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2021年10月

2021年10月31日 (日)

音楽備忘録808 魔改造悲喜こもごもⅤ➊

今日は使用実績が少なかった為に忘れてたのをひとつ、貰い物の石Bass Ampの音質調整回路のを。
個人的状況から魔道まっしぐらとは言え望んで盛んにやってるんでも無いからこうなるだけで、決っして加齢に依る記憶力の減退では無い
!?。

何れにせよ何故このタイミングで思い出したかってば、最近深夜の練習でちょくちょく使う様になってたからだ。
具体的にはルイズルイス加部氏のをやろうとして、少し低域量が足りないと感じたのに端を発している。

そもそもは非力な癖に(40W)折角15inchのラッパが載ってんのにからだったが、魔改造後の現状でも宅の本務機と比べるとまだ少し足りなかったらしい。
今迄必要性を感じなかったんで未実施だったが、本務機で出来る音質(増幅素子や機種自体の差の分は除く)が試してみたら作れ無かった。

世代的にFenderのベーアンが基準だったからかも知れないが、余程の事態じゃ無い限り本体だけで低域量を充足出来るのがベーアンってもんだみたいな認識に反する状態だ。
今後の処遇は現況全く未定だが、って事ぁ魔改前はもっと低音が出せない状態だったかと思うとあな恐ろしやだ。

処でルイス氏は日本に於けるマトモなピック弾きBassistの最高峰と思ってるんで、この際だから敬意も込めて具体的な音創りに先に触れとこう。
本邦ではかなり早い時期からブリッジ寄りでも弾いた人で、尚且つGS時代以外はFender Bassを多用していた。

そんなで「Bassらしさもある音色」を出すにはAmpの醸し出せる低域量が大問題で、基本的にFender Bassmanかそれと全盛期のAcousticの一番デカいヤツを併用してたのも頷ける。
但し多数が誤認してるのが弾くストロークの深さで、容姿とスマートなフォームのせいもあってまさかあんなにガッツリ弾いてるとはLiveを実見する迄俺ですら想像が付かなかった。

これはBeatlesやYesのChris Squireなんかも同類で、手や奏者のじゃ無く「弦がどんだけ動いてるか」を見るが良い。
杜撰大王は脱線御免なんでこの際更についでに掘っとくと、外観上の奏法は後2者は「手首弾き」主体だ。

それに対しルイス氏のはChar氏諸共言うなれば「肘弾き」ってなもんで、アリス(いにしえの本邦フォークトリオ)のアコギ掻き鳴らしみたいに大袈裟では無かったけどね。
けどなるべく力もストロークも最低限でしっかり弾き切ろうとすると、指より手首・手首より肘の方がパワフルだ。

達人達はどんな風に見えても実際は全身を上手に使って弾いてるが、コードストロークじゃ無いし弦1本しか弾かないんだから肘なんて固定で構わんと決め付けては早計なのだ。
と かなり回り道させちまったがAmpだけで成立はしないんだが、かと言って弾き方だけで全て補えるもんでも無いのよ。

今回提示したお三方は必要に応じて場所も弾き方も縦横無尽だけど、ルイス氏の最も象徴的なサウンドとなるとこんな感じなんだ。
でⅡで そんな風にガッツリ弾いても低音足りないってのは、ちゃんと知ってる・弾ける人がAmpを作って無い疑いが拭えない。

日本製の音関係のは楽器か音響かに関わらずこの辺が未だ弱点で、ハイレベルな趣味人が少なかったりその活用を怠ってるからなんだと思うんだ。
俺自身Classic系ピアノ録音の音色の柔かさで、こっちはOKと思ってもド素人に駄目出し喰らったりしたしね。

ここいらが一面でプロ特有の弱点でどうしたって状況を加味しがちで、中々純粋に結果(音)だけでの判断をし損ねてんだ。
きっとそんなののせいで「やったつもりで足りて無かった」んだろうが、それでも施す前よりは普通の音が出せる様にはなったんだけどね。

<つづく>

2021年10月30日 (土)

音楽備忘録807 音の物理的歪みと電気的クリッピング➊

近回の「Micユニットで歪んだ音」を改めて体験したのから、タイトルの音色差を語りたくなったんで暫し。
個人的には歪み音色の生・球・石・バーチャルの違いとリンクしてる気もしてて、今後例えデジタルバーチャルでも向上させる鍵になるんじゃないかってね。

誰にでも嫌な音ったら例えばガラスや黒板とかを硬い物で擦った時の「キーっ」とかがあるが、故に天然物理由来にだって不快な音は確かにある。
でも電気等で人工的に生成したそんなのってもっと人に辛く、大昔まことしやかに噂されたスパイ拷問用の発振音とかって多分それ処じゃ無い筈だ。

そうなる源にはここでは毎度お馴染みの「空気の緩衝作用」の有無差があると考えてるが、聴く方はどっちだってスピーカ・ヘッドホン・イヤホン等を使うから大きな差は無い。
だからこそ空気中の実音を拾うプロセスの有無と、その音質が大きく影響してると思うんだ。

機器も記録媒体も全アナログ且つ球のからMic・スピーカ以外はデジタルバーチャルの迄耳にして来た体験からすると、後年の方法になる程「美味しい歪み」が得られなくなったのを痛感させられてんでね。
現物楽器と機器の両面でやたらと歪まないのばっか目指した挙句、「ナチュラルな歪み」はこの先世間から何れは抹殺されるんだろうか。

さて本件には私感としては先ず実体験が必要と考えてて、前から有名なのは球と石の違いとかだった。
だが回路構成や定数次第で差の曖昧なのもあるんで、Micユニットでのやアナログシンセでの方がもしかしたら分かり易いかも知れない。

Micユニットでの歪みをその1として、極端に歪んだのはこの目的には不適合。
具体的にはあたかも音が太くなっただけかの様に聴こえる程度のが推奨で、少々汚れるのが平気な際は太らせるのにこれの魔用も考えられる。

その2のアナログシンセのはフィルタ部での発振若しくは寸前状態のがお勧めで、耳にどう聴こえようと大抵電気的には既に歪み始めてんだ。
これは同系統回路の使われてるEffectorでも同様で、デジタル物がエグさでアナログ物に負けてる原因でもある。

電気的な変化量ではデジタルが圧倒的に勝ってるのにそうなっちまうのは、使える歪みがデジタルの方では無きに等しいからなんだ。
特に境界域で歪みより単なる音色変容と感じられる部分のが争点で、是又音楽(楽器)とオーディオでの「歪みの概念の違い」がもたらす物なのだ。

別の表現をするなら歪みの感知に電気と人耳では違いがあるんだとも言え、電気を数学とすれば差し詰め耳のは文学や芸術ってなもんかなぁ。
因みに本題のキッカケになった実験のを従兄は直ちに「歪んで駄目だった」と伝えて来たが、彼のそれは「無歪とか生耳のと違った」からそう語っただけ。

露骨にグジャグジャな音になってた訳じゃ無く、境界域の知識と体験があったからの表現なんだ。
相手が俺(兼業音響屋)だったんで具体内容をハッキリさせただけで、もし境界域に疎い人にだったら「音が変っちゃって駄目かも」なんて言いそうだ。

しかも彼固有の音色の鋭さに拘っててだったからで、何を犠牲にしても太くしたいと思ってたら寧ろ「良いかも」とすら言った可能性があったんだ。
ついでだから太っぽくなったのの詳細へも踏み込んどくと、単純に周波数特性が中低域中心になったってだけじゃ無いん。

Micユニットの振動板が「底突き」してる間は、高域の細かい振動が拾えなくなる。
のでアタック音のピーク成分で底突きした部分のみ、反応が鈍った結果なのだ。

最大音量時は最小時より目立つ音色である必要も無く、寧ろ「やり過ぎ」になるとわざとらしく耳障りになったりする。
それからすると不要時だけマイルドになってくれるこの現象って、音楽的には最適なんだけどねぇ。

<つづく>

2021年10月29日 (金)

音楽備忘録806 Rockのスタンダード⓫

是迄はJam Session等を対象に提示して来たんで、ここからは又徐々にパート別の続きへ戻そう。
只のRockなんでエレキGuitarのから始めるが、同じ楽器をやってる者同士で一緒に弾いたり談議を繰り広げるのとかにって感じで。

今回のの前提条件としては又々Rock ’n’ Rollを敢えて除外しちゃうが、もし望むなら近年本邦一般よりもっと踏み込んで追及して欲しいからだ。
それ用の曲例としてJohnny B. Goode-Chuck Berryで説明するが、必須パフォーマンスのDuck-Walkをし乍らのチョーキングのニュアンスが最重要なんですよ。

その後の色んな所で使われてるのはトゥウタトゥウタみたいなのが殆どだが、もっとチョークアップが速くないとそれらしくならないのよ。
クゥワッカクゥワッカとかクゥワカカクゥワカカみたいにしないと、煽り足りないみたいなさ。

彼以外にもそれなりに個性的な弾き方の人は居たけれど、その当時迄に無かった表現を実現したのは殆ど見当たらん。
こう云うのって分かってる人にはもっと有名なのではEric ClaptonのHand Vibrato等があるが、本人の感性依存度が高いんで参考にはなるがそのまま失敬してもフィットする場所が限られちゃうんだ。

応用が利き易い面での汎用性を考慮すると、上記等抜きで成立してるのの方がスタンダードとしては向ている。
これに従うとRollの他のはGuitar奏法自体は従前ので大凡賄えるんで、寧ろBlues・Country・Jazzのスタンダードに勤しんどくべきだと思うんだ。

さてここからが目的に依って分化してくんだが、Rock曲を弾けりゃ良いのかRockっぽいソロが弾きたいのかだ。
個人的には前者強力推奨で随時吠えだが、「ソロから始まる曲はとっても少ない」のがその理由。

とは言え別ジャンルでGuitarソロだけそんなのが要求される事もあるが、その際当初はかなりターゲットを絞ってどれか1つだけでも先にマスターしちまうのがお勧めね。
それには誰風を求めてるかで課題曲も変わるんで、ジャンルとしてのスタンダードを定めるのはチト厳しいし相応しく無いと考えている。

加えて例えばどんな曲でもジミヘンみたいなソロが弾ける様になれたとして、ソロ部分しか合奏出来ないんじゃ他の部分はどうやって凌ぐのかと。
自慢したり格好付けるにはソロをスラスラっと行けると確かに良いが、斬る時だけしか呼ばれないルパンの石川五右ヱ門みたいな立ち位置で良けりゃどうぞご勝手にっとね。

まあ万一作曲・編曲が幾ら頑張っても全く駄目だったりしたら、そんなのも1つの生きる道ではあるんだけどさ。
けどもし眠れる才能を持ってたとして開花時期って全く不定なんで、わざわざチャンスに恵まれないルートを辿るのは勿体無いと思うのよ。

なのでお目覚めの時を迎える迄は本番では職人でも良いけど、Jam Sessionで迄そんな風には演らない方が宜しかろう。
まあⅡでその時の興味に無理して迄そうする必要も無く、けれどどうしようかなと思う様ならって感じで。

して絶対条件では無いけれど上記事情もあるんで、なるべくならリフやバッキングにチョーキングがある様なのが最適とも考えてんだ。
管楽器のであれば他ジャンルにもそんなのは時々あるが、Guitarでそんなのって(HawaiianやCountryの所謂ペダルスチールは除く)一部のBlues以外じゃRock位にしか使われて無いからね。

この件に限ると海外での実情を俺は知らんけど、その手のがChar以降増えずに減ってるのからすると曲としての一般での有名度に本邦は釣られ過ぎてる様な気がするんだ。
加えてGuitaristの作曲家数だとか、良い意味でらしいのを作れる人も減ってるとしか思えないんだ。

<つづく>

2021年10月28日 (木)

805 消失した個人的史跡➑

昭和の頃ならローカル情報はその地元近辺の居住者に訊けば何とかなったが、平成以降は自分の住んでる所のでもその人自身の興味の対象から外れると全く知らないのも普通になっちゃったね。
そうなり出した当初はまだ古参住民が健在だったから良かったが、彼等が居なくなってみると当時は何でもネットに上げとくのが普通じゃ無かったからか空白域が生じてる様に感じてんだ。

最初は人に昔ここに住んでたんですよと見せられなくなったのに始まって、仕方無く資料を漁ろうとしたら意外と大昔より近年の過去情報が欠落してるのに気付かされたんだ。
それがこんなテーマのを綴る原因で年寄りなのは全面的に認めるが、だからノスタルジーに浸ってんだろと思ったら大間違いなのは強弁しときたい。

寧ろ年寄りだからこそ明言出来るのは、最近は新しいのに良いのとか面白いのが出て来なくなったのが紛れも無い真相なのだ。
その原因の1つに「似たり寄ったり」ってのがあって、これは悪い意味での個人主義の横行のせいだと考えている。

本来個人主義なら纏まりが無く無秩序でも多様化が全開になる筈だが、「個人の数が極端に集約・限定」されると独裁に豹変する。
端的に云や俺が親分なんだからそう決めて何が悪いと開き直る体で、例え親分でもちっとも全知全能でもないのに選択や判断から専門家やユーザーの声を排除し出しやがった。

そうなって真っ先に影響が出たのは自家用車とかだが、これは色んなリスク増大を覚悟すりゃまだ敢えて過去物(中古車)を選んでゲットするって方法が残ってる。
だが個人では対処不可な大規模なのでそれをやられると、対抗も防衛も存置も出来ない。

その典型に建物デザインバリエーションの減少が顕著で、1970年代を実体験した身からするとその頃を頂点に個性や独自性が失われてんだ。
極端に云や教会でも寺でも学校でも住宅でも、それの建ってる場所が何処だろうと全くお構いなしに…。

ここで特筆しときたいのはその時分には窓の殆どはもうアルミサッシに
なってて、’60年代迄の木枠や鉄サッシより規格化がかなり進んでた処だ。
つまりそれ以前よりゃ建物デザインに特化させ難くなってて、けれど窓周りの造形の創意工夫等でかなり奇抜なのや先鋭的なのも含めて最も個性豊かだったんだ。

一概に他と違ってりゃ独自性がありゃ良いってもんでも無いけれど、そう云う特殊加工みたいなのはそれを実施出来る職人が限られる。
それが例えば「この近辺のだけ窓の上辺に曲線が付いてる」みたいに反映したらしく、街景観の独自性に貢献してたのかな。

極限られた恵まれた地域では寧ろ最近の方が地域景観を守ったりもしてるが、本当に必要なのは上記みたいなパターンでありふれたどうでも良い街の方なんだよね。
しかもそんな大々的なのじゃ無くて、例えばこの界隈の家のポストは何故か皆赤いねなんてのでもかなり雰囲気には影響があるから。

その頃偶然実家の事情で住宅展示場のモデルハウスを沢山見て回って以降、この仕様・風貌のは多分○○ハウスのだなんて分かる様になった。
のが近年になる程少なくとも外観からは何社のかサッパリ分からなくなって来て、選ぶ意味が無くなりつつある気がする。

オマケにマイナー目のメーカのだと現物はそこかしこにまだ点在してても、ネット上にその写真が一切出て来ないのが多くてビックリ。
これ実家が最後に新築したのを調べてた結果だったんだが、売却してるから下手に見せに行って眺めてて変な迷惑掛けたりしたくないんだ。

純粋な注文建築だと代用は困難だが外形に共通性の多いのだったし、どうせなら新品かそれに近い状態のが無いかと探してみたんだけどさ。

<一旦終了>

2021年10月27日 (水)

音楽備忘録804 他を出し抜く音創り⑥

今日は純粋な続きで「セミアコのAmp歪ませ」から行くが、黒人系界隈では当初は仕方無くでもそうならざるを得ないなら積極的にってのがもっと昔から常態化してた様だ。
ソリッドで無くセミアコとなったのは、露骨な差別がまかり通ってた時代では新型を供給して貰えなかったのもあったのかな。

歪ませにしても新型のよりパワフルなAmpが同じく黒人には入手難で、それでいて白人より貴重なエンタメの場での客の盛上りが凄いから兎に角聴こえるのを優先するしか無かったんだと思うよ。
それに対し白人界では高級で余裕のある新品で、無理させて壊しちゃ勿体無いから勇気が出るのに時間が掛かったか。

いざ試してみれば古典的な真空管楽器Ampだと、壊れる程の出力なんて絞り出せて無かったからアレだろうけどさ。
誰もやってない中で真っ先に壊しでもすりゃ恥ずかしいと思えば、半ば自然現象みたいなもんだわね。

この件は所謂The British Invasionと直結してんだが、米よりゃ英では黒人忌避は無かったのに加え英の庶民の若者はアイテムが貧だったってのがミソだと考えている。
つまり環境的には米黒人の方が近く音楽情報も今と違って音だけ活字だけが当り前だったから、アホな若造には白黒不問で「うひゃーアメリカかっちょえー」みたいなノリになっても不思議は無い。

この俺言い「島国の無責任さ」は今の日本にも盛り沢山で離れて眺めてる内は少し褒めたりもしてる癖に、いざ働きにでも来ようもんなら途端に村八分にしちまったりとかよ。
だから全部が良いでも悪いでも無いんだけど、情報伝達が脆弱な程そんな不思議で頓珍漢な事態は起こり易かったみたいだ。

だからⅡで偶然の産物の方が明らかに主成分なんだけど、彼等自身が無理に本家並にしようとしなかったのは本人達のセンスの賜物だと思うんだ。
恐らく黒人物にのめり込んで行く内好きだから真似するししたいけど、ある程度から先へは絶対近付けないのに既に気付いてたんじゃないかってね。

その辺から段々土着の価値にも気付き出し、それがあるからこそ大胆なグローバル展開も出来たんだと思うんだ。
世界標準なんて文言だけだと良い面だけみたいに感じちゃうけど、標準なのは悪く無いにしても唯の平均中の平均つまり並・一番ありきたりでもあるかも知れないんだよね。

そこ迄やっちゃうと例えば1曲目はビートルズだが2曲目はシートルズ・3曲目はディートルズ…、親父駄洒落全開で済まんがそんな風にもなり兼ねんよ。
違う人なら違う音でも当然で、でも違う人の違うに「かも」が付いてるかどうかなんて一般市民の知った事っちゃ無いからね。

こんな部分でも「比べる基準」が要りそうで、故にワイは「音楽は比較芸術」だって頻吠しとるんじゃ。
ほんでもし上手い事「奴等だ」ってのを確立出来ると、バリエーションの振りはもっと小さくても事足りる様になるのが肝やねん。

例えば「英国人が演ってるにしちゃ随分東洋風だね」とか、対極に近いのと共存させると両方とも普段より目立つ様になる。
別側面からだと無演出時にどれ位色味が出せてるかってなもんで、ゴリラの物真似したら普段より弱々しく見える人なんて滅多に居ないっしょ。

更に変換してくと気にして無い箇所の処理がどうなってたかと来て、少なくとも音的に完全な盲点みたいなのは先ず無くしときましょって事った。
概念としては無意識のを意識しろなんてシュールだから大変そうだが、手始めとしては耳が拘りに偏らなくなれば徐々に自然と入って来る様になるよ。

或はアマでなら剛速球だけで勝ててもプロではそれに反するの1つ位は無いとって感じで、唯一の利点が有効なのは相手が慣れる迄の期間限定品なのよ。
最終的にはありのままの自分を肯定した上で拘りを追及する、土着的な部分を失くさずにその上へ各自の新案を盛ってみなはれって。

<一旦終了>

2021年10月26日 (火)

音楽備忘録803 Rockのスタンダード➓

今回は「時期に無関係なパート難易度違い」に言及するが、そもそも全部が同レベルの曲の方が少ないよね。
好みのが皆差の大き目のだったりすると悩ましくもあるが、偏ったのばかり演ってると後が大変とだけ先ずはボヤいとこう。

取敢えずHard系ので色々挙げてくとZep,Purple,Van Halen辺りが最大公約数かと思うが、体験的に何故か本邦では太鼓やGuitarはバッチリやらんとイカンのに他はテキトーがまかり通ってたのが気になった。
それも地域性とか文化だと言われりゃそれ迄かも知れんが、10人と居ない集団でそれでは飽きられると思ってたら案の定だったわ。

尤も上記お三方でも後者2つは時代が下るにつれ先ずはBassが、次に太鼓や歌が従前よりは段々軽視されてってたが…。
それが何をもたらしたかってぇと自作曲の劣化で、そのジャンルのファン以外への訴求力が低下したと感じたな。

ここで考えるべきは今よりヲタだけに相手にされりゃ良いかどうかで、しかしそれならプログレやJazzの中で激しい系のの方が遥かに上を行ってたりするぞっと。
処で今迄提示したのはどれも随分昔のばっかだが、限定的なコミュニティ対応ならもっと新しいのでも構わない。

例えばGrungeであればNirvana辺りが開祖なんでそれをスタンダード扱いしたって問題無いが、細分化後のを迂闊に根っこにするのは俺はお薦めし兼ねる。
彼等だって自身で発明する迄は「既にあった物」から知見を得て居り、日本でテクノやボカロ以降に新しいのが生まれ難くなってるのと大いに関係アリと踏んでるんだ。

無礼を承知で踏み込んじまえば、次のような黒い比喩が浮かぶ。
お茶でRock=ティーバッグとすると○○Rockは2番煎じ以降で、もし香りや味を学ぶなら明らかに「薄まる前」の方が分かり易いじゃん。

なので新しいのの手法やアイデアは参考にするには良いんだけど、基礎を学ぶには効率が悪いんだ。
上出のテクノやボカロにしても日本のは音楽自体よりメカの方が主体で、音楽的にはそれ以前の財産から作られている。

テクノの純粋な開祖はKraftwerkと考えてるが、一般人に普及させたのはYMO辺りからだった。
前者は俺からすると一応ポピュラー枠で展開してたが、前衛の電子版つまりプログレの延長線上に留まっていた。

のが後者はまるでかつての歌謡曲みたいにネタが無制限で、開祖を凌ぐヲタ性のもあったがピコ太郎並にキャッチ―なのもそれで量産出来た様だった。
これを杜撰大王式に解析すると電子楽器やテクノはスタイルなだけで、音楽自体は時々ヒネたりもするPopsだったとなる。

ボカロ曲の傾向の源としてはアニソンからの影響が強く感じられるが、更に遡れば童謡/唱歌チックなPopsって事になる。
但しここでの童謡/唱歌チックって大人が恣意的に子供へ押付ける様なのじゃ無く、幼くても大人と分け隔て無く等しく楽しめる様な物って意味だけどね。

故に「Rockのスタンダード曲」だと古くなるのはそれなりに歴史を経たからと、若い人にはカビ臭くても我慢して貰うより他無い。
けれどRockの前後に何か冠が付いて良いならその限りでは無く、各自の目指す専門のを片っ端からって位の方が良いだろう。

但しⅡで何か新たに独自創作をするとか本家を凌駕したいなら専門(好み)のは程々に、同業他者があまり研究して無い処にこそチャンスは転がってるのだ。
私的ではあるがどんなジャンル・スタイルを目指そうと必ず要るのが「曲の良さ」で、それには極力感性やアイデアだけで受容れられた曲に親しむのが最良だと思うんだ。

<つづく>

2021年10月25日 (月)

802 消失した個人的史跡➐

このシリーズでは個人的な過去の証拠みたいなのが欲しくて書いてるんだが、公的記録が残る様な立派な御仁には無くなってもさして困らないと思う。
けど無名だっからって経歴不要でもないんで、あんまり何でも無くなったり変わられると困るのだ。

俺の場合現時点でまだ全て失ってはいないが、自分にとって重要だったり転機になったのがゴッソリ消えちゃったんだ。
今ならスマホじゃ無くても写真にデジタルのがあって一々必ずお金が掛ったりしないから、取敢えず一通り撮っときゃ良いんだろうけどさ。

何れにしてもプライベート度の高いのだと、公的なのか或は追体験出来る様な何かとのリンクが無いとこの目的には役に立たない。
又齢のせい以外で近年本件が気になるのに、ネットで漁るより自分の方が詳しい様な事例が増えて来たってのもある。

過去に見聞したのの僅かな部分の曖昧な記憶でそんなだから、社会の方が何かの病気にでも掛ってんのかって。
これ完全非自慢で確かにそれなりに経験値は積算してるだろうが、情報の保持・拡散や正確性に対して俺ってかなり鈍感なんだ。

杜撰大王なんて自称を作ったのもこの辺が遠因で、理系人間の癖に感性主導ってひねくれたりしたつもりは無いんだけどそんなだから。
つまり俺と同じ位知ってる中でより立派な人が公表したら、もっと質の高い貴重な情報が流通する筈なんだよ。

俺のネタ元だった趣味誌の古本は全部が無くなったでも無いし、過去の機器等のカタログとかだってその方面のヲタ界があるから絶滅はしていない。
処が後世へ伝える意義の高い部分だとか今でもとても参考になりそうな部分が、何故か特に欠落してるんだ。

俺は近年の「にっぽん凄いぞ」ブームは大嫌いだが、それと同じ位評価すべき過去を抹殺するってのも虫が好かねえ。
で何が今回の生贄かったら、大小諸々の工業系製品のスペックデータだ。

私的推察ではメンテナンスの面倒を減らしたくて製造元が敢えて破棄したんじゃと疑ってるが、企業買収時の扱い等にも問題が多そうだ。
白人系の禿鷹連中には酷いのも混じっちゃいるが、やはり「上手な買収の仕方」を充分知らん内に猿真似し出したのが駄目だったんだろう。

悪い奴程生き残るもんだとは言え、度を越せば正規の業種として認知されたり成立したりはしない。
買って貰えなかったら潰れるしか無かった・もう続けられなかったみたいな事例だって沢山作ったから、かなり際どいのが混ざってても1つのビジネスとして定着したんだろうからさ。

その時点では特に必要性を感じて無くても、過去に積み上げた業績やノウハウこそが真の財産だ。
それからするとどんなに買い叩いたとしても、わざわざデータを破棄するなんざ資産価値を下げる愚行なのだ。

完全に消滅してしまった会社のだとロクに残せなくても仕方無いが、世界的な大手でそんなの知りません分かりませんなんてほざくのがどんなに恥ずかしい事か…。
この辺の民度はかつてJapan As No.1なんて時期を経てるにも拘わらず、未だ途上国以下みたいだね。

欧州や露では底は脱したにしても決してそんなに儲かってないのに今の日本程の凋落感が無いのは、文化的底力に差があるからだと思うんだ。
ピンチの時程例え過去の遺産でも引っ張り出して来りゃ足しになるのが、残してあるかに違いがあるんじゃないかな。

古くなって旧態化したってベンツはBENZのまま、それに対してセドリックはとっくに無くなっちゃったしクラウンもセダンはもうすぐ無くすんだそうだから。
これって乗用車だと気にならない人の方が多くなってそうだが、温暖化が酷いからって急遽背広(スーツ)を廃止したら営業マン氏はさぞかし困ったりするのに近いんじゃ?。

<つづく>

2021年10月24日 (日)

音楽備忘録801 他を出し抜く音創り➄

前回で流行に乗るにしてもお付き合いは控え目にと申したが、これだけだとそれ以外の部分は人並みの割合が高くなる様に誤認するかも。
あのぉそれって最新流行と前からあったのって分類にするからそうなるんで、この件で流行の対極に位置すべきは独自性なんですよ。

一応私的としとくが俺知りで最も長寿命若しくは普遍性を持ってるのってBeatlesの作品だと感じてんだけど、彼等のって極論すりゃ99%が個性で残り1%が流行だの何だのって感じだと思うんだ。
だから何だよ又例の奴等のかってのは全く払拭出来んけど、自然となってる部分以外は時代性とか殆ど無視してるも同然だから


見方に依っちゃ例えば比較的早期にシンセを導入したのに、如何にもな使い方をしなかったから新鮮味としての効果は随分薄くなってるね。
素人にとっての分かり易い電子楽器っつうと、例えば「ビヨォーン・ピロピロ」みたいなのの方が向いてらぁね。

俺は偶然ポピュラー系への電子楽器導入期をリアルタイム体験してたんで、その話を一寸させて貰おう。
当時音楽は今みたいに最初から動画でなんか公表されてなかったから、使っててもそれが目立たんのは事実上ノーカウント扱いだった。

特に楽器知識に詳しく無かったり俺みたいにアホなクソガキだと尚更で、多分記憶・印象と実情には乖離があったと思う。
けど昔の職人さんはそんなの百も承知でやってっから、シンセ必須としては効果音的なのから始まっていた。

日本国内に限るとそれを比較的大胆にやり易かったのは子供番組ので、米では年齢層は限定されてなかったが流行歌よりドラマや映画の音楽の方が積極的に感じられたね。
尤もシンセが貴重品だった内は音は電子音ぽくても実使用は半々位な感じで、エレキGuitarやエレクトーンのを捻くった様なのも少なくなかった。

そんなキワモノのは出した当初はとっても斬新で目立ったんだが、何年も続けられると飽きが来るしその内段々懐かしさの方へシフトしてったな。
それでも子供の内は兎に角初耳のに一番興味が湧いて、幼稚園から小学校にかけての男児が禁句を連呼して喜ぶのほぼそのものだった。

それはそれで結構なんだが言うなれば期間限定商品とか季節限定メニューなんで、世の中とタイミングが合わないと効果はおろか却って失点になっちまう。
昔の子供番組のは大抵は一緒に歌える歌がメイン・壮大なドラマのは大編成オケの僅かな一員だったから、目立たせてもその割には時代性が殺せてたのかもね。

なのでBeatlesのシンセの入ってるのを耳にしてても、分析耳で聴いたり意識する迄は全然気づかなかったりしてたんだ。
それがずう~っと時間が経ってみるとシンセでも他のと少し違うから、流行の典型的なのにしてたのより古さを感じさせないで済んでるみたいだ。

Rock系もかなり歴史が積算して組合せ等は出尽くした感がしなくもないから、その点では昔の人達より独自性を築くのは困難化してるだろう。
だがBeatlesの独自性の根源を考察すると、狭い範囲ではそんなに斬新だとか最先端なのをやってはいない。

一歩間違えたら大胆不敵なんて言ってられなかっただろうが、当時では考えられなかった白人が黒人のでも何でも平気で節操無く取り入れたりしてたのがミソじゃないかな。
その端的例として「セミアコをAmpで意図的に歪ませる」のなんかが典型的な気がして、中でもPaul McCartneyは後のLarry Carlton等より随分早くに音色的トレードマークにしちゃってたよね。

黒人Bluesman達が貧機材のせいで仕方無く歪んでたのを、白人が素直に黒人を尊敬するっての自体が当時の常識じゃあり得ない話しだったみたいだから。
斬新にしても独自にしても随分音自体より前の段階にそれがあったのが、こんな結果に繋がってるんだと思うな。

<つづく>

2021年10月23日 (土)

音楽備忘録800 Rockのスタンダード➒

今日は前々回例示したJumpin’ Jack Flashの補遺若しくは追説と行くが、バージョン選択理由でもう1つ重大なのを失念してたのがあったのよ。😓
そもそも唯一の例外として挙げたThelma Houstonを、何十年もずっとJackson 5のと勘違いしてた位だから俺って重症だ。

核心に迫る前にそれなりに意義もあるんで、幾ら杜撰大王にしたって散々聴き続けて気付けなかった言い訳を晒しとこう。
持ってたのがAMラジオのカセットエアチェック音源だけで低音質なのもだが、編曲や構成その他のアプローチがかなり似てたからなんだ。

分析の正確さの為にはもっと客観性を持つべきだろうし俺の弱点・欠点としては直すべきだが、この先も沢山恥をかいたとしても音楽家として感性で聴けなくなる方をもっと恐れてんだ。
再三吠えだが一般聴者には「実際に出てた音」より「聴いた感じ」の方が遥かに大切なのと、独自性がこれに絡んでるのだ。

正確に捉えそれを再現出来るのにだって勿論価値はあるが、それでは幾ら成功しても本家を決して凌駕出来ないのよ。
僅かでも違う音を使って「同じ感じ」とか「とても似た雰囲気」を作れないと、既に確立してる物を後発がわざわざ演ったって意味が無いっしょ。

故に怪しげな作戦だが「聴き間違いを魔用」してやろうなんて腹もあって、それは更に誰もが好んでるのを何故か自分だけ好きになれないなんてのと同類だと。
その人にだけ「人と違って聴こえた」ってのも個性反映の為せる技の内な場合もあって、聴くのと表裏一体の出そうとする時にも大抵は無自覚でも影響が出てるもんだからさ。

にも拘わらず老化の仕業か持前の杜撰のせいかは分からんが、推奨2バージョンとそれ以外のではリフのハモりに重大な差が含まれてたのを書き漏らしてた。💦
この曲は俺には専門なんでこの際ヲタ性を厭わず底迄掘っちゃうと、究極的には解釈次第じゃ曲のコードが変っちまうんだすよ。

具体的には原版と推2のは下にそれ以外のは上にハモりが付いてんだが、本家の変更理由は音域が低過ぎて悪環境Liveだと不向きだったからかもと推察している。
だが元のや推2のを無理に2つのコードに置換えるとBとAになってたのが、それ以外のはBとDに変わっちゃうから一大事なんや。

これが時期的にBrian Jones脱退と同期してるは、
作者クレジットはJagger-RichardsになってるがBill Wymanは自分が原案発案者だと告白している。
発案後BrianとIan Stewartを加えた3人で骨格が出来上がった後に、全員で作ったそうだが真偽を確定させられる証拠は無い。

けれどもBrianが居なくなって「ヤバイ連中感」がかなり薄れ等と、メンバーチェンジでかなり露骨に新曲その他へ大きな影響があったのは確かだ。
もし「Stones味」を漏れなくしときたいならチェンジ後のじゃ不足で、「ヤバイ連中感」がより強く匂ってたのが推2の方だからって寸法なのよ。

仮にこれからStonesっぽいのを演りたかったとして、安易にパクったらカビの生えたネタなだけに加齢臭のキツイ連中なんて悲劇に見舞われるかも。
50年以上昔のでも最も参考になるのは、この曲だと「ヤバさ演出の部分」な気がしたんでつい
ゴネてみちゃったんだ。

<つづく>

2021年10月22日 (金)

799 消失した個人的史跡➏

今回は建物について呟いてくが、宅では実家(先代の本拠)の建物はどれも短命だった。
と言っても物自体が持たなかったんじゃ無く、大した理由も無く引っ越し頻度が高かっただけなんだけどね。

それが代替わりしてからは一変して30年以上無変更で、って単に貧だからそのままなんだろって言われたら返せる言葉は御座居ませんが…。
しかし防音室を再構築するとなると経済だけの問題では済まないし、寿命が来てない内に建替えってのはその次を早めるだけだしね。

ここで先代が落着かなかった理由を再考しとくと、最終的には構想に不足があったからだと思ったんだ。
個人宅のでは分り難いんで京王線の新宿駅を例に説明すると、お隣の小田急のと併せて長期に渡って再工事が続いてバタバタしていた。

これって当時の都や国のいい加減で傲慢!?な計画に負けたのが真相で、ロクな根拠も無しに一私鉄如きにそんなに広い用地は要らんだろうって。
国鉄駅(現JR)や都の施設の方が立派じゃないと格好が付かんと思ったか知らんが、人口減少期に入って久しいのに今更又大規模再構築するらしい。

京王駅のは具体的には公営地下駐車場用地に頭を抑えられて長い地下ホームが作れなかったんだが、そうしといて結局駐車場のキャパが全く不足してたんだから醜い話しだ。
駐車スペースってば近年23区内では車を持たない世帯も増えたが、世帯数に見合った駐車スペースのあるマンションってのにこの辺じゃ俺は未だ唯の一度すらお目に掛った試しが無いな。

勿論建替えには技術の進歩でもっと良い方法が後から出たり、追加の耐震補強だとか配管の更新だとか色々あるのは分かるがね。
けど木造平屋建てとかなら未だしも、コンクリートで建てたビルでそんなのが多過ぎるのは合点が行かないんだ。

短期的に見れば販売戸数が多くないと土地・建設の費用が回収し難いからだろうが、他所で駐車場を借りる費用の分少なくとも再販時には価格が低下するのよ。
本来なら掛った手間と費用を無駄にしない為にはそんなじゃ資産価値を下げるから損なんだが、売ったら後は知るもんかって寸法だ。

立派なビル建てたりして○○建設って大手企業を気取った処で、何時迄もそんな仕事っぷりじゃ大昔のバナナの叩き売りより稚拙とは随分な恥知らずじゃありませんか。
とは言え元は暴力団の成れの果てなんてのも少なくないんで会社側の姿勢は仮に仕方無いとして、役所が容認し過ぎたり加担したのは大馬鹿だ。

その場凌ぎで行くんならコンクリートなんか使わんで、せめてプレハブ(組立式)にしときゃ良かったんだ。
解体費用が偉い事になるんでその調達が厳しい所はそのままになったりして、再開発が円滑に進まなくなるし何しろ割りが悪い。

経済面でこれ等も含め根幹に迫ってくと、ローンで買うとその分割高になるのと一緒なんですよ。
と言っても全額キャッシュが困難なのだってあるから無いと困る事もある手段だが、これが真に役立つのは先々「売る可能性の極端に低いの」限定だと思うですよ。

何時売り払うか分からんのならお金より物自体を借りりゃ良いし、それが嫌なら臨時なんだから中古でも充分じゃない。
全く臨時じゃ無くても何でも皆中古で我慢してるのがココに居るがね、何しろ俺自身がバツイチで新品じゃ無い。💦

例に依って屁理屈っぽかなるが死ぬ迄新品で居たいとなると、この件では生涯未婚って事になるよねえ。
そこ迄行かずとも新品期間を長く取ると死ぬ寸前に初婚ってなるが、幾らバツが無くてもそれでマトモなニーズがあるとは思えないんだが…。

<つづく>

2021年10月21日 (木)

音楽備忘録798 他を出し抜く音創り④

個人の論法に過ぎないが、出し抜くには適切な差別化が最適と考えている。
好みが広大な分野では万人への理想を追求するには限界が低いんで、何等かの価値観で捉えた時の最高峰を目指すしか無いんじゃないかと。

何れにせよどっちを追及するにも創意工夫が必至になるが、楽器種次第でそれを出来る場所は大巾に違って来る。
中でも最も厳いのは打込み・それに続くのが個人で作ったり弄れる箇所の僅少な生楽器で、その場合奏で方と録り方主体で何とかするしか無い。

けど反面で聴者がそれを理解してくれてると、そうじゃ無いのよりゃ「僅かな違い」に敏感になって貰える部分はある。
それからすると自由し放題に見えるの程厳しい判定が下されるとも考えられ、電気・電子楽器担当者には辛い処だ。

門外漢が想像する程実際は電気の関わる物だって色々制約だらけで自由には程遠く、例えばエレキのPUとかデジアナ変換の半導体とかはそれ等の心臓部なのに一般個人では全く手に負えない。
とは言えそんなの「内部事情」でお客の知った事っちゃ無いんで、苦し紛れになろうとこっちで対処してくしかない。

具体的には個別機器と組合せの選択に集約されると思うが、突詰めて行くと自動車の変速機のマニュアルとオートマの差等と近似だ。
あらゆる状況にマクロフィットさせるにはマニュアルの一択で、ファミリーカーではほぼ死滅してもスポーツカーには残ってるのがその証だ。

只ここで考慮すべきが使用者のスキルで、最初から全てを意のままに加減しようってんじゃ課題が多過ぎる。
それが音楽ではお便利ストンプの方が好結果と見えたりする原因で、苦手な音創りだけに腐心してパフォーマンスへ悪影響だらけにしたって仕方無いってパターンだ。

しかし厳しい判決言い渡しみたいになっちまうが、もし10年以上もその方が好結果になる様ではアウトだで。
それがGuitarだったら止めちまえ…っとは言わず、もしかしたらエレキよりアコギの方が向いてんでねってね。

だどもそんなハッキリしてるのならまだ幸せで、罪深いのはそこ迄適性レスじゃ無いのに何時までも旧来のやり方を引きずってる連中や。
客観視したら移行タイミングを逃したとかその方法を知らんかったとかなんだろうが、大変な思いをして迄贅沢しようとは思わなかったなんて言われると何となく無罪な感じが漂うからねぇ。

今時はプリセットだけでも取敢えずは行けちゃうオールインワンタイプなんかが一杯あると、昔よりそれに惑わされるのもやむを得ないとは感じるよ。
でもそんなのってハッキリ言や機材を「売る為の方法論」なだけで、流行りの機材を使えば曲も売れるなんて事は全く無いんすよ。

確かにポピュラー系では時代との親和性とか「それっぽさ」は必要なんだけど、ホントにバカ正直に後追いしちゃったら何しろ作品寿命が酷く短くなるんですわ。
加えて余りにもその時代のっぽ過ぎるとその時点ではセンター取れても、少し時代が下ると新しい割にゃ随分古臭さが強く臭っちまうんだ。

それを長持ちしてるヒット作品の実例で見て行くと、印象は流行そのものの様でいて良く聴くと手法丸パクリのは皆無だったんだ。
機材の方で取り入れたのでは使い方や録り方はその人達何時もの・その逆も又然りで、流行取入れが最大でも49%って感じになってたんだ。

私的例では当時はギリギリセーフだからって安易に入れちゃったチープなシンセの音のせいで、今では恥ずかしくて他人に聴かせられなくなった自作曲とかが…。
尤も俺の場合はサウンドより雑過ぎたパフォーマンスの方がもっと問題化しちまってるが、何れにしても本人としては頑張ったのが無効化したのは淋しい限りで御座居ます。

<つづく>

2021年10月20日 (水)

音楽備忘録797 Rockのスタンダード➑

では生贄!?のTrain Kept a Rollin’の続きだが、編曲はおろか歌詞に迄様々なバージョンがあるんだからこりゃすげえや。
っとその前に最早通常運転と化した補遺入りで、カテゴリーにパソコンが密かに!?入れてあった件から。

打込みオンリー君が実演音楽家との認識差を無くす減らすのもあるが、曲の構成要素をフルに学ぶのに同じ考えで選んどいた方が良いからなんだ。
尤も打込みで他人の曲ってあんまり使わなさそうな感じもするが、「音楽の練習」としては実演しないからってコピーは全く不要ってんじゃ無いんでね。

だばとっとと本題へ行くが、俺推奨は実は曲名としては上記のよりStroll Onの方なのだ。
相違点は歌詞と編曲だがその主因はDrumのHi-Hatの奏法の違いで、歌詞のバージョン違いなら後述の方がお勧めとホラややこしやだ。

先にHat案件から行くとこっちなら「Openの連打」があるからで、Hard系寄りの人にも馴染み易いから。
Closedの8の連打って特に速い目のだと、RockよりゃどうしたってRock ’n’ Rollっぽ過ぎるじゃん。

まあお手本がどうなってようと奏者が自らのスタイルに応じてアレンジして変えりゃ済む話しなんだが、アレンジにだって手本が要るからね。
あと両方を知ってたらいきなり「シャンシャンシャン」って演られても、他パート担当者も驚いたりしないで済みそうだし。

っとここ迄の話しだと何だか一々面倒な曲だからネタに最適と言い難そうだが、英語アレルギーの歌手志望が洋楽体験するには欠かせないのがあんだ。
それがSheena & The RokketsのLemonteaで、類型で他には「子供ばんど」のSummertime Bluesなんてのが昔あった。

前者は歌詞が日本語の別バージョンで後者は訳詞だが、曲や演奏と雰囲気は本場の皆のに限りなく近く演れるのがミソ。
後者は元は1958年のEddie Cochranのだが例に依ってロカビリー、じゃ無いRockとしてポピュラー化させたのはThe Whoのバージョンでこれはもう何番煎じか数えるのが億劫な状況。

こんな風に年寄りがごちゃごちゃ注文付けるからスタンダードが浸透しないんだって言われりゃ御免なさいだが、感覚的にRockの本質が身に付いてたら理屈抜きで勝手に何時の間にかそんな選び方になってるもんなんだ。
只今本邦ってどの分野でも情報供給に異様に偏寄が強くて、史実に反する処が多過ぎる。

その結果若い人が受け身だとありつけるべき曲に辿り着き難くなってて、これって一種の教育の粗相なんだ。
自力で探そうにもどんなのがあるかある程度知ってからじゃないと難しいんだんから、ベーシックの部分は誰であろうと勝手に情報操作なんてしてちゃイケナイんだけどなぁ。

今回の主役のThe YardbirdsってBeatlesやStonesと比べると、全盛期は短くメンバーチェンジも頻繁で明らかに一般知名度には劣ってる。
だがどんな時期にどんな理由でカバーされてたかに目を向けると、単に名曲だったからとは異なる側面が色々顔を出して来る。

それは比較的様々なスタイルにフィットさせ易かったのと、共通素材を用いる事で却ってスタイルの独自性がアピールし易かった等だ。
具体例の1つとして例えば生粋のRock ’n’ Rollerでも馴染み易く演り易いHard Rockだったとか、その逆も然りでたまたまジャンルの境界線上にあって橋渡しにも適してたとかね。

それ故唯聴くだけの人と演りもする人ではその存在に大きな違いが生じてて、単純に名曲として探すと実情より出て来難かったりするんだ。
何れにしても本邦でのこんな認識のズレもガラパゴス案件の範疇で、他国ではもっと一貫して知名度があった
らしい。

<つづく>

2021年10月19日 (火)

796 消失した個人的史跡➎

鉄道もだがこう見えてって実際どう見えてるか知らんが、かつてはそれなりのカーマニアだったんで前回後部のデザインの話しの続きをば。
この件には自動車と限らずブランド名やそのロゴ等との関係も深く、ポッと出の得体の知れない会社じゃ無いのを示すには大事な部分だ。

DysonやTESLAみたいに掃除機や電気自動車の大ヒットで比較的短期に名声を轟かせるのは稀だし、今の処良くても数年後にそれを維持出来てるかはまだ分からない。
だとすると折角長く続いてたならそれも凄い武器の1つなのに、我が国の大多数は目新しさにばかり翻弄されて平気で歴史や伝統を簡単に破棄する悪癖が多々見られる。

車のデザインには機能やサイズからの制約は確かに何時だってあるけれど、それだけで簡単に「良い形」を作れるもんじゃ無いと考えてんだ。
どんなデザインにしても長所と短所は必ず混在するんだから、「短所の場所を移動させる」だけでは質の向上なんて望めない。

故に結局は方向性や一貫したコンセプトってのが大切で、特に近年本邦ではそれを放棄したのが多いから低迷してるんだと思うんだ。
丁度新型フェアレディZが発表されたからこれを生贄として進めてくと、私的ではあるが価格とサイズの大き過ぎるのがホントは不合格なんですよねえ。

昔比だと日本でもサイズや排気量での税負担格差は縮まったが、未だ5ナンバーと3ナンバーの区分けに変更は無い。
外国では全く同じ区分って無かったと思うし、片や日本の道路の規格自体に根本的な変更は無いしね。

それからすると5ナンバーサイズで最高峰を目指すのにも大きな意義があって、幾ら一番売れるのが米だからって3ナンバーサイズにしちゃったら国内でのヒットは遠のいて当然なんだ。
で「巾だけ3ナンバー」ってんなら外車にも沢山あるから、色々不利が少なく無かっても独自の個性でもあったと思うんだよね。

3ナンバーに関しては他の多くのも含めて無謀な変更だったと感じてて、宅の車庫の巾を拡張不可能なんでより実感させられてんだ。
その上安全・快適装備の充実が必至だったにしても売値も高くし過ぎたから、他所を借りなきゃなんないとなるとユーザーには二重の負担増となるんだぜ。

大元は為替レートのご利益から安さで勝負に出てたとは言え、それだけでずっと賄えてた訳でも無いんだ。
それがかつて為替の影響の小さい地域での英国製小型車等との競争に現れてて、まあ今じゃあ部品も作り方も何処でもほぼ一緒になっちゃったけどさ。

売れて調子に乗ったか知らんがホントはその時から今迄の間にデザイン面等の研究を、もっと深く掘っときゃ良かったんだがサボっちまったのかな。
いよいよ昔みたいにゃ売れなくなって慌てて付け焼刃で弄り回した挙句、本来のコンセプトを失くしちゃったんだろうね。

Zの場合原点は車体はコンパクトカーサイズなのにエンジンはセドリックサイズってのがミソで、酷く単細胞な発想だけどそれが案外色々良かったんだ。
これって庶民が買えるスポーツカーとしては稚拙だが重要な手法で、スポーツカーとGTの両方の要素を欲張り過ぎたら駄目なのよ。

決して絶対では無いにせよGTってな基本金持ち用の車で、今だってF1カーにはラジオやフォグランプすら付いて無いでしょ。
確かに値段が近似なら装備の充実してる方が喜ばれるけど、幾ら至れり尽くせりでもあんなに高きゃそんなの当然やんけ。

海外じゃ極一部以外軽は売れないってのも俺には眉唾で、大ヒットは難しいにしても他国に作れない小ささってホントは凄い武器なのにね。
高価格でも大きくても構わんのなら日本より米等の方がその道のプロ、寧ろ燃費と壊れ難さだけで今の量を売ってるのは立派ではあるが…。

<つづく>

2021年10月18日 (月)

音楽備忘録795 他を出し抜く音創り③

近年の俺言い盛り過ぎ君達を辛辣にディスっちゃいるが、俺自身実は加工は積極的なのも厭わない口だったりする。
にも拘らず何故目の敵にするかったら盛りの基本を理解不足か軽視してるのが、私は無罪判決でしたからなんて顔して闊歩してるからだ。

って事って早速具体的なメソッドみたいなのを羅列してくが、音源が実在の物の場合例外時以外は完全に別物になっては無意味ってのから始まっている。
先に↑の例外に触れとくが端的に云や効果音等で正体が不明でも構わない時等や、わざと幻惑させようなんて時だ。

1.どんな楽器か判別するのに要る部分を損ねては駄目
2.その楽器固有の個性を消しては駄目
3.演奏内容が分り難くなっては駄目

とダメダメのオンパレードで禁則事項でが
んじがらめなムードだが、実際には「元を忘れて無理し過ぎるな」ってだけだからちっとも大変じゃ無いんでっせ。
寧ろ変な処にだけ固執して実際にはエラク無理してる方が、その時熱くなってるせいで余計な苦労をしてるのに気付けないで居るだけなんですよ。

ケース1:ひ弱なのをどうにかして逞しくする
現代のデジタルバーチャルを魔用すりゃ表面的にはかなり行けちゃうが、元からもっと逞しいのに同じ加工をされたら必敗だ。
もしそうなっても生き残れるとしたら少し別の価値観の提示等が有効で、逞しいと一言で言っても細部には色んなパターンが内包されてる。

全体として逞しいアンサンブルも、その内部で比較すると程度差のあるのの方が圧倒的に多い。
仮にLed Zeppelinを逞しいと仮定するとBONZOは最強だが、少なくとも内部比較ではJimmy Pageは最弱になる(おっと失礼)。

これが不思議なのは彼等が別人と組んだ際どうなるかで、BONZOは何処に行ったって剛力なままだがPage氏は
他所でだと強くはなくとも決してひ弱ではなくなるっしょ。
これを野球のポジションに置換すりゃBONZOは投手・Page氏は捕手みたいなもんで、後者は自らは剛球は投げられないって感じだ。

けれどそのBONZOが全く遠慮無しに投げ込めるのはキャッチャーPage君の時だけで、チームとしても他よりZep球団の時の方が思いっ切り行けるってね。
つまりアンサンブルになると「個人的に全員が逞しい」ってより、組み合わさった時にどうなるかが全てでね。

足し算思考だけに捉われず引き算や果ては掛算割算したらどうなるか、なんて発想の転換が先ず重要になって来るん。
もし全員がジャイアンだったら一寸上手く行かなかったらすぐ揉め出し自滅みたく、「噛み合わない逞しさ」だったら寧ろあった方が「チームの時」(アンサンブル)だとマイナスにしか作用せんのよ。

野球の試合って投手が凄きゃ点取れない→負けないから、より剛球が欲しくはなる。
でもそれを捕れる捕手が居なかったら宝の持ち腐れで、試合で実用になるのは名捕手も帯同してたらでしょ。

更にその先唯捕れるだけと配球や刺殺スキルの有無次第で試合結果が大巾に変わるんで、主役より目立たないってだけで内容的にはアシストだって同列な価値があるんだす。

そこでもしその時のアンサンブル内で「たまたま」弱者サイドに回ってたら、スーパーアシスタントを目指せば良いんですよ。
ここでは随時頻吠え「音楽は比較芸術」ですんで逞しいも繊細も、何かそれをスポイルしない程度の「そうじゃないの」と共存させとくのが最も有効な手段なんで御座居ます。

なので全体が逞しさを維持出来るなら、1つ位普通な感じのが却ってあった方が助かるんだ。
足を引っ張るのさえ気を付けりゃそれで良く、わざわざそれ以上に弄るなんて勿体無いのよ。

<つづく>

2021年10月17日 (日)

音楽備忘録794 Rockのスタンダード➐

大変長らくお待たせ致しましたで徐々に曲名も挙げてくが、先ずは汎用性と独自性のバランスにご用心なのだ。
ってのもスタンダードともなれば本家でもバージョン違いもありそうだし、カバーだって膨大にありそうだからねぇ。

なので体験的にも私的にも事情の無いヤツは、なるべく「本家の最初の」ヤツから取組むのがお勧めだ。
処で「事情」って何ったら、ワイルドに云やその後の知名度を得るには未完成だったなんてのだ。

例えばGuitarがああの時Bassがこうだから最高なんてので、最初のバージョンのには片方がまだ入ってなかったとかそう云うの。
これの判断は若干厄介だが単純な売上げより、登場後暫くの期間でのインパクトに主眼を置けば何とかなるよ。

これをThe Rolling Stones-Jumpin’ Jack Flashと、Deep Purple-Highway Starでご説明致しませう。
では前者から行くが本家Studio版と俺知り唯一のカバー以外のでは、厳密には曲のコードが一寸変わっちゃってんのよ。

見かけ上の相違点は主にあのリフへBassがお付合いしてるかどうかだけなんだが、これ次第で和声的にはリフ部分の響きが別物になるからだ。
一緒に動くと只のユニゾン・付合わなかったら所謂「Onコード」になるが、どんな曲どんなリフでも使える手法じゃないんだよ。

せやからユニゾンるなら他に幾らでも候補曲はあるし、ムード的にもサンプル的にも勿体無いじゃありませんか。
因みに唯一のカバーってのは特に今本邦じゃドマイナー超ヲタの、Thelma Houstonって黒人女性歌手のだ。(個人的には曲想に基づくと最も正統な進化形と自負してるで)

俺もそれなりに長く深くやってっから一般人には程遠かろうが、1970年前後にラジオでFENを聴いてたら音は知ってる人が沢山いた筈だ。
1曲全部では無いが大昔のエアチェックしたカセットに残ってたのからすると、当時はそれなりの頻度で放送されてた証拠に繋がってるね。

続いて後者のはStudio版とLive版の相違の典型的なので、前者も少し含まれるが厳密には曲の構成が違ってるんだ。
と言ってもパット聴きではIntro・Endingが僅かにってだけなんだけど、Bassistにとってはこれがかなり大きく響くんだ。

具体的にはSの方ではちょっとしたオカズが入ってるのが、Lで演られるとどんなに無理してもそれをタイミング的に押込められなくなっちゃうのよ。
こっちこそ少しヲタ臭くはあるが、「選べなくする」ってのはその分汎用性を損ねてんの。

手前味噌体験では結構大事な部分に聴こえたから折角習得してったのに、上記のでパーにされちゃってね。
それだけだったら未だしも無理に押込もうとしたもんだから、ヨレたかミスったかと誤解されたんだから堪ったもんじゃなかったさ。

えーこの様な悲劇を未然に防ぐには「バージョン違い対応」をしとくのが最良だが、網羅するには手間暇掛かるから原版を優先しとくのが最初には向いてると思うんだ。
人夫々最も印象深いのが違ったりするのは当然だし分かるけど、冒頭に記した事情の無い限りは原版としといた方が食い違わないで済むですよ。

したら事情のあったのとしてThe Yardbirds-Train Kept a Rollin’で記しとくと、Rock用スタンダードとしてならこれが原版で差支えないと思うが曲としてなら何と3番煎じなのだ。
1951年にTiny Bradshawが歌物Jazzとして出し、 それを1956年にJohnny Burnette & the Rock & Roll Trioがロカビリー化してた様だ。

ロカビリーだって大枠ならRockなのに何で本件にはそぐわんかったら、2番目のまでは「リフが未開発」だったからだ。
この曲は他にも実に色々あるからそれは次回とするが、歌メロのポテンシャルがそこ迄高かった感じが俺にはしないからそこは一寸不思議。

<つづく>

2021年10月16日 (土)

793 消失した個人的史跡➍

評価も価値もあってもとっとと何でも全替えって、日本ってどうして何でもインスタント主流なのかって時々思うんだ。
台風や地震がジャンジャン来るから、欧米みたいに作っといたってってのはありそうだけどさ。

色々事情があるのは分かるが、共感するには共通アイテムは無いよりあった方が良い。
それはなるべく現物であるのも重要で、各人の受止め感性の相違を補うのには尚更だ。

この面では我が国の今の首都圏ってとても不利と感じてて、お里が地方の人が羨ましい。
今この国若しくはそこに居る大勢は新しいのばっか求めてるみたいだが、俺言い「比較芸術の音楽」に携わってると一辺倒の愚ってのを強烈に感じるんですよ。

認知的「新」って一度知ったらもうお終いで、もし比べる対象が無かったらホント一瞬で「新の価値」は消し飛ぶじゃない。
そりゃ新しいのが全く無かったら淋しいしつまんないけど、逆も又真なりだと思うのよ。

今回は大袈裟に云や「都市の景観」についてだが、駅等象徴的な建築物についてひとくさりさせて頂こう。
今でも東京や上野の駅舎は旧来からのも残ってるが、それがある事で「上野発の夜行列車~」なんて歌も少しは昔の人に近い解釈が出来てるんじゃないかな。

尤も夜行の方が壊滅状態だし、乗車時間も車両も別物化したからその分は駄目だけどさ。
これで快適度以上に私的に注目してるのは、乗ってて直面する「暇な時間」の多少の差だ。

仮に乗車時間が20時間だとすると、大抵の人は全部眠ってなんか居られないじゃない。
それが6時間未満とかだったら上手く調整しときゃ、眠るだけでやり過ごせる可能性があるでしょ。

っても従業員を始めとする諸問題もあるからこっちは今では特例として、状況次第ではあるが駅舎位はランドマークの部分を残せなくはないと思うんだ。
乗降人員の大巾変遷があると厳しいけど、都会でだってどの駅も全部じゃ無いからねえ。

但し列車編成は長くなったりしてるしバリアフリーの都合もあるから、元の設計に余裕があったのじゃないと全部は難しいしそれは承知してる。
只象徴的な一部分だけとか建直すにしても固有のデザインはキチンと継承させるとか、それだけだって街固有の風景としては大いに意味があるんだ。

中でも気になるのは以前地上にあったのが地下化された様なので、見える処が減る分余計に「印し」の責任は重くなるのだ。
もっと範囲を広げればブランドロゴとかコーポレートマークなんかも同様に、ミレニアムとかほざいて浮かれて安易に変えたのは大失敗だったと思う。

カビ臭く思われたくない気持ちは齢取って以前よりもっと分かる様になったけど、どうせ新登場でブームになってる様なのには新しさじゃ勝ち目は無いんだ。
けど古臭い代わり知名度と浸透度では圧倒的に有利なんだから、それを活かすにも余程大きな転機でも迎えん限り半端に変えちゃ駄目なんだよ。

その結果古いのに伝統が破棄され深みを損ねただけとか、新しいって言っても数年前迄はそっくりなのがあったとかって情けないのが横行しちゃってるぞ。
こんなのも含めて最近は何処でもデザイン力の劣化を感じてて、前出自動車のド下手なアニメメカ擬きには辟易させられてんだ。

そんなのを本気で目指すんならアニメのデザイナーを招請すべきで、どの世界にだってその道の専門ってのがあるんだからさ。
引篭りのヲタ連中にコンペかなんかで参加して貰うだけでも、高額な給料払ってあんなに気持ち悪いのになったりゃしねぇっての。

<つづく>

2021年10月15日 (金)

音楽備忘録792 他を出し抜く音創り②

前回少々クドくやったのの具体例へ進めてくが、スタンダード曲に関しては別項でやってるからこっちではパスして楽器のへ
これに限ってはClassic系生楽器の人は断然有利で、ポピュラー系の人より大きく道を踏み外す心配が少ない。

筈だったんだけど最近はそうでも無くて、他ジャンルの録音音色に下手に対抗しようとして身を持ち崩し掛けてるのが少なくない。
過去作との差別化を図るには何処かがハッキリ違ってた方が良いし、世間一般の耳慣れてる音色に近付けて親和性を持たせたいってな分かりますよ。

只悲しいかな本邦では習い事で習慣化させられただけで、ホントに他のより明らかに好きだからClassicってのが多くないからなのかな。
自分が弾く時ゃChopinでも普段聴きは鬼滅の刃なぁんて調子だからなのかな、或いはポピュラーにもClassicの楽器が出て来るからなのか…。

これもし逆だったら誰でも一瞬できっと笑い転げる筈で、例えばギンギンFuzzのエレキでクールにナルシソ・イエペスなんてどうよ。
そりゃ上手い事アレンジでもすりゃ案外行けるかも知んないが、完全に譜面通りにだと多分流石にねぇ。

生Pianoだとあらゆるジャンルで使われてるし、中には全然違うジャンル同士ので結構似てるのがあったりはするよ。
でも「やり過ぎ・寄せ過ぎ」ちゃったら↑のと内容的には同じで、意表突かれた程じゃなかったからって無事で済む訳ゃないっての。

この際だから特定ジャンルを攻撃する意図は無いのを断った上で煽っとくと、万に1つも音色のせいでChopinをBilly Joelだと思って聴かれたりしてなwww流石にんな事ぁねえか。
またこのオヤジ突拍子も無いのをってお思いのアナタ、Billy Joelって限定的ではあるれけどClassicからの引用もあるから絶対無いとは限らんのよ。

楽器が完全ベーシックですらこんななんだから、ポピュラー系楽器だったら気を付けてたって元々危なかったんだ。
過去の実例としてLine録りブーム初期のBassの音程感や太さの喪失とか、On Micブーム初期のDrum Setブランド個性の望まぬ逸失とかね。

どちらも単体の新味に傾注し過ぎてたせいで、特にアンサンブル内でのらしさを殺し過ぎちゃってたな。
そう云や丁度その時期の1980年頃に音楽業界関係者の口からはやたらと「新しい」ってフレーズが乱発されてて、個人的にはとっても違和感があったのを思い出した。

提供側の意識は前のと全然違って初めてのだから新しくて良いでしょも、こっちからすりゃ新しくたって面白く無きゃしょーがないんだけどな。
近年本邦の乗物のデザインが一般用途対象のでも妙に挑戦的なのばっかになったのと似た様なもんで、全否定こそしなくもユーザー全員が奇抜さを求めてるとは到底思えんのだが。

冷徹に断罪しちゃうと「流行と云うプレッシャーに完敗した」+「デザイナーのエゴ」で、結果的に模倣だけでオリジナリティが欠落とね。
それでも生活必需品だったら使って貰えるかも知んないけど、ある意味プラスα部分だけが売りの音楽ではそうは行きませんよ。

その代りシートベルトの付いて無いクラシックカーじゃ危なくて高速道路に入れて貰えんのと違って、音楽だったらベルト無しの車やノーヘルのバイクが制限速度を無視して高速を爆走してる様なのを今でも何時でも演れちゃうんだ。
その代りⅡでクラカーはどうせ高速入れねっから100km出なくても困らんが、音楽の方ではそれじゃ表現し切れなくなるからOut。

で 楽器音色ならワイルドなのに細密過ぎたら、爆速は確かに出てるけど万全の安全対策施してるみたいになって↑は遂に達成されずってね。
Popsで音圧高過ぎるのって、街歩いてたら暴走車が歩道に突っ込んで来たみたいに感じるのは俺だけかい!?。

<つづく>

2021年10月14日 (木)

音楽備忘録791 Rockのスタンダード➏

今日はここ迄の補遺から入るが、その1はパートに依ってもルーツに時間差のある問題だ。
お次のその2は世代等に依る認知度の差で、この2つのどちらもクリアしてるのが生粋のスタンダード!?となる筈なんだが…。

概記の如く一度に全部の様式が固まったケースは少ないんで、集った全員に公平にとなるとジャンル的ルーツのよりは後年のの方が相応しくなる。
俺の場合は受け身の趣味となったのは1960年代終盤・自ら演り出したのは1970終盤だったんで、テクノやフュージョンにはまだ完全なスタンダードは存在しなかった。

たまたま当時その方面へは興味が無かったから苦労しなかったが、その代り自分の興味よりも古い方へ付合わされる事は少なく無かった。
世代的には聴き初めが早かったから趣味は古い方だったのに、相手が親に感化された様な連中だとロカビリーやGSもやりたがるからこっちは食傷気味なんて事も。

予め差別意識皆無なのをお断りの上で申せば、当時は正直な処地域的な時間軸のズレがかなり感じられたりもしたんだ。
これは主に供給側の事情に依るもので音楽と限らずドラマでも何でも、昔は全国同時配信出来るのはNHK位しか無かったからね。

そうなるとハスッパな新参物は取上げてくれても民放の方が先になるが、当時は首都圏と地方で局数(若しくはチャンネル数)からして違うんだからミュージシャン側は完全無罪なのだ。
これから何処のどなたとでも即Jamりたかったら、かなりレパートリーに巾を持たせとかないとって学ばされた。

今では全く状況が異なるからこれはもうチャラかと思いきや、よく良く考えるとスタンダードには別に重大な側面があったのよ。
例に依って馬鹿みたいに原始的レベルの話しだが、昔からあったの程知ってる人が多いってのは動かせない事実だわね。

なので演り出したばかりの若い人には一寸酷かも知れないけど、許容出来る範囲でなるべく古いのを知っとく程効果的なんだ。
近年のだって大流行したのだったら知れ渡るのはかなり早いけど、流行に興味の薄い人が居たって罪じゃ無いんだからさ。

続いて世代間等案件については無関心過ぎちゃ芳しく無いが、やたらと気にしても仕方が無いと最近腹をくくった。
又々とか言っといて30代40代の頃は結構悩んで無理し掛かったりしてた口なんだが、○○何年に○○歳なのが違うだけでも厳密には溝は埋めらんないだよなぁ。

これって年寄りにしか実感出来ないのの1つで、体験量が積もって来るとどうしたって新鮮に感じられる物は減ってっちゃうんだ。
どぅわがぁしか〜ぁし他の様々な分野での状況も見ておくんなまし、どんなに自分から遠くにあっても骨格を成してる部分を省いて先には進めないでしょ。

年上が年下に向けて提示するからとっても誤解され易いんだが、この件に限っては年寄りのご都合主義なんかじゃないんだすよ。
例えば自動車のタイヤってかなり進化して巾広にはなったけど、ゴムの代わりにウレタンとかに置換えられてるのはあってラジコンカーの一部とか位でしょ。

コンピュータですら本邦過去称では電子計算機とか電子頭脳とか言ってただけで、一般人が直接触れられる機会は皆無だったものの俺が生まれるよりずっと前からあった物だ。
大昔のビル丸毎1棟とスマホじゃ姿は似ても似付かないし主用途だって随分違うけど、今だってスパコンみたいに極限性能を求めりゃ広い部屋丸々位は場所取ってんのよ。

<つづく>

2021年10月13日 (水)

790 消失した個人的史跡➌

今回は無くなった贔屓の食べ物屋を挙げてくが、音楽備忘録の冠をタイトルから外したのはこんなのの為なんてね。
ここから益々ローカル度・ヲタ度共深くなっちゃうが、だからこそ好みの味を人に知って貰いたい時にとっても困ってんだ。

最初に只のノスタルジーとの区別例示に昭和40年代末頃京葉道路船橋インター近くにあった2店を挙げとくが、フナショクレストラン(元締めはパン屋)とワールドレストラン一条(こっちは元旅館)だ。
前者はメニュー豊富でリーズナブルだが、旨い食堂より俺には全然格下の味で差し詰め俺言い「灰歴史」。

片や後者は人生初の本格洋食・イタリアンで、それがキッカケで洋食ヲタに開眼した店だった。
のでここでは後者タイプのみ扱う事とするが、何れも是迄同様屋号はおろか建物の痕跡すら無くなったの限定とする。

取敢えずジャンジャン出してくが寿司であれば両国の緑4丁目交差点付近にあった緑寿司、あんなに「キレ抜群」なのには後にも先にもお目に掛って居ない。
日本的な洋食屋なら比較的近年迄千葉にあった「ほてい家」レストラン、これは珍しく無くなる前に一度だけ再訪している。

だがかつての全盛期にエレクトーンの生演奏のあった部分は、既に影も形も無くなってたし現時点で閲覧可能な口コミ等にも一切触れたのが無い。
現況は閉店理由が建物の老朽だったからか、やはり跡形も無くなってコインパーキングになってるみたいだ。

この第2弾の前者ので困ってるのは、キレキレだとお寿司ってどんな風に美味しいかの説明に窮してる処。
後者の方では味やメニューもだが食事の場で、BGMの「状況合致度」でどれだけ違って感じられるかを提示出来なくなった処だ。

おっと何気に音楽を外したのがこれでは無効化させちゃってるが、インテリア等半固定の物だけでは場の雰囲気の最適化が充分とは限らないんだ。
特に無意識で佇んでる際はこの影響って甚大で、しかしその時のそこの奏者が特別長けてたのかその後何処で体験しても全く足元にも及んでいない。

例に依って妙な発想だが当時の千葉って今よりずっと東京に遜色無く栄えてたが、田舎っぽさでは歴然だった。
そのお陰で履歴より音自体で奏者が選考された可能性が感じられ、場所・建物で銀座とかに完敗してる分を少しでも補おうとしてたんじゃないかなんてね。

都心より儲からない!?中から出費するんだから、よっぽどムードを作れる人ででも無いととかさ。
お客さんもカッペ主体(失礼)だから曲自体の洒落たののリクエストも期待薄で、ムーディー演奏力の必要性ではそんな環境が最も厳しそうだよね。

最良はそのまま継続ではあるけどこんなに年月が経ってりゃ仕方無いとして、痕跡の有無だけでも受け手の印象差がありそうで気になるんだ。
要するに時計での世界標準時みたいに確固たる基準があったなら、どれ位凄そうかだけでも少しはイメージ出来るのにね。

似た様なの近いのも全然見つからんとなると証明は勿論、程度や方向性も口頭でしか伝えられない。
中でも方向性で類例の無いのが厄介で、大昔とは言えたかだか数十年の経過で下手すりゃおとぎ話を上回るんじゃ敵わんじゃないですか。

それ以上に個人を度外視しても気になるのが、クウォリティの向上に関してだ。
何処迄行ける可能性があるかあったかって大変貴重な情報で、バブルの儲けがロクに有効活用出来なかったり幾らも残せて無いのにも繋がってると思うんだ。

良い方でなら「兎と亀」悪い方でなら「懲りる」って必要だと思うんだけど、その為のネタを逸失してたら上手く機能しなくなっちゃうじゃん。
ささやかな個人の記憶に過ぎなくても、忘れるべからずとか維持すべきのってあると思うんだな。

<つづく>

2021年10月12日 (火)

音楽備忘録789 他を出し抜く音創り①

従兄がTwitterで過加工録音の事をドーピングだなんて、絶妙な表現してたのから着想!?を得た。
余の辞書にはそもそもがほぼ原始人であるからドーピングなんて概念すら皆無だが、積極的に攻めるのと何時から何処でどう取り違えちまったんだろう。

なんて考えたのは罪の意識があれば無いよりゃ少しは加減しそうだからで、あんなに誰もが平然と盛れるのは意識が全く無いからなんじゃないかってさ。
私的にはそれを更に後押ししてるのが楽器音色の劣化で、現行の多数派のは俺にすれば「やり過ぎて失敗」としか思えないんだ。

近年みたいにサプリメントなんて一面で微妙なのが蔓延して来ると、薬をお菓子か何かと無意識下で混同し易くなってそうだ。
音楽界でも音加工が操作上は簡易化したのを、加工自体が簡単になったと是又無意識下で勘違いしてる人が増えたのかな。

プロ野球界(特に米)でもイチローの登場寸前迄はルールの遅れもあったがドーピング全盛で、罪の意識が希薄化したのはアル中・ヤク中同様精神神経面にも何らかの中毒症状をもたらしてたのではと疑っている。
結局これ等は全て「旨過ぎる話しにゃ気を付けろ」の典型だっただけなんだが、スポーツや音楽で道具も使うものだとそちらの悪進化もあって主犯の特定が困難だったのもありそうだ。

さてここからRock界を中心に掘ってくが、例えばGuitaristだったら過去よりアコギに触れる機会が減り過ぎてるのが1つの危機を招いたと考えている。
Drummerだったら音色を創り過ぎてくれるバチやセット、Keyboarderなら生のより動作不良の出ない電子楽器の頻度が高過ぎたとかさ。

電子機器にだってエラーはあるんだけど、機械部分でたまたま運悪く引っ掛かっちゃったみたいなのは殆ど起きない。
かつて野球界では圧縮バットや飛ぶボールなんかで打ち損じてもホームランなんてのがあったが、それを普通にしちまうとアスリートの技は低下するんだよね。

極端例で比較すりゃ一目瞭然なんだが、もしバットが空を切りゃ全く効果は無いっしょ。
つまりアシスト量が多いだけで多い程助かるし楽にはなるけど、俺だとどんな凄いの使ったって三振の山にしかなんないって。😢

なのでその手の明確なルールが無い音楽界でも、本番にならスーパーアシスト君を使っても練習時だって何時もじゃ腕が退化して当り前でんがな。
それプラス人間の感覚って習慣の部分も少なくないから、聴くものに偏りがあるとそっちへ知らん間に引きずられてるん。

これを好きなのに没頭して特化するのと勘違いしてる奴が多くて、特に近年本邦では世間一般人にもこの傾向が強く伺えるから事態は深刻じゃい。
働かない某与党に洗脳されてコロナで死にそうになっても盲信してるのと似た様なもんで、興味が無いから余計に騙されてるのに気付けないってロジックね。

結婚したい人だったら浮気性じゃないか確かめたいが、無興味の赤の他人だったらどっちだろうと知るかってさ。
そりゃ確かにこんなの取っ掛かりは自然現象なんだけど、その時点では無事でも絶対に未来永劫無縁で済むって保証迄は無いんじゃね?。

故に大したリソースは割く必要は無いが、折角知った最低限の情報迄スルーしてわざわざ消去せんでもええやんか。
拙ブログではこの方面過去にも知らんで最新のが出来たと思ってて、後でもっと色々聴いてみたら最古のにクリソツだった悲劇とか話したしっと。

だから何でも一通りは…ってのを大袈裟に考え過ぎるから尻込みしたくなるだけで、取敢えずは大ヒットしたのだけでも新旧に捉われず一通りを流して聴こえときゃ良いんです。
楽器に関しても同様に色々制約や限度はあるが、最もベーシックな奴に適宣で随時触れといて「そもそもはこんなの」ってのを完全失念しない様にさえしときゃOKよ。

<つづく>

2021年10月11日 (月)

音楽備忘録788 Rockのスタンダード➎

今回はBANDセッション向け共通認識曲の概念に触れてこうと思うが、その分類がとっても大変だ。
そもそも一口にRockと言っても、ロカビリーやRock ’n’ Roll迄含めるのかがそれだけじゃ曖昧だ。

しかも普段どんなのを演ってたからって、気紛れで他ジャンルの曲で遊んだって構わないんだしね。
最終的にはジャンルも担当パートも無制限で何でも知ってりゃ最強で、だけどそんなの幾ら頑張ったってかなり時間を掛けなきゃちっとも近付けやしない。

そこで提案したいのは合奏専用のと各自の専門のを分けて考えとくってので、非専門のは滅多な事で本職さんには敵わないだろうしね。
それでも非専門曲でもエッセンスだけはなるべく押えられとくと、センスの良さはアピール出来るだろうしより合奏し易くなるんじゃないかな。

その際大切なのは細かいフレーズの正確さより全体のイメージとなるんで、取敢えず音を全体として覚えとければそれで良い。
たまたま興味が湧いたら少しだけコードを探すとかもアリだが、分析脳では無く飽く迄感覚中心としとくのがコツだ。

もっと凝縮表現にすりゃ「聞いた事あって知ってりゃOK」で、原版忠実へ拘るならアンタがそこで弾いて無い限り演っちゃ駄目ってなもんだ。
弾き手が違って「同じ雰囲気を得る」には調整が必須で、体も心も違ってんだからそのままトレースする方が元からは大抵却って遠のくでしょう。

奏法技術等の習得の為にならトレースだってアリだけど、原典の人は何の為にそんな技を駆使したのかよう考えてみなはれ。
例えばその曲のその部分に「甘じょっぱい」のが欲しいと感じたとして、理想に近い「味」を出す為に選んだり加減したに過ぎないんですよ。

合奏相手が自分以外皆本職だったら「良く拾ったね」と褒められるかもだが、門外漢の人には「聞こえた感じ」が違ったらそのせいで何の曲かすら分かって貰えん場合も少なくない。
持合せてる才能の如何に依ってはこの限りでは無いが、物真似上手とオリジナリティは共存させ難いもんだ。

それを可能化するにはアンサンブルのアプローチから変える位じゃないと厳しく、大昔の「のど自慢」で伴奏は全てアコーディオンの独奏みたいな切り口とかね。
なので私的にはJam Session(即席合奏)では、各自の個性がなるべく発揮された方が価値が高いと考えている。

加えて他流試合とか道場破り的要素も含まれりゃ、歴やスキル差が大きくても合奏出来た方が良い。
となるとそれ用の素材たるスタンダード曲はシンプルなの程相応しく、この面では「聴き専」の人達とは真逆の価値観が必要だとも思う。

高度な曲を難無くこなせると羨望を得られたりもするが、それで自慢出来るのは作れるかは不明なんでせいぜい技術面の一部のみだ。
勿論必要時になら演っても良いが、音楽で先に要るのはテクより個性や表現力とかだからねぇ。

然も無い曲を素晴らしく奏でられたりするのが「真の演奏力」で、他人が書いた曲を演るならチョイスやアレンジのセンス以外は意味を為さない。
弾かないんであれば寧ろ選択以外にやれる事が無くなるから、その凄さを誇示しても問題無いんだけどさ。

とは言えRock内でもジャンル次第じゃかなりテクの要る有名曲も少なくないが、一部例外を除くと曲自体をやるだけならハードルの高いのは少数派だ。
ここでの例外とはEdward Van Halenが独奏してる様なヤツで、尤もこの手の多くは合奏にはどうせ使えないよね。

そりゃ折角の見せ場ならどんなのでも期待通りかそれ以上に演れるに越した事ぁ無いが、殆どの場合今やってるセッションが「本家のオーディション」じゃ無いのを忘れん方がええで。
有料Liveでカバー曲やると著作権使用料が掛るし本家を凌ぐのも中々大変、それからすると他人の凄いのよか「自分独自の凄いの」の方が遥かに求められてるんでっせ。

おっとついプロ志向の前提で行っちゃったけど、至上のコピーを目指してるんなら上記とは当然真逆になるよ。
只これも上記に倣えば差し詰め「分家のオーディション」みたいなもんだから、本件だとレアな方に入るんじゃないかな。

アマだって決してオリジナリティが不要では無く、プロとの違いは腕不足でも活動が続けられるだけなんじゃない。
寧ろそんなに売れなくても構わんからこそ、とびっきりコアヲタなスタイルにも出来るんだら。

<つづく>

2021年10月10日 (日)

787 消失した個人的史跡➋

続いてその専門学校時代の下宿先をお題とするが、その建物も俺が離れて数年で消滅した。
せめて校舎かどっちかが残ってりゃ良かったが、両方無いとなると他人には無かった過去も同然ったら言い過ぎだろうか。

その建物はALC板(気泡コンクリート)で作られた4階建てで、その名は「代々木アビタシオン」だった。
そもそもはウチの親が近所迷惑解消を兼ねて俺を隔離するのに部屋を借りただけだったんだが、そこの大家さんの意向で下宿&強制弟子入りとなった過去プチ洩らしのアレだ。

この大家さんこそがスピーカ屋のオヤジ兼音楽業界師匠の大菅保氏(おおすがたもつ)で、ビル化以前は奥さんの両親が経営する下宿屋だったらしい。
それを先代の高齢引退と師匠の転職・企業を期に建替えたらしく、下半分は会社と大家さん達の住居となっていた。

そんな状況から生系楽器単体音程度迄なら、昼過ぎから午前0時迄は出してOKだったのは特筆ものか。
しかしその代りか強制的に入居者が学生なら下宿扱い、音楽に関係がある者なら弟子と勝手に定めてたんだろうか。

これが解体となった原因は師匠経営会社の倒産で、解体以前に負債返済の為に売却した様だ。
その会社ってのがスピーカを中心にMicやLM小物等を設計製造してた、ANSWER ACOUSTIC LABである。

本業はスピーカ・次点でMicだったがOEMが多目だったのと、エンクロージャも含めた完成品でのヒット商品に恵まれなかったからかフルの社名すらさっきググって出たのはたった1つキリだった。
画像も出て来るのとなると末期に出したエレキ用トレモロユニットのShift 2000っての位で、これに掛った膨大な開発費が回収出来ず終焉を迎えた。

社長(本人指定で普段は間借り人の俺もそう呼ばせられた)は早稲田理工学部卒の元はJazzのSax奏者で、今にしてみるとLM関係を扱うには一寸感覚がズレてたのが敗因だと思われる。
技術的には先進的且つ斬新で優れてたものの、今一見た目も音も「らしくならなかった」のが不味かった。

Jazz屋からすりゃRockにも手を出すしRock屋からすりゃらしくないしで、結果的に継続的愛用者を生めなかったのが俺言いググりハズレに繋がってるらしい。
けれども全盛期はかなりあちこちに出回ってて、輸出も隆盛だったのからするとあまりにも記録が残って無さ過ぎる。

因みにここのスピーカユニットの特徴を並べとくと、当時他社比では小型の割に高能率・広帯域・高耐音圧且つ低歪みだった。
但し一寸やり過ぎもあったか巨大な磁石の重量(主に慣性)に負けて、フレームが変形なんてのも時々あったが。💦

師匠のミュージシャンとしてのハイライトは本人談では水原弘Rock擬き(失礼)時代のバックのレギュラー、シャープス&フラッツのトラだそうだ。
だが団員だったビッグバンドのブルーコーツの過去在籍者名簿でしか、何処を探してもクレジットすら出て来ない。

俺個人は作品と生実演の比較で偽称や誇張でないのは確認が取れてるが、ネット時代前夜だったからか画像の類も一切見つからない。
で この件で俺にとって致命的なのは「3無い状態」な処で、人物・会社・建物のどれもが出て来ない処だ。

1980年代前半に楽器屋や問屋に居た者なら覚えてれば全員知ってる筈だが、今となってはこの有様。
どうせ大して有名じゃ無かったんだから同じと言われりゃそれ迄だが、幾ら俺が怪しい奴にしても詐称する様な奴と思われたら流石に悲しい。

関係者数も決して多く無いだろうから貢献度は僅少そうだが、今日もここで誰かの万一の為に証言を記しとこう。
昭和の末期15年間位代々木は山手線の線路っ傍にANSWER ACOUSTIC LAB社は実在し、’80年代中期以降は山梨県都留市に工場もあった。

因みにⅡで強制就職回避の為に身代わりで押付けた親友が工場の方へ数年常駐してて、お呼ばれした際田舎のオンボロの木造の広い借家?(工場)を案内された事もあった。
本社の方は俺は住んでた間は勿論当時極近所に住んでた従兄とか俺の身内は、割と頻繁に手伝いや実験に駆り出されてたよ。

音響と音楽で社長は先輩格に当たるとなると、昭和の序列では普通の理由じゃ断るなんて選択肢は無かったんだ。
でも今になればお陰で「本場の体験」が自動的に積めちゃってて、無形の財産としては大いに役立ってるんだけどね。

<つづく>

2021年10月 9日 (土)

音楽備忘録786 風変りなMic位置+魔流用 続・番外編

しかし正直な処それ迄の使用状況から、個人的にはもう少し見込みがあるかと思ってたんだけどねえ。
決してOn Micじゃ無かっても3人でガンガラ演ったのを録ったので、歪みそうな兆候は全く見られなかったんで…。

けど改めて良く思い返してみると長時間記録の為にレートを落してたにしても、何だかあんまりデジタルで録った感じじゃ無かったんだよね。
ヒスノイズ(テープ特有の「シ~」)こそ皆無も、並の動画のとかよりゃ遥かに昔のカセットで練習録ったのに近かったかも知んない。

それがもしかしたらエレコンユニットで軽く歪み始めてたせいかもで、現代水準のポータブル録音機を俺が持って無いから気付けなかったのかな。
因みに従兄所持のってかなり昔の初期のモデルで、プチ調査に依ればその後数回改良されてる様だった。

現行品のには最大140dB対応と端っから宣伝文句に並んでて、それであれば今時のJ-POP Drummerだったら余裕がある筈だ。
折角だから具体的な程度を例示するとして、管球式NEUMANNでもBONZOだとOnにするとちょっち歪んでた。

今度のは概知な上キチンと調べたデータだがNEUMANNは管球仕様のだと耐音圧はどれも135dB前後で(非モディファイ)、「耳に簡単に感知出来る歪み」は大凡10dB以上位のオーバーになる。
それからするとBONZOの至近ピーク音圧は145~155dB程度と考えられ、現行の最爆音対応のMicが155~160dB程度に設計されてるのが実に適切で納得出来るってもんだ。

なのでこのオッサンみたいに無駄な爆音出す様な奴じゃ無きゃ、現行品のZOOM(アプリのじゃないよ、念の為)の4以上のなら今回方式でも何とか収まるんじゃないかな。
因みにⅡで過去の非力Setでの元気な若い頃の従兄は最大瞬間135dB程度で、俺は現用ダイナミックMic(公表値最大140dB)で一応セーフなので恐らく145dB程度だと推定される。

ここで例に依って誤認回避をさせて貰っとくが一般的に使われてる「出てる方の最大音圧」はRMS=実効値なんで、瞬間最大はピーキーな音源ではそれより大きい事が多い。
↑従兄のは宅の防音室完成検査の試験で業者が測定(音源からの距離2m位)した約125dBに基づいた値で、電子機器等の絶対定格以外では大抵はピーク値で考える必要が無い。

それともう1つだけ前回試験「バラMic」のと違いがあったのが、バスドラとSnareの音像定位だ。
前回のは2つのBD打面側上角に夫々に1本づつ設置してたんで、Snareは見事にセンター定位だが他と比べてBDが左右に別れ過ぎな感じだった。

条件的には今回の方が厳しいにも拘らず、想像してた程Snareが偏らなかったんだ。
確かにタッチとスナッピーは右(従兄は左利きセッティング)だが、胴鳴りはほぼセンター。

って一寸変態的ではあるが全部が寄って無いだけでも、分析耳で聴かなけりゃ結構ご利益があるもんだわねぇ。
尤も従兄は頑ななBD・SDセンター定位は望んでおらず、古い作品に耳が慣れてるとそんなに気にならないのも確かだ。

厳密にはバスドラの真正面にSnareがあるなんてほぼ無いのに、Drumsetのかなり近くで聴いてても前後方向なら兎も角左右のズレなんてほぼ感知出来てないでしょ。
それと限られたMic数で近くに構えると必ず生じる案件なんで、その奏者が両センター定位を基本スタイルにでもして無い限りは大した問題にはならないんじゃないかな。

最後にこの件での従兄のリポートメールで、印象的だった一言を参考に添えとこう。
少なくとも彼にとっちゃ「一番邪魔にならない位置だから常設しとこうかな」だってさ、あっ勿論歪まなかった方のMicでよ。

<終>

2021年10月 8日 (金)

音楽備忘録785 Rockのスタンダード➍

続いてはエレキGuitar以外のRock的始祖へ進めるが、肝心な歌唱法については敢えて後回しとさせて頂く。
人の肉体って楽器より進化がとても遅いのもあって、革新的なのが現われたのが大分後になってからだったんでね。

本日のトップバッターは生Pianoで、Jerry Lee Lewis,Little Richard,Fats Dominoの3名を提示しとこう。
記した順に奏法への影響が強くその逆がヒット曲の数となってるが、元はClassic用に作られた楽器をそのまま使ってるのにってのが凄かった。

但しRockルーツのや黒人系のジャンルでは既に近似なのは登場済みで、後の電気・電子鍵盤楽器みたいにサウンドからして別物って程の特異性には恵まれていない。
けれども弾き語り形式で演っても、ちゃんとRockに聴こえる点が看過出来んからの選出だ。

処で前回迄ちゃんとRollが付くのは選外にしてたのになしてったら、Rollが取れた後もPiano奏法には大した変化が無かったからだ。
確かにCombo Organのの多くやPianoでもBeatles位以降からもっとシンプルなのも増えたが、更に後のシンセみたいに鍵盤は片手でしか弾かないみたいな違いは基本部分には生じて無かったんでね。

さてここ迄が大凡1950年代スタートので残りのパートのは’60年代になってからのになるが、その訳は概述と上記等が原因だ。
この手の話しは基準の設定次第で様々な分類があるが、本項では「根本的な使い方」に着目している。

例に依って若干遠回りアプローチになるが、最近のJazzだと無遠慮にバスドラをドカドカ踏んでるのも散聴される。
Jazzは自由至上だから無しと迄は言えないが、俺にはそんなやり過ぎ君のは無粋な印象を受けてしまう。

Bassも含めたリズム隊で積極的にバスドラを鳴らした開祖のRingo Starr、彼等のは従前比だと数は増えてるが意味無く鳴らしてるのは皆無なのが違ってんだよ。
それ迄のとの最大差は「リフ化」させてた処で、しかもそのパターンが無尽蔵(実際は奏力その他で色々制約もあったが)だった処だ。

ClassicやJazzとRockや近代PopsでのBDの使われ方の違いって、前者はダイナミクス・後者はフレーズの変化に特徴がある。
Ringo以前のRock系ではこれが曖昧ってか定まっておらず、視点を変えりゃ脇役から主役級に昇格したとも看做せなく無い。

Drumパターンだけでどれくらい曲が特定出来るか、なんて聴き方をして貰うと理解し易いんじゃないかな。
そりゃ音程面で不利な分太鼓単体では他パートには及ばんのも少なくないが、Bassとセットで聴けば特定出来ないのの方が僅少だ。

んでそのBassの方もPaul McCartney以前にだってそれなりにパターンはあったが、Bassだけでこれはあの曲しかあり得ないなんてのは一寸思い当たらない。(リフやメロを弾かせてるのは除く)
杜撰大王だから失念がありそうな気もするが、同じ人が何曲もとか多彩なバリエーションってのは無かったのを保証出来る。(基本的な伴奏時に於いて)

このリズム隊の革命はRockよりPopsへの影響が大きかったとは思うが、Bassが何らかのメロディを担ってもOKって部分はRockにとっての方が一大事だったと思うんだ。
エレキでだって例えば可愛らしいリフを奏でられなくは無いが、それをオルゴールにやられたら勝ち目ゼロ。

その代りRockみたいにかなり歪ませるのも許して貰えれば、音色面でワイルド方向では圧倒的に有利だ。
但し歪ませればその分総体的には細部の聴き取りが悪化するから、比較的シンプルなリフでも構わないジャンルじゃ無いと活用し切れない。

現実的には上記事情からリズム隊の歪ませはRockでも少数派に留まってて、Guitarの歪ませ方の工夫でかなり聴き取り改善が図られてる様な訳にも行かない。
処で英ばかりじゃ無く米でも同時進行でThe Booker T & MG’s辺りからこれが顕在化し出してたが、Beatlesでのこの手法のルーツは米の黒人系のにあった。

だが上記2団体!?以前のは以前からの手法のと混在してたし、意図的にグループのアンサンブルのスタイルとして打ち出しては居なかった様だ。
なので深く追及したかったら例えばRay Charlesとか、昭和日本式ならソウル・今ならRhythm&Blues系等のを聴かなきゃ足りないが黒さ不問なら必須では無い。

但し近年本邦のR&B(アールアンドビー)は名称とは裏腹に内容差がかなりあるんで、教材としては個人的には非推奨だ。
単に聴いて楽しむのに問題がある程じゃ無いが、ルーツの継承とか伝統の維持等の面で重大な欠落が見られる。

かつてBlue-Eyed Soulなんて俗称があったのと似た様なもんで、この呼称が生まれたのも当事者の人種差のみならず違いが内容にも及んでたからだ。
なので俺言いに翻訳すりゃR&BよりYellow-Eyed Soulとでもしといて貰いたい処だが、英語圏に顧客が居ないから叱られずに済んでるのかな。😅

因みにどう考えたって俺じゃ非ウルサ型には入れて貰えんだろうが、こんな風に呼称へ少し拘るのは「ガッカリ防止」に繋がるからだ。
どうせ勝手に略す位なら前例に倣って頭に追加して、せめてJ-R&Bとかにしといてくれたら助かったのに。

<つづく>

2021年10月 7日 (木)

音楽備忘録784 風変りなMic位置➏

前回は愚痴だけ宜しく傾向と対策が分離しちまったが、Mic位置での補填について記してこう。
低音以外の拾い方は基本的にノーマルで、注意点があるとしたらスピーカユニットの指向性位だ。

いきなりの処でだが近年はダクトの他ユニットが2Wayのも少なく無く、それへ素直に対応させるなら机上理論からは更にツィータ専用のMicを追加すりゃ良い。
尤も現況俺自身はそんなの試す気すら起らず、将来他に手段が枯渇でもしたら考えるかもって感じだ。

その訳はたかが3つでもそこ迄細分化すると、後で正確に混ぜるのに耳依存では困難になるからだ。
前回述の如く楽器Ampスピーカはリスニングポイントの設定が遠目のが多く、狭いハコではそれだけ離れて聴くのが厳しい。

その上分割数の多いのに限ってより遠距離用のが殆どなんで、本来の音が把握し切れないんじゃ正確もへったくれも無くなると。
体験的には所謂ステージ用のだと最低でも4〜5mは離れたいが、定在波回避の為に長方形のハコの短辺側へ向けて設置されてる事が多いので中々苦しいのだ。

尤も最近のはエンクロージャをより小型化出来るバスレフタイプの方が増えた分この件は緩和してるが、ツィータが高能率の為に指向性が鋭い分でそれが付いてると大分キャンセルされてしまっている。
とは言えそれでも何とかしたいのも少なくないんで具体内容へ進めると、ダクトへ構えるMic特有の注意点は先ず「吹かれ」だ。

ホーンでもポートでも断面積が狭くなる程、そこからの風は勢い良くなっている。
それに対し低域用Micでは例え爆音対応のダイナミックタイプでも、Vocal用みたいなLowCutは出来ないから元々吹かれには弱ってるんだ。

なので一般的なOn Micは比較的振動面に対し垂直にするのが普通だが、横迄は行かずともせめて斜めにして中心点が直接重なったりしない様にしとく必要がある。
これの安全確認の方法としては「ダクトの共振周波数」でテストするのが相応しく、共振帯域を外れると途端に音量が低下するんで普通のスピーカユニットと違って低音ならなんでも平気って訳には行かない。

一方大断面のホーンとなるとOnでも吹かれの心配はほぼ無くなる代わり、点収音では必要量の確保が困難化する。
こっちは過去に宅で体験があるからそれ例に進めてくが、「出てはいるが小さ目」ってのに色々と煩わされた。

宅のはバックロード式としは最小のだが、そうでなくてもユニットとホーンの距離って大して離れて無い。
これがバスレフだったら背面ポートのもあるが、ホーンだと裏で拾っても前から出すのしか殆ど無いからね。

そうすっとホーン開口部でもユニットからの音の方が大抵大きいんで、不要な中低域が盛大に混入しちゃうんだ。
どうせ混入するならそれを逆手にとって1本で賄おうとしたっけ、中域迄は良くても今度は指向性の鋭い高域が全然拾えなくなって駄目だった。

この時点で後は2本でホーン用のの混入を減らす策を講じるしか無くなったが、その時はホーンのかなり「奥深く」へMicを突っ込む事で何とか切り抜けたんだ。
尤もダクトが「折り曲げ型」なんで外部スタンドでそれをするのはほぼ不可能で、一旦スピーカユニットを外してエンクロージャ内部にクリップ式のホルダでMicをマウントするって大掛かりなのになっちゃったよ。

どうだいここ迄来りゃタイトルに全く偽り無しだろ、ってそんなに手間が掛るんじゃ実用性に乏しいよね。
その点ホーンでもフロントロードだったら出所は一致してくれるが、ローエンドと限界高域では指向性が極端に異なるからもしかしたらもっと大変になるかも知れない。

指向性って点収音だとそれ次第で音量差が表れるんだが、それは密度の分散度合いが違うからだ。
揺すられた空気を全部集めて拾えりゃそうならないが、バウンダリタイプのMicだって振動板面積の広さなんてタカが知れてるっしょ。

昔みたいにBassに高域が無くても良きゃ、後面開放型の裏から拾うなんて文字通りの裏技も使えたんだけどね。
今だと裏を使うにしても表にも1本無きゃ駄目で、それをやるには裏Micの位相を意図的に反転させなきゃなんなくなるから結局昔より面倒になっちゃうか。😅

<更に何か思い出したらその時つづく>

2021年10月 6日 (水)

783 消失した個人的史跡➊

場所や建物の存在は俺言い「人生の証拠」になる事もあるので、実体が失われるとまるで証拠が隠滅された様な気持ちになったりしません?。
今は加齢でノスタルジーとか望郷の念もきっと強まってるだろうけど、私的には思いの外かなり若い頃からそんな思いをさせられて来てたんだ。

それが最近余計に気になり出したのは、ググってもほぼ何も出て来ないのが随分多かったからだ。
今調べてみたのだと出身の専門学校は移転こそすれまだ存続してるが、自分の居た科の情報が全く出て来なくなってたよ。

普段は殆どエゴサーチはしないんだが、近年はここへ書くのに間違いを避けたい時等に確認用に覗いたりしてたんだ。
何しろ音(中身)は全部覚えてても、曲名(名称・時期…)はサッパリなんて体質だからね。

わ兎も角出身校ので駄目なら他所様ではどうなってるかと調べてみたら、近隣の関東圏の専門学校で録音を工学として学べる処は何とたった1つになってて愕然とした。
一般的に専門学校ってかつての職業訓練校の成れの果てみたいな処があるから、その時代の募集人員の多い職種のが中心になるのは仕方無い。

とは言え社会から消失した業種では無いのからすると、これではロクな技師が育たないのも半ば当然の体だ。
実際どちらさんでも「ITやデジタルに詳しい人」が兎に角欲しいし、音より動画に明るい人材に飢えてるのは確かだけどさ。

だからってオッサンやジジイの疎い部分だけ若いのに助けて貰ってって発想、大いにどうなのよだ。
その時点では偏ってたから反対のだけってのは分かるが、それから数十年後に今度は逆に偏って又似た様な苦労を再現させるのは目に見えてるのにね。

専門性の低い形で社会に属してるなら儲け主体でも良いが、専門家不在になったらそれは成り立たたなくなるんだけどな。
しかも機器的に電子機器なら電子工学にだけ長けてりゃ手に負える程甘くは無く、内部はほぼデジタル演算回路だけになっても道具としてはかなり多様性に富んでるんだから。

これって一種のサプライヤとユーザーの乖離で、もしかして近年本邦の乗物の醜悪劣化デザインとかとして表出してるのかなって思うんだ。
煽り運転が社会問題化してる最中に、わざわざ挑発的なマスクのばっかり作るって…。

不況中のコロナ禍にとんでもない愚策のせいで鉄道への飛び込み自殺が増えるのも仕方無かろうが、大井川鐵道のトーマス号に飛び込んだって話しは訊かない。
昔のSL+ローカル単線で鈍足だからとは言え、実はそんなのの方が制動力は断然弱いのだ。

そんなの完全に非推奨なのをお断りした上での話しだが、重くて中々止まれなくて機械剥き出しで無防備な点からしたら鈍足でも致死率はよっぽど高いんだけどね。
列車本数の少なさからしても都会の電車より、遺族の賠償額も低く済ませられそうだしさ。

差し詰めこんな状況って現代版「北風と太陽」なのか知らんが、平和呆けの果ての「戦時中」なのかな。
って程かどうかは兎も角この件では科の他校舎も早期に解体されてて、実在した痕跡が見付けられなくなっちまった。

当時代々木駅前にあったその本館は元締めが当時の都知事(石原慎太郎)だったからか、大江戸線の駅出入口へ供出となったらしい。
途中から狭隘さの為線路の反対側のビルも借上げ第2校舎として使ってたが、外装をリニューアルしたか建替えたか不明だがそっちすらそれらしいのが見当たらなくなっている。

学歴としても学校としても全然大した事無いヤツだったから世間的には「知るか」だろうが、たればこそ物が残って無いとホントは高卒なんじゃねなんて疑われちゃ敵わんよ。
「残さず刷新」するのってこんな欠点もある訳で、想い出がどうのってより全然以前の話しになっちゃうんだ。

同校同科在籍者向けプチ擁護として、たった1人のだが証言をここに記しとこう。
昭和末期に東京工学院専門学校は代々木に本拠があって、そこには確かに音響芸術科とは別に音響工学科もあったと。

<つづく>

2021年10月 5日 (火)

音楽備忘録782 風変りなMic位置+魔流用 番外編

我々懸案の残りの試験が漸く実施されたんで、それにまつわる話しを少々。
んでその懸案とは従兄所持のポータブル録音機で、Drumset中心位置で録るってヤツだ。

位置についてヨーイじゃ無くて…は高耐音圧エレクトレットコンデンサでのは既に公開した通りだったが、その様な用途の合ったのを持ってる位だったら普通のセッティングでも録れるからね。
ので私的には魔用Micでこそどうかと期待してたんだが、先に結果をバラせば残念でした~ぁだった。

搭載されてるエレコンユニットが爆音で歪んじゃったったんだが、唯で転んじゃ悔しいから変なヲタ情報でお茶を濁したるわい。💦
↑で「ユニットで歪んだ」ってのがプチミソで、電子回路部でのとは歪んだにしても少し毛色ならぬ音色が違ったんだ。

大昔爆音対応Micの無いStudioで録られた名作のそれとクリソツで、電子回路での歪みよりゃ聴くに耐える感じ。
無論普通の正規録音には使えないがギミックとしてなら、デジタル領域でサチュレーションとか使うより遥かにマシだったと語っとこう。

具体的な内容差は歪みの質・分離度・明瞭阻害度で、質については物質と空気のコンビに依っているんで生楽器の過演奏時のそれに近い。
管や打楽器ではこれを出すのは一苦労だが、弦系のでは寧ろそうなって汚くならない様に気を付ける方が大変な位だ。

敢えて2つ目を飛ばして3つ目を先に行くが、言うなれば物理ヘッポコリミッタを掛けた様なもんだから歪む手前以下の音量時は至って普通なのだ。
これだけでも程良く歪んでくれられたらご利益があるが、最大のメリットが2つ目の原音と歪みの分離度だ。

他の多くの場合と違ってこんなのではなるべく別れてない方が良く、特定周波数帯域にだけ歪みが出ると如何にも後付けしました感が満々になるべ。
昔みたいに録音音質がチープだったらまだ平気かもだが、歪んで無い部分が完全に「今の普通に録った音」だと後から弄ったのを大々的に宣伝してる様なもんだからね。

とは言えそもそもは失敗に終わったのと、そんな音質になったのもとある偶然があったからだと思うんだ。
さっき調べた処では従兄所持のZOOM H-4のMicの最大入力音圧は120dBで、小編成JazzだったらOnでもギリギリセーフかも知れない程度だった。

って先に調べときゃそんなに従兄を急かさなかったかもも、ユニットと回路のどっちが弱いか迄は当然非記載だったんでね。
万に一つもエレコンユニットとMicプリ部のマージン次第じゃ、「本体で録らなきゃもう少し歪まない」可能性もあったんだ。

一般的な設計の仕方としては入口に近い方から余裕を大きくするもんで、限界迄歪めばもうそれ以上絶対に大きくならないからだ。
差し詰め粗野な原始人が教育を受けてく内に段々紳士なってくってなもんで、後ろへ行く程無茶なのは来なくなるからマージン管理!?が楽になるって寸法ね。

尤もエレコンユニット君と増幅初段の関係は必ずしもそうとは限らず、回路の方が先に歪めばそんな音は得られなかった。
件のポタレコは単3×2の仕様だが恐らくMic部のインピーダンスは限界迄下げられてるのと、内部に昇圧回路が入ってるんだろう。

前者は雑音対策で後者はヘッドホン出力をある程度以上にするのに必須で、たまたまユニットの方が低耐圧になったんだろうな。
しかもユニットが過大入力に対して紳士対応!?してくれるタイプのだったかもで、どれでも同じ様にとは行かなさそうだが他にも応用可能なのがありそうだ。

<もう1回だけ続く>

2021年10月 4日 (月)

音楽備忘録781 Rockのスタンダード➌

今回から具体性も交えて「用途別スタンダード」へ進めてくが、Rock界では一応王様のエレキGuitarのから始めよう。
曲としてならElvis PresleyやLittle Richard等も全く外せないが、奏法の参考の点でもっと優先させるべき存在が別にある。

取敢えず独断でChuck Berry,Bo Diddley,Buddy Hollyを提示しとくが、Rockに直結してるRock ’n’ Rollの始祖だからだ。
他にも沢山大御所は居るんだが、その人達のは発展先がRockになるとは限らないのだったんでね。

では順に詳説をしてくがGuitarだけに限定すれば、Chuck Berryだけでバッキングもソロも既に基本形ほぼ完成網羅されている。
又初期録音作品ではそんなに顕著では無いが、当時のポピュラー系の常識に逆らって「歪み」を避けて無かったのも要注意だ。

Bo Diddleyは独自リズムだけっちゃそれ迄なんだが、アンサンブル全体であんな風に刻ませるのでは初期のだと思われるからの選出だ。
黎明期故に「本人以外は他ジャンルの人」が殆どでは、あんな風に構築したのは珍しいケースと言える。

Elvis PresleyもChuck Berryも本人は先進的だったが、バックの伴奏はほぼ寸分違わぬ従前存在ジャンルのそのものだったからね。
今となっては却ってコラボ的面白さに価値を見出せるが、ファッションも含めて無添加純正Rockに浸るのには邪魔な要素ではある。

そして実働約2年でヒット曲も少ないのにBuddy Hollyを選んだのは、グループの編成と本人の使用楽器が他と一線を画してたからだ。
フル編成でPianoもHornも居ないってな当時としては奇抜だし、この方面でFender Stratocasterを常用した初の有名人なんだ。

今では知っててあって使ってて当然のStratも一般化したのは’60年代半ば以降で、発売から10年間程は何時廃版になってもおかしく無い位不人気だったらしい。
しかも「他より効くアーム」のニーズが先で、音色として重用されるのは更にその10年後以降だったからね。

Rock≒Bandの認識には個人差も大きいだろうし、ソロじゃ出来ねってもんでも無いのは承知してるよ。
けれど限られた人材で工夫を凝らして続けるのって、シンプルが許されるジャンルじゃ無いと厳しいからさ。

しかも一寸毒味を帯びるがBo Diddleyみたいに外様には全部同じに聴こえるのはアウトなんで、どんな工夫の余地があるかの具体例はあった方が良い。
尤もBuddy Holly自体は作品数が僅少だから、無限の可能性を体現したBeatlesまで下らないと失念し易そうだけどね。

今でこそこんな偉そうに語ってるかもだが、知って活用し出した当時にそんな崇高な意識は皆無だったよ。
けど目星を付けといた場所の金庫が空なら盗めないみたいなもんで、今すぐ欲しかったらターゲットを変更するしかないじゃん。

私的ではあるが実体験を遡ると上記の如くとなってて、現代にはチト距離はあり過ぎるが先ずは原典から出しとこうと思ったんだ。
この「俺言いルーツ優先式」には別面の大きな利点があって、「辿るのが楽になる」のが最大ポイントなんだ。

実際には今回例示した面々からの直輸入は俺は僅かだが、細分化が進んだのから遡るより発見を早く出来る。
加えて「お気に入りの一世代先祖」を知ると、知らないより「どうしてそうしたか」等の理解が飛躍的に深められるんだ。

<つづく>

2021年10月 3日 (日)

音楽備忘録780 風変りなMic位置➎

今回はパート別では3番目となるエレキBass Ampへ駒を進めるが、こいつぁ大専門の癖に正直筆が重い。
その最大理由はスピーカエンクロージャの方式の問題で、Line録りが常態化したからか年々Mic収録へ無配慮なのばっかになってるからだ。

バスドラと同じ様に考えて貰えれば複数ポイントからのMixだって大いにアリだが、どうも特に本邦ではBassに与えられるch若しくはトラック数がケチられ気味でアカン。
Mic以前にたまたま昔から俺はRickenbacker(若しくは擬き…)常用者なんで、折角付いてるStereo Outをしょっちゅう使おうとはしてんだけどね。

公開作では大昔カセットデッキtoカセットデッキ時代に1つあるだけで、中々日の目を見られずに今日に至ってる有様だ。
これは近い内に声を大にして意識改革運動でもしたるかって調子だが、どんだけ受容れられるかは未知数だ。

では重複も少なくないがこの件何故年々困難化したかったら、ダクト有エンクロージャの台頭も大きい。
これは少しでも小さい箱でローエンド迄出すには最適ではあるが、音域次第で「出て来る場所」が見事に分割されてまうのだ。

更に加えれば近年はユニットからしてウーハとツィータに分割されてるのも大増殖中で、しかし個人的には「エレキらしい音」にはあまり望ましく無い方法だと思ってんだ。
太鼓や鍵盤みたく「鳴らす場所が別」のがありゃ色んな処から出ても構わんが、混変調作用に相違が現われたり減り過ぎるのが不味いんですわ。

「混変調」ってオーディオでは歪みの1種として敬遠されてて、確かに単純なHi-Fiを追及すりゃ無いに越した事ぁない。
だが器楽音となると意図的歪ませ以外にもある意味必要悪的なのが色々あって、それらのお陰で例えば同じ音程でもポジション次第で違う表情を出せたりしてんのよ。

ここでは随時吠えしてると思うけどLine録りに寄せたオーディオライクなのがそんなに良いんなら、もう今更楽器Ampなんて止めちまってPAから出した方が圧倒的に有利なんすよ。
それはさて置き仮に2本構えるのの覚悟は出来たとして、それでもまだバスドラとは異なる面があるから困るんす。

バスドラで2本にするのって「違う場所のを拾う」ってよりゃ、「違う部分を拾う」(周波数帯域)のが主ですわね。
それがBassエンクロージャだと逆になってて、上記の音の科学変化が起こる「手前」に大抵はなっちゃうのよ。

この項の以前の記事で「必要なだけ遠ざけりゃOK」って書いたのは間違いじゃ無いんだが、低くて大きくなる程その距離が膨大になるですよ。
1つのユニットと近似な状況を得るには、ユニットからのとダクトからのが「完全に混ざって」無いと駄目なのはお分かり頂けますですか。

それがケース1のバスレフタイプの場合ローエンドは指向性が緩いから良いとして、ユニットの指向性が結構鋭いんだす。
すると単純にエリアが完全に重なる位置迄離した際、今度はダクトからの音圧が減り過ぎちゃってんの。

響くハコで収録場所残響が混じり込んで良きゃ、床を中心としたダクトの反響にまだ救われるんだけどさ。
片やケース2のホーンダクトタイプ(主にバックロード)では、今度はホーンのターゲットエリアが遠距離になってるからこりゃもっと厳しいとな。

そんなだから是又概述だがMic録りデフォ時代にFenderなら4発中心向き密閉型エンクロージャのBassmanが、Ampegなら単発でダクトが最短距離でスリット状のB-15Sが業界内じゃ持て囃されてた訳。
因みに後者の当時に於ける特徴の1つとして、「バッフル面積」(ユニットが付けられてる板)が他に比して最小限だったってのがある。

かつてエレキのエンクロージャってローディが支えて無いと倒れそうな位平べったいのが主流だったが、あれって「回り込み」の悪影響を減らす為だったんだ。
なので仮に音量が足りても少し広い所だとB-15Sのエンクロージャじゃ、きっと他よりかなりボケボケな音になっただろうさ。

Fenderのは上手に兼用化したもんだが、それだけAmpegのは思い切った専用設計をしてたんだね。
もしかしたら最近になって再販されたのは、上手く録れるのが無くなったのに起因してんのかな。

<つづく>

2021年10月 2日 (土)

音楽備忘録779 楽器の明瞭度の話し⓮

前回は出す側案件だけで紙面が尽きたんで、今日は受ける側専で行ってみよう。
近年最も気にされるのは所謂ディテールが多数派を占めてる様だが、全体より細部に拘るのって厳しい表現にするとその実「供給側のエゴ」でしかないんだよね。

この件何を隠そう俺自身も日々苦闘中の身で、Liveだと諦めなきゃなんない事も少なくないからなるべくなら全部拾っときたいとつい思っちまう。
只最近になってこの誤った呪縛から解かれつつあるのは、もう昔みたいに「劣音」じゃ無くなってるんだからってのだ。

今だってMicは超Onの方が細部の拾いは抜群に良いが、細部が実音を著しく凌駕してるのにだけ気を取られ過ぎてた嫌いがある。
楽器もAmpも近年のになる程その音色が細密化してる感じがあるが、一般聴者が最初に捉えるのは全体像の方が圧倒的に多い。

それからすればこっちが「ディテールヲタ」化してると看做せ、それも文化だと言っちまえばそれ迄だろうけどさ。
けどフュージョン系だとか元々顧客にヲタが多いジャンルなら未だしも、Popsなんかでこれを全開でやるのはお門違いなんじゃないかってね。

今こっちの業界側で明瞭度っつうと相変らず高域やアタック音ばっかで、それが貢献してくれるのはリズム面だけだ。
チューニングメータの普及で肉声以外は大きく音程が外れる事は少なくなってっけど、ズレてるって程じゃ無いのとバッチリハモってるではそれに依る明瞭度の差ってかなりあるんですよ。

複数音が共鳴するとそれ独自の倍音も生成されるんだが、それが平均律では無く純正律になってると原音に対する明瞭度貢献度が最大になるん。
これを活用しようと思っても打込みだととても困難で、人力生時より手加減なんてのがし難いからだ。

その代わり打込みは安定度では勝ってるのからすると、機械でも賄える様になったのを今更人力で演るならもっと重視すべきファクタだと思うんだ。
さてこれも倍音なんだから高域が充実してりゃ良いと思うだろうがさに非ずで、元の構成音の中域が不足してるとちゃんとは生成出来ねんだわこれが。

出て来るのは高域でもその「材料」はハモった中域だからで、各楽器が出してる倍音の内容を今一度精査して見ると良い。
その楽器らしさを司る倍音って音程に無関係なのも少なくなく、だからこそどの音程を鳴らしてもGuitarならGuitarのに聴こえたりする訳ですよ。

それが楽器毎に全部違ってるし差の大きい程違うのが鳴ってるのが分かり易くなるんで、余計に皆バラバラになってんの。
それを下手に強調し過ぎとくと「ハモらない倍音」が増大しちゃって、折角上手くハモって生成された倍音があっても駆逐しちまうんだ。

複数音なのに単音より却って目立つのもハモりのご利益で、単体時では絶対に得られない共通倍音で実際に明瞭度が上がってるんよ。
凡人である以上エゴを皆無にするのも難しいなら、せめて個人じゃ無くてもっとアンサンブル単位のエゴを敢えて持ってみるのも一興かと思うんだ。

何れにしてもセコイ機材にアホな俺みたいなのは過去の話しで、何時までも上下ばっか気にするなんてもう古いっての。
そう思ったって実際古い俺みたいなのは習慣を改めるのに四苦八苦、だからこそ呪縛が無くなってからの若い人がそんなんしてたらもっとカッコ悪くていけねえよっと。

<つづく>

2021年10月 1日 (金)

音楽備忘録778 Rockのスタンダード➋

何時にも増して独断の混入率が高いかも知れないけど、例え俺だけだったとしても実際そんな環境に置かれてたんだ。
敢えて当時の雰囲気とか様子を知って貰う為に、アイツの場合はそんなだったらしいと思って貰えると幸いだす。

改めて断りを入れたから言うでも無いが、私的には日本のRockの系譜からはロカビリー・GS(グループサウンズ)等は外しておきたい。
正確に音楽の変遷を辿るなら外すべきじゃないんだが、俺言い「部外者・門外漢の干渉率が高い」のがその理由だ。

俺の世代では幼少期が大凡GS
全盛期だったってのに、わざわざ分からん早口!?英語のFENの方へ興味をそそられたのは多分このせいだ。
これを今になって再分析するとどうも「黒い成分」の希薄過ぎたのがいけなかったみたいで、具体内容としてはノリやリズム自体の面白味が足りなかった様だ。

その代りちっともRockっぽく無くてもすぐに好きになったスタンダードも少なく無く、欲求が直ちに満たされなかったのは功罪相半ばだったのかな。
それは兎も角本場と比べるとRockのスタンダードナンバーって演る前から概知ってケースが少なくて、少し上の世代の人達には一寸した劣等感もあったりしたもんだ。

俺がもっと成長が早かったら少し違った可能性も否めないが、当時の子供の大半は自力で日常的にレコードを買うなんて無理だったんでね。
上の兄弟か誰かがヲタとかででも無いと、ラジオで掛からん限りノーチャンスに等しかった。

尤も今は今でYouTubeを筆頭に膨大に過ぎるから、「探せないと出会えない」点では一概にどっちが良いってんでも無いけどさ。
強いてだと過去は独力が困難だった分、知ってる人から示唆を受けられる機会は多かった印象がある。

敢えて欠点に目を瞑って人から人伝達の利点を挙げとくと、共通認識の醸成に勝ってたと思うんだ。
上手に紹介するには一定以上の知識の蓄積と的確さが必要で、この部分で今の「唯知ってるだけの人」と結構違いがあったんだろうな。

具体的には同じ有名でも誰のがどんな人達によりウケてたかとか、ソロならA・グループで演るならBの方が向いてるとかそんな面もね。
これが尋ねる相手が生身の人間とネット言語検索で大差の出るのが、質問者が例示を鼻歌ででしか出来ない時だ。

一時期よりPC経由だと選択肢が激減して不自由してるが、そうなる以前でも「データの蓄積」はかなり希薄と感じていた。
人間訊かれれば即答出来ても、ヒントレスで知識を全部晒すのって難しいよね。

この様な一種の教育方面の類のだとリモートで充分だから、まだ現時点では人が対応する方が向いてると思うんだ。
マニュアル全依存式よりゃメールでのやり取りの方がマシだが、活字オンリーが不向きな案件だって少なくないからねえ。

ついでの脱線になるけど今鉄道界とかじゃひたすら人員削減に走ってて、公的援助が無さ過ぎるから仕方無いのは分かるけどさ。
列車がワンマンで駅も無人ってのは俺は失策だと思ってて、状況に応じてどっちかだけにした方が色々良いと思うんだ。

カードや切符関係の扱い不慣れの対応とかだと大したスキルは要らないし、現場に居合せたら代わりにタッチしたりボタンを押してあげるだけで済むのがインターホンでの押し問答になったりし兼ねんもの。
これってBand編成に置換するとG×2+Drs.かG,B,Drs.1人づつかみたいなもんで、私的には何でこんな初歩レベルのに気付けないのか不思議でならない。

<つづく>

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