でセットになってる物ですんでね。
不特定多数に対して最も有効なのは一点豪華主義では無く、各要素のレベルバランスの良い物の方だ。

上記2点の解決策の1つとして、不要人員の追放にバラ録りもある訳だ。
只弱点としては活動初期のLive時に苦労させられる処や、リアルのアンサンブル経験値が殆ど稼げなかったりする。

しかし又々私的ではあるがそもそもたった1つので、各スキルアップを賄おうってのも虫の良過ぎる話しなのよね。
上述の如く作品尊守にはバランス優先になるが、どれか1つだけを追及するにはそこのレベルは高い程良いやんか。

それからすっと録るののバラのみならず各分野のレベルアップの取り組みにも、ある程度バラして考えるのがどうせ要るんじゃないのかな。
大体に於いてどの世界でも兼業で失敗とか弱点が露呈するのって、本業じゃないんだからこの程度で良いやなんてするからだろうから。

<つづく>

2022年1月11日 (火)

音楽備忘録880 録音でのプロとアマの違い⑦

では研究価値のありそうなのをこれから提示してくが、今回は機材のセレクトをテーマとしよう。
何時まで経っても平民に手の届かないのも残っちゃ居るが、体験的にはやはり時代が下る程そんなのが減り続けてるのは確かだよ。

目的次第で様々ではあるし俺の趣味性も皆無じゃないが、先ずは真空管機器にもっと興味を持って頂きたいのでありんす。
貧なのでアイデアが浮かんでもどれもを即試出来ないのは苦しいが、例えばエレキGuitar内蔵のBooster兼用BufferをNutube化してみたいなんて野望もあったりする。

球ってどんなタイプのにせよ基本的に振動耐性に乏しく大飯喰らいだが、その中ではNutubeがもっともマシなんでね。
音的耐振動性の不利はPickupやエンクロージャの上へ直設置したAmp Headだって中々のもんだから、何とか同じ様に処理出来たらなぁなんてさ。

とは言え最大限に上手く行ってLiveでも使用可能となりゃそれ位で限界で、雑音源の少ない環境下だったら内蔵する程近付けられなくったってへっちゃらなのだ。
そうなると俄然選択肢が拡張し先ず増幅素子(ここでは真空管)本体の価格からして、
上記君だと¥5,500なのが最安¥1,000位からと⅕に低下する。

尚且つ↑は発端に過ぎないんで使用条件の厳しさが緩和するとかなり影響が大きく、Live使用を前提としなければ今だって誰にでも手が届く範囲の代物なんだ。
とは言え最新半導体機器の方が便利で用途も広いのに何故こんなに推すのかったら、録音物の方がLiveパフォーマンスより長く「そのままの状態」で残るからなんよ。

この先は実体験が無いと少々納得し辛さそうだが、例えば’70年代のLiveだったら当時として平均以上の音質だったら特に問題にはされない。
ってのは実はそうじゃ無かったとしても当時の録音機器のとか、PAの低性能のせいでそんな風に聴こえたのかもなんて逃げ道がLive記録にだったらあるからだ。

その反対にStudio録音では未だにBeatlesが使ってた、NeumannのMicが最高峰の座に君臨してたりする。
別分野で近似例を挙げるなら「時間外の外食の水準」だとコンビニやファミレス等のチェーン店普及前は、昼間なら町一番の不味いラーメン屋でも深夜には酷く有難く感じられたとかね。

或は電子レンジ普及前だと家庭の夕食時間に遅れて帰宅したら、冷や飯にしかありつけなくても全く普通だったとか。
要するに色んなのの進歩・進化がハイエンドでは無くローエンドの方が絶大なんで、Studio録音だと今から数年間なら大丈夫な音質・音色なんて妥協をしちまうと先々ロクでも無い目に遭う事必定なんす。

更に現代だと好み一切不問で誰にでも関わって来るのがデジタル音質の弱点で、極一部金満君若しくは大幸運君以外には業務用アナログ録音機を使えるチャンスなんておまへん。
のでデジタルの弱点補填に使えるのが、廉価版球機器位しか無いってのがこの件の真相なんでありんす。

何を隠そうアタシャ貧だからこそ当初はバーチャルシミュレーションにはかなり期待してたんだが、リアルの球の音を知ってる身からするとどっちでもいい部分は大巾な改善が見られたものの肝心な部分が全然でしてね。
特にFairchild 670についてはあっしの身分じゃモノホンは絶対無理なんで祈らんばかりの気持ちだったんだけど、俺言い「トランス柔軟剤」の部分がからっきしでねぇ。

ついでだからこれの次善策も披露しときゃトランスの代用になるのは、コンプリミッタ限定なら増幅素子よりアナログフォトカプラの威力の方が大きかっただす。
ったって掛けたくない分はそれじゃ困るんでどうにかしてトランス自体を探してみたっけ、絶滅こそして無かったが高価過ぎてお話しにならんかったとです。

けどこれにも裏技紛いのがあって楽器用真空管Ampに「入ってるの」だと大して割高で無く、Ampごと買わにゃならんがバラ買いするよりかなりリーズナブルなんす。
Mic Preの方では残念乍らトランスレスが多いんでこの手は無効化しちゃうけど、それに対しては球コンデンサが昔より普及版が売られる様になったし随分増えたんでそっちでとか。

<つづく>

2022年1月10日 (月)

音楽備忘録879 RockのスタンダードⅡ➎

続いてRock Drumのスタンダードへ進めてくが、昔に比べると多様化した分選定に異論が出易くなってそうだ。
テクレベルは連綿と向上してってるがポピュラリティを考慮すると、実用度の高い新技は随分少なくなって来てると思うんだ。

なるべくシンプルじゃなきゃイカンとなると、今後活路を見いだせるのはより「何処をどう抜くか」みたいなのが鍵になりそう。
だがそれすらCharlie Watts氏やAC/DCのPhil Rudd氏等が古くからやってるし、近年のRingoみたいに個性の発揮はオカズ(Fill-In)限定ってのも俺にはつまらない。

これって根底にはどんな段階のを個性と考えるかにも依るもんで、ポピュラー系の殆どので頭(1拍目)のバスドラと裏(2,4拍目)のSnareは省けん方が多いわね。
そもそも違う楽器に聴こえた方が良い時だって少ないしで、誰かと被ったり似た部分があるのを全て排除しようって方が無理な相談だ。

しかし半分は私的乍ら俺忌み嫌いの「ドンパン節」がこうも横行するのは考えもので、かつてDiscoが流行った時って他がどれも以前より複雑化したのが殆どだったって背景があったのを忘れてんじゃねっと。
しかもDiscoの中で主流を占めたのはフル編成のゴージャスアンサンブルで、昨今みたいな「引き算主体」だった訳じゃ無いんだよね。

ポピュラー系でも売上げから録音予算が増大し、それ迄やりたくても出来なかったのが可能になったのもあるしさ。
それが後に電子楽器の発達で形だけにしても低予算・少人数でも可能化し、現在はこれも珍しく無くなったんでブームはスッカリ鎮火したって処かねぇ。

それだって録音ハードルの低下からシンプル系のでも、過去比だとオーバーダヴは倍増位にはなってる感じだ。
そんなら太鼓はシンプルなだけだって良いやんってのは早計で、割と一杯重ねてあるったって太鼓のオーバーダヴは随分めっきりされなくなってんだぜ。

Rock系だと小編成のではRingoが大々的にやりだして以降、特に米では最初からグループの編成がツインドラムなんてのに迄発展。
その後これはほぼ消滅したがDance系の台頭もあって、Rock系としてはパーカッションも入ってるのはかなり増えたって実感があるよ。

Bassにしてもどんどん高度・複雑化したのが一旦ルート弾きへ回帰したのだって、Synthe Bass等との併用が大いに関係してたんよ。
なのでこれ等からするとシンプル系でも音が増えたってもそれが殆ど上物だけなんだから、リズム隊を淡泊にし過ぎるのって考えが足りないとしか思えないんだ。

これを何時もの変態比喩へ持ってくと華奢なのに胸だけ豊かな少女ってなもんで、個人的には現在そんなのが好みではありまするが…。
けど誰が見てもセクシーってのにはそれじゃ不足で、引っ込むべき所・出るべき所全てがそうなってないと「相手を選ぶ」魅力になっちゃうよね。

それが具現化したのって例えば曲も歌も良いんだけど、リズム隊が予定調和的だから飽きるんだとかそんなのにわざわざしちゃうって事なんじゃないかな。
それと概略としはシンプルっても長く生き残ってるのって、量的には僅少でも他で見つからない何かも入ってるのが殆どなんだ。

寧ろそうなった経緯としては例えささやかでも、これさえ手に入りゃもう他は無くても良いやってなったのが多かったんじゃないかな。
Ringo以前のポピュラー系Drumを聴いてみるとこれが良く分かるんだが、基本は単調でも随分小技は雑多に入れられてたんだよね。

その結果Drummerとしては有名でも、Ringo等以前にRock系として高名なDrummerって居なかったぞ。
今だって他パートと比べると内容でなったスターが少な目なのは何時も気になってるが、どうも楽器の性質からそう云う発想がし辛い様ではあるんだけど
さ。

<つづく>

2022年1月 9日 (日)

音楽備忘録878 ケーブルの話し①

ケーブルについては以前から極チラホラとは触れてたが、この機に少し纏めて記しとこう。
一般的には1に伝送性能2に純粋な耐久性が語られてるが、ここでは敢えてそれ以外のを中心にお贈りしよう。

実用上は用途次第で最重要ポイントは結構変動するもんで、↑の一般論には実使用状況の加味が以前から不足がちと感じてたんだ。
では規格や性能が最重要なのから始めるが、やはり電灯線電力供給や球などの高圧の場合は耐圧や電流容量が何より肝心だ。

近年だと例えば医療用グレード等のが持て囃されてるが、否定こそせぬがコレ真価を発揮させるにはGrand(アース)が独立した3極接続が必要なんだ。
しかも見えてる所だけがなってるんじゃ全然役不足で、Grandラインの末端はホントに地面に埋めてあるアースなのが望ましい。

なのでそれ以外の設備環境下では耐圧と耐電流容量に余裕を持たせる方が有力で、踏まれたりし易い場所ではそれ等への耐性に余裕のある方が実効性が高くなるんだ。
但し余裕があればどんなオーバースペックでも良いかっつうと確かに電気的だけならそれでOKだが、丈夫過ぎるケーブルがもたらす災厄もバカにならんのです。

電線は太くなる程普通は曲げ難くなるんで、狭い所で鋭角に曲げたい際は太過ぎると却って線にストレスを掛ける事になる。
高ストレス状態になると抵抗値が増加して通常使用時より発熱し易くなるし、屈曲部の内側と外側のR(曲率半径)差が大きくなるんで材自体の劣化も促進するんだす。

それに加えケーブル引っ張られ事故時に、最悪は機器本体が凄い勢いで飛んでったりもし兼ねないから危ないよ。
普通なら切れると困るし危険だけど他との優先度の問題で、どうあっても全く切れない抜けないのが常に良い訳じゃ御座んせんのどす。

比較的近年の体験実例で電源ケーブルでは無かったが、恐らく丈夫過ぎるケーブルのせいで破壊されたエレキのJackプレートの修理ってのがあったんだ。
物はGibson Les PaulのでJackプレートとかのネジ穴がバカになったのなら過去に幾らでもあったけど、木部から割れ欠けしてたのはかなり長く携わって来て全くのお初だっただす。

この手のは誰かにシールド踏まれてるor引っ掛ってる→気付かず動いて等で発症するが、その際ネジ穴と同時にプラグも折れ曲がったりするのが普通ね。(いみじくもついこないだやっちまった😢)
それが主さんは非常識な程の極太線+屈強Plugのシールドを繋いでたらしく、どうやら力の掛かった向きが不運でボディ破壊に至ったらしいんだ。

ほぼ無傷だったシールド!!の価格も¥数万だそうだが、本体が限定生産のだったからそっちの破壊の方が経済的にも大打撃。
大事な本番で抜けたり切れたりでのパフォーマンス中断は敵わんが、ケーブルだけで済む様にしてあればスペア交換で即復帰出来る。

だがこの様な破損はその場で必要なだけの応急措置を講じるのは困難なんで、要は乗り物の「クラッシャブルゾーン」の様な思想が必要って事なんす。
近年はこんなのも含めて制定したのか新規製品では、機器本体側にもPC電源ユニットに付いてるのと同じソケットのあるのが定番になってるよね。

収納時や搬送時のケーブル破損防止と、より本体を尊守するには適した方式だ。
けれど接触不良を起こす可能性のある個所を増やしてしまってはいるので、中々全部が都合良くとは行ってくれない。

がハンダや電気の専門スキル不要で、同一汎用規格のケーブルの予備さえ持っとけば交換するだけで多くのトラブルを一気に解消出来るだす。
今回の電力系では性能不足は即事故に繋がるからご法度だけど、つつがなく実用に供せなくてはどんな高性能も無効化しますん。

<つづく>

2022年1月 8日 (土)

音楽備忘録877 Drumハードウェアへの私的妄想&現実的解決策➐

今日は今更感満載ではあるが、関節部の無段階式とギア式を敢えて再検証してみたい。
概述の如くその発端は「壊れないと思い込んでた」のが逝ったのに依るが、なまじ大昔よりDrumハードウェアが丈夫になって
油断したのかもって思ったんだ。

先ずは夫々の得失の羅列から行ってみるが、俺自身も近年は長い事失念してたのが少なくなかった。
では今は恐らく主流の無段階式の方から進めるが、思った通りに出来るのから来るストレスフリーにはどうやら功罪の両方があった様だ。

1.角度調整に妥協不要
2.位置保持力確保の為単純化・小型化の限界がギア式より一般的には低い
3.同グレードであれば価格は割高
4.一部のを除きそのままだと位置の再現性はほぼ無い

単体部の機能の根幹としてはこれが理想ではあるが、半ば私的乍ら他の調整可能部との心理的混濁から弱点を失念し易いと感じている。
他の…って何ったら例えばパイプ同士の結合部の角度等で、PearlとかのTomにパイプが突き刺さる若しくは類型のの角度調整部みたいなのだ。

これってパイプ式Stand類ではどれにでも大抵あるんで、長さ設定と同等に最も親しみ深いんじゃないかな。
DrumハードウェアのStandでは振動等に依る緩み対策として、かなり昔からメモリーロック等と称する補助部品が普及・一般化してて勿論俺も多用して来たよ。

但し相対角度に関しては保持位置が重心近くにある場合は、緩み防止より殆ど位置記憶の方しか機能してなかったりする。(だから↑みたいな名称のがあるんでせう)
長さ方向に対しては位置記憶も然る事乍ら、安心感からして最早必須だけどね。

一方ギア式の方はコストと保持力(主に寿命)程度しか勝ってないし、ギアの段数を増やそうとすりゃ利点の殆どは消滅しちまう。
これと上記Standの件とが相まって原理を軽視してたっぽく、だが良く考えてみれば保持力の大小と「条件の厳しさ」に今だって大きな違いは残ったままだったんだよね。

個人事情として滅多に大きなセッティング変更が無い…ってか狭隘なんでそんな余地がほぼ無かったのと、マイDrumを持って以降外で叩く機会が激減してたのもあったのかなぁ。
重いのを保持するったら大口径のRideがすぐに思い浮かぶが、傾けが45°程度以下だったら完全に軸の片側だけに荷重が掛ったりゃしてねんだよね。

それに対し薄胴で軽量でもTom類の大抵のは一方向だけに常に荷重が掛ってて、尚且つ叩いたり押されたりするのもほぼ同じ方向に加算されてんだもの。
Cymbalの重さで只では済まなくなるとしたらJohnny吉長氏の「垂直Ride」とかで、これの場合関節保持力以前にStand自体の「倒れ止め」対策を大抵は講じないともうどうしようもない。

↑の通り割合は様々も通常完全に片側にしか重さが掛からなくはならないんで、下部の脚の方がそんなのにゃ非対応だかんね。
少しセッティングに興味が芽生えた頃本家のを良く眺めてみたら、Standの足に鉄アレイが乗っけてありやんの。

因みにプチクドイが自分が使ってるからって特に勧める気は無いが、こう云う変化やアブノーマルに対してはラックの方が対応力は高いだす。
尤も今日のテーマには殆ど無関係で御座居ますが、強いて云や位置関係とパイプの長さを変えて「ギアの段の間」相当へ持ってける可能性は孕んどりゃあす。

<つづく>

2022年1月 7日 (金)

音楽備忘録876 録音でのプロとアマの違い⑥

前回みたく既存業界の内情がほぼオワコンなのを露骨に記したからって、もう全く夢が見られなくなったと慌てて嘆く事無かれ。
客観的には単にゴールドラッシュのブームが一旦終息しただけで、過去の目立つ成功例にばかり惑わされるからイカンのよ。

この手の事象って時間経過に依って過去が神格化されてるのもかなりな影響があって、例えば野球選手の年俸と成績とかを比べると良かんべ。
↑へ杜撰大王独特の価値観を強引に加えるが金銭的には今の方が高評価になってっけど、名誉的には過去の足元にも及ばない程世間全般の認識は低下してると思うんだ。

って必ずしも選手に責任は無いんだが「あれだけ貰ってその程度」って、貰いが多きゃどうしたってそう感じちゃうやん。
そうこうしてる内に経営自体が苦しくなったりお客が慣れて飽き出して…、どんなに業界自体は潰れない努力をしてても浮き沈みの波は必ず訪れるがホントはそれで極普通と。

俺個人はこれに対し適性もあって経済面の方を妥協してるが、こんな状況下でもビジネスとして成立させたいなら態度とミスゼロと戦略に専念するしかないだす。
但し呉々もお断りしときたいのはビジネス力が凄いってなれたら、芸術的実力の方はそれよりかなり低く維持されがちなんで業態を変えずに継続させるのは無理でごんす。

なのでもし音楽にしか取り柄のない方がビジネスに走ると危険で、特に高校すら途中で投げ出して望んだりすると中年以降の人生が無くなりまっせ。
これって主に大人の責任で追いやられるのが殆どだけど、高校野球とかで頑張り過ぎて才能を浪費するのと同じよ。

等とほざきつつそれがちゃんと実感出来たのは家庭や子供を持ててからだったんだが、「プロだから特殊な生活」って思い込むのが最も危険かも知れない。
確かにどの分野にだって特殊性はあるけど、メシも食わずトイレにも行かず眠らなくて良いんなら誰だってかなり上手く弾けたって珍しくも何とも無いんだよね。

アマとプロの真の差って環境面でそんな部分では大した差は無いのに、醸し出せる音のレベルに歴然の差がある様な状態をホントは言うんじゃないかってさ。
例えばJazzやRock界では過去に創作の足しになると思って薬物に浸った失敗があったが、その時期を越えて生き残れた奴等は最低でも当時より「控え目」に出来たからだしょ。

これの具体例として今日はJohnny Winter氏を生贄に捧げるが、やはり完全に転換出来た人より早目に亡くなってしまったな。
そもそもはヘロイン中毒が発端で、その治療に使ったメタドンの副作用が結局は根源的死因になったらしい。

折角自ら過ちに気付いて改善してったのに、中毒が重かったが為にその負債にやられたんだよ。
他のお仲間ではヤク中の次にアル中になったのが多いが、現況では同じ悪でも分散してる方がマシみたいだね。

それは兎も角彼等の世代でそんなのが多かったのも、多分Beatlesがたまたま
大当たりしたんでつい無理しちゃったんだと思うんだ。
それと比べると今はミュージシャンになれなかったからって昔の黒人みたく一生奴隷てっ事ぁ無いし、世間比で全盛期のBeatlesみたいに富も称賛も突出したりゃ出来ねんだから。

残念乍ら現況業界はRockには底に近いが、こんな時だからこそじっくり研究したり落着いて追及したりは出来るんだよ。
Beatlesが一旦Liveを止めてStudioに籠ったものの、完全な通常営業へ復帰せずに解散した一因にこれもあったんだろうし。

<つづく>

2022年1月 6日 (木)

音楽備忘録875 RockのスタンダードⅡ➍

続いてスラップの参考例へ言及してくが、狭義でRockらしさに拘ると該当無しでも仕方無い
Rockらしさの不足ってよりゃ、何せFunkyさが絶大なんでね。

それとRockへの導入初期には、プルの方ばっか取入れられたのにも関係があったと考えている。
俺自身ピックを持ったままでは試行錯誤を続けてるが、未だサムピングの方は上手く演れた事が無いしねえ。

当時流行に沿わすのに必然的にそうなってただけなんだが、Rockらしさっつうとスラップの中ではサムピングの方が実は適性があったんだよ。
それに俺が気付かされたのが今日の例示曲、PrinceのBambi(’79)って曲だった。

’80年代初頭に「ハコバン」のデモテープを作る際その仲間から紹介されたんだが、この仲間自身はCharが早期にカバーしてたのから知ったんだろうか。
彼は畠山修一(通称:カメ)って奴で惜しくも40代半ばで急逝しちまったが、金子マリの従兄で一時期Charの弟子だったんだ。

それと「ハコバン」にも今や翻訳が必要そうなんで付記しとくと、要は飲食店等のBGMとしての「継続的雇われBand」の事を当時業界内ではそう呼ばれてたんだ。
私的にはその時のメンツが生まれて初めて自身も含め「全員プロ」だったのに、店側の事情で仕事としては流れちゃったんだけどさ。

戯言はこん位で何故「サムピング主体なら意外とRock向き」の本題へ進めるが、プル程目立ち過ぎんのと連続させ易いってのがミソみたいなんだ。
今となってはPrinceってMichael Jacksonのライバル扱いで只のポピュラーの大御所だが、元々はミネアポリス・サウンドって当時のFunkの最新バリエーションの創始者なんだ。

Michael君はRock化に際し作曲法等はMcCartney氏等から教わり奏者も変えるので対処してたが、殿下(Prince)の方は当時は完全自前だからそうは行けない。
だが持てる才能をフルに発揮して楽器や奏法はFunkのと特には変えず、私的にはジミヘンよりバンヘイレンに近いHardさを作るのに成功してたと感じてるんだ。

先ずHard Rock化には通常ならハムバッキングPUと壁Marshallが要るのを、H.S.AndersonのMadcatって日本製カスタムテレキャスとFuzzで賄っちまった。
Bassにしてもピックはおろか普通の指弾きすらこの曲では避け、スラップではあるが俺耳では初な位サムピングをやたらに沢山用いてクリアしてたんだ。

歌については俺称「プリンスシャウト」ってこれを耳にする以前から、実はFunkよりRock向きだと思ってたけどね。
因みにこれはファルセット(裏声)でAccent部だけ深く歪ませる(人力オンリー!!)もので、意図的裏声シャウトの開祖としては俺知りだとIan Gillanが該当してて丸っきりHard系だわさ。

これはこれで実に素晴らしくはあるんだが↑の如くかなり特殊スキルを色々要すんで、とてもじゃないが大多数になんかお薦め出来ねんだわさ。
この時点で是非とも皆に再考願いたいのは、殿下本人だったら普通のやり方でも幾らでも多分行けるんだろうって処。

Funkの人がこんなにHard Rockしてたら何か痛快そうだし、今迄居なさそうだからやってみっべってな感じだったんじゃないのかな。
自身のルーツを敢えて滲ませるのも他人と違う方法を選んだのも、全ては殿下なりのオリジナリティの為とね。

ってかそもそもこの時点で、Rockにとっても詳しかったからこそ可能だったんじゃん。
裏技ってな表をマスターしてればこそ発動出来るもんで、残念だが裏から入って表を会得しようったってそりゃ虫が良過ぎるってもんですぜ旦那。

<つづく>

2022年1月 5日 (水)

音楽備忘録874 Mic関係の色んな思い込み!?⓫

今日から暫く人の口とMicとの距離に言及するが、角度も含めこれ次第でもかなり音は変るもんだ。
けど背景音より声が小さ目だと、音色以前の問題となってしまうのが一寸悩ましいかも知れない。

と云う事で先に必要音の充分な収音の方から行っとくと、目的以外の音の混入軽減には極限迄近付けるのが最も有効だし必須だ。
狭隘な環境だったり弾き語り等の都合で他音源から充分な距離が取れない場合も少なくないんで、兎に角聴こえる様にするには他に方法は無い。

それには貼り付いても吹かれない(厳密には影響が少ない)Micが要り、それもあってShure SM58が未だ絶対的な主役の座に君臨している。
だが少なくとも本邦で意外と知られていないのがここではお馴染み設計想定距離で、実は開発当時の状況等から後発のAUDIXとかのより遠目になってるんだ。

なので結果オーライになってる人は構わんだろうが設計より近付けて使ってると、近接効果が発動して現実より低音が増えたりしてる公算が高いのだ。
この件で個人的に近年とても気になるのが、汎用性と耐久性優先で語りに迄安易に58タイプが使われてる件。

近年本邦では語りと歌唱の発声・発音・口の開き方等残念乍らあべこべや出鱈目になってるのが少なくないが、そうなってると更に余計にMicで低音が強調され易い。
これ平成以降に生まれた方には分からなさそうだが、On Micになったり先ず絶叫なんてされない場面なら元々は58タイプなんて使ってなかったんだ。

昔のだと業務用Mixer卓でもフィルタやEQが付いて無いのも多かったのもだが、処理を失念しても不具合が出ないのは語りならそれ用のMicなのは今だって変わりない。
ポピュラー音楽系ではそこ迄顕著には出ないものの、内気なウィスパーボイスのアイドルに迄ゴツくて重めの58をあてがうなんてどうも無粋でいけねえや。

ってもどうせ年寄りの時代遅れの遠吠えとして処理されるんだろうが、そんな現象が起きてるのだけは知ってて損はおまへん。
手前味噌例だと俺は決してブライトな声では無いんでもし子音の聴き取りが今一だったら、環境的に許されるなら最近は敢えて少し離れる様にしたりしてるよ。

或は声の細さで苦労してる人でもし貼り付いては居ないなら、近付ける事で少しは太さを補えたりもする。
尤も体験的には大体↑は逆になってるケースが多かって、距離や角度を研究するよりMicの機種変に走る方が多いみたいなんだけどね。

Micは勿論方式や機種でもかなり色々違いはあって、現代ではスピーカ等を凌いで最も個性がハッキリしてる物になってるかも知れない。
だがそれ以上に一寸した距離や角度の違いで激変するのの方が強烈で、けど殆どのでその変化の少ない範囲と広い範囲の両方が共存してるのが少々面倒なんだ。

但し傾向が無いでもなく設計想定ドンピシャで使ってると変化僅少、そうじゃ無い時に変化が出易いのが多いのは確か。
コレ裏を返せば設計想定通りに使えば安定してるって訳で、音色の好みがあっても使い方が凡例のとかなり違う場合は好みの音色にはなってくれ難いとも申せる。

何処へ行っても勝手が分かる・何時もの音って便利さでは58普及のご利益は大きいが、Shure自体ですら同じ用途ので何故依然他機種もしてるかに少しは気付いて頂きたい。
それと「選べる時は58じゃ無い」達人が結構少なくないのへもご注目で、例えばPhil Collinsなんて随分長らくLiveでも何とbeyerdynamicのリボンタイプのを使ってたな。(多分M160)

<つづく>

2022年1月 4日 (火)

音楽備忘録873 Drumハードウェアへの私的妄想&現実的解決策➏

では前回他所の世界での工夫が、Drumハードウェアのどんな所に及んでるか行ってみよう。
只惜しむらくはプラスよりマイナス作用面の方が勝ってるのも少なく無く、プロ奏者兼任の設計製造者が
もっと増えるのを強く望みたい。

Photo_20211119172501
先ずは3D画像の作製と掲載が厳しいんで、Snare Standでの状況を生贄としてみま。
毎度の限界域デフォルメ描画なのは諦めて!?頂くとして、どれも左側を奏者・右側をバスドラその他のつもりとしてある。

色分けは上方から順に白と肌色の棒状で示したのが受止めと固定の為の箇所で、傾ける時の関節部は実際は滅多にこんな形にはなって無いが緑の丸とした。
今回ののハイライトとなる俺言い「訳あり横ズラし」の部分を赤くしてあるが、メカ同士の干渉を避けたり操作性を高める為の結果だ。

さてセッティングの自由度或は汎用性の点からだと最左みたいなのが良さげだが、深く傾けた際はどうせ倒れ易くなっちまう。
それもあってか操作性等の方を優先してか、赤の部分の付いてるのが多数派になっている。

これ等一般的なのは傾けとくには好都合だが、左基準で2,4番目のタイプだと水平時は却って不安定になる。
特に4,5番目のみたく赤部分が長めなのだとOffset量が多いんで、軸を180°反転させないと上図には描きそびれた「前下がり」なんてとてもじゃないが不安で一杯。

実際にはこの他に主流の3本脚の角度・位置等で安定性が変動するが、私的に重心からズレてるせいで困らされてるのがあるんだ。
俺が無固定な上に比較的滑りの良いパンチカーペットに置いてるのも悪いが、↑のお陰で一方向にだけどんどん滑って行っちまったりしてんのよ。

最も身近にあって重量も然程じゃ無いから、その点では演奏中の修正は簡単な方だけどね。
だどもメカ的には設定自由ったって、実際にはペダルや足との干渉等の都合を優先しなきゃなんないかんね。

どうせフル調整を目指したりするなら、私的には上図赤部分の長さを変えられる様にしといて貰いたいんだ。
しかしDrumハードウェアは他の色んなのと比べると、何時までも北風と太陽の北風式に固執してる様でけしからん。

この際敵を徹底的に叩くつもりでブラック仮想をしてってみるが、客には見栄えのみ提供し少しでも余計に使用者から金をせびろうとしてる様にも思えなく無いのだ。
傾斜の殆ど無い場所では重い方が動き難くはなるが、可搬性ゼロには出来んのでその効能は高く無い。

それでいて演奏中Guitarみたいにずっとぶら下げたりゃせんから、ある程度は重くたって許される。
んが↑「ある程度重い」ってのが最悪で結局はその程度じゃ少しはズレるのに、修正するのが重くて大変になるだけなんだ。

それからすればもっと↑の「太陽式」の方を追及するのが妥当なんだが、見た目の安定感に劣るし作るのに知恵が要る割にそんなだから高値を付け辛いとな。
そりゃビジネスとして儲け率は無視出来んが、生活必需品とは最も遠くに位置してっからね。

道具としての優位が薄れれば、マーケット自体をどんどん縮小するだけなんだわ。
俺はそんなの作って無いから対岸の火事で済むならほっとくけど、規模縮小は全ての関連製品の値上がりに繋がるからねえ。

欲しいのを作って貰えん上に、大妥協しても高く取られるんじゃとても黙ってられまへんとね。
一々何にでも首突っ込んでなんか誰だって居られんが、第一印象や初期段階だけで無関係だから無関心で構わないって思い過ぎてると危険なんだぜ。

現段階では政治・選挙の無関心戦略に騙されてても、超上げ底弁当や空気大量入りスナック菓子位しか目立たんけどな。
本質的には非生活必需なの程悪影響を受けてる筈で、色んな面で過無関心ってのは恐ろしいんすよ。

<つづく>

2022年1月 3日 (月)

音楽備忘録872 録音でのプロとアマの違い➄

当方自慢じゃ無いがちっとも説明上手では無いんで💦、とっとと前回補遺から行かせとくれやす。
実演が伴った口じゃ無きゃ無効迄は語ったが、まだまだその先があるんで御座居ます。

それは俺言い「我を押通す」際の判断の重要さで、必然性があったなら最悪殴り合ってでも死守すべきだがそうじゃ無かったら我慢せにゃアカンとややこしい処。
理想としては作業従事者全員が完全に趣旨を共有するのが良いんだが、個性ある者の集まりでそれをマクロレベル迄求めるのは時間も少なかったりすっとチト厳しかと。

もしあんまり
簡単に纏まる位だと例えば6人中の誰か1人欠けてやっても、殆ど結果に差が表れない可能性もあったりするかも。
そんなら分身の術に近くなるんだから時間・労力的にはご利益があるが、ミスや失念箇所も被って来て死ぬ時ゃ一気に全滅になるだす。

ならばと突詰めりゃ集まった中で一番ハイレベルの奴が独りでやっても似た様なもんで、チームプレイのご利益が減っちまうだす。
かといって誰かの個性(味)を完全に殺す様であっては元も子もないんで、音的にだと纏まりは必要最低限に近い位がベストかも知れないんだよね。

無論協力関係を一切拒否する様な輩は問題外だが、録る時点で現場の雰囲気が最高でも結果が悪きゃ結局後で揉めたりするからねぇ。
それと近年では対人関係の平均判定時間がかなりせっかちになった様なんで、昔みたいに悪戯のつもりでのっけから悪態突くなんてのは敬遠されて然りになったかねぇ。

アマでもプロでもより仲良くする・なれる方が良いのは一緒だが、上記の様な現象が起きるんでそのタイミングが真逆にもなり得るんだ。
つまりプロの場合全て終わってそこそこ経った後に最良の状態になるのがベストで、以後の仕事のオファーの面にも響いたりするし。

んでこう云うのが人間関係のみならず音でも同じで、一旦リリースしちまったら評判が悪かったからってすぐに録り直して出し直したりなんて出来ないからね。
更に流行に沿わせる面でもそうで、録音自体が終ってからお客さんの手に渡る迄の時間が通常アマよりかなり掛かるんでさ。

尤もこれは今ならネット売りが可能になった分大部緩和しただろうが、それだってCD10枚だけ焼きゃOKってのよりゃ大抵は少し時間が要るんじゃないかな。
つまりⅡで色んな処で逆算が要るしそのマージンも多目に取らなきゃなんなくて、それでいて熟考しといても当たるとは限らない悲哀ってのも…。

プロであってもこれ等を比較的回避し易いのは打込みで、最新流行のを最短でと思うなら従来のやり方にはこの面で弱点があるのは覚悟しとくっきゃない。
尤もⅡでそれでも大作アニメや映画と比べたらタイムラグの件はかなりマシで、しかし考え様に依っちゃ中途半端な領域だから思い切りが悪くなり易いのかも知れない。

私的には完全不許可も俺言い近年本邦劣化J-POPも見栄えやタレント性がメインのなら、辛うじて一部には何とか通用してるらしいがね。
Rockであるのがメインのだとかだとそんなじゃ全く通用せず、今本邦の業界からするとこの手のは昔よりもっと歓迎し兼ねる存在に成り下げられたらしい。

何れにしても幾ら慎重に細心の注意を払って作製しといてもほんの些細な原因でハズレちゃったり、根本的にギャンブル要素は排除なんて出来ないもんなんだ。
初対面の印象とミス無しだけの依存が行き過ぎた結果、多少は売れても所謂ヒットを生めない土壌を養成しちまったんだ。

これがもたらした最大の悲劇は、折角縛りの無いアマでもプロになりたいが為に悪忖度し出した処だ。
プロだってもっと皆が勇気を出して挑戦すべきだけど、既存の業界は芸術面の機能を殆ど喪失してるんだからそんなのに迎合しようとしたって何の得にもなりませんぜ。

<つづく>

2022年1月 2日 (日)

音楽備忘録871 RockのスタンダードⅡ➌

Bassらしさにシンプルさだけを求めてる人には理解し辛いかもだが、BassでRockらしさを追及するとそんなのとは若干毛色が違うと思うんだ。
コレ単体パートでなくアンサンブル全体で捉えると俄然ハッキリして来るもんで、他パートにだってRockらしさの為には極力シンプルなのが望まれたりするけどねえ。

って事ってRock Bassのネタ元として指弾きは今一お勧めじゃ無いが、その好例にも触れとこう。
少々クドくも不向きの訳を念の為再掲しとくとバカみたいに単純だが、他のジャンルのの方が指だともっと弾き易いからだ。

指弾きに限定するとどうしてもRock固有のフレーズや表現の比率が下がり、最悪勘違いして安易に取り入れたらRockから遠のいたりする事もあるからだ。
それは兎も角指については汎用性の高いのだとBill Wyman辺りが相応しく、BassらしさとRockらしさを共存させてる部分では嚆矢かも知れない。

ライバルのMcCartney氏と比べると、メロとして目立つ様なラインはそんなに使っていない。
だがかと言って他のどんなジャンルでも行ける様なのにはしてなくて、もしかしたらそこが当時の米のRock系のBassistと最も異なっていて力になってたのかな。

現に彼が抜けて以降のサウンドは以前よりありきたりに成り下がっちまってて、まあ多少は聴き手次第なんだだろうけど俺にはBand自体への興味すらパッタリ途絶えちゃったわ。
米のグループと比べるとGuitarが出しゃばり過ぎないStonesだから可能だったとも思え、だからこそBassの担う要素が減った今のに物足りなさを禁じ得ないんだ。

先ず曲を次にせいぜい歌を不動の主役に据えとこうとすると、幾らRockの象徴たるエレキGuitarだって出過ぎた真似はしない方がカッコイイ。
私的にはこの弊害のせいでVan Halen辺りは曲の良さの一般理解が今一とも感じられ、あんな風に弾けさえすりゃ同等に売れると勘違いした連中を未だ生産してる様だ。

そもそもアンサンブルはシンプルになる程「1音の責任」は重くなるが、そうなると「普通のに何か足して」各曲の個性を演出するのは困難になるのよ。
スーツの色や柄を変えるとかツーピースかスリーピースかみたいな細かいんじゃ駄目で、Tシャツジーンズか水着か果ては素っ裸😅か位根本レベルの違いが無いとさ。

それには「常識に縛られ過ぎる」のが最も障害となるんで、時に普通のBassに詳しいのが仇にもなるんすよ。
一々考えなくても行ける方法を知ってるとそれでマイナスが無かったら、わざわざそこへ手を入れようとは思わん人の方が普通は多いっしょ?。

その点Bill WymanはStones初期にはピック弾きが多く、後半には何と親指弾きが多いと弾き方からして柔軟性に富んでいる。
因みに俺知りでは日本じゃいかりや長介氏を除き(失礼:実力を遺憾なく発揮出来る曲にあまり恵まれて無かっただけっぽいが…)親指弾きは少数派だが、米ではThe Marshall Tucker BandのTommy Caldwellは親指オンリーでWyman氏同様Bassらしさと個性が共存してる上に結構攻めた演奏を繰り広げてたね。

Marshall Tuckerでは彼の兄のGuitarのToy Caldwellも基本は親指のみと個性的だが、Country系出身だからかそんなでも恐ろしく速く音数も多目だ。
普通なら他人のをそのままは失敬は出来ないし何かと弾くのが楽じゃ無いから最低限になり易いもんだが、肉体的訓練も要るにしても先ず頭を使わなければならなくなるのが却って良かったのかな。

窮鼠猫を噛むじゃ無いが楽じゃ無いからこそ熟考せざるを得ないのが、フレージングの練度の深さに繋がってる気もするんだ。
必要とあらば畳掛けたりもするけれど、どちらでも良い際に余計な音は鳴らしたく無くなりそうだからさ。

この辺はDrumでもCharlie WattsのSnare Backbeat時のHat抜き等と同様、ベーシックの段階から考え抜いてるんだよね。
因みにⅡで俺は草臥れるから普段親指オンリー弾きはしないけど、するとどんな違いがあるかはそこそこ試して把握してるよ。

ピックではオルタネイト・普通の2本指ではどっちの指かで、かなり追及しても微妙な音色差は残りがち。
なのが「純粋なシングルストローク」では各段にそれが起き難いんで、奏でるのには不利でも音的にそれ以上の利点があるのは知っといた方が良いんじゃないの。

<つづく>

2022年1月 1日 (土)

音楽備忘録870 Mic関係の色んな思い込み!?➓

今回は振動に纏わるのへフォーカスしてくが、音源が爆音な方が楽にはなってる。
繊細なClassicでの小音量のよりゃ気楽で居られるが、案外想定通りには行ってくれないのが多い多かったんす。

誰でも知ってる基礎知識ではワイルド系ダイナミックと精細高感度コンデンサ系では、振動から受ける影響が大違いなのは確かにその通りだ。
だが物理論理面からだと明確な差があるのは所謂「吹かれ」の方で、実用上は表面化しない方が多いがイメージ程ワイルド系ダイナミックタイプも振動には強くないのであるぞよ。

その吹かれですら方式より感度の影響の方が実は大きいんだが、事無きが得られるのは周波数特性のお陰だったりが多いんだす。
振動と超低音って便宜上呼び分けてるだけで、実際には明確な境界線は無きに等しいんどす。

故により低いのが拾えてその部分の感度が高きゃ顕在化し易いってだけで、せやさかい所謂58タイプのでも小声の語りに合せてGainが上げてあると結構タッチノイズ(ボコボコとかゴトゴト)が
聴こえてたり入ってたりしてるやん。
それと一般的に軽視されてるのがケーブルやケーブルから伝わって来る振動雑音で、詳細は意外と複雑なんで後で別項を設けるがMic本体やそのStandと悪影響の優劣は付けるべきじゃ無い位なんですよ。

体験的には本格的球コンデンサを使える様になってより実感したんだけど、それ迄の長年親しんだのと違って立派なサスペンションが付属してたからね。
実際そのご利益は中々のもんだったんだが、俺言い「糸電話効果」は却ってサスに乗せてる方が出易くなるかも知れんと思ったあるね。

Micがガチガチに固定されて無い分、ケーブル由来のを押し止める作用が弱まってるみたいなんだ。
だからって普通はサスは噛ましとくのがお勧めだけど、昔のAbbey Road Studioの写真とかのにはStandに直接ぶら下がってるのもある。

超専門の場所では微動だにしない立派なStandと、本番中は絶対に触れない物ってのが徹底されてたからそれで良かったんだろうか。
この件で俺には現況明解な解は見つかって無いが、それでも考えるべきはGainをどの程度にしてたか辺りだ。

過去述Roger Daltreyのケーブル持って58を回転振り回しってのを大昔試してみたっけ、ブワンブォンと主に風だろうが結構な雑音が出てくれた。
けどThe Whoの動画とかでそれが聴き取れたのって無くて、爆音内だとカバーされて平気なのかとずっと思ってたんだけどね。

事後分析してみりゃその最中Mixer氏がFaderをどうしてたかは映って無いから、少なくとも「下げて無い証拠」は無かった訳だ。
なので「どんな風にしてる様に見えた」ってのに依存可能なのは、せめてその全貌が同時に映ってるのに限るんじゃないかな。

爆音系では神経質になる必要は皆無だけど、かと言って全く無関心で居られる程無事では無いってのが現実だと思うんだ。
録音だと楽音と同時に入ってしまった雑音はCut出来ず、未来永劫作品に残っちまうからねえ。

爆音と同時の雑音は耳判別も困難化してるんで、あり得るって意識が持てて無いとずっと後になってからしまったには却ってなり易い。
Liveなら降水確率20%以下時は手ぶらもアリかもだが、録音では0%じゃ無い限り折り畳み傘を持っとこうってな感じが良いんじゃないのかな。

<つづく>

« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »

フォト
2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ