音楽備忘録197 リアルとバーチャルのせめぎ合い②
前回「下手な当て振りは魅力減少させる可能性大」から始めたが、多重録音でも同じ事が言える。
どちらも本来の趣旨の理解度の問題とも考えられるが、やはり視野が狭ばまると良い事は少ない様だ。
改めて当て振りとか口パクの起源!?から行っとくが、有名なのだとかつてのThe Monkees辺りが開祖!?だろうか。
俺の若い頃の本邦では「曲は良いが実際には演れない人達」な一般認識 があったが、彼等は演奏力にも作曲力にも決して長けたてとは言い難いが弾けなくもなきゃ作れなくも無かった。
著しく実演が少なくなった最大原因はグループの出自が原因と思われ、テレビ番組を作るのに期限ギリギリで集められたのが全ての起源だろう。
普通のBandなら例え事務所主導だって先ずLiveや自前曲でアピールさせて、それから仕事を少しづつ貰える様になって行くもんだ。
この当て振りBand今本邦なら金爆がその代表だが、彼等にしても全く演奏出来ない人達では無い。
使える音が出せるかの点では大いに問題もありそうだが、実際弾けるのより上手に弾けるフリをするのだってそんなに簡単じゃ無いのだ。
エアー○○選手権がある様に、当て振りだって極めようとしたら大変なスキルが要るもんだ。
何れにしてもどっちも極めて商業的且つ業務上の戦略事情からのもので、言い換えりゃ仕事でも無いのにわざわざ「2度手間」にする義理は無いのである。
また当て振りとする場合の重要条件として、本来なら「見せる人」より裏で「演ってる人」の方が格段に上手であるべき点だ。
見せる人側にしても演ってる人より格段に見栄えが良くないと意味が無く、全体レベルを上げる為の分業制ってだけの話しだ。
つまりプロがやってるそれは本来は冷徹な計算に基づいた分業化であって、その中で作品レベルアップに限ってはアマチュアでもこれが必須条件だ。
俺が疑問に思うのはそんなに録画してると皆緊張・萎縮するもんなのかで、極度の上り症の人だったら音を録るだけだって大差無い筈なのにって処。
ではどんな場合にならバーチャルが許容されるのかだが、技術的或は経済的😢に同時とか本物が無理な場合か。
曲は作れるのに演奏出来ないが為に昔は発表不能だったのがボカロ打込みでとか、けれどそれだって必ずしもそれが皆最終目標でやってる訳じゃ無いだろう。
作曲も段階が上がってけば今迄未挑戦のとかにも手を出したくなるもんで、自らに制限を掛けなけりゃ披露する手段や方法だって際限無く多岐に渡る方が自然な事だ。
それはさて置き奏者にとって当て振りにどんな欠点があるかってば、簡単に言や「曲数が半分しか出来なくなる」処へもっと着目して頂きたい。
だって余計な事気にしなきゃ折角今は1回で画も音も録れちゃうのに、最低でも毎度一々倍の時間が掛るんですぜ。
本件で俺にとっての真逆の典型ってばPaul McCartneyだが、彼の最大の武器は実は質では無く即興性にあると思われる。
要するに思い付いた物をその場で完成品に出来てしまうから、却って作ったり練習する時間だってたっぷり持てそうって処だ。
今のスポーツ等に対して音楽や芝居の世界の悪癖はリアルタイム性の低さで、お客にとっちゃ本番がどうかだけが問題なのにって処よ。
人間が楽器を奏でられる特技には、言われたその場で演って見せられるが大きな比重を占めてるのだ。
打込みの場合事前に入れて無かったら、どんなに素早い人だって少しはお待たせさせざるを得ない。
なのでもし人生一度きりの「演ってみました動画」ならどっちでも知らんが、この先も続けたいなら変な補填は後で損するだけなのだ。
この辺は見栄え(聴き栄え!?)を気にするならこそで、それならばもっとマーケッティングをMusicianだってちゃんと学ぶべきだ。
プロとアマでは内容の質には差があるとしても、不特定多数向けの動画を発表するってなプロモーションビデオを作るも同然。
玩具でも本物でも電車にはどっちにもレールと電気が要るのと同じで、プロモート効果が出る様に考えなきゃ作る意味が無いんだよ。
<つづく>
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