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2021年3月 9日 (火)

音楽備忘録572 失敗って③

ここ迄ミスを忌避する世相になると、「失敗は成功の源」なんて死語になりそうでおっかない。
ノーミスでいきなり成功するなんて先ず無理なのに、どうしてこうなったか今回は私的分析をしてみたい。

色んな分野で研究が進めば、そう簡単に昔みたいな大成功は収められなくなったのかも知れない。
或は誰でも学ぶ機会が増えて、眠ったままの才能が減ったのか。

勿論そんなのもあるだろうがそれよりも過去からの学びに著しい劣化があって、「学びの質」が下がってるのが不味いんじゃないかと憶測している。
些細なミスも逃さない現代ではあるが過去例の正しい判定には、時として細心の注意をしないと誤認してそうだ。

大昔の記録って今みたいに全部克明にしとくのなんて困難だったから、重要なポイントだけしか残って無かったりする。
そのせいで今感覚でそのDataを鵜呑みにすると、恰も偉人はノーミスだった様に見誤ってるんだと思うんだ。

例えば野球のバッターは3回に1回打てたら凄い奴だから、打てなかったり打ち損じるののほうが多くて普通だ。
すると普通≒何時もの事・当り前の事は、一々記録なんてしとかなくったって後から幾らでも想像が付く。

又スポーツの選手で特にプロだったら、一般人との直接の接点はその仕事内容だ。
お客が払った観戦料はその殆どは自分達凡人には出来ないパフォーマンスへだから、必然的にそこが問題視される。

それと比べると私的なスキャンダルなんて二の次で、処が近年は誰のであろうとそんな方へばかり変な注目が集まってしまっている。
それでも自身のスキャンダルにも敏感なんならまだ良いが、そっちは隠蔽の嵐だ。

或はⅡでそんな自身の負債を希釈する為に、他人のを大袈裟に強調してるのも知れないけどさ。
んでここで考えるべきは「失敗の取り扱い方」で、自らを向上させたくば決して無視は出来ない。

只現況の多くはその次の段階が不味くて、無条件に容認出来なくなってるのがいけない。
因みにここでの容認とは他人の評価では無く、個人の内部での話しだ。

そこで例えば現代により馴染む様に一寸表現を変更して、失敗じゃ無く「不充分」か「未完成」としてみたらどうだろう。
その方が大多数の失敗の実状に即してる筈で、そうじゃ無かったとしたらそれは「見込み・想定の安易さ・甘さ」が原因だ。

ホントは大した確証も無いのにこれで行けたなんて思ってるから、駄目だった時に失敗認識になってるんじゃない!?。
球ポプリの件での俺のは一部がこれに陥ってたらしく、具体的には失敗する可能性のある場所を見間違えてたかな。

確率的には実績のある箇所より新規のの方が高いけど、だからって成功率100%では無かったんだよね。
なまじそんな想定ミスがあったもんだから、未だに正確な敗因を掴めて無いのが苦闘に拍車を掛けている。

又Ⅱで理屈では理解してても人間って、こんなのがあると気持ちが萎え気味になるから作業効率も悪化するしね。
なので無進展では無いんだけど、発表出来る程の成果が上がっていない。

とは言えニーズがあっての製作なんで撤退はあり得なく、再度覚悟を決めるのに考えた事を書いてみている。
そんな中今業界内で少し似た様なのが頻用されてるのを知ったのは、僅かな朗報かも知れない。

電気楽器をデジタルでしかもLine録りするには、やはり球プリの有無はより一層大問題化してる様だ。
特に純粋に「普通のAmpの代わり」に使える設計想定のは未だ僅少らしく、漸く本邦でもゲリラ的に出だした処らしい。

これが一寸不可解なのは本邦でこそニーズが最大な処で、狭いと高度な遮音は困難なのにねえ。
それからすると制作側も無罪じゃ無いが、そもそもニーズに気付けてない人が多いのかなぁ。

<つづく>

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