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2021年5月

2021年5月31日 (月)

音楽備忘録655 残響考㉒

今日は音源とMicの距離差から来る残響混入率の違いと、音源の種類次第での混入し易さについて記そう。
本来は別項「録り方の問題」へ入れた方が相応しそうだが、残響部分だけって事で今回はこっちに入れさせとくれ。

このお題で影響度の大きいのは生楽器の印象と、後で残響を追加するかどうかだ。
では前者のから進めてくがある程度以上の大きさの楽器や音源は、普通On Micならぬ俺言い「On耳」で聴くなんて滅多に無い。

私的体験で印象深かったのは若かった昔の自分の歌で、それも朗々と歌い上げたヤツだった。
普段はVocal用ダイナミックタイプに張付いて歌ってたのを、気紛れで普段より少しだけ離れて録ってみた時だ。

すると十二分な声量で遠鳴りさせる歌い方をしてるのが、何時も通り歌ってたのに何時もより良く分かったってかしっかり記録されていたのだ。
早速プチ分析したんだが、そうなった原因は「部屋中に鳴り響いてる感じ」が拾えてたからだった。

無響室でないならば実際にはささやきにだって、空間由来の残響はほぼ同じ割合で付いて来てる筈だ。
けれど聴き取り限界に近い小音量になる程聴く方は大抵「聞き耳を立てる」もんで、ここではお馴染みの弁別能も自然と高まってる。

そのお陰で残響を無視して直接音だけ意識してるし、内緒話し等「耳打ち」ってのは俺言いⅡで「On耳」な訳だから残響は普通より聴こえなくなってる。
上記2つの記憶とか印象からか特別良く響く場所以外で響きが聴こえたのは、音量が大きいからそうなったってパブロフの犬的反応が起きてたらしいのよ。

太鼓でもBONZOのなんかは広さよりそれを狙っての措置だったんだが、理屈ではOn Mic+それらしいReverbで同じ感じが得られる筈がどうも中々上手く行かない。
特に明瞭度を一切落さずにしようとすると全く駄目なんだが、要は直接音にも日常と非日常的至近距離のでは音色が違うかららしかった。

これで問題になりそうなのは爆音なのが良く分かる上で、バーチャルで更に広大な場所で演ってる感を出したい際等だ。
馴染む保証の無い異種残響を共存させなきゃなんないって、これ迄に綴って来た如く危険だし成功率が極端に低いからねえ。

それをもしどうしてもってんなら今俺が思い当たるのだど、無響室でOff Mic収音にしとく位だろうか。
尤も爆音が許されそれも録れる無響室となると存在自体が希少だし、借りるのだって特殊設備故にかなりお高いのは間違い無い。

となればもし録音頻度が低いなら実際に構想に合った広々で、ドカンと鳴らせる場所を借りるだけの方が良いんじゃないのかな。
ここで少し整理し直しとくとデジリバ自体はとても汎用性が高いが、それには充分見合った収録音質の音源が要るって但し書きが付いてたんだよ。

そりゃ嘘臭かろうと子供騙しでも結構ってんなら、変な混ぜ方・掛け方したってどうにもならなくはないけどさ。
不自然さに目を瞑っても「音量のスケール感」とかはそれだと必ず劣化させちゃうから、「気にしなきゃ無傷」とは思わん方がええんでないかのぅ。

はそれとして種類次第の混入度合いについては、大凡だと「生度が高い」の程混ざってい易い。
その原因は主に音の指向性で、特殊な楽器以外は特定方向にだけ爆音が届く様な設計になんてなってないかんね。

それに対しスピーカは少なくとも単体で360°(つまり所謂無指向性ってヤツ)カバーするなんて無理で、その代り指向性を鋭く(狭く)する方は得意だ。
なのでLine録りが無混入なのは当然として、スピーカを使うだけで混入率はかなり下がるんだす。

依って一寸不公平になっちゃうけど、爆音自慢の生楽器奏者程この件へ配慮しなきゃなんないのよ。
んな位だからアンサンブルとして考えるんなら、当事者以外の皆も良く分かっといて協力してあげた方が全体が良くなりやす。

因みにここでの協力とは資金や場所選択も含むが、合う合わんを無視して「どうしてもこのEchoじゃ無きゃ嫌」なんて我儘を周りが出さんのが第一歩。
自パート単体ではそれがベストと思えててもそんな無理があったらば、一般聴者にはどうせそうは聴こえないんだし。

<つづく>

2021年5月30日 (日)

音楽備忘録654 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑬

前回「半分しか切れてない」のを妥協して完了にしちゃったりと、いよいよもってして堕落が酷くなったか!?。
って言うのは例の如く半々で、体力気力の都合が最優先も遅まき乍ら別事情に気が付いた。

流用材は昔の元レシーバ部のフロントパネルなんで、周波数表記や感度メータ等用の大窓が開けられている。
それが当初計画通りに縦2箇所切断しちゃうと、大窓の縁が撓り易くなりそうだったのだ。

多少変形したって大して精度なんて要らないんだけど、LED放熱兼用基板(今後面倒だから単にレーンと称す)とそれの追加補填材との接触を劣化させてもアホらしい。
只でさえ窓の空隙の分接触面積が減ってるしそれがレーンの真ん中側だから、酷暑期の安全を期すにはこれ以上減らさん方が良かったんだ。

さて上記に出て来た追加補填材とは元機での装着状態から配慮した細長いアルミの事で、以前は過去記事にある様に鉄板にするつもりだった箇所だ。
とっても薄かったが元機でレーンの裏は丸裸にはなってなかったんで、下駄(嵩上げ)材の届かない中間部の過熱を心配しての策。

これの流用元も最近の毎度の如く2転3転はおろかそれ以上迷走したが、何とか決定して必要数を確保。
選定条件は先ず長さの280mm以上で苦戦したが、その間が真っ平らじゃ無きゃいけないのも厳しさに繋がった。

どうせそれなりの加工はせにゃならんのは覚悟してたもののあと1本が見つからず、元はL字に曲げられてたアルミ放熱板(半導体用の)を真っ直ぐに伸ばすので何とか間に合わせられた。
最悪は伸ばした所がヒビ割れたのを継ぎ接ぎする覚悟もしたが、柔らかいアルミでも金属だから疲労破断のリスクはほぼ常に付き纏うもんなのだ。

直角を直線にしようってだけだから一見神経質ぽく思われそうだが、例えば行き過ぎたら戻すってのを繰り返せば疲労が蓄積する。
のでかなり慎重に扱わないと少なくとも強度を著しく劣化させ、後の作業中に最悪は最後の最後の段階で泣き別れなんてのを随分沢山味あわされたっけね。

なので正確には今の処はセーフと言っといた方が良いかもで、それだからなるべくなら基本線は加工不要なので揃えたくて粘ってたんだ。
こんな問題を色々抱えてたんで従前は最適なアルミを一旦は諦めかけてて、「伸ばそうとしてみる」のを駄目モトで後から試しとくかと思った結果だ。

その次に取りかったのが流用電源基板の「マウント部品」で、熱事情的には金属にしたかったが電気的絶縁が要る為にプラで細工した。
これは基板に保持部品を付ける余地はあったのに、基板の放熱板からぶら下げようとしてるのにも依っている。

もし一般的な取付方にすると天井に付けたら天地が逆になり、放熱板の熱を基板自体へより誘導しちゃって部品寿命を縮めそうな気がしたからだ。
実際はどの程度影響があるか未知だけど他にも普通に付けると基板裏と筐体鉄板が近接するんで、そっちの絶縁対策をしっかりやっとかなきゃおっかないしね。

こっちの加工は割とすんなり片付いたつもりだったのが、いざ現物合わせをしてみたら一部変更を求められる羽目になった。
当初は筐体側(薄鉄板)の必要箇所にネジ穴を新たに開けようと思ってたが、少し修正すれば元から開けられてた穴が偶然活用出来るのが判明したから追加加工になっちった。

こんなのはロケーションの杜撰さの為せる技に他ならんが、電源基板の取付け位地が未確定だったってのも事実だ。
どの程度机上設計で詰めとくかは人夫々だが、脳内だけで完璧を期しても裏切られたり些細な見落としでパーになる事は多い。

特にジャンク活用の場合は材料側の事情でこれが起き易く、例えばネジを付けたい場所が切り欠きされてる箇所と一致しちゃったりとか。
全てを詳細に計測しといて図面化でもすりゃある程度迄はフォロー出来るだろうが、僅かなミスでその苦労が無駄になるんで敢えて頭に頼り過ぎない様にもしている。

この点では生真面目な人の方が却って壁に当り易そうで、失敗に鈍感な方があまりストレスを溜めずに切り抜けられるかも知れない。
しかし加齢と共に気力体力は萎え悪知恵は積算してくから、若かった昔と比べりゃそれでもちったぁ計画性が上がって
んでい。😓

<つづく>

2021年5月29日 (土)

音楽備忘録653 録り方の問題 加工度編⑨

前回はリアルの方が良くても環境条件等でバーチャルってのの1例を記したので、今日は逆のも挙げて公平性を保っとこう!?。
先ずはエレキGuitarの歪みで最近私的にプチ案件があったから、それから行ってみよう。

従兄は21世紀に入って以降本来のMusicianは休業気味で、諸事情から最近迄はDrum講師専念に近い状況だった。
のが面白いもんで近年本邦Drummer界のあまりに酷い凋落ぶりに触れて、本来の姿を取り戻しつつある。

どゆ事ですかったら改めて言うと当り前過ぎ
るが、良い太鼓にはその前に良い音楽が無いとちゃんとは成立しないっての。
この問題を俺流に咀嚼すれば、分業が進み過ぎて実用有効成分が減っちゃったとなる。

シビアにみるとベーシックテクは目も当てられない劣化を感じるが、見栄えテク(耳的なのも含む)の方は昔よか飛躍的に向上してる。
でも折角のそのサーカス並の技も楽曲と幾らもリンクして無いもんだから、仮に凄さは伝わっても本来肝心な「良い感じ」をちっとも与えられなくなっちゃってんだわ。

んで俺は以前から頻吠えしてたが、従兄にしても曲時点から相応しい提示をする必要に駆られて動き出したのよ。
んでⅡでそれがGuitarリフの発案となって、太鼓とエレキGuitarのデモFileが送られてきたんだ。

そこではGuitarの歪みがPCソフト同梱ので賄われてたが、デモ用としてなら足りるだけの音になってたの。
彼は現時点では全くGuitaristじゃ無いから拙いってばそうなんだが、どんな感じのフレーズかを聴くだけなら何も気にならないレベルだった。

尤も非専業過ぎるんで生まれて以来のコンビの俺でさえ、チョーキングの音程がどう頑張っても解析不可能だったけど。😵
って処からほぼ身内限定になるが過去からのデモでの代用品の具合を思い出してみると、添付文書での補填もあったにせよ非本チャンでならかなりどんなので代用してて殆ど問題を感じなかったんだ。

だからって本チャンでは特に球教の俺はリアル中のリアルでしか全く演る気は無いが、何でそんな両極端になっちまってるかを再考してみたんだす。
そんな中先ず浮上して来た原因は、本式にしたらその人がどんなパフォーマンスとか音色を醸し出すか概知且つ熟知してたからってのが出た。

要するにそんなだと受け手の想像力が勝手にMax下手すりゃ無限大になってるから、現実にはチープになってても最良時のみたいに聴こえた気になっちまってんだってね。
この点身内を他人に紹介する際等は大いに注意の要る処で、最低でも正しく伝わる工夫を怠ると「アイツはロクなの紹介しない」なんてレッテル貼られちゃうかもだ。

このデモだって可能な範囲でしっかり調整はされてるし、少なくとも悪いとか変な音色じゃちっとも無かったけどさ。
とは言え従兄でも出せる最高音質のとは紛いなりにも思っちゃいないから、もしこれが人生最高傑作だなんて言われてたら速攻で駄目出しの嵐を浴びせてたに違いねー。

って事ぁ初対耳の相手だったらそんなつもりで居ないとチャンスを逸する可能性もある訳で、俺言い「他人耳」も自分の価値観堅持と並行して持ってないといけないってなるのよね。
これが例えば大手系の請負仕事ばかりだと他人耳へ偏り易いし、独立独歩だと自分耳若しくは自分達耳に偏り易いのは一面で仕方無い処。

特に本邦の超低レベル業界だと大手系請負の場合、予定以上は不要で最低限さえクリアしてりゃOKで来られるからねぇ。
単純に発注側と同じ耳基準だけが要求され、再起不能な位偏ってる方が喜ばれるんだから。

これが最悪なのは指示出す奴すら大抵は囚われの身(ブラック雇われ?)なんで、用済みになりゃ下請け共々サッサとバッサリ切り捨て御免されるから始末が悪い。
何とか精神を病まずに仕事をこなす都合で正規の感性はスッカリやられちまってるから、最悪人に依っちゃ復活が不可能で実際過去に他業種へ流れてったのを何人も目の当たりにしたよ。

<強力に続く>

2021年5月28日 (金)

音楽備忘録652 残響考㉑

異なる残響の共存その2として今回は、比較的安易にやって平気なのとそうじゃないのへ言及しよう。
これには残響タイプの他にどんなパートの何処へ掛けるかも大いに関係するんで、それも併記で。

厳密には全ての音の音場に整合性若しくは一体感があるべきだが、現実社会ですら不届き者皆無ってのが残念乍ら珍しい位だ。
なので理想世界の再現を目指すんじゃ無きゃ、不整合も部分的限定なら寧ろ却って現実感を補う事だってあるのだ。

その筆頭はメイン若しくはSoloパートの極所的Delay等と思うが、「とっても可愛いから何でも許せちゃう」なんてのと近似だ。
こう云うのは元々1人(そのパート)だけ楽曲内で立場が違うから、それが残響に及んでもあまり気にならない・されないパターンだ。

但しなのでそれが通用するのは立場(役割)が変らない場合で、伴奏とソロを行き来する様な際は厳しい。
お遊びとしてはアリだが私的にそれが元で、メジャーヒットさせそびれたと思われる楽曲があるからそれを例示しとこう。

では久々で本日の生贄だがLynyrd Skynyrdのアルバム3枚目、Nuthin’ Fancyの頭のSaturday Night Specialって曲だ。
曲の出来は良く個人的にもお気に入りだが、一部「BackbeatのSnareにだけ深付加Reverb」を掛けちゃってるのが本件に関係する問題点だ。

この部分で他楽器のリフが休符となってるから隙間を埋める意味も含めて効果は絶大だし、そんな風にした印象自体は決して悪く無い。
だがDrumsetは普通っぽいハコでOnでもOffでも無い位の収音な上、当該箇所のSnare以外には一切残響が付けられて無いのだ。

残響無添加ったって打込み音源の本当にそれだけのみたいなのには程遠く、「室内で叩きました」はハッキリ感じ取れる様な状態なのだ。
その為少なくとも俺には「音場の振り巾」が大き過ぎて、せめて宅みたいなハコのOn Mic収録だったならと思えてしまったのだ。

なまじ無Echo部の音がリアル空間過ぎたが為に、頻繁にSnareだけワープするのが嘘臭過ぎちゃってね。
この点如何にも作為的でもそれを上手に料理してたのが別にあり、Yes 90125のOwner OF A Lonely Heartのある部分がそれだ。

これには当時のチープなサンプラーのオケヒットが入ってて、只でさえどうせチープだからかより一層わざと低音質化させてでもいるかの様な感じになっている。
実際はそのまま録ったか落してるかは知らんし分からんが、その位全く「別物」になってたら繋がりなんて誰も要求する気にならんだろうからねえ。

前者のだってどうせ偽物なんだから別に良いじゃんなんて古き良きアメリカ的おおらかさと思や、今となっては昭和のテーマパーク的面白味だって出て来ちゃいるんだけどさ。
聴者が作製後どれ位で初耳するか、それがどんな環境下か全く不明なのを含めると止しときゃ良かったんじゃないかってね。

一応個人ブログなんで私見全開で行くと、こんな田舎的粗相(おや失礼)のせいで楽曲その他は極上なのに低評価されてんだって…。
俺はしこたま聴いて来て内容優先になってるし、各部を別耳で聴けるから逃しゃしないで済んでるけどよ。

サウンドに敏感な初級者にだとそのまま聴かせても、良さがきっと幾らも分かって貰えなさそうで淋しい限りだ。
って実際は自分だって過去から連綿と続く苦し紛れが少なくないんだけど、もしやっぱり不評に終わっても分かっててやった分そんなにがっかりゃしないで済んでるぜぃ。

なのでこの方面で大事故を防ごうと思ったら、半端を避けるのが一番だ。
生贄ののだったらせめて該当箇所のを別録りにするとか、元のSnareはそのまま存置しといてBeatlesみたいにSnare自体から追加してたならどうだったのかと思って止まない。

<続く>

2021年5月27日 (木)

音楽備忘録651 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑫

電気屋としてこんなに手古摺ってるのは恥でしか無いが、元のが専用仕様のオンパレード且つ中途半端だとここ迄あえがされる事もあるのかと今更乍ら思い知らされたさ。
電気的部分でも四苦八苦しつつも何とか制作に入れてるが、上述が最も影響するのがこれから取り掛かる「立て付け」案件だ。

現時点でレーン数1減以外は本項過去記事⑦で掲載した配置図で行く予定だが、必要条件の放熱配慮と照度均一性等がその理由だ。
5レーンと奇数になったから配列も自動的に縦5本並び一択なんで、LED放熱兼用基板に履かせる下駄が2本で足りるのは朗報となった。

手持ちジャンクでアルミ最長のをこれのネタとしてるがその出所が立派な変態で、大昔知人宅の応接間に鎮座してた当時流行の4ch Stereoのフロントパネルだ。
これが材料としては形状が超曲者でStereoったってレシーバ(Amp・Radio Tuner一体型のが昔はそう呼ばれてた)のだから、色んな形の穴だらけで用途変更するにはとても難儀しそうって代物だ。

なので折角綺麗に仕上がってても外から見える箇所には厳しく、今回を逃してはもうチャンスは来なさそうだった。
そこで長辺2箇所の切断は労力を要すが覚悟を決めて切り始めたっけ、まさかこんなに中々切れないとはで参ったよ。

加齢と以前以上の運動不足の自覚はあったから昔より息切れするとは思ってたけど、最初に切断方法で楽をしようとし過ぎたのが何しろ不味かった。
今回の所望切断面が一直線なのと切り代損失縮小を狙って、意図的に傷を付けといてパキっと割ったら良かんべって…。

アイデア自体は間違っちゃ居なかったんだが普段は簡単に傷付く癖に、意図的にやろうとしたらちっとも深くならねえでやんの。
専用工具でもあったらどうだったか分からんが、その敗因は厚みが原因でやんした。

鉄鋸でギコギコするより傷付けの方が巾は狭くて良いから、仮に少々余計に時間が掛ってもその分体の負担は楽になると思ったん。
なのでⅡで普段なら一寸やって見込み薄だったらすぐ別の手を試すのに、変に拘って粘っちゃったから尚悪い。

それで都合2日間は傷付け没頭に浪費して、3日目から諦めてギコギコし出したからまだ半分しか切れて無い。
因みに流石にこの作業だけに明け暮れては居られなかったから、実労働時間はもっと短いけどね。

こんなになっても放棄しなかったのは他候補窮乏もだが、このパネルの水平方向上下に天板・底板との結合用の板状足が付いてたのもあるからだ。
無理すれば超いびつL型アングルと見做せない事も無く、言うなればホントに「下駄の刃」が付いてるも同然。

ってのは苦し紛れで放熱・伝熱の都合から、「量的纏まり」でアングル等より明らかに適してたからだ。
しかしこうも辛くなって来ると加齢や気力の減退なのか加工の難易度若しくは量過大か等、一寸検証しとかないといけなさそうだね。

悲しいかな今後今より必ずヨレてくしか無いんだから、電動工具等の加勢があってもキツイのはしなくて済む算段にしてかないとね。
ってのもこれが終ってもまだ苦行が続きそうで、それはこの下駄の間の部分等の処理があるからだ。

現時点ではオーディオの廃ケースの鉄板か何かで連結させるつもりでいるが、それとLED放熱兼用基板との密着をどうするかが未定なのだ。
当初案ではアラルタイドラピッドって接着剤が俎上にあったが、薄鋼板(上述の鉄板)は良く撓るし伸縮もする。

ので固まるとカチカチになるこの接着材だと、後で剥がれる可能性が拭えない。
元機の構造からしても制作工程の簡素化が最大理由かも知れんが、溝挿し込み式になってたしね。

んで貼らないのの何が問題かったら、兼用基板が小さい上これ以上の加工が憚られるからだ。
それには例えばヘアピンなたいなので挟むのが良いが、不慮の短絡事故を避けるには電気の通らないのが良い。

けど小さい・薄い・細いとなると金属以外じゃ強度的に心許ないんで、どうやって耐久性のある絶縁性能を持たせるかが課題だ。
熱は勿論乾燥に依る材の劣化も過去体験からかなり凄いのを知ってて、筐体流用元の蛍光灯具解体に際し何と蛍光管のソケットがボロボロに割れて崩壊したのなんかでスッカリ脅されちゃってるし…。

<続く>

2021年5月26日 (水)

音楽備忘録650 録り方の問題 加工度編⑧

では続いて前回は前後だったので今度は縦横…、じゃ無くてEffectorのリアルとバーチャルの使い分けみたいなのを論じさせて頂こう。
細部ニュアンス迄拘ればリアル機圧勝なのは概述だが、録音や編集ではEffector本体のみの優劣が結果に反映するとは限らん残念なケースだって少なくないのだ。

デジタルバーチャルの黎明期のはソフィスティケイトも進んで無く、雑音等では当初から高性能だったのも録る側の低性能でそのご利益が減っていた。
なのでその当時としてもノイズ面などで困ったちゃんでも、一部を除けばリアル機(アナログ中心)の方が重宝されていた。

がここ迄デジタルで録られるのが当り前になって来ると、あまりにノイジーなヤツは流石に苦しくなっちゃった。
幾ら無音部をGateとかで切ったりしても、ソース音が綺麗な場合は「背景の変化量」が多くなり過ぎてしまう。

もし他パート・トラックの全てが近似だったらまだ救われるが、それにしたって他作品と並んだ時にボロが隠し切れなくなる。
とこの段階で誤解されたくないから俺はリアル派なのを宣言しとくが、だからってトータルクウォリティを無視して猛進したりゃとてもじゃないが出来ないよ。

奏者の立場としては欲しいのが確定してる際は、そのものズバリの方がパフォーマンスだって冴え渡るからリアルに越した事ぁない。
だがリアル派だからこそ気付かざるを得なかったハードルがもう1つあり、「印象そのままに録る」ってのが永遠の課題並にとっても難しいのだ。

体験からするとデジタル録音機で音質的にちったあお利口だったのはALESISのadat位で、他のは理屈的には正しくても音楽的にはかなり劣等生なのばかりだ。
尤も過去述だが昔のアナログのでこの面がマシだったのは、必要を満たせない低性能をかばってた方が大きかったんだけどさ。

でも音楽としちゃ性能が幾ら良くても印象が変っちゃ台無しで、その具体例として今や高集積度半導体(LSI)が主流の時代なのにまだ真空管Ampなんてのがこの方面でだけ市民権を剥奪されてないっしょ。
んで「録るの大変」にはマイキング等のスキルだって含まれちゃいるが、デジタル機器の内部(特にデジタル領域)にある問題点には普通は手が付けられないかんね。

これの実体験としては「歪み始めの電気楽器」とかでかなり翻弄されたんだが、アナログ録音時代より妙に歪み成分が目立つし分離しちゃって参ったよ。
特に酷かったのがサンプリングSyntheで弾いた際で、小田和正や徳永英明が突如泉谷しげるや葛城ユキにでも変身したかの様な…。(久々でおっと失礼)

当初目論見としては運良く雑音が小さくなってた箇所だけ利用してやりゃ、生よりその分クリアになるかと大いに期待してたんだけどな。
ノーEffectでそんな具合だからソースより少数派のEffect音では、この悪影響がより拡大するのは簡単に予想出来たし実際そうだったよ。

こんなので散々振り回されたもんだからリアル派の癖に、最近はめっきりリアルが減っちゃってる。
そこから現時点での選択判断は、先ずリアル機の質や個性が唯一無二かどうかからになっている。

元々リアル機だって貧でロクなの持ってなかったせいもあるんだろうが、Liveと録音でも以前より使い分けるのが増えたある。
本来欲しいのは紛いでボロでもリアルの方なんだが、その少ない魅力が録って完全に駆逐される様ではね。

又更に考慮した方が良い部分もあって、俺の場合だとEffectのStereo化がリアルるには不都合な事情を抱えている。
って実態は単に楽器をStereoで鳴らすのに相応しいAmpを持って無いってだけなんだが、球じゃないとヤダ・困るとなると簡単な話しじゃないんですわ。

例えばChorusだったら親友から20年以上借りっ放しのDimension Cが手元にあり、音色・音質共申し分ないししっかりStereo仕様にもなっている。
のにLine録りや石を嫌がるとそっから「先が無く」、かと言ってモノで使うとLive時ならモノラルでもセーフだった本来の拡がり感等が足りなくなってしまう。

<つづく>

2021年5月25日 (火)

音楽備忘録649 残響考⑳

本項ではここから暫く「異なる残響の共存」をテーマにしてみるが、過去作品ではLine録り無残響と響くハコでのOff Micのとかも平気で共存させられたのが幾らでもあった。
今だってそれをされてても作風やら全体の音場等次第では、気にしなきゃそんなに違和感を覚えないのだってそこそこあるけどさ。

世代的にも俺とかはそんなのの真っただ中出身なんだけど、何か最近は一寸気になり出しちゃってんだ。
これの自己分析に依ればやはり聴取環境の変化が大きい様で、昔より普段簡単に触れられる「音質優劣の巾」が拡がったからみたいなんだよね。

参考として俺個人の実状で挙げてくと、最貧はPCモニタとカーオーディオだ。
前者の方は非音楽物の鑑賞やニュース動画を閲覧する際、却ってオーディオ音質だと小音量では言葉の聴き取りが大変になったりするからだ。

そんなニーズからわざわざ廃TVからオーディオ部を失敬してしつらえてあるが、これは意図的に落したのだから例外っちゃそうかも知れない。
んじゃ後者のは貧だからチープなので頑張ってるったらそれも否定は出来んけど、それよりも外部雑音の影響が何たって飛び抜けてるからね。

かつては騒音に負けない大音量にして補ったりもしてたんだが、常にそれでは運転に関係ある必要な音も聴こえ辛くなるんで最近はめっきり控え目主体になってるわ。
前者の方にしても極力小音量で聴き取れるって意図も大いにあっての策で、真夜中でも被らずに居られる為には宅環境ではそれが回答だった。

なので昔みたいに単純に機器性能のせいでなってる訳じゃ無いけれど、こう云う部分では余程将来「基本的居住環境」が飛躍的に向上しない限り当分は残存してそうなファクターなのだ。
故に外的要因に依る劣化の面では昔との差はあっても小さ目で、こっちは気にしなくても済むだろう。

それに対しオーディオやヘッドホンの高音質化は特に普及価格帯で著しいので、総合すると結果的には優劣の巾は拡がってるのである。
となると音を作る側はより広範囲な対応が求められてると言え、大部分がデジタル化したのと併せて過去の遺産にすがっていては危険になって来たと感じたのだ。

かつてのアナログ主流時代はダイナミックレンジの小さい側が特に狭かったから、微小音量で記録されてる背景音は運良く聴こえてもおぼろげとなっていた。
なので極端な場合「あっても無くても」その違いはハッキリしなかったし、その逆の最も明瞭な音ったって雑音と共棲状態だから打込み音源みたいなクリアさは無かった。

そうすると正体が雑音であれ残響であれ「本体以外の音」が漏れなく付いて来ちゃうから、無残響であっても今の程「それらしく」はなってなかったしくれなかったのだ。
こう云うのが今はほぼ完全に排除された上、聴く際もインナーイヤータイプ等の普及でこれを使う際は外部雑音が飛躍的に聴こえ難くなった。

けど上述の通り乗り物の中とかだと昔よりは静かでも邪魔が平気で入るのは同じだから、結果的に本件に依る不自然さが目立つ時とそうならない時の差が拡大してる訳だ。
これがどんな瑕疵を引き起す可能性を持ってるかったら、先ずは「あるのと無いのが混在してて変」ってのがバレ易くなったとね。

これは全く被らずに俺言い「おおらかなモニタ」のみで調整し終えた際に懸念されるが、逆にマクロ聴点だけに頼ってもそれはそれで別の危険性が潜んでいる。
極簡単に言やカーステで聴いたら何だが全体的に呆けボケとかってので、折角精緻になってても周囲雑音に弱過ぎな作りになってたが為にそれがフイになっちゃっうとかね。

元々確実なMixingとかには豊富なモニタ方法を採るってのも含まれちゃいるんだけど、昔よかホントに怠らない様にしないとボロが出易くなってんねん。
頑張ったって限界もあるし一々面倒だけど残響もどう聴いてもほぼ同じを先ず達成出来てないと、質がどうとか気にした処で大凡でも皆に分かって貰える可能性が消えてるんだすな。

<続く>

2021年5月24日 (月)

音楽備忘録648 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑪

随分長く手古摺っちゃってたけど、今回ので電気的な部分はもう決定の打ち止めでごんす。
その発表の前に何でこう迄して出費を避けてるかだが、春は税金の支払いが連続してるからだす。

夏冬だって冷暖房等で出費は嵩むんだけど、月払いのと年度払いのじゃ一度に要る額が違うからね。
電気屋の意地も初期出費に対する悔しさも勿論あったけれど、金額の大小が俺には決定打となっとりゃあす。

では最終ベンチテストの様子へ進めてくが、今回の課題はレーン数と照度に加え各部の発熱状況も念入りにチェックしやした。
っと言いつつその内実は目視及び触手だけってのが杜撰道まっしぐらやが、数値依存より五感頼みの方がアテになる事だってあるんすよ。

半導体のDataシートには許容温度等は当然記載されてて、それに従った使い方をしてれば確かに壊れない。
ぅんがぁそれは該当半導体本体だけの話しで、他部品や筐体その他迄無事とは限らんのだす。

加えて注意を要すのが記されてるのは何処の温度でそれに到達するのにどの位の時間が掛るか等、全てが網羅されてるのは滅多に無いんだ。
随時吠えだが体験的に信頼出来る状態は一部例外を除き、手で触り続けられる程度っのが俺内には確立してんねん。

これに基づき進めてみた処先ず照度に関しては、今回程度の差なら素子数(レーン)より駆動電流の影響の方が大きかった。
となれば3レーン残してもこれも残りも正規駆動を目指した方が得策で、残りは照度不足対策や他の残存蛍光灯の代替に用いる事とした。

当初心配した方は意外とになって熱の方が心配になったのは毎度の騒動かもだが、これには電源の電圧降下がここ迄のと違いが出たのも大きい。
これが又中途半端なもんで初期構想のレギュレータを噛ますには若干余裕が足りず、けど無対策では一寸不安ってな状況となった。

初期段階と比べると電流量が随分増えて、各トランジスタには0.12A程度流す必要が生じている。
その状態では掛る電圧が1V高いだけで0.12W電力が増えるから、数V程度の差が以前のより発熱度合いにも大きく響く様になったのよ。

なのでなるべく必要最低限の電圧迄下げるのが熱的には有利だが、今回のでは必ずしも殆ど熱が出ない位にするのが良いとは限らないんだ。
これは真空管体験の多さから感じた事なんだが、半導体のより球の方が季節変動(主に温度)が少ない実感があったのよ。

その私的原因究明に依れば、何時でも気温よりかなり高い温度で運転してるからと出た。
そこで高温下でも放熱限界が許す範囲で、わざと少し熱くなる程度にしてみようと考えたのだ。

もし外気より高温にならない設計にしといて極寒期に必要電流が流れる様に設定しといたら、酷暑期には電流量が劇的に増加してしまう。
かと言って酷暑期へ合せると真冬は昼でも外すら暗めになるのに、電流激減して暗くなってしまう。

これへの対処として真冬でもそこそこ暖まる様にして差を縮めようと考え、しかしそれに適した供給電圧は更に中途半端な値となってしまった。
この一寸だけ下げたいに対する手段として、アブノーマルだがレギュレータや抵抗器では無く一見無駄で不要なダイオードを敢えて途中に噛まして電圧降下させるのを企図してみた。

こんなの本来なら流用電源の方を改造して適応させるべきなんだが、それに使われてる心臓部のICが出力電圧固定タイプだったので止めにした。
多分頑張りゃ全くどうにもならんではないと思うが、そのままならこんなに長持ちしたって実績が折角あるんだ
しねぇ。

これの実験をしてみたら当初は2個分と思ったのが1個分のほうがフィットするのが分かったが、熱余裕を考慮して敢えて余剰のダイオードブリッジ(合計4個内蔵)の中の1個だけを使う様にしている。
ここまでしても完全には程遠いが手持ちジャンクだけで捏ね繰り回せるのはもう限界なので、この辺で手打ちにすっぺ。

<続く>

2021年5月23日 (日)

音楽備忘録647 録り方の問題 加工度編⑦

今回は多分再度だがEffectの掛け録り若しくは先掛けと、後掛けに特化させてお送りする。
これには調整の柔軟性等と録音環境の両方の都合も大いに関係して来るから、それも併せて記してこう。

先ず総体的に自由度が高く高品位を獲得し易いのは後掛けの方で、その他にも汎用のだったら1台のEffectorの使い回し等も後で良けりゃ可能になる。
この面等から俺や従兄はかなり昔から後掛けメインとなってるが、奏法とEffectが直リンクしてる様な物には後掛けは不向きだし無理な場合もある。

例えばエレキGuitarでWah pedalを使いながらFeedbackも併用するとなると、ペダル位置でFeedbackの仕方も変化するからね。
それよりややこしいのがWahがペダル人力操作じゃ無く機械オートの場合で、GuitarとAmp間に繋いだのなら特にAmpで歪ませるならPedalのと一緒の扱いで良い。

がAmpでも歪ませた後のEffect Loopへ繋ぐなら、掛けの先後(録る前後って事)の差は殆ど無くなる。
或は全く歪ませない音色とするならこれも後先の差は僅少になるし、実際は後掛けなのを先っぽくするのも可能だ。

ここ迄は音色の都合が主で理想としては何時もそうあるべきだが、Effectorのタイプや録音機材の状況に依っては敢えて覆した方が好結果になる場合も出て来る。
近年はPCを始めとしたデジタルバーチャル機の利用も一般化・普及浸透してるので、これの使用を拒否らなきゃかつてよりは誰でも後掛けのハードルは各段に低くなっている。

なのでさぞかし皆デジタル領域になってから加工してるかと思いきや、意外と掛け録りに固執してる人が多いらしい。
確かに演奏するに際してその時点でそのものの音になってた方がイメージは掴み易いし、加減もし易そうな感じがして安心感があるかも知れない。

だが私的には奏法と直リンクして無いEffectだったらそんなの気休めに近く、意地悪に推察したら生音じゃ聴けない代物にしかならんのケなんてつい嫌味の1つも洩らしちまいそうだ。
近年とんと耳にしなくなった言葉に「Effect乗り」なんてのがあったが、演奏クウォリティ次第でEffectの掛かり具合等は大きく左右されるもんなのだ。

んじゃその演奏クウォリティはどんな状態だと一等分かり易いかったら、加工度が低い程演ったそのままが出て来んだから良いってのは分かるよね。
要は演奏がご飯でEffectはふりかけの立場にあり、ふりかけが多過ぎたら味が濃すぎて美味しくないでしょ。

不味くてそれだけそのままじゃ食えない米をふりかけで誤魔化すってのも無くはないけど、幾らふりかけ好きでもそれで生涯我慢出来る人って滅多に居ないんじゃないのかな。
今は既に色んなEffectorが身近にあるからそれが掛った状態でイメージが湧くのも不思議じゃないが、では無かった昔に似た様なフレーズ等が絶対浮かばなかったったら嘘になるよね。

例えばChorusには6弦を12弦の代用にする際の補助みたいな役割だって含まれてて、本物にはある低音側のオクターヴ音は入らないがド素人へ雰囲気だけ聴かせるなら大差ないとかさ。
そりゃ偽物と本物の差は今だって縮まっちゃいないけど、低音側だけのリフとか弾かないなら効果自体は音楽的要素としてはほぼ同等だ。

その辺から個人的には「なるべく後掛け推奨」で、フリーのソフトやアプリのが使える点でも現代はよりご利益が大きくなっている。
何しろ俺等の若い頃には絶対に使えなかったカードで、バーチャルではあっても正に文明の利器なんだから。

尤も録音機のトラック数・入力数や補助信号経路(所謂AUXとか
)が少ない場合は、トータルReverb等は良いがパート個別に後掛けするのが一寸不利な場合もある。
俺の思ってる後掛けって可能なら全部同時に後ってのも含んでて、基本的な設定はトラック毎にやるが最終調整は他のも全部鳴ってる状態でなのだ。

それには例えば機器がPCならまあまあ平気そうだが、古め廉価目のスマホとかだとリソースの段階で厳しい可能性がある。
折角ソフトが同一Effectorの複数使用が可能になってても、トラック数が増えてけばどんどん重労働になってくかんね。

締め括りに古株の俺には他にも後掛け推奨の訳があるんだが、それはどっちでもいいのとか無い方が良かったかも知れない物に安易に誤って掛けちまうのを防げる処だ。
随時頻吠えの如く音楽≒比較芸術故どんなに独特で素晴らしい効果や音色だって、安売りし過ぎりゃその輝きが失せるからだ。

少なくとも一番そうであって欲しい・じゃ無きゃ困る箇所でのインパクトを弱めちゃうから、際立たせたければこそ他ではじっと我慢の子って凄く重要なのよ。
それが単体聴きだとどうしたって他が入ってるより寂しげに聴こえるからって掛け取りを容認し過ぎると、完成してから聴くと大抵はやり過ぎになってんだ。

<つづく>

2021年5月22日 (土)

音楽備忘録646 残響考⑲

こっちがLED復活にやたら手間取ってる内に、普段は待たされ気味の従兄から新曲の部分試し録りが送られて来た。
彼なりにかなりマイキングが定まったらしく、どうやら階段バーブの使用にスッカリ慣れた感じだった。

そんな中暫く経って俺の中で再燃したのが、他パートのEchoの問題だ。
従兄としては先ず太鼓とそのEchoが「彼の音」として重要だからそこだけに熱中するのも分かるが、ゼネラルプロデューサの俺としては「行き過ぎ懸念」が拭えない。

これに限ると全体的には世間より影響僅少なコロナ禍の煽りがモロで、俺が従兄宅で実演しないからどうしても失念気味になるんだろうな。
そう云や先月「他パートの階段バーブも試しといて」ってメール出しといたのにこりゃ催促でもしようかと思いつつ、大規模生楽器が一番録るのが大変なんだからと思い留まったり…。

してる最中に思い出したのが「全パートへ公平に都合良く」ってのがかなり大変で、妥協するとしたらどうするかってのでこれが本日のテーマだ。
基本は最重要パートを優先させるのだと思うが、更なる問題はそれと奏者の個性がバッティングするケースだ。

この件で最初に思い当たるのが奏者タイプと常駐ハコの関係で、昔になる程この影響は色んな制約から随分大きかったっけ。
私的には多重録音の可否も大きいと思え、今だってBand用狭小練習Studioでフルオケをリアルタイムで録るなんのは空間的に無理だ。

この面で過去から最も自由に振舞ってたのもBeatlesの面々と思うが、音場から録音方法迄ニーズに応じて開発した側なので例外の嚆矢だ。
真逆の私的最不幸例としては又してもの初期Creamの録音作品を挙げとくが、正確な理由は知らんが本来はとてつもないドンシャリなのが酷くカマボコ音質にされた上「遠くでたった3人だけ」って随分と非力で淋しげにさせられてたもんだ。

時代的に孤独な方が恰好良いとか遠い方が非日常っぽくて斬新とかあったかもだが、小編成Jazz Trio(JazzはJack Bruce談に依る)にお似合いとは思えない。
中でも一番割を食ってるのがGinger Bakerで、実音よりかなりショボく非力に聴こえてたと思われる。

これは概述解散後に出た音質無改ざん!?のLiveアルバムで俺も知ったが、それでか只の自虐ネタとしてか分からんが最晩年にかなりGinger Bakerは毒を吐き捲ってたね。
もしかしたら当時年少でイケメンで一般若者層に最人気だったClaptonを忖度したつもりで、それ迄「無かった音」なのと相まって「下手な売り方」でもしちゃったのかな。

それでも当時ポピュラー系は業界内じゃ低く差別されてたから、諦めの心境で録音途中で失踪したりしなかったのかなぁ。
特にこの件に限ると機材も技術も白よか冷遇されてプアだった黒の方に聴き処が多く、劣悪条件下でもキャラを損ねてる様なのは殆ど無かったからそこは大いに参考にすべしだ。

環境その他諸々が格段に良くなったのに、今の方が「上手く行きそうにない」と俺が感じるのはこの部分だ。
それは誰の音の何処だけは守る・守ろうとするかって部分で、時として明瞭度や体裁を潔く放棄しちゃう位の勇気を要する場合も出て来る。

この面では高度な機器や技術が足を引っ張る事もあって、技術的に比較的簡単に可能であるが為に個性を犠牲にして体面を保つ方向へ走りがちになってるのだ。
音楽界では世間以上に一部の達人が妙にビンテージに拘る中にこれが含まれてたりするが、音的なスタイルを堅持するのに必要だったりするからだ。

現実的にはアイテムの影響だって無視は出来ぬが、音楽で新しくするってのは「やり方主導」じゃないと少なくとも長持ちしないんですよ。
この辺は各自自己分析してメカと結果のヲタ度を再計測するのがお勧めで、経験豊富なベテランでも案外何時の間にかってのが体験からしても多いですねー。

それからすると家庭環境等の都合で今は無理だけど、早期に従兄宅へ行って階段バーブが掛った状態で試奏してみないとだわ。
現代の普通と真逆で「Echoが固定」になるから、楽器の音色調整の方で合わせてくには実地じゃないと苦しいよ


実現場でしか録らんのならまだしも、少なくとも加減が分かって無いとこっちで録るのに悩みそう。
Echoの方で楽になると思ったしそれは確かなんだけど、差し詰めこっちのは生じゃ無いしリモートなのが裏目に出ちゃったかね!?。

<つづく>

2021年5月21日 (金)

音楽備忘録645 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑩

では件のレーン数をどうするかに際し、簡易照度計算してみたからそれから行ってみよう。
電流量の件では途中に変換回路が入ってたのもあってやらかしちまったが、照度は元機の公表スペックに嘘が無きゃ単純な割り算になるだけだから大丈夫な筈だが如何に。

宅での元機使用状況と併せて前提から述べると、LED192個で4600lm(ルーメン)となってて明る過ぎだった。
従前使用の蛍光灯具やら他の実例から推定すると、必要若しくは適度な照度は3000lm程度なのでこれを目標とした。

そこから元が放熱兼用基板が素子数96個2本(レーン)だったのを24個8本へ分割したが、前回述の「新制約」(1レーンに0.24A要る)が発生して再考を促されちまった。
6レーンにすると合計1.44A要ってベンチテストの感じでは定格を超えても今の処働いてくれては居たが、灯具内で籠り気味になるであろうLEDの発熱と共存させるとなると電源の規格は尊守した方が良さそうだ。

けどそうすると5レーンでLEDが24個減って2875lmに落ちてしまうのでなんだが、6本144個あっても非正規駆動でどの位暗くなるか比べてなみいと分からない。
宅に照度計が無くて測れんのも何だが、実使用下では数字は目安にしかならないのも確かだ。

現況の臨時状態で明らかな照度不足でも全面的に困っちゃいないのは、作業卓やPCキーボードの周辺はそれなりの明るさが確保出来てるからだ。
尤も背景が暗いと照度差も大きくなるから、老眼の更なる劣化を恐れると全体の明るさ不足は不安だらけ。

それでいて就寝前等は明る過ぎない方が良さそうなので、結局は調整が効くとかし易いのが最善なんだろうね。
かつては照明には実用性と併せてムードにかなり拘ってたが、目の衰えで半ば夢を奪われた感じだ。

本邦世間一般では老眼≒恥っぽいせいかあまり多く語られて無い様なので、この際だからなるとどんな風に違って来るかを少し記しとこう。
俺の場合当初は拡大表示さえすればOKと感じてたが、老眼鏡レスの痩せ我慢が限界に来てからは一寸様相に異を感じた。

具体的にはデジカメのと似た様なもんで、詳細を明瞭にするには明るさの影響も拡大と同列な位大きかったのだ。
今のデジカメ(スマホ内蔵とかのも含む)は高感度になったから暗くても映りはするが、一定以下の明るさになると解像度はどんどん落ちて粗くなるよね。

どうもそれと似てるらしく暗すぎると拡大率が同じでも、微小部品に刻印された文字の判別が困難になったであるよ。
これに気付いてみると充分明るいと、思ってたよりゃ小さいのが今でもまだ読めるじゃありませんか。

齢取ると夜目が効かなくなるって単に見えなくなるんだと思ってたっけ、存在は分かっても判別力が落ちるって意味だったのねっと。
っとこの辺で本題へ戻すと、電流量案件の他にもう1つ変更を迫られた箇所が御座居ました。

一般的に電流量が増加すると電圧降下もお付き合いしてくれちゃうのが多いが、そのお陰で安定度向上を狙って付加しといた電圧レギュレータがお邪魔虫となってしまたあるね。
これ元は駆動トランジスタの電圧をギリギリ迄下げて対電力マージンを確保してたのもあったんだが、この手が使えなくなりましてん。

それに依って変更トランジスタの耐電力は更に大きいのが必要となって、当初候補の片方が非採用決定になる顛末を迎えた。
コレ単体では耐電力で折角少し勝ってたのに、並列使用可能な程数が無かったのよ。

とは言え部品は確定したんで後は比較と調整で絞り込みに専念出来ると思った矢先、想定外の事故に見舞われた。
6レーン用の回路のままで5レーンのテストを安易にやったのが不味かったんだが、定電流制御用のトランジスタを小爆発させちった!。

普段より慎重を期してるつもりだったから暫く呆然自失となったが、これの代役を探してて段々冷静さが戻ってみれば稚拙なミスだった。
トランジスタって「ダイオードを背中合わせにくっ付けたも同然の物」だから、足(端子)3本の内2本だけが繋がった状態だと状況に依っちゃ電流が無制限に流れちゃうんだわ。

無自覚でも早く結果が欲しくなってたからか、きれいサッパリこれを失念してたらしい。
原因が特定出来ないよりゃ遥かにマシだが、無駄な苦労って自分のせいてせもやっぱげんなりさせられるよね。

<続く>

2021年5月20日 (木)

音楽備忘録644 録り方の問題 加工度編⑥

さて数回前に触れた「元から上下にズレてる波形」とか、「上下の片方だけ大きい波形」の音ってあったのねの巻だ。
録音時の取込み機器がPCになってからハッキリと気付いたが、正直正確な理由は分かっても居ないしさして追及する気も無いのは杜撰大王ならではか…。

私的に最初におやっと感じたのはエレキBassので、球プリは使いつつPCサウンドカード入力でAudacityで多重してたらそんな波形画像になってたんだ。
最初はDC Offsetを疑ってMidiの打込みSynthe Bassの波形も、選択音色次第ではそんなのがあったが
確認してみた。

が波形の始終点はどっちもキッチリ0Vになってて、どうも何らかの音色の都合でそうなるらしい。
処でアタック音の部分に限りゃ他のでも「偏り」があるのも普通で、しかしアタックが終っても暫く続いてるのは今の処生楽器ではお目に掛っていない。

何れにしても取敢えず音自体に何ら不自然さは無かったので、次にBassで俺はピック弾きが多いのを良い事にアップとダウンでどう変わるのか一寸試してみた。
したっけ正に絵に描いた様にそのまま波形に反映してて、位相反転が無い場合ホントにダウンだと下から・アップだと上から始まり且つ割と最後の方まで偏ったままになってやんの。

それで思い出したのが音色都合で意識的に、擦る様にとか擦り付ける様な弾き方があるってのだ。
指弾きの場合音色太さは指と弦の接触面積に左右され易く、実質的には「同じ人の同じ指」なら当てる角度を寝かせて面積が増すと太くなる。

ピック弾きでも面積は関係あるものの指程の変化量は得られないし、特に同じピックで部分的に太さを変えるのは困難だ。
それが上述みたいな弾き方をすると太くも出来るし、細くなり過ぎるのを防ぐ事も出来るのだ。

その原因はそうしてるとアタック時に弦がPUのポールピースに近付くかららしいが、試した様子からするとどうも波形が偏ってないと却って音色が駄目になるみたいなのだ。
んでこんな話しを何故「加工度」の処へ持ち込んだかってば、音圧稼ぎ等で偏ってる分振幅が最大に取れて無いのを下手に弄ると不味いんじゃって思ったからだ。

自分としても一寸妙な気分だが、上手く意図した通りの音色が出せてる時程偏ってたのよ。
こうなってみると近年本邦のって無理くりコンプで異常な程高音圧にしてる割にゃ、何だか過去作の加工度の低いのよりBassがちっとも太くないじゃないのさ。

俺が理系で音響屋だから視覚に捉われ掛けたのかも知れないけど、簡単に波形が見られる様になったからって聴こえた音の方を優先しないと危険な事もあるんだわねぇ。
して本項により関わる部分で配慮してくとすると、偏りを無き物にしちまう様なコンプを迂闊に掛けたりしちゃ却って細らせるかも知れないって処。

所望より肥満してるのをダイエットさせるんなら別だが、殆どのケースではこれするとマイナス方向に作用する公算が高い。
因みにⅡで他楽器だとどうかは現況殆ど試しもして無きゃ感知もして無いが、波形やメータの振れより聴こえた音を重視しないと危なさそうなのには変わりない。

ではこの件の最後に聴き分け方を少し伝授しとくが、好みの方向へ音色を変化させる自体は別に遠慮したり躊躇しなくて良い。
但し例えば太さであるとかが音色的に重要なファクターを握ってる際、そこが痩せたりする様だったら弄り方を一工夫しないとイカンぜよ。

時には弾いたのと全く別物になって面白いってのもあろうが、それ以外の場合元からあった長所を犠牲にするのはどうかと思うな。
だったら極端な話し他の誰かに弾いて貰うとか、変化より安定(一定な)を望むなら打込んだ方が確実だし高品位になるっしょ。

結果オーライは否定処か俺なんて代名詞に近そうだけど、だからって全く無神経・無配慮にやって得られるもんでも無いんですよ。
寧ろ本人無自覚でも何らかのツボを押さえられてるから、テキトーにやったってどうにかなっちゃってんのよ。

<続く、かも>

2021年5月19日 (水)

音楽備忘録643 残響考⑱

エレキのオープンバックエンクロージャは特にBassでは、1本のみのOn Mic収録に適してるのは別項概述。
そのOn Micには幾らも入らんけど、ある程度以上響くハコ内では残響にもより明らかな差を生じる可能性が高いのだ。

そもそも密閉遠鳴り型のキャビネットってな良く響く大会場で、一面でなるべくEchoが掛らない様にした物でもある。
「遠鳴り」とは遠距離でもスピーカユニットからの音が残響に勝るって意味でもあり、極端な話し直接音が残響に負けてたら「Echoだけの音」みたいに聴こえ兼ねない。

そうなると色んな「響き」がごちゃ混ぜになってるもんだから、弾いてる内容が分からなくなったりする。
但しそこ迄行くのはアリーナ級のホールみたいに広かったらで、狭目のハコでRoom Echoをフル活用するには却って物足りなくなる可能性を持っている。

ではここから「残響の元」になるAmpからの響きを考えてくが、密閉型で裏がしっかり蓋されてたって低域は箱裏からだって出てはいる。
尤もマトモに出るのはキャビネット自体が振動する様な超低域限定で、少なくとも比率的には中域以上は出て無いに等しくなっている。(現場人耳には元が巨大なのの回り込み成分のせいで聴こえるが)

これ等からすると狭目のハコでは滅多に欲しくならない超低域だけで、中高域の残響が後面開放型より得難そうとなる。
残響無視で明瞭度一択ならこの性質は悪くないが、実際より更に狭い処で演られてる様に聴こえてしまう可能性も拭えない。

そうなると「Studio Live風」とか「普段の練習中風」みたいなRoom Echo演出をしたい時には向いて無く、そのAmpが半導体式でリニアな性格のだったら最悪BassだけLine録りと思われるかも知れない。
因みに近年は電子楽器等も含めLine録りが可能なのは、Lineで拾っといて後掛けReverbで処理するのがデフォとなっている。

だが現場に居合わせる奏者はDJ担当や同期対応のDrummer等以外、通常ヘッドホンなんて被らないで生耳でアンサンブル全体が聴こえる様にしてるのが圧倒的多数派だ。
Liveにしても聴衆は例え劣化が少なかったとしても、PAを経由した音しか耳にしていない。

これからすると敢えて明瞭度で若干の不利を容認してでも、リアルさに勝る手法を選んだ方が良い場合もあると思うんだけどね。
特に近年本邦みたいに聴く際に実空間残響等と縁が希薄となれば昔よりそれが録音に入ってないと、自分で弾いてヘッドホンAmpで聴いたのと音響的には同等となってしまうんだから。

これに基づいた体験実例を1つ提示しとくと、我が狭小宅でBandの一発録りの際にこの方法を選んだのがあった。
本質的な理由が演出じゃ無いのが情けないが、狭さから回り込みが酷かったからだ。
リズム隊とか歌パートとか大枠別だったら数人一緒に録ってもそんなに後で困りゃしないが、この時のVocalistが声量的に初心者同然とあっては厳し過ぎた。

因みにⅡで内外新旧問わずリアル残響と明瞭度を共存させてるのも散聴されるが、それを無理無く達成させるには最低でも20~30畳以上の広さが必要だ。
音的具体目安としては所謂アンビエントMicからのを所望の混ぜ具合とした時、各On Micに混入したのよりそれが明らかに勝ってたらOKって感じかな。

又その位の差が無いとOn Micのだけ上げたつもりでも残響も一緒に増えちゃうから、明瞭度に不利だしわざわざアンビエントを立てた意味も大分薄れちまう。
この件も加味するとRoom Echoってそれらしさを追及すると、例え後掛けでも明瞭度より空間感を優先しないと効果的じゃ無くなるのがお分かり頂けるだろうか。

今本邦では普段の個人練習時に本番近似環境ってな無きに等しいから厳しいが、明瞭度的にそんなに良く無いモニタ環境下で奏力側を鍛えとくのがやはり重要なのだ。
それで明瞭度が環境に左右され難くなってると、録り方録られ方に一喜一憂しないで済む様になれるのよ。

なので私的だがピュア原音とピュア残響以外の「得体の知れない響き」ってのが、リアルさとか生身の人が実演してる感には最重要ファクターなのではと最近より強く実感してるんだ。
何しろPA不使用の電子楽器や打込みでは、そう云う要素の生成も追加もかなり至難だからね。

最後にこれに尻込み気味の方へ後押ししとくと、手加減可能な実演では埋もれ易い処だけ普段よりハッキリ奏でるとかもひとたび慣れりゃそんなに大変じゃ無いでっせ。
非人力の加減の効かないので何が大変って最埋もれ時に合せとくと、今度はそれ以外の時のが出しゃばり過ぎになったりするでしょ。

で結局どっちかを犠牲にするか、イメージには中途半端でもその中間域で泣く泣く妥協するしか無くなるじゃん。
なるべくどうでも良い箇所のパッと聴きだけで判断して欲しくないと思うのはこの辺で、こう云うのって全部終わってから顕在化するから惑わされ易いんだ。

<続く>

2021年5月18日 (火)

音楽備忘録642 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑨

漸く準備も整ったんで意を決して重い腰を上げ、ここ数日は一気にベンチテストに明け暮れた。
覚悟はしてたが例に依って毎度の如くそれなりにすったもんだがあって、その最大のはある限界が露呈した処だった。

試験当初は慎重に徐々に電流を増やしていったが、どうも明るさが足りなくていけない。
一応半壊時点で健全側の電流量は測っといたんだが、それへ到達しても明らかに暗かった。

測り間違えたか計算ミスから脳内で天然Data改ざんされたのかは不明だが、健全時の発熱具合と比べるともっと流してたらしきは確かだった。
それに伴いその時点での駆動回路では魔利用素子(トランジスタ)事情で限界1を迎え、先ずは変更を模索する羽目となった。

手持ちジャンクに他に従前候補より特性の揃ってるのは無いが、こうなっては仕方無いので別をあたる。
因みに従前君は2SC3330ってので、0.2A迄流せて0.3W迄耐えられる物だった。

従前回路設定では電流量は各レーン1個でも余裕だったが、耐電力が厳しいから2個並列使用としていた。
この辺は何時ものオーディオ系のでもそうなんだが、中型トランジスタの取れ高が悪い関係で悩まされ易い処だ。

過去作のHeadphone Ampでも同じ理由から、最高で4個並列迄やった事があった。
これ4個っても片chのPush-Pull回路の半分だけの事なんで、Headphone(Stereo)1ch用の合計だと出力段だけで4×4=16個も要るって物量作戦の権化状態だった。

そんなに数を要すと何せジャンク流用だから特性が揃い切りゃしないが、この時は各素子のエミッタ端子に付ける抵抗器の値等を微調整したりして凌いでいる。
今回のはLEDを耐電流近くで使うからよりシビアになり、出来れば避けたかったが背に腹は代えられない。

んで次の候補を以前から別途作製しといた表から探した結果、2SC3246って妙に増幅率の大きいの
が槍玉に上がった。
増幅素子ってんだからその増幅率は普通なら大きい程大歓迎なのに、今回用途では消費電力では有利でも一寸おっかない。

この件等での揃った特性ってのは一般的に増幅率がその正体で、必要に足りる範囲で小さ目な方が不揃い由来の出力電流ムラと温度変化に依る流量増減も却って低性能な方が安定度を高く保てるのだ。
これ一般会話に翻訳すると高増幅率→高感度→敏感ってなもんで、本件では更に「→神経質」となって反応良過ぎの変動大になって困っちゃうのよ。

なので回路修正直後の試験にはかなり慎重になったが幸い「不揃い不安」は、シミュレータでもベンチでも殆ど問題にならずに済んだ。
どぅわぁがぁしか〜しぃ、肝心の明るさがそれでもまだ足りなかったのでありまする。

そこで再度基本に戻って一番単純に電流量を再計算した処、どうやら各レーンにつき元は0.24A程度流してたらしきが判明。
それに沿って更に回路へ修正を加えつつベンチを続けてった途中で、ハタと別の問題が頭を過ぎったんで御座居ん
す。

悲しいかなここでは恒例の稚拙な原因だがジャンク流用スイッチング電源の容量って、1.2Aしか無かったのが本日2つ目の限界に御座居。
元が照度過剰だったからLED素子数を¾に減らしてるにも拘わらず、0.24A×6=1.44A欲しくなっちゃったんだよね。

油断したり軽視したつもりは無かったんだが、ずっと必要電流量を低く見積もってたもんだから…。
とは言え手持ちにコレよりマシなのなんて無いから、基本構想の方を変えにゃしゃーねーわ。

して俺がこの段階で迫られた究極の選択は、正規駆動電流量とレーン数を減らさないののどっちを優先させるかとなった。
加えて惜しいのは妥協してどっちを選んでも修正前回路では足りないのだが、照明って一部を除けば「決まった形」じゃなくたって良い訳で今なんて臨時にしては結構長期間クリップライトとかで凌いでるんだしさ。

ここでの教訓!?としては「固定観念は危険」で、それが元でそもそも電流量を勘違いしてたんだし。
けど厄介なのはあまりにも何でも自由設定にしてたら中々纏められんで、苦々しくも適度に制約があった方が物事を進め易くなるのは確かなのよねぇ。

<続く>

2021年5月17日 (月)

音楽備忘録641 録り方の問題 加工度編➄

前回最後だけだとこれから挑戦したい人には問題なので、そこから続けてこう。
この件に対するキーワードは「積み重ね」で、学校で学んだり今はその道の達人になってる人でも必ず辿らされた方法だ。

1つの機器内で範囲を限定して習得するのには、今のデジタルバーチャルのは昔の実機より遥かに向いている。
誤って隣のツマミに触れるのも少ないし、物に依っちゃ初期化って強力な最終兵器も持ってっかんね。

画的に複雑だとその時点で苦手な方には単機能シンプル実機も悪くないが、学びのステップアップにそれだと買換えが伴うからあまり勧められない。
それより俺言い後発組(やり出した時点で大抵のEffectorが既に色々あった)で留意すべきは、集中度への注意だ。

Effectって大元は兼用はおろか専用機すら無くって、只○○な音が急遽欲しくなって色んなのを捏ね繰り回して捻り出してたのが始まりなんだ。
BeatlesにあるChorus・Flanger系のは、基本的にはオープンリールテープレコーダ2台の変態駆使に依って賄われている。

それだと操作スキル以上に加減するのが神業レベルで超大変だが、今迄無かった音への欲やそれがが実現出来る喜び等で克服してたと言える。
それが今では設定さえ出来りゃ誰でも手に入るのが予め分かってるからか、既に沢山耳にしてたりするからかその価値を実質より低く見積もってるきらいがある。

そうなるとどうしたって「これさえ習得すれば」ってよりゃ、「えーまだそんなに覚えたり慣れたりしなきゃいけないのかよ」って方へ気分が傾くのも仕方無い。
確かに今更どんなに頑張ってスキルアップしたって、世間で初耳時の様なインパクトはもう得られないしね。

そんなならこの際Effectなんて放棄してやらあってのも1つの道だが、本当に適した箇所へ掛ってるのの効果が昔より減っちゃった訳じゃ決して無いんですぜ。
それと俺こそが最も言えた義理じゃ無いのとして、昔より複合技を面倒がって避ける傾向が世間にも感じられる。

理由は様々だろうが俺の場合だと、自由過ぎて大まかなイメージに到達させるのが却って遠くなったからってのがある。
機器性能もだが機能や種類が際限無くなった結果、選択肢が膨大になり過ぎてしまった側面があるのだ。

昔のは実際は仕方無く狭いバリエーションになってただけなんだけど、手早くサッと使うには意外とそんな欠点が良い方に貢献してたんだろうな。
その対処法としてはなるべく普段から掛けたのに触れとくのが良さげで、Amp歪ませの為にEffect後掛けがデフォになってるのが不味いかと一瞬思った。

けどもう少し掘ってってみると、そもそもEffectが奏者主導なのかプロデューサとか主導で行くのかの問題にブチ当りましたよぉ。
奏者が普通純粋に奏者であるには一寸鳴らした程度のでも、一々全回録って弄るなんてのは異常に等しい。

片やプロデューサや技師の方は弄りに明け暮れはするんだが、そのソースは固定に近く限定が厳しい。
それからすると俺みたいに兼務出来るのが有利なんだが、両方熟練しててこんなにしょっちゅう迷った挙句面倒になっちまう。

一面では必須じゃないからそうなってるのも確かなんだろうが、それに依ってアイデアに制限が掛ってそうなのは気になる処。
要は楽器音色のバリエーション範囲に留めとくか自由な音響操作の道具と思うか、そんな側面があるんだろうな。

ニーズの低い範囲でも出せないとなると縛りと感じる人も居るだろうし、人次第で音楽と音響の境界線にも巾がある。
けれど機器の自由度が上がるにつれ却って定番ばかりが乱用される様になったのからすると、もう少し楽器寄りな作りにした方が良いんじゃないかと思い出してるな。

技術的には実現可能でも、例えば8弦とか9弦のGuitarってキワモノ扱いだ。
Pianoの鍵盤数にしたってご同様で、固定されてるからこその使い易さってのがある。

私的一例として作ろうと思って棚上げ同然となってるのに、MXR Phase100ってのがある。
これはアナログフォトカプラってのを使ったPhaserなんだが、独特な強い癖を持ちつつ他を圧倒する滑らかさを兼ね備えている。

その滑らかさのお陰で他の殆どのにあるザラ付きが邪魔で使えない様な処へも行けるのがミソで、Effect音の種類は基本的にはたった4つしか無にも拘わらずだ。
こヤツ一部の部品に入手難があったから過去にデジタルバーチャルで代用した事があったが、駄目と迄は行かなかったけどLiveと称しつつ「口パク」みたいな感じ迄しか行けなかったな。

本物より圧倒的に広範で自由な調整が出来るのに、苦労して見つかったポイントの出来栄えがパッとしないのだ。
それ以外のこの時求めて無いどのポジションでもかなり流麗な音色にはなってくれてたんだけど、別に他はそこ迄良くなってくれなくたって構わないのになぁって。

<つづく>

2021年5月16日 (日)

音楽備忘録640 残響考⑰

この際だから恥知らずを武器に私的勘違いを交えて、前回の続きを記しちまおう。
手っ取り早く言うとDeep PurpleのMachine Headが、ずっとフルサイズMarshallで録られてたと思い込んでたってヤツだ。

パフォーマンスのみならず録音の質も高評価な件のアルバム、Toneバランスが絶妙な為に英系のにしちゃ低域量が少な目なのも気付き難かった。
Stonesのモービルユニット(移動Mixingブース)を借りて録ったのが有名だからか、聴いた印象も当時のStonesのに近似なので見事にずっと騙されてたわ!?。

って先方にそんな作為は多分無いだろうけど、もしかしたら天然残響を活かすにはそうせざるを得なかったのかも知れない。(気が向きゃ・入り切りそうなら後述)
それは兎も角この誤解のお陰でかなり後年迄「Marshallは素晴らしい音色」って固定観念が根を張っちゃって、前回述みたいな失策の源になりやがったですねん。😢(いや素晴らしいには違いなかったんだが…)

この過ちに微かな疑念を持出したのはRainbowになってからのRitchie Blackmoreの見違える様なショボイ音色で(お好きな方失礼)、幾ら改造し過ぎて劣化したにしてもなぁなんて思ってた。
何が劣って感じられたかったら、上をそんなに削って良きゃ何を使ったって甘っぽくなるだろうって処だった。

個人的だが彼の音色の評価点がBrightしては喧しく無いってのだったから、それが無くなっちゃったら他の誰だって良いんだもの。
でもまだこの時点じゃそんなだから、無改造のオールドだったらきっととかも同時に勝手に推測してた。

それ以上に私的に謎だったのがBassサウンドで、高域の出方からするとMarshallである事には疑いの余地が無いんだが…。
その頃の彼の概知!?のSet UpはスピーカエンクロージャがBass用じゃ無くOrgan・Guitarの大ホール用のだったりと独創的で、しかしその割には少な目でもAlbumのはLow Endもちゃんと出てる。

だが当時の他のと比べたらLine録りに近い位鮮明だから、最低でもMicはかなり近かった筈だ。
これHighは出てて美味しい歪みが共存可能なのはスピーカからじゃないと困難なのと、しかし大型Marshallでそんな拾い方すりゃLow Endもだが低音が物凄く骨だけみたいに痩せっぽっちになる筈なのよね。

これ等が氷解し出したのはGuitar・鍵盤のAmpがVOX AC30かもから始まったが、当時の英ではどのAmpブランドでも使えた欧州管(球)とスピーカユニット(Celestion)が同系統って共通事項があった様だ。
それでか単に入手性や予算事情からか分からんが、Ⅱ期Purpleでも大ブレイク前に舞台が狭目が多かった内はLiveでもVOXを使ってたのが画像から判明。

これから俺が学んだのは「場所に合った規模の装置」が最善ってので、本体音色の他「残響処理」(特に天然の)に於いてもその方が手に負え易いんじゃって事だった。
因みに俺がAmp自体のOverdriveを常用する様になったのは、所属グループが一旦ゼロになってからで他が聴こえるかの遠慮から開放されてからだった。

グループがある内は迅速な音色切替もだが当初は非力なPA、その後は若干非力なメインVocalist等の関係で45Wでもフルアップがはばかられてたん。(但し高能率の2発だが)
パフォーマンス内容からしてそんななら思いっ切り演って平気なのの方が良いし、特にDrumsetみたいに生のだったらほぼ絶対だしょ。

響き方や音の拡がり方だってそうだけど、原音が変に遠慮しちゃってたら残響だって余計チープになるかんね。
凄い楽器使ってるから良い音って半分はそうなんだろうけど、奏者の力量で実際より巨大なの使ったみたいに勘違いさせられたって事なんですよ。

因みにⅡでググってもとても出て来難いがRoger Gloverの上記の正解は、私的には発見画像からだと「1962」だったと考えている。
こヤツClaptonがLes Paulとのコンビで有名になったせいか、そもそもはBass用のなのを失念してる人が多い。

昔って今より録り風景の写真とか少なかったり非公開が多かったから、Fenderの4×10inch Bassman共々結構設計通りの使われ方(つまりBassの録りに)だってもっとしてたのかも知れない。
尤も近年のだって実現場じゃ無く撮影用のの可能性もあるから、視覚より聴覚に頼って判断した方が安全なんだろうけどさ。

さて少し前に別項でキャビネットタイプの云々は概述なのに何故すぐに再登場させたかってば、残響に対する影響もかなり大きそうだからだ。
それについては次回を乞うご期待。

<続く>

2021年5月15日 (土)

音楽備忘録639 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑧

逃げ乍ら仕方無く作業も進めるの体がいよいよ露呈全開になるが、もう1つ掲載しそびれてた画像があるからそれで引っ張らせて貰っちゃおう。😅
それは回路シミュレータを使った証拠にもなるものだが、色々不備が多くてもどうしても壊したく無い時にはかなり力になるもんなのだ。

Led1
久々でチャッチャと掲げた上図はシミュレートして編み出した回路図で、残念乍ら実際に組もうとしてるのとは随分色んな処に違いがある。
その筆頭は何と言ってもこっちがジャンク故に絶版部品を多用するからで、シミュレータソフトより昔に廃版になった物だと所謂「Spice Data」(ソフトで仮想計算させるのに必須)なんてそもそも用意されてなかったからだ。

次に現行品でもDataの見つからなかったのがLEDで、元機のIC同様カスタム品か或は新し過ぎて公表前なのかは定かじゃ無いが。
それでソフトに同梱されてる中から代用品を使ったが、基準電圧Vrefが異なる都合で現物は6個直列なのを敢えて1つ減らして調整している。

LED群の接続も現物では性能ムラ軽減策で4並列が6つ連結されてるが、こちらではムラが無いから単純な直列としている。
拘るなら部品Dataの一部を微調整したのを作って再現も可能だが、現物の状況でこの部分は問題無く稼働してたので今回は省いている。

しかしポピュラーなのだったら誰かが後で作ってくれてたりもするが、マイナーなの中心となるとそもそも一般的な半導体のDataシートすら中々見つけられない位だかんね。
又可変抵抗器も唯の抵抗器2本とかに置換えるのが常套で、そうしとかないと可能なのでも常にソフトが「計算中」状態になり重くなって埒が開かなくなったりするからだ。

これ等から俺の今回用途では何時もにも増して目安程度にしかならないが、可視化されるのと関係性が掴み易くなる点でご利益がある。
それがそんなんすると回路各部の電気的状態がどうなるかの提示で、主に電圧と電流のグラフで表示出来るのが次のスクショだ。

Led2
上図Ⅱは駆動トランジスタ1個についての電圧・電流の様子で、回路的に駆動電流最大時とした時の物だ。
グラフ縦軸は電圧・電流の併記で横軸は時間だが、上図Ⅱの様に回路が安定状態なのが確認出来てたら計測時間なんて数秒で充分だ。

実はシミュレート最中には最大7200Sec迄敢えて延長させてたが、回路定数次第では僅かずつでもずっと値が増減し続けるなんて事もあったからだ。
遅れ馳せ乍ら一応最低限の説明をしとくと緑線が電流で、トランジスタはほぼ同性能2並列・LEDは4個並列なんでLED 1個には大凡グラフの半分の電流が流れるってのが分かる。

又緑と赤の線の差がトランジスタ端子間の最大電圧となっていて、これはトランジスタの厳しい電力容量(所謂ワット)に収められるかを確認するのに必要だった。
今回使えるトランジスタは最大0.3Wの耐電力で、グラフからの概算(3.3V-0.55V)×54mA≒0.15Wと常温最大時に定格の半分に収められるのが確認出来た。

今回考案の回路は今の専用半導体のより部品のバラつきや方式から安定度が低いのもあるが、壊れちゃ困るのと温度の影響に強くするのと併せるとマージンが倍位あると先ず確実だからだ。
何れにしても壊さないのを前提としてるので、実際テストしたら定数変更しないと暗過ぎたりする可能性は大いにある。

しかし音と違ってこの手のは万一オーバーしたら歪むとかで済まず、即死させたりする事もあるからこっちの性格がどうのとか言ってらんない。
俺的には慎重より大胆が大好物なんだが、希少資源の破壊がご法度なのも普通の開発とは大違いとなると我慢を強いられストレスの増し盛りに繋がってる。

<続く>

2021年5月14日 (金)

音楽備忘録638 録り方の問題 加工度編④

前回迄は良い意味で消極的な方が好ましいのだったんで、ここからは積極的にやっても良い方のを徐々に綴ってこう。
こっちは特にMusicianには興味が強いと思うが、思い通りに仕上げたいなら奏者自らが無理無く操作出来るスキルが必要だ。

多数派としては演者が要望を出しそれに沿って技師が実施ってのだろうが、例え自分でやらんにしても知識不足だと余計な軋轢を生んだりするからご用心だ。
これには大別すると損するのに3パターンあるが、最終的には作者が最も泣きを見させられるのは肝に据えといて欲しい。

では順に行くが1は奏者が舐められるパターンで、無茶振りばっかして来るから技師がマトモにゃ相手してくれなくなるケース。
ここで技師が「ガキが」とか「アホか」となじって来る内ならまだ一縷の望みが残ってるが、返事は良いが何か心がこもって無いとかみたいになってたらお終いだ。

そんなだと「どうせ言ったって訊きゃしない・分かりゃせん」って、お金の為に文句は我慢しても形だけしか働いてくれてない。
依頼側がコワモテで受け側が大人しい組合せとかだと、技師の様子を何時もより一寸良く伺っといた方が良いかも知れない。

俺様の作品で金も払うってぇのにんな面倒なと思うかもだが、コミュニケーションに不足があったり失敗して一番損するのはお金を払う側だ。
これには両損になるパターン2も含まれてるが、技師側の損失は基本的にはビジネスライクな範囲に留まる。

やはり作品と云うネタを提供してる側の方が被害甚大で、作品を傷付けられるのが大して苦痛じゃ無い様だったらお金を掛けて迄録るのに相応しくない可能性すら考えらる。
とは云え相手がこれにかまけてブラックって事もあったりするが、それを見抜いたり制圧するのに力になるのは態度とかより内容なのだ。

黒商売って基本的に「騙せる奴だけ騙そう」ってシステムで、相手が自分より下の時にしか通用しない。
うっかり自分より上の奴へやらかした日にゃ、「嘘がバレ」てもう商売が続けらんなくなるからねえ。

パターン2の中で演者も技師もアマチュアって条件を付けるともう1つバリエーションがあるが、頼んだ方も頼まれた方も罪悪感!?に苛まれるやつだ。
資金に乏しくキャリアの浅い面々しか居ない段階に起こり易く、本来は誰にも罪は無いのに遺恨みたいなのが残っちまうやつだ。

それで仲間を減らしたりするのを避けるには、先ずはどちらかだけでも最低限を分かってる事が必要だろう。
処が初心者ではそもそも足りてるかどうかの判断が困難だから、それからすると普通なら「出来ないから頼む」が通用し難い作業と考えても良いかも知れない。

「一緒に挑戦」と思ってたら少しは好転もするだろうが、演者と技師では試せる機器面で格差が出易いのを覚えといて欲しい。
例えばEffectorの操作に際し奏者は必ずしも電気的知識が豊富とは限らないのは概知だから、少なくとも「弄り始め」は無知でも最低限の操作は出来る様に機器側で配慮されてたりする。

が対象が技師≒専門家となるとこの面では急に不親切になり、マニュアルを熟読し一定以上理解してからじゃないと受付てくれなくなったりする。
只でさえそんななのに業務用ともなると一層拍車が掛り、マニュアルを通じて学ぶのが困難なのすらある。

それでいて本式業務用のと比べて機能や性能面でかなり格差があったりするから、独学の難易度の時点で既にかなり差があるのだ。
私的には自動車運転の最低必要スキルの今昔と類似な感じで、俺の世代で早目に免許を取ろうとしたらマュアルシフトの操作は必然だった。

それも教習車の仕様や年式次第では、シフトレバーの形状・位置・操作方法・シフトパターンのどれもが全然違うのが平然と供されていた。
コラムシフト(ハンドルのシャフトから生えてる)とフロアシフト(床から生えてる、って生えてるはホントは変だね)の2種ある位は事前に知らされてるが、シフトパターンは車に乗り込んでから口頭伝達されて直ちに発進させろなんて具合で。

それでも強引に大雑把でも何とかなってたのは、当時はカーナビの操作とかが一切無かったからだろうな。
Effectorでも弄れる処が少なかったら体当たりで感覚を掴むのも無理じゃないが、設定箇所が膨大になると埒が開かなくなるですよ。

<続く>

2021年5月13日 (木)

音楽備忘録637 残響考⑯

前回の原形3段積みMarshllの録りでの扱い辺りから始めるが、金満プロ以外だと求めに即した楽器が必ず使えるとは限らないしね。
概念だけで1回終わったからって、具体内容がちゃんと後から出て来るのがここの売りか!?。

次善の策でも授けはしとくけど、基本的に適正度が低いと苦労は多いし限界点が低くなるのは覚悟しといてね。
良く響く環境向け設計(特に低音程)ってのは、響いてて丁度良い低音の量とかになるって事。

なのでそれ以外の環境下で鳴らせば高域ばかりのキンキンにしかならなくて当然で、それを抑制するのだけで何とかしようとすると今度は中域ヘヴィとなったりする。(例に依って意図的にコレ等を求めるなら別やが)
勿論低域を増やすEQだってしはするんだが、拾い切れて無いのを盛大に増やそうにも雑音の方が大きくなったりし易い。

単純思考でならどの段階で増やしても同じになりそうだが、原形の「遠鳴り設計」のお陰でそうは行ってくれない。
その様子を強いて言語化するなら、「遠くでアタックだけ低音が出てる」ってな感じだろうか。

飽く迄イメージだが低域の出てる時間が短いから、響いても終息も早まり他の帯域を侵食しないで済んでるんだ。
つまり低域と中高域ではReverbの長さが違ってるも同然で、しかし他楽器でそんな風になってるのは殆ど無い。

ので他パートと3段積みでは後掛け時違うプログラムを使わなきゃなんなくなったりするが、それで一体感(同一空間で合奏してる感じ)を出すのが大変なんだ。
これが又掛りの深さを一寸弄ったらそれ迄平気だったのが駄目になったりとか、俺知り限定も当初からこれを考慮したプリセットの入ってるデジリバなんてお目に掛った事が無いよ。

っとこんな案件にしても現代は俺新言い「無理くりEffector」ってのも氾濫してて、そんなのを使えば表面的には上記の厄からは一応開放される。
だが使用者側で警戒すべきが応用力の無さで、私的には近年のMetal系の音色的停滞を招いた主犯と思ってる。

無理を通せば道理が引っ込む式だから奏者の個性だの個別設定だのより、「兎に角それっぽく聴こえる」優先の1点張りなのだ。
では何でそんな不便を強いられるったら、それっぽく出来る範囲がピンポイントしか無いからだ。

近年はどんなブランドもより多くの人に買って欲しいからか、サイズや規模が違うと同じメーカのとは思えない程音が違ったりもしている。
が元々は「各環境向けウチの音」って作られ方がされていて、ブランドやそのシリーズが同系列なら各想定環境下でほぼ同じ音が出る様にしてあったのをどんどん知られなくなっちまってる。

っと残響の処でAmpがどうのと続いてるのも、掛けるのにかなり関係が深いからなのよ。
例えば後面開放型のだと狭目でデッド目の部屋でも、エンクロージャのお陰だけである程度の「膨らみ」が確保出来る。

黒体験からだとかつて2段止まりだが初Marshallにぬか喜びして、いざOn Micで録ったらキンキンの他にも想像を絶するほど硬くてチャチかったってのがあった。
今だと市区町村経営の練習Studioですら入ってるのをチラホラ見掛けるが、当時は本チャン前にテストする場所や予算が皆無だったのも不味かったか。

その時の録音でマトモな音だったのはGuitarは国産コピーモデルに、非国産のがあったら真っ先に何処でも出て来るFender Twinreverbの組合せの方。
録りも想定されたハコを借りたものの予算事情でブース迄は手が届かず、自前でカセットデッキなんかを持ち込んでだからマトモなEchoなんて当然無し。

その結果無くても平気なビルトインのFenderの方には掛けられたReverbが、Marshallには当然だが付いて無いから上記苦し紛れすら発動出来なかったよ。
こんなのも苦しい録り現場では旧態依然のでも内蔵されてると、いざって時には百人力と痛感させられた。

不要時は単にOffりゃ良いだけだし、トータルReverbと共存させても害の少ないのも結構ミソかも。
これからすると3段積みの過去称「ステージ用」は一寸不親切で、「Super Live用」(スーパーに大規模の意図を込めたつもり!?)とでもしといてくれたら分かり易かったかも。

もし全員がMarshallの3段積みで、ハコや太鼓の方がそれに合わせたSetだったりしたらもう少し活路があったか分からんがね。
用途不一致過ぎる楽器をReverbで補う作戦って無効と迄は行かないけど、苦しいしやっぱ適用範囲がとても限定的みたいね。

<つづく>

2021年5月12日 (水)

音楽備忘録636 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑦

何だか予想を大巾に覆す縛られ作業になっちゃって、逃避欲求全開で進みが鈍ってますよ。
取敢えず取付・放熱材料の発掘が終って、俺言い「拷問パズル」をやる為の材料採寸迄は何とか漕ぎ付けた。

ここで一層面倒になって来たのに、素子基板の向きが縦しか無理と思ってたのが横でも並べられるのが分かったのも悪い!?。
それと普段のより扱うブツが大柄なんで、試しに並べてみるスぺースを作るのが又面倒。

あれこれ我儘ばっかじゃキリが無いがその中で、煮詰まったたらそのままにしといて一旦他へ行きたいってのは結構切実なのよ。
下準備の回数は減らせる程高能率なのは事実だから、怠け病を正当化するのに最適な要素でね。

こんなのからすると俺はもう和室暮らしは無理かもで、思い返せば小学生時代を最後に毎日布団の上げ下ろしする様な過ごし方からは遠ざかってたんだねぇ。
と逃避もこの辺で我慢しとくとして、今回の厄介は条件の多さにも依っている。

明るさや見栄えを尊重するとなるべく素子が等間隔になるのが良いが、材料加工の手間等へ配慮すると長手方向が単一材料ではフルに使えないのだ。
配置可能エリアは測ってみると580×280mmだったが、候補材の最長は527mm止まりと何とも微妙な長さだから迷うある。

これへ加えもう1つ浮上したのが素子基板と駆動回路基板間の配線案件で、配線すらジャンクから物色しようとすると結構重要になって来る。
新品なら俺みたいな使用頻度の高い奴は、線材はリール等の巻物で買って持ってるのが普通だ。

それなら線を繋ぐ段になって現物合わせで切ってきゃ良いが、ジャンクでは長さがかなりの有限だ。
いざとなりゃ継ぎ接ぎも辞さない覚悟だって出来てるけど、それを許したって上手に振り分けて行かないと後で更なる資材不足に悩まされたりする。

そこで現代ならではの文明の利器を又しても登場させ、書き換えフリーな画をPC内で描いて考えてみたのだ。
かつてはここ迄なら大丈夫とタカを括って先に切っちゃって、いざ実際組み始めたら切らなきゃ良かったなんてのもこれだと防止出来るしね。

Led_20210505143101
そのまま組めるとは限らん下書きレベル程度だが図説しとくと、上図上は薄黄色の細長いの6本が切断分割したLED基板を全部縦配列したので上図下は縦3段横2列とした様子だ。
他は黒長方形の外枠が配置可能エリアでピンクは流用電源・緑は駆動基板で、灰丸は天井からの電灯線引込み穴・薄い水色が現況手持ち最長のアルミジャンク材だ。

図のままでは下段中央列の支えが無いし、立体的に重なる部分が厚み的に収まるかだって定かではない。
件の配線にしたって赤でLED基板間の⊕側だけしか書いて無いが、⊖側は全部個別になるので図があるとどっちの配置でも大体全幅の半分は要るのが分かった。

更にテスト時に助力になるのがどっちの配置でも共通の配線で行けるかの確認で、図の様にしとけば向きと並びを変えるだけでテストから本チャン迄そのまま行けそうなのも分かった。
かつてはこんなの実物並べてたしそれでも行けはしてたんだが、臨時で非固定だと寸法的にラフになり勝ちでいざ本工作しだしたら数ミリ届かなくなったなんて誤差に泣かされた事もしばしば。

それが上図はフリーソフト「OpenOffice Draw」で描画する都合上、採寸を反映させないと雰囲気すら出すのが難しいから寸法的比率は正確にせざるを得ない。
なので縮尺還元計算さえ間違わなきゃ必ず届く保証が得られ、線材の発掘から加工迄の目安がハッキリして確実になるのでありんす。

<続く>

2021年5月11日 (火)

音楽備忘録635 録り方の問題 加工度編③

DC Offsetの害をもう少し続けるが、音量抑圧の他にEffect時の異常反応が考えられる。
一部に元から上か下へ「偏った波」になってる音もあるが、後に触れるとして今回は対象外で。

前回執筆後に少し気になって、知人にスマホアプリにDC Offset除去機能があるのか訊いてみた。
最近は携帯やタブレット端末に録音関係の全てを依存してる人も多そうだったからなんだが、もしかしたら自動調整されてるかもだがノートPC以上にならないと付いて無いらしい。

とは言え運悪く非常事態に陥らなきゃ、普段は大して気にしなくてもへっちゃらなんだけどさ。
スイスイ行ってる程想定外のトラブル時に困窮し易かったりするんで、頭の片隅に置いとく程度で
損は無いと考えてんだ。

して今は生音源ですら音電気変換(つまりMic)以降は全デジタルのが殆どになったんで、昔と違ってもしどっかでズレたら直さない限り最後迄ズレが残るんですよ。
アナログオンリーかアナログが途中に介在してたら、半ば必然自動的にDC Offsetはリセットされてたんでね。

コレ何の事は無い単にアナログ音響機器じゃ直流が記録出来なかっただけで、Effectorに関しても入口かそのごく近くの時点で大抵強制排除されてたんだ。
是又その原因も幼稚なもんで、コンデンサ(交流しか通してくれない)を経由させなきゃなんなかっただけなんだけどね。

その関係で自作系の古典機の中には「他で必ず処理してくれるから」と、一部にこのコンデンサを省略しちゃってるのなんかもたまにあったあるよ。
そんなのをもし今のデジタルの不親切なのへ直結させたら、ホラー劇場の開演になっちゃうかも知れまへん。

とは言え再三語りの稀案件に他ならないのを続けたのは、Masteringの方向性とか役割を知って貰えたらって魂胆からだす。
変な処だけ神経使わされて聴いての変化は殆ど無い地味なのだから、Masteringだけ専門家に依頼しちゃった方が楽だし確実で良い位。

けど昔より個人で全部やれる様になってると、余計に最後迄他人に弄られたくないと思ってもご尤もだしょ。
何より機器の操縦はデジタル実機→バーチャル(アプリとかソフトって事)且つ自動度高目と各段に楽になったんで、後はそれを扱う人が必要最低限の概念を知ってるかが勝負の分かれ目になるだろうってね。

かつてはMasteringとしてのリミッティングも結構必須な際が多かって、そうしないとレコード盤やテープを作る時に歪んじゃったからだ。
Beatlesが初期作品で施してたのはレコードもだが先ずは当時のAMラジオを想定したもので、後期に音創りに積極活用する迄のは大して掛けたくて掛けてたんじゃないんですわ。

「どうせ掛けて変えられちゃうんなら好きにさせろ」的開き直りとも看做せ、だからMastering時のリミッタはそれでも音創りより条件優先だった筈なのよ。
んじゃ結局Masteringってどうなのってったら、音の聴こえはMixから何も変えず電気的条件等だけをそれ以降へ適化させるのが理想なんだす。

Masteringで例え良い方に感じても音が変るってな、偶然ニーズと一致してたからの結果オーライなだけ。
なるべく変えない様にしなきゃイカンし、変えられちゃ本来は困る物なんスよ。

んでそれを知ってると加工するなら、どの段階迄に済ませるべきかも変わるかも知れない。
と言いつつこれは俺にも一寸耳の痛い件で、今一上手く行かないとそこをつい幾らでも先送りしたくなったりすらーね。

でも今ならデジタル率の高いのだと、「やり直し」とか「元へ戻す」が大抵付いてて簡単確実になった。
ので元ソースを残しとけば昔よりかなり踏み込んだお試しが可能で、先送りなんて化石習慣から早く脱却しないとね。

そんな老害から縁遠い若くて個人スタートの人の方が大胆だったり、手間を面倒がらないのは大いに見習わなきゃだわ。
但しそんなのを有効化させるには概念誤認が致命的障害になるから
、つい実践のやり方だけを知りたくなるけど慌てる乞食は貰いが少ないの。

とMasteringは必要に応じてそこそこ加工はするが、極力音自体は変えない物と思っときゃ大外しは避けらる。
尤もメディアへ収めるとかWebにアップする制限とかで、切り詰めたりFade In・Outさせたりとかはあるけどさ。

例え音自体は無変更でもチラ見せ宣伝用とか以外で安易にやり過ぎちゃうと、内要素の欠落を生じたりするからこれは頂けない。
頻吠えの如く比較芸術でそれすると、大きく違って聴こえる事もあるからね。

<続く>

2021年5月10日 (月)

音楽備忘録634 残響考⑮

今回はEchoの明瞭度に及ぼす影響をテーマに進めるが、Echoって基本的には殆どボカす方向にしか働いてくれない。
それからすると近年本邦の明瞭度至上主義の癖に「何でもEcho」って物凄い矛盾で、これぞ無理な注文ってもんだ。

こんなになったキッカケを想像すると、On Micの音が流行ったのも一因かも知れない。
例に依って私的見解の域を出ないが、On Micってそもそもは録音や音響機器の劣性を補うのから始まってんだ。

機器の他にもお馴染みの人耳弁別能の関係もあるが、兎に角その場で聴こえたのより録ると昔は何でも大抵ボケちゃってたからねえ。
なのでもう今は昔みたいな必要性は無くなったんだけど、単純に
聴き比べをするとOn Micの方が明瞭で細かい所迄良く分かる。

考え様に依っちゃこんなの中毒の一種も同然で、けど平均的奏力が落ちたからか次の一歩に自分が先に踏み出すのを躊躇して皆でお互い牽制しあってでも居るかの如くだ。
とは云えMulti Micの威力は別録りや独り多重にはニーズが高く、俺自身だって環境以外の事情でも多用しちゃってんだけどね。

その程度の奴が偉そうに語れる事っちゃ無いんだけど、本来はどうあるべきかを知ってるだけでも結構差が出るんすよ。
それは目的と手段の優先順位が、間違ってひっくり返るのを防いでくれるから。

劣悪環境のLiveから遠ざかって録音ばっかやってたりとか、そうじゃ無くても最近だとPAレス実体験ってのが稀もいい処だかんね。
かなり何時も強く意識してないと、どうしたってMic以降の機器に頼りがちになっちゃってるんだわ。

この点始めたのが近年の人は可哀想で、本番(Live)では楽器にもPAがある状態しか体験出来なくなってるからなぁ。
まあそこで使える楽器のタイプにも依りはするけど、伝統的な3段積みMarshallとかって本来はそれ自体がPAを兼ねた設計になってるん。

そりゃ設計想定以上の大会場だったらMic構えるのもアリだけど、少なくとも非コロナ時で客席1,000人位の規模迄だったら3段積みにOn Micなんて却って音質劣化させるだけで余計なお世話なのだ。
そしてそんな作りのだと会場Echoとの関係にも違いがあって、良く響く(それも低音程
)程他のと違う明瞭度を発揮してくれるのだ。

それとは逆に後面開放で一体小型のAmpだと奏者至近では自然な感じでも、広い所でMicレスだと遠くじゃモヤモヤになる。
これは裏を返せば会場の響きが少なくても、色んな「鳴り」が聴こえて音が淋しくならない様にしてるのも嘘じゃない。

録ったのにEchoを掛けるのに想定空間にも依るとは云え、前者の過去称「ステージ用」のは「想定された使われ方」だったら入ってるべき残響が無いのに先ずはご用心だ。
Classic系では一般非公開でもホールで録るのがポピュラー系より多く普通なのはこの為で、天然Echoしか無かった時代に作られた曲には人工的な響きより自然なのの方が合って当然だ。

創作物には「わざと」ってのも付き物だから禁忌事項にこそならないが、本来の姿を軽く見てるとミイラ取りがミイラになり易い。
付加残響が明瞭度を劣化させる原因には他にタイムってのがあり、ソースに入ってるそれとの差が小さい程例の厄介者「位相」問題を起こし易いんだ。

一定以上の差があったら完全分離するから分身の術様となるが、少ないと撮像時の「手ブレ」の音版になるってな按配ね。
それを避けるべく付加機器の設定で頑張ったとして、それが想定通り機能して貰えるのは生の方が完全に一定だったらだ。

室内残響は余程広大じゃ無い限り無人ならまだしも、そこに居る人が僅かに動いた位でも微妙な違いを生じる。
只聴いてるだけならそんな些細なの実用上は無害だが、デジリバで設定したパラメータは通常全く変動しない。

のでこの違いのせい等で仮に全体的には位相問題が出ない設定にしといても、部分的に意図に逆らっておかしくなっちゃったりもする。
これはソースが非生の打込み音源でも慢心は出来ず、空間響き含有度が高い程注意しないと後で泣かされる。

是又俺知り範囲限定だがそれは音源のサンプリング数から来ていて、出せる音の全てのサンプルが用意されてるのなんて先ず無いからだ。
サンプルそのままだと音程の合わない分は原理的にだと、昔のレコードやテープの速度をズラすのと同じにして出している。

すると音程のみならず程度が僅かでも、残響が入ってたらそれも一緒に伸縮しちゃってんのよ。
天然由来のよりゃ調べて計算すりゃその範囲は特定可能だけど、固定じゃないのに変わりはない訳で「その時だけOut」になるのが避けられないんだ。

<続く>

2021年5月 9日 (日)

音楽備忘録633 魔改造悲喜こもごもⅣ-⑥

果てさてこのままじゃベンチテストやるやる詐欺になり兼ねないが、必ず完成させなきゃなんない物なんで放熱関係の材料集めをしてるのが現況だ。
設計した回路が想定通りに働いてくれなきゃそれも改良が要るが、実用性が
求められると同じ位放熱性能も重要なのよ。

何分温度次第で電流量が激変しちまう半導体を使うんで、設計理論値より放熱性能が下回るとその分電流量(今回の場合はそれが明かるさに直結)の方で遠慮するしかないのだ。
最悪だと良い感じだからって色々続けてテストしてる内に、うっかり焼損させちゃったら嫌だってのもあるしね。

して何時にも増して回りクドくなってる具体内容は、明るさと寿命の共存を求めてるからだ。
元筐体のとは違うカバーが掛るのもあるから、それでどれ位照度が落ちるかにも依っている。

現時点での机上の計算では元がLED192個だった内、144個分で適正な明るさになりそうと出ている。
基板の形態は元は96素子搭載の細長いの2本だったのを駆動電圧変更の都合で、今は24素子の8本に分割してある。

ので計算上は6本で足りて実際それで行けたたなら、残りは別の所へ使いたい欲もある。
がもし何らかの都合で6本で暗かったら、欲張るのは諦めて8本収めてやろうかいねって。

安全だけ優先させりゃ8本(つまり元からの全部)にしといて電流量をケチるのが最適だが、どうするにしたって追加放熱不要にはとてもならないと思うからねぇ。
本数の方をケチるテストをちゃんとやるには、完成時以上に放熱性能が必要かも知れないのよ。

それはそれとして今回のガラクタ漁りで何時もと少し違うのは、大き目に纏まってるアルミが要るって処だ。
Power Ampの出力素子部よりゃ1ケ所で膨大な熱量になったりゃせんが、熱の出る場所が素子数分とても沢山あるってのが注意点だ。

そこへ持って来て素子基板の厚さが0.5mmと蓄熱量が小さいんで、追加放熱器の接触面積が狭くまばらでは危険極まり無いのであるぞなもし。
要するになるべく面積の大きいのが要るんだけど、普段のオーディオ系じゃそんな大柄な板ってケース以外に不要だから。

ガラクタ方面では神な俺!?(本音は微妙…)だからこんなのも想定して収集しといちゃ居たが、やはり極小や極大の指定が付くと候補物件は激減してまうのよ。
これだって他で今後も幾らでも使うだろうしもう面倒だから、よっぽどアルミL型アングルを買って来ようかと思ったわ。

材料としての新品とガラクタの最大差はサイズと形状で、平成以降はコストその他の都合で専用品が多いから転用時の応用性がガックリ下がっちゃった。
何か一寸恐ろしい感じもするが、今候補として並んでるのも気付けば全部昭和の遺物ばかりだ。

そもそも昭和の終り頃からそれまで金属だった場所の樹脂転換が始まり、今じゃ絶対的な必要性が無いと金属で作ってくれなくなったわねえ。
昨今はリサイクルがウルサく叫ばれてるのからしたらこんなの逆行の典型で、どうしても樹脂ってんならせめてペットボトルとかをもっと見習うべきじゃないの?。

わ兎も角として形状面では単純なの程転用性が高く、折角全長は足りてるのに変な所が欠けた形になってるせいで残念でしたなんてのがなんと増えた事か…。
それでも何とか最低必要なのは確保出来たんで、これから実験に必要なだけの加工を考える処だ。

してその内容は接触面積を稼ぐ為に不要な凹凸を撤去するとか、余りは切って足りないのには足せる様にする事だ。
限られた資源!?を用いるには例えば1つ目は縦横どっちからで取れても、2つ目以降でホントに寸足らずにならないかなんて慎重さが求められる。

それが又販売中のだったら最悪は買い足しゃ良いが、大昔の非規格の怪しげなのだと追加なんて不可能だし。
この辺は回路基板の部品配置でもそうだがより一層パズル状態で、正確な採寸もだがそれ以上にセンスが求められる。

なので思い付きや気分の影響なんかも直接出易くて、論理的計算通りになんか進展しない部分の方が多くなる。
物は平気でも人の方がで、それが怠惰な誰かさんだと余計に…ね。😓

<つづく>

2021年5月 8日 (土)

音楽備忘録632 録り方の問題 加工度編②

今日本でMasteringっつうと、音圧稼ぎばかり思い浮かんじまうかも知れない。
だが実際本当に必要なのは前回後部でチラ見せした様な、とっても地味で効能も目立ち難いのが多いんだ。

この件特に奏者サイドが誤解しだした原因を私的に探ると、Beatlesが常用したリミッタFairchild 670の「結果」辺りなのかも知れない。
アナログオンリー且つ当時の技術レベルでは、あれでも最も音色改変の少ないリミッタだったそうなんだけどね。

後世の我々の耳には本職の性能より、どうしたってその魅惑の音色に魅かれちゃう。
でも良く考えりゃピークを殺すだけったって音を弄るんだから、音色が多少変化したって当然だ。

これの真価は掛ったのをどんなのでどんな風に聴いても差が少ない処なんだけど、音色の方ばっか手放し絶賛されちゃってるみたいだね。
どうもそんな処から「値札を付けてキチンと陳列する」のより、「燦然と輝く超有名ブランドロゴ」なみたいな方だけに印象が偏っちゃったのかな。

ここで若干本筋から外れるが当時のニーズを再確認しとくとレベルオーバーの歪みを避けるのもだが、実は今より遥かに「小さい処も聴こえる」様にするのが最大の目的だったのよ。
昔の音響機器って兎に角何処かが欠けちゃうのとの闘いで、かなり歪んだって演られてるのが全部聴き取れるならマシな方だったんだ。

物理的理解が可能だと分かり易いんだが、機器の感度・能率・増幅率のどれを取っても今より絶望的な位プアだったんだから。
しかもそれが大きい方は歪むから聴こえて分かるが、小さくて欠けた分は聴こえなくなってっから演ってた本人達にしか分からないじゃない。

その時代にリアルのLive体験もあったら別だが、当時の現場の生音を知り得ない後世の我々はだから大いに注意しないとこれを必ず失念するんですよ。
なので結果的に平均音圧が上がってるのは一緒でも、近年本邦のの方がむさ苦しいのは使用機器が違うせいだけじゃ無いんだな。

それでもどうしても流行を体験したいからって言われりゃもうしゃーないけど、主目的が演出なのをMasteringなんて呼ぶのはオジサン流石に許さんよ。
なんてえばろうってんじゃなくて、勘違いしたら悲惨ですよとお伝えしときたいねん。

今本邦では必要最低限度の音量での聴取を強要される場面が多いが、うるさいと感じられたらボリウムは普通下げられるわねえ。
そうするともし物理的に同音量でもウルサく無いのと並んじゃうと、下げられた方だけそのせいで結局音圧も落ちゃいますから。

極端に単純化したら「兎と亀」な訳だから最終段階から逆算して確実性を持たせるなら、「油断しない程度に盛っとく」のが最善だと思うですよ。
この辺りが機器等が進化して加工・演出・整頓の境界が曖昧化した今でも、人の側には必要だし仕上がりに差が出るんじゃないかと思うんだ。

さてコンプリミッタとは別手段で現代特有のMastering作業として思い浮かぶのは、DC Offsetの退治とかかな。
現代平均ではこんなの省いたって平気なのも少なくないが、もし極限迄「音圧」を気にするなら必ず影響が御座居ますよ。

このDC Offsetって何ったら、音波の「基準位置」が電気的にズレてるのの事。
っても多分分り難いから、概念図へGO。

Dc-offset
音波の記録って電気的には上図みたく0Vを基準に±の波になっていて、上下の灰色点線がダイナミックレンジを司る限界値だ。
①が正常若しくは理想の状態で基準がキッチリ0Vなので、ダイナミックレンジ全域をフル活用→振幅が最大に取れている。

それがもし②みたいに赤水平線が基準になると下は広くなるが上が狭まり、同じ音→「同じ形の波」のままだと振幅は①より小さくしなきゃなんない。
この黒と赤の線のズレがOffsetで、電気的には直線→電圧一定だから直流ってんでDCって頭に付いてる訳。(上図の場合は+側へ基準がOff Setしてる)

現代の機器では万一出てもOff Setは1%にも満たないのが殆どだから、それからしたら重箱の隅突きに他ならない。
けどああ迄して無理くりコンプする位なら、こんなつまらんののせいで小さくなってたらバカらしいざんしょ。

<続く>

2021年5月 7日 (金)

音楽備忘録631 残響考⑭

さて続いてはどんなReverbの種類比較になるかって処で、一寸期待!?を裏切ってReverbにするかDelayにするかの方を言及しとこう。
最近はデジリバがリーズナブルになったからか、Delayだけってのはすっかり耳にしなくなって久しい。

この件只安いならまだしもバーチャルのだともう無料なんて始末だから、その点からなら当然の結果ではあるが。
けど旋律パート以外だと当初から選外にしてるってなチョイと考えもので、それだと求める響きのイメージを劣化させたりしてる可能性があんねん。

ここで一寸デジリバ黎明期の苦しい言い訳戦法から、その発想を魔活用してみよう。
その頃のは特に「Delayのお化けだっただけ」ってな過去述だが、滑らかボワーンが苦手だったからか「初期反射音」のパラメータだけは妙に細かくご立派だった。

これ実際残響にはかなり重要なファクターで、誰にでもハッキリ分かって口とかでも模倣出来るのは初期反射の部分だ。
例の従兄の階段バーブでBONZOってのもこれのご利益が主役だし、かつて流行ったGated Reverbなんかもこっち系だ。

尤も黎明期機がそれで誤魔化せたのは録音音質が「モヤってた」からで、実際は詳細にはバババババーンって鳴ってるのの間が勝手に繋がって聴こえてたってね。
尤もⅡでリアル空間で得られてる響きの多くも、余程広大じゃ無い限りは結構Delayの団体さんで成り立ってるのの方が多いのも確かだ。

但し黎明期デジリバよりたった1つの響きの中でさえ、反射パターンが複雑怪奇なのは違ってるんだけどね。
只複雑だからって必ずしも量が豊富で何でも響かせちゃうんでも無く、元音次第じゃ殆ど初期反射しか聴こえなくなったりもしてるんですよ。

かつて日本語には響き方に依ってやまびこだとか、異なる言葉があって使い分けられていた。
のが今じゃ何でもEchoになったからか知らんが、残響にも一杯種類があるのにそれが軽視されがちだ。

そこで未実験で提案するのも何なんだけど、求めて無くても録った場所の響きが混入しちゃってるのにだったらイキナリ何でもReverbってな良くないんじゃないかと思ったりして。
或は録り場所の広さに依っては初期反射の追加が余計な場合も考えられ、そんなに響かない広い部屋なんかがこれに属するかな。

因みに一般論での響く響かないって主に「残響時間の長さ」で判別されてて、これと初期反射音の大きさは必ずしもリンクしてなかったりする。
なので例えば「バ・パワーン」なんて鳴ってるのの内(仮に「バ」を原音とすると)、初期反射の「パ」とそれ以外の「ワーン」のバランス次第で追加ニーズの優先度が違って来る訳ね。

これをうっかり逆に追加するとどんな損益があるったら、昨今本邦でやたら気にされてる明瞭度等にそれこそ大きく響くんだス。
その中でプチ悲劇なのは大抵「音が良く変る」のを選びたくなる処で、上手く行けば夢のようだが失敗すると欠点を強調したり魅力を削いだりもしちゃうんですわ。

クリエイタ心理からしたら然も無い感じのって魅力薄だけど、現実世界ではそんな地味なのの方が圧倒的多数派だ。
一面で派手なのって強烈な癖を持ってるのが多いから、例えばVocalには良くても太鼓には最悪とかなり易い。

そう言われても劇的なのが欲しいケースだったあるのにって、そんな時は派手なの噛ます代わりに量的には最低限に抑えとくとかだね。
最初ターゲットのパートとそのEchoだけで聴くと最高でも、他の色々性質の違うのと混ざると喧嘩になる位で普通だから。

私的体験からするとEchoが良かったと思ったのの内、ホントにそれが主因だったのは1割行くかどうかだったな。
先ずアンサンブル自体に固有の特徴や面白味があって、構造的にはEchoはそれをほんの僅かだけアシストしたってのが多かったよ。

只僅かでも効果絶大な場合も少なく無く例えば曲も演奏も全体はマイルドなのに、分析聴きしてみたらBassだけかなり必死でアグレッシブだったみたいなのとか。
これが無EchoだとそのBassが粗雑さから孤立気味だったのが、プチアシストのお陰で意識しなきゃ周りに同化したとかってね。

<つづく>

2021年5月 6日 (木)

音楽備忘録630 魔改造悲喜こもごもⅣ-➄

さて前回迄の作業でベンチテストへの準備はかなり整ったが、仕方無い事故等を除いて壊したく無かったらまだあれだけじゃ足りない。
それを今回参考に記してみるが一定以上の複雑さがある物に対しては、
色んな図面等の準備次第で後に大きく響いて来るもんなのだ。

所謂「回路図」は前回披露したが、実際に組み立てるにはそれだけだとリスクが高い。
何でったら部品現物が回路記号と足の順番が逆になってるのもあったりするからで、素人向けキット等では実体配線図等と呼称する「組み上がった時の景色の絵」が添付されたりしている。

玄人にはそこ迄の必要性は無い代わり別の問題点があって、それは想定したサイズに無理無く収まり切るかどうか等がある。
その際部品が全部手元に揃ってたら並べて様子を見たり出来るが、これから買うのがあったりすると先に予測するのに支障が出る。

なので結局玄人でもこれから作るなら似た様な絵が描けた方が手戻りを無くせるし、組立て時のミスも減らせるのが実状だ。
これがIT機器の無かった当時は画家擬きにならなきゃ描けなかったのが、PC内で済ませられるなら使わん手は無い。

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又唐突に出した変な画だが、これが常用してるPasSってフリーソフトで作った駆動基板の様子だ。
回路の全てに確証があれば上図首っ引きでハンダ付けしてきゃ良いが、組上った後でもし変更の可能性があったら「いきなりハンダ」は避けときたい。

ハンダ付けがどんなに神レベルでも、やればその回数分だけ部品や配線に劣化が起きたりもするからだ。
それ処か変更部品のサイズが違うと入り切らなくなって、最悪は全替えに迄至る場合だってある。

そこでベンチテスト(つまり仮)のお助けヒーローたるブレッドボードの出番となるが、それへ部品を組付けるのに上図は殆ど使えなくなるのだ。
もしベンチテストでつまらんミスして部品を壊したりしたら一番勿体無いんで、手持ちのブレッドボードのPasS用の画を自分で作ってそれ用のを描いたのが下図だ。

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どうですこっちのだと基板とは随分景色が違うのだけは誰でも分かるでしょ、こんなだから一度の手間を惜しまず最近は必要なら何時も作画してから作業に入る様になったんだす。
大して複雑なのをこしらえるんでも無いのに神経質だねとか、気が小さいかとか思う人も居るかも知れない。

処がどっこい寧ろ画がある方が気楽にやれるもんで、単純に見比べて同じ景色かどうか程度で行けちゃうからなんよ。
それだって見落したり勘違いしたりはあるんだけど、想像・比較の2つ同時進行よりやっぱ比べるだけの方がかなり楽なんだ。

想像だと何か失念してたりしても証拠の残らんのが実像との差で、何かしらミスった後の回復時間に大差が出るんです。
尤も普段はとても丁寧とは言い難い様なエエ加減な作業の仕方をしてるんで、回路図や描画の段階でのミスも少なくないんだけどさ。

もしどんな作業でも10回に1回のペースでミスるとしたら作業数が少ない程良さげだが、図や画だけの段階なら描き直すだけで部品を壊したりする可能性はゼロだからねえ。
それと配置なら配置・ハンダ付けならそれだけに絞れた方が、その作業への集中度は自動的高められる。

それもこれもPCとフリーソフトのお陰で、かつてなら不可能だった。
この程度だって大袈裟に言や、シミュレーション技術の1つなんでぃ。

<つづく>

2021年5月 5日 (水)

音楽備忘録629 録り方の問題 加工度編①

この処従兄のマイキング熱が一層盛んになったりしてるが、近年の録音で電気的な加工を一切しないってな先ず困難だ。
だからって安易に後から弄るのに頼っちまうと、例え大元が生演奏でもバーチャル化し過ぎちまうから考えものなのだ。

今日日打込み等で使う音源の内人力演奏のをサンプリングした物って、一面でその奏者を魔法!?でサイボーグ化したみたいなもんだ。
或は短時間だけ取り出して自由に使える様にした(ループ)のって分身の術と同じだから、もうこの際「電子忍法」とでも命名しときますかね。

魔法でも忍術でも何でも御座れが自由に貢献してるだけの内なら罪は無いが、こうも数が膨大になると「薬の飲み間違え」みたいなリスクはどんどん高まっている。
交通信号機が多機能化しても3色迄増えた処で打ち止めにされてるのとか、こっちでももっと参考にしてかなきゃ危ないと思うんだけどなぁ。

そこで上手な弄り方と併せて各加工の必要度も考察してこうと思うが、省けない筆頭ったら人の生耳と電気の差だろう。
その主因は過去述の如く音源と耳の間に介在する空気と、それに依る緩和作用(クッション)の有無辺りが最大要件だ。

これがアナログ録音時代は電気的に近似作用が幾らかあったから、状況次第では考慮しなくても平気な事もあったっけ。
尤も必ずある程度の変容を伴うってなホントは不誠実だし、折角至高のMic位置を見つけてもそこから劣化させてたのも確かだ。

そんな時代がかなり長く続いたせいか、現在一般的になってるマイキングのメソッドにはデジタル録音に合ってないのも多そうだ。
俺は従兄程じゃ無かったけどかつて少しは所謂「生録」ってのもかじってて、今頃になって当時の体験に結構価値を感じ始めてるんだわさ。

音を拾う時の判断基準って「そこにあるがまま」を意識するのと「創る」んじゃかなり違っちゃうもんで、例えば特定の自動車や電車特有の音と音楽では随分気にする場所が違ってたな。
中でも私的に特別なのは個人所有が不可能な電車ので、そのモータの音を録るのには散々苦労させられたっけ。

一般人が乗れる電車って最高運ですら「次は~」って車掌さんのアナウンスは入るし、ヲタにはそれなりの大きさに感じてても実際はモータとかは小音量だったりで。
それへ例の弁別能がMicには働かないから、乗ってて聴こえたのと録ったのにかなりの違いがあって普通とな。

この手のがある意味体験と記録に最も差の出易いのなんだろうが、Effectorで殆ど補えないってのもね。
もし相違点が生耳より籠ってたとかならEQで戻しゃ良いが、大抵はf特とかじゃ無く表情とかニュアンスの問題だからさ。

別の言葉にするなら僅かでも作っちゃっちゃお終いで、飽く迄「そのもの」である一点が命なんだから。
それに対し音楽の作品を録るのって、ドキュメンタリ以外では良い方へ進むなら嘘でもOKだったりするもんな。

けど音楽だって演出を加えるにしても、ホントはなるべく奏でる方だけで可能なのだったらそっちで賄っとくべきなんだよね。
昨今本邦の無理くりコンプではかなり楽器固有音色も犠牲にするのを容赦してるけど、それだってStratがLes Paulにしか聴こえなくなる様なのは流石にまだ避けられてるみたいだ。

これだってわざとだったらそれなりの価値もあるんだが、その様な臨時のってな適用範囲がかなり狭いし応用が殆ど効かない。
こんなのが昔より高音質化したお陰でより問題化したと感じるが、それなら敢えて時勢に反して明瞭度を低目にする勇気が持てるのかってなもんだ。

等と妥協点を移動させても悩みの種は姿が変わるだけで付いて回るから、こう云うのはやはり努力の場所を間違えちゃってると思うしか無さそうだよ。
こんなのに対して近年忘れられ気味だが所謂Masteringってのは、出社するのにネクタイ締めてスーツを纏うのと同じで省くなかれだ。

これの中で近年的な最そそうはアップ動画の音割れ辺りで、上司をバカにする為にわざとノーネクタイで出社する様なもんだ。
各サイトのこの方面の説明が貧弱なのも問題だが、最初から全く考慮してないっぽいのに出くわすと何か見てるこっちがバカにされた様な気分に…。

ってこれの作業内容は音量を適正値へ合せとくってだけなんだけど、目的に足りてたらこれだけだって立派なMastaeringなんですよ。
作業内容の難易度じゃ無くて、必要かどうかの判断をするにもMasteringって意識の有無が差を生むんだす。

<つづく>

2021年5月 4日 (火)

音楽備忘録628 残響考⑬

今回から響きの特徴とそれへ対する適正について記してみるが、デジタル機器が進化し過ぎたからか却ってこの面は昔より劣化した印象がある。
並行して高音質化も進んだんでどうやったって全く聴けなくなる事は格段に減ったが、だからって適正が無くなった訳じゃ無いんだよね。

例えば昔のスプリングReverbって打楽器等のパルシブなのは苦手で、アタック音の反応にかなり工夫しないと使えなかったりしたな。
どう苦手なのかは所謂「エレキのテケテケ」から想像して貰うのも良く、あれって弱点を逆手に取る事で独特なニュアンスを獲得してる。

さて俺が手持ち機器だけで多重録音を始めた当初、残響系のEffectorなんて1つも無かった。
当然PCもスマホもありゃしないから何かEchoを買うしか無かったが、デジタルのはコアな業務用に漸くDelayが出だした程度だったからアナログの中から探すしか無い。

Delayに関してならアナログでも電子式のも使えたが、Reverbだとあってもアナログ電子式のは酷い音だった。
コレ凄く時間を短くすればまだマシだったんだけど、録音でReverbがどうしても欲しいのって大抵は長く深いヤツじゃん。

Room Echoみたいなのだったら今からしたら凄い妥協だが、Short Delayでも代用不可じゃ無かったしさ。
そんな状況下で俺が苦慮されられたのがDrumパートの残響で、楽器も持って無いが叩けなくてチープなリズムマシンなのもあった。(全く当然の様に残響付加装置なんて非内蔵)

Drummerの従兄宅と比べると当時もウチは狭小だからRoom Echoすらもあまり使えなかったが、リズムマシンじゃわざわざスピーカから鳴らさない限りそもそも天然のは掛け様が無い。
かと言って元から全てが低音質なのを更に落す様な真似も出来ん等から、Guitar Ampにも入ってるのに残響の長さと深さの都合からバネのを買う羽目となってしまった。

当時の我々界隈では今だと嘘みたいだが何に掛けるにしてもEffectorはGuitar用ストンプが主流で、そうなった理由の殆どは値段と種類だった。
Guitar Ampの内蔵Reverbがスプリング式なのは開発時期が最大原因で、しかしそれより明らかに良いのなんてまだ無かったからそのままだっただけなんだけどさ。

して何が最大懸案になったかってぇと、アタック音の響きが遅くなり過ぎるのが問題だった。
鉄板だろうとバネだろうと物理Reverbなんだから、遅れるの自体は当り前だしそうじゃなきゃEchoになってくれない。

でも余韻よりアタック音の方が後から響き出したみたいに聴こえると流石に変で、しかもアタック音の短いの程それが強く出るから厄介だった。
実際はバネのだってもつと高級なのだったら違ってたのかも知れないが、それでスッカリ懲りてその後「打楽器にバネ」は禁則化しちまったよ。

後になって分析し直せば板のだってチャンバとは違って近似傾向はあったんだが、板のより高域を響かせられないのも大きかったみたいだ。
その後5年位経ってデジリバを初めて持てた当時、この問題から解放された時ゃ殆ど感涙もんだったね。

従兄が最近の実験でリアルEchoの方がBONZOれると感じたのも多分アタック音の響きの差で、あんなに世界中の誰もが真似ようとして殆どが上手く行かなかったのはバーチャルEchoで賄おうとしたからなんじゃないかな。
強いてそれを今デジタルで近付けられるとしたら、高域の初期反射だけ短目にする位だろうか。

理論的には可変パラメータの多いのだったら可能な筈だが、その手間の大変さ以上に現場の実音を体験出来ないのも致命的なんだと思う。
大雑把な要素としては本人の出音+録音機器の音質・音色+場所の響きで成立してんだが、この内2つが今では困難とか不可能だ。

これがもたらす意味とは「リアルでの印象」との差で、当時の録音機器では今より全然ありのままの音なんか録れて無かったしね。
一番重要視した部分をなんとか近似にする程度で精一杯だった筈で、つまり今比では1点豪華主義的な選択・決定をしてたんだよね。

昔俺の「バネ痩せ我慢」とじゃ次元が両極だが、欲張れなかっただけでもそれで肝心な処だけは死守しようとしてたには違いないでしょ。
聴き方も気にし方も人次第千差万別だから想定外の処を突っ込まれて病んだりし易いが、少なくとも意図理解の浅い意見に逡巡してては目的を達成するのは厳しいんですよ。

なんて最近迄は全く他人の事を言えた義理じゃ無かったんだけど、この処従兄宅だけで混ぜたり弄るのが殆どになったもんだからね。
無料のプラグインとかだとどうしたってそれ自体の魅力が実機より弱目で、性格最悪でもあの美人が好きみたいな選び方が出来なくなっちゃったんだ。

<つづく>

2021年5月 3日 (月)

音楽備忘録627 魔改造悲喜こもごもⅣ-④

ベンチテストに入ると書いとき乍らプチ事情が出たんで、前回の補遺を結果報告の前に挟ませとくれ。
こうなったのは手持ちにあると思ってた部品が無かったからで、図面関係の一切を修正する羽目となったからだ。

先に羽目の中身を晒しとくと半固定抵抗器ってのの100Ωのが無かったんだが、部品自体はどうでも良い位の物ではあるが今回の用途では設計値からズレはNGなのだ。
この部品で最終的な供給電流量の調整をするのと、操作を誤っても素子の限界を越さなくする必要があったからだ。

これが普段勤しんでるオーディオ系のだったら出力段等以外は目標値から大小のどっちへズレても壊す心配は滅多に無く、それだって決して無害じゃ無いが大きく外れてノイジーになったり歪んだりしてたら再調整すりゃOK。

これは半固定抵抗器へ並列に固定抵抗器を追加して解決したが、単独時とは抵抗変化の仕方が変に変わるから調整で少し不自由するかも知れない。
けどMixer卓のFaderとか楽器ボリウムみたいな程は素直じゃ無くても良いし、1度設定した後はほぼ弄らないから妥協出来る。

その次にいよいよ実験にって処で危うく気付いたのが、LED素子基板の切断分割に伴う変容だった。
その構造は下図の如く0.5mm厚の細長いアルミ板に絶縁層・銅箔・絶縁層の順で貼るか何か(蒸着・塗布?)されてたんだが、8mm間隔で並んでるLEDの間を設計非想定でも切らなきゃなんなくなった。

Led_20210427174501
一応最低限の図説もしとくと上から順に白と黄色の□がLED本体でその横の右だけ見えてるのがハンダ、1層目のクリームのが表面塗装で最下の4層目の灰水色のがアルミ板。
中間2,3層目の銅色(つもり)が配線代わりの銅箔で、これ以外の緑(仮:実際のは薄過ぎて不明)のが絶縁体だ。

基本的に金属主体だと普通は鉄鋸みたいなので切るんだが、切り代(このケースだと2~3mm程度が藻屑と消える)を極力減らしたかったんで少し考えたみた。
機能的にはLED本体等を傷付けなきゃ平気だが、それでは追加新設配線がLEDへ直付けかそれに近い状況になってしまう。

図中のLEDは真下の銅箔へチラ見えのハンダで繋がってて、その銅箔へは塗装を剥ぐとアクセス出来る状態になっていた。
なので銅箔を切ってもなるべく長く残せるとLEDから距離が稼げ、例え1,2mm位の差でも下のアルミ板で放熱されるから結構な違いが出るのだ。

コレ元のからそう云う仕様になってたのもあって、薄さを活かして試しにゴツイ挟みで切ってみる事にしたんだ。
結果切断自体は思惑通りに上手く行ったが、圧切となったせいか切断面で銅箔とアルミ板が電気的に導通しちまった。

図では分かり易さの為銅箔や絶縁体を実際より分厚く描いてて、実際には顕微鏡でも持って来ないと厚さの存在が認められない程薄い。
それでも全部が⊖側だけだったから基板自体での短絡(ショート)は起きないが、新規駆動回路と放熱の都合で⊖が共通になると困る事情があったのよ。

Led
かなり唐突に駆動回路図を載せとくが、興味の無い方はこれから記す以外は全て無視してくれてへっちゃらだ。
あみだくじ状態で繋がってる一番多数あるのがLEDなんだけど、その下に各列2個づつ並んでる大丸囲みマークのが電流を実際に制御するトランジスタだ。

図の一番下の線がこの回路では⊖極(Grand)になってるんだが、だからLEDの片端子が直接⊖になっちゃいないのよ。
これを回避する為に図のNPN型で無くPNP型って逆極性のトランジスタを使ったりするのが常套手段で、処が手持ちじゃPNPので必要数が揃えられなかったんざんす。

となると⊖がアルミ基板と導通したままじゃ、取付で苦労するし放熱面でとっても不利になっちゃうぞ。
何分アルミって電気を通しちゃうんで、それが他の金属部へは直接くっ付けらんなくなる。

そうすると伝熱性能はかなり落ちちゃうし、全部がバラバラになるから熱の逃がす先が減っちまう。
流用筐体の本体部が薄いけど鉄板で折角35×66cmもあるのに、LEDの放熱には殆ど利用出来なくなっちゃって勿体無い。

そこで又暫く思案してみたが、切る時に多分圧し付いちゃったのを何とかすれば解消させられないかってね。
上記の構造だから気休めみたいなもんだが虫眼鏡で拡大して様子を伺うも、やっぱり境界域すら全然判別出来なかった。

ので仕方無くカッターナイフで斜めに削ってみたら、取敢えずは非導通とする事が出来た。
尤も恐らくミクロン単位位しか絶縁間隔が取れて無いんで、後で動いて再接触するのを防ぐ措置は必要そうだ。

<つづく>

2021年5月 2日 (日)

音楽備忘録626 録り方の問題 エレキBass編⑭

さて強弱表現の話しが出た処で誤解も少なくないんで、もう少し詳しく掘っとこう。
近年本邦での大誤解は強弱レスで、嘘の音圧忖度し過ぎもこれに大いに貢献しちまってる。

これもクドイが比較に依って成り立ってる芸術である以上、全部ってのは芸術性を最低限でも尊重したらそんなの無いッ!。
パトカーや消防車のサイレンと一緒で構わなきゃ勝手にせいって、別に今日機嫌が悪いんじゃないのよ。

最近は救急車のとかだと頻繁に状況次第で鳴らしたり止めたりもしてるが、音量自体も数種類用意されてるみたいだ。
電車の警笛だって昭和の頃は運ちゃんの加減だけが頼りだったが、近年は殆どので叱るのと諭すのみたいな最低2種類の違うのが付けられてて使い分けられている。

そんな緊急用途のでさえ「加減がある」し「普段からしてる」のを思うと、最早駄目なJ-POPとサイレンの現況は目的からしたらあべこべに近いんじゃないの。
但しClassic系とポピュラー系の比較ってのは大枠・平均値を取ったらの話しで、インスト物の達人集団等では一応ポピュラー側でもClassicより音量の大小巾の広いのだって一部にある。

そしてそんなのの中には聴こえた印象だけだと、エレキBassにも音量巾の広大なのもあったりゃするね。
でも印象だけで勘違いしちゃ駄目で色んな楽器各々で
本気を出して極限迄追及すると、エレキ(電気楽器)のダイナミックレンジなんて狭小でみすぼらしい位のもんだ。

特に素手で演奏する生楽器なんかにゃ足下にも及ばず、けどそれが分り難い訳ってのも又あるのだ。
1に小音量過ぎて奏者以外には聴こえないとか、2に録る時それがちゃんとは拾えなかったりもするからだ。

リアルで演奏してる場所に立ち会えてたら例え楽音が雑音より小さかっても、視覚+例の人耳の弁別能の威力で奏でられた音として認識可能だ。
が録音機器にゃ弁別能なんて付いて無いから、録られたのを聴くと楽音か雑音なのかの判別からして困難だったりする。

だから今や旧式とも言えるエレキ屋だからってそんなに落胆しなくて平気だが、かと言って音量差に変に自信過剰になっても始末が悪いんだ。
Bassって大抵は他のそれより高い音域が出せるのと合奏になるんで、小音量側が単独時より数段埋もれ易くなるのだ。

オケ内のコントラバスって擦って弾くのの方が多いからこの面がそれでかなり補われてるが、エレキだとJimmy Pageのまやかしみたいなのすら誰もしないからそこへ配慮が要るのだ。
擦る場合高次倍音はずっと継続するが、はじいたり叩いたりだとそれはたちまち減衰する。

しかも強弱に依る倍音の含有量にも逆の性質があり、最弱時擦る場合は基音より倍音の方から先に聴こえる様になって来る。
のがはじき叩き側では基音ファーストで、寧ろフォルテシモ時に基音不足に悩まされる位だ。

これについて(強い方)は次回に譲るが、つまり楽器のダイナミックレンジ性能より他との組合せの影響の方が絶大って事なのよ。
アンサンブル内だと音量的にはこんな状況を背負ってるんで、それからすると大き過ぎるより小さ過ぎた方を問題視するのが向いている。

これは曲のその箇所のコード感にも直結してて、中域で複数構成音を鳴らしてるGuitarや鍵盤よりも意外と影響が大きくなったりする。
この件も単体と全体を同時に聴くので正反対になるが、特に顕著となるのは歌だろうと楽器だろうと主旋律が鳴ってる時だ。

分析しようとしてるならいざ知らず、普通に聴いてたらバックの音に幾らも神経を注げなくなるからだ。
その上主旋律は中域にある事の方が多いから、近い音域のだと隠れ気味となって聴き取り難くなっている。

又Rock系で逞しさやパワー感が欲しかったら低音程尊重すると有益なんだが、近年本邦では主旋律過忖でこれを控えちゃうから音圧無理盛りなんてしたくなるんだよ。
なのでどうにも邪魔で困らん限り、もっと他パートの人もBassが大き目なのの良さを分かって貰いたいねえ。

ここで敢えて低音過量の欠点にも触れとくと、そのパワーで他が掻き消されるなんて場合もある。
故に無制限に増やせるもんでは無いが、電気楽器登場迄はそこ迄増やせなかった事実を見過ごして欲しくないなぁ。

<一旦終了>

2021年5月 1日 (土)

音楽備忘録625 残響考⑫

「階段バーブ」(リアルエコー)の続きは次の進展後にするとして、今回は隠し味的残響付加について記しとこう。
近年ではどの程度周知されてるのか分からんがかつては例えば、Lead Vocalには特に条件が無かったら「極薄くReverb掛けとけ」なんてのがあった。

これ多分以前述だと思うが本来の趣旨は誤魔化し・恰好付けなんかじゃ無く、他のより「Micが近い」のから来る音場の不整合を避ける為とかなのだ。
古株でも意外とこれを正しくは知らない奴が多かったが、それは前回述のエコーのせいで「元音が違う」様に聴こえたりもしたからだろう。

けれど「違う」ってのの内容がチョイと曲者で、On Micの音って一般状態の人の生耳に聴こえるのと大概は不自然方向に違ってんですよ。
BONZOの収録テクでMicをOff気味にしたりその場所の残響も漏らさぬ様にしたのって、その場に居る人に聴こえたのとなるべく同じ感じにしようとしたからだ。

Jimmy Pageの研究結果ではそうするのが、彼の他の人との違いが一番分かり易くなるのから来てるそうだ。
同じく近年はより普及した囁き唱法にだったらそんなのお邪魔かも知れんが、話し声と歌声が全く別物なのが当り前だった時代ではそれが分かる様にもしときたいっしょ。

尤も「響いて当然」しか無かった次に新鮮さが際立つのは「響いて無い」ので、そんなのがひとしきり流行って続いた後の今では絶対条件では無くなってるけどね。
只これ迄に記して来た如く、デッドにするのが困難な楽器も未だ存在している。

Drum Setでそれを成し遂げようと思ったとして、無響室で録るとか更に各太鼓を単独で収録したりすりゃ不可能では無い。
けれどそれで「たった独りで操った時の一体感」も共存させようとすれば、極簡単なフレーズに限定しないと中々難しい。

重ねてあるのが分かっても構わなかったり、現実には独りでは不可能な音の重複を許したりすりゃ少しはマシになるが…。
タイミングが独りで同時に演ったのと完全に同一化するのが先ず無理で、結局は人力生演奏特有の価値をかなり損ねちまったりする。

加えて以前述だが録音・再生の両方で機器性能が上がったから、昔ならマトモにゃ聴き取れ無かった僅かな環境残響もあるか無いかが分かる様になっちまった。
要約すると昔は無残響と極僅かな残響の両方が、一般的な再生環境では殆ど再現出来なかった。

なので一寸しか響いて無いとか極力響きを殺しといても、聴く段になると殆ど違いが出ないなんてね。
少なくともそんな昔にデッドに録られたのを昔の機器や環境で再生したら、今デジタルで録ってインナーイヤーで聴くのよりゃ「何らかの響き」が勝手に追加されちゃってたのよ。

正直これを書く迄は俺は殆ど考えもしないで居たけれど、「何だか昔より纏まり難くなっちゃったな」とは感じていたんだ。
今思い返すとそれが始まったのって録音機が8トラ½インチOpenからTape式adatに変わった頃辺りで、長らく犯人はデジタルなだけみたいに思い込んでたのかも知れない。

たまたまその時期には最終段階でノーエコーになる作品も、自他共に無かったのも不味かったのかな。
人口密度の兼合いからも日本だとリアルエコーは疎遠なケースが多いから大変そうだが、一応俺言い「響きの整合性」は誰にでも等しく降り掛かる案件なんじゃないかな。

そう云やかつては常に散見された、独自のエコーで個性を確立したプロデューサとかってめっきり現われなくなったねえ。
あまりにもどんなエコーも可能になったから選び出すのが大変になったが、ボチボチ自分達に由緒の深い場所の響きとかをシミュレートしてったりすべき時期を迎えてるのかもね。

厳しい授業の筈が急遽自習になると、普段以上に羽目を外したくなったりするみたいなもんだ。
程々で抑えときゃ楽しい時間が続くのに、騒ぎ過ぎて隣の教室の先生が来ちゃってどやされたって。

結局自由を有効活用するには少しはルールとかが必要で、昔よりしっかりビジョンを定めないと駄目なのかもね。
けどだからって今のどっかの国の政権みたいな事やらかしたら、少なくとも「聴くだけ」の人達からは完全に興味の対象外にされちゃうけどさ。

<続く>

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