790 消失した個人的史跡➌
今回は無くなった贔屓の食べ物屋を挙げてくが、音楽備忘録の冠をタイトルから外したのはこんなのの為なんてね。
ここから益々ローカル度・ヲタ度共深くなっちゃうが、だからこそ好みの味を人に知って貰いたい時にとっても困ってんだ。
最初に只のノスタルジーとの区別例示に昭和40年代末頃京葉道路船橋インター近くにあった2店を挙げとくが、フナショクレストラン(元締めはパン屋)とワールドレストラン一条(こっちは元旅館)だ。
前者はメニュー豊富でリーズナブルだが、旨い食堂より俺には全然格下の味で差し詰め俺言い「灰歴史」。
片や後者は人生初の本格洋食・イタリアンで、それがキッカケで洋食ヲタに開眼した店だった。
のでここでは後者タイプのみ扱う事とするが、何れも是迄同様屋号はおろか建物の痕跡すら無くなったの限定とする。
取敢えずジャンジャン出してくが寿司であれば両国の緑4丁目交差点付近にあった緑寿司、あんなに「キレ抜群」なのには後にも先にもお目に掛って居ない。
日本的な洋食屋なら比較的近年迄千葉にあった「ほてい家」レストラン、これは珍しく無くなる前に一度だけ再訪している。
だがかつての全盛期にエレクトーンの生演奏のあった部分は、既に影も形も無くなってたし現時点で閲覧可能な口コミ等にも一切触れたのが無い。
現況は閉店理由が建物の老朽だったからか、やはり跡形も無くなってコインパーキングになってるみたいだ。
この第2弾の前者ので困ってるのは、キレキレだとお寿司ってどんな風に美味しいかの説明に窮してる処。
後者の方では味やメニューもだが食事の場で、BGMの「状況合致度」でどれだけ違って感じられるかを提示出来なくなった処だ。
おっと何気に音楽を外したのがこれでは無効化させちゃってるが、インテリア等半固定の物だけでは場の雰囲気の最適化が充分とは限らないんだ。
特に無意識で佇んでる際はこの影響って甚大で、しかしその時のそこの奏者が特別長けてたのかその後何処で体験しても全く足元にも及んでいない。
例に依って妙な発想だが当時の千葉って今よりずっと東京に遜色無く栄えてたが、田舎っぽさでは歴然だった。
そのお陰で履歴より音自体で奏者が選考された可能性が感じられ、場所・建物で銀座とかに完敗してる分を少しでも補おうとしてたんじゃないかなんてね。
都心より儲からない!?中から出費するんだから、よっぽどムードを作れる人ででも無いととかさ。
お客さんもカッペ主体(失礼)だから曲自体の洒落たののリクエストも期待薄で、ムーディー演奏力の必要性ではそんな環境が最も厳しそうだよね。
最良はそのまま継続ではあるけどこんなに年月が経ってりゃ仕方無いとして、痕跡の有無だけでも受け手の印象差がありそうで気になるんだ。
要するに時計での世界標準時みたいに確固たる基準があったなら、どれ位凄そうかだけでも少しはイメージ出来るのにね。
似た様なの近いのも全然見つからんとなると証明は勿論、程度や方向性も口頭でしか伝えられない。
中でも方向性で類例の無いのが厄介で、大昔とは言えたかだか数十年の経過で下手すりゃおとぎ話を上回るんじゃ敵わんじゃないですか。
それ以上に個人を度外視しても気になるのが、クウォリティの向上に関してだ。
何処迄行ける可能性があるかあったかって大変貴重な情報で、バブルの儲けがロクに有効活用出来なかったり幾らも残せて無いのにも繋がってると思うんだ。
良い方でなら「兎と亀」悪い方でなら「懲りる」って必要だと思うんだけど、その為のネタを逸失してたら上手く機能しなくなっちゃうじゃん。
ささやかな個人の記憶に過ぎなくても、忘れるべからずとか維持すべきのってあると思うんだな。
<つづく>
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