音楽備忘録569 パートのリズム調節㊱
拙ブログでは随時吠えの「欠点無くても魅力が無くちゃ」だが、欠点に許せる限度があるのは確かだ。
それで分かってる人だってそれなりに練習したりすんだが、お国柄とその正しいやり方が浸透してないせいか残念な方向へ逝かれてしまう方が多い。
恥をかきたくなくて練習して何が悪いと言われたらそれ迄か、ったら一部それでは足りていない。
ってよりそんなら敢えて「恥」で深掘りしてくと良いんだが、先ず最初は誰だって自分自身の事だけで考える。
けど俺言い「掘った恥」とすれば共演者や、観客にかかせる方こそ問題にすべきなんじゃないかねえ。
その典型がある種のナルシストとかで、例えば5人中の1人だけ恰好良いより全員がの方が上でしょ。
それ処か周りが四苦八苦してるのに、知らんぷりみたいに見えちゃったらそれはイヤラしい。
なので何かをちゃんと弾ける・叩けるを目指すにしても、個人レベルだけで考えちゃったら駄目なのよ。
例えば同僚にFusionに疎いのが居たとして、知らないと理解し難いパターンとかを下手に出しちゃうとアンサンブル全体のレベルは低下し気味。
んだばそんなユニットでは全くそれっぽいのは出せないかったらそうでも無く、知らなくても分かり易いとか合せ易いのだって選別してきゃそれなりにはあるんざんす。
本当に必要な時なら多少難解になるのも已む無しやが、ポピュラー系ではそんな場面はかなり僅少だ。
その好例を端的に語っちゃうと例えば全体はシンプルで誰にでも分かり易いが、たった1人だけ瞬間的に訳の分かんないのやったぞみたいなヤツだ。
これには大きなオマケも付いていて、概述の如く音楽=比較芸術であるからコントラストが強い方が凄みも増すって寸法さ。
更に達人達はそれにパブロフの犬現象も盛込んでて、わざと気紛れにしたり小出しにしてやんの。
技を繰り出すにしても上手く意表を突けてると、繰り返して同じ箇所が来た時に勝手にお客さんが期待しちゃうとか。
でいてそれを物の見事に裏切ったりすると、「いや今度こそはきっと演る筈だ」なんて一種のミラー効果ってのかね。
等とほざきつつどっちかったら俺はやり過ぎ注意君な方で、水漏れ甲介(死語)サイドにどっぷりなのが杜撰なんだけど…。
でもだからこそ4分間のたった1回こっきりで、スッカリ持ってっちゃった様なのの凄さは死ぬ程良く分かりまんねん。
ではどうしたらそんな風になれるかって、才能とかセンスは確かに大いに関係あるよ。
けど実質的にはそれよりも「何時でも入れられる・繰り出せる状態」になってるかが鍵で、簡単なフレーズだからって手抜きしてるとそれが一番これからは遠のかせる原因になるずら。
普通誰だって練習ったら苦手なのとか克服し切れて無いのへ真っ先に飛び付いちゃうもんだが、難易度の高いのだけを延々続けたのでは実用性が高められんのですわ。
特に又々俺言い「情緒系」とか「気持ち系」みたいに、理屈より雰囲気を尊重する様なのだとね。
難易度の低いフレーズではそんな系だとどうとでも弾けちゃうが、レベルが高まるにつれ「演れる方法」は段々限定されて少なくなって来る。
となると例えば傍若無人原始人が凄技入れる時だけ、内面的には教授に変身しなきゃなんないんだよね。
それってかなり難しいしウッカリしてると、天使だと思ってたのに悪魔だったのけってドン引きされちゃったり…。
極力これを避けるには一面で「簡単なのも難しい」し「難しいのだって簡単」って、半分騙すじゃ無いが気持ちの落差がなるべく小さくなる様にしとくのが良さげ。
それには難しい複雑なのに挑戦する時こそ練習時はその前後を、信じられない位アホっぽいのにしとくとかって工夫が要るだす。
んんん、もしやこれって練習方法でも2極化が進行しちゃってんのかな!?。
技だけにご執心とか、Grooveだけにひたすら没頭とか。
それだとどっちも少しでも反対のとかが欲しくなった時、ボロが出て困るんじゃない!?。
<つづく>
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