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2021年3月

2021年3月31日 (水)

音楽備忘録594 録り方の問題 エレキBass編④

例に依って本項前回の補遺から入るが、楽器用音響機器の場合一面で不安定な方が良いみたいにほざいてたね。
皆分かってるとは思うがそれって例えば
接触不良とかで、音量が大小するとかってのじゃ無いからね。

これねえオーディオだったら限界寸前迄、来たまんまを出すのが優秀でしょ。
が楽器用だったら過剰にならない範囲で、多少演出があっても良いとか
って事なんよ。

特にエレキBass登場時の球増幅器なんて今からしたら、ダイナミックレンジは激狭だったからねえ。
電磁Pickupの性能だってリニアにはかなり遠かったけど、これ等のお陰で弾いたまんまの音量変化を出すのなんか夢の又夢だった。

だからって弾き加減で音の変化が鈍かったら困るんで、半ば棚ボタだったと思うんだけどそんなのを「音色変化」で補ってる訳ですよ。
その後生楽器と比べると特に当時のプアなラヂヲ放送とかに乗せると、音色変化の方が意外と分かり易かったてさ。

楽器用Ampの私的回路分析に依れば、「分かってる奴」が設計したのって石のでも意図的に古くていい加減な回路にしてるのが散見されたし。
今みたく取込み時点で高性能デジタルになると、それ等の電気物理的低性能には困らされちゃうんだけどさ。

ほんできっと仕方無くて皆やたらとコンプとかで捏ねようとしてんだろうが、是又オーディオ的に高性能なコンプになる程音色変化「しない様に」作られてるから厄介だ。
この体験からすると大昔カセットデッキ2台でピンポンマルチしてた頃のの方が、Lo-Fiでも「弾いた感じ」対しては今より何だかナチュラルだったんだよね。

これにはテープマジックも含まれちゃいるが、コンプが安物だった方が後から考えると疑わしい。
まだその頃はBass用のって出て無かったし、ラックタイプのなんて高根の花でどうにもこうにも…だったあるよ。

処で因みにコンプレスでも録れはするが、何分相手がカセットなだけに大抵それだとどっかで盛大に「音が割れる」。
そう云や今時歪むのを「割れる」って言う人何時の間にか全然居なくなっちゃったけど、もしかしたら歪み方が大昔のと違って来てるからなのかな。

閑話休題 この件決してLo-Fiを目指したり容認しようってんじゃ無いんだけど、人が弾いたのに録ったら奏者はAIかなんかでした~ぁってなったんじゃ切ないやんか。
大昔人間臭くて臭過ぎるのしか無かった頃はロボチックなのも新鮮だし、その安定度の高さに聴くのの楽さも覚えたりしてたけど…。

黎明期ゲーム機ヲタ氏にはうっかりすると暴言かと思われそうだが、色んな音楽全体からするとそんなのが本来の効力を発揮出来たのは瞬間的なもんだったのよ。
それ迄は色々と技術的制約とかで、全く「揺れないの」ってのが不可能だったから。

今だって部分的に活用するなら平気だけど、例えばアルバム通してずっとそればっかってなると流石にもう苦しい。
是又Ⅱでファンの方には微失礼承知で申すと、MarshallがHIWATTより普及したのもテキトーなAmpなのが良かったんじゃないかな。

HIWATTの数少ない経験では、綺麗な音を出そうとしてる内は全く他の追随を許さん程素晴らしかった。
のがこん位乱暴にすりゃちったぁゲスい音が出るだろうと思っても、シレッと普段のまんまだった。

更に掘ってくと太鼓ならYAMAHA YD9000RCとか、ベーアンならACOUSTICなんて一時期あんなに席巻し捲ってたのに今や殆ど過去の栄光になったよね。
私的には個人事情も手伝って高いのがOutだし球じゃ無いから毛嫌いしたてたが、ローエンドとかがちゃんと出せてたのは当時だと
他に殆ど無かったよ。

けど今再考察するとオーディオとか
論理的性能に寄せ過ぎだった感じで、その証拠か充分に使いこなせてたのはバカテクJazz系の人が多かったな。
その頃の達人級Jazz屋って、始めた子供の頃ってエレキ無かったやんか。

やっぱ生楽器を自在に操れる方が当然「加減が上手」だかんね、エレキしか無理な人と比べりゃぁね。
その他無理があまり効かないってか、俺言い「際どい領域」が他のより随分狭かった。

貧民Bandmanは所望通りのW数にありつける機会に乏しく、この面でなるべく無理が効いてくれないと聴こえなくなったりもするんでね。
尤も金満君でも必要パワーの目算を誤ったり、或は他メンバーが想像を超えて張り切っちゃったとかはアルアルあるね。

<つづく>

2021年3月30日 (火)

音楽備忘録593 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑳

今回は例の球ポプリの経過報告に際し、「不備な環境で頑張って測定」の実例体験が偶発したんで先ずはそれから。
して一体何を測ったのかったら、Coilやトランスのインダクタンスだ。

それが何の為かったら、杜撰大王式スピーカシミュレート回路に必要だからだ。
なんて気紛れで一寸大袈裟な呼び方をしてみたが、その内実は所謂「LC共振フィルタ」だ。

このアイデアは随分昔に自作した球プリで初採用したが、何れも楽器用フルレンジスピーカの高域の急峻な減衰特性を真似る目的だ。
これに要るのは唯のCoilで良いのに何故トランス迄調べたのったら、ニーズに合うインダクタンスのCoilが無かったとよ。💦

今日的にはそんな極端な特性の回路は、オペアンプICを使えばいとも簡単に組めてしまう。
けれど安易に球機器に半導体を混在させちゃうと、今更わざわざ球を使ったご利益がかなり犠牲となってしまうのだ。

近年の球で有名な大メーカのでも俺言い「こっそりハイブリッド」となってるのが多く、機能的には便利だが原典Ampにあった「楽器としての良さ」は随分と損なわれてしまった。
それが基本形は昔のまんまなのに、後から影響度の低そうな箇所にだけ追加したのですらだからもっと考えなきゃいけませんよ。

私的分析依ると…の前に、エレキに於ける楽器の定義を再確認しとこう。
確かに今では所謂Ampが無くても一応「その楽器の音」は出せる様になってるが、基本形は飽く迄「本体とAmpのセット」で初めてマトモに成立している。

ここへちゃんと軸足を置いとけると色んな理由が解明出来るんだが、例えばかなり大昔からストンプはほぼ半導体回路のしか無かった。
それからしたら楽器からスピーカの間のどっかに「石が入る」事もあったんだから、ハイブリッドAmpを使ったって大丈夫な筈ってさ。

この安易な思考は過去述「展開形と音域を軽視したコード失敗使用例」と同じく、理屈の突詰めが不足してるのよ。
過去の接続とハイブリッドのには順番に少し差があり、その僅かな差がインピーダンスを大きく改変してるのだ。

大昔:本体→石ストンプ→全球Amp→スピーカ だったのが、今ハイブリ君では「全球の途中に石」の入るのが違っている。
因みに俺知りのStudio録音過去名作の場合、Effect(ストンプ)はワウペダル等の一部を除き「後掛け」のの方が多い。

上記最後の式だとスピーカを出る前に石は殆ど入らず、楽器音として成立する前に「余計なの」を入れて無いって勘定になる。
そこ迄は気にしないとしても球はその音色や反応の維持に、「途中に石」ってのがとっても苦手なのだ。

その原因がインピーダンスの低下で、本来電気理論的には低い方が好ましいが「下がると駄目」になる。
具体的には反応が妙に平準化してしまったり、弾き方差由来の音色変化巾が狭まって鈍化している。

そこでプリにゃスピーカなんて付いて無いけど、せめて球回路が「終る迄」は石が入らない様に画策したのだ。
その結果は過去作機のエレピで本物+Mic収音のにゃ負けるが、昔のでも「Amp一体型じゃないヤツ」のには匹敵してるって実績がある。(公開済みの従兄との共作のもこれ)

尤も前作は使用部品の選定や計測その他で一寸不精した為、フィルタをOnにすると元から籠り気味のの代用にしか使えていない。
同じエレキでも鍵盤系は弦系のより高域Cutが不要なのが多く、エレピに使用時はさしもの!?フィルタはOffのままで使わず仕舞いだ。

なので現況迄はBassに使う時ゃフィルタはOffの代わり、後から苦労して散々捏ねて不要高域をCutしているのが大半だったのよ。
んでこれのどっちを選んでもOnすりゃ籠るし、Offで後処理すりゃ「Line臭さ」が殺せないって責め苦に遭っていた。

測定も発見も面倒で大変なんだけど↑で懲りてるもんだから、今度こそはと粘っているのだ。
一応お陰様で候補になり得るのが何とか2,3見付けられたが、雑用多忙で実験はこれからといった処だ。

<つづく>

2021年3月29日 (月)

音楽備忘録592 録り方の問題 エレキBass編③

前回時点でエレキBassの原典サウンドって、かなり電気的には歪んでる事も多いのを記した。
だったら録音でMicやMixer卓で少しぐらい歪んだって平気、なんて思ったらとんでもないのよ


えで何でそうなるかってば、Micや卓は「楽器じゃない」からだ。(何だそりゃ!?)
これは近年みたいに直にPC等へ取り込むとより明確化するが、オーディオ側に所属する機器に歪んだ状態は想定外設計なのだ。

昔の一部の業務用には許容範囲が広目のもあったが、その領域の本来の目的は「事故軽減対策」である。
生本番時に想定外で一寸オーバーしちゃっても、なるべく音色変化を起こさず「聴こえの劣化」を避けようとしてだ。

これRock系のMixingでメータが振切れる位の方が迫力がなんて変な慣習もあったが、それが度を越して’60年代後半から’70初期に掛けて望まぬLo-Fiになってた失敗作もそこそこあった。
これには幾つかの原因が想定されて、最初の成功例は
上記みたいに安全マージンを多く取られてる機器だった可能性がある。

アナログシステムでは音を限界迄大き目にしといた方が、相対的に雑音が小さくなってHi-Fi化する。
これが所謂S/N比って訳だが、一寸音量を上げて聴くと必ずハッキリ聴こえる程ノイジーだったからだ。

具体的には電気的にOutになるより3dBとか6dB、「先に警告を発する」なんてのだ。
なのでマージンの大き目機種でだと最高運な場合、一瞬メータの針が振切れたりピークインジケータが点灯しても電気的にはギリギリセーフだったなんて状況もあり得るのよ。

音楽のピーク成分って耳には一寸でも、電気的には何倍もとなってる場合が多い。
概述だがそんな「性質差」からの使い難さをを解消する為、ボリウムポットにわざわざ非リニア変化なAカーブ特性なんてのが作られた位だ。

更にもう少し時代を遡ると殆ど全てが真空管となるが、球は石より「歪み始め」がかなり早い。
その分レベルを下げて使えば確かに歪みからは開放されるが、そうすると只でさえ通常石より大き目な雑音が酷く目立って辛くなる。

のでその時代は歪みとS/N比の悪化を両睨みし乍ら、最適値を探るってな按配で行くしか無かった。
要するに一面で機器の進化に人が追付けて無かった、ってのが上記例みたいな悲劇を生んでた訳だ。

故に楽器側はそこそこ逝っちゃってもOKで、音響側だと一切駄目なんて不文律みたいな事となっている。
この点でBass録音で例外となるとしたら、トランス式Direct Box位がほぼ唯一だ。

それも使用されてるトランスがなるべくなら真空管全盛時のだとの話しで、それより新しいトランスはこの用途には半端に高性能化しちゃってるからこっちの思惑に充分には応えてくれない。
「トランスの受け」が球から石に変わると、従前のままの特性ではトランスが先に歪み出す。

それじゃあ「何だよボロいなぁ」なんて思われて売れないし使い難いから、意図的に「石へ性質を寄せた」のだ。
実際には幾ら頑張ったって原理的に追い付けないんだけど、性質が正反対過ぎたら不便だしね。
因みにトランス進化の主役は加工精度や技術もあるが材質の進化で、しかしオーディオには良くてもそんなのは楽器には残念なのも少なく無い。

Mic(エレキのPickupも含む)やスピーカの磁石にもこれがあって、強磁力・小型・軽量の最新のネオジウムマグネットもこの面での音色には異議も多く聞かれる。
何れもオーディオ的にはより良いのが楽器には不都合な場合も出てるが、求められるものに違いがあるからだ。

オーディオでは限界はなるべく高く、到達する迄は性質変化の少ないのが望ましい。
が楽器では性質変化の特性が急激なのが駄目で、寧ろ緩やかなら常に変化がある位の方が向いているのだ。

それが強くとか速く弾いたのとそうじゃないのの違いをより鮮明化してくれ、弾き方に依る音色の違いをちゃんと出してくれるからなのよね。
しかしLine録りだと今は普通はトランスもスピーカも入らないんだから、弾き方の違いから来る表情の差を出すのがかなり難しくなっている。

これ等に対し現代一般的にはすぐコンプと連呼されるだろうが、何に依って何処で変化を得るかの差ってのは縮小は可能でも無くすのは無理だ。
それよかそもそも「原典システム」で拾ったのにコンプされちゃってるのに対抗して、「2度掛け」したって太刀打ち出来ないと思うんだけどなぁ。

<つづく>

2021年3月28日 (日)

音楽備忘録591 パートのリズム調節㊵

では続けて俺言い「耳意識」が全体派か個別派かの見極め方を提案してくが、本邦限定で前回述の「Ringoの評価」なんてのも借用出来そうだ。
敢えてリスクを顧みずに断言させて貰うが貴方が彼をどう認識してようと、世界的には現況彼がその世界で頂点に君臨してるのは動かし難いとね。

なんてこれ年寄り固有の頑固と思われちゃ大迷惑で、一番誰にでも共通で「確かな物差し」にうってつけだからだ。
依って彼を嫌いでも低評価でも今回だけは許す、なんてったら怪しくなっちゃうか…。

が今回で困るのは無関心とか評価無しの方で、その場合は後で別の方法を考えてみるわ。
さて実際技術的にはさして突出してるとは言い難い彼を高評価してる貴方、の多くは全体派である可能性が高いどす。

その逆で曲は高評価なのにDrummerとしては低評価な方、の場合は個別派である可能性大でやんす。
近頃例に依って全くの偶然なんだけど、これを増強する様な体験が御座居ました。

一寸気が向いて第Ⅰ期Van Halenを聴いてたんだけど、Edward氏(昔から知ってる奴はEddieと呼びたがらないと勝手に思ってる)の真の凄さは有名なバカテクでは無いと再認識させられたんだ。
技術的には彼には勿体無い位のレベルでいて、その曲のそこをそう弾くかねって独自性やフレージングのアイデアが凄かった。

本題から又逸れるから例示は1曲に絞るとして、(’82)Diver Downの9曲目「Little Guitars」でのバッキング。
これの歪みが浅いのは普段聴きしてたらそう珍しくも無いが、ずっと指を併用して和音を細かく沢山鳴らしている。

私的概知だとこの奏法は普段が指弾きの人に見られ、Chet AtkinsやNokie Edwardsで有名なCountry系の技だ。
当時としては激深歪みやタッピングで名を馳せた彼だが、実際の楽曲中ではそんなのよりジャンルを超えたこんな多彩さの方が際立っている。

しかもそれがソロパートじゃ無く「歌のバック」で、グループの風貌や貫かれるサウンドスタイルに惑わされて見逃してやしないだろーねえっと。
って好みとかだってあるからご自由にですが、曲成分0%ではどんな技だって発揮のしようが無いかんね。

これイメージと実質に差があるのって良くあると言いたくて、聴くだけならどう思ってても構わないが実際演ろうとするなら知っといた方が良いでしょうね。
そろそろ戻るとして先ず全体派だった方は録音順位等にあまり制限は要らないが、個別派の「気持ちを理解する」努力は惜しまぬ方が良さげだ。

確固たる個性を創出するにゃ時にワンマン性やナルシズムを要す事もあり、従前に皆無だった新たな伴奏が必要になったりもするからね。
じゃ個別派だったらってぇと、敢えてここでは他の人のを良く聴きましょうとは言わないぞ。

なるべくならそうして貰いたいけど元が苦手とか向いて無いのだと、頑張ったって即効性が無い。
ので取敢えずは録音やLive時の順位を配慮して貰って、自分のタイミングを一定以上維持出来る様にするのが得策だ。

当然それにはリズムスキルが低過ぎちゃ駄目だが、一面で下手な方に合せなきゃなんない抵抗感が膨らみそうだ。
実際そんな思いは結構頻繁にあったけど無理をさせりゃ全体がもっと低レベルになっちゃうから、ここは1つグッと堪えて出来る限り我慢の子だ。

但しそれを上手く成立させるには個別派は全体派に対して、かなり感謝の気持ちを持って無いとね。
極度の個別派は最悪自分で演ったのに「重ねる」のさえ、七転八倒する可能性も秘めてるからさ。

もっと困るのは全員が個別派だった時で、そんな際は誰かが「普段と全然違う役になった」と思って当初は演じて行くしか無い。
これからするとバカも演れる全体派の方が応用が利いて便利そうだが、器用貧乏なんてのもあるから一概に寄せ切るのも考えもんだ。

集団で揉め事が起きるとすぐ犯人探しになったりするが、合奏ではそれより各自の自覚が足りてるかの確認の方が先に要る。
わざわざアンサンブルを壊そうと思ってるのなんて稀なんだから、1人だけかなりズレたりしててもそれだけで有罪判決をするのは間違っとるよ。

先ず理解は足りてるのか、それをどの程度具現化出来てるかが分かってからだ。
充分理解してて伝えても一切受付けなかったりしたら、その時は容赦なく首切りして構わんし迷う必要も無い。

<つづく>

2021年3月27日 (土)

音楽備忘録590 録り方の問題 エレキBass編②

さて前回「Guitarより歪ませないのにエレキBassは球」へ進めるが、それには概小出し!?述の電気楽器の歪みの正しい認識が必要なのだ。
元はと云や只の電気・電子音響理論とそれへ音楽の付くのの差を失念してるのから始まってるが、何も「エレキ奏者は皆歪ませ好き」って訳じゃ無い。

実際生楽器や電子楽器等他種と比べたら歪ませても使える音が出易いが、見方に依っちゃ恐ろしいが実は原典エレキサウンドに完全無歪はそもそも存在しない。
っと言ってもそれは理論的なだけの意味で、音色の事じゃないから慌てなさんな。

現に俺自身「歪ませは必要最低限派」で、Bassは勿論Guitarその他に対してもの口だ。
これはかつてモノホンプロの生音を聴く機会に、ちゃんとしっかり弾けたらそんなに歪ませなくても充分余韻を伸ばせたりするのを知った等に依る。

これ極端例を挙げりゃ幾ら楽器を高感度にしといたって、誤って弦振動を止めちゃえばどうせそれ迄だかんね。
それよか和音使用の対応が高い方が、演奏自由度が高いのもある。

では電気的には歪んでて音楽的に歪んで無いとはどゆこってすかったら、「音っていきなりは歪ませられない」ってのが大枠回答だ。
おっと尤もこりゃアナログ回路でならの話しで、デジタルだと寧ろ無補填のヤツはいきなりしか無かったね。

危うく「古いだけ」のままで通り過ぎる処だったが、そもそもアナログだとどんなに低率でも完全無歪は不可能だった。(これも聴いた感じとはですけど)
尤も現状では電気→音変換部で無歪化が未達なんで、オールデジタルでも完全じゃ無いんだけどね。

けどかなり昔の低性能真空管しか無かった当時で、「聴き味は歪んで無い」はとっくに達成されている。
この際だから最深掘りしとくと、そもそも空気を伝って耳に到達する迄の間が完全無傷ってのがほぼ無理だ。

これに則ればどんなに美麗に奏でられた生楽器の生耳聴きですら…、キリがないから先へ進めよう。
んでこれもキリが無いからここではエレキBassに絞って続けるが、少なくとも原典設定ではAmpスピーカが一般的な高域は殆ど再生不可能な状況だ。

これは当時の低技術レベルだけのせいじゃなく、楽器固有の利点の問題も含まれている。
これには敢えて分かり易いからGuitarでの違いで例示するが、エレキの場合典型的なJazz音色みたいに滑らかでMildにするのも可能だ。

でもアコギじゃ幾ら頑張ったって手と弦が擦れる音とか、何処かで高域が混ざって排除不可能だ。
これはClavinetとClavichordの間でも同様で、大昔は「完全にMild」な音色の方が得られなかった。

これが音域の低いBassとなると生楽器では基音より倍音が余計に目立って、低音だけを増やしたくてもそれが無理だったのよ。
これからしても当時「わざわざエレキ」なら生の苦手なのが得意な方がご利益があり、近年は違うのも増えてるがその流れが定着して「エレキBassは先ず低音」となってる訳だ。

で・で・でそれに適したスピーカは高域再生周波数が低くなるもんで、これは今だって能率を優先させれば広帯域再生が困難なままだ。
駆動力が電磁気ってだけでスピーカは他の生楽器と一緒で、サイズと適正音域の関係は付いて回っている。

又敢えて能率を犠牲にして仮に下手に可聴限界迄「良く出る」様にした処で、雑音が目立つだけになる。
尤もスピーカってアナログの権化なんで厳密にだと、デジタルのフィルタみたいに全く高域が出ないってはなってないし出来ない。

これをここにしちゃ珍しく現代的に!?纏めると、一部例外を除き高域が低域に勝ってはイケナイと言っとこう。
具体的には高域が最大音量になった時でも、低域が所謂マスキングをされて聴こえが劣化しちゃメッって事。

ほんでこの条件をクリアしてると、電気的歪みがとても聴こえ辛くなってるのだ。
音波理論的にこの手の歪みは通常のは必ず高域倍音成分としてしか現れず、しかも歪みが浅い程その成分は基音から掛離れた「高い方から順にやって来る」。

このせいで耳だけに頼って音調整してると電気的にはやっちまったぁになり易いが、音楽の場合は音色的にOKだったらそれが全てなのだ。
但しⅡでアナログ増幅器でも球より石は歪み反応が大袈裟で、デジタルと比べりゃ可愛いもんだが実用に耐え得る範囲は随分狭くなる。(※意図的Effect等の場合を除く)

<つづく>

2021年3月26日 (金)

音楽備忘録589 パートのリズム調節㊴

今回はリズム隊内での楽器種差に依る、好まれるタイミングの違いと題してお送りする。
ってんじゃどうにも難解だから噛み砕くと、例えばBassistとDrummerでキメのタイミングで意見が衝突する様なヤツの話しだ。

俺と従兄は若い大昔から各々尊大な程リズムに自信家だったのか、表面上は未だしも少なくともこっちには常に葛藤が続いている。
その真相はどっちかがかなり癖が強いのか分からんが、近年Drumにも深入りしてみて気付いたのがあった。

楽曲に対する解釈やそれに対する表現が同じでも、楽器毎に元々ベストタイミングには違いがあるらしいんだ。
これを科学的に分析すると音域や音色が原因で、アタック音と基音の鳴る時間関係もかなり多種多様だった。

この部分近回述だが低音域の程アタック音より基音は遅れて鳴り出すが、その中に更に基音(本件ではアタック部のみの扱いで)と倍音の音量バランスも随分違うのが多かった。
取敢えず一般多数派の音色で行くと、先ず太鼓の方はアタック音がバランス的にかなり大きいからアンサンブルに入ってもそれをそのまま「音の鳴り始め」として扱って平気だ。

がBassの方だと単体ならアタックは何時もハッキリ聴こえるが、バランス的に基音より小さい事も少なくないからか本人以外にはアンサンブル内では基音の鳴り始めが「頭」だと思われてる節があった。
特にDrummerは至近で巨大な高調波倍音が爆音で鳴ってるから、余所見してたらBassistが弾いた「少し後」にならないと聴こえて無いのかも知れない。

その際該当DrummerがBass演奏体験が一定以上だったら察しも付こうが、専門外だと幾ら凝視してても鳴り出しタイミングが正確には把握出来ないのかも…。
最近の録音作業で俺が太鼓ファーストにしたいと感じた裏に、こんなのがあるみたいなのだ。

従兄は近頃割と日常的にBassに触って悪戯してるらしいが、現状ピック弾きのみで指は稀・スラップは無しらしい。
こっから先は全く未確認ではあるがその音色にしても、色々極端なのもやって遊んでるとかは訊いた試しが無い。

更に加えとくと自分の太鼓に合わせて弾いたなんてのも耳にしないから、もしやってても少ししか無さそうだ。
これって一般論としちゃ全く罪でも何でも無いが、アンサンブルの全容を把握出来てるかったらNOとなるよね。

長らくそんな位置関係でずっとコンビを組んでて実用上さしたる害も無く来ちゃいるが、こっちとしては「思った通り」とは少しズレたままの部分が残る事が少なく無かった。
中でも一番徒労感が残るのは、予測して逆算しといたのがパーになった時だ。

大した事無いにしても本件はどんなパート・人(ひと)間でも起こり得るので、気分的によりスッキリさせるには何らかの方策は必要なんじゃないだろうか。
厳しく見れば俺の方の特殊性のせいとも看做せ、楽器毎の「腕差の少な目なマルチプレイヤ」ってそんなに一杯居ないもんね。

これの何処が違ってそうかったら弾くのはその時ゃどれか1つでも、指揮者にでもなったかの様な気持ちで扱ってるのかも知れない。
つまり俺がカウント出してやるから着いて来いなんてのより、皆が踊ってる輪にタイミングを見計らって中途参加するみたいな…。

必要時は勿論率先したりリードしたりはしてるんだが、パート間についてはそれより全体に重きが行ってるのかな。
私的にはBeatlesみたいな鉄壁アンサンブラーは皆そうだと勝手に思ってるが、実際の処どうなのかは未分析のままほったらかしだ。

にも拘わらずそう信じて疑おうともしないのは、各パートの恰好良さを犠牲にしてでも全体を尊守したかの様にしか聴こえないからだ。
これは他にもHi-RecordsのHousebandとかMG’s等にも感じられるが、実力の割に個別奏者の世間での評価が低目扱いされてるのが共通事項だ。

中でもRingoの本邦での低評価なんて死刑もので、従兄がしきりにボヤキたくなるのも頷けるってもんだ。
「合奏物」では誰か突出して巧くたって全体がサッパリならOutだから、本当に奏者の力量を測るには「全体の中でどうか」だけこそが決定打なんだけどね。

本邦じゃDrummer評価ったらわざわざ沢山鳴ってる中から、無理してDrumだけを脳内選別して聴くなんて無駄してるアホが多いんだろうな。
同調欲求が強い癖に、変な要らん処だけわざわざ個に分けちゃうのね。

とは言え例えばGuitarにしか興味が無い人だったりしたら他へ耳を行かせるのも苦痛でしか無いんで、そんな場合はアプローチの仕方で対応するのが良さそうだ。
それには各自の俺言い「耳意識」が全体派か個別派かの見極めが先決で、対処法を知っててもここが不充分だと良い方へ持ってけない。

<つづく>

2021年3月25日 (木)

音楽備忘録588 録り方の問題 エレキBass編①

現在悪戦苦闘中の球ポプリのキッカケだったんで、今回からBass録音の色々についてもちゃんと書いてみよう。
この手のは他所様にも沢山公表されてるが、実体験からの実用度等は掘れるだけ掘るのがここの特徴。

さて本件に関しては敢えて本邦中心で述べてくが、その最大理由は海外との環境差だ。
幾ら方法として知ってても使える機会の少ないのは、「創るのがメイン」の人には非実用的だからだ。

当然中には時間や手間を厭わず凝る方も居られるが、デフォルトになるのは作品数の多い方になりがちだからね。
それからすると最早Bassパートなんて、Line録りでも実演したのだったら御の字なのが当世なんじゃないかな。

ソロパートが常に出て来る類のと比べると、どうしたって裏方物は普通は個性を出し難い。
トランプの普通の数字カードみたいなもんで、それがJokerになってはゲームが成立しなくなっちゃうもんね。

中にはどっかのクソオヤジみたいに強烈なのも居たりはするが、主役の個性が弱いとそんな劇薬は使い辛い。
んでそうなると録音環境や機材的にも優先順位は下げられ気味で、かなり妥協してもエレキBassなら一応「その音」にはなってくれる。

これが例えばDrum Setとかだと今の普通の音にするだけで大事で、一部Lo-Fiが許されるの以外でそれをしたら周りと合わなくなっちまう。
こうして全体事情からしたら仕方無い面が多いんで、一面で「孤独な闘い」をして行くしか無い。

続いてリアルAmp収録での条件を提示するが、聴くだけと録るではかなり厳しさに差があるもんなのだ。
その内特になるべくOn Micにしたい時が最難関で、近年売られてるAmpにLive・録音(Mic収音)両対応
のは殆ど見当たらないのだ。

①密閉型エンクロージャ
②スピーカはフルレンジで帯域分割無し
③完全真空管式

唐突に主条件提示したがこれにはMicの本数・位置や歪んだ場合の都合が含まれてて、歪みについては球の方がその成分の分離や悪目立ちをし難いからだ。
非密閉型や帯域分割型だと音域に依って「出る場所が違う」んで、Mic1本で全てを拾うには最低でも遠目にせねばならない。

で距離を必要とするとなると部屋の広さが要るし、それでいて残響がかなり少なく無いと定在波の悪影響を受け易くなって難儀させられる。
因みに定在波とは特定の音程だけが他より良く響いちゃって、ある音だけ音量が大きくなったり余韻が長くなるなんて状態を引き起こす。

帯域分割型よりゃ後面開放型の方が1本収録の可能性の芽はあるが、最適な状態とするにはそのAmpに適した「程々の残響」具合が必要とされる。
ホントなら幾ら大変だって上記のがエレキBassの音の真の姿だからそうするべきだが、スペースの他に機材が超低域対応なだけにコストも大変だ。

現にかなりな「リアル主義」の俺でさえ条件を未だ満たせず、結果現実的にはリアルだけを追い求めるよりLine録りの質を上げるのが効果的となっている。
にも拘らずLine録りの方でも過去より劣化させる原因があって、それはDirect Boxに使えるトランスが僅少となったりした処だ。

録り場所の狭さの他にこれもあるから国内限定としたんだが、そもそも本邦じゃトランス全盛期ですら本国より流通量等「絶対値」が圧倒的に少なかったからねぇ。
昔はだった「新しい録り方」に対しても本国より消極的だったし…等諸々で、特に過去物頼みとなると圧倒的に弱いんで御座んす。

なのに場所や使われ方はかなり違うが、エレキBassの原典サウンドは必ず「トランスを通した音」だ。
音響物理的にはどっちかったら問題児のトランスだが、俺言い「電気楽器理論」としては不要時が稀な存在。

闇雲に「元がそうだったから」と迄は言わないが、「その様な反応」って要素は重要だ。
生楽器では重力や空気が理想の動作の邪魔をするが、それで空気を無くせば今度は音が聴こえなくなる。

依って「邪魔が入る」のを前提に生楽器は設計・製造されてるが、それがエレキ系では主に電子回路部分が相当する。
中にはLine録りにかなり特化したBassもある様だが、試奏時にAmpを使わない人はかなり少ないでしょ。

だいいちLine録りの頻度が日常的なのったら、プロの超売れっ子位しか居ないじゃん。
となりゃ少なくとも俺が買える程度の範囲に、そんな数の出ないのなんて作って売れったら拷問になっちゃう。

そう来てトランスすら僅少・超高価と来りゃ、残る頼みの綱はもう真空管位しか無いから絶対的な程拘っちまうのだ。
Guitarみたいに歪ませないんだからどうって事無いって!?、いやいや却って聴感上は露骨に歪ませない方が本当は大差があるんですよ。

<つづく>

2021年3月24日 (水)

音楽備忘録587 残響考Ⅲ

何だか妙にマイブームって来たんでどんどん積んでっちゃうが、今回は「リアル空間でのDrumsetの聴こえ方」がお題だ。
私的にはTom・Cymbal類は目一杯左右に分離してるのが好きだけど、よく良く考えるとそれはお客さんには亜空間でしかあり得ない音なのよね。

これはもしかしたら普段ずっとやたらと狭い処へ閉じ込められてるから!?かもで、「ホールに置かれたDrumset」が実際にはどんな風に聴こえそうか想像してみたのだ。
普段自分でスローンに座っちゃうと、そこからの楽器の景色はかなり左右に散らばっている。

真正面(擬似客席側)を向いてたらFloor Tomなんて、辛うじて視野の隅っこにあるのが分かる程度だったりする。
それ処かどんなに遠目に座る人だって普通のセッティングだったら、Hatに直面したらFloor Tomは視界外に追いやられてる筈だ。

処が客席目線に立つと一変して、一般的には左右より舞台の奥目の方にある物って認識の方が高いんじゃないだろうか。
Rock等爆音系でそれに慣れてない人だったりすると、耐えられなかったら困るからなるべく後ろの遠くの席が良いなんてのだってあるしね。

これへ前回述の俺言い「首が疲れるワイドホール」なんて悪いのを加味してくと、少なくとも小規模施設の実演を聴いたのに近いのは割と真ん中に纏まってる定位の方になるんだな。
そこでオリジナルラインナップ当時のTotoのなんかを思い出してみると、当時音楽誌に一部掲載された定位のセッティングチャートでもそうだった通り太鼓自体はそんなに左右に広げて無かったっけ。

尤も太鼓だけへ耳を傾けてると全く「狭目」にしてる感じは無く、アンサンブル全体で半強制的に比べないとそれが感じられない仕上がりになってる。
つまり相対比較だと他パートがだだっ広くしてあるもんだから、狭目てるのが分り難かったってね。

但し俺等だとTotoとは殆ど正反対でドマイナーなのもあるから、デフォルトのを彼等のみたいに巨大ホールっぽくしたら嘘臭くなりそうだ。
んでTotoのPan狭目がそれより広目に感じられたのって、太鼓は残響の方だけ元のより広げてるのもある様だ。

これからするとやはり残響の巾の広さって、演ってる場所の設定に支配されるべきなのが見えて来る。
一方で奥行き感の方はそれと比べたら、会場の広さより演者との距離感の演出効果の方が勝ってるのかな。

と来た処でしかし音源がモノラルのだったのもあったの思い出したが、それだとChorus等変調系ステレオ版のやComb Filterや位相操作に依る擬似ステレオを除くと残響音に頼るしか無い。
大昔にEffectorがまだモノラル仕様の方が主体だった頃は、例えば原音が右だったら左へEffect音をとかが常套手段だった。

今だってモノラル音源にはこの方法も良く使われてるが、基本的な音色改変を嫌がるとこれで行けるのはほぼDelayだけしかない。
この点からするとDrumsetみたいな大柄な楽器の特殊性なのかもだが、うっかり太鼓に最適を与えてしまうと他ので苦労する可能性も考えられる。

とすると太鼓以外のの階段バーブも、従兄が変に気に入り過ぎる前に体験させとかないと危ないのかな。
そう思った処でこっちも出遅れちゃってるから手遅れ時の対策も立てとくとして、先ず思い浮かぶのは半分位上記の古典手法を活用するのだ。

但し見込みのあるのは定位が片chに寄目でアンサンブル内で比較的大きく鳴ってるの限定で、ドカ~ンと鳴ってたらそのチャネルに共存させてる残響は所謂マスキング効果で入ってても余韻部の後端位でしか聴こえなさそうなのを悪用すると。
等と思案しつつ強烈に直面した感じなのは、それだけ今の一般では太鼓録音とその処理が軽視され過ぎてるのかも知れない処だ。

電気・電子楽器だともう直にすぐに掛けたきゃ何でも掛けられるし、Pianoだって面倒を嫌えばデジピで録れるからのぉ。
従兄も頻吠えしてるけど海外作品と近年本邦大手系の最大差は、太鼓サウンドのクウォリティってのは珍しく!?俺も完璧同意だな。

<続く>

2021年3月23日 (火)

音楽備忘録586 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑲

では遅ればせ乍ら具体内容へ進めてくが、毎度乍らヲタ性が高いのはご勘弁。
一般的な方にはコロンブスの卵みたいなのの特殊な例、としてでも読んで貰えたら大満足で御座居ます。

近年は昔よりゃ平民でも高度な測定機器が入手可能になってるんで、一応測定環境の条件設定をしとくよ。
ってったって昔乍らの針式アナログテスタ位しか手元に無いってだけなんだが、それだと基本的には電圧と電流の「大体の値」しか測れないからだ。

「大体」なんて付けてるのは機器精度のせいじゃ無く、表示が機械式メータだからだ。
ついでで今では殆どニーズの死んだ「正しいメータの読み方」なんてのを披露しとくと、目盛の凄く細かい所を読む際は「見る角度」の影響が驚く程大きくなるんざんす。

俺が2台所持してる片方にはこれ用の「補助機能」が付いてて、メータの目盛盤に何故か「鏡」が付いとりぁす。
その秘密は「真上から見てたら、鏡に映る針の裏が見えない」で、それに依ってズレ無く見れてるのを確かめろって作戦だそうだ。

デジタルので数字表示だったら読み間違い以外、測り方さえ合ってたらこんなミスなんて起きないんだけどね。
しかも破壊予防も兼ねて近年のデジタルの殆どのは「オートレンジ」のも多数で、測定レンジ設定ミスで変な表示になる心配すら無いとは大したもんだ。(何時の時代の感覚よってね😢)

せやから古代式計測法は面倒だし間違え易いが、それをする本人は自動的に知恵や判断力が鍛えられるってな利点はあったかも知れない。
そんな自力本願が身に付いてると直接測れなくても投げ出す前に、方法を調べたり考えたりする方向へ進み易い。

そんな人間側の考えの違いで差の付き易いのが、直流を通さない部品の測定だ。
音関係の電子機器では避けては通れないコンデンサがその筆頭で、壊れたり劣化して無い保証があるなら「表記の読み方」を覚えれば事足りる。

バイポーラトランジスタなんかよりゃ電解タイプ以外は滅多におかしくならないが、ジャンクパーツを安全に再利用するには測れた方が良い。
んでどうするかったら単一周波数の音声信号電流を流して、その電圧を読む。

その時更に別に必要なのが抵抗器で、出来れば可変抵抗器(ボリウムポット)が良い。
より具体的には先ず調べるコンデンサと可変抵抗器を直列にしといて、その両端に信号電圧を掛ける。

それからコンデンサ単体と抵抗器の電圧が同じになる様に調整し、一旦バラしてからその可変抵抗器の「抵抗値」を測るって面倒だよね。
でもそれで何Hzの時にそのコンデンサは大体何Ωだったかがこれで分かると、後は公式Xc=1/2ΠfCから計算すれば容量値Cが算出可能だ。(最大のご利益は「実測値」である処)

折角だからちゃんと勉強してた証しに式の説明もしとくと、Xcとはコンデンサのリアクタンス:交流に対する抵抗値の事。
単位は同じ[Ω]の抵抗値なのにRってしないのは直流に対するのと区別する為で、只の抵抗器だったら直流でも交流でも同じ値になるからこれは不要で済んでいる。

その後只の数字と分数になってるのは分かると思うからその先へ行くと、「Π 」なんて俺でも全く見慣れない変なのが付いてる。
がこれって数学の円周率のパイが、PCだとこんな見慣れない表記しか出来ないだけだ。

その次のfってな周波数[Hz]の事で、最後がコンデンサの容量値[F](ファラッド)って並びだ。
この方法は公式をそれ用のに変えるだけで、コイルの値インダクタンス[H](ヘンリー)も測れる。

現に球ポプリの製作で一寸それが要り用になって、数日前に測ったばっかりですわ。
ったっていやはや恐ろしく手間が掛って面倒だし、そもそも環境次第じゃ「単一周波数の音声信号電流」を何処から持って来るかも楽じゃない。

その上無い無い尽くしでも何とかなるったって限度だってあるが、もし慣れられたら大変な作業っても途方に暮れる程では無いですぜ。
現代人は何でもインスタントに慣れ過ぎてるから戸惑うだけで、打込めるのをわざわざ弾いたり叩いたりしてるのよりゃホントは多分簡単なんだからね。

<つづく>

2021年3月22日 (月)

音楽備忘録585 残響考Ⅱ

では純粋に前回の続きから行かせて頂くが、先ずはエコーの掛け方が下手化した原因の考察だ。
私的には幼少時より「普通より響く場所」への興味が薄れたのに現れてて、それって結局デジリバとかで何時でもどうとでもすぐに出来そうになったりしてるからなんじゃないかとかさ。

その昔俺が幼かった頃って、「機械のエコーのある家」なんて記念物もんだったさ。
当時はカラオケ店すら無かったしで、あるとしたらステレオオーディオラー(一体型ステレオのにそんな呼称があった)にバネのが入ってる程度で御の字だった。

だから気分良く歌える場は家庭内だったらタイル貼りの風呂場位しか無く、希少だったが故大人も子供も「良い響き」のある場所に対しての興味が断然今より強かった気がするんだ。
例えば今だって絶滅迄しちゃ居らんだろうけど、公園に置かれた土管に向かって「アー」で楽しめる時間は大巾に短くなってるんじない?。(大の大人がそんなんしてたら通報されちゃうが)

これって「各個人毎に興味のある響き」の感性が鈍ってるのに繋がってそうで、「アイツん家の玄関で録れたら」とかそんなセリフを耳にしなくなって久しい。
従兄も前から考えてたかも知れないが、今回俺言い「階段バーブ」をやってみろと言ったのは元は次善・若しくは苦肉の策からだった。

専門家の立場からすると従兄の録音環境では、残響の多過ぎるのがずっと気になってたからだ。
その更に元になったのが大昔に宅で彼のを3点録りしたヤツで、後掛けデジリバで酷く苦労したからだった。

その時俺の曲はこっちの意向でマルチで録って、彼の曲は完全に同一メンバー・同一グループの作品だが当時の彼の趣味で3点にした物だ。
太鼓自体がチープなのだったのも災いしたんだろうけど、兎も角にも困窮したのよ。(プチ失礼:当時の従兄の予備器、メインのは彼の実家に)

宅は物凄くデッドにも拘わらずそんなだったから、かなり長い事太鼓のOff Micには私的に懲りちゃっててねぇ。
それをもっと響く処でなんて絶対後で苦労するから嫌がったんだけど、でも確かに太鼓をより自然な感じで録るには近過ぎない方が良いのは最近分かっちゃった。

ならば「響きも同時に録っちゃう」しか考えられず、響くなら響かせちまえホトトギスとなったのである。
図々しい私欲としては宅じゃそんなの無理だったしで、録り方自体を場所に対して最適化させるって作戦だ。

それでメールで珍しく頻繁なやり取りをしてて気づいたのが、どんな多残響の場所でもそんなに左右ばかりに広がる処は滅多に無さそうな処だ。
つまりもしやたら巾広で奥行きの浅いホールがあったとして、それじゃあお客さんの首が疲れて仕方無い。

し席の場所次第で音に差が付き易いし、これは狭隘Livehouseで例えばメインPAの片方の至近になっちゃったのなんかでもそう。
目の前のが爆音過ぎて、反対チャンネルのが全然聴こえない。

それだと音的にステレオになってる分は半分しか聴こえないんだから割引してくれんのかよで、でも実際は舞台が近いんだから高くて当然でしょって…。
故に残響に限定すれば兎に角近い所と遠い所の差が小さい程「似てる音」が聴けるけど、残響はオマケで生音の方がメインディッシュだからねえ。

となるとリアルの究極チープとすればホントに土管でもある程度長いのが最低条件な訳で、そうすると左右感はエコーよりPanpotの方が主役なんだよね。
只折角思いっ切り左右に振っといたのが狭くなると勿体無いし、好みからしても折角ならなるべくワイドな方がに捉われ過ぎたか。

けれど特別な空間の演出が不要なのだったら、ソースはステレオなのにエコーが完全モノラルじゃ変かもってだけだったんだよね。
これって一種のステレオ過依存症なのかな!?。

<続く>

2021年3月21日 (日)

音楽備忘録584 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑱

ではここから専用器具が不充分な中で計測する知恵を披露してくが、流石に古いアナログでも構わんからテスタの1台も無しでってな実用的には無理な相談だ。
代用品として最も惜しい存在なのの1つに所謂「アナログメータ式電池チェッカー」があるが、折角付いてるメータに目盛や数字が書き込まれて無いのが大多数だからだ。

数字が苦手な人にとっては色や景色だけでの判断の方が楽で良いだろうが、併記しといたって殆どコストに影響しないんだからバチは当たらないんだけどな。
制作側じゃ精度等の面で自信が持てなかったりもしてるんだろうが、目安分かる程度でも無問題なのにねえ。

そこで私的にはもしこれから買うんなら用途がほぼ電池用でも、電池チェッカよりチープなのでも良いからテスタの方がお勧めだ。
測定レンジが複雑化して不便になる分だって、一度先に電池の時に使うのへシールでも貼っときゃかなり補える。

メータの方も外から邪魔にならなさそうな処へ上記みたいにして、何らかの印しでも付けときゃ同じ事だ。
何回かしつこく記してるのも昔と違って価格差が殆ど無くなってるからで、初期段階の手間以外に大差があったら只の一回だってこうは言わんですよ。

でまあ仮にそうして電圧と電流位は一応測れる環境が得られたとして、経費を厭わぬなら今時はリアクタンス(コイルやコンデンサの容量)やhFE(トランジスタの増幅率)も直に測れるのを買う方が楽チンだ。
庶民に手の届く価格帯のは精度に多少の甘さがあったりもするが、部品製造者が出荷検査に使うんじゃ無いんだから現代ののだったら全くそれで問題無い。

けれどこれから始めようって者にとって、どんなレンジが必要かは未確定な事が多い。
し買った時はここ迄で足りると思ってたのが、後で新たなニーズが生じるのもありふれた話し。

となれば何かを測るのに方法のバリエーションはあった方が良く、それが高度化して来ると測るのに使える道具も増えて来る。
私的にそれを一等実体感したのが専門学校でと自宅でのそれで、折角獲得した知見が環境差で犠牲になるのが悔しかった。

っと言ってもそれは当初全く同じにしようとして無理だっただけで、知恵を使えば手間は掛ってもそんなに無理じゃ無かったんだけどね。
これって例えば設備のある処へ持ってって測るとして、その往き帰り等のコストや時間が追加されるよね。

すると計測作業自体は自宅のプア環境で手間暇掛っても、トータルでは自宅の方が安易になったりもする。
だいいち外部では普通「営業時間」等の制約があり、例えば暇な休日だとか夜間を有効活用出来るとしたら自前の方一択ですぜ。

加えて内容面でとても大切なのが計測時の表示と、実際に物理的に行われてるのの違いだ。
どんな物だろうと電気の測定って物理的には、極性・電圧・電流・周波数の4つ位しか測れないんだ。

音だったら同じ音程でもあれはGuitarこれはBassそっちのはクラビのなんて、聴ければ割かしすぐに分かる。
画像だって例えばそれが自動車だったら少し事前知識がありゃ、FerrariやLamborghiniかBENZやBMWかの区別位は一目瞭然だ。

けれど純粋な電気は無変換だと見えも聴こえもしないんで、どんな状況下でそんな値になってるかを追加しなくては何の判定も下せないのだ。
専用機ではその部分も機械内部で処理されてる分楽なだけで、内部的には「これは青紫」なんて直に測れてはいないのよ。

「電池チェッカー」 の方が有利になるとしたら利用が頻繁な場合限定で、それだって電池に対する最低限の知識は持って無いと威力を発揮し切れない。
先ずは極性(プラスマイナスとその向き)に始まって、単2と単3みたいに背は同じで太さだけ違うのがどっちか位は瞬時に分からないとさ。

単3の場所へ単2は太くて入らないが、逆はスカスカで変でも入る事は入っちゃうからねえ。
昔からあるUSBのみたいに裏返しだと挿さらなきゃ、
それでハッキリすんだけどさ。

<つづく>

2021年3月20日 (土)

音楽備忘録583 残響考Ⅰ

ここって何か始まるのはローカルなキッカケばかりだが、この際開き直って気にせず行ってまえーっと。
で今日からのは残響、所謂エコーに纏わるのを例に依って独自の観点から。

宅ではその狭隘さから天然残響は全く試せなかったのでずっと放棄してたが、最近従兄が地下レッスン室へ続く階段で試し始めて我々間ではプチブームになってるんだ。
従兄曰くバーチャルのどんなのより「調整が断然楽」だそうで、しかし今迄全く未想定だったんで色々関門にぶち当たっている。

その中で正に今格闘してるのが「残響のステレオ化」で、処が階段巾が狭いのでどうするかで逡巡してるらしい。
ここに至る前に太鼓のOn Mic~Off Micと来て、Input数の制約もあったから先ずはモノラルでも良いから兎に角階段にもMicを置いてみたのだった。

今回のは残響自体を機械じゃ弄れないから、純粋な音響の知識が要される。
そこで一寸色々思案してた気付きから記してみるが、録音での「最初の残響」は天然且つモノラルから始まっている。

仮にある程度技術的は既に分かってたとしても、テープレコーダにトラックが1つしか無かったんだもの。
聴く際にしたってそうだしで、そうなるとホントに純粋な響きの質を追及するしか向上手段が無かった訳だ。

個人的には大昔からモノ嫌いステレオ大好きだったけど、モノラルにだってそれなりに利点があるのに軽視し過ぎてたの
は一寸反省かも知れないな。
それはかなり薄らいだ記憶ではあるがかつてボロラジオで聴いたのの最高峰より、今ののどれもが今一深みってぇかムードに欠ける感じを受けてるからだ。

雑音の無いのも含めクリアさなら明らかにデジタルの圧勝だし、エコー以外の音質だって格段に高級になったんだけどさ。
幾ら綺麗で鮮明でもまるでデジタルサイネージの画みたいで、景色は変わっても自分の居場所は何時も居る席に座ってるまんまみたいな感じ。

自分内比でもこのファンタジー面に限れば、デジリバ以前のバネリバ(スプリングリバーヴ)時代の方が何となく雰囲気の妖艶さみたいなのは勝っていた。
そこで今更だが再考・検証してみてくと、デジリバで少なくとも俺程度の奴でも手に出来るのは「Delayのお化け」だからなのではって疑念が湧いて来たのだ。

現行のPCM方式は「細切れ膨大Dataの集合体」なんで、普段問題が無くたってどんなに高度でも所詮はパラパラ漫画そのものなのだ。
そんな事言ったって今のアニメーションなんて凄い滑らかじゃんって、ご尤もだけどそれってもしかしたら絵だからセーフなのかも知れないんだよ。

コマ数とかの問題は実像だって映画の時点から研究されてるけど、「これから書く絵」だったら一番その絵自体を最適化出来るやんか。
だけど音の方でそんな風に「寄せる」のって殆ど不可能で、かなり頑張ったってあまりにも次元が違う。

既にチャンバのだろうとデジ・アナのどれだろうと、パート個別に設定変えて別録りしたりはしてっけどさ。
それに対し私感だし極一例に過ぎないが、バネリバで勝ってたのは残響に繋ぎ目が無かったからだろう。

けどこれって正規のステレオ仕様にはなって無くて、位相を操作する「擬似ステレオ」だったんだ。
だから当時も最初から物足りなさはあったけど、エコーだけを分析するみたいな聴き方をしなきゃ一応セーフだった。

尤もこの手のは左右のチャンネルを混ぜてモノラルると、逆相になった分が相殺されるからステレオ時より「エコーが減る」って泣き所もあった。
これを今敢えて改めて見直して見ると、天然状態でも耳の位置次第で容易に起こる現象だったんだよね。

同じホールでも場所に依って響きが違うのの中に含まれてて、それからすると闇雲に忌み嫌うのは筋違いだったのね。
だからってバネ君は半壊もしてるし直ちに再登場させる気は毛頭無いけど、一寸「前後より左右」を気にし過ぎてたとしたら見直さなきゃだ。

その理由は長くなるから例に依って次回だが、リアル世界でどんな場所だとどんな風に響くかを皆もっと気にした方が良さそうなのよ。
バーチャルならではの非現実世界も魅力的だけど、それだって天然を良く知らないと上手に裏切れないからねえ。

嘘とホントって最低でもある程度どっちかだけでも知って無いと、全く判断できないでしょ。
あと私的には皆も昔よりエコーの掛け方がどんどん下手になってる気がしてて、デジリバでお手軽になって油断しちゃってんだとしか思えないんだ。

<続く>

2021年3月19日 (金)

音楽備忘録582 パートのリズム調節㊳

では話しの流れに沿って続けてくと、先ずは「魅力発見」ってのが次のキーワードになるかな。
これに関しては他のより周囲の他人の助力が無視出来ず、目標なら独りよがりでも許させるがこっちはそれじゃ大抵足りない。

積極的に取り組んでたら各自理想や目標があるだろうし、それを目指して研鑚を積むのは真に結構でやんす。
だども必ずしも概知の中に「最大の売り」が含まれてるとは限らず、なるべくなら好みとは別に客観的な判断感性も必要だと思う。

冒頭述の他人力は他力本願では無く「第三者の見立て」って意味で、積極的な天才タイプ程思い込みや勘違いがどうしても多目になるのを補おうって魂胆だ。
一方で消極的な秀才タイプの人って意外と頑固な処が強かったりして、しかしそれが表出し難いから外からも中からも意外と認識し辛かったりする。

その場合先ずは「自覚」が大切になって来るが如何せん頑固なんで、自身で気付ける為には「もう1人の自分」を内部に作る様にしないと厳しい。
この2つ例えば私的には長嶋茂雄と王貞治が象徴像に見えてるが、夫々が真逆に近い相手が身近に居たから己の性質・資質が分かり易そうで最高運なケースっぽい。

前者の場合どちらかと言えば思慮深く無い方なんで、良い意味で他人の評価は素直に受け入れられると好ましい。
これの弱点は好みと不一致なのがあったり、他人との接点が少ないと効力が得られない処。

それに対し後者のは一面で自己完結型なんで、本人自身が正しい判断力が持てないと先へ進めない。
でも冷静に考えるとほぼ真逆なんだから良いコンビネーションを作るのは最も大変だった筈で、それには何たって「心の柔軟性」が大量に要る。

そんなコンビネーションのコツってチームワークではどんな分野でも全く共通で、世を拗ねてバンドマンになったなんて際に壁になり易いかも知れない。(もしかして俺???😓)
一口に「世を拗ねて」なんて言っても内容は全部同じじゃ無く、大別で組合せになのと個人自体に難がの2種あると考えられる。

俺なんかは両方共かなりって酷い有様だったが、今となっては却って最初が全滅で良かった様な気もしている。
欠点・弱点なんて少なかったり無いに越した事ぁねぇが、下手に「大丈夫そうな処」がある方が改善の糸口は掴み難そうだ。

一般論で良い子タイプだと、良い方だけにしがみ付いてりゃ取敢えずは凌げちゃったりするかんね。
それでも一々上を目指したりしないなら問題にならなかったりもするが、進化を継続させたかったらそれを止める様な安全パイは命取りだ。

又音楽でだって共同作業にはコミュ力はあった方が良いが、その中心になるのは一般社会でのそれとは違ってる部分も少なく無い。
会話がスムーズに行っても音に反映不足では意味を為さず、極端な話し会話が殆ど成立してない位でも音で平気だったらその方が必要だ。

つまり「話せる」よりしっかり「聴けてる」(それも言葉より「唯の音」)方に一般よりかなり重心が寄っていて、尚且つ「聴こえたら」それに応じて「変化出来る」のも大事だ。
差し詰め「積極的な聴き上手」ってなもんで、音での「返事の良さ」が要求される。

とは言え最初は誰かが誰かに声を掛けなきゃ一緒に演れないが、特にRock系みたいに爆音だと一度始まっちゃうと話し声なんて全然聴こえないしね。
芸術家タイプで集中度の高い奴だと弾くのと聴くのに没頭したりしてて、脳内の言葉入力がOffになってりゃ仮に聴こえてもスルーになっちゃうし。

歌手の場合はアドリブだと歌詞で色々提示したりもするが、それだって音を伴わない文学的なのとはかなり毛色が違う。(現況の勘違いJ-POPerは除く)
強いて例外的に一般に近いケースったら歌同士での掛け合いとかで、その時ですら無伴奏で無かったら全員が声で返事が出来はしないからね。

しかしここ迄来ると寧ろしゃべっちゃいけないかの如くだが、それには更なる最大の理由がありまんねん。
より「リアルな合奏」となるとお客さんの存在もあり、単なるご機嫌伺いをするんじゃないが反応はつぶさに把握出来てないと何かと不都合を生じる。

例に依って変な言い方だがそんなに沢山「耳で様子を見続け」なきゃなんないとなると、どんなに雄弁な奴だってしゃべってばかりなんて居られないのだ。
具体的には実際は耳で共演者を目で観客を追う事が多いだろうが、しゃべるのに頭を持ってかれて視野情報に疎かになったりその声が出た分だけ聴こえ難くなったりは必ずあるからね。

そこで一番上手くやれるとしたら「返事はほぼ全て音だけ」とかにするのが向いていて、各作業を全部別の場所にして使い分けりゃ能力劣化を最小限に抑えられるって寸法だ。
故にこの口煩いオッサンをもし静かにさせたかったら、合奏に持込めば嘘みたいに静かになる。

よ、多分、…その代りに酷い爆音が襲って来るんじゃもっと世間にゃ迷惑か…。

<つづく>

2021年3月18日 (木)

音楽備忘録581 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑰

ではジャンク部品の健康診断…、新品でだって念の為に検査するなら方法はそんなに違わないんだけどね。
只近年の新品は昔のと比べるとムラや不良が激減してるんで、自分自身じゃ確かめられない人が増えっちゃってるのかも知れないねえ。

と言いつつのっけからだがそんなに精度の要るのなんてあんまり扱わなかったから、俺自身も結構歴史が浅いと是又杜撰大王の面目躍如でぇい。😓
処が折角それなりに貯まって来てた石でもディスクリートのでこしらえようとしだしたら、トランジスタの基本性能計測が必要になっちゃった。

これは現況ほぼ休業状態も宅は本業が録音Studioなんで、複数人分のヘッドホンAmpが必要になったのから始まった。
「被って録る」とかの体験量はその時点でも豊富だったが、その経験から選択したヘッドホンはKOSSのがメインになった。

宅の防音室は将来隣接した「外の部屋」も防音すれば、そっちをMixingブース化可能な様には作っといた。
が資金切れその他で今もって外は「只の狭い部屋」のままなので、奏者用録音モニタには遮音性の高さと耐入力の大きさが普通より余計に要った。

その頃(25年位昔)はまだ所謂正規の「Drummer用Headphone」なんて無くって、このニーズが生まれる迄はオーディオ系はかつてはSONY好きだった。
それは兎も角そこからKOSSを使いこなすにあたって、駆動させるのが市販品から探すのでは役不足なのしか無いって問題が出て来た。

KOSSでも最近登場の新種のはそうでも無くなって来てるが、基本的にどれもインピーダンスがかなり高目な設計なのだ。
具体的には一般標準の32Ωに対し100~250Ωもあって、要するに供給する電流は少なくても足りるが電圧がもっと無いとフルに鳴らせないという…。

これ自体の続きはまたその内別項でにするが、それで設計の段階から自前が必要になったんですわ。
それに際し回路定数の計算をするには、使う増幅素子の増幅率が明確じゃ無いと進められない。

それで無くてもディスクリート半導体音声電力回路で、性能をフルに引出すにはhFE(トランジスタ増幅率)の計測とマッチングが必要だ。(FETならIdss)
そこで機能的には偶然手持ちテスタに付いてたhFE測定レンジを活用すべく、普通なら別売りの専用プローブってのを追加購入するのをジャンク自作で凌いだのである。

尤もテスタ本体が当時ですらディスコンになって随分経ってたから、探したって見つけられ無さそうな感じも…。
しかしこれがキッカケになってそれ迄はせいぜい導通テスト止まりにしてたのから、一気に開放されて私的には「新展開」が大いにあったのだ。

下らない話しではあるが従前は「試しに実装してみて駄目っぽかったらポイ」だったのが、使う前から駄目なのは捨てられる様になったし修理の際の故障診断精度もかなり上げられる様になれたと
さ。
この前後での最大差とは例えば部品「半壊」状態の見極めで、電子部品って必ずしも一気に壊れるとは限らないから。

作る時ならまだしも「何か調子が悪い」時の大概はこれが原因で、ウチみたいに修理依頼を受けるのになるべく安上がりにしなきゃなんない場合は重要案件だ。
近年の大メーカ修理センタみたいに料金を数種類に固定出来ればその限りで無く、怪しい奴は全て交換しちまえばそれで解決しないのよりする方が多い。

「必要な費用」って点では一寸傲慢な料金設定だが、先ずは綿密な検査に掛る人件費と手間暇を嫌ったか。
けどそれに限らず「直して貰ったばっかりなのにすぐ又」を避けるには、実際寿命の迫った部品をそのままにしとけない。

大企業・名門ブランドともなりゃ修理の評判を気にするのもご尤もで、但し正規部品のストックが残ってるのにしかそれは出来ない。
えらい古いのの修理では代用部品だってあれば幸運って位だし、ましてジャンク部品でこれから作ろうってんならその張本人がその時点で部品検査をしないと努力が報われる保証が無くなってしまうんだ。

まあそこ迄は一般人にゃ不要スキルだが、だからって全く不具合発見が出来なかったらそりゃ困るし不幸でんがな。
全然壊れて無いのをおかしいと言ってブラックリストに乗せられちゃったり、勝手に壊れただけなのに自分が悪かったんだなんて思い込んでブルーになっちゃったりさ。

<つづく>

2021年3月17日 (水)

音楽備忘録580 パートのリズム調節㊲

今回は希少ニーズにお答えする形で(飽く迄仮定よ)、打込みでテンポ的に「人間的な盛上り」を再現しようとしたらを考察してみやしょうか。
かつて叩きたいが叩けなかった頃少しだけだったけど、一応試してみた事があったん。

そこから導かれた結論としては、俺程度の兼業の「聴いた記憶」程度ではバーチャルオンリーでは無理と出ただよ。
これ鳴らすのが機械だけだから駄目ってんじゃ無く、要は加減や程度が脳内だけでは掴み切れなかったんだ。

もしかしたら機械にも明るい俺言い「聴くプロ」氏だったら一縷の望みもあろうが、普段自然と勝手に盛り上がった時の「変化量」の記憶が無かったんだス。
周囲の影響を一切受けず沈着冷静にプレイしてたならどうか知らんが、今度はそれだと実際興奮したらどうなるのかが想像の域を脱せなくなる。

んまっそれでも特殊訓練を積んで興奮と冷静を共存されられりゃちっとは覚えてられっかもだが、厄介なのはそれでDataを掻き集めてもかなり何時も違うパターンしか恐らく出て来んのよ。
自然現象にだって大枠としてならパターン化も可能だが、全ての微細な条件が最低でも完全一致して無きゃ再出の芽すら無いからさ。

加えてその楽曲で「そのアンサンブルだと」の大まかな形成って、割と初期段階にその多くが集中してるんだ。
つまり該当曲自体の過去記憶があるのも、おニューからスタートさせるには却ってお邪魔なのだ。

既に知ってるってのが一面で純粋な自然には反してて、反応が「自然」よりも予定調和方向へ寄っちまう。
とひとしきり捏ねた処でそんなだったから打込みで録るにも拘らず、感じを掴むのに結局殆ど全部演ってみないとちっとも分んなかったってなっただよ。

更に1段深く掘り進めてくと、上記俺言い「聴きプロ」氏にだって弱点があるんざんす。
それは聴いた事が無いのだとお手上げで、しかし「その人固有の」って近い人は居てもきっと何処かが「聴いた事あるの」とは恐らくホントは違うんだ。

これって言うなればどんなに追及・研究してっても、一般的な打込みでは養殖物の悲哀から逃れられないって事だわね。
「その人の天然由来の」となると上手下手は無関係に、実際に演ってみたらどうなったかのDataが無いとお話しになりまへんから。

「実演して録る」ってのも人に依っちゃ緊張したりして、中々普段の力量を発揮出来なかったりはある。
リズム感に難があってClickとかのガイドが無いと、際限なくテンポが上がってっちゃうとか…。

勿論そんなのが許容限度を超えては使い物にならないけど、個性や魅力を犠牲にしてミス撲滅をしては意味が無い。
これを読んでくれてる人に多分世界一の達人は居ないと思うんだけど、俺を筆頭に「その程度のレベル」の者がどんなに気を使った処で達人比では圧倒的に「雑」なのしか出せない。

打込むにしたってそっちにだって達人は居る訳で、確かに仕上げ精度は大事だが我々凡庸がそこで勝負したら必ず負けるのだ。
しかしだからって下手なままで我慢しろってんじゃ無く、有名な達人は上手さだけでそうなれたのか考えたりするのにも繋がって行く。

今では上手いだけで通用してる様に伺える有名人も、探せば必ず過去に何らかの大きな魅力で人を惹き付けていたのが見つかる筈だ。
どんなに不利な状況下でも誰もが潜在的に持ってるのは、その人独自で固有の個性。

それへ磨きを掛けるのを単純に上手くなるのより優先させないと、先ず誰かに目を留めてなんて貰えない。
尚且つ上手くなったら魅力が無くなったじゃ勿体無いし無意味で、これを拡大適用してくと上手さより旨さが先に要るのがお分かり頂けますでしょうか。

何処の世界にもアマチュア時代は無双だったのにプロになった途端なんてのの中には、これが原因のケースが少なく無いと思うんだ。
今本邦の音楽業界じゃ優れたスカウトマンが不在っぽいから失念し易いのかも知れないが、野球とかだと今の成績より潜在能力を重視してるでしょ。

<つづく>

2021年3月16日 (火)

音楽備忘録579 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑯

自分で「次回からジャンク部品の診断」と書いとき乍ら、1回間が入る杜撰大王ぶり…。
にめげずに眺めて貰えると嬉しいんだけど、こんなテーマはエコの時代に反し取扱いが少ない。

現実的に故障・や不具合の出る確率が高いのは、今の時間最優先の世相とはあまり合って無いに違いない。
けれど買いに行っても・通販で注文しても全く瞬時に事が終りゃしないし、売切れや配送遅延等で計算通りにならなくても珍しくは無い。

それでも本番用だとリライアビリティや万一の際の保証等でガラクタはリスキーだが、お試し用だったら各自がより手に負え易い状況の方が誰にでも良いと思うんだよね。
とは言え所詮は電気・機械のスキルが一定以上じゃ無いと選択肢に含められんが、ド素人だからって全く不可能な訳じゃ無いのよ。

昔は当り前だった古くなって黄ばみが取れなくなったタオルを雑巾に降ろすなんてのもその口で、スキルに左右されるのは適応範囲の広さなだけなんじゃないかな。
そこで魔改造の勧めの一面として、電子部品の転用・流用に必要な知識を少し披露してこうって企画で御座居ます。

流石にテスタもハンダゴテも無いんじゃ非常に厳しいけど、電気楽器のメンテを少しでも自前化して経費削減したかったらどうせ避けて通れまへん。
けれどもし自前化のメリットが足りるだけ感じられんかったら、二の足を踏んでも当然でんがな。

それも含めて進めて行くと先ずは機器分解の最低限のスキルが要るが、既に壊れてて捨てる予定ので練習するなら経済的損失は殆どしないで済むざんす。
なので最初は「暇潰し」だとか一寸した「悪戯」から入るので充分で、遊びの種類は少ないままより増えた方が楽しい程度の気分でだうぞ。

んで何かの拍子でそんな段階迄は偶然来れてる方、その先へ進むのに本題用件が物を言って来るですよ。
今は絶滅危惧状態の白熱電球、その生存確認の第一歩は目視だわね。

フィラメントの途中で切断分離してるのが視認出来たら、もうわざわざ電気を流してみる迄も無い。
しかしがそれがとっても「微妙な切れ方」をしてるケースも少なく無く、酷いのになると「切れ掛かり」で完全に点かないんじゃ無く瞬きするなんてのもありんす。

それでなくても視力の問題や環境なんかで視認の方が大変な時だってあるから、その面では電気物は電気で試す方が有利だったりするがね。
尤も故障の仕方に依っちゃ高圧や大電流で試すと危険を伴う場合もあるんで、低電圧・微小電流のテスタの存在意義が出て来る訳だす。

この段になって「低圧・小電流」となると身近なのでは乾電池が最適で、それを検査用電源とすればコンセントが無くても測れて便利だしね。
但しそれが為大抵は検査電流は直流が主体となっちゃうんで、直流を通さない部品の検査が面倒になっちまった。

ウチの従兄みたいにそれなりの興味があってテスタも持ってても、所謂「導通テスト」の処で進化が止まってる人が多いのはこれが障壁となってるからだ。
この「導通テスト」とは健全であれば直流電流が流れる物に対して可能な試験の事で、交流しか通さない部品ではその反応がもっと複雑化してるのが大多数だ。

これが照明器具とかだったらLED自体は直流部品なんでまだ良いが、音を扱う類のだと交流ってどうしても避けて通れないんですよ。
何でどうしてって、それは音声信号は全部交流だからなんでごわす。

なので直流のよりゃ手間も掛って面倒にゃなるんですが、ゲームで神スコアを出すとか絶妙なインスタ画像を撮るのなんかよりゃ本来は全然簡単なんスよ。
慣れの問題等で今の巷でこんな認識なのは仕方無いが、勿体無いっちゃ勿体無い話しじゃないですか。

例えばシールドケーブル不具合の多数派は何たって先ず「断線」やが、時々そうじゃないのもあるけど導通テストではその可否判定はでけまへん。
特に電気楽器で常用される「ハイインピーダンス」のとなると、オーディオ用のローインピーダンスのと違って電気がご近所へなら簡単に「飛び移り易い」の。

為に切れるなら「しっかり切れ」てないと、ある程度は伝わっちゃったりするんでゲス。
その結果テスタを当てると非導通なのに、機器同士へ繋いだ時は一応音が出るなんて場合がありやす。

ってな事って結局は交流と直流の両方でテストしといた方が良いのが多いんだが、音屋は音が出たからOK・電気屋は流れなかったから✖だなんてんな訳ゃ無いのにね。
最も噛み砕いちゃうとこの件って、男だけとか女だけで構わんかどうかみたいな話しなんスが…。

<つづく>

2021年3月15日 (月)

音楽備忘録578 パートのリズム調節㊱

では今回は大盤振る舞いで、企業秘密レベルの話しを…。
ってったら過大広告になるやもだが、「生演奏で許される」テンポ案件の一部に関しては意外と情報公開が少ないんで先ずはそれから。

特段の演出無くばテンポは開始時より後が速くなってる方が、動きが求められるポピュラー系では遅くなってくよりゃマシだ。
ってⅡでここ迄だったらそんなん誰でも知っとるわいだろうけど、んじゃどれ位迄だったら構わないのかキチンと答えられます?。

一般論からすればアンサンブルの全員が対応可能な範囲とか、観客の手拍子が追付ける程度になるよね。
それも勿論なんだけど最終的には、聴衆の心理となるべくシンクロさせられるのが良い。

それも状況次第じゃ奏者側が例え何時も通りに奏でられない程になったとしてもで、そう出来ないと最悪は「水を差す」事になり兼ねないからだ。
良いアクトではお客さんの反応に依って演る側も適切な影響を受け、それでパフォーマンスに良い変化が起きる様な化学変化こそがLiveの醍醐味でしょ。

ではアルバム等非Liveの音源にだったらこの要素は不要かったら大違いで、提供・提示側の意志尊重も大切だが聴者無視では想定に近い聴き方はして貰えない。
その中で始めより終りが速くなるのについて絞ってくが、通常打込み系ではそれが面倒だし却って好まれない可能性だってある。

そりゃもし曲想に反して2倍も3倍も速くなるんじゃ厳しいが、生演奏たればこそかなり広範囲に許されるものなのだ。
強いて付記するなら年齢次第で許容範囲に差があるかもで、若い程大慌てな感じになっても聴き苦しくならない様だ。

十人十色とは言え少なくとも同一人物内で比べると、キャリアが長くなる程落着きが増すのは自然やさかいな。
なので自戒も込めて年寄りの冷や水には気を付けなきゃいけないけど、こんな部分の変化も機械だったら勝手にゃ出て来ない要素だ。

私的には一部曲を除いてどんどん速くなっちゃったりするのは若い頃から好きじゃ無かったが、他人のを聴く分にそれで音を上げた事は殆ど無かったな。
初めて聴いた時点で随分速ってっちゃってるなと分かっても、それで楽曲自体の評価に先ず影響は無かった。

そんなだと演奏力には大いに疑念を抱いたりもしたけれど、そこを問題視するとしたら優秀な奏者を探してる時位なんじゃない!?。
その演奏力にしたって先ず曲が大体分かった後で、それに対してどうなってたかでやっと判定出来るんだしね。

それからすると今本邦のClick頼り・打込み無理対抗ってのは、リング上では最弱で場外乱闘時のみ最強のレスラーって感じなんだわさ。
これが試合会場に居られたら大凡全部の様子が見られるが、TV中継だとかだと映して貰えなかったり損ねたりする場面もあったりするやんか。

そして試合後の「最低限のニュース」では、散々悪足掻きしたけど結局負けましたってだけの情報になっちゃうわな。
プロレスだったら悪役の負けにも喜べたりするけれど、音楽にそれは無いんざんすよ。

だって「音楽の悪役」ったら、聴こうとしてるのを邪魔する雑音でげしょ。
只その代りスポーツと違って明確な負けの無いのが良い処で、どんなに不人気でも別に罪に問われたりゃせんですから。

音楽に負けがあるとするならそれはとても内省的だが、作者・奏者がイメージをロクに伝えられなかった場合とかかねぇ。
目論見違いになってもバカ受けすりゃ結果オーライでも良いったらご尤もなんだけど、ある意味「操縦不能」だった記憶はずっと後になっても案外忘れられなかったりするもんよ。

<つづく>

2021年3月14日 (日)

音楽備忘録577 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑮

何とかトラブルの峠は越せた感じだが、本当の闘いは実はここからなのだ。
この程度の代物じゃ所詮本物のAmp収録に適いっこ無いのは分かっちゃいるが、Bassの場合はMic収音の条件がとても厳しいんでね。

「エレキBassのAmp録音は結構大変」については後で別項を設け改めて記すとして、次善策であっても確実性の高いのがLine録りだ。
一部には「それ用」のPreamp等も売られてはいるが、「Ampの代わり」を具体的に意識された物は少ない。

これには突詰めてくと技術・価格面でリアルとの差が縮まり過ぎるのもあるからだが、その結果表現面でのリアルさはかなり犠牲にされてると感じられる。
ではPreのみとフルリアルで何処が違っちまって困るかったら、パワー段の反応もあるが何たってスピーカの存在の有無だ。

楽器用スピーカのそれも原典的なヤツって「癖の塊り」みたいな処があり、その為に各種シミュレータが乱立している位だ。
尤も物理的反応に関しては電子回路のみではどうにもならんので、再生周波数特性へ特化させるのが常套手段で今俺が手掛けてるのだってそうだ。

その中で他所様と多分俺が違うのは、かつて強制弟子入りさせられた師匠が「スピーカ屋のオヤジ」だったからかも知れない。
「聴いた感じがワイドレンジ」でも実測してみると意外とナローだったり、その逆なんてのがスピーカでは日常茶飯事なのだ。

エレキBass用の場合オーディオ用比較だと、高域が途中から急激に出なくなってるのが主流派だ。
その具体値はBass用では大凡最低で1kHz、最高で5kHz程度が急減衰の境界となっている。

処で1kHzったら普通は中域でしか無いが音域の低いBassにとっては、楽器音的には高域側へ編入しといた方が音創り的に考えを纏め易い。
この思想には実際やってみて聴いた印象からが大きいんだが、電気的にスピーカと同等の急減衰回路をこしらえると何故かリアルより「籠って聴こえた」のに因んでいる。

その原因を分析してくと高域を高域だけでそう聴こえてたと思ってたのが敗因で、実際にはその「直下の周波数帯域の状況」に大きく印象操作をされてたからだ。
つまり境界域から上はバッサリ切り落とされちゃいるが、境界付近やそのすぐ下の帯域はかなり強調されていたのだ。

ここでそれが難しくて特異なのは実際突出してるのは中域なのに、聴こえた印象は高域となる様なのじゃないといけない処だ。
その結果巷に流通してる殆どのはAmpっぽいけど籠り気味のか、籠り感無くクリアな代わりリアルAmpじゃ無いのがバレバレのの2つに別れている。

現代環境からするとLine録りBassも多数出回ってて、リアルAmpのみの印象に疎くならざるを得ないのもそれを助長してる原因かも知れない。
この部分で俺はたまたま今となってはリアルAmp体験量が、他の追随を許さないかも知れないのを活用出来たらと目論んだのだ。

これの研究過程で更なる発見もあって、それは低域と中高域の音量バランスだった。
随時概述の如く音波は低域程大振幅となるから、低域バランスが一定値を越すと高域はマスクキングされてしまうのだ。

単純に不要部だけ忠実に削ったら籠り気味となるのは恐らくこのせいで、しかし球ので純粋に低域をブーストさせる回路方式のが巷で僅少だったのも敗因ではと思っている。
そこで過去希少例を参考に設計し、これは漸く狙った特性が得られる様になった。

増幅素子等の事情で純粋にブーストさせてたのは昔のFender Studiobass(200W)位で、他のはどれも中高域を減衰させて代用してたのばかりだ。
それでは非効率だしどう考えてもノイズ面で不利なんで、多分実使用体験者が減ってから俺も含めて皆忌避してたんだろう。

だが実際試してみるとそんなの全然気にならなくて、机上の杞憂だったのがハッキリ分かったでがんす。
近年本家(Ampeg)にも気付いた者が居たらしく、しかし半導体でそれをやっても原形のの深みが出せないのが惜しい。

<つづく>

2021年3月13日 (土)

音楽備忘録576 パートのリズム調節㉟

テンポの速さを古びた感性のオッサンが語るのも何だけど、幾らその時代に合った速さだっても限度ってのがあるだろよ。
私的には普通にしたら躍動感が足りなかったからって、安易な手段に出て却って大コケしてる様にしか感じられんのですわ。

敢えて控え目に私的にⅡでとしとくけど、先ず少なくとも楽曲スタート時点のテンポが速過ぎ設定でアカンのどす。
聴こえた瞬間から威勢良くを狙ったつもりなんだろうが、それが成立するには条件ってのが御座居ます。

それは「最後迄絶対モタらない」で居られたらの話しで、尚且つ出来れば後へ進む程より元気になるのが宜しい。
現テーマではリズムだけを取上げてるんで、編曲で後へ色々追加して賄ってるのは本件では誤魔化し認定となりまする。

今時はどんな「不器用っぽいソリスト」とかでも、特に録音では幾らでも色んな音が追加出来るッス。
その方がカラフルになるし個人的趣味としてはそれ自体は好きな方だけど、ノリやリズムの勢いだけの都合でされてるのが分かるとガッカリさせれらちゃう。

折角だから半屁理屈も捏ねて増強しとけば、それって主役じゃ無く脇役の活躍で補ってるだけやんけ。
つまりよく良く聴き込むと主役はそんなに元気じゃ無くなってて、もしかしたらそのせいで訴求力や売り上げで過去の人達に負けてんのかもよ。

そこで過去事例の傾向分析なんてのを一寸してみると、全体的にはリードパートは重いより軽いのが多目だったねぇ。
と言っても軽さを押出そうってんじゃ無く、「真っ先に聴こえたのが一番目立つ」みたいな原理に従ってる部分でよ。

それプラス一番周囲とタイミングがズレてもOKなのも主役で、別観点からだと最も自由が許されてるとも看做せる。
この点からすると現代本邦メジャー系のは、先ず楽曲内でのリズム的役割分担に失敗してる率が高そうなのだ。

年寄り耳から今一番気になるのは「無駄なテンポの速さ」で、どうせ機械に適いっこ無いのに何で皆そんなに慌ててんのみたいな…。
ってのも慌ててる割にちっともスピード感が無いからで、これはRock系だったら致命的な欠陥なんだぞ。

現実にかつてHardrockがMetalへ進む際、確かにテンポはかなり上げられたよ。
でもHardrockとの差を明確に打ち出す一手段だっただけで、原典のテンポはそれ以前のPopなのより寧ろ遅くしてたんだよね。

「無理無くハイテンポ」なのったら何たってCountryの独壇場で、現代Metalの凄腕だって全然太刀打ち出来て無いでっせ。
それが一等分かり易いのが、「後でどんだけテンポアップ可能か」だ。

特に「盛り上がったLive」時のが典型的で、元の設定に余裕のあるの程もっと上げられるかんね。
これからすると「盛り上げたい・盛上りたい」類のの程、開始当初はテンポ速さを意図的にグッと我慢して抑えとかなきゃアカンのよ。

私的にこの演出を一番上手にやってたのはBeatlesとStonesで、恰も楽曲が許す「遅い限界」で演ってた勇気が凄かった。
要するに「盛り上れる余地」を最大に取ってたんだから、あんなに売れたのはやはり偶然だけじゃ無いんだわ。

只その為には「テンポ速さに依存しないスピード感」が出せなきゃなんなく、その習得は必ずしも簡単じゃないけど出来たら後が格段に楽に自由になりまんねん。
例に依ってその秘訣は次回に譲りまするが、機械より高速限界の低い人間様にとっては本来最重要な武器なんです。

だからこそ現代本邦クソJ-POPなんて吠え続けてる訳で、たった1つでもボカロに負けるなんて恥を知りなさいってのよ。
私心を滅して客観的に述べるなら戦術を間違えちゃってて、それが見えるのすら辛いって感じなんだ。

<つづく>

2021年3月12日 (金)

音楽備忘録575 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑭

俺にとっては言い訳でも「そんな事もある」って、皆にも参考になりそうなんでもっちっと掘っとくぞなもし。
電解コンデンサの件は劣化品+接続ミスがその全てだったが、体験上からもこんなに長く気付けなかったりおかしくならなかったのは初めてだったな。

所詮は事後検証に過ぎないが、先の事を考えると結構大事ですんでね。
さて先ず部品が健全だったらどうなってそうだったかってぇと、大体3パータンの反応が想定される。

1つ目は出力電圧が殆ど得られないヤツで、これが最もおめでたいケースだ。
但しそれは飽く迄通電時間が短い時のみで、その段階で直ちに電源Offにしないとそんな幸運もパーになる。

やや怪しくなる2つ目の反応は発煙で、これは僅かでも必ず部品を劣化させてしまう。
そして最悪の3つ目はコンデンサ本体の爆発で、これは完全な事故で明らかに危険を伴う。

でこっちは上記程度の事は分かってて試してるから、電源投入時点からテスタを当てて様子を伺いながら進めているし今回もそうだった。
強いて言えば人様からの注文品じゃ無いし部品も廃棄品からの抽出だったから、慎重さに若干の不足があった可能性は拭えないってはそうだったかも。

だがホントは正常じゃ無かったにしてもそれがとても曖昧で、暫くの期間は一応無事に動いてしまっていたのは稀有と言わざるを得ない。
そんな奇特を生んだ原因は該当品を取り外してから判明したんだが、先ずは頭部膨張変形した方のヤツからだ。

案の定「液漏れ」も併発してて、要交換であるのはハッキリした。
これは同値のジャンクが2つあったのを使ったが、取付ける前からもう1つと比べると既に僅かな膨らみが見られた物だった。

ので元から実は半信半疑で、あわよくばのつもりで居たからダメージは殆ど無い。
驚かされたのは交換後で交換品はかなり昔からのストックではあるが、1つだけ手元にあった同値新品なのに一気に出力電圧が低下しちまった。

実際その原因は逆接続が犯人だったが、この時点ではまだ気付いて無いのは杜撰君ならではか…。
とは言え気付く迄の時間はせいぜい10数秒程度の事で、直ちに電源を切って意図的に放電させ極性を修正したから今度は大丈夫…になる筈だった。

因みにプチ知識として上記「放電」に触れとくと、ある程度以上の容量のコンデンサ等「蓄電」可能な部品の付いてるのでは必要な作業だ。
回路の何処かを弄る際そんな残留電気があると感電の危険が生じたり、それが平気でも他部品を破壊する懸念もあるからだ。

尤も機械の中を開けて弄ったりせず普通に使っただけの後なら、次回使用時に消費されるだけなんでこんなのは不要な作業だ。
只そんな場合だってあるから例えACプラグをコンセントから抜いてあっても、素人さんだったら中を開けて触わったりしないでねって訳だ。

してビックラこいたがしゃーねーからもう1個も取敢えず外してみたが、こっちは膨張も液漏れも起こして無かった。
のが全くの偶然で異変に気付けたんだが、外したヤツを落っことした時にカラカラと変な音がしやがった!!!。

電解コンデンサ君って正常でも異常でも、先ず音が出る様な隙間なんて内部に出来ない構造なんだけどね。
しかしそんなだど内部接続が破断してるとしか考えられず、どっちが先に駄目だったかは分かんないがこっちのほうがずっと深刻だったんですわ。

ここから纏めへ進めてくと、今回の特筆は「壊れてたから壊れ無かった」となる。
なまじ直流を通さない部品であるが故、「昔乍らのテスタ」だけではそれを発見出来なかったのが敗因じゃい。

負けたままじゃ悲しいから、次回からジャンク部品の診断の項でも始めるとしますかね。
まあジャンクに限らず、通常の故障診断にも必須ですけどね。

逆接続ミスが直接事故を招かなかったのは良かったが、反応が悪けりゃ事後対策が後手に回るのは必定だ。
しかし負け惜しみと事実のない交ぜになるも、廃品活用だからこそ思い切って試せたのは間違いの無い処。

多くの苦労を伴うにしても、成功の実体験の機会を逸したらもっと興味が持て無さそう。
今本邦で専門スキル所持者が減少傾向なのって、こんなのの関係もあるのかな?。

<つづく>

2021年3月11日 (木)

音楽備忘録574 パートのリズム調節㉞

跳ねる跳ねないのお次は「重い・軽い」なんてのになるが、ここではその内タイミング部分に限定の話しとするし。
んじゃ奏でるタイミングやパート間の相関関係以外にどんなのがあるかったら、楽器種や音色等もあるでよ。

これ半分は音域との繋がりもあんだけど、低音程「重い・遅い」って印象の内容もそんな感じだ。
概述の如く物理的性質として周波数が低くなると、発音から「基音のピーク」を迎える迄の時間が長くなって行く。

もっと原始的な処で行けば楽器が大柄になるせいで、奏者の動作開始から鳴る迄の時間が掛るとか。😅
但し上記2つは熟練されると前者はアタック音が、後者は予め時間が掛るのを見越して早目にアクションを起こす事で実際は解消されている。

けれど特異な音色で無い限り、「基音ピーク」が他のより遅めとなってるのが多数派を占めている。
因みに上記の特異とは基音成分率のかなり高い状態のを指していて、単体なら未だしもアンサンブル内に入るとアタック音が殆ど聴こえなくなるかんね。

要するに倍音に依るアタックが殆ど無いんだから、「基音ピーク」を自然とアタックと感じて加減しちまうだろうって事。
因みに打込み系の際はこの点機械君は先ずもってして無忖度なので、人間の側で気を付けないとおかしくなったりするケースもあるでぇ。

これ等から楽器種や音色のせいで重くなるのも半分は真実で、でもその由来が自然現象なだけにその方が「普通な感じ」を受ける人が多分多いでせうなぁ。
んでこれからするとその「普通な感じ」より低音パートが早いとそれが軽く、遅めであれば普段より重さを演出出来るのが分りまするでせうかね。

ほんでこの関係は他の音域のにも共通だが、「普通な感じ」となる時間的相関関係は各々で異なっている。
んで更に深堀りしてくと担当音域の狭い楽器ならある程度の巾はあっても、その傾向は基本的に1種類で済む。

のにDrum Setや広帯域の鍵盤等になると、色んな最適タイミングの一通りを一応全部分かっとかないと思いのままに操縦出来ない。
それからするとベーシックレベルでは上記みたいな叩く系担当者の方がスキルを持ててるが、突詰めて行くのがより大変なせいか優等生的タイプが多目となる様だ。

色んなジャンルや曲をこなすのにはその方が有利だが、例え一発芸的であっても俺言い「ノリ的決定打」を出すには少し不利かも知れない。
この点で上述「1種類組」の方は応用性が低くても個性的なのを出し易く、これ等からするとDrumや鍵盤はアンサンブル内では基準側に位置するケースが多いかも知れない。

何れにしても最近頻吠えの通り「音楽は比較芸術」で、音量バランス等と共にリズムタイミングなんかはその最たる例だ。
それ故聴衆にとって一口に「重い太鼓」と言っても、物理的真実は周りの皆が軽目って事も大いにあり得る。

又この件には観客の「想定タイミング」とのズレの影響も大きく、聴衆の大多数の予測より遅く発音されれば重いと認識される。
但し「想定タイミング」の設定自体を奏者側が先に示しとかなきゃなんないから、終始ずっと全て重いってな原理的には不可能だ。

要するにパート間のタイミング差の他に聴衆とのタイミング差もある訳だが、どっちもニュートラルな基準(事実はそうでなくてもそう聴こえるもの)に対しての作用なのである。
重さに拘りたい方は追及して頂くとして、しかし実用上は音色やフレージングでも近似な印象を与える事も可能だ。

それより大問題となるのが独自性とか個性の為の場合で、「重い・軽い」以外の「特異な癖」みたいに聴こえる類のだ。
例えば「常にずっと最後迄元気」なんてので、これは本件の内容的には「聴衆想定より遅れる箇所がとても少ない」等で実現されている。

その逆に重さをキープしたかったら、例えばLiveでどんなに興奮しても決して早まってはイケナイとかさ。
そうは言ったって上記の如く全部を重くなんて出来ないんで、だから重要なポイントとか象徴的な部分では余計にそれを堅持しなくてはならない。

更にそれを実現し易くするにはテンポとの関係が重要になって来て、威勢の良さを演出したいからって昨今本邦メジャー系のみたいに闇雲にテンポを速くしとくなんてな愚の骨頂だ。
詳細は次回をご期待だがのっけから追付けるギリギリで演っちゃっちゃ、
草臥れてボロが出るのをわざわざ待ってる様なもんでっからねえ。

<つづく>

2021年3月10日 (水)

音楽備忘録573 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑬

大変長らくお待たせして居ります!?球ポプリ、漸く書ける様な進展があったのでそれを。
しかも杜撰大王であるにしても、魔ならではの事象で御座居ました。

恥はとっくに捨ててるんで臆面無くバラしちゃうと、散々惑わされた主原因は電源部の電解コンデンサの不良でした。
これの発見に手間取った経緯を順を追って記してくけど、その根幹はジャンク部品を使ったのと測定器の不備でやんす。

テスタもデジタルの現行品だったら、僅かに奮発すりゃ容量値の測れるのも一杯出てる。
だども宅では経年40年超のアナログのしか無く、それで不可能じゃ無いにしても物凄く手間が掛るので最低限の検査しかしとらんとです。

因みに手間の掛かる方法とは音声信号利用に依る抵抗値の計測で、計算値との誤差から大凡の状態が確認出来やす。
しかし特に電源回路等に用いる大容量のだと極端な低インピーダンスにしなきゃなんなく、身近に存在するのだと所謂パワーAmp位が関の山。

これを使って被検体が万一壊れてたらその壊れ方に依っちゃ、パワーAmpを道連れにする可能性も小さく無い。
それに対し短絡(ショート)さえして無けりゃ、一般的な電源回路へ組み込んでも単に所期の性能が得られんだけで済む。

のでそんな風に何時もの調子で載せといてて、若干怪しげではあったもののその時点で大きな問題は無かった。
「魔」なる故元から相応な劣化は設計に盛り込み済みで、まあこんなもんかなで通り過ぎちゃってたがな。

それが何でおかしいと気付いたかったら、トランスの発熱とコンデンサの膨張が起きたとですよ。
最初はトランス容量に余裕のある設計としてあるのに変だなと来て、その後に電解コンデンサの頭部が丸く膨らんでるを見つけてドキッとねっと。

こりゃ交換しなきゃ駄目と良く見てみたら、何と極性を逆に付けちゃってるじゃありませんけ!。
ほらやっぱり杜撰大王…って結果的にはご尤もやが、後から思い出したら取付け時じゃ無く作図時にそれがあったの思い出した。

その図ってな回路図とは別に近年作ってるヤツで、基板に部品をハンダ付けした状況の絵なんです。
昔ネットでそんな「PasS」てフリーソフトを見つけて、以来とても有効戦力なので利用させて頂いとりゃあす。

その部品配置図書き上がりの時点で「逆向き」になってて、少し後で気づいて修正したんどす。
が作業と並行してやってたんで図が後になってたか、或は書いた時の記憶(第一印象!?)にわらわのお手てが勝手に反応したんでがんしょか…。😢

処で普通そんなんしたら直ちにハッキリ異常が出る筈がそうならなかったのは、2つ直列にした片方が多分既にイカレちゃってたんでせう。
それが無呼吸・脳波停止状態だったら使う前に分かったけど、きっと「半端な壊れ方」をしとったんやろな。

恰も爆睡してたから火事にすぐは気付けなかったみたいな…。
処でⅡでなんでそんな怪しげなのを採用したかってば、高耐圧のはストックが限られてたからよん。

無所持じゃ無いんやからケチケチすなったらそれ迄なんだが、もっと狭い所へ収めなきゃなんないニーズも後で出そうたがらだす。(今回のならデカくても入る)
とは言え仕方無く昔叩き売り時にゲットしといたのに交換したら、今度は電圧が高くなり過ぎてオヨヨ。

結果論では想定通りに回路が「無駄無く働いてくれた」だけなんやが、ここ迄ずっと計算値を裏切り続けられてたんでね。
して又もや昇圧段数を8~6段へ戻す作業が、さっきやっと終わった処でゲス。(現時点で通算4回目、今度こそは…)

因みにⅡで又やらかしてはたまらんので、回路図・部品配置図の両方の修正を終える迄はもう触らないどこおっと。
それでもまだ別に怪しいのがもう1つあって、そっちはこれを直しても無変化だったからゴールは遠いや。

それは何故かTrebleツマミがゼロでMidやBassツマミを上げると、その時だけ音量がかなりデカくなるって云う…。
そのまま残っても使えなくは無い類のなんだけど、初体験で釈然としないのが落ち着かない。

<つづく>

2021年3月 9日 (火)

音楽備忘録572 失敗って③

ここ迄ミスを忌避する世相になると、「失敗は成功の源」なんて死語になりそうでおっかない。
ノーミスでいきなり成功するなんて先ず無理なのに、どうしてこうなったか今回は私的分析をしてみたい。

色んな分野で研究が進めば、そう簡単に昔みたいな大成功は収められなくなったのかも知れない。
或は誰でも学ぶ機会が増えて、眠ったままの才能が減ったのか。

勿論そんなのもあるだろうがそれよりも過去からの学びに著しい劣化があって、「学びの質」が下がってるのが不味いんじゃないかと憶測している。
些細なミスも逃さない現代ではあるが過去例の正しい判定には、時として細心の注意をしないと誤認してそうだ。

大昔の記録って今みたいに全部克明にしとくのなんて困難だったから、重要なポイントだけしか残って無かったりする。
そのせいで今感覚でそのDataを鵜呑みにすると、恰も偉人はノーミスだった様に見誤ってるんだと思うんだ。

例えば野球のバッターは3回に1回打てたら凄い奴だから、打てなかったり打ち損じるののほうが多くて普通だ。
すると普通≒何時もの事・当り前の事は、一々記録なんてしとかなくったって後から幾らでも想像が付く。

又スポーツの選手で特にプロだったら、一般人との直接の接点はその仕事内容だ。
お客が払った観戦料はその殆どは自分達凡人には出来ないパフォーマンスへだから、必然的にそこが問題視される。

それと比べると私的なスキャンダルなんて二の次で、処が近年は誰のであろうとそんな方へばかり変な注目が集まってしまっている。
それでも自身のスキャンダルにも敏感なんならまだ良いが、そっちは隠蔽の嵐だ。

或はⅡでそんな自身の負債を希釈する為に、他人のを大袈裟に強調してるのも知れないけどさ。
んでここで考えるべきは「失敗の取り扱い方」で、自らを向上させたくば決して無視は出来ない。

只現況の多くはその次の段階が不味くて、無条件に容認出来なくなってるのがいけない。
因みにここでの容認とは他人の評価では無く、個人の内部での話しだ。

そこで例えば現代により馴染む様に一寸表現を変更して、失敗じゃ無く「不充分」か「未完成」としてみたらどうだろう。
その方が大多数の失敗の実状に即してる筈で、そうじゃ無かったとしたらそれは「見込み・想定の安易さ・甘さ」が原因だ。

ホントは大した確証も無いのにこれで行けたなんて思ってるから、駄目だった時に失敗認識になってるんじゃない!?。
球ポプリの件での俺のは一部がこれに陥ってたらしく、具体的には失敗する可能性のある場所を見間違えてたかな。

確率的には実績のある箇所より新規のの方が高いけど、だからって成功率100%では無かったんだよね。
なまじそんな想定ミスがあったもんだから、未だに正確な敗因を掴めて無いのが苦闘に拍車を掛けている。

又Ⅱで理屈では理解してても人間って、こんなのがあると気持ちが萎え気味になるから作業効率も悪化するしね。
なので無進展では無いんだけど、発表出来る程の成果が上がっていない。

とは言えニーズがあっての製作なんで撤退はあり得なく、再度覚悟を決めるのに考えた事を書いてみている。
そんな中今業界内で少し似た様なのが頻用されてるのを知ったのは、僅かな朗報かも知れない。

電気楽器をデジタルでしかもLine録りするには、やはり球プリの有無はより一層大問題化してる様だ。
特に純粋に「普通のAmpの代わり」に使える設計想定のは未だ僅少らしく、漸く本邦でもゲリラ的に出だした処らしい。

これが一寸不可解なのは本邦でこそニーズが最大な処で、狭いと高度な遮音は困難なのにねえ。
それからすると制作側も無罪じゃ無いが、そもそもニーズに気付けてない人が多いのかなぁ。

<つづく>

2021年3月 8日 (月)

音楽備忘録571 パートのリズム調節㊲

毎度乍ら今更感満載っぽいが、今回は「聴く力」について語っちゃうぞ
今時はそう言われたら物理的分析力みたいなのの方が重視されがちだが、それだけで行けるとしたらオーディオの完成検査位なのですよ。

本件で冒頭にお断りしときたいのは、理論的アプローチを否定しようってんじゃない処。
但しもしそれだけで行こうとするなら、最低でも既に公表されてる理論は全部知ってて正しく適用出来ないと駄目で御座居ます。

多分過去述だけど大昔在籍してたBandで、Dm7の時にGuitarで一番低いポジションのFを鳴らした奴へ俺は駄目出しした。
当該Guitarist君曰く「構成音的には無問題」、俺:「低音が濁るから変だってばぁ…」。

これかなり後日になって知ったんだが、低い音域では上記論が無効になるって理論もしっかり別にあったんだ。
その時はまだ知らなかったのに敢然と!?立ち向かえたのは、兎に角聴いて気持ち悪かった只一点だった。

ここで一寸この2名のバックグラウンドを付記しとくと、Guitarist君は大御所プロの2世で音楽的知見には長けていた。
その面だけなら特に当時の俺は全く足元にも及ばなかったが、オーディオヲタとしてならこっちが役者が上だったと思う。

又何時もの屁理屈論法ではあるが弾ける様になるのが遅かった分、その音で良いのかどうかには詳しくなってたみたいなんだ。
どうも昔は今以上に俺って相当な「隠れエエ恰好しい」だったらしく、ちゃんとは弾けないのを人に晒すのを極度に嫌っていた。

それで楽器の実演挑戦に、仲間内比較ではかなり出遅れてたんだよね。
けれどお陰で演る前に素人なりではあったけど、たんまり聴き込んでたんだろう。

いよいよ背に腹は代えられない心情になってやり始めても、弾き損じは妥協するにしても覚え間違いとかで笑われるのは勘弁だった。
って実際にはそれが「聴いた印象」だけに留まってて、フレーズ自体は結構平気で間違えちゃってたりしたんだけどさ。

もっと酷い端的例になるとJohn Lennonの名前を「覚え掛け」の頃、レノン・ジョンなんて言ってる様な有様で…。
けどレノン・ポールとかには決してならなかったから、誰の事なのかは違って無かった。

にしたって昭和だから辛うじて笑い話しで済んでただけで、今だったら危険人物扱いされるかも知れない程恥ずかしいし滅茶苦茶だよね。
それがLennonだったから無事だっただけで、例えばもしBilly Paulとかだったら逆の人も相当数実在してそうんだもんな。

それでも勘違いするにしても音的に「同じ要素」が漏れて無かったのは、そう云う聴き方をしてた証拠になりそうな気がするんだ。
Johnの名前錯誤の多数派ったらLennonをLemonとかってのだと思うんだけど、誰だって初耳のは覚え難いもんね。

なのでそんな際は「Lemonだか何だか」なんて表現したりするのが常套手段で、相手が先に知ってたら最も助力を得易いパターンじゃないかな。
それを面倒な方だけ覚えといて簡単な方を平然と間違えるって、幾ら杜撰大王で変人でも別に原因が無かったら流石に無いと思うのよ。

もしかしたらこんなのが天才と馬鹿は紙一重って事だったのかも知んないけど、象徴的エッセンスってかそんなのの方を優先するのってかなり重要だと思うんですわ。
「他にもあるもの」の場合最幸運だったら、その場で指摘されて直に修正対応も可能でしょ。

それが「普段慣れてないの」だったら、それなりに予習して無きゃ追い付けないもの。
最終的には何処だろうと間違えたままじゃアカンけど、「大変な方が先」の方が後が楽だし峠は越えてるんじゃないかと…。

なので私的には耳鍛錬の初期段階では、取敢えず「変なの」の方が優先になるのが宜しいかと。
尤もそんなの難易度は逆順だから、マトモな人が普通の聴き方してたら凄く時間が掛りそうだ。

そこでお勧めなのは「変な音」を探す事でそもそもそんなのがあったからこそ、大元はその対象に気を惹かれてたんじゃないのかなってね。
所詮は一例の域を脱しない話しですが。

<つづく>

2021年3月 7日 (日)

音楽備忘録570 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑫

今回は何時にも増して浮き沈みが激しいが、件の球ポプリは一般論でならどうでも良い処で散々つまづいている。
それでいて前回記述を見事に裏切るかの様に、大変な筈の「お初」の部分は意外と順調に推移している。

であればホイ出来ちゃった~ぁとなるべきが、経験も実績も豊富なのに単純な処で引っ掛かっている。
一応「克服の歴史」を概説しとくと、最初は電源供給電圧の問題だった。

使用球の仕様に依れば最高で330Vとなってるんで、それを超えない範囲でなるべく昇圧させようと暗闘した。
幾らジャンク部品の寄せ集めでも事前計算はしっかりやったし、ベンチテストだって散々やったんだけどね。

結果としてはなまじ消費電力が小さいが為に、「小容量部品に依る誤差」が想定以上に大きかったらしい。
この段階で迷ったのが上記の最高電圧で、昇圧段数が偶数でしか選べないのとの兼合いだった。

計算上安全確実なのは6段で、でもそれだと実測で凡そ260V位にしかならない。
これを基に8段とすると計算上は347Vになってしまい、オーバーしそうでおっかなかった。

なので8→6→8段と都合3回変更の憂き目を見たが、現状での実測値では325Vとギリギリで収まってくれている。
この間に回路の他の部分の不具合駆逐や変更もあって、非効率極まりないが行って戻って行ってとなってしまった。

念の為に過去の名機の実情を再確認してみると、一番高いのでは何と400Vになってるのなんかが再発見された。
尤も流石にそこ迄となると寿命等を二の次にしてる疑いもあり、そんな極例を除くと大体360V位が安全圏の様だった。

但しこれは楽器用限定での話しで、オーディオ用のではほぼキッチリと守られている様だ。
これに関する具体的な発表が一切無いので憶測になるが、球の微細な部分の性能維持と関係があると見ている。

次に現れた壁は音声信号の漏出・混入で、これはまだ完全に駆逐出来てるか微妙な状況だ。
最終的にはPCでの代用品でも発振器や測定器を使うのも辞さないつもりだが、それで完璧になっても楽器音として不足があれば役に立たない。

これはビルトインタイプの球楽器用Ampに典型例が見られて、その殆どのはスピーカの背圧をモロに球が受ける様な作りとなっている。
球は石系と違って振動には弱いから、その観点からだったらとんでもない配置・設計だ。

だがアーム不使用のEric ClaptonがStratのその部分を決して取り外したりせず、バネも5本しっかり張りっ放しとしている。
本人談に依れば「それ等の響き」の追加されるのが、Strat固有の音色だからだそうだ。

理論的には効果は少な目でも「物理Reverb」とはなってる訳で、セパレートタイプのAmpですら「Headをスピーカの上に積む」のがデフォなのにも似た様な秘密があると考えるべきだろう。
宅では狭隘対策で離れて設置してるものの、ボーンと演りゃ部屋全体がブルブル振動してるからか差異は感じられていないが…。😓

齢取ってのCut&Tryは中々キツくなっては来てるが、寧ろ今回の最初の内はこれから逃げ過ぎてたのも敗因みたいだ。
音を扱う物ならどれだって最終的には「実際鳴らしてみて」だが、楽器用で目標が決まってるのだともっと実験の比率を上げないといけないらしい。

尤も一応使用に耐えれば良いんなら、こんなに四苦八苦しなくても使えるのがこしらえられるからね。
普段はかなり大雑把な俺なんだけど年齢的な事もあって、悪足掻きしてるってのが実情ある。

実際はその時が来てからじゃないと分かんないけど、この先何時迄今みたいに弾けるか一抹の不安も芽生えてるからだ。
10年位前に先に50代を迎えた先輩から、50過ぎると色々考え方が自然と変わるよなんて訊かされてたさ。

当初はもう終わりかみたいに悲観が先走ったが、その気持ちは上手く活用したら「纏める」のには大きな助力にもなるんだねぇ。
以前は何処かしら出来た処迄で良いやがあって、それが今の不遇!?を招いてるんだったら死ぬ前に気が付けて良かったのかもね。

<つづく>

2021年3月 6日 (土)

音楽備忘録569 パートのリズム調節㊱

拙ブログでは随時吠えの「欠点無くても魅力が無くちゃ」だが、欠点に許せる限度があるのは確かだ。
それで分かってる人だってそれなりに練習したりすんだが、お国柄とその正しいやり方が浸透してないせいか残念な方向へ逝かれてしまう方が多い。

恥をかきたくなくて練習して何が悪いと言われたらそれ迄か、ったら一部それでは足りていない。
ってよりそんなら敢えて「恥」で深掘りしてくと良いんだが、先ず最初は誰だって自分自身の事だけで考える。

けど俺言い「掘った恥」とすれば共演者や、観客にかかせる方こそ問題にすべきなんじゃないかねえ。
その典型がある種のナルシストとかで、例えば5人中の1人だけ恰好良いより全員がの方が上でしょ。

それ処か周りが四苦八苦してるのに、知らんぷりみたいに見えちゃったらそれはイヤラしい。
なので何かをちゃんと弾ける・叩けるを目指すにしても、個人レベルだけで考えちゃったら駄目なのよ。

例えば同僚にFusionに疎いのが居たとして、知らないと理解し難いパターンとかを下手に出しちゃうとアンサンブル全体のレベルは低下し気味。
んだばそんなユニットでは全くそれっぽいのは出せないかったらそうでも無く、知らなくても分かり易いとか合せ易いのだって選別してきゃそれなりにはあるんざんす。

本当に必要な時なら多少難解になるのも已む無しやが、ポピュラー系ではそんな場面はかなり僅少だ。
その好例を端的に語っちゃうと例えば全体はシンプルで誰にでも分かり易いが、たった1人だけ瞬間的に訳の分かんないのやったぞみたいなヤツだ。

これには大きなオマケも付いていて、概述の如く音楽=比較芸術であるからコントラストが強い方が凄みも増すって寸法さ。
更に達人達はそれにパブロフの犬現象も盛込んでて、わざと気紛れにしたり小出しにしてやんの。

技を繰り出すにしても上手く意表を突けてると、繰り返して同じ箇所が来た時に勝手にお客さんが期待しちゃうとか。
でいてそれを物の見事に裏切ったりすると、「いや今度こそはきっと演る筈だ」なんて一種のミラー効果ってのかね。

等とほざきつつどっちかったら俺はやり過ぎ注意君な方で、水漏れ甲介(死語)サイドにどっぷりなのが杜撰なんだけど…。
でもだからこそ4分間のたった1回こっきりで、スッカリ持ってっちゃった様なのの凄さは死ぬ程良く分かりまんねん。

ではどうしたらそんな風になれるかって、才能とかセンスは確かに大いに関係あるよ。
けど実質的にはそれよりも「何時でも入れられる・繰り出せる状態」になってるかが鍵で、簡単なフレーズだからって手抜きしてるとそれが一番これからは遠のかせる原因になるずら。

普通誰だって練習ったら苦手なのとか克服し切れて無いのへ真っ先に飛び付いちゃうもんだが、難易度の高いのだけを延々続けたのでは実用性が高められんのですわ。
特に又々俺言い「情緒系」とか「気持ち系」みたいに、理屈より雰囲気を尊重する様なのだとね。

難易度の低いフレーズではそんな系だとどうとでも弾けちゃうが、レベルが高まるにつれ「演れる方法」は段々限定されて少なくなって来る。
となると例えば傍若無人原始人が凄技入れる時だけ、内面的には教授に変身しなきゃなんないんだよね。

それってかなり難しいしウッカリしてると、天使だと思ってたのに悪魔だったのけってドン引きされちゃったり…。
極力これを避けるには一面で「簡単なのも難しい」し「難しいのだって簡単」って、半分騙すじゃ無いが気持ちの落差がなるべく小さくなる様にしとくのが良さげ。

それには難しい複雑なのに挑戦する時こそ練習時はその前後を、信じられない位アホっぽいのにしとくとかって工夫が要るだす。
んんん、もしやこれって練習方法でも2極化が進行しちゃってんのかな!?。

技だけにご執心とか、Grooveだけにひたすら没頭とか。
それだとどっちも少しでも反対のとかが欲しくなった時、ボロが出て困るんじゃない!?。

<つづく>

2021年3月 5日 (金)

音楽備忘録568 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑪

さて久しぶりの奮闘中の球ポプリの続報だが、齢のせいか勤勉と怠惰の格闘の様相を呈している。
模倣に毛の生えた程度に収めりゃとっとと先進みするのは分かってるが、今の個人ニーズにそれでは足りない。

と言っても技術的には大した難易度のはやってないつもりなんだがそこはアナログ、やはり故計算通りにゃ事が運んでくれんかった。
歴史が長いと開発深度は深いし、部品の制約からもホントの新規開発回路なんてちっとも使っちゃいない。

けど既存のままでは少し難があって、過去例のの順番を変えただけなのに思った様に働いてくれなかった。
それは歪みが音色的な検知限界領域でいて、ローエンドは潰れずにってテーマからだ。

ローでもエンドで無ければ先に飽和させといて、後からToneを掛ければ良い。
現に過去の名機ではどれもそんな順番で音声信号(楽器音)を加工してるが、概述の如く大抵は「低い方から先に歪み始める」のを今回は特に問題視してるのだ。

それだとどうしても低域と高域の量的バランスが、下だけ沢山歪んだせいで腰高になってしまう。
それが昔の欧米環境だったら寧ろ有難かった位で、鳴らす場所の低域残響が豊富過ぎだったからだ。

だが俺の身近にそんなハコは無いし、「プリ=スピーカを鳴らさない」んじゃ殆ど正反対の状況になる。
電子Drumや打込みでも「バスドラ踏んでSnareスナッピーの共鳴が無い」と、リアル系のに代用するのが厳しいのなんかと近いかな。

その他にも今でも所謂パワーコンプレッションの再現も研究しちゃいるが、Guitar用限定なら良さげなトランスをこないだ発見出来たんだけどね。
それは少し前に提示した基本増幅回路で最も有名な電圧増幅管12AX7(プリ)を使った、プレート端子に直接繋げられるって代物だ。

尚且つそれが¥2~3,000程度ってんだから、これはもう今本邦環境下では正に救いの神だ。
がこの手の小型でインピーダンスの高いは、ご多聞に漏れず低域の落ち込みが比較的大きい。

その原因が原理由来なのからしたらかなり頑張ってるが、Bassのローエンドとなると流石に苦しい。
そこでパワーコンプの方は今回のでは棚上げして、低域の出方・潰れ方!?の方をターゲットとしてみたのだ。

このアイデアのヒントになったのはLive Cream Volume 2ってアルバムの、Jack Bruceの異様な太い音色だ。
今回に際す迄は大昔から持ってて聴いては居たが、どうしてあんなになったのかは大して追及して無かったのだ。

改めてちゃんと分析してみると幾らフラットワウンドのGibsonを指弾きしたにしても、あれだけしっかり歪ませててローエンドが中折れしないのには訳があるとしか思えなかった。
歪んだBassサウンドってば他にTim BogertやJaco Pastoriusが、常用・頻用してるレジェンドとして有名だと思う。

この2人以外も含めて露骨に歪ませてるのだと、ほぼ例外無くローエンドは皆軽目となっていた。
尤も一般的にはこれは訳ありで、そうでもしとかないと何を弾いてるかが殆ど分からなくなっちまうからだ。

なので故Jack氏のをいざ追及したら七不思議もので、但しそれがAmpスピーカ迄の範囲だけで考察してたからだろう。
この問題へ現代的手法で最初に工夫したのがPeavey Ampが付け出したResonanceツマミで、Ampパワー段の負帰還回路へ細工して低域をブーストさせるのだった。

そうしとくと現代一般のプリ段で歪ませた後、足りる迄低域を増やす事が出来る。
因みに概述だが歪ませる時やその前が低音過多だと、歪みがFuzz類似のしか得られないからそれじゃ不味い。

ので中々結構なシステムなんだが球ポプリじゃ、パワー段が無いんだからそのまま拝借なんて出来ない。
で他では諦めるかバーチャルでもパワー段を用意してってのが世間での現状で、それが気に入らなくて抵抗してるのだ。

って事ぁ全く無自覚だったがもしかしたらやろうとしてる事自体は恐らくお初なんだから、そんなに簡単に行く訳ゃ無かったんだよね。
気が付かない内に何とかなっちゃってたら、その方が気楽だったのかな…。

<つづく>

2021年3月 4日 (木)

音楽備忘録567 パートのリズム調節㉝

では又戻って今回は「跳ねるリズム」の、色んなのについてひとくさりでゲス。
近年は機械化の弊害!?か3拍子系以外では随分と僅少化して来てるが、それで良いのか平気なのかよってのが副題みたいなもんね。

これを理屈で考えちゃうと細かすぎるかも知れないけど、表現の巾とか雰囲気に対しては絶大な効果があるんだよね。
そこで敢えてお得意の逆説思考で詰め寄ってみるが、凡人なら当然も例えかなり正確な機械でも意外と譜割りとはズレてい易いのが実状で御座居。

先ず人の方だと疲労とか慣れから来る感覚の鈍化等も手伝ったりして、速いシャッフルで「全部ちゃんと跳ね切ってる」のは少ないしとても大変。
オマケに聴いてる方だってちゃんとしてるのだと却って3拍目が極端に短くなるから、決して楽じゃ無いで一旦置いといてっと。

機械の方だと指令自体が遅れるのはほぼ皆無だが、音源の反応にレイテンシーがあるから案外頻発してるのだ。
その原因は音符或は発音時間の短さに応じ切れて無いからで、仮にそれ用に音源数を奢っといても今度は打込み時の選別が面倒になってしまう。

加えて最初は例えば♩=120で良いやと思ったヤツを、後から♩=150にしようとかって時に機械の利点を削いじまう。
生演奏の場合前者のはSingle StrokeやDown Pickingオンリーで持ったのが、後者ではDoubleやAlternateにしないと追付かないとかさ。

もし音源を切替えたって生より重労働になりゃしないけど、少なくとも俺知りで無妥協理想通りに調整がされてるのなんてお目に掛った覚えが無いぞ。
尤もその程度でも通用するのは上述の如く生でその程度のの方が多いから、そもそも疑念を抱く聴者なんて殆ど居ないからだしょう。

それで普段はそんなに一々気する必要が無いんだけど、裏を返せば通常こんな処に大した精度は求められて無い訳ね。
但しそれも何拍子かとか枠組みに対して限定の話しで、ノリの軽重とかムード・ニュアンス等に対しては物凄く主導権を握ってるんざんす。

これが一等顕著に出るのが普通ならJazzのSwingとお思いでしょうが、それ以上にFunk等の4拍子系では死活問題って位深刻でガス。
Jazzの場合はSoloは兎も角アンサンブルなら、全体としてリニアより跳ねてたら取敢えずは合格。

勿論楽曲やテンポ次第で「美味しい領域」ってのはあるんだけど、そこから逸脱したら4Beatじゃ無くなる程の事ぁ無い。
しかしFunk・Soul・Reggaeとかになって来ると、必ずしも定型ばかりじゃ無いが一寸のズレでもうOut。

理論上は跳ねない刻みを跳ねて聴こえさせようってんだから、って言うより全く跳ねて無い様には聴こえなくしなきゃなんないった方が良いのかな。
この件以前Funkの項でも語ってるが、今回はハードルを下げてみましたって感じかな。

つまりそんなにガチガチに正確じゃ無くても許される代わり、ズレ方次第で別物に聴こえるって処から入って頂きましょうってね。
なので大時代的出鱈目表現になり兼ねないけど、演ってみてそれなりにそれっぽきゃ取敢えずはもうそれでOKって。

これには体質とか性質的適正等があるから、全部が最初から上手く行くなんてのは無いですがね。
でもどれ1つとしてまあまあな感じにもならないなんてのは、そこそこ演奏力があったら絶対怒らない…じゃ無かった起こらない。

只個人的に近年になる程この面が劣化してってるのは、皆が無意識下に感覚より理屈を重視しちゃってっからじゃねーかと疑っとるんよ。
例えば不完全でもClickと全くバラバラに聴こえはしなかったから、それで別に大丈夫とかさ。

だったら完成作品にもちゃんとClick残しとけば、なんちゃってな。
わ大袈裟として打込みだけである程度行ける様になっちゃってるからには、折角弾けるんなら敵の苦手な処が得意になれないとしょーがない
じゃん!?。

<つづく>

2021年3月 3日 (水)

音楽備忘録566 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑩

その昔LudwigやRickenbackerの日本での法外な価格設定に絶望感を抱き、入手の難易度を嘆いていた俺。
だが今になってみるとそれでもこの方面で日本はまだマシ
な方だったと、近年になって今更痛感させられている。

電気街としての秋葉原の衰退は、部品調達の面ではマイナス作用が大きかった。
その際たるのは買えるか買えないかでは無く、実使用時の具合等の情報源の僅少化だ。

概述だが20年位昔宅のモニタ用パワーAmpの出力管に問題が出た際、秋葉原の行きつけで勧められたのは当時ほぼ無名だったロシアのSvetlanaってブランドのだった。
店主曰く「どれ位良いかはまだ分かんないけど、駄目って事は無いと思うよ」だった。

他のデッドストックのと違ってそれが製造中のだったから、先ずは価格面で大きなメリットがあった。
実際使ってみると確かに元の米GEのと違いはあったが、店主の言い分がかなり控え目だったのを思い知った。

それから2~3年後には寧ろSvetlanaは一番人気になっちゃって、お値段の方もすっかりプレミアムになってしまった。(残念乍ら現在はほぼ絶版化してしまった)
こんなのが正に「専門家の見立て」ってヤツで、それが通販主体になって獲得し辛くなった処だ。

通販では実売店舗より価格比較が容易だからか、安く設定さえすれば取敢えずそれなりに売れる。
だがマトモな実売店では顧客ニーズとの整合性確認が容易だったので、知見のある人程売り上げが良かったんだろう。

それが部品絶版でのモディファイにはとても大きな効力があったんだが、こうなったら仕方無いから海外の情報を中心にWeb上を徘徊して掻き集めてくしか無い。
処で何故海外かったら他所様には今も昔も全盛期の東京の秋葉原、大阪の日本橋に匹敵する程の専門街なんて無いからだ。

加えて真空管製造終了が日本より遅く、自国製のが目の前にブラ下がってるのに遠くのかの国のを法外価格でとは考え難かったからだろう。
本邦でモディファイレベルの高いのったら楽器系ですぐ思い付くのはDrumので、カノウプスのお陰でLudwigの一部中古が普通の選択肢の中に漸く加わった実感がある。

彼等は比較的早期に「ちゃんと修理出来る」技を会得したらしく、本国の難有品を調達しては修理して正当価格で売っている。
店舗が全国展開されてはいないから一寸地域格差を生んじまってはいるが、車でのディーラーみたいな存在の有無は実使用時の影響が甚大だ。

これを販売普及の方で例示しとくと現況はどうであれ、VOXならKORGがPeaveyならサウンドハウスが当初代理店になったのが大きかった。
これ等はかつてYAMAHAがMashallのそれになったのとは少し異質で、販売宣伝力よりメンテ面でのご利益が主だ。

今ではYAMAHAも専用サイトを設けてて、ページの一番下に小さくしかYAMAHAの文字は出て来なくなってるが。😵
資本主義下では販売店なら販量が存続に影響するから仕方無いが、絶対数の少ない楽器で大規模チェーン化する程メンテや知見の面は風化するので使用者には迷惑な話しだ。

けれどなるべく安く入手するにはメンテは付いて来ちゃくれないので、早くに使い始めたきゃ自らのスキルを上げてくしか無い。
その代わりその学習途上でも全く無知なまま放置するよりゃ、悪徳業者に騙されたりする心配は激減する。

これで問題なのは金額以上に仕上がり具合で、使える様にならないとそれが何より困るからね。
過去体験でも大手量販店で購入した修理中古品は、買って幾らも経たない内に故障が再発したっけ。

今だとその頃よりは改善してそうだが、やはり楽器店なのか楽器販売店なのかの区別はこっちでしといた方が良さげだ。
もし自力メンテが少しでも嫌だったなら、最初はお高く感じても信頼出来る「楽器店」を頼るのが良かろう。

がもしこっちが完全に無知だったらそもそも店の仕分け自体がちゃんと出来ないから、どんな大金持ちの無精者でも完全回避の道は無い。
但し必ずしも世間に通用する様な知見じゃ無くても構わず、各自に必要な部分だけ押えられてれば最低限は何とかなるから頑張ってね。

その点変な改装とかした際、「魔改造」と言っとけばそれで通っちゃったりもするから便利になったよ。
随分長い事色々やらかして来てるけど、最近迄そんな言い方ちっとも思い付かなかった…。

<つづく>

2021年3月 2日 (火)

音楽備忘録565 失敗って②

成功談には疎いが失敗談なら超専門の自負が揺るがんので、続きをどんどん行きまっせ。
して前回後部で吠えたのを一応正当型として演ってるのが、近年のDJの内まっとうな連中辺りだろう。

奏者や音響技師にDJと兼業の人も居そうだが、前回吠えみたいな真似は一種の違法な密輸みたいなもんだ。
あれだと責任の所在が分散するのがDJ屋さんとの違いで、聖人君主でも無い限りそれだとどうしたって人のせいにし易くなる。

それでも最初の内は内心ビクビクしてっかもだが、悪慣れしてくと何時の間にか変な自信を持ったりし兼ねない。
それも困ったもんだがもっと問題なのは、段々改善すべき処が分からなくなって行ったりする処だ。

対奏者比ではDJ氏や音響技師だと、音源を自製出来ない制約がある。
一方弾くだけしか出来ない方は、それ以外の部分で直接手を加えられない制約がある。

そんな部分では俺みたいにかなり何でもやれると有利な場合もあるけれど、やらなきゃならない事が膨大になって大変だ。
又上記の様な負のループに嵌るのを回避するには、実際作業に携わる際は他の立場なんて完全に忘れてるしそれ位じゃないと危ない。

依って僅かな揺らぎやヨレでもどうしても気になるなら、今なら何も無理に演奏なんかしなくたって良いんですよ。
只上述の如く音源は自前で無くなってしまうし、リズムの刻みの感じなんかにその人独特の味を強く求めるのは諦めなきゃなんない。

そこで各自優先事項を精査して、それ次第で何処を我慢とか許すかの覚悟を決めてくしか無いんですわ。
今従兄に対して最低でもベーシックトラックは、2人で同時に録ろうと強烈に唱えてるのはこの辺の関係からなのだ。

近年暫く従兄はたった独りで作品を作る機会が無くなってるが、こっちは常にそれを体験してるからこその発想なのよ。
今だって太鼓では従兄比じゃ相当な「手遅君」のまんまだけど、それだけなら裏技を駆使して重ねれば一応は隙間を埋められる。

具体的には既に出来た分を半速にして録っちゃうとか、Delayを悪用して分身の術で倍増させる等々。
しかしどんな悪さをしようと捏ね様と、それをした人の漏れ出る味は俺独りでやってたら絶対それしか出せない。

イケメンになろうとノッポになろうとそれは全部「俺の変形」のしか作れなく、元がこの程度の奴のだとどう頑張っても「腐った木村拓哉」ですら夢の又夢だ。
ってこの比喩だと画像的だけど、音だって少なくとも元が手弾きのだったら似た様なもんなのよ。

だいいち個人でも構築出来るのをわざわざ人とやるんなら、そのメリットが最大限に発揮されないと意味がないもの。
現に構想段階では2人で演る予定で作ったある曲が、今は個人に変更しようかと思ってるのがあるんだ。

作曲してた頃従兄はツーバスに挑戦中で、珍しく全く挫折しそうに無かった。
そこでバスドラに最大4連打が出て来る前提で作っちまった処、普段シングル・時々ツインペダルへの方針変更を宣言されちゃった。

俺自身は現状は4連打は寧ろ片足でしか出来ないからか、その箇所でHi-Hatがずっと8で鳴らしっ放し。
仮にそれをペダル踏み替えやサブHatで乗越えても、ツインペダルを使うのには少々遅くて練習してるみたいにしか聴こえない。

こう云う事態が起きればやり方は自動的に決まっちまう訳で、単純な自由度だけなら人手は時に枷になる。
でも例えば醤油とソースの両方の味がするとか、そう云う面では個人より複数人の方が圧倒的に有利だ。

そしてそれの有効率を上げられるのは、リズム構築の最初から複数人で作る事なんでやんすよ。
前例比喩の発展形で語るなら、お肉を漬け込む段階から両方入れてたかどうかみたいな違いが出るですよ。

ホントの個人よりゃ後からでも誰か加わればそれなりの差は出るけれど、それって醤油味で作られた料理へ後からソースを掛けた感じなんてんでどでしょかね。
つまり前者のなら醤油とソースの両方に一旦火が通ってるが、後者のはそれが醤油だけでソースの焦げた感じは一切しないっていう…。

状況次第でその差は相当大きくも小さくもなろうが、兎に角同じじゃ無いのは確かでしょ。
それからすると2人でClickレスでも可能かも知れないのへ、何も考えずにClick使って全個別録りを選ぶのって手法選択の「ミス」かも知れないんだよね。

<つづく>

2021年3月 1日 (月)

音楽備忘録564 魔改造悲喜こもごもⅢ-⑨

今回は電気・電子機器の延命について記してくが、近年では以前より部品調達等が困難化したのが懸念点だ。
古くはAmpegが好んで用いた真空管が絶版になったのが走りだったが、半導体系のでは価格上昇は伴うものの小規模別メーカの再生産開始も見受けられる。

他分野でも日本の自動車メーカが車種はかなり限定的だが、自社の旧車の部品供給が再開されたり等。
この潮流は喜ばしくも本来あるべき姿だと思うが、これ等からすると平成の晩年頃が一応「底」だった事になる。

だがコロナ倒産みたいに底の期間が一定を超えると小規模業者は事業継続が困難で、一旦潰れると再始動出来ないままになるのも少なく無い。
それで後から部品が再生産されても「売ってる所」が激減して、もう直せないとの印象が拡大した嫌いがある。

尤も冒頭に記した如く設計時点の部品が廃版になるのも少なく無いが、実は生産途中でもそんなのは日常茶飯事だった。
その結果が内部的にはPCパーツのバージョンよろしく、前期型・後期型等の差異を生じさせている。

その中で部品依存度の高低で影響度の大小はあるが、楽器系の電気・電子機器は他分野用途のと比べたら影響度は小さい方だ。
但し部品が変れば微調整(
所謂モディファイ)は必須な事が多く、本邦の楽器業界がここに疎いのが心配な処だ。

この件そもそも大昔だと地域次第で同等だが同じ球が調達不可だった等歴史は古く、それが欧州管だの米管だのの呼称等にも及んでいる。
過去本邦では秋葉原を筆頭にそんな場所の大繁栄があったりしたのが、却ってモディファイ技術の浸透を妨げていたのかも知れない。

では本日の因みに1で電気関係の書籍等で見られる互換管の記載についてだが、あれは主に電気的互換性に基づいて書かれている。
と言ってもDataシートを眺めると定格表記等に結構差異があったりするが、それは地域差よりもメーカの方針が違った等の影響が主体だ。

球全盛の当時既に規格はちゃんとあったが今みたいに適用が厳密じゃ無かったのと、けどその程度で実用上無問題だったからだ。
又各社が固有の魅力を持たせて差別化を図る為に、各々で可能な部分を持上げてたってのが実情だ。

但しⅡで設計時点で○○社の○○(型番)の指定があるのの中には、その特有の性能を活用したのもあるのでご注意だ。
具体的には最大定格の枠一杯迄絞り出してる様な出力管(電力増幅管)のにそれが多く、買い替える際は先にDataシートの一読が必須だ。

一方プリ管(電圧増幅管)の方では電気的定格はほぼ心配不要だが、増幅率の差は相当あるからそれが注意点となる。
それよりもし音色どうこうが無関係だったら鵜呑みにしてもOKだが、これを気にするなら欧州系か米若しくは露系なのかの影響は甚大だ。

因みにⅡでんじゃ昔の日本製のはってぇと、一番近いのは米系のだ。
但し本国のより癖が無い代わり、性能や元気さの点で大人しい。

石系(半導体)のだと開発初期にメーカ差が割と大きく球と比べると差は小さいが、音色の増幅素子依存度が高いシンプルな機器の場合は問題となり易い。
この辺で必要に迫られてのモディファイへ進めてくが、元から高価だった他にHIWATTやAmpegが本邦でマイナーなのはこれの影響も大いに考えられる。

冒頭述の如くAmpegでは好んで多用された球が、プリ・パワーの両方共肝心なのだけ絶版になった。
HIWATTでは販売量や代理店等の違いのせいでMarshallと違って、使用管が本国仕様そのままだったりしたのが大きかった様だ。

近年ではどちらさんも当初から真のグローバル想定が盛り込まれてるからそんなじゃ無くなってるが、過去機では扱い易さと「原典音色」の共生が為されて無かったのも少なく無い。
だからって米向け仕様のMarshallがYAMAHAっぽくなったりゃ絶対して無いが、一時期の「地域忖度し過ぎた」のだと本国のとはかなり音色差があったのは確かだ。

この点で全盛期の秋葉原を擁する本邦では、他国より割とどれでも簡単に入手出来たのが却って仇となった模様だ。
だが「同じ音色を獲得する」為等のモディファイ技術って、楽器系には他を差置いて最重要なんだよね。

<つづく>

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