音楽備忘録214 ジャンルへの拘りと他人の見立て①
本人はバリバリRockのつもりで演ってても、人からは大抵フュージョンとしか思って貰えないなんてのもありがちなケースだ。
ウチの従兄がこれの典型例で昔からずっと続いてるが、最近もボヤいてたので一寸勝手に考察させて貰った。
本来音楽自体の内容や質に注力すればジャンルなんて一向にどう思われても関係無いが、時に演者と観客の認識のズレが理解度低下に繋がるのも確かだ。
しかしズレてても理解や評価に無影響な過去例もあるのでその紹介から行ってみよう。
1.Johnny Winter
この御仁の場合容姿の他音色のせいもあるが、生粋のBluesmanでも特に若い時はHardrockerにしか見えなかった。
細身で銀髪ロン毛(ホントは持病のせい)が、当時としては変形Guitarを遠慮無く歪ませての超速弾きってスタイル。
それ以上にちっともClaptonみたいにレイドバックしないどいて、白人だったのが原因と思われる。
尤も彼なりのBlues「普及対策」も含まれてた様で、今迄にスタイルのせいで近付かなかった者にも先ずは楽しさを知って貰おうと考えてたらしい。
2.Yes
当初はある程度音楽を知ってたらやっと分かるアカデミックタッチなプログレを演ってたが、後から知った本人達談に依りゃ酔った勢いで遊んでたんだそうな。
尤も酔っ払い=千鳥足のヘベレケ自体が本邦特有認識で、海外では彼等にお堅いイメージなんて最初から無かったのかも知れんが。
無論持ってるスキルが低かったら素面でもあんな高級な遊び方は出来ないが、結果が似てても遊び心満点なのとビジネスライクにやったのではどっかに違いはあったろう。
これ等を踏まえて今考えるとアカデミック臭がプンプンになったのも、他人からどう見えるかを気にしないで演った結果なんだろうね。
3.Buddy Rich
今もってあの異常なパワーとハイパーテクを難なく両立してたのは彼しかいない程の凄腕なのに、サルでも分かる面白さにばかり執心してたのは全盛期だった本場のボードビル出身だからだろうか。
そのせいか未だに無知なのが多過ぎる本邦では、全く正統評価されて無い様だ。
こう云った誤解・誤認も本人の認識次第で吉にも凶にもなるし、全く気にも留めて無い場合だってある。
けれどもこれが原因で表現に余計な制約が課せられたり、伝えたいのが伝わらなくなる様だと何とかせねばならなくなる。
生まれ持った容姿が不適当だったら一面では才能が無いとなるが、もし意外性を売りにしたかったら却ってその方が絶大な才能となる。
そんなに僻むでも無いが(???)もし中身だけで勝負したいのに、容姿端麗過ぎたら本人にとっちゃ一大悲劇だ。
尤もこう云うのを只嘆いてて良いのはアマチュアの場合のみで、プロだったら大人しく「定めに従う」かさもなくば技術に依って解決を図らねばならない。
ここでの技術とは所謂演奏技量や表現力では無く、手法とか方法論の方に属する類のの事だ。
今時の一般論だと見た目を変えたりするのだろうと思うだろうし、音楽でも動画で発表するのも当り前になったからこれは間違いと迄は言わない。
だが天性の影響の他にも持続性等に弱点があり、只のタレントやアイドルとは違うミュージシャン特有の利点を活用しない手は無いと思うのだ。
それは「音が圧倒的にそれらしい」とか、自前の歌物であれば歌詞がそれでしかないのにしちまう事だ。
野球のピッチャーに例えたら変化球も投げられるみたいなもんで、球速が足りなくても抑えられる可能性がにわかに出て来る。
尤も力で行っても技で行っても制球力が極端に足りなきゃ勝ち目は無く、待ってると必ず出塁出来ると分かってりゃ誰もバットは振っちゃくれない。
では本案件でのコントロールとはいかなるものか、次回から考察してみよう。
<つづく>
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