音楽備忘録217 ジャンルへの拘りと他人の見立て④
全てはお好み次第だから善悪判定なんて出来ぬが、何の為には何が必要かは最初からハッキリしている。
本案件で私的に思う第1原因は音色・音量や「ノリ」で、その次にフレーズや表現と考えている。
実際には多要素の組合せで音楽は成立してるが、このお題に対して先ず注視すべきは「短時間」だ。
具体例としては歩いてたらストリート演ってる奴に出くわして、こっちは素通りするが近くを通ってる間だけはハッキリ内容が聴こえちゃったなんてのを想像するべし。
もしこの間に心に引っ掛かるのが聴こえたら歩みが止まる訳で、極一部分の間にも最低1つは印象に残る物が入ってるのがスタートラインと云える。
故にフレーズで攻めるにしてもBeethovenや全盛期のRitchie Blackmoreのみたく、短くてシンプルなリフ等であるのが必要素となる。
無論これ等に縛られては音楽の巾を狭めるので駄目だけど、「暫く聴き続けてくれりゃ良さが分かるのに」はある程度専門化した者だけにしか通用しない考え方だ。
奏者は腕が上がるにつれより凄い人からの承認欲求が強まって自然だが、これに気付かずド素人を軽視してるとコアヲタ化してくのは何処の世界でも共通だ。
ここから矛盾が出て来るがヲタも広めるには「新規素人」の勧誘が必要で、元からの嗜好者が少なければこそこれを熟考しないと先が無いのだ。
これは例え好みに合わず変と思われても、「今迄聴いた事が無い変なの」だけは誰にでも簡単に分かる様にしとけって事。
分かる様になってさえいりゃお客さんが気紛れを起こした時に、100人に1人位は気に入られるかも知れんでしょ。
でも折角偶然相手(聴者)に受け入れ態勢が出来ても、よく分かんなかったらそれ迄だ。
つまり高度な物を認知して欲しい程簡素な部分も蔑ろには出来ず、Jazz衰退の一因はこれにあると伺える。
高度なヲタ性とポピュラリティを両立してた典型例としてThe Whoを挙げとくが、直木賞作家の皮肉と吉本興業のパチパチパンチが何故か自然に同居してる様な有様だった。
この中でBuddy Richなんかにも同傾向が感じられたが、バカやる時程一切手加減無しで命掛けでやっていた処がとても気に掛る。
本来は凄い方が本業なのに下らない方へ何倍もの労力を注ぎ込むだなんて妙ちくりんだが、実はシンプルなの程技等で誤魔化せないから本気を出さなきゃならなかったらしいと後で知った。
この相反するのを両立するには振り巾を無理矢理広げるか二重人格にでもならんと難しそうだが、それだけにもし実現出来ればどちらもより際立つので大変効果的だ。
そしてポピュラー系で行きたいなら聴者の負担を先ず考えるべきで、聴き手を少なくとも製作側からは一切選ばない作りとなってなきゃ嘘っぱちだ。
だから結果として中途半端に格好付けた様なのが本件では最悪で、カッコ良くも悪くも無いのがポピュラー系では一番みっともないのだと覚悟して頂きたい。
楽に聴ける≒娯楽と解釈すればこっちがどう振舞おうと失笑を買ってでも、納得して頷かれるより笑ってバカにされる方がどんなに有難いかなのだ。
ある意味これはエンタメ精神の真髄でもあり、見世物になる覚悟が足りずに舞台へ上がった方が却って恥をかくのである。
尤も人次第でこれを考えるべき度合いはかなり広範囲に渡って居り、数年に1回思い出せば済むのから敢えて是迄のキャリアや意識を抹殺する位じゃないと足りぬ場合すらある。
これは出音次第で決定してく他無いが、もし自らの耳が専門家に「なり過ぎてる」様なら何処かのド素人様に印象を伺ってみる方が良いだろう。
例え「動物的感性だけで生きてる」様な本能がとても強い人でも、今は足りてても齢を経る内徐々に低下してる可能性が高いから本案件を無視するのは大変危険だ。
気にしないでセーフな期間が長くなる程修正の経験値が積めないから、いざとなって慌てても最悪死ぬ迄に復活が間に合わないなんて事も無きにしも非ずだ。
完全な私的印象でしか無いがこのせいか米国より英国人は、音楽家生命が平均すると短い覚えがある。
本来は無関係な筈だが黒人と白人でも似た印象があり、ベーシック命!?の度合いの差のせいと感じている。
<つづく>
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