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2021年1月

2021年1月31日 (日)

音楽備忘録535 パートのリズム調節⑲

ではとっとと行かせて貰うが、Hard系のRock好きにはThe Yardbirdsが重要だ。
エレキの3大Guitaristが在籍してたのもあるが、核心はそこじゃ無くリズム隊だ。

彼等原形はVocal&Harmonica・Guitarx2・Bass・Drumの5人編成だが、失礼乍らGuitarの片方に独自性が乏しかった。
けれど却ってそれが新しいアンサンブル手法には好を奏してて、Soloの裏にも必ず伴奏があるのを常套化させたとも看做せる。

The Ventures等もこの点だけなら同じだが、基本インスト物で当時の典型的Rock Bandとはひと味違う。
又Main Vocalを取って無いのにGuitarはバッキングだけってのが、居たとしても希少だったと思う。

これより前のでも時々そんなのがあったが、彼等以降のは主に重ね録りでそうする様になったのが大きい。
つまりBandにGuitaristが独りしか居なくても、Guitarが最低2本以上常に入ってるのが普通になったと。

それでアンサンブル的にどんな効能を生んだかったら、Bassが裏メロ等を弾き続けるのが可能になった処だ。
更にその副産物としてBassにリフを任せられる様になり、Lead Guitarの自由度が一段と上げられる様になったのと密接な関係がある。

DrumにもRhythm Guitarがずっと入ってる影響は大きく、よりパーカッション任務に専念出来る様になった。
Rhythm Guitarの存在の有無で分かり易いのの1例として、Bo DiddleyやReggaeがある。

本来はDrumにだってそれ用フレーズはしっかりあるが、省ける或は片方がそうしなくてもそれに聴こえるのはどっちかって事だ。
TotoのRosannaでJeff Porcaroは Bo Diddleyを引用したのを明言してるが、曲調としてはそんな感じには聴こえない。

SoloになってからのEric ClaptonはかなりReggaeに熱を上げてたが、Drumパートは本式にはなって無く8Beatの派生形(シャッフル含む)のが殆どだった。
それ等に入れてあったHammond Organは結構それっぽく弾かれてるが、GuitarのCode Cuttingとこれ以外は殆ど普通のRockの弾き方しかしていない。

Reggaeはらしさに関してはリズム隊のフレーズのそれっぽさが最重要だが、編曲じゃ無くて曲を演るのに限るとGuitarやOrganの「刻み」の方がモノを言う。
Rosannaが追加も多いとは言えDrumフレーズに反し、そんなにBo Diddleyに聴こえないのは太鼓以外のパートは誰も演ってないのが大きいと思われる。

Beatlesと黒人歌物系を除くとその頃にリズム隊が「攻めてた」始祖として、Yardbirdsが他との差が当時のとしては大きく象徴的だったんだ。
因みにBeatlesと黒人歌物系は結果的には自由に演ってたが、Liveでの「演奏のインプロやアドリブ」は最小限の口だ。

これは楽曲由来なのと演奏主導との違いが原因で、Yardbirdsの方のだとどんな曲のどんな箇所でも遊べるのが違っている。
因みにⅡで自由なリズム隊ってばThe Whoの方が印象的だが、ハチャメチャな様で居て彼等のは良く聴き込めばアンサンブルのさせ方が風変りなだけなのが分かる筈だ。

その判別の1つとして8BeatでのHi-Hatの刻ませ方があり、8BeatなのにOpenで意図的に4つしか鳴らさないのが俺知りではJim McCarty(Yardbirds)が最初だ。
曲としてはStroll Onがそれで、まだ全面採用とはなって無いがバスドラのフレーズも含めてそっち系のでは始祖の1つだろう。

Hatのリズム刻みでOpenのはRingoの方が先だが、ハッキリとは聴き取れ無くても殆どで8つ叩いていた。
Jim McCartyだって上記の如く全部じゃないし、他のでも移行は徐々にだったけどね。

後のHard系やMetal系ではHatの4分音符でのシャンシャンシャンは半ば常識化してるが、他の大勢が8分音符を連打してくれてるからこそと考えられる。
これで一番助かるのは俺みたいな手遅君で、全部叩くのだと無理だった速いテンポのも演れる様になるからね。

Punkのみたいな真逆なのも無理ムリ感満載なのが面白いけど、手の速さが要るから誰でも取入れられはしない。
太鼓以外だとこれは逆転するしどれだって速くて凄いに越した事ぁ無いが、曲を演ってみられるかどうかに限定するとね。
って事ぁ裏を返せばそれが最低必要条件な訳で、○○にしたい際のコツの1つあるよ。

<つづく>

2021年1月30日 (土)

音楽備忘録534 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊶

はてさて前回プチ対処法を思い出した処で、今俺が直面してる懸案の内容に進めてこう。
照明のも球プリのも電源部が問題になってるが、実施に際してはどちらかってば正反対の条件を持っている。

照明の方は最適半導体回路(スイッチング電源)が組めないとなると、薄くて細長い本体に内蔵するのは早々に諦めるしか無い。
けれど苦し紛れでも逆手に取れば大きさや形は自由に選べる…、筈が別理由で色々新たな問題を生んでいる。

当該機種は天井直付けタイプで、電源配線は天井の穴から照明器具裏側へ繋がれている。
通常時ならこれが最善だが、それ故外部に何か追加するにはとっても不便な状況だ。

追加物が重いと落下しない様にするのも結構大変だし、だからって部屋の低い位置へ置くと本体間との長い配線の処理に難がある。
市販のクリップライトやスタンドみたいに電源をコンセントから取ればこれは解消するが、折角施されてる配線と壁スイッチを使えなくするのも実用上芳しくない。

一方球プリの方はその辺は割と自由だが、両者共通の要求電圧の高さから使える部品の選択肢の少ないのが難点だ。
何か思い付いても手持ちでそれが可能かの確認が常に先に必要で、うっかり怠れば実に簡単に振り出しに戻されてしまう。

照明器具の現況は半壊なのであまり手古摺る様なら先送りの覚悟も出来ちゃいるが、折角取り外して内部・細部を調べられる間に見通しや可能性位は見定めておきたい。
ってのも本来常設型の機器だと頻繁な再接続や付け外しは想定外なんで、あまり何回もやってるとそれだけで何処かを壊してしまう事も少なく無いからだ。

或は駆動電圧を下げられれば対処法は飛躍的に増えるんで、それが可能かどうかは大問題だ。
これのLED素子の搭載方式は良く言やシンプル、悪く言や応用性に欠ける物となっていた。

具体的には4個並列になってるのが24個直列に繋がれてて、それが放熱性に優れた細長い特殊基板に実装されている。
これが更に2枚付けられてるが全く弄らないならそれの1枚が最小単位で、そのままでは駆動電圧は下げられない。

もし1枚を幾つかに切断分割すればその分電圧を下げられるが、分割した間に隙間を設けないと短絡の危険がある。
で短くしたら程度は軽くても必ず放熱性能は劣化するし、個別に繋ぐ分の配線数も増加させなきゃなんない。

しかもLEDの付いてる表側は反射板も兼ねてるんで、一々該当箇所に本体に穴を開けて裏からの取り回しになる。
駄目押しはその裏側もかなり狭隘な処で、元からある電源配線が硬目で太目なもんだからかなり余裕を残さないと天井取付に支障しそうなのだ。

因みに原設計では電源基板への接続線は合計4本で、器具の一番端っこに内蔵された電源基板から素子基板の端っこへだから場所も取らなきゃ裏を通す必要も一切無い状態になっている。
なのでもし内蔵電源が全滅だったなら灯具全体に下駄を履かせるなんてのも、少し面倒でもやぶさかではない。

総体的には全滅されるよりゃ半壊の方が明らかにマシだが、こう云う状況だと却って厄介だ。
たった1個のICが入手・換装不能が為に、こんな大袈裟な話しになるなんてねぇ。

本体価格が安過ぎて配送料の方が高くなってるが、これを設計したかの国では配送料がもっと安いんだろうか?。
それであればここ迄安くしてるんだから、悪いけど買い直しとくれも分からなく無いんだけど。

さっきニュースで本邦じゃ電気自動車が中々普及しないなんて出てたけど、あんなに売値が高きゃ一般庶民が2の足踏むのは当り前や。
もし国産でそんなに安く出来ないなんて半分嘘付き続けるんなら、そう云うのは全部輸入に頼るつもりなのか?。

因みにⅡで上記の半分嘘とは業界体質も含みはするが、補助金の出し方も含め政策の失敗の事だ。
本邦では貧民が気軽に買えるのだと割とすぐ壊れて、その分ゴミが余計に出るし買い直せばその分流通が余計逼迫する。

で大金持ちは一握りでそれ以外の方が圧倒的に大勢居るんだから、そっちの効率を上げなきゃ国の儲けは減るばかりだ。
こんな逆境でも魔改造で凌ごうとしてる俺みたいなのも居るが、根本的には焼け石に水だ。

こっちは決して諦めはしないけど、納得が行かない分は一体誰が返してくれるのかねえ。
それでも抵抗するのはRock魂があるからみたいなもんで、変な処へ波及しちまったもんだ。😃

<つづく>

2021年1月29日 (金)

音楽備忘録533 パートのリズム調節⑱

Beatlesがブームを迎えた大昔にだって、唯ひたすら黄色い絶叫をして気絶するなんてのは確かにあった。
ブームが過ぎりゃ落着きは戻るもんだが、当事者の彼等はそれを待てなかった。

その代り独りで聴いてもそれを補える(完全はとても無理だが)策を講じて、結果的にStudio Liveみたいなのが開発された。
ここで注視すべきは開発後も相応しく無い作品には、寧ろ以前よりもっと寝室でボヤく様なのも並行して演った処だ。

それが最近のは上記のどれか1つだけに執着してるのが多く、例えばフルメイクの人ならスッピンが想像すら不可能みたいなのが増え過ぎた処だ。
純粋な観客にはそれも1つの世界観として一向に問題無いが、どうするとどうなるのかを知りたい者には全く役に立たなくなってしまった。

って何の話しかったら、今のお題に対しての個人でも出来る事を探ろうって魂胆からだ。
動画や劣化の少ない音源を聴けなかった昔は、Live体験から掴むか知恵を絞って想像するしか方法が無かった。

それが近年は折角誰でも触れられる様になったのに、本邦メジャー系作品ではほぼ完全に無効化されている。
何しろ俺言い「打込みよりバーチャルな生」ばかりでは、却って下手に真似なんてしない方が良い位だ。

では特にポピュラー系では昔より格段に増えたお教室へ通えばどうかったら、これもメジャー系のは嘘・間違いを平気で偉そうに教える有様。
そりゃ確かに言う事訊いてりゃ今のロクでも無いメジャー系みたいなのになら少しは近付けるが、充分習得出来た頃にはもう全然通用しなくなってそうだ。

なので例えば数年以内に有名になって、半年間だけ超有名で居られれば良いってんならどうぞ囲われちゃって下さいまし。
でもねぇ細々とでもやった分が無駄にならずもっと続けたいって思うなら、それじゃあ無理なんですよ。

って久々に何だか煽りモードぽく吠えちゃってるが、ちゃんと双方充分理解した上でそうしてるんなら非難する気は毛頭御座居ません。
強いて言うなら従前の音楽教育界の差別なんかも現況をもたらした原因で、Classic系や音大系等を闇雲に尊重し過ぎたのが駄目だったんだわ。

今だと日本の音大にもJazzやRock科もある様になり出してるが、その卒業生が全国に波及するにはまだ当分は掛るでせう。
要するに教える側に知識や体験が不足してるのを、偉いClassic様のでだったら何でも代用しても大丈夫だろうってどないいい加減やねんって。

これってClassic系にとっても凄く負の作用をしてて、コンテストの都合等があるにしても音色の汚さや優雅さが全く欠落してるのが平気になり過ぎちゃってるよ。
それでいて特にソリスト系だと他人と合せるニーズが少ないからって、初心者Punkよりリズムが悪いとか音程がフラフラとかおじちゃんもうビックリしたなもし。

あれ何々家のお嬢様で名門音大卒なんてのに惑わされてる人も多いけど、それを隠したらどんなに炎上しまくるかと思うとね…。
それの方が好都合な人だって一部には居るだろうけど、全く望んで無くてもそんなのの一員に強制的に属させちゃうのが問題なのよ。

でいい加減で吠え終わらせるとして、次回から具体的な対策を綴って行きます。
取敢えず基本的な考え方として必要なのは、目標とか見本を正しく選ぶのが決め手だ。

更にそれへの注意点として自由の多いジャンルの程、過去例の踏襲が役に立たなくなる処ね。
参考にするなら良いんだけど、自由な程目指すゴールが凄く一杯増えるんだからさ。

時々まるで誰それの生まれ変わりかなんて言われる人も出て来るが、独自性が最優先のジャンルには固定したメソッドを求めるのがどだい無理なんだわ。
先んずこれが分かってる人が、あんまりにも少ないもんだから…。

<つづく>

2021年1月28日 (木)

音楽備忘録532 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊵

愚痴ってばかりも居られないので本線復帰を果たすとして、LED照明修理と球プリの両方に関係するので失念してたのがあったんでそれから。
拙ブログ過去記事(音楽備忘録442)で紹介した「昇圧整流」のって
、もう1つあったんだった。

失念の原因は先ず俺の不心得だが、マイナーな技故そもそも紹介数が極端に少ないのもあった。
昭和の内はきっとそうじゃなかったと推察されるが、今となっては「家に余ってるトランス」なんてのが希少化したからだろう。

何かこしらえるのにこれから部品を買うんなら、なるべく適したのを選ぶのが当り前。
さればわざわざ回路構成が複雑化する様なトランスなんて当然選ばなく、結果的に参考例示となれば一部のみの紹介に留まってるのが殆どになるからね。

では早速久々の図示へ進めるが、今回紹介のには以前のに無い利点があるのだ。
してそれがより厳しい条件下では死活問題となるケースがあり、かなりニッチではあるがそんな際には最後の手段だったりもするのだ。

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トランスの出力電圧が足りない時に昇圧整流を使うと、近年常識化しつつあるDC-DCコンバータなんて使わなくても賄える。
勿論コンバータを使っても一向に構わないんだけど、集積回路やキットになってて売られてるのは当然ニーズの多いの限定だ。

売って無いのが欲しいとか手持ちジャンク部品でとなるとコンバータ回路の方が面倒で、尚且つ買い足し抜きで組むのが難しい。
そこで昇圧整流の内「半波整流」の方は紹介済みだったが、全波整流でも昇圧可能なのを示したのが上図だ。

因みに整流(交流を直流に変換)の半波と全波の違いは必要部品数と効率で、それに依って整流後の電流リップル成分に大きな違いを生じる。
半波のでは交流電力源(大抵は電灯線AC100V)の極性が⊕になった時のだけを取り出してるが、全波ではそれが⊖になってる時の分も取出している。

そうすると整流後のリップル周波数が半波では元の50Hz(60Hz)のままだったのを、全波では倍にする事が出来るのだ。
出力電流の波が細かくなる程平ら(平滑化)にするのは楽になり、結果的に同一性能を得るのに必要なコンデンサ容量は半減してくれる。

今回の核心はここで、この性質を逆手に取ると所謂「電圧降下」を小さくする事にも貢献してくれるのだ。
コンデンサは高耐圧になる程希少・高価になってくし、ジャンクではそんな存在の程収獲が困難になるからね。

では上図4.の倍圧のから説明してくが、こちらは5.の4倍圧のよりは遥かにポピュラーだ。
それは一番右に参考掲載した「只の全波整流」と、部品の数や構成が殆ど一緒だからだ。

それ位シンプルだと作り易いのは勿論、記憶に留め易いってのも大きい。
参考掲載の内容は後回しにして俺がコレを知った最初は、以前述の買った真空管Overdriveだった。

超小型でローコスト=量販品となると、もうその当時でも出力電圧が電源より高いトランスはオーダーメイドのしか無かった。
けれど絶縁トランスと称する「電圧は変えない」のなら未だ健在で、これは感電や外来雑音混入の防止等の目的が存続理由だ。

因みに昔も今も例えば日本のを欧州で使うのに、あっちは電灯線電圧が高いんでそれを下げる用途のトランスは健在だ。
だが繋ぐ機器が不特定だから消費電力量にも巾を持たせなきゃなんなく、その結果あまり容量が小さいと使える機器が激減するんで超小型は作られて無い。

なので2倍圧の存在は相当昔から知ってたが、それ以上も可能なのは割と最近になってから。
只それを見つけた時に直接ニーズを抱えて無かったのもあってか、どうやら印象が薄くて忘れてたらしい。

今回再発見したのもネット上では無く、既に取込んであったDataの中からだった。
って灯台下暗しの典型でやんなっちゃうが、これぞ杜撰大王の真骨頂ってなもんよ。😓

さて只の全波整流に少し触れとくと、直接の原因は恐らく昔の部品価格等が原因と思われる。
図を良く見ると分かるが参考のだけトランス出力が3つになってるが、当時はダイオードを増やすよりその方がローコストになったからだろう。

ブリッジダイオード(1つに4個入ってる)を使えば出力が2つしか無いトランスでも全波整流出来るが(これが現代では半ば常識)、半導体が高価だったら倍増しなきゃなんないのはコスト面で致命傷だからね。
今ではこれがスッカリ逆転しちゃってるから、利用実績は無くなりつつあるが。

尤も魔改造界では手持ちジャンク次第じゃ、まだこれ等にはそれなりの存在意義がある。
例えばニーズに足りる電流容量のダイオードが、手元にはブリッジのが無くて普通のが2コしか無いとかね。

<つづく>

2021年1月27日 (水)

音楽備忘録531 パートのリズム調節⑰

前回何時にも増して意味不な長文になってしまった反省も込めて、補遺と整頓をさせておくんなまし。
苦しい言い訳やが今日日は何でもマニュアルに従わされてるから、その呪縛や習慣から一旦開放されて欲しかったのよ。

尤も平成以降は昭和みたいに感性だけじゃ世の中渡って行けなくなってて、音楽に触れるにも機器等のマニュアルは実際全く無視出来なくなったわね。
但し良く考えて頂きたいのはそれ等は既に完成してる物だって処で、不明点が残ってりゃその部分はマニュアル化出来ないんだすよ。

これを基に音楽を演るに際して頭脳や知識と感性や体験の適正順位を分類すると、誰が弾くにも「Cコードはドミソ」みたいなのは頭脳・知識主導のだ。
それに対しノリだとか独自表現等は感性主導が合ってて、オリジナリティが高かったり類例の少ないのになる程これでしか実現不可能だ。

なんて頭の使い方を俺みたいな単細胞じゃ、本来なら語るに値しないんだろうけど。
でも究極に至ると完全な利口か大馬鹿の方がまだマシで、中途半端な小利口が一等障害になるもんなんだ。

専門の馬鹿の道!?の方から攻めてくと幾ら天然では頭使うのが苦手でも、一定以上の領域へ到達するのに必要なのが段々と出て来る。
すると苦手でも逃げ道が無いから仕方無く頑張る訳だが、それが堆積してく内にどれとどれだけは頭も無いと無理なのかが自動的に知れてしまうって寸法だ。

頭脳派の方は専門外だが一寸した例を思い出したんで、悪いけど久々で従兄に生贄になって貰おう。
これ身内では「自動販売機迄俺をバカにしやがって事件」として有名なんだが、飲料自販機で¥100入れたのに買えず返却させたら¥50しか戻らなかったって話し。

今なら価格が¥100より高いのが殆どだからそりゃ買えないって?、昭和の昔はそれで殆どのが買えてたんだよ。
ほんでそう嘆く従兄に対し仲間達は従兄の勘違い(元々¥50しか入れて無い)を半ば信じ、俺は五分五分だったけどそれは本来2の次案件なんだよね。

その時喉が渇いて飲みたいのを何とかするには、犯人が誰だろうと何とか入手しなけりゃ潤せない。
のになまじ従兄は投入金額の印象が鮮明だったもんだから、そっちへ気を取られ過ぎてしまったんじゃないかな。

従兄が間違って無かったら酷い話しではあるが、まだその頃は即座にコンタクト可能な連絡先とかは掲示されてなかった。
それでは正規の次の手の打ち様が無い訳だから、取敢えず買って飲んでその後で思いっ切り自販機を蹴っ飛ばしてでもおく位しかやり様が無い。

或は異常に思われても執念深く追及・調査し、身の潔白を証明しても一向に構わんけどさ。
でも従兄は諸事情もあったにせよそうしようとするより、延々と後に至る迄嘆いて居た。

流石に今では本人も笑い話側へ一応加えてるけど、どうせそうなるならもっと早く切替えられてたら楽になれただろうに…。
これを頭主導が向かないののつもりで例示したんだけど、音楽でだったら次回じゃ無く今このLiveが終る迄に何とかしたいなんてのと似てるんじゃないかな。

本番中も幾ら頭使わんたって判断とかには必要だけど、のんびり考えるより他に優先すべきがテンコ盛りですんでね。
逆に個人での日常の練習って本番よりは良く云やリラックス、正直言ったらどうしたって漫然とし易いよね。

でもホントは練習時にこそ頭脳フル回転が必要で、一面で感性だけじゃ出来る様にならなかったのをなんとかする時間だかんね。
そのせいか分かんないけどどっちかってば俺の方が本番に強く、従兄の方が練習成果を上げるのが上手だったかな。

これが具体的にどう反映してたかったら、従兄の方が正規テクニックの習得は各段に早かった。
それに対し低テクレベルで構わないのだと、こっちの方が割とすぐに良い感じを出せてた…と思うんだけど。

結局は今になって録るのは早いが結果が雑な俺、録るのが異常に遅くなった従兄のどっちも実用的じゃ無い。😓
何十年も続けててそんな位だから中々旨い按配とはならなそうだが、各自夫々の弱点をちゃんと認識出来た分昔よりはマシになってる筈だ。

こんな時昔だったら俺は勝手に独りで全部録って出しちゃったり、従兄だったら散々待たせといてFade Outしたりしてたもんね。
今俺が延々と従兄を待ってられるのは、投げ出さなくなったのを知ってるから。

文句つけてる暇があったら溜まりに溜まってる宿題でも何とかせいってなもんで、やらなきゃイケナイのが沢山残ってるのに気付けると待つのもちっとも暇じゃ無くなるよ。
時々予測を誤ってまだ平気なんてのんびりしてると、待ってるこっちの方が大慌てになったりもあるからね。

<つづく>

2021年1月26日 (火)

音楽備忘録530 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊴

現在苦悩中のLED照明電源案件、当初想定より大巾な苦戦を強いられている
Bass用ポータブル球プリAmpの方でも電源部で少しつまづいてるが、そっちの方が解決が早そうでも明るくなってからの方が良いしねえ…。

先ずはLEDの方での問題だが、故障機の素子要求電圧がDC100Vと一寸珍しいのが災いしている。
効率的には電源(電灯線AC:100V)からなるべく変える処が少ない程有利で、その方が回路もコンパクトに出来て良い。

だが基本的に一切何も買わずに手持ちジャンクで対応するには、そもそもそんな仕様で売られてた商品が希少なだけに何時になく厳しかった。
お得意の!?○倍圧整流回路を用いるには幾ら省エネLEDでも、照明用となると電流量の多さが懸案にもなる。

更に単に足りるだけ電力を喰らわしてやるだけでも大変だが、下手にそれをすれば過電流で折角生き残ってるLED素子を壊す危険があるのだ。
それにはどんなに効率や時代を無視して原始的になるのを許しても、何らかの電子回路を追加しないとならない。

数日色々調べたり考え続けてたりで面倒になって来て、いっその事市販のキットやスイッチングACアダプタの魔活用すら考えた。
その中で半分位の出力電圧のアダプタを、言うなれば「2階建て」にする裏技を見付ける事は出来た。

だがⅡで普段の印象では今や激安のアダプタも、48Vなんて一般的なのより高い奴はお値段も高いままだった。
高いったって2つで¥5~6,000程度だから大したもんじゃないんだけど、本体が送料も込みで¥2,000しないのを直すのにそれじゃあ何だしねぇ…。

なので普通なら殆どの人は諦めて買い直す処だろうが、まだ半壊なのと素子自体は全部生きてるのが引っ掛かる。
それに運が悪きゃってか誇れる様な過去を送って来ても居ないんで、又1年後に同じ目に遭うかも知れない。

今後も高級なのを買える見込みが無いのからもすると、この手のトラブルが今回が最後にはなりそうもない。
だとすれば一度自分なりの方策を考えとく必要もありそうなので、次善策で一時凌ぎするにしても撤退はさせて貰えなさそうなのだ。

さてLEDが長期戦になるなら球プリを先にすればと思うだろうが、状況次第じゃジャンク部品の「取り合い」になる可能性があるのだ。
どっちかを犠牲にするとか先送り出来るなら別だけど、「組合せの不味さ」で2つ出来上がるのが1つになってはたまらない。

その際たる要因は所望電圧が50Vより高いせいで、それより高耐圧なのとなるとジャンクの取れ高が極端に悪くなるからだ。
この面からすると例え電灯線を使うLED照明でも最適は内部DC12V仕様、高くても24V以下のだと部分転用等の点で遥かに有利だ。

そんなにすぐ壊れる様なもんじゃ無いし本体と電源を別にすると割高になるんで、その時はつい最安を選んじゃった。
けど今後はこれに懲りてたかだか一般照明器具如きでも、オールインワンタイプは避け気味になるだろうな。

って楽器やオーディオの方では散々遭遇してとっくにそうなってたのに、こんな風になっちゃうとは杜撰大王健在なりで参ったね。
只悩ましいのは年々コンポタイプのは減っていて、特に部屋のメインのみたいなのにも使える素材のがなぁ。

こうゆう貧富差を拡大する様な傾向は嫌なもんで、金持ちが企画して作るからそうなるんだろうか。
皆さん是非俺みたいに初期投資額に騙されないで、長期戦略を練って臨んでおくれやす。

只Ⅱでそう思ってても厄介のなのが、高価だからって必ずしも信頼性に繋がらない処。
最近じゃ商品レビューも益々さくらさん達の暗躍で、良くて話半分の信頼度だ。

もしレビューでアテになるとしたら選択肢は大分減りそうだが、買ってからかなり時間経過してからの投稿だろう。
発売後間もないとこの手は使えないが、実態が覗けるのはそう云う方だ。

例に依って全ては個人の考え次第だが、博打のつもりで行くかどうかだけは先にハッキリさせとく必要があるらしい。
覚悟不足で望むと、今回の俺みたいな事になる場合があるんだろうね。

<つづく>

2021年1月25日 (月)

音楽備忘録529 パートのリズム調節⑯

ここからはどうしたら欲しい感覚や感性を身に付けられるかへ進めるが、近年はどちらさんでも個の活動が中心になって久しい。
今のコロナ禍では当然だがそっちじゃ無くて、人と進んで一緒になるのは遊ぶ時限定って風潮なんかについてよ。

そりゃ遊びにだって真剣で意義深いのもあるけれど、当節お流行りなのは殆どがバカ騒ぎ一辺倒。
回避・解消の困難なストレスがテンコ盛りの毎日だから、一時だけでも忘れたいのは分かるけどさ。

けど例えば睡眠の8時間をトータルでは一緒だからって、10分寝て20分起きてのサイクルにしても先ず上手く行かないでしょ。
なので上記みたいな逃避一辺倒の副作用、「祭りの後の静けさ」をわざわざ創出してるみたいにも思えるんだ。

余韻の残らない楽しみ方ばかりだと一種の中毒症を発し、もっとバカをと無限に突き進んでしまうよ。
何しろOn・Offの境界はハッキリ見えちゃうし、ハッピータイムが短いからねえ。

それって賭け事に溺れるのと同じで、その内きっと限界を超えちゃうな。
まあそれでも良いって人も居るかもだけど、本来なら遊びからだって色々学べるのが無しになるしね。

私的にそれで困るのは、そうじゃない人迄皆巻き込まれてそれ以外の選択肢を奪われてる処。
ほんでここでコレを持出してるのは俺の主義とかじゃ全然無くて、今回からのお題をクリアするのにとっても不都合だからなのだ。

例えばどんなに悪ふざけしてても、絶対にRockであるのだけは譲らないとかそう云うのが欲しいのよ。
ルールの縛りは邪魔に感じる方が多いけど、真髄を楽しむのには無法地帯では集中出来ないよ。

無法では調子に乗って「ウェーいっ」ってやってたら、突然背後から叩かれたり刺されたり撃たれたりするかも知れんからねぇ。
それからすると渋谷のスクランブル交差点での乱知己は、「調子の乗り方」を間違えてるのだ。

或は他力本願オンリーと言っても良く、車の方が横断者の方がきっと避けてくれるだろうって確実性の無いヤツだ。
もしかしたらそこにたむろしてる多くは俺と違ってお利口で、心の底からはしゃいでなんか居ないのかも知れないけどさ。

まあそれが単なるイベントだったら迷惑なだけで済むかもだが、感覚を身に付けるとなるとその程度の漬かり方では足りない。
例えば「レゲエ演る」と思ったらそれだけで、跳ねさせようとか一寸ルーズにしようなんて思わずに出来ないとイケナイからだ。

意識したって出来りゃ良いじゃんもご尤もですけど、それって意地悪く言うと作為によってもたらされた物だよね。
それだと感覚だけで賄い切れて無いし、天然と人工の差みたいなのは未来永劫埋めらんない。

挑戦当初にメカニズムとして知識的に獲得するのは必要事項だけど、大まかに分かったら後は頭を使っちゃ駄目なのよ。
物真似としならそれでも行けっかもだけど、表面的な模倣だけで本家を超えるのは音楽では不可能だ。

自分が始祖だったら未だしも後発となると、本家に近付くだけでも「その人なり」の要素が不可欠だ。
そりゃ本家が逝って大分経ってりゃちったあ誤魔化せそうだが、明らかな長所の1つでも無かったらわざわざ後発の方になんて誰も行かないでしょ。

現地人以外の者がその系統として認知されるには、世間に通用する新しい流派みたいなのが無いとさ。
そう云うのって自然体から滲み出る様なのじゃないと苦しくて、例外があるとすればデーモン小暮とかピコ太郎みたいな方法位じゃないの。

彼等は極限迄成り切っては居るが、観客は成り切り度の高さだけを楽しんでるかったら違うと思うんだ。
寧ろ綱渡りみたく何時失敗するか分からないからスリリングで、失敗後のフォローがどうなるかが全く未知だから鮮度が維持されるってね。

過去述Jeff BeckのLiveでヲタ達が失策を待ちわびてるの宜しく、いざその時が訪れる迄お客はおろか本人だってどうなるか決まって無いし分からないからオモロイ。
そんな局面ではどんな達人だって普段よりゃテンパってる訳で、そこでも一切地を出さないってな不可能やがな。

なのでそれがJazzだったら成功しても失敗しても慌てて取り繕っても、どれも一様にJazzっぽく無いと「ホントはRockの人だった?」なんて疑われ兼ねない。
これを実現するには一旦○○モードに自分で設定したら、気絶仕掛かってでさえ勝手に○○になってる様な状況をこしらえときたいのよ。

頭使うなってったら抵抗感がある頭脳派の方には、そしたら自己パブロフの犬化計画なんて解釈ならどうすかねえ。
但し当事者対象の犬と人の違いから、人の場合は上出仮称「モードスイッチ」が付けられる分条件反射も不要時にはOffに出来る筈だ。

因みに人にも俺みたいなアホも居るが、本物の野生動物とは近くてもイコールでは無い。
先ず一般常識人だったらこんな昼間の人通りでお姉さんの裸なんて拝める訳無いやろと考えるから、何処かから「うふぅ~ん」なんて聴こえても動画か何かだろで通過する。(ラブホ街等は覗く…もとい除く)

次にそれが欲深くアホな俺だと万が一に期待して、一応可能な範囲を見回しとくだろう。
実際にはほぼ可能性が無い位はアホでも分ってるが、それでももし逃したら惜しいから頑張っちゃうかもって。😅

それが野生動物では「うふぅ~ん」=裸体の習慣付けがされてると、状況にお構いなしに反応するのも居そうだ。
こんな変なのを持出したのは音楽なんか演ってる時より、普段の何気ない時にこそ少しは頭を使った方が良さそうだからあるね。

<つづく>

2021年1月24日 (日)

音楽備忘録528 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊳

先日新たなトラブル発生💦、今書いてる部屋のLED照明器具が突然半分消えてしまった。
まだせいぜい1年しか使ってないのに、最安品を選んだのが不味かったか。

又してもちっとも音楽では無いのになっちまったが、何をするにも真っ暗闇になっては困るからねえ。
元がオーバースペックつまり明る過ぎだっんで
、半減ならそんなに慌てる必要は無い。

とは言え何処が逝かれたのかは調べとかないと、最悪はそれこそ風前の灯状態に陥ってる可能性もある。
ので兎に角一旦少しバラして故障個所を探してみると、LED素子本体は幸い全て健全だった。

これには所謂スイッチング電源回路が2つ内蔵されてたが、その内の片方の制御ICがお亡くなりになっていた。
依ってそれさえ交換すれば元通りになるのが分り、手に入りさえすれば価格もせいぜい¥100程度なので少し安堵。

っと思ったのも束の間、何と売られて無い処かデータシートや画像すら全く見つからないやん。
それで修理は暗礁に乗り上げて、ちっとも望んで無かったが魔改造コースで解決してくしか無くなっちまった。

口惜しが丁度ギリギリで保証期限は超えちゃってるし、仮に昨今割高な修理費を甘受してもこの手の廉価品ではそもそもサービス体制なんて最初から無いだろうしね。
それでも宅内の他の多くのと違って程々に新しいのだから、まさか部品面で簡単に窮するとはなあ。

処で前出明る過ぎになった原因は、それ以前に買ったどれもが予想程の明るさが無かったからだ。
宅では割とLED照明装置が出てすぐから注視してたが、電気代は勿論の事ノイズ面でも蛍光灯より明らかに有利だからだ。

昔はエレキを録る時は蛍光灯はOffって白熱球スポットライトに切替えてたが、室温上昇が凄かった。
それに弾き終る度に再切換が要る事が多く、機器操作をするには全体の明るさが必要なんでね。

只黎明試行錯誤期の体験印象が強過ぎて、安定量産期に入ってからの性能を低く見積もり過ぎちゃってたんだろう。
それは兎も角全点灯ではちとオーバーでも、半減だとやはり明るさが足りない。

ってのも素子の載った基板が山形2列に配置されてる片方が点かなくなってるから、消えちゃった側半分が余計に暗くて苦しい。
そこで代用になるICを探そうかとも思ったが、ここで枷になったのがスイッチング周波数の不明だ。

周波数計測可能なデジタルテスタなんて持って無く、かと言って高電圧(この機種ではDC100Vだった)なので測る手段が宅には無い。
これが俺にとって何を意味するかったら、駄目になった方の電源回路は丸々諦めろって事なのだ。

割高な送料を圧縮する為に従兄に頼み込んで共同購入したから、元が合計¥1,000程度の代物だ。
もし電圧がもっと低かったら半完成品等で下回れる可能性も残るが、回路全体を刷新するとしたら元の価格より遥かに高価になってしまう。

この期に及んでこんな目に遭わされるから益々半導体不信が促進されるが、何時になったら俺言い「マージン不足」は是正されるんだろうか?。
ってのも最初天井から取り外した段階で、一寸した異変が見られたからだ。

本体は放熱ニーズもあってアルミの所謂型鋼になってるが、両端とカバーはプラ製だ。
そのカバーの片方に回路基板の入ってたが、カバー裏側に熱劣化の変色・変形が視認されたのだ。

これが某国の安物だったからったらさに非ずで、以前別の部屋で使ってた本邦一流メーカ製インバータ蛍光灯器具では割損迄行った位だ。
一部の業務用では平気らしいが、基本的に素人・ご家庭用の基準の甘さは何時まで経っても是正されんらしい。

最近は本邦以外のでも電子機器関係はどれもこの面が雑になって来てるが、物余りで壊れんと買って貰えんからって迷惑な話しだ。
コロナ自粛が無くても実売店舗や取付作業の人員も減り続けてて、幾ら安くなってワンクリックで買えるったって復旧までの「待ち時間」はどんどん長くなってとるがな。

それからすると魔改造なんかが無縁だったとしても、色んな機器の予備が昔より必要になってるのかも知れない。
尤も例えば使用数が10コとかだったらそれに対する予備の1コにそんなに負担感は無いが、1:1だったりすると保険措置でも一気に費用倍増だから二の足を踏みたくもなろう。

そんな場合仮設が可能なクリップライトと汎用LED電球とかだったら用途が広く、宅でも現に今それで暗闇を回避している。
宅の場合クリップライトに予備のつもりは無く、単に作業灯のニーズがあっただけだが…。

<つづく>

2021年1月23日 (土)

音楽備忘録527 パートのリズム調節⑮

ではではこれも恒例の前回補遺として、慣れとテンポの感じ方についてのひとくさりから行っとこう。
例に依って個人差の激しい方の案件だが、傾向ってのは一応あるのよ。

性格次第で心配する度合いにゃ大差もあろうが、なるべく「○○にしよう」と思ってたら普通は必ずそれが顔を出す。
○○の中が遅れまいだったら急がなきゃ病に、慌てまいと思やその逆のに誰でも掛ってしまうもんだ。

人の心としては寧ろそうやってバランスを取ろうとなる方が健全で、あまりにもそれが稀だったらサイコパスなのかも知れない位だ。
だいいちそれで本当に趣旨と反対になっちゃったら、○○にしようとしたのがご破算になってまう。

故に焦点はバランスなんだが、だからって機械的に冷静なのが最適解とはならない場合も多々だ。
演ってる方のみならず聴いてる方だって、続けてる内に興奮したりとか心情変化が起きるのは自然な事。

これに関して敢えてLiveでもレコード通りに演るのを、前提条件に据えて考察してみよう。
ここで私的だが最重要と思うのはトータルの印象で、物理的にまんまってのは理屈であって生演奏の音楽じゃ無い。

弾かない人にとってテンポが例えば120か123かなんてなどうでも良く、又々例えばだが「ほらやっぱり何時も俺の鼓動の1.5倍だ」とかそんな方のがポイントだ。
これが機械のみで奏でるんだとそのまま放っといてハズしちゃうか、綿密に事前シミュレートして微修正でもしとくかだ。

更に掘っとくと出だしは予想外に静かでそのまま行くと思ってたら、歌の2番が始まったら観客が急に爆発したとかの場合だ。
そうなると演者側は一旦は必ずお客さんから遅れをとってしまうが、どれ位短期間で追い付けるかが焦点になる。

単純思考では一気にテンポを上げりゃ俺言い「恥ずかし時間」は直ちに終るが、大抵はそれをすると別の大きな副作用が働く。
お客さんが浮足立って突っ込んだとしても、マトモに聴き乍らだったら随時修正をしている。

ズレが軽い間は興奮に任せて手拍子してても、明らかにおかしくなったら自然と合せ直したりしている。
そればかりか音ってな音量でもそうだが、急変させるとそれ自体が「ドッキリ」になっちまうよね。

これの対策が音量ならFade In、テンポだったらアッチェレランド:accelerando (accel.)だ。
って正直普段使わない用語だから、お恥ずかしながらググって貼っちゃったい。😅

近年の高級なソフト・アプリ+聡明な操縦者だったら、機械でだって昔みたいに不可能じゃ無くなってるよ。
だきんども柔軟性や即応性の点で「弾いてる本人」とだと勝負にならず、勝ててせいぜい訴求力ゼロの指揮者位が関の山じゃないの?。

リアルで奏でてる方は1音単位で、次の音とどんなに短間隔でも思いのままに操れちゃう。
のが機械操縦の方ではコントローラの最高速より次の音の方が速かったら、反映は次の次の音からだ。

このコントローラには操縦者の反応迄加算されてるから乗換の多いルートみたいなもんで、生人力のは直通乗り入れってなもんだよ。
なのでプロセスの少ない方が乗り間違いの起き様も無く、付帯関係のミスだって排除される。

無論人力の方には失敗する生き物!?のお約束は付いて回るが、拍に迷ったりしない限り次の小節の迄全部が駄目になったりゃ滅多にしない。
更にⅡで滑らかさの相違もバカにならず、それは人の感覚と物理量がリニアになって無いケースが多いからだ。

これを少しでも補うために音量調節用の所謂ボリウムポット等には、わざと物理的変化量がリニアな「Bカーブ」じゃ無く「Aカーブ」なんてタイプのが使われたりしている。
具体的には最小・最大付近は大胆で、中間部はそれより慎重な変化量となる様な按配となっている。

電気物理的には上記の特性の方が、人耳の感覚では一様な変化に近く感じられるからだ。
只そんな工夫がしてあっても様々な要素のせいで、手加減無しでは必ず一定変化に聴こえる様にはなってくれない。
手間だけだったら機械依存の全自動の方が楽で確実だが、人の心や感性によりピッタリと寄り添うには環境への即応性が等もモノを言うでね。

<つづく>

2021年1月22日 (金)

音楽備忘録526 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊲

拙ブログではほぼ恒例化してっけど変に勢いが付いたんで続けちゃうが、俺言い「本来の反応」を知るのは上手に弾ける様になるには欠かせない要素だからだ。
そして魔改造のテーマなのにこんなのが顔を出すのは、今本邦だとそれが案外獲得し辛い状況にあると見えたからなのよ。

そうなった最大要因が是又当節本邦で大流行中の「分断」と読んでるが、楽器系って分野の特殊性がそれをより強めてしまったと思われる。
しかも悪い方に働くのが昔よりは全く無知識な業者が皆無になった点で、その分ユーザーの「言い分」に対する反応が却って鈍化してる感じがする。

業者自身が現役の奏者だったらその人は、単に猫の首に鈴を付けに行く役を買って出ただけ。
このパターンの典型例にはSeymour Duncanや、Floyd Rose等が該当する。

どちらも当初は既存のでは満たされなかった自身のニーズがキッカケで、言うなれば魔改造の成れの果てが結実したコースだ。
現実にそんな処迄到達出来る可能性は限り無く小さいが、散々実践を経てる点で実用性の高さは折り紙付きだ。

もう一方の流れとしては難しい注文に答えるのを生き甲斐にしてる職人みたいなパターンで、Adolph RickenbackerやLeo Fender等が該当する。
何れにも共通してるのは理論にも明るいが、ニーズ次第じゃそれに逆らう覚悟も持ってた処か。

ここでの理論とは単なる工学・音響・電気・電子等の事で、一見逆らった様でも彼等の手法が今となっては楽器音響とか楽器電子回路としてはメソッド且つ正論と看做せる。
Duncan作のPUは使用者にとっちゃHighgainが便利だが、正調音響理論からしたらわざわざ過大入力させるんだから邪道だ。

尤も熟考してみりゃかつての理論には楽器ニーズのノウハウが希薄・不足で、本来技術はニーズに応じて最適なのを選択採用して然るべき物だわね。
それが誰でも何らかの形で「聴く」のはあっても必ずしも皆が弾きはしないんで、その方面のだけ遅れちゃってたのが実情だろう。

そんな具合だからもし「新たな独自のニーズ」が生じた際、それを既に満たせる道具は存在してない方が当り前なのだ。
そもそも金管楽器に負けない音量を出せる様にしたくて、エレキは発案された様なもんだ。

その本筋は今は所謂エレアコ系統として昇華されて、寧ろ独自文化としてのニーズの方に重心は移動している。
この様に現時点では今の位置にある重心も、将来的には又違った方向へ移動しても半ば当然だ。

なので俺や貴方がやらなくても、こんな事情で魔改造は未来永劫この世から無くす事は出来ないと思われる。
のでどうせそうなら全く知らんよりゃ少しでも知ってた方が近道かもってもんで、但しそれにはベーシックを一定以上に先に知っとく必要がある。

物の表裏を判別するのにどっちかだけでも先に知れないと難儀するが、楽器の場合は奏法に影響する可能性が高いので王道を先とするのがお勧めなのだ。
独自の変態奏法とかを俺はかなり好む口だが、それだって普通を先に良く知っとか無いと残念な結果に至る率が上がっちまう。

いや寧ろ人と違えたければこそ、誰か1人でも既に演ってるのが居るかどうかが大問題になるからねえ。
と大分遠回りした処で元へ戻して行くが、最近個人的に気にしてるのがBassのピック弾き時の音色の「弾け感」だ。

デフォの厚さが増す程これは得られにくくなってるが、ピックのみならずそれがAmpの方へも波及してるのが心配だ。
近年主流のでは指弾きやスラップのでさえタッチ感をコンプに過依存気味で、このままの方向へもっと進むなら最早人力で処理する価値が無くなりそうだからだ。

<つづく>

2021年1月21日 (木)

音楽備忘録525 パートのリズム調節⑭

許容範囲内なら適当に散らばっても良いったって、下手にアカデミックに意識しちゃ巧く演るのは厳しい。
そんなやり方だと不可能じゃ無いにしても、調整すべきパラメータが多くなり過ぎてご苦労さんだ。

それと予め決めた通りにする時ゃ何とかなったとして、思い付いて瞬時に加減しようとしたら間に合わなくなるのが多くなっちゃう。
それを避けるにゃ結局は感性(若しくは感覚)に頼るしか無いが、実質的に負担と感じられるのは精神力の消耗戦と考えるのが良いと思う。

誰でも一寸はだらけたとかシャキッとしたフリは出来ると思うが、それを音に明確に反映させるには例えば忍耐力等が要求される。
もっと具体化させりゃ「俺が誰よりも遅く鳴らすんじゃいっ」みたいなので、これには失敗すると独りだけ遅れてそれが思いっ切り目立っちゃうってリスクがある。

万一異常に意思とか我の強いのが集まってると、最悪はテンポ自体がどんどん遅くなるかも知れない。
けれど大抵は悪目立ちの方を嫌がるし、テンポって暫く演り続けてると慣れ等で速度感覚が鈍るもんだ。

これが大変な位速い設定のだったら、それ以上になるとしたら概述の例外ケース位しか無い。(極若き日々の従兄の…)
だが余裕の持てるのから遅い側だと、幾ら何でも遅すぎたんじゃなんて錯覚し易くなる。

なのでアンサンブル内の誰か独りだけでも良いからその場の雰囲気に動じない様なのが居ないと、大抵は速まる方へシフトしてくもんだ。(ナチュラルな範囲内なら一向に構わないけど)
っと後もう1つだけどんどん遅くなり易いのがあったが、泥酔とか薬物で麻痺してたりしたらあり得たわ。

ここで一寸釘刺しとくが、そんなヘベレケになって上手く行くのは偶然しか無いんだからなっと。
何せ本人意識と実際出せてる音は、感覚異常でちっとも一致しちゃ居ないんだからさ。

例に依って一部の方々には大変失礼になるやもだが、泥酔して演ったのが凄く良く感じられたとしたらそれは聴き手もアル中・薬中の疑いが高い。
いやそんな事ぁねえ俺は素面で聴いてらぁってんなら、そりゃ殆どは奏者の演技力とかに騙されてるだけなんだよ。

相手がプロの「表現者」となりゃ誇張や拡大もお手の物で、全く素面じゃ無いにしても実際より増幅させる能力があるですよ。
極例を提示しときゃ「オラ~ぁわ死んじまっただ~ぁ」って、現生に生きてる人に聴こえるのは一部例外を除き生きてる人の歌声だからねぇ。

幾ら幽霊が歌った方が説得力があるったって、霊媒師とかじゃないと死人の声は聴こえない。
となると残された選択肢は「死んだフリが上手い奴」ってなもんで、これは酔いだろうとトリップだろうとどれでも一緒で御座居ます。

はそれとして先ずは「重さを追及した」場合で綴ってくが、これを分かり易くするにはテンポが速過ぎたら苦しい。
勿論テンポ自体の勢いで中和されちまうってのもあるが、最大要因は加減可能巾が狭くなるからだ。

だがしかし重い競争は一歩間違えば遅刻自慢になり兼ねないから、アンサンブルの全員が目指すのが最適とも言えない。
そんじゃどーしろってば、役割分担を考えるのだ。
アンサンブル内で一等重さが不要なパートの者が、遅れない様に周囲に惑わされず引っ張れば良い。

これにはテンポの他にも大きな意味があり、牽引者以外の重さを強調するって重要な任務だ。
概述随時吠えだが「音楽は比較芸術」であるから、比べる対象はあるに越した事がないのだ。

そもそも「重さって何だっ」を考えると分かって来るんだが、普通それを比べるのに他の曲と例えば5秒ずつ交互になんてのは困難だ。
それが出来るのは一端のDJ野郎位で、腕の他に専用機材も無きゃでしょ。

となるとⅡで感覚では「他のより」でも、それを発見出来たのはアンサンブル内の他のとの落差の大きさなんじないかい!?。
殆どは「今聴こえてるのの中だけ」から感じられたのが、印象の素になってるんですよ。

<つづく>

2021年1月20日 (水)

音楽備忘録524 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊱

前回のには実はまだ続きがあるんだが、それはAmp Headとスピーカの関係だ。
楽器本体とAmpの組合せ次第で音色の他反応だって違って来るが、それがHeadとスピーカの組合せの間にはもっとあるからなのだ。

そしてこれはオーディオ用途のとは別の問題も内包してるんだが、それは楽器として意図的に付けられてる癖等があるからだ。
オーディオの場合は基本がリニアなのでよっぽどいい加減なのじゃ無かったら、足りなきゃ盛る余ったら削ればある程度補填が可能。

そうなるのは全部そのまま出そうとしたけど、何らかの理由で少し御免なさいになってしまったとかだからだ。
つまりどの段階の装置も基本的な方向性は一致してるから、加減だけでどうにか持って行けるんですよ。

処が楽器用と来たら音響的には平気で矛盾した組合せなんかにもなってたりして、折角Headではワイドレンジになってるのをわざとスピーカで狭めたりなんてのが日常茶飯事なのだ。
何故そんな奇妙なのをわざわざやらかしたってば、例えばワイド+ナローとナロー+ナローでは反応が大きく異なって来るからだ。

Bass用であってもエレキのAmp Headの特性って、実はかなり高域が
ブーストされている。
これは電磁Pickupの性質が根源でこれに対して逆にしてるんだが、低音がGuitar用のより欲しいのに妙な了見だ。

実状はGuitar用のよりゃ控え目になってるのも多いが、それでもオーディオ用のと比べたら随分シャリシャリなのだ。
そうなった大元は開発当時のスピーカユニットの性能や、コストとかサイズ等の事情もあったかも知れない。

だがLine録り再現以外の目的で例えばツィータ等を追加しても、あの「エレキBassの音」には結局なってくれなかった。
実際過去から今に至る迄これへ挑戦したのも数多だが、どれ1つとして「普通のBass Ampの音」を達成出来た物が存在していない。

近年のではBass用エンクロージャだとツィータの付加されてるのも多いが、名称はオーディオ用のと同じでも実際の担当周波数帯域はもっと低くなっている。
加えてそれ等には使い方に制限が付いてると言っても良く、Ampのパワー段では基本的に歪ませない前提だ。

概述だがここでの歪みとは露骨にそれと分かる音色になる様な深いのじゃ無く、やれパワーコンプレッションだのリッチクリーンだの色んな呼称があるがその類のだ。
これがLine録りの際はパワー段が無いから他の手段で補填しなきゃなんなくなるが、それがコンプだの何だのと幾らも実質は再現出来ないが代用されている。

尤もLiveでもそんな偽物が主流化したのにも事情があり、それが適正音量の選択自由度の問題だ。
因みに半導体パワー段だったら細かい刻みの設計も少しは可能だが、ボリウムツマミだけで自在に設定出来るのには程遠い。

けれどLiveでは何時もこの為に妥協してたとしても、マトモなプロであれば敢えて俺言いとしとくが「本物の方で弾き方を覚えてる」のだ。
ClassicのPianoを正式に習っててある段階に到達して、先生からそろそろデジタルは止めて生にしなさいと言われて疑問に思ったりゃ普通誰もしないよねぇ。

経済面や環境面でホトホト困窮したりは大いにあるだろうけど、昔のをちゃんと覚えるのに今のでとか違うのの方が良いなんて思う様じゃ変だもんねぇ。
そりゃもし発表会本番がデジタルPianoだってんなら未だしもだけど、そんな安っぽいのだったら何処の親が高い費用を払うかっての。

わこの辺で引込めといてどの楽器でも高級・低級の影響だってあるけれど、それ以上に「別物」じゃあ練習にならない部分が増えちゃって非効率になるでしょ。
幾らお手軽で世間の理解度がClassic系のより低目ったって、エレキだけ偽物Ampでも練習出来るって話しになっちゃうのは変や

<つづく>

2021年1月19日 (火)

音楽備忘録523 パートのリズム調節⑬

今回は前回より掘って本格派を目指すのについて書いてくが、物理解析が困難なリズムのはどう対処してるのかについてだ。
それ等はもう感覚的に捉えて習慣的に身につけてくしかないのは明白だが、それに依ってメトロノームを常用出来るのとの間がどんどん乖離して行っている。

流行とかご時勢ってのがあるんで今はその手のがマイナー化するのは已むを得ないかもだが、人力なのに機械的(正しくは「ぽい」「ぶりっ子」後者は死語だったか😅)な方にだけ頑張るなんてな特攻隊へ志願する様なもんだ。
前回述の如くその方面では最初から人間ぽっちが機械に敵う筈も無く、極端に言や機械が壊れた時の「代奏要員」にわざわざ身を落そうとしてるとも看做せる。

そう云うのが好きな人に駄目出しする気は無いけれど、もしアナタがイケメンや美人で無いのならそんなだと徒労に終わる可能性が高いのだけ示唆させて貰っとこう。
音が大体同じ迄漕ぎ付けられたとして人の方に分があるとしたら、それは視覚的優位等だ。

だから例えばそれがRapのDrummer
だったら毎度の変態比喩ではあるが、例えばRolandのTR-808より格好良く無かったならその時点で敗北決定だ
って機械と人の容姿を比べて優劣を付けるってのも妙だけど、それっぽさで負ける様ではお話しにならない。

俺個人としては大して容姿には恵まれて無い方なんで、音楽でこの要素率が高まるのは有り難く無い。
が、音楽でも動画から入るのが普通となりゃ文句を言うだけじゃ始まらない。
画が目から音と同時に入って来るからには、そこから連想されるイメージはどうにも無視出来ないもんね。

只そんな本邦の現状では名前は音楽なままでも実態はもう違ってて、そんなメジャー系のは「モデル業の新業態」と捉えといた方が相応しい。
そんじゃ俺を筆頭にそう云う資質を持って無いのは諦めるしか無いかったら間違いで、どんなに当りが出ても昔みたいに売れはしないだろうけどね。

その残された道がハイブリッドノリなんかで、機械や容姿だけでは実現するのがとっても困難だからだ。
特に機械の方だと絶望的で容姿の方だったら、例えば凄い貴公子が正反対の酷く下世話なのを演っちゃうなんて余地がまだ少しはある。

んでこんなのを「リズム調整」の項内に記してるのは、複数人居た場合大抵は人に依って適正差があるからだ。
視覚面では全員がイケメンとか美人の方が目立ちはするが、その時点で最高峰でも明日にはもっと綺麗なのが登場するかも知れない。

それからするとキムタク級の人ならずっとビジュアル担当でも持ちそうだけど、幾ら集団パワーだなんて言ってもそれ以下の者迄そんな気構えでいるのは危険だ。
って事ぁ余程の幸運な偶然じゃ無い限り例えビジュアルに恵まれた集団でも、本当に一般論の格好の良さだけを追及してたんじゃ幾らも持たないって訳ね。

これはノリの良さやリズムの正確さの面でも同様で、滅多に全員がリズムのあらゆる面で拮抗するなんて事ぁ無いわ。
これの例として又Beatlesじゃ食傷気味かもだが、分かり易さで突出してるんで我慢しとくれ。

Beatlesのグループ内で比較するとJohn Lennonのリズムだけ何とも怪しげだが、彼だってBeatles以外の人と比べたらホントは正確さだって飛び抜けてるんだ。
只他の3人があんまり凄いもんだからそれにも配慮して、JohnはわざとJoker役を買って出てるのだ。

これの効能はバカ真面目は安心感は最大だが面白味に乏しいってのの解消で、だから低レベルの集団が安易に真似しても単にゴチャってリズムが崩壊する。
けれどアンサンブルとして成立する範囲内でなら、誰か1人だけ一寸刻みが違っても平気だったりする部分だけは誰にでもすぐに取り入れられる。

これが優れてるのには決まった形が無い処で、纏めて聴ける範囲内だったらどんなズレ方をしてても構わないのだ。
黎明期Rockのだって今聴くから8Beat+Swingなのであって、登場当時にそんなのは唯の変態だったのだ。

変態だったからこそまさか何とかなるなんて思えなくて、それ迄中々誰も試してもみなかったんだろうからさ。
そこ迄の発明となると一寸やそっとじゃ行かないが、「個性を内包・許容する」って点じゃ無いと困る現象でもある。

それが実用になるのにはそれなりの時間が掛ったりもするが、だからって機械の物真似の方が見込みがあるなんて事ぁ無い。
「どうだいかなり機械に迫ってて凄いでしょ」なんたって、そんなの極一部のヲタにしか興味の対象にならないのは分かるよねえ。

<つづく>

2021年1月18日 (月)

音楽備忘録522 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉟

現代基準だとAmpのGuitar・Bass兼用は疑問視されそうだが、楽器としての原設計はBass Guitarだったのだ。
尤もその太古の基準に則っても必要再生帯域の都合で、一方通行気味にはなってたが。(Guitar用に作るとBassには低域が足りなくなり易い)

近頃のBassはLine録りやアクティブタイプ等でよりオーディオ的Hi-Fiへ近付いたのも増えたから、それを再現するには最早楽器AmpなんかよりPA等の方が向いてる位だ。
けれどエレキBassらしさとなるとそれ等は高音質でもらしさに乏しく、使用楽器の個性もかなり薄まってしまうもんだ。

現代ではAmpレスでも鳴らせる様になったからか、視覚的にもより本体だけが目立つ様になっている。
でも電気楽器って実際は本体とAmpの「半々」で成立してるもんなんで、今からしたら低性能で変な癖が強くてもその要素も本来は不可欠なのだ。

現代本邦では住宅事情等から已む無き面も多いけれど、だからって軽視し過ぎるのは本末転倒なんですよ。
実際音量は幾らも要らん処か出過ぎない方が安心だけど、スピーカのサイズはケチっちゃどうにもイカンのです。

それって部屋が狭いからミニGuitarにしようなんてのと一緒で、そんなら鍵盤に始まりタンスでもベッドでも皆縮小サイズのにしなきゃ不公平ちゃうか!?。
車も迷わず軽・自転車はミニサイクル、ついでにメタボ防止で食事の回数も量も減らしましょうなんてな。

ほんだらおやつとか酒なんてもっての他だし…なんてったらオーバーに思えるだろうけど、Bass Ampのスピーカがもし16cmのだったらそんなもんなのよ。
或はそんな不適合サイズのは、アベノスピーカとでも言っちまおうか(おぉっと失礼)。

けどそんなん言われたって邪魔なんだからはご尤も、そしたらもうAmp自体を諦めたって同じ!?。
いえいえ例え最大出力0.1Wでも結構ですから、Bassなら最低30cm以上の「スピーカからの音」でお願いしますよ。

それでも増幅素子が真空管じゃ無いのを、泣く泣く許してなんですからね。
これ俺の独断とかじゃ全く無くって、単に原設計がそうなっちゃってるからなのよ。

とは云え色んな理由でそれが無理な際の補填策も披露しとくと、拙ブログ過去記事の「スピーカ低音補正の仕方」みたいなのが必要になって来やす。
但しオーディオのと違うのはパワーAmpが「絶対に歪ませられなくなる」処で、その分は本来の適正Amp(スピーカ)の時と違っちゃうんだけどね。

今からしたら変な考え方だけど楽器Ampとかそれを使う電気楽器って、露骨じゃ無くても多少は歪む前提で設計されちゃっとるんですわ。
当時の機器水準がその根底にあって、オーディオ=加工済みに対して無加工・対機器無忖度状態の楽器では無歪状態を維持するのなんて殆ど無理だったからだ。

そこで奇抜なお勧めだが、スピーカ部だけプチDIYしてみるのなんかも初心者にはハードルが低くて良さげ。
スピーカユニットはどうせヲタでも先ず自作なんか出来んから買わなきゃなんないが、耐入力が低くて良きゃ中古だとかなりお安い。

箱(エンクロージャ)も音量出さないから立派な必要も無くなるし、密閉型じゃ無く後面開放型でも充分だ。
バッフル板(ユニットが付く板)だけはある程度しっかりして無きゃなんないし、大穴も開けなきゃなんないけどそれは以下の手で楽したりも出来る。

普通の家にバッフル向きの板なんてありゃしないから買に行く事になるが、大型DIY店だったら切断サービスやってるからそれで済ませちゃえ。
そうすっと周り4辺の板枠だけどっかから拝借出来りゃ良く、超魔活用するなら不要家具とかからでも全然へっちゃらだ。

俺がやってる様な¥0とは経済的に程遠いが、工具類はせいぜいハンダとそのコテを持って無きゃ買う程度で済ませられる。
因みにDIYせずに手頃な中古を探すのも良いが、重さと大きさの面でオーバースペックとなり易い。

加えて条件的に合致する中古となると大昔の怪しげな国産のが主体となるが、メーカ側が知識不足で見掛け倒しなのも多かったから選定が一寸難しくなる。
サイズが正規でもちっとも低音が出なかったりとかするんで、それだと幾ら廉価でもこの目的には合致しないんで。

<つづく>

2021年1月17日 (日)

音楽備忘録521 パートのリズム調節⑫

前回後部で必ずしも全員が本格派のノリじゃ無くてもと書いたが、そう云うのは一面でノリのハイブリッドとも看做せる。
これが近年はClick常用や機械の頻用もあってか廃れ気味だが、面白味が足りないと幾ら分かり易くてもその意義が薄れるのも確かだ。

処で上記ノリのハイブリッドの具体例としては、黎明期のRock’n’Rollは典型的だ。
これは概述だが「始めた人」以外はCountryやJazz等、それより前からあったジャンルしか演って無かったからだ。

なので今からしたらちょっと笑っちゃうかもだが、Guitar Vocalだけ8Beatで他は全部しっかりSwingしちゃってたりとか。
単なる偶然でしか無いにせよそれが原典に違いは無いんで、Rockはノリのハイブリッドの原点の1つだったとも考えられる。

対して私的にはEric Claptonのレゲエの大半は、本件では該当しないと考えられる。
それは曲やフレーズはほぼレゲエそのものだが、ノリ→リズムの刻みのタイミング自体は全く8Beat系(Shuffle含む)になってたからだ。

それだって1つの手法として大いに価値はあり、その後何でも強引に!?Disco Beatに乗せちゃうのなんかがシリーズ化して少し流行った事もあったっけ。
けど今回のお題とは逆から攻めたパターンで、こっちのは機械だけでも再現し易い処に差異がある。

何れにしても状況次第でアンサンブル内の誰か1人だけ刻みが違っても、平気な事があるのはこれで明らかになったと言え様。
当然何でも合う訳じゃ無いからそれなりに研究は要すが、これはアンサンブルの個性を編曲に頼らずに得られる手段としてかなり貴重だ。

これに関し現代で配慮の要りそうなのがClick使用時で、Clickに「細かい音符」を何処迄鳴らさせるかである。
正確さもだが全体の流れの掴み易さとしては、例えばそれが8Beatだったら裏の16迄鳴らしといた方が良い。

だがそれで裏のタイミング迄指定しちまうとどれかだけホントはSwingして平気だったとして、それを意図が無くても抑止しちまう可能性があるのよ。
それからすると練習時は細かく鳴らし本番時は粗く(少なく)鳴らせばとなるが、本番と明らかに違っては練習の成果が下がってしまいそうだ。

これって太鼓の訓練をするのに何か細かい方が良いなと感じて、従兄とかに訊いてみたらそっちの方が良いってなってたんだよね。
尤も録音する曲の練習時にそのままで良いかは未だ訊いて無く、本番がハイブリッドノリになるヤツは粗くしとけって言われるかも知れない。

しかしそうだとすればもうこの時点で2種類の練習方法が要る事となり、メトロノーム(Click)に過依存するのは宜しく無いってなるねぇ。
実際に現時点での奏者自身の精度を確認するにはメトロノームは重要だけど、飽く迄自身の感覚の傾向を知るのが基本的な目的と思っとくのが良い様だ。

クドイけど物理的安定度とか正確さでは機械演奏に人は及べないんだから、仮に追及するとしてもそれが「音楽的正確さ」じゃないとね。
少なくとも現行の機械には未だAIは非搭載なので、曲毎のベストタイミングって微調整を出来ないのが人間様に無い敵の!?弱点なのだ。

もし最低限のアンサンブルを組める頭数が揃ってるんなら、今はコロナで難しいけどそっちの研究に時間を費やした方が「人力」としては有効性が高い。
最近は人力がボカロに負けたりしてるけど、こんな側面が影響してそうだから勿体無い話しだよ。

<つづく>

2021年1月16日 (土)

音楽備忘録520 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉞

魔改造を延々続けてるのは自慢も皆無とは言えないしそれが日常だからとかだが、誠に勝手乍らささやかでも「啓蒙」に繋がればと思ってるのが本音だ。
一体何のってったら「自分の使う道具への意識」で、必ずしもそんなに深い必要は無いが全く忘れてたりしたら損するからなのだ。

例えば簡単に可能になる物が法外価格で売られてたとして、誤って買っちまうのを防止したりも出来る様になる。
実際に作らなくたって書かれてる内容が幾らも分からなくたって、合計で幾ら掛りましただけなら誰にだって分かるでしょう。

それと例えばたった30分で出来ちゃったとかそう云う記述から、少しは技術的難易度とかも想像は出来る筈だ。
知らない分からない事が多いと読むのを嫌がる人が多くなってるが、知ってる分かるのだけだったら読む迄も無いとも考えられるよね。

実際親友から「難しいからゴメン」なんて言われていも居るんだけど、だからって超有名を目指してもそっちの才能は無いんでさ。
なるべく常に分かり易くとは思ってるんだけど、そこは勘弁して下せー。

さて前回の続きでもあるけど、極力買わなくなったのには金欠の他にも自分なりには理由があるのだ。
それは全く無いのを最優先にしようってので、特に作れないのだったら買わなきゃ全く使えないからだ。

楽器用真空管Ampで例示してくと現状で、一応3大出力管のは何らかの形で既に持っている。
その3大とは6L6・EL34(6CA7)・6550ってのの事で、基本的な音色傾向にそれなりの相違がある。

この内2番目のEL○○って系統のはKT○○とかECC○○ってのと同様、発祥が欧州で他の2つと比べると甘い目な音色を持っている。
電気楽器の出力用としては上記3大の順番にポピュラーで、細かく掘ればかなりもっと幾らでもあるが最低限の傾向を体感するには取敢えずこの3種類があればって感じだ。

チョイ久々でそれを楽器用スピーカブランドに当て嵌めるとしたら、6L6をEminenceとすればEL34がCELESTIONで6550はJBLって感じだろうか。
Micだったら6L6がShureでEL34はAKG、6550はElectro-Voice辺りか。

家でそうなったのは半分偶然で残りは意図的にだったが、初めてのマトモなAmpの時点で既にGuitarとBassの二刀流だったのが大きかったのかも知れない。
要するに少なくとも臨時でなら両方へ使えるのを探したからで、大昔の貧民素人軍団だとたった1台へ何でも全部繋いじゃってなんてのも珍しく無かったのに端を発している。

流石に最近ではそんなの見掛なくなって来てるが、業務用のだと’70年代頃迄のにはそう云う想定を含めた設計がされてるのの方が多かった。
その一番簡単な見分け方としては入力が2系統あったら、普通ならNormalとBrightなのがNormalとBassなんて書いてあるのがそれだ。

って現代基準だとHi Gain・Normal Gainか、Passive・Activeの方がもう多数派だろうけど…。😓
もしかしたら今本邦で忘れ去られてそうなのでこれを提示しとくが、何と「Bass AmpのNormal」なのにそれがBass用じゃ無いのだ。

当時は皆が分り切ってたからかカタログにその旨の記載が無いのも多く、歴史や文化・慣習もセットで知って無いと気付けないのの1例だ。
ついでで付記しとくとどっちかってば昔の英国では頭は全く一緒で、組合わせるスピーカやエンクロージャだけ変えて○○用なんてしてるのも多かった。

宅の初号機のFender Bandmaster ReverbはEffect欲しさにほぼGuitar用だが、出力の割に無駄に大きいエンクロージャは並のベーアンより低音の量が
多い。
ってもローエンドは本格的なのよりゃお寂しやだが、当時持ってて壊しちゃった国産の石の素人用のよりゃそれでも随分らしい音色がしたもんだ。

その後2号機の時になってBassの本チャンのが無かったのの他、Drumと合奏時に初号機ではBassが音量不足だったので今度はMusic ManのHD-130の3段積になった。
ホントはオールチューブが欲しかったが時期が’80年代後半で、その頃はBass用となると中古でも価格的にそれで限界だった。

実はこれを選んだ時点では杜撰大王ですからGuitarに使えるのなんて全然意図して無かったが、Normalの方へBassを繋いでみたら全然低音が薄くて使えねーでやんの。
しからばと物試でGuitarを繋いでみたら丸っきりそのものでは無かったけど、’70年代のEric ClaptonやJohnny Winterみたいな音が出たのよ。

<つづく>

2021年1月15日 (金)

音楽備忘録519 パートのリズム調節⑪

前回最後の続きから行くが、じゃあメンツに恵まれなかったらそんなに我慢ばっかしなきゃなんないのかだ。
一面ではその通りで、それが嫌で他パートにも触手を伸ばすなんてケースもある。

尤も「だったら俺に貸してみろ」はまだ良いケースで、万一自分の要望が間違ってたらそれを実体験で知れるからね。
最悪なのは他パートに対して知りもせず良く訊きもせず、他所では「そんな感じ」のが実現してるのになんて決め付ける奴だ。

これには2つの大きな瑕疵があって1つ目は伝え方、2つ目は思い通りにならない原因がホントに相手にあるのかどうかだ。
1つ目は専門外なんだったら「こう弾け・ああ叩け」じゃ無く、「誰それの何々(曲名)みたいにして」って言わないのが悪い。

時に演り方自体を指示してるのを耳目にする事もあろうが、それは相手が「何々風にする術を知らなかった」場合にヒントを出してるだけだかんね。
2つ目が最も恥をかき兼ねないパターンで仮に相手の方が影響が大きかったとしても、手伝ってくれとか協力依頼をするんでも充分なんだから。

こんなん言っといて俺はどっちかってばすぐ熱くなる方だし、強い表現を使いたがる口ではある。
なのでギリギリで命令にならずお願いだったとしても、相手が受ける精神的負担は命令したのと大差無い可能性が高い。

それでもホントに命じちゃうかどうかでは、最終的には結果に大きな違いが出るのだ。
状況次第でもあるけれど、やはり多くの場合全員が同じビジョンを持てるかどうかが重大だ。

と言っても他人の心の内部を直接比較なんて出来ないから、同じったって実際は「つもり」位に思っとく方が良いかも。
けどたればこそ意識する度合いが同程度だとか、せめて外から判別可能な部分位はなるべく揃えときたいものだ。

それには受け身だけでは大抵足りず、各自が自ら進んで取り組む様な状況が相応しい。
更にこれを具体化するには頭を使うのがたった1人では駄目で、程度差は度外視しても良いから全員が少しは皆考えている事が鍵になって来る。

ピッタリ揃うのだけへ拘れば、それはもう全てを独りで賄うのが一番だ。
俺が何でも演る様になったのも、元は個人の理想を具体化してみたかったのが発端だった。

今でもそれを破棄しちゃ居ないが、揃う代わりの弱点てのが演ってみてからコンニチハした。
それはウッカリ何かを失念した際、それが最後迄絶対に修正・補填されない処だ。

しかも誰でも気付けそうな些細なのが多く、しかし大事故には繋がらないからこそ見落とし易い。
総体的には些細なんだからダメージは少ないが、なまじ「ピッタリ」なだけにそんなのでもやたらと目立って足を引っ張られるのだ。

結局は曲等のニーズ次第で個人で攻めるかチームで行くか選ぶのが良いだろうが、全箇所のタイミングが完全に揃ってる方が良いなんてのは滅多に無い様だ。
普通誰だってズレない様に気を付けるしそれで間違って無いが、揃ってるのが他の何より最高なら今時生演奏なんて必要最低限になって無きゃおかしいよね。

勿論全く全部がずっとバラバラじゃ訳分かんなくて駄目だけど、揃う以外にも重要なファクタがある証しが未だの人力アンサンブルなのだ。
それが例えばパートに依って若干ノリが違うとかで、これは特にポピュラリティや親和性に対して効力が大きい。

例えばⅡで民謡風なら誰でも受容れられるが、本格的過ぎたら合わない人には辛いとかだ。
聴き込んで行くと各自の波長から乖離し過ぎてなきゃ本物の方が味わい深いが、いきなりだと面喰ってトラウマになったりもする。

日本人って外国語ってだけで極度に尻込みしたりするけど、それでもそれがまだ英語だったらイエスノーとかアイラブユー位は大抵誰でも一応分かるよね。
それからすると他国の人は勇敢ではあるが、彼等だって何1つ知ってるのが無かったら流石に戸惑うだろうから。

<つづく>

2021年1月14日 (木)

音楽備忘録518 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉝

今更も良い処だが魔改造って一筋縄で行かない覚悟は要るが、他の方法よりゃ応用が利くのはハッキリしている
特に廃品だけで構築したんなら最悪時は、分解して只の部品へ戻しゃ…ってのは極端な場合だ。

自由な程自己責任だし拠り所が無い不安は伴うが、ある程度初期想定段階で「巾を持たせ」とけば滅多に丸々作り直す様な目には遭わなくて済む。
そんな考え方の根底には極小化の仕方なんかも大きくて、ホントに極限迄小型化したいなら現代では自前はほぼ選外なのだ。

何しろ半導体全盛の世の中で、大メーカ程集積度の高い部品からこしらえられる。
この部分は個人や弱小ではどうにもならなく、単に小ささだけを求めるなら探して買うのが一番だ。

但しその論法が通用するにはかなりの量産品って条件が付いてて、開発費用の大きさがその原因にある。
ここで扱う様な世間からしたら希少なのはそこから漏れるのが多く、なので例に依って挑戦者が居たら尊敬はするがスマホを自作したらなんては口が裂けたって俺は言わないよ。

又しても余談に走っちゃうけど、最近の超小型Bass用Head Ampに実用上の不便も感じられる。
持運びや設置場所の自由度は実に素晴らしいが、小さ過ぎるが故の弱点もかなり気になってしまった。

それは少し離れた場所からだとセッティング状態の視認が困難な処で、齢取って視力が落ちたからだろうなんて言ってるのは何処のどいつだい?。
いや正直かなり衰えてるけど老眼なんで、疲れて無い時なら😓遠くは若い頃より寧ろ鮮明に見えちゃうんだ。

それでもツマミの付いてるパネルが小さ過ぎりゃどうしようも無く、セッティングが固定で全部賄える人だったら不便しなさそうだけどね。
これからすると張りボテ状態ったら変テコだけど、軽くて小さいったってツマミの並んでる処はもう少し広い方が使い勝手が良いんですよ。

してどっかがこれからそんなの出すかもだが、小さい材でも作れる物をわざわざ大き目にしてその分高価格でなんてのは可能性としたら低いよね。
こう云うのだと出来るのは分かっててもニーズが少ないと作ちゃくれないんで、別に魔である必要は全く無いけど自前の価値ってか意義が大きくなるのよ。

んで一面で無駄な大きさも変更(特に追設)に対しては有益で、それを構想段階で先取りしといて例えばアレ用で駄目だったらソレ用になんて考えとくと良いのだ。
現在製作中のBass用ポータブル球プリので言うと、一部定数の変更は要るかもだが他の電気楽器への転用の他Guitar Amp用のブースタとしての兼用は当初からの構想だ。

これは休養中Guitaristからの改造修理依頼時の体験がキッカケになってて、宅には現代的なHi Gainのなんて無かったのに由来する。
要するにどの程度の増幅度で何段位あればニーズに足りるかを試すのに、手持ちAmpの前へバラックで組んだ球回路を繋いでみてたのだ。

ってのも休養君は俺以上の球信者で、仮でも石が混じってはテストとして役不足だったからだ。
俺としてはとっても意外だったんだが、例えBoosterでも球と石じゃ出て来る音が大違いだったのだ。

常にその差が現われるでも無いんで見逃してたフシはあるが、差が出る時の差がとっても大きかったんよ。
って事ぁもしBoosterが石のしか無かったら、使える範囲を凄く狭めちまうんだよね。

なので球ポタプリとは別件扱いで近い将来何れはと思ってたんだけど、個人的にはそこ迄歪ませるニーズはそんなに多く無かったから何時になるやらだったんだ。
けど直にやれる状況下でもそうかどうかは、そのままでは現物が無いからこそ不明。

加えて歪みの種類が増えて困る事は無いから、ついでで何とかなるならそれに越した事は無いなってね。
最終的に何処迄行けるかはまだ全然分かんないけど、宅に球Boosterが従兄宅にBass用プリが無いのだけは確かだしねぇ。

なんて作ってて億劫になって来て愚痴ってるのとか、いい齢して長年演って来ててそんなに何も持って無いのかよがバレバレだ。
そんな俺は例外的存在に近いのは間違いないだろうけど、体験的にはガッツリ演ってる人って意外と全部は揃って無いのが多いのも事実。

全部集められる経済活動に勤しんでたら、演る方の時間が削られるのが本邦では普通らしい。
それでも例えば生Pianoのの普及数なんかで他所と比べてみると、これでも日本って道具には割かし恵まれてるみたいだ。

それがネットでDIYのブログなんかを探すと顕著で、特に楽器系のは日本語より英語等のの方が質量共に圧倒的に多かったんだわ。
その点ではあっちの人達の方が自身で道具の事をもっと考えてるとも看做せ、それが使い方にも波及してる可能性が何しろ見過せないのだ。

<つづく>

2021年1月13日 (水)

音楽備忘録517 パートのリズム調節⑩

今回のは単独パートだけの人には賛否両論になるやもだが、個人的にはそんなのへ一石を投じさせといて頂きますよ。
マルチプレイヤの弱点や欠点は体験からも熟知してるし否定しないけど、利点の方が幾らも知られていないのは大変気になってるだす。

自分がそうだから立場を認めて欲しいとかってんじゃちっとも無くて、音楽自体の料理の仕方等に大いに関係してるからなんざんす。
言い換えたら偏りの少ないプロデュースっても良く、仮に名演を目指すにしてもその方策の最適化がもっと図れる様になるんですよ。

俺みたいに節操無く手を出してても奏者のプライドとしては、単純に演奏自体を高めたい欲は正直結構強い。
けれど「曲の都合」から眺めるとそう云うのは邪魔になる事の方が格段に多く、作編曲者やプロデューサからしたら奏者の「エゴ」でしか無い。

かと言って本邦の主流派みたく事なかれ主義が横行し過ぎては、最終的には誰に演らせても同じだし良い意味での差別化を諦めなきゃなんなくなって来る。
この件で勘違い野郎が多数派になっちまってる原因は、結局はテーマが曖昧になったりポイントが何処か分からなくなったりしてるからなのだ。

実体験から酷いプロデューサに当たった際の無い物ねだりの他、非現実的過ぎるご都合主義を強いられて難儀した事もあった。
例えば楽器を交換したり音色を切替えられる瞬間が皆無なのに、ここ迄はAでこっからはBで演ってなんてのだ。

そんなニーズが生じたら普通は2トラックに分けて別録りするもんなんだが、それを知らないのか1トラックで全部演れなんて言い張って譲らんなんて…。
これは録音テク知識に不足があるのもだろうが、結局は自分がその立場に置かれた事が無いのが一番の原因だろう。

何等の事情で夢みたいな話しを実現したくなったとして、マトモなプロデューサだったら自らが率先して試行錯誤する。
それで上手く行ったとしても自分は演奏してないから、自慢なんかしないで奏者や技師達を褒めたりしてそうだ。

だが芸能界の悪癖の「言ったもん勝ち」誘惑に負けて、本来の「裏方仕事」より自己アピールに奔走するのが後を絶たない。
それは兎も角どっちも「相手の状況の理解不足」が元凶で、今迄より正しい情報や知識が増えない限りは永遠に平行線を辿る。

そこで先ずはBeatlesを例に挙げてくが録音で残ってるのがどうであれ、彼等は全員がソロアーティストでありマルチプレイヤなのが実態だ。
要するにグループ参加以前から主役・脇役・裏方等あらゆる体験を持ってた上、加入してからも必要次第でそれをずっと続けてたのよ。

こないだ従兄のTwitterで映画の紹介かなんかがあって、その動画にメンバーの全員が夫々Drumを叩いてるシーンがあった。
Paul McCartneyのマルチぶりがやたら目立つもんだから見逃されてるのか知らんが、それ等でミソだったのはどれも単独じゃ無く「合奏シーン」だった処だ。

実際適性はあるし全員が同じ腕なんかじゃ決して無いが、合奏に支障する様なド下手は皆無だったのを強調しとこう。
って事ぁ担当決定が消去法じゃ無く試してみて、曲に一番良かったとか合うので選んでたんだってさ。
本人達の過去談話ではその時誰それが居なかったから代わりに演ったなんてのが多いが、そのままでも行ける仕上がりだったからそのまま出しちゃっただけに違いないのだ。

そうは言っても器用貧乏の弱みも散々味わって来てるからそこは微妙だが、自分以外のパートに無知過ぎてはマトモな合奏なんて絶対に出来ないからね。
これへ対処するのに大別すると2通りの方法があるが、理想としてはある程度迄他パートを「責任担当」してみるのが良い。

責任なんて付けたのは腕の良し悪しじゃ無く、例えどんなに下手でも「自分だけで何とかしなきゃいけない」って意味だ。
例えばそのパートだけの演奏から始まる曲だとか、他に頼り様が無い状況が必要だ。

或は本来の自分のパートだけで手一杯だってんなら、他パートに対しては勝手に想像なんかしないで常に担当者から聞取りをしてアンサンブルを構築してくかだ。
その際自分の希望を多少は言っても良いが、極力相手のを優先させないと危険。

相手が嫌がった際こっちは面倒だからだろうなんて勝手に思い込んだとして、本当は不可能なのかも知れないでしょ。
もっと掘りゃ例えば自分なら弾けたって、今担当してる人には無理かも知れないんだからさ。

<つづく>

2021年1月12日 (火)

音楽備忘録516 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉜

今回はお題から逸れる内容も含まれるが、年齢から来る決断の必要性とかも少々。
けど前回内容と密接にリンクしてて、それは6550真空管に依るBassサウンドがキッカケだ。

何歳迄生きてるか不明となれば、老後資金の心配は避けられない。
と同時に弾けなくなってから買いたくなる位だったら、多少失敗してでも今の内に試さないとホントに無駄になっちまう。

俺自身も含めて若い頃ならいざヤバそうな兆候が見えたら、その時になって速攻で買えば良いと思っていた。
が実際に50を超えてみると、試すのに掛る時間が昔想定してたのじゃ全然足りなさそうなのが見えて来た。

それで従兄にも死ぬ迄に必ず体験しときたいのがあったら、もう待った無しで行っちゃわないとなんてしきりに吠えてる処だ。
ここら辺で脇道だがお題へ寄せてくと現況で6550Bassサウンドを獲得可能な最短距離は、Ampeg SVTの球のヘッドを中古で入手する方法だ。

6550のは今でも複数メーカから出てはいるが、ニーズ的に少数派なんで割高だ。
って元々そもそも球自体が他のより大昔から高価だったし、そんなの使わなくても出力は足りる方が多かったんだけどさ。

それで本邦ニーズにはそぐわなさそうなのに一時期SVTはブームになったお陰で、比較的値崩れしてるみたいなのだ。
それを目の当たりにするとかなり迷うが、確証が持てない限り手を出せる身分に無いって感じなのだ。

これ迄の体験からすれば間違いは無い筈なんだが、やはり今一度試してからにしたいと思っちゃった。
とは言えコロナ禍の最中だし幾ら齢取って図々しくなれてたって、全く買わない前提で試奏させて貰う勇気は流石に湧いて来ないよ。

ってのもオリジナル仕様のスピーカを使う気が無いのも大きくて、過去の一時期には38や46cmのエンクロージャと組み合わせてたのもあったが今はもう見掛けなくなっちまった。
それだって元はSVTでも石のとの組合せの為に生まれた物らしく、「そっちに繋ぎ替えてくれ」なんて最悪の客になっちまう。

そうして日々ヤフオクの動向を眺めては溜息を吐きつつ、取敢えず製作中の球プリが完成して試す迄はと無理に言い聞かせている。
が段々効力が弱まって来て怪しくなった処で、ふっと変な方法を思い付いた。

それは魔改造の前段階にあたる「魔発想」ってなもんで、球プリが完成すると手持ちだけで試せる道があったのに気付いたのだ。
楽器PA用として昔からパワーAmpだけなら6550のを既に使ってて、それの出力をBass用エンクロージャへ繋いでみてはどうかってのだ。

全てが最初から楽器用のとは当然差があるだろうが、別面では大きなメリットがあった。
それはプリを他のへも繋いで試せるので、プリとパワーの好みを分けて体感出来そうな処だ。

本家本元のにもPre Outは付いてるが、もしパワーAmpレスにするならLine Outの方しか使えない。
そうするとパワー段へ行くのとは何らかの違いが出て当然で、結局はSVT内蔵の以外のプリが無いと「SVTのパワー段だけ」の音を正しく判定する事も出来なかったね。

運が良きゃモノホン買って繋いでハイオッケーになるやもだが、駄目だった際に次の手を打つ為の資金は減っちゃうからねぇ。
そんなこんなで魔改造の成功度を左右する要素に、その発想(アイデア)自体の質なんかが大きな影響があるのを改めて思い知った次第で御座居。

俺ん処での魔改造ってその殆どはジグソーパズル的労力が中心なんで、結果が五里霧中のままでは重い腰が上がっちゃくれない。
尤もそんじゃよっぽどスキルが無きゃ駄目かったら全然で、要は転んでも只では起きぬ状態を作っとけりゃ良いのだ。

<つづく>

2021年1月11日 (月)

音楽備忘録515 パートのリズム調節⑨

愚痴っぽいのが難点の拙ブログだが、愚痴のままで終らせないのもここの売りのつもりなんて。
録音方法以外でも従兄との間には一寸した違和感は昔からあったが、それは立場の違いから来る物だ。

俺は毎回パートが違ったりも通常運転だったが、一緒に演る時の彼は殆どがDrumだ。
前回迄に記した様にClick不使用の場合、その多くではDrumが「人力Click」の役割をせねばならない。

私的にはグループとしてのノリの共有の強固なのが理想だが、過去の達人例を眺めるとそれにも弱点や欠点がある様だ。
常に纏まってるのは良いが若干応用性が劣ってたり、癖が強過ぎて合わない合せられない物が多くなってそうだった。

それとは別に考えさせられるのが、指標としての使命と個性や表現とのバランスだ。
随時頻吠えだが一口に個性っても音楽は一面で「比較の芸術」の側面があるから、どんなに強烈でも全員が一様な個性だと案外埋もれちまうもんなのだ。

例えば「ウチは頭は絶対モタらないから」なんて言ったって、比較対象が無きゃ少なくとも「その場での明瞭な証拠」が無い。
これがウチじゃ無く俺様とか個人単位だったら、他のメンバーより常に始動が早きゃ言われなくたって誰にでも分かる。

尤も「モタらない」と解釈するか、只のせっかちと思われるかは聴き手次第だけど。
これを従兄の件に当て嵌めて考察すると、初期段階でリズムの悪い人に恵まれ過ぎたのでわってのが浮上する。

例に依ってどゆこってすかを紐解いてくと、従兄が意図的に癖を付けてもそれが理解されなかったってな…。
じゃ余計五里霧中になっちゃうから翻訳すっと、従兄「わざと突っ込みました」・他メンバー「しまった俺等遅れちゃった」なんて感じ。

なまじ従兄が最初から割と正確だったもんだから周りがすっかり過依存になっちゃって、従兄を人間では無くあたかも機械のメトロノームみたいな感覚で受けちゃったってね。
半分は暴言を承知で言っちゃうと肝心な時は何時も俺様とかがご登場だったと思うが、日常的頻度は多分そんな他力本願ピーポーの方が圧倒的に多かったんだよね。

その背景を考察すると地域格差もだがそれ以上に、当時通ってた学校の違いが結構大きい気がする。
なんて言うと偏差値とか有名無名なんて思うかもだがさに非ず、基本的な通学方法の相違に依る日常エリアの広狭ですねん。

電車やバスにある程度以上の距離に乗るのが当り前だと、その中間駅やバス停も「普段の行動範囲」に自動的に加えられる。
又途中に大きな繁華街なんかあれば、そこが大勢で活動する拠点にも自動的になり易い。

結果的に選べる相手に対しては、普段通学では労力の多い代わりに多少ご利益がありそうだったね。
又Ⅱでそうなると若干選定基準だって上がり気味となりそうで、選択肢の多い分失礼だが無理に我慢しなくても良いからね。

全体としては優劣のある様な相違じゃないけど、基準の厳しい環境下に居たら楽な所の人達よりちったぁ誰だって考えなきゃなんなくなるでしょ。
つまり「全く自身ではリズムを取ろうとしない人」だったら、多分厳しい方じゃ誰にも相手にされないだろうから。

従兄本人がこれにどの程度気付いてるか不明だけど、ずっと孤軍奮闘ばかりさせられてたら良くも悪くも堅っぽくなったって仕方ない。
もっと美しい表現にすれば、ノリとかタイミングに関して遊べる余地が無かったって。

とは言えどっちの境遇からスタートしたって最終的には、功罪相半ばなんだけどね。
俺の方では周りがしっかりしてたお陰で、数は多く無くても俺のおかしかった処が割と遅くまで残っちゃってたとか。

周りの力で俺のおかしいのを何とかしちゃってたって事なんだけど、アマなら未だしもプロはそれじゃ駄目だから。
たまたま自分でも叩いてみられる環境が得られたから助かったが、それが無かったらどうなってた事やら。

と来てみて思い出したのが強力なアンサンブル隊には、ある共通な特色があったっけね。
詳細は毎度の如く次回だが、他のも演奏出来る人の多い集団ってのがそれだ。

お互いがお互いの立場・聴こえ・目標・意識…等に少しでも理解が深いと、その分協調させ易そうなのはご理解頂けますよね。
最終的にはここはBassよりバスドラが先の方が格好良いとか、Guitarだけ思いっ切りもったえ付けた方がとかさ。

<つづく>

2021年1月10日 (日)

音楽備忘録514 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉛

魔改造ならではの半ばお約束として何かの流用の際、縮小はアリでも拡張がほぼ無しなのは仕方無い。
薄くても金属板を長く切るのは一苦労だが、綺麗に継ぎ接ぎする困難と比べたら実現性が高い。

技術的には決して拡張も不可能じゃないけど、転用・流用の価値が下がるのは無視出来ない。
各自の境遇次第でお金と時間のどっちが貴重かにかなり差はあるだろうが、「割りが悪い」にはどちらかだけで済むは含まれていない。

あまりに加工量が多いと工具の摩滅が早まったりもするんで、材料費は増えなくてもトータルコストは上昇しがちだ。
趣味として挑むなら覚悟の上でなら止めはしないが、目的の物を作るのに対して最適じゃ無いのも確かだ。

なので幾ら魔道まっしぐらでも、常に何でも買わずに居られる訳では無い。
追及すべきは費用対効果で、ホントの貧であればこそ拘らざるを得ないのだ。

けれどそんなに心配しなくても大きな買い物を避けてる限りは、そんな大規模なのなんてどうせ作れないんだから。
例に依って実体験を1つ挙げてくが、今度のは構想段階で少なくとも現状では挫折してるヤツだ。

それは手持ちBass Ampの改造なんだが、メインのじゃ無くサブのの方のグレードアップだった。
その発端は概述のAmpスピーカからの録音案件で、メインのバックロードホーンタイプよりサブの後面開放型の方が収音が楽だからだ。

このサブ君普及品の癖にスピーカのサイズと仕様だけは豪勢で、それだからこそ出力の割に場所を取られても持ち続けて来た物だ。
たかが40Wで後面開放型エンクロージャの癖に、アルミダイキャストフレームで放熱穴付きのアルミセンタキャプ付きってな代物が付いてやがった。

親友が海外移住する際に貰った当初は音色は良いが、サイズ・重量と出力の割の悪さから処遇に迷いもしたけれど…。
しかしLiveなら許せても録音となると俺の基準では難があり、それは回路が石(半導体)のである処だ。

そこで箱とスピーカユニットはそのままで、ヘッド部分を管球式に換装するのを画策してみた。
極力廉価には境遇からして至上命題ではあるが、意味のある改装にするには単に球になりゃ良いとは言えない。

そこで浮上したテーマが出力管のモデル指定で、体験からだと低域の好みは6550ってのが鍵を握ってたのだ。
この球は有名なAmpegのSVT等に使われてるが、本来は巨大出力用途の物だ。

だがサブ君搭載のユニットは当然耐入力が小さいから、一般的な回路を組んだらそれにはとても耐えられない。
球だって供給電力を減らしてやればそれで出力制限は掛けられるが、それでは音色が変っちまって俺の趣旨には合わなくなる。

かと言って普通にフル駆動させりゃたった2本で100Wを簡単に超えちまうんで、単管で所謂「シングル動作」をさせるのを思い付きはした。
単純思考では低出力な程出力トランスの価格は下がるもんだが、実際に調べてみると例外があった。

シングルなお陰で廉価になるのは25W程度迄で、40W欲しいとなると100W級プッシュプル(出力管を2本とか4本使うヤツ)より遥かに高価になっていた。
しかも楽器用は皆無でオーバースペックなオーディオヲタ様用のしか無いしで、一気に目論見は吹き飛んじゃったよ。

これ録音だけの用途に限定すれば10Wもありゃ足りはするが、上述の音質問題の他これ迄のサブとしての用途に難が出てしまう。
これ迄の使用実績では座間キャンプのオケピでのなんかが代表的で、理想的には生楽器群とバランスさせるのにホントはあと10W位余計に欲しい感じだった。

なので少しでも低出力化したら録音と練習にしか使えなくなっちゃって、それなら宅の状況では手放した方が良くなってしまう。
そんななんで実は以前にもプチパワーアップを画策した事があって、スピーカユニット自体の情報を掻き集め様としたが未だ足りるだけ得られていない。

大昔の国産マイナー機種故、前例がほぼ無いのも災いしたか。
本体にもマニュアルにもユニット自体のスペックが載って居らず、予測では60W位迄平気な筈だが保証が無いのだ。

その予測の根拠はそんなモデルも売られてたからだが、そっちもマイナーなだけに現物同士を比べる機会に乏しいし恵まれていない。
結局壊しちまったらそこも買い直さなきゃならなくなって魔改造の意義が失せるから、じっと我慢の子で当分は居るしか無くなっちまった。

<つづく>

2021年1月 9日 (土)

音楽備忘録513 パートのリズム調節⑧

前回後部で毎度乍らかなり脱線したんで戻してくが、あんな風にかき回されたらGuitarのリズムは悪化しても当然だ。
コードを追掛けるのに忙殺されたら、より良いノリなんて言ってらんないもんね。

さて良いノリとかリズムを構築するには「鳴らす前」が重要で、これは音楽以外でも皆でタイミングを取るのに「いっせぇのせっ」なんて掛け声とかあるのは知ってるよね。
とは云え合奏するとなると各個人内のいっせぇのと、メンバー間のいっせぇのの両方をこなさなくてはならなくなる。

これを手に負える様にするにはどっちかだけでも、割と無意識で出来る様に予めしておく事だろう。
これに対しパートの役割分担等の関係もあってDrummer等は、自分だけなら安定させられるのが先に必要だからそっちが得意になり易い。

一方でそれ以外のパートの多くの人は自分で叩いたり出来ないのもあって、誰かに合せる方の能力が発達し易い。
特に近年本邦ではここが考え処で、これは基準点の相違をもたらしているのだ。

俺みたいに昭和頃からやり始めた人だと、非リズムパートでもメトロノーム無しでの練習機会は多かった。
そんな際は本人に全く意識は無くっても、人間側にメトロノームの機能が少しは必要だった。

これDrummerこそメトロノームを使った訓練は必須なんだけど、Drummerが居乍ら皆でClickに合せ様とするってのは無駄だしお利口じゃ無い。
ってのも全体としては許容範囲内に収められたとして、ズレる方向が真逆になったりする可能性が増えるからだ。

未体験の人はマルチトラック録音をしてみると良いんだが、Clickと各単独パートで聴くとセーフでもClick抜きで個別パートの任意の2つだけにして聴いたらおやおやあらまぁなんてなってたりするよ。
具体的にはどゆ事でっかってったら、許容範囲には前寄りと後ろ寄りの両方があるからだよ。

実はこの処の従兄の録音で違和感を感じてるのもこれが原因で、正直過去の下手軍団で録った時のよりしっくり来ていない。
出来栄えとして大きな揺らぎやズレは今のの方が全く無いんだけど、アンサンブルとしての集団パワーが極端に減っちゃってるからかなぁ。

なんか同じフレーズでも下手軍団のは土着の民謡ぽくって、今回の方法のはそれがフュージョンとかJazzのみたいな匂いになる様な…。
従兄とは恐ろしく長年演って来てるけど、今程ノリの面で神経を使うのは初めてだ。

ずっと考えてたんだが今一寸見えたかも知れないのは、従兄は誤魔化しやズルに慣れて無いからかも知れない。
従兄曰く先に何か録ってあった方がそれに合せ易いってんだけど、俺からするとこっちが合せた方が良い様な気がすんだよね。

悪って少ないに越した事ぁねんだが、時にそんなのもプチご利益を産む事もあるんや。
例えば咄嗟の嘘とか口から出まかせって、即応性が必須だよね。

何も悪い事してなかったら不要なもんだが、それが想定外対処能力には結構響いてそうなのよ。
優れた芸術家だと変人とかが多いのってこの辺と大いに関係がありそうで、奇特な人程現実には「何故通じない」って葛藤が付いて回ってるんだろうからねぇ。

何しろ非常識だから予備知識が無くって、その分事前準備の余地が無い。
何か喋ってその反応に応じて取り繕うみたいな、そんなのちっとも褒められないけどアドリブ力は確かに付いちゃうでしょ。

とは云えⅡで今の政権の連中みたいに「ちゃんと誤魔化す」つもりも無い様なのだと無効化しちゃって、志が低過ぎとか無かったりしたら駄目よ。
又々変な事言い出してるけど、音楽って音は実像でも存在は一面でバーチャルだからさ。

どんなに影響力の強いのだって心は動かせても、人自体を乗り物みたいに移動させるなんて力は無いやね。
それからするとアカデミック過ぎても駄目、逆に全く何の裏付けの無いのも駄目ってのも当然なんだ。

従兄はちゃんと両方を持っては居るんだけど、もしかしたら適用の仕方が裏返っちゃってるのかも。
親に左利きを矯正されたりしたのがこんな処にも響いてんのかな…。

<つづく>

2021年1月 8日 (金)

音楽備忘録512 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉚

さてここからケースを魔転用する際のコツへ進めるが、今日のキーワードは「穴」だ。
その最たるのはツマミやSWの数が元のからは変わる事が多い点で、これには位置の変更も含まれて来る。

運が良い若しくは転用が秀逸だと変更は少なく済み、例えば広い間隔で3つあるのの間へ増やして5コにするなんてのは美しい。
が体験的には9割位の確率で、必ず何処かへしわ寄せが行くのが殆どだ。

そんな時大金持ちなら新調・小金持ちなら該当部分だけ新品を持って来れるが、赤貧にその道は残されて無い。
って経済だけに左右されるでも無いが、先ず考えるべきは「表面」だ。

もし元の材が穴だらけになっても部品保持に問題無いなら、表面にそれを隠す何かを追加して誤魔化す手がある。
気取った表現に置換すれば仕上げ材とか化粧パネルなんて言っても良く、目的はかなり違うが実際に多くの製品でも使われてる手法だ。

この手を用いる際追加材は低強度で構わないのが多いのもミソで、色んな面で自由度が上がる利点もある。
元のが金属の場合だと追加のにシールド効果は無くても平気となり、状況次第だが不要になった下敷きみたいなのですら候補に加えられる。

これ厳密には余計な穴は無い方が良いけれど、空中を飛ぶ電磁気は直進性に弱点があるのだ。
風や雨だったら僅かな隙間でも侵入しちまうが、電磁気→電波は近くに導電性の物があったらそっちへ吸寄せられる性質を持ってるからだ。

差し詰め誘惑に滅法弱いエロオヤジ(まさか俺??💦)みたいなもんで、キレイなお姉さんと出くわしたら絶対素通りはしないみたいな…。
今は令和だからこの辺で止めとくとして、それ故電磁シールドは膜でも良いが網で機能的には足りる事も多いのだ。

見えにくい場所にしか実例が無いのが難点だが、本体が木箱のGuitar Ampや所謂シールド線は正にそう云う状態になってるのが幾らでもある。
Ampの方は極薄金属シート若しくはテープが発展著しいんで、近年のに金網のは無くなりつつあるかも知れない。(放熱通気の為のは今回のと目的が違う)

がケーブルの方では今でもかなりな主流派で、その原因は柔軟性と変位許容だ。
元々金属は柔軟性を有してるのも多いけど、塊りの大きさ次第でそれは極端に変わっちゃうでしょ。

アルミホイルなんて紙より微風に反応したりするじゃん、そんな状況を意図的に作り易いのは板より網なんですよ。
もし2次元状態だったらどっちでも似た様なもんなんだけど、「包む」となると曲がりの内側のがつっかえ棒みたいな作用をしちまう。

それを避けるのに人間の皮膚みたくシワを付けとく方法もあるが、しかし金属にシワなんて癖を付けとくと「金属疲労」を促進させて寿命を極端に縮めちまう。
空調のダクトとかにはそんなのだってあるけれど、あれは常時曲げ伸ばしされるもんじゃないからセーフなだけ。

そこで面にせず網としとくとどんなご利益があるのってば、「横へも逃げられる」様になるからだ。
そう云う自由度を与えとくと特定箇所だけが変形するのを減らせて、その分長持ちするし曲がり癖なんも付き難くなる。

因みに高級な線材では膜若しくはシート状のも使われたりしてるが、それが完全に金属だけで出来てるのは殆ど無い。
フィルムみたいな何かの薄膜へ蒸着させたりしてて、万一金属にヒビが入ってもベースがあるお陰で泣き別れはしない様になっている。

更にそれ等の殆どはグランド(アース)ラインの伝達用に別に撚り銅線が併用されてて、両者はわざと剥き出しで接触する様に収められている。
なので線との接触が途絶えない限りは蒸着膜の途中が途切れても、線経由でシールド機能は維持される構成となっている。

これを応用すりゃ木やプラの板にだって裏面に金属の板かテープを貼ればシールド可能となるが、グランドラインと確実に繋がりを持たせるのに少し工夫が要る。
その内容は「ザグリ部…」の記事で概述なんでそっちを見て貰うとして、個人体験的には可能な際は今回述の逆パターンの方がお勧めだ。

楽器本体の場合それの音響的都合で木が必要な方が多いが、シールド機能必須の電子機器では金属ケースの方が工数や厚みが少なく済んで有利になる。
もしかしたら普段金属加工に縁遠いとそれを心配になるやもだが、金属ったって薄い板なら滑り易いの以外ではそんなに大変になったりゃせんですからね。

<つづく>

2021年1月 7日 (木)

音楽備忘録511 パートのリズム調節⑦

音程でもリズムでも本人意識と実際で、その差が大き目だったらそれ用の訓練は必須だ。
けど中々上手く行かないからってClickに逃げちゃったら、それ迄に費やした時間は浪費になっちまう。

各自により適した練習方法ってのもあるんで自分で見つけられなかったら、例えば従兄の所へ行って習うのなんかも良い。
でもそれはそれとして先に頭に置いといて欲しいのがあって、それはガイドが無い時にこそ大きく外れない様に持ってかなきゃなんない処だ。

普通だと最初はガイドとあたかも一体化する様なのを目指すだろうし、それ自体が無益じゃないのも確かだ。
けど打込みだけでも音楽が作れる今となっては、機械になら合せられるなんてな実は幾らも意味をなさなくなってるのだ。

表面的に考えりゃハイブリッド演奏に慣れてるとオファーの機会が増えそうだが、それがホントに重要だったのは「機械だけじゃ賄い切れなかった」昔の話しなんよ。
そういうオファーを出す側にとっちゃ最早オプション扱いで、試しに頼んで気に入らなかったら没にしても向こうは大して困りゃしない。

で例えばずっと機械で演ってて売れ出して今度は生でも演ってみようかとかなった時、その人達の中には何時もあった機械が無いからてんてこ舞いかも知れない。
そんな時にこそ普段「ガイド無し」で演ってる連中に真のニーズが生まれるってもんで、特にリズム楽器を担当してるならこれは重要だ。

ある程度機械と違っても他人から分かり易くて合せ易かったら、それでってぇかそれこそが良いんでゲスよ。
過去の達人グループではよく○○はメトロノームみたいなんて語られてたが、今物理的に分析すると幾らもそんなじゃ無い人も少なく無かった。

でも奏者も観客もリアルでそこに一緒に居た者に、そう感じられてたのは紛れも無い事実なのだ。
より正確な方が良いに違いないが、それより実用性が大問題なんだよね。

例え正確無比でも今何拍目なのかサッパリ分からない様なのだったら、そっちの方が遥かに困るからだ。
前回愚痴ったのなんかもそれの1例で、「大巾な予定変更を強いられる」とかが問題なのよ。

太鼓の従兄はそんな一寸独善的なの以外では、正確さや合図等は当初から結構良い口だったよ。
実際あまりにも不安定な相手だと、常に合ってるか意識しなきゃなんないから草臥れて大変だったし。

けど頼り無さそうでいて思ったよりゃマシって方が、想定外に出くわして面喰ったり手に負えなくなったりはしないで済む。
寧ろこれは安心して身を委ねられそうと感じて、油断し過ぎただけかも知んないけどさ。

そんな訳で機械より機能の多い!?過去称人間メトロノームを、「ガイド」なんて表現してみたのだ。
機能の多いってな「状況により柔軟に応じられる」部分についてで、例えば完全に皆がつっかえちゃったら「仕切り直し」しちまうとかだ。

これのし易さには役割分担等から順位があるが一般的編成だと、Drummer→Bassist→その他のパートとなるケースが多い。
混迷中での分かり易さとしては最大音量の影響が大きいから、Drum単独でテンポが見えやすいオカズなんかを入れてやる手がある。

一方で比較的単調な伴奏の途中で迷子になってる際なんかは、Bassで導入インプロを噛ましてやるのが効果的だ。
それ以外の楽器でも不可能じゃ無いんだが、問題はそれを「ガイド」と認識して貰えるかだ。

普段から自由度の高いパートだと当人は示唆したつもりが、周囲には遊びと思われてスルーされたりもするからね。
実は大昔これを悪用して、俺としては他愛も無い!?悪戯をした事もあったっけ。😅

その時はGuitarの3ピースだったんだけど、Guitarが旋律担当中は曲のコードを口でしか設定出来ないからさ。
言われたのを聴こえなかったフリして「しっかり繋がるフレーズ」で、勝手にドンドン転調させてって…。

テンポと小節数は弄らんからDrummerには無問題だし、Guitarも伴奏を聴いてから弾く分には何とかなるって意地悪なパターンだ。
昭和だったから無事なだけで令和の今やったらハラスメント認定されるだろうけど、テンポはDrumがリズムパターン等はBassが最終的なイニシアチブを有してるのの端的例にはなりそうだ。

<つづく>

2021年1月 6日 (水)

音楽備忘録510 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉙

今回は拙ブログこれ迄の流れでは敬遠気味だが、樹脂系不用品の魔活用にも触れておこう。
そして改めてそんな扱いをする理由についても、もう少し踏み込んどきまひょか。

樹脂系のだってその出所次第じゃ利用価値の低く無いのもあるが、少なくとも電子機器からの転用だとほぼ無加工で行ける時以外は概述の如く何しろ「取れ高」が悪い。
その最大原因はカスタマイズ度が高いからで、最適化率が高い分一寸でも違うのには余計向かなくなっちまうからだ。

樹脂系採用も極初期のだったら用い方自体はそれ以前のやり方を踏襲してたのもあったんで、その手のだったら割と木や金属のなんかと近似な「使い回し」も可能であった。
だが樹脂最大の利点たる「最初から一度に欲しい形で作れる」処は、部品点数を減らして組立ての手間や後の緩み等から開放される処だ。

そうなって来ると魔活用可能な範囲がとても狭くなり、特にある程度以上の「纏まった大きさ」を望むのは不可能になった。
それと樹脂系ってな強度も結構出せるっても、それには補強リブやら何やらの追加構造体が不可欠だ。

なので例えば表面は平らでも裏には変な凸凹が付いてたとか、板形状部分の厚みは不均一な方が多い位だ。
それだって加工性の高さから手を加えればどうにもならんでは無いが、上記事情もあるからそれをしたら強度が著しく落ちちゃったなんてのも…。

全く予測出来んでも無いものの材質の種類はやたらと豊富だし同じ材でも成分配合に差があってとか、結局はこっちの用途で使える形に変形させてからじゃないと行けるかどうかがハッキリしない。
それで上手く行きゃ良いんだが、散々切って削ってってやった挙句駄目だったら振り出しに戻っちまうのだ。

俺自身今でも廃プラので小細工するのもしょっちゅうだが、体験的にかなり強度は低下するのばかりだった。
もし廃プラが塊り形状のだったらそうでも無さそうだが、何処か1つでも撤去して一番豹変するのはプラだった。

これ等から結果的に小部品になら未だしも、入れ物自体に廃プラ(ケース)を活用出来たのはかなり稀だった。
強いて例外を挙げるとすりゃACアダプタのとか位で、総電力容量は元のとほぼ不変だが電圧と電流の割合が違うのにするとかって時とかかな。

電子機器と無関係にすれば工作で樹脂系板を買って使うのも今後も続くだろうけど、電子機器関係で継続するとしたら個人的には殆どユニバーサル基盤だけになるだろう。
世間の自作派ではタッパーなんかを使う例も多いけど、ずっと棚の中で使うみたいな好環境のじゃないと中身より先に寿命が来たり壊したりしそうだ。

オーディオマニアだったらそれ自体をとても丁寧に扱えるだろうが、音楽関係の機材にそれを望むのはかなり厳しい。
先ず楽器や高価なMicに絶対的優先権があるし、機器の生涯で使う場所がたった1つってのもほぼあり得ない。

単純に音を扱う機器として捉えると幾らも差は無いが、使用環境面ではオーディオと楽器系では正反対な位の違いがあるのだ。
勿論製品版・量産品では樹脂製だって良く作られてるのも沢山あるが、素人や個人が後からでは3Dプリンタでも持って無いと一体成型に出来ない。

ここからお待ちかね!?の失敗体験を少し披露しとくと、やはり加工性には優れてるので何とか持ってくれないかと思って時々試してみてはいる。
その中で一番マシなのでも変形は避けられず、単に入れ物としてそこそこ丈夫だったのでも結局は強度が足りなかった。

小さいのだとお菓子が入ってたのなんかで試したが、何故か中身が変ったらちっとも丈夫じゃなくなったりとか。
実際には多分上記の環境変化のせいなんだろうが、こっちとして特に扱いを変えたりしたつもりは無かったんだけどな。

又その気が無くても食べ物と認識するのと機器では何処かに差が出るらしく、それがお菓子の缶はあんなにベコベコでストンプのはガチガチって結果に至ってるんだろうさ。
只これって普段逆にする事なんて無いから、中々気付かれ難いのかも知れないね。

<つづく>

2021年1月 5日 (火)

音楽備忘録509 パートのリズム調節⑥

前回は当時の自分の心情に従って「常識の違い」なんて書いたけど、実際はせいぜい風土とかの違い位程度かな。
ブラック全開で吠えちゃうと正直若干の地域格差とも看做せるが、余程でない限りそんなのプロを目指すんなら圏外だ。

強いて言や情報獲得には少し差があるだろうが、簡単に知れる事だけで足りるなんてのは先ず無いのだ。
私的にリズム案件で重要と考えてるのは「度合い」みたいなので、例え今の自分がどんなに足下にも及ば無かろうと象徴的なのを目標にしないと損だ。

初心者にとっちゃ差がハッキリしてる方が違いが分かり易いし、例えばもっとFunkyにしたかったら今よりどっちへ向かえば良いのかとかさ。
もしか度が過ぎて極端なのしか出来なくなったらと心配かもだけど、人間のとは一寸違うにしてもニュートラルでは今では機械の方が遥かに上等だ。

それからすると「癖が強いのに合せ易い人」になるのが最高で、それにはどうしても「色んな相手」とのセッションは避けて通れない。
当然人数だって多い方が良いけどそれよりも、全くタイプの違う人との体験の方が大切だ。

今はコロナで厳しいが一方的なリモートより生の方が適してて、それは相手の気持ちを訊いてみたり出来るから。
加えて余程の独善者以外は「相手次第」で少しは変化するもんで、但しリアルタイム合奏で無いとこれは露呈し難い。

っと言っても現状のネットではタイムラグ面が非対応で、暫くは個人で奮闘するしか無さそうだ。
けどそれでも「どんなのと合わせてみるか」の重要性はそのまま残ってて、私的にはClickが使われてる物はこの用途ではお話しにならない。

今の時代普通の人はスマホは必ず持ってるもんだから、その方面の訓練は無料アプリのメトロノームで事足りる。
ここで諸君に問うてみたいのがLiveでのClick使用についてで、それも自分達以外に音源を鳴らしたりしない場合だ。

ハイブリッドの場合昔はテープ・今はPCとかの違いはあろうが、基本的に人が機械の方へ合せなきゃなんないのは一緒だろう。
本日のブラック第2弾としては「口パク君」には必須だが、普通は不要だったらClickは使わない筈よねえ!?。

んでその時こそ奏者の俺言い「リズム力」が問題になる訳で、仮にLiveがその人達にとってどんなにオマケでもあんまり酷いと憂き目を見るのだ。
高級な方には疎くても低級な方には自信も体験も豊富なんで吠えとくが、単に速くなり過ぎたとかじゃ済まない諸問題がにわかに出て来るのよ。

一番厄介なのだと速弾きが苦手なのにどんどん速くなっちゃう奴とかで、要するに自滅の道をひたすら邁進しちまってたとかね。
次に迷惑なのが自分は平気だからって勝手に速くする奴で、極初期の太鼓の従兄にはこの傾向があった。

件の曲はかの有名なDeep PurpleのHighway Starで、あのIan Paiceの超速Single Strokeがすぐに楽々出来ちゃったのは凄い事ではありましたよ。
けど他楽器パートでは連打じゃ無く音程の動くのが一杯あり、そうなった場合Bassが最も被害が大きかった。

本邦一般認識では只の8分音符の連弾みたいだけど、ホントに単純にずっと同じ音だけにしちゃったらRoger Gloverのフレージングじゃ無くなっちゃうんだ。
他のHard系のと彼の最大差がそこで、その象徴的なフレーズはテンポの適正範囲がかなり狭いんですわ。

Ending部分でのプチフレーズも「曲の〆」としては結構重要で、これも半ば無視されてまだ途中なのに独裁Crash鳴らされてハイお終いなんて…。
尤も従兄と俺では雛形に差もあったらしく、あっちはLive In JapanのでこっちはMachine Headのってのもあったみたいだけどさ。

強いてⅡでそんなら何で歌(従兄はVocalの方が太鼓より先だった)はStudio版かってのが突っ込み処で、こっちもハモる都合ってのが一応あったんだけどなぁ。
ってもしかしから今風に行ったら両者コミュ障だったのかも知んないけど、もし速くなっても少しだったら何とか付いて行けたんだけどね。

<つづく>

2021年1月 4日 (月)

音楽備忘録508 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉘

ちょいと初心に帰るでも無いが、魔改造の材料の基本は廃品である。(少なくとも杜撰大王流では…💦)
なんて断言する必要があるでも無いけど、俺はエコの核心って各個人レベルでのリサイクルなんじゃないかと思うんだ。

世間の全員が一切何も壊さず、ゴミ出しの分別で絶対ミスらないってんなら話は別だけどさ。
幾ら専門の所でのリサイクルを向上させたって、そこから漏れるヤツは手付かずになっちまう。

俺はレジ袋廃止に疑念があるが、実際に暴風とかで敷地内に飛来して迷い込んで来るのの量は以前とちっとも違やしない。
これがある意味ルールを厳しくするのでリサイクル率を上げる方法の、限界を示してる様に感じられる。

要は「北風と太陽」みたいなもんで、もっと廃棄作業が簡単になる方が効果があるんじゃないかってね。
例えば非現実的的な極論ではあるが、もし道路自体が全部灰皿だったら道端の吸い殻ポイ捨てっての自体が消滅するわね。

この辺で予告した本題の方へ寄せてくが、その他にも近年になる程所謂「潰しの利かない製品」がどの世界でも増えてるのは気になる処だ。
例えばちっとも深い意味も何も無いが、今これを書いてる目の前にある作り付けの木製棚は廃スピーカの箱だ。

Studio内に自作した分のはコンパネを買って来て作ったが、箱の形を維持させるのに薄目の合板はかなり不便だった。
かと言って板厚を増やすと1にコスト2に重量、3にその分収納スペースを食われちまう。

結局はどっちのでも必要箇所にはお得意の!?アルミL型アングルで補強となったが、廃スピーカ箱活用の方が工程数は少なく済んでいる。
但しこれにも条件があって、それが昔の普及品のだったのが大きい。

それなりに立派な外観に反して板厚が12mmしか無く、でもその割に角の結合部が頑強だった。
加えてバッフル板がかなり貧弱な奴で、少なくとも技術的には切り抜くのが難しくは無かったのだ。

ってこれスピーカの箱としてはホントは殆ど最低なんだけど、近年のが小柄の癖に変に俺みたいにゴツくなっちゃったのは無理してる部分もあるからだ。
原理的に容積に余裕があれば各部に掛る圧力も分散して減るんだが、極小状態にすれば過酷になる。

オーディオ用の場合は「箱鳴り」回避には高剛性な程確かに有利だが、キャビネットに石でも使わん限り木でどんなにゴツくしたって軽減しか出来ない。
それからすると古い楽器Ampのみたいに「上手に共鳴させる」方が有効なんだが、その方面が分かる者がメーカ内で減った可能性が高い。

これプラス今は木箱の機器自体がほぼ絶滅してるので、この点では廃品獲得もほぼ途絶えたと看做せる。
けれど廃品を材料として扱うのに樹脂系のよりゃ木の方が適してて、概述の如く量販ケースの規格に合わない中規模以上のサイズのには今でも適正があるのは変わらない。

宅実績ではそんなにシールド性の要らない機器のフロントパネルで、2~3の実績がある。
これの利点は厚さが薄目でもその割に金属や樹脂より「ベコベコしない」処で、それ等の出本は廃家具(所謂カラーボックスの裏側つまり背面ベニヤ板)だ。

更なる利点は塗装等の自由度の高さ、あわよくば木目印刷のしてある側を利用出来たらそれすら不要になったりもする処だ。
樹脂系の板だって余計な穴や凹凸が無かったら似た様なもんだが、廃品からその様な部位が採れる事は滅多に無い。

上記事情から樹脂系の廃品ってのは厄介者で最初に量産する際はメリットが格段に多いが、2次利用度の低さからすると反エコの代表格とも看做せる。
それからすると特に部品として買う場合、破損個所の補填以外等では後での始末が悪いので非推奨だ。

因みに量産時に樹脂系がメリット大なのは形状の自由度の他、いきなり求める形で作れるからだ。
製作工程の減少はコストへの影響も大きく、但し実際の貢献は売値の低下より儲けの増加の方が主体の様だ。

個人で工作する際はワンオフもしくは少量生産が殆どなので、量産メーカの手法は参考にはなってもこの面での貢献はほぼ無いと考えときませう。
この実態がどちらさんでも公表されるのが少ないから、意外と知られず気付かれずの事が多いと感じられる。

外装が家具とかっぽ過ぎるとどうしたって電子機器らしさに乏しいから、その存在が埋没気味になるんだろうな。
趣味性からはどんな材をどう使ったって一向に構わないんだけど、実用性とか一旦こしらえた後の応用性も配慮したらこんな感じになるんじゃないかなぁ。

<つづく>

2021年1月 3日 (日)

音楽備忘録507 パートのリズム調節➄

折に触れて偏り御免で具体的な曲も挙げてくつもりやけど、取敢えずは実体験から行っとこう。
今の子供世代は人数減少や塾や習い事の多忙化も著しいから、そもそもジャムセッションの機会に恵まれ難いとは思うけど…。

これへ敢えて苦言を呈しとくと確かに昔は暇なのが沢山居ったが、演ってる人ってかマトモに演れる人って絶望的になる位少数派だったんよ。
特にRock系とか新し目のだと習える処とかロクに無かったもんだから、たまたま身近に良い先輩が居たとか要領の良い人以外はカタチになるのに物凄く時間が掛っても普通だったんだ。

Rock系だと元々自己流で頑張る方が今だって普通だけど、それには必要な情報の入手性が大きく影響して来る。
この面での今昔最大差は何ったって「動画」で、特に海外のだと普通のTVで放映される機会すら希少だった。

俺や従兄の場合更に上の従兄にプロ活動経験のある従兄が居たから、太鼓の先生の方は直接的では無いけど無関係とは言い難い。
それに彼はジミー竹内に弟子入りしてたしで、彼の両親が医者で芸術にも理解があったからレッスン代が出たと思っている。

俺等はそんなだったから最低限のBand人数には足りなくても、全くたった1人でしか練習出来なくもなかった。
とは言えまだ中学生で普段に簡単に往来可能な距離に住んでは居なかったから、並行して各自のテリトリー内で同好の士を募ってもいた。

それで大変だったのが好みも含めて合う人ってのが、足りるだけの人数揃えるのが先ず無理だった処だ。
当時はTwitterもLine無いから実際には比較的近所に共通趣味の人が居たとしても、偶然の幸運以外にコンタクトの可能性が低かったのよ。

今よりご近所での共通情報は多かったんだけど(主に井戸端会議に依る)、自身で納得出来る迄やってても非公開願いにしてる人の分は流れて来ないしね。
今だったら公表相手を限定するのもそんなに難しく無いけど、うっかりお喋りなオバチャンにバラしちゃったりするとさ。

話して良い相手かどうかの判断もちゃんとは出来ないだろうし、1人でも多くに知らせるのを使命みたいにしてっからね。
昭和の忌わしき常識には「子供は何も出来なくて当然」「子供はそれで恥ずかしく無い」なんてのもあって、こっちからどんなに念を押しといたって勝手に判断基準を変えちゃったりされるし…。

そんで住宅環境の差もあって俺と従兄の場合は、従兄の近所の知合いとセッションする頻度が高くなった。
っつうかそもそも俺ん家にDrumなんて無かったし、自分達だけで運べる距離じゃ無かっただけかも知んないけど。

それで露呈したのが「常識の違い」で、先述の上の従兄と俺は世田谷区内で大体同じ文化圏だったけど太鼓の従兄はそれが埼玉県蕨市で違ってた。
それでも太鼓の従兄自体はこっちとも割と頻繁な付き合いがあったから平気だったのが、その友人・知人達には通じないのも沢山出て来た。

こっちではHard系は第2期Deep Purpleが最有名だったのが、あちらではRainbowの方だったりとか。
恐らく地域の若者に浸透・一般化し出した時期の差のせいだと思うが、そんな違いがあっても何とかなったのはThe Yardbirdsの有名曲のお陰だ。

その時のはTrain kept a rollin’ (Stroll on)とJeff’s Boogieだった。
その頃もHard系ベーシックはPupleとZepだったが、当時本邦の中坊には一寸難易度が高かった。

そこで類型としてZepの先祖のYardbirdsへ食指を伸ばしたのか、俺の方とは違う経路で彼等も辿り着いていたらしい。
因みに当時の俺はRockの鋭利さを追及してた関係で、Jimmy Pageは興味薄・Jeff Beckは神みたいに評価していた。

当時BeckみたいなシャープなのはRockやSoul系の一部でしか拝めず、それに新鮮さを感じて聴くだけの人から挑戦者へ移行した下地があった。
んで実際ジャムってみるとあっちでは従兄以外は全くキレ不足なのには参ったけど、兎に角一通りのパートが揃った自前の演奏を味わうのだけは達成された。

その後は太鼓の従兄の方がHard系に興味が失せたんで、Rainbowのコピーなんかでは俺だけ駆り出されたりしてたなぁ。
失礼乍らRainbowは未だに音源を買って無い程度に終始してるけど、それだからこそ演った経験は逆に肥やしになってるかも知れない。

人次第で差もあろうが我慢の限度内なら、この手のニーズの有無でレパートリー化するかどうかは決まっちまう。
又これの一面での希少性として当時の蕨の若者の常識の一端を、住んでも居ないのに得られて地域性の体験にもなってるとか。

<つづく>

2021年1月 2日 (土)

音楽備忘録506 魔改造悲喜こもごもⅡ-㉗

エレキザグリ部シールドの件から金属加工の方へ戻るが、今回は廃品からの鉄のを活用した小部品をお題としよう。
今製作中のでもこれを頻用したのが基盤取付金具で、外から見えないのも相まってその面でも適してる。

昔のに比べると良いのの取れ高は減りつつあるが、機器内部の補助的なのに限ればケース本体みたいに悪化してない。
樹脂とか木製等については次回に譲るとして小さ目の鉄のってのは少量だけの新規購入が割高だし、寸法が微妙に合わなかったりしても買ったのだとそれが無駄になっちまう。

とは言えわざわざ溜め込むのも場所は取られるし、必ず後で使えるとは限らないからそこは微妙だ。
けど俺の住んでる辺りじゃ近年は廃金属の収集日が激減したんで、廃棄するにしても暫くはどうせ何処かに纏めて置いとくしか無い。

なので環境次第でかなり違ってしまうが、単純に捨てる以外の処分方法を知っていて損はしないのだ。
ガラスは素人に取っちゃ割らない限り小さくならないが、それ以上に捨てる為だけに金属を細分化するのはもっと大変でしょ。

だからって粗大ゴミ扱いにすると費用や連絡の手間もだが、物に依っちゃそもそもごみステーション迄持って行くのだって大変だ。
尚且つ一番収集頻度が低いんだから、そこ迄やってもかなり長い間何処かに置いとかなくちゃなんない。

はさておきアルミL型アングルを勧めとき乍らこんなの後出ししてるにも、それなりにメリットがあるからだ。
鉄はアルミより硬い点では加工し辛いが、アルミより千切れ難いのも確かだ。

それだって分厚い塊じゃ手も足も出ないが、その厚さが1mm以下となって来れば様相も異なって来る。
この手のになると一面ではアルミより後からの加工性の高い面も出て来て、例えば直角じゃ無く60°位に曲げたいとか後数°だけ修正したいなんて時だ。

もう1点は同じ強度だとより小型化が可能な処で、基盤のネジ穴のすぐ側迄部品が迫ってる時には材変更で助かるケースだってある。
電気的にはプラとか絶縁体を使った方が短絡の危険を無くせるが、小さいとなると強度が確保出来なくなって来る。

ここで一旦本件でのニーズを条件的に整理しとくと、最低限は邪魔にならないのと2つのネジ穴の距離と角度だ。
つまりネジで固定するのに支障しない限り、それ等の中間部の形状はどうでも良いって事。

すると例えば「直角に曲げる」ってもその部分が、実際には曲線だったりしても構わない。
更にその部分の「曲がり方」がいびつであろうと、上記条件さえ満たせてれば無問題なのだ。

故に入手し易いアルミL型アングルで丁度賄える際はその方が良いが、中途半端な寸法だとか届かないなんて際は却ってアルミL型アングルの方が加工その他の手間が多くなるのだ。
よっぽとじゃ無きゃわざわざ鉄板を買ってそこから切って曲げてなんては勧めないけど、何等かの廃品があるならアルミL型アングルを買う前に検討する価値はあるんじゃないかと思う。

特にお題にあるが如く「小部品」となれば、意外な部分からも抽出可能になるんでね。
加えてそう簡単に上手く行くのは少ないが、ネタ元が何かのフレームだったりすると以下の様なメリットが活用出来る場合もある。

ネジ穴は勿論そこへ付いてたネジも転用出来たりとか、強度確保の為のプレス加工を流用出来たり等々。
上記後者のは仮にL型だったとしてもそれが変形ので、片側が2~3mm程度しか無いなんてのだ。

そんなに細く曲げるのはプレス機が無きゃ困難で、ペンチやモンキーはおろか万力で目一杯強く掴んどいたって途中で滑ったりし易いからね。
因みに今作ってるので全部該当してるのがあって、真空管ソケットを転用ケースの流用フレームへ取付ける処でそうなっている。

フレーム側はネジが付くだけの巾で足りるがソケット側はもっと寸法が要り、フレーム板と球の距離をある程度確保出来ないと無用に熱してしまうからね。
過去作の球プリではアルミL型アングルを使ったが、ケースが1Uのであまりかさ上げ出来なかったのもあっての事。

その代り折角あったケース裏板は敢えて転用せず、所謂アルミパンチングパネル(丸穴が沢山開けてある板)から新製した。
ホントは磁気の影響を考えると鉄の方が良かったんだけど、近所で売って無かったからね。

そんなの以外にもアルミL型アングルより廃品でも鉄の方が向いてるとしたら、ナットで取付らんないタイプのなんかとかかな。
廃品活用だとそのままじゃシャフトが長過ぎるのもあり、かと言って中には切断加工に向いて無いのもあったりするんだ。

或はポットだと流用・転用ツマミの都合で、先端に施されてるローレット加工(ツマミが付く部分のギザギザ)を存置したいとか。
これ等の場合わざと意図的に奥まって取付られれば一応問題が解消出来るが、それ用の追加部品は必要な形状は様々だし寸法もマチマチ且つ少し大き目になりがちだ。

<つづく>

2021年1月 1日 (金)

音楽備忘録505 パートのリズム調節④

又しても観念方向へ行き過ぎたんで戻すけれど、文化を省き過ぎるとどんなデメリットが生じるかだ。
理論分析的方面では現代のアナライズレベルなら多分平気だが、音自体は同じでも例えば「聴き手が気にしてる・拘ってる場所が違った」なんてのがある。

並の暮らしが送れてる人にBluesは気怠さや重さだったとして、今現在苦しんでる人だったらそんなのだけで喜べるかとか。
そんなのより奥底から湧き上がる力強さみたいなのの方が感動する筈で、気怠さ重さ≒置かれてる環境で底力とかが目指す地点って感じなんじゃないかな。

だからお気楽パリピ全開のイケイケノリノリだと引いちゃうだろうけど、勢いゼロでも構わんとは俺には思えない。
その一例として「労働賛歌」なるものを一寸取上げるが、肉体労働が激減したからかスッカリ世間からは忘れられつつある。

これ「母ちゃんの為ぇなぁら、えぇ~んやこぉ~らぁ」とか「シックスティーン・トォン…」なんて歌の事だけど、要するに「辛さ」を歌で紛らわそうって作戦だ。
客観的に考察すりゃ疲れてヘロヘロになってんのに、口ずさんだ方がまだマシだなんて非合理の典型だよね。

けど普段から肉体労働に従事してたら先に萎えるのは体より心の方で、これをそれこそ客観分析すれば防衛本能から来てるものだ。
つまり今直ちに作業中止すれば、完全無傷で済みますって時点で第1波が恐らく訪れるとね。

それが第2波では3日間位筋肉痛が残ります、第3派でだと1週間位バテますなんてなもんかな。
でも現実的には誰でも楽な範囲だけで終らせて構わんなら仕事≒お金になんかなり難い訳で、「黒っぽい工夫」ってばその通りだけどね。

それは兎も角故に労働を促すにはリズム(ノリ)は最重要で、「乗せられ易い勢い」が無かったら役に立たない。
Bluesの場合だと肉体より精神へ訴えるもんだから少し違っては来るが、何らかの形で「気分が乗って来る」とかそう云うのの為の勢いはやはり必要だ。

それが機器由来オンリーの機械のだと、余程の偶然で無い限りそんな様々なニーズに合致したノリとはなってくれないのよ。
ビートの刻みとテンポの関係なんかでもそうで、ジャンルとかニーズ次第で絶対速くなっちゃイケナイとかその逆ってのがあったりする。

テンポについては機械は人より一定である意味無色透明なんだから、助力にはなんなくても邪魔しないと思ったらさに非ず。
前述「音源由来の遅延」が俺言い「所望の逆鱗」に触れる事も少なく無く、音のタイミングの全てに一様な重要度がある方が遥かに少ないからだ。

だがそのお陰で極一部の選ばれし民程の正確さや安定度が無くても、要点だけ押えられればそれなりに色んな音楽を演れるのだ。
それには合奏時のメンバーの共通認識が鍵になるが、最近みたいに何でもアリになって来るとこれが一寸難しくなってるのかも知れない。

特にその影響の出易いのが初対面の相手や組合せの時で、生活・文化圏に違いがあると尚更かも。
しかしホントはそんなのこそ新鮮だったり、刺激になったりするんだけどな。

では昔は「種類が今より少なかった」から合せ易かったのかったら「ブ〜」で、体験的にはスタンダードナンバーの存在が大きかったし必須だったからと感じている。
例に依って極例を挙げるならば、正月には警官だろうと泥棒だろうと誰でも餅を食べたくなったりするなんてので如何すか!?。

幾ら興味の薄いジャンルのとかでも、絶対演りたくない曲ってそんなに多くは無いと思うんだ。
敢えて反対方向から攻めてみても、スタンダードの全ての曲が嫌いってのもかなり難しそうだよね。

人と同じが嫌って理由で普段は避け気味ってのはありそうだけど、奏者だけのセッションだったら部外者居ないからこれは無関係になる。
っつうか誰かと合奏を望んでたなら寧ろお互いに知ってるのを必死に探したりするだろうし、でもそれを元から全然知らなかったりすると無駄になっちゃうんだよね。

っと何とも季節感が排除され過ぎだが、特に前からずっと読んでくれてる人有難ね。
こんなのだけど新年1発目なのが分からなくなる程まだ呆けちゃ無いのよで、今年も宜しくだうぞ。😃

<つづく>

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