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2020年3月

2020年3月31日 (火)

音楽備忘録237 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑫

経済以外で平民に政治の影響が近年出てる中に、治安の問題もあると思っている。
治安と言って大袈裟なら環境と言い換えても良いが、単純な犯罪・事故率では無くその内容をよく考えてみて頂きたい。

その1:そんな場所でそんな恐い事が起きたの?
全体としての安全率が上がっても、かつては平和だった領域の安全度は下がってしまった。
これは状況に応じて場所を選び変える事で、必要な安全度を確保するのを困難化している。

その2:そんな善人!?が他人を殺しちゃったの?
上級国民の元院長が起こした事故で真っ先に感じたのが、運転手付きの車で移動して無かった処。
そんなに偉くなって齢もとって自分で運転してたなんて、貧乏臭いってば発想が古いだろうか。

その3:新築タワマン水没
自治体からも大歓迎されての好立地でリッチなタワーマンション、幾ら天災のせいったってそんなに簡単に溺れるもんなのか。
どうせ水没するんなら仮説テントの方がマシだったかも知れないよねぇ、タワマンじゃ高価だから簡単にゃ売れないしそれでお金使っちゃってるから他所へも移れないし。

今回こんな生贄を3連発したのは格差社会や2極化が進んじゃったってのに、どうして金持ちでもそんなみっともない事態に簡単に陥ってるかが妙だからだ。
例えばその1の場合住宅街で騒音忌避から幼稚園の新設が反対される等、住宅街に幼児が居住するのさえ否定してる様な矛盾だ。

その2だと貧乏農家だったら車が仕事兼用の軽トラなのの以上に運転手を雇うのが絶対不可能だが、隠居の身分でウン百万の新車が買える位なら雇おうと思えば可能な筈だ。
高級車の価値を損ねぬ為には「使われ方」だって大きな影響があって、周囲の車より運転が上手で紳士的じゃないと最悪は盗難車かと思われ兼ねない。

その3にしても標高が低く河川近隣なのは周知なんだから原発の電源喪失の件と一緒で、価格にそぐわないサルでも分かる失態だし前例が割と近年にあったのにだ。
結局これ等は経済的にも失敗例で、費用を掛ける場所を間違えたのだ。

例に依ってもっと掘ってくと何の為の裕福なのかへ行き着くんだが、恐らく実質的には死語化してる「優雅な暮らし」って原点がどっかへ飛んじゃってるんだ。
懐が潤えば欲しい物では少なくとも価格問題からは開放されるが、上手に探せないと見つけられない物もあってそれへは直接の効能は無い。

行きたい処へも費用的制約からは開放されるが、それだって「世界一周ヒッチハイクの旅」みたいにお金が無くても可能な場合がある。
それでも大きな差が出て来るのは何処かってぇと、上記前者の場合はお金があれば自分より遥かに探すのが上手な専門家へ依頼する方法が追加される。

後者の場合なら鉄道なら全て特急でグリーン車とか、飛行機なら直行便のファーストクラス等の選択肢が用意される。
もっと典型的なのだと個人でチャーターしたヘリコプターでとか、より個人の都合へ寄せて特化出来る処だろう。

これ等の贅沢に共通してるのは人手を借りられないと実現不能な処で、高級車を一度だけ買えれば良いなら宝くじにでも当たりゃ貧民にも僅かだが可能性はある。
それからすれば富裕は物よりも人的面での差異の方が大きいと分かるが、どんなに儲かってもそれを認知出来ない低い文化程度が経済に追付かないのがこれも恐らく死語化してる現代の「成金」(なりきん
)だ。

権力死守の為に成金と富裕層の区別が曖昧になってる様だが、こう云うのが例えば大企業への信頼性の喪失ともリンクしている。
幾ら体裁だけを整えてもあまりにも中身が伴わないからこうなる訳で、中身勝負の分野でそれをやれば即死だ。

こんな世を渡ってくには嫌でも低俗でもある程度は迎合しなきゃなんない部分はあるが、必須じゃ無い部分迄本来の目的よりそれ以外の部分を優先すればロクな事は無い。
私的にはこれを「緩やかな自殺行為」と認定してるが、作品クウォリティの低下を招くのみならず創作意欲の低下にも繋がってるのを断言させて頂いとこう。

<つづく>

2020年3月30日 (月)

音楽備忘録236 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑪

こんなテーマをまだ続けてるのにプロパガンダどうのこうの以外にも、政治と音楽には似た特殊性があるからだ。
この2業種に限った事っちゃ無いが、基本的に他よりローリスク・ローリターンが無いのが近似と思われる。

それとここでは音楽と芸能を敢えて別けているが音楽でも高い専門性が無いと無理なのと、それをを持たずに成立してるのの違いをハッキリさせときたいからだ。
極論すればブームが去った後もミュージシャンのままで居続けられるかどうかみたいな処で、但しこれには経済面を含めると判断を誤り易い。

元から生活必須では無い業種なので「音楽だけで食えてない=非音楽家」なんて見方が、真の実情にそもそも合って無いのだ。
だが少し掘り下げて行くと確かな実力を持ってた者の多くは、少なくとも本人が望めば関連業種へ就けてるケースがとても多かった。

俺の師匠はJazz Big Bandからスピーカ屋のオヤジへ、知人のドラムメーカの開発者はプロは未経験でもれっきとしたDrummerだったり等々。
そして該当者には一寸失礼だが実はこうしたある種グレーゾーンの存在こそが、社会的には大変重要且つ有益なのだ。

自分が「音を出さない」者より「俺はこう鳴らしたのに何故そうならない!?」、があると格段に優れた製品を生み出せるからだ。
音以外にも使い易さ等の面で大きな差が出易く、自分で懲りてる人の方が見落す心配が無いのだ。

更に最近私的に気になってる中に、生演奏用と打込み用機器の乖離・分断がある。
特に打込み用の方に楽器成分が不足してて、音楽を作る道具な部分は弾かなくても楽器の一形態なのにそれが何処かへ行っちまってる。

これの余波が電子鍵盤楽器にも及んでるのか、見掛けに反して近年のは俺言い「楽器力」がかなり低下しちまった。
皮肉な話しで大昔の「壁シンセ」はちっとも楽器に見えなかったが、面倒でも不充分でも弄りたい場所が出て来た時全く弄れないなんて事は無かったんだよね。

バーチャルの特技たる生楽器だったらサイズ依存の音程範囲は絶対変えられないのとかが自由になったは良いが、それを意のままに操れないのでは只の高級オーディオだ。
これもデジタルが高度化・複雑化したお陰で、メーカがより理論に詳しい人しか取らなくなったのが仇になってると思われる。

実際新規開発するには理論に明るい程良いけれどどんなに高級な電子機器が作れたって、買ってくれるのは「使おうと思ってる人」だから楽器機能として低性能だったら無駄な開発なんだよね。
それには開発側に一定以上の本気度で演奏しようとしてる奴が必要で、さもなくば絶対的に信頼出来る専門家をお抱えにして「言いなり」になるしか無い。

この部分が政治と音楽でそっくりさんな処で、規模拡大に伴って前述グレーゾーンマンが業界内に減ったと感じられる。
楽器は登場最初期段階では使いたい人が僅少なので、弾く気が無い人にとっちゃ儲からんから作ろうとしない。

必然的に使いたい人が自分でこしらえるしか無くなるが、その場合機械的にはチープでも道具としては自動的に合格ラインを上回る。
これが政治でも過去には自分のビジネスの都合を兼ねて政界進出したのが多かったから、田中角栄やもっと古くは強盗慶太(五島慶太)みたいに無理矢理でも実務的ではあった。

しかしどちらも規模が大きくなり過ぎて余計な体裁を気にし出したからか分断が進み、「自分の立場しか分からん」了見の狭い奴等の温床と化した。
それでも専門外に対して正しい認識が持ててれば良かったが、分断が酷いだけに気付け難くなったか一段と「裸の王様」度が上がって行っている。

分かってる人の提言を経済性を理由に否定されれば、その手の真理を知ってるお利口さんは皆何処か他所へ行ってしまう。
幾ら経済が大事でも各分野の純粋な専門家を排除すると、当初は儲け率が上がっても暫くすればジリ貧へ転換する。

これを経済軽視と誤解する者が本邦では多い様だが、俺的には寧ろ勉強不足のせいだと考えている。
真に経済主観で考察するには普通は金額に換算しない物迄も何等かの方法に依って含めるべきで、全てのDataを言わば同じ単位に変換しないから「比較ミス」が発生してるのだ。

そう云や何かの落語で合理主義を徹底し過ぎて使用人を解雇の上離婚迄した挙句、最後は店の主人たる自分の人件費をケチろうとして閉店しちゃったとか何とかシュールなのがあったっけか。
省けない或は省かない方が得な部分が各分野毎に異なってるのが普通なのに、時代遅れの一辺倒な(不適合な)メソッドだけで何でも削りゃ最後は「無」になるのは目に見えてるんだけどねぇ。

<つづく>

2020年3月29日 (日)

音楽備忘録235 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑩

誇りを堅持しろったって誇りで飯が食えるかってば、そうは問屋が卸さない自体はご尤もで御座居ます。
ビジネスとなれば合理に従って割切りの要る部分は必ずあり、収益を確保するにゃ何人たりとも逃れられないのは確かだす。

けれど行き過ぎてしまうとどんな分野でも本質が損われ、商売をする根源にあった「飯の種」を喪失しちまうんざんす。
ここで敢えてかつて欧米から揶揄された「エコノミックアニマル」に触れてみるが、メガネを掛けスーツを纏い乍ら首からカメラをぶら下げてるって構図でやんした。

そしてその生物は自らの生命の危機や災害等に遭遇してすら、常に飽く迄仕事最優先ってキャラでした。
それじゃあマシンで血の通った心が無いみたいで…と、勤勉さへの妬みへ容姿の悪さを加味したネガキャンってな感じだったかな。

実際俺の親父も含め幾ら何だってもう少し恰好良くオサレに出来んもんかと、家族であるのが恥ずかしく思った事も多々あったわ。
只ダサくて仕事優先なのは真実でも冷血とか冷静とは無縁で、今比だと「無駄に暑苦しいオッサン」ばっかりだった。

外人に対してはコンプレックスも大きかったから下手に出てて見逃されたんだろうが、寧ろ濃厚な誇りを抱いてたからこそあんなに仕事に馬車馬出来てたんだろうと思う。
もっと客観的に言っちゃえば当時の日本製はハイエンド領域では欧米製の足元にも及べてなかったから、安さがあるにしても熱意が伴って無けりゃ売り様が無かったってのが真実だ。

今ネット通販で近隣国製の廉価品に対して我々が不安に感じるのは、不良品だった場合や不具合発生時の面倒見の悪さじゃないかな。
それを本邦昭和の熱血漢は何処迄も面倒を見てたから、あそこ迄の成長に繋がったんだよね。

尤も人生は仕事だけではやって行かれないから無理があり過ぎて長続きさせられなかったけど、「飯の種」を考えるには格好の材料かと思ったのよ。
んで売るのが工業製品等だったらまだ直に影響は出ないからマシだが、芸術系みたいに気持ちや心が直結してるヤツだと誇りの有無は露骨に現われる。

しかも厄介なのは才能がある程それが顕著で甲子園じゃとかアマ時代はあんなに良かったのに、メジャー系のプロになった途端にサッパリなんてのに特に音楽とかだとこれが原因な場合が多い。
マーケッティング理論に依ればこう改変した方がなんてのに潰されるのが多いが、本邦レーベルのマーケッティングの偏りと範囲の狭さや適用の下手さがその元凶だ。

これって今のコロナや放射能汚染の対外公表の杜撰さとそっくりで、オリンピック開催等へ影響するのを怖がり過ぎてるのと一緒だ。
これが間抜けなのは国内にしか目が向いて無い処で、仮に日本が無事でも参加国の多くが「それどころじゃ無い状況」だったらどの道予定通りの開催なんて不可能なんだから。

顧客ファーストとかお客様は神様と盲信するのは勝手だが、それならその神様にもっと詳しくなんなきゃ駄目じゃないのさ。
それには不特定多数の意見の他、併せて対象アーティストのファンは何処に価値を見出してるか等のDataをもっとしっかり取らないとね。

そうした後正確な状況把握が出来ると部分的に理屈に合わなくても変えちゃ駄目な場所が分かる様になり、芸術には理論に反する部分も多いのを改めて思い知るであろう。
つまり元々ホントに「売れそう」と思って雇ったんなら、余計なお世話を焼き過ぎ無きゃ良いだけの事なんですわ。

俺的にはそんな基礎レベルのお間抜けにどうして誰も気付けんのか不思議でしゃーないが、スタッフもアーティストも貧乏への逆戻りが怖すぎて耳が眩むんだろう。
但しこの先で道は担当部署次第で二手に別れてて、感性が主商品の場合は何れ路頭に投げ出される事となる。

要は世相や評判がとうあろうと感性保持の為にはある種の誇りみたいなのを保たなきゃなんないのは、単に業種固有の必然なだけなのよ。
でこれは同じ立場に立たないと分かりっこ無いから、大多数の世間一般からはお目出たい事ってと勘違いされたって仕方無いんでがす。

<つづく>

2020年3月28日 (土)

音楽備忘録234 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑨

何だか一般職と音楽家の対立みたいな様相を呈してるが、これもその根底には社会制度での相違が発端と思われる。
ミュージシャンに限らず会社員と自営業者では、例えば健康保険の負担率からしてずっと非適正な差が与えられたままだ。

社会学の勉強不足で頼り無げだが多分元は第二次大戦後の経済政策として、欧米先進国に追付く為にサラリーマンを増産しようとした名残だろう。
当時としては必要な施策だったのは認められるが、これだけ大企業の継続と終身雇用が頼り無くなれば焼け石に水の無駄な優遇だ。

つまり助かる奴が殆ど居なくなってて、折角高い身分が手に入っても元気にちっとも繋がらんと云う…。
現政権の一番間抜けな処がこれで、自分さえ良ければも度を越せば無効化するのに未だ気付けない処だ。

しかし貧すれば鈍すも加勢してか苦しいだけに、既得権益や現状死守に走ろうとする者も多い。
何とか非正規労働者を増やして少なくなったパイを確保しようと躍起になりつつ、会社と違って自営は個人で自由に経費の割り当てが出来るから等とうそぶいている。

そりゃ総理が率先して狡したりしなきゃ少しはマシになるかもだが、三人寄れば文殊の知恵は善悪に関係無く効力を発揮するんだからねぇ。
頑固で真面目な堅物が組織に一定以上の割合で存在すれば未だしも、今時自分達の集団の儲けが減っても正義を貫ける様なのは稀だ。

折角たまにその手合いが居てもその集団の大多数には経済的に不都合な存在なので、左遷したり肩叩いたり寄ってたかって追出し・潰しに掛る有様だ。
私的には法で無理にヤクザが居ないものとした結果、実際には怪しい連中が一般社会に潜り込んでしまっただけと感じている。

悪い奴等に少々恩を着せた処で感謝の気持ちなんて微塵も無いから、他所より恵まれてるのにちっともハッピーな気持ちになんかなって貰えんとね。
どうせ何処かに必ずブラックが残るのが現生ってんなら、せめてなるべく有難がってくれる奴等にサービスするがいい。

そうすりゃそれで浮かれた分少しは消費拡大に貢献するだろうて、払わん奴に払う程無駄な投資は無いってのが資本の原理なんだけどなぁ。
こうした悪政正しくは俺的には「誤政」の結果世相が変容し、経済より文化や芸術等「実」に重きを置いてる者達の資金を一層減らしてしまった。

又非正規雇用=必ず低賃金ってのも誤った観念で、世間の多くは困った時だけのお助けマンの存在を忘れ過ぎている。
つまり凡庸社員だけでは手に負えなくなった非常時だけ、ギャラは高いが問題を一発解決してくれる人を雇うニーズの方がホントは多い筈なのだ。

時代劇に出て来る用心棒なんかがその典型で、仕事内容が他よりハイリスク・ハイリターンだから払う側にとって別に損は無い。
寧ろ高学歴でもビジネス的には低能力の者へそこそこの賃金を払ってるのこそ完全な無駄で、月当たりの負担額が大した事無くてもずっと継続するからボディブロウはかなりのもんだ。

教育関係の職場なら学歴を気にするのも経験値と直結してるからまだ分かるが、ビジネスの場で直接は無関係な学歴だけに何時迄も翻弄されててはそれこそ「マトモに仕事にならない」のも至極当然だ。
この点で現状本邦の芸術系の単価はそもそも低過ぎで、芸能系のそれは高過ぎだ。

例えば¥100万の高価な名画ったって毎日量産するのなんて全然無理だから、月とか年単位で割ったら雀の涙だ。
人気を直に金額に換算すると仕方無い側面もあるが、「技術料の単価」を軽視すれば技の持ち主は減る一方でやがて皆が困るだけなのにね。

しかし禍を転じて福と為す発想からするとおいそれとは他人が出来ない技をもし持ってるなら、ライバルがどんどん減ってくと将来は必ず有利に働く。
間違ってても世間が多勢なので悪環境自体はすぐにはどうしようも無いが、個人としての誇り迄投げ出したら後で損するのは自分自身だ。

<つづく>

2020年3月27日 (金)

音楽備忘録233 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑧

政治と音楽とか言っとき乍らとうとう「謝んないJapan」だなんて、幾ら俺言いにしても思えば遠くへ来たもんだ状態に陥ってるが…。
本来そんな大勘違い野郎はもっと早期に淘汰されるのが原理に適ってるが、何故未だ生き残れてるかってば立場のせいのみだろう。

正直言って今の不名誉でつまらなくて儲からない政治業、別の邪な腹等特殊事情でも抱えて無きゃやりたい奴なんて居ないよね。
そりゃ狡して小金を稼いだり理不尽な我儘を押通したりは今でも可能だが、ガッポリ儲けようと思ったら他業種の方が桁違いだしそれだけ稼げりゃ無理する必要も無くなるし。

相撲だって恰好悪いデブになって時代に合わない拷問に耐えないと昇進出来ず、そこ迄苦労をしても所詮小日本のお山の大将止まりだ。
伝統芸能であるが故の非近代的な制約は多いし、それを嫌って引退後に業界を離れれば他のスポーツより稼ぎ口が少ない。

いやこんなん言うと炎上コースまっしぐらだが、どちらも本来あった価値観に従って実施してたら素晴らしい世界だ。
政治の方は下手に外面だけ慌てて資本主義に走った結果、営利企業だと無能な経営者の避難所と化しちまった。

相撲の方だと他流試合の無いのが命取り取りで、例えばカンフー映画はどうやって外国で流行らせたかを顧みるがいい。
一般世間が理解し易いのは比較させる事で、独自世界内だけで幾ら頑張っても知らん奴には分からない。

所詮Showだ茶番だとは言えかつて異種格闘技戦でアントニオ猪木がのされなかったのも、モハメド・アリが押え込まれなかったのも無価値では無い筈だ。
例えどんなに素人有利なルールにしといても、彼等に掛かれば常人だったら一瞬で終わってるのは間違い無いから。

そこで資本主義社会に於いては飽く迄経済的には亜流の音楽界はどう振舞えば生き残れるか考えると、同じ土俵・同じ相手としか勝負しないのが一番危険なのだ。
元からニーズ・流入資本が他分野より限られてる上、どう頑張って名作を創出してもその価値に絶対性が無いからだ。

悪い例えで情けない事おびただしいがこれを一番明確に比較出来るのが、一般性の少ない政治って寸法だ。
本来なら政治はもっと一般社会とリンクしてなきゃイケナイが、立場が真逆である点ではどうしたって非一般の部分は無くせない。

ここでの比較対象は支持者で余程宗教が強大な勢力を持ってる国以外では、音楽は狭い或は限られた対象だけの支持にしか頼れない処だ。
政治の場合は既得権益を散布する事に依って必要数の確保に自由度がもたらされてるが、宗教音楽等音楽以外に強力な必然性を抱き合わせない限りそんな手は使えない。

尤も強力な抱き合わせがあったらあったで最早そっちがメインになるし、人の心へ訴え掛ける様な部分以外で音楽は実に無力だ。
もしかしたら一番資本主義経済とは相容れない部分を持った芸術かも知れず、体制に尻尾を振ったらその時点で消滅するRockなんか典型的かも。

然るに皮肉ではあるが政治に一番無縁な音楽が、政治からの悪影響は真っ先に受ける物らしい。
たかだかミュージシャン如きの分際で政治がどうのとか語ってんじゃねえなんて、一般職の人から言われ易いが例え相手が認めなくても負けてちゃいけない。

それなりに社会的地位(っても近年のはほぼ経済のみだが
)があるってのは、かなり末端のお零れであっても実は既得権益に依って地位保全されている。
だから商売の邪魔になる真実に対しては妙に神経質且つ過敏になってて、こっちにそんな腹が一切無くても偶然核心を突かれちゃった状況なのだ。

こっちは一般職人の社会的地位と似た様に音楽を保全しようとすれば、マイナスになり得る物に対しては抵抗せざるを得ないのだ。
一般職と兼業の方は上手に使い分けるとして、音楽専業の方は無理に迎合するのはお勧めし兼ねる。

迎合すればその点に限っては文句を言われなくなるが、今度はやれ自由で狡いの何のと新ネタを無尽蔵に注ぎ込んで来て畳掛ける。
仮にそれも上手くかわした処で被害が減るだけで、こっちは大抵相手に益が無いから何も助けてなんか貰えない。

決して社会からの孤立や隔絶を勧めはしないが、立場の相違で理解が得られなくても仕方無いのは是認しとくべき。
違いが分かってた方がアイデンティティを保つにも、上手に社会との接点を作ったり持ったりするのにも力になるのだ。

<つづく>

2020年3月26日 (木)

音楽備忘録232 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑦

前回最後で無根拠なのに雰囲気だけで、「自分に罪は無い」意識の蔓延へ到達した!?。
実際に逮捕等程遠いんだから幾らも悪くないのは確かだが、だからと言ってずっと放置してて平気かは定かでは無いのだ。

最近変なブームの煽り運転の案件も煽る側だけの話しに誘導されていて、では無煽りだったらホントに故意や重過失の交通事故は無くせるのかだ。
これは誇張英国人的イメージで想像すると自ずと答えが見えて来るが、英国人は言葉や態度はとても紳士的だがキレた時の行動はとっても暴力的且つ短絡的だ。

飽く迄傾向なだけで実際英国人全員がそんなに極端な訳じゃ無いが、私的にはテレビ人形劇サンダーバードのパーカー(執事)の様子が印象深かった。
只一点を除いては常に落ち着いてて紳士そのものなんだが、表情一つ変えずに何か行動を起こす時だけ異常に過激なのだ。

これを昭和の日本のヤクザと比較すると、ヤクザは先ず散々脅してくれる!?。
本来は脅されちゃ敵わんが例えば言う事訊かなきゃ最終的に殺されちゃうなら、命を守る為の選択を考えたり想像したりする時間はタップリ与えられてるとも云える。

処が誇張典的英国紳士の場合は最良で軽く静かに注意されるか、最悪なら無告知のままいきなり殺されるとなる。
殺す側には正当な理由があるにせよそれだと殺される側は理由を知る暇すら与えられず、テロに遭遇したのと似た様なもんで成仏するのさえ難しそうだ。

つまり誇張典型的英国人がもし煽り気を起こしたなら、散々追い回しゃしない代わりいきなり突っ込んで来そうとなる。
依って俺的にはいきなり殺されても平気なら、やだねぇ煽り運転なんて恐い怖いって呑気にほざいてろよだ。

これ関係で最近ある世直し格闘家ユーチューバ―の煽られたのについての動画を見てて、「こっちは普通に走ってただけなのに」に嫌悪感を抱いてしまった。
ってのは無意識下に普通=無罪って認識しか持って無さそうに見えたからで、普通は聖人君主じゃ無いんだから何か相手に対して過失があったっておかしく無いのだ。

その「こっちは普通」君にとっては煽られる程の過失は無いと思っても、完璧で無いのなら程度が軽重にせよ相手に何らかの負担を強いてる可能性があると考えるべきじゃないのかなぁ。
こう云うのを社会心理学では「自己奉仕バイアス」と呼ぶんだそうで、悪意無くば潔白ってな少々虫が良過ぎるって訳だ。

今の煽り側で問題なのは「謝られても全く許す気が無い」処であって、これは本来「煽り」では無く嫌がらせor八つ当たり運転とでも称すのが相応しかろう。
こっちも恐らく上記バイアスか何かが働いてて、こんなひどい仕打ちに対しては許さなくて構わないなんて思ってるんだろう。

俺がこの件で最も問題視してるのは構成人員割合で、現況煽る者の方が少数派で大多数の無認識な不完全運転者が野放しにしになってる処だ。
どんな微小な過失でも例えば10台の車列で先頭から全員が少しずつブレーキが遅れた場合、最後尾の車には遅れは10倍になってる可能性が高い。

故にこう云うのは質と量の問題で、安全値を超えたら危険なのはどっちであっても最終段階に至れば同等だ。
直ちに問題視する必要の無いミスは許容され無きゃ殆どの人が困るけど、これ実は無条件では無いのを皆が忘れてるのは大変危険な兆候だ。

間違っちゃったら御免なさいは本来礼儀として基本だが、もし略し過ぎた場合それ以上に思考面でのマイナス作用が実は甚大だ。
時間経過と共に不充分な現状を何時の間にか不問としてしまい、そうなると未来永劫改善される可能性を逸しちまう。

平成以降のアヤマンJapanもとい謝んないJapanキャラの代表として、どっかのアホ総理とエセ大横綱を今日の生贄に捧げよう。
たったこれだけ程度だってあんな偉い人も一々謝罪しなくていい時代なんだから、みたいな世相・風潮を蔓延させるにゃ充分過ぎる。

<つづく>

2020年3月25日 (水)

音楽備忘録231 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑥

警察と暴力団とか酒タバコに関する扱い等、政治とはそこ迄直結して無いイメージがあるかも知れない。
昭和の戦後みたいに大枠は政府が・運用や適用は現場に権限があった当時は実際そうだったが、平成の終り頃からのは時代劇風に言えば正にお上からのお触れそのものだ。

法の
規定に不備が多く実際の状況に不適切でも、状況を把握した者が幾らも適正化出来ぬシステムに改悪されている。
世界の潮流もあっての嫌煙推進は当然だとしても、どうでも何処でも吸えなくするなら喫煙を違法にしたのと一緒だ。

実害として火災・小児の火傷・ポイ捨て・煙害等があるのは分かるが、客観的に比較すると酒酔い運転や泥酔酩酊に依る死亡事故・殺人事件等の方が遥かに重大だ。
上記前者の内ポイ捨て以外は過失と見做せるが、制御喪失となる深酒は万一にもそうなる可能性を知ってての行為だから故意に当たる。

こんな麻薬と何の違いも無いのに後者だけ成人なら無規制とは、俺流暴言化すりゃ「ハタチになったら殺しOK」と認定してるも同然や。(どおりで善良市民のガラが悪くなる訳だ😅)
それは兎も角怖かったヤクザさんは居ないに越した事ぁ無いが、但しそれもヤクザ以外の一般市民がしばしば瑕疵があっても最終的には皆善良であったらの話しだ。

ほら見てご覧で上記「皆善良であったら」は、近年の無理くり音圧競争案件とそっくりじゃありませんか。
本来ならPOPSにそんな激しさは不要な筈なのに、周囲よりショボく聴こえたら敵わんと心配するあまり飽和状態に陥ってるざんす。

そしてこんな状況を招いた主犯は大手レーベルで、どっかのインディーズが悪戯するのとは訳が違う。
パフォーマーも機材も技師もせいぜい2流レベルのしか居らずとか、そのままだとどうにも売るに足りないから邪道だがなんてのなら分からなくも無い。(不利を逆手に取った成功例としては意図的Lo-Fi等)

それに対して1流を引っ張って来られるだけの分厚い札束があったり、1流のお抱え職人が居れば余計な加工なんかしなくたって充分リッチなサウンドが獲得出来る。
それを札束を下手にケチったら結局ロクなスタッフが残って無くて、恥も外聞も無くでは廃れるのも至極当然だ。

現状の大手作品をサラリーマンとすれば、エリートなのにホームレスの格好をしてる様なもんだ。
その根底にヤクザが居なくなったのを敢えて指摘させて頂くが、要するに恐い元締めが居なくなって横暴が幾らでも出来る様になったと。

だからってヤクザ復活を望みはしないが、ある意味効き目の強い薬的要素もあったのを見過ごし過ぎたね。
強い薬品は副作用も強いし、使い方次第でそれは直ちに猛毒に変貌するよね。

益より害が多ければそれを廃そうとするのは当然だけど、それで無くなる益の部分に無配慮だった結果がコレだ。
残念だけど所謂業界さんがかつては今よりマシに見えてたのにはカラクリがあった様なもんで、すぐ隣に居たヤクザと比べてそう見えてただけだったのよ。

そんで統制が取れんくなっての劣化も相当だが、更に大きな能力を逸してしまった。
それは上級ヤクザの「人を見抜く目」で彼等にとってそれは死活問題だから、眼力の無い者は指導的立場には立てないのだ。

何とかして対抗勢力より戦闘力を高めねば、アッと言う間に組も命も無くなっちまうからね。
つまりその力を音楽業界へ応用すると、スカウティングに効力を発揮していた。

現にあの美空ひばりを幼少段階から支持して実質的に育て上げたのは高名組長で、眼力の磨き方に失敗しても即座に殺される心配は無いサラリーマンなんかと違ったのは至極当然だ。
しかも存在自体は辛うじて容認されてたとは云えヤクザは昔からマイノリティー、だから単純にみれば知ってる世界が平民の2倍広いとも看做せる。

なので今なら大手レーベルがせめてこの手の部門に「伝説のヲタ」でも採用すりゃ良いんだが、外部への体裁や従業員としての扱い易さを優先し過ぎてコケでいる。
そんなのを続けてる内にマイノリティー界に疎くなり過ぎて、最早マトモに探すのさえ出来なくなった様に伺える。

こんな間抜けな業者も業者だが、自浄・自活能力が無くても適正な外圧が掛ればまだ救いがあったろう。
しかし1億総政治無縁派では「怖がらなくて・上前撥ねられなくて済む」だけ等と誤認してるから、自分はちっとも悪くないが誰か知らん奴のせいで駄目になったと思い込んでるんだろう。

<つづく>

2020年3月24日 (火)

音楽備忘録230 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう➄

今回は近年の呼称・ネーミングを先ず槍玉に挙げてくが、先ずは意味理解が不十分なまま外来語に置換えたのが多過ぎる問題から。
先に予防線を張らせといて貰うがどっかの「喝・あっぱれ」元選手みたいに、情緒に過依存するのは眼中に無いのでそこんとこヨロシク!?。

今は安易に横文字にすんなよと思ってる俺も、実は子供の頃は日本語ダセーの最右翼だった。
今になって漸く分かったその原因は言い回しにあり、わざわざ一番難しく大袈裟な感じになってたのが多かったからだ。

今でも時々見受けられるが終戦前に生まれた人の多くには「お前○×△□って知ってるか、分かるか?」等と、とっても上から目線で勝ち誇る様な輩が多かった。
それが昭和の頃は理系ですら非合理な方を常としてる様な処があって、例えば電気モータなら電動機とか。

意味として間違っちゃ居ないが本来なら大事な部分がこれでは欠けてて、電気力で動く物は回転するのばかりじゃ無いのに回るが入ってない。
又「モータ」の方も一面では微妙で、電気以外のエネルギーで動くのも含まれている。
モータースポーツの名が出来た頃に電気自動車のレースなんて無くて、結局はエネルギー部が略されてて「回転機」の部分だけになっている。

どうせ日本語でも拙い真似っこ英語でも不足があるなら例えば「電グル」なんて如何、ってのはポピュラー音楽に毒された者の発想かいね。
そして私的だが痛感するのは年々専門化と一般での呼称が掛離れてってる処で、そんなじゃどっちの呼称もキラキラネームと一緒やんけだ。

今や死語のギャル語とかそーゆうのは一種の暗号で、汎用呼称とは対極にあるものだ。
こうした2極化の根源の1つに思われるのが「お役所用語」で、例えば確定申告の金額項目の表現等がその典型だ。

その中でも一番可笑しいのは表現の硬軟がまちまちに混在してる処で、以下に青色申告書から例を出してみよう。
修繕費って項目があってこれは誰にでもすぐ分かるが、減価償却費なんてのは面倒でも他の適切な呼称が難しいから仕方無いかも知れん。

だが「租税公課」ってなんじゃそりゃで、実際にはほぼ固定資産税なだけだ。
徴税は法であるから税務署と税理士等はその出自からして、必然的にお友達である確率が高い。

それで忖度合戦でもって税理士雇わないと難しくしたいなら、この際全部一般人が知り得ない言語にでも勝手にしやがれっての。
恐らく忖度バレが嫌で分り易いのも少し混ぜたと俺は勘ぐって疑わぬが、コネバレなんかより「混ぜるな危険」が例え薬品じゃ無くても如何に危険かが蔑ろにされている。

これ俺知りでは何時頃からかは知らんが昔だと畏まったのはひたすら固く、一般のは分かり易さにそれぞれが統一されてた記憶しか無い。
真剣に捉えると酷い話しだが昔の「大上段呼称」は一面ではポーズで、学者でも無い平民が口ではそんなん言ってても頭の中では全然使って無かったと。

当初はベテランが初心者をからかって(ホントはけしからんが)も、それでご満悦になれたらちゃんと謎解きは何時もしていた覚えがある。
敢えてこれの必然性を考察すると一般人には失礼なゲームだが、その一言が通じるかどうかで同族かどうかの見極めに使ってたのも確かだ。

要は平成以降になって呼称の必然性が薄れちまって、その発端が政策にあったのではって疑惑だ。
何せ現政権は報道方面への下らん余計な注文が多過ぎで、本来なら無理な尻拭いで無く「決定的・象徴的な一言」を先に発するのが仕事ではないか。💢

それこそヒット曲のサビの歌詞と同じで、その為の訓練は常人より遥かに多く積んでる筈なのだ。
それがあんなのでまかり通したからか何時の間にか、歌詞の方まで決定力不足でも構わないかのようなムードになってやしないか?。

<つづく>

2020年3月23日 (月)

音楽備忘録229 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう④

まだ是迄の記述程度じゃ充分ご理解を頂けてないかもだが、一応政治と音楽に関連性があるらしきは一端を記した。
ので今迄拙ブログではストレートに政治に触れなかったのに、どうして突然急に吠え出したかを少々ぶたせて貰っとこう。

正直個人的には今でも政治への関心は決して高く無い口で、思う処は色々あっても期待薄な上只のボヤキや僻みと思われてスルーされそうとも考えている。
ホントはそれじゃ悪しき傾向なんだが世間の同意を得られ難そうな他にも、この世相で如何にもな語り口をしてるのの中に新興宗教的な連中が多いのもある。

個人の自由は拒否しないけれどご大層なお題目を唱えるだけの方々とは、思想は言う迄も無くそもそもこんな俺とじゃ接点も殆ど無い。
これは政界に於いても近似な様で本来の実力者は低評価、商売上手(と云っても極一時的なのに限られるが)なのだけが決定権を握る有様だ。

なので低レベル乍らも内実では政治にもそれなりにアンテナは張りつつ、しかし政治臭は一切しない発想や表現を日頃心掛けて来ている。
それがここへ来て普段から政治的発信もしている従兄の方が理解が浅い疑念が出て来て、それが例のClick使用の是非に対する従兄の回答や説明にあった。

俺は昔から政治不信ではあったがそれ以上に触れたくも無くなったのは、今本邦の政治に携わってる殆どは政治家じゃ無く「政治屋」だからだ。
これって近年本邦のメジャー系J-POPの連中を勝手に卑下してるのと全く同一構造で、幾ら優秀でもビジネスマンなだけなのに一端の音楽家面するから猛烈に否定したくなるのだ。

アメリカのトランプ大統領は迷惑者以外の何者でも無いが、どうせ政治も商業だってんならまだ自然な展開ではある。
政治の理想としては前任のオバマ氏の方が適してたが、自国経済面からしたら理想論ばかりで収益ジリ貧では資本主義で経営してる以上は実際困る。

要は「反動が強く出過ぎた」だけの事例だろうが、稼げさえすりゃ真の政治力を持って無くても表面上は務まる程度に今はなったんだと考えられる。
これはどの分野でも共通で打込みの無かった昔なら、最低でも「マトモに歌える」が無いと音楽を作れなかったのと一緒だ。

コレ気付かずにすっかりその気になってる人にゃ悪いが、音楽的スキル不足のままだと完成した作品の殆どは「単なる音の羅列」の域に留まってると断言させて頂く。
なんて俺が偉そうにぶつ迄も無く、現実に世間の評価にマーケット縮小として表れてるよね。

でギリギリでもやってける様になったからもあるだろうが一番不味いのは認識の問題で、俺言い「音楽屋」と音楽家の区別の出来ねえ奴が多いからだ。
つまり野球選手だったら守備力と攻撃力は個別に見るが如く、商業性と芸術性をしっかり分離して捉えないからこんな事になるのだ。

音楽も仕事としてやるなら最低限の商業性は必須だが、「音楽」の冠を名刺に書き加えたいなら商業性以上に「先ず」芸術性が必要だ。
この点は寧ろアマチュア音楽家の存在に目を向ければ気付けると思うが、音楽家になるのにアマを飛ばしてプロと云う経路は原理的に存在しない。

仮に外野からはいきなりプロとして登場した様にしか見えない人が居たとして、単にアマ時代が非公開だっただけだ。
或はスポーツ界でもある世紀の大天才みたいなのも稀に出るが、それだってアマ時代が極端に短かっただけなのだ。

古くて悪いが俺知り例では、The Rolling Stonesの創設者のBrian Jonesのエピソードがどんぴしゃだ。
仲間が朝仕事へ出かける時部屋から道への階段に彼が腰掛けてて、ブルースハープと格闘してたそうだ。

その時点では全然マトモに吹けて無かったのが仕事が終わって帰って来るとまだ階段に居て、しかしもう自在に操って居たんだそうな。
これがもし同居して無くて丸1日会わずに居たら、突然吹ける様になってたと感じたんじゃないだろうか。

それともう1つ気になるのがある種タレントの価値で、何々家(葬式とかじゃねんだから「け」じゃ無くて「か」よ)よりもタレントの方が音楽家より恰も身分が低いかの様な世間の誤認だ。
日本なのに英語のタレントなんて呼び名がされる様になった起源を考えると、役者と呼ぶには演技力が拙いとか歌手と呼ぶには歌唱力が…等既存の尺度では適した呼称が無かった場合だろうか。

しかし役者だって世界初の人の登場時にはそんな呼称は無かった筈で、音楽家には足りなくても凄く人気で売れてる人を何故「素晴らしいタレント」と呼ばないか俺には甚だ疑問だ。
その人の能力認定をするのに誤呼称するなんて寧ろホントは失礼で、政治屋だって国会じゃ無く悪質な負債者からの借金取り立ての現場にでも携わるならかなり有能だと思うんだが…。

すべからく不適切呼称も最初の内は副作用が現われんかも知れんが、何時までも続けてるとロクな事は無い。
基準点が実態とはどんどんズレてくんだから、名ばかりの方に限らず実ばかり!?の方にもと一体「誰得」なのよってな事に。

<つづく>

2020年3月22日 (日)

音楽備忘録228 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう③

理系の癖に話の順番がまちまちで読み辛かったらゴメンなさいが、筆者としては気紛れの他にも一応思惑があっての事なり。
俺は問題外としても現実世界には気象を始め予測し切れない変動パラメータがあるもんで、それ故「空気中で音を出す」限りは一般的な理論だけでは制御し切れないのだ。

それへの対策を講じるには適応力が要り、想定外に遭遇してもなるべく求める方向へ近付けられる知恵が要る。
ここでの想定外は「理屈に合わない」部分についてで、人間自体がスポーツでも何でも完璧に予定通りには出来ないんだから絶対外せない。

因みに例えば完全試合を達成した名投手でも、些細な投げミスが皆無なんて先ず無い。
ではどうやって不完全を駆使して完全な結果を得たのかだが、極端な話し全球ミスっても試合にだけは勝てる程度になる様な手法を確立してるからだろう。

その1つにどれだけマージン(余裕or猶予)を持たせとくかがあって、それ故私的には必須で無いならClickは使うべからずとの考えは揺るがない。
近年の達人ではClickを使用しても充分Grooveさせられてる人も増えたが、それを根拠或は目指してるからだとしても迷わず必ず使うのには大きな疑問を持っている


ってのも昔なら諦めるしか無かった持って無いとか弾けない楽器の音を入れたい時ゃ、今だから可能になった打込みを活用するしか無い。
無しでも行けるかを試して駄目でも使うなとは思って無く、無試験=無証拠なままで「使った方が好結果」では盲信状態に陥ってる。

奏者に個性があればある程他人のDataの有効率は下がってると思われ、逆に完全に当てになる様だったら本家の偽物には価値が無いからお呼びが掛からないだろう。
他人から学ぶのは何だって非常に大切だが、生身の肉体を直接駆動させる分野では「個別実験」をしない事には正確なDataは得られない。

この状況の原因を考察してくと、自らの立場への理解不足が根底にあるのではと思い始めている。
概述の通り国会議員の仕事は法律を作る事で、良い法律さえ作れれば取敢えずは合格となる。
もしその法に従って上手く行かなくても、実行者に多少なりとも不備が認められたら幾らも罪に問われないシステムだ。

実際にはそれだと他国等との競争に負けるの必定で現に近年本邦じゃそれが表出してるが、スポーツチームの監督なら本人に一切の瑕疵が無くても成績不振なら即解任だ。
そんな体たらくで政治屋だけクビにならない唯一の原因は、一定以上の規模になると国は直には無くならなさそうだからだろう。

暫く前に三洋電機が消滅した様に私企業だとかなりの規模があっても存続の保障は不確実で、それが音楽なんかだったらもっととてつもなく「脆い存在」だ。
そこで成果を上げようってんなら「足りればOK」って発想じゃ不適切で、少なくとも実現性に問題が無い範囲ではもっと向上の余地がある方を選択するのが理解出来てれば自然だと考えられる。

強いて逆の面に触れとくなら「雇用前の音楽家」で、雇われても居ないなら幾ら失敗してもクビの心配は無い。
その点では政治家と違ってホントに人畜無害なんだが、無成果が延々続いても凹まない程忍耐力があるのならそれを別分野で活用したら大繁盛しそうだ。

例えば上記例みたいに表立った害が無いにしても、心理面以外にも手法選択等に政治からの影響は大きく働いてると考えられる。
私的には今のコロナ感染阻止には暫くは集まら無い方が適してると思ってるが、政府からの要請は飽く迄「自粛」であって禁止では無い。

にも拘らずこれは極例だが近隣住民からの通報でLiveが中止になった等、無縁と決め付けられる確たる証拠提示が出来ない限り無視するのは現実にそぐわないと感じられる。
そして我々にとって何が一番怖いかってば、何処にどれだけ政治からの影響の可能性があるかの判断がかなり不足してる処だ。

<つづく>

2020年3月21日 (土)

音楽備忘録227 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう②

現行本邦総理は恰好だけの無能者であるが政治信条隔離の為それは敢えて一旦不問として、音楽屋は彼とは立場≒構造差から来る相違の理解をここでは促したい。
極例その1として運転手を挙げれば、春眠暁を覚えずだからってデスクワーカーみたいに居眠りされちゃ皆が困るでしょ。

極例その2として過激なスポーツや肉体労働の現場を挙げると、私的ではあるがホントに安全の為なら暴力の完全否定は好ましくないと思っている。
飽く迄「極例」ですから実際はそこ迄へ到達する機会は稀と考えてるが、下らんミスで死んじまうのとタンこぶだけで済むのじゃ比べる迄も無いでげしょ。

今度はその逆で生徒から幾らボコられても一切反撃に転じない教師、又もや一応私的としとくが教育上は最低のパターンだ。
ヤバさ力が一定を越せてればどんな無茶でも押通せるなんて、そんな現実に反する誤認を助長させ兼ねんがな。

さて前回から変な宗教紛いの観念論みたいなのが又始まってるが、俺が力説しようとしてるのは趣味嗜好では無く構造的な面での正確な認識だ。
政治家の仕事は立法でそれは政策実現に欠かせぬが、実際にそれで出来た法律を運用するのは別人だ。

だが音楽では担当次第で差はあるが、やった事が必ず音に直接反映する部分が廃せない。
これが例えばオールデジタルになって全て数値で管理可能となったからって、参考にした人と同じ数値設定さえすりゃ同じ音が得られると勘違いしてる奴が既に居る疑いが濃厚だ。

ご参考に業界さんがそんな風に口走ってたのを素人さんが誤解する原因を想定すると、その人なりの手法が既に確立されてる処が抜けてるからだろう。
技師がそこへ至る迄には奏者も機材も既に体験済みで、常連さんが来たら注文も訊かずに予め用意しといたコーヒーをさっと出してる様なのの音楽版って事。

そりゃコピーの曲とかならやるのが初めてでも再現性もかなりのもんだろうが、自前の新曲とか他人が誰も知らないのの数値設定には直接的な参考値はまだ存在してないのだ。
それからすると「さじ加減」は結局個人固有のままで、必要な事が足りるだけ理解出来て無きゃしたいだけの表現をするのは困難なのだ。

国会に出席するのに議員には一定以上の正装が要るが、ある程度迄は野次を飛ばすのは黙認されてる。
質疑応答の内容が形ばかりでもそれも容認されちまってるが、言葉遣いに対しては内容よりは格段に厳しく扱われる。

本来ならここ迄「空っぽ」になる位ならいっそ殴り合いをしてでも、大事な議題に対してだけは誠実であって頂きたい処。
何て思うのがもうある意味Rock的思考なんだろうが、国会自体には正規の裁判機能は無いから誠にけしからんがあれでも辛うじて成立しちまってるのだ。

勿論問題のある議員は激しい追及を受けはするがもしそいつが無神経で無責任だったら、審議停止も何のそのでシラを切り通せば有罪に迄は出来ない。
証拠を持って来て提示しするにしても知らぬ存ぜぬで押通されると、それを覆す程の物は警察じゃ無いから入手し辛い。

だがこっちサイドは口パクらー以外はLiveでも実際に音を出さなきゃなんないんだから、国会みたいに体裁だけを気にしてなんかとてもじゃ無いが居られない。
尤もこれは一番目立つ決定的な事例なので誤認のしようも無いが、それこそ口パクを筆頭にすぐ次の段階からはもう勘違いし始めてるのが増殖中とは情けない。

因みに俺言い「口パクらー」にしても録音では、どんなに細切れであろうと最低限1曲を構成するのに必要な音は出してるし出さなきゃなんない。
最悪はそれすらCDのクレジットに虚偽記載してるのなんかもあるやもだが、流石に歌(肉声)となれば先ず無かろう。

ご存知の方も多いだろうがボーカロイドの声、その音源の音源は人の肉声を記録した物だ。
それ故例えば「あ・い・う・え・お」等必要な「歌声の部品」は、誰かに声を実際出して貰って入れている。

<つづく>

2020年3月20日 (金)

音楽備忘録226 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう①

この際ったってクーデターで軍事政権なったとかじゃ無いが、本邦の特にメジャー系音楽界の閉塞感たるやいよいよ目も当てられぬ有様となった。
ポピュラー系は失敬な表現をすれば平均的平民が顧客の中心層であるから、歌は世につれ世は歌につれの典型であって当然だ。

音楽業界は産業分野としては小規模で特殊な方なので、一端の経済人気取りの輩からは政治と無縁と決め付けられている様だ。
が実際に現場に居れば今回のコロナ騒動だって真っ先に甚大な影響を受けてるが如く、社会的にオマケであればこそ情勢が敏感に反映されている。

俺は個人的には政治にも宗教等にも興味は弱い方と自認してるが、幾ら関わりたく無くったって実害テンコ盛りでは到底無視するのは不可能だ。
万一反骨精神≒のRockが社会の主流になっても恐らくロクな事ぁ無いだろうが、少なくとも「間違ってる主流」に関しては自然と詳しくて然りであろう。

何せ1万人中のたった1人の不満でも、1千万人の被害者の為の如く先頭に立って煽ってる様な側面を持ってるからねえ。
Rockのご先祖様がBluesやSoulだもんだから、幾ら叫んで仕方無さそうでもコレじゃあどうにも黙っちゃいられないってのが根っこだし。

今回取上げるのはアホ総理も勿論だが、あれだけ阿保続けててもまだ殺されて無い様なお目出たいオッサンなんて取敢えずはどうでもええ。
気にすべきは成人君主じゃ無いからそれなり程度に留まってるにしても、まあまあ真面目にやっててある日突然マトモな明日が来なくなる様な危うい立場に追いやられ或は嵌っちまってる者達だ。

人次第ではあるが明瞭化の為に俺が一番詳しいスケベオヤジを仮の主人公に据えて、境遇に依ってどんな心理的変化が起こりそうか想像してみよう。
先ず安泰大金持ちとなれたらオネエチャン方へ大枚を注ぎ込むのは明白で、仮に凄く人格者であってもそう云う欲が全く心に浮かばない者は滅多に居なかろう。

そうして不謹慎だろうと不道徳だろうと第1の欲を満たせるとなれば、平民階級とは「したい事」の順位や内容が変動するのは間違い無い。
平民であれば夢の又夢でも一獲千金の望みも捨て切れず、労してでももっと良い音が出せないかとこねくり回すかも知れない。

だが名誉の方は無理でもそれ以外が経済で満たされれば、良い音は出したくても大多数は苦労なんてまっぴらになってしまうだろう。
名誉にしたって本当のとは違っても例えば潰れそうなレーベルに投資して再興でもさせられりゃ、経済力で獲得出来る分は確実に確保出来るから。

このヒューマン的自然現象を音楽製作現場で見てみると、どんな大御所でも経済規模は実業家等と比べると格段に小さい。
アメリカのメジャースポーツ界ではもう少し儲かりそうだが、それでも投資家等と比べるとリアル実務の実力が稼ぎたい内は常に必要だ。

自由民○党の党首だからとかあんなのは実力必須じゃ無い業界(ホントはホントに困るが)では平気でも、こっちの世界じゃジャニーズやAKB程度のご利益で精一杯なのよ。(それだって私的には迷惑千万だが💢)
んでこれ読んでくれてる人には多分そんな処に所属出来てる人なんて居なさそうだから、戦わなきゃいけなくなったのに武器が全く無い状況とでも想定しないと危ない。

なのでサラリーマン根性大帝国の現代本邦では面倒な側面があるが、演る方は内容勝負を心掛けないと最大限に幸運でも命短しになっちまうのだ。
歌う内容やテーマはサラリーマン的なのの方がポピュラリティが得られるのに、制作サイドの取組み方はその真逆位じゃ無いと上手く行かせられんって訳。

まあしかし今音楽屋をそう捉える人は皆無に近いだろうが、大衆にとって娯楽の一部だとすりゃそれを提供する側は「サービス業」の特殊な一形態でもあるのよ。
つまり音楽屋以外の皆が休みの時にこっちはお仕事タイムなる処からしても、逆になるってのはもっと誰にだって簡単に気付けそうなもんなんだが…。

<つづく>

2020年3月19日 (木)

音楽備忘録225 Click使用の可否論②

今回は重要関連事項とは云え、「金管楽器の音には天然コンプが掛ってる」なんて妙題から行っちまうぞい。
書く順番を守んないから唐突感満載だが、譜面通り弾いても机上理論通りには音が鳴ってくれない原因の追究だ。

俺言い「金管天然コンプ」の発想元は、音色の歯切れの良さが発端だった。
物理的に考えりゃ音源を直接振動させるのより鳴り始めは遅い筈なのに、どうして他のよりそう感じるのか疑問に思ったのだ。

そこで思い当たったのが「空気の速度」で息を吹き込むの以外のは、通常音速として定義された通り空気中では温度以外では速度は殆ど変えられない。
だが金管の中でもマウスピース系のはそこを息が通過する時点で発音し始めるが、その吹き込む息には大気よりかなり高い圧が掛ってる。

これは別視点では風となるが風は音速より速まってて、それ故音速は固定なのにドップラー現象が起きている。
これがマウスピース金管では風を起こさんと音が出ない構造なので、現時点では未実験で私的仮説の域を脱して無いけれど空気を加速させてる分鳴り始めが早くなってると予測される。

しかも気圧不足だと「プスー」とか「スカ―」と透かしっ屁状態になって音程が出せないんだから、強制的に空気を速く動かす力が継続的に働かざるを得ない。
尤も音源と聴点が0mで無きゃ音速の影響は必ず受けてるが、発音と音速の速度差がつまり「圧縮=コンプされた分」分って訳だ。

私的仮説と云ってもHornスピーカの駆動ユニットは現に「コンプレッションドライバ」と呼ばれてて、スピーカ各方式の中でHorn式は歯切れの良さが売りだ。
これは現行案件ではほんの一例だが、兎に角楽器や音色次第で音の鳴り出す時間はかなりバラついてるのである。

他楽器と合奏する際人力であれば当然なるべくタイミングを合せるべく加減はされるが、だからってそれだけを優先すると別の大きな問題が発生する。
それは特定意図が無くば「寝ぼけたトランペット」に「やたらと鋭い足踏みOrgan」(後者は現実的には不可能だが😓)みたく、「その組合せにした意味」を喪失させてしまうのだ。

それでも音程やフレーズで鳴り方が楽器毎に一定ならまだ良いが、1つの楽器内ですら発音タイミングはかなり幅広い。
尚且つ速まる・遅まるのが大抵同時じゃ無い方が多いし、曲再現の都合上「合せるべきポイント」も異なってしまうのが多々だ。

又ずっと全部伴奏だけとかメロだけなんて、役割が不変なケースより随時入れ替わる方が多いのも。
役割=曲中での構成要素が変化すれば最適タイミングも異なってと、リズムの問題は単に安定してるかとか一致してるかなんて狭い範囲だけにゃとても留めて置けないのである


確かに「絶対的指標」としてClickは録音時あった方が楽っぽいが、上記から鑑みれば「大外しだけは避けられる」存在に過ぎないとしか考えられない。
使うのを常としちまうと「一定以上に整ってる魅力」に対しては有効だが、例え失敗があってもそれ以上の「至高の瞬間」みたいな魅力は排斥されてしまう。

客観的にはどっちも一長一短だし本邦世情では「整い優先」ではあるが、機械だけでの音楽が可能となった事を配慮すると今更人力で小奇麗を狙う古臭さと思っちまうんだ。
なので少なくともプロの名に偽りがない程度の奏力があるんなら、取敢えずClickレスで演ってみて結果が思わしく無かったら初めて使う様にして頂きたい。

無くても何とかなるのに使っちゃうと、前述後者の魅力に注力したくともその選択肢が奪われている。
俺の現況ではコンビ相手の意見は最低でも50%と思ってっから取入れはするが、沢山弾く俺の方に本案件からの制約が多く圧し掛かってる負担には何とか従兄に気付いて貰いたいもんだ。

因みに俺の録音歴ではDrummerが居ない際、前半期の20年間位はずっとリズムマシンやドラムマシンを通常用していた。
それもあって機械が刻むリズムに苦手意識は皆無だし、それなりの修正技も色々持っている。

だがClickとなるとそんな裏技!?は使えないし、ここだけ突っ込んでとかそっちは粘ってなんて意図が充分に明示出来ていないし足りるだけ出来ない場合も多くなる。
何より私的には折角もう1人生身のリズムを出せる人間が居るのに、勿体無いと感じているのだ。

<つづく>

2020年3月18日 (水)

音楽備忘録224 Click使用の可否論①

今のご時勢じゃ気にする人の方が少なさそうだし、使っても全くGrooveが出せなくなったりしないのは一応体験済みだ。
けれど使うと到達不可能なノリや流れもかなり多く、なるべくなら縛られたくない思いが日に日にのしかかる今日この頃よ。

この件は拙ブログでは折に触れ、いや触れなくても気紛れか何かで再三ボヤいている。
それが俺内でここで再燃したのは生ドラムの講師たる従兄の是認し過ぎに参ったからだが、さっき会った時に言いそびれたある実験を思い出したのでそれから。

去年秋に拙ブログ「音楽備忘録㊾」で実験音源を発表させて貰ったが、その時出来栄え確認等の為に原曲とMIDIを同時に鳴らして聴き比べていた。
MIDIは
無料古ソフト再生なのでテンポの小数点設定が不可で、この面で先ず完全同期は望み薄だった。

しかし16小節程度迄なら比較には困らん程度に一致させられたので、後は人力手動でブツ切り比較しか出来ないが一応1曲通しで並鳴させてみたのだ。
人に依って予想にも違いはあるだろうがその結果、以外にもかなり違ってた部分があったのでそれから話しとこう。

昔のSoulであるから正に魂そのままの作品で、曲の進みに従ってじわじわ盛り上がってくタイプの曲だ。
なので幾ら別称「人間メトロノーム」のAl Jackson Jr.でも、最後の方は幾ら何でも120が121とか1位は速くなってるだろうと思っていた。

処がいざ試してみると曲のテンポ自体は全然速まって無くて、お前一寸昔を舐めてたんじゃねーのな結果が出ちまった。
とは言え機械じゃ無いから完全に一定じゃ無い部位もあって、サビの部分だけ少し徐々に速くなって行っていた。

これが普通は特に意図的にやったらその後にもう元のテンポに戻る事は無いが、サビが終わったらシレッと正確に元のテンポへ戻っていたのはチョイとショックだった。
因みに意識して上げてくとその後にガラッと変わる曲調なら別だが、戻す処に付く段差を処理するのが困難だからだ。

これからするとここでのテンポ煽り!?は、別理由からナチュラルに少し変化した可能性がとてつもなく高い。
実際聴き手次第かもだが俺には特にテンポに何かが起きた印象は皆無で、テンポ以外の要素だけで盛り上がってる様にしか今でも聴こえていない。

でも実際には変動があった上でそう云う音になってたんだから、もしこの部分のテンポを固定したら同じには聴こえないであろう事は明白だ。
理屈的には不正確なのの方が、聴感上は正確に聴こえてたんだからさ。

だが概述の通り上記での「理屈」は数学的要素だけに基づいた場合で、理屈だってもっと追及すると音速等の要素がそれでは不足してるのだ。
楽器やMicにも速度差はあるが、それ以上にスピーカの反応速度にすら音の高低次第でかなり速度差があるのが現状だ。

現代音楽では基本的には譜面は無くせない存在で、数学的解析でどう弾けば良いかが理解し易くなるのは良い事だ。
しかし現行の譜面システムでは例えば「まんまで行くとモタって聴こえるからその分加減しろ」、なんてのを正確に記載出来ていない。

私的には技師気質からするとどうせ数学的に行くなら、もっと精密な値を載せとかんかいってケチ付けたくなったりもする。
だが打込み用譜面だったら助かる存在となり得るが、人が特に初見で弾こうとしたらそんなじゃ読み取りが間に合う訳無いからねぇ。

それは仕方無いとして楽譜フォーマット制定当時、音響は未解明だらけだったかもってもそれがゴッソリ抜け落ちてるのを心しとかなきゃあきまへんのや。
「聴こえた感じ」は具体的な数値で表現不可なので、余程の実績が無いと多少違和感を覚えても数字で明記されてる方が正解とつい思っちまうのが人情だから。

なので現実的には譜面を見て弾くにしても達人級の者は、「書かれてる様に聴こえる様に」弾いている。
楽譜記載の不足分は作者のその当時の状況・思想等を学び、総合的に想像して手加減している。
尤も音源の残って無い物は正解を明確に決定出来る証拠が無いから、本当に当たってるかどうかは定かでは無いが。

<つづく>

2020年3月17日 (火)

音楽備忘録223 ジャンルへの拘りと他人の見立て⑨

従兄にある不利としては本邦じゃ誤評価も甚だしい、Jeff Porcaro等と近似の面もあった。
でも従兄はPorcaroみたいにフュージョン系の作品には殆ど参加して無いので、不思議っちゃ不思議か…な!?。

今回はブレずにその道を来てても誤認され易くなるメカニズムについて、従兄を例に考察してこう。
尤も俺も世間には疎い口なので世評方面は一旦置いとくとして、従兄が手の細かいテクに秀でてるのとそれの仕入れ元に関してはかなり気になる処が昔からあった。

従兄としては新技導入に際し、ジャンルよりも技の内容重視で研究して来た。
技術向上の為には最善の手法で、俺みたいに好みの中からのが中心になるより偏る心配も無くて良い。

しかし今になってみると技として素晴らしい代わり、他ジャンルからのは物に依っちゃ使い方をかなり考えなくては危険な場合もある。
例えば伝統的なBluesやRockではハイテクなのが相応しく無いケースも暫しで、感情を直接的に表現し難い技を多用すれば冷静過ぎな感じになる事だってある。

それと従兄は稀な爆発時以外は知性に対する執着が強めな様で、得意の速い連打をするにしてもBuddy Richとは演出が殆ど真逆に感じられる。
深みであるとかすぐに飽きられない為には明解過ぎぬ方が良いが、Buddy Richは敢えてその禁!?を破っている様だ。

現に現代本邦ではそれが災いしてより一層過小評価されてるが、エンタ魂ってかある意味ポピュラー指向の強さがそこから窺い知れるってもんだ。
一見さんにはアホだがおもろいオッサン・ヲタ様には超絶技巧をと、欲張りではあるが聴き手それぞれのレベルで自由に楽しんで貰って結構って寸法なのね。

そのお陰でかつてはドラムテクに興味の薄かった俺ですら、それ処か自ら楽器を手にする以前に初めて耳にした時点から瞬時に虜になってしまった。
これには単に演者と俺の波長みたいなのが偶然一致しただけでもあるんだろうが、分かり易く無かったなら当時は多分今よりずっと鈍感だった俺が気付くのはもっと後になってたに違いない。

各自の持ち味次第でポピュラーに振るにもマニアックに振るにも夫々固有の限度はあるだろうが、仮に少々分り難くなってたとしてもナチュラルなのと故意に拠ったのでは違う結果を招くだろう。
理解された時にナチュラルなのは難解化した必然理由に合点が行くが、故意のに対しては只のお騒がせだったとバレては引かれてしまう。

なので各自の感性への忠実度はある程度以上を保たねばならないが、その範疇で可能な限り分り易い方へ振るのも表現者の義務みたいなもんじゃないかと思っている。
仮に世界一複雑とか難解を標榜するにしても、最終的に理解されねばそれ自体が伝わんない。

ここで過去のフュージョン系やプログレ系で「売れた曲」を考察すると、それ等にはある共通事項があった。
編曲・構成・コード・奏法その他諸々は難解複雑でも、メロディの主旋律のみはやたらと簡単だったりしていた。

只シンプルメロってもそれが稚拙だったら演出との落差が大き過ぎて、盛り過ぎインスタ画像になってしまう。
実際一寸苦しいかもな微妙なのも中にはあったが、使いたい技に馴染む曲ってのは必須条件だと思われる。

そしてこれが面白い事に高度な曲を割かしシンプルに奏でる方は可能でも、逆は難しいし世界観を一致させられない処に注意が必要だ。
これは調味料の用途と似てて只しょっぱいだけの塩とか甘いだけの砂糖だと、量に限度はあっても添加出来ない事は稀。

なのに素材種が多いドレッシングや何とかソースになる程、用途が限定されて来るもんだわな。
つまり後者の高級なヤツはそれが入ってたり掛ってたりするだけで、イタリア料理だとかフランス料理なんじゃないのって思われ易くなるとね。

<つづく>

2020年3月16日 (月)

音楽備忘録222 ジャンルへの拘りと他人の見立て⑧

範囲が急に伸縮おびただしくて済まぬかが、限定箇所のアピールで方向性を示唆する具体的な内容へ進もう。
もし作品クウォリティを無視すれば「生粋の○○屋で御座居」も披露出来そうだが、現実に先に必要なのは真逆だかんね。

大昔みたいに民族間交流が交通事情で希薄だったら、偶然以外に共通項が発生する率は低いだろう。
それが活発な交流の他ジャンル自体の細分化が進めば、重複する部分の比率が高くなるのは当然の事象だ。

となれば僅かな間隙を突いて特性アピールをしなきゃなんないが、それを難しいとだけ捉えてしまう様ならその時点で名称不明な何とか症感染者とも看做せる。
発想をひっくり返しゃ、「えっ!?、たったそれだけで良かったの!?」にもなってんだかんね。

大昔の一時期だと生粋Folk人でもうっかりエレキで弾いちゃうと、古来排他的石頭系Folkの連中から排斥されたりとか面倒だったから。
今だって日々新たな偏見は生まれてるので絶対数は中々減らせて無いけど、受け手の柔軟性が上がってるのは確かだと思う。

なので実施する際は上記の如く実に些細なので事足りるが、その代りにポイントを見付けるのは昔より大変になってるかも知れない。
これはサンプル数が膨大に増えたのと、バリエーションが豊富にあるからだ。

じゃあ気休め言っといて結局大変なんじゃんと思ったアナタ、そりゃ俺のせいじゃなくて資質と嗜好のズレが真犯人でがんすよ。
自身と他人の認識がどうなろうと気にせず、自分なりにクウォリティを上げるのだけに邁進すりゃええでんがな。

エンタの原理からすりゃウケりゃ何でもええねんから、本格派と認められたって全員からつまらんと思われれば終いやさかいな。
けど人間様って禁止されるとそれを破りたくなる性質も強いから、誰もが割り切れるもんでもないよね。

だが何とか打破したいなら自らの弱点は正視しなきゃ埒が明かんで、それには前回述等のみたいに「他人から誤認されたのをわざと実演してみる」のが近道なのだ。
要は他人から見たら少し秀でてて自分にとってはそりゃ誤解の、要素点の洗出しがし易くなるのである。

俺にとっては終生生贄の!?従兄の例で行くと、客観的分析に依りゃそんなにRock・Pops要素が少なかったり不足してる訳でも無い。
もしそうだったらどう聴こえるか以前にその手の曲を叩け無い筈で、問題無くこなせちゃいるのに彼意識とは違った認識がされてるって構造になってる。

この状況を科学的に分析すると足りないのよりも、何か必須じゃ無いのが余計に加わっててそっちの方が目立つからとしか考えられない。
これに関しては長年必要に応じて逐次指摘し続けて来たが、未だに従兄のボヤキ完全終息して無い処を見るとそれでは効果が無いらしい。

ので反従兄側をも再検証してみると、北風と太陽現象が起きてた事に気付いたのだ。
現代本邦の俺言い「無理くり音圧競技会」みたいに、総量が決まってるのに無理に増やそうとしてるみたいな状況を作っちまってたと。

つまり従兄の場合はフュージョンと誤認出来る要素が多過ぎるから、恐らくマズかったんじゃってね。
それがあんなに実績を積めてて幾らも解消しないとなりゃ、どれがどう不味いのかが分り足りないとしか考えられないのだ。

因みにここでの「理解不足」は単なる知識不足じゃ無く、飽く迄「従兄が叩く→聴いた他人に聴こえた印象」だ。
しかも聴き手は無条件前提なので彼の容姿や事前概知の発言等、必ずしも音由来じゃ無い物の影響割合も不問としてだ。

そうなった原因・経緯は次回へ譲るとして、取敢えずジャンル的には誤認のしようが無さそうな例として故内田裕也氏を挙げとこう。
私的には彼の歌唱を全くRockと思っちゃいないが、それでも誰かに彼は何屋さんかと訊かれたらRock歌手とつい即答しちまう。

<つづく>

2020年3月15日 (日)

音楽備忘録221 ジャンルへの拘りと他人の見立て⑦

Bassistと比べりゃ他パートなんて我儘に…なんて暴言大王様の復活の狼煙みたいだが、これそもそもはどの程度曲を意識しないとフレージング出来ないかの違いが原因だ。
どのパートだって大迷惑になる真似はご法度だがBassと違って、Guitar(特にメロ担当時)ならリズムは・Drumなら音程はそんなに曲に縛られはしないからね。

処が禁止されて無いからって無関心で居ると、例えば20歳超えてるからってやたら呑んだり吸ったりしたら唯じゃ済まなくなるのと同じなのだ。
それはチーム力が落ちたり利用出来なくなるからで、体験からは寧ろBass以外を演る時の方が曲を意識しないと落し穴に嵌り易かった。

今回「ジャンル云々」のお題から一見遠そうなこんなのを持出したのは、今迄に無い組合せ等を採り入れる際にこれが大きく影響するからなのだ。
今回の実例はChar氏の作曲と編曲とするが、彼の世間認識ったら殆どGuitarヒーローなだけだろう。

勿論演奏家として間違い無く達人ではあるが、もしそれだけだったら多分今の彼の地位は築けて無かったと俺には考えられる。
それはバッキングのコード自体やその押え方からして全く独自なのが多く、それを最大限に活かすには既存の曲やアレンジだけじゃ不十分だったからだ。

これはかなりの割で他の名人にも当て嵌まるが、ClaptonならLayla・BeckならJeff’s Boogieって曲が無かったらああは弾けないからよ。
本邦では過小評価はおろか最悪知られ足りなさ過ぎるAl Jackson Jr.は勿論名Drummerだが、大ヒット曲も沢山作ったのは更に知られて無い様だ。

Van Halenなんかもこれの極みであんな弾き方が出来なかったら、Guitar Bandじゃ演るのが難しかったタイプの曲も結構ある。
後になって自らJumpでシンセを弾いたのは、ライトハンド奏法(当時はそう呼ばれたタッピング)のネタばらしも兼ねてたか!?。

要は曲と演奏はセットになってっから、どっちかだけで新しいのをやろうとしても厳しいんだって事った。
とは云え新組合せとなるとそれ迄何等かの理由で困難だったか、その組合わせだと○○にしか聴こえなくなる様な原因があった筈だ。

これを打破するのに有効なのは「専門外」にも知己を持つ事で、簡単に言や一種の「急がば回れ」である。
従兄を生贄にすると他人からの認識以前に彼は昔からフュージョン系に興味が薄く、それだけなら自然現象で片付けられそうな話しではある。

だが好き嫌いを別とすれば良くは知らんって事っあ、どうすれば近付けるか遠ざかれるかに詳しく無いとも看做せる。
嫌いであればこそ必要なだけその人にとっての悪例はフォローしとくべきで、道に迷い難くなれる他何を持ってして誤認されてるのかも判然として来るだろう。

どんなのでも特徴を正確に把握するには比較も必要不可欠で、それには比較対象が曖昧過ぎなままでは捗らないのだ。
俺の場合は性格がふざけてるからか当時嫌いなドアホウPunkなんかもそれを更に揶揄して楽しもうとして、結果的には全く偶然だが何だかコツをそれなりに掴んじまってたらしい。

嫌っときながら本家ピストルズがシナトラをちゃかしたのと、そのピストルズをちゃかした俺って構造的には完全に同じってオチが付いてるが…。😅
そう云や先頃昇天しちゃったノムさんのボヤキに、「弱点は得意のすぐ近くにあったりする」とかあったが正にそれだやね。

ここで先に例示したChar氏が抜群の威力を俄然発揮し出すんだが、彼のイメージはかなりRockだが要素的にはフュージョンやラテンの含有率もかなり高い。
概出の本人は熱くBluesしたら他人にはHardrockっぽくなったJonny Winter、意図的にその逆を行った感じだ。

自分の目指してるのから他と共通なのを引き算して行き、それでも残ったのがそれ特有の物だ。
只それ用のフィルタは目指す所も千差万別なんで、各自○○様専用を作らなけりゃならない。

理想としては全知全能だがそれじゃあキリが無いから、手始めとしては大好きと大嫌いのの極端な知識差を減らしてくのがお勧めだ。
そしてどんなにふざけてちゃかしたって構わんから、嫌いなのでも少しは具体的に実演体験するのが重要だ。

同じ物でも弾く人次第で違った感じになるのが当然だし、そうなら無さ過ぎたら没個性ってなるから困る。
単なる音学歴じゃ無くターゲットに対してまだベテランで無いなら、それ故実験せねば各自固有の結果は得られんとな。

<つづく>

2020年3月14日 (土)

音楽備忘録220 録音時の雑音、どれだけ残すか!?

21世紀の常識からしたらシュールなタイトルだけど、これだけ微小な音も記録出来る様になると予め考えといた方が良さそうだ。
余計なノイズは無い程スッキリして良いけれど、やり過ぎると不自然になるのも確かだと思うからだ。

先ず真っ先に考えられるのが生楽器演奏時のノイズで、生状態では余韻の最後は雑音より小さくなるのが普通だ。
この余韻が雑音より1/2とか1/4迄小さくなればやがて埋没して聴こえなくなるが、音量差が少ない内は雑音と共に余韻だって聴き取る事が出来る。

なのでLive感を重視すれば例え雑音の方が大きくても、余韻が完全に聴こえなくなる前にFaderを下げたら変な感じにもなる。
なんてこんなひねた事が気になり出したのも、無くそうと思えば雑音の完全除去が可能になったからか。

珍しくとっとと戻すけど、では余韻の聴こえなくなる度合いに合せてFadeoutすればそれで済むかってばそれも微妙だ。
曲の終りだったら良いけれど又後で割とすぐに出て来るなら、露骨に余韻と一緒に雑音音量が変化するのが目立ち過ぎるとこれはオカシイ。

電気楽器なら未だしも生楽器を生耳で聴いてたら、EffectorのNoisegateなんて掛けられる訳が無いんだからさ。
そない言うてもPAでも録音でも歌わん時のMicのFaderは、昔から落してたやんけであるが果たして…。

これを体験から申しますともし全体の音場に妙な影響が出る場合は、俺の場合は少なくとも完全に落す処迄は下げない様にしてました。
そんなのは稀有な方だけれどもしゼロにした処で、PAならPower Ampの録音なら卓のマスタセクションが発した雑音はどうせ洩れちゃってますから。

なので歌い終わると呼吸も止めちゃう生物なんて感じにはならず、実際には演者の呼吸音が聴こえはしなくてもそんな風な無音状態にはなってないんざんす。
これからすると音源がデジタル以外の場合幾ら透明度向上の為でも、弾いて無い所だからって安易に無音化するのは危険そうだ。

これに対し音源がデジタルで録音も直接のデジタルの場合、理論的には鳴らして無い時ゃ何らの音声信号Dataは記録されない筈。
なんだけど酷い場合は録音機の稼働に伴う雑音が、そうでなくても音源やPCの稼働に伴う雑音は皆無じゃ無いケースが普通。

とは云えそのレベルは極僅かだから聴こえないから平気かってば、全く無頓着で居たり無知識で居るのは少々おっかない。
録っただけの段階では無問題でも、後からEffectを掛けたりした時にどんな副作用が出るか全く不明なのだ。

この辺はアナログ機器はレベルオーバーに許容範囲があるが、デジタルの0dBは厳密な絶対値なのと同傾向と考えといた方が無難だ。
しかも量は微小でも雑音の内容成分が問題で、デジタル機器の場合は音として不成立な超高域や超低域であるのが多い。

依って俺の場合大抵はデジタル音源のは、鳴って無い処は容赦無く無音化する様にしている。
但し音色に依ってはそんな微小雑音より小さくなる迄余韻が鳴ってるのもあるので、スイッチングノイズ予防と共にそんな時はバッサリCutせずソフトの自動Fade Outで切る様にしている。

何れにしてもこんなお題を出すと神経質と思われそうだが、もしパートorトラック数が少ないならその通りかもしれぬ。
が個別には超微小でもそれが24とか48とか多数となると、特にステレオに纏めちゃってから問題になっても解決するのは困難ですから。

因みに昔LPレコード全盛時ので最初は左チャンネルの楽器しか鳴らないからと、右チャンネルは明らかにマスタFaderを下げてると分かるMixのがあった。
当時レコードで聴いてる分にはスクラッチノイズ(所謂パチパチとか)は右からも出てたから気になんなかったが、それをデジタル配布ので聴いたら結構気持ち悪かった。

まるでヘッドホンのプラグがちゃんと挿さって無くてとか、AmpのSWか何処かで接触不良が起きたかみたいな。
或は極致的だと急遽右耳が聴こえなくなったとか、これがまだ車が左から来て右へ走り去る様なのだったらそうは感じなかったろうけど。

変な話しだが天然環境下での「左からしか聴こえない」は、右耳の聴力が生きてる確証があるのに左からしか聴こえないってな状況だ。
だって再生がモノラルでも片耳を塞いじゃったら、塞いで無い方からしか聴こえないってば分かって貰えるだろうか!?。

<つづく>

2020年3月13日 (金)

音楽備忘録219 ジャンルへの拘りと他人の見立て⑥

今迄はマクロ的に最短で小節単位・最長で1曲の中での事例を挙げたが、今回はワンステージ若しくはアルバム単位で考察して行こう。
それとここ迄は分類カテゴリーにパソコンも入れとき乍ら、打込みの場合に言及しそびれてたのでそれも…。😅

罪滅ぼしも兼ねて先に打込みのケースから行くが最近じゃ自前手弾きのループや切貼りも多いが、本件ではそれ等は打込み側へは含まれない。
それは作者自身の手で直に音色やノリ等の加減が可能だからで、弾けなくても出来る打込みとは別物だからね。

さて音楽で弾けないのを機器製作に例えれば、選べはするが全く部品自体は作れないって処だろう。
僅かだがそれを上回る私的例では億劫病が再発して中断してるが、フォトカプラの自作ってのがある。

自作ったって実際にはピンキリで、俺がやろうとしてるのは何も半導体自体から開発しようなんてご大層なヤツじゃ無い。
それは1つのLEDで2つのCdS(明るさで抵抗値が変わる物)を一遍にコントロール出来るタイプのフォトカプラで、大枚を叩きゃまだ売れ残りが入手可能な代物だ。

悲しいかな当然俺だから大枚のカードは無いので、個別部分品を工夫して組合わせて作ろうって計略だ。
これを音楽へ戻してくと尺八等の達人なら兎も角、多くの奏者は人に作って貰った楽器を奏でてるから同次元と見做せると思うのだ。

完全無欠の全方位オリジナリティとなると楽器から作んなきゃだが、それすら突詰めたら工房に籠りゃ済む話では無くなる。
材料の木だって先ずは山を買って苗を植え、金属だったら温泉じゃ無いが厳密には鉱脈を掘り当てる処からじゃ無いとね。

ってやれたら面白いかもだがそんなんやらかしてたら、音楽作品を完成させられる迄にどんだけ掛る事やらだ。
作るプロが居るのと同じく操る方にも専門家があるし要る訳で、音楽製作上の都合で分類すると上記辺りが一般論としちゃ妥当って考えだ。

では弾けない人が入手出来る音源から考えてくと、誰かが奏でた音ってのが出発点になる。
尤も弾けるったって思い通りの音が出せるとは限らんが、少なくとも所望へより近付ける事は可能だからねえ。

が弾けないと選べる以上の根本的な加減が出来ず、音色に持たせられる独自性は少ないし限定的だ。
となればフレーズがその中心となるが、フレーズには作曲や編曲の要素が当然大いに含まれている。

ポピュラー系でこれを明確に意識して実践した最初は小室哲哉辺りと思うが、厳しい制約の中でとなるとかなり稚拙でワンパターンとなっても致し方無い処だろう。
個人的には好きくないが決して卑下しようとかってんじゃ無く、奏者・歌手が変わっても通用する独自フォーマットを作り上げたのは凄いと思っとりゃーす。

けれど極短時間・シンプルって枷があると打込み系独特の制約は不利で、全部機械だけの(当然歌唱も)で紅白歌合戦に出るなんてのは稀有だ。
ボーカロイドの初音ミクは結構世間に浸透したけれど、音よりも画像(容姿キャラクタ)が中核だろう。
それでも絶望するのはまだ早く、不利なりに工夫の余地は残っている。

それは手弾きだから達人だからって全てをオリジナリティに溢れた上「美味しく」なんて先ず出来ないから、現実的には何処かにとても印象的なアイコンを付けとくみたいな手法となっている。
野菜嫌いでも極上とんかつを食べたいとして、話題の店の板前さんがうるさ型だったら付け合わせのキャベツも残せなかったりするアレよ。

そう考えてくと大別して2つの方法論があるのに気付くと思うが、全体の不適合を排除するのを主とするか象徴部の象徴度を何処迄徹底出来るかが勝負となる。
この内俺推奨は後者の方で、前者には恐い副作用が潜んでるからだ。

俺の身近な実例では従兄のボヤキと相棒の停滞なんか典型的と感じてるが、その原因は奏者魂が作曲者魂を上回ってるからと考えられる。
大体DrummerやGuitaristはBassistより音楽的にゃ我儘に育っちゃってっからって、なんじゃそりゃは次々回乞うご期待!?。

<つづく>

2020年3月12日 (木)

音楽備忘録218 ジャンルへの拘りと他人の見立て➄

今回は予備校チックなタッチ!?になるが、具体的な傾向と対策へ突入する。
取敢えず初期段階としては高度とか深み等には敢えて耳を背けて貰って、ベーシックオンリーでも事足りてるかへ注聴する覚悟で臨んで頂きたい。

後で非ベーシックなのについても記してくが、必須じゃ無い要素が加わってても可とするとどうしたって基礎部分の判定が曖昧になったりするからだ。
そこで私的体験に過ぎぬが割と最近に偶然そうなったのを例示するとして、パートはDrumで「Al Jackson Jr.ごっこ」とでも命名しとこう。

彼はその気になりゃ実は結構なテクニシャンだがSimple is bestを信条としてた様で、殆どの作品で遊び皆無じゃないけれど絶対必要なの以外は叩かないのが特徴だ。
だから「ごっこ」をするに際し例えば全盛期のSteve Gaddのみたいに、取敢えず象徴的なフレーズをなぞれれば一応それと思って貰えるなんてのは
不可能なのだ。

真似する人の現況テクレベルがどうであれ余計な小技を混ぜると本家からはどんどん遠のくので、その点では今更面白く無いかも知れない。
なので真似て似てたらそれだけで喜べる様な好みのを対象にしないと厳しいが、ごっこ=ゲームと思えば普段の自分のスタイルからは開放され易いと思われる。

尤もそもそもベーシック部分に魅力や興味が薄い人だと半拷問になる可能性もあるが、そうなったらなったで今一度どうしても○○屋と本当に思われたいのかを良く再考してみるのをお勧めする。
特に自分と他人の認識がズレててもそれなりに評価を貰えてるなら、何と思われるかは大した問題では無い。

運良くジャンルだけは思惑通りに認識されても、つまんねーの・最悪・2度と聴くもんかなんて思われたらお終いなんだからさ。
反対にどうしても○○屋と思われたい・なりたいのであれば、先ずは自分なりに「ごっこ」意欲が一番湧く課題曲を探す処から始めるあるね。

こんな模倣以外にも方法は恐らく色々あるだろうけど、物真似の利点は本家との比較で達成度が測り易いのはお忘れ無く。
又迂闊に模倣した結果独自性を損ねやしないかと危惧したり、根本から純粋に自分流を確立したくて忌避してる人も居るかも知れない。

だが一寸意地悪にその真相を暴露しちゃうと、そんなのは単なる自信不足の裏返しに過ぎない。
唯の音なら未だしも音楽となると多少なりとも、既に耳にした事があるの以外は絶対に繰り出す事が出来ないものだからだ。

例え全く偶然遭遇した「新鮮な音」であっても、いったい新鮮と感じた感覚の元は何処から紡がれたのかだ。
最悪の場合聴いた事があったのを忘れてただけなんてのもあって、すっかり「貰った」なんて心酔した後で人から「とっくにあったよ」なんて指摘されちゃったらどうよ。

拒絶反応を避けたいのでこの俺言い「既に耳」について少し掘っとくが、これは実際の音より聴いた本人にとっての印象の事だ。
だからそれを更に他人が耳にした時「そっくり」と感じる人も居れば、全くルーツを感じない等反応は千差万別だ。

又演者が意図的に引用(代表例だとオマージュ)すれば万人にそれらしく聴こえる様にするが、奏者内部で「独自に消化されて」出て来た場合は大抵は何かが足されたり引かれたりしててまんま出て来る訳では無い。
困るとすれば全く無意識でいてほぼそのまま出て来ちゃった時で、更にそれを無根拠にお初だの新開発だのと思い込んじまった場合だ。

手前味噌でスマンがバスドラの俺言い「1足3連踏み」にしても、それなりに可能な限り調査してから発表してんだ。
自力だけじゃ不安だから従兄の太鼓の先生に、彼が辟易する位しつこく確認を取ったりなんかもし乍らね。

貴重なチャンスだったからこそ後で落胆したくなくて、それ故「連続Slide」に関しては決して元祖とか本舗等と俺は名乗っちゃいない。
これは従兄のお陰で自技開発より少し前にJojo Mayerが演ってるのを知って、寧ろ知ってたからこそ彼より一歩先を目指して成功した位だ。

因みに近年になる迄は気分次第で好みのを渡り歩き、それはそれでそれなりのスキルアップには繋がっていた。
その過程で変なのを勝手に思い付いて幾らかそれも演り続けて来てるが、「ものを知らん」(少なくとも足りて無い)ままだったから上手にアピールするのさえ厳しかった。

気分的には独特・独自のつもりでも実際珍しいのかどうか等が当時の自分じゃ正確に判定出来ねんだから、良くて宝の持ち腐れ・駄目なら只のあ~勘違いで終る処だった。
これぞ正しくくわばらくわばらあるねん、ミス無し体裁ばかりを呑気に気にしてる場合じゃあらへんのや。

<つづく>

2020年3月11日 (水)

音楽備忘録217 ジャンルへの拘りと他人の見立て④

全てはお好み次第だから善悪判定なんて出来ぬが、何の為には何が必要かは最初からハッキリしている。
本案件で私的に思う第1原因は音色・音量や「ノリ」で、その次にフレーズや表現と考えている。

実際には多要素の組合せで音楽は成立してるが、このお題に対して先ず注視すべきは「短時間」だ。
具体例としては歩いてたらストリート演ってる奴に出くわして、こっちは素通りするが近くを通ってる間だけはハッキリ内容が聴こえちゃったなんてのを想像するべし。

もしこの間に心に引っ掛かるのが聴こえたら歩みが止まる訳で、極一部分の間にも最低1つは印象に残る物が入ってるのがスタートラインと云える。
故にフレーズで攻めるにしてもBeethovenや全盛期のRitchie Blackmoreのみたく、短くてシンプルなリフ等であるのが必要素となる。

無論これ等に縛られては音楽の巾を狭めるので駄目だけど、「暫く聴き続けてくれりゃ良さが分かるのに」はある程度専門化した者だけにしか通用しない考え方だ。
奏者は腕が上がるにつれより凄い人からの承認欲求が強まって自然だが、これに気付かずド素人を軽視してるとコアヲタ化してくのは何処の世界でも共通だ。

ここから矛盾が出て来るがヲタも広めるには「新規素人」の勧誘が必要で、元からの嗜好者が少なければこそこれを熟考しないと先が無いのだ。
これは例え好みに合わず変と思われても、「今迄聴いた事が無い変なの」だけは誰にでも簡単に分かる様にしとけって事。

分かる様になってさえいりゃお客さんが気紛れを起こした時に、100人に1人位は気に入られるかも知れんでしょ。
でも折角偶然相手(聴者)に受け入れ態勢が出来ても、よく分かんなかったらそれ迄だ。
つまり高度な物を認知して欲しい程簡素な部分も蔑ろには出来ず、Jazz衰退の一因はこれにあると伺える。

高度なヲタ性とポピュラリティを両立してた典型例としてThe Whoを挙げとくが、直木賞作家の皮肉と吉本興業のパチパチパンチが何故か自然に同居してる様な有様だった。
この中でBuddy Richなんかにも同傾向が感じられたが、バカやる時程一切手加減無しで命掛けでやっていた処がとても気に掛る。

本来は凄い方が本業なのに下らない方へ何倍もの労力を注ぎ込むだなんて妙ちくりんだが、実はシンプルなの程技等で誤魔化せないから本気を出さなきゃならなかったらしいと後で知った。
この相反するのを両立するには振り巾を無理矢理広げるか二重人格にでもならんと難しそうだが、それだけにもし実現出来ればどちらもより際立つので大変効果的だ。

そしてポピュラー系で行きたいなら聴者の負担を先ず考えるべきで、聴き手を少なくとも製作側からは一切選ばない作りとなってなきゃ嘘っぱちだ。
だから結果として中途半端に格好付けた様なのが本件では最悪で、カッコ良くも悪くも無いのがポピュラー系では一番みっともないのだと覚悟して頂きたい。

楽に聴ける≒娯楽と解釈すればこっちがどう振舞おうと失笑を買ってでも、納得して頷かれるより笑ってバカにされる方がどんなに有難いかなのだ。
ある意味これはエンタメ精神の真髄でもあり、見世物になる覚悟が足りずに舞台へ上がった方が却って恥をかくのである。

尤も人次第でこれを考えるべき度合いはかなり広範囲に渡って居り、数年に1回思い出せば済むのから敢えて是迄のキャリアや意識を抹殺する位じゃないと足りぬ場合すらある。
これは出音次第で決定してく他無いが、もし自らの耳が専門家に「なり過ぎてる」様なら何処かのド素人様に印象を伺ってみる方が良いだろう。

例え「動物的感性だけで生きてる」様な本能がとても強い人でも、今は足りてても齢を経る内徐々に低下してる可能性が高いから本案件を無視するのは大変危険だ。
気にしないでセーフな期間が長くなる程修正の経験値が積めないから、いざとなって慌てても最悪死ぬ迄に復活が間に合わないなんて事も無きにしも非ずだ。

完全な私的印象でしか無いがこのせいか米国より英国人は、音楽家生命が平均すると短い覚えがある。
本来は無関係な筈だが黒人と白人でも似た印象があり、ベーシック命!?の度合いの差のせいと感じている。

<つづく>

2020年3月10日 (火)

音楽備忘録216 ジャンルへの拘りと他人の見立て③

本案件ではとても器用な一部の者は、上手な「使い分け」等を「密かに」してる可能性も拭えない。
がそれは両面を持ってるだけなので、2つの極例さえ分かってれば後から分析出るだろう。

そもそもどんな主義にも利点と欠点があるのを忘れないのが土台になるが、多くの場合将来的に役立つものには即効性は乏しいもんだ。
そして体験的には本案件を誤認して一番怖いケースが自殺で、メジャーな有名人の自害には割合は様々でも大抵含まれてると考えられる。

1つ目は「こんなに嫌なのも我慢して頑張って稼ぎ続けたのに、世間の評価はたったそれだけだったの」みたいなのだ。
これは人の好みなんて全く流動的なのの認識不足が主因で、これに気付くタイミングが遅れたか訪れなかったせいだろう。

2つ目は「こんなに真摯に取り組み続けて成果もちゃんと上げてるのに儲けはたったこれだけですかい」で、社会的には未成だが芸術家としてだけ少しは確立してるパターン。
資本主義社会なので「アナタ最高」と皆に言われても、儲けの少なさからホントは認められてないのではと疑心暗鬼になるケースだ。

どちらも最低限の健全生活を維持するには同じ様に問題だが、本件で困るのは社会的にはそれなりに成功してる筈の前者の方だ。
ここからはそうなる原因たる「初心の聴者心理」を思い出して貰うのが必要で、初心であるからして音楽家はおろか愛好家としてすら初心者の時点での気持ちだ。

音楽初心者(今回は聴き手の方)は人目なんて全く気にして無くて、ってか未経験だからどうしたらどう見られるか(思われるか)のDataをそもそも持っていない。
分からんものは気にしようも無いから、その場その時に応じて純粋に感じたままの反応を表に出す事になる。

良い意味とか正しい意味での「お客の勝手」とはこう云う部分で、近年目立つモンスターカスタマーとは全く別物だ。
パフォーマンスを提供する側が素人だったらこれを見分けられなかったとしても仕方無いが、ある程度の段階を超えてたならその気になれば分別可能なだけの知識は自然と身に付いてるもんだ。

特に注意を要するのは「地味に凄い」なんて持ち味の場合で、地味なだけにド素人には分かられなくても仕方無いって意識は重要だ。
とは言え殆どの場合は何らかの評価が欲しくてわざわざ衆目に晒してるんだから、どんな相手でも何某かの評価は得たいと思うのも無理は無い。

だがここに怖さが潜んでて長所を分かられないなら、せめて短所の無さ少なさだけでも認知されたい等と思い出したりするのが道を誤る元。
これが一般ビジネスであれば大した問題にはならないが芸術≒エンタメ要素が少しでも含まれる分野となると、これをうっかりやらかすと「エンタメ部が壊死」するのである。

見世物(厳密になら聴かせ物!?か)に真っ先に要るのは特異性で、短所の有無は2の次なのだ。
勿論長所が感知出来なくなる程の欠点があったら先ずそれを減らさなくちゃ駄目だが、良い処・面白い処が無くては話が始まらないのだ。

つまり無興味な人に程訴求力があるのが望ましく、これに一番効力があるのが音色だ。
ジミヘンのFuzzなんかがその典型だが、これは電気楽器ならではである。

生楽器の場合だと根本的な可変巾が限られてるのでどうするかだが、それの一例がMetal的大袈裟さの元祖と思しきBeethovenの例の手法だ。
彼の場合は主に爆音化させる方向で、爆音なせいで普段と全く違って聴こえるのを狙ったみたいだ。

或はErik Satieみたいに普通より静かに行く等だが、不足しがちな音色自体の変化へ音量差に依る聴こえの違いを加味して補ってると言え様。
前者は音の出だしでのインパクトの大きさが、後者はアタック音が小さいお陰で普段より余韻が目立つのがミソだ。

John Bonhamは名人には違いないが技量の割に未だに高評価が続いてるのは、やはりどんなド素人でも一瞬で分る爆音の影響が大きいからだろう。
これは適正(生まれ持った資質・才能)次第で誰にでも向くでも無いが、この様な原点に近い部分での個性程誰にでも分かり易いのは確かだ。

なので可能な範囲で先ずはこう云った原点若しくはそれに近い部分から重視するのが重要で、腕が上がってく程忘れがちになるので要注意だ。
ある意味原点レベルより高度な方へ興味が強く働くなら、それはポピュラリティより専門分野特化に向いてるかもと含みを残して次回へ。

<つづく>

2020年3月 9日 (月)

音楽備忘録215 ジャンルへの拘りと他人の見立て②

先ず従兄の例に対して個人的に痛感してるのから行くが、録音時の演奏での最優先事項に相違を覚えてる件から。
普通は録音ってば先ず間違えない様に丁寧に演るのが当然だろうが、RockやBluesではそれが不正解になる場合も多々あるのだ。

のっけからの但し君だが、これには録音と奏者レベルを時系列で考える処から始めたい。
先ずどんなジャンルだろうと生まれて初めての多くの場合は、内容が聴き取れる様にしてくので大抵は精一杯だろう。

その後慣れと奏力向上に依って基礎部分以外への加減も利く様になってくが、この辺からジャンルや目的に依って重視すべき場所が徐々に違って来る。
そこでは正確さとワイルドさ等相反するのの割合辺りからとなるだろうが、ニーズ以外にも奏者の人柄や考え方等も段々と表に出て来る。

私的にはこの時点以降で人力オンリーの過去と、打込み等全機械のもある今では違いが生じてると考えている。
昔なら全機械の分が無いのでそれも人で賄うニーズが残って居り、全く面白味が無くても生真面目を絵に描いた様な演奏にも価値はあった。

だが今では正確さだけなら機械の圧勝で敢えてそれへ人が挑戦する面白味迄は
無くなっちゃいないが、そんなのは低頻度だから価値が維持されてるオリンピックみたいなもんだ。
これは色んな物には普段使いに向いてるのといざって時専門のがあるのと同じで、幾らコロナ禍の今でも酷い花粉症の人にはウィルスより花粉の侵入が命取りなのみたいなもんだ。

そして私的には従兄はプロなので厳しくても糾弾しちまうがそれ位の時期に、自身の指向に対して割合の基本方針を間違えたのが事の始まりと考えている。
上述した通り段々自由が効く様になるその中には、個人の性質も含まれている。
なので客観視した結果から逆算して、各個人が夫々に適した配合とか分配を導き出す必要があるのだ。

他人の体験談はとても役立ちはするが余程自分とそっくりな人のでも見つからん限り、そのまま適用しても上手く行きっこ無いのだ。
又もしそれが上手く行ったら行ったでそんなに似てるとなると、後発のこっちは良くて影武者かクローンとオリジナリティの希薄な存在と世間からは思われるの必定だ。

そして私的には本邦奏者の平均値は海外比だと大日本忖度統一帝国だからか知らんが、「下手に」体裁を優先する余り個性不足の情けないのが多いと感じられる。
実際俺みたいにある種尊大にやってると批判は受け易いし、何だプロの癖にあんなのでミスってやんのな圧力は中々に凄い。

更に実際に手早く仕事にありつくにはこんなやり方は本邦じゃもってのほかで
、しかし俺の気質もあるにせよ次の面を重視してるから変える気になれないのだ。
それは音楽が薬だったら本邦では抗生物質みたいな存在だからで、残念でも必ず万人に常に必要な存在では無いからだ。

資本主義下では「それだけの収入で生活が成り立ってるのがプロ」ってのは自然な発想だし、経済観念が不足し過ぎたら事業として成立しないのも確かだ。
しかし単独では生活に足りるだけの収益が得られない分野だって世間には存在し、んじゃぁその世界だとどんな超人・達人でもそれは無特技の一般大衆と同列視して構わんのかだ。

どんな商売でも始めた途端に開店経費がペイするなんざ宝くじ当選より低率な筈で、少なくとも初めてから一定期間はどんな考えややり方で行っても上記式では毛の生えたアマ止まりとなる。
そこでもし相手がアマだから誰も払わんとなれば先進みはあり得ず、つまり新たな分野のプロ領域の形成が不可能となるのだ。

そこで俺の場合は客観視の為「純然たる客目線」として、音楽家としてどうかは演ってる人の儲け具合等完全に無視して判定を下している。
つまり俺的に儲かってても音楽が不合格な人は非音楽家、但し成功してる商業者としては大いに認めるってな分類をしている。

そしてこれを持ち出したのは本案件に大きな副作用をしてる場合が多いからで、儲け云々よりも今では正確性による職業音楽家って分野こそ死滅したと思っている。
もし生き残ってるかの様に見えてるとすりゃそりゃ勘違いで、容姿やタレント性等他の部分の評価で恐らく維持されてるだけだ。
実際には誰が誰をどう思おうと全く自由だが、まだ先を見たいなら判定ミスは学習ミスへ繋がるのよ。

<つづく>

2020年3月 8日 (日)

音楽備忘録214 ジャンルへの拘りと他人の見立て①

本人はバリバリRockのつもりで演ってても、人からは大抵フュージョンとしか思って貰えないなんてのもありがちなケースだ。
ウチの従兄がこれの典型例で昔からずっと続いてるが、最近もボヤいてたので一寸勝手に考察させて貰った。

本来音楽自体の内容や質に注力すればジャンルなんて一向にどう思われても関係無いが、時に演者と観客の認識のズレが理解度低下に繋がるのも確かだ。
しかしズレてても理解や評価に無影響な過去例もあるのでその紹介から行ってみよう。

1.Johnny Winter
この御仁の場合容姿の他音色のせいもあるが、生粋のBluesmanでも特に若い時はHardrockerにしか見えなかった。
細身で銀髪ロン毛(ホントは持病のせい)が、当時としては変形Guitarを遠慮無く歪ませての超速弾きってスタイル。

それ以上にちっともClaptonみたいにレイドバックしないどいて、白人だったのが原因と思われる。
尤も彼なりのBlues「普及対策」も含まれてた様で、今迄にスタイルのせいで近付かなかった者にも先ずは楽しさを知って貰おうと考えてたらしい。

2.Yes
当初はある程度音楽を知ってたらやっと分かるアカデミックタッチなプログレを演ってたが、後から知った本人達談に依りゃ酔った勢いで遊んでたんだそうな。
尤も酔っ払い=千鳥足のヘベレケ自体が本邦特有認識で、海外では彼等にお堅いイメージなんて最初から無かったのかも知れんが。

無論持ってるスキルが低かったら素面でもあんな高級な遊び方は出来ないが、結果が似てても遊び心満点なのとビジネスライクにやったのではどっかに違いはあったろう。
これ等を踏まえて今考えるとアカデミック臭がプンプンになったのも、他人からどう見えるかを気にしないで演った結果なんだろうね。

3.Buddy Rich
今もってあの異常なパワーとハイパーテクを難なく両立してたのは彼しかいない程の凄腕なのに、サルでも分かる面白さにばかり執心してたのは全盛期だった本場のボードビル出身だからだろうか。
そのせいか未だに無知なのが多過ぎる本邦では、全く正統評価されて無い様だ。

こう云った誤解・誤認も本人の認識次第で吉にも凶にもなるし、全く気にも留めて無い場合だってある。
けれどもこれが原因で表現に余計な制約が課せられたり、伝えたいのが伝わらなくなる様だと何とかせねばならなくなる。

生まれ持った容姿が不適当だったら一面では才能が無いとなるが、もし意外性を売りにしたかったら却ってその方が絶大な才能となる。
そんなに僻むでも無いが(???)もし中身だけで勝負したいのに、
容姿端麗過ぎたら本人にとっちゃ一大悲劇だ。

尤もこう云うのを只嘆いてて良いのはアマチュアの場合のみで、プロだったら大人しく「定めに従う」かさもなくば技術に依って解決を図らねばならない。
ここでの技術とは所謂演奏技量や表現力では無く、手法とか方法論の方に属する類のの事だ。

今時の一般論だと見た目を変えたりするのだろうと思うだろうし、音楽でも動画で発表するのも当り前になったからこれは間違いと迄は言わない。
だが天性の影響の他にも持続性等に弱点があり、只のタレントやアイドルとは違うミュージシャン特有の利点を活用しない手は無いと思うのだ。

それは「音が圧倒的にそれらしい」とか、自前の歌物であれば歌詞がそれでしかないのにしちまう事だ。
野球のピッチャーに例えたら変化球も投げられるみたいなもんで、球速が足りなくても抑えられる可能性がにわかに出て来る。

尤も力で行っても技で行っても制球力が極端に足りなきゃ勝ち目は無く、待ってると必ず出塁出来ると分かってりゃ誰もバットは振っちゃくれない。
では本案件でのコントロールとはいかなるものか、次回から考察してみよう。

<つづく>

2020年3月 7日 (土)

音楽備忘録213 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑮

前回迄に記した如くデジタルでの音楽的劣化を体験したが、電気的には幾らも劣化をしてはいない。
なので意識としては「変化」として綴ってくが、この中で制作サイドとして無視出来ないのは変化のし方だろう。

俺は音楽と音響の両方に携わり続けてるが、近年のこの傾向は精神分裂症になれと言わんばかりだ。
このまま両者が全体像への視点が弱まれば戦争にでもなりそうなキナ臭さ!?で、どっちか一方にしか携わらないにしても従前より感性や知識に磨きを掛けるべきと痛感している。

音楽家の方はそれ以外の立場の者からしたら一見ノスタルジーに没頭してるだけとも思われそうだが、根本で求めてるのは飽く迄意図した雰囲気なだけだ。
特に近年はかなりそんな人は減ったが、純然たるお芸術家タイプだったら尚更だ。

一方技師だけの人にすれば低雑音・無劣化は至上命令で、方式や機器性能が上がった分これ等に昔以上に神経質になってる者が多かろう。
嫌な風潮だが暇潰しで粗探ししてそれを見つけたら勝ち誇る様な輩、それを持ち上げるバカも居る始末だから。

勿論音楽家でも新しいだけで凄いだろうとかそんなのも居なくは無いが、技師オンリーの人の方が苦しい立場に追い込まれてる様に俺には伺える。
これが又近年本邦の場合根本原因は誤教育にあるんだが、例え技師オンリーでも「音楽の」である点に教える側の意識が足りないからだろう。

俺みたいな「昔の技師」にとっての雑音は只の失態では無く、文字が判読不可能となってる印刷ミスみたいなもんだった。
これは雑音自体じゃ無く「聴き取れないと困る音」が聴こえなくなってる状況で、つまりそもそもは音楽がちゃんと聴こえる為の雑音排除だったのだ。

当時は当然小さくしようとはするが完全排除が不可能な雑音だったから、処理の合否判定は雑音の方では無く「その時に鳴ってる音楽」の聴こえ方の方に自然となってたって訳。
今だってこの考え方が間違いに迄はなっちゃ無いが、殆ど気にしなくてもクリア可能となっている。

だが油断したんでも無いだろうが聴こえてりゃ無事とは限らず、今度はどう聴こえてるかへもっと注意しなきゃいけなくなったのだ。
見方に依っちゃ邪魔が減った分細部迄聴こえる様になっただけの事だが、そうなるとイメージ通りかどうかが判定し易くなった訳。

音楽家オンリーの側でも更なる理解が必要で、昔より不要雑音は録音すると目立つのを知っとかなきゃイケナイ。
結局は昔より音楽家と技師の新たな点での相互理解が、良い録音には必須になったと思っときゃいい。

奏者自身が個人で録る以外の場合、昔も今も「共同作業」だから仲良くするのは大切だ。
今だって態度や接し方も大事ではあるが、それより問題なのは認識のすり合わせだ。

昔は今より成否が割とハッキリしてたから、どっちにとっても実演して見せれば理解が得られ易かった。
が今は差の絶対値は縮小して分り辛く或は気付け難くなってるので、その分各自で事前に知っとかないと間に合わなさそうだ。

とは言え新たに要るのは大して難しくは無く、音楽家側なら自分が出してる音を「無興味な観客」として聴いてみれば良い。
内容に興味が無きゃ自然とそれ以外の部分へも耳は向くもんで、例えば良し悪しは分かんないけど何かノイジーだねとかそんな風に聴こえるかも知れない。

ホントはこれってLiveじゃ無きゃ昔だって一緒で、聴こえて来たのが聴くに堪える状況じゃないと聴いて貰えなくなるんだけどね。
でも昔電波状態が悪いAMラジオとかで最初に聴くのと、最低でもMD(ミニディスク:最早死語なのは存知とりますが程度が近いので)レベルでスタートしてるんじゃハードルは上がってて当然だから。

<つづく>

2020年3月 6日 (金)

音楽備忘録212 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑭

本来なら順番が真逆でおかしいが、今回は再生のリアルとバーチャルへ言及しとこう。
のっけからの因みにだが再生のリアルってな音源が物理媒体なのの事じゃ無く、単なる人力生演奏を直に聴く事だ。
だったら「再生のリアル」だなんて誤表現だが、話しの都合でそんなん言っちゃっとります。

その都合とは生だって隣の客がウルセーとか、体調不良で耳の調子がとか劣化皆無な訳じゃ御座んせん。
けれど生の場合の劣化は出してる音以外の部分が主で、非生の場合は周辺からの影響がどうであろうと出てる音自体に僅かでも何らの劣化があるのが違ってるからだす。

今回の自分達のでも例えば作業途中でのAudacity再生時、オーディオホストがDirectSound以外になってると他のASIOの使えるソフトよりかなりショボくなってただよ。
それと宅でadat HDDを使う場合に備えて(使わんかったが😓)オーディオレートを48kHz・24bitにしてたけど、これをAudacityで44.1kHzにして聴くとやはり劣化。

実際ネット経由で聴いてみる迄は淡い期待も個人的にはあったけど、何が駄目になるかもはこの段階で一応認識は持ってやした。
とか散々語っちゃっといて普段はそんなのアタシャロクに気にしてねんだけど、そんな鈍い俺でも看過出来なかったのが前回出のHi-Hatの音色でがんした。

尤もコレって甘い審判だったからセーフになってただけで、辛い判定されてたら録った時点でアウトだっただけの話しなんだけどね。😅
昔比だと劣化の量は今の方が断然少なくなってんだけど、質に関しては個人的には却って微妙な印象を受けた。

過去にオープン8trでHi-Hatを録ってた経験からすると、ダイナミックMicでの無理拾いなら録った時点からネット経由で聴いたのに近い感じになっていた。
これを怪我の功名と思えるかは夫々だろうが、最初の段階で落ちる分は落ちてくれた方が後の段階では楽とも感じられる。

ここで再考!?若しくは再認識を促したいのが色んな「典型的サウンド」で、これが確立した当時のを耳にする場合その殆どは「劣化後」の物である点だ。
つまりそれだけその音色で欠けたら困る要素は、実際の現場では恐らくかなり豊富に供給されていたであろう処がミソだ。

アナログオンリー時代にチープな機材から録音に携わってたからか、普段の俺は絶対に不要と分かってる以外の音的要素はなるべく洩れなく拾っとくのをずっと心掛けている。
それが今の従兄のとでは彼がシックなのが好きなのと、昔みたいにゃ劣化しないからとかなり遠慮気味になっていた。

その結果アンサンブルとしては無問題だが自Bassの音色が、俺自身の好みや想定からはかなり大人しく凡庸な感じとなってしまっている。
次に録るのからは「最後で又ゲッソリ落ちるんだから」と説得出来そうだが、理論的には劣化無縁のデジタルバーチャルで押通しても音楽的には無傷で済みゃせんのねっと。

又しつこいがHi-Hatがフォーマット変換後に変貌した推定原因だが、変換前のは純粋に高域成分が足りてたんじゃ無くアッタク音の高速反応に依ってかなり補われてたと思われた。
これも逐次突然出だがどんな周波数(音程)でも、それが人耳で感知出来るより短くぶった切ったら「高域パルス」と聴こえる現象がある。

今回の場合だと別に切り刻んじゃいないけれど、最終段階寸前迄が24bitで公開されてるのは16bitとかなり「粒は粗く」なってっかんね。
打込み物分は使ったソフト音源の仕様で44.1kHz・16bitで鳴ったのを、Mixのし易さの為敢えて48kHz・24bitでPC内部で収録している。

ので打込みのより生(電気楽器含む)の方が、対比のせいでより劣化が目立ち易くなってたかも知れない。
それからすると「音楽する人」の感覚にとっちゃ、デジタルやバーチャル系は無劣化ってよりバカ正直と思っとくと良さそうな気がする。

<つづく!?>

2020年3月 5日 (木)

音楽備忘録211 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑬

コンプ自体の使い方等は拙ブログでも半年位前にやったのでそっちを見て貰うとして、コンプのリアルとバーチャルで違うと感じた点へ話を進めてこう。
リアル機にもとってもお上品なのから如何にもなお下品なの迄色々あるが、音色演出の為となると現行フリーのバーチャルは明らかに非力だ。

技師立場も交えてこの件を分析してくと、一概にバーチャル=所詮は偽物だから悪いとも言い切れない部分もある。
体験としてはかつてマスタリングで音色は弄らずに
音量適正化だけしたい時等、アナログリアルオンリーではそりゃあ四苦八苦させられましたからね。

そこでデジタルとかバーチャルに限定せずによくよく思い返してみると、どうも音色創作にはアナログの方が適してるらしきに気が付かされる。
これは裏を返せば音色を変えたく無いなら圧倒的にデジタル・バーチャル系が有利なのも意味してて、年寄りだから古いと思われたく無くてデジタル・バーチャル系へ固執する方が却ってボロを露呈するかもとも思った。

やる人次第でどう選ぼうとご勝手にではあるが、必要とあらば低性能なアナログ実機も思い切って導入出来るのは寧ろ今とも考えられる。
アナログしか無かった昔はそもそものクウォリティが何時もギリギリの処に位置してたから、その時点より少しでも劣化の可能性があったら使うのにかなり躊躇させられてたからねえ。

それと自由=自己責任の傾向が柔軟なデジタルの方が強く出るのを、今の従兄との活動で痛感させられた。
昔の機器は理屈に合わず思い通りに出来ない不便が多々あったが、例に依って裏を返せば勝手に一定範囲内に収まってくれてたとも看做せる。

これは所望音に対しての適性判定を下す時間に大いに影響してて、昔のはどちらかってぇと夫々の機器固有の音色とマッチしなければほぼそれだけですぐ諦めて大体正解だった。
のが今の特にバーチャル系のはどうとでも出来ちまう(実際は感知し辛い限界範囲もあるんだが)ので、体当たりの試行錯誤だけじゃ中々答えが出せなくなっている。

今個人的に参ってるのは従兄はオールデジタル・極力バーチャルを目指してるが、彼なりの手法とか流儀が殆ど確立されて無い処だ。
こっちは技師でもあるからどうしたいかが明確だったら方法論を提示出来るが、迂闊に過干渉になって彼なりのスタイル作りを邪魔したくは無いのだ。

注文を出す側が明確に出せなけりゃそれを承る側は、より弱体化するし苦労させられるだけだから。
従兄本人としては困難でも何とかバーチャルだけでも許容出来るポイントを見付けたいらしいが、こう云うのは本人自身でしか解決出来ない案件だ。

これからすると昔より自由が利く様になった分演奏家なだけであっても、録られる音のイメージヴィジョンをより持って無いと録音結果にも差が出そうだ。
因みに俺自身は音楽でも音響でも様々な体験から自分には「球じゃなきゃ駄目」と結果が出てるので、たまたま出来上がってただけだが方法論みたいな事になっている。

理想順に行くと①全部本物の真空管機材 ②選べるのは真空管、最終的に何らかの事情でバーチャルオンリーになったとしても③極力球シミュレートのと定まっている。
今回公開した曲で俺が手弾きした物の殆どはReverb・Delay以外は只録っただけのがそのままになったが、パートを録る段階で全て真空管経由となってたから本人としちゃ許容出来てるのが真相!?だ。

その効能の現時点でハッキリしてるのが、劣化してっても本人の意向に沿わない方向へブレたりしなかった処だ。
ネットで公開すると各サイトの様式の都合で、程度は様々だが変換劣化は避けては通れない。

個人的に当初から危惧してた事だがダイナミックMicで無理拾いした従兄のHi-Hat、サイトへ上げる迄はセーフだったが最終段階でCymbalらしさがかなり削れてしまった。
それと比べると球を通してるったってLine録りのエレキBassは、若干ボケはしたが痩せはせず寧ろ少し太る結果となっていた。

<つづく>

2020年3月 4日 (水)

音楽備忘録210 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑫

さぁケチケチしないでドンドン行こうって、そんなに不満だらけなのかって?。
PCフリーソフトとしてだけなら許せるけれど、音を創る現場の道具としては個人的には正直認め難いって処。

今時グレードアップや買換えはするにしても、音楽の為だけにPCを新調するのは珍しそうだ。
とは言えPCやUSBインターフェイス抜きでは成立せず、ソフトがフリーだって何の代償も無しに済んでる訳じゃ無い。

そう考えるともしかしたら録音現場でも玄人タイプのと素人タイプのに2極化してるせいかもだが、そんなじゃ
知れる学べる為には望ましくない状況だ。
リアル機での体験さえすれば誰だって概要は理解出来るんだが、その機会が減る一方では体験出来なくても分かる様な工夫をした方が良いと思う。

3.Compressor
Reverbと比べたらマシではあったが、やはりリアル機比だと掛りが不明瞭であった。
理論的には無歪で正確と申し分無いが、特に音色演出の方が主目的の場合にその変化が不足がちだった。

本来の機能としては余計な変化なんて付かぬに越した事ぁ無いが、PC内のバーチャルたればこそこれは一考に値する問題案件だ。
ってのは純粋に「レベルシフト」したいだけなら、PCでなら単純に「波形を移動」すりゃ済むからだ。

根っこでは理論と所望(人の我儘とも言えるが)が矛盾してるんだからしゃーない処だろうが、リアルではもっと歪まず正確なのも欲しい様にバーチャルでは演出に主軸を持って来といて頂きたい処だ。
これはリミッタでもレベラでもそうだが、音色「印象」に明確な違いが出せないのなら名ばかりと言って他ならない。

冷静分析すれば望むと望まざるとアナログ回路での悪戯が、Reverb等と共に大きく影響してると思われる。
その面でリアル機の方が実はちっともリアルじゃ無いんだが、音楽的作用の点では必ずしも正直で正確である必要は無い。

機器名称や効能うたがきが何であれ、求める印象変化の得られる事が何より大事なのよ。
コンプサウンドの代表例のBeatlesのあの音、音色の変貌具合は凄いが本来の物理的変化量は実は今からしたらかなりタカが知れてる程度だ。

当時としては業務用最高峰を使っちゃいたが、雑音・ダイナミックレンジその他諸々の電気的性能は今デジタルのと比べたら桁違いに低かった。
だからあんなに凄く圧縮した様に聴こえてても、実際の圧縮率はJ-POPの無理くり圧縮とは比べ物にならない程軽いのだ。

けれどバーチャルではリアルよりかなり「掛った感」が希薄なのも確かで、バーチャルのコンプだけで近い雰囲気にしようとしてつい無用に深く掛けたくなるのも分からんでも無い。
それへ負の追い打ちを掛けるが如く、デジタルバーチャルでは音を崩壊させずに幾らでも深く出来ちまうからねぇ。

人が悪いか機械が悪いかは鶏卵論になっちまうから敢えて言及しないけど、この有様だけしか知らないと本来はどんななのかを知るのはとても困難だ。
そもそも目的次第で同じダイナミックレンジ系のでも適正タイプがあるのに、「幾らでも深く」のせいでそれすら曖昧になってしまう。

更に更に録音がデジタルだとレベルオーバーはご法度なので、上記と相まって余計ややこしくなってるみたいだ。
例えば昔のリアルコンプだと設計段階から特段の配慮がされて無い限り、リミッタの代用にすると無能では無くもかなり低性能になっていた。

バーチャルは良く云や守備範囲が広けれど名前に反した使い方をした場合、各専用機をシミュレートした部分があったらそれは欠落する。
なのでもし余程詳しいので無かったら用途にピッタリな名前のを使うと安心で、高性能化したからって幾らでも代用して平気なもんでも無いんですわ。

俺自身は只でさえ暑苦し目な自分の音に掛ける気は起こらないが、当世の風潮に乗りたいならMaximizer(マキシマイザー)を使った方が手っ取り早い。
その逆を行く勇気があるなら一番音色改変が起こらないリミッタで、電気的にだけ突出してる部分だけを抑えるのが良いだろう。

<つづく>

2020年3月 3日 (火)

音楽備忘録209 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑪

年寄りの特権は口だけ番長に非ずを体現してってるつもりってか、現行プロジェクトでバーチャルオンリーのMixからの個人的悲哀おば。
根本原因はやりたい人よりそうしたくない人の方が詳しいからだと思われるが、新しい手法に挑戦するのに苦労は付き物ではあろう。

1.トータルReverb
近年では予め個別掛けする人の方が多いのか、少なくともフリーソフトではこれが中々やり辛い。
理性的に整理してくと各音に最適なReverbは夫々だろうから、もしリアルでそれを全部充足させようとしたら大変だ。

けれどアンサンブルや作品全体を重視すると、どれもが別の場所で演ってる感じのばかりでは不自然だし音場が定まらない。
又不要干渉の確認等が全部に残響が付いてからじゃないと出来ず、最悪は上手く纏められなくなる場合だって出て来る。

それを配慮すると最大公約数的に、アンサンブル次第で全体に適性のあるのを最初に選び出しとくと手戻りや大外れを回避出来る。
これが体験したバーチャルでは先ずルーティングに苦労し、それで何とか道が見えたと思ってたらまだ続きがあった。

その筆頭は「薄く掛けても違いが出せる」Reverbが、少なくともフリーのVSTやソフト付属のには極めて少なかった処だ。
唯なんだからしゃーないやろってば全くそれ迄だが、かつてのリアルでの状況を知ってると簡単に甘受出来る話しじゃ無いのだ。

今バーチャルのの響き自体はそこそこなのに薄掛けだと分からんなんてな昔リアルじゃあり得ず、寧ろ薄掛けなら響きのチープさが目立たんから少しは使えるなんて真逆の状況があったのだ。
その具体例としてはコンクリの土管に首を突っ込んでワッとやった時の単調なのとか、如何にもバネをビヨォーンとはじきましたみたいな酷いヤツ。

それと比べたら今のデジタルバーチャルのはどんな安物だって遥かに美しい響きだが、「響かせ加減が意のままにならない」んじゃ宝の持ち腐れの極致だ。
従兄の分析に依ればリアルよりアルゴリズムがショボイからだそうだが、使って一番感じられたのは低い音域の響きが足りないのが筆頭だった。

今回公開した曲ではやってないが将来的にはReverbへの送り込みで、意図的に低域程多くしてやれば改善の余地がありそうだ。
因みにコレReverb自体に付いてるEQで「響きの高域を削る」のとは別物で、強いて云えば「低音程長く響く」イメージが宜しい様だ。

2.個別Delay
これはWet(Effect音)がモノラルであれば無問題だが、モノラル音源のやまびこを左右にパンニングさせようとしたらかなり面倒だった。
原因はフリーソフトではMixer部が充実して無いからだが、殆どのではEffectをステレオにしたいが為に新たなトラックを作らなきゃならないのは重さの点でも不利な筈なんだが…。😅

この問題はDelayに限らず音源モノ:Effectステレオの場合全て当て嵌まり、リアルMixer卓での流儀に慣れてるのが問題だってんだろうか。
因みにⅡで「掛け録り派」の人には不自由しないかもだが、個人的には音響的には何でも事後最適化出来るのが録音の特権と認識している。

特に生楽器にEffectしたい場合、生音とEffectを「生耳で試し聴き」する事は不可能でしょ。
電気楽器でもAmpが2台無きゃ無理とか、一寸だけ物は試し程度のにそこ迄常に準備しとかなきゃってな非現実的だわさ。

「重さ」が許す限りはトラック別に幾らでもVSTを載せられるのは良いが、その為の準備(トラック追加)に手間が掛り過ぎちゃちっとも便利じゃ無いでんがな。
脳内イメージが鮮明な内に試せるってのはかなり大切で、道具の種類やタイプが何であれ「音を作る」のにマイナスが多けりゃそれ用の道具としては不適切なんだけどねえ。

<つづく>

2020年3月 2日 (月)

音楽備忘録208 リアルとバーチャルのせめぎ合い⑩

近年は再生音響だけがより高音質「っぽく」なったからか、制作サイドは苦戦気味に感じられる。
全くの新楽器なら別だが登場してから時間が経ってるのばかりだと、中々飛躍的な向上は難しい。

デジタルにしても少なくとも原理的な部分では既に一通りが出尽くした感じで、可能性があるとしたら敢えてオールデジタルからは一度離れるしか無いと思われる。
只現代の世相ではデジタルからわざわざアナログ等へ戻ろうにも、経済的に商売になり難そうだから出来合いの道具に対しては期待する方が間違ってるかも知れない。

しかし徐々に割合を減らしつつあっても生楽器やその奏者はまだ絶滅しちゃいないんだから、選べる範囲で選ぶのはもっと可能な筈だ。
それが分ってても尚俺が苦戦してるのは「整合性」の問題で、やはりわざと以外でバランスが悪過ぎたら気にするなって方が無理な注文だと思うからだ。

んでこのバランスの筆頭は音質レベルに違いないが、必要表現の達成度も見過ごせないと考えている。
デジタルサンプリングに依る生楽器音源の音質向上と録音のそれは同時進行して来たが、もし録音の進化の方が遅れてたらどうだったろうかとふと思う。

大昔の録音音質だと生楽器から出た音は、かなり狭い範囲しか拾えてなかった。
もしそこへデジタルサンプリングを持って来ると、恐らく表現力の部分にさえ気を付けりゃかなり「騙せた」!?んじゃいかってね。

その方向で考えを進めると音質は良いに越した事は無いが、音楽にとって必要な音質レベルとはどの程度かとの疑念が湧いて来た。
そんなのは後ろ向き過ぎるけれど、あまりにやり難いのが良いとはとても思えない。

音楽を始めた時点で既にデジタル物が氾濫してた人には分ら無さそうだが、この点では体験的にゃ昔の方が音楽の内容にだけ集中し易かった。
俺的には一時期リアルよりボカロ系にばかり良い作曲者が流れたのはこのせいと思ってるが、早々に現行打込みシステムの弱点が露呈したか短期間でこの傾向は失せちゃった。

ボカロは定着こそしたが一度は機械方向の極致にムーブメントが行ったその後となると、振り子の反動じゃ無いが恐らく次は生じゃないかと睨んでいる。
機械でも表現し易い良い曲がひとしきり出尽くしたんだったら、良い曲で残ってるとしたらそれは生じゃないと表現し切れない物って発想だ。

しかし何時もどっちか一方だけってのも当て嵌まらないのの方が多いだろうから、せめぎ合いじゃ無く何とかして上手く融合させるのに腐心するしか無いだろう。
私的にはその点で鍵となるのは、デジタルと生の「間の存在」たる電気楽器にあると見ている。

但し条件があって電気楽器でも何時もデジタルのオールインワンEffectorだけで済ませてる様なのじゃ論外で、特にどう弾いてもそこそこの音が出てくれる様なヤツは楽だが全く音楽の本質からは遠ざかってしまう。
これは弾いたのの反映より機器の持つ音色が優先的に出てる訳で、これだと機能的に極論すれば「コントローラがアナログなだけ」の電子楽器だ。

そもそも俺が電気楽器が電子と生の仲人に相応しいと思ったのには、現代の電気に依る録音システムも大いに関係している。
生楽器も録るしスピーカやヘッドホンで再生する以上、比率をどう変えようと必ずアナログ部分も残っちまうからだ。

今や経済面でオールアナログは厳しくなったが、ボカロを使わなきゃ完全デジタルは未だほぼ不可能なのだ。
それと個人的案件としては真空管やトランスのシミュレート精度が問題で、厳密には「使い手に好都合」にもっと曖昧じゃないとならない処。

俺は経済的に無縁なので現況の尤も進んだのでどの程度か良くは知らないが、少なくとも本物の半値位で入手・運用性も良く無きゃ一般用途には存在が無いも同然だ。
コンプ1つ比較しても確かに最安ではフリーソフトもあるからデジタルの圧勝だが、音色を気にし出せば管球式等は大昔比だと却って価格は一桁下がっているのが微かな救いか。

<つづく>

2020年3月 1日 (日)

音楽備忘録207 電磁Pickupの強弱に対する反応③

続いて具体的な上手な音色設定を例示しとくが、これこそが音色の用途適正の正体だ。
その前に参考プチ余談としてGibsonハムバッカーとMarshallの、コンビネーションについてだうぞ。

この組合せの音色的な当初目的は充分歪ませる事だったが、それだけで今に至る迄王道化した訳じゃ無い。
趣味嗜好以外の部分で音色バランスに優れてるからで、歪みの音色だけじゃ無く音程感にも大いに貢献してるからだ。

先ず弾く音程に左右されず安定して歪ませるには、Ampのトーンセッティングは極端なHi上がりが要る。
電磁Pickupの基本性質として低音程良く拾うのがあるせいで、これは磁気テープのヘッドなんかでも全く同じ傾向がある。

面白いのは同じ電磁変換でもレコードのPUだと磁石又はCoilの方が動く仕組みになってるが、そうなると高域程良く拾えると性質が逆転している。
それでレコートでは盤由来のスクラッチノイズ:パチパチを除くと雑音は「ゴー」(つまり変換装置由来の雑音)で、テープのそれは「シー」が主体になってるのだ。

それは兎も角Fender+Marshallだって決して駄目じゃ無いが、音程の聴き取りを確実にするには上手に調整しないと刺激的過ぎる倍音過多状態に陥り易い。
余談大王の面目躍如で遠慮無しにも1つついでで行っとくと、Johnny Winterの変態セッティングがある。

これ聴いた感じは全く極普通だが、AmpのToneツマミはTrebleだけフルで他は何とゼロである。
但しこれはAmpはMusicmanにGuitarはGibsonハムバッカー時限定で、本人談によりゃAmp歪ませをするには良いGuitarなのにGibsonハムバッカーは低音が出過ぎてるからなのだそうだ。

いい加減で本題へ戻るがこの様に所望音色の為でも、両方をその性質に特化させちゃうと音程感が不足して非実用的になるのが電磁Pickup式楽器の特性なのだ。
これがGuitarより低い音域も持つBassやエレピでは、何でもすぐに歪んじゃ困るし低音を思い切り減らすのもとっても困る。

しかし歪みは倍音増量には手軽な
有効手段なのにさてどうするで、「Ampじゃ無い所」でコッソリ歪ませてしまえって作戦が磁気歪みの活用だ。
前述の通りリッケンBassは他のよりゃAmpで歪むのに強いけれど、その実態は掛けてる保険の補償額が多い契約になってるって程度の物だ。

だから極限悪環境下では助かっても理想環境下ではこの面ではプラスにならず、タッチ感を前面に出してらしさを演出するには中域を好きなだけ増し盛り出来るFender系がより好まれてる訳。
だが楽器単位では無くアンサンブル単位の視点に立つと、他パートが出せない責任担当音域がどう出せるかはとても重要だ。

その為Fender系Bassを実用的に使うには、低音がタップリ増やせるAmpと組み合わせるか他パートの低音の量を控えて貰う施策が取られてるケースが多い。
前者は本家FenderやAmpegのAmpで、後者は’70~’80年代にかけてのLAサウンド等が典型例だ。

但しスラップBassなら元から打撃音成分を欲してるから良いが、滑らかさが欲しい場合に前者組合せだと弾き方はかなりシビアになる。
後者の場合は爽やかさには勝るが低音の量が多いアンサンブルが欲しい時には難儀させられ、どちらも気軽に何でもそのままでって訳には行かなくなる。

依ってローエンドの充実もタッチ感も欲しくても、弾くの自体が貧弱過ぎる近年本邦J-POPでFender系Bassが主流ってのは俺の目には愚の骨頂なのだ。
合わない楽器で合わない弾き方で得られた望まない音色を、無理して必死に何とかするのは大変だ。

それで原形を留めない程の加工を要してるんだろうが、そこ迄苦労しても結局元からなってるのにはあっさり負けちまう。
せめて軽く弾いても明瞭な音色が出せる楽器があるのを知ってたら、そしてそれを使えてたならもっと楽に音楽の内容に専念出来て良いと思うんだが。

<この項終り>

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