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2020年3月 7日 (土)

音楽備忘録213 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑮

前回迄に記した如くデジタルでの音楽的劣化を体験したが、電気的には幾らも劣化をしてはいない。
なので意識としては「変化」として綴ってくが、この中で制作サイドとして無視出来ないのは変化のし方だろう。

俺は音楽と音響の両方に携わり続けてるが、近年のこの傾向は精神分裂症になれと言わんばかりだ。
このまま両者が全体像への視点が弱まれば戦争にでもなりそうなキナ臭さ!?で、どっちか一方にしか携わらないにしても従前より感性や知識に磨きを掛けるべきと痛感している。

音楽家の方はそれ以外の立場の者からしたら一見ノスタルジーに没頭してるだけとも思われそうだが、根本で求めてるのは飽く迄意図した雰囲気なだけだ。
特に近年はかなりそんな人は減ったが、純然たるお芸術家タイプだったら尚更だ。

一方技師だけの人にすれば低雑音・無劣化は至上命令で、方式や機器性能が上がった分これ等に昔以上に神経質になってる者が多かろう。
嫌な風潮だが暇潰しで粗探ししてそれを見つけたら勝ち誇る様な輩、それを持ち上げるバカも居る始末だから。

勿論音楽家でも新しいだけで凄いだろうとかそんなのも居なくは無いが、技師オンリーの人の方が苦しい立場に追い込まれてる様に俺には伺える。
これが又近年本邦の場合根本原因は誤教育にあるんだが、例え技師オンリーでも「音楽の」である点に教える側の意識が足りないからだろう。

俺みたいな「昔の技師」にとっての雑音は只の失態では無く、文字が判読不可能となってる印刷ミスみたいなもんだった。
これは雑音自体じゃ無く「聴き取れないと困る音」が聴こえなくなってる状況で、つまりそもそもは音楽がちゃんと聴こえる為の雑音排除だったのだ。

当時は当然小さくしようとはするが完全排除が不可能な雑音だったから、処理の合否判定は雑音の方では無く「その時に鳴ってる音楽」の聴こえ方の方に自然となってたって訳。
今だってこの考え方が間違いに迄はなっちゃ無いが、殆ど気にしなくてもクリア可能となっている。

だが油断したんでも無いだろうが聴こえてりゃ無事とは限らず、今度はどう聴こえてるかへもっと注意しなきゃいけなくなったのだ。
見方に依っちゃ邪魔が減った分細部迄聴こえる様になっただけの事だが、そうなるとイメージ通りかどうかが判定し易くなった訳。

音楽家オンリーの側でも更なる理解が必要で、昔より不要雑音は録音すると目立つのを知っとかなきゃイケナイ。
結局は昔より音楽家と技師の新たな点での相互理解が、良い録音には必須になったと思っときゃいい。

奏者自身が個人で録る以外の場合、昔も今も「共同作業」だから仲良くするのは大切だ。
今だって態度や接し方も大事ではあるが、それより問題なのは認識のすり合わせだ。

昔は今より成否が割とハッキリしてたから、どっちにとっても実演して見せれば理解が得られ易かった。
が今は差の絶対値は縮小して分り辛く或は気付け難くなってるので、その分各自で事前に知っとかないと間に合わなさそうだ。

とは言え新たに要るのは大して難しくは無く、音楽家側なら自分が出してる音を「無興味な観客」として聴いてみれば良い。
内容に興味が無きゃ自然とそれ以外の部分へも耳は向くもんで、例えば良し悪しは分かんないけど何かノイジーだねとかそんな風に聴こえるかも知れない。

ホントはこれってLiveじゃ無きゃ昔だって一緒で、聴こえて来たのが聴くに堪える状況じゃないと聴いて貰えなくなるんだけどね。
でも昔電波状態が悪いAMラジオとかで最初に聴くのと、最低でもMD(ミニディスク:最早死語なのは存知とりますが程度が近いので)レベルでスタートしてるんじゃハードルは上がってて当然だから。

<つづく>

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