« 音楽備忘録195 On Mic収音に適した太鼓奏法➄ | トップページ | 音楽備忘録197 リアルとバーチャルのせめぎ合い② »

2020年2月19日 (水)

音楽備忘録196 リアルとバーチャルのせめぎ合い①

今のご時勢じゃ環境や経済の都合で全てリアルは困難な場合が多いが、ではどの程度迄バーチャルで凌げるかを考えて行きたい。
スマホだけでもそれなりに音楽出来ちゃうの自体は有難いとは思うが、弾ける・歌える人が道具に頼り過ぎるのも考えものだ。

今回テーマのきっかけは「演ってみました」動画の「当て振り」が由来で、失礼だが不景気のせいで余程暇人が多いのかとついとっさに思ってしまった。
だって大昔みたいに画像と音の同時記録が不可能でもないのに、わざわざ何回も演るなんて面倒臭いじゃあ~りませんか。

そこで敢えて世相に合せてボヤキ的に歴史を披露しとくけど、昔の映画俳優はその殆どが一定以上のレベルを持った声優だったと言っとこう。
なんて何の事は無い同時記録が不可能だったから、嫌でも「再現性」を持合せてないと映画が完成させらんなかっただけなんだけど…。

ここで音響技師として疑問が湧くのが手間とスキルの問題で、是又大変スンズレイしちゃうけどその辺のド素人如きが機器操作に勤しんだって大した加工なんか出来ゃしない処だ。
確かに年々操作は楽に簡単になりつつあるが、だからって上手い下手が露呈せんでも無い。

映像よりゃ音の継ぎ接ぎの方が楽ではあるが、「ミスりさえしなきゃ常に全く同じ事が出来る」程度のスキルは本来必定だ。
なのでアマチュアレベルの奏者がもし実行するとしたら、専門家からの指示あった時だけにするのが賢明だ。

万一アンタのスキルが両方共本物なんだったらもうそれで稼げてる筈で、あれは私俺様がやってやったでもう「演ってみました」なんて心細げに書いとく必要は無いのだ。
プロの場合奏者も技師も前出昔の映画俳優じゃないが、ある程度以上の「再現性」を持っている。

だからこそ失敗箇所だけの録り直しも問題無く可能となってて、更に極端に言や人的ミスよりも道具や体の調子とかスケジュールの都合に依るのが本来は主体だ。
実際そこ迄短時間だけの録り直しはしないけど達人ですら、例えばドラムのオカズのコンビネーションフレーズとかロール途中の「1音だけ」の録り直しが出来る人を俺は知らない。

なので再現力の低い者が下手に継ぎ接ぎをすりゃ例え明らかなミスは殺せても、全体としちゃ余計にぎこちなさが強調されたりするだけなのだ。
ここで熟慮すべきは「素人が演ってみました」でお金取る訳でも無いんだから、何でやたらとミスだけをそんなに皆気にするのかだ。

プロ以上にこう云った趣味性の高い世界で重要なのは雰囲気とか味な筈で、僅かでも不要加工のせいでそれを損ねてるなら死活問題なのである。
ってのも職業音楽にはその目的に楽しみや面白味皆無の分野だってあり、例えば目の不自由な人用の信号機から出るメロディがタイミングがずれたりしたら裁判沙汰だ。

「まるでプロみたい」と思われたくての顛末かもだがそれで俺言い「下手加工」を頻用するなら、失礼の3連発になっちまうが「そいつぁアンタ耳が悪いのかも」と思わざるを得ない。
これはプロアマ問わずだがそもそも何らかの魅力が備わって無いと、幾らノーミスでもそんなの只の音の羅列で音楽として成立せんですから。

先ずは何か何処かがちっと面白くて、もう少し聴いてみたいと思って貰えんと始まらんですとばい。
これの典型例として過去の第1次Punkムーブメントを提示するが、俺知りではその当時が一番音楽界全体の演奏力が優れた時期だったのがミソだ。

誰もが流麗でノーミスなのは美しかったが、中には美し過ぎるのが表現巾を狭めてる部分も出て来ていたのだ。
人が本当に切羽詰まった時正しい音程を伴って怒鳴れる奴が居るとしたら職業声楽家の一部位で、裏を返せば音程もリズムも滅茶苦茶だからこそ真の絶叫とも言えるでしょ。

感情に任せ過ぎてミスったのすらリアル表現と解釈されたからか、音楽的に不完全でもその後Punkは商業音楽の1ジャンルになったわな。
それとポピュラー系音楽で最重要なのは楽しませる事なので、今の時流の見た目第1にしても厳しい条件がある。

誰だって少しでも格好良く見せたいけれど視覚主体で行けるのは、最低でも全盛時のGACKT氏やキムタク氏位の容姿的才能に恵まれてた場合限定だ。
無暗にお笑い路線へ走れとは言わぬが、幾ら盛った処で並の容姿だけではとても勝負になんかならないよ。

無理してミスだけ帳消しにしても魅力が足んなきゃハイそれ迄よで、結局「人前に晒す」仕事に就きたいなら何とかして欠点も気に入って貰う位の覚悟が必要だろう。
ボカロ曲の千本桜を小林幸子が歌った方が売れたってな、必ずしもラスボスの知名度のお陰だけじゃ御座んせん。

安定した実体=特有の個性の面でまだ歌手よりボカロの声の音源数が少なかったり、声色はそっくりでも育った環境差からの表現の違い等の要素がまだボカロには込め切れないからなんじゃないかな。
それと現行ボカロ曲は作曲家の作品で、演奏家や編曲家要素はどうしても疎かなのが多い。

俺知りでは全部自前でも行けるからそう云うのはまだ無いみたいだけど、作るのはボカロでやっても完成品を打込みの達人に委ねたらどうなるんだろうか。
なので「当て振り」にしてホントに効果が出るのは、音響と演技両方の達人とかなのでは!?。

<つづく>

« 音楽備忘録195 On Mic収音に適した太鼓奏法➄ | トップページ | 音楽備忘録197 リアルとバーチャルのせめぎ合い② »

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

ドラム」カテゴリの記事

PA」カテゴリの記事

ギター」カテゴリの記事

電気」カテゴリの記事

ベース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 音楽備忘録195 On Mic収音に適した太鼓奏法➄ | トップページ | 音楽備忘録197 リアルとバーチャルのせめぎ合い② »

フォト
2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ