音楽備忘録215 ジャンルへの拘りと他人の見立て②
先ず従兄の例に対して個人的に痛感してるのから行くが、録音時の演奏での最優先事項に相違を覚えてる件から。
普通は録音ってば先ず間違えない様に丁寧に演るのが当然だろうが、RockやBluesではそれが不正解になる場合も多々あるのだ。
のっけからの但し君だが、これには録音と奏者レベルを時系列で考える処から始めたい。
先ずどんなジャンルだろうと生まれて初めての多くの場合は、内容が聴き取れる様にしてくので大抵は精一杯だろう。
その後慣れと奏力向上に依って基礎部分以外への加減も利く様になってくが、この辺からジャンルや目的に依って重視すべき場所が徐々に違って来る。
そこでは正確さとワイルドさ等相反するのの割合辺りからとなるだろうが、ニーズ以外にも奏者の人柄や考え方等も段々と表に出て来る。
私的にはこの時点以降で人力オンリーの過去と、打込み等全機械のもある今では違いが生じてると考えている。
昔なら全機械の分が無いのでそれも人で賄うニーズが残って居り、全く面白味が無くても生真面目を絵に描いた様な演奏にも価値はあった。
だが今では正確さだけなら機械の圧勝で敢えてそれへ人が挑戦する面白味迄は無くなっちゃいないが、そんなのは低頻度だから価値が維持されてるオリンピックみたいなもんだ。
これは色んな物には普段使いに向いてるのといざって時専門のがあるのと同じで、幾らコロナ禍の今でも酷い花粉症の人にはウィルスより花粉の侵入が命取りなのみたいなもんだ。
そして私的には従兄はプロなので厳しくても糾弾しちまうがそれ位の時期に、自身の指向に対して割合の基本方針を間違えたのが事の始まりと考えている。
上述した通り段々自由が効く様になるその中には、個人の性質も含まれている。
なので客観視した結果から逆算して、各個人が夫々に適した配合とか分配を導き出す必要があるのだ。
他人の体験談はとても役立ちはするが余程自分とそっくりな人のでも見つからん限り、そのまま適用しても上手く行きっこ無いのだ。
又もしそれが上手く行ったら行ったでそんなに似てるとなると、後発のこっちは良くて影武者かクローンとオリジナリティの希薄な存在と世間からは思われるの必定だ。
そして私的には本邦奏者の平均値は海外比だと大日本忖度統一帝国だからか知らんが、「下手に」体裁を優先する余り個性不足の情けないのが多いと感じられる。
実際俺みたいにある種尊大にやってると批判は受け易いし、何だプロの癖にあんなのでミスってやんのな圧力は中々に凄い。
更に実際に手早く仕事にありつくにはこんなやり方は本邦じゃもってのほかで、しかし俺の気質もあるにせよ次の面を重視してるから変える気になれないのだ。
それは音楽が薬だったら本邦では抗生物質みたいな存在だからで、残念でも必ず万人に常に必要な存在では無いからだ。
資本主義下では「それだけの収入で生活が成り立ってるのがプロ」ってのは自然な発想だし、経済観念が不足し過ぎたら事業として成立しないのも確かだ。
しかし単独では生活に足りるだけの収益が得られない分野だって世間には存在し、んじゃぁその世界だとどんな超人・達人でもそれは無特技の一般大衆と同列視して構わんのかだ。
どんな商売でも始めた途端に開店経費がペイするなんざ宝くじ当選より低率な筈で、少なくとも初めてから一定期間はどんな考えややり方で行っても上記式では毛の生えたアマ止まりとなる。
そこでもし相手がアマだから誰も払わんとなれば先進みはあり得ず、つまり新たな分野のプロ領域の形成が不可能となるのだ。
そこで俺の場合は客観視の為「純然たる客目線」として、音楽家としてどうかは演ってる人の儲け具合等完全に無視して判定を下している。
つまり俺的に儲かってても音楽が不合格な人は非音楽家、但し成功してる商業者としては大いに認めるってな分類をしている。
そしてこれを持ち出したのは本案件に大きな副作用をしてる場合が多いからで、儲け云々よりも今では正確性による職業音楽家って分野こそ死滅したと思っている。
もし生き残ってるかの様に見えてるとすりゃそりゃ勘違いで、容姿やタレント性等他の部分の評価で恐らく維持されてるだけだ。
実際には誰が誰をどう思おうと全く自由だが、まだ先を見たいなら判定ミスは学習ミスへ繋がるのよ。
<つづく>
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