音楽備忘録200 リアルとバーチャルのせめぎ合い➄
今度は楽器自体がリアルかバーチャルかの話しへ進めるが、これはずっと継続中の個人的懸案事項でもある。
そんな中とても気になってるのはMIDIの新規格が発表された事で、どの程度遅延が改善されるか興味津々だ。
少しだけ懸案のおさらいをさせといて貰うと、弾けない若しくは持って無い楽器の音が欲しい場合だ。
自分の手掛けてる楽器でしか思い浮かばなきゃこんな苦労はしないで済むが、かと言ってそれでは発展性に乏しい等新展開も望めない。
それで思い付きを何とか具体化しようとすれば打込みやバーチャル(シンセ等)に頼るしか無いが、現況では音のリアルと演奏表現のリアルの共存が困難と感じている。
音色へ拘ると今ならPCへ入れるソフト音源が勝るが、前出カビの生えたMIDI規格等のせいで遅延等の悪影響が避けられない。
どうせ音源が機械内なら演奏も機械にさせ易いからってのが今の流れの根底にありそうだが、生と機械の極度の2極化は貧民にはとても不都合でいけない。
作品の音楽的出来栄えを考えりゃ音色がチープなの程表現でカバーしないとどうしようも無いし、音色が本物に肉薄する程不自然な表現だとそれが気になるしねぇ。
サウンドイメージとしての音色は大変重要だけども、楽器として「使える」為には結局表現が自由にならないと困るんですわ。
今更のMIDIの新規格ももしかしたら何処ぞの職人からの要望が発端かもだが、コントローラが何時迄も鍵盤かPCが中心ってのも個人的には弱った傾向だ。
俺は正規の鍵盤奏者じゃないのもあって色々負担を多目に感じてる可能性は排除出来ぬが、それでも曲中の○○部だけ周囲音量が大きくなるなんてのに沿わせるのは手弾きの方が手っ取り早い。
この辺はともすればミスやムラの捉え方次第で考えに差が出てそうだが、体験的には数値的安定と音楽的安定にはかなりの乖離があるのだけは吠えさせといて頂くぞい。
人耳はニュアンスの差には非常に敏感だが、聴こえ方に大差が無いと単純な音量差等にはかなり鈍い性質がある。
現実的には音色・タイミング・周囲音等とセットになってっから、それ次第じゃ僅かな音量差に反応出来る場合だってありはするけどね。
只上記にはヒントが含まれてて逆の状態を考えれば、単独では一定になってても周り次第で全く違って聴こえたりするって事った。
それ故最低でも打込みと生を同居させる場合、基本線を生側か打込み側どちらかの強弱に合せなきゃなんない。
ここで一見楽に思えるのは機械へ合せる方だが、それで好結果を得られるのは機械演奏向きな曲や編曲になってるの位がせいぜいだ。
それもかなり昔のローテクファミコンのゲームサウンドみたいなのに限られ、すべからく俺の場合殆どはオール機械演奏ですら人的感性の方を基準にData修正をしている。
正確の定義が機械と音楽では違っているし、音楽での正確は曲やフレーズ次第で変動するのでね。
もし機械の方を尊重・優先でも良いと思えるなら、作曲自体から機械に任せるべきかとも思っている。
現状の機械系での弱点の具体的なのは一部以前にも触れたと思うが、強弱の他に微妙なタイミングのズレがある。
レイテンシもその内の1つだが「ドラムのフレーズ特有のタイミング」なんかもそうで、普段人が叩く際は無意識に誰もがやってる処だ。
この機械で譜面通りに打込むとベストタイミングになってない場合の内で、今回問題視するのは出来栄えから来るフレーズ選択の影響についてだ。
当初より太鼓のオカズが例えば1番の終りにはコレなんて決めてりゃ別だが、試して決める際にこのせいで特定フレーズが選から漏れる可能性も大いに考えられる。
その面で現況の一般的な打込みには弾けないんだったら仕方無いってばそれ迄だが、表現を始めとして音楽自体に制約をもたらしてるのは確実だ。
弾けないったってどっかで耳で聴いて分かってるのに、それの再現が妙に困難だったり不可能だったりするのがこんなに迄見過ごされたままってのはどうもねぇ。
<つづく>
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