音楽備忘録237 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑫
経済以外で平民に政治の影響が近年出てる中に、治安の問題もあると思っている。
治安と言って大袈裟なら環境と言い換えても良いが、単純な犯罪・事故率では無くその内容をよく考えてみて頂きたい。
その1:そんな場所でそんな恐い事が起きたの?
全体としての安全率が上がっても、かつては平和だった領域の安全度は下がってしまった。
これは状況に応じて場所を選び変える事で、必要な安全度を確保するのを困難化している。
その2:そんな善人!?が他人を殺しちゃったの?
上級国民の元院長が起こした事故で真っ先に感じたのが、運転手付きの車で移動して無かった処。
そんなに偉くなって齢もとって自分で運転してたなんて、貧乏臭いってば発想が古いだろうか。
その3:新築タワマン水没
自治体からも大歓迎されての好立地でリッチなタワーマンション、幾ら天災のせいったってそんなに簡単に溺れるもんなのか。
どうせ水没するんなら仮説テントの方がマシだったかも知れないよねぇ、タワマンじゃ高価だから簡単にゃ売れないしそれでお金使っちゃってるから他所へも移れないし。
今回こんな生贄を3連発したのは格差社会や2極化が進んじゃったってのに、どうして金持ちでもそんなみっともない事態に簡単に陥ってるかが妙だからだ。
例えばその1の場合住宅街で騒音忌避から幼稚園の新設が反対される等、住宅街に幼児が居住するのさえ否定してる様な矛盾だ。
その2だと貧乏農家だったら車が仕事兼用の軽トラなのの以上に運転手を雇うのが絶対不可能だが、隠居の身分でウン百万の新車が買える位なら雇おうと思えば可能な筈だ。
高級車の価値を損ねぬ為には「使われ方」だって大きな影響があって、周囲の車より運転が上手で紳士的じゃないと最悪は盗難車かと思われ兼ねない。
その3にしても標高が低く河川近隣なのは周知なんだから原発の電源喪失の件と一緒で、価格にそぐわないサルでも分かる失態だし前例が割と近年にあったのにだ。
結局これ等は経済的にも失敗例で、費用を掛ける場所を間違えたのだ。
例に依ってもっと掘ってくと何の為の裕福なのかへ行き着くんだが、恐らく実質的には死語化してる「優雅な暮らし」って原点がどっかへ飛んじゃってるんだ。
懐が潤えば欲しい物では少なくとも価格問題からは開放されるが、上手に探せないと見つけられない物もあってそれへは直接の効能は無い。
行きたい処へも費用的制約からは開放されるが、それだって「世界一周ヒッチハイクの旅」みたいにお金が無くても可能な場合がある。
それでも大きな差が出て来るのは何処かってぇと、上記前者の場合はお金があれば自分より遥かに探すのが上手な専門家へ依頼する方法が追加される。
後者の場合なら鉄道なら全て特急でグリーン車とか、飛行機なら直行便のファーストクラス等の選択肢が用意される。
もっと典型的なのだと個人でチャーターしたヘリコプターでとか、より個人の都合へ寄せて特化出来る処だろう。
これ等の贅沢に共通してるのは人手を借りられないと実現不能な処で、高級車を一度だけ買えれば良いなら宝くじにでも当たりゃ貧民にも僅かだが可能性はある。
それからすれば富裕は物よりも人的面での差異の方が大きいと分かるが、どんなに儲かってもそれを認知出来ない低い文化程度が経済に追付かないのがこれも恐らく死語化してる現代の「成金」(なりきん)だ。
権力死守の為に成金と富裕層の区別が曖昧になってる様だが、こう云うのが例えば大企業への信頼性の喪失ともリンクしている。
幾ら体裁だけを整えてもあまりにも中身が伴わないからこうなる訳で、中身勝負の分野でそれをやれば即死だ。
こんな世を渡ってくには嫌でも低俗でもある程度は迎合しなきゃなんない部分はあるが、必須じゃ無い部分迄本来の目的よりそれ以外の部分を優先すればロクな事は無い。
私的にはこれを「緩やかな自殺行為」と認定してるが、作品クウォリティの低下を招くのみならず創作意欲の低下にも繋がってるのを断言させて頂いとこう。
<つづく>
最近のコメント