音楽備忘録578 パートのリズム調節㊱
では今回は大盤振る舞いで、企業秘密レベルの話しを…。
ってったら過大広告になるやもだが、「生演奏で許される」テンポ案件の一部に関しては意外と情報公開が少ないんで先ずはそれから。
特段の演出無くばテンポは開始時より後が速くなってる方が、動きが求められるポピュラー系では遅くなってくよりゃマシだ。
ってⅡでここ迄だったらそんなん誰でも知っとるわいだろうけど、んじゃどれ位迄だったら構わないのかキチンと答えられます?。
一般論からすればアンサンブルの全員が対応可能な範囲とか、観客の手拍子が追付ける程度になるよね。
それも勿論なんだけど最終的には、聴衆の心理となるべくシンクロさせられるのが良い。
それも状況次第じゃ奏者側が例え何時も通りに奏でられない程になったとしてもで、そう出来ないと最悪は「水を差す」事になり兼ねないからだ。
良いアクトではお客さんの反応に依って演る側も適切な影響を受け、それでパフォーマンスに良い変化が起きる様な化学変化こそがLiveの醍醐味でしょ。
ではアルバム等非Liveの音源にだったらこの要素は不要かったら大違いで、提供・提示側の意志尊重も大切だが聴者無視では想定に近い聴き方はして貰えない。
その中で始めより終りが速くなるのについて絞ってくが、通常打込み系ではそれが面倒だし却って好まれない可能性だってある。
そりゃもし曲想に反して2倍も3倍も速くなるんじゃ厳しいが、生演奏たればこそかなり広範囲に許されるものなのだ。
強いて付記するなら年齢次第で許容範囲に差があるかもで、若い程大慌てな感じになっても聴き苦しくならない様だ。
十人十色とは言え少なくとも同一人物内で比べると、キャリアが長くなる程落着きが増すのは自然やさかいな。
なので自戒も込めて年寄りの冷や水には気を付けなきゃいけないけど、こんな部分の変化も機械だったら勝手にゃ出て来ない要素だ。
私的には一部曲を除いてどんどん速くなっちゃったりするのは若い頃から好きじゃ無かったが、他人のを聴く分にそれで音を上げた事は殆ど無かったな。
初めて聴いた時点で随分速ってっちゃってるなと分かっても、それで楽曲自体の評価に先ず影響は無かった。
そんなだと演奏力には大いに疑念を抱いたりもしたけれど、そこを問題視するとしたら優秀な奏者を探してる時位なんじゃない!?。
その演奏力にしたって先ず曲が大体分かった後で、それに対してどうなってたかでやっと判定出来るんだしね。
それからすると今本邦のClick頼り・打込み無理対抗ってのは、リング上では最弱で場外乱闘時のみ最強のレスラーって感じなんだわさ。
これが試合会場に居られたら大凡全部の様子が見られるが、TV中継だとかだと映して貰えなかったり損ねたりする場面もあったりするやんか。
そして試合後の「最低限のニュース」では、散々悪足掻きしたけど結局負けましたってだけの情報になっちゃうわな。
プロレスだったら悪役の負けにも喜べたりするけれど、音楽にそれは無いんざんすよ。
だって「音楽の悪役」ったら、聴こうとしてるのを邪魔する雑音でげしょ。
只その代りスポーツと違って明確な負けの無いのが良い処で、どんなに不人気でも別に罪に問われたりゃせんですから。
音楽に負けがあるとするならそれはとても内省的だが、作者・奏者がイメージをロクに伝えられなかった場合とかかねぇ。
目論見違いになってもバカ受けすりゃ結果オーライでも良いったらご尤もなんだけど、ある意味「操縦不能」だった記憶はずっと後になっても案外忘れられなかったりするもんよ。
<つづく>
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