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2020年9月12日 (土)

音楽備忘録402 音楽を演る人にとってのリファレンスヘッドホンⅨ

ここ迄長々と過剰演出が絶対禁止事項なのを紐解いて来たつもりだけど、そもそも音色の演出にどうして気付いた気付けたのかを今日は披露しとこう。
チャンスに恵まれずまだ気付けてない人には、こんなの偏屈にしか思えないかも知れないけど実際違ったんだ。

この件に関しちゃ俺はたまたま世代(時代)も含め幸運だっただけっぽいが、先ず幼少期は市民が享受可能な範囲に所謂原音再現に到達してるのなんてまだ無かった。
但し近年のと比較すると性能で及べない分、味わいに対しての配慮はどれも行き届いてた覚えがある。

それが学生時代に至って遂に家庭でも原音と大差無いのが徐々に聴ける様になって行ったが、今よりは余裕は全然無い感じだった。
特に歪み率の不足がもたらす濁りが、ガラス窓越しじゃ無く網戸越しで外の景色を眺めてる様なとでも言うか。

これで言うとその1つ前のは写実だが絵で、この時期のは写真だがピントにズレがあるみたいな違いか。
性能的には大きな不足は無くなって来たが、ソースの持ってるムードの再現性は却って少し退化しちゃった印象を持った。

個人的には次の段階で性能はそのままにムードの再現力の復活を期待してたんだが、どうした事か全然見当違いの方向への迷走がおっ始まりやがった。
これ等を演出と捉えて実情を変換例示させるなら、上記第1期のは昔の舞台メイク・第2期のはテレビカメラ用メイクってな感じだ。

それが勝手に期待してた第3期に至って方向性が急変し、実際よりも美人に見せる為の「盛り」みたいな事になっちゃった。
機器性能が向上した→以前より素材から美人になったとすれば、昔より余計な盛りなんて不要なのにどうしたんだろうって。

それが今になってみると音楽とか印象的性能と電気物理的性能って、結構離れた位置に存在してたんだと痛感させられている。
何でそんな思い違いをしたのか自己分析してみると、聴き手が味わおうとする時と分析しようとする時では変化してるからだ。

例えば「低音の迫力」とお題を出したら、シンセBassの低域の量の多さたるや圧倒的だ。
でもそれよりBONZOのバスドラの方が覇王としての印象は強そうで、当時の録音では先ず出てる全部が拾えて無いし記録も出来て無いだろうにどうしてなのか。

その答えはたった1つで、「他では聴けない」からだ。
シンセBassの場合だと同じ設定にしときゃ誰が弾いても打込んでもほぼ同じ音になるが、「操り方で得た違い」は本人以外には完全再現は不可能だ。

但しⅡで本質的には上回ってるBONZOのも、出会いとその時の聴こえ方次第では直には理解出来ないケースも多々ある。
何のせいだろうと(この場合は主に録音機材関係)低域量が他のの何倍もあるとか、そう云う分り易い形では表れていないからだ。

それで恐らく商業主義盲信社会下では、瞬時に分かる盛り文化全盛へとシフトしてったんだろう。
しかしって事ぁ長らく昔の音の方がリアル感があった記憶はノスタルジーなんかじゃ無く、細かいディテールに絞れば今の方が上でもトータルでは事実だったんだと確認がとれちまった。

これが厄介で困るのはその当時の機器で聴く機会が、誰でも簡単には得られない処だ。
俺自身でさえずっとお蔵入りさせてた管球式オーディオを久々で聴いてみたり、KOSS PRO4AAを入手する迄は全然確信が持てなかったし。

恣意的な盛りの無い時代の音と楽器の生音の確たる記憶を持ってた上で、現代の環境下で追体験迄しないと本質を知れないんだものね。
なので現時点で気付けてない人が居ても責めはしないけれど、そこに留まったままで人生終っちゃったら勿体無いと思うのよ。

<つづく>

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