音楽備忘録583 残響考Ⅰ
ここって何か始まるのはローカルなキッカケばかりだが、この際開き直って気にせず行ってまえーっと。
で今日からのは残響、所謂エコーに纏わるのを例に依って独自の観点から。
宅ではその狭隘さから天然残響は全く試せなかったのでずっと放棄してたが、最近従兄が地下レッスン室へ続く階段で試し始めて我々間ではプチブームになってるんだ。
従兄曰くバーチャルのどんなのより「調整が断然楽」だそうで、しかし今迄全く未想定だったんで色々関門にぶち当たっている。
その中で正に今格闘してるのが「残響のステレオ化」で、処が階段巾が狭いのでどうするかで逡巡してるらしい。
ここに至る前に太鼓のOn Mic~Off Micと来て、Input数の制約もあったから先ずはモノラルでも良いから兎に角階段にもMicを置いてみたのだった。
今回のは残響自体を機械じゃ弄れないから、純粋な音響の知識が要される。
そこで一寸色々思案してた気付きから記してみるが、録音での「最初の残響」は天然且つモノラルから始まっている。
仮にある程度技術的は既に分かってたとしても、テープレコーダにトラックが1つしか無かったんだもの。
聴く際にしたってそうだしで、そうなるとホントに純粋な響きの質を追及するしか向上手段が無かった訳だ。
個人的には大昔からモノ嫌いステレオ大好きだったけど、モノラルにだってそれなりに利点があるのに軽視し過ぎてたのは一寸反省かも知れないな。
それはかなり薄らいだ記憶ではあるがかつてボロラジオで聴いたのの最高峰より、今ののどれもが今一深みってぇかムードに欠ける感じを受けてるからだ。
雑音の無いのも含めクリアさなら明らかにデジタルの圧勝だし、エコー以外の音質だって格段に高級になったんだけどさ。
幾ら綺麗で鮮明でもまるでデジタルサイネージの画みたいで、景色は変わっても自分の居場所は何時も居る席に座ってるまんまみたいな感じ。
自分内比でもこのファンタジー面に限れば、デジリバ以前のバネリバ(スプリングリバーヴ)時代の方が何となく雰囲気の妖艶さみたいなのは勝っていた。
そこで今更だが再考・検証してみてくと、デジリバで少なくとも俺程度の奴でも手に出来るのは「Delayのお化け」だからなのではって疑念が湧いて来たのだ。
現行のPCM方式は「細切れ膨大Dataの集合体」なんで、普段問題が無くたってどんなに高度でも所詮はパラパラ漫画そのものなのだ。
そんな事言ったって今のアニメーションなんて凄い滑らかじゃんって、ご尤もだけどそれってもしかしたら絵だからセーフなのかも知れないんだよ。
コマ数とかの問題は実像だって映画の時点から研究されてるけど、「これから書く絵」だったら一番その絵自体を最適化出来るやんか。
だけど音の方でそんな風に「寄せる」のって殆ど不可能で、かなり頑張ったってあまりにも次元が違う。
既にチャンバのだろうとデジ・アナのどれだろうと、パート個別に設定変えて別録りしたりはしてっけどさ。
それに対し私感だし極一例に過ぎないが、バネリバで勝ってたのは残響に繋ぎ目が無かったからだろう。
けどこれって正規のステレオ仕様にはなって無くて、位相を操作する「擬似ステレオ」だったんだ。
だから当時も最初から物足りなさはあったけど、エコーだけを分析するみたいな聴き方をしなきゃ一応セーフだった。
尤もこの手のは左右のチャンネルを混ぜてモノラルると、逆相になった分が相殺されるからステレオ時より「エコーが減る」って泣き所もあった。
これを今敢えて改めて見直して見ると、天然状態でも耳の位置次第で容易に起こる現象だったんだよね。
同じホールでも場所に依って響きが違うのの中に含まれてて、それからすると闇雲に忌み嫌うのは筋違いだったのね。
だからってバネ君は半壊もしてるし直ちに再登場させる気は毛頭無いけど、一寸「前後より左右」を気にし過ぎてたとしたら見直さなきゃだ。
その理由は長くなるから例に依って次回だが、リアル世界でどんな場所だとどんな風に響くかを皆もっと気にした方が良さそうなのよ。
バーチャルならではの非現実世界も魅力的だけど、それだって天然を良く知らないと上手に裏切れないからねえ。
嘘とホントって最低でもある程度どっちかだけでも知って無いと、全く判断できないでしょ。
あと私的には皆も昔よりエコーの掛け方がどんどん下手になってる気がしてて、デジリバでお手軽になって油断しちゃってんだとしか思えないんだ。
<続く>
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