音楽備忘録408 音色の過剰演出とはⅠ
最近拙ブログではしきりに「音色の過剰演出」と吠えてるが、これ自体の説明が足りなかったかも知れない。
そこでその定義みたいなのから記していくが、こう何でも「加工度の高い社会」では理解し難くても仕方無いけどね。
もし音を聴くのにそれがモールス信号みたいなのとか、機械の検査とかだったら正確さが最優先だ。
でも音楽じゃ無くてお芝居や朗読等でも言葉の明瞭度は一定以上要るが、声色等のニュアンスの方がもっと大切だ。
文言だけを確実に知りたいなら聴くより読む方が適してるんだから、そんなのだってムードを司る音色が聴く事の核心になってるんじゃないのかな。
聴き手の意識自体は次は一体何て言うのかとしか、大抵は思ってないんだけどね。
こうして他用途と比べて行くと聴くのでもそれが音楽とかだったら、物理的な正確さなんて2の次3の次はおろか4とか5だって構わないのがお分かり頂けるだろうか。
今日日は音の世界でも明瞭度或は「盛り」命で、耳を傾けさえすれば全部が聴き取れるのが良しとされている。
生楽器ですら電気を介した音に対抗すべく、意図的に硬くカッチリした音色のが増えている。
でもそれが自然かっつったら大嘘もいい処で、生のを直に聴く時ゃ間の空気のせいでそんなに全部がクッキリになんてなっちゃくれんのよ。
それでも明瞭なのが一番だぁって方にここで質問、ではその中で特定箇所だけもっと目立たせたい時はどうしますか?。
そんなの全部の車が赤色回転灯を点けサイレン鳴らして走ってる様なもんで、信号機も無効化するから危なくて仕方ねえ。
現実にその手の緊急車両だって有事じゃ無い時ゃランプ消灯・サイレンOffにして、他の車に混じって埋もれて静々と走らせてるじゃんか。
音だと事故っても最高で難聴・最低だと本来より疲れるだけだから、確かに車のそれよりゃ危険度は低いですよ。
なのでそれでご不満が無ければ一向に個人の勝手ですが、「楽しいけど疲れるからもういいや」なんて趣味を1つ無くしちゃうかも知れないね。
もし過剰演出が罪なだけで、本当はもっと楽にも楽しめるのを知らなかったらさ。
えー当方最末端でも業界側と致しましては(いや最末端だからこそか!?)、一時的な売上げより永続的な顧客の維持・増加を害するこんな真似は直ちに止めて頂きたい処。
それ以上に困るのが作る段階でマトモに聴けない為に、他人様に披露するのに相応しくない様な音を誤って提供してしまう処であります。
そこで願わくば世間に知って欲しいのが「ボヤけてない柔らかい音」で、コレだけは後からじゃ得られない処で御座居。
硬くする方とか柔らかくてもボヤけて構わなきゃ、後から幾らでも出来るんだけどさ。
一寸ブラックな話しになっちゃうけど近年の一部での球信仰みたいなの、アレ確かに聴き易くはなるんだけど情報量は減っちゃってるの。
それでその者達が何で困らんかってぇと、所望の音源に不要情報がテンコ盛りだからなんよケケケ。
俺は球信者の癖に近年のその手の非力過ぎるのには興味が薄いのは、聴きたい音源に余計な情報が一切入って無いのが殆どだからニーズに合わねんだ。
最初は古くてもせいぜいニューミュージック位迄が好きな人が、なんで今更そんなに球へ向かったのかが全然理解出来なかった。
古いのを当時の状況で再現したいとか、PAなんか無かった時代の生楽器のを極力忠実再現したいとかでも無いのに。
例えば球で録って球で調整してそれを聴くのも球しか無かったら、石でも問題無く聴ける様な調整なんて絶対不可能だものね。
それが当時でも特に売れ線のシングルとかだと貧音質のテレビやラジオで聴いても魅力を分り易くする為に、今の盛りとは異質だけど脚色は多目なのも多かったんだよね。
だからその曲の良さを既に充分理解出来てる人には、例えば毎日食べるにゃそのままだと一寸しょっぱいみたいな現象が多分起きちゃってたんだね。
<つづく>
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