音楽備忘録539 パートのリズム調節㉑
何だか事後承諾要求みたいで何だけど、前回のみたいなフレーズの組合せとか割振りもノリに対してかなり影響力があるもんなのだ。
そんで前回のは夫々が違うのを演るパターンのだったんで、その真逆のユニゾンのについて記しとこう。
Rock系の特徴の1つとも言えるユニゾン伴奏だが、案外小規模なアンサンブルに多いのも考慮点だ。
大規模ユニゾンったら何たってBeethovenのが有名だが、壮大さでは嚆矢な代わり各パートのノリの自由度は著しく限定される。
大人数になると膨らみは素晴らしいものの、例えば49:1とかで1人だけタイミングが違うと通常は失敗にしか聴こえなくなる。
なので最速・最遅の人は当然居るだろうが、タイミング差が大きかったり孤立気味のは無しとなる。
それからするとオーケストラのは奏者よりノリは指揮者依存とも看做せ、あんな大人数で演ってる割に一定区間で同時に味わえるノリの種類は少ない。
勿論楽団次第で軽目・重目等の個性はあるが、例えば水色と紺はあっても小人数Bandの青と赤の同居みたいなのは困難だ。
この差が小人数だと一段と音の種類が減るのにユニゾンが行けちゃう秘密!?で、一塊に聴こえる範囲って限定こそあれノリの自由度の高さで救われてると考えられる。
俺個人は音やアンサンブルはカラフルな方が好きで、それからするとユニゾンには興味を持ち辛いのが当然な筈だった。
せやさかいRoy OrbisonのPretty WomanやCreamのSunshine Loveに出逢っても、曲が良いからマスターはしたがそんなに入れ込みはしなかった。
のがJohnny,Louis&Charの際は覆り、物の見事にド嵌りして今に至っている。
彼等の凄いのは太鼓迄完全にフレーズや要所のタイミング合わせてるのもある処で、普通だったらわざわざ音数を少なく聴こえさせてるんだから淡泊にりそうなのがそうなって無かった。
メンバー各自の個性は結構掛離れてるのを、グループの個性として一体化させてたのが面白かったのかも知れない。
只それが生きたのも他の部分ではかなり各自が自由に演ってて、これとのコントラストの強さがあったのも重要そうだ。
尤もそれで各自の個性を殺してたかったらちっともで、余韻の処理や鳴らし方に関してはかなりバラバラなまま。
要所のタイミングだけをピッタリ一致させた例で、一般的には逆のの方が多いと思う。
但し何時もピッタリとか許容範囲内だが一定のズレ方しかさせないしないとなると、それに依って表現巾に制限が掛るのは確かだ。
これの影響の大きいのが「演れる曲」の種類等で、節操無く色んなのを演りたいと思うなら外せない手法だ。
今時は目立つ技にばかり走る奴が多いが、音楽的に効力の大きいのはこんな地味な方なのだ。
私体験からだとジョニルチャでこれを知って以降以前にも増して、その時演りたくなった本来の自分のジャンルから掛離れた曲でもアッサリ演れる様になったなぁ。
それでもグループではやり過ぎては他メンバーの負担が大きいから、自重して限定させるようにはしてるけどね。
しかし考え様に依っちゃ寧ろこれがあればこそレパートリーを増やせるってもんで、各自のジャンルの定番タイプの曲だけで行けるとしたらそんなのはとんでもない天才集団位のもんですぜ。
それが登場後間もないジャンルのだったら未だしも、歴史の長いのになると一寸やそっとの工夫じゃ過去に誰かが既にやっちゃってるのが多いからねえ。
又ヲタ様限定じゃ無く不特定多数を対象にしたいなら尚更で、珍しくするにも凄く簡単なのじゃないと聴いた途端に理解するのは無理だからさ。
現代本邦じゃClick常用の副作用でそんなのは滅多に耳に出来なくなってるけど、そのままってのは流石にもう限界なんじゃないのかな。
これとの関係性は不透明だがそう云や最近のって、伴奏のバリエーションがやたらと少なくなってないかい?。
リフの有無や最後迄それで押通すかどうかとか、逆に一切リフは使わないのとか…。
世間が不安定だからひたすら安らぎを求めて、定番頼みになり過ぎてるのかも知れないけど。
けど「暗い世相」にならBluesがおあつらえ向きで、それが主流化しないのはバブル期に繁栄した残像を追っ駆けてるからなのか!?。
<つづく>
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