音楽備忘録505 パートのリズム調節④
又しても観念方向へ行き過ぎたんで戻すけれど、文化を省き過ぎるとどんなデメリットが生じるかだ。
理論分析的方面では現代のアナライズレベルなら多分平気だが、音自体は同じでも例えば「聴き手が気にしてる・拘ってる場所が違った」なんてのがある。
並の暮らしが送れてる人にBluesは気怠さや重さだったとして、今現在苦しんでる人だったらそんなのだけで喜べるかとか。
そんなのより奥底から湧き上がる力強さみたいなのの方が感動する筈で、気怠さ重さ≒置かれてる環境で底力とかが目指す地点って感じなんじゃないかな。
だからお気楽パリピ全開のイケイケノリノリだと引いちゃうだろうけど、勢いゼロでも構わんとは俺には思えない。
その一例として「労働賛歌」なるものを一寸取上げるが、肉体労働が激減したからかスッカリ世間からは忘れられつつある。
これ「母ちゃんの為ぇなぁら、えぇ~んやこぉ~らぁ」とか「シックスティーン・トォン…」なんて歌の事だけど、要するに「辛さ」を歌で紛らわそうって作戦だ。
客観的に考察すりゃ疲れてヘロヘロになってんのに、口ずさんだ方がまだマシだなんて非合理の典型だよね。
けど普段から肉体労働に従事してたら先に萎えるのは体より心の方で、これをそれこそ客観分析すれば防衛本能から来てるものだ。
つまり今直ちに作業中止すれば、完全無傷で済みますって時点で第1波が恐らく訪れるとね。
それが第2波では3日間位筋肉痛が残ります、第3派でだと1週間位バテますなんてなもんかな。
でも現実的には誰でも楽な範囲だけで終らせて構わんなら仕事≒お金になんかなり難い訳で、「黒っぽい工夫」ってばその通りだけどね。
それは兎も角故に労働を促すにはリズム(ノリ)は最重要で、「乗せられ易い勢い」が無かったら役に立たない。
Bluesの場合だと肉体より精神へ訴えるもんだから少し違っては来るが、何らかの形で「気分が乗って来る」とかそう云うのの為の勢いはやはり必要だ。
それが機器由来オンリーの機械のだと、余程の偶然で無い限りそんな様々なニーズに合致したノリとはなってくれないのよ。
ビートの刻みとテンポの関係なんかでもそうで、ジャンルとかニーズ次第で絶対速くなっちゃイケナイとかその逆ってのがあったりする。
テンポについては機械は人より一定である意味無色透明なんだから、助力にはなんなくても邪魔しないと思ったらさに非ず。
前述「音源由来の遅延」が俺言い「所望の逆鱗」に触れる事も少なく無く、音のタイミングの全てに一様な重要度がある方が遥かに少ないからだ。
だがそのお陰で極一部の選ばれし民程の正確さや安定度が無くても、要点だけ押えられればそれなりに色んな音楽を演れるのだ。
それには合奏時のメンバーの共通認識が鍵になるが、最近みたいに何でもアリになって来るとこれが一寸難しくなってるのかも知れない。
特にその影響の出易いのが初対面の相手や組合せの時で、生活・文化圏に違いがあると尚更かも。
しかしホントはそんなのこそ新鮮だったり、刺激になったりするんだけどな。
では昔は「種類が今より少なかった」から合せ易かったのかったら「ブ〜」で、体験的にはスタンダードナンバーの存在が大きかったし必須だったからと感じている。
例に依って極例を挙げるならば、正月には警官だろうと泥棒だろうと誰でも餅を食べたくなったりするなんてので如何すか!?。
幾ら興味の薄いジャンルのとかでも、絶対演りたくない曲ってそんなに多くは無いと思うんだ。
敢えて反対方向から攻めてみても、スタンダードの全ての曲が嫌いってのもかなり難しそうだよね。
人と同じが嫌って理由で普段は避け気味ってのはありそうだけど、奏者だけのセッションだったら部外者居ないからこれは無関係になる。
っつうか誰かと合奏を望んでたなら寧ろお互いに知ってるのを必死に探したりするだろうし、でもそれを元から全然知らなかったりすると無駄になっちゃうんだよね。
っと何とも季節感が排除され過ぎだが、特に前からずっと読んでくれてる人有難ね。
こんなのだけど新年1発目なのが分からなくなる程まだ呆けちゃ無いのよで、今年も宜しくだうぞ。😃
<つづく>
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