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2019年12月

2019年12月31日 (火)

音楽備忘録146 分析耳的Hi-Fiオーディオ②

前回最後に意味としては聴き疲れし易いのは駄目って言ったが、それは音楽の「作られ方」に反してるからだ。
その鍵は1作品について「時間や量に限りがある」あり、結局は「再生回数の多さ」を目標に作られてるからなのだ。

文学作品だって良いのは何回読み返しても楽しめはするが、音楽との最大の相違は時間軸の自由選択にある。
これはスロー再生が一般的じゃなかった昔に他人の演奏をコピーしようとした時等に顕著となるが、元々がボヤケてたり難解だったりすると何度聴き返しても中々把握出来ないなんてのだ。

今なら専用アプリを持って来りゃそんな苦労はしないで済むが、昔だと他えスローが出来ても音程が変わってしまって新たな苦労が生じていた。
それが活字であれば、次の1文字を読むのは10分後なんてのもお茶の子済々だ。

けれど音楽は必ずしも1回聴いただけで全貌把握出来るのが良いでも無く、それではパトカーや救急車のサイレンなんかと同じになってしまう。
分かり難過ぎれば不親切なだけになるが、分かり易さだけにしちゃえば微妙な表現や様々な要素は盛込めなくなる。

また俺は昔一時期流行った「乍ら族」タイプの方で今風に言語変換すればマルチタスクが苦にならん方だが、従兄の本人談に依れば彼は一点集中の方が楽なんだそうだ。
そう云うタイプの人が真剣に聴こうとすれば例えば歌を聴こうとしてる最中は、他の音は一緒に聴ける様に入ってても頭の方で遮断されてる事だろう。

これ等の状況を総合すれば楽曲の主役は嫌でも聴こえて分かっちゃう位が良いが、脇役が目立ち過ぎれば邪魔になるだけと演劇の舞台等と同じなのだ。
故に汎用オーディオの理想はこれ等の条件が不変な限り、作品内で意図的に設定された目立ち具合を改変しないのがホントは必定なのだ。

それが現況の体たらくを迎えた原因として推察されるのは、平均再生音量が小さくなったからの様に思える。
それも本来全体を聴くのに適した音量より下げねばならんとなると、そのままでは小さく入ってるのは当然聴こえなくなるからね。
でもオーディオ側で幾ら明瞭度を高めたって周囲雑音の方が大ききゃ無効化するから、結局は一寸鬱陶しくてもヘッドホンなりカナルホンなりで発音体を耳へ近付けなきゃしゃーないんだわ。

それが今迄スピーカでは聴き取れなかったのが可能になったのが余程嬉しかったか、兎に角従前とは違う音に新鮮さと魅力を感じた人も多かったんだろう。
だが少なくとも俺みたいに仕事で微細音を扱う身にとって現潮流は殆ど拷問並で、単に楽しみたい時に迄ここにあそこに雑音が入ってると押付けられては休まらなくて困っちまう。

そうじゃ無い人で聴く時間も短い人だとそんなに気にならんだろうが、不要な疲労を強いられてる点では違いは無いのだ。
たまたま初めて入った飲食店でトイレ至近の席へ案内されたら普通不安になんないかい?、テスト前夜の最後の追い込み中だと普段平気な生活雑音だってそんな時に限って妙に気になったりしない?。

なので幾ら明瞭な音に魅力があっても脇役の音や不要雑音だったりするの迄全部が一遍に押し寄せて来るんじゃサービス過剰だ。
呆けっとしてたら聴こえてくるのは主役だけ、いざ細かい所迄聴こうとしたら聴ける程度のが最適なのだ。

それともう1つ追い打ちとなる案件があって、それはスピーカが兎に角やたらと小さく無きゃ駄目になった処だ。
楽器の方は電子化したりすれば最早実体を伴う必要すら無くなったが、空気を振動させるのが仕事のスピーカは原理に逆らった小型化には無理があるのだ。

今や一般大衆はとても体験し辛くなったので分り辛そうだが、同じ低音を出すのに足りないサイズで無理に出そうとすれば必ず明瞭度その他が大巾に劣化している。
つまり対昔比だとAmpとスピーカの頑張り度が逆転してて、昔は高能率高出力のAmpが作れなかったからスピーカが先頭に立って頑張っていた。

ピッチャーがヘボでも凄いキャッチャーがリードすればメッタ打ちは回避出来るみたいな感じだったのが、今はサイズ制約でスピーカが頑張り様が無くなったからAmpが剛速球で力でねじ伏せてるのである。
因みに上記低音云々は概述と思うが一応再出させとくと、具体的には明瞭度と音色の硬軟の関係性に相違が出る。

楽に鳴ってる方のは明瞭度と音色硬軟は殆ど無関係に設定可能だが、無理して鳴らしてる方のは正味の明瞭度不足を音色の硬さで誤魔化してるだけみたいな状態しか得られない。
現に宅の車で場所食われるのを嫌って最小・最安のサブウーハにしたら、ドスドスボコボコ低音が出るには出るが何の音やらサッパリなんて負の典型例がここにある。😢

「マトモなサブウーハ」の利点は置場所が自由になるがそれ自体は全然小さくはなって無く、小型メインスピーカと別に出来るだけだ。
しかし纏まった空間が狭室!?になる程確保し辛くなるから、存在意義が無くなりはしないって寸法だ。

<つづく>

2019年12月30日 (月)

音楽備忘録145 分析耳的Hi-Fiオーディオ①

単刀直入に断ずるならば本案件は、Instagramに於ける盛り画像の差し詰め音バージョンであるなんて…
私的プチ体験も交えて解説させて頂くが、人間ってなぁ目先の魅力にぁ弱いもんだわねぇ。

まあまあ近年(年寄り感覚で😓)Amp以外は完全に同一で、2種のパワーAmp ICの比較をした件から行こう。
これも概述だった気もするが、心理面については全述してないのでそれを中心に。
これの宅での用途は言わばサブモニタだが、楽器類とメインPCが別の部屋にある点ではサブと言えない変な状況だ。

本人が全く望まずにそうなた経緯から当初は余り物の寄せ集めで、その内のどれかが寿命を迎えた等の機会に徐々に向上させてったものだ。
念の為簡単に「パワーAmp IC」が何物かを記しとくが、要はパワーAmp回路を可能なだけ集積して1つのパッケージに収めた物だ。

音響パワーAmpは効率や出力の都合で現在は「Push Pull方式」ってのが主流だが、この回路を構成するには押し側と引き側の素子特性を揃えなくてはならない。
小型化・制作工程の簡素化もあるが上記「マッチング」が手間・コスト共不利で、高級機以外ではマッチング不要なICも一般化して久しい。

俺の場合は専門家なのでこれに従わなくても構わんのだが、無費用で所望の機器をこさえ様とすりゃそうも言ってらんなかった。
マッチングをするには物次第だが例えば4個要るのに部品総数は多い程良く、沢山あればある程より「そっくりさん」が見付け易くなるからだ。

また私的事情で球至上主義化してて、これは今では真空管機器の廃品が只では入手不能となったからだ。
石ので良けりゃ壊れた機器の生き残り部分から抽出可能なのでそれが主体となってるが、結果的に形も特性も異なる部品が各々少量しか収穫出来ない。

そこで不本意乍ら壊れたテレビとミニコンポから採れたパワーAmp IC2種で組上げるとなったが、どっちもバブル崩壊前のだからかオーバースペックな使われ方をしてたからの転用可能だ。
これ等は同一メーカ近似出力だったが回路方式が違ってて、その場所は入力段の構成にあった。

古い方のはトランジスタ1個の単純なの・新しい方3個のは差動増幅器ってので、音色以外の点では後者が圧倒的優位と云う違いがあった。
なので当初少しでもHi-Fiとすべく後者を用いた処、一般論としてのHi-Fiさは目論見以上に中々良かった。

処が暫く色々試聴してる内に疑念がもたげて来て、それはどんな時代のどんな録音のを聴いても似た様に明瞭度が高かった処だ。
元の作品がどうなってたかを無視すれば心地良いだろうが、自分のMix失敗作でも良さげに聴こえては危険な兆候だ。

誰もが必ず俺言い「分析性能の高い機器」で聴いてくれる保証なんて無いんだから、その点では寧ろMixの実情よりショボく聴こえてでもくれる方がまだマシだ。
「分析性能の高い機器」についても再三出だが最低限の念押ししとくと、実際よりも細かいの迄明瞭になってて聴き取りが楽なのの事だ。

この「分析」自体にしても単体楽曲内での事で、例えばA作品とB作品の明瞭度・分離度の差を知りたくてもそれにはとっても不向きなのだ。
ここで本日の暴言「Instagram にゃブス皆無」!?と銘打つとして、美人が元からなのか無理盛り加工の結果なだけなのかの判定が困難になるのだ。

近年本邦J-POPなら殆ど無理盛りで明瞭度過追及だから良いかも知れんが(もっと暴言!?)、海外のや昔の意図的に明瞭度にコントラストが付けられてる作品の再現性が損われてしまうのだ。
ここで「正しい音分析の方法」を述べとくが、細かい所だけへ気を配るならヘッドホン一択と断言しとこう。
物凄く微細な音には聴き手の呼吸音すら邪魔な場合があるから、機器性能だって問題にはなるが先ず不要音の完全遮断が断トツの必要条件なのだ。

するとスピーカでのモニタはヘッドホンじゃ無理な部分が大事となり、結果的にそれはナチュラルさや音色の印象となるのだ。
それには物理的性能より感性的性能が重要となり、例え結構劣化があったとしても感じが変わっちゃ駄目なんざんす。

これが電子回路の構成や方式だと単純なの程改変が少なく、実は素人が使うのにもありのままの方がホントは何かと宜しいので御座居ます。
パッと聴きは明らかに「分析耳的Hi-Fi」の方が美麗なんだけど、長時間聴き続けると情報過多は疲れ易いんでありんす。

<つづく>

2019年12月29日 (日)

音楽備忘録144 電子回路と音色の関係Ⅰ

最近は諸事情から半田ごてを握る人が減り続けてる様なので、取敢えずはエッセンスを記すに留めよう。
もし将来的に要望があったらその時に具体面迄踏み込むとして、全く知らずに居るのとそうでないのには結構な違いが出るのだけ指摘させて頂こう。

例えば自動車のタイヤだったら、そのままでどの程度の雪でも走れるのかどうかみたいなもんなのだ。
音の場合は試して駄目なら無しにするだけだが、車のタイヤだったらそうは行かない。
車庫から出そうとしてあまりに滑るから止めたは正しい判断だが、もし道にはみ出したのを戻そうったって滑るんだから戻せないかも知れない。

音ならそんな心配無いって言ったのは嘘じゃないけど、音でも間違って買っちゃったらどないでっしゃろか!?。
とっととメルカリか何かで売るからええわいってばそれ迄だが、無駄は省けるに越した事無いよね。
借りる時にだって最初から適正選択出来た方がってんで、簡単なコツみたいなのから行っとこう。

先ず大枠の概念として多くの場合残念ではあるが、オーディオ的高音質と音楽的高音質は相反するケースの方が多い。
この原因は目的に依っていて音楽では音が最悪多少変身しても美味しくなるならOKだが、オーディオでは僅かな味落ちでも甘いのが辛くなったりしちゃ絶対困る処から来ている。

別表現とするなら楽器音は印象重視・音響音は理論的忠実度重視で、その結果例外を除きオーディオ用の方が複雑な回路を用いるのが近年では一般的となっている。
では楽器向けとオーディオ系の境界線はどの辺りかっつうと、特定楽器向けのとMixdownにも耐え得るEffector間の位にある。

又忘れられがちと勝手に思ってるのが生楽器の音の扱いで、録音機に入る迄は生で楽器の扱いで良い。
が録った後のはオーディオと考えた方が大抵の場合は上手く処理出来、電気楽器の場合もこれに近い。
だからこそEffectorが「後掛け」でも平気なケースがある訳で、モノにも依るが大昔それ用Effctor登場前に音だけ実現出来てたの等は後掛け一択の典型だ。(登場前夜なだけに異なる手法で得てるのが大半だが)

どっちかってば二極化嫌いの俺でもこの件では推進派!?で、それは中途半端だと帯に短しタスキに長しとなってしまうからだ。
オーディオが理論的忠実度指向なのは何を再生されるか未定なのと、千差万別なユーザーの好みへの対応も不可欠だからだ。

尤も近年は音楽聴取に専用機不要となったのでオーディーオはもっとニッチな方へ方向転換すべきと思うが、規模が大きくなり過ぎてしまったメーカでは少量販売が厳しいのでもう暫く掛りそうだ。
何れにせよ音を創る目的には極力単純な回路構成の方が向いてる様で、雑音等の物理性能がどうでも良い訳じゃ無いがそれを気にし過ぎるのが悪夢の始まりね。

オーディオの方で近年は現実より詳細部分迄聴き取りの良いのが全盛となってるが、どうもそれに惑わされ引きずられ過ぎな人が多く感じられる。
楽器音としてはどんなに音響的に優れてても「所望の音色」が出せなけりゃ無意味で、絶世の美女でも内面に大問題のある人は離れた所から眺めるだけにしときましょうやってね。

このオーディオの分析的Hi-Fi問題は次回別項で詳述させて頂くとして、音楽用で最も注意すべきは「擬似真空管回路」辺りかと思われる。
かなり研究開発が進んで本物により近付いて来てはいるが、複雑な回路やそれで増えた部品のコスト等と音声信号経路の長距離化から来るデメリット等を考慮すると割が悪い。

例えばJimi Hendrixで有名なRoger MayerのFuzzは、ゲルマニウムトランジスタ使用と石の半導体だ。
だからAmpが真空管でもGuitarとAmpの間に噛ますんだから「その前に石の音」になってる筈だが、歪みはゲルマ石独特のでも全体の音色は球サウンドそのものだ。

その秘密!?は今からしたら信じられん位原始的且つマトモな理論を完全無視した回路だからで、一瞬で気絶させられたら果たしてどう殴られたか蹴られたかとか全く分からないのと同じ様なもんだからなのだ。
付加されるのは「ゲルマ君に無理強いした時の独特の悲鳴」だけ、そんなんだから当然性能もへったくれもあったもんじゃ無い。
それでも通用したのは他では得られない新音色があったからで、理論的物理的性能より楽器用は音色優先の典型例だ。

何らかの事情でどうしても球が使えない場合には代役も役立つが、買う頻度が低い上買って結局満足できなきゃ買い直しとなって最終的には高く付く。
毎度の如くクドイが偽物が許容出来る位なら今はPC内等ので済ませられ、わざわざ偽物にお金を使うなんて今更なのだ。

<つづく>

2019年12月28日 (土)

音楽備忘録143 電子部品と音色の関係Ⅲ

ここまで音色が理由で球→フォトカプラ・トランスと骨董品で粘って来たが、現代ではそれが難儀なのも分かっちゃいるのよ一応ね。
そこで石の半導体に限定しての適正も記しとくとして、その中で有用なのはFETってヤツだ。

今回のには明確な科学的根拠があって、それは増幅素子の種類にある。
音色改変の危険度は本項初回で提示した如く受動素子→能動素子の順に原理的には高くなるが、能動素子の中にも大まかに2種類あって危険度に差があるのだ。
1つは真空管やFETの電圧増幅素子、もう1つはトランジスタ等(厳密にはFETも含まれるが性質が違うので本件では除外)の電増幅タイプだ。

これが音楽とどう関係するかったらスピーカを鳴らすの以外は、音から変換した電気信号はとっても量が少ない点だ。
それ故雑音等にからっきし弱くて参るが、だからって極端なローインピーダンスにするのも割りが悪くてアカンのや。
例えばEqualizerでちびっと低音を増やそうとしたとして、それをするのにスピーカが鳴らせる必要は無い。
これを鳴らせる程量を増やせばエネルギーは大飯喰になるし、部品も全部大電流に耐えるゴツくてでっかいのにしなきゃなんない。

一寸の度に一々そんなじゃ非実用的になっちゃうから不安定でひ弱でも量が少ないままで何とかしなきゃなんなくて、電流は幾らも要らん代わり電圧にはなるべく正直な部品が望ましい。
FETと比べると電流を沢山流せるトランジスタは電圧面ではどうしてもアバウトになるが、走るのでも人夫々得意な距離があるのと同じなのだ。
その昔FET登場時に、一部で球と性質が似てるから音が良いなんて吹聴されたのはこの事だ。

因みに一口にローインピーダンスと言っても扱う信号の種類に依って桁が違ってて、音声信号なら数100k~600Ω・Mic出力は10k~数100Ω・スピーカ出力だと数10〜2Ω位が今の相場。
また近年では膨大な電流が流せるFETも開発されてスピーカ駆動等の力仕事にも使う様になったが、トランジスタとの基本的な性質差が変わった訳では無い。

トランジスタが電圧面でFETよりアバウトなのが何処かってば、音の立ち上がり部分と小さい部分に対してだ。
前者の大電流を「大きい」と捉えれば機敏な動き(リニア)をさせるのは、小さいのより苦手なのは誰でも想像に容易いんじゃないかな。

後者については水道の蛇口を比喩として持って来るが、トランジスタは大電流対応なので業務用のFETのは家庭のだと想定しとくれ。
一度に沢山流すには水道管からして太くそのバルブ(蛇口)もでっかくなるが、そんなのでチョロチョロ流れる様に微調整するのは至難だ。

一寸捻ったらもう一気にドバッと出ちゃったりするでしょ。
もう少し具体的にすればトランジスタでは一瞬遅れてその後一気に水が噴き出すイメージで、FETの方は最大流量は限られるが、蛇口を捻り始めると同時に水滴が落ち始めるイメージだ。

実際の音は空気の振動でその空気には弾力があるので、原理的に一瞬で最大量に到達する事が無い。
なので人耳には瞬間と聴こえても、厳密には最大到達迄極僅かだが時間が掛っている。
しかしこんなのが自然な大音量で、感覚的にはバカでかい割にはドギツくない音色だ。

一方原理に反した一気全開のは実音とは違うので不自然な感じがし、音色としては現実より硬く余計な刺激が加わった様な感じに聴こえてしまう。
因みにⅡで物理的速度では石の半導体に劣る真空管だが、音の都合からしたらその測定基準に問題がある結果に過ぎない。

これは例えば1Vの電圧を入れて何秒後に5V(増幅素子なので電圧が増えている)になるかを測てっるが、何秒後から出力が出始めてるのかは無視されている。
なので音の様に急激な変化が起こり難い信号に対しては、実はトランジスタの方が鈍足で反応が悪いのだ。

公平性確保の為敵(トランジスタ)!?の擁護もしとくと、極少電流と云う不得意な扱いをするから弱点だけが余計悪目立ちしちまうのだ。
近年は大電流を流せるFETが開発されたが、それでも基本的に膨大な電流を流したい用途ならトランジスタの方が得意なのは変わっていない。

今はどの素子もその弱点を弱めるべく努力が重ねられたので、登場時程の極端な差は無くなってはいる。
だが向いてるか向いて無いかってばそこは何も変わって居らず、選べる場合はより合ってる方を選んでおきたい処だ。
音響機器のデジタル度が高まるにつれ選べる範囲や場所はかなり減ってしまったが、そこでしか違いが出せなくなったのも確かですんでね。

<つづく>

2019年12月27日 (金)

音楽備忘録142 電子部品と音色の関係Ⅱ

何時も球球球ばかりでそんなん言うても現代の実情がってのも分かるので、今回は何処に使うかでプチ分類して行こう。
現代は集積回路全盛で自ら選ばねば大抵全部がそうなるが、真空管や集積されてない石の半導体もまだ絶滅してはいない。

先ず皆さんに訊きたいのは音色を作りたい或は実音にあったニュアンスを損ねたくないかどうかで、特に前者みたいに出来上がる前の音に対しては真空管の利用を強力に推奨する。
近年本邦では電子部品ってぇと物理的性能だけで判断されがちだが、更にその内容吟味にも結構不足があるケースが多い。

こうなった大元を勘ぐれば新しいのを売りたいが為に「都合の良い処だけを吹聴した」のもありそうだがそれはさておき、そもそもは単体部品価格にも発端が考えられる。
真空管は見ての通り決して小袈裟では無いので、幾ら頑張っても百均の店頭に並べるのは無理な価格になる。
対して半導体は最低価格の物は1個¥20や¥30なんてのもあって、安くても壊れにくいだけなら万々歳だ。

だが実際その内容には安いだけの事はあるもんで、特に音色等の面ではホントに値段通りの差があるのだ。
そんなチープなので何で球より高性能なのが作れるかってば、安く小さくて多数使っても平気だから大袈裟で本式な回路も難無く組めてしまうからなのだ。(真空管のは必要最低限の回路が主流)

だが楽器音みたいにオーディオより多少Lo-Fiが許されても雰囲気が変わっちゃ不味いのの場合、複雑な経路を辿らせる程どんな優秀な回路でも損失が増えるのである。
なので既に出来上がってる音色のを扱うならそんなに気にしなくてもなんとかなるが、刺身にしたい魚が鮮度不足だったり既に火が通って煮えてたりしたら困るのと似た様なもんなのだ。

趣味的にはどんなに後から球の機器を使っても問題は無いが、出来上がってるのに球を通して大きな効果があるのは打込みの場合等に限られるだろう。
それも生楽器や電気楽器の音が入ってる場合に有効性が高く、損ねた要素の復活は無理だがこれ以上削られるのを防ぐ事は出来る。

私的ではあるが体験からするとBeatlesのドラムや歌声(特殊加工無しの物)のナチュラルさは、未だもってして至高の存在と感じられる。
是又私的ではあるがその分析結果としては、最大原因は真空管コンデンサMicにあると思われる。

昔なので使われたどの機器だって今のよりゃ単純だから音声信号経路は短かったろうが、それにしたってあの程度の物理性能で劣化も多いのに良く元のニュアンスが残せたもんだ。
そう考えると今以上に最初の段階たる「音を拾う」処での音色性能依存度が高く、後からしこたま削られても残る位十二分に拾えてる必要があるのだ。

尤も真空管コンデンサMicは他方式のより高価だし、扱い等も面倒が掛るので何時でも何処でも誰でもってのは難しい。
けれどもなるべく音の入り口に近い部分に球を使うのが効果的で、それがMicならPreampだったり電気楽器ならAmpや歪ませEffectorって訳。

次の段階としては球や石等の所謂増幅素子→能動素子(電源が無いと働かない)では無く、受動素子(電源不要)の部分にアナログフォトカプラやトランスを持って来る作戦だ。
前回述の如くこれならバイアス電流なるガイドさんが居ない為、劣化に不利でも無改変には有利だ。

本件最後の第3段階としては半導体回路でもその構成が「ディスクリート」と呼ばれる方式ので、集積回路のより何処でも自由に調整が可能だ。
ここでの調整とは作る段階での話しで、買った人がやらなきゃなんないのでは無い。

集積回路は小型・省エネの他に出来上がってる分安定度抜群な代わり、その中のどれか1つの部品が気に入らなくても変更出来ない。
集積回路にも回路の途中からの足が出ていたりはするが、試してみて不要だったから3段目を抜きたいなんて思っても密封されてて不可能だ。

オマケに構造的に少量生産がコスト的に特に無理なので、選べる種類が思いの外少ない。
なんてごちゃごちゃ言うよりもっと決定打を出しちゃうと、集積回路で良いなら今更アナログなんて使う必要も無いのだ。
PCやスマホ(スマホでは同時に大量には使えんが…)で出来る分なら、用途の狭いのへわざわざ出費するのは勿体無い。

因みにアナログストンプ等で使われてるオペアンプICは集積されてるっても、その多くは増幅回路1個分なのでとてつもなくディスクリート寄りだ。
球でもプリ管と呼ばれる電圧増幅タイプの多くは1管に2個入ってて、電流・電圧・インピーダンス等に違いはあるがそれ以外はオペアンプにかなり近い。

<つづく>

2019年12月26日 (木)

音楽備忘録141 電子部品と音色の関係Ⅰ

電気楽器より電子楽器更には生楽器の人には影響度は低下するが、現代日常では生楽器・生演奏のPAレスLive以外では音楽屋の誰にでも共通案件だ。
少しでも好みの音色へ近付ける一手段として、願わくば苦手だったり興味が無い方にも知って貰えれば。

最初に本案件にまつわるお断りとして、回路構成等に依る音色の硬軟は除外させて頂く。
色んな要素を一度に論じて分り難くするのを避ける為なので、回路については気が向いたら何れ別項で。
では先ずは選択の問題点から始めるとするが、近年全盛で一般的なデジタル機器をそのまま用いると殆どその余地は無い。

デジタル回路では1つの部品が担う役割がアナログより少なく、その分膨大な数量が必要なので嵩張る部品は不向きなのだ。
その為実はデジタル回路理論自体は真空管の時代に既に基本は確立してたが、サイズやコストの都合がとても悪かったから普及させられなかったのだ。
象徴例としてスマホの実現は、電子回路や素子の高度集積技術が進展した賜物だ。

機器の小型化には多くの利点があって可搬性の他にも、エネルギー消費低減や材料節約にも貢献してるのでその点では好ましい。
しかし使える部品は省エネで小さいの限定となるので、条件に依ってはこれが障害になる場合がある。

また時代や思想の違う部品を混在させると、例えば他のとは違う電圧・電流の電源が必要になったりする。
そうなれば先ず
コスト面で不利になるし、各々の長所が喧嘩になって割りの悪い機器となってしまったりする。
なので一頃よりはハイブリッドのも増えつつあるが、用途限定の極一部の例外以外基本は混在させないのが通常となっている。

これが音楽屋にとっちゃ残念だが「音色」面の問題は半分取残された様な状態で、私的にはそもそも音が空気の振動って不確定要素の多い物だからではと睨んでいる。
以前拙ブログでも電気楽器の項で原典は真空管Ampを基準に設計されたのも述べたが、もしエレキ開発当時に半導体Ampしか無かったらそもそも今みたいに普及しなかった可能性も拭えないのだ。

さて今回俺が提唱する仮説!?は「伝わり方」に焦点を当てたもので、モノホンの生の音はそもそもどうやって音源から耳へ届いているかだ。
物理的には空気の振動が伝播してるんだが、空気自体は例えば「右から押されたのでその分左を押しちゃった」なんてあたかも究極のイエスマンみたいな動きをしている。

空気はホントは地球の引力等で保持されてるんだが、普通地上に居る者にとっては全く自由な存在と考えて良いもんだ。
存在感の薄い人を「空気みたいな」なんて比喩する事があるが、風等の現象が起きて無い限りは自分から積極的には動かない存在である。

電子部品の内部で電子の動きがこれに一番近いのは真空管で、管内の真空中を本当に電子が飛んでいる。
電子は肉眼じゃ見えないのが惜しいが、真空管内にある鉄板や針金みたいなのの「くっ付いて無い間」をホントに飛んでるのである。

それがトランジスタやIC・LSI等所謂「石の半導体」となると、それが導体にせよ半導体にせよ決まった通り道があってそこを電子は伝わっている。
故に地上交通に置換すれば真空管は自動車・石の半導体は電車みたいなもんで、後者は道を外れる心配が無い代わりレールに依って動きに制限が掛ってる訳。

音だって管楽器やスピーカにダクトみたいなレールが少しはあるが、耳迄繋がってるのは昔の大型船の連絡機器だった伝声管位しか無い。
管を通した声が普段耳にしてるのと違って聴こえるのは、メガホン等を思い出して貰えば何となく想像出来そうだ。

因みに戦艦大和みたいな巨大船→凄く遠くなのに只の管なんかでどうして何とか声が届くかってば、入口で押された空気の出口が管の反対側しか無いからだ。
だからメガホンみたいに出口が相手に届いて無いのだと、何も無いよりは遠くでも聴こえるが伝声管よりは大分到達限界が低いのだ。

また真空管は真空と温度・電圧を上げる事で電子が「勝手に自分で」飛び易くなる環境を作ってるだけだが、石の方はバイアス電流って言わば登山ならガイドさんが同行しないと動けないシステムとなっている。
因みにⅡで真空管のバイアスは電圧で竹馬に乗せた様なもんだが、石の方はガイドさんが電子を半強制的に引っ張って行くイメージだ。

するとお客さん(この場合は電子)がお疲れの場合真空管では飛び→伝播が悪くなるが、石の場合はちゃんと出口まで連れてって貰える。
故に動作の確実性では石の圧勝であるが、お客さんの微細な状況はそこで分からなくなってしまう。

これが音楽の場合は意図的に疲れた音色なんてのも使うので、それが改変されては困るのだ。
またもしお客さんがガイドさんより遥かに屈強だったとして石では同行が原則なので、今度はその強さが損われてしまうのだ。

現実には電子部品屋さんはなるべく上記の癖が出ぬ様必死に努力してるが、素子動作原理を考えると音楽にどっちが向いてるかは実は歴然なのである。
目的地へ行くのに徒歩では草臥れて大変だが、どんなに乗り物酔いが酷い人でもその心配が無いって按配で御座居。
もし疲労度ゼロの乗り物でもあるなら話は別だがね。

<つづく>

2019年12月25日 (水)

音楽備忘録140 ただ新しけりゃいいの!?⑦

前回も含めここでは入手難のだったり少なくとも表面的には時代錯誤なのを称賛するかの如くとなってるが、その理由は唯1つでそれが原典(大元若しくは本家本元)だからだ。
残念乍ら海外比だと恐らく誰もが試したり体験出来る機会が無い様だが、音だけなら過去の名作に含まれてるのを聴く事は出来る。

ここで考えて頂きたいのが一般聴者は「聴くだけ」なので、音源が残ってる限りは無意識の内にも比較出来てしまう処だ。
演る側としては体験不可だと勝手が分からず苦労させられるが、そんなのは飽く迄「舞台裏の話し」なのだ。
それでもClassicのViolinなんかと比べりゃRock等は歴の浅い分まだ楽な筈で、しかもそれが古いEffectorだったら硬く考えなくても大丈夫。

要はツボを見付けてそれが押えられれば大体OKで、これは古いの程最初から個体差がかなり大きかったからだ。
尤も企業が今日商売としてやるには変な差があればクレームの元となるから、完成品を買うだけでなんとかしようとしてもそうはいかない。

だがこれだって尺八奏者なら自分で竹から作るのも珍しくは無く、失敗さえ恐れなけりゃ時間は掛ってもその内なんとかなるだろうなのだ。
そして俺が経験が深まる程歴史や古いのにより拘るのは、十二分に知っとかないと何だったら新しいかの判断が出来ないからなのだ。

それといきなりだとキツいだろうがもし全面的に新しさを求めるなら、既存のジャンルや楽器なんかじゃ全然役不足なのを指摘させといて頂こう。
海外で生まれたRockでさえ、それから遅れて日本人で初期に演った人達の多くが既に鬼籍に入っている。

と能書きも程々に前回の内容の続きだが昔のMXR Phase100みたいな音色が欲しけりゃ、フォトカプラって部品を使ってるかどうかが鍵だ。
これはかなり以前に記したCompressorでも関係性が高く、好みは別として真空管式以外ではフォトカプラを使ってるのが一番音色が柔らかく出来る。

コンプの方なら幸運にもJOEMEEK MC2ってのが約¥4万で売られてて、正規の録音に耐え得るレベル且つStereo仕様だからちっとも高価では無い。
とは言え経費だけに着目すれば殆ど全部がPC内等で賄えるご時勢なんだが、実は現代の超高性能・精度デジタルも音楽的には依然「穴だらけ」なのも付記しとこう。

例えば生楽器でも近年のコンピュータ活用設計のはかなり理論に忠実だったりするが、その性質を例えるならどんな大声を出しても声色が殆ど変わらない歌い手の様な感じになっている。
現実には先ずそんな人は居ないし万一居ても音楽的にはあまり面白く無いんだが、特に生で聴けない場合にそれは顕著となるのだ。

現代に音楽を聴く場合音量は千差万別且つ自由になってるから、音色変化が少な過ぎると元の音量の想像すら上手く出来ないのである。
個人的には最近の国産ドラムにこの傾向が強く感じられるが、聴取方法と楽器の関係を考えると逆行してるが如くなのは何とも皮肉な現象と思わざるを得ない。

理論的には不完全の権化みたいな曖昧なアナログで作られた音を幾らシミュレートしても、デジタルにはせいぜい限定されたファジーData位でしか対処出来ていない。
また同じアナログ回路でも誤差の少ない半導体だけでマトモに対抗させ様とすれば、例えばNEVEの本式なのみたいに自動車並みの価格となってしまったりする。

因みに何故そんな高価なのでも一応商品として成立したのかってぇと、俺言い「負の曖昧」の出る心配が無いからだ。
電子回路なんて大袈裟な事言ったって単純でアナログチックなのだと、例えば気温や湿度等でも特性に簡単に変化が出たりする。
デジタルの無かった時代に仕事で、「絶対に何時も同じじゃないと困る」様な場合に重宝したのだ。

但しそれも演奏には一切関知出来ない場合の話しで、これから自分で弾いたりして作るなら加減は機械だけに頼る必要も無い。
なので細かい面や精度よりも音色の大枠の性質や方向性の方が重要で、それが違う方向を向いてでもいなきゃ結構大雑把でも事足りちゃうもんなのだ。

<つづく>

2019年12月24日 (火)

音楽備忘録139 ただ新しけりゃいいの!?⑥

引き続き前回の具体化一例としてEffectorの名機を独断と偏見も混じるものの少し例示してくが、PhaserのMXRのPhase 100から行ってみよう。
他に類例がゼロでは無いかもだが、電子回路の部品が他と違うのが最大要因となっている。

当機はより一層の好音質を目指して当時でも敢えてサイズやコストで不利なフォトカプラって素子を用いてて、これは受動素子なのでトランジスタ等の能動素子の様な音質改変が無いのが特徴だ。
実際の音としては特に低雑音でも無いが回路のチューニングの仕方と相まって、とても滑らかで柔らかい音色なのが特色だ。

そんな構造だから消費電力や価格の点でも他と比べると倍以上で、現行の本家から同名で出てるのは内部仕様が違うから直接の参考にはならないのでご用心だ。
具体的には味付は同じだが出汁が全く違うみたいなもんで、肝心の滑らかさと癖の強さが損われている。(メーカー供給のデモ動画を聴いての感想)

使われてたフォトカプラの入手難(恐らく製造中止)から已む無く半導体(オペアンプIC)に置換えられたみたいだが、正直この程度ならPC内のでシミュレートしても近似と思われた。
ご本家さんも商売でやってんだから仕方無いんだけれど、こっちとしちゃ肝心な部分が違うのでは前回披露した業界式で言えば「使えない」になっちゃった。

一時期原形のも再生産されてた気がするがどの道俺には高価過ぎて手が届かんので、何とか自作で賄おうとして停滞中だ。
用途面での具体例としてはエレキGuitar生音カッティングに掛けた時のが嚆矢で、昔のFunk系等ではお馴染みだったとてもパーカッシブでいて滑らかだから邪魔にはならないってのだ。

更に現行品のだと恐らく不具合が出るのは真空管Ampで意図せず軽く歪んでしまった場合で、現行のだと歪みが目立ってしまう危惧がある。
概述だが電気楽器のHi-Fi(音響的高音質)には歪み率はオーディオよりは気にしなくて平気で、しかし音色に関しては僅かでも望まない変化があるともう駄目なのだ。

その為もし僅かに歪み始めてても音色に変化が感じられなきゃ「無歪扱い」して良く、エレキの「リッチな生音」ってなこの領域の場合に得られ易い。
故に歪みに敏感となると生音は貧相とせねばならず、他のPhaserの音色の事をザラ付くだの歪みっぽいだのと文句を付けたのはこんな風に使い方に制限が掛るからなのだ。

因みにオーディオの場合歪みが楽器よりシビアに問題となるのは、大抵は色んな音が一緒に入ってるからだ。
各音の歪みが僅かでも時としてそれが掛算になって目立ってしまい、小さい音量で入ってる音を著しく濁したりするからだ。
なのでエレキGuitarでも深く歪ませてると、和音の再現性が歪ませて無い時より低くなるよね。

もう少し音色について補足しとくとこのPhaserの音色なら、使う上で極端な話しChorusと同列視出来るのが大きい。
そんな経緯で頻度の下がったLive用に買い揃えるのは俺には厳しいし、かと言ってテキトーなので代用すれば概述の如く苦情が来たしでEffector補充や更新は半ば放棄してるのである。

Effectorは使い方次第でどうとでもなるもんではあるが、だからって欲しい音に依っちゃ限界が無くも無かったと。
そこで前回言った「常に試行錯誤を続けるのが一番の近道」を容易にする作戦として、ターゲットが定まる迄は極力買わないのがお勧めだ。

真空管Ampだけを用意出来たら先ずは足りない場合の歪み系だけに一旦留めといて、録音したヤツにスマホやPC内の無料のEffectを掛けて凌ぐのだ。
当然多くの場合に本家本式のより劣ったりもするだろうが、録音の手間だけで幾らでもタダで試せるかんね。

俺の場合は世代的にそれを時代が許さなかった(PCとか無かったもん)から大変だったが、実際Mixdownのお試し段階等では今はそうしている。
車の免許を取るのに途中の段階で「仮免練習中」があるのと似た様なもんで、自動車なら未だしもジェット機や電車ではシミュレータを使わなきゃ燃料代も凄いし万一しくじった時に大変な事になるからね。

尤も打込みオンリーなら未だしも実際弾くのなら、何時までもデジタル機器内のバーチャルに留まってたらそれは芳しくない。
どの位そんなだから魅力的なのかの、程度が体感出来なくなりますから。
この辺がもしかしたら近年本邦の何でも二極化が災いしてて、どっちかしかしない人が多くなってるのかも知れない。

<つづく>

2019年12月23日 (月)

音楽備忘録138 ただ新しけりゃいいの!?➄

前回は私的かもだが「シンセ登場のインパクト」とその背景みたいなのだったが、ここから遅ればせ乍ら具体的に進めてこう。
その中で個人的に目に付いたのは電気楽器へ及んだ刺激みたいなもので、程度は定かじゃ無いがシンセが出てからの方が色んなエレキ用のEffectorも俄然活況を呈した印象がある。

明らかにあった必然性としては当時のシンセの音色が原因で、音源無加工だと基本的には単なる電子発信音しか出せなかったからだ。
手っ取り早く云えばアラームとかビープ音みたいなヤツで、ADSRやフィルタで加工しても根底にある音色があまりにも非音楽的だった。

俺が自分のシンセを持てた頃はもう’80年代に入ってたので、内臓Effectでの音色加工は誤魔化しみたいに感じられて快くは思えなかった。
だがモジュラーシンセ時代に搭載されてたのと一部でもデジタル化され出した以降のでは、実は後者のEffectorは機能面や音色変貌巾が狭くなってたのを後から知った。

その時期の色々出来ても低音質じゃしゃーないやろみたいな風潮は意図的に作られたか偶然の一致かは不明だが、奇抜なのだと出来難くなったのは確かだった。
海外ではシンセとEffectorは必ずしもその発展に相関関係は無いみたいだったが、初期のFuzz等は電気音響的には理論を無視した無茶な存在だった。

かつてそれ以前の日本では残響系以外は狭い→そんなに大音量要らないの事情からか電気楽器系はオマケに近い存在で、商売としてのEffectorが確立し出したのが’70年代に入ってからだった。
それでか付けざるを得なくてシンセ用のを先ず開発し、それをエレキ用へ小型・ポータブル化したが半ば必然的にダウングレードを伴う様な流れが感じられた。

1つ目のはまだ不精してて実現させられてないがこれが問題となったのが個人的には2つあり、自ら気になったのはPhaserで人から指摘されたのがLive時に使ってたChorusだった。
Chorusの件は以前に記したので簡単にだけ触れとくが、要するに折角の真空管Distortionの音色を改悪してるから何とかしろってのだった。

Chorusは本人の承諾はキッチリ貰ってるにしても未だに借り物で賄ってるのは情けないが、近頃じゃ滅多に無いLiveの時だけなのは本当だ。
今回は前者のPhaserの方へフォーカスするがホンマ物に触れる機会が少なかったのもあってか、Phaserとは歪みっぽいってかザラ付く物との誤認識を長くしちまってた。

だが今になって色々知ってみりゃそんなのは回路や部品選択等がチープだったからで、使用状況に依っては効果が分り難くはなるがホントはもっと滑らかな音も出せるもんだった。
そしてこの差がもたらす問題としてFlangerとの音色差に影響があり、原理に忠実ならPhaserの方が原音の音色自体の改変は少ないもんなのだ。

今はスマホやパソコン等デジタル機器内での操作が主体なので昔程酷くはならないが、あんな魅力的な音色になるからわざわざ使った原典の音が誰でも即座に聴ける様になってはいない。
昔アナログ時代のは劣化必然なのを補うべく涙ぐましい補填がされてたが、補填が上手だった場合は機械をなるべく音楽的に使付けてた効果もあったのである。

極論すれば昔の上等なのは楽器の一部で、今のは高性能音響機器なのである。
前に通勤電車の顔が合体ロボだなんて揶揄したのもこの辺と似てると思ったからで、そんな顔してる位ならホームのベンチに座っといたら自動で車内へ連れてってくれんのかよってね。
発想自体はそんなの例え架空の話しでも50年前位からあったんだし、もう21世紀になって随分経ってるんだけどねぇ。

内実は半ば結果オーライでもそれこそ結果が音楽的に良かったから流行りもした訳で、その最大原因を蔑ろにしたら使っても大した意味も効果も無いのよ。
昔の業界さんはこんな部分について「使えるか使えないか」等と語ってたが、音楽的にどの程度有用かをまとめてシンプルな表現にしていたのだ。

なので音楽界に於いては理論的な使えるとか新しいは通用しなく、ネタがどんなに古かろうと言わば「新感覚」のが新しいとなる。
これには独自性も大いに含まれてるから、常に試行錯誤を続けるのが一番の近道だ。

<つづく>

2019年12月22日 (日)

音楽備忘録137 ただ新しけりゃいいの!?④

前回冒頭で「ハードの停滞」を再出させときながら書きそびれたので、私的体感も交えて記しとこう。
我々世代での象徴的事象を挙げるならシンセサイザの登場で、それまでにあった楽器より好みの音色を好き勝手にこしらえられる様になった最初だった。

なんて言っても現代比ではささやか且つ陳腐なレベルに過ぎなかったのだが、「出せるかも作れるかも知れない」と思える様になった処が革命的だったのである。
またその頃は全く認識が無かったが音響や楽器の世界では、日本はやはり第二次大戦による停滞の影響がその頃迄実はあった様だった。

世界初のシンセ(厳密には電子楽器)のテルミンは1919年にはロシアで発明されてて、テレビやエレキGuitarは日本でも昭和一桁頃には世界に伍して既に開発されていた。
俺は無暗な軍備増強や現政権のご都合主義による改憲には絶対反対なのを前置きしとくとして、しかし飛行機から爆弾を落とす空襲戦法を編み出したのが当時の日本の軍隊だったのが学術的な意味限定では肯定している。

開国後の日本が世界に対して当時遅れを取ってたのは実は全ての分野では無かった様で、一番遅れてたのは対外的な政治・経済面だった様だ。
一言で言ったらそれは「アピール下手」で、それには著作権意識等も含まれていた。

なので国力や庶民の経済的生活水準等は明らかに見劣りがあったけど、キチンと調べて行くと技術的分野等では思ったより大して遅れていなかったのが分かる筈だ。
寧ろ鎖国時代以上に一番遅れてるのは由々しき事かな正に今みたいで、先端開発のIPS細胞の研究助成を打ち切るなんて報道に出るだけでも建国史上初な位なんじゃなかろうか。

そろそろ戻すが表面的にはずっと遅れてたのがバブル期に追い付き追い越したみたいに思われてるみたいだが、バブルの泡に世間が浮かれちゃったのがホントの「遅れ初め」だと俺は感じている。
楽器界の歴史を眺めるとこれは技術と文化の両面を含んでるので典型的なコースを辿り易いんだが、’70年代中に実質的には現在に近い内容が既に構築されている。

もっとマクロな事象へも掘り下げてくと技術面のみだと焼野原がビル街に変わった時点で到達してて、¥$為替レートの固定相場が解除になる迄対外的制約が課せられてたせいで表出出来なかった様に思える。
物を作るには学んだり試す期間が必要で’70年代にそれを実現させた人達は、それ以前に学べてた証明になっている。
すると非一般的でも’60年代にそれ等を教えられる人が既に存在してた事となり、今回の助成金打ち切り騒動じゃないが後は予算の問題だったって訳だ。

一寸硬くなり過ぎなので平準化させるとすればそれだけ今生きてる範囲の日本人の感覚では、昔程夢は多かったが実現が困難だったなんて感じなのだ。
それがバブル崩壊を境に「出来ても儲かんないなら駄目っしょ」みたいなのが蔓延し過ぎてて、これは殊「新しい」に関しては最大の障害なのだ。

「新しい」はそれ迄に無いのだから成否の事前予測なんて不可能で、儲けにシフトし過ぎりゃ邪魔な存在でしか無い。
だが古けりゃ売れっこないからどう誤魔化してるかってば、新しいと銘打ちはするが実際はそうじゃない「新しっぽい」が横行するのである。
これは「っぽい」であるから剥がれ易いシールみたいに短寿命で、誰もが概知のネタがあるだけに発展性も殆ど無い。

功罪両面があるものの近年終身雇用が崩れ、誰もが複数の職業に平行して就いてても構わなくなりつつある。
なので意気のみなら認めるが何が何でも音楽だけで食ってくなんて堅く考え、悪い業者に踊らされても文句も言えずなんてするのは自殺行為だ。

もしこっちもそれ相当のワルでボロが出る寸前迄だけ稼ごうってんなら未だしも、どんなに腹黒くてもこっちは音楽・相手は商売が専門なら勝ち目は少ないよ。
近年の若者が折角長年苦労して受験戦争に勝ち残っても就職してすぐに会社を辞めたりするのも、1に会社2に親が悪いのは確かだが勿体無さ過ぎると思う。

例の如く屁理屈戦法的発想かもだが大人になる迄騙せた様な凶悪犯と対峙するには、それなりの軍資金を始め準備は必須だ。
なので方向転換が簡単じゃない段階まで騙されたからには、この際思い切って機が熟す迄騙され続けてるフリが出来る位じゃないと勝機は訪れないと思うのだ。
不幸中の幸いとしては一般企業は年齢や学歴と卒業からの期間等を無駄に気にするが、クリエイティブだが儲け難い分野になる程実力以外は不問とされるもんなのだ。

<つづく>

2019年12月21日 (土)

音楽備忘録136 ただ新しけりゃいいの!?③

本シリーズ①で微かに触れた「ハードの停滞」、俺みたいにかつてどんどん新しいのが出て来るのを体験してるとつまらなさすら感じてしまう。
やはりなるべくなら新たな刺激はあるに越した事は無いが今になって振り返れば、たまたまその当時としては新し目のものへ取組んでたからだった様だ。

俺がRockを演り始めたのはギリギリ’70年代だったからか、日本では少なくとも年寄り全員が知ってる様な状況では無かった。
ネットも無かったからそう云うある意味希少情報は獲得も簡単では
なく、知らなかったからこそ知れると新鮮に感じてたんだろう。

それに対して飽く迄個人内部での比較に過ぎないがRockより前から興味の対象だった電車・自動車等に対しては、鮮度の点では先に薄れている。
全く興味を失っては居ないものの、Rockよりは手間や費用を掛けて迄獲得したい意欲は大きく低下している。
飽きてはいないのにそうなった原因を考えると、自分にとっての鮮度が減ったせいの様だ。

つまり電車・自動車は俺が生まれた以降でなら昔でも既に充分普及してたので、Rockより早期に情報が獲得出来たからなのだと考えている。
この人間に起こる現象とでも云うのの典型例てして、週刊誌に掲載されるヌードグラビア等がスケベな男性には分り易いかも知れない。

買って見られる迄は首を長くして期待してた癖にいざ手に入って暫く眺められると、その内のかなり多くのには皆興味を無くしてしまう。
同じヌードでも製作者の芸術性が十分に高く、見る側もスケベ心のみで無い場合は寿命が長くなる事もあり得るが…。

別観点からだと薬なんかにも同傾向がある気がするが、すぐに効く抗生物質は持続性に欠けるし使用頻度が高いと効き目が弱くなったりする。
一方漢方薬は概ね抗生物質とは逆の性質のが多く、これ等からすると鮮度やインパクトの強い物ってなどうも長持ちしない事になってる様だ。

音楽に関して始めた当初からポピュラリティの高いのだったらどんな感じ方をしたのか知る由も無いが、どの道長く続けてれば当初の様な新鮮味が減るのは疑いの余地は無さそうだ。
それでも俺が未だにRockを続け様と思えるのは自分なりの新発見がまだ途絶えないのと、昔の自分には想像出来ない程知識が増えたのが原因だ。

ここでの知識とは必ずしも専門性の高いのでは無く、「知ったけどまだ出来ない」部分が核心だ。
ネットの威力で流通してる情報だったら獲得に何年も掛る様な事は無くなり、ご親切にも演り方の解説等すらほぼ無償で手に入れられる。
それでも例外を除くと出来る様になるのはそんなに楽になって居らず、知ったからこそまだ出来ないのも分かってそれがにわかに気になり出す。

どうして出来ないかを調べるとアレもコレも不充分だったのがより露呈して、それを何とかする為に又調べてなんてしてると知識の方だけ雪だるま式に際限なく増えて行くのである。
俺自身は何時からそう云う段階に突入してたのか分かって無いが、そこで白旗を掲げ撤退するかより意地になって執着するかも適正の内なんだろう。

こうして考察して来ると結局個人にとって新しいってな、殆ど知ってたかどうかだけで決まってるのではないだろうか!?。
時間が経って知らない人の方が多くなるとホントはリバイバルでも新鮮に映るのなんて正にこれで、それ故自分にとってと他人や世間にとっての「新しい」は往々にして不一致な方が多いのだ。

これからすると音楽の鮮度は演ってる人の心持ちの影響も多い様で、それが上手く表れて誰にも聴き取れる様になってないと成立しそうにない。
それ以外の部分では一見消極的と思われそうだが、多くは偶然を期待するしか無い。
何故なら興味の対象は千差万別だからで、何気なく演ったのが他人には妙に面白かったなんてのの事前リサーチはかなり困難だからだ。

物凄く範囲を限定すれば不可能じゃないけど、ターゲットの正しい選定方法ってのが存在しない。
調べる方も調査に答える方も誰1人知らないの位じゃないと、ホントに新しいと感じて貰える訳ゃ無いんだからさ。

<つづく>

2019年12月20日 (金)

音楽備忘録135 ただ新しけりゃいいの!?②

創作活動をする人の多くは何処かに鮮度を求めるのは半ば当然だが、平成以降の我が国ではその場所を誤るのが激増した感じがする。
J-POPの酷さっても主観次第の分り難さもあるんで、内容的に似た部分がある違う物の例示から行ってみよう。

飽く迄俺の主観に過ぎない部分と客観的な部分をなるべく分離させてこうとは思うが、トップバッターは電車の顔のデザインだ。
不景気・高齢化・政府の無能と鉄道には非協力的だからか、近年の鉄道界のコストカットは行き過ぎとも思える程キツくなった。

ホームドア対応とコストカットの為に仕様共通化が進み、横から眺めると何線の何型でもせいぜい帯の色が違うだけみたいな様相を呈している。
そんな具合だから顔だけ(先頭部のデザイン)で個性を出そうとしたんだろうが、公共交通の乗り物なのにどれもが一様にアニメの合体ロボみたいなブサメンになったのは気持ち悪くて仕方無い。

自動車も似た様なもんでやたらに攻めた格好となったが、どっちも恐い顔のお陰で飛び込み自殺や事故が減ったなんて話は訊いた試しが無い。
俺がこれ等を醜いと感じるのは機能的に無意味なデザインだからで、個性を求めるなら何故何時までも流行ばかりを追い求めるのかが理解に苦しむ処なのだ。

お次はファミレスやコンビニの時短案件だが、少子高齢化に依る人手不足が原因なのは大いに分かってるつもりだ。
しかしどの店も一様に営業時間を短くするなんて愚の骨頂で、厳しい生存競争があればこそもっと夫々が独自路線を目指すチャンスなのだ。
そもそもスーパーマーケットは店舗数・営業時間共コンビニより少ない代わり、低価格に依って販売量を増やしてるなんて前例があるんだからさ。

本邦では何か1つの手法が成功すると一斉にそれへ従うのばかりだが、最初に定着させたのに対し2番手3番手が不利なのは当初から分かってる事。
参考にするのと殆どを猿真似するのの違いが、何時の間にか忘れ去られてるのはどうしたもんか。

流行は創り出せたら最高で部分的に取り入れるの迄ならOKだが、それ以上にドップリ漬からせればそれは「古くさせる」に他ならない。
最新流行ってもそれがどんなに最近でも昨日とかさっきに出来た物で、心理的には先端を気取っても実質的には既にある物を流用しただけとなっているのだ。

この件をEffectorで例示すると最初に「その様な今迄に無かった音」を編み出した時点では、それ用の○○Effectorは半ば当り前だが未登場だ。
誰かが演ったその音をもっと簡単に誰もが得られる様にしようとして生れたのがそれ用Effectorで、近年はそう云った音響加工や操作をする者がほぼ皆無になったからか皆に忘れられ過ぎている。

Chorus効果の大元は12弦Guitarや音程がズレたPiano等だが、恐らく元は偶然なのを意図的に活用したHonky tonk Piano辺りだろう。
PhaserやFlanger等の位相ズレ系は、複数台オープンリールテープレコーダをアブノーマルな使い方をして得ていた。

これの具体例としてはStudio引き篭り時代のBeatlesが顕著と思うが、私的にはEdward Van Halenの昔からよく真空管Ampに付いてたTremoloを弾き方と併せて使ったのが印象深い。
これはGuitarが鳴る瞬間がTremoloで音量ゼロになる様にタイミングを取ったものだが、要は手の操作では間に合わない頻度と時隔のヴァイオリン奏法をこれに依って実現している。
当時デジタルEffectorは漸くDelay系が物になりつつあった程度で、今みたいに機械だけで何でもは出来なかったんだから音的にはかなりの「時代の先取り」だった事になる。

デジタルDelayも今では最早只のDelayでしか無いが、劣化必然のアナログしか無かった時代を知ってると違った使い方が思い浮かぶもんだ。
一寸した狡とも言えるが例えば8分音符が連続するのを、前半(表拍)は手弾き・後半(裏拍)はDelayに任せて「手抜き」するなんてのだ。

これは第1にDelayの音質劣化が無いから人力のか機械に依るクローンかの判別が不能になってくれ、ホントは残響音なのに実音の代用が出来ちまったって寸法だ。
第2にそこ迄なら単なるまやかしに終るが、手弾きでは困難なテンポでも実現の可能性がある処が注目点だ。
尤もタイミングを取るのがとても大変になるが、短時隔で鳴らすのが困難な楽器だったら救いの神となるのは間違いない。

故に純粋にやまびこが欲しいのならDelayに必ずしもデジタルは不要で、考え様に依っちゃ実音と残響音が最初から露骨に違ってる位の方がセッティングが楽ってもんだ。
無劣化(若しくは音質無変化)の残響音なんて現実には全く存在せず、それでも最初に使った人は「そう云うおとぎの国の音」なんて吹聴すれば個性かも知れない。
でも既にやられたのを後からやってはもう古く、「聴いた事がある音」にしかなってくれんのです。

<つづく>

2019年12月19日 (木)

音楽備忘録134 ただ新しけりゃいいの!?①

最近音楽界は特に日本では停滞が著しく感じられるが、中でもハード的には出尽くした感があるので仕方無いのか。
しかし俺的には単一の手法にしがみついてるのが真の原因と思え、その始まりの一端に表面的な新しさの過訴求がある様に思えるのだ。

1.完全無欠の人力演奏
本当の達人には時々そんな事もあるかも知れないけど、無理くり修正してまでミスを消す意義が俺には分からない。
俺みたいな音楽的野蛮人がいい加減に演った様なので他人様からお金を取っては問題だが、体裁だけを気にするなら今更一々汗をかきかき演奏するなんてナンセンスだ。

現に一番上手く行った箇所だけをループさせたりなんてのも横行してるが、ひねた発想かもだが下手が居るとかあるから上手だって映えるのだ。
それを他人との比較ばかりで求めるとどうなるかってば、貴方がもし世界一だったとしてすら必ず何時か負けるのである。

短期間で世界中の音楽全部をチェックするなんてそもそも無理だし、延々聴いてたらその間に又新曲が出てたりする。
音楽界には絶対評価は存在しないし大多数は曲や奏者の個性を聴かせようとしてる訳で、他との比較が不要になりはしないが勝負する様な考え方はそぐわない。

それではどうやってその人なりの「旨さ」をアピールするかってば、長くてせいぜい1曲の中で自分自身でコントラストを付けるしか無いのではと考えている。
かなりワイルドかもだがそれには許せる範囲で少しショボイ箇所もあった方が良く、もし全部が完全過ぎたら恐らく欠点は無いが際立つ長所が見付け難くなるだろう。

もっと簡単に考えて貰えば、普通2曲を同時に比べ乍ら聴いたりなんて出来ないでしょ。

2.絶対にLiveなんてやらないんですね
もし録音作品の発表しかしないなら未だしも、残念乍らLiveでは過修正が出来まへん。
それでも作った曲はLiveでは1回しか演らないんなら「何だよ生だと全然駄目じゃん」となっても、1回だけならLiveに来て貰えるかもね。

でも面倒なのが例えば東京ではもう披露したけど大阪ではまだなんてのもあれば、それだけで2回演る事になる。
処が熱狂的な追っかけのお客が居たりしたら、その人だけは2回聴いちまう。
…とかなり厳密に考えといてもどっかに無理が生じるもんで、完全口パクの当て振りにでもしない限り録音とLiveの隔たりが埋めらんないのである。

また名曲が毎日ジャンジャン思い浮かぶなら良いけどそんな事は先ずあり得ないので、作ったり録ったりするよりゃ大抵は演奏する方が多くなるのだ。
当節全盛の無理盛りInstagramと同一視しちまう残念君、不特定多数に向けて発信するのは同じでも「普通のLive」では事情が違うんであるぞなもし。

最近は動画生配信用の盛りアプリなんかも山程で回ってるが、カメラを通さなきゃアプリは掛けられんのよ。
だが普通のLiveは肉眼で見るものだし、配信の場合再生機器や音響特性の指定が出来なくなる。
なので例えば俺みたく暴力的な低音を必ず供給したい等と思うと、AmpやPAがこっちの支配下に無いと厳しいのだ。

今とは多分逆が多かったろうが昔レコードだけだと大人しいと思ってた人のが、生で聴いたら空恐ろしい程の大迫力だったなんてのもよくあった。
Liveはやらなきゃいけないもんでは決して無いけれど、演奏やパフォーマンスが主体のアーティストにとってはLiveレスはとても厳しい。


顔出ししないとか配信のみなんてのは一見新しそうではあるが、かつて非タレントの職業音楽家が大勢居た当時の事を忘れたか知り損ねてるだけじゃないのかな。
素顔は絶対晒さないとか常時被り物をしてなんてのも、ミュージシャン単体としてでは無かったにしても幾らでもあるにはあったよ。

そこで真に新しいのの一例としての俺発想では、物凄くリアルな配信なんてのは如何だろうか。
かつては画質・音質共に必ず結構な劣化があったからそんなの全然無理だったが、今のテクノロジーをもってすればそんな真似も漸く可能になったんだからさ。
盛りたい気持ちは分かるけどその面では現行の配信の多くは寧ろ逆行してて、どんな素晴らしい「盛り」にも必ず別箇所が劣化と云う副作用があるのを皆さんお忘れなんじゃないのかな。

<つづく>

2019年12月18日 (水)

音楽備忘録133 機材の費用配分新③

前回は又々観念方向へ寄り過ぎ気味だったが、基本コンセプトは費用配分には欠かせない要素だと考えられる。
普通なら全体の音質バランスを取るのが王道に違いないが、今回は敢えて何処迄アンバランスでも許容可能かへ言及してみよう。

歴の浅い貧民なら必要最低限・大金持ちだったら各種取り揃いと先ずはなる処だが、何分俺体験の特殊性!?かそのどっちでも無い状況に現在も置かれたままだ。
録音機材は仕事に使う都合でかなり古びたっても一応業務レベルに耐えるが、特にLive用のEffectorとなれば未だにそんなの要るかよレベルで停滞している。

これは40歳以降に殆どLiveに出て無いのもあるが、元はと言えば殆どのLiveでAmp歪ませが使えないのも大きな原因となっている。
その他にもStereo出力のEffectorもAmp台数等の制約からLiveでは意味を為さない場合も多く、この辺がプロでも上の方の人と俺みたいな底辺のには環境差が歴然としている。

等と半分は愚痴だがもう半分は冷静な分析の結果で、Live会場でのスピーカと観客の位置関係に由来している。
例えば武道館や東京ドーム等の巨大会場ですら舞台と客席が余程離れてないと、最前列の左右のお客さんには殆ど夫々の近くにある「片方のスピーカ」からの音しか聴こえなくなるからだ。

この面でアリーナ席の人の方が音のStereo感が乏しくなるのは皮肉だが、どうやら本邦Liveの大多数は聴くより見る方主体って事らしい。
それは兎も角そんな環境へ配慮すればLive用Effectorは、「モノラルでもなるべく良い音」を追及するのが実効性が高いと考えられる。

同様に所謂空間系Effectorについても会場の残響に左右されるから、楽曲的に絶対必要なの以外は巧く掛けたつもりでも効果の程は怪しくなる。
そうなると案外Liveで効果的なEffectorの種類は限定されるもんで、各自の方針に依るも大御所になれる迄はLiveと録音は音的には別物と考えとくのが良さそうだ。

生楽器では出来ない部分が電気・電子楽器の強みっても、「聴くのは生」ってのの方が影響が大きい訳よ。
だから生楽器でもDrummerだったらスティックがどんなのにするかは大問題で、DrumがOn Micの場合その差もより分かり易くなる。

歌の場合本邦近年で一番気にすべきは声量で、その中でも問題となるのが発声の仕方とMicワークだ。
若い世代は学校教育の誤りと子供時代の環境悪化のせいで、遠くへ届き易い声の出し方を知り損ねてるのは一介の大人としては申し訳無い事おびただしい。
尤も俺は学校の音楽の先生じゃないし、もしそうだったとしても教育指導要領の縛りで大して力になれなかったろう。

しかしどんなに環境や時代が不適切でもマトモな歌い手になるには避けては通れず、昔より大変だろうけど頑張って貰うしか無い。
そして発声に不足があるとMicワークの効果が減るばかりか、使えない技すら出て来るから泣きっ面に蜂だ。
少なくとも歌唱用ワールドスタンダードMicのSM58は、極端に少ない声量を想定した設計になっていない。

費用の他に各自の適正・時間等色んな障害があるのは確かだが、これ等からすると機械より人にお金を掛ける方が先を考えれば有用なんじゃないだろうか。
趣味として色々道具を揃えるのは個人の自由だが、ゴルフ用品や滅多に着ない洋服の買い溜めをしてたオッサン・オバハンの轍を今更踏んでもねぇ。

絵画や模型・フィギュア等であれば観賞用に出来てるが楽器となるとどんなに見栄えに拘ってても、そこへ掛けられてる費用は前者に比べりゃ全然少ない。
その内コレクション(観賞)仕様のGuitarとかでも売られる様になるかもだが、ニーズが曖昧で少ないせいか今の処はハッキリこれを打出した様なのはまだ無い様だ。

バブルの頃よりゃ大人しくなったブランド指向も、楽器等はそもそも音が違うのが理由だったんだから。
それとホントに見た目に拘るなら費用以上に手間を惜しんでは駄目で、かつてギャルがケータイを自分でデコったみたいなのが本邦でGuitarだとどうして他人任せばかりなのかは理解に苦しむ処だ。

その典型例としてEdward Van HalenのGuitarの件を提示しとくが、初期の有名な2本は自作若しくは本人の自前改造に依っている。
それをやった頃の彼はせいぜいプロになれたかどうか位の時期で、自前だからこそ低予算でもあそこまでの事が出来たのを忘れちゃアカンがな。

これを当時意外に思ったのは俺だけか知らんが、少なくとも海外では思ったより本人で何とかしてる部分が他にもかなり多いらしい。
リムジンのお迎えが来たりとか有名人の部分ではスタッフ依存度がこっちより高いが、楽器=「自分の道具」の点では自分で出来る範囲迄他人に頼んだりはしてないみたいだ。

<つづく>

2019年12月17日 (火)

音楽備忘録132 機材の費用配分新②

近年は便利で手軽にはなったけど、その一方で機器的には独自性が発揮し辛くなってしまった。
打込み系でもそのご先祖様!?の時代は音源が手動調合なので、各自で音が創れたのだが…。

随時吠えしてる本邦の俺言い「歌詞だけ至上主義」にしても妙なもんで、あまり本を読まなくなったら音楽なのに言葉がってな…。
まっ確かに朗読だってBGMの有無で違った印象になりはするんだけど、どれもが言葉主体になったらその内音は邪魔になって来そうな気がしてならない。

こんなのにしても人夫々なんだけど、先に考えといた方が良いと思うのだ。
もし言葉だけだったら音に依る個性差は絶対得られない訳で(声除く)、私的には折角「音を付ける」ならそこでこそ大いに個性を追及すべきかと。

言語は他人に伝えて理解して貰うには共通ルールの尊守から逃れられないが、音にはその様な制限なんて存在しない。
例えば太鼓なんかだと必ずしもその音程が、曲のキーに一致して無くったって大丈夫な場合も多い。
この点で現行主流の打込みシステムでは致命的な不利があり、どんなに整っててミス無しで綺麗でも個性面が半ば放棄された様な状態だ。

最近のボカロ情勢は不知だけれど、少なくとも一時期の勢いは感じられなくなった。
当初は楽器が出来なくても良い曲の作れる者が押寄せた感があって、演奏力があっても流行だけを闇雲に追ってる様な連中を駆逐してたもんだ。

とは言え適正もあって誰でも全部演奏出来たりゃしないんだからどうするかだが、せめてどれか1パートだけでも人力にしてみては如何だろうか。
演奏っても曲を表現するのに必要なだけだったら大して難しく無く、上手い下手より「その人の味」を出すのが目的なのだ。

但し注意点があって例えばそれがエレキGuitarだとしたら、1台完結型のEffectorなんかを最初から安易に使っちゃいけない。
それはおろか初期段階では極力Effectorも使わない方が良く、クレーマーおじさんばりにこんなん言うにも大事な訳があるからなのだ。

徹底的に拘れば未だ誰も使ってない新型の楽器だとかそれすら自作するだとかキリが無くなるが、これは道具側だけへ着目した場合の話しだ。
本案件でなるべく生に近い方が良いってのは、自分の弾くのがどんな音になってるかを分かり易くする為だ。

そしてその音が各自の理想に対してどうなってるのかを知るのが最初の目的で、生楽器だったら自動的に誰でもそうなってるだけの事なのよ。
私的だが体験に依れば弾いた元音は余程極端なEffectじゃ無い限り、何かしら何処かしらにその影響が結構残っちまうもんだ。

なのでそれ相当の体験値は必要だが慣れて来るとAmpにすら繋がなくても、弾いた生音だけで最終的にどうなりそうかが大体想像出来る様になる位だ。
因みに近年本邦では類例に全く触れる機会が無いが、過去の欧米ではエレキ奏者でも「創る時はアコギ」な場合がかなり多かった様だ。

その利点で先ず目立つのは太鼓で普段ワンバスの人が急遽ツーバスにしても平常運転出来るの等と同等なのだが、Guitar系の場合は目立たぬがそれ以外の処に核心があるとも考えられる。
その1つに編み出したフレーズがそもそもGuitar向きかどうかの判定のし易さがあり、Effectが掛け辛いアコギ→盛れないからフレーズの素顔が拝めるってな按配だ。

そもそも生楽器の人で音の後加工がジャンル的にそぐわない者は今だって弾き方だけで何とかしてる訳で、電気楽器だって最終的な比率は様々だが「元音」の影響を忘れては損ってもんだ。
特に近年本邦の「ソロ形態」の人に対してこれがとっても気になってて、折角その人に何でも合せられるのに本人の弾く音がどれもありきたりなのは実に勿体無い話だ。

個人的にはBeatles初期のJohn Lennonの「変なエレキGuitarサウンド」なんかが典型的に感じられるが、昔より機械の力で簡単に楽器を追加出来るんだから尚更じゃなかろうか。
つまり本人のとアンサンブルとしての他楽器の目的を敢えて別けちゃって、癖担当と体裁担当なんて風に考えても良いんじゃないのかな。

実際俺は殆ど無予算で色々演ろうとすると、他人に頼むのが経済的ハードルが気になって仕方無い。
例えば前々から理想としてはTower of PowerみたいなHorn Sectionが欲しくてたまらないが、そんな達人様だと運良く見付けられた処でお安くはないだろうから。
そうなると次善策に過ぎなくても本来はHornに欲しい個性を他所へ転化させるしか無く、尤も理想通りの組合せが実現しても実際想定通りのアンサンブルになるかは不明だしね。

<つづく>

2019年12月16日 (月)

音楽備忘録131 ドラムスローン簡易修理のその後のⅤ

あるとは夢にも思わなかった続編を、書かなきゃなんない事態に遭遇。
それは全くの別件な、従兄宅でのプチ模様替えをしてた時から始まった。

数週前の訪問時に事前にケーブルの接触不良退治を依頼されてたが、接続部が機器裏面にもあるのでラックから機器の引出しをした。
それが段々増えたヘッドホンや半ば常設気味のマルチ録音機の置き場の為に、ラックの前へ死蔵品のワゴンを持出して使っていた。
ので作業がし辛く、毎度の如くついうっかり「ワゴンの位置変更」を提言したのが騒動を勃発しちまったのだった。

ワゴン自体はキャスター付きだから移動は簡単なのだが、如何せんMicケーブルやら電源コード等が多数床面に節操無く這いまわっている。
折角のワゴンも俺の当初想定ではケーブルの出る物は仮設だったが、従兄が太鼓録音に手間取ってる内に半ば常設化したの迄は考えが及ばなかった。

そこで今後の手間(何故か従兄宅なのに主に俺)が敵わんから、ノートPC置台と化してたSnareとそのスタンドと場所を入替えようとしたのだ。
ついでに使うあてのないそのMetal Snareもメッキの汚損が酷かったので、清掃してしまうなり売却して貰うとして直にノートPCを乗せられるかも試してみた。

これ等は上手く行ったものの従前のスタンド下部はまるで夢の島状態で、そのままじゃとてもワゴンを持ってける状態に無かった。
そこで年の瀬にはまだ早いが整理と掃除をする事となったが、そこで「大変な物」!?が発掘されちまったのであった。

そのブツは外側は黒いプラスチック・内側は金属で大き目なネジ山が部分的に切ってあり、俺は以前からあるのは認識してたがてっきり近年Snareスタンドか何かの部品だと思っていた。
俺が使ってるのは古いのなのでそこは金属製の不細工なのだからか詳しく無く、記憶にある限りで想像ついたのがそんなのしか無かったからだ。

どっこい従兄に訊けば「いやいや何かのスローンに付いてたのの筈だと言い出し、俺はネジ山のサイズが合わないと思ったが簡易修理のとは違うのへ彼は嵌めようとしてみた。
ほら見た事か迄は俺も有頂天だったが、その後がいけなかった。

ネジ山を観察した限りでは、どう見ても簡易修理スローンの軸にしか合わなさそうだったのだ。
こっちとしちゃ自分の物でも無く類似のも持ってない以上、従兄が忘れてたのを救い様が無い。
嫌な予感がしつつ当該器へ試してみればドンピシャリ、その結果今迄の多くの疑問も一気に判明しちまったのだった。

Photo_20191205045801
ここで一気に概念図へ進めるが、記憶力に長けた人ならお察しの通り以前のの改良・追加描写だ。
以前は説明に不要だったので省略してたが、このスローンの高さ調節は支柱にネジ山が切られてて回転させて調整するタイプだ。
この方式だと万一固定が緩んでも只のパイプのみたいに突如急激に沈む心配が無いが、暫く前に記した如く迂闊に触れると油汚れにやられ易いヤツだ。

それはさて置き図説へ入ると例に依って誇張気味の描写で左が以前・右が今回の状態で、赤は隙間充填剤・緑は隙間減少用に追加した薄い鉄板だ。
図では手抜きのせいで赤の周りが綺麗な四角となってるが、実際には上下面は平らじゃ無く「噛み合わない形状」となっている。

事前状況では赤と緑の両方箇所がグラつき原因となっていて、何故そんな作りとなってたかは妙な疑問だった。
それが図左の半透明(実際は勿論不透明)の黒で示した手回しナットを、恐らく正規の状態で追加した処少なくとも赤の処置は不要な設計だったのが判明した。
どうして普通に考えたらそんな余計な構成にしたかは謎だが、取敢えず上下方向がキッチリ面支持になったのは確かだ。
しかし結局横方向の不要な隙間のせいでグラつきは収まらないので、緑表記の鉄板は不要な長さを切断して存置する事となった。

因みに従前に充填してた赤表記の半乾きコーキング剤のその後だが、とても乾燥に不利な場所等のせいもあって完全に硬化する前に使い始めてしまった様だ。
その結果俺想定よりも消耗がかなり激しく図ではとても見難くなってるが、座面固定ネジ用の支柱溝と緑表記の薄鉄板の間へ大半が降下していた。

いい加減こんな余計な苦労からは開放されたいが、今回も自分以外の人を生贄にした様な事となってるのについて一寸追記しときたい。
他人からしたら言い訳でさりとて俺にとっては紛れも無い真実だが、こう見えて基本的には誰かを批難する気は今はもう殆ど無くなっている。

それがどうしてこうなるかってば、俺がバカで鈍いからだ。
従兄も従兄なだけに少し近いが瑕疵に自ら気付ければこんな騒動は起きなく、しかしこう云うのは誰かに指摘されないと往々にして中々認知出来なかったりするもんだ。

なので多分俺も日々失敗の山をテンコ盛りで築いているだろうが、本人は気付かずに恐らく日々が流れてるに違いない。
未認識の分は分かって無いんだから、文には出来ないだけの事なのだ。😓

追記:公開迄の間に変化があったので、多分どうでも良さげな話しだが一応ね。
SnareスタンドをノートPC台にした件だが、3本腕へ長方形をと今一安定性に欠けてて一度だけ滑り落ちたそうだ。
腕が1本で支える側の斜め方向が弱点で、板切れか何かを腕へ固定するのを2人で考案した。

だが適当な板切れが見つからず、試しに不要Cymbalを裏返しにして板の代わりに乗せてみた。
凡そ12か13inchのだと思うが腕との隙間が少ない為、Cymbal外周部の何処を押してみても外れて落ちたりしなかった。
それに依って上へ載せたノートPCも安定度が上がったが、取敢えず長期試験中と云った処となっている。

<つづく>

2019年12月15日 (日)

音楽備忘録130 機材の費用配分新①

俺みたいに必要なのが多いと考えざるを得なくなるが、要る物が少なけりゃ全く気にしなくても平気!?。
お財布的には平気かも知れないけど費用対効果とか必要条件を確実に満たすには、一瞬程度でも良いから一応考えるのがお勧めなのです。

これにあたり必要数が少ない場合は引き算対応が可能なので、最も多そうな場合を豊富な失敗体験等を交えて綴りませう。
先ず担当楽器数が多いと楽器毎の適正配分も要るけれど、それ以上に面倒になるのがそれ等を録音しようとした場合だ。
「録音」と掲げれば打込み専門の人も都合の良い事に含まれて来るが、近年ではMIDIファイルのみの提供では最早通用しなくなったからね。

1.生楽器をMicで録音
電気・電子楽器みたいにエレキテルで誤魔化しとか調節が不可なので、真っ先に楽器本体が問題となる。
なるべく上等なのに越した事は無いが、私的に気になるのはそのコンディショニングだ。

俺貧民は宅の生ピのメンテ予算計上が困難なので、教わるのにだけ対価を払ってその後は可能な限り自前で賄っている。
と言っても予算と根性不足の都合で主に音程を合せるのと内部清掃程度しか習得出来て無いが、覚悟は決めたものの当初は何で俺だけそんな苦労迄とボヤいていた。

しかしプチ研究も兼ね他所様ではどんな具合か様子を伺ってみた処、奏者でもプロデューサや録音技師でも本格派の中には結構似た様な事をしてる人が多かった。
思い起こせば生Piano以外の多くだったらチューニング位自前なのは極当り前で、特に近年本邦では他楽器にしても頑張れば可能でも人任せにする者ばかりとなってるのはとても気になった。

より良い音を目指して達人に託すのは間違いじゃないが、自分の出したい音に一番詳しいのは大抵は奏者本人だ。
だから自分より上手な人が居たら頼むにしても、もしそう云う人が居ない時はどうするつもりなんだろう!?である。

2.電気楽器を仕事で使う
この場合の注目点はEffectorとAmpで、楽器本体については生楽器の場合とほぼ同様だろう。
Liveの事を考えると音色の自由度や随時選択にEffectorは欠かせないが、高品位録音には便利な汎用Effector程本当は不向きなのだ。(特にオールインワンタイプ)

近年の特に本邦では「何時もの音」の為にお便利コース一辺倒の様だが、本質的な音色は使うEffectorのそれに支配されて独自性が充分には出せない。
悲しいかな今本邦の大手レーベルは与党と同じで全く頼りにならんからか、儲けより音を追及したい達人達は独立系若しくは自前が殆どとなった。

そうなると自由を侵害される心配は無くなるが、物量面ではかなり不利となる。
例えばBeatlesは自分達で持って無くても何時も伝説の真空管コンデンサマイクNeumann U-47が使えたのは、Abbey Road StudioつまりEMIの強大な力のお陰だ。

勿論小規模となりゃそんなの夢のまた夢だが、だからって「量販Effectorの壁」を打破しないのは場合に依っちゃ死活問題だ。
独創性以外で大手に太刀打ちするのは先ず無理なんだから、何処かしらで他人とは違うやり方が必要な筈なのだ。

3.個人の録音機材
正規の業界レベル迄は不要なら、これはもう今だとスマホ中心とするのが普通なのだろう。
未だにスマホすら持てて無いから嫌味を言うじゃ無いけれど、心臓部がその程度だとMicに奮発しても効能が減るのは確かだ。

しかしそれでももしMicが低性能過ぎると、そこから後がどんな機器になろうとMicの低性能は永遠に付いて回る。
打込みや電子楽器しか使わないなら無関係な話しだが、少なくとも長く演ってくとMic不要なケースは少ない様に伺える。
つまり上記1.2.と対比すれば楽器本体に相当する訳で、Micにだけはケチケチしないのが第一歩だと思う。

因みにMic不要の場合はPreampがそこへ位置し、効きは他のより弱くなってしまうがどれでも同じでは無い。
最近はこっちの方が主流っぽいが更に最終段階迄デジタルだったら、録音・編集アプリ(ソフト)に依ってもそれなりに音は違う。

尤も音源自体を独自に弄れん限りは底が見えてる様なもんで、打込み系の近年主流方式は便利で公平な代わり独自性にはかなり厳しい制限があるとみるべきだろう。
なので現況のままでは幾ら低予算で音楽を演りたくても、独自性に拘るなら打込みオンリーでは不利だと思う。

<つづく>

2019年12月14日 (土)

音楽備忘録129 バスドラヲタのツーバス解析⑤

ではお待ちかね…、かどうか分かんないけど概念図の登場で御座居ます。
図が先の方が色々と良さげなのは分かっちゃいるんですが、描くのに少々お時間が掛るんでやんす。

Bdset
先ず共通事項から紺色グラデーションのがバスドラで、丸いのはクリーム色がSnare・黒っぽいのがスローンのつもり。
銀色の縦長台形がペダルで①②はワンバス・③~⑥がツーバス、ワンバスのにだけ事情に依りHi-Hatスタンドもの概念図であります。

青線・赤線は足・脚とペダルの位置・角度関係の明瞭化の為で、決して人足・脚の描画が面倒だったからじゃありません。
はかなり嘘臭いけど、描くと隠れて見えない部分が出るのは本当よ。
ツインペダルの凡例が無いのはツーバスのから応用が利くので、面倒なのと一致して助かっちゃった!?。

バスドラサイズは一般的にはツーバスの方が大き目なのが多いけど、比較し易さと手抜きの都合で一応22x16の想定としました。
①はワンバスで一番普通そうなのので、②が前述従兄言いフュージョン向き配置だ。
ツーバスのも③が私調査結果の平均で、多分こんなのがオーソドックスかと思う。

因みにワンバスので巾や角度のバリエーションが無いのは、ドラムセット全体への影響が少なさそうだから。
特に近年本邦みたいに1Tomが流行りだと、「連携して固定されてはいない」のの位置がズレるだけなので。

ここから各論詳細と行きやすが①はもう少し広目にする人の方が多いかもで、自分がそうだからってその影響が出てるやも。
只これより狭めようにも可能だとしたらSnareとバスドラの方だけで、Hi-Hat側はこの時点でももうSnareに被り始めてるので限界に近いと思われる。

②については私体験ではスライドが踏み難くて駄目で、これに限っては体形依存度は低目と思われる。
スライドさせても足首動作主体のなら平気だが、純スライドは1打目は膝動作なのだ。
なのでよっぽど膝関節が捻れてでもいなきゃ、太腿とフットボードが直線じゃないのは負の作用が働くねん。

尤も足にフルパワーの速い連打ニーズが少ないジャンルだと、Floor Tom等右側(右利きの場合)へ行く時に胴体の捩り角が小さくなるのが利点だ。
差し詰め足より手の移動の速さを優遇したセッティングと言え、事前想像よりはTom2(ツインTomの場合)やFloorが少し遠くなるのはちっとも気にならなかった。

そして④は小さ目ツーバス時の特権みたいな配置で、我々が考え従前の従兄がそうしてた状態だ。
スペース効率は良かったんだが実際踏むとどうなるかの配慮が足りなかったみたいで、これで無問題に行けるとしたらイスがかなり高めか太腿が極端に短い体形の人だろう。

それでも左右の反動利用が殆ど出来ないのは体形無関係で、別の必然性が無い限り「普通の踏み方」を色々したいなら
不正解だったみたいだ😓。
何より従兄みたいに内股気味にしないと上手く力が入らない人には最悪で、Hi-Hatスタンドみたいに任意随時に簡単に位置をズラしたり出来ないものね。

⑤が稀有なMick Tucker氏ので、体形的には足・脚動作時ガニ股・爪先閉じ気味じゃ無いと無理そうだ。
こんなので速いスライドも踏めてたのは恐ろしやだが、長身なのにイスがとても高かったから何とかなってたっぽい。
更に付記しとくとペダルがSpeedkingだったから、足首Doubleには一番軽負荷ではあったろう。

そして最後の⑥が現況従兄のであるが、一見では折角大き過ぎないバスドラサイズが全く無駄になった様な感じだ。
しかし重心は平気でも⑤が③よりもとってもやり辛いとなると、試すとしたら真逆が第一候補って寸法だったのだ。
太鼓だけだとスカスカだけど実際従兄が踏んでる姿を眺めると、Snareと両膝間には結構隙間が無かったよ。

その後1~2週間経過後Hi-Hatの遠さが問題となってかなり③に近付けたそうだが、バスドラに関して狭過ぎるより広過ぎな方がまだマシなのは変わって無いそうだ。
しかし俺にとっては左右反動利用度が低下したのは残念だったが、人様のセットなんだしねっと。

<つづく>

2019年12月13日 (金)

音楽備忘録128 バスドラヲタのツーバス解析④

遅まき乍ら今回我々が体験した内容と、過去達人の具体例等へ話を進めよう。
加えて体形や体質に依ると思われる、適正位置についても。

概述だが従兄の場合をもう少し詳しくしとくと直立時には大して内股には見えないが、作業時は膝が股関節と足首を結ぶ線より内側にあるのが好都合なのだそうだ。
先の試験では間隔の広狭の他にペダルの向き(脚に対する角度)も試したが、それはペダルヒール部の間隔さえ広ければ良いかどうかの具合を見る為だった。

従兄自身の研究に依ればフュージョン系のドラマーには、標準位置よりHi-Hat側へ寄って座る人も多いのだそうだ。
そうした時に俺には一見不自然になるのがバスドラペダルと太腿の角度で、普通はほぼ一直線なのが斜めになってしまう。
Hatのペダルは位置のみならず向き(足・脚との角度)も幾らでも変えられるが、バスドラペダルの方は極一部の変態的なの以外そんな真似は出来ないからだ。

因みにその変態ってのが今従兄宅に置きっ放しにしてる、Rogers SWIV-O-MATICだ。

これはバスドラに対して真上から見たフットボードの角度を変えられる機能があって、かつて試した具合では駄目では無いが今一だった。

このペダルはベルトドライブだからベルトが捩れるの自体は平気だが、捩るとその分ベルト周りの抵抗が増える様だった。
速度命!?の俺にとってはこれは不適応で、オーケストラの打楽器奏者なんかが特殊用途にでも用いるのには良いのかも知れんが…。
そんなだから俺的にはペダルと脚が直線じゃ無いと踏み難いが、そうじゃなくて普通処か超人的な技をバンバン決めてる達人が多数居るのも確かだ。

それで従兄言いフュージョン系セッティングはペダルが脚に斜めで平気な人向けって事になるからか、Hatのペダルまで傾けずバスドラペダルと殆ど平行にしてるのも多かった。
それでツインペダルとすれば2つのバスドラペダルもほぼ平行となるので、それを試して貰ったのだ。

で結果はってば全然駄目だそうで傍から様子を伺うと、どうやら足の向きとフットボードの向きが反対で喧嘩になってるらしかった。
印象だけだと内股人は膝の他に爪先も閉じていて、ガニ股人は爪先が開いている。

だが色んな事例等を思い出してみると必ずしもそうじゃ無く、バレリーナの立ち姿等では膝はピッタリくっ付いて脚は見事に一直線だが爪先はかなり開いているもんだ。
自分自身だと直立時は立派なガニ股でも動かす時は全て直線が楽って、じっと棒立ちしてると大損する悲しい体形だ😢???。

つまり膝に着目した内・ガニだけじゃ無く爪先の開き角にも個性があり、これら等が組み合わさった状態が各自の動かし易さとなってる訳なのね。
それが従兄だと節分の能書きじゃ無いが「膝は内、爪先は外」ってなってたから、間隔広目に加えバスドラ2つの傾きが大き目なのがフィットしたのだ。

因みにⅡで俺知りで過去に1つだけバスドラ間隔狭・殆ど直線に並べてた例があり、今本邦では殆ど忘れられてるであろうThe Sweetの今は亡きMick Tuckerって人が居た。
角度が普通で間隔だけ狭いのだと記憶にあるのはSimon PhillipsとJohnny 吉長氏位で、前者は足首踏みがとても多く後者は極端なアップヒールと踏み方が個性的でそれと関連があったんだろうか。

この様に体形との整合性も重心保持と同じ位大切な様で、それが傍目には気付き難かったのもツーバスセッティングの明確なメソッドを生み難くしてたのかも知れない。
それとMetal系で本来なら核心だった筈のパワーを犠牲にしてまで速度競争に陥ったのも不味く、踏むっても「触れる程度」で良いのなら大して気にしなくても済むのかも知れない。

因みにⅢで上記の慣れの果てがトリガー使用となった様だが、俺的にはそれなら電子ドラムでもっと新しいのを追及してはどうかと思ってしまう。
そんなん言うと古い好みの押売りと思われそうだが、実際はそんなご大層なもんじゃなくお金が余計に要るからだ。

騙してでも楽器を売り捲りたい人にゃ申し訳無いが、必然では無い金額が掛る様にしたら演ろうと思う人がやがて減ってくだけだろう。
最近じゃ寿命がどんどん伸びてるみたいなんだから、一時だけボロ儲けするより細く長く売れた方が最終的には儲かる気がするんだけどねぇ。

<つづく>

2019年12月12日 (木)

音楽備忘録127 バスドラヲタのツーバス解析③

期せずして今はツーバスとツインペダルの比較論となってるが、単純思考ではどっちもワンバスよりは速く出来そうだ。
しかしそれが功を奏すのは長時間の連打の場合で、瞬時の速さとなると寧ろ足もペダルも意外と少ない方が良いみたいなのだ。(但しほぼ普通の音色で普通の音量としたいなら)

ツインペダル体験の残りから行くが、私感ではバスドラヘッドからのリバウンドがとても小さくなるのが気になった。
この点を一様に功罪判定は出来ないだろうが、功の方は重心への影響がツーバスより減る処か。
しかし反動がリバウンドよりペダルバネ主体となるのは、意図したタイミングでバウンドさせるには不向きでそれが罪だ。

ペダルバネはバネ定数や機械抵抗等によって比較的一定してるので、そこだけを見ればやり易そうに思うだろう。
だが詳細にだと皮は平ら・出っ張ってる・凹んでる場合等と一定では無く、その時々で反発力も変化すれば距離も違っているのだ。

故に力任せで強引にタイミングを取れば何とかなるが、それでは限界速で所望の音色・音量でってのには不向きになるのだ。
それは「皮の状況」がツーバスやワンバス時よりフットボードにフィードバックされないからで、状況が不鮮明な分適切な加減のし様が無くなる訳なのよ。

概述の如くペダルバネが不当に強けりゃどれでも駄目なんだけど、強引Closed踏みと合せて「バスドラの実情」をわざわざ知り難くする物であるには違いない。
なので便利だし場合に依ってあれば助かるけど、俺的には失礼乍らツインペダルは玩具寄りとしか感じられなかった。

それはさて置き相性等もあるから誰にでも同じじゃないだろうが、バスドラツインペダルはHatのより内側とするのが多いのは気になった。
従兄言い「重心シーソー論」からしたら逆の方が良さそうで、特にツーバスよりペダル間隔が狭いのがデフォなんで尚更なんじゃないだろうか!?。

踏み易さでは大差無くてもパワーを考えるとリバウンドが減ってる事でもあるし、反対脚の反動を活用し易い方が良いのではと思う。
尤も最フィットするのがSpeedkingではツインが無いので無意味っぽいが、上記等からするとツインペダルは便利でもかなり中途半端かも知れない。

昨今はそれこそツインペダル全盛になった感満載だが、もしツーバスの理解不足のせいだったら大損してるんじゃないだろうか。
ツインペダルvsツーバスは海外より本邦の方がより偏りが激しい気がするが、利便性だけで選択するのはとても危険だと俺は思う。
ニーズが少なくて忘れられがちなんだろうが、惜しくも先日亡くなったGinger Baker等の先例へもっとリスペクトされて然るベシと思うのは齢のせいだけなのかなぁ。

彼は常に左右のバスドラが違う口径で、これは絶対に2つ無いと出来ない相談だ。
そこそこの速度だけのためならバスドラでもペダルでもどっちか2つありゃ、それ処か俺みたいになれりゃ1つだって手に負える。
基本的なドラムセットの事情を考えれば「無いと出せない」のを追加してて、バスドラだけ同じの2つが容認され過ぎたのが本件では諸悪の根源だったのかも知れない。

結構脱線してるがドラムセットで他に同じの2つがどの位あるかあったかへも行っとくと、Tom系統には過去にはそれなりに見られたものだ。
但し音程も同じにされてたのは覚えが無く、バスドラでも大昔左右を全く同じ音程にすると却って駄目なんてのも耳にした覚えがある。

その御仁曰くモノラル再生された時に2つあるのが分かんなくなっちゃうのが嫌だそうで、今では不要っぽいがそれはそれで一応納得出来る話しだ。
この際だから徹底すればバチは左右同じのじゃんって、いえいえそりぁ「物だけ」ならねでゲス。

これも近年では衰退著しい「レギュラーグリップ」であるが、そうじゃないと絶対無理なのの一例示をしとこう。
今回案件の調査中に今更ながら発見しただけだが、それはCozy PowellのMetalの癖にレギュラーグリップの秘密!?だ。

只でさえ大口径なのにバスドラを離して置くからHatが偉く遠くなってるが、そうなるとHatでリズムを叩く時の手の交差はより深くなる。
この時「下になる手」がレギュラーグリップだと、バチの振り上げが垂直位迄なら上の手に一切干渉されなくなるのだ。

位置だけなら下の手がマッチドでも一緒だが、大きく振りたい時にレギュラーとは差が出て来る。
マッチドは腕の上下を手首で増幅してるが、レギュラーは上下では無く捻りだ。
なのでバチだけじゃ無く下の腕と上のバチが干渉する可能性が、レギュラーグリップだったらたったそれだけで完全回避出来るのだ。

それなりに研究しても俺的には充分な意義が無いのなら、ペダルでも太鼓でも安易に増やすのは考えものなのは変らなかった。
そしてもしお金があって増やせたのなら、是非そうじゃないと絶対に出来ないのをもっと目指して欲しいな

<つづく>

2019年12月11日 (水)

音楽備忘録126 バスドラヲタのツーバス解析②

俺がシングルバサー!?の癖に股開き角度と重心位置の関係が気になるのは、片足でも連続スライド奏法を頻発するからなのだ。
それはひとえに脚の「空中滞在時間が長い」からであり、その間は脚で体を支えられない点がツーバス連打時も同様だからだ。

要するに脚で色々画策しようとすれば、脚をどう動かそうと腰から上に影響が少ないのが
必須なのである。
昔から脚はムダに沢山踏んでたしスライドダブルの速さにも自信があったが、どうも手の方が不安定でテクの高低に関らず言わば「脚宝の持ち腐れ」だったのだ。

それを従兄に助けて貰い乍ら自己分析した処、重心がグラつき過ぎてたから手下手がより増幅してたと出た。
俺の場合のそれの直接の原因はスローンの低過ぎだった様で、体勢にしても低過ぎにしてもバスドラへの意識が過剰だったらしい。

そうこうしてる処へ丁度Speedkingのご登場が重なり、力じゃバスドラはパワフルに鳴らせないのを思い知らされた。
ここでハタと思い出したのが過去の達人達で、普段バスドラが1個だろうと2個だろうとその逆をいとも簡単にこなしていた処だ。

つまり重心位置やその保持とか踏み方が理に適ってたから「上手く踏めてた」のであって、太鼓の数なんて大して影響が無かったって事だったのだ。
なので単にバスドラヲタなだけじゃ無く普通とは逆方向だが、ツーバスがホントに上手になれたらシングルでも向上しそうと思ったのだ。

恒例の屁理屈論法で行けば手でもそれこそ同じで、もし極端に片手だけ上手くなろうとしても無理そうなのと一緒なのだ。
絶対に片方の手でしか叩かないなら良いが僅かでも反対の手で叩けば、下手な手の処でリズムがズレたりしてマシな筈の側も無傷では済みそうに無いからね。

然るにドラムのFour-wayってな手足のどれが一番上手いかじゃ無く、一番下手なのがどの位かにも左右されるんだろう。
勿論根本はコンビネーションだから単発の上手下手とは違うが、手足のどれかに只鳴らすだけで精一杯のがあったりすればそれに依って制限される。
例えば頭で思えてさあ踏むぞっても、踏み損ねればパーって具合だ。

次に湧いた疑問はこれだけワンバスやSpeedkingで達人域に近付けたつもりなのに、どうしてそこ迄ツーバスだと全然駄目なのかであった。
慣れや練習量が不十分な認識こそあれここ3年程はほぼ毎週従兄の処へ行って、少しはツーバスも弄らせて貰っていたのだから。

それが今回の体験をしてそれを自己分析してみると、重心位置のせいでよりHi-Hatとバスドラで真逆に違う最重要点を干渉してた様なのだ。
どっちも力より素早さが大事だが私的には、Hatは脚を上げる方・バスドラは落す方のタイミングがよりシビアと感じている。

Hatでは手でも叩いてるのでアクセントOpenの時、閉じるの以上に開けるのが間に合わなかったり不足があるともう駄目だ。
実例として失礼乍ら従兄宅のPower Glideスタンドは、踏力の軽さと不慣れな人が微調節するのには適してると思う。

だが普通のHatスタンドに慣れてる人にとってはストロークの長大が仇で、全開にしたつもりが半開きでアクセント音がフン詰まりになるなんてのが頻発する。
俺だけだったら信憑性が無いが、毎日ずっとそれで長年やって来てるベテランの従兄ですらしばしばそうなってるんだからね。

そしてこの俺にとっては不慣れな部分が、重心位置の不適正でより増幅されてたらしい。
右脚で既に分かってて出来てるのをなるべく左脚でもとは思っても、初心者にはやり易い環境は必定なのだろう。
それが今迄は全く不可能だった左脚のDoubleがセッティングが変わったら、ものの30分程度で遅くド下手ではあるがなぞれる様にはなったんだからさ。
現状は左脚だとDoubleでもまだスライドは駄目で足首のだけだが、本人にとっちゃ0と0.1だって大違いだ。

処で因みにツインペダルだとどうなるのかだが、丁度前回訪問時に期せずして体験出来てしまったのでそれも一寸付記しとこう。
従兄の所はご承知の様にドラム教室で俺が行く寸前の生徒さんが偶然ツインペダルで、それがたまたまそのままにしてあったってだけの話しだ。

大昔にも少しだけ試した気もしなくも無いが、今回みたいにちゃんと意識してなかったからか全く記憶に残って無い。
でどうだったかってばどうって事も全く無かったが、俺にとっては片足より明確に優れる点は見出せなかった。
ツーバスだってそうだからワンバスマンを続けてるんだが、高速限界域に於いてはツインペダルが俺には一番不利と感じられた。

<つづく>

2019年12月10日 (火)

音楽備忘録125 バスドラヲタのツーバス解析①

本職はBassでバスドラはシングル専門の癖にと身分不相応だが、ツーバスのバスドラ配置についてひとくさりさせて頂こう。
とある事情でネット検索したものの論理的な情報が得られなかったので、副業でも生粋のバスドラヲタがつい炸裂しちまったのだ。

毎度恒例の従兄がキッカケだが、ベテラン本職の癖に中々録音が進まないのでついうっかり余計な質問をしたのが始まりだった。
従兄曰く未だツーバスがしっくり来ないだそうで、しかし俺的には折角左でも右でも叩ける人なのでワンバスへ戻っては勿体無いと思った。

先々例え失敗に終るにしても具体的な体験値が今のままでは不足で、このままでは今回もそうだった
みたいに又何時かやっぱりツーバス試してみるかとその内言い出しそうな気配だったからだ。(現在が正式で2度目の挑戦か?…)
そんな中俺的には随分とFloor Tomが足やペダルにスレスレなのが気になって質問した処、「内股だからこれで丁度良い」との返答が。

そこで止せば良いのにバスドラの間隔や角度は色々試した事あるのと訊いてしまい、「えっ
無いっ、じゃあ試してみよう」と見事に墓穴を掘ったのであった。(こうなると録音に入れない😢)
本来なら個人で試すべき案件だが任せといて越年にでもなったら敵わんので、渋々手伝いながらついでに俺も試させて貰う事にしたのだった。

すると珍しく意外と早くに予想外の展開が訪れ、従兄の場合は敢えて2つのバスドラをある程度離した方がしっくりくるのが判明したのだ。
傍目には脚を余計に開いて大変そうに映ったが、俺も試してみたら従兄とは理由は違うが前のより踏み易くて驚いちまった。

従兄の場合は内股だからこの方がスネアと脚の干渉を気にしなくて済むのと、力の入り易い方向と一致するから楽なのだそうだ。
太鼓奏法には腕に回内・回外ってのがあるそうだが、要するに「捻り」を付加する場合どっち向きにするかって事だ。
これが例の俺言い「手と足一緒論」に含まれてた様で、足にも膝が閉じた方が力が入れ易い人と逆の人があったらしい。

俺の理由は力では無くバランスと安定度で、それは両足で同時に踏むBothの時に顕著な差があった。
従前の必要最小巾(角度)の時には両足の反動が凄くて体勢維持に苦心したのが、遠慮なくバンバン踏んでも何も気にしなくて全く平気になったのだ。

因みに自称ワンバス絶対王様であるが、どうもバスドラでは出来ない事が多かったら嫌とヲタ虫が騒いでアカン。
それだって太鼓本職・両足本職の人に到底敵いっこ無いんだが、少しはツーバスフレーズに詳しくないとそれを片足でやるのにネタが欲しいってな魂胆もある。

キャリア自体は長い癖に我々が無知だったのがイケナイんだけど、太鼓に関しては何でも知ってる従兄が知らなかったのに疑念が湧く。
つまりもしかしたらその手の情報が、少なくともここ10年以内位にはあまり公表されてないのではと思ったのだ。
そこで僭越乍ら独自に調査を試みたが、案の定有用な情報は見つけられなかったのだ。

ツーバス全盛時は知見のある人多数だったかもだが現代はもうツインペダル全盛なのもあってか、奏法情報なら幾らでも出て来たがセッティングについては結局は各自適宣にってのしか見つからなかった。
ヲタとしちゃ明らかに体感もしたので俄然追及欲が出て来て、先ずは過去達人の画像からの読み取りをやってみたのだ。

するとどうだろう大多数のツーバサー達のは、思ってたよりも皆間が離れてたのだ。
一番想定外だったのはバスドラが26とかの大口径のでも離してあったりした処で、んな電車内で迷惑で無意味な股おっぴろげ座り男じゃあるまいしってな様相で…。

だが俺自身の体感でもそうだった様に、脚は開いた方が体勢安定には有利だったのだ。
詳細は次回以降に図説付きで実施の予定だが、従兄曰く「そりゃシーソーの原理だ」であった。
要は股角度が狭けりゃ力の方向は前後となり、前のめり重心にしとかないとバスドラ2人掛りで後ろへ倒されそうになるってね。

それが股角度が広くなると反動は前後より左右の方が大きくなって、自然と体勢が安定するって分析だった。
狭角では反動が全て体を後ろへ押すのでひたすら抵抗するしか無いが、広角になれば次の反対脚での踏力に利用出来るって訳だ。
踏み終りの際もそれなら反対脚は既に着地してるので、何も無理して不要に腰や重心位置で補う必要が無いって按配なのだ。

<つづく>

2019年12月 9日 (月)

音楽備忘録124 ドラムスローン簡易修理のその後Ⅳ

この項かなり間が空いたが「その後Ⅰ」で提示してた、「隙間を埋める」を実行した。
実施から2ヶ月以上経過して、これ以降は特に注文が付いて無いので一応の終息宣言とさせて頂こう。

最初は現時点での最終処理についてから行っとくが、未言及の隙間へ挿入した鉄板の上辺が内側へ湾曲してた件からだ。
書かなかったのは調査の結果グラつきとは直接は無関係だったからで、従って前回は未処理のままとしていた。
今回もやはりグラつきには無関係だったが、鉄板に開けた止めネジ用の穴位置がズレる危惧が出て来た。

ので余剰分を切断し、ネジとネジ穴の作用で鉄板全体の不要上昇の予防を図った。
そして従兄宅で余った接着剤若しくは「の様な物」を探した処、古くなって半乾きとなったコーキング剤が出た来た。
俺の実感では余程強力な接着剤で無けりゃ外せなくなる危険は無いと踏んでたが、従兄としては先行き不明なので完全固着を心配していた。

そんな状況には普通には使えなくなった上記みたいなのも持って来いなので、取敢えずは座面の軸受底面(装着すると逆向きになる)と支柱上面の隙間が埋まる程度に充填した。
と言っても半乾きで隙間から押し込めはしないので支柱上面に想定適量を山盛り状にしといて、そこへ座面を挿入してから加圧処置って手順の作業となった。

加圧だなんてば格好付けた表現だが実際には先ず手で押して、動かない確認が取れてから座って少し暴れて揺すってみたいな程度の事だ。
結果としては完璧では無いが、グラつきの度合いが変わったり時間経過で増えてく様な症状は出難くなってる様だ。
もし再発しても手間は掛るが大きな状況変化が無ければ、適宣増し盛りしてやれば済む。

そこで再々度従兄宅の「グラつかない新型」の状況を確認してみたが、この部分が全て「面接触」となってるのが有効な様だった。
処が予想に反し回転に対してはどんなにネジを締めても止められなくて、旧型には無い弱点!?だった。
尤も旧型でもすぐにネジが緩んで来るので、回転方向を固定してられる時間は短いが…。

しかしベテランの従兄談の「回らん方が良い・回るべきじゃ無い」からすると、近年の認識とは違うかもだがこれはこれで困る事もある問題だ。
実際にバスドラで激しい連続スライドなんかをやらかすとその反動等もかなりのもんで、この時回っても元へ戻ってくれるなら良いがそうならないからズレたままとなってしまう。

回るんならせめてBarかなんかの高い丸椅子のみたいに、バネでニュートラル位置へ戻って貰いたいもんだ。
足自体の動きは上下だったり前後だったりの往復運動だから、それだけなら反動だって両方向になる。
が戻る方の分は脚の重さ等で消費しちゃってるから、勢いで腰が押されて座面が回った分のなんて残っちゃないのだ。

それでも食い下がってクッションの弾力を活用出来ないのかっつうと、座るに最高でも位置保持に対しては弾力の作用方向が逆向きだから厳しい。
俺の体感で言うなら大人しく座してるとごケッコーだが、こっちが動くとあたかも弾き飛ばそうとされてる様な感じがした。

従兄は俺みたいに脚が暴れたりしないけど、恐らく長年の勘や感覚からこれを察知して避ける様になったんだろう。
ドラム教室で座ってる時間は誰よりも長いのに、全く新型へ座ろうとしないんだから余程なのに違いない。

それと持ち運びや調整が可能なスローンはほぼ全部含まれてそうだが、うっかりしてると手に油が付いて汚れるのはいい加減何とか出来ないんだろうか。
メカニカルチックなドラムハードウェアでも、他のでそんなに汚れるのは無いのにね。

因みに油汚れする箇所を見てみると、幾つかの方式にそれが顕著だった。
1つは座面の支柱の結合部が金属同士で回転化可能なタイプので、もう1つは支柱の伸縮が支柱自体が螺旋ネジに依っているタイプのだった。
強度とコストを考えるとまだ現状では金属を使うしか無さそうで、そうなれば動作抵抗と不要摩耗防止の為に油抜きは厳しい。

スローン高さのシームレス調整と不意の沈み込み防止には螺旋ネジ式は最適だが、通常それが丁度座面の死角にあるので結合部と共に確実に避けるのが難しいのだ。
個人的には現行スローンでも殆どのにこんな欠点があるので、ホントに誰もがそう云うタイプのスローンを求めてるのか一抹の疑念が頭を過った。

<つづく>

2019年12月 8日 (日)

音楽備忘録123 USB「以外の」伝送

USBも3が出てコネクタもタイトになったし625M以上の速度が得られたから、かつて主流だったFireWire(IEEE 1394)の必然性が薄れた様だ。
それ処かPC側が非搭載が当り前となってるので、これは時の流れの為せる技なんだろう。
しかし俺が古いだけかも知れんが外付けばかりで、本当にPCIやPCI-e接続じゃ無くて良いんだろうか!?。

伝送の速度と容量は勿論無視出来ぬが、最近は伝送経路について考える人が減り過ぎと感じている。
エレキGuitarにしても音色自由度等ではEffectorの圧勝だが、録音等で多少手間が掛ろうとも少しでも音質向上を考えればAmp直結の方が勝るのは火を見るよりも明らかだ。

この思想をインターフェイスにも適用すれば、PCでも規格変換チップ(USB等)を通さずにマザーボードへ繋げられる方が良い筈だ。
とは言え弱点皆無とは行かず可搬性が殆ど無くなるとか、アナログ入力が付いてればその回路がPC内部の電磁波嵐に晒される等がある。

尤も多チャンネルのMicプリともなればスペース的に内部だけじゃ収まらないから、アナログ信号が扱われる部分は自動的に外部へ追出されるから考えなくて済む様になる。
電源に関してもPCのATX電源は電圧が±12V迄しか無くファンタム用の48Vも考えれば、外部別電源となるので内部から取るよりは雑音の危惧も無くなる。
但し「中へ繋いでも外が幾らも減らない」ので、だったら全部外にしてしまえとなっているのかも知れない。

それで気になったのはUSBで¥50万の商品で、拘るなら余計なプロセスや経路は無いべきな処だ。
どう云う訳でそうなったか俺にはサッパリだが、USBでもFireWireでも最高価格帯が大体一緒なのだ。
それに対しPCI-eのはプリ部が別売りのが多いとは云え、¥20万位とは見過ごせない点だ。
性能的には特にレイテンシの面が桁違いで、PC内臓となるだけに稼働させる為の付属ソフトの充実度もだ。

実は最近知合いがネット配信を始める関係で、それ用のUSBインターフェイスの設定などを手伝う経験をした。
そこのサーバーへはスマホじゃ無いと送れないが、使用スマホはiPhone(iOS系)なので割高な接続アダプタも必要で…。

その人のニーズでオーディオインターフェイスは4chは必要だったが、iOS対応となると選択肢はTASCAMたった1つしか無かった。
音楽製作とネットに関してはハッキリ言って狭いニッポンだからか本邦は後進国で、国産なのに一抹の不安があった。
残念乍らこれが見事に的中してスマホへUSB接続だと、スマホ上ではインターフェイスの設定が一切弄れないのである。

こんなの海の向こうだったら訴訟モノかって位、それじゃ使えんでしょって杜撰な話しだ。
だが愚痴ってだけって訳にも行かんから試しにPCへ繋いでみると、ドライバを入れたら設定ソフトが登場した。
もし設定がインターフェイス本体内に記憶されればと2度目の祈りが通じたか知らんが、漸く最低限の状況は作り出せた。

それでも現況原因不明だが4chある内の半分しかスマホじゃ認識されず使えずと、道半ばなのやら割りが悪いのやらの始末であった。
TASCAMへ苦言を呈しといたのは言う迄も無いがこれをひとつの教訓とすれば、直接適用されはしないだろうがやはり伝送速度だけへ目を向けてるのは危険そうだ。

そこでの着目点の1つにコネクタのPin数があって、USB1と2:4・FireWire:6・USB3.0:10と段々増えてる処だ。
それに対し速度では最早負けてる(66M)PCIで124、性能は上げてPin数とスペースは極力減らした現行のPCI-e(厳密にはx1)でも32以上ある。

これの意味する処が重要で、Pin数は多い程「違うData」の伝達が独立して可能となるのだ。
それがレイテンシや詳細操縦性に関わっていて、俺的には餅は餅屋と思える所以なのだ。

更にPCへ直に乗込む(PCIやPCI-e)と別の制御が効かせられる様になるが、それはPC内部での「優先度」等の指定等が可能となる点だ。
ASIOを使えば音自体の状況はUSB接続等でも改善出来るが、USB自体の優先度が低くされ過ぎてれば宝の持ち腐れも同然なのだ。

上記iPhoneの件はこれよりスマホ内部の伝送系統が恐らくPCより少ないせいだと思うが、一定以上の性能を求めたり対価を払うつもりならUSBでは役不足だと思うんだ。
ついでに最後のひと押しとしてPC君の立場で考えとくれ、内部より外部接続を軽視するのは当然なのよ。
だってもし外部のせいで止まったりしたら、繋げてる意味すら無くなっちゃうんだもの。

<つづく>

2019年12月 7日 (土)

音楽備忘録122 USB伝送

概述だがReaperを録音に使う様になった原因は、従兄宅オールインワンマルチ機のインターフェイス部限定使用だった。
その関連でUSB2.0をマルチ録音に使ってどの程度迄なら平気そうか、俺自身の正しい認識の為にも一寸調べて計算してみた。

個人的にはずっとUSBに対しMIDIの様な不信感があって、リアルタイムの多チャンネル録音の伝送にはずっと使用を避けていた。
先ずコネクタが普通はロック機構が付いて無いし、PlugとJackの嵌合もこの手の用途には余裕があり過ぎるのが
恐かった。

又PCの情報伝達方式が「時分割」且つ受け側状況でも速度が可変するので、人間様の都合通りとはならないのが最初から予測されたからだ。
普段はこんなのは杜撰大王様ですからちっとも気にして居りせぬが、もし将来USBインターフェイスを新規に買って思い通りにならなかったら一生の不覚に近い事となってしまいそうだもの。

他に方法が無ければとっとと挑戦してただろうが、幾ら機械に興味深々でも音楽がやりたくて予算が無い。
極力手持ちのまだ使えるのはそのままに、どうしても足りないのだけ新規にとして来た結果が宅の現況なのだ。

だが従兄宅の件で8ch迄なら無問題だったのと、音の入り口が一緒でも使う場所を減らしたら音質が明らかに向上するのを実体験しちまった。
それで一度調べて計算すれば済む事なので、重い腰を上げて今後はこの妙なトラウマ!?から開放されてやろうと企んだのだ。

今回の私的目的としては大雑把でもなるべく広く把握したいので、音声信号の規格は48kHz・24bitのみとさせて頂く。
規格差に依るData量差は例えばbit数が同一なら大凡はサンプリング周波数の倍率と考えれば良く、96kHz・24bitなら大凡2倍位を目安として使える。

もっと知りたい方はWeb上にこれをされた方が多数居る様なのでそちらへとして、実際的には音声信号規格とUSB規格だけの計算では不足要素がかなりあるのだけここで指摘しとこう。
可能と必ず出来るはちっとも一緒じゃ無いのに、近年の規格や表示は味噌も糞も一緒となってるから盲信しちゃ駄目よ。

では内容へ進めるが計算に依ると48kHz・24bitのData量は、1秒当たり大体1.5Mみれば足りる様だった。
USBは最早3も出て久しいがインターフェイス側の対応がまだ行渡って無い様なので2.0として、wiki参照に依れば1秒当たり60Mなのだそうだ。

故に単純計算では60M÷1.5M=40となるから、40チャンネル位迄が一応USB2.0での限界値となる。
どぅわがぁしかぁ~しぃ上記の如くそれでは「USB以降の要素」が無く、そこを多少なりとも追求せねば実情へは近付けないのである。

何故ってぇと先ずは電源コードのソケット以外はUSBしか付いて無いPCなんて普通は無く、他の信号伝送へ食われるリソース量に依ってはPC内では最も下っ端の音に真っ先にシワ寄せが来るからだ。
この性質は録音時は色々それに備えるのが普通だからほぼ無問題となろうが、USBの受けチップ(IC若しくはLSI半導体)とJackのコネクション等から来る影響はかなり出るもんなのだ。

簡単に言えば外見上のJackとチップの数は必ずしも比例してないし、流石に他所ではもう滅多に無さそうだが古いPCだと表の2つは2.0だが裏の2つは1.1だったり等と殆ど法則も何も無いのである。
それへ加え例えば全部で32chだとしてインターフェイスが1つか2つかでも相違が生じる場合があって、外部からでは大抵は判別不能なのにもし1つのUSBチップへ繋がっちゃうと上記計算の限界値へ接近させてしまう。

なので別のチップへ繋がる様にすればチップでは充分な余裕が持てるが、そこから先の伝送に必ずチップ2つ分の容量が確保されてるかってばそうじゃないのの方が多いのだ。
基本認識として「PC性能は変動するのが当り前」と思っとくのが正しく、現行汎用PCの原理的事情に由来してるのである。

この目安の確認として市販品をザっと眺めた処、最高価格帯(約¥50万)のでもせいぜい32ch程度のしか売られて無かったから一応信用に値するのではと思う。
因みにこのレベルのだとPCへの要求性能へ一切遠慮が無いのが常で、しかるにPC側の条件が最良で32程度が限界値と読んで良いと思う。
も少し全体を眺めてみればチャンネルが多い方での多数派は16で価格帯も様々、現在一般的に使われてるPCの最低性能と合わせて考慮すれば最低保証は16ch程度と見做して良いかと思われる。

USBでも3以降なら伝送速度が1桁上がるので本案件の危惧は無くなり、代わりに価格の心配が増えるだろう。
尤も現況ではインターフェイスがニーズ(アナログ信号の多チャンネル)減少のせいか開発がとても遅く、先行きは全く不透明だ。
自前で録るDrummerさんには、もっと厳しい世間になってしまうのだろうか…。

後出し気味な因みにであるが不所持の為情報量不足のスマホでも、その多くは基本的な傾向に大差無さそうなの位は分かってるつもりだ。
僅か乍ら体験のあるのの中で画像より音の方が堅持されたのは17Liveって音楽配信の位で、この手のは機器では無くアプリ主体でそれを為してるのはPCでも同じだ。

それもサーバーや通信面でも最初から「そうなる様に」システムが構築された上での事なので、PCでだったらマザーボードレベルから「それ用」となってる様なもんだ。
なので突詰めるにしても個人で汎用品で賄う限りは、到底足元にも及べないと考えられる。

<つづく>

2019年12月 6日 (金)

音楽備忘録121 Reaperの使い方② 導入編

珍しく待ち時間無しでメータ話しの続きだが、最大の特徴は入力信号とトラックの(再生信号)の両方が任意にモニタ出来る処だ。
従前からのやり方の実機では録音機とMixerは多くは別機なのが普通で、それを機能面も含め踏襲してると看做せる。

これは録音時の操作設定にも関連があると思われるが、各トラック毎に「録音ボタン」が付いてるのが実機マルチトラッカーと一緒だ。
それ自体は録音可能トラック数が2より多いから半ば必然かもだが、この「トラックの録音ボタン」に応じて入力か再生レベルの何れかが表示されるのだ。

そして実機より親切なのは記録されたDataと本録の時は普通の緑と赤の表示だが、入力レベルモニタの際は黄色表示となるので一目で見分けられる処だ。
実機でも不可能じゃないだろうけど前例は覚えが無く、PC内ソフトならではのある意味正統進化を目にした感がある。

録音ボタンがトラックのと全体動作の2分するのは不慣れな人には面倒だろうが、実機マルチでは「そうするしか無かった」物でちっとも特殊では無い。
デザインが良くてもそのせいで若干余計にスペースが食われてる気もするが、トラック録音ボタンが実機のに似せてON/OFFで色が変わるのも視認性が高い。

MSPのにも同機能は備わってるが如何にもPCライクな表示で、表のマス目の中に赤文字のがあるか空欄になるかとなっている。
モノクロよりはましだが文字は面積が少ないので、どうしても画的表示のより見落とし易い。
Reaperのは実機だったらONにすると光るボタンスイッチをシミュレートしてる訳で、これは狭かったり同じ物が多く並んでる場合の判別向上の王道手段のひとつだ。

両ソフトは開発時期も違うので一概に優劣を語る物では無いが、MSPはPC流儀・Reaperは音楽屋流儀って思想の差が感じられる。
因みに俺言い「良音質」の点では並のAudacityに対しこれ等両者は優と感じられ、MSPも古臭いさえない見栄えに惑わされてはいけない。

ここで並と優なんて表現をしたのは電気楽器では取り立てた音質差は感じられず、生楽器とReverb音等に対してはそこそこ差があった為だ。
但しPlugin Effect等に関してはAudacity→MSP→Reaperの順に互換性が高い様で、けれど元から付属してるEffectの調整機能や音質ではMSP→Reaper→Audacityって按配だった。

現時点で我々の場合は予定より大巾に遅れてるMixdownにはMSP使用の予定だが、以前拙ブログで記したEffector用サブ信号経路の都合と音質での選択だ。
全部同じソフトで行くのが操作習熟や記憶には有利だが、この辺は各々の状況次第と云った処だろう。

それから上記3つやCubase等はAudacity以外MIDIとAudio の共存が可能だが、MSPではサウンドドライバの関係か我々の環境下では共存させると不安定だった。
Reaper使用範囲の拡大はまだ今後の課題状態だが、ウチの場合は従兄宅の状況依存度が今の処高い。

打込み系にしろソフト音源でPCを楽器化するにしろ汎用性が高く便利なMIDIの規格の古さから、個人的には当分今以上の投資をする気が起こらずにいる。
それだけ生演奏を主とする人が減ったんだろうが、この点でReaperは他のより弾く人寄りな印象がある。

能書きはこの辺で止めといて使用上の私的注意点へ行っとくが音声ファイルの読込みのドラッグ&ドロップで、開始位置が自由になる代わり気を付けないと頭スタートにならない事があった。
それと他のでは予め指定しとくかタイムライン上(Audacity)をClickしなきゃ先頭から再生されるが、Reaperでは頭へ戻さないと直前に止めた位置からの再生となった。

尤もこれは「PCソフトだぞ」の先入観があったからの戸惑いだった様で、テープ式の録音機だったらデジアナ問わずReaperと同じ反応をして当然なのを忘れてた。
本邦では保存場所等の事情でテープ録音機に触れる機会は著しく減少したが、Reaperは開発元所在地がNew Yorkだからか俺言い旧標準の方に従わせる流儀みたいだ。

adatもそうだったがデジタル化の利点はそのままに、使い勝手はそれ迄に存在した録音機とは敢えて大きな変更はしなかったのが海の向こうでの普及の一因と考えている。
産業革命の本家の連中はそんなで後発の本邦の方が、機械へ人を従わせようとする部分が益々盛んなのは皮肉としか思えない。

俺自身は電気屋・機械屋でもあるのでその点ではどっちでも良いんだけど、音楽を演ろうとしてる時にそれを軽視してる様な物はあまり使おうとは思えない。
演奏とその内容だけで、少なくとも頭の中は手一杯になりますんでね。

<つづく>

2019年12月 5日 (木)

音楽備忘録120 Reaperの使い方① 導入編

まだ大した体験も無いのに「使い方」だなんて図々しいにも程があるが、あまりにも生演奏録音の情報が見当たらないので覚書きも兼ねて随時で記してみたいと思う。
自分等が奇特な人呼ばわりされても覚悟は出来てるが、音楽と録音の世界にまでどうやら変な2極化が著しいらしい。

私感に過ぎないけれど機械に明るい人は音楽に暗く、その逆もまたしかりが随分綺麗に分離しちゃった様に感じられる。
当節に至ってはClassicの演奏家だって音楽の為に機械にもある程度は明るくあるべきと思うが、電気を必要とする音楽を演ってるのに暗くて構わん筈も無い。

具体的には音源の切り貼りが主体な方々と人力演奏が主体な方々の事なんだけど、人力の方でPC主体で録音する人が本邦のアマでは滅多に居ないみたいなのだ。(居られたらスイマセン)
ってのも切り張りなら録音チャンネル数は殆どの場合2ありゃ充分で、それなら使えるソフトは好み等を別とすりゃそこそこ選択肢があるのだ。

でもウチの従兄みたいな真似(ドラムセット8ch録音)をしたいとなると、少なくともフリーソフトではお題の「Reaper」ってのしか見つからなかった。
なので俺としてはそんな連中がきっと集中するだろうから体験談もそれなりに、と思ったらこれが大間違い…。

このソフト日本語化ファイルを作ってくれた人が居たのは助かったが、それ以外の点では少なくとも現況本邦では酷くマイナーな様だ。
しかし音質がAudacityやCubaseより勝ってる様で、何かの付属のとか有料ソフトが使える人でも試す価値がある気がしている。

切り貼り氏や打込み子さんには大変失礼で申し訳無いが、生楽器の録音では否応なしに生の音が聴けてしまうので音質基準に差異が感じられるのだ。
と又大見得を切っといてオチが付くのが拙ブログの常識!?で、ここ数年家庭の事情で生楽器の生演奏を目前で聴かされ続ける羽目になってたからである。

昔は録れば音は何でも変わるのが当り前だったし、それを何で再生するかで更に違って当然だった。
それに加え自分の主パートが電気楽器だったもんだからか、最近迄はそんなに気にして無かったし理解に不足があったらしい。

好みなどもあろうからここでは敢えて高音質じゃ無く「良音質」としとくが、楽器観点では高性能よりも無改変とか上手なお化粧の方が大事だからなのだ。
Instagramの画像なら見栄えが良きゃ加工度何ぞ何のそのでも通用するが、それで言ったら楽器では差し詰め「誰?」の部分が最優先事項なのよ。

音楽としてはそれが何であっても音が楽しきゃOKだけど、演奏した人にとっては全く別人のみたいな音になってたらガッカリだ。
例え結果オーライであってもそれが暫く続いちゃったら、その内誰か他の人に弾いて貰ってなんてなるんじゃないかな。

って各駅停車だって特急も急行も全部抜かさせたら発車するので戻ってくが、何らかの事情でインターフェイスはあるが録音ソフトに付属や有料のが無理な人は最早一択だ。
英語取説が駄目だったら一寸厄介だが、音響や録音等に一定以上のスキルを既にお持ちなら弄くり回してく内に把握可能な程度の難易度だろう。

音質・フリー以外の利点の筆頭は概述多チャンネル同時録音だが、その他には対応OSの多さが特に目に付いた。
WINDOWSならxp~10迄とMACの夫々32・64bitの両方、LinuxのもとほぼPC用としてはマシン性能が足りそうなのは全て網羅されてるのは最近では稀有だ。
それでも何しろ日本語の情報が少ないので初心者には不向きだが、そこは各自己のお財布と根性を比べて導入判断をしておくれ。

因みにフリーとは言え実際は試用版の位置付けなので、毎回起動時にダイアログが出て5秒待たされる。
更に現用のは希少情報を頼りに最新のでは無いv5.70で、本家のDownloadページに最新版は60日間は丸々使えるとか記載されていた。
その後どうなるかの記載が無くこっちで試しても居ないので、何かと面倒がありそうなのへも覚悟が要りそうだ。
但し我々現用のも含め旧バージョンのも現時点では、本家から提供されてるのは真摯な印象を受ける。

こんなだけれども多重録音の経験値が一定を超えてる者にとっては他のソフトより実機に近い部分が多く、実機で獲得したスキルが殆どそのまま持込める等の他に無い利点がある。
私的に印象深かったのはレベルメータで、その数と位置等である。

トラック毎のレベル表示が可能なのはフリーではこれとMusic Studio Producer(MSP)の他少ししか無く、MSPは対応OSが古いのだけでそれ以外のは最新ののみ等だった。
私的体験ではその様なOS対応が限定的なのは、OSが進化すると無くなったり別物へ変身したりする事が多かった。
なので習熟期間を長く要すソフトではAudacity等を筆頭に、極力基本形を変えないコンセプトのの方が何かと安心感がある。

してその内容はっつうとどんなに表示を最低限しても「各トラックウィンドウに小さく残ってる」処で、デフォルトではチャンネルMixerのFader横にも大き目に表示されている。
表示に重複があるのは一見場所を取るだけで非合理に思えるが、トラックウィンドウのは録音機・FaderのはMixerのって発想の様だ。

<つづく>

2019年12月 4日 (水)

音楽備忘録119 私的Audacityの使い方③

前回の作法!?はややもすれば慎重過ぎな感じかも知れないが、実際の作業ではかなり雑な位おおらかにやっている。
寧ろ出鱈目でもなるべく平気化する為にそうしてる様なもんで、その根底にある思想みたいなのから続きをどうぞ。

その前に補遺から行っとくが領域数値設定の件で、詳細時間の数値はそれなりに桁数もあるのでメモを取っている。
宅現況ではモニタ画面が低解像度で小型なのでホントに手で廃レシートの裏へ走り書きしてるが、これは別にPC内のメモ帳でも一向に構わない。

即席の記憶力に自信のあるお若いのは脳内メモに頼っても結構だが、頭の中を極力音楽や音だけで済ますのには頭より手を使う方が良いと思っている。
処でアナログテープ時代にもテープカウンタなる位置表示装置はあったが、現代基準に照らせば正確性なんて文言が使えるレベルでは無かった。

当時は音だけのだと記録メディアに位置や時間情報は入って無く、この所謂タイムコードが記録されるのは映像物以降になってからだ。
オーディオでもデジタルだと原理的必須なので必ず盛られる様になったが、今だからデジタルだからこそ数字だけで済ませられる様になったのは知ってて損は無いと思うよ。

それと書出しファイルのフォーマットにも参考として触れとくと、ステレオ音源のも念の為モノラル×2にして(一部例外あり)48kHz・24bitのWAVとしている。
それはこれが宅と従兄宅のマルチ機に共通なのが主因で、adatでは44.1k・16bitでも聴感上は大差無いがR-24では瞬時に分かる程音質差があったからだ。

その結果R-24の内臓Effector等が使えなくなる不便が生じたが、だからオールインワンなんて止せって言ったのにとは親切な愚痴余談と勝手に思っとこう。
個人的には当節お流行りのハイレゾには無興味だが、どうも業務用音響専門機以外だと近頃のは「フォーマットで稼いだ高音質」の面が強そうなのだ。

疑って掛ればR-24でそんなだと、汎用PC等ではもっとこの傾向が拡大する可能性が高くなる。
録音の音声ファイルはipodにしこたま溜め込む名曲の量みたいにはならないので、鉄道の安全思想でも無いが俺らしからぬ慎重さとなっている。

因みに原理的に優れるのはちっとも罪じゃ無いんだけど、それに頼ってなんだか手抜き設計でもしたみたいに感じられると良い気がしないのよ。
俺みたいな人自体がノスタルジーにはまだなってない若者でも、低性能若しくは低機能な昔のに興味が湧くのにはこんな面も含まれてる気がするだけど。

今回の本題は上記にも及んでそうだが、コンセプトとしてはなるべく「人間様はそのままで行ける」である。
例えばAudacityにはUndo・Redo(止めた・やり直し)機能があるが、あって助かるけど時には不便な処もあると感じている。

目的作業が何であっても並行してそれ以外の部分を変更する可能性もあり、想定外の不具合発見とかを忘れぬ内になんてのが音楽ではあり得るしあった方が良い位だからだ。
悲運な場合今から例えば5つ前にやったのだけ取り消したくても
、Undo・Redoは「1回だけ前へ戻す」のしか出来ないもの。

鉄道の自動制御等は運ちゃんがミスっても事故らない為のだが、音楽の場合は事故防止より余計な気を取られないのに使って良いし然るベシと思っている。
アナログしか無かった時代の体感が無いと分からんかもだが、当時はどんなに排除したくても「機械の調子」から一刻たりとも目も耳も離せなかったのだ。

デジタルだってエラー皆無では無いが、アナログだと本調子でさえそこここに何時も不足だらけだった。
言わば完全が無い分不具合との見分けが困難で、やんちゃな幼児から一瞬でも目を離すと悲劇がなんて状況だったんだ。

それはさて置き他のソフトとの比較では(少ないけど…😓)、古典的だが比較的単細胞チックなAudacityは却って惑わされるのが少なく感じられる。
音楽や音響の知識が一定以上ある人だったら、そこそこ弄り倒せば大体全貌把握が出来ると思う。

大抵の事は単体だけで一通り試せるし、しかしDrummerさんにとっては録音チャンネルが2迄なので非推奨かも知れない。
例に依ってソフト自体に興味があるなら別だけど、Drum録音のとそれ以外用の最低2つのソフトの習熟が必要になっちゃうから。

<つづく>

2019年12月 3日 (火)

音楽備忘録118 私的Audacityの使い方②

俺はAudacityユーザーとしては歴が浅いから本題は今後随時とするつもりだが、今回は「途中だけ録った」音声ファイルの処理についてだ。
そもそもはそんなのが可能かどうかも全く知らず、試したら出来たからやってるってのが実情って有様だ。

こんな調子だから他ソフトの状況にも大分疎いが、それでもそうして録ったファイルが「録った場所だけ」となってるのは今更にして初体験だった。
これをAudacityのプロジェクトファイルとして保存すれば位置関係も保持されるが、迂闊にそのまま書き出してしまうと後で大変な事になるのに最初から気付けたのは幸運だった。

アナログ記録式であればメディアは他チャンネルと同一なので無かった案件で、俺みたいな古い奴にはそれ迄培った感覚には無いので要注意だ。
近年のでは基本形態は割と古典的なのが維持されてるAudacityと違って、同一トラック上に併設される「テイク機能」のも増殖中らしい。

このテイク機能は慣れや体験に依って好みが別れそうな処だが、多チャンネル録音機使用のベテランとしてはあまり歓迎出来ない。
慣れれば便利そうなのは分かるんだが1トラック内で枝分かれがあるってな、1段階思考回路が深層化するのが煩わしさの増加と思えてしまった。

それはさておき本題へ戻ってくが、録るの全てをAudacityで賄えるならプロジェクト保存さえ忘れなけりゃ無問題だ。
が今のウチ等みたいに違う機器やソフト間を渡り歩かせるとなると、録る時に不精!?した分後処理で工夫しないと通用しなくなる。

旧来の録音の感覚では途中だけ録ったからってトラック長さは変わらなかったのが、記録媒体の節約にはなるが短くなる上「途中だけ」ってのはやはり異質だ。
現況では従兄宅でのDrum録音は3ヶ月位前まではオールインワンマルチ単独で、それ以降はオール機はインターフェイスのみを使い録るのはPCとなっている。

従兄の場合彼宅内でのData移動はUSBメモリに依ってるのでどっちでも問題無いが、マルチ機単体ではMixに不満がありずっとPCでやってるそうだ。
その点でPCで録ってしまえばオール機から移動の手間が端折れるし、録ったのを俺が持ち帰る際に手間も時間も節約出来るのに気付いた様だ。

ここまではめでたしだがDrumには同時録音チャンネル数不足で録るソフトにAuadcityが使えないから、宅で録ったのは互換性のある形式のファイルへの書き出しが益々必然となった訳だ。
ソフトに依ってはトラックへ読込んだファイルのスタート位置調整可能なのもあるが、非対応なら勿論の事そうで無くともその設定ミスや手間でトチる余地をわざわざ残すのもリスキーと思った。

具体的にどうするかだがデジタルの利点を考えればその曲分の長さのファイルへ、時間的に同じ位置へ貼付けるのが良さげと考えた。
さすれば先ずはその土台をどうするかだが、保存済みの他パートファイルを拝借・俺言いスタートClick以外を無音化して当てるのを思い付いた。

因みにAudacityには読込み設定があって直に読むかコピーを作ってそれを使うかがあるが、こんな場合は読み込みに少し時間が掛ってもコピーにしとけるから可能な技だ。
この選択次第での時間差も今迄の体験ではPC性能に依存するとは言え、起動が早くないソフト程度なので必然性が無いならコピーとしとくのがお勧めだ。

これより部分ファイルの貼付けに際しても同思想を適用し、元ファイルからは切取りでは無くコピーとしている。
そして貼付け領域設定はマウス等でも大体可能だが、確実性を狙って数値設定としている。
マウスはクリックする際に俺の持ち方の不備もあろうが微動する場合があり、そうで無くても微動なだけに誰でも検知し難いのではと考えている。

そもそもの領域設定は普通なら要る場所だけを指定するが、そうすれば前後の弾いて無い所等の不要部をカット出来るからね。
しかしここは不精して!?「部分」ファイルなのを良い事に、可能な場合は部分ファイル全体を単に選択して設定している。

アナログの場合は雑音ゼロはあり得んがデジタルではソースが無けりゃ寧ろゼロが当り前で、聴く時に存在する雑音は元ファイルより装置の稼働由来の方が大半だ。
すると音声ファイルの始まりと終わりが無処理だと、わざわざパルスノイズを付加する様な真似になってしまうのだ。

実用上は幾らも問題にはならなさそうな微小レベルではあるが、波形Fade In・Out機能が載ってるんだから使わない手は無いと考えている。
この作業の時期はどのタイミングでも可能だがミス予防には纏めた方が良いと思ったので、これを逆手に取れば
上記みたいな大雑把なやり方でもOKなのだ。

<つづく>

2019年12月 2日 (月)

音楽備忘録117 私的Audacityの使い方①

一部概述重複となるが俺がAudacityを録音に使い出した原因は従兄との共同作業で、両者宅に同一機器が無かったのが事の発端だ。
宅で最近迄そうだったのはadatがあるのと、Audacityでは最大同時録音chが2しか無いからだ。

個人で曲の全てを録るにはDrumがマルチ不可になるからだったが、それを従兄が自宅で録るとなると様相が違って来た。
Guitar・Bass・鍵盤物・歌…と太鼓以外の多くは1つにつき2chで足りるが、それ以上にDataの持出し取込みの影響が大きい。

現代標準とすればDataやり取りは無料のGigafile等でネット上でするのがデフォなんだが、従兄宅のネット規格とPC事情で初期以降は敢えて中止している。
従兄のPC導入はかなり早期だったのでADSL接続となっていたが、それが未だに光通信へ更新していない。
PCの方もネットへ繋げられるのは1台しか無く、伝送速度の遅さと相まって膨大な時間が掛かっちまうからである。

本来なら他所様ん家の事情は無関係なんだが、訪問前夜にギリギリでやっと録れたなんて場合にこっちにも「被害」が及ぶのだ。
こっちとしては間に合うように仕上げたつもりでも、行ってみたらまだ落せたの60%なんてなるからだ。
そこで苦労の報われん部分が出来ては敵わんので、盤に焼いて(CD-RWかDVD-RW)持参する事にしたのだ。

愚痴は兎も角何れにせよ両家とも録音Dataの移動にはPC介在が必須で、そうなると録れる物は最初からPCにした方が何かと好都合となったのだ。
この状況変化に依ってにわかにとなったが、先ずはどのソフトで録るかだった。
そしてこれの鍵になるのはマルチトラックが要る処で、1回に録るのは2ch止まりでも録る以外のパートが鳴らせるのが必要なのだ。

そこで編集や加工では少し概体験があったAudacityでやってみる事とし、いざ使ってみれば案ずるより産むは易しだったのは幸いだった。
又これには他にも伏線があって、それは従兄宅の事情であった。
彼は録音にはZOOM R-24(オールインワンマルチ)・それ以降はPCでとなってて、PC内ではAudacityだったのもあったのだ。

比較的最近になってR-24の用途変更で録音ソフトが「Reaper」なるマイナーなのへ変更となったがその件は後にとして、Audacityは2人が概知の共通認識で使えるのは確かだ。
して具体面へ入って行くが編集の基本的な部分には既に慣れてたし録る際のレイテンシ問題も無く、その辺で俺にとっては思ったよりはスンナリと入って行けた。

だがやはり何かしら起きるのが録音ってなもんでソフトのバージョン次第等で結構違ってそうではあるが、宅で起きた体験済みのを綴らせて頂くとしましょう。
その1は録るパートのモニタ問題で、いざ録り始めるとPCからは「録ってる音」は聴けなくなった処だ。

録るのがLine経由だったらどっちもスピーカや楽器Ampで鳴らしゃ良いが、Mic収録だとそうは行かない。
そこで宅では概所持のMixer卓へ全てを繋いどいて、そこからモニタする様にしている。
卓が無くてもPC内のMixerソフトが2種併用可能だったりしたらそれでも行けるかもだが、発見し難い不要干渉等の危険性があるから俺的には一応非推奨としとこう。

これ等からすると多分他所ではUSBオーディオインターフェイス経由だろうが、それに「独立モニタ機能」とヘッドホンアウトが付いてるのがAudacityで自由に録れる条件となりそうだ。
尤も知る限りの大多数のソフトではPC内での音のハウリング・ミラーリングを防ぐ為にも、こうなってるのが多いみたいだから固有の問題では無いだろう。

その2は特にバージョン次第が関係してそうな気もするが、録ったのを音声ファイルとして保存する際の謎の現象だ。
これは常時発生するでも無いし条件調査等も一切して無いのは杜撰大王ならではだが、録ったのの先頭部へ変な雑音信号みたいなのが勝手に追加される事があるのだ。

もし単独でしか扱わないのだったら大した問題にもならないが、多重は詳細には「同期」録音なのだから見過ごしてたりしたら一大事の元なのだ。
PCでは独立録音機より大抵は波形画像が常時監視可能ではあるが、これのレベルがとても小さい上時間も短いのでデフォルト倍率のままでは描画されない。

なので認知後半年間程は構造的理解が出来て無くズレ確認様に、わざわざ単発のClick音を先頭部へコピペしとく技!?を編み出した位だ。
現況では上記波形倍率案件もあり入れといた方が便利なのでそのまま続行となってるが、この手の不安や手間は無いに越した事ぁ無い。

欠点皆無じゃ無いのは惜しいがそれでも残りトラック数の心配が無いとか、曲途中の一定部分だけを録ったり出来るのはPCベースのお陰と感じられる。
この類の物はソフトに限らず実機でも使われ方が千差万別なので何かと不明点の解明に苦労させられるが、その中ではAudacityやCubaseなんかは普及率の高さからも情報が入手し易いのは有難い。

只後者はバンドルの以外は有料だし、古いOS対応のは入手不可となってしまったみたい。
依って中流以上の人達間ではどうか知らんが、貧民にとっちゃAudacityは一択気味だし救いの神かも知れない。

<つづく>

2019年12月 1日 (日)

音楽備忘録116 私的Audacityの使い方、の前にhd24connectの話し

従前はUSBインターフェイス不所持(今も)だったので、録音は全てadat HD24だった。
それが従兄と再び三度四???一緒に演る様になって、PCでは初めてマトモに録る事となってAudacityを少しは真面目に使う事になった顛末だ。

大元はと言や手持ちのオーディオ再生機が経年で段々寿命が来て、更新時期を迎えたのから始まった。
長年普段使いのメディアはカセットテープだったが、Metalテープの製造・販売中止で変更を余儀なくされた。
当初はCD-Rへ焼いて保存したりしていて、しかしメディアが永遠に溜まり続ける欠点があった。

その頃宅でも遅ればせながらPCの導入となったが、CDを焼くのに大抵は結局PC使う羽目となっていた。
そこでどうせ何でもPC経由になるんなら人様の大切なDataは書き出しとくにしても、普段聴きの音楽はPCに入れっ放しでも同じじゃんかと気付いた。

そこで只のパソコンをオーディオ機器化すべく、中古でサウンドカードを漁って各機へ搭載する事となった。
その時点では録音に使う予定は皆無だったがこっちは商売が商売なので、万一に備えそう云う用途にも使えるのを選択しといた。
尤もPC用サウンドカードで高性能なのの主流はもう5.1chとか7.1chので、俺の用途には無駄な上機能の為に基本的な音質がその分犠牲にされてるのも気に入らなかった方が主因だった。

一方当時既に自宅でささやかな録音Studio業務もやっていたが、そっちではS-VHSテープ記録の初代adatで賄っていた。
そんなんで従前はずっと録音機器とオーディオは別となっていて、録音関係でPCを使い出したのはCD用マスタリングと盤焼き器(CD-R)として程度であった。

adatは最初期型時点からPCインターフェイスは出ていたが、本家のは高価な割に低性能(若しくは低機能)な上当時の宅では不要だったから見向きもせずに居た。
その後VHS adatはテープトランスポート部のヘタリで仕事に使うには厳しくなったが、お客さんの録り掛けのData保持と移動が先ず問題となってしまった。

今後も配慮すると録音機はどうするにしろDataは兎角PCへ持込んどくのが最適とは思ったが、後から登場した使えるインターフェイスは業務用の中古でもバカ高いのしか見当たらない。
また例え思い切った処でそんな高級なヤツはPCの性能も遠慮無く要求して来るが、宅にそんなPCなんてありゃせんからサァ困った。

結局は苦慮の末マルチ録音機も必要なので中古のadat HD24を見付け出して、地道にDataコピーを何とか終えたのだった。
その時点で中古adatはテープ式の方が玉は豊富だったしまだS-VHSテープの供給も続いてたが、トランスポートのヘタリを心配するのにはもう疲れたのだ。

因みにテープadat時代は録るのと2ch Mixdown終了迄は全てadat上で済ませ、CD焼きとそれ用マスタリングはPCでとなっていた。
宅では多重録音はテープからだった関係等で独立機Effectorがずっとあったのもあって、音色の都合で音声信号伝達にアナログが介在するのは容認していた。

それでも特に気になる様な劣化も無かったのとサウンドカード搭載済みだったのもあって、adat→PC伝送は長い間アナログのままだった。
劣化が気にならんっても雑音混入の危惧は払拭仕切れん状態で、しかしアナログオンリー時代にその対応が身に付いてたからかずっと「そんなもん」で過ぎていた。

その後は幸いHD24はまだ健全ではあるが、年代物には違いないからやはりおっかない。
自分達の分だけなら最悪時も録り直せるが、お金を頂いてるお客様の分はそうは行かない。
そこで散々調べた挙句一筋の光明を見出したのが、未完成のまま放置されてたが「使える」フリーソフトだった。

それが「hd24connect」ってのでどんなのかってば、adatフォーマットのHDDをPCへUSBで外付けしたのを読み書き可能とする代物だ。(これ無しでは規格違いでPCがDataを認識しない
)
HD24をPCオーディオインターフェイスとして使える様にまでは至らなかったが、そもそも最近になって悪戦苦闘しても無料のPC用マルチ録音ソフトはたった1つしか見つからなかったから大した影響も無いやい…。

しかし結果的にはテープadatのDataも取込み時間節約にはならないが、保存されてるデジタルのまんまをPCへ持ってける様にもなった。
漸く最低限が確保出来た程度ではあるが、取敢えずどの機器の状態が怪しくなっても他へ振れる様にはなった。

因みにⅡでadatフォーマットの光通信入力が備わったサウンドカード等もあったが、庶民が手を出せる価格帯のはみな2ch Stereo迄しか扱えなかった。(原典の規格は8chなんだが…)
現に宅にも1つだけ使用中のREM DIGI96/8 PADってのがそんなんで、Mix済みの一部のにしかこの経路を使っていない。

因みにⅢでPCと外部機器のData伝送にはPC内にそれ用ソフトが要る場合が多く、インターフェイスとソフトの両方が揃うのが前提条件だ。
嘆かわしくも現在迄OS開発サイドはソフトと実用面への配慮が全然不足で、今後この様な場合にはインターフェイスより先にソフトを探してからと肝に命じた今日この頃で御座候。

<つづく>

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