音楽備忘録625 残響考⑫
「階段バーブ」(リアルエコー)の続きは次の進展後にするとして、今回は隠し味的残響付加について記しとこう。
近年ではどの程度周知されてるのか分からんがかつては例えば、Lead Vocalには特に条件が無かったら「極薄くReverb掛けとけ」なんてのがあった。
これ多分以前述だと思うが本来の趣旨は誤魔化し・恰好付けなんかじゃ無く、他のより「Micが近い」のから来る音場の不整合を避ける為とかなのだ。
古株でも意外とこれを正しくは知らない奴が多かったが、それは前回述のエコーのせいで「元音が違う」様に聴こえたりもしたからだろう。
けれど「違う」ってのの内容がチョイと曲者で、On Micの音って一般状態の人の生耳に聴こえるのと大概は不自然方向に違ってんですよ。
BONZOの収録テクでMicをOff気味にしたりその場所の残響も漏らさぬ様にしたのって、その場に居る人に聴こえたのとなるべく同じ感じにしようとしたからだ。
Jimmy Pageの研究結果ではそうするのが、彼の他の人との違いが一番分かり易くなるのから来てるそうだ。
同じく近年はより普及した囁き唱法にだったらそんなのお邪魔かも知れんが、話し声と歌声が全く別物なのが当り前だった時代ではそれが分かる様にもしときたいっしょ。
尤も「響いて当然」しか無かった次に新鮮さが際立つのは「響いて無い」ので、そんなのがひとしきり流行って続いた後の今では絶対条件では無くなってるけどね。
只これ迄に記して来た如く、デッドにするのが困難な楽器も未だ存在している。
Drum Setでそれを成し遂げようと思ったとして、無響室で録るとか更に各太鼓を単独で収録したりすりゃ不可能では無い。
けれどそれで「たった独りで操った時の一体感」も共存させようとすれば、極簡単なフレーズに限定しないと中々難しい。
重ねてあるのが分かっても構わなかったり、現実には独りでは不可能な音の重複を許したりすりゃ少しはマシになるが…。
タイミングが独りで同時に演ったのと完全に同一化するのが先ず無理で、結局は人力生演奏特有の価値をかなり損ねちまったりする。
加えて以前述だが録音・再生の両方で機器性能が上がったから、昔ならマトモにゃ聴き取れ無かった僅かな環境残響もあるか無いかが分かる様になっちまった。
要約すると昔は無残響と極僅かな残響の両方が、一般的な再生環境では殆ど再現出来なかった。
なので一寸しか響いて無いとか極力響きを殺しといても、聴く段になると殆ど違いが出ないなんてね。
少なくともそんな昔にデッドに録られたのを昔の機器や環境で再生したら、今デジタルで録ってインナーイヤーで聴くのよりゃ「何らかの響き」が勝手に追加されちゃってたのよ。
正直これを書く迄は俺は殆ど考えもしないで居たけれど、「何だか昔より纏まり難くなっちゃったな」とは感じていたんだ。
今思い返すとそれが始まったのって録音機が8トラ½インチOpenからTape式adatに変わった頃辺りで、長らく犯人はデジタルなだけみたいに思い込んでたのかも知れない。
たまたまその時期には最終段階でノーエコーになる作品も、自他共に無かったのも不味かったのかな。
人口密度の兼合いからも日本だとリアルエコーは疎遠なケースが多いから大変そうだが、一応俺言い「響きの整合性」は誰にでも等しく降り掛かる案件なんじゃないかな。
そう云やかつては常に散見された、独自のエコーで個性を確立したプロデューサとかってめっきり現われなくなったねえ。
あまりにもどんなエコーも可能になったから選び出すのが大変になったが、ボチボチ自分達に由緒の深い場所の響きとかをシミュレートしてったりすべき時期を迎えてるのかもね。
厳しい授業の筈が急遽自習になると、普段以上に羽目を外したくなったりするみたいなもんだ。
程々で抑えときゃ楽しい時間が続くのに、騒ぎ過ぎて隣の教室の先生が来ちゃってどやされたって。
結局自由を有効活用するには少しはルールとかが必要で、昔よりしっかりビジョンを定めないと駄目なのかもね。
けどだからって今のどっかの国の政権みたいな事やらかしたら、少なくとも「聴くだけ」の人達からは完全に興味の対象外にされちゃうけどさ。
<続く>
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