音楽備忘録606 パートのリズム調節㊸
今回は恥を忍んで…なんて今更だが、Classic系オケの指揮者と奏者のタイミング差の話しだ。
体験があるなり学ぶなりしてれば概知の方も多々だろうが、お間抜けな俺は50を過ぎる迄知らずに過ごしちまった。😓
さてここはかなりRock寄りのポピュラー系のBandとかを対象に書いてるのに何故かったら、万一運良く出世出来たら将来共演の可能性も…。
わ悲しいかなこの身分ではほぼ偽りも同然だが、規模や人数が小さかろうと合せなきゃなんないのは一緒だからだ。
その中から少し重複も出そうだが、かなり正確に合ってないと変なのとそうじゃないのを一寸仕分けでもしてみるかって企画だす。
併せて「合う」の定義みたいなのも考察してくが、近年本邦ではそれが「Click様唯1つ」みたいな誤認も酷いみたいだね。
先ずClick様が異様に闊歩してる正直な理由を暴露しとくが、そもそもは「雇い主側の勝手な編集」の為でしか無かったと断言させて貰っとこう。
尤も必ずしもそれが単なる横暴とは限らず、パフォーマ―側の度を越した力量不足ってのもある。
そんじゃなんでそんなガラクタ雇っちまったったら、大手だと各部門の連携に支障が出たり無茶なノルマを課されてなんてのもね。
ってこのままだと半恒例の鶏玉子話になるから離脱しといて、何よりそんな風潮が不味かったのはBestタイミングは本当は凄く沢山あるのにClick様以外の殆どが集中治療室送りにされちまった処だ。
本邦の現況の多くには舶来コンプレックス由来のが多くて、その根本は中途半端に都合の良いのだけ安易に拝借したのから来てると思われる。
少し前に従兄がDrumとClickの件でこれを呟いてたが、日本以外の殆どでは「物理的にだけ一致させる」なんて無粋な真似はしないそうだ。
従兄はそれをClickとDrumの「両方が聴こえる」ので提示してるが、もしDrumに無興味だったらそれだけでは糸口が見付けられ無いかも知れない。
或はYMO等を筆頭とするテクノ大国の誤ったプライドで、例え幼稚な誤解でもズレてると思われるのを不要に恐れてるのか。
それよかこんなに打込み物を筆頭に「機械演奏」のが日常的になって来ると、どれもが同じ感じ(タイミング)じゃないと耳慣れなくて馴染み難くなったかねえ。
だがしかし以前述の如く分析してみるとその肝心の機械様のが、実は結構いい加減且つランダムだったりしてるんだよね。
この事実を何でそんなに皆が気付き難いかってば、1曲終る迄「途中で機械が変る」のなんてまんず無いからや。
上記のランダムの中心は機器毎の癖みたいなので、良く作られた機械程この面では「苦手なフレーズ」が少なくなっている。
処で個人的にはClassicオケのタイミングの曖昧感は好きじゃないが、良く考えるとそれが指揮者やオケのせいとは限らない。
彼等は通常眼前のお客に最適になる様に調整してるんで、テレビやラジオ等ではおやっと感じても現場の客席だったらそうとは限らないのだ。
しかも指揮者⇔奏者と指揮者⇔お客は大抵距離が違ってるし、音と光(見てる景色若しくは映像)にも速度差がある。
だからネットやTVを通さないで見てたって、音だけを優先するとお客さんの耳に届いた音と指揮棒の動きにはズレが生じても半ば当然だったんだね。
因みにDigital Delayの、最初のニーズは何だったか皆さんご存知だろうか?。
普通なら音の綺麗なエコーと考えて自然だが、実際は大会場でのPAの音遅延から来る諸問題解消の為だったんよ。
純粋にエコーだったら美しくなるなら元のから音色変化したって、いや寧ろその方が利用者としちゃ有難い位だ。
けどEffectじゃ無くて「修正」だったら、少しでも元のまんまじゃ無いと困るでしょ。
これが「生オケ」でClassicとなると電子機器使用は普通はご法度だから、指揮者・各奏者の夫々がタイミングを利用して狙った音に聴こえる様に工夫もしてるだすよ。
例えば10人居るパートのが所望より音色が硬くて困ったとして、僅かにアタックをズラして柔らかくするとか。
これ多分大昔概述だけど従兄のLivehouseで三味線の音が実際より硬くしか拾えなくて、窮余の策で俺がChorus掛けたのと原理的には全く一緒よ。
合唱なんかでも○○合唱団ののほうが素人集団より纏まってて美しいけど、親近感では綺麗過ぎるとねぇ。
音楽学校のならいざ知らず体育会系の校歌がそんなだと、らしく無い上に何だかひ弱な感じとかしちゃいませんこと!?。
あれっもしかして今の学校だと昔と違ってタイミングだけは異様にピッタリ合ってんのかなぁ、女子は全部裏声(ファルセット)で。
<つづく>
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