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2021年11月

2021年11月30日 (火)

音楽備忘録838 Rockのスタンダード⓯

少し間が開いたが続いてエレキBassのRockらしさの具体内容へ進むが、Rockでだって綺麗にスマートに弾いても悪いって事ぁ確かにおまへん。
けれど底力っつうか存在感っつうか、そんなのより整ってる方が上回っちまうとアカンのや。

所詮は感覚的な物ではあるが全く分析出来んでも無く、その嚆矢はニーズより弱かったり不明瞭な処があると不味いってのだ。
全てでは無いが例えばSmooth JazzやEasy Listening等では、僅かでも余計な刺激のあるのはご法度だ。

持てる力をそのまま出さず敢えて控え目にするからお洒落っ事で、差し詰めプライベートでは至って穏やかな格闘技チャンピオンとかね。
それに対し実は非力でもそれをひた隠しにするのがRockで、私感的には初期のPunkやBeat系の人に実際そんなのが多かったな。

毎度の変な例えだが非力で大した技も持って無いからこそヤケになって暴れても被害が少なく、却っていじらしさが目立って共感を呼んじゃったみたいなさ。
実際に50人ラッパ吹いてて全員が同時にバテたりしくじったりなんて先ずあり得んが、Rock Band如きブレーカ落されりゃそれだけでその多くはたちまちDrumと数人の声だけになるやんか。

Rock Concertの方が大編成生オケよりウルサイったって、そりゃPAで馬鹿みたいに拡大してるだけ。
さてここで皆さんに是非ご再考願いたいのが、Rock黎明期にはPAは未発達であって最低限だった処あるよ。

Ampだって黎明期には一番出せてせいぜい50W程度、つまり今より音量に全く依存しなくても迫力を出せてた訳なんだよねえ。
これが鬼みたいに歪みっ放しでも良きゃやたらと感度を上げといて触っただけで途端にギャーンてのも可能だが、生楽器や無駄歪みがいけないパートではそうは問屋が卸しちゃくれん。

でどうするかったらAmp以外の部分で歪ませたり、極限音量時特有の音のゆがみを捻り出すしかない。
生楽器では純粋に体力勝負的な所も出て来るからご苦労さんだが、太鼓や鍵盤等の叩く系では実際には力より速度が求められる。

そして上手さ次第でそこそこ巾はあるものの余程変な力の掛け方をせん限り、音色の他音量に全く貢献しないって事は少ない。
のがエレキBassと来たら音色だけの為にGuitarより力も速度も要し、それでいて音色にしか貢献しないんだから非効率極まり無い。

けれども痩せ我慢的視点に立ってみれば道具依存度が歌に次いで低いんで、道具に頼らなくても最もRockっぽくし易いって側面はあるんだよね。
歌となると元の声質の影響も小さく無いんで人を選ぶが、ある程度力も速度も要すにしてもウッドBassよりは演り手を選ばないとも看做せる。

だからこそ苦しいなりにこの利点を生かしてない生かそうとしてないのに触れると、俺は心穏やかじゃなくなっちゃっうんだ。
しかもこれ打込みでは楽器自体へ過大入力させるとか、過剰演奏するっての不可能じゃん。

以前述の如く電気的歪みならある程度付加可能だが機械的とか磁気的歪みってのはデジタル領域に入っちゃうと、そんな箇所が無いんだから後からじゃ絶対無理なんだ。
俺に縁の無い超高級音源にはそんなのも入ってっか知らんが、それだって上手く使い分けるのが天文学的に大変なんじゃないかな。

仮にその方法で突詰めるとしたら例えば一番最後に打込んで調整するってのも考えられるが、リアル合奏での調整は異様に意志の強いナルシス君以外全部が同時進行で並行して行われてるかんね。
それを全部バラでやるのってドミノ倒しの最初の方で間違えたのみたいになり兼ねんから、俺はまっぴらだがそうでなくても実用性が高いとは言えないと思うんだ。

<つづく>

2021年11月29日 (月)

音楽備忘録837 Mic関係の色んな思い込み!?➌

今日はMicの苦手の1つについてぶってくが、俺自身は昔からかなり無頓着な方だ。
その割にこの方面のトラブルにはあまり出くわさずに済んでるが、たまたま色んな部分で限界を下回ってたからな気がする。

とは言え無頓着でもこちとら知識(禁則事項)は早くから持ってたんで、綱渡りが上手く行ってたのかも知れない。
これに対し従兄のLivehouse時代の遺産は惨憺たる状態になってたのが多く、仮に悪気が無かったとしても結果的に壊されたのが随分多かった。

けしからん客や頼りにならないお雇いスタッフってのもあるが、それ以外にも
明暗を分けたであろうポイントが幾つか思い浮かぶのだ。
その1はメンテナンスの問題で管理元締め(従兄)がそこそこ詳しくても、過労状態且つ音響屋では無かったのが惜しかったのかな。

「怪しい兆候」に対する感度差があったと考えられ、と言ってもその正体はちっとも崇高なものでは無い。
低次元な話しだが自分が「直す人」若しくは直さなきゃなんないのが決定してると、なるべく手間を最小限にしたくもなる。

ので一寸の手間で済む内に退治してやろうなんて気持ちが芽生えて、危機察知感度が勝手に上がるんだろうな。
尤もそれが裏目に働いて灯台下暗しになる事も少なく無く、いざとなる迄なんて悠長に構えてて間に合わなくなったりする事も…。💦

んわ兎も角それより恐らく最大の要因と思われるその2があって、従兄の店が環境的に多湿だったのが不味かったと考えている。
コンデンサタイプと違ってダイナミックタイプなんだから多少の湿り気位は…、って確かにそうなんだけど程度が違うってだけなんでし。(防滴型ダイナミックならかなり強いが)

俺知り日本では1980年代以降はMicダイアフラムの材質は樹脂が中心になったけど、それ以前は普及品では金属箔みたいなのが主役だったよ。
これ主にアルミだから鉄みたいに錆びたりゃしないんだけど、だからって環境負荷が高いと全く無事では済んでくんないんだ。

かつて実家で普段茶の間の(和室)押入れにしまってたMic、数年経過したらダイアフラム表面がニキビ面みたいに変容してたんだ。
これって古くなった¥1玉とか窓枠(昔のサッシ)でそんなになってるのもあるから、気が向いたら観察するよろし。

それが把握出来たのは悪戯坊主で親の目を盗んじゃ「中を開けて見てた」からなんだが、低性能な安物だったからかそれで音に変化は感じられなかったけどね。
ほいで湿度ったってケースに乾燥剤入れてたのになんてなるのは、どうやら湿っぽさの継続長さが鬼門らしいんだ。

普通に使ってたって室内なら汗・屋外なら急な雨なんかで水滴に見舞われるのもしばしばだが、その後乾かして以降ジメジメタイムが丸一日程度で終ればどうって事ぁ無いみたいなんだ。
湿度自体は70%程度でもそれが数ヶ月とか半年を超えるとヤバイ様で、従兄過去店の場合新築鉄筋コンクリートビルの地下だったからね。

常時換気で乾燥させててもコンクリ内部の水分がかなり長期に渡って出て来るし、遮音の都合等で昔の日本の家の縁側みたく寒く無きゃ昼間は開けっ放しとは程遠かった。
俺の実家押入れの方はその襖が位置的に背もたれ代わりになってたんで、やはり継続して開けてる事が無かったんだ。

前者では従兄の几帳面さからかちゃんとケースに収納してたみたいだが、もしかしたら「出しっ放し」になってたら風と迄は行かんが空気の流れに晒されるから却って少しはマシだったのかな。
湿気以外の汚損や事故防止の為には収納しとくべきだろうが、書物みたいに適宣干すって訳にもあんまり行かんからねぇ。

<つづく>

2021年11月28日 (日)

音楽備忘録836 魔修理の記憶⑪&エレキストラップの話しⅢ

前回後部に記した造形の汚いヤツ、その後の状況からお伝えしよう。
巷のこの手の記事に後日談が少ないみたいなんで、恥を忍んで!?披露しとこう。

さてそんなだから宅内練習用のにしかし今も現役だが、最近布とビニールの縫合糸がいよいよ限界になりつつある。
俺は大して手芸に詳しいでも無いんで今どんな糸があるか良くは分からないが、細過ぎると糸自体が幾ら丈夫でも別の心配が発生する。

布やビニールがその屈強な張力に耐えられるかどうか、特に古くなってるのは経年で素材が弱体化してるしね。
しかも普段殆ど感じなくてもそれなりの伸縮性があるんで、それと糸の伸縮性がなるべく近くないとどっちかが先に逝っちまう。

そう考えてくと原姿を大きく崩さずに取替えられるのは糸だけなんで、立派過ぎる糸ってのも不味いんで手持ちに余り物がある内はわざわざ新規に買うのは躊躇しちゃうんだ。
因みに糸の擦り切れ易さとしては体験からだと、裏のビニール材の表面の柔かさと厚みに依って差がある様だ。

要するに糸がなるべく埋もれてくれてると、その分引っ掛かり難くなるし摩擦面も少なくなってそうでね。
それからここでは未言及の布だけで出来てるのへも触れとくと、下手に別素材を貼り合せてあるよりゃ後の扱いは楽だった。

現時点では布自体が綻んで駄目になったのはまだ無く、けれど昔のは素材がアコギ等軽量機対象のなんでピン取付部が非常に薄くて脆弱なのしか持って無い。
近年キャンプ用品似素材のについては親友が置きっ放しにしてったのがあるが、バックル部が樹脂製なので鞄類のと同様そこが真っ先に割損しそうだ。

けれど非革素材のこの方式のは比較的廉価で代替品が見つかり易いんで、巾広タイプが僅少なのを除くとそれが合う人には別に悪い選択肢じゃないとは思う。
但しもし大した理由もなく余計な我慢をして使ってるなら、今は若くても長く使いたいと思ってるならプチ異議ありかも。

齢を取るに連れ完壁に習慣化出来て無いものは衰えが早まるもんで、それ迄がもしギリギリで成立してた様なのだと事後に復帰出来なくなったりすんの。
この事後には入院迄行かなくても怪我や多忙なんかも含まれてて、つまり「今ならセーフ」ってのは将来の対応力には欠けてるんだ。

それからすると例えば軽傷なら絆創膏の上から背負っても平気な位の、そんなので自分に合ってるか使えるかの判断をしといたらさ。
今だって音楽業界はスーパーブラックな現場が多いけど、大昔のBeatlesみたいなふざけたのは流石に今は無いだろう。

そうすっと極限体験って面に限れば勝手に体験させられる事は無さそうなんで、単純にキャリアを重ねるだけでは実感が不足する可能性があんのよ。
尤も大昔のスーパブラックを浴びても生き残れたのって運が良いだけで、きっと良く調べたら甲子園球児並に酷使で潰された人の方が多かったに違いないと思うな。

特に過酷な重肉体労働が珍しく無い時分だと、スポーツや音楽なんてそんなのと比べたら遥かに軽労働になっちゃうからねぇ。
或は傍目に好きでやってる分楽し気だから誤解されてただけか分からんが、世間全体からは体験者が少数派だし。

楽しようとし過ぎちゃ色々不味いけど、本人にしか分からない辛さってのもあるんでね。
本件みたいな余計な処で我慢して、本道が疎かになってもしゃーないけん。

必然性を幾ら探しても見つからなかった苦しみっつうのは、その多くはパフォーマンスを害してるだけだと思うんだ。
こないだTVでどっかの医者が「猫舌は舌先を歯茎で隠せばへっちゃら」とか言い切ってたが、どうにも俺には全面肯定は出来ないよ。

無理して頑張って後で大変なのは舌先だけじゃ無かったからで、こっちが珍しい体質なだけかも知れんけどさ。
なので人の話しは参考にはなるしすべきだけど、個体差の部分は本人自身でしか詳細な判定は下せないんなんじゃないかなって思うあるね。

<つづく>

2021年11月27日 (土)

音楽備忘録835 纏めて録るかバラして録るか?①

共作曲の録りの段取りを考えててフト思い出したのが、過去の宅での録音でお客さんのGuitarist氏がバッキングとソロを通しで録った件だ。
これ俺の場合もう数十年来バラ録りするのが定番化してて、基本的には音色の最適化等を図ろうとした結果だった。

具体的にはGuitar自体の持ち替えも含みはするが、持ってる球Ampで歪ませるのにch切替機能が付いて無いのに端を発してる。
↑のG氏は持参したマルチEffectorで切替えられるからだったかも知れないが、今になってみると「プロの録音の特権」みたいなのに暗かったなら事前にレクチャーしてあげてたらとプチ後悔も過ぎった。

ったってもう十何年も昔の話しだから何を今更も良い処だが、今となっては古い手法かも分からんがこれを含めて色々考察してみましょうと。
録音初期では一発録り以外の選択肢なんて当然無くて、今では随分形は変わったが録り方法選択の最優先事項として機器や環境が支配してるのは一緒だ。

なので幾ら昔より自由になったってもそれなりに制約は付き纏うが、選べるからこそ選び方で失敗してクウォリティを下げちゃったら勿体無い事この上無いよね。
そこで敢えて機器・環境を後回しにして、先ずはコンセプトから考えてみよう。

ここでのコンセプトとは例えばLiveと録音を完全に一緒にしときたいとかそんなので、全てでは無いが個人的にはこれはノーだ。
それではもしStudio版の他にLive録音も出す際に不利そうだからだが、貧民にとっちゃ人を集める予算ってのが大問題なんだ。

その人のスタイルとして録り方を固定したってちっとも悪かないけど、やりたい曲が多岐に渡ってて夫々を最適化させたいと思うとその方面の柔軟性はなるべく確保しときたい。
何れにしても体験からすれば今のポピュラー系だったら、どんな録り方録られ方にも対応出来るのが最善かなと感じてるんだ。

機器や環境からの影響は排除し切れない部分も含まれてるから、例えば折角プロになれたらアマ時代の録り方が暫くは出来なくなるなんてのも。
プロだけアマだけの観点でも従前より良い機器や環境にあり付けたのに、それを充分に活用出来なかったら勿体無いよね。

なので出来ても普段はとか滅多にそんな録り方しないってのと、出来ないからしてないってのを混同しちゃ危険なのだ。
冒頭の思い出し案件についてだと音色切替(歪ませ)の他に、音量レベルの変更も含めてたのが特に勿体無いと思ったんだ。

Band全体でのリハーサル等で設定したのかバッキング用のを小さ目にしてあったんだが、録音としてはノイズ面等でわざわざ不利にしちゃってた事になるんよ。
音色面にしても既定値より音量を下げちゃうと、宅でだと球Ampの「リッチクリーン」音色領域が使えなくなる。

Liveではそうして全て自前で制御出来た方が確実性があって良さそうで、録音でも一発録りで機材やスタッフが豊富じゃ無かったらね。
尤もAmpの歪みが好みじゃ無かった可能性もあるが、パート個別録りでトラック数にも余裕があったんで試しもせずに彼の何時もの方法で行かせちゃったのは本人にも俺にも最もお得とは言い難い。

試して結局は両方共Amp音色に依存しない選択となったとして、それでもまだ録音には不要な音量抑制だけでも排除出来てただろうから。
俺としては何とか可能ならAmpの音色尊用するのがお勧めでその訳は次回記すが、万一どうにも気に入らなかったら思い切ってLine録りする位の方が良いかも知れない。

持ってるマルチEffectorだけで満足な音が作れてた場合、どんなに良いのだってAmpやMicを経由させたらその分変わっちまうんだから。
但し「マトモな歪みが得られるAmp」のその音が、どんなか充分理解出来てた上での選択ならって話しですがね。

<つづく>

2021年11月26日 (金)

音楽備忘録834 Rockのスタンダード⓮

前回先にチョーキング関連で出しといて、これから漸くRock Bassのスタンダード。
って毎度の逆順で済まないが昨今はRock Bassの定義が複雑化してると思うんで、
そこから一寸ボヤいときたかったんで宜しくと。

初めに俺はBass以外のパートも殆ど同じ位演ってるのと編曲には多く携わって来た故、各パートに対して恐らく偏り僅少と敢えてお断りさせて頂いた上で進めてきたい。
古い思想でもあろうが歪ませたエレキGuitarって最早仮に王道では無くなりつつあったとしても、現在本邦の天皇制みたいにRockだと未だ象徴ではあると思うんだ。

その都合から一般的には新味やバリエーションを欲しがった際、従来からBassや鍵盤系がらしさとしては犠牲になり易いのだ。
なので現代的なBand等で重宝されるのは何でも屋だし、俺自身は早くから非メイン設定の指弾き(一般的な2フィンガー以外も含む)やスラップも節操無く使用して来た。

だがしかしうっかり一般論での演奏技術に惹かれ過ぎると、案外簡単にRockらしさって失っちまうもんなんだ。
俺の場合はそれが悪運だけ強し君のお陰か偶然難を逃れられたみたいで、見方次第じゃ無駄に強く大きく弾くのを捨てられなかっただけなんだけどね。

尤も一寸前迄は一般論でのテクの低さを嘆いてたりもしてたんだが、こうもBassだけでそれらしいのが減って来るとねえ。
世間ので特に歪ませやコンプ等に頼らずとなると、近年はホントにご無沙汰になって久しいのは淋しい限りで御座る。

これが又編曲家の立場からだと結構問題で、典型的なRock曲でBassスタートのが作り難くなってんじゃって。
そこで先ず単体でのRockらしさのを先に提示して、単体ではあまりらしくないのは後でとしてみたい。

ではコレも敢えて私的としとくが、そもそもBass単体でのRockらしさとはから行ってみよう。
Drumや鍵盤と比べると程度は軽くなるが、やはりテクよりも味に忖度するってのが基本だと感じている。

歌物比率の高さも関係してるだろうが、細かいのより骨格のしっかりしてる方が必要ってな感じかな。
それとClassicの独奏のなんかに顕著な聴くのに耐え得る範囲で弾く都合の優先容認が、Rockではかなり厳しく許すべきじゃ無いと思っている。

この点Rockは純粋に聴くものってよりゃ「一緒にノレるもの」だからで、この辺が特に昔の日本では誤認してる音楽家が少なく無かった。
なぞるだけなら確かにテクレベルが初歩的でもRockだとやれたりするが、その本質は如何になるべくシンプルでも聴き飽きなくするかに注力したものだったんだけどね。

本国と違って日本ではそれ以前からシンプルなのが主流で、複雑なのに当時は今より飢えてたからなのかも知れない。
内部事情としては単に一番弾ける奴がLead Guitarに回っただけの結果でもあったろうが、もしかしたらその辺がRockが「Pops内の1つのファッション」みたいな存在に扱われた元凶ではと考えている。

その実例を1つだけ挙げとくと例えば乱暴な程ワイルドに鳴らしても聴ける音にするのって、実際に演ってみると下手なバカテクのより遥かに難しいんだわ。
Guitarなら歪ませりゃ歌ならシャウトさせりゃ、内面的には粗暴にしなくてもワイルドさが出せる。

それ処か歌では肉声には単純にどなるってのがあるんで、充分な差別化(音楽的かどうか)を図れないとRapとか掛け声扱いになっちゃうけどさ。
リズム隊や生ピではその様な手段が使えない分、音のではあるが服装では無く体形で解決みたいな必要性がある。

実際には単なる体力勝負だけにはならないが、生身の肉体だけでサイボーグと戦う様なもんだからね。
一般的に考えられてる楽器のテクとはひと味違う部分で、寧ろ究極のテクが実は必須だから難易度が高いんですよ。

只微妙なのは求めて無い欲して無い聴者には大して意味が無かったりするんで、苦労して習得出来ても儲けが少なくて割が悪いんだ。
その代り露骨に歪ませたり叫ばなくても、らしさが出せる点で
は特筆ものなんですがね。

<つづく>

2021年11月25日 (木)

音楽備忘録833 音の物理的歪みと電気的クリッピング➑

続いては両者に共通の近年顕著になった課題についてで、一言でだと音楽的に有効な歪み領域が減少一方となってる件だ。
もっと良い音にしよう・それが達成されたらなるべく破綻しない様にと、元は全く悪気はなかったんだろうが…。

一等偏ってた時期のピークは何とかやり過ごせたみたいだが、音響学の中で楽器のだけこの面では遅れを取っちまってたんだと思うんだ。
机上理論や化学分析に則れば歪みはご法度なんだけど、楽器は生身の人間が時には理屈度外視で感情に任せてなんてのもあるものだ。

これってもっと単純化すりゃ「どんな無茶苦茶されるか分かんない」に限りなく近く、どう扱われるか不明で想定外も大アリとなると歪みの完全回避なんてどだい無理な相談なんすよ。
ではどうやって少しでもそれに対抗させるかったら、少し位歪んでも聴ける音になる様にするのが唯一の道なんざんす。

処が残念にも日本の楽器製造界では古くなった思想を引きずってるのか、演った無茶さ加減が殆ど出音に反映しないのばかり。
初期の内はそれ迄のが歪み易過ぎたりするのしかなかったから良かったんだけど、一寸やり過ぎ追求し過ぎてブランド固有の音色を創作する分が疎かになってんじゃねっと。

Micや録音機の方は製造国無関係にこうなるのはオーディオなんだから仕方無いが、楽器で賄い切れなくなった分を助けて貰うには厳しい状況だ。
電気楽器なら楽器Ampである程度は何とか出来るが、↑みたいな俺言い「石頭の生楽器」だとEffect以外ではここしか余地が残って無いからねぇ。

これもあって俺は趣味や貧だけで古い楽器を使い続けてんじゃねえんだが、買ったのが大昔だから自動的に古くなっただけってのは年の功も同然。
そこでもし全てをこれから集めるとしたら楽器本体だけじゃ足りるか分からんので、対象を古Micを始めとして広げて考察して来たんだす。

本邦で特にポピュラー系では古Micの有効活用例が見つからないんで加減の不明なのは何だけど、Classic寄りの弱小さんではそこそこ実例があるんだ。
が皮肉な事にRock系こそ激しく無茶したのが分かり易くあって欲しい処で、過加工依存に走ったのもガラパゴス化の促進に繋がってる気がすんのよ。

かなり作り込まれて良く出来たEffectorでも、それがデジタルバーチャル領域で行われようと所詮この件では「電気的クリッピング」の基本性質からは逃れられて無い。
そんな事ぁ無い現代のシミュレーション技術はとっても高度で…とお嘆きのアンタ、チョイ待ち。

確かに技術的にはシミュ不可なのはもう殆ど無くなってるが、分かってても迂闊に全要素は搭載出来ないんですよ。
音源が生楽器の場合普通人耳にはそれを鳴らした空間由来の成分が混入してるが、これの状況とMicの距離とかって無限の数があるですよ。

しかもこっちの望みとは正反対に近い位でも拾うには「空気のある場所」と「Mic構える」は省けんで、Effectorの方に載せといても収音側のを消せんから妙ちくりんな「2重掛け」にしかなってくれんとです。

なので極力実在部分の方で何とかせにゃならんのやが、狭い日本じゃ場所が最も最適化が厳しい。
んだば次に楽器はってぇと、これが規模の大きいヤツはお値段も比例しておっきい。

となると消去法でしか無いがサイズ・お値段共々最も手に届き易いのはMicになり、更にケチらなきゃならんとしたら「Micの位置と距離」の他にもう手段が無いんす。
んでこの最後の次善策で期待するのは「その場所の空気の反応の違い」で、音量差に依る楽器音色変化巾が小さくても音量が違や少しは響きとかに別の差が出るだろうってね。

<一旦終了>

2021年11月24日 (水)

音楽備忘録832 魔修理の記憶⑩&エレキストラップの話しⅡ

済みませぬ前回最後で秘策だなんて言ったのは、誇大表現で御座居ました。
唯単に意図的に長さ余裕を最大限に確保しとくってだけと手段としては稚拙そのものなんだが、その為の手間は一切厭わないのがもしか他所様とは一線を画してるかと自負してたんで…。

その手間ってな追加でピン穴(長さ調節バックル用のも含む)開けるのはまあ誰でも想像が付くとして、もっと「長い穴」を切り開けるのもやっとりま。
これ何物ってばバックル不使用で編み物みたいにして主要部と細いのを繋げてるヤツがあって、それ用の穴を増やすと材料長は縮めずに全長を必要長さに収められるからなんだ。

一般的には一番短くしても長かってピン穴が複数付いてるのでその手前のどれかが合えば、そこから先は「邪魔な余り」として切取ってると思うんだ。
一部の知人にはそれすら不精して尻尾付けたみたいなままにしてる人も居たけど、長い目でみるとそんな放置の仕方の方が若干寿命を縮めてるみたいなんだ。

尻尾部分が何等かで押された際ピン穴の部分が最も柔らかいんで、そこが支点になって屈曲したりする。
それが繰り返されると疲弊したり革が軟らかくなり過ぎたりして、どうも裂け易くなるらしい。

依って温存させるなら「保護付き」の方が良く、それって重なり部分を増やすのが得策だ。
プラス負荷が掛るのは端っことしとくと、駄目になるのも端からになってくれるんでその分長く使えるって寸法さ。

その長さ調節機構がバックル式(枠で支えてピン(細い棒状の)で位置決め)の場合、俺は可能なのではピンの刺さる部分が2重になる様にして負担軽減を図っている。
何れにしても基本構成が2本だろうと3本だろうと、本体部だけで所望より長きゃ更なる加工をしなきゃなんないがね。

尤も今時バタやん(田端義夫)やGeorge Harrisonみたいに高くするのは稀だろうから、短縮加工の必要性はそんなに多くはないと
思うけど。
っとここ迄は修理より改良った方が相応しいのだったが、修理の前に魔用の紹介をちょっちね。

ってか修理が上手く行かなかったんで発想の転換したのが過去に1つあって、そいつはビニール地に薄い化粧生地!?が縫い付けてあるのだった。
前述の如く糸が擦切れがだいぶ長くなったんで、先ずは糸の取替えを企図してみたんだ。

元は当然ミシン縫いだったけどミシンで最初に縫った時に出来た穴に合せるのは無理ゲーっぽかったんで、面倒だけど丹念に手縫いしたんだ。
処が使った糸が適してないのもあったのかすぐに綻んで来ちゃって、仕方無く不格好だけど「ビニール」だけにしてみたんだ。

どうせ布は強度に殆ど貢献して無さそうだったからだが、布が付いてた時より妙に伸縮性が良くなって何とも変な感じになっちまっただよ。
その次に手掛けたのは同タイプので糸よりピン結合部の合皮が劣化・表面割損したヤツで、不要ハンドバックから適材を切出してこれはミシンで縫い付けた。

元から強度懸念はあったんで念の為裏面にもハードフェルト(上記鞄の芯材に使われてた)を重ねといて、表の追加合皮と一緒に縫っといた。(勿論軋み音防止も兼ねて!)
お陰で強度はかなり向上して今でも健全だが、造形の汚さに目を見張るものがある状態。😓

弾力に富んだのって小曲線で切るのが・ミシン掛けにしてもそんな素材に全く慣れてないから…、昔はGパン(現代の若者はそう呼ばないんだって💦)の裾上げは何時も自分でやってたんだけど…。
今なら色んな粘着テープや接着剤が発達したからそっちでやったかもだが、面積が一寸小さいし斜めに引っ張られる事も少なくないからどうなんだろうな。

<つづく>

2021年11月23日 (火)

音楽備忘録831 Mic関係の色んな思い込み!?➋

本項前回に連なる感じで、今日は改めてMicの周波数指向特性のささやかな啓蒙活動と参ろう。
と挙げといて俺自身は普段殆ど気にして無い杜撰大王ぶりだし、常に問題になる話じゃ無いやね。

けどこの件って知らんままで居たり忘れてたりすると、厳しい状況に追い込まれた時に限って問題が顕在化するのよ。
一般論としては高域の方が目立つのもあって、高域程指向性が鋭角になってるのは悪くないし助かるけどさ。

但しこれが実効性を発揮してくれるのはシビアに云や、「混入してても目立たなきゃOK」の限定なのだ。
そして混ざってても目立たなヤツだと、それを確かめるには面倒な性質なんだよね。

にも拘らずどっちかってぇとそんなに問題視されてないのは、近年のOn Micでは圧倒的にダイナミックタイプが多いからなんじゃないかな。
これ良く調べないと分かんないんだけど、基本的にダイナミックタイプって中域は得意だけど低高域は苦手目なんだ。

最新のバスドラ用ダイナミックでも低い方の限界域を下げてるだけで、もし地鳴りの収音にでも使おうとしたら本格的なコンデンサタイプよりローエンドは拾えてないんだ。
一般的な音楽アンサンブル内ではバスドラのローエンドが底になってっけど、実在音の中で最も低いって程バスドラのそれは必ずしも低くはないんよ。

ほんで又得意じゃ無いから後で盛られる事も少なくないと思うんだけど、いざその時になってから「ありゃこんなに混入してたのけ」となるから厄介なんよ。
んでここ迄のブツブツって何を言いたいかったら、中高域はMicの向きで制御可能だが「低域は距離」でしか殆どそれが出来なさそうって事で御座居。

但しⅡで太鼓の胴鳴り・大き目Bass Ampのスピーカエンクロージャ等、物に依っちゃ本体から離れた所で低音が大きく鳴ってるのもあるからややこしい。
けれど先日の従兄に依頼した試験結果と従前体験の比較からすると、従来の超Onってなかなり「打面革だけの音」を拾ってたらしきは確実だ。

ここからが年寄りの本領発揮になる部分なんだが、概述だが従前のOn Micセッティングの開発事情ってのが肝なのだ。
普通に構えても諸事情から生耳よりボケたり遠っぽくなるのを補填しようとした結果で、これには明確な科学的根拠があるのであ~る。

今回は敢えて録音機やMixer卓の部分を除外して話しを進めるが、その鍵となるのはMic指向性の鋭さと録る場所の平均残響時間だ。
先ず指向性に関してはMicダイアフラムが今より重いのしか作れ無かった等もあって、音響管非依存だと鋭いのが無理だったんだ。

特に周波数特性の山や谷を避けたいとか広く取りたいとなると尚更で、そもそも原理的に無指向性の方が広帯域を得易いのは今だって変わっちゃいないんだ。
只エレクトレット等素材の進化と相まって昔よりタフなコンデンサタイプも実現してるんで、一般用としては可聴帯域網羅のダイナミックなんてほぼ不要になってるだけなのよ。

次の「平均残響時間」と称したのはその時点での響くのと響かないハコとの平均の事で、広さもだが根本には楽隊の編成規模の小型化があるんだ。
その昔デジタル物はおろかマルチトラッカーはねぇ・ポリシンセもねぇとなると、全部生演奏でやんなきゃなんなかったから。

そすと色んな音(擬音や効果音も含む)を入れるのに、その道具と人員も一緒に居られる空間が必要だった。
それも部屋の真ん中とかに柱なんかあったら、誰かに指揮が見えなくなると困る。

となるとやたら丈夫な材料と構造の部屋になるし、だだっ広いんだから響くななんて全く無理な相談だ。
尤もお手軽高性能な残響装置も当然ありゃしないから、美味しく響いてくれさえすりゃ丁度良かったんだけどさ。

その丁度が楽器やジャンルに新しいのが出て来たら、最適値がズレってちゃったりしたんだわ。
かと言って例えばRockならそれだけで経営が成立する位ニーズが増える迄は、仮にどうすりゃ良いかが分かっても専用のハコなんか作ってらんないじゃん。

<つづく>

2021年11月22日 (月)

音楽備忘録830 音の物理的歪みと電気的クリッピング➐

今日は再度音楽にとって物理的歪みの有用・重要性を訴えて行きたいが、打込みオンリーの人が増えると忘れ去られそうなのが怖いんだ。
ポピュラー系なら予めそれっぽい音源を選ぶ手がデフォだが、その方法たどClassic系には非対応だ。

いや実はポピュラー系でだって一般論での歪み音色を使わんと迫力やワイルドさが出せないんじゃ困りもので、もし歪ませるのが全てだったらDrumなんて殆どのが電子Drumの「歪ませたの」になってる筈やんか。
それもなるべくなら生太鼓のサンプリングしたのを歪ませるんじゃなく、バスドラの音源をもう大砲の音にしちまうとか。💦

皆無じゃ無いが現実ではそんなのが少数派に留まってるのは、幾ら迫力があったってバスドラの音じゃなくなるから駄目なんだろうけどね。
そこで音色と強弱の関係を整理してってみると、例えば音色は体格で強弱は気の強さなんて考え方をするのが相応しいと思うんだ。

心情不明な知らない大柄人と小柄人を外的に比べれば、確かに大きい方に何となく威圧感を覚えたりしそう。
特に自分より相手が大きいと全容を視認し難くなるんで、事故防止の為には慎重に接しとこうかなんて思うのも普通だ。

只そんなのは一時的な第一印象だけの話しで、いざ人柄が見えて来たらデカいのは大らかで優しいかも知れない。
し結構ありがちな傾向なんだがチビに限って外敵にやられん為にか、短気で激しい奴が多かったりするもんだ。(完全非ディスり手前味噌で御座居)

これが体格別カテゴリの無い格闘技だと典型的ってか勝つには必定で、練度が同程度だとパワーではデカい方が大抵は有利だからチビはスピードとかで対抗しなきゃなんなくなる。
突詰めてくと体格がとうであれやられる前に倒せちまうのが一番で、一定以上の攻撃力がある上で最速なのが最強になってるよね。(これ位は無いと俺等チビ族は生きる気力を失くす???)

して速さには大きい程不利になり易いんで普段は小さ目の方が良いだろうが、万一ミスった際の代償は小さい程大きい。
これが音楽のジャンル毎のベーシックな音色と見事に一致してて、音楽を聴く際だと↑のミスは環境の悪さに相当する。

この件で近年の一般人が案外見落してるのが音色印象と聴取音量の違いで、細部迄ちゃんと聴ける様にしようとしたらClassic系の程最大音量は大きくなる処。
最初から騒々しいヤツ(特に近年本邦の音圧競争者の)は入ってる最小音量がかなり大き目なんで、「聴こえるか」って条件だけだと大胆にボリウムを絞ってても平気なんだ。

尤も平均音圧では騒々系の方が高いから一概に論じるのも何だが、最小部に合せるとClassic系はここぞの一発が一寸ビックリさせられる位大きくなっちゃうんだ。
但し私的ではあるがだからって闇雲に音量差が多きゃ良いってもんでも無く、Classicだって曲想に反したり聴き手に余計な負担を掛けてる様なナルシス君は感心しないよ。

その逆にポピュラー高音圧系だからって小さくなる処の無さ過ぎも考えもので、上記のとどちらもそれじゃあ得意な処だけ良きゃ通用するだろうって安易さが見え見えだ。
今の世間じゃ異ジャンルが交互に掛かるなんてのは稀になっちまったんで、そんな他力本願依存システムじゃ自らの売りをアピールし切れなくなってんだ。

歪ませてもOKな方が選択肢は増えてるが、特徴を大事にするのとある種の特権に依存するのは別問題なんじゃないかな。
歪ませがアリだろうとナシだろうとそんなのは服装みたいなもんで、初期の効果は中々大きいが長持ちしない。

時代にそぐわん例えで済まんがエロオヤジ的には、脱がせてみたらガッカリ時のダメージは他の何より痛いのだ。
だからって最初から裸では居られないから服も無視は出来ないが、膨大な宣伝費が役に立つのはギリギリでもそれに見合った中身があってこその話し。

となればジャンルに関係無い部分で水準を越しとくのが先決で、それに使えるのは物理的歪みの方って訳なのよ。
この点打込みオンリー氏は可哀想で、他の色々で何とか補ってリアルに対抗しなくてはならない。

<つづく>

2021年11月21日 (日)

音楽備忘録829 他を出し抜く音創り⑩

John Lennonの演奏を称賛しつつも「怪しげ」なんて記したのは、単体聴きでの印象と楽曲中での最適さの違いに着目して欲しいからだ。
これってどの世界にもある「本番の強さ」とかで、幾ら練習では凄くてもそれを試合で発揮出来ないと価値が薄れるのと同じだよね。

Johnの場合自身がVocalist兼業な点で、無理に企図しない限り寧ろ歌と不一致にさせる方が大変だろう。
だから伴奏としてハイレベルになるのも当り前っちゃそうだが、彼の膨大な「歌い乍ら弾いた」体験が今回の鍵なのだ。

大昔は一発録りオンリーだったのがバラせる様にもなった当初は、1つのパートに全集中可能になったんでクウォリティの向上にも貢献したんだと思う。
但しそれが成立してたのは2つ出来て同時に演ってた人が、片方だけで良いんで俄然楽になったからだ。

故にもし個別にしても全然楽にならないアナタだったら、却って同時にこなした方が恐らく好結果に結び付くんじゃないかな。
これはアンサンブルにも同じ様に適用されるものでクウォリティの為には、得意若しくは合ってる方法を使うべきなのを示唆してるんだ。

基本的には3タイプの人が居てつまりどっちでもへっちゃらなのもあるが、どのタイプの人でも楽曲や演奏内容次第で変動がある方が多い。
そいで合わない事すりゃ当然質の低下を招き易いが、最も影響を受けるのはノリだとか鮮度なんだ。

これが単なる上手い下手なら訓練だけで水準を上回らせられるが、自然発生的な魅力の部分には全く通用しないんですわ。
既に確固たる実績と信頼が築かれてるなら未だしも、これから売り込みを掛けようってんなら大問題なのよ。

参考にこれの体験及び身内での実例を記してくが、そもそも俺等が個別録りをマスターしたのは寧ろ一発録りが不可能だったのに端を発してんだ。
先ずは何と言っても必要な人数を揃えられなかったのが多いが、それだけに限らず機材の方で必要数を確保出来なかったのもあったんだ。

独力で作りたいなんてのはそれより後になってから湧いて来たもので、窮余の策だが他に選択肢が無いから強引にマスターするしか無かっただけなのよ。
んでそうなると中には個別録りに不向きな人も居て、本来はその人のせいじゃ無いのに当時この件に無知だった俺等の中では不当低評価しちゃってたかな。

俺自身はたまたま手段は選ばずタイプだったから扱いに変化は無かったみたいで、どんな録り方でもノリが封印される事は無かったな。
しかし詳細に耳を傾けると本質的には一発録りのほうがより向いてるらしく、自意識と比べるとかなり後年迄バラ録りのには粗が多かったみたいだ。

元々がそんなに丁寧な口じゃ無いからパートナーには大した影響が出なかっただけで、自分がその時点で「持ててた精度」は幾らも発揮出来て無かったと感じている。
そしてこの身内平均でだとマスターし終るのに大体3年位掛ってて、ここでの基準は最低限思った様に演れてると容認出来る程度でだ。

だから使えなくは無いってだけで、偶然以外ではベターパフォーマンスには全然なって無かったと思うよ。
尤もプロになってしまうとなるべくどんな注文にも応えられるのが必要なんで、こちらから手法選択可能な場面は多く無いんだけどさ。

それでも自分の傾向を把握出来てた方がより気を付けるべき箇所が分かるんで、その方が苦手のに対しても少しはクウォリティアップ可能と体験的に感じている。
なので折角選べたのにそれを考えもせずに録るのって、凄く勿体無いと思うのよね。

<その内つづく!?>

2021年11月20日 (土)

音楽備忘録828 魔修理の記憶⑨&エレキストラップの話しⅠ

今日はエレキのストラップのについてだが、特殊なのを除きゃそんなに高価じゃ無いから買換えの方が多そうだ。
果たして復活したこのテーマ、今回は珍しく自分の最近の記事がキッカケだ。

拙記事「内容と道具の良さのバランス④」みたいなケースに遭遇すると、直す方がまだ楽になる事だってあるんでその顛末等を。
この件に触れるにあたり先にストラップの適性から行っとくが、時にはファッション性を優先すべく他の全てを我慢するなんてのもある。

俺だって小金が余ってたら欲しいのが幾らかあって、例えば若き日のJohn Lennonが常用してたVOX PYTHON STRAPとか。
もし誰か要らんからやると言うならこれ書くの中断して取りに伺いたい位で、折角買える様になった(そもそもずっと売って無かった)んだしね。

だが今の俺には高根の花過ぎるのもあるが、使う楽器の重さが本家のより凡そ+1kgとなるのも買うには懸念事項になった。
売って無い内は只憧れるだけで見落してたんだけど、両端はかなり細くなってたんだね。

昔若い時にゃ安い中でデザインの好みのなんかも買ってみたけど、布や並のビニールとの複合タイプは耐荷重と耐久性に難があった。
このタイプのは長さ調節が無段階なのがとても良いんだが、巾や厚みのあるのが当時は無かったんだ。

加えて布にしても最近のみたいなキャンプ用品なんかで使われてる様な素材のは無かったし、裏ビニール・表布のでは縫い合せてる糸が割とすぐに擦り切れて来ちゃってね。
当時は比較的コンスタントにLiveにも出てたんでそんなのに懲りちゃって、本革製のを中心に選ぶ様になったんだ。

革でも法外な安物だと駄目だけど、やはり強度とフィット性にはかなり違いがあったんだ。
より柔軟性のある布やビニールの方が肩に優しいかと思ってたっけ、それ等はいざ「重さが掛る」と硬さ実感にかなり変化があってね。

この辺がドラムスローンのクッション等と同様実使用時にどうなるかで判断しないと泣きをみる処で、普通の生活用品でも長時間連続で体が触れる様なのと同じだ。
更にも1つ個人的に気にしてるのが楽器本体とストラップの取付部の摩擦時にどうなるかで、重さが掛ったまま擦れると材質やその表面の状態次第で「グッグッ」とか「キリキリ」なんて雑音が出たりもする。

楽器の形状や吊下げ高さ長さ等に依っちゃ殆ど気にしなくて済むケースもあるが、出易いのと出難いのがあるのは知っといて損無しじゃ。
これアコギだってボディにモロに共鳴するが、エレキで感度高目にしてると実音の何倍にも増幅されるからバカにならんよ。

体験的に最も出難いのは「裏革」で一般的な表若しくは同様仕上げでなめしてあっても、「細かいシワ」があったり比較的表面が柔らかいとセーフだった。
それで革製のを長く使い続けてみると寿命長めったって無くなった訳じゃ無く、使用頻度の高いのは消耗品と思っといた方が良いらしかった。

俺知りの革のでも多くので残念な弱点になってるのが、片側の端の方が細くなってる事。
それが常用してるピン穴の横を裂け易くしてる様で、当初から不安を感じてたんで可能な限り買ったらすぐにある秘策!?を施しとくのが習慣になった。

<つづく>

2021年11月19日 (金)

音楽備忘録827 音の物理的歪みと電気的クリッピング➏

電気的クリッピング(音色的歪み)の内容へもう少し踏み込むのと、せめて球だと何故マシなのかにも触れとこう。
その予備知識のおさらいから行っとくと「歪み=音波のゆがみ」にも、かなり色んな種類があるからだ。

人間が天然由来の生物だからか、やはり耳に馴染むのは実在物理的に作れる「ゆがみ」の音の方だ。
なので極端な電気的クリッピングに依る所謂パルス(矩形波等)の様な、波形状的に鋭利な「角」の部分は自然界的には不自然なんだ。

前衛絵画なんかであるべき物が違う所へ描かれてると時に面白がられもするが、万人に気持ち良く受容れられはしないのと同じだ。
とは言え折角だから突詰めとくとどんなにピュアに作れたパルス波だって、実際に耳で聴ける様にすると↑の角の部分はかなり丸められてしまっている。

スピーカやヘッドホンの振動板は慣性でホントの急停止・急発進なんて出来ないし、仮にそれを実現した処で耳との間の空気で「震えが伝わる」には時間も掛りゃ形も鈍ってく。
このお陰でシンセの矩形波だって上手く料理すりゃ楽音として使える様にもなってんだが、「聴くに堪える矩形波」って実は波形の角はかなり丸めた後のなんよ。

んじゃ実際どうやって丸めてんのかったらフィルタで高域を削ってんだが、「尖った波程高周波」だからだ。
だが徹底的に耳に優しくしようすとするとかなり籠らせなきゃなんなく、しかしあんまり籠るとちっとも矩形波っぽく無くなっちまう。

にも拘らず他に良い手段が無いのは「高周波のある場所」が特異だからで、他の自然音のと違って「角にだけ」集中して存在してるからなんだ。
電気的クリッピング以外のの多くは音波の波の曲線部に散在・併存してるから、俺言い「微細な棘」の刺激が少しはあってもガラスや金属版の切りっ放しので
指先を怪我するみたいな事が起きねんだ。

相変らずの妙な比喩だが物理的歪みのは表面がザラザラなのみたいなもんで、強く擦らん限りは露骨に肌を荒らす心配が無いってな感じ。
板だと手じゃ千切れないから紙に例えを変更すれば、千切った断面はギザギザ且つ軟らかさもあるから触ったってへっちゃら。

なのにその同じ紙を切れ味の良い刃物で切ると、手が乾燥してたら何かヒリヒリするなと思ってたら何時の間にかってあったりするじゃん。
つまり電気的クリッピングは上記で言うと、電子回路と音が電気に変換されてる部分が鋭利な刃物って「道具」に相当してんのよ。

電気変換が無けりゃ空気中での作業になるから「鋭利な道具」ってのが無理筋で、気体や液体ってそもそも切れ目を入れらんないっしょ。
では次にそれでいて何で球なら少しはマシなのかったら、電子が実際に球の中で「飛び移るって運動」をしてっからだ。

現物ったって電子なんて正に原子レベルだから見えないし、宙を飛ぶったって真空で空気だって無いんだけどね。
けど地に足が着いてたら転んだりはしても間違い以外でルートを外れたりゃしないけど、飛び損ねると何処かとんでもない所へ落っこちる事もあるやん。

ついでだから真空管の電磁波にも言及しとくと、IT機器の高周波のと違って外部への害は殆ど御座居ません。
真空にして凄くアッチくしてやったお陰て辛うじて極近くへなら飛び移れるって程度の力しか無いんで、温度が僅かでも下がったり空気があったら全然飛べなくなるんだ。

で そんな曖昧な事してる癖に全く出鱈目な動作にならんのは、電子の量と行き場が決まってっからだ。
飽く迄戯言的イメージではあるが1回目のジャンプで失敗した奴が、よじ登ってって2回目の連中と一緒に出て来た…みたいな…。

自然界では突風に来られると明後日の方へ音は飛ばされて伝わらなくなったりするが、球は閉塞空間で総数も決まってるからそこ迄は行かんと。
それでも実際に僅かでも「物理的動作」をしてる分、物理的歪みも実際に含まれてるって寸法なんだ。

因みに石の半導体でもJ-FETだと他の普通のトランジスタ等より物理歪みに近付くのは、電流増幅では無く球と同じ電圧増幅方式となってるからだ。
そうなってるとクリッピング境界域が多少は広くなるからだが、電子を空間飛翔させては居ないので厳密には「似てる気がする」だけなのだ。

<つづく>

2021年11月18日 (木)

音楽備忘録826 Mic関係の色んな思い込み!?➊

こないだの変態位置テストと宅での柔らか生ピの魔用を通じて、今更だが疑問が湧いて来ちまった。
先ずは主にMicの向きから記してくが、現在一般化してるやり方って基本的には「Mic側の都合」だけでやってたんじゃってね。

現時点で実感したのはまだDrumsetと生Grand Pianoだけだが、何で俺言い「あっち向けホイ」になんか至ったのかだ。
Micだけで考えりゃ絶対的に変なのに、設計(単一指向性)に反して余所見させなきゃ駄目だなんてねぇ。

そこではたと浮かんだのが普通生耳ではどうやって聴いてたかで、余程の特殊仕様のじゃ無い限り楽器はMicより人耳優先で作られてる処だ。
つまりPAレス下では大抵はこれ等の楽器は「かなり横からしか聴けてない」訳で、それを上や斜めから拾ったら違った音になっても何の不思議も無いんじゃないかって。

ここでもう1つ再考すべきと思ったのが「誰に聴こえてる音なのか」で、Classic系等と比べると歴の浅いRock系には影響力が絶大な「聴き専マニア」が少なくとも昔は居なかった点だ。
これPA:オーディオのにも近いものがあり、時にはセンスあるスポンサーの鶴の一声が進展の後押しする場合だってあるからね。

尤も近年本邦では上級国民とは名ばかりで、中身スッカラカンのが殆どだから酷いマイナス作用しかしてへんけどな。
それが聴き手側でも世間に認知されてる信頼の於ける人的資源が少ないんで、作り手側だけの判断に陥ってるんじゃないかって。

或は音響機器製造側はバックに大手家電が付いてたが、楽器側にはそれに匹敵する程のが無いから軽視されてんのか知らんがね。
だからって別にMic自体の取説に大きな錯誤があるとは思ってないが、楽器の音響的部分に対する知識が足りてるかどうかがとてつもなく怪しいんで御座居。

具体的には「このMicは音源の正面に向けてお使い下さい」は無問題だが、楽器の音源位置に対する解釈を間違えちゃってたんじゃないかってね。
拙ブログの色んなので「音の空間合成」の件に触れてっけど、デカい楽器になる程元々この作用は省けないし避けられんのよね。

例えば安普請の三畳貸間和室で爪弾くアコギだったら、迷惑になるから極力小音量で奏でられてる。
その上日当たり悪くて湿ってたりすんだろうから、只でさえそんなに響かないのが余計デッドになる。

しかもアコギは発音源の弦間隔が最大でも10cm程度なんで、Micが余程極端な位置に無い限り共鳴音の拾える割合の変化が少ない。
だがDrumsetなら遮音性・Grand Pianoなら耐荷重性の関係もあって、残響込みになり易いし発音源最小間隔は正に桁違いの1m以上ある。

つまり大型楽器だと設計想定より近くで聴くと、空間残響や共鳴音の種類と含有率が設計想定より減っちゃってるんですよ。
別に必ず設計想定通りの音じゃ無きゃいけなか無いんだが、タイヤが1つパンクしてる車みたいなもんだからそれで大丈夫か考えとかないとさ。

On Micって元々は分離度向上や不要音の混入を最低に抑える為でもあったんで、距離を離すのが厳しい事も確かにある。
そこで「条件的に間を取る」としたら、「近いけど弦や打面は見えない向き」ってのが妥当なのかなと。

これって狭い演奏会場で最至近に居るお客さんに近い状況とも看做せ、演る側にしたって他の楽器で合奏してる人達にはそんな音しか普段聴けてないしね。
但し注意の居るのがMicの指向性と周波数特性の関係で、低音になる程明後日の方向の音も大き目に拾えちまう処。

故に唯Micを余所見させただけだと低域過多になってる公算が高く、それを中高域が足りなくなったなんて誤認したから気付けてても止めちゃったのかも知れないね。
しかし不要混入音排除と音色のバランスについて
、もっと誰もが大いに再検証すべきなんじゃないかと思うんだ。

<つづく>

2021年11月17日 (水)

音楽備忘録825 他を出し抜く音創り⑨

前回の例示では問題提起の端っこに至ったが、相手にも依るが今だと業界さんも昔みたいに辛口でも正直には言ってくれなくなってんだ。
俺みたいな稀な例外はズバッと本音をバラしちまうが、その結果がある意味今の惨憺たる日常だ。

今本邦で業界メジャーに籍を置いとくには電通様が絶対で、ウルサ目の宗教そのものと思って貰って良い。
だが世間の良識と電通の正義には縮められない乖離があるんで、業界メジャーでも実務担当労働者は腐心しつつ苦労してんのよ。

本来ならその予算でそのクウォリティは無理とか専門家としての正しい知識を伝えたくても、親分の頭ん中にその辺の能力はおろか訊く耳も皆無。
砕けて言やギャラこれしか出せん代わりに文句付けんから、位しか現場を辛うじてでも回してく方法が無いねん。

こないだも又々日本人がノーベル物理学賞受賞と騒いで、その実真鍋淑郎博士はとっくの昔に米国人になってるとか。
海外への機会がほぼ無い俺なんかだと困るし悲しいし頭に来るが、それだけこんな不適切な予算配分じゃどの分野だって発展不可な証拠じゃい。

と吠えつつ比較的個人レベルでも賄える小規模編成音楽って、他のに比べたらまだ致命傷にはなってないんだよね。
そりゃどんなにまぐれで名曲作れたって昔みたいに宣伝なんかして貰えんけど、どう頑張っても何もマシなのが作れん程には至ってないんだ。

只その代り自分達で全て施工管理出来なくては駄目で、世間の様子や反応を伺ってもかつてみたいに直球では帰って来なくなったって事った。
っつうのももし前回提示のトリオさんがウチで録ってたなら、俺ならキレてわめきつつもしつこく録り直しを強行してたと思うんだ。

一寸の虫にも五分の魂でウチで録ってそんな音では許せんし困るしで、ウチにゃ一般論では優位点なんて幾らも無いんだからせめて何時だってそこそこの音にしとかなきゃ未来永劫誰にも来て貰えなくなるやん。
尤も現代ではそんなの商業的には非成立パターンであるが、最終的に変なの出して一番影響受けるのは「出した本人」だからねぇ。

つまりどんなに興味や適性が無くても自分達だけで、プロデュースについて考え実行しなきゃなんなくなったって訳ですよ。
勝手に生贄にしたトリオさん達のだと、完成品からの逆算的思考が何しろ欠けてたのかな。

やりたい事が先に決まり過ぎたのか、少なくとも現時点や曲毎の最適解を模索した気配がしない。
折角ポピュラー系では単に若いだけでも加点になってるのに、勿体無くてしょーがないってオジサンは思っちゃったんだ。

万に一つももしかしたらメンバーに余命幾ばくも無い者が居るとか何等の事情があるやもだが、最大の売りや魅力の根幹を必要なだけ先ず分かって貰えんとさ。
無理して妥協してでも目一杯苦労して世に放っといても、時間経過で忘れられるのが早まったりもっと後には痕跡が消滅する率が上がっちまう。

全ては状況次第だが何も真の一点豪華主義迄絞らなくても良いが、優先順位が無いとか曖昧過ぎるのは取組み方として不正解なんだ。
取敢えずはプロレベルとして完成させられた部分から柱を建ててって、他の部分はそれをスポイルしないのを考えてけば良い。

これに際しここでは随時頻吠だがインストよりも、歌伴奏の方が大きな欠点は許されなくなっちゃうもんなんだ。
仮にどんなに優れた部分があっても歌の足を引っ張る処があると、シビアに言ったらもうそんなのは伴奏とは呼べなくなる。

これを魔解釈!?すりゃ足さえ引っ張んなきゃかなりいい加減でも、脇役なだけに見逃して貰えるなんてったら悪戯過ぎるかなぁ。
私的には大失礼乍らJohn Lennon等の演奏には、時々これに近い様な怪しいのがあった気がしなくも無いんだが…。

<つづく>

2021年11月16日 (火)

音楽備忘録824 魔改造悲喜こもごもⅤ➎

今日はサクッと続きを進めるが、先ずは「球Ampは石のよりナローレンジ」と誤認思い込みをしちまった原因から。
要点を整理すると体験した機器の時期的ズレと、耳に対する不要刺激の多少が関係してたらしい。

では前者の時期的ズレについてだが、これはその時代に求められてたレンジの広さも加担してたと思った。
増幅素子が何であろうと1960年代の日本では、上は16,000c/s(16kHz)に到達してればHi-Fi認定されてたんだよね。

下はスピーカの再生限界に依存ってな調子だったが、何れもレンジの広さには今よりスピーカの低性能がネックになってた様だ。
これには単純な技術レベルの他に一寸した別事情が絡んでて、増幅素子が球がデフォだと今よりスピーカには遥かに能率が要求されてたからなん
だ。

趣味的には能率優先フルレンジタイプスピーカの方が今のより音にナチュラルさが感じられて好感があるが、物理性能的には能率最優先のはちっともリニアな特性には出来ねんだ。
幼少時からClassic系オケよりMicの近いRock系のが好きで聴いてると、概述の如く再生装置が記録にリニア過ぎるのが却って合わないみたいなんだよね。

Rock以前のJazz愛好者にホーンツィータが好まれたのもジャンルと関係がある様で、メカ的にはよりリニアなドームツィータよりレコードの金管の音の印象が生に近くなったからだろう。
そんな事って理屈と印象が敵対してるも同然だったんで、記憶に捻れ現象が起きてたんだろうさ。

そんでこれは増幅素子についても同様で、更には明瞭度の項で記した様に良し悪し別にすれば半導体のの方が「如何にも出してます感」が圧倒的に強い。
これらから当時のRolandの設計者も中域過忖度に走ったのかも知れないが、俺のは唯の間抜けだがあちらのは単体音に捉われ過ぎだったと看做せる。

特定中域の強調機能ってばAmpeg SVTのが真っ先に思い浮かぶが、本家のは盛るのみじゃ無く削る方も出来る仕様だった。
それと重要なのは下位機種では中域のは省かれててもローとハイエンドの強調機能は別に搭載てれてて、音色創作の方向に偏りが無かったのよね。

俺も後者のはスッカリ忘れてたのと、削らなきゃこんなにちゃんとエンド域も出るんだで慢心したのかな。
それから改造に充てられる時間が短かったのもあって最小限の作業とした結果、ロータリSW切替時の雑音が従前より大きくなる仕様にしちまった。

他人に使わせる機会が無さそうだから良いものの、知らずに動かしてバリバリ・ボツっなんて突如デカい音がするとさぞかし心臓に悪いだろう。
そうなった原因はLC共振を使わなくしたからで、これも含めてNF型の動作内容を少し詳述しとこう。

使用者にとっちゃどの帯域のも単純に増やす減らすだが、負帰還回路の途中でそれをやるには一捻りが生じてるんだ。
原形のの場合強調動作は「負帰還ループ」からターゲット帯域を抜いちまうってシステムになってて、言うなれば意図的にオペアンプ君に勘違いさせてんの。

何をったら特定中域が途中で殺されてっから全然帰って来ないんだけど、殺されたの知らないからその部分をもっと増幅しなきゃっいけないんだってね。
手間とコイル以外の部品数増加を許せば解決策がある様な気もしなくないが、ウルサイのが出ても壊れはしない保証があったから簡単な道を選んじゃったんだ。

けどエンド域の強調機能もホントは要ったんだとなると話しは違って来て、それでいて当分は仕事に使う予定も無いから直ちに手を入れる気も無いんだけどね。
所詮全ては個人のニーズ次第ではあるがこんな音色修正モディファイをもしする事があったら、Bass用のだったら中域よりエンド域のブースト機能を先に搭載するのをお薦め致しやす。

<一旦終了>

2021年11月15日 (月)

音楽備忘録823 音の物理的歪みと電気的クリッピング➎

物理的歪みは取敢えずMicとBassで述べたんで、今度はそれ等との相違点を交え乍ら電気的クリッピングの方へ進めてこう。
物理のは歪みって言っといて電気のだけクリッピングだなんて、急に差別主義者になっちまったのか…。

もしかしたら令和日本の神経質過ぎ基準に照し合せると引っ掛かるやもだが、歪みでもそれ位確固たる違いがあるのを常に表出させときたかったからなんだ。
現代の一般認識では実際はある違いを無いと誤認してる方が非常に多く、結果的に無意識で居るとそれに基づいた考えに引っ張られてる可能性が拭えないのもあってね。

では本題へ入ってくが音色だけだと球(真空管)のなんかは、その構造由来からも中間層の様に感じられても仕方無い。
だが性能不足や不適切運用以外の原因で「波形がゆがめらる」なんて事は無く、しかし実在物のの方は空気の邪魔も入って日常的に起きてるんだ。

故にどんなに研究して追及しても伝送目的にだと、仮称ウルトラハイパー糸電話なんかより電気通信の方が明らかに向いてんだ。
それが音楽や楽器であれば「聴ける音」「心地良い音」であるのが最優先で、全くゆがみが無くても「美味しく無い音」になる様じゃ本末転倒なんですわ。

それで私的には現代的設計の楽器の多数派を卑下してんだが、耳よりも安定度が高いからってコンピュータ解析で物理性能ばかり上げたのが不味いんだ。
俺に言わせちゃうとそんなのは「見た目が恐く無さ過ぎるヤクザ」か、或は全ての罪を見過しちまう警官と言っても良い感じなのだ。

今では電気的クリッピングも特殊用途には使われる様になって久しいが、電子回路の本質的な強みは「勝手に音を変えたりしない」ので傑出してたんだ。
確かにオーディオAmp同士を比較すると改変を感じられるのも少なかないが、本当はその前に比べてみるべき「別の相手」があったんですよ。

今時だとアホらしくしか思われんかもだが、それこそ糸電話とか非電動メガホンだとか色々さ。
もっとヲタッ気の強いのだと船舶の「伝声管」なんてのもあるが、これ等が原始的だからってあんまり馬鹿にばっかしてっと停電時にベソかく事になるかもよ。

それは兎も角そうしてもっと比較対象を広げてみれば、電気のは歪ませるより「歪ませない」方が得意なのが良く分かる筈だ。
なので生楽器を無理にクリアな音色になる様に作っといて、ほいで何か味気無くなっちまったから電気で歪ませてってのは最も割の悪い方法って事になるんすよ。

何しろ苦手の2乗になる訳だから使える領域が狭くなるし、調整が是又シビアで大変だ。
それでいてやれる事がかなり少なくなっちゃうんだが、巷でそんなのが横行してるからって大損する覚悟はホンマに出来てまっか?。

強いて電気的クリッピングに本質的なニーズがあるとすりゃ、例えば音がどんなにおかしくなろうと過大入出力で耳や機器が壊れるのを阻止するとかそんなのだ。
出力トランスレスの殆どの電子回路では供給電圧以上は原理的に不可能なんで、後一寸足りん時ゃ悔しいが絶対越えちゃ困る時には頼りになったりする。

ってな事って別に絶対音色創作に使っちゃいけなか無いが、物理的な方で充分賄える分を電気でやるのはバカバカしいと言いたいのよ。
原理的に不向きな分調整は大変になるし、滅多な事で幸運な偶然(音色)も起きちゃくれないから。

<つづく>

2021年11月14日 (日)

音楽備忘録822 内容と道具の良さのバランス④

前回の件まるで外堀の更に外の水路から攻めた如く、異様な慎重さと言ってくれるなかれ。
何も直接的に大きな効果のあるのばかりが、常に鍵を握ってるとは限らないのを提示したかったんだ。

加えて真に公平に考察するには、僅かでも影響が考えられる部分は省かない方が良いと思っててね。
と言いつつそんな柔軟思考が出来る様になったのはかなり最近になってからなんだけど、積年の疑問や悩みを改善可能なのが他に無かったからなんだ。

特に他の殆どの皆はあっさり通過出来たのに、自分だけ妙に足踏みしてる様なのにはこんなのが足枷になってる事が多いみたい。
本質的に改善すべきは本人の方であっても、そもそも相性が悪いとか適性が低いから躓いてもいる訳だよね。

そんな際だと極僅かなアシストの有無次第で激変する時も少なくなく、こんなののアシストが是又「意外で些細なの」の事が少なくないんよ。
ほんで座って弾くのならその椅子に着目して来たんだが、立奏がデフォのだと今度はストラップ等の言わば楽器保持装置がこれに値する。

今度のも最終理想は「高さ選ばす」ではあるが、各自の体格に応じた「最適範囲」の存在は体が変らん限り変動
しない。
けど高さだけなら合わせりゃ済むから比較的簡単だが、他にも規模は小さくなるもかなり色んな問題がある。

これの理解の為に前回とは打って変わってプチ脱線に留めるが、さっき丁度出先から帰って来たばかりだからリアルな感触の残ってるのが1つあるんだ。
鞄類(リュック含む:俺・バックパック:現代人!?)の肩紐案件で、俺は普段リュックを片肩だけで背負ってんだ。

背中が蒸れるのは嫌だがそれが主因でも無く、でも何となくそんなのが定着しちゃってる。
で 両肩で背負ってりゃ出ない問題なんだが、肩の傾斜が強めな方だからかとってもずり落ち易くてね。

ってもこっちが変な使い方してるだけだから下らん話しだろうが、OLさん達とかのショルダーバッグとかで幼稚園掛け(斜め掛け)がスタイル的に許されなかったりする時ゃ深刻なケースだってあるんじゃないかな。
楽器で最も近いのっつうと俺にはSAXが思い浮かぶが、「首吊り式」が合ってない人には大変そうだ。

尤もストラップの無い管楽器なら手で持上げっ放しにするしかないんで、肉体の方を合せるしか無いのの方がより大変かも知れんが。
但しエレキみたいに吊下げられても弾くのに必要な力はこっちの方が格段に大きいし、最低でも右手・腕(右利きの場合)は奏法に依っちゃ楽器にくっ付けたままでは居られない。

又肩へのストラップの食込みが辛いからって両肩掛けには簡単に出来ず、もしそうしたら体に対する楽器の位置を弾く場所に合わせてズラすのが困難になっちまう。
この問題は道具側だけで対処し切れないし楽器種次第では殆ど選択肢の無いのもあるが、演奏の全てに常時影響がある点では重大だ。

人間慣れて来るとこんなのあまりにベーシック過ぎて軽視しがちだが、少なくとも何か壁みたいなのに悩まされたなら率先して再検討・再考察してみるべき箇所なんだ。
例に依ってそう吠えといて俺のエレキBassストラップは、40年位昔に貸スタジオのボロ市で¥10で買ったのを未だに…。😅

なので他人様の目には狼少年の成れの果てに映るやもだが、幾ら杜撰大王でも陰で時々密かに他のだって試してんだ。
只今ん処↑より他のが自分にはフィットしないから継続してるだけで、数年前にストラップピンとベルトを繋ぐ部分の革が裂けた箇所を大修理している。

何とか直せたから良い様なものの適した代替品が見つからない事も少なくないんで、合ってないのに気付けないのと同じ位こんなのも懸念事項かも知れない。
キャリアの浅い内はフィットするのを探すのに苦労したりするが、それを克服しても又時間が経つと今度はこんな手間がやって来る。

<つづく>

2021年11月13日 (土)

音楽備忘録821 魔改造悲喜こもごもⅤ➍

過去3回の記述だけだと恰もディスりたかったのかと誤解されそうなんで、ポテンシャルとしては高かったと言っとくのから今日は始めよう。
俺言い「謎の低・高域過削り」は要らんお世話ではあったが、完全にカットされる程では無かった。

なのでグライコストンプか何かを追加してやりゃ、電子回路での不始末!?はかなり補う自体は可能だ。
それに対し頑張っても日の目を見ないのはスピーカ低域再生限界の方で、拙ブログ大過去記事の専用補正EQのにも記した如く補える範囲が断然狭くなる。

その具体的比喩としては弦Bassの音程ローダウンのと似てて、普通の音として使えるのは最大でせいぜい2音位迄だ。
それともし「25W若しくは30Wクラス」のAmpとして捉えると、他のより遥かに歪む心配の要らないのって事にはなる。

早出因みに↑で何故25Wなんてのを勝手に追加しといたかったら、100Wの半分の半分だからだって分り難いか…。
諸条件の重なった結果半偶然にしても、一般的生Drumに拮抗させられるのが100W出力のとなっとりゃぁす。

わざわざ回りくどく¼と書かなかったのも、実際に耳に出来る音量がそう云う割合だからなのだ。
どうせならあと10W頑張っときゃ「半分」(50W)に届いてたんで惜しいが、当時の業界では+10Wの余裕ってのがブームか何かだったみたいだ。

1970年代は海外老舗大手のもそんな調子で、どれも実質的な出力容量は従前のままでも歪み難くなってたのは確かだった。
今になってみると歪み難くしたのは特に球のだと回り道だったとなるが、当時は殆どのが規定の出力を出そうとするとそれ以下の時と「音が変る」のへ生舞台の現場では腐心した人が多かったんだろうね。

この辺で流石にいい加減で改造内容の方へ進めてくが、件の箇所の回路は一般称では「NF型トーン回路」って方式のになっていた。
楽器系のではこれをアクティブ型トーン回路と称してて、パッシブ型のより可変範囲と利きの設定が自在になるタイプのだ。

NF型は一般オーディオのトーン回路でデフォなヤツで、大胆な変化も欲しかったらこっちじゃないと出来ない。
但し必ず増幅回路を伴うので必要性が無い際は雑音追加発生源になるだけなんで、どっちかったら電気楽器系では野党サイドに回らされてる。

とここ迄なら極普通なんだが時代の為せた技か、コンデンサだけじゃ無くコイルも用いてLC共振作用も利用されていた。
共振には共振周波数ってのがあるが如く、狭い範囲だけを扱うには最シンプル且つ適した方法だ。

しかし今では電磁雑音耐性が激減するのとサイズ等の関係で嫌われて、ニーズ減少の挙句高価・入手難が進んだから昔の回路の証拠みたいになったねえ。
魔改後には不要なんでジャンク採取には足しになったが、中域用で一寸容量が小さいのとたった1つしか無くてステレオ用途には使えない。

それは兎も角俺には「余計な事がしてあった」だけだから、基本的には取外しちまえば良いだけの簡単な作業で済ませられる。
けど折角既に付いてるロータリSWを無駄にしないのと原設計の思想に敬意を払って、レンジの広さを変えられる機能へ変更する事とした。

元は特定中域を大胆に盛ってたのを適宣低高域を控えさせると逆向きになるが、前述「オーディオに付いてるトーン」のと同じだからツマミを前:沢山上げてた・後:少し下げた状態にするのと内容は全く同じだから難しくない。

それで他の最も一般的なAmpと使い勝手が大体一緒に出来るとの目論見は間違って無かったが、今になってみりゃここで杜撰大王の真価を発揮する失念があった。
これには他に球Ampのレンジを狭く見積もり過ぎてた過失があったが、まだその頃は聴いた感じに従ってそう思い込んでたんだ。

<つづく>

2021年11月12日 (金)

音楽備忘録820 他を出し抜く音創り⑧

先日一応自らのスタイルが確立してるのに残念なプロに遭遇したんで、それに纏わる話を少々。
この件で最も意外・不思議に思ったのは音大でちゃんと学んでて、場所も機材も申し分ないのを使っててそんなになってた処だ。

残念サウンドの主は自作・自演のトリオで、機械を使いもするが可能な限り自演するし必要なら客演奏者も使ってる。
強いて擁護するならどちらかってぇと皆作家寄りの集団みたいだが、オファーを受けて映画の主題歌等が既に世に出てる状況だ。

普通…かなりじゃ無くてもその位の段階に到達出来てたら、録音音質も演奏も仮に大した事無いにしても誰もが気楽に耳に入れられる程度にはなってるもんだ。
正式な式典みたいにドレスコードみたいなのが音楽(特にポピュラー系)には明確にありはしないが、曲と歌手の声質以外はアマの自主制作よりパッとしないってのは俺は初遭遇だ。

演奏内容にミスらしいミスは無いと言っても、恒常的にDrumが遅れて出て来るままになってるのはどうにも解せない。
又音質で妙なのは無加工っぽく仕上げてるにしては平坦過ぎるし、生演奏固有の鮮度ってもんが完全に喪失していた。

時にはミスっててもシレッとそのまま出しちゃう俺みたいなクズが居るにしても、鮮度を最優先とした結果なだけで非身内の仕事や作品ではそんな雑な事は一切していない。
↑にしたって勢いやムードが全てのRockの限定で、心地良いPopsだとか繊細なBalladeでは粗野な俺だって死にそうになったって綺麗に決まる迄録り直すさね。

では順に不思議な点を詳述してくが生とか人間味に拘ったんなら、例えリズムがズレててもそれなりの一体感がある筈なんだ。
これは合奏しようとすれば嫌でも露呈するもんで、逆にかなりの達人が集まっても「絶対迎合させん」と演れば家電店のTV売り場みたいな訳の分からん音になるからねぇ。

近年では実例が中々見つからなくなったが、過去にはサイケとかHard Rockやプログレ系等ではわざと混沌とさせるのに実際に使われてた手法なんだ。
翻ってそこ迄リアル生感に拘らんのなら収録時にズレてたって今はデジタルで簡単に修正出来るし、この太鼓みたいに比較的コンスタントに遅れてるならアナログテープでだって小細工が利いた位なのに。

お次は他は全部典型的なOn Micサウンドなのに、太鼓だけ明らかなOffの音でいてやたらと空間感に乏しくしてある!?謎の件だ。
全体も夫々もが妙に平坦なのはもしかしたら派手嫌いなのかも知れんが、それならリズムや音程の不穏な部分は必ず修正をしなくては意味を為さない。

結果的に音質は大昔の無機質な打込みに近く、それでいて機械ならではの安定感だけがお留守って変な感じになっちゃってるよ。
プロだってピンキリだから単なる下手っぴとか頭デッカチで音の実情に鈍いだけったら、それ迄の話しなのかも分からんが。

それでたまたま録音現場の写真が閲覧出来る様にしてあったんで眺めてビックリ、全部パート別に収録したらしいんだ。
となると考えられる元凶は唯1つ、はては中途半端にClickを使って妙な依存の仕方をしちゃったんでしょね。

恐らくDrummerさんだけ不慣れを無理したんだろうで、そりゃ「聴こえてから」叩いてたんじゃ間に合う訳ゃ無いですよ。
それだって録ってからトラック全体を少し前へ寄せちゃやどうって事ぁ無いし、万一それが嫌なら手間は増えるがこれ以外のトラックを後ろにズラしたって良かんべ。

最後に呉々も付記しときたいが単にディスろうってんじゃ無く、俺自身も含めどうしてそんな残念になっちまってるか再考してみましょって事なんだ。
ネットが無かった時代ならラジオその他で流して貰うのに、何か不備があったら教えて貰えた。(現実の状況としては殆どバカにされたり怒られたりだったが💦)

けどネットでは倫理コードに抵触せん限りどんなに出したら損する様なのでも、意図的に誰かにお伺いを立てん限り出せちまう。

<つづく>

2021年11月11日 (木)

音楽備忘録819 内容と道具の良さのバランス③

今回は人体が接触する部分のクッションについて論じるが、これは前回の流れを受けて大局的見地に立ち…。
って筆者だけそのつもりでも只の大脱線、と言われても仕方無いッス。

完全な私的問題なんだけど、諸事情でここ20年位マトモな寝具で寝られて無いんだ。
それでも当初30歳代の内は特に問題を感じなかったのが、50を過ぎたら俄然辛くなって来たんですよ。

どうして変化したか色々自己分析してみると、結局は加齢が全てだろうがいびきと体重増加が原因らしい。
俺のいびきは眠ると舌付け根が喉の方へ落ちるのらしく、最近は効果僅少化したみたいだが横向きに寝てれば避けられてたんだ。

この方法昔TVで故日野原重明医師が実演したので知って、同時にかつて伯父が何時もそうしてたのの謎も解けた。
騒音問題はどうせ防音室にしか場所が無いからクリアも、途中で何度も目覚めての慢性睡眠不足には困らされてたな。

なので個人的には起死回生の一打だったのが横向き寝で体が痛くなり出して、今度は痛みで目覚める様になっちまった。
一方起きてて座ってる時のクッションの方では40過ぎから変化を感じ出し、昔はどっちも軟らか過ぎ無きゃ平気だったのが…。

で又調査分析してってみたら、昔とは何だか座布団やクッションの凹み具合が何時の間にか違っちゃってるじゃありませんか!!。
悲し恥ずかしいが要するにデブって重くなったから、簡易なクッションじゃ完全に潰れて機能が無効化してたんですわ。😢

骨極太体質なんでそんなに軽体重になった事ぁ無かったが、出生:未熟児・10代:虚弱児・20代:脚と背にしか筋肉が付かない青白い奴だったからかな。
体が豊かだとどんなデメリットがあるか全く無知だったんで、中々気付けなかったんだねきっと。

でⅡで元々が諸事情からの状況だから残念乍らほぼ未解決なままだが、そこからドラムスローンのクッション等へも俄かに興味が増えたんだ。
こっちの私的研究結果に依れば作業用の座り装置(色んな椅子)の場合、座骨先端が不安定なのは不適って。

と言ってもこれが結構シビアなもんで、座骨先端部でもクッションが完全死する様だと短時間じゃ無きゃ無理。
かと言ってそんなに分厚く無いゴム板より弾力があっては安定度が足りず、又静止し続けられない際は木板だとか弾力の無いのは不都合ってね。

じっとしてられりゃ足・脚の重さは腿裏で保持可能だが、頻繁に太腿が上がったりするとその間は腰で全重量を負担しなきゃなんないから。
その後少し気を付けてたら一般用途で常用してる椅子の肘掛けに当たる肘ってのも、案外しばしば痛くなってるのに気が付いた。

これ安物椅子なんで表面:合皮・その部分のクッション:唯の薄手のスポンジで、腕全体が乗る際は良いが肘の骨先端だけになるとやはり弾力が無効化してたんだ。
それとあと座り方や座り位置も大いに関係性があり、端っこに浅く腰掛けられないのは作業用にはアウトですわ。

実際知人の小柄女流Pianistにそんなのが居て、痛くても疲れても座面が僅かでも動く方がもっと困るんだってさ。
これⅡで俺言い「極限の端っこ座り」なんかが可能なのは「クッションの良過ぎないヤツ」限定で、最もこれを実体感したのが過去述従兄所持の高級スローンだった。

尤もそんなに脚を動かさずに座ってるのには快適だったんで、表面割れで廃棄するって言ったのをちゃっかり貰って来て時々使ってるけど…。

<つづく>

2021年11月10日 (水)

音楽備忘録818 音の物理的歪みと電気的クリッピング➍

んだば俺言い「弦打ち」の図説を行くが、先ずは現物だと自由に随時選べる・変えられるってのだけ覚えといて貰えりゃ良いわ
変わっちゃうからこそ上手く扱えないと欠点にもなり兼ねんが、将来今迄と全く違う曲を弾かなきゃなんないかもと思えば安定より可能性の広い方が良いんじゃないかな。

Photo_20210920180901
上図ははじく向き次第でどんな範囲で震えるかを、初期弦振幅時の可動範囲をブリッジ側からの縦断面で示してみたものだ。(時間か経てばどれもほぼ円になってく)
実際にはフレットや指板と重なってる部分へは当然弦は行かないが、方向次第で弦にくれてやったエネルギーの有効度を示したくてこんな風に描いてみた。

左のが恐らく最も一般的であろう可動域を緑で書込んだので、図のはピック弾き・ダウン時想定なんで親指以外の指弾きとピックでもアップ時には傾斜は反対になる。
真ん中のが最も被害の大きい!? パターン・右のが俺がBassで普段狙ってる軌道で、弦高が極端に高くでも無い限り強く弾きゃこれでも影響は出始めるが。

真ん中の赤→左の緑の順に重なりが広く、それだけ折角大きく弦を動かしても即座に振幅制限が掛ってしまう。
のが右の青範囲はフレットには接してるが重なりが殆ど無いし、最も振幅の大きくなる図では水平方向には直接的な邪魔は入っていない。

だからって提唱者!?の俺だって必ず右のしか使わんでも無いが、左や真ん中になっちまうと弾いた強さに比例した基音は出なくなっちゃうのを誰でも知ってて損はないんじゃないかな。
右の軌道になったって横槍は入るんだから、接触し出すとそれ以前よりゃリニアには増えなくなるけどね。

更に掘ってくと弦でも太鼓の皮でも叩いたはじいた瞬間は、弦や皮は直接力の掛かる部分が狭いので倍音は多目になる。
特に接触面の形が弦や皮の自然な撓りに逆らうの程出易くなり、皮へチップがめり込んだ様なのが状況をイメージし易いかな。

「めり込みの反動」は範囲が狭いから高次倍音を生むが、同時に全体も大きく動かされてるから基音もしっかり出るとな。
とは言え基音忖度としては邪魔は入った状態なんで、アタック音終息後の方が基音割合はもっと多くなる。

そして振幅エネルギーが最小になる余韻後部に至ると、もう全体を震えさせる力が残って無いんで又倍音の方が主体となって行く。
さてここからが今のテーマでは核心になるんだが、軌道エリアの選択次第で「同じ強さで奏でても違う音色」になる。

それが弦のはじく位置を変えたのとは又別なのがミソで、位置違いは振動のさせ方が・角度違いの方は弦が接触する以降の強さでは軌道の歪みがその源となっている。
接触前の強さでもPUとの距離等に違いはあるが、軌道エリアが強制的に変形されられた時程の音色変化にはならない。

そして物理的に起きてる現象はゆがみ・歪みなのに、音色的に耳にはあまりそうは聴こえない処が重要な特異点なのだ。
質的には電気的加工のだとコンプリミッタの方が近いが、弦と空気が実在してるお陰で遥かに境界域の変化の仕方が滑らかなのだ。

弦は勿論その周囲の空気も全てが繋がってて接触してるんで、寧ろ急な変化が出来ないだけなんだけどね。
故に露骨な急変が欲しくば電気の方が向いてんだけど、バレない様にコッソリやらかすにはこっちじゃないと厳しいんだす。

インスタ盛り用アプリでそんなのが作れたらさぞかし重宝されそうだが、あんまり良いのが出来ると全ての証明写真に迄疑いが持たれる様になるのかな?。
けど音の方のこれは唯の自然現象でもあるからそんな心配は皆無だし、決して偽物とか嘘にはならんってよりゃこっちは正真正銘の本物なんだからね。

<つづく>

2021年11月 9日 (火)

音楽備忘録817 魔改造悲喜こもごもⅤ➌

改造の記にしては多方面の背景談が盛り沢山だが、音の為・音楽の為となると端折るべきでは無い重要な部分なので暫し我慢を。
ってのも毎度の私的ではあるがこの面で劣ってるせいで日本は大損してると思われるからで、それはどの分野にも当て嵌まるんだけどさ。

例えば生Pianoにしても数の多さじゃ圧倒的だが、楽器自体のコンディショニングへ目を向けると比率的には同じで無い気がしてならないんだ。
それ以上に勿体無いのが今回のみたいなので、結果的にスピーカが宝の持ち腐れになってたも同然だ。

何処をどう調べても情報が全く不足してるんで微妙ではあるが、試験から40W以下であればどんなに低音過多にしても歪まないのが判明したんだ。
海外有名ブランドの現行品でも案外これをクリア出来て無いのが少なくなく、宅の本務機で交換したPeaveyのウーハにそっちは高域の方だが想定外音質のを入れてトラブったのも過去述したよね。

それでもしかしてと思って良く聴いてみたら、Booker T & MG’sの作品なんかにスピーカストロークが「底突き」してるのなんかがあったよ。
但しスピーカがウーハタイプで底突きしても高域が幾らも出ないのもあったし、もしかしたら意図的にワイルドさを求めてそうしてた可能性だって排除出来ないんだけどね。

日本は楽器とかでも事の他故障を嫌うからそれでってのもあろうが、兎に角「歪まないで出せる大きい音」に忖度してたんでせう。
資料の乏しい中ネット上で何とか見つけた取説に幸運にも回路図が載ってたんで、回路分析として所謂「定数計算」ってのをやってみただす。

したっけ音量以外にも事情は考えられるにしても、かなり極端に低域も高域も削ってあったじゃないの。
要は中域を徹底的に強調してて、増幅素子の欠点の石の硬さを極力隠蔽(オッと失礼)したかったのかな。

確かに害になる成分をなるべく減らすのは好ましいんだが、幾ら昭和の当時だって誰もが丸くて軽い音色を望んではいなかったんだけどなぁ。
求められるレンジの広さが現代の方が拡がってもいるが、わざわざスピーカを他より8cm大きくしといた意味が殆ど失せちゃってたとね。

因みに時期的なものもあってかパワー段の方はかの名器Jazz Chorusと良く似た設計で、こちらには余計な音質調整なんて一切されていなかった。
輪を掛けて珍妙なのがスペクトラムって名称を与えられた独自機能で、もっと昔からあった所謂プリセットトーンってのと実用上は全く一緒。💧

只回路素子がディスクリートトランジスタからオペアンプICに変わって、電気的には異なる方法でその特性を得てたからなのか知らんが。
で 具体内容は特定の中域を強調する機能になってたが、魔改前は5つあるポジションのどれも使い物にならなかった(少なくとも俺には)んで無用の長物と化してたんだ。

しかも全く同じ個所で先述の低・高域削りも行ってて、せめてスペクトラムをOffったらフラットになる様にしてあったら良かったのにね。
まさかそれでスピーカが12inchだと完全に「Guitar Ampに繋いだBassの音」になって、サイズアップしたんじゃ無いだろうけど。

因みにⅡでRolandは楽器用AmpみたいなのにオペアンプICを使い出したのは早い方で、Effector(主にストンプ)の方ではそれで大成功を収めてんだけどね。
設計面で一寸離れと母屋の機能を間違えた、みたいになってたのは残念な事したんじゃないかな。

<つづく>

2021年11月 8日 (月)

音楽備忘録816 Rockのスタンダード⓭

前回のより1曲中でのベンド登場頻度の高いのの例示になるが、これに際し個人的なお詫びをしとかなきゃね。
ベテランの割に俺が多分無知なせいで、洋楽なのに本国とかの適当な曲がすぐには思い浮かばんかってん。😓

しかし言い訳半分真実半分で吐露すりゃ、ある人のがこの件では圧倒的に俺の印象と記憶を支配しちゃってっからでもあるんだ。
そもそもGuitar奏法全般で大きな影響を受けてんだけど、日本在住で現役だから直に見聞きし易いってメリットも…。

その人とはChar氏の事なんだが今回テーマだと、Johnny,Louis & Char(Pink Cloud)のに適したのが幾つもあったんだ。
俺等世代には↑トリオはリアルタイムだったけど今や絶対に再結成不可になっちゃったんで、一寸本邦では特異だったその存在についても付記させて貰っとこう。

当時の一般認識としてRockに限れば彼等登場迄は、こっちの連中は何処かに聴き劣りがあったんだ。
人種的体格差等が傍目には分かり易かったが、これはもし中身があり余ってたら打破されてたに違いない。

良い線行ってるのはそこそこ居たんだけど欧米のと比べると、テクかオリジナリティか箇所は様々にしても内容に不足があったんだ。
Rockって枠を外せば他の人達のだって必ずしも引けを取っちゃいねんだが、余裕の無いのを参考にしたらこっちはそれよりもっと薄まっちゃうじゃん。

加えて一応私的ってしとくけど「学ぶべきポイントの分かり易さ」に大差があり、彼等以降日本のRockの根幹的な成長が停止しちゃったのはこのせいだと考えてんだ。
なのでサンプルが他のだって適切なアプローチが出来りゃそんなに問題無いんだろうけど、アプローチの仕方を更に別口で会得して来なきゃなんなくなるんでね。

といい加減で曲提示へJ,L & C時代のから進めてくと、Natural Vibration-(’79)Free SpiritとFinger-(’80)Tricycleがその1だ。
俺個人は和テイストには興味薄だが祭囃子の笛みたいなラインになってるのもミソで、当時昭和の日本の片田舎でも入手可能な素材からでも作れるってのはとっても勉強になったよ。

続いて初演はJ,L & C時代だが販売はPink Cloudになって以降だった、「からまわり」ってのをその2としとこう。
又ここ迄の⅔の共通事項としてBassもリフを弾いてるのが、過去本邦だと割と稀有だったかな。

その内後者は文字通りユニゾンなのにそう書かなかったのは、前者はBassだけベンドを端折ってたからだ。
フレーズ次第で両方ともベンドさせなきゃ駄目なのもあろうが、一般論としてチョーキングがし難いBassでどうやって沿わせるかの参考にもなるよ。

これはBass以外にもベンド不可な楽器での対応の参考になるし、逆にベンドレスのへGuitarだけベンドを追加したい際にも役立つんじゃないかな。
続いて今日最後の3群はPink Cloudになってからので、1,2と比べると簡単で一回りのスパンが短いのが多くなった。

Be MY Lady-(’82-1)KUTKLOUD,Why Aren’t You ReadyとPink Cloud-(’83)Pink Cloudの3つ。
1つ目だけGuitarのみ後のは両方だが、2つ目のはリフはBassが中心だ。

トリオ編成の場合BassがリフれるとGuitarが自由に振舞えるから、小規模アンサンブルでの編曲例としてかなり意義深いでっせ。
んで最後の最後のが俺言い「真ユニゾン」とでも命名しとくが、Bassでも平気でチョーキングを乱発させちゃうパターンのだ。

<つづく>

2021年11月 7日 (日)

音楽備忘録815 他を出し抜く音創り⑦

今度は前回とは反対に、不自然だろうと何だろうと意図的にキャラクタを創りたい際のへ言及しとこう。
ノーマルスタイルの音楽でだって、曲に依って芝居で役を演じるのと似た処はあったりするよね。

この手のではVisual系等が目立ってるが、結局は何処迄演じ切れるかであろう。
とは言え観客の反応等に予測不可な部分もあるから、闇雲に成り切りだけに追及してても対処し切れない場面が出て来そうだ。

例えば誰も質問して来ないだろうと思ったのを突然訊かれたりすりゃ、中々完璧な回答をするのは難しい。
更に突詰めて考えると同じ芝居の同じ役を誰が演じても寸分違わんのなら、キャスティングをする意味が失せるが現実は全くそうでは無い。

って事ぁ悪影響の無い部分はその人が持ってるものが反映されてOKってんだから、どうやって上手に「素も露出させるか」が結局は腕の見せ所になるんじゃねって。
でこれがパーソナリティや設定だけなら信じて貰えるかを別とすりゃ、言ったもん勝ち同然だからまだええわ。

そこ迄大巾には成り切らせられないのが楽器音で、可能だとしたら短期間の新楽器の登場時位だ。
この組合せ(キャラ:新・音:従来の)って芝居のと逆になってるのが特異で、生身の人間では演じられない部分を奇抜な音で補ったりしてんだけどさ。

尤も色んな攻め手があるから先に容姿:奇抜・音:普通と設定するのもアリだろうが、効果が最大になるのは見た目と聴こえが見事にリンクしたのに他ならないと思うんだ。
けど音色自体の大巾改変は困難だからどうすんのったら、次善策ではあるがその中では編曲が最も効果があると考えている。

勿論曲自体がアブノーマルな程良いけれど、ポピュラリティを無視出来ないとなると冒険したくても制限が掛る。
歌詞が伝わらなくても構わんならでっち上げた○○語で押通せるが、そうすると歌っててもハモってても客にとってはインストグループの扱いとなってしまう。

そんな歌詞で演出可能なのは例えば僕と言うか俺って言うかみたいな部分で、近年本邦では殆ど気にされなくなってるが俺自身昔は僕って言ったらフォーク・俺って言ったらRockなんて既視感が強かったなあ。
これって歌ではほぼ古事化した代わりSNSの文面では結構極端なのも常態化してるのがおもろく、女性でも自らをワイとかワシなんて綴ってるのも居るんだから。

だが「歌詞のある部分」なら単語選択や言い回しで補えるが、歌物だって歌の無い部分が大抵はある。
SNSなら活字以外に絵文字やスタンプって手があるが、音だけの世界には残念だがそんなのは無い。

いやいや今時はほぼ動画で公開するんだから…そりゃそうだけど、ならば画無しでは再生禁止なんて定めてる人とか居るんかいっとね。
ってこれ以上ひねててもしゃーないから切り上げるとして、故に歌詞主体で行ってる人でもサウンドや編曲は軽視しない方が良いんちゃう思うねん。

現実的には楽器や曲の都合でそうそう奇抜には出来んので、あから様に一聴で差別化を図るのは困難ですがね。
でも何曲かを数回以上聴いて貰えたらサウンドの共通事項に気付かれて、この感じはあいつ等なんじゃないか程度の事は可能なんだ。

必ずしもパターン化させたり一定のサウンドにする必要は無いが、決まった顔ぶれで毎回異なるのにする方が余程難しいのは確かなんじゃない。
だし歌声でそれをするにはもっと限界が低いんで、自分達なりに何度も聴かせても平気なのを用意しとくのが得策だし実用的。

して「何度も…平気」の中には目立たなくても明解では無くとも、他とはひと味違うが当然の様に含まれてるんだ。
例えば運悪くあまりにも近似なAってのが先発であったとして、てっきりそいつ等のだと思い込まれてこっちは聴いて貰えなくなったり探して貰えなくなったりとかあるやん。

<つづく>

2021年11月 6日 (土)

音楽備忘録814 内容と道具の良さのバランス②

とっとと具体例へ進めてくが選択肢の多いのは後回しにして、今日は敢えて殆ど個人じゃモディファイ出来ない生楽器の方から。
これバカ正直に考え込んじゃうとホントにがんじがらめになるが、チト邪道でも柔らか頭にすると意外と選択肢が残ってたりするんよ。

確かに楽器本体やその部品を変えるよりゃ効果が少ない事の方が多いが、「座って奏でる楽器」の椅子って時には死活問題にすらなりもするんだ。
私的プチ聞取り調査の結果に依りますと、傾向としては座面の軟らか過ぎや固定度の低い方が演り辛いんだそうで。

俺自身バスドラで片足連続Slideを会得以降、以前とは真逆に座面が全く回らない方が都合が良くなったよ。
ってのもツインペダラーやツーバサーだったらドカドカの最中はHatを踏めないのが、こっちのなら出来るのを売りにしたくなってん。

して実際↑をやりだしてみると、ドドド…の最中は右脚(筆者右利き)は体勢維持や修正に一切使えなくなったのが判明。
これ何もせん時よりゃ両足だって動かしゃ揺さぶられるが、通常足がずっと空中に浮きっ放しにゃなってない筈だからねぇ。

踏み込んだ瞬間だけでも厳密には「着地」して居り、本人無意識だが従前はそれを利用してズレた際は直そうとしてたらしいのよ。
或は滅多にバスドラに両足を使わなかったから、Hat側の足が着地してりゃそれを使ってたのかな。

それでか片連スラだと終る前にズレると強制無修正になっちゃって、ズレたら一旦演奏を止めて座り直さなきゃなんなくなっちゃったんだ。
尤も足・脚(動かす方)にだけ俺の中のヲタの虫が騒ぎ出して全集中してたらしいから、単に「オッサンムキになり過ぎッ」なだけだったかも知れないがね。

けど連続が出来なかった間はずっとそんな調子でも平気だったんで、主犯は俺自身にしても他にも何かがマイナス要素になってるかもと考えてみたんだ。
そして導き出されたのが「座面回転許容」の部分で、少なくとも片連スをする迄は自由に回る状態の方が楽だったり演り易かったんやが。

従兄と話すとこれも思い込み・勘違いや慣れの悪影響だった可能性が高く、アホ換言すりゃスローンは「唯の椅子とはちゃう」ってのをどうやら理解不足だったらしい。😢
動かせる部位全部を使用時ってか動かせるのって、そもそも姿勢制御に手足不要じゃ無きゃ出来ない相談なんだよね。

ペダルって物自体がそもそも手が埋まってる時用に考案された訳で、動かすのが苦手な部位なら勝手にズレたりし難い方が良いずら。
最初の座り方や位置等がちゃんと確立出来てたら、常にプレスリーの腰振りをし乍ら叩いたりせん限り普通はそんなにズレたりゃしないっしょ。

で これがもしほぼ両足交互だったら万一反動が絶大の人が居たとして、滅多に片方だけ強くとか弱くなんてしないから夫々反対側の分で自動的に相殺若しくは戻されたりしてんだよね。
従兄曰くあらゆる奏法に最も対応力のあるのは「座面非回転固定」だそうで、言われてみりゃ確かに回らないと困る方が少なさそうだわさ。

とは言え借り物だと選べなかったりネジがバカってて止まらなくなってたりもあろうが、「締めれば止まる」のだったら「ネジ締めとく」かどうか程度でも結果に大差が出る時もあんねん。
私的にこれで足りなかったのは従兄所持の高級クッションの位で、最終理想はどんな椅子でもOKだとは思うけどね。

弘法筆を選ばずとは云うが何でも平気とどんなのが自分に最適かは別問題で、睡眠時等はこっちからは何も出来ないじゃん。

<つづく>

2021年11月 5日 (金)

音楽備忘録813 音の物理的歪みと電気的クリッピング➌

今回は現物楽器での歪みへフォーカスしてくが、ついでで前回のエレキBassの俺言い「弦打ち」の得失も。
これって多分又々俺言い「現物楽器歪み」を実感し易そうでもあるんで、もし即座にピンとは来ない様だったら試してみると良いかもよっと。

現物歪みって段々省略が進化してるのは気にせず行くと、Pianoみたいに失奏しても露骨には音が潰れないのとそうで無いのの2つに大別される。
音楽的ニーズに依っちゃ意図して潰れてくれると助かる際もあるが、ここでの本題にはそぐわないから弦打ち追記だけに今回は留めとこう。

その本題を再確認しとくと「別物の音色を出す気は無い」とでも言うもんで、ギミック感満載になっても良いんなら例えばテープの逆回転サウンドみたいなのだって構わないかんね。
激変させるのだって必ずしも簡単ではないが、明らかに同じ楽器と分かるのに「ひと味違う」のを出す方がもっと大変なのよ。

けどそんなのがアンサンブル内ではニーズが最高潮で、特に音量は大して変えずに音色だけってのが又難しい。
ここで毎度の釘刺しと参るが他が聴こえなくなる様では、大勢居る中で目立つとか強いにはならないのを心して頂きたい。

弱い奴に勝った処でどの程度強いかは分からんのと同じで、暴力的音量だけで得られる支配権では訴求力の有無は不明のままなのだ。
一寸物騒な物言いへ置換するなら殺さずに勝ち続けられるってなもんで、殺しちゃったら次の対戦は永遠に来なくなるから果たして実力だったのか単なる運だけだったのかの追加証明は不能になるでしょ。

尤も生楽器なら余程の怪力か電気楽器ならアンサンブル的にミスマッチなAmpでも持って来なきゃ、爆音系だと凌駕するのはおろか完敗しない様にするので精一杯の方が断然多いけどさ。
特に「石のAmp」では再生音量限界がかなりハッキリ線引きされてっから、僅かな「あと一寸だけ」も許して貰えん事が多い…。

わこの辺にしといて非電気利用のだって機械的限界はあるから、限界域が少し曖昧・鷹揚になるだけで幾らでも無理が効く訳じゃ無いよね。
只奏で方を工夫すると音量は微増に留まっても音色の方でプラスα獲得が可能で、エレキBassのサムピングなんかだと普通にはじいてたのより遥かに超低域を出す事さえ出来ちまう。

但しその低域は音程とのリンクが脆弱なんで、「何か鳴ってる」には強力だが音程感堅持には仇になり易い。
その原因は前回から語り出してる弦の主な「振幅の方向」の差にあり、内容的には「指板へのぶつかり易さ」に違いが出るからだ。

こちらの詳細は言葉のみでは分り難そうだから次回久々で図解するとして、原理に対しては邪道だがそんな真似が出来るのも3次元に実在してるならではだ。
実物弦は支点間は空中にあって自由だが、電気(実体は電子)だと電波化(電磁波)させん限り導体から離れて自由に動いたりゃ出来ない。

ゆがみ歪みの仕方させ方に関し電気側で可能なのは、波形の上下で頭打ちになる電圧を違える程度。
電子回路では球や原始的回路では多少の曖昧さは出せるにしても、3次元実在 のみたいな露骨な邪道をさせる事は不可能だ。

なので厳密には導体にも僅かでも厚みはあるが、この件に限れば2次元扱いした方が相応しそうだ。
この差が音にどう響いてるかってば、出せる音色の種類の多少に繋がってんだ。

因みに
サムピングに依る超低域も普通弾き音源+極端なEQの増し盛りで、部分的にならある程度は再現可能かも知れん。
がスラッピングプル時の方がそれだけでは出せないし、盛り捲るとプルっても重過ぎてサムとの音質落差を縮めちゃうんじゃないかな。

更にその先まで行っちゃったらどう弾くか以前に、触れただけでMicを吹いたみたく「ボコ」ってなったりするんじゃない。
「口バスドラム」にならお誂え向きだけど、Bassではアタック以外の継続性のある音程が聴き取れないと役立たずになるケースが多いからねぇ。

<つづく>

2021年11月 4日 (木)

音楽備忘録812 魔改造悲喜こもごもⅤ➋

当該機種がRoland CB-40なのは過去記事で述べてるが、魔改造を語るに辺り未説の電子回路部分について簡単に触れとこう。
その中で本件に関係するのはプリ部分だけなので絞ってくが、構成自体は極一般的なオペアンプ2段の負帰還増幅回路だ。

国産BassAmpでは1970年代一杯位迄あるブームみたいなのがあったらしく、プッシュボタンやダイヤル操作一発でトーンを変えられる機能の付いてるのが多かった。
今にしてみりゃ統一規格には程遠い中途半端なのばっかあったって非実用的で、そんなのより先に単純な低域や高域のブースト機能の方がよっぽど欲しかったんだけどね。

只当時は専用施設は僅少だったし出力にも余裕が無かったのからすると、何割かはそれらからの苦肉の策だったとも考えられる。
その頃の素人専用って出力は最大でも30W、スピーカは同じく12inch(30cm)ってのが相場だった。

因みに機器規模だけなら今と大差無い感じがするだろうが、当時のは例え足りるだけの低音がちゃんと出せなくても持運びとコスト等の都合でそうなってたから内実にはかなり差があったんだ。
これの出所は帰国子女の親友ってのは概述だが、家柄が高級過ぎちゃってたのか女子高生が運ぶには苦しい大柄なのを買い与えられたらしい。

つまり仕事にも一応使える一般用って位置付けだったみたいで、実際過去に低予算の演劇系のハコバンで持ってった事があった。
だから他のお子ちゃま向けのよりはかなりマシだったが、魔改前は何しろガタイに似合わないプアなローエンドだったんだ。

それを↑の仕事等で少しでも使える様になったらと思って、先ずはスピーカ自体の性能を調べたり実験して確認してみたんだ。
するともしかしたら師匠の会社でOEMしてたのかも知れない様なマトモな代物で、これには一応裏付けがあるんだ。

師の社の最大の下請け先がPioneerだったんだが、件のスピーカ磁石に貼ってあったRolandのシールの裏にPioneerの文字があったのよ。
けどJBLだとかと違ってP社はPA関係は直にはやって居らず、部品供給はそこそこやってたってもPA系だと自社開発・製造能力は不充分だったろう。

要するに師の社は恐らく孫請けだったって訳で、決して十二分では無いにしても唯の技師じゃ無くて音楽屋が作ったのって事になるんだ。
因みにⅡで国産スピーカがLM方面で外国製に遜色なく使えるのが出たのは1980年代に入ってからで、国産Ampに今より海外有名スピーカのオプション設定が多かったのもそんな事情があったからだろう。

我が国古来の音楽にBassパートの無かったのが関係してるか分からんが、兎に角昔の日本って低音には恵まれてない環境だったのよ。
それが折角出そうと思えば出せるのにそんなにしてあったのは、推察の域でしか無いが音質より無歪最大音量に拘ったからなんじゃないかな。

音程がオクターヴ下がる毎に同音量にするエネルギーは倍になるんで、「音質を無視」すりゃ低域をケチればその分少しは大きな音が出せるんだす。
尤もアンサンブルの都合からすれば音量より音質の方がホントは大問題で、例えば「ズーン」ってのが欲しいからわざわざエレキBassを編成に加えたのにってなるんだけどねぇ。

そりゃ必要出力の半分にも満たないのとなるともう無条件降伏するっきゃ無いけど、きっと兎に角只ギリギリでも聴こえるかどうかでそんな選択しっちゃったんだろうな。
俺からしたらBass用なのに驚くべき事に、わざわざプリ部で低域が削ってあったんだから。

<つづく>

2021年11月 3日 (水)

音楽備忘録811 Rockのスタンダード⓬

前回のRock Guitarの続きを掘ってくが、リフやバッキングにチョーキングがある曲の提示から行こう。
Rockだからってベンドさせなきゃ駄目って事ぁ無いし、曲数全体の割合からすりゃそんなに多くは無いんだけどね。

現に俺自身が作る際にリフやバッキングじゃ一々使おうとはそんなに思わないんだが、「どっちでも良い状況」を作っとくのはそこそこ大切だと思ってんだ。
その1はアコギだったら5,6弦以外になるとピッチベンド(Guitarだからチョーキングって呼んでるだけ)は非実用領域に入るんで、体(対極が頭での)主導で新発案する際に選択肢から大抵は自然と除外されてると思うんだ。

その2は鍵盤や打込みでのケースで、モノフォニックシンセが非一般化した今だとやはり↑に近い環境下にあると言える。
別にベンド抜きでも良いのやRockぽっいのだって作れはするが、その手のってお隣さんジャンルの人達にも作れちゃうからね。

だいいちモノシンセの奏法を想像したら一目瞭然なんだが、モジュレーションホイールやジョイスティックを操作せんで構わんならClassic時代に既に鍵盤演奏の技術開発は殆ど終了してるとも看做せる。
ベンドのニュアンスを無視したらJan Hammerとかより、断然Chopinの方が凄いと思うのは俺だけかい?。

それがアホみたいに単純なのでもウニョ~ォンみたいなのとなると、あんなに技もフレーズも豊富なChopinだって生Pianoじゃ全くどーにもならんっしょ。
それからすると今時幾らも気にしてる人は居なさそうだが、音楽的に可能な際は何時でもベンドも選択出来るのが「本物のRock Guitarist」なんて尺度があっても良いと思うんだ。

取敢えずはCream版のCrossroads、歌の裏迄ベンドが入って無くても良いってんならこの他にも結構有名なのは色々ある。
その中で歌の「隙間にも入ってる」のとなると候補が急減するのと、曲自体は完全にBluesのスタンダードなのにバリバリにRock化させてたからだ。

因みに彼等はHard Rockの原典に含めて良い位なんで、あの手法を使えば他の殆どの「○○Rock」にも即座に転用可能なのが選出理由だ。
ここでこの先に行く前に若干寄り道するが、上記「アコギだと…」関係で一寸した裏技的な作曲の仕方してんのがあったからそれをね。

1970年代位迄だと各世帯でのGuitar普及率はエレキより断然アコギが勝ってた様で、手近なので思い付いたのを鳴らそうとすると「仮にアコギで試してといて」なんてのが日常茶飯事だったんだ。
日本だとまだその時分じゃアコでもフォークじゃ無くガット(クラシック)と半々位だったかもだが、西洋では旧日本式呼称フォークギターの方が多かったのかな。

んでそんなのでベンド入りの作ろうとすると↑の如く低音弦でしか出来んから、6弦でベンドさせてるのがやたらと多くなってんのよ。
これを更に魔用すると作るだけじゃ無く、アコギでもちったあRockぽく弾いてみせられるなんちって。

Claptonが編曲時にアコギ使ったかはオラ知らんが、Chuck Berryのはベンドが高音側だから無理ゲーだがこんなのなら一応Rock出来ちゃったりするんよ。
んでⅡで今本邦だと寧ろAmpに繋がないエレキの方が静かだから、そんな暗黙の呪縛!?みたいなのはとっくに消滅てんだけどさ。

伴奏は勿論リフでもソロのバックでそのまま使えるのとなると、音域は低目の方が汎用性が高いからねえ。
中音域から高音域でベンドしちゃ駄目と迄は行かんが、万一「低音域ではでけへん」とか「苦手」になっちゃうと色々不便する時が多くなると思うんだ。

<つづく>

2021年11月 2日 (火)

音楽備忘録810 音の物理的歪みと電気的クリッピング➋

他でも概述の如く今回のも「境界域って狭目」なのは難点だが、音色の変化の仕方に電気のと大差のあるのがミソなのだ。
例に依ってヲタ寄りではあるが、その最大の相違について一寸掘り下げとこう。

近年ではより一般的であろう電気の方から先に述べとくと、こちらは「入って無かった音」が生成されるのが主体だ。
具体的には倍音の種類が増えた様な状態になり、しかし聴感上は必ずしも何時もブライトになったりしないから誤認され易い。

それは最大レベルの箇所が高域であると起き易く、周波数毎の音量バランスが変化するからだ。
つまり高域は頭打ちになるが余裕のあった中低域は「まだ増えられる」ので、そんな際は結果的に籠ったり太くなったと錯覚させられてるって訳だ。

この現象を最大限に有効活用したのが昔のFuzz辺りが典型で、そのせいでハムバッキングよりシングルコイルPUのGuitarでの方がかなり後年迄常用されていた。
俺概知のだとPrinceのが記憶に鮮明で、但しその音色は楽器とストンプの選択や組合せでそんなにFuzzっぽか無かったけどね。

それに対し物理歪みの方は生楽器本体等でのとMicのでは更に2種に別れ、楽器本体等の方には電気でなるのと近似なのも含まれている。
これの具体例としては低音程ので皮や弦の動きをスポイルさせちゃったヤツ等があり、強く奏で過ぎた為に基音が潰れちゃったなんてのだ。

これ高音程になると逆転して電気のに近付いてくが、基音生成に必要な振幅が低音程のより小さくて足りるからだ。
高音程だって継続的に振動を干渉されりゃ影響が表面化するが、低音程みたいにたった1回振幅制限が掛っただけでガクッと落ちる様な事は無い。

俺の場合Bassでは当初から何時も気を付けてたから滅多に喰らわんで済んでたが、太鼓の方では「ヌケの無いTom」だの「ローエンドがお留守でドン詰りなFloor Tom」なんてのに長らく悩まされてたっけね。
これは本人の意思に反して「バチの逃げが遅い」のが犯人だったが、弦楽器で言えばハーモニクスを出そうとするのみたいになっちゃってたからだった。

ローエンドは皮の一番大きな動きが生んでるもんなんで、打った瞬間にバチ先が離れなきゃ出せないのにさ。
野球で打てただけで悦に入って、走るの忘れてアウトになったみたいな恥ずかしい話しなんですけどね。

これがエレキBassではピック弾きがメインだったんで、底突き案件では元々不利な奏法だったのが却って功を奏したのかな。
エレキでもGuitarだと擦り付ける様な感じに弾いた方が良い音が出るが、Bassで下手にそれをすると弦の長さ等でいとも簡単に底突きしてくれる。

そこでかなり意識的に指板やボディに対して平行にはじく様にして、弦が指板に当ってもなるべく振幅が阻害されない様にしてたよ。
これが随分後になって知ったんだが、Guitarでもそんな弦の動きになる様に弾いてる人も居たんですわ。

未だ休養中のウチのGuitaristのなんだけど、高校時代から知ってたのに漫然と眺めてたからか近年迄で気付かず仕舞いで…。
又々杜撰大王ならではと安易に流すなかれ、かなり特異なピックの当て方動かし方をしてたから分り難かったのよ。

その詳細は過去述も知れないしで別項へ譲るとして、何れにしても最大音量を得るには必須な弦の振幅を最大限にする方法なんだ。
だから振幅は殆ど阻害されずも指板へ当たりゃ、振幅にゆがみは生じてるから厳密にはその出音だって歪んでる訳だ。

でも聴いた感じは最クリーンでは無いにしても普通の範疇で、只普通にしてはやたら逞しいしシッカリとはしてんだけどね。
こんな奏法は機械力が借りられなかった借りられないジャンルや時代の方が普及してた様で、道具非依存で音色を広域に変動させるほぼ唯一の手段だったんだよね。

<つづく>

2021年11月 1日 (月)

音楽備忘録809 内容と道具の良さのバランス①

珍しくキッカケ無しスタートの新テーマだが、音楽って理想は音色の良さも内容(筆頭は曲)の良さも両方要る。
けど現実はどっちかだけを何とかするだけでもとても大変で、公開ハードルを上げ過ぎりゃ死ぬ迄何も出せなくなる危惧すらある。

ので現実的にはなるべく美しい!?妥協を強いられたりするが、内容へより注力するには道具になんか時間を掛けてる暇は無い。
これが大昔だったら最悪はストンプ自体から手作りしなきゃなんなかったが、今ならお便利オールインワンEffectorにそこそこ行けるのがある。

となれば折角ある物を利用しないのは勿体無いんだが、一歩間違うと曲やフレーズは違っても音色は誰のでも殆ど一緒且つ最大公約数ってな事態にも陥り兼ねない。
又知らない他人が最初に聴けるのは内容じゃ無く音色で、どんな名曲でもIntroの音色が酷いともう聴くのを止めちゃうかも知れない。

と来ると出だしだけは最高の音色にしといて後は内容で行けば良いとなるが、「何だよ歌は良かったけど、歌が入ったらあの綺麗なGuitarは何処行った」となっては極端に短い春がアッという間に過ぎて行く。
んだば音色創作と作曲を分業にすればってのも一定の効果はあるが、本来音色とフレーズは分離出来る様な物じゃないのよね。

…と語っててもキリが無いから絞ってくとして、極限的「完全自家製」は生れ乍らの適性+運に迄も恵まれて無きゃ可能性すら無い。
ので道具だけで賄えるのがあったら、どの程度道具にお任せしても平気なのかを探ってみましょって企画でゲス。

この件には使う楽器若しくは音源が何物なのかでかなり選択肢に差があり、赤貧Classic Pianistなんかだと殆ど何も選択肢が無いなんて事も…。
最近ならストリートピアノがメインの奏者だと、貧富不問で弘法筆を選ばず式で行くのこそが腕の見せ所だったりするけどね。

これ等を総合しての私的推奨は「それがメインパートだったら道具利用は最小限」ってので、現にかつてよりLivehouseのレギュラーより上記の人達の方が脚光を浴びる様になった一因ではと感じてるんだ。

しかも今はVisualが先みたいなご時世だし、最近頻吠えの有料か無料かの面でも俺言い「音が先」派には一層厳しくなってん。
因みに↑の音が先とはLive主体かRecording主体かとも換言出来、打込みやボカロの人には弾けない人も少なくないだろうし。

更にはLive派でも街頭ではウルサ過ぎとか過激過ぎて無理だったりすっと、非ファンの大衆に対しては「直に見せられない」「探して貰えんと目に入れらんない」等でかなり不利だ。
音面にしたって眼前で生で無加工の証拠があるのと比べると、同程度の音の良さでは録った物の方が不利だ。

して前述の通り最初期時点で他人が判定を下せるのは内容より音色の方なので、○○奏者として認知して貰うのも含めて「他人から耳を傾けて貰える音色」を構築するのが最初の仕事になるんじゃないかな。
但し作曲にしか適性(才能)の無いタイプの人だって居るから、その場合はアプローチが少し違っては来るけどね。

例えばEric Clapton迄は行かずともJohn Lennon程度にはってなもんで、皆が憧れる程じゃなくても良いが誰が弾いたヤツかはすぐ分かる位にはしとくべきなんじゃないかな。
身近な過去例でも曲は既に水準を超えてたのに、○○サウンドが確立前だったせいで正統評価を頂けなかった人が居たよ。

具体的にはその時期時点では「評価が割れる」状態で、聴き手の興味対象の差に依ってそうなっていた。
曲自体に嗜好が強い者は「大変だぁ天才現る」と騒ぐも、サウンドの方が強い人達からは「え~」なんてね。

打込みなら純然たるオリジナル音色なんて作るのは不可能に近く、ボカロ系でかなり質の高い曲が出来ても世間一般への浸透率が低目なのはこれのせいもあったと感じている。
例としては従兄は無類のPops好きなのに、合成音声の歌声が苦手な為に今でもついボカロは避けちまうそうだ。

とは言え打込み・ボカロ系の人達自身には何の罪があるでもなく、だからこそたまたま演ってるのが「手作り可能」なのだったら作らんと損だと思うのよ。

<つづく>

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