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2020年12月 9日 (水)

誤った合理性⑥

私的肝入りなんでも少し連接車のメリットを続けさせて貰うが、その根幹にあるのは連結車より進歩的で有利な原理だからだ。
かつては検査や修理時に1両単位にバラせないからとか、ご都合主義的でも無視出来ない面もあったが…。

それを工場でやるならバラす自体は少し手間が増えるだけだが、車両に依って検査や修理に時間差があったのだ。
連接では直った分だけ先に走らせるのに柔軟性が低く、それじゃあ所望運用数が不足するから勘弁してって。

これだってその分余計に作っときゃ済む話しだが、置き場所は?その分の増加コストは?と迫られて断念させられた様だ。
それ以上に問題だったのが所謂「軸重」ってので今程軽く作れなかった当時は、下手に車輪を減らすと1軸当りの重さが規定をオーバーしたからだ。

けど近年は余程特別な事情や状況が無い限り、車両は編成単位で扱うのが当り前になっている。
かつて国鉄で合理的と思って1両単位で扱ってた処、所在不明になったり要修理車を間違えたり等目茶目茶になっていた。

その挙句新しいのを古いのより先に廃車しちまって、傷みの程度差があったとしても無駄なのへ修理費を掛けちまったりと大変だった。
結局「1両単位思想」は機関車以外、客車は殆ど同じのも多かったから成立するもんだったと。

電車ではかなり古くから連結させて使う前提のだと、各車で役割分担をさせていた。
例えば食堂営業を廃止したのにその後長らく食堂車を繋げたままにしてたのは、それ抜いちゃうと冷房用電源の供給不能になるからとかあったねぇ。

過去にはどうあれ今はもう上記2つの足枷はとっくに消滅してて、なのに今度はホームドアに不都合だからとわざわざ新たな難癖を付けて来やがった。
この先キリが無くて長くなるから割愛するが、そんな欠点も利点を上回ってたらの話しなんですよ。

近年多くの自家用車は昔のに比べて巾広になってと愚痴ってるが、トレッド(タイヤ左右の間隔)が可能な限り広げられたのは良い事だ。
ホイールベース(タイヤ前後間隔)を伸ばしてるのは乗り心地や安定性には良いが、内輪差が拡大するので微妙に感じている。

スポーツカーで無くてもそっちへ向かったのは少しでも客室空間を広げようとしてだったろうが、実際前後も左右もタイヤ間隔は大きい程乗り心地にも安定性にもかなりな差があった。
それが何故か鉄道では規格や慣習を盾に古過ぎるのに固執してて、これは安全やサービス面からしたら酷い怠慢とも言える。

ってのも鉄道のレール巾って車体巾の良くて半分、本邦で1番ポピュラーなのだと何と⅓しか無いんだぜ。
自動車よりずっと重たいから何とかなってるだけで、大地震が来たら必ずコケろって位不安定な寸法だがや。

けど流石にレール巾の変更は凄く大変だから我慢するとしても、せめて前後方向だけでももう少し「隅っこに車輪」を付けられないのかって話しなのよ。
航空機の場合車輪は確かに今も中心部にかなり寄っていて、乗り物の全てが隅っこ配置になっても居ない。

只航空機の場合機体強度の事情もあるし、飛んでる時の支えの翼はちっとも縮こまっちゃ居ないでしょ。
この面で鉄道で連接車にして一番変わるのは、曲線時の重心位置だ。

台車が車体端にあるって事は曲線部にある時、車体中心線が必ず台車のそれより曲線の内側になるんですよ。
遠心力に対抗させるにはうってつけでそれ故例え所謂「振り子装置」なんか付いて無くても、曲線外方へ車体が傾斜し難くなる。

すると先ず脱線し難くなるのが嚆矢だが、「支えの位置」が連結車より適切なんで乗り心地も自然と必然的に良くなるって訳。
長い棒を振り回そうとしたら端っこを持つと大変だけど、動かない揺れない様にしようと思ったら先端を抑えた方が確実で楽なのと同じでさ。

<つづく>

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