805 消失した個人的史跡➑
昭和の頃ならローカル情報はその地元近辺の居住者に訊けば何とかなったが、平成以降は自分の住んでる所のでもその人自身の興味の対象から外れると全く知らないのも普通になっちゃったね。
そうなり出した当初はまだ古参住民が健在だったから良かったが、彼等が居なくなってみると当時は何でもネットに上げとくのが普通じゃ無かったからか空白域が生じてる様に感じてんだ。
最初は人に昔ここに住んでたんですよと見せられなくなったのに始まって、仕方無く資料を漁ろうとしたら意外と大昔より近年の過去情報が欠落してるのに気付かされたんだ。
それがこんなテーマのを綴る原因で年寄りなのは全面的に認めるが、だからノスタルジーに浸ってんだろと思ったら大間違いなのは強弁しときたい。
寧ろ年寄りだからこそ明言出来るのは、最近は新しいのに良いのとか面白いのが出て来なくなったのが紛れも無い真相なのだ。
その原因の1つに「似たり寄ったり」ってのがあって、これは悪い意味での個人主義の横行のせいだと考えている。
本来個人主義なら纏まりが無く無秩序でも多様化が全開になる筈だが、「個人の数が極端に集約・限定」されると独裁に豹変する。
端的に云や俺が親分なんだからそう決めて何が悪いと開き直る体で、例え親分でもちっとも全知全能でもないのに選択や判断から専門家やユーザーの声を排除し出しやがった。
そうなって真っ先に影響が出たのは自家用車とかだが、これは色んなリスク増大を覚悟すりゃまだ敢えて過去物(中古車)を選んでゲットするって方法が残ってる。
だが個人では対処不可な大規模なのでそれをやられると、対抗も防衛も存置も出来ない。
その典型に建物デザインバリエーションの減少が顕著で、1970年代を実体験した身からするとその頃を頂点に個性や独自性が失われてんだ。
極端に云や教会でも寺でも学校でも住宅でも、それの建ってる場所が何処だろうと全くお構いなしに…。
ここで特筆しときたいのはその時分には窓の殆どはもうアルミサッシになってて、’60年代迄の木枠や鉄サッシより規格化がかなり進んでた処だ。
つまりそれ以前よりゃ建物デザインに特化させ難くなってて、けれど窓周りの造形の創意工夫等でかなり奇抜なのや先鋭的なのも含めて最も個性豊かだったんだ。
一概に他と違ってりゃ独自性がありゃ良いってもんでも無いけれど、そう云う特殊加工みたいなのはそれを実施出来る職人が限られる。
それが例えば「この近辺のだけ窓の上辺に曲線が付いてる」みたいに反映したらしく、街景観の独自性に貢献してたのかな。
極限られた恵まれた地域では寧ろ最近の方が地域景観を守ったりもしてるが、本当に必要なのは上記みたいなパターンでありふれたどうでも良い街の方なんだよね。
しかもそんな大々的なのじゃ無くて、例えばこの界隈の家のポストは何故か皆赤いねなんてのでもかなり雰囲気には影響があるから。
その頃偶然実家の事情で住宅展示場のモデルハウスを沢山見て回って以降、この仕様・風貌のは多分○○ハウスのだなんて分かる様になった。
のが近年になる程少なくとも外観からは何社のかサッパリ分からなくなって来て、選ぶ意味が無くなりつつある気がする。
オマケにマイナー目のメーカのだと現物はそこかしこにまだ点在してても、ネット上にその写真が一切出て来ないのが多くてビックリ。
これ実家が最後に新築したのを調べてた結果だったんだが、売却してるから下手に見せに行って眺めてて変な迷惑掛けたりしたくないんだ。
純粋な注文建築だと代用は困難だが外形に共通性の多いのだったし、どうせなら新品かそれに近い状態のが無いかと探してみたんだけどさ。
<一旦終了>
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