音楽備忘録223 ジャンルへの拘りと他人の見立て⑨
従兄にある不利としては本邦じゃ誤評価も甚だしい、Jeff Porcaro等と近似の面もあった。
でも従兄はPorcaroみたいにフュージョン系の作品には殆ど参加して無いので、不思議っちゃ不思議か…な!?。
今回はブレずにその道を来てても誤認され易くなるメカニズムについて、従兄を例に考察してこう。
尤も俺も世間には疎い口なので世評方面は一旦置いとくとして、従兄が手の細かいテクに秀でてるのとそれの仕入れ元に関してはかなり気になる処が昔からあった。
従兄としては新技導入に際し、ジャンルよりも技の内容重視で研究して来た。
技術向上の為には最善の手法で、俺みたいに好みの中からのが中心になるより偏る心配も無くて良い。
しかし今になってみると技として素晴らしい代わり、他ジャンルからのは物に依っちゃ使い方をかなり考えなくては危険な場合もある。
例えば伝統的なBluesやRockではハイテクなのが相応しく無いケースも暫しで、感情を直接的に表現し難い技を多用すれば冷静過ぎな感じになる事だってある。
それと従兄は稀な爆発時以外は知性に対する執着が強めな様で、得意の速い連打をするにしてもBuddy Richとは演出が殆ど真逆に感じられる。
深みであるとかすぐに飽きられない為には明解過ぎぬ方が良いが、Buddy Richは敢えてその禁!?を破っている様だ。
現に現代本邦ではそれが災いしてより一層過小評価されてるが、エンタ魂ってかある意味ポピュラー指向の強さがそこから窺い知れるってもんだ。
一見さんにはアホだがおもろいオッサン・ヲタ様には超絶技巧をと、欲張りではあるが聴き手それぞれのレベルで自由に楽しんで貰って結構って寸法なのね。
そのお陰でかつてはドラムテクに興味の薄かった俺ですら、それ処か自ら楽器を手にする以前に初めて耳にした時点から瞬時に虜になってしまった。
これには単に演者と俺の波長みたいなのが偶然一致しただけでもあるんだろうが、分かり易く無かったなら当時は多分今よりずっと鈍感だった俺が気付くのはもっと後になってたに違いない。
各自の持ち味次第でポピュラーに振るにもマニアックに振るにも夫々固有の限度はあるだろうが、仮に少々分り難くなってたとしてもナチュラルなのと故意に拠ったのでは違う結果を招くだろう。
理解された時にナチュラルなのは難解化した必然理由に合点が行くが、故意のに対しては只のお騒がせだったとバレては引かれてしまう。
なので各自の感性への忠実度はある程度以上を保たねばならないが、その範疇で可能な限り分り易い方へ振るのも表現者の義務みたいなもんじゃないかと思っている。
仮に世界一複雑とか難解を標榜するにしても、最終的に理解されねばそれ自体が伝わんない。
ここで過去のフュージョン系やプログレ系で「売れた曲」を考察すると、それ等にはある共通事項があった。
編曲・構成・コード・奏法その他諸々は難解複雑でも、メロディの主旋律のみはやたらと簡単だったりしていた。
只シンプルメロってもそれが稚拙だったら演出との落差が大き過ぎて、盛り過ぎインスタ画像になってしまう。
実際一寸苦しいかもな微妙なのも中にはあったが、使いたい技に馴染む曲ってのは必須条件だと思われる。
そしてこれが面白い事に高度な曲を割かしシンプルに奏でる方は可能でも、逆は難しいし世界観を一致させられない処に注意が必要だ。
これは調味料の用途と似てて只しょっぱいだけの塩とか甘いだけの砂糖だと、量に限度はあっても添加出来ない事は稀。
なのに素材種が多いドレッシングや何とかソースになる程、用途が限定されて来るもんだわな。
つまり後者の高級なヤツはそれが入ってたり掛ってたりするだけで、イタリア料理だとかフランス料理なんじゃないのって思われ易くなるとね。
<つづく>
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