« 音楽備忘録86 BassパートのフレージングⅠ | トップページ | 音楽備忘録88 BassパートのフレージングⅢ »

2019年11月 2日 (土)

音楽備忘録87 BassパートのフレージングⅡ

一般印象ではBassistってBand内で一番地味っぽいが、少なくとも演る側がそう思ってたならとんでもない勘違いだ。
もしこれに異論があるならかかって来いや相手になってやるぅ…じゃ無くって、きっと大損してまっせ。

音楽を一定以上に正しく理解出来てたらそんな勘違いはしないと思うが、先ずは「音楽自体には余計なエゴ」は
排除して考慮されたい。
ではエゴ以外にも勘違いに繋がりそうな例を挙げてくが、その1はリードパートの人が作編曲者の場合だ。

Rock系ではBassistが歌わない・歌えない人の場合に特に良くあるパターンだが、その場合少なくとも素人聴者には正規メンバーでも「バックの人」同然に見えても仕方の無い処だ。
Van Halen等特殊奏法のせい等もあってかなりワンマンっぽく映るが、親分がそんなに万能なら何故わざわざBassistを正規メンバーとして揃えてるのかが変になる。

私的にはMichael Anthonyには興味が持てず、その後息子になってからはもっと聴かなくなったが…。
は兎も角として誰にでも必ず存在意義が認められる程の人選とは思えず、しかしそれは外野の意見だ。
Eddie氏がBand形態にどの程度の拘りがあるのか知らんけど、取敢えず演る側として正規メンバーの方が良い理由があるらしいのは確かだ。

現にStonesはBill Wyman脱退以降にBassistを正規メンバーとして居らず、俺に至ってはそれ以降前よりつまらなくなったからファンから離脱した…のはどうでもよかった!?。😓
かも知れんのにそんな付加えをしたのはStonesアンサンブルの個性の核がBassフレーズとしか思えないからで、それより象徴的に目立つ他の個性はグループでは無く個人所有のと見えたからだ。

脱線係数の高い俺だからついでを少し続けさせて貰うが、彼等の作曲者クレジットには個人的にはかなりの疑惑を持っている。
例えばMiss YouからBassフレーズを省いて曲として成立するのか等で、歌メロとコード進行だけでは足りなさ過ぎる気がする。

そうで無くともグループとしてのアンサンブルへ着目すると、Jumpin’ Jack Flashは実はKiethがBassを弾いてるがその方向性は何時ものWyman氏に近く思われる。
一般的にこの曲みたいなリフは全員ユニゾンにする場合が多く、本家もLiveではそう云うバージョンも多々あった。

だが私的ではあるが原盤では敢えてBassがリフに付合ってないのがとても印象的で、その結果どのコードの上に乗ってるリフなのかが分かり易くなってる。
これはリフがドライバーでコード(Bass)が乗ってる車とすれば、顔を見て「うわっF1チャンピオンだ」となれば競う意欲は萎えるだろう。
でもこっちが軽自動車でも良く見てみてチャンプが三輪車にでも乗ってたら、俄然勝つ気が湧くかも知れんでしょ。

音楽を分解して個別評価するなら別だけど、普通は全体が聴こえてそれでどうのこうのって思う訳だからさ。
だから今既に皆が知ってからだとあまり気にならんかも知れんけど、出した当初にありきたりなユニゾンにしててあれだけ流行ったかは分かんないっすョ。

Stones様には無礼千万っぽいが純粋にリフの良さっつうと、俺としてはCreamのSunshine of Your Loveの方が大分上の様な気がするある。
これは好み尺度じゃ無くて何せ楽器はおろか歌までユニゾンで、それでいて3~4分間取敢えず退屈する人が殆ど出ないみたいなんだから。

等と言いつつ私的には両方同じ位好きだし評価してるのは、聴いたトータルでの良し悪しで楽しめるかどうかが決まって来るからだ。
段々調子が出て来たから(只の暴走!?)Creamの方のもも少し言及しとくと、実は一番凄いのは多分ドラムだ。

最初に聴いた時は録音のチープさもあって、人食い人種かなんかが演ってるのかもと思った位だ。
太鼓のリズムパターンもだがノリが何とも奇妙な独特さで、まさか英国人だけで演ってるなんてってね。

この辺でイイ加減で戻るけど、単なるワンマン暴君かどうかの見極めは部外者には一寸分かり難い。
だが暴君であれば余程弱みでも握られて無い限り、幾らもしない内にメンバーの流動が起こりそうだ。
そして音楽が主であるならば音楽的に為にならん状態を続ける筈も無く、それがグループのメンバーで「音を出す人」なら必然性があったって事だ。

又かなり時間経過してからの様子を見ないと分からなかったりするが、Stonesのスタイルを創出したのはWyman氏はおろか今は亡きBrian Jonesその人だ。
曲としての出来栄えとヒット度は彼が居なくなってからの方が良いかもだが、独自性がどんどん増えてそれをフルに発揮出来てたのは彼が健康な内だったと思う。

音楽で先ず重要なのは曲の良さと思ってるが、だからって一番売れた曲しか聴かない人は居ないってか無理な相談だ。
なので少し変な発想かもだが最悪でどの程度を維持出来てるかってのが、現実的だし次を聴いて貰えるかに繋がってる気がするのだ。

加えて聴き手のスキルに左右されないとなると、演奏技術の凄さは通用しない場合があるから本案件ではパス1。
つまり大した事無い曲・大した事無い演奏力でそれでも何とか出来るとすれば、編曲や音色面しか残っていない。
そんなテク不要でアイデア勝負が可能だとしたら、Bassパートのフレージングが一番改善の余地があるのではないだろうか!?。

<つづく>

« 音楽備忘録86 BassパートのフレージングⅠ | トップページ | 音楽備忘録88 BassパートのフレージングⅢ »

音楽」カテゴリの記事

ドラム」カテゴリの記事

ギター」カテゴリの記事

ベース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 音楽備忘録86 BassパートのフレージングⅠ | トップページ | 音楽備忘録88 BassパートのフレージングⅢ »

フォト
2023年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ