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2020年9月26日 (土)

音楽備忘録416 Hi-Hat「踏み叩き」の効能②

さて例に依って裸体を見せてからその後で顔みたいに変な順番になっちゃってるが、ズバリ「踏み叩き」の魅力とはが本日のお題だ。
それは何たって表現力の追加で、フレーズ自体は一切弄らずにそれが達成出来る数少ない貴重さがあるのだ。

とほざきつつ俺自身はJohnny 吉長氏程の頻度では使って無いんだけど、曲に依っちゃその有無で別物になるケースだってあるからそれを紹介しとこう。
出てから随分経って耳に残ったその曲は、Steely DanのPegだ。

俺はかつては理知的なのより直情的なのの方が興味があったので、出た当時はちゃんとは聴かなかったのもあろう。
それが20年位前にBGMとしてFM放送を流してたら、突然現れてそのノリ(リズムニュアンス)
にノックアウトされたのだ。

これを叩いてるのが俺のイメージではダルでアーシーなRick Marottaだったのはかなり意外で、恐らく「踏み叩き」のお陰で普段以上の軽快感が出せてたんだと察している。
彼は普段からフレージングはシンプルなのが多いが、それにも増してシンプルなフレーズであれだけのウネリを生めたのはこれ以外に考えられない。

尤も俺言い踏み叩きがここ迄珍しいのは本邦だけらしく、太鼓を叩く方でのバチで皮を押えるのとか世界では誰でも知ってるバリエーションだ。
ある意味本邦に於けるDrum演奏法は超ガラパゴスで、エレキGuitarのバッキングでの「刻ませ方」と対比させりゃそれが一目瞭然だ。

Rock系でのエレキGuitarバッキングの定番ってば今本邦でも所謂パワーコードだが、大昔の黎明期のRock’n’Rollのみたいに歪みレスのは先ず存在しない。
だがJ-POPではRock’n’Rollより名称の如くPOPさがより要るので、常にノーミュートでジャンジャン演るのも憚られて当然だ。

それでどうしてるってば所謂ハンドミュートを適宣掛けて、必要時にだけ「ちょい悪」演出をしつつ歌の邪魔はしないなんてのが「常套手段」だ。
是又近年本邦でだけBassでもピック弾きに依るハンドミュートの価値が殆ど無視されてるが、これ等って通学時夏は夏の冬は冬の制服で体育の時だけ体育着ってだけの事なんだよね。

勿論学校だって制服が無い所とか運動会や避難訓練の日にジャージ登校なんてのもあるけれど、何のニーズも無くわざわざ非最適な格好なんてさせたら虐待問題で大騒ぎだ。
J-POPでだけ問題視されないってんならそれはヤンキー校同然で、それが気にならない日本国民はきっと隠れヤクザにちげぇねぇってなもんだ。

っと俺は暴走族では無いのでしれっと戻しちまうが、世界じゃ誰でもが適宣活用してるのに気付けぬようなら只のアホちゃうかでんがな。
Drumだとブラシなんかも本邦じゃ同傾向だが、たまにしか使わないのの練習は確かに非効率かも知れない。

しかし世間を広く知る事で普通のの真の価値を知るとか、滅多に他の奏法を演らなくても決して無関係で済ませられる話しじゃ無いのだ。
踏み叩きは唯のAccent Open以上にタイミングがシビアなので、これが使える人の方が唯のAccent Openだってよりバッチリ決まる様になったりする。

しかも開ける方だけじゃないから、例えばOpen直後のClosedがより安定する様になるとかさ。
なのでClosedのキレもこれから多くを自然と学べてたみたいだが、個人的に比較的気になってたOpenの「開け損ね」も大分減った気がする。

Accent Openを俺には時にOrchestraの最後のCymbalsの一撃みたいに感じられる処があって、他人はどうか知らんけど何かしくじると勇気の足りない奴みたいに思われそうで嫌なんだ。
従兄の場合太鼓の先生としては昔からずっと2言目には「ルーディメンツ」とウルサイが、それに近い要素をコレは秘めてるんじゃないかと思っている。

<つづく>

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