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2020年5月 3日 (日)

音楽備忘録270 バスドラペダルとフレージング15

ここは正念場と思ってるからしぶとく続けさせて頂くが、爪先がランダムで上がり切らない時があるとビータの返し量が…迄来た。
ではそれが実用上どんな問題を引き起こしてるかで、かなり難しいがやり様によっては全く補填出来なくも無いけれどそれでは微妙なままだ。

他にも色々あるかもだが先ず考えられるのは、必ずしも普段にビータStrokeをフルに使わなくても良いとする事だ。
例えばDouble Strokeが足首主体のしか使わないとして、ペダルや踏み方・奏者の体が余程それに向いてでもいなきゃ大抵足首で鳴らした分は脚で踏んだのより小さく弱くなるもんだ。

だが上記の「脚で」はビータStrokeがフルの場合で
比較した話しで、俺は消去法的で後ろ向きな感じで好きくないが「大きい方」をセーブして均一化を図っても駄目では無い。
但し高速時にもこれより絶対大きく強くはしたくないとなるとかなり厄介で、余程意識して小さく踏まないとならなくなる。

ゆっくりで良きゃ丁寧を心掛ければ誰にでもすぐにある程度は加減出来るが、急いでいたらそれでいてギクシャクさせたく無かったら大抵は勢いを利用するだろう。
それで普段より勢いがあると自分の意識より体は余計に動いちまう(当然ペダルも!)もんで、例えば½のつもりが殆ど1とか¼のつもりでやっと½になったとか心と現実にズレが生じたりしてしまう。

加えてこの次善策にはセッティング上の厳しさからの過労もあり、厳密にだと適切なバネ強さがほぼ存在しないと言える。
過労っても普通とは一寸違った意味合いからだが人に依っちゃやり易い踏み方でも、不適切な踏み方をしてるが為に不必要な強さにしなきゃなんなくて結局その分実際には労力が増し盛りされてしまっている。

なので最初の1発目を踏んだ時楽と感じても疲れの来るのが早く、そのせいで所望より沢山踏む気を消失させたりしてる可能性も拭えないのだ。
それでもまだ中間音量を常用・多用する様なジャンルでなら不可迄行かんかも知れんが、最大に近い音量がデフォなジャンルでは甚だ非効率な選択なのだ。

ここで参考としてニーズ僅少そうだが敢えて最大音量を抑制する別の方法を付記しとくと、ビータの交換(より軽いの)の他に「短くする」のがある。
これがもしかしたら緩み易くて不評のSpeedkingのビータ固定ネジが、何故何時迄経っても「手締め」蝶ネジが存置されてるかに繋がってるとも考えられる。

見た事も訊いた事も無いけれどもし曲単位で調整しようとでも思ったら、工具無し(大抵はドラムチューニングキー)でそれが出来るのは大きな利点になるからね。
マルチプレイヤで他楽器との比較も含めると少なくとも俺としては過労にならん限り、ドラムは単純な労働量より制御に要するエネルギーの方が膨大だし体だけでなく心労も凄いと感じている。

なので手と比べると微細なパワーコントロールが難しい脚で無理するより、踏むのは割と普段のままで設定変更で変えられた方が間違い無く確度と安定度は上げられる。
荒唐無稽な感じの私的想像の域を出ないけど、長さ以外にも頻繁なビータの変更をもしやろうとしたら手締め蝶ネジの方が手っ取り早い。

セットドラムでもバチの変更だったらそんなに珍しく無いが、手で叩く大太鼓ではそうしてるのを目にしても誰も特には気にならないんじゃない!?。
それをそのままセット内のバスドラに持ち込んだって悪くない筈で、戦前の状況に暗いから分からんがジャンルの縛りから開放するには出来た方が良いよね。

それは兎も角も力は強くないが回数も距離も幾ら増えても、唯脚を動かすだけなら苦にならないなんて人以外は柔軟アップヒールはお止しになった方が安全でしょう。
それと低速時でも安定させたかったら、かなり早目に準備態勢(脚上げ)を始めないとならないのも忘れずに記しときましょう。

<つづく>

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