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2020年5月

2020年5月31日 (日)

音楽備忘録298 エレキのPU選択とToneのセッティング③

今度はエレキBassでのPU選択面へ絞ってくが、本邦ではMixを他人任せにするとどうせBassは小さ目にされるのが多いからGuitarよりゃ心配が要らない。😓
しかしBrightな音色でもアンサンブルとしての低域を、常に足りさせようと思えばそうも言ってられんもんだ。

従兄曰く日本の伝統的古典楽器にはBassパートに相当するのが無いんだそうだが、強いて言えばその代り太鼓系は重低音盛り沢山だ。
それからすれば決して無視してるでも軽視してるでも無いんだが、どうも聴き取り辛いからか低域には音程を余り求めていないのか。

そんな歴史があるからかアンサンブル内での低域の音程が、必ず簡単に聴き取れる重要性は半ば破棄されてるかの様な印象がある。
単に歌うのに要る伴奏はBassである必要は確かに無いが、私的にはそこに落し穴があると踏んでいる。

そりゃ独唱若しくは何人居てもユニゾンで歌うなら無問題だが、ハモらせ様と思ったらそれではとっても難儀させられるのである。
特にハモりのパート数が多くなると中域は近接した別音程のオンパレードになってるから、その中から基準音を獲得するのは困難になってしまう。

キリスト教系の国では讃美歌は通常4パートあるので、恐らくはその習慣からBassパートを基準にすると楽にハモれるのを知っててその重要性が浸透してると思われる。
なのでパーカッシブなスラップを強調させる為にBassを極端にBrightにした場合等には、他パートで不足分を補う措置が殆どで為されている。

再生環境への適正化として含有低音量をわざと減らしとく手法もあるが、そのやり方が過去本邦とキリスト教系国ではそれでか真逆となっていた。
これ噛み砕いて言うと低音が出せない機器と(例えば小型ラジオ)本格オーディオ等、聴く環境での印象変化を最小とする効果はある。

して具体的には本邦は入ってるのが単に辛うじて分かる様な按配にされてたが、キ系国の方では他パートの低域含有量を最低限迄削る事でBassの存在を目立たせている。
これが本邦でもチョッパー(スラップ)が流行した’80年代前半に、無補填なままBassを高域中心の音色にしてしまうって大失態を本邦では大手系でも平然とやらかしていた。

そんな事をしでかすと頭でっかちで重心高過ぎになって、何とも落着きの足りないMixになっちまうんだけどね。
まっそれは兎も角沢山出せなくても平気なこう云う特例時は別として、マトモなアンサンブルバランス内に収めるには一定以上の低域含有率確保が必須だ。

それが多くの場合PUの前後では元から低域の拾えてる割合が違ってるから、やはり前回迄のGuitarと同様単一Toneセッティングだけで両方を賄うのは厳しいのだ。
本体機種次第で拾える低域限界が異なるのもありはするが、多くのケースでは「量の違い」が問題になるだろう。

因みに2つに大別するならPU取付位置が真ん中とブリッジ近く(つまり後ろ)のFender Jazzタイプ等と、前と中の拙ブログ296で例示したPrecisionのとかRickenbacker 4003等がある。
私的には上記4003を常用してるからJazz BassのリアPUのみよりゃ大分マシたが、それでもPU単独使用時には各々へ最適化しないと充分とは言えない。

GuitarでもBassでも当り前っちゃ当り前の面倒ではあるが、私感的にはアンサンブルバランスへの配慮不足が疑われる例も散見される。
しかし手間には違いないので実は数年前頃一寸この不文律に逆らってみた事もあり、基本的には中域だけで音色が定まる様なToneセッティングを実践してみていた。

世間の多くではそんなのの方が多かったから、自分らしいのより標準みたいなのへ準拠させただけだった。
が外の世間では不知だが兎に角俺の仲間内では酷評を頂いちまい、どうやらその内1人は中域しか出せない楽器を担当してたからみたいだった。

要するに自分達固有の領域を侵略されたと認識したらしく、どちらにとっても夫々でしか出せない帯域に個性を持たせといた方が合せる為の変更不要だからの様だ。
現行グループ内ではドラムが高域・Guitarが中域、Bassが低域のある意味覇権を分散して握ってる様な状況を呈している。

<つづく>

2020年5月30日 (土)

音楽備忘録297 エレキのPU選択とToneのセッティング②

Single Coilでもフロント+Toneセッティングの工夫で、一定以上に歪ませた時の使える範囲の拡大が可能な処迄来た。
だが良い事尽くめかってばそんな虫の良い話はやはり無く、パワーコードのバッキングに使える様にするには更なる工夫が要った。

ソロとメロの両方を1つで行けるToneセッティングにしてると、低い音域の方で伴奏するには大人し過ぎとなり易かった。
それで何が困るかってば、伴奏のリズムが埋もれ易くなってしまうのだ。

ここで厄介なのは伴奏パワーコードを異音色2本にしたい様な場合で、元が悪く言やおデブのハムバッキングのフロントは幾らToneを弄ったって流石に使い辛いのもあるからだ。
なるべく差を大きくしたいとなるとそれだからSingle Coilの方をフロントとするしかないが、Toneセッティングで高域を控えたり中域を多目にするとどうにも切れ目がボヤけてアカンがな。

そこで本家Char氏がどうしてるか聴いてみれば、Toneセッティング自体は殆ど高域全開な感じとなっていた。
尤もそれもJohnny,Louis&Char(Pink Cloud)時代のの話しで、3ピース故普段のLiveでは他にGuitarの音は入って無いって条件下での話しだ。

何れにしてもPUのタイプに拘わらず各位置のに対して最適Toneセッティングにしちまうと、そのままではもう片方の方は最悪許容範囲から逸脱してまう。
そのせいでも無いだろうが各位置共通セッティングで両方使えるとしたら、半ば低音域がしっかり聴こえるのを放棄しちまう手もある様だ。

実例としては’70~’80年代の所謂LAサウンドってのがそんなMixバランスとなってて、ドラム以外は低域の量を必要最低限度に抑え込んどくって方法だ。
瞬時に鳴り止まないのの低音が全て控え目になってればそれにマスクされる心配も激減するし、フロントPUでしか出せない低域も非扱いにすれば自動的にリアとの差も縮小されるって構造だ。

低域は必要以上に含有量が多いとむさ苦しくて聴き疲れし易くなったり、他パートを侵食し易いから少な目で良い程安全だし全体が爽やかになって宜しい。
けれど曲や演者のコンセプト次第では軽薄過ぎになったり、厚みに乏しいって欠点もある。

聴くだけなら嫌いじゃ無いこのサウンドも、Bassに暴力的な低音をなるべく出させたい俺には不都合だった。
だって電気の助力無しではそんな量的バランスの音は出せないもん、折角の特権ならなるべくそこはしっかり出しときたいかなってね。

それとGuitar単独でも問題化するのがAmpで歪ませる場合で、足りなきゃ困る低域も過多となれば歪み音色自体にも悪さしてしまう。
今だとPUと同時にEffector等でセッティングも変えちゃえば済みそうではあるが、2度手間を要すのには違いない。

それでも常時低域減らしをせずにフロントPU使用を放棄したくないのは、Bass音色の他にも生楽器に負けたくないのもある。
エレキの都合だけでMixの音質バランスを変えるには、時にそのままでOKの生楽器の音質バランス迄改変しなきゃなんない事も出て来て勿体無い。

もっと突っ込みゃこれ次第では各パートの低域が、どれも聴き取れる状態になる音量バランスが実演奏時と違ってしまう事すら起き得る。
Liveと録音で違う趣向を2倍楽しめますなんて言い逃れするのも手かも知れんが、録音物を耳にした時点で頼り無げだからLive行くの止そうなんて思われちゃっても嫌だしねぇ。

<つづく>

2020年5月29日 (金)

音楽備忘録296 エレキのPU選択とToneのセッティング①

前回迄の「歪ませない効能」を仮に敢えて否定するなら、今回のお題はクリア必至の案件となるのでそれを。
俺がこれを気にし出したのはフロントPUの有効化と、アンサンブル内での音域バランスだった。

耳タコ念押しになっちまうが俺がほぼ常時「アンサンブル男!?」となったのは、きっと全パートを担当する事が多いからだろう。
それは単にどれも弾くだけじゃ無く、どのパートにも自分のサウンドを堅持させたかったのが原因だ。

少し回りくどくなるがPickupの歴史から始めとくが、お題に直接関係する「数と付けられてる場所」限定だから暫しの我慢だ。
電磁Pickupの登場当初は先ずリアへの単独搭載から始まってるが、Rickenbacker独自の弦の上側にも磁石が被さるタイプのだった。

この構造では「弾かれる場所」の真ん中にあっては邪魔で困るから、弾く領域の前後どっちかへ寄せとくしか無い。
音色や拾える倍音へどれ位配慮してたかは不明だが、取敢えず弾ける場所を広く取れるせいかリアへ付けられていた。

そこから電気楽器固有の利点活用として、段々搭載PUの数が増えて行く。
っても大抵はどう頑張っても空間制約で凡そ4基程度で限界だが、多数派は2基搭載に落ち着いている。

これはネック寄りとブリッジ寄りのが音色差が最大となるのと、その間が空けてあると弾くのに邪魔にならんからと推察される。
かつてはHöfner 500/1 ’61 CavernみたいにBassで低音が必需だからと前と真ん中みたいなのも一部にあったが、上記理由が元で今では復刻版以外は両端寄せが普通だ。

因みに今でも2コ付いてて前後どっちかへ寄ったままなのもFender系Bassでは普通だが、そのお陰でどちらも極限用途には不向きになってるとも言えなく無い。
これが俺的に不思議に感じられるのはFenderは、前・中・後とStratcasterみたいに3基搭載のも出してるからだ。

閑話休題してそれを歪ませなかったその昔は単にフロント・リアと呼ぶより、Ryhthm・Lead等と用途別呼称してるのもかなり浸透していた様だ。
今じゃ滅多にそうは呼ばなくなってるが、GibsonのトグルSWのネームプレートには未だにそう刻印されたままだったりする。

実際はどっちを何へ使ったって悪か無いがEffectorやCh切替機能非搭載のAmpしか無かった当時は、PUを切替えて使うのが伴奏とソロの適正化に一番有効な手段だったのだ。
これの訳は担当相違時に求められる適正音量と音質があり、先ず伴奏時は極力聴こえる範囲で低音の量が要求されるのに由来している。

小さくないと困るけど伴奏であるから音域次第で聴こえ難い帯域があっては不味いのと、低目の音域程多用されがちなので下がしっかり出てる必要がある。
片やソロ時は華やかに目立つ程良いのと、弾いたの全部が楽に聴こえる迄音量を大きくして構わない。

それをたった1つのAmp Toneセッティングで賄える様にしてある為、特に深く歪ませるとそのまでは不具合が出てしまった。
要はリアPUに最適なセッティングにしてるとフロント使用には低音過多で、その逆も又しかりとなってしまう処。

それで私的にはソロ時の音色が固定されるのに飽き出した頃、Johnny WinterとCharがどうしてるかが大いに参考になった。
バリエーションとしてだけなら上述前者のハムバッキングのフロントもだが、特筆すべきは後者のSingle Coilのケースだ。

歪みが浅い内はSingle Coilのリアでもそんなに問題にならないが、深まるにつれ曲に依ってはどうにも音色が刺激的過ぎる弱みについてだ。
オマケにFuzz系じゃないとその割に音が細過ぎで、音色的に最前面の癖にメロディラインは大して前に出て来ない感じになる。

こっからは半分私的だがそのせいかMustangでは何時の間にか、リア単独の使用頻度が極端に少なくなっていた。
続きは次回へ譲るとして兎に角歪ませるとませないではかなり条件が逆転したりもするもんで、電気楽器特有の現象であらう。

<つづく>

2020年5月28日 (木)

音楽備忘録295 エレキGuitar歪ませない効能⑦

折角なので(何が???)俺言い「擬似Band」式の録音方法の実態を、もう少し追記させて貰っとこう。
これを書いとかないと録音時が只のLine録りと一緒にになっちまって、手間を掛けたご利益が半減しますんで。

宅ではマトモ且つ純然たるGuitar Ampが1台っきゃ無いから半分偶然だけど、録る時は録音機の出力をAmpに繋げて弾いてるんでごわす。
普通のLine録りならマルチEffectorかPreamp、じゃないとしてもAmpのLine出力から録音機へ入力させるもんだよね。

それをわざとGuitarとAmpの「間に録音機を挟んじまうのさ」で、つまりAmpスピーカからのを録ってるつもりに自分を騙す。
こうして奏者脳内だけバーチャル化しとくと、弾き加減はほぼ普段普通にAmpから鳴らしてる時のままにな
るだろうって寸法。

余計な物を経由して無い方が音はピュアだけど、実質的には内蔵か追設かは不問でGuitarとAmpの間に所謂Buffer Ampが入ったのと似た様なもんだって発想。
厳密には先ず入力側でインピーダンスのミスマッチを起こしてるんだが、完全な結果オーイラだがこれが却って功を奏する面もあった。

それは典型的なアクティブサウンドを求めて無い場合オーディオでだったら理想的な所謂「ロー出し・ハイ受け」が、録音機の出力インピーダンスも楽器Ampには低過ぎる。
電気的に不完全でも元々の楽器Amp入力が「ハイ落ち」前提設計となってるので、どっかで適当にハイが落ちてくれないと音質が変化しちまうからよ。

この手法をそのまま本チャン録音に持込めとは思わんが、記録されるのが生音だけでもしっかり弾けてりゃ歪み加減は100%再現可能だ。
これは又以前述だがエレキ奏者が近年本邦ではあまりにもアコギを触らないのにも通じてて、どんな風に何で歪ませたとしてもその「元になる音」は「常に生音」なのは不変なのですよ。

「アコギもちゃんと弾けるエレキ奏者」とそうじゃ無い人の最大差の典型としては、必要な歪ませの「深さ」の差となって現れたりする。
その訳は「意思に反して無駄に弱くなったりしない」からで、一般的に歪ませの深さは「弾きが弱っちゃった時でも足りてるか」で調節する事が多いからだ。

そんで住環境に依っちゃアコギだってウルサくて駄目って時でも、流石に窓・扉とかが全開とか直側で誰かが寝てたりでもしなきゃ「Ampに繋がないソリッドボディのエレキ」なら文句を言われる心配は全く無い。
AmpやEffectorを上手に操縦するには実際繋いでの練習も必須だけど、只「弾くのだけ」を上達させるのには楽器本体だけでももう十二分。

録音時の音色案件も結構上記と共通部分が多く、特に音色等に関しては必ず要るのが決定してるの以外は未加工としとくのが賢明なのだ。
歪んで無くてマトモに聴けるのを歪ませてNGになる事は先ず無いし、全く未経験だと当初は難儀するだろうが慣れちまえば全くどうって事は無い。

誰かさんみたくもっとベテランになって来ると、最終的には「何か弦の張ってあるの」があれば最低限の確認にはそれで十二分となる。
因みに宅ではそんな際小音量なのの方が思い立った瞬間に弾けるので、防音室の外で今これを書いてる席から手の届く処に何時も偽物Stratが立て掛けたままになっている。

こんな風な方向へ慣れて来るともし弾けなきゃ音色をどうするもへったくれも無いんだから、ひたすら弾けそうかどうかの確認の嵐となっている。
それでちゃんと弾ける様になってると演出面等以外では、歪みは無関係なのが自動的により理解出来る。

もう1つ不要深歪ませには欠点があるが、それは和音を弾くのが音色的に苦手となる点だ。
歪ませない時には無かった倍音が出たり増えたりして、本来ハモる音程同士に不協部分が生じ使える和声に著しい制限が掛る。

これは和声を単音パートに分解して重ね録りすればほぼ解決可能なものの、人員補充が出来ないとLive時の再現性を損ねる。
それ以前に当初から「オーケストレーションするんだ」って意思を余程強く持ってでもいないと、使っても淡泊な和声を優先的に選択するのを助長し兼ねないですから。

<つづく>

2020年5月27日 (水)

音楽備忘録294 エレキGuitar歪ませない効能⑥

前回は忘れ掛けてたののせいで失礼仕ったが、今回こそ予告してた聴こえの違いの実態へ具体的に参りまする。
若干クドくも念の為
ここでの前提条件を再掲させといて頂くが、楽器単独では無くアンサンブルした場合についてを中心としている。

録音がアナログテープからデジタルになって一番神経を使わされるのが混在させる時だが、これは歪ませない音色の録音や音源の方式の違いも大きいのは既に述べた。
ここで本来のスピーカ収音とLine録り各々の得失を、整理して纏めとこう。

1.スピーカ収音
①周辺雑音等に対してと、演奏環境の制限の厳しさでは不利
②音色の自由度(加減巾)は機材に依る制限もあってそんなに広く無い
③特に生楽器も含めた他楽器との整合性では有利若しくは安全

2.Line録り
①電磁気雑音等にさえ気を付ければ演奏環境はほぼ無制限
②使用機材次第で音色は自由になるが、その楽器らしさを損ねる危険も高い
③Mic収音された音との整合性に劣り、多くはそれ等より存在感で負ける

Line録りがマトモに出来なかった昔と比べると、昔じゃ不可能だった場所でも録れる様になったの自体は大きな進歩に違いない。
これも爆音系生楽器なら今だって無理なままで、電気楽器ならではの利点ではある。

けれども生楽器比で実際に空間へ音を出す部分をAmpへ移行してるので、この部分を無くしてしまうと「半人前」となってしまう。
そして歪ませるのに当初はAmpだけでは不足する事もあったせいか、歪ませない時の補填機器が現況では不充分に留まってるのが実情だ。

漸く本筋へ入ってくがLine録りや打込みのを生系へ混在させて苦労させられるのは、音量バランスの割に聴こえ難かったり埋もれ気味になる処だ。
加えて厄介なのが再生装置や再生環境に依ってもそれが大きく左右される処で、これ位にしときゃ誰が何処でどう聴いても大体同じに聴こえるMixってのが存在しない処なのだ。

ここで注目すべきがBassでならGuitarよりLine録りが許容される点で、滅多に歪ませないのも大いに関係している。
そう言うとああ確かにMarshallの歪みを欲しがるとか少ないもんねとなりそうだが、本件に関してはそこが理由では無い。

電気楽器の「音色的歪み」は概述の如くオーディオ的には既に結構歪んでいて、けれど低音になる程歪んだのが分り難い性質がある。
「歪んだのが分り難い」ってのは境界領域が広いとも看做せ、これは更に楽器Ampの特に真空管式の出力段も似た性質を持っている。

Ampの方がそうなったのは意図的と偶然の半々だが、この境界領域こそが器楽音としてはとても「使える」性質に富んでいるのだ。
近年はモノホンの球のでもシミュレートのでも「真空管サチュレーション」等と呼ばれるEffectがあるが、音色的には無歪でオーディオ的にはプチ歪み状態を意図的に作り出そうとする機器だ。

しかし現況存在するのではスピーカに依る作用の分がまだ全然不足してて、作者や愛用者には申し訳無いが正直に吐露すれば「無いよりマシ」と云う状態だ。
追加でこれを用いても残りそうな問題点もあって、それは録った後でこれを掛ける場合だ。

仮にとても良くシミュレートされてても、その音を聴いて弾きに加減が加わる事が無いからだ。
Ampで鳴らして録る際は殆どは誰も無意識だが、聴こえた音に対してより所望へ近付く様に自然と手が動いちまうもんだからねえ。

そこで俺推奨としては低出力でも全然OKなので、スピーカの大きさだけなるべく本格的なのに近いAmpで鳴らして録るのだ。
それだってそれなりの音量は出ちまうから無防音では、夜中の住宅街ではとても無理だ。

けれど歌やタンバリン・マラカス程度とか生のUplight Piano位なら、昼間なら弾ける場所はそこそこあるでしょう。
少なくとも音響技師の立場からするとこれ位は頑張って欲しい処で、それだけそうじゃ無い録り方をされてる上打込みのなんかと上手く混ぜろと言われるとしたくても中々そう出来ないのよ。

ってか、どう頑張っても完全には混ざってってくれんのよ。
因みに後からもし必要性が出て歪ませるのに、必ずしもEffectorだけが候補じゃ無いのよ。
以前お薦めした「擬似Band」よろしく記録されてるのはGuitar出力だけで、鳴らす時に楽器Ampへなんてのもアブノーマルでも不可能じゃ無いんだからね。

<つづく>

2020年5月26日 (火)

音楽備忘録293 エレキGuitar歪ませない効能➄

それでは予告通り聴こえの違いの実態から…と、その前に1つ大事なのを危うく忘れる処だった。
打込み及びLine録りされたのと、Ampスピーカから収音したのの聴こえ差があっ
たわ。

オーディオ的美しさでは特に歪ませない場合は上記前者の方が有利だが、存在感や認識し易さについては飽く迄「単独で鳴ってる」場合限定となっている。
忖度表現すりゃ差し詰め「花の命は短くて」じゃ一寸違うけど、要するに他の音に対して存在堅持力がかなり弱いのである。

特にアンサンブル内に近い周波数帯域・バランスのとか近似音色のあると顕著に出て、分析耳で聴くと確かに入ってるのに無意識に聴いてると最悪は入ってるのすら気付かずに過ぎてくなんて按配だ。
この辺は打込みと手弾きのハイブリッドにしたい時なんかは何時も注意事項ではあるが、その中でも「手弾きのLine録り」は一番紛らわしい存在だ。

音色だけに耳を向けると打込みのと近いのに、安定度や確度へ耳を向けると間違い無く人の体温みたいなムラが感じられる。
Guitar程では無いがBassでも実はこの弱点はあって、Line録りはか弱い美人・スピーカ録りはガサツな猛者と結構両極端。

但しそれは飽く迄「単独で鳴ってる」場合の話しで、現実的には「聴こえる範囲でなるべく綺麗」を目指してく事となる。
但しⅡでそうは言ってもEffector等で加工して対処するんじゃ役不足で、「全体の質・太さ」を適正化させないと足りるだけの効果が無い。

体験的にこれが昔より今の方が大問題になったと感じられるが、その原因は昔との「録音音質」の違いにある。
簡単に纏めると過去のアナログテープ録音のは、良く言や逞しいが悪く言や全然荒かった。

加えて元がどんな太さや細やかさの音であろうと、「聴こえる様に録る」と必ず一定以上に太く荒く変身していた。
ある意味録音機自体に強烈な音色個性があったも同然で、けれどその代り入れてく音の整合性に対しては今より遥かに鷹揚だったのだ。

音響機器なのにリニアじゃ無いのは困ったもんだったが、しかし音楽制作の道具としてなら一面では扱い易かったのだ。
私的にはGuitarの歪ませない音色のLine録りを許容してた時期と見事に合致してて、この件は全然意識して無かったのに結果にハッキリ現われていた。

又この案件はパーカッシブな音色な程差が出易く、Strings等の持続音系では殆ど問題にならない。
この現象を分析すると今の環境下では「歯切れが良過ぎる」のが駄目で、自然界(大気中)に存在し得る音質との乖離が認められるからだ。

実在空間での実音は例え思い切りパルシブに鳴らしても、空気のクッションのせいで鳴らしたのよりゃかなりマイルドにしか耳に届かないからだ。
加えてスピーカって実在の物理装置を動かすのにちっとも電気信号通りとは行かず、空気の他スピーカダイアフラム(空気を揺さぶる為に動く箇所)を支える物の抵抗等のせいで「必ず鈍って」しまっている。

このままにすると「じゃあスピーカから聴こえたのは嘘の音か」と誤認され兼ねんが、そうならない様に楽器側等で予めその分を「先回り」させる様な設計が為されている。
この問題はCompressorのAttack Timeの絶妙な設定等で少しは補えるが、現況で完全補填はまだ不可能だ。

デジタルEffectorに入ってる○○シミューレトプログラムも聴いた印象だけならかなり近付けて来てるが、これも単独で聴いた場合の話しで様々な部分の「性質」が本物とはまだかなり異なっている。
それがアンサンブル内での埋もれ難さにはこれらの相違点こそが問題になるので、妥協してMixingしても大抵は何処かが不自然になったり少し他の音の邪魔になったりしてしまう。

極端な話し単独聴きでは少し変だったとしても、「適度な存在主張」さえ得られれば実用的になる。
けれど常にアンサンブルと一緒に鳴らして音色選択・設定出来るとも限らんし、録音は「生演奏の一発録り」でしかしませんっての以外「相手の変動」に対処し切れない。

<つづく>

2020年5月25日 (月)

音楽備忘録292 エレキGuitar歪ませない効能④

前回最後で歪ませないっても楽器音として「聴いた感じ」だけの処迄来たが、この領域を上手く駆使するにはコツがある。
その最も簡単な方法がAmpスピーカからの収音であるが、どうしてそうなるかの解説から行っとこう。

これは極論したら「歪んだ部分が聴こえなくなる」からで、出来の良い楽器Ampだと器楽音として不要な帯域から歪み始める様に作られてるのもあるからだ。
もっと語っちゃえば単にスピーカの再生周波数帯域が、大抵のは人の可聴帯域より低く狭いからでもあるが…。

保険掛け過ぎみたいで一々但し書きが付いて済まんが、勿論意図的に歪ませたらちゃんとそう聴こえまんがな。
際どい領域で電気的にはもう歪み出してても、器楽音としてはまだそうは聴こえんて意味だかんね。

これって元はと云や限られた部品で必要な音量を得ようとした苦肉の策なだけなんだが、今になってそうじゃ無いのを試してみてもそれで丁度良かったのも判明している。
これには使われてる電磁Pickupがそんなに広帯域では無いのもあるが、その他に楽器として「聴こえても無意味」な部分もあったせいだ。

仮にエレキGuitarに聴こえなくても構わんとすりゃもっと広げられもするが、その様な非典型的な部分は一度アンサンブル内に入ると無効化してしまう。
体験的にだとエレキもだが一時期Cymbalの超高域に執着した事があったが、幾らメータで超高域を増量して大振りさせてやっても聴感には何の貢献もしなかったってのがあった。

要はその帯域にその楽器の俺言い「目立つ倍音」成分が非存在だったからで、折角何かが「シャリっ」っとなったのが入っててもそれがCymbalと認識出来なかったのが事の真相だった。
そうなると器楽音より大抵は雑音の方が含有率の高い音域なので、要らんならCutしちゃえばもっとクリアになるかもと画策してみた。

処が増やして無効だからって完全に削ったらそれも又変な感じになっちゃって、例えるならやたらと湿度の高い部屋で鳴らしでもしたかの様な変な雰囲気に。😅
目立たんからって取っちゃ駄目だが増やしても無意味と、何とも扱いが面倒であった。

これがGuitar Amp用スピーカの超高域の場合、殆ど聴こえなくても完全にCutされてはいないのが偶然合致したみたいだ。
アナログ系のは出るっても出ないっても対デジタル比では観念的な物で、決して完全では無いのだ。

なので収音に使うMicはそんなに広帯域でなくても平気だが、あまりに狭いのを使うと演奏された空間の感じに悪影響が及ぶ。
もし弾いてる場所で聴こえたままを全て拾っときたいとなれば、Beatlesがそうしてた様に全ての音が拾えるMicを使う必要すらある。

そんな事をすれば大抵は余計な雑音の方を多く拾ってしまうが、ドキュメンタリーってのは都合の良し悪し無関係となるのが何処の世界でも常だ。
尤も彼等みたいな空間的環境は普通は持てないから特に勧めはしないが、こっちが思ってたのと実際に貢献してる音の部分にズレがあったりするのはよく起きる現象だ。

楽器としては歪んで無くてオーディオ的にはもう立派に歪んでてなんて、そこだけを見るとお題の音色は何とも中途半端な存在だ。
その上特質も不明瞭なので忘れ易くても仕方無いが、実際の楽曲中で特に伴奏に対してはこんな一見地味なの程効能が大きい。

以前エレピの電子のと電気のの最大差でも触れたが、サウンドってな案外「何でも無い大した事無い」のに限ってその調整や選択は難しいもんなのだ。
しかも録った時点ではその差は判明し辛く、最終的にMixが終ってからそれが顕著になって来る。

それからすると自分で作品を1~10迄完成させる作業に、ある程度以上の経験を積まないと感知し難いだろう。
しかしそれでも「同じじゃないんだ」と知っとくだけでも大違いで、プロジェクトの極一部しか担当しないでいて悪い意味で「これが俺様サウンドなんだから弄るな」なんて意固地になり過ぎん方がええでっせ。

音って単独で聴くのとセットで聴くのでは、それが更に弾いた本人以外だったら全然違った受止め方をされる方が多い位だから。
次回は最終段階でどんな風に違って聴こえるもんなのか、豊富な体験から思い出してみる事にするよ。

<つづく>

2020年5月24日 (日)

音楽備忘録291 エレキGuitar歪ませない効能③

だがしかし単に歪ませないで弾けったって、Line録りが増えた近年では色々困難さも増してしまった。
特にEffectレスの場合がその筆頭と思われるが、その殆どは真空管Ampのスピーカから収音すれば解消する。

電気楽器でも近年のエレピや特にBassだとかなりLine録りを意識した作りになってるのもあるが、原典設計を考慮するとそれでも厳しい面が残る。
楽器用Preampを使わずに直接音響機器に繋ぐと本来的にはインピーダンスの不整合だってあるが、何より誰にでも分かるのは音色がとても淡泊でつまらなくなる処じゃないだろうか。

だがそうなるのも半ば必然で、エレキ開発当時の非リニアな増幅装置を通しても必要な明瞭度を確保する為にそうなっている。
この事実を現代的に「翻訳」するならば、歪ませないエレキにとっては「Ampが必須Effector」なんて風に捉えとけば済む話しなのだ。

今では音の数が弾いたのより増えるとか捻れるとか何とか、あからさまに普通じゃ無くなるのしかEffectと感じられない事だろう。
けれど登場当時だと「何でたかがGuitar如きでそんなに大きく鳴るんだよ」、もうそれ自体が一種の音の魔法みたいに感じられていたであろう。

近年乱用されてるCompressorだって「弾いたのとは違う音量やバランスになる」点では、実は上記のと大差無いんだけどね。
それと楽器とオーディオでは歪みに対する概念の違いも大きく、これの見落としも年々悪化してると感じられる。

エレキでは歪んで無い音色と言っても、それをオーディオ観点で見ればかなりの高歪み率が普通に大手を振ってまかり通っている。
オーディオ基準で歪み率で合格判定が可能なのったら、Line録りの極一部の位しか無い。

つまりオーディオ的には歪み率が悪くても、楽器音的には無歪みに聴こえる事が多いのが現実なのだ。
でもオーディオ的に歪んでるのが何に作用してるかってば、倍音成分の差等に表れている。

この時点で熟考願いたいのが音の透明度で、これに関してはやはり無歪みな程優れてはいる。
だから選べるなら「より綺麗な方」と思っちまうのは人間心理としては真っ当だが、この点を徹底追及するなら打込みが可能な現代に手弾きするの自体が間違いなのだ。

歌物の歌ですらボカロ一択とすべきな位で、生身で歌う時のブレス音(呼吸)だって邪魔者扱いして然るべきだろう。
実際そうすれば限りなく「透明な世界」が展開出来るんだが、だったら何故全てがローコストなボカロや打込みへシフトしてないのかだ。

これは端的に言えば普段誰も自分の呼吸音になんて意識や自覚が無いのが筆頭で、「してても当り前の音」に対しては心理的に他への影響が殆ど無いのに依っている。
寧ろGuitarだったら空Pickingを代表に、入ってても邪魔になるより助けになる方が多いのなんかもある。

近年本邦でだって上手に活用してる連中も居なくは無いが、過去比だと「お約束」でとか予め意図して等自然体で達成されてるのはかなり減ったと感じられる。
以前別項でドラムのTom系とバスドラの3連符フレーズを演る際、頭拍にフットHatを入れると演奏し易くなると書いた。

これは太鼓に限らず各楽器毎に「生身の人が弾こうとする」と、何某か「拍子を取った」方が楽だったり確度が上がるからとその様にされている事が多い。
そしてこう云うのは楽譜に「絶対出すな」と書かれて無い限り、譜面を書いた側だって音符が書いて無い所で「チャカッ」とか演られるのは想定済み案件となっていたりする。

んでこんな風な人が奏で様とすると出る音ってのも、誰かが実演してる証であったり演者の存在を意識させる元ともなっている。
それがお題の「歪ませない」案件でも近似で本件ではオーディオ的な完全無歪は、
原則的に対象外だしそれで良いのだ。

<つづく>

2020年5月23日 (土)

音楽備忘録290 エレキGuitar歪ませない効能②

先ずは歪ませた場合の弱点詳細へと進んでくが、当然乍ら歪ませなけりゃ弱点が無いでも無い。
論点は楽曲や使用箇所次第でどっちの弱点が困るかって部分で、流行にも左右されるものの一寸本邦の現状は偏り気味と思われてならない。

楽曲と音色とか演者のキャラと歌詞のミスマッチも今では殆ど誰も気にしなくなってるが、毎度でしつこいが本流がしっかりあってこそ成り立つ亜流なのである。
事の始まりはアニメやゲームの世界で新鮮味や非日常感を得る目的で始まった様だが、行き過ぎて本流が何処かへ半ば消えちまっては元も子もない。

そして何が不利益に働いてるかってば、わざとであるかどうかはとても重要だったのだ。
わざとだったら最悪は歌詞の聴き取りを阻害してでも、「良く聴こえなかったからもう1回」なんて思わせるのも作戦の内だった。

只その為には意図した該当箇所意外は「楽に良く聴こえ」てたりしないと駄目で、ついでにそこの歌詞が倫理的にギリギリのになってたりとか良い意味で裏があったりする。
そうして計算尽くでやっても何時も成功するとは限らんけれど、それでも滅多に単なるお邪魔になったりはしない。

処がそうこうしてる内に打込みの安定度への対抗心や演奏技量不足を誤魔化せると誤認したせいか、要求されねば「歪ませとく」のが何時の間にか普通みたいになっちまった。
確かになぞるだけで精一杯の奏者に「加減しろ」ったって幾らも上手くなんて演れず、物凄く手間は掛るし音楽的スキルも要すが「分かってるMixer氏」にお任せしたらボーダーラインはクリア出来るだろう。

但しそこ迄するなら打込んだ方が大抵は好結果が得られるし、各音色の「中間領域」は使用不可となってしまう。
してこの音色中間領域こそが楽器が電気式か電子式かの大きな相違点で、物理的に実在の音源を持ってるかどうかの差から発生しているのだ。

音源実在はそれに縛られる弱点はあるが、それで出せる範囲の音ならどんな中途状態のでも途切れる事は無い。
だが電子式のは数は膨大でも「特定の状況下で鳴った」のへ後加工が可能なだけで、サンプリングされてないとかストックされてないのは基本的に出せないのだ。

それでも現代本邦の一般環境からすると爆音必須なのとかは使い辛くて仕方無いから、自宅では電子楽器でってのもそれ自体は大いにアリだ。
しかし何式であろうと例えばそれがドラムなら「バチで叩く」って操縦方法の大枠は全く一緒なので、音源を鳴らす指令を出すには何かの楽器が弾けなければ打込むしか無い。

近年の一般的用途では生或は電気式のより電子式の方がご利益の多い場合が常かもだが、それだってマトモに弾け無きゃ結局マトモには鳴らせないのである。
んでもしある程度以上にマトモに鳴らせるのなら、様々な点でバーチャルは必要最低限に抑えといた方が何かと後で助かるのだ。

端的に例示するなら歪ませないで録っといたのを後から歪ませたりは可能だが、逆は不可能でげしょ。
そりゃ幾らでも録り直しが可能で弾く度に必ず前回のを上回れる自信があるってんなら別だが、そんな達人なら端っから最適音色と歪ませ度を把握してる事だろうさ。

尤もこれにも条件があって、全体の基本線が最後迄不変であればの話しなのよ。
例えば録ってる最中にもっと良い歌詞が浮かんだりして、それにサウンドも急遽合せたいなんてケースもある。

しかも明らかに改良後の歌詞の方が良いのに何らかの事情でGuitarを録り直す暇が無いからって、明らかに良い方を断念するってのも勿体無い。
そんな時に限界はあるけれど加工自由度の余地が大きく残されてると、助かる確率がグンと高まるのだ。

それと近年の多数がかなり勘違いしてるのが、歪みが深けりゃ迫力や存在感の足しになると盲信してる類。
近年みたいに幾らでも深く歪ませられる様になるとそれ自体は今風の象徴かも知れんが、それは割と誰にでも買えるEffectorを買うだけで済む。

持ってた方が流行の端っこ位には掴まってられそうだが、他の皆とほぼ一緒では埋もれるの必至だ。
もし過去の名作としか張り合わんしそれに絶対の自信でもあるならワシャ知らんが、普通直接のライバルになるのは時代も世代も何も似通った相手になるよね。

本人が幾らJimi Hendrixの倍歪ませたヤツと思ってても、世間はそれより先にBABYMETALのファンとかじゃね位に捉えるかもな。
本家がFuzzを多用した当時似た様な使い方をしてる奴は皆無で、それからしたら今は逆をするのこそ美しき抜け駆けって事になるね。

<つづく>

2020年5月22日 (金)

音楽備忘録289 エレキGuitar歪ませない効能①

前回迄ガラケーすら不所持の末端ブロガーにしては不似合なお題だったが、持って無いからこそやるには買わなきゃならないから熟考させられるのを逆手に取ったつもりでいる。
ネタ切れ!?に伴い今回からは専門の方へ戻ってくが、近年本邦では極一部の例外を除くと余りにも考えずに深く歪ませてるのばかりが耳に付く。

元はと云や存在感(迫力)と演奏の楽さが原因で氾濫状態に陥ったと思われるが、その他にもエレキ生音の音色バリエーションに疎い人が増えたからではと憶測している。
現代でも定番音色となってる代表格にStrat系ハーフトーンのがあるとは思うが、その多くはLine録り系のであろう。

その多くにはChorusと短めのReverbが併用され、確かに独特の美しさに疑念の余地は無い。
けれどもそれだけだと綺麗さ繊細さには秀でてても太さ等には縁遠く、使える場面は限られている。

加えてこれってGuitarの音色の美しさより、実はEffectorへの依存度が高いのが気になる処だ。
かく言う俺自身も過去に利用経験はあるが、モノホンのStrat不所持なのもあったりで最近はスッカリ使わなくなっている。

それは兎も角Strat系ハーフトーンには使用上の弱点があるが、それは音色バランス的に中低域を強めた
伴奏が苦手な処だ。
伴奏ではアンサンブル的に音色重心は低目が欲しくなるが、高域に最大の特徴を持ってるのでその含有量を一定以上に保たないと美味しい領域がスポイルされるからだ。

また歪ませるにしても深くなるとやはり同じ傾向が強まる為、らしさを維持するには歪みの深さと音色バランスに結構制約がある。
これが特にLine録りの場合に顕著に表れ、その面で楽曲に合せた微調整が苦手な音色と言えるだろう。

なのでもしStrat系ハーフトーン以外のエレキ生音に疎いと、たまたま嵌るの以外は直ちに歪ませてしまうのかも知れない。
こんな時にとても参考になるのが過去の黒人系の作品等で、それは歪ませる時には何を使うかの影響も大きいみたいだ。

エレキの歪ませサウンドは実際には黒人系発祥なんだが、過去述の通り白人系のみたいに意図・企図しての物では無かった。
そのせいかJimi Hendrixの衝撃が大き過ぎたからかは知らんが、黒人系の歪ませはFuzzって不文律みたいなのがある程度形成されていた様だった。

そうなると軽く歪ませた音色は得にくくなるが、もし歪んで無くても同等の存在感が出せれば補えてしまう。
これとSoul等Jazzからの影響を必ずしも隠さないのが手伝って、ハムバッキング系のフロント+リアPUに依る独特な音色を旨く活用してるのが多い。

この音色は少し後にBeatles初期のGeorge HarrisonやDoobie BrothersのTom Johnston等が活用していたが、白人でも黒人系のを音色的ルーツに持っていた連中だ。
それ以外だと今本邦では一寸接点が僅少だが白人系ではCountry系があり、何れも楽曲の上り下がりへの追従させ易さが考えられる。

特に一本調子では困る歌物にはおあつらえ向きで、安易に弾きムラが出易いからヤダなんて言ってるのは何処のどいつだいっとな。
そりゃずっと一定なのが適してたら変に出過ぎたり引っ込みすぎたりしたらそれがムラになるが、本来のムラとは小人口の自治体…じゃ無くって楽曲の強弱とズレてる物がそれに値してるのだ。

これは幾ら無理くりコンプで全てを平準化させたとしても、音色変化量が不足だったり不一致だったりすればもう立派な「ムラ」なのである。
例に依って毎度同じパターンで済まんが、もしそこ迄気にするなら今時打込み一択ですがね。

それよりも幾ら上手に弾けても不一致ににしかならない音色って方が、俺的にはもっと気にしといた方がお得と思いますねん。
そりゃ一々音色をEffectorで切替えちゃえば済みそうだけど、それにはそれで電気楽器特有の個性に対しての大きなマイナス作用があるんで御座居ます。

<つづく>

2020年5月21日 (木)

音楽備忘録288 音楽も含めたテレワーク③

本項もこの辺で一旦終結させようと思うがテレワークは可能なら、結構誰にでも必要な処迄話は来た。
以前一部の音大では学校主導の動画アップがなされてるのに言及したが、正味な処それで表立った効果が出てるとは今の処は言い難い。

又既に一定以上の実績を持ってたりすると、高評価確実じゃ無いと出すのを躊躇してる人も結構居そうだ。
がそんなのは最早夢か幻かで、今となってはもうちっとも珍しくも何ともない動画発信等である。

結局多くの支持を得られるかどうかは内容次第なのは不変で、メディアの種類に依って多少優先事項が変動してるだけだ。
現実的に過去の名声!?を否定しちまう様な駄作をおいそれとは出すべきじゃ無いが、だからって構想を温めてるだけで上手くなれる物では無い。

最低限「傷が付かない」様にする配慮は要るが、本当に自発信出来ないとしたらそれは機材等の事情の方だ。
これすらスマホの普及で俺みたいな例外以外は障壁は無くなってるから、それなりに発表可能な手持ち作がある者は今すぐ録って上げとくのがお薦めだ。

特にアマチュアの方がこの影響は大きいと思われ、昔みたいに直接出向かないと聴けなかったのが変ったからだ。
有名人やプロのは殆どの場合レコードなりテープなりが売られてたし、大手系のならラジオやTVでチラ見する程度ならそこそこチャンスがあった。

一方数少なかった独立系の方は客には手間を要したが、Liveの一部を無料化したり意識的にテープの無償配布等も行っていた。
のに加え最大の相違は定点・定時的出演場所を設けたりして、そこへ行けば「取敢えず繋がれる」様な状況を用意していた処だ。

これは今だって完全に無くなっては居ないけれど、過去比では拠点数が増え過ぎたり○○専門の店みたいなのが減って探し当てるのが難しくなっている。
年寄りの戯言丸出しになるが活動時期の新しい人へ参考にボヤいとくと、昔はLivehouseに出演するの自体がかなり高いハードルであった。

初心者や下手クソが出させて貰えるのは特定のコンテスト程度で、例えアマ主体のLivehouseでもどの店もそれなりの品格を堅持していたのだ。
品格ったって相撲の横綱じゃないからお下品だったり態度の良くないのの方が多かったが、少なくとも趣味の合ってる人にはお金を払って損させる様な事は皆無だった。

例えば渋谷の木造3階時代の「屋根裏」って店ならPunkの殿堂として君臨してて、取敢えず何時行っても本格的なPunkを必ず体験出来ると云った具合だ。
つまりお客から見てある程度「アテに出来た」から、お目当てや知ってるのが出て無くても試しに行ってみるべかが成立してた訳ね。

今はこれは昔比では殆ど崩壊したと云え手間暇費用も掛かるから、余程の物好きかスカウティング以外でアテも無く足を運ぶ人は居なくなった。
多様化と量的膨張のせいで「拠点」が無くなったのは厳しいが、これからすりゃ何か1つでもネット上に上げとかないと「入口」が無いのと同じと思われる。

そうして入口を整備した処でこんなに大量に氾濫してると幾らもアクセスは期待出来ぬが、だからって無い入口からは絶対に入れない。
インターネット利用歴の長い従兄曰くブレイク迄に幾らでも時間が掛る覚悟が必要だそうで、この点では一面で「待つのが仕事」と言えそうだ。

勿論少しでも興味を持って貰う為の努力に休みは無いが、予測時期迄に想定通りの評価が得られなかったからって手を緩めるのが一番無駄なそうな。
現実的には労力と効果のバランスで先を決めるんだろうが、短期効率のみに目を奪われてあちこちを転々としちまってはいけない。

それではお客さん側から見て「アテに」なる場所が無くなってしまい、あんなのが聴きたくなったらあそこへみたいなのだけでも定着させるのが大変重要だ。
そんな受け身がもし嫌だったら受注生産とすれば良いが、盛んに「御用聞き」をして回るにしてもニーズのタイミングが合致するのは天文学的低確率だ。

それをするにしても結局「アテになる受付窓口」が必要で、どんな仕事が出来るのかもある程度知れる様でないと魅力も足りない。
でも考え様にに依っちゃ昔みたいに電柱に貼り紙したり外に看板を出すのしか無理だったのと比べると、お客さんが店員に接見せずに様子を知れるのは消極姿勢のお客さんには効果絶大だと思うんだけよね。

<この項一旦終了>

2020年5月20日 (水)

音楽備忘録287 音楽のテレワーク④

前回「含めた」の後部で何やら雲行きが怪し気になってるが、Drum録音に関して少々「愚痴の元」を抱えてたりもしたからだ。
自粛要請のお陰で自動的にその厄からは離脱出来た様な格好になってるが、そもそもの発端は今や音楽は記録するのが当然の物になったからかも知れない。

オジサンの懐かしい記憶に依ればかつては奏者側が録れるのはせいぜい練習を簡便に程度で、設備・機材・操作スキル等の事情で本チャンは専門家任せにするのがデフォだった。
俺の場合は金無し技ありと特殊境遇だったから今と大差無かったが、それでも機材の高価格の影響は免れずにいた。

今だって「ちゃんと分かってる人」がそれなりの機材を使うとクウォリティに差が付くが、スマホのみでも一応鑑賞に耐えられる程度の動画が録れちゃうと時代は変わった。
こんな今の環境で苦しんでる!?筆頭が私見ではClassic系の方に散見されるが、弾くだけなら電気・電子機器の操作なんて不要だったからだろう。

従前のアマチュアならせいぜい防音室の照明と空調が、最低限弄れればそれで事足りてただろう。
稀にはご身分次第じゃそんなのは全て下僕が整えてて当り前だったりして、そうでなくても家のリビングで弾いたりするなら誰か先に居れば既に環境は整ってそうだ。

尤も近年では欧州では木の保護目的で紙の譜面の使用頻度が著しく低下し出してて、こっちでも若い目のプロでは荷物等の都合で電子化して持ち歩いてる人も増えつつある様だ。
それでもPC系でメールを打って送るのと、音や画をキチンと記録するのでは結構な違いはある。

楽器趣味人の中には個人でひっそり楽しみたい人もある程度は居そうだが、そうでも無い限りはアマチュアでも自らの無発信は色々と不遇を生む様になって来ている。
特にそれを顕著に受けてるのがClassic系の音大生等で、大衆には少し敷居が高いのとJ-POPみたいな人気は無いのが災いしている。

例えばアニソン・ボカロ・ゲーム音楽が好きな者は大抵ネットや電子機器にも明るいが、古典系ではお客さんの方もこれらに疎めな人が多いと2重苦だ。
尤も近年は一部音大等では学校側が率先して動画を上げたりもしてるが、沢山上がってるとか直に見つけられるとなればお客側の状況も徐々に変わって行くだろう。

まあこれもある意味どれだけ瀕してるかもあって、もしとても世間的にマイナーなのを演ってたら人気度不問で片っ端から動画や音声ファイルをネットへ上げようとしてるだろう。
又例えば打込みみたいにLiveパフォーマンスがほぼ皆無だったり無理だったりしたら、完成作品の露出以外に世間に音を直にお披露目する方法が無いんだからね。

こうした芸術系作家の中で今時自発信をしなくてもセーフなのは、コミケ等の趣味の大会が安定開催されてる様な類の限定と思われる。
それだって漫画も原作なら大丈夫でも画を描くだけの人だったら、個人だけで完成作品を作れないから無発信では埒が開かない。

これが音楽だと作曲家でも今は譜面だけの発表では読取りが限定されるし、不特定多数がそれを見にやって来る様なイベントも皆無に等しい。
となれば仮に楽譜だけだったとしてもせめて自分で誰でも見られる様にしとくべきで、そうしてすら音や姿の印象が残せないんだから動画全盛の中ではとても苦しい。

だがそんな手間を面倒だと一蹴しては怠慢で、それは過去と比べたら一目瞭然だ。
実際体験した期間割合が多かったが昔だったら多重録音や打込みは簡単には出来なかったから、メンバー不足の時は何も正規のお披露目は出来なかった。

だからって妥協して誰かに協力して貰っても、意図の反映が不充分でこっちのイメージが伝え切れない。
或は単独弾き語りにするにしてもそれが正規のスタイルの人じゃ無いと、例えばコーラスも売りの一部にしてたりするとそこが披露出来ない。

それである程度の規模が要る人から積極的に取り組みだしてるんだろうが、近年みたいに生のジャムセッションや飛び入りが減って来るとソリストだってもう他人事では無い。
場の問題だけじゃ無く年寄り観点からだと一番気になるのは所謂「スタンダードナンバー」の衰退で、知らなかったり弾けなかったり共通事項が不足し過ぎてるのが何よりヤバイ。

これは実は個人発信に限らんが、誰でも知ってるので誰も知らないのを披露出来てこそ真の個性と言えるのに繋がっているからだ。
仮にどんなに個性的な音が出せても素人や初見さんは、曲のせいか編曲のせいか演奏のせいでそうなってるのか直ちには判別出来ないからだ。

<つづく>

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

2020年5月18日 (月)

音楽備忘録285 音楽も含めたテレワーク①

前回にそもそも個人宅でのテレワーク環境不備へ成行きで到達したので、一応お題もそれに合わせて修正してみた。
んだけんどもテレワークは愚か自宅での楽器練習等、今本邦では基本的に家では何かの作業をするとか出来るってのが不足し過ぎてるのが厳しい。

限られた空間で快適性を追及したり在宅時間とそれに掛るコスト等の都合でよりこうなったんだろうが、私的には幾ら何でもカプセルホテル化させ過ぎじゃん
と思っている。
その根底には是又政策の不備があるとしか考えられんが、それは「寝蔵」に対する考え方の中途半端過ぎが不味かったと思われる。

今は台所より風呂・トイレの方が必須とされててそれは間違っちゃ居ないが、真に「帰って寝るだけ」の空間とするなら最早個人所有・占有の必要なんてあるのかどうかだ。
それに加え自宅で不可能となった作業をしたい時の施設はもっと潤沢に用意しとくべきで、しかもこの方向性で行くなら頻度差はあれ誰でも必ず必要とするのだから無料若しくは低廉でなくちゃ嘘になる。

多様な思考の人が混在してるから完全統一を目指しては旧共産主義みたいになって駄目だけど、自粛要請と補償はセットなのと同じでちゃんとセットになってないと機能しないのが無視されている。
とは言え何時迄も無能政府に文句を付けて待ってても世界から取り残されちゃ敵わんから、本来はNot My Businessでも自前で進めなくては埒が開かない。

低レベルで悲しいもある意味こんな処も「出し抜く」キッカケにもなり得る訳で、少なくとも非リア充だったら直ちに取り掛かるのがお薦めだ。
事前準備されてる資金も無く個人って小規模では出来る事はささやかではあるが、塵も積もれば山となるで放っとくと後で追い付けなくなる危惧がある。

音楽に携わってる場合特に気にすべきが技量・奏力・経験値で、やり方さえ分かれば直に実用に供すとは行かないのが多いからだ。
ここでの鍵は費用対効果の継続性で、具体的には毎回他所の設備を借りるのと自前で徐々に設備を整えた場合の「後での違い」だ。

外に求めた場合の損得は維持管理不要だが「その場限り」な処で、滅多に起きないけど今回みたいな事態に遭遇すると何も出来なくなる。
ここで通常時の人の生活実態も加味してくと今回みたいなのは無くても、予想外の休日が手に入るなんてのならそこそこあり得るだろう。

宅外でしか活動しない想定で暮らしてても急遽相手の都合で予定が流れ、そんな時に常に個人練習でもStudioに空きがあるとは限らない。
それと賃貸料も単位あたりは廉価で直に払えても、積算したらどの位膨らんでるのかを注視しとかないとならない。

元から閑古鳥とは云え流石に今は非営業にしてるが、個人宅で一応録音Studioをやってる者の観点ででもだ。
余計な事を暴露して更に儲けが減るのも苦しいが、商業目的で始めたんでは無く空き時間の有効活用や維持費の調達を目論んだ結果だ。

又借りる場合に考慮の要るのが「借りる道具」のコンディションで、運悪く寸前に借りた奴が人でなしだったりするとそれだけで正規の状態が得られなかったりする。
これを気にすると賃料は一気に跳ね上がり、選択肢数もかなり限られてしまう。

軽い練習に大したコンディションも不要かもだが、だからって何時も酷過ぎるのばかりしか体験出来ないでいるとこっちの感覚が狂わされる事だってある。
これが厄介を孕んでるのは人に依って何処がどれ位じゃないと困るかがかなり違ってるからで、パーソナルな行為なだけに○○様専用的要求が強い。

更に付記しとくと業者側のスキルの低下が顕著で、完全な専門家じゃないと扱えない機材しか無かった時代と比べると仕方無い現象かも知れない。
昔のStudioだってしょーも無いオヤジは勿論居たが、今とは「駄目な場所」は明らかに違っていた。

他の処でだってそうだろうが昔のは最低限の仕事はこなせるが、呑んだくれてたりセクハラ大王だったり…。
実際それにも困らされたけど費用をつぎ込んでて一番困るのは、どんなに態度その他が良かろうと肝心な部分がちっとも捗らない場合だ。

<つづく>

2020年5月17日 (日)

音楽備忘録284 音楽のテレワーク③

悲喜こもごもの独断音楽テレワーク談義と化してるが、理想としては無用な通勤ラッシュを減らした分のリソースで映像・音楽リアルタイム用回線でも設置して貰いたいもんだ。
一般事務は現用のデジタル通信回線で賄えるがこっちはそんな低性能のじゃ役に立たんのやさかいな、と妙に上から目線で訴えたって駄目だわよねぇ。

そこで実現性に乏しいのが殆どだが自分達だけで出来る施策も少し考えてみるとして、前回「既設回線」が不適合の対案としては先ず自前の通信線が考えられる。
偶然な幸運でも無いととても厳しいが、もし都合の良い設定のドラマや漫画宜しく隣り合わせの一軒家に住んでたりしたら話は極簡単だ。

ってもそんなのほぼ夢物語だが、アパート等で隣同士の部屋を借りるなんてのは難しいけど不可能じゃ無い。
この作戦での決め手は他人の敷地を経由せずに、線を繋げられる処だ。

尤も隣に居るならすぐ会えるんだしそもそも自室で音を出せない場合が多いんだから、その面でもちっとも実用的な案じゃ無い。
でもだからって全く無益でも無く機材の移動が不要だとか、どっちの部屋も狭くて2人迄しか演奏出来ないなんてのには倍増可能だ。

そんでここ迄はアナログ音声信号の有線接続想定で言ったが、遅延面では不利になるがデジタルでも間に何も経由しなければかなり遅延が減らせるのも確かだ。
これとは直接は無関係の手前味噌だが宅の宅内LAN配線で、2Fへは1Fにあるルータから自分で長いケーブルを買って来て繋げてたりしてる。

今日最初の因みにだがUSB規格等だと長距離は非保証だが、オーディオ系の多くのとかLAN規格ではそこそこの距離まで対応済みなのを活用させて貰ってる形だ。
近年はオーディオインターフェイスはUSB接続が主流だから、PCは相棒ん家のでこっちはインターフェイスだけで何とかしようってな流石に虫が良過ぎると思っといてね。

それ以外にも劣化や雑音混入最悪は盗聴の危険もあるけれど、ワイヤレスMicみたいに素人が扱える電波で送受信が出来る可能性もゼロでは無い。
とは言え何れも不完全・不便・多制約…とかなり非現実的ではあるが普段から家には電子ドラムやエレキならヘッドホンAmpしか無いとかなら、合奏してもしなくてもご近所への影響には一切の違いは生じない。

この演奏音の問題についてはリアルタイム性を無視したとしても全く同じ事なので、若い人なんかには或はこっちの方が重要課題かも知れない。
そこで一寸お題をそっちへシフトして行くが、俺みたいな年寄りで先ず困りそうなのが歌唱だ。

声色の都合で絶叫する訳だから、これは無防音で演ったら正に無謀の極みとなってしまう。
けれどネット上を漁ると歌みたいに「場所を幾らも取られない」パートの場合、大き目の家具を改造(若しくは改装)して代用ブースにしている例も見受けられる。

そうなるとやはりスペースを要する物や、出音大き目の生楽器の人が一番大変そうだ。
尤もこの件は今本邦じゃコロナやテレワークとは無関係に普段からの大問題で、園庭の幼児の楽し気で元気な声すら誤って公害認定する老害が多発する始末だからねえ。

こんなののせいで好きな楽器を子供に諦めさせたりしたら最低で、このまま行ったら間違い無く世界最低の国になっちまうわ。
とは言え実際狭いし固まって暮らしてんだから無策って訳にゃ行かないが、それだけで不利を託ってるとか仕方無いなんて思ってたら大間違いのコンコンチキやでぇ。

皆が離れ離れに暮らしてたら実質上の交通費とかはもっと掛ってる筈で、その分迄なら予算を防音遮音に割り振ったってまだ一銭も損しちゃいないんだよね。
最近の建築では徐々に配慮されつつあるけど、今テレワークになった途端に家庭内に仕事に適した場所が持てないのなんかもそんな意識と大いに関係アリだろう。

<つづく>

2020年5月16日 (土)

音楽備忘録283 音楽のテレワーク②

又悲観論から始めちゃったけど脅かすつもりとか全然無いし、だから無理してでも顔を突き合せろとは思っていない。
けれど先ずは現況を知って貰って、その上で知恵を絞ったり環境改善を目指しましょうって腹なのだ。

今通信環境が音楽不利なこんなんになっちまってる原因を考察すると、通信屋に音響の特にPA的知識や概念が周知されてないのも想定される。
実際には通信とオーディオや楽器音響等は半ば一体化してる物なんだが、ニーズ量の大差のせいか悪い意味で分離し過ぎてる様だ。

ここで再度電話のアナログ回線とデジタルでの遅延差を例示しとくと、近距離で電波状況が良ければ目立った違いは出ない。
が電波状況が悪いと音質もシステム上の最低限迄落ちるが、それ以上に遅延は誰にでも必ず分かる程酷くなっている。

これは単に性能不足だからってよりも「優先順位」が昔のアナログのとは違えてあるからで、「何て言ったか」最低限の情報だけは尊守する様にしているからだ。
電話としての一般目的からすれば妥当だし寧ろ好ましく、何回言い直しても訊き直しても分からないなんて事態を極力回避出来る。

そしてこの差は昔のアナログ伝送では意図的時間軸の調整は原理的に不可能だっただけで、もし可能だったらとっくにリアルタイム性は従とされてたかも知れない。
これをこっち系で例えればReverbなんかと似ていて、アナログオンリー時代は電子回路のみに依る残響装置にはロクなのが作れなかった。

但し電気で無理なら天然でつまりエコーチャンバーを作ったり持ったりと考えたのは正解で、デジリバは雑音の無さ等外面の美しさは圧倒的だが響きの密度に関しては普及品では寧ろ劣化している。
それでも遅らせたい用途には信号加工に於いて時間が潤沢に用意されてるからまだ良いが、リアルタイム性が重視される物ではアナログ優位なのも多い。

例えば歪み系等で聴き乍ら弾くのを加減しようとすると、極僅かな時間差でも手加減に悪影響が出たりする。
こうして俯瞰してみれば結局は「音楽用の通信回線」なんて元から殆ど存在して無く、一般ビジネスの様にテレワーク化するのは現状ではまだ条件が悪過ぎと言える。

尤もリアルタイムって枠を外したら音楽系の方がとっくの昔から遥かに進んでて、有形無形のメディアを通して聴くのは一般化している。
因みにここでの有形はレコード・テープ・CD等、無形はTV・ラジオ等の電波の事だ。

少し脱線且つお勉強としてでは「配信Data」の場合はどっちなのってば、保存可能だから現物として目には見えないけど有形の方に入る。
Liveはその場に居て開催中の間は現実だが、記録保存が出来てもその時と後からでは大きな違いがある。

例えば変な野次飛ばしたら怒られたとか、良い子にして聴いてたら褒められたとかそんなのはリアルタイム特有の事象だ。
つまりデジアナに直接は無関係でリアルタイムってのは面倒な一面を持っていて、通信回線だけに罪があるとは言い切れない。

とは言え例えば録音時に音量差の大きい楽器を合奏するのに、個別ブースに各自が居て演るなんてのは「プチテレワーク」の典型だ。
本来の目的は各パート音の明確な分離収録だが、もしブースの出入口が全部個別且つ建物外部に直に面してたら感染症対策には有効だ。

もっと突詰めりゃ全奏者がヘッドホンを被ってたらそれだってミクロテレワークってなもんで、寧ろこれ等のどれもが未体験な人を探す方が難しそうな位だ。
この様に音楽界では従前から可能な範囲はかなりテレワークってたとなると、そこから先進みさせるのは大変でも仕方無さそうだ。

会社に行かなくても出来る事務仕事をそうして無かったのは、失敗した部下を小突きたかったからかもなんて言ったら炎上商法になるだろうか。
もっと正確に言えばどっちでもOKと制約が無かったからで、ドラムトラックにBassが混入しては絶対困るとか条件が厳しかったらそんな無駄は起きて無かったろう。

尤もこれは経営サイド側の観点だけで、現実には多数の労働者が本来なら不要な通勤地獄に苦しめられてるが…。
だから「小突きたかったから」なんて、Rockerらしく!?悪態を吐いといてやっとるんじゃい。

<つづく>

2020年5月15日 (金)

音楽備忘録282 音楽のテレワーク①

大して詳しくも無いのに無謀にも時世に合せたお題へ挑むが、非専門のこんなオッサンでも全く未経験でも不使用でも無いのが如何にも令和の今っぽい。
従兄とそれなりに実験に臨む予定もあるけれど、今回はリアルタイム合奏の可能性へ言及してみよう。

さて冒頭から脱線スレスレの昔話しから行っちまうが、これには大いに訳があるのだ。
それは現況ではほぼ全ての相互通信がデジタル化した事で、殆どは良くなっても弱点が皆無じゃ無いのに目を向けて貰おうって趣旨だ。

アナログ通信(伝送)だって遠距離になればあからさまな遅延も出るが、比較的近距離であれば凡人が気になる様な遅れは生じ無かった。
つまり昔の電話で近場同士だと音質等は最低だったが、コーラスのお試し位は受話器の向こうとこっちでリアルタイムで簡単に出来たんだよなぁ。

こっからは急に専門分野となって張り切り出すが、要は近代のデジタル通信システムはリアルタイム性には方式的にとても不向きなのだ。
エラーや劣化が起こり難いとか光ケーブルを使えばたった一本だけで、一定時間あたりの情報量も多いとそれは確かに素晴らしい。

しかし「実音」という空気振動を電気にの他A/D→D/Aの分でも少しは遅れるってのに、時分割方式で更にそれへ加算されてはたまったもんじゃ無い。(A:アナログ,D:デジタル)
過去比では変換速度は劇的に高速化しちゃいるが、だからって2度手間3度手間と複雑化すれば影響は必ず受けてるのだ。

因みに誤認回避目的で近年デジタルMicとかデジタルスピーカと呼ばれてるのの実情へ触れとくと、各々電気的接続がデジタルになってるだけで肝心の音声⇔電気信号変換部は全く昔乍らのまんまである。
もし本当に音を直接デジタル信号に変換出来たなら遅延縮小に貢献するだろうが、少なくとも我々が手に入れて使える範囲にそんな優れ物はまだ存在していない。

この問題に限れば通信を全てデジタル化したのは時期尚早だったとも看做せ、既に張り巡らされてたアナログ回線を全部撤去したのが悔やまれよう。
或はデジタルであってもせめて送受信を別線としとけばまだマシだったろうが、それは現用デジタル信号の伝送規格の「縛り」にある。

1本繋ぐだけでOKは簡単で便利この上無いけれど、その1本に多数の情報を同居させる為に上出の「時分割」って方法がとられている。
例えば0~0.1秒迄は映像Data・0.1~0.2秒の間は音の左ch、0.2~0.3秒の間に音の右chを等と「棲み分け」をさせている。

何故そうするかってば下手に混ぜちゃうとそのせいでエラーが出易くなったり、それを補正するのが困難になったりするからだ。
上記例だとそれでも「たったの」0.3秒後には全部がキチンと伝わるが、リアルタイム性を気にしたら全く不適切な方法なのだ。

それでも電話とか会話主体なら俺みたいな無神経野郎を除くと、普通は「訊き終ってから喋り始める」んだから余り実害は無いだろうと云う考えに基づかれている。
それでも例えばマルチ録音の要領を持ち込めば例えばDrummerは自宅で他パートを聴かずに叩き、後の者はそれをネット越しに聴き乍ら弾くなんてすれば全くどうにもならんでも無い。

実際にTV番組等ではこの手も少しは使われてると思うが、これが成り立つのは完成品を奏でる場合のみの限定だ。
合奏の本来の醍醐味は「お互いが相手を聴き乍ら弾き変える」であると定義すりゃ、この肝心なのは現行通信回線システムの都合で昔より困難化しちまってるのだ。

折角生身でその場で自由に出来ても「一方通行」になっちまう訳で、影響僅少で済むとしたら超俺様ワンマンBand位だけだろう。
しかも親分が常に真っ先に音を出す組合せに限られ、こんなののせいでオレ様ミュージシャンが増殖したら大変だ!?。

<つづく>

2020年5月14日 (木)

音楽備忘録281 バスドラペダルとフレージング26

大分長く続いたんでそろそろ本項は一旦閉めようと思うけど、原典体験が有益且つ重要なのはドラムに限らない。
尤も現代ではPAその他の「補助機器」の発展・普及で知らなくたって音楽出来なくはならないが、それならそれでやり方を再考するのがお勧めだ。

打込みや電子楽器を利用すれば人力・天然だけでは不可能なのが色々演れるので、例えばバスドラにトリガーを常用する位ならわざわざ生のセットに固執するのは最早時代遅れだ。
ってのも生+トリガーで「出来る事」は既にかなり出尽くしてるから、もし今から始めて追付く頃には「懐かしいもの」になってるだろうからね。

単純にそれが好きなだけで周囲の評価を無視出来るならご自由にだけど、例えどんなに上達出来ても貴方が初めて触れた時の様なインパクトを他人は決して感じてくれない。
特別に興味を持ち続けてる人以外には、時間の経過やオリジナルじゃ無い事の影響は大きいもんだ。

俺が古典ペダルで新技開発に繋がったのは千載一遇の偶然でしか無かったが、僅かな色気はあったもののそれが目的でなった訳じゃありませぬ。
単に自分の求めるスタイルを追及しようとしただけで、ある意味ホントは残念だけど「自分の齢」を受け入れたからだ。

本邦では未だにベテラン達人の一部に所謂「齢甲斐の無い」真似をするみっともないのが居るが、それを見てああにだけはなりたくないと思ったのが本音だ。
その何が駄目って道具や新風貌が演ってる音楽とミスマッチだったからで、採り入れ方の勘違いの典型なのだ。

ブームはとうの昔に過ぎてジリ貧の辛苦を舐めた挙句なんだろうが、「不人気でも残ってた良さ」をスポイルしては本末転倒じゃないですか。
Rock系も歴史が積み重なって新しくは無くなった以上、以前よりどれだけ「それらしく」出来るかが鍵を握ってると思っている。

それへ「三つ子の魂百まで」を加味して考察すると、世代や時期を否定するのは決して利口じゃ無いのは気付けるだろうか。
例えば今聴いても素晴らしい過去作は幾らでもあるが、出た当時の衝撃はその時に既に生まれてた人にしか体感は持てない。

とすればそれは世代特有の武器でもあり、例え新規開発するにしてもその「感覚」を活用しない手は無いのだ。
ベテラン或は新鮮味は失せた者・物が何らかの新規を企てられるとしたらその源はコレしか無く、換言すれば「世間視点の新旧を下手に気にし過ぎない」のがコツであろう。

僭越だが一応体験者として提言させて貰っとくと、ネタとなり得るのは音楽でもその道具でもシンプルなのが決め手だ。
既に色々加えられてる物だとそれに依る制約が大きくなってて、それの除去作業をする位ならそれ自体の「元ネタ」へアクセスした方が手っ取り早い。

今回はその中でお題に従ってペダルのみに絞っとくが、付加機能等の多い物程この目的には合致しない。
これには物理的に以下の様な問題が考えられ、多機能を搭載する為の土台に不要部分が発生する可能性があるからだ。

中にはEdward Van Halenなんかみたいに自分で思い切ってボディを削っちゃう様な勇者も居そうだが、本人談に依れば自加工前より音色が劣化したんだそうな。
完成品になってる物から削るより足りないのを足したり強化する方が技術的にも楽だし、当初は仮設としとけば駄目だったら元に戻せば良いだけだからね。

それからすると現代的な高機能なヤツはこの手のネタには不適格で、知恵無しでの追設は不可能でも古典的でシンプルなの程発展性は高い。
そんなん語っといて実際俺は殆どは調整しかして無いけど、手持ちYAMAHA FPとか従兄所持のTAMAので「擬似ロングボード」実験ってのはやったことがある。

それはフットボードヒール部を固定させる為に本体と連結してる嵌め込み式の鉄棒を、本体側から敢えて不安定になるが一時的に外すってのだ。
これは従兄がご執心のヤヤンクちゃんの擬似体験を狙ったもので、もし好結果ならその連結棒部分だけを新規に捏造!?してやろうって魂胆だった。

結局現時点では作製要望は出て無いが無償のプチ体験としては一応アリで、もし立派なアンダープレート付きのだったら邪道だがこんな芸当は即座に簡単にとは行かなかっただろう。
素手で分解可能な構造のだったら取敢えず一寸だけ試したい時、簡単だし楽だしで例え不完全でも様子見位はもう思い立ったその場で試せるんですよね。

<つづく>

2020年5月13日 (水)

音楽備忘録280 バスドラペダルとフレージング25

Drummerは副業でも昔からバスドラは猛ヲタで、その中でもかつては専門!?だったパワー案件を今日のお題にしよう。
当然の如くペダルの古典系・現代系とも絡めて行くが、ペダルの風貌のせいでどうしても古典系が非力に見えてる人も多いだろう。

既に正規の踏み方を会得済みじゃ無けりゃ少し試した程度では分からないが、体験からすると例えばSpeedkingは全く底知れぬ感じなのだ。
他の現代系ペダルだったら大体これが最大だなってのは直に掴めたんだが、もしかしたらSpeedkingでは未だに出せる最大迄到達出来てないかも知れない。

俺自身も知ってる分野以外では凡人そのものなので、見た目から購入当初はパワーは全く期待して無かった。
尤も元々足は強いが手は弱かったのもあって、モアパワーの要望が無かったのもあっただろう。

実際使用開始から1年間程はピークは未だしもアベレージ音量は低下してたが、力では言う事を訊いてくれないペダルなのが分り出してからは情勢が逆転した。
それでも暫くの間は「何か今無造作にしてたら一寸大きかったかな」と思っても、音色のせいもあって録音してみる迄は半信半疑だった。

ペダルだけじゃ無くドラムセット自体も古典的薄胴タイプのは、印象だけだと良く言やけたたましく無い悪く言や非力に感じられる。
特に叩いてる本人にはそう感じられるが、いざ録ってみたり遠くから聴いてみると正反対な事が多い。

これはSpeedkingがある程度手に負え出してから従兄の処へ自慢しにお邪魔してハッキリしたが、この件にはおあつらえ向きな事に彼の処のセットは厚胴及び一部深胴のでペダル共々現代系のだったのだ。
そこで普段自宅で演ってるままに叩いた処、無駄な爆音になって驚くやら草臥れるやら。

当初は部屋の残響が正反対なせいと思ってたが、その後毎週通い出して1年位経過する迄俺の耳は慣れられなかった。
ってより必要性が無い限りセーブする様に自然となってったみたいだが、どうやら自宅での練習の仕方がこんなのを引き起こしてたらしい。

ペダルがSpeedkingになるよりかなり前から、ドラムセットはレインフォースメント仕様のLudwigとなっていた。
このセットで良い音色が出る様にしようとすると、少なくともRock系では手抜きせず「ちゃんと叩かないと」駄目だった。

これはどんなセットでだって本来は共通事項なんだが、現代系厚深胴のになる程「ボロが出難くなる」のは確かだ。
手抜きで音量は落ちても音色はそんなに変わらなくて、単独演奏時だと殆ど気にならない。

これは後に今も休業中の別の仲間と3人で合奏する様になったらひっくり返っちまったが、従兄が単独演奏してる音は当時病み上がりなのにこんな音が出せるとは流石は先生だなんて思ってたもんだ。
実際叩き方の上手下手でかなり音色にも差は付くもんだが、それだって最低限音量が足りてて初めて有効化するのだ。

ペダルでもセット新旧の違いと同傾向で、誤魔化しが許されない点で古典系は厳しいとは言える。
が、どうせ本番が無忖度爆音楽隊なんだったら正直な方が却って親切なのである。

特にこれが真面目で練習熱心な人には影響大で、散々個人で温めといたのが無駄になる心配を排除出来るのだ。
敢えて音響の専門家として偉そうに!?指摘させといて頂くが聴力が健常であれば、Rock系等のドラムセットの至近音量はマトモな音量判定は人には不可能な領域だ。

でも達人達は現場で音を出し乍らバランスを取れるのはどうしてかってば、近い大きさのと「比べる」事は出来るからだ。
もっと原点的に言えば例えばDrummerとBassistが人も楽器も隣合わせに並んでて、バスドラとBassを同時に鳴らした時どっちかが小さいとか聴こえないとか…。

これがコロナ禍が無くったって日本じゃ環境等的に体験頻度を多くは持てないのと、過剰PA依存のお陰で極めて不利な条件下に置かれている。
今時生より練習環境を得易い電子ドラムがあるってのにわざわざ生で行くのなら、独りで演ったら凄い音・皆と演ったら聴こえなかったなんてんじゃ悲しいよね。

<つづく>

2020年5月12日 (火)

音楽備忘録279 バスドラペダルとフレージング24

今回は「ペダルが足に追付かない」なんてエキセントリックなのを掲げてスタートするが、普通は手だって足だって奏者の方が追付かなくなってるが…。
俺自身にしても手は基本的に全部😓・足だって殆どは何時も人の方が後れを取ってるが、Speedkingだと割と普通に出来るのが現代系ペダルだとそう行ってくれないのが1つ見つかったんだ。

それは俺言い「1足3連」(詳細は過去記事参照願)ってのとか、足首→脚の連続Doubleを演ろうとした際だ。
その主因を探るとビータ戻りの速さも少しはありそうだが、兎に角フットボードに爪先がヒットしてから音の出るのが遅過ぎだったからの様だ。

極端表現すると3連続だし速さも出そうとしてるんで、爪先が当たったらそれで音が鳴るより先にもう次を鳴らす準備態勢へ向かう様な足・脚動作をさせてる感じ。
でこれがSpeedkingなら爪先の接触感がOKなら想定通りに音が出てくれるのに、現代系では最悪時は足は3つつっ突いてるのに何と音はたったの1つしかなんて悲劇に見舞われるのである。

これの連打間隔を提示しとくと俺現状では、テンポは160位迄で4拍子系の6連符の半分分と云った処。
勿論バネ強もバネ凶だろうがこんな短時間になって来ると、どうも可動部全体の質量過大が不味いみたいなのだ。

重いとその分力が要るのもご苦労さんだが、これはまだ馬鹿力でも発揮させりゃちったあ補えるだろう。
どんな怪力でも通用しないのは「動き始める迄」の時間と、所謂「初速」の遅さと加速度の小ささだ。

例の如く交通系ので比喩してくが状況設定は、ヨーイドンでバスと人間で競争するとする。
スタート直後はどんな鈍足でも恐らく大抵何歩目か迄は人の方が先行して、その後はバスの圧勝となるだろう。

これで言えばこの奏法は「初めの一歩」で鳴らす仕組みなので、そこが速められなければ救いは無いのである。
しかも困るのはこっちがペダル君に最大忖度して速度を落そうもんなら、勢いに依るパワーが低下して足りるだけ鳴らせなくなっちまうからたちが悪い。

とは言えこんなフレーズは俺知りでは世界でもせいぜい10人位しか使ってないみたいだから何だが、鳴らせはしたとしてもこれより遅くて間に合うフレーズでも労力に差があるのは間違い無いと考えられる。
では足首→脚の連続Doubleの方ではってぇと、こっちはバネ凶の影響の方が大きい。

がそれ以上に響くのが「どれだけフットボードの奥で踏めるか」で、半分位はイメージだけにせよ「カカトで踏もうとする」からだ。
非連続であれば爪先がフットボードの後ろヒンジより前で踏めればOKなんで、フットボードの長さや使える範囲は大した問題とならない。

のが長く継続させたけりゃカカトもヒンジ前に入れられないと困難で、概述の俺言い「お邪魔プーリー仕様」なんかだとロングボードでも使える範囲が限定されてて無理だったりする。
これが平気だったとしてもロングボードでは踏み位置に依る負荷差が大きくなるので、バネが余程弱められないとやはり継続困難に至ってしまう。

これ等からすると現代系ペダルは古典必要最低限系のより、少なくともDoubleは演り難い物との答えになる。
ここで皆さんに問いたいのは「Single Stroke専用バチ」ってあるのかよで、あたかもペダルではそれが現代は許されてる様なもんじゃないかと。

俺は現代ペダルの方が悪癖を持ってるんだと吠え続けてるのは、こう云うのが原因なのだ。
今時はそんなに誰もがあらゆる奏法を駆使しようとはしてないみたいだから、大変気付き難いだろうがこれが真実だ。

「なるべく早期に皆さんSpeedking体験を」と連呼してるのはこれもあるからで、理想としては最初に踏むのがSpeedkingであると好ましい。
概述かも分からなくなっちゃってるけど実は筆者、生まれて初めてマトモにドラムセットを弄らせて貰った時のペダルが全くの偶然だがSpeedkingだった。

その後40年以上もずっとご無沙汰続きで意識としての記憶は無くなってたが、もしかしたらこの体験が三つ子の魂百迄となって何処かに残ってたのかも知れない。
この体験は従兄と共通の友人宅での事で当然従兄も同伴してたが、当時従兄はVocalistでまだ太鼓への興味は芽生えて無かったので殆ど触れていなかった。

もしタイムマシンが使えたらこの時へ戻って、無理矢理にでも従兄にSpeedkingを踏ませてみたい。
従兄とは従兄って位だから体の¼は「同じ部品」で出来てる訳で、得手不得手等の個人差があるにしても達人級でそこ迄Speedkingに違和感を覚えたって方が俺にはよっぽど違和感があるからだ。

最近は益々偏向報道も酷くなってるが、後で困るのは騙された方なのだ。
偏向現代ペダルでは足技育成に不具合が出ると思われるが、それをペダルメーカは一切補償なんてしてくないんだよ。

<つづく>

2020年5月11日 (月)

音楽備忘録278 バスドラペダルとフレージング23

前回提示した「古典ペダルに挑戦せよ」には他意もあって、これは今迄はどうも駄目だったからの前提も含めてみている。
何の事は無い現代一般環境から、一歩だけ踏み込ませてみただけの事だ。

俺はグズグズしてるのは好きじゃ無いからか単細胞だからか、従前はずっと効果の片鱗がすぐに見えない物には興味が無かった。
しかし従兄に依れば特にドラムでパワーやスピードを求める場合、急がず気長に構えないと他のより上手く行かないんだそうだ。

それがこんな俺でも実感出来る様になったのは極最近だが😓、出来ない内は全く想像が付かない様な処から出来る様になるからなのかも知れない。
体質次第で変わる可能性も大だが私体験では、速度を意識してたら何故か何時の間にかパワフルになってた等逆が結構多かった。

Speedking使用開始当初は実例があるにも拘らずパワーには期待してなくて、やはり現代比だと華奢なのがその理由だ。
何しろ体格も腕も本家達人には相当劣ってるんだから半ば当然の覚悟でもあるが、買ってすぐに壊したくないなんてのも正直あった。

それでいて色々捏ね繰り回した結果かから見えたのは、今更下らん話しだが楽器演奏と土木工事は別物でしたってな按配だ。
土木の方だって達人は最小の労力で最大の仕事を達成してるが、それ以上にこっちはホントに「コントロール命の世界」なんだなあと感じさせられた。

体験的に古典ペダルでパワーもスピードも一番上手く行ってしまったのは完全無意識の時で、全く予定も
無かったのに何となくサッと踏んじまった様な時だった。
ペダルで気付いてそれを手の方でも注意してみたらやはり一緒で、達人になる程何処の世界でも基礎練を重視するのはコレかぁなんて勝手に納得している。

尤もよくよく色々観察してみればよよかちゃんみたいな子供でもドラムでなら並み居る屈強な大人より爆音が出せてて、それからすると鍵を握ってるのはある意味すばしっこさらしい。
ここで速さと表現しなかったのはその質に条件があるみたいだからで、どんなに速くても速度の為以外の力が入ってたら駄目なのである。

それからすれば勢いだけ凄くて大人よりは大抵非力な子供の方が向いていて、体の軽さを補って余りあると考えられる。
重い程動かすのに力が要るし、どんな怪力でもどうしたって動き始めは軽いのよりは遅めになる。

但し一度動き出すと慣性モーメントが大きいので、どんどん加速して行き易い。
何れにしても簡単に動かせればそもそも力は少なくて済むし、そうじゃ無い方だとその代り今度は止めるのも大変な位となっている。

これらを総合するとどんな体の持ち主だろうと、必要最低限の力しか込めないのが瞬速には相応しい様だ。
これに対して道具側で重要となるのが動かす為のパワーの程度で、極力「自分の体を動かすだけ」以上の力が要求されぬ事であろう。

この条件を満たすにはバネ強さ・可動部の重量等が小さいのが先ず向いてるが、その他にも与えた力と勢いをそのままの形で皮をぶつ所迄伝えてくれるかどうかだ。
手の方ならバチは手で直に持ってるからその反応は手応えとして伝わって来るが、バスドラペダルの場合はビータと足の間にメカが介在している。

ここで余計なお世話を焼いてくれると、例えば初めの内は踏んだのよりパワフルで快適なんて思うかも知れない。
しかしそれでは反応がリニアじゃ無いから、何時まで経ったって「正しい足加減」ってのを知る事すら出来ないのだ。

せめて手の方も同じタイプのペダルでも使って叩いてるんなら良いが、手は分かり易過ぎで足は分かり難過ぎじゃシュール過ぎやしませんかねえ。
古典ペダルを体との一体感がみたいに語られてるのは多分この事で、素手でだったら自分で動かせる限りはそのフレーズって全部出来るんだからさ。

<つづく>

2020年5月10日 (日)

音楽備忘録277 バスドラペダルとフレージング22

もし俺がヴィジュアル系を目指したかったりしたらってそう云うニーズは偶然生じなかったけど、チビなのにゴツくて…だから今よりもっと苦しい事になってただろう。
でも殆どのケースって希望と理想は先ず一致してくれないし、どっちかってば正反対な位のが多かったりするよね。

これが商業的に成立させようってんなら無理な注文で即終了だけど、私的な趣味に留める場合に却って微妙な状況を生んじまったりするもんだ。
上手く行かなさそうでも体感したいとかそう云うのだったら絶対否定すべきじゃないけれど、上手く演れ無さ過ぎて全く楽しめなくてはそれも困る。

なのでプロじゃ無くたって工夫は必須で、でももし独自の秘策でも思い浮かんだらそれ自体も大いに楽しみの1つとなる。
そこで今回から「向いて無いけど何とかしたい」へ焦点を当ててくとするが、それにはやはり機材や奏法の選択は大変重要となって来る。

一参考例として俺のSpeedking使用前・使用後に出た相違を述べとくと、それ迄出来なかった思い付きもしなかった技が可能になったのは概述の如くだ。
がそれだけじゃなく嫌いなタイプの現代ペダル使用時にも結構な相違が出てて、無論ペダル違いに対する慣れは少し要ったがSpeedking使用時よりは大部落ちるも使える技がかなり増えてたのだ。

それからすればSpeedkingは随分第一印象の悪いペダルとも言え、古典ペダル未体験だとその期間も相当長く感じられてしまうらしい。
今はほぼ手放しで絶賛してるがここに至る迄は遠い道のりで、この方面ではヲタの俺を持ってして凡そ3年位掛っている。

生来の相性もありはするだろうが歴史的観点に立って分析すると、それでもSpeedkingかPremier 250系統のどちらかが大抵誰でも許容範囲に収まる筈だ。
この2つが特に現代ペダルと違うのは全てが「軽い」処で、恐らく必要最低限の抵抗勢力となってると思われる。

先ずバネが強過ぎたら腰・膝より非力な足首で踏む気が萎えるが、それにはどうしたら無理無くバネを弱められるかも影響して来る。
足が離れた状態でビータがペダルのニュートラルポジション迄戻せない程弱くは通常出来ず、それは主に可動部の重量に支配されている。

丈夫な程安心で良いには違いないがでは例えばエレキGuitarの1弦は、全力で引っ張っても絶対切れない程丈夫なのかだ。
それも演奏時のやり方と比較してでは無く、両手の全部の指を掛けても良いし軍手か何かを嵌めても良いとしてだ。

なんて試した事無いからどうなるか知らんとは無責任な話しだが、Bassの最低音の弦ですら登山用のザイルみたいに頑強な訳じゃ無いよね。
それがどうもイメージ先行でドラムのだけ変なドーピング信仰みたいになっちゃって、何でも演れるより先ず頑強みたいな悪い病が氾濫しちまった。

これとは逆にエレキ弦楽器の方では弦をどんどん細くしたり弦高をやたらと下げて、こんなに速く沢山弾けてどうだ凄いだろうって商業主義オリンピックやってどうすんのってね。
歪ませを無暗に深くするのなんかも稚拙さでは同様で、弾き損じて弱くなっても足りるだけ歪んでくれっから楽だなんて…。

これってどっちも「それしか演らない」「そっちしか気にしない」ならそれでアリに思えるだろうけど、潜在意識が植え付けられてない人が聴けばそれ以外も気にされるんだからさ。
そこで敢えて世に問いたいのがJohn Bonhamより強い爆音が出せる人教えてで、同じ位の人なら居ても誰が聴いても明らかに上回ってる人は居ないと思うんだけどねえ。

でそんなのへ初めて到達した人達は当然てば当然だけど、現代比だと遥かに軟弱な機材で皆それを達成してたんだよね。
専用じゃ無いし特化してないからそこ迄持ってくのは中々大変だけど、道具に色が無いって事ぁそれって全て「奏者の色」だったって事なんだけどどうすかねぇ。

故に古典ペダルは根気の要る事おびただしいのが現世相にはマッチしないけど、私的には最低5年は継続挑戦してからダメ出して頂きたい。
しかも得手不得手無関係に何でも試してみて貰って、けどその代りそれにある程度慣れて来たら必ず奏法が増えてたりするの請合いですから。

<つづく>

2020年5月 9日 (土)

音楽備忘録276 バスドラペダルとフレージング21

一旦火が付くと消え難い燃料ってんでも無いだろうが、重心話しの続きで又もやスローン話しの再登場だ。
けど流石にしつこ過ぎて嫌われたくは無いから、どうやって適正を確かめるかについてからとしよう。

最近みたいにドラムスローンの居住性だけが良くなって来ると、座り心地の良さに負けて昔みたいな適正判定は著しく困難化したと感じている。
そこで先ず演奏姿勢面(主に体の重心)と掛け心地を分けて確認するのがお勧めで、前者の方は思い切ってスローンとは「全然別の物」で試してみるのだ。

尤も別物ではそう都合良く高さが合ってはくれないから工夫が要るが、基本条件としては座ってられる限りでなるべくクッション性の無いのが宜しい。
且つ座面が広過ぎ無いのも重要で、真に腰だけが掛る状態を作れる様な物だ。

クッション性については概述従兄宅の快適過ぎてのの類で、弾力あり過ぎで尻が弾かれては位置が随時ズレちまったりするから駄目。
座面については腿も少し支えてしまったり、極端に上体を後ろのめりの猫背にしても尾骶骨周辺が支えられちゃったり出来ちゃうから駄目なのだ。

んじゃ背もたれ付きのスローンってあるけどもたれちゃいけないのってば、スローンの背もたれの高さにご注目下され。
少なくともヘッドレスト迄付いてる様な高いのって確か無かったよねえ、スローンでは演奏中はもたれるってより「腰の後ろへのずり落ち防止ストッパー」と思っといてくんなはれ。

それは兎も角今のお題は確認試験であるから、もたれられなくても平気な姿勢とか座り位置・高さを探したいのよ。
理想イメージとしたら近年電車の駅の腰が浅く乗せるしか出来ないベンチとか、公園の入り口とかで乗り物の侵入防止に立ってる角が曲げられた鉄パイプみたいなのが良いねえ。

そうは言っても屋外じゃ何かと不便だし今はコロナで無理だから、パイプ製の折り畳み式とか丸イスやダイニングのイス等へ適宣何か積み増し等して試してみるのだ。
他に問題点が皆無なら単にこれをスローンと交換しても良いがセッティングやペダル調整が誤った方向へ偏寄してる可能性もあるので、初期時点ではエアー状態の方が却って良いかも知れない。

それで各自のベストポジションが見つかったら、それからセッティングやペダルの再調整に初めて入れるって寸法だ。
ドラムセットの功罪として他楽器より自由度が高いのがあると思ってるが、Pianoだと楽器側は奏者の体格等へ合せられる調整箇所なんて無い。

これだけだと不親切とか威張った楽器となってしまうがそうとも限らず、誤って鍵盤のサイズを変にしたりする心配からは開放されている。
ある程度以上の歴史のある楽器は、その間にあらゆる人が演奏した実績からの改良がなされている。

すると人間は個体差がとても大きい方なので所詮は最大公約数的になっちまってるが、これだけは困るとか駄目なのは絶対にそうならない様には既にしてあるのだ。
この点自由度の高い楽器はその分もっと「こっちで何とかする」必要が増えてて、独学主義でもセットドラマーを目指すなら本件だけ従兄みたいな信用のおける人に手伝って貰うのもより安心だ。

今の世の中義務教育がある以上、どんなに独学と言っても大昔みたいな完全なのは望めない。
機材の取説を読めるのも読むのを習わされてたからで、相手がニュートラルなのさえ確認出来れば誰から幾ら訊いたってこっちの個性は阻害されない。

音楽ってのはどんな非合理な手段を使おうと不適切な奏で方をしようと、それ自体が成立してれば何でもアリではある。
なので現代本邦の主流手法がどんなに問題だらけでも、それ自体は否定出来ないし批難する気は毛頭無い。

けれど難聴を促進したり腱鞘炎等になったり、そう云う危険を孕んだ部分は決して看過出来ないのだ。
海外比だと日本は音楽以外の何か別のを本業にすると、余暇が極度に少なくて演り続けるのがとても困難だ。

その為長期間継続してコンスタントに活動してる一般人は少ないし、低頻度なお蔭でホントはヤバイのに辛うじて難を逃れてると考えられるケースが非常に多い。
世情的環境面の悪影響で投げ出さざるを得なかった仲間も気になるが、それ以上にお楽しみで健康を害しては悲劇だしそれは生活全般に波及するから深刻なのだ。

<つづく>

2020年5月 8日 (金)

音楽備忘録275 バスドラペダルとフレージング20

ここへ来て今更の「重心話し」の再燃になるが、何でもやろうとする程それに依る踏み方やその楽さには密接な関係があるでし
なので普段の頻度がどうだろうとやはり四肢は、使いたくなったら何時でも使える体制が必要ですわ。(自戒を込めて…😓)

これの今のテーマとの接点が踏み易さにあってもし座り方や姿勢に問題が残ったままだったら、今平気でもきっと将来あまり役立たない踏み方になる公算大なのだ。
俺の場合は何とかしてSpeedkingを足・脚懐け様としてと一寸邪道なスタートだったけど、知り得る物は全て一応は試してみたのが良かったらしい。

とは言えあらゆる状況を日常的に体験してはいないので、まだ分かったってだけでそんなに成功率は高く無い。
齢取っちゃって尻火事状態だから先進みするにはどの道必須だが、従前より無益な練習を排除出来たのは確かだ。

俺は元々はその時試して楽と感じたから低く遠く座ってて、脚にも常時上体重量の分散荷重が掛ってる状態だった。
要は腰と両足の3点で支える事になるから、慣れも何の意識も無くても姿勢が保持出来たって寸法だ。

但しホントにそうなってたのは「何もして無い」時だけで、実際には支えに使ってる脚を動かせば支えが減っていた事になる。
多分このせいで両足共動かすのに抵抗感があったんだろうが、脚動作が上体の不要姿勢変化をさせるのでこの点でも問題があっただろう。

具体的には正しいリズムは分かってて他楽器ではそれを実現出来てたのに、ドラムだと慣れや感覚掌握不足でそれが上手く行って無いのかと思ったりもしていた。
後になって検証すると常に同じ様な意識とのズレがあったなら慣れのせいかもだが、フレーズやパターン次第では全く無事な箇所もあった。

今になって総合判断すると当時までのは、ゴリ脚の筋力に頼って理論的には不適切な姿勢で演奏してた様だ。
その後近年になってから手の都合で従兄からスローン高さを上げてみるのを進言されて試したが、実際には演奏全体と脚の方への改善の方が大きかったと目的に対しては微妙な結果となっている。

その割と直後にSpeedkingと遭遇して色々捏ね繰り回してみたところ、手にとっても脚にとっても姿勢はニュートラルなのが最善と知った。
フレーズや奏法次第で前のめり或は反り返り気味な方が楽に感じるのも多いが、終始一貫ずっとそれでは色々と制約が出来てしまう。

特に姿勢が真逆のが好都合な奏法へ瞬時に切替えたくなったりすると、姿勢変更が間に合わなかったりその変更=変動のせいでリズムに乱れを生じたりするから不便だ。
そんな経緯もあったから今更の爆弾発言になりそうだが、実はSpeedkingを通じて学べる迄はバネの強さには無頓着だったし幾ら強くても全然苦になってなかった。

ここで姿勢に関して改めて考察しとくが、セットドラムの演奏では通常は横より後ろを踏んだり叩いたりする事は無い。
それからすれば奏者の重心は後ろ寄り以外はセーフになりそうな気がするが、激しく叩いたり踏んだりした時に後ろへ落ちなきゃ良いだろうとね。

しかし叩いたり踏んだり特にそれを大きく強くしようとした場合は、鳴らす前に先ずバチや脚を盛大に持ち上げなくてはならない。
姿勢の不適切があると一番不都合なのはこんな鳴らす寸前の瞬間で、これから前方へ重さを掛けたいのに後ろへ重心を引っ張っていないと手足が持ち上げられんとな。

んでもしそうなっちゃってたら大抵は体重を乗せるのが鳴らす瞬間には間に合わなくって、力を使った割には強い音が出せない。
し自然と体重が乗ってはくれないってのは、その後は今度は又自力で意識的に姿勢も戻さなきゃなんないのを意味してる訳だ。

そんな事っちゃ余程単純で間がスカスカなパターンしか叩かないならまだ良いが、その場の思い付きで何か足したり引いたりしようと思ったらもうぐちゃぐちゃになって不便極まりない。
故にフレーズ的にも演り難いのが多く出て来てるから、昔の俺は本当に演りたい様に出来てたかも疑わしいのである。

どうやら楽器がセットになってると、演奏する側の姿勢や何やらももっとセットで考えとかないと駄目って事らしい。
人情的には問題になる弱点を補う為に余裕のある得意は多少犠牲にしてもなんて思いがちだが、相手はそう云う思想は一切受付ちゃくれんのね。

<つづく>

2020年5月 7日 (木)

音楽備忘録274 バスドラペダルとフレージング19

前回演奏にも使う脚で拍子を取る件が出て来たので、今回はそれにまつわる話しを少ししてみたい。
最初に迷わず断言出来るのは動かしても動かさなくても、全く同じ様にリズムを取れるのが好ましいだ。

個人のブログなんで体験をふんだんに披露してくが、俺はDrummerとしては当初はどっちかってば「無駄な動作はしない」タイプだった。
首尾一貫してRockの人だがこの面ではClassic系のPianistに近く、連続動作が困難な拍であるとか短い音符等に対してはこの方が有利だ。

例えばそこそこ以上のテンポで16分の裏拍なんてニーズの時、常に8分の表て動かしてると片脚では間に合わなくなったりするからね。
或はClassic系ではよくあるテンポが常に流動的な曲なんかだと、常に動かしてるとそれ迄の流れに左右され過ぎ易くなったりもする。

一方で動かしてる事から来るその人独自の「流れ的ノリ」等を出すには、体格差が直結するのもあって止めない方が有利なケースもある。
近年では見栄えの都合で「やってます感」の視認し易さから、「非音の都合」で動きっ放しの微妙な方々も散見されるがデメリットばかりでは無いのも確かだ。

普段どうであれ動かさないと厳しいフレーズの代表格としては、連続した裏拍を鳴らす時の安定度だろう。
その時もし手がずっと表を鳴らせるなら手:表・足:裏と交互使用が可能だが、そうじゃない場合は反対足(つまりフットHat)で表を踏んどけると俄然安定するし楽になる。

具体例としてはかつてIan Paiceが恐ろしい高速でしょっちゅう演ってた、Tom系2つとバスドラの3つを順番に鳴らすヤツなんかだ。
バリエーションは色々あるがこれの基本形は音程の高い順に鳴らすパターンで右利きなら左手:Tom・右手:Floor Tom・右足:バスドラと表拍が非利き手の方になる3連を繰り返すアレ。

俺初期はフットHat抜きでやろうとして半ば挫折、従兄の指導で踏める様にしてってから何とか実用化となった。
そんな具合で元はバラード等でそれしか無理な時以外はフットHatは踏まない派に属してて、今以上に足はテク・慣れ共に左右差が大きい状態であった。

それが一転して最近は「常時踏もうとしてる派!?」へ移籍したが、転機となったのは例のJohnny吉長のHi-Hat「踏み叩き」だ。
全く趣味的な動機で挑戦したもののいざやり出すと他の発見も多く、その最たるのが2つ程出て来た。

1つはこれ次第で右足(バスドラ)の自由度に支障を生じたのと、もう1つはオカズを叩いてる間のテンポの安定度の違いだった。
前者は元が片方だけで出来てただけと無訓練なので当然としても、後者の効能がかなり自分としては意外だった。

フレーズにも依るけど元々右足と比べると他は余裕僅少だからか、オカズフレーズとその表現にばかりつい気が行き過ぎてテンポヨレが出易くなっていた。
のが左足を一定に動かし続ける事に依って、先ず例えば「あっホントはここって前から突っ込み過ぎてたんだ」とか自分で叩きながら把握出来る様になった。

フレーズ的に許される場合はこの自己メトロノームを右足バスドラでやっても良いが、ワンバスだからって左足は一切無視出来る様なもんじゃ無いってのは動かす迄は理解が充分では無かった様だ。
これに限ってはツーバスやツインペダルを常用してたらセーフになるが、裏を返せば普段ワンバスでも所謂「手足の4Way」が出来上がってる人だといきなりツー系へ行っても直にそこそこやれちまう訳だ。

俺知りでは昔の方がそう云う万能タイプが多かった気がするが、端的には恐らくJazzの4BeatでのフットHatに馴染みが深かったりしてたからだろう。
それ故アップヒールの功罪なんかでも反対足の動静不問で出来てるのが出発点と云え、もし両足を動かすとどうにもならない様なら踏み方自体に何らかの瑕疵のある可能性が高い。

さて最後にプチ余談をしとくが俺に左も踏めと言った従兄、案外オカズを叩く時に彼自身はフットHatは入れて無かった。
無論必須フレーズの時は使っちゃいるが、両利きの分簡単に出来る筈なのに一寸意外。

んがしかしそんなのは外野の勝手な想像で、そう云や足ではどっちの方がまだ得意なんてのは訊いた覚えがなかったっけ。(奏法別の得手不得手はある模様)
只普段から両方を動かしてる機会が多かったなら、もしかしてもう録れてたりして…。

因みに単なる偶然の可能性もあるが、俺の右足がハイパー化したのはHatコンスタント踏みが出来る様になった後だった。
手旗上げ下げ体操みたいな運動神経面ではまだしも、実感として体の重心位置の適正化にはこれの明白な貢献があった。

<つづく>

2020年5月 6日 (水)

音楽備忘録273 バスドラペダルとフレージング18

半分私的で半分理論からOpen踏みを強力に推してはいるけど、それでもな人向けで行ってみませう。
では改めてClosed踏み向きのペダル紹介から行っとくけど、バネが強くて弱められないのは先ず不向きだかんね。

俺みたいなゴリ脚だったり労力を厭わねば確かに止めらんなくは無いが、無造作に止められないと止めるのに時間が余計に掛る処は見逃さんといてーな。
その適正分岐点ってか基準としては、脱力出来てたら自分の脚の重さだけで止まってくれる様なのが理想的だ。

尤もこのケースではカカトは高く上がっててもOKだし、爪先位置がフットボード深くであってもそれはお構い無しだ。
とは云え速いDoubleも使いたいとなるとSlide成分ゼロでは達成困難なので、場合に依っちゃその分の余地だけ奥を残しとく必要もありそうだ。

ノーマルなら足首→脚の順で2つ踏むので、寧ろDouble時の足首のだけ手前から踏み始めりゃ余地は不要になる。
だが純Slide若しくは膝主導Slideと違って必ず単打より手前から始めなきゃいけない理由も無いので、却ってこう云うのを事前に配慮しといた方が良いだろう。

勿論達人級等になれると使い分けたり何処で踏んでも殆ど同じ音が出せる様になったりもするが、「何時も通りに止める」を最優先させるには位置変化は無い程良い。
特に止めるの自体には力を使わないなら(それが激奨だが)、脚・ペダルの重さやバネ強さが一定である限り最良バランスポイントも固定となってるからだ。

又「奥目で良い」っても脛がビータStrokeに干渉しちゃって邪魔をする様では困るので、フットボードは所謂ロングタイプの方が有利となる。
或はフットボードがペダル全体として手前目になってるのとも言い換えられ、一見踏めそうでもチェーンやベルトのホイール等が無駄にデカくて実際にはちっとも奥で踏めないなんてのは最低だ。

ここでも過バネ強は不動の諸悪の根源で、脚上げアシストと押え付けて止めてる時間の差に依る得失を考えたら言わずもがなだ。
後今時Closed踏みしたい人には先ず居ないとは思うが、高目のチューニングも不向きになる。

低音の量的問題もあるがそれ以上に、皮の張力=反発力が強いと止めようとしてもバウンドし易くなってしまうからだ。
そしてこれ等条件から鑑みると比較的明瞭なアタック音は得られても、パワーの絶対値としては制限が掛ってると考えとくべきだろう。

これにはClosedにより適した踏み方も関係してて、Strokeは小さくても構わんから極力「瞬間移動」な踏み方が向いている。
下手に遅くなったり大振りになったりすると、折角の音量控え目なのに明瞭ってメリットが出せなくなってしまう。

してお気に入りの方には申し訳ないがホントのアタック明瞭化には一定以上のパワーも必要で、これは楽器のサイズ由来と理解されたい。
それを敢えて邪道でも他ので補おうってんだから、速さ≒パワーの部分には特に注意が必要だ。

そして一番誤認が多いと感じられるのは「踏んで無い時」の脚の動き(揺らぎ)で、タイミングを図りリズムへ乗り易くする為に静止しないでいるケースは多々ある。
この時ペダルへ余計な影響が無いならどうしてようと構わんが、往々にしてこのせいで「踏む速度」を不適切レベル迄低下させてるのが散見される。

アップヒールClosedは「踏む寸前だけなら止められなくても許す」って踏み方が最も特徴を活かせるものなので、俺言い「柔軟アップヒール」(別表現ならのんびり楽々アップ…なんかでも)はキッチリ止めるのには全向いてないのだ。
ツーバスやツインペダルだと厳しくなるが、少し前に紹介した達人達は1人を除いてバスドラ側の脚は鳴らさん時ゃ誰も動かしてない。

それでも揺らしときたい人はどうするかってば、Hi-Hat側だけで我慢しといてくれ。
Johnny吉長みたいに常に両足とも揺すっといてって例外的な超達人も稀に居るが、彼はそれをHatのニュアンス差やバスドラでのゴーストノートに意図的に活用している。

そんなど偉い真似が出来るのも、実は「揺らし」と「踏み」を完全に分離させられてる証拠なのだ。
さもなくば音符の大きさは一定にせよ、バスドラゴーストノートを自由に気の向くままに追加するなんざ絶対無理だからねぇ。

<つづく>

2020年5月 5日 (火)

音楽備忘録272 バスドラペダルとフレージング17

再三に渡ってここではアップヒールにしなくても踏めた方が良いのを力説してますが、奏法なんてな勝手好きずき趣味習慣なもんでがんす。
そこで今回はClosedにする方法について検証してきやすが、私的大失敗を基にカカト上げ以外にもやり様があったのに気付かされたですよ。

しかしその前に大変厳しいかもですが「適正」について注意喚起を図っときたいんだけど、正直「足の遅い人」には不向きなんでお止しになった方が賢明で御座居ます。
これは前回迄に記した様に単打時と連打時の音色乖離を招き易いからで、録音技師の立場からも意図無しで両極端な音色を出されるのは手に追い切れません。

こっから具体的に掘って行きますが超高速連打時はどんな韋駄天でも、1打目はそりゃあ全然止められまへん。
ですんで気にするなら全部止めないで何とかなる様にするのが良いって言ってんだけど、もしそんなに気にしないなら二手に道は別れとりゃす。

それは例えばテンポにも依るけどDoubleでも8分音符のか16分音符のか等で、もし極端に間隔が短ければ幾らも音色差の出様が無いのにご注目。
但し「止まり」が俺みたいに無駄に強過ぎればハッキリ差が出ちゃうので、程々に止められる人限定の現象だす。

その該当者の「脚の仕様」を想像すると、まあまあの速さはあっても力は並で重くは無いってな感じでしょうか。
それだと余韻の有無が誰にでも聴き取れる程度の間隔迄はDouble Strokeであっても、速さのお陰で止めてから次を踏めるってメカニズムで。

これは純Slideでは不可能だけど純足首Doubleでは、脚の速度が足りる内は不可能ではありませぬ。
しかし鈍足さんだとそんな暇はありせんから、見事に1打目オープン・2打目クローズな音色に仕上がっちゃいます。

個人的にはそうなるのを極度に嫌ってんだけど、それは一言で言ったら「損」だから!。
1打目が完全オープンになっちゃうと2打目との「切れ目」が曖昧化して、最悪は「ボヤケた」或は「ゴーストの付いた」「単打」に聴こえちゃうから。

因みにここでのゴーストは所謂ゴーストノートじゃ無くて、単語通りの幽霊若しくはそっち方面現象の事。
昔のアナログデレビ時代には日常的な景色で乱視の人みたいに、画像の輪郭が2重になって見える様のサウンドバージョンでげす。

しかも厄介なのはアタック音質とその明瞭度の為に止めてる人の場合で、明瞭度確保を「止め」だけに頼ってるだけにこうなると致命的で音響技師としては勘弁願いたいでありんす。
今回は「本」生贄となるが以前裏技EQとして紹介した従兄のケースが正にこれだったで、時間制限の無い環境だったからそれでも使えた裏技でした。

因みに太鼓単独のを生耳で聴いてた分にはヲタの俺でも気にならなかったけど、思い起こせばBassを一緒に鳴らしてた時はそこがDoubleになってたのが分からなかった事もあった。
従兄談に依れば俺みたく「鳴らしたのは全部聴こえる」のを目指してはいないんだそうで、ならいいやと録る前に注文を付けなかったら後になっておやおやで御座居ました。

Liveの場合はそんなの無理だし、生ドラムでPA必須ってのも不便で仕方無いしょっ。
ってな訳でClosed踏みも明瞭度目的で実行するにしても、飽く迄その目的に対しては次善策で万能では無いのを是非再認識願いたい。

この面で俺の推奨代案はバスドラやビータ等の組合せや設定で、現行ポピュラー系ではバスドラはハッキリしない音色が殆ど出せなくても構わないのへ特化させた結果だ。
勿論これも考えられる限り実施した上で更に止めたいなんてのには合致し無さそうだが、そこ迄拘るなら現代は電子ドラムかトリガー利用の方が有効策だからね。

踏み方のOpenとClosed自体の可否も是非再検討して欲しいんだが、慣れ等もあるにせよ無条件で実行可能なのは理論的にもOpenの方だ。
音色の安定とかその為の演奏中の負担からの開放を考慮すると、何とか工夫して基本的には常時Open踏みで賄える方が確実度では得策だ。

<つづく>

2020年5月 4日 (月)

音楽備忘録271 バスドラペダルとフレージング16

今回は「アップヒール奏法に於ける誤解・誤認」と題してお送りしますが、その筆頭に俺言い「柔軟アップヒール」があるかと存じます。
俺知りでアップヒールを常用してる達人の多くは決して硬直とは言えないけど、一定連打時は別として少なくとも見るからに柔軟って感じの動かし方になってる人は居りませんでした。

或は動作が瞬間的過ぎて動いてるのが視認し難いだけかも知れないけど、音符の長短に無関係に「動いた時間」がとっても短いのがとても印象的だったね。
具体的に印象に残ってる人を上げてくと先ずJeff Porcaro、それにIan PaiceやJohnny 吉長等々。

そして彼等の足に関する共通事項を拾い上げてくと、基本的に普段はClosed踏みでDouble StrokeはSlide時も足首主体系だ。
フットボードの角度等次第で不可能では無いが、純Slideは爪先とフットボードの角度が深いと意図より引っ掛かり易くなるので向いていない。

Doubleも最高速ではSlide圧勝だが、足首主導の中では踏む前からカカトが上がってた方が速めるのに苦労しない。
ってかベタ足でも足首主導Slideを限界速でやろうとすれば、自然とカカトは浮き気味になるもんだ。

例外は非Slideの純足首主導Doubleで、実際は爪先側がフットボードに作用してたとしても意識は飽く迄爪先とカカトの交互使用だ。
これが連打でも取敢えず2発だけセットになってるのだとそうでも無いが、暫く続けようとするとホントに上述の様にしないと回数が稼げない。

これは従兄曰くのタップダンスからそのまま持ち込んだ説が、Ian Paice以降に使い手が中々見当たらなくなってるので説得力がある。
ついででカカトの上げ度合いも付記しとくが丁度上で紹介した逆順で高くなっていて、是が又Slide時の足首主導の割合と正比例してるのがポイントですぜ。

一方一般呼称のダウンヒールの一種であるベタ足系の方だと先ずBONZO、他にAl Jackson Jr.等とこれだけだと古典奏法と勘違いされそうだ。
近年海外達人には眺めてるとこっちの方が多いみたいだが、申し訳ないけど杜撰大王は名前とか全然覚えてないだけなの。😓

最も俺の知識は少なくともRock系観点で始祖系の人達なんで、上記の傾向にはある秘密が隠れてる可能性が大いに考えられるのだ。
それはズバリドラムハードウェアのゴリ化が進み、最弱設定時のペダルバネが暫時強くなってってたのに合わせた結果って。

現にBONZOは普段Closed踏みだが、明らかにカカトが高く上がってる様なシーンは動画でも静止画でも全く見た覚えが無い。
体格的な足・脚の重さもあるにしてもバスドラは26のノーミュートで、Paice氏が同時期・同ジャンル・近似タイプペダル且つ元からカカトが高くなるロンドンブーツを履いてた
のにカカトを上げてたのは猛リバウンド対抗策と思われる。

個人的に過ぎるかもだが俺の場合大した長さも無い癖に、脚の重量とパワーだけはやたらと暴力的だ。
それでかバネ強ペダルでもカカトを上げたままにしとくとミュートが強過ぎになって、まるで予め皮をグッと押えといてから叩いた様な音となっちまう。

それがどんだけ酷いかってぇと木の床をドンと踏んだのより低音が出なくなるんだから、重低音ヲタじゃなくたって全く使い物にならん。💢😓
輪を掛けて杜撰だったのが近年迄踏み方の問題を放置して楽器や収音方法等だけで補おうとしてた処で、当然どうにもなりはしませんでしたよええ。

それで漸くカカトは降ろしといて爪先で押えるのも試してはみたものの効果が無く、せめて「ド」と言わせたいのが「短いト」になって駄目でやんした。
その後連続DoubleやSlideが出来る様になると、休符の寸前とそれ以外の時の音色差が極端に乖離しちゃって意識的に止めるのがどうやら合わない体質とえらい時間が掛って悟りましてん。

絶対に連打なんてしませんってんなら、カカトを下げなきゃいけないニーズは出ないかも知れない。
只後になってもし演ってみたくなった時カカトは上げとくものとの固定観念が育まれてると、最悪は踏み方のベーシックからリセットになってしまいます。

<つづく>

2020年5月 3日 (日)

音楽備忘録270 バスドラペダルとフレージング15

ここは正念場と思ってるからしぶとく続けさせて頂くが、爪先がランダムで上がり切らない時があるとビータの返し量が…迄来た。
ではそれが実用上どんな問題を引き起こしてるかで、かなり難しいがやり様によっては全く補填出来なくも無いけれどそれでは微妙なままだ。

他にも色々あるかもだが先ず考えられるのは、必ずしも普段にビータStrokeをフルに使わなくても良いとする事だ。
例えばDouble Strokeが足首主体のしか使わないとして、ペダルや踏み方・奏者の体が余程それに向いてでもいなきゃ大抵足首で鳴らした分は脚で踏んだのより小さく弱くなるもんだ。

だが上記の「脚で」はビータStrokeがフルの場合で
比較した話しで、俺は消去法的で後ろ向きな感じで好きくないが「大きい方」をセーブして均一化を図っても駄目では無い。
但し高速時にもこれより絶対大きく強くはしたくないとなるとかなり厄介で、余程意識して小さく踏まないとならなくなる。

ゆっくりで良きゃ丁寧を心掛ければ誰にでもすぐにある程度は加減出来るが、急いでいたらそれでいてギクシャクさせたく無かったら大抵は勢いを利用するだろう。
それで普段より勢いがあると自分の意識より体は余計に動いちまう(当然ペダルも!)もんで、例えば½のつもりが殆ど1とか¼のつもりでやっと½になったとか心と現実にズレが生じたりしてしまう。

加えてこの次善策にはセッティング上の厳しさからの過労もあり、厳密にだと適切なバネ強さがほぼ存在しないと言える。
過労っても普通とは一寸違った意味合いからだが人に依っちゃやり易い踏み方でも、不適切な踏み方をしてるが為に不必要な強さにしなきゃなんなくて結局その分実際には労力が増し盛りされてしまっている。

なので最初の1発目を踏んだ時楽と感じても疲れの来るのが早く、そのせいで所望より沢山踏む気を消失させたりしてる可能性も拭えないのだ。
それでもまだ中間音量を常用・多用する様なジャンルでなら不可迄行かんかも知れんが、最大に近い音量がデフォなジャンルでは甚だ非効率な選択なのだ。

ここで参考としてニーズ僅少そうだが敢えて最大音量を抑制する別の方法を付記しとくと、ビータの交換(より軽いの)の他に「短くする」のがある。
これがもしかしたら緩み易くて不評のSpeedkingのビータ固定ネジが、何故何時迄経っても「手締め」蝶ネジが存置されてるかに繋がってるとも考えられる。

見た事も訊いた事も無いけれどもし曲単位で調整しようとでも思ったら、工具無し(大抵はドラムチューニングキー)でそれが出来るのは大きな利点になるからね。
マルチプレイヤで他楽器との比較も含めると少なくとも俺としては過労にならん限り、ドラムは単純な労働量より制御に要するエネルギーの方が膨大だし体だけでなく心労も凄いと感じている。

なので手と比べると微細なパワーコントロールが難しい脚で無理するより、踏むのは割と普段のままで設定変更で変えられた方が間違い無く確度と安定度は上げられる。
荒唐無稽な感じの私的想像の域を出ないけど、長さ以外にも頻繁なビータの変更をもしやろうとしたら手締め蝶ネジの方が手っ取り早い。

セットドラムでもバチの変更だったらそんなに珍しく無いが、手で叩く大太鼓ではそうしてるのを目にしても誰も特には気にならないんじゃない!?。
それをそのままセット内のバスドラに持ち込んだって悪くない筈で、戦前の状況に暗いから分からんがジャンルの縛りから開放するには出来た方が良いよね。

それは兎も角も力は強くないが回数も距離も幾ら増えても、唯脚を動かすだけなら苦にならないなんて人以外は柔軟アップヒールはお止しになった方が安全でしょう。
それと低速時でも安定させたかったら、かなり早目に準備態勢(脚上げ)を始めないとならないのも忘れずに記しときましょう。

<つづく>

2020年5月 2日 (土)

音楽備忘録269 バスドラペダルとフレージング14

今回は呼称の不備反省も含め、先ずは改めて俺言い「ベタ足」の翻訳みたいなのから行かせて貰いますわ。
文章表記には特に杜撰大王であるの以上に、そもそも俺自身は自分の踏み方に名前を持たせる気すら無かったのも不味かったか。

割と初期からDrumでは足の速い連打に興味が強かったからか、パワー都合から足首を使う気が無かった代わりに爪先には神経が行っていたみたいだ。
それに加え乗り物好きからペダル操作と言えば自動車ののイメージも強かったのかもで、ヒール&トウ以外はカカトは使わないよね。

その結果ドラムペダルでも爪先とフットボードの関係性って意識が強くて、足首から上が踏む時にどうなってるかなんてかなり最近迄全く無頓着だったらしい。
そうなると踏み方と言ったら「踏む場所」と「踏まれる場所」の接触面の様子と、後は速さや強さ程度でしか考えて無かった訳だ。

その後キャリアが積まれた後になって他人の演奏法への興味が強まって見てみたら、かなり俺とは真逆な踏み方をしてる人の方が多くて不思議に感じてしまった。
それから従兄と色々談義してみたり文献に目を通してみたりした中で、自分のに近そうなのとして「ベタ足」って言葉に遭遇した。

どれの誰のか全く記憶にも無きゃ恐らく最初から把握して無かったんだろうが、自分自身では名無しの権兵衛のままだし他により適してると思えるのが全然見当たらないので以来これを勝手に使わせて頂いている。
明確化する為に一寸誇張させて具体的イメージを挙げるとすれば 、棒の先に足裏模様のスタンプが付いたのでぺたぺたと何処かの平面へ「足跡マーク」を付けてく様な感じだ。

この時スタンプとそれを押す面に傾きがあったらかすれてしまうから、垂直に「平らに」押してく(降ろす)ってのも大切なポイントだ。
近年ではスタンプってばLineのが常識だから実物のなんてかなり機会が減って最適じゃ無い比喩かもだが、スタンプの他にも契約書にハンコを捺印するのなんかも同類だ。

俺がやってるらしきベタ足踏みに本人意識に足首の固定は無いけれど、足首をわざわざ動かすとか「爪先だけでしか踏まない」って意識も同時に含まれていない。
少なくとも昔の俺には細かい事をごちゃごちゃ入れると速度やパワーの邪魔をしたからで、結果的に単純で原始的になっていたに多分…過ぎない。

前屈は苦手な俺でもそれ以外は全てスポーツや舞踊を普段やって無いにしては体は固くは無い口で、だから録画してみれば全く足首が動いて無い訳でも無い様だった。
だがここからが核心になるんだが少なくとも一般的な速度と打数迄の場合、凝視とかスローモーションにでもしない限り爪先とそれより脚上部の「タイムラグ」は殆ど認められなかった。

これに対し前回述の従兄のだと膝がほぼ最高点に到達してても、場合に依っちゃ爪先はまだ僅かにしか上がって無いなんてのがあった。
俺でも従兄でも高速になって行けば足首から先だけの重さでも慣性モーメントの影響が出だして、「爪先遅延」は徐々に拡大してくのは共通だ。

ではもっと速くしたら爪先が脚上部に単純に付いて来られなくなるかってばそうならず、珍しく😓必ず誰でも体験可能なプチ実験をご披露しよう。
1.机か何かの上へ甲を上にして手を只置いておく
2.最初は脱力状態のまま指先が机から離れない程度の高さ迄手首を持上げて降ろしてみる
3.次に全く同じ動作を限界速でやってみとくれやす
4.但し決して指先を支点として動かしてはなりませぬ

これ足でやっても(の場合は床とかだが若干騒音が増す懸念アリ)どっちでも特殊体質でも無かったら、ゆっくりな内は指先は触れたままなのが限界速時は一瞬浮き上がる筈なんだけどどうでしょう。

これがペダルの上でだったら限界若しくは高速時なら脚よりは一寸後になってでも爪先はちゃんと上がるけど、低速時だと勢いが全然付かなかったり足りなかったりするから爪先はそこ迄上がってくれないのよね。
速度次第でStrokeが可変するのは他だって一緒なんだけど、自然に逆らってそうなってると良い事は1つも無いんでごんす。

<つづく>

2020年5月 1日 (金)

音楽備忘録268 バスドラペダルとフレージング13

ここ迄の記事で俺言い「柔軟アップヒール」を敬遠したがるのも少しは知って貰えてると良いんだが、コレを使っててホントに問題になるのはやってる意識すらない場合だと思う。
ドラム演奏はタイミング命だから極力脱力状態で臨めるのが理想だが、時にはそれが行き過ぎていて悪さする場合もあるので今日はその辺を。

知人でやってた人が居たからってのもあるけど、動きのしなやかさ滑らかさが命ってばクラシックバレエなんかがその典型じゃないかな。
俺なんか特に前屈が子供の頃から全然駄目だったから、さぞかしダンサーは柔らかい程良いんだろうとずっと思っていた。

処が訊いてビックリ玉手箱で確かに体の柔軟性はかなり要るが、実際には柔らか過ぎても駄目なんだそうだ。
言われてから良く眺めてみたらクラシックバレエは全く止まらずに動いてばかりでは無く、想像よりはピタリと静止してる場面も結構あったじゃありませんか。

なんたってトーシューズでの「爪先立ち」がカカトが降りてる時より圧倒的に多いし、爪先立ちのままで回転したり女性が男性に持上げられる時にぐにゃぐにゃ
だと不安定で危ないんだそうだ。
こっちが固いもんだから反対側にばっかり変に憧れちゃってたのかもだけど、固いにも柔らかいにも状況次第で「程(ほど)」ってもんがあったのねと悟らされたとさ。

でもって数年前に従兄がバネ弱にしたSpeedkingにトライしてたのを見てた時、これと似た状況になってるのに遭遇した次第だ。
訊いてみると従兄本人は脱力どうのこうのはおろか、力自体に対して全く無意識で踏んでたって言うじゃないの。

これだけが彼に足苦手意識を与えてるかは今後まだまだ研究が要りそうだが、本人意識よりはコンスタントに踏めて無いのには大いに関係してるのが確かだ。
それは足首より上だけを見れば移動距離・タイミング共とても安定したStrokeになってるのに、爪先の上り具合にはランダムなムラが毎回の様にあったからだ。

たかが爪先程度の重さでもバネ力を必要最低限にしてるからか、フットボードの位置に明らかな差が出ていた。
この位置はビータの返り度合いに直結してるので、奏者自身はコンスタントに踏んでるつもりでも出音はランダムにって現象が起きていた。

そこで1番目にもう少しStrokeを長くしてみてと言い、2番目にはその時のフットボードの踏む位置が真ん中位だったのをもっと手前にしてみてと進言してみた。
言われて暫くはそれでそれなりに状況改善が見られたものの、なまじ大ベテランで動きが染み付いてたからかその後は何時の間にか元の木阿弥となってしまっていた。

そこで更に第3の手段として足首を普段より「動かさない」感じでと進言してみたが、やはりある程度時間が経過すると戻ってしまった。
その後人知れず時々は練習してるかも知れないが表向きは一旦諦めた体で、従兄のSpeedkingチャレンジはお休みとなっている。

だがしかし他の一般的なペダルで踏んでても生耳では許容出来ても、On Micで録音すると音量ムラは幾らも退治出来ていなかった。
と言ってもベテランプロだから特に酷いとかでは全然無いんだが、如何せん彼の神手!?の方の安定度がやたらと高いのでどうしても目立ってしまうのだ。

俺言いベタ足(次回改めて詳述)原始人踏みではアクションがシンプルなので、もし問題が出たとしても解決対応策も自然と少数で単純なものとなる。
だが柔軟アップヒールみたいな高級なのをやろうとすれば留意点もかなり多く、万一問題が出た際の修正は複雑且つ「一度に沢山」の修正が要求されてしまうのだ。

それ故ホントに必要になった時に「自然となってる」なら構わんが、他の安全度の高い方法が使える時に余計なリスクを増やすべきじゃ無いと吠えとるんじゃい。
従兄曰く近年本邦の中級以上者には「手指を使い過ぎる」のが多いと嘆いてるが、必定じゃ無い時までそんな事をしてたら疲れるしパワーにも不利だと。

それがこうしてみるとお馴染み「手と足一緒論」に見事に適合しちまってて、単打だからどうしようと全然難しくなんかなって無いとか思ってたら危険なのだ。
もしかして単打だけでもう一杯一杯迄技を繰り出しちゃってて、そのせいでDouble Strokeに難儀してたとしたらどないでっか?。

<つづく>

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