音楽備忘録517 パートのリズム調節⑩
今回のは単独パートだけの人には賛否両論になるやもだが、個人的にはそんなのへ一石を投じさせといて頂きますよ。
マルチプレイヤの弱点や欠点は体験からも熟知してるし否定しないけど、利点の方が幾らも知られていないのは大変気になってるだす。
自分がそうだから立場を認めて欲しいとかってんじゃちっとも無くて、音楽自体の料理の仕方等に大いに関係してるからなんざんす。
言い換えたら偏りの少ないプロデュースっても良く、仮に名演を目指すにしてもその方策の最適化がもっと図れる様になるんですよ。
俺みたいに節操無く手を出してても奏者のプライドとしては、単純に演奏自体を高めたい欲は正直結構強い。
けれど「曲の都合」から眺めるとそう云うのは邪魔になる事の方が格段に多く、作編曲者やプロデューサからしたら奏者の「エゴ」でしか無い。
かと言って本邦の主流派みたく事なかれ主義が横行し過ぎては、最終的には誰に演らせても同じだし良い意味での差別化を諦めなきゃなんなくなって来る。
この件で勘違い野郎が多数派になっちまってる原因は、結局はテーマが曖昧になったりポイントが何処か分からなくなったりしてるからなのだ。
実体験から酷いプロデューサに当たった際の無い物ねだりの他、非現実的過ぎるご都合主義を強いられて難儀した事もあった。
例えば楽器を交換したり音色を切替えられる瞬間が皆無なのに、ここ迄はAでこっからはBで演ってなんてのだ。
そんなニーズが生じたら普通は2トラックに分けて別録りするもんなんだが、それを知らないのか1トラックで全部演れなんて言い張って譲らんなんて…。
これは録音テク知識に不足があるのもだろうが、結局は自分がその立場に置かれた事が無いのが一番の原因だろう。
何等の事情で夢みたいな話しを実現したくなったとして、マトモなプロデューサだったら自らが率先して試行錯誤する。
それで上手く行ったとしても自分は演奏してないから、自慢なんかしないで奏者や技師達を褒めたりしてそうだ。
だが芸能界の悪癖の「言ったもん勝ち」誘惑に負けて、本来の「裏方仕事」より自己アピールに奔走するのが後を絶たない。
それは兎も角どっちも「相手の状況の理解不足」が元凶で、今迄より正しい情報や知識が増えない限りは永遠に平行線を辿る。
そこで先ずはBeatlesを例に挙げてくが録音で残ってるのがどうであれ、彼等は全員がソロアーティストでありマルチプレイヤなのが実態だ。
要するにグループ参加以前から主役・脇役・裏方等あらゆる体験を持ってた上、加入してからも必要次第でそれをずっと続けてたのよ。
こないだ従兄のTwitterで映画の紹介かなんかがあって、その動画にメンバーの全員が夫々Drumを叩いてるシーンがあった。
Paul McCartneyのマルチぶりがやたら目立つもんだから見逃されてるのか知らんが、それ等でミソだったのはどれも単独じゃ無く「合奏シーン」だった処だ。
実際適性はあるし全員が同じ腕なんかじゃ決して無いが、合奏に支障する様なド下手は皆無だったのを強調しとこう。
って事ぁ担当決定が消去法じゃ無く試してみて、曲に一番良かったとか合うので選んでたんだってさ。
本人達の過去談話ではその時誰それが居なかったから代わりに演ったなんてのが多いが、そのままでも行ける仕上がりだったからそのまま出しちゃっただけに違いないのだ。
そうは言っても器用貧乏の弱みも散々味わって来てるからそこは微妙だが、自分以外のパートに無知過ぎてはマトモな合奏なんて絶対に出来ないからね。
これへ対処するのに大別すると2通りの方法があるが、理想としてはある程度迄他パートを「責任担当」してみるのが良い。
責任なんて付けたのは腕の良し悪しじゃ無く、例えどんなに下手でも「自分だけで何とかしなきゃいけない」って意味だ。
例えばそのパートだけの演奏から始まる曲だとか、他に頼り様が無い状況が必要だ。
或は本来の自分のパートだけで手一杯だってんなら、他パートに対しては勝手に想像なんかしないで常に担当者から聞取りをしてアンサンブルを構築してくかだ。
その際自分の希望を多少は言っても良いが、極力相手のを優先させないと危険。
相手が嫌がった際こっちは面倒だからだろうなんて勝手に思い込んだとして、本当は不可能なのかも知れないでしょ。
もっと掘りゃ例えば自分なら弾けたって、今担当してる人には無理かも知れないんだからさ。
<つづく>
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