音楽備忘録208 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑩
近年は再生音響だけがより高音質「っぽく」なったからか、制作サイドは苦戦気味に感じられる。
全くの新楽器なら別だが登場してから時間が経ってるのばかりだと、中々飛躍的な向上は難しい。
デジタルにしても少なくとも原理的な部分では既に一通りが出尽くした感じで、可能性があるとしたら敢えてオールデジタルからは一度離れるしか無いと思われる。
只現代の世相ではデジタルからわざわざアナログ等へ戻ろうにも、経済的に商売になり難そうだから出来合いの道具に対しては期待する方が間違ってるかも知れない。
しかし徐々に割合を減らしつつあっても生楽器やその奏者はまだ絶滅しちゃいないんだから、選べる範囲で選ぶのはもっと可能な筈だ。
それが分ってても尚俺が苦戦してるのは「整合性」の問題で、やはりわざと以外でバランスが悪過ぎたら気にするなって方が無理な注文だと思うからだ。
んでこのバランスの筆頭は音質レベルに違いないが、必要表現の達成度も見過ごせないと考えている。
デジタルサンプリングに依る生楽器音源の音質向上と録音のそれは同時進行して来たが、もし録音の進化の方が遅れてたらどうだったろうかとふと思う。
大昔の録音音質だと生楽器から出た音は、かなり狭い範囲しか拾えてなかった。
もしそこへデジタルサンプリングを持って来ると、恐らく表現力の部分にさえ気を付けりゃかなり「騙せた」!?んじゃいかってね。
その方向で考えを進めると音質は良いに越した事は無いが、音楽にとって必要な音質レベルとはどの程度かとの疑念が湧いて来た。
そんなのは後ろ向き過ぎるけれど、あまりにやり難いのが良いとはとても思えない。
音楽を始めた時点で既にデジタル物が氾濫してた人には分ら無さそうだが、この点では体験的にゃ昔の方が音楽の内容にだけ集中し易かった。
俺的には一時期リアルよりボカロ系にばかり良い作曲者が流れたのはこのせいと思ってるが、早々に現行打込みシステムの弱点が露呈したか短期間でこの傾向は失せちゃった。
ボカロは定着こそしたが一度は機械方向の極致にムーブメントが行ったその後となると、振り子の反動じゃ無いが恐らく次は生じゃないかと睨んでいる。
機械でも表現し易い良い曲がひとしきり出尽くしたんだったら、良い曲で残ってるとしたらそれは生じゃないと表現し切れない物って発想だ。
しかし何時もどっちか一方だけってのも当て嵌まらないのの方が多いだろうから、せめぎ合いじゃ無く何とかして上手く融合させるのに腐心するしか無いだろう。
私的にはその点で鍵となるのは、デジタルと生の「間の存在」たる電気楽器にあると見ている。
但し条件があって電気楽器でも何時もデジタルのオールインワンEffectorだけで済ませてる様なのじゃ論外で、特にどう弾いてもそこそこの音が出てくれる様なヤツは楽だが全く音楽の本質からは遠ざかってしまう。
これは弾いたのの反映より機器の持つ音色が優先的に出てる訳で、これだと機能的に極論すれば「コントローラがアナログなだけ」の電子楽器だ。
そもそも俺が電気楽器が電子と生の仲人に相応しいと思ったのには、現代の電気に依る録音システムも大いに関係している。
生楽器も録るしスピーカやヘッドホンで再生する以上、比率をどう変えようと必ずアナログ部分も残っちまうからだ。
今や経済面でオールアナログは厳しくなったが、ボカロを使わなきゃ完全デジタルは未だほぼ不可能なのだ。
それと個人的案件としては真空管やトランスのシミュレート精度が問題で、厳密には「使い手に好都合」にもっと曖昧じゃないとならない処。
俺は経済的に無縁なので現況の尤も進んだのでどの程度か良くは知らないが、少なくとも本物の半値位で入手・運用性も良く無きゃ一般用途には存在が無いも同然だ。
コンプ1つ比較しても確かに最安ではフリーソフトもあるからデジタルの圧勝だが、音色を気にし出せば管球式等は大昔比だと却って価格は一桁下がっているのが微かな救いか。
<つづく>
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