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2019年11月

2019年11月30日 (土)

音楽備忘録115 Guitarist「等」の指事情

前回到達出来なかったBassの場合から続けるが1指複数弦押えは、概述の如くBassではあまり要らんし不適切な場合も多い。
それなら不要かってば邪道だがそうとも限らず、別の使い道があるとも言えなく無い。

Bassの場合Guitarより遠いから頻繁に動くのも大変だが、殆ど動かないのも別面でかなり大変だ。
太くて硬くて弦高もGuitarより高いから、押えっ放しはかなり草臥れるもんなのだ。
そんな時に違う指に変えたりもするが、物理的法則に従えば指が長い程負荷が大きいのも確かだ。

Bassでスケールを奏でるには指長さは必需品なのに、それが時に仇となる訳だ。
奏者意識がどんなに指先に集中してても、実際指は「付け根」から動かさなくてはならない。
そこでもし擬似的に指を短く出来たら楽なんじゃって事で、敢えて押える場所が指先を放棄させればって魂胆だ。

等とほざきつつ実際は演ってる内に勝手にそうなってただけで、これぞ杜撰大王の面目躍如ってか???。
しかしこんな与太話し以外でも、弦楽器の押えでは必ず指先が垂直に立ってるばかりが理想じゃないのも確かだ。
単音を鳴らす方だけを考えたら立ってる程色々良いけれど、少しでもクリアな音を出すには不要弦のミュートも大切だからだ。

しかし弾いてる最中は右手はミュートより弾く方が優先で、爪の切り忘れ等だけが指先寝かせ気味の理由では無いのだ。
Guitarでは弦間隔が狭いから大抵は寝かせるだけで止められるが、Bassの高いフレットの方へ行くと場合に依ってはそれだけでは両隣弦に触れられない場合も出て来る。

なのでGuitar比ではオマケみたいなもんだが、弾く方じゃ無くミュートの為に第1関節逆反りは出来た方が良さげと感じている。
では逆反りさせられなきゃ全く向かないかってば、前回最後に記した通りそれなりの期間挑戦し乍ら様子を見てみないと判決を下すには早過ぎる。

もし不幸にも何十年も毎日必至でトライして駄目ってんならご愁傷様としか言えぬが、それは飽く迄Guitar系に対してのみの話しで別面では明るい未来が見えたとも言えるのだ。
例えばPianoに対しては反らない方が有利で、音の粒立ちを安定させ易い可能性が高いのだ。

打鍵の安定には指の各関節が一直線より内側へ丸まってるのが望ましく、腕や手の重さ伝達が安定する。
もし第1関節が逆反り出来てしまうとそれが「不要なバネ」となってしまい、力や重さの伝達が打鍵の瞬間から遅れてしまう可能性が出て来る。

これを避けるには関節の柔軟性がどうあれ、指先は鍵盤に対して立ってる程良い。
のだが、打鍵する鍵盤の間隔が遠い場合充分に立て難い場合が生じるのだ。
手が大きい程これは起き難くなるが大ききゃ良いかってばその限りに非ずで、今度は狭い範囲を打鍵する際指同士が干渉し易くなる。

現に何処ぞの音大生の凸凹コンビの姉さん達が夫々の苦手のボヤいてたが、おチビさんはLisztが届かない・ノッポさんの方はChopinだとこんがらがったり突っかえると耳にした。
指先の大きさ(太さ)にしてもPiano鍵盤だとエレキの弦間隔よりは広いし、万一触れてもカスっただけで直ちに音が出るもんでもない。

これがGuitarだと触れたら最後即ミュート状態となる訳で、しかるに大抵はPianoとGuitarのどちらかに「向いてる」って寸法に出来ているのだ。
各自の好みと適正が不一致なのも多々だろうが真に適正が問題となるのは、最低限の労力で弾ける様になりたいとか世界一を取りたいとか位だ。

現実には適性がホントに問題になる様なレベルへ到達出来るのは稀で、適正を理由に愚痴るなら平均的な音大生のせめて10倍位練習してからの方が恥を搔かずに済むと考えている。
上述の如く同じ楽器でも条件が反転する場合も多々であるし、どっちも出来る位ならその代りどっちへも指形が最適では無い証しでもあるのだ。

唯一大切なのは指以外も含めて「実情の正しい自覚」で、外出前に天気予報を見て傘を持参したりするのと同じ事ね。
それ故今回案件みたいなのはどうも思ったより上手く行かないなんて時に、そうかそうだったのかと活用されるのが宜しかろう。

処で上で「10倍位練習」って言ったのは最悪時の場合で、最良時の場合はやってみたら出来たなんてのも普通にアリだ。
何がどれ位で出来る様になるかは実に千差万別で、現実的にはそんなに練習しなきゃなんない事は滅多に無いだろう。

只「何時」かが出来てみてからじゃないと分からないので、かなり大袈裟な覚悟をしといた方が惜しい処で止めちゃったなんてのを避けられるのだ。
クドくて済まんがこの「惜しい処」すら、出来てからじゃないと分からないので…。😓

<つづく>

2019年11月29日 (金)

音楽備忘録114 Guitaristの指事情

指事情だなんてへんな題だが体格の都合で弾けっこ無いと思い過ぎると困るので、近回の親指押えから他の指迄広げてみただけの事だ。
ベテランの癖に他人に無頓着な方なんで実情はよく分かんないけど、指のサイズや関節の可動域が演奏に影響するのだけは分かってるつもりだ。

そこで先ずはどんな影響があるのかから考察してくが、最初は身体的適正度についてから。
Pianoでも大男のFranz Liszt自作曲では自分が弾けるからって、小柄な人とか女性では指が届きそうにないのもある多い。
Guitar系でもご同様ではあるが、本来そう云う類のは例外曲なのだ。

それでもどうしてもやってみたいとなれば越え難い壁には違いないが、前回迄述の通り大きければ何でもOKってもんでも無いのが忘れられがちだ。
本邦では稀だろうが多分概述のStanley Clarkeみたいに指先が大き過ぎて、Guitarじゃ弦1本だけを押えられない事だってある。

しかし例えば鍵盤系と弦系のどっち向きかの体験からの私的分析結果では、指は長さより太さ・それ以上に第一関節の可動域が鍵盤系かGuitar系かに問題と出ている。
これは鍵盤系では両手10本の指が使えるから稀そうだが、Guitar系の一般的なのでは4本しか無いのに依っている。

故に1指で2本以上押えられるかどうかでかなり様相が変化し、伴奏でもSoloでもこれ次第で前後に鳴らせる音が相当異なって来るのだ。
コード弾きの場合は次への移動の楽さ以上に、テンションノートの追加や同時にプチフレーズを鳴らす範囲が広がる。

又Solo部の場合で一番考えられるのは「ハモらせる都合」で1指2押えが無理な場合もあるが、却ってそんな時こそ出来る分は使えると状況に大きな変化が訪れるのだ。
俺知りで最初にこれを積極的に活用した印象があるのがChuck Berryで、可能な処は1指2押えをしなきゃあんなスタイルは不可能だ。

それでは人に依っちゃ悲報ともなり兼ねんが、先ずは肉体的適正を拙図を交え説明させて頂こう。
少し前に披露したのは平面方向のだったが今回は断面方向ので、フレットの端が尖ってたり指板がフラット貼り・指の描写…は諸事情でクレーム非対応で願います。😓
誰でも先ずは指の長さ等を気にするだろうけど、ここで考察して欲しいのは指内側の形状と第1関節の可動域だ。

Photo_20191121005701
取敢えずも少し図説しとくと左が6弦・右が1弦側で、飽く迄概念とお考え頂きたい。
では各番の内容へ進むが①は指内側の関節裏と指の腹の高低差が大きいケースで、図の状態では2弦と5弦がフレットから浮いてしまっている。

現実には極力そうならん様に手加減するのは言う迄も無いが、体形ならぬ指形で負担や自由度に差がかなり生じるのは確かだ。
他の指が何処をどう押えるか次第で、人差し指が最適位置へ置き辛くなるのも考えられる。

②と③は1指で欲張って一気に3本押えた状況で②では1弦も鳴らせるが、③では指と弦は触れてるが弦がフレットから浮いてるので鳴らせない。
これがミュートしたいならごケッコーだが、第1関節が逆反りさせられないせいならチト深刻だ。

私的には1指3押えは極普通のコードでも頻用してるが、そうなった原因は細目ネックのローポジションで全部別の指で押えた時の弱点を嫌ったのに依る。
俺の指先はちっとも太く無いが、それでも3つ隣り合わせに並ぶと狭苦しいには違いない。
その場合普通は弦の前後方向へ各指を順に少しズラして回避させるんだが、フレットから一番遠くなった弦がビビリ易くなる。

それを気にして無理に並べると今度は3本の両端を押える指先位置がベストを外れたり、更にその両隣の押えて無い弦に誤って触れたりの危惧が出て来る。
俺らしい邪論でだとうっかり爪を切り損ねてた場合、伸びた爪が指板につかえて指の角度が制限されて…なんてのも。

因みに①はこの呼称流儀だと1指6押えとなるが、本拙図以外に1指4押えや1指5押えも当然存在する。
但し俺知りではこの手の押え方で1弦だけミュートのケースは少なく、従って1指4押えや1指5押えをする時は殆どは指位置を1弦側へズラすだけだ。

③の状態から少し第1関節を意図的に曲げてやれば、押えた1弦の音を鳴らせるのでこれは簡単だ。
だが第1関節が硬かったりすると②の状態が作れず、前述「普通のコード」への応用も無理となってしまう。
昭和的暴論なら根性で克服・平成的無関心論なら止めちまえとでもなるのかだが、成長期終了前から挑戦したりそれ以外の方でも長く続けてればある程度は柔軟性は上げられるもんだ。

<つづく>

2019年11月28日 (木)

音楽備忘録113 コード(和音)⑤

さてさてお題がコードなのに暫く「親指押え」で押してるのは変だが、これは筆者が常用する様になった理由が由来だからだ。
個人的にはGuitarでもなるべく鍵盤みたいに色んなコードを使いたかったからだが、実はこうなったのはかなり最近になってからだったのだ。

親指押えの存在を知ったのはGuitarを始めて割とすぐだっが、前回のネック適正太さを知らなかったの等もあってずっとほっぱらかしていた。
身近な使用事例としてもChar氏辺りのがずっとあったし、好みの他Band構成事情でトリオ
も多かったから縁遠くは無かった。

だが当面は親指を使わなくても賄えてしまったのもあってそれが今更どうしてってば、鍵盤で作ったのをGuitarだけでももう少し再現出来る様にしたくなったからだ。
齢を取るにつれ「今更そんなガキんちょみたいなコードばっかでやってられっか」みたいな気持ちも出て来たし、自分なりに親指抜きで出来るのをやり尽した感も出て来たのだ。

例に依って屁理屈との境界線みたいな発想ではあるが、常に恐ろしく素晴らしいメロディを作れるならコードは2の次でも良いかも知れない。
もし本人自覚が無くても様々な素敵な進行パターンのも、メロ先行で思い付ける可能性がある。

しかし俺には本人分析依ればメロよりリズムや和声のセンスが与えられてるらしく、より良いメロを求めるにしてもアプローチに工夫が要ると感じられたのだ。
いにしえの3大将軍のホトトギスを鳴かせるヤツ宜しく、鳴かせるにも夫々により適した手法がありそうだって寸法だ。

現実には道半ばなので効果の程は不明だが、平民にとって環境からのムードの影響はあってしかるべし。
オサレなコードにつられて今迄は出っこ無かった様なメロが浮かべば、なんて淡い期待ですかね。
メロの行方はまだとして本人的に既に効果が出てるのがあって、それはコード進行の柔軟性であった。

コード選択時に親指押えレスではやり難かったのとそうでないのを迷ってた場合なんかで、従前はもしかしたら最適解じゃ無くても弾いてる内に楽な方へ行ってしまったりしてたからねぇ。
それが本格的に取り入れて暫く経ったら上記のみならず、色んな場面で以前より掛かって来いや意識が何だか何時の間にか上がってんねん。

これって多分無自覚だったけど従前は弾く都合で、望まざる不文律みたいなのが勝手に内部で育っちゃってた様な気がするんですわ。
先ずは肉体的に関係があるんだろうけど、それよりも考えたり探したりする時点で随分変化が感じられた。
コードを押える程度なら大昔から鍵盤でも平気だった筆者ですらこんななんだから、弾けるのがGuitar系だけの人だったら本チャン打込みでも必ず影響するのが予想される。

この辺りで更にコード選択自体の大枠へ触れておくが、ジャンル等の都合もあって一般的なコードしか使わない予定の人は必聴だ。
もしド素人様弾き語り専用曲でも作るならそれで正解だが、素人だって聴ける分にはそれが簡単なコードである必要は無いのだ。

近年一般認識で小難し目なオサレコードってばJazz系の特権みたいな感じっぽいが、幾ら自由なのが売りなJazzでもそれらしく聴こえる頻要コードは結構限定されている。
売れた曲でホントに変態コードが平然と使われてるのは寧ろPOPSやRock系の方で、恐らく1曲中で使われた割合や種類が少ないせいで見過ごされてると感じている。

メロから作曲するのが得意な者はそこへ含まれてれば変態コードは不要っぽいが、メロとコードの最適化には一般コードのみでは不足する場合がある。
リフから作るのが得意な者だって同様で、特に歌は別の担当者がメロを作る場合コードに不足があれば苦労させるし最適解が遠のいてしまう。

最後にノーマルコード過尊守し過ぎるとどうなるかの体験例を挙げとくが、早逝したかつての相棒の初期作品にそれは顕著だった。
才能溢れる彼は中学時代には既にPiano Vocalで自作曲を量産してたが、作品が進むにつれコード変更の頻度が随分と高くなっていたのだ。

後に躊躇無く変態コードも手掛ける様になるとそれは解消したが、限られた手駒(コード)で背景に変化を与えようとすると起きがちな現象だ。
近年ではパワーコード全盛のお陰かあまり耳にしなくなったが、彼以外にも当時は音楽的に低スキルなFolk屋さんにはプロアマ問わず良く見られた現象だった。

幾ら簡単なコードでも不要にチェンジが多けりゃ弾くのが大変だし、他パートのフレージングにも強く制限が掛ると百害あって一利無しだ。
必然性があれば頻繁に動いたって構わんけど、知識不足のせいでそうなっては恐らく原形イメージの再現にも支障してた事だろう

<つづく>

2019年11月27日 (水)

音楽備忘録112 コード(和音)④

どんな楽器でも体格の影響は受けるのの方が多いが近年より希少化した感の強い、俺言い「狭くて広い!?」Guitar系の親指押え等は尚更微妙な存在となってそうだ。
だが何時までも外人より小柄だからとか非力だからとか、或は近年本邦では甚だしい「日本ではこれで良いんだ」等勘違いした迷信に囚われる前に良く考えてみまひょ。

現在世界的にポピュラーな楽器の「規格」の多くは西欧白人が考案した物で、その点では人種が違えば非最適な可能性があるのは否定出来ぬだろう。
只俺の周辺でかつて多く見られたのは、「小さいからの不利」からだけしか考察して無かったのに異議ありなのだ。

運良くジャストフィットじゃ無い限り大小のどっちへズレたって、場所は夫々違っても何らかの苦労を強いられるのは同じ筈なのよ。
最近は我国でも手足の割が大きい人が増えた様なので問題視されなくなって来てるかもだが、平均的日本人からしたら西欧白人は楽器に対して何時もかなり窮屈に感じてそうと考えられる。

それからすれば本邦奏者の多くは体格を嘆く以前に、使用楽器の選択を誤ってる奴が多い可能性が高いのだ。
弦楽器の場合は弦長が音色に影響大なので体格だけを気にしてらんないのは分かるけど、もしマトモに弾けなかったらそんなのそれ以前の問題だ。

これの解消にとかつて3/4とかミディアムスケールのBassとかが一時流行ったが、俺的にはこれは少し行き過ぎだったと感じられた。
使用弦が汎用じゃなくなって割高なのが俺なんかにぁ致命的だが、子供用だとしても将来を考慮すれば微妙な部分があったからだ。

各楽器の特質の中には大きさも含まれてるからで、折角幼少から長く経験を積んでもそれが偽物では勿体無い。
もし成長がとても遅い子だったりしたら1/1へスイッチする時期が遅くなり、10数年やって来てるのにその割に正規のサイズに慣れる期間がとっても短くなってしまうのだ。

そこで改めて人体を観察すると身長差が2倍でも殆どの場合、例えば頭の大きさはそれよりかなり差が少ないのに気付くだろう。
依ってネックや指板のサイズは3/4迄縮小したら上記には合っておらず、それが要るとしたらボディサイズでは無いだろうか。

ネック側でもっと配慮すべきは「握りの太さ」で、手の甲は指の様に開き具合で指先の間隔を変える様な真似が一切出来ないんだからね。
スケール(弦長)はアブノーマルに指を開くのだと影響は出るが、通常片手で押えるのはせいぜい4~5フレット分程度だ。

Bassの場合だとリーチとの兼合いも気になるが、余程の幼子が持つ場合以外はボディとネックの位置関係の方が問題なのだ。
つまりネックが突出したデザインだとその分遠くなってる訳で、手以外の体格に一番影響するのはデザインも含めたボディの状況って事になる。

各自夫々の拘りもあるだろうから無理強いする気は毛頭無いが、本案件が適合範囲に収められてたら「親指押え」は慣れ以外ではちっとも大変なんかじゃ無いですねん。
それとは別に握力に自信が無いからコードフォームはあんまりってアナタ、それすらもネックをほんの一寸細くするだけで激変の可能性大なんですぜ。

力に余裕が無くばこそ、指の一寸した角度差の影響が拡大してると思われるんです。
体に対する楽器の高さが問題だったらストラップの調整で対処可能だけど、ネックの太さは簡単には変えられへんで。
奇特な人だとサンドペーパーで徐々に削ってみるかなんて滅多に居やしないだろうが、後から削ったら強度が足りなくなったりするのがオチでやんす。

これは作る時点で太さに応じた材量選択がされてるので、その面でも「最初から細目」ってな大きな意味が御座居ます。
奏者技量としては道具を選ばないのが理想だが、さりとて出来る筈のを放棄してまで合わない楽器に拘っても損だとしか思えないんだが如何に。

因みに前回披露した図のは一例でしか無く、現状打破を狙ってたりしたら親指押えは半ば必需品だ。
何せGuitarは普通は弦は6本あるのに、全部使っても片手の指はまだ1本足りない位なんだからさ。
因みにⅡでBassでは使える場面がかなり減るが、それでも疲労対策位には使えんのよ。(確信犯談!?)

<つづく>

2019年11月26日 (火)

音楽備忘録111 コード(和音)③

大前提としては非単音楽器は全部含めた話しのつもりだが、音の配列等の都合で何だかGuitar系だけ色んなのを鳴らすのが大変な感じだ。
そこで前回迄に述べて来たのの俺流の一部を、久々で視覚的に例示するとしよう。

その前にこの際だからある意味情報公開の基準みたいなのに触れておくが、本邦のケチでセコイ商売人は極基本的なの以外の公開を嫌ってる様だ。
実際新幹線関係の独自のハイテクを詳細図面でさらけたのは愚の骨頂でしか無いが、それですら深く考察すると簡単に非難に値するかは微妙な処だ。

どうすれば良いかさえ分かりゃこっちのもんとなるのは、相手が最後のひと押し寸前迄のレベルに到達出来てたらの話しなのだ。
知識だけと実行が確実に遂行出来るのとは全く別物で、部品や加工精度が担保されて無ければ絵に描いた餅止まりで終ってしまうのよ。
現実には新幹線輸出の件ではどうやら失敗に終った様だが、バラした会社は作れない部品の受注で稼ぐ腹があったのやも知れない。

そして音楽の奏法については電車のそれとは大分異質で、それは人前で演奏して見せるのが普通だからだ。
新幹線ではモータや床下の機器の内部だとか車体の外壁と内壁の間等、普通は見る事が出来ないでしょ。
それと機械にだと最適値は特定の定数ってのが大抵あるが、音楽の場合は常に臨機応変と頑張って数値化しても大して意味を為さないのが殆どだ。

なので大変失礼だがスキル不足の講師様にとっちゃ
どうでもいい様な技でも無知な受講生が気付かねば、「レッスンに来たら教えてあげる」なんてボロい商売をしたいのかもね。
だが実際に従兄からスティックワークの原理を懇々と教わっても、まだロクにマスター出来んのは単に俺が悪いってのかぃ?。

正直結構悪くもあるだろうが知れば出来るもんならBeatlesは良く知ってっから、とっくに俺もそんな風になれてるに違いないっての。
無論そんなの「あり得ん話し」以外の何物でも無いがこの方面では「知ってから」が実に大変で、寧ろ知ったせいで地獄が見えちゃう様なとんでもないシステムとなっとりゃーがな。

ってなこってスキル不足の講師様方ここでバラしたって心配ご無用、マトモな意味で貴方方の仕事が減りはしませんので。
重ね重ね失礼だがもし教えるスキルをお持ちなら、寧ろ変なオッサンのブログで見たコレどうやったら弾けんのって押寄せて来まんがな!?。

Photo_20191119053701
かなりお待たせしちゃったので、とっとと図説を始めるわん。
えー先ず5フレット前後の指板の状況については、テーパーが付いて無いのはリッケンのネックとでも思ってスルーしとくれ。

んなどうでもええのは放っといて左がナット側で、上が1弦・下が6弦を描画したつもり。
そして「色付き」の丸や細長いのが押えてる指若しくは指先で、肌色:人差し指・黄色:中指・黄緑:薬指・青:小指である。
少し巾広のピンクは何ってば「親指」で、これが使えるかどうか等は次回に詳説の予定。
取敢えずは使えた前提で、概念として理解を進めて頂きたい。

では順に行くが①は普通のAmで、バリエーションは他にもあるが参考例だ。
この手の押え方は人差し指が共通性が高いのは色んな面で便利だが、長く連続するとなると負担が大きいのが弱点だ。
その他にもネック位置が体に対して極端に低い場合は、手首の角度が無理ムリとなる等がある。

そこで逃げ道!?その1となるのが②で、人差し指は省いても問題は無い。
但しその際A以外のキーでは5弦が鳴るとマズイので、鳴って平気な様に押えとくかそれ以外の指で触れてミュートしとく必要がある。
これを更に進めたのがその2の③で、俺がChar氏が使ってると思い込んでるヤツだ。
③の場合もミュートは必須だが、1弦迄鳴らすかどうかは自由で大勢に影響は無い。

因みにオンコード発想利点の一端が②で体感し易いが、試しに人差し指では無く中指押えを無しにしてみとくんなはれ。
そうするとルートだけが変わる訳だが、たったそれだけでAmがCに豹変するのだ。
普通のオープンコード(開放弦常活用)でも近似例はあるけれど、キーが自由になるのはこっちだけだ。

そして親指が使えないと鳴らせそうに無いコードが④~⑥みたいなので、親指以外の指は他のでも一向に構わない。
Guitarで下段のみたいな響きを使いたい人がどの位居るかは分からんが、何れも鍵盤でだったら難しくも何とも無いものだ。

因みに実は④だけ一寸特殊で6弦の5フレットを押さえてAが鳴ってるが、他音との構成事情でキーとしてはFの何たらかんたらになっている。
④で注目して欲しいのは「
押えてるエリア」でフレットの上方を見ても下方を眺めても、低いFの出せる場所が遠い等で押えられそうに無い処だ。

<つづく>

2019年11月25日 (月)

音楽備忘録110 コード(和音)②

今回はコードの選択と自己開発について体験を基に語っちまうが、一般的に正規の学習法は理論的に学ぶのだろう。
もし他人にこれは何てコードと訊かれて答えるにはそれが一番だが、音楽や曲の中で気の向くままに使おうと思ったら理論は少々非力なのだ。

もしかなりのキャリアを積んで自分が使いたいコードが限定でもされてたなら別だが、それだってある日突然違うのが使いたくならん保証は無い。
ベテランプロの場合はお客さんが求めるイメージもあるからあまり突飛な事はし辛いが、イメージに沿っててまだ見つけて無いとか忘れてたなんてのが大抵は残ってるに違いない。

更に言えば同じコードでも鳴らす楽器に依って、どんなに僅かでも必ず違って聴こえるもんだ。
音色や音程毎の余韻の長さに依って例えば鳴った瞬間が一番和音感が豊富なのもあれば、アタック倍音が豊富で余韻部に入ってから和音感が初めて明確になる等様々だ。
それに加えて先に少し触れた「展開形」観点に立つとCコードでは、一端を例示するとドミソがミソドになってもソドミになってもコードとしては完全に同一だ。

だが人はそもそも音を唯聴くのに単音と和音の区別なんてして無いし、コード進行はおろかその展開形なんて全く意中に無いのが普通だ。
それでいて困った事にかなり僅かな部分でも差異があったら、違う音に聴こえたりしてしまうのだ。

因みに冒頭に記した「訊かれて答える」が望ましいのは、汎用!?ディレクタやプロデューサの場合か。
肩書に対して汎用だなんて失礼千万な表現しか思い浮かばんかったが、扱う奏者のジャンルや手法を選ばないと思っとくれ。
連発因みにだがアカデミックにキチンと学んだって事ぁ、当然読譜なんてお茶の子さいさいなの込みで。

ここでいったん中断してコードの「自己開発」等と大層なのをブチ上げた件だが、厳密に言えば是迄にほぼ開発し尽くされてるだろうからあり得ない話しだ。
なのに敢えてそんな文言としたのは特定の楽器で特定の展開形で、実際に音を出してから決定する様な意味合いを込めてみたつもりなのだ。

別観点では「プライベートなコード」と言っても良く、それ故その名が「ダルマさんが転んだ」でも構わない。
それどころか俺の場合は名無しの権兵衛のままのだって多数で、しかし展開形の他Guitarだったら使う弦も特定されている。

現場では訊かれた時に困らぬ為には何物であるかは知っといた方が良いけれど、最適なのを探す段階では無知な程自由だ。
本来ならコード選択するのに知識は役立つ筈だが、Guitar系みたいに押え方が鍵盤よりも厳しい制限が付きまとって来ると手枷足枷になる場合の方が多かったと感じている。

最終的に優先するのは音(響き)なんだが、何処かしらを押えん事にはそれが得られない。
その時極力楽若しくは簡単な押え方で得られる程実用性が上がるが、鳴らす音を先に決め過ぎてると見つけるのも押えるのも大変になっちまう。

これを手っ取り早くする一手段として「オンコード発想」があり、俺の場合は実際がどうかは知らんが達人達から読み取ったつもりでいる。
ここで例に依って例示へ行くが、その1は「オンコードの上のだけ」事例だ。

StonesのBrown SugerでのKieth Richardsが奏でるリフで、簡単に言えば人差し指で全弦押えるタイプのコードの一部だけ(通常3音)を抜き出した様なフォームだ。
俺知りではこのタイプの弾き方を意図的に演った開祖はJimi Hendrixだが、どちらもコードとメロを共存させるとかメロを和音で弾く為の方策だ。

ここ迄ならあまりコードじゃ無いとも言えるがまだ続きみたいなのがあり、それがChar氏が常用してるフォームだ。
それがその2となるがオンコードの上側はKieth氏やJimi氏と一緒のもあるが、下にルート音が追加されてる処が違う。

そして概述と思うがこれの決定的な特徴は4音鳴らすのに、たった指2本だけで賄っちまってるのもある処だ。
Char氏はこれを省略意識でしたのか追加意識でこしらえたのかは知らんが、後から他人が勝手に応用しようとするには追加意識の方が分り易そうだ。

尤も後者2人はトリオ編成だったのでコードとメロの自由な行き来の方が主目的だったかもだが、普通の押え方では追加不可なテンションノートの追加可能性が上がるのも事実だ。
Earl Klugh等Jazz・フュージョン系の人が発想は何処からかは別として、実際に近似な方法でオサレな響きだが小難しいコードをそれでかなりシンプルに実現している。

<つづく>

2019年11月24日 (日)

音楽備忘録109 コード(和音)①

毎度のパターンか細かい方から大きい方へと、非常識な話しの流れになってしまった。
だが敢えて声を大にしときたいのは単にヘソ曲がりだからとかじゃ無く、実際に音楽を演る都合に従った結果な点にはご留意願えると幸いだ。

人次第ではあるが複数音を鳴らせる楽器で最短で曲を弾ける様にするには、メロディよりもコード弾きの方が近道かと思う。
コードの方が一度に扱う音数が多いけれど、それを実行する為のフォームは少なく済むからだ。
メロはパクリの以外曲毎に全部違うが、コードの方なら共通に使えるからね。

んな事言ったって歌物じゃないのだったらメロはどうすんだって方、理想とは正反対の最低レベルになるとしても下手クソでも鼻歌にすれば一応メロと伴奏の両方を鳴らせます。
興味の対象次第でメロ弾きから取り組まれても楽器演奏の点では何ら問題は無いですが、声は和音が出せんので曲としての音の感じを出すのにはそれでは不可能ね。

メロだけを作る作曲があったってOKだけど、それに付けるコードを編曲の範疇と誤認してる様ならお気を付けあそばせ。
私感ではあるが曲はメロとコードの組合せと思っていて、何時も組合せの影響の方が各々単体より大きいと聴こえてるからなんで御座居ます。

つまり組合せ次第でイメージが大巾に変化するので、メロ作者のイメージとは他人には全く別物にしか聴こえなくなる場合があるからなんざんす。
その象徴的事例としては短調の曲でメロには短3度が含まれて無い箇所で、もしコードで短3度を鳴らさなけりゃ人に依っては長調にしか聴こえなくなったり等がある。

又和音の響きには人は夫々に好みがあると思うが、イメージを尊守するにはメロ作者が細部迄指定するのが望ましい。だが時にはそれが難解なコードとなる場合もあるのでどうするかってば、基本的には本人が納得出来る迄探し続けるしか無いだろう。

ここを要領良くこなせないと埒が明かなくなったりするが、もしそのせいで稀代のメロを作る才能があっても挫折したりしたらとてつも無く勿体無い事だ。
なのでコードは興味や立場がどうであれ一定以上は絶対に無視してはならないと考えているが、それだからこそ頭も手も極力単純化出来るのが宜しいと思うのだ。

その1つが前回記したオンコードで、特に考え方にこれは大影響があるのだ。
体験的にそれが顕著となるのは同時発音数の多い鍵盤や、GuitarとBassが1人づつと云った状況だ。
作曲者からの基本コード指定があった場合鍵盤の左手やBassは(ルート音)は取敢えず存置しといて、鍵盤右手和音若しくはGuitarの和音だけを色々変えるだけで全てが試せてしまうのだ。
Guitarでもルートに開放弦が利用出来るのだったら、たった独りでも可能になる。

もし極端に耳が悪きゃ(非聴力)音楽的に不成立な組合せを誤選択しちまう可能性もあるが、分かってる誰かに聴かせてダメ出しして貰って直せば済む。
これは最低限の演奏力と知識だけでコードを模索出来るのがミソなんだが、更に別の意義も内包されててそれもとても重要と考えている。

それは1つにイメージを潜在意識や既成概念から隔離出来るのと、もう1つは手持ち資料(例えばコードブック)に所望の響きが載って無くてもまだ探し続けられる処だ。
又ウチの従兄みたいに基本コードだけ先に決めといて後からテンションノートを加算する場合、不要な音を削るのが2度手間になる上削りそびれるケースも起こり易い。

理論的には和音の構成は足し算でも引き算でも確実な吟味を経れば同じなんだが、どしても要るから足したのと邪魔にならないから削らなかったではその音を鳴らす意義とか説得力に後で差が出る様に感じられてならない。
何時もイメージに必須じゃない音は不純物と思えれば良いが、その時点では殆ど差を感じなくても純度を下げる要素になる可能性は残ったままだから。
あとこの部分については打込みでも一緒だからね。

作る段階では特にそれが個人内ならコードネームなんてお呼びじゃ無く、真っ先に必要なのはあの音とこの音とその音なんてのなのだ。
知識の方が先行しても平気な場合ってば、○○って曲のあの部分で鳴ってたヤツが自分のイメージに偶然ピッタリなんての限定だ。

<つづく>

2019年11月23日 (土)

音楽備忘録108 オンコード

かなり前に顔を覗かせたのに続き前回最後の発想が、正にオンコードってヤツなのでその辺を。
これには別名があって「分数コード」(忘れてた)の方が国内では分かり易いかもで、その他にも「スラッシュコード 」(知らんかった)ってのもあるそうだ。

と相変わらず怪しげーの頼りなさげーに始まったが、少なくとも実践的な内容には経験値も自信も有り余ってるので大間違いの心配は無い予定。😓
さて俺がオンコードって呼称に拘ってるのはBassistなのも一因かもだが、使う考える上でその方が相応しいと感じたからだ。

詳細は今はGoogle先生等へ任せられるので最低限の説明をしとくと、ルート(基音)とそれへ乗せる音を分けて示す示せるって事だ。
これならコードネームのルールにある「面倒な部分」を回避するにもうってつけで、更に同時発音数が限られた楽器を多く用いる場合にも適している。

因みに俺的「面倒な部分」とはテンションノート等の表記基準が一般呼称では一律じゃ無い処で、±と数字のは未だしもやれsusだのdimだのとなると事前に知ってないと即応不可なヤツだ。
予習しときゃ良いってばそれ迄だけど、Guitarではそれと一緒にフォーム迄慣れさせとかないと即戦力にはなってくれない。

しかも最大発音数と音の配列の制約から、楽譜や鍵盤上で成立してるコードをそのまま鳴らせる方が稀だ。
なので最低でも展開形(コード音の並び順)が違ったりするのが日常的で、ノーマルなテンション成分の少ないコードなら問題になる事は少ないってのだ。

それ故コード自体が複雑な上に変則的なメロがその上へ被さって来たりすると、展開形にも大きな制限が掛る場合も出て来る。
そんな風に超低頻度でも緻密な配慮の要る場合があるから、その領域まで全部頭も手もで網羅するとなると果てしない事となってしまう。

興味と根性に自信のある人が挑戦するの自体は称賛するけど、もし弾くだけじゃ無くて僅かでも作る事があるのならとてもじゃないが勧められない。
何時何を思い付くかなんて予測不可だし、それが簡単に予測が付く様では折角思い付いても殆どは独自性に劣りそうですんでね。

処で好ましくないのに関しては何でも大抵俺は大王だからか、オンコードについても最初はPiano Vocalで自作曲を演ってた親友からの入れ知恵だった。
彼も今ではGuitarも手掛けるので必要性は薄れたが、当初はPianoで編み出したコードを他人に上手に伝える為のスキルでもあった様だ。

Guitarでは通常ルートも構成音も一緒に片手で押えるが、鍵盤の場合の多くは自然とルートと構成音は左右の手に分離している。
それへ上述の様に手間を掛けて正規コード呼称をしても、相手が無知な青二才の当時の俺みたいなのだと無駄骨になる。
加えてPianoとGuitarで標準的な展開形が違う部分は明示されはしないので、結局情報伝達に不足が残っちまうのだ。

それで1音1音説明しなきゃなんない事態も出るに際し、少しでもその数が少なければ説明も理解も時短になる。
また鳴らさなきゃいけない音が減れば楽器に依る差異も解決し易くなり、総合結果としてはほぼ最短コースで望んだアンサンブルの試合奏に入れるって寸法だったのだ。

今だったらスマホとPCのどっちも無い人って滅多に居ないだろうから打込めば即試せるが、即興やそもそも作る時となると手間はお邪魔虫でしか無いのは不変なのだ。
尚且つ最大の相違は作業よりも脳内の発想の違いで、欲しい音を探したり選び出すのが目的ならそれへ集中し易い点で大問題だと思うんだ。

作曲の王道パターンでは歌詞を除外すればメロからだと思うが、その次に必要なのが「最低限のコード」だ。
この最低限とはルートと調の長短の事で、どんなに和声の響きに無頓着でも端折れない部分がこれだ。
編曲やフレージングでもその基準となるのはやはり最低限のコードで、この土台に欠陥があるかそれへの追従が足りなけりゃマトモな結果は得られない。

それを逆手に取るでも無いが変えられないのならそこを考えるのは不要な訳で、オンコードって発想を持てると「上をどうするか」だけを考えたり試せば良いと実にシンプルに済ませられるのだ。
因みにⅡで日本語としては分数の方が良いんだろうが、コードでは4/3(1と1/
3)等と分子が分母を上回るのが音楽ではあり得ん分最適とは認め辛い嫌いがある。
それに対しオンコードと言われた方が「乗せる方のヤツ」と、思え易いのは俺だけなんだろうか!?。

<つづく>

2019年11月22日 (金)

音楽備忘録107 パワーコード

期せずして誤解招き王みたいになってるかもが今更心配になったでも無いが、パワーコードとその類型について言及させて頂こう。
冒頭念押しも何だが俺はパワーコードとその類型は実は多用してる方で、嫌っているのは近年本邦の稚拙過ぎる使い方なんでごわす。

さてここで記す
類型とはかなり私的で独善的かもだが、一応「弾く都合」観点から分類してみたものについてだ。
要するに2本で比較的楽に弾けるのにはルート+5度の他にも幾つかあって、近年本邦認識ではそれがオクターヴなんだろう。
それへ俺が猛然と噛み付きたくなるのは、使われ方が妙に固定されてるからだ。

確かにオクターヴ弾きなら和声知識抜きでメロを弾けるが、パワーコード系でも無制限では無いが大して頭を労せずにメロが弾けるのだ。
5度や4度の音は鳴らしちゃいけない場合が他の音よりかなり少なく、どうして誰か1人くらい逆転させてみたりしないのかが納得出来ないのだ。

この2和音案件はGuitarでは歪ませる都合も関与してるが、歪み原因で和音感に支障するのは度数より同時発音数だ。
歪ませれば倍音が相対的に大きくなり、その倍音同士が喧嘩になって混沌とさせるです。
依って比較的倍音が喧嘩にならない4度5度が安全ってからくりで、それ自体は俺だって十二分に理解しとりゃーす。

けれどもこの手のフレージングの歴史を知れば、実は類型の入れ替わりを繰り返してるのが分かると思う。
Jazz全盛時は当り前だったオクターヴ弾きが前回迄に記した事情等で、Rock全盛時は廃れてその後久しかった。
なので本邦で流行り出した当時は、過去を聴けて無い若者にとっては初耳で新鮮だっただろう。

だが元々がこの手のフレージングは「忘れた頃にやって来る」式で、暫くやって飽きられそうになって来たら次へとず半ば循環していたのである。
それとここからが今回の俺的核心になるんだが、下4度の場合は慣れれば指1本で押えられる率が格段に上がる処だ。

パワーコードもオクターヴも俺みたいな変態達人域!?に達しなけりゃ、通常は鳴らす1音毎に場所移動で対処するしか無い。
ここでの変態達人とは例えば人差し指+薬指と中指+小指を交互使用する事で、より細かい音符へも対応させようとするのを指している。

しかし奏者脳内の命令数を考えると実動は大変でも場所だけ気にするより、指選択が追加となるし指の開き等の問題も加わるのでちっとも楽では無い。
それが下4度では1指で2本同時に押えるのに慣れさえすれば、実質的には殆ど単音で弾いてる感覚のままで行けてしまうのだ。

これの響きが概述Smoke on the Water等で有名過ぎて敬遠されたのかもだが、それすら使われ方次第でかなり違って聴こえるのの方が実は全然多いのだ。
Ritchie Blackmoreが割とペンタトニックスケールでゴリ押したのは好みもあるかもだが、ネタ元がClassicなだけにRockっぽさを強調したかったからとしか俺には思えない。

だから印象としてはRitchie=ペンタオンリー君でも、良く聴くと目立たない処等では寧ろペンタトニック以外の音が遥かに多かったりしている。
ここへ屁理屈大王の降臨を迎えるとJ-POPはJ-Rockじゃないから、なるべくペンタ音を避けて使えばそれで済む話しだろうと言える。

また下4度を活用すると単にフレージングの自由度が高い他に、次のような特質が内包されている。
それはフレーズでは無く「コード」として捉えた場合で、♪Smoke…でもそうだが一番理解し易いのが概出Stonesの♪Jumpin’ Jack…のケースだ。

下4度で構成されたリフ部で原版ではBassがずっとルートに留まってるのが、是又今回の説明にはおあつらえ向きと来た。
つまりマクロな和音構成としてはBassのルートにGuitarが出した構成音が乗ってる事になるので、その観点だと只の「コードB」の連続では無くなっているのだ。

これを利用出来ると和声知識に疎くても難しい押え方が出来なくても、複雑なのとか様々な響きがそれだけでいとも簡単に自在に得られるんだからね。
因みにStonesの♪Jumpin’を再登場させたのはその「押え方」もあって、7フレットから上の音で押える普通のBコードフォームのまま一部の指だけ押えたり離したりするだけで弾けるし弾かれてるからだ。

そんなだから例えばあるのは勢いだけみたいなBandでも、これだったら詳細なコードネームなんか知らなくったって音自体は出せちゃうんだわさ。
知識が無くても出来るってな楽で便利だが、それ以外にも感性が知識に干渉されるのも防げるとお得感満載なんですよぉ。

<つづく>

2019年11月21日 (木)

音楽備忘録106 エレキのフレージングⅦ

いざフレージングを中心に考えてくと、自由な様で意外と制約の多いエレキ。
前回それを半端と称したが、これも上手く消化するなら却って武器となる事もあるのだ。

メロディラインなら単音楽器・和音ならPiano系等の方が、その環境からフレージングにも有利に作用する。
だが実際の楽曲では上記両者は殆どの場合混在してて、そう鳴らした時にどう聴こえるかも考えとく必要があるだろう。
単音物は和音が無理だから当然除外するとして、問題は幾らでも沢山鳴らせる方のだ。

曲の都合に依っちゃ静かな処で複雑な和音・盛り上がる処で単音が要ったりするのも多々だが、発音数の巾が広いと中々単音で多複数音を上回らせるのは大変だ。
弦楽器ではこの巾は大抵最大6以下となるから狭まるが、それでも生楽器であれば同時発音数が減る程強く弾かないと出音は弱体化する。

このケースで場合に依って気になるのが音色で、音色は変えたく無くてもそうしないと音量が所望に達せられなくなったりする処だ。
生楽器では音量と音色を独立して加減するのは厳しく、この点でエレキだと発音数に依る音量差が無くなりはしない迄もかなり縮小してるのは確かだ。

それへEffectorや歪ませ等も追加してくと、完全に同じにするのはおろか逆転させる事すら
朝飯前なのはエレキの大きな特質だ。
すると出音音量の大小を余り気にせずフレージングするのが可能となり、この面では普段誰も恐らく意識はしてないだろうが他よりはかなり自由が得られてるのだ。

伴奏時はコード弾きでSoloは単音弾き、Guitarでは定番もしくは王道か。
それがPianoではRock系等でGuitarの存在等を加味してる場合は別として、コードを鳴らすのを右手から左手にするだけってのが王道でしょ。

例えば出力をわざと絞った歪み系を伴奏時にONにしてれば、それを尚且つ強く弾いても音量は低く抑えられる。
そして単音Solo時にOFFにしてやれば、生音で優しく弾いても大音量が出せたりするでしょ。

但し同時発音数が限定されてるのはそのままなので、鳴らす音の取捨選択ではPiano系よりは配慮が要る。
依って譜面を見てPianoを弾くのと譜面無しで細部編曲は奏者に委ねられてGuitarを弾くのでは、後者は音楽的知識レベルが要求されてるのだ。

上記後者は一般的なポピュラー系のBandmanだとありがちな立場だと思うが、普通は「習った人」に多い前者より実は殆ど習ってない人が占める後者の方にスキルが要るのだ。
前者だって正しい教育が受けられてれば音楽自体の知識も教わってる筈だが、取敢えず読譜を習得すれば弾けはするので必須とは限らない。

通常習って無い方に要るとは一寸皮肉かもだが、かと言ってそんなにハードルが高くも無いのが救いだ。
第一歩としては皆がそうしてるからとそのまま何も気にせず弾くのではなく、例えば2つ鳴らす際ルートじゃ無い方のはどれにしよかなんて一応選ぶのから始めりゃ良い。

その内容は他パートがどう鳴らしてるかに依って変動はするが、その曲のその場所ではルートの次にどれが先ず要るのか等って事だ。
これをすれば自パートの編曲力も向上するが、同時に曲自体の編曲力も無意識下に身に付いて行くオマケ付きだ。

因みにこれはフレージングでも伴奏時が主の話しだが、それは特に近年はSoloでは複音が使われるケースが少なくなってしまったからだ。
私的にはこれをとても残念に思ってるし、ささやかな抵抗は今も人知れず続けている。
がハンドVibratoや深く歪ませるには複音だと無理だったり、出来てもかなり大変と仕方無い側面もあろう。

俺の好みは追いやって先へ進めると単音時のフレージングなら、基本的にはメロディの問題とも看做せるので編曲力より作曲力と考えても良いだろう。
録音で単音でも重ね取りしてハモらせるとなれば和声知識が要っては来るが、歌のコーラスから失敬して来る手もあるから身近と思える。

これらと前回迄に述べた状況を鑑みると、Guitaristにとってのフレージングには主に2要素があるのが分かるだろうか。
そしてグループの思想に左右はされるだろうが、合奏主体となる者にとっては伴奏のフレージングこそが最重要案件だと考えられるのだ。

<続>

2019年11月20日 (水)

音楽備忘録105 エレキのフレージングⅥ

しかし一辺倒じゃアカンってからにはバリエーションが余計に要るが、そう都合良く曲に合う物が幾らでも思い浮かんでくれないかも知れない。
だが歌物曲だったら伴奏以外の小ネタを入れられるのは、継続時間・回数等どれも大した量は無いんだからそんなに危惧する必要なんてないのだ。

と云う事で例に依って逆事例から進めてくが、インスト曲であれば余程脇役専従で無い限りフレーズのボキャブラリーは足りないと窮すだろう。
ウチでもDrummerの従兄がインスト曲を作ると、メインのフレーズは当然作るがそれ以外の分は奏者に丸投げなんてのが何時ものパターンだ。

概出だが俺の師匠は日本で全盛期だった当時のプロのJazz奏者だったからか、常日頃からフレーズの鼻歌ばかりだった。
曲の様子を口頭で示すのに「あっスプデゥブデゥブデゥブ デゥブデゥブデゥ 」なんて、何処でも聞いた事の無い変な口調で延々やられた。

リズムの他にこれには音程も付いてはいるんだが何だかとっても曖昧で、しかし音痴だからとかじゃ無くて特定のキーに聴こえない様にわざとそうしてたみたいだ。
因みに師匠はメインがSAXでサブがFluteの人で、どうやら「スプデゥブ」は彼なりのSAXのイメージらしい。
「あっ」はフレーズが裏拍から始まってるのの表現なのもあるが、吹く前に吸うのからも来てた様だ。

この手の私的鼻歌には他にも「ダリダリダリダリ」なんて変なのとか際限なくあるけれど、一般的代表としたらラララ辺りが王様だろうか。
これがRockで昔だったら誰でも一発で分りそうなのだと、Deep PurpleのSmoke On the Waterのリフなら十中八九誰でもジャッチャッチャー・ジャッチャッチャチャーで通じるだろう。

大分大回りになったけど曲を口頭表現するのにメロディをだったら「スプデゥブ」はアリだが、歌物曲でもIntroにメロが無いのだって山程ある。
それどころかGrand Funk Railroadの、We’re An American Bandの最初はDrumだけだ。

この曲の一番の象徴はIntro Drumの中でもバスドラの速い連打(当時は)で、すべからく「タトトタトト…」の曲と言ったら一等分かり易そうだったりする。
なのに師匠と来たらどんなジャンルのどんな曲でも明けても暮れても「スプデゥブデゥ」、今以上に大馬鹿の俺にはどれもそればっかじゃ分り難いったらありゃしなかった。

それが最近フレージングの山と格闘しててハタと思ったのは、それだけ常に師匠はフレージング研究に没頭してたからなのかもと感じられたのだ。
毎度乍ら人次第とは言えRock系は未だしもフュージョンやプログレ系のGuitaristですら、どんな曲と訊いてそんな鼻歌を歌う奴は後にも先にも居なかった。

師匠はジャンル以外にも単音しか出せない楽器だったのもあろうが、そんな連中にこっち側の人間がフレージングじゃ太刀打ち出来る訳無いわね。
でもだからって何時の誰のでもこっち系のがフレージングが劣るってんでも無く、やはり必要量が桁違いだからなんだと考えている。

寧ろこっちが勝る或は手間でも制すべきは「伴奏時のフレージング」で、それには「何和音」にするかも含まれている。
Piano系みたいに同時に出せるのは普通の手の持ち主なら10止まりでも、ペダル併用で前に出したのを残せばもっと大量に鳴らせる。

それであれば例えば当初4音からスタートして、後に随時増やしてっても発音数不足の壁に当たる可能性は低い。
だがエレキは普通より多弦のモデルもあるとは云え、Armも使いたいとなると多弦な上にArm付きってのは殆ど見掛けない。
となるとGuitarで6・Bassで4と基本的には片手で押さえらる制限とも相まって、中途半端な同時発音数とも考えられる。

すると単音しか出せないのよりゃバリエーションを稼げるにしても、良い意味で「出し惜しみ」配慮も必須となって来るのだ。
発音数だけでアゲサゲ表現をする訳でも無いけれど、弾く前にフレージングを決定する更にその前に考えとくべきとなる。

<つづく>

2019年11月19日 (火)

音楽備忘録104 エレキのフレージングⅤ

今回は近年本邦で流行ったは良いが一辺倒になり過ぎた、オクターヴに依るメロとパワーコード案件から始めよう。
まるで親の仇みたいに近年本邦だのどうのとほざいてるが、こう見えても元は全否定してた訳でも無いのだ。
それさえしとけば良いだろうとか、使い方の適正判断や工夫があまりにも欠け過ぎてるからの苦言なのだ。

この2つの奏法の起源や歴史をみてみるとオクターヴメロの方は、J-POPよりJazz Guitar全盛時の方が歪ませこそして無かったがもっと多用されてた。
パワーコードの方だってHardrock~Metal全盛時の頃は、何曲もそれだけが続いてなんてのがあった。

では何処が違ってそのせいでそんなに不味くなったのかっつうと、前者はどんなにオクターヴではやり難いフレーズでも押通そうとしたりしてた処だ。
技術的位置付けとしては今からしたらかなり力技ではあるが、信じられない→凄い→名人芸とでもいった感じだったのだ。

後者の場合は当時に於いてそれ迄のポピュラー系の多くは調の長短が明確なのばかりで、今迄のとは違うメジャーマイナーに縛られない新鮮なムードを求めての結果だった。
例に依って受止め方には個人差はあろうが、調の長短が明確過ぎると状況次第で次の様な弱点が出る事がある。

例えばコードの長短で天候を表現するとして晴れは長調・雨は短調として、では曇りはどうするかだ。
長3度・短3度以外にも響きを変えられる音は幾らでもあるけれど、長短指定が付いたままでは薄日が差してるとか霧雨だとかにはなっても曇りが出来ない。

その曇りにだって今にも降出しそうに暗いのもあれば、あの雲が通り過ぎたらカンカン照りになりそうなんてバリエーションが際限無くある。
となると長短以外のテンションノートは上例の様な差を表すには最適だが、3度を鳴らしてる限りは晴れ雨のどっちかに振られてしまうのだ。

なので明るくも暗くも無いとかカラカラでもジトジトでも無いのを表すのにパワーコードを使えばおあつらえ向きも、そうじゃ無い場合にバカの一つ覚えで乱発しては意味が無くなる。
Guitarで弾き易い2和音は別にパワーコードに限ったもんでも無く、慣れの差は多少あろうがルート+長3度でも技術レベルに大差は無いの。

近年本邦のは香料としてMetalだとかの要素を加えたかったりもあるんだろうけど、コード自体はハッキリ長3度を打出してる様な所へパワーコードを足す以外にも「薄める」方法なら幾らだってある。
例えばエレキGuitarが伴奏刻みで弦1本しか弾かないとショボくなりはしないかと心配なのも分かるが、アンサンブルとして効果的ならそれでも全体で聴けば全く無問題だ。

どうせ失敬して来るならHardrock~Metalの伴奏刻み2本デフォでは、どうやってアゲサゲ表現してたか迄ちゃんと見て欲しいもんだ。
元が2本しか弾いて無いからそれを弱くするだけで足りなけりゃ1本にするしか無いし、どんなに強く弾いても足りなきゃルートのオクターヴ上を追加して3本弾くしか基本的には手が無いでしょ。

そんなニーズに最適なのはMetalで使われてる瞬間芸だとかで、例えばピッキングハーモニクスを良く効かして「キョワアァ~」なんてのの方が確実なんじゃないのかな。
なのでケースバイケースだけれど、猫も杓子も何時でも何でもジャジャジャばかりではどうもねぇと思っちゃう。

実際にMetal等本家の方でも曲の都合で調の長短を明確に打ちた出したい場合、頻度は大分少ないけど4度5度以外のが使われてる場面もあったざます。
これと関係あるか分からんが歌い手が自前で伴奏を弾くのにしても、以前比だとコードにも刻ませ方にしても随分単調で無工夫になった様に感じられる。

打込みやそれとの同期演奏とか電子楽器の発達で簡単に音を沢山追加出来る様になったのもあるかも知れんが、音楽としての成果があるのは単純な音の数では無く要素数なのよ。
故に特定ニーズの無い限り、極力演ってる人や楽器の数分それぞれが異なった要素を担うのが理想だと考えている。

全員が単音しか出せない楽器だったとして、2人しか居なかったら絶対3和音は出せねんだから。
それと同じ音を沢山鳴らすのには功罪があって、音の厚み等では多いとリッチにはなって行く。
が軍楽隊みたいに完全一致してないとボヤケてしまうのがオチで、それを明瞭度を上げようとして更にどぎつい音色のを加えてでは負の無限ループが待ってるだけ。

そして遂にだめ押しってんでも無いけどここじゃ頻吠え、何を強調したいにしても対比させられないと分り難いで御座居。
なので意図的にアレンジしたユニゾンにしても、曲中の何処かに少しでも全部バラけてる処が無いとどれだけ一致団結が素晴らしいかってったってよく分かんないんだよ。

<つづく>

2019年11月18日 (月)

音楽備忘録103 エレキのフレージングⅣ

前回最後の方で頑固な観念論ぽかったが、現実には至って単純でベーシックレベルの意識の問題だ。
只あまりにも初歩的な問題なせいで、時間経過・経験が増えてく間にもし変化しててもとても自覚が難しそうと云う事なのだ。

ここからはもっと実践的な場面を想定して対処を考えてくとして、当分弾けそうにない物は今録ってるなんてのには当然使えない。
なので出来る中から最善を選ぶ事になるんだが、それだけにしちゃうと進歩が望めないとか金太郎飴みたいに何時でもどれでも一緒になる危惧がある。

だがフレーズをどうやって作るかに依ってはかなりの影響が考えられ、弾いて作るなら自動的に弾けないものは作れない。
のが、脳内イメージが先行するつまり頭でっかちになり過ぎると成否判定が不足し易いのだ。
「鼻歌で歌えるのだったら練習すれば何れ弾ける」の逆が起きる訳で、自分の弾けない物のフレージングをする際に黙ってるのとでは鼻歌だけでもやってみるときっと大違いですよ。

そこでもし折角少しでも弾けるのなら冒険する場所を留意し、脳内(言い換えればバーチャル)では観念的な発想迄に留めてそこから先は音を出し乍ら(リアル)にすれば良い。
これに際し比較の為に逆のケースを想定してみるが、殆ど何も楽器が弾けないと編曲にマイナスばかりかってばそうでも無い。

既成概念に縛られない点では何も知らない方が好都合で、但しその場合フレーズと楽器の組合せを固定しようとしてはいけない。
当初の自分の中では例えばGuitarが良さげと思ってても、分かって無いんだったらそこは専門家に委ねるべきだ。

しかし自体験で是迄出逢った周囲の多勢を眺めても、音楽では全く似た様なのすら聴いた事が無い物が思い浮かぶなんてのはありえん様だ。
本人としては殆ど思い出せないのが通例だが何時か何処かで耳にして気に入ったのが蓄積され、その人なりに消化されてある日ある時突然出て来るって按配らしいのだ。

だからGuitarと思ったのが鍵盤になっても何もおかしくは無く、近年では認知度低下が著しいがそれはもしかしたら鍵盤の中では限りなくエレキGuitarっぽいクラビ(クラヴィネット)が正解だったのかも知れないのだ。
成行きだが都合よくクラビへ辿り着いたので、これが誰にも分かり易いと思われるのを例示してみよう。

では本日の生贄へ参るがSuperstition(迷信)って’72年の曲で
作者のStevie Wonderのバージョンが、出てすぐFMラジオで耳にしクソガキだった俺をレコード屋へ直ちに走らせたって代物だ。
IntroのDrumだけで1発KOされて…はどうでもいいか😓として、随分後になって知ったが元はJeff Beck用に書いたんだそうだ。

Stevie氏としてはアルバム録音に参加して貰った返礼のつもりだったが、当時の彼のケチくさマネージャの反対のせいで急遽自身で先に演る事となったらしい。
そこでこれ以前から鍵盤でもGuitarリフみたいな曲が恐らく出来る意図もあって使用してたクラビで弾かれてるが、俺的に一番ショックを受けたのは「空ピッキング」が絶妙にシミュレートされてた処だ。

今になってみればアメリカでしかも黒人ならHammond Organの奏法には明るかっただろうから、鍵盤楽器でも音程感を殺してパーカッシブに演る技を知ってたとは考えられる。
但しそれだけではHammondのそれはBassのスラップと発想元は近似に思え、Guitarの空ピッキングと明確に結び付けたのはこの辺が最初だった様に感じられる。

俺自身彼の動画を見てそんな音の出る鍵盤があるのを知る迄は、どんな楽器で演ってるのか知らなかったし知ろうとも思わなかったのはDrumに気を取られてたからだろうか。
何れにしてもこの様に楽器固有の個性にも「被る領域」もある様で、その場合は選択肢は複数となってた訳だ。

そしてこれへ若干の自己弁護と正論を加えるなら何で弾かれてようと、音楽にとっては「そんな音」である唯一点だけが意味を持ってるのである。
ここでとても気になり出した事があるので、敢えて一寸脱線させて頂きたい。

それは楽器種に対して節操無さ過ぎては奏力に悪影響する危険もあるが、過去に比べて近年は「担当分野」より楽器やジャンルを固定し過ぎてる嫌いを感じられる処だ。
例えばDrummerなのに極端にRockしか出来ないとかってので、近年は兎も角かつては道具も人もJazz・Blues・Country・Rock等の間には垣根なんて無かったからだ。

上記各ジャンルには勿論違いはあるが、根本的なDrum演奏技術に特に大きな差があるでも無い。
なので叩ける人なら向き不向きはあってもどれでも叩け、出来ない人は本来ならどれも叩けない筈なのだ。
それがこの体たらくでは本来提示可能な筈のフレーズが出せなくなってそうで、その楽器奏者ならではの編曲には大いにマイナス作用となってるのでは無いだろうか。

他楽器からインスピレーションを得るのも可能ではあるが、各々の楽器の性質差からかなり限定されてしまう。
それを思うと楽器は同じだが使い方が少し違う等、先ずは畑違いの中から物色して行く方がハードルが低いく即戦力ではないだろうか。
それには他ジャンルも多少かじる事となろうが、そうすると○○楽器の特質の全貌も少しは把握出来そうだ。

<つづく>

2019年11月17日 (日)

音楽備忘録102 エレキのフレージングⅢ

前回最後で期せずして打込みが本来以外の役に立ってしまったのは全く棚ボタとして、基本的に今後も打込みしかしないつもりなら気にしなくても構わない案件かも知れない。
只万一それが大当たりでもして人力生演奏して貰える様な機会が訪れたとして、無配慮だと自分が打込んだ通りに演って貰えない可能性が結構残りそうだ。

実は拙ブログ2回前(100)の自作十八番曲のBassフレージングには、もう1つ変態運指に後から変更した箇所があったのから行かせて頂こう。
その曲は跳ね意識はしてないが強いて言えば暗めのパワーFunkみたいな感じで、8Beatフィールの16Beatとなっている。

そのせいかBassフレーズに16分音符の連続する箇所が多目となっしまい、尚且つ音符毎に音程も変わるのが多くなっている。
それで何が起きたってば前出の5連続の他にも、最大4連続だが普通の運指では賄えない事態を招いた箇所があった。

純粋に上昇とか下降させる(スケール)のだったら弦移動時に、自動的に最初に使う指がリセットされるのでこんな事は起きない。
具体例だと普通のドレミ等で上って行く場合は人差し指→中指か薬指→薬指か小指と出尽くした処で、上の弦へ移ると又大体似た動作を繰り返して行くだけだ。

処が何の恨みか(全く無いんだが😓)弦移動の寸前に、上昇時なら人差し指で押えるしか無いフレーズとなってしまったのだ。
そこで頭不使用だった従前はこの手のケースでは、1
指で2本同時に押えるとか本来の音符より時間が減っちまうが瞬間移動させる等で誤魔化し凌いでいた。

1指2押えはGuitarでなら極普通に使えるが、Bassの場合は音域の低い方でそれをやるとほぼ大抵は音を濁らせるから非推奨だ。
音程の低さから綺麗にハモれないのもあるがそれ以上に大問題となるのが、もう鳴らし終えた音の余韻が次の音へ干渉してしまう処だ。

ピック弾きより指弾きの方がまだマシで、例えば人差し指でミュートして中指で次を弾いて等も可能ではある。
がBassの低い方2本の弦みたいにヘヴィになると、指先1つ位だけじゃとてもじゃないが瞬時に音が止まってはくれないのだ。
しかもそれが基音部に対し顕著に出るので、安全圏としたら最低でも押える方と弾く方の両方を使う位は必須なのだ。
上記誤魔化し第2法にしてもある意味慌てるのを強要される訳だから、しくじり易くてギャンブルそのものだ。

そこで普通はルート→オクターヴ上と弾くなら人差し指→小指とするのを、不文律を破るみたいになるが人差し指を中指に置き換える事としたのだ。
指の開きは増えるし角度も変態化するから手には違和感満々だが、これの要る場所は高目のフレットで間隔が狭目になってるので慣れさせればギリギリセーフってな感じだった。

音響だとそうでも無いがどうも音楽となると俺はアカデミックな面に無興味化するらしく、とっくの昔からこんな工夫も他所様では日常的やも知れぬ。
しかしバカテクよりノリやドライヴ感命の人(俺は恐らくその最右翼)では見掛けた覚えが無く、フレージングがシンプルベースなのに今迄使えなかった音が出せる処に価値があるかもと勝手に自負している。

全く私的好みに過ぎないが譜面を使って習ったのが中心の奏者に俺は興味が持てないが、主張が足りないと云うか説得力のある音を出せる人がとても少ないと感じるからだ。
あらゆるフレージングへの対応力だと変態的なのを除けば、研究し尽くされたメソッド等を用いた専門の所で学ぶのが良いのは確かだ。

だが技術的にだけ可能なのと音楽的に成立するかには結構な開きがあり、充分な必然性無く選ばれた音は「音楽の音」になる事が出来ないらしい。
これの私的分析に依れば全てでは無いが音楽は元は感情表現手段の1つだった為、理屈が感性を上回るとどうやら駄目らしいのだ。

それには非効率極まり無いがニーズをテクより先に感知するのが良い様で、「必要は発明の母」を地で行くのが適してるみたいなのだ。
先に習ってしまうとどうしようも無いでも無いが、各個人特有の表現ってのは誰からも教わる事が出来ない。
そしてその自分なりのは試行錯誤も必須で一番手間暇を食うものなんで、それに取り組める時間が多い程実践的と言う訳だ。

この論法で行くともし習うなら敢えてなるべく興味の無いのにしとくのが良さそうで、知識はあってもそれに振り回され難くなりそうだ。
人が楽な方を選ぼうともするものだから、手間が少ないのを「知ってたら」迷わずそちらへ傾くのは自然だろう。

ホントは突詰めると最終的にはその楽な方が不適切だったとしても、選択時点では完成度なんてのはありゃしない。
すると楽な方のでももっと精度を上げたりして行けば充足させられるのでは等と、人間様得意のあ~ぁ勘違いが顔を出すもんなのだ。

この時点で上手く行かないから結局思考錯誤へ向かうのは一緒だが、その後どうなりそうかが大問題なのである。
スキル不足でゴールへ辿り着けないのなら宿題にする手もあるが、テクや知識が充実してても必ず足りる保障なんて何処にも無い。
しかし「分かってるのにどうして」と選択錯誤より先の部分だけに着目しがちで、実はホントの試行錯誤が出来て無いから気付けないのすら認識出来なくなってしまう。
そうなっちゃったら勿体無いよ。

<つづく>

2019年11月16日 (土)

音楽備忘録101 エレキのフレージングⅡ

実はフレージングの好みが恐らく主原因で、Guitarでも得意じゃ無かった「弦移動を伴うオルタネートピッキング」。
更に掘れば一面では専門知識が疎かになり勝ちなマルチプレイヤの欠点かもだが、たった1つに専念しても演奏面では良くても音楽面で問題を起こす事もあるから単純な話しにすべきじゃ無いと考えている。

しかし実例ではマルチでも一点集中型でも、必ずしもそれが結果の良否とは直結していない。
そこで検証してみるとどちらにも特有の注意点がある様で、それを見落さなければ大丈夫らしいと思った。
これを体験を交えて記してくが、先ずはつい最近迄一寸陥っていたマルチプレイヤの欠点モロ漏れの件から行こう。

俺が最初にそれを感知したのはDrummerとしての部分で、って更に拡大すんのかよっとはならないのでご容赦を。
全く私的ではあるが50歳を過ぎてから凡そ25年振りで、従兄とのコンビが復活したのが発端だった。
かつてとの最大差は年齢に違いないが、この件では従兄がベテランのドラム講師になっていたのが大きかった。

そこへ加えもう1人の旧友もプロGuitaristで、昔よりも彼等は自身の主楽器への専業度が高くなっていた。
こっちは楽器に留まらず音響もと超ワイドなので音楽自体の視野には長けてたが、彼等との再会・比較から専門面に不足のあるのを自認させられたのだった。

そこから得られたその1は例え副業でも、それへと取組んでる最中位は専業のつもりになってないと駄目って事だった。
アマチュアに留まるつもりだったらその限りでは無いがプロも視野に入ってるなら、そうしないと無意識下に合格基準が甘くなって練習の仕方の時点で不都合が起きる様だ。

片や専業の弱点ってば正に浦島太郎現象で、楽器演奏としてはOKに出来ても楽曲中での有用優先順位とズレが生じ易い等の処だった。
一例としてはそれだけ弾けてて何ですぐに録れないの?ってな処へ現れてて、各々自身の作編曲と演奏に不一致の多いのが問題だった。

こっちの場合は個人案件だし労は要しても内容は単純なので話自体は簡単だが、彼等みたいなフレンチドレッシング状態の方は少なくとも脳内が複雑で大変そうだ。
尤も具体的な現れ方は夫々正反対でGuitaristは他パートへの無理注文、Drummerの方は自身のフレージングに妙に難儀と出た。

俺は偶然どっちのパートも担当経験があるのでそれを活用して、彼等の言い分を敢えて真に受けず先に翻訳して見る事とした。
それへ得意な珍妙アイデア!?で盛って大雑把な嫌いはあるかもだが、何とか切り抜けられてしまった。

結局俺の場合はオルタネートピッキング案件・彼等の場合は他パートの知識が、中途半端なのが災いしたと考えている。
全く事情を知らなければ純粋にイメージだけを伝える処、親切心や誤認回避で「分かったつもりになってる所だけ伝達」ってのが是又半端で良くなかったみたいなのだ。

外部からは特にそうは見えて無かったが更に従兄の場合は、自作曲の編曲に長年悩まされ逡巡していたそうだ。
失礼乍らそれを勝手に分析させて貰うと、どうも俺とは音楽関係の興味に対するスタンスが違っている様だった。

先に俺の場合から挙げてくが先ず音に興味があり、その一部(実際はかなりな割合を占めてるが)として音楽がある。
そしてその音楽の中に、楽器や音響が含まれてる様な按配になっている。
それが従兄の場合は音楽に含まれて無いドラムみたいな部分があるらしく、Drumとしては可能でOKでも楽曲に対してはとても実用性に乏しい様なものも一杯ある様な状態になってる気がした。

そして少し不思議だが打込みをしても両者のその傾向はそのままの様で、イメージの仕方みたいな段階に上記様々がどうやら影響してるらしいのだ。
俺の場合手法としてはかなりバカバカしいけれど、打込みでもそれがGuitarとして聴かせたい物なら実際に現物で試奏して確認をしている。

これはGuitar自体で作ったフレーズなら、弾いて聴こえたのに近付ける様に打込むのは至極当然だ。
だが鼻歌等弾いてみないでイメージした物の場合、そのまま打込んで後からそれらしく修正しようにも思いの外悪戦苦闘しちまったのだ。
PC内でこねくり回すだけでは問題点の特定すらままならず、遂にたまたま弾けるからにしても弾いてみないと上手に調整出来なかったと云う体たらくに終始したからなのだ。

強いて比喩するなら俺にとっては百聞は一見に如かずの如きで、文書だけより図面→図面止まりより模型→実物画像。
最終的には現物が眼前にあって自由に弄れる、のが結局はどんな物でも明解には違いないからねぇ。
なので又々変な表現かもだが迂闊に「実現率の低いフレーズ」を、
そうとは予想だにせずに作ってしまったら不幸の始まりだと思うのだ。

<つづく>

2019年11月15日 (金)

音楽備忘録100 エレキのフレージングⅠ

このままだと観念論者となり兼ねないのでもっと具体的に掘っとくが、今回は弾く人向けに記すとしよう。
しかし世間で得やすい情報ならこんな処へ再掲してもしゃーないから、少々珍奇かも知れないが他所で出無さそうなのを中心に攻めさて頂きやす。

いい齢して20歳前に書いた曲を十八番とするのも微妙だが、自分にとって拘りが強いその曲のBassである懸念が生じていた。
因みにGuitar話しでBassの例ってのも何だが、問題点は共通事項なのでご容赦願い候。
と思いつつ内容を鑑みてGuitar話しの続きだが、タイトルを「エレキ」に変えて誤魔化しちゃいましっ!?。

んで何がってば半音の連続するフレーズにしたくて、それが指の数を超えちゃったんざます。
普通はこう云う場合手の素早い移動等で何とか収めるもんだけど、繋がって無いと困る場所・途切れても良い場所の都合でそれでは不満足となっちまった。

それで長い事(30年以上!!)今にして思えば音程の明瞭さを犠牲にして、音切れ無しとリズムだけは堅持させる妥協をしていた。
数年前になって曲のキーの都合で開放弦も使えるのを再認識して、改めて活用出来ないか試してみて様相が激変したのだ。
これには2つの私的前ストーリーがあってBassでの開放弦の使い方と、弦移動を伴うオルタネートピッキングの問題があった。

Bassでは特に太めの音色を好むと同じ音程だからって、無作為に開放と押えた音を共存させると問題が出るもんなのだ。
音程が同一でもかなり音色差が大きくなって、太鼓で比喩すれば張られてる革の枚数が違うかの如きなのだ。
Bassでも指弾きだったりGuitarの場合は音色太さの差はそこ迄大きくならないが、今度はブライトさや明瞭度に結構な差異が出て来るからやはり無碍にはしない方が良い様だ。

何れにしても開放と押さえを「スイッチする」タイミングは重要案件で、少なくとも俺の場合は様々な状況から看過不可であった。
具体的には普段は極力開放と押さえを共存させない様にして、今でも大多数はこれで問題回避を図っている。

2点目のオルタネートピッキングに関しては、天才が災いしたのだなんてうそぶいとこうか!?。
これ実際は一般的な正規のオルタネートピッキングが出来なくても、そこそこ弾けてしまったのが裏目に出てた部分だ。
或はピッキング技術の習得順が入れ替わってたんだろうが、求める音が出るなら順不動ってのに依存し過ぎてたかもだ。

これ等から4弦開放以外はほぼ全て押さえて出し、従前フレーズでは問題は出なかったが弦移動にかなり制約が掛っていた。
これに今更でもメスを入れてみようと思ったのは近年になって、太鼓に例の「1足3連」を使えないか確認するのに打込みをしてみたのがキッカケだった。

太鼓の脚のテストの為だけに他パートを仮録りするのが面倒臭かっただけとは杜撰大王の面目躍如!?な話しだが、打込んでは当たり前だが人手でしか出来ない変な小細工はフォローされない。
そのせいかBassのニュアンスが従前フレーズのままではどうにも物足りなく、思い切ってちょっと弄ってみたのだ。

それに際し改めて当初のイメージを記憶の奥底から蘇らせてみた処、イメージに対しては従前フレーズが妥協の産物となっていたのに今更乍ら気が付いちゃった。
コード進行が5度下がってその後4度上がる処で16分音符間隔で「5コ」連続、全部ピッキングした明瞭リズムであり乍ら隙間があっては駄目なのが必須と出ちまったのだ。

一般的にはこんな事態に遭遇すれば、他楽器へそのフレーズを移転するのが常套手段だろう。
だがBassで作った曲なのと力強い音色で演りたいので、打込みでもこれを試すのは後回しとした。
そこで実材楽器で色々こねくり回してみた処、連打の何処かへ開放弦を混ぜれば何とかなるのが分かった。

上記「俺メソッド」には反するが兎に角運指も工夫し乍ら試してみると、テンポ120弱位でも「間に挟まってる」瞬間的な16分音符であれば音色差が気になる程とらないのが判明。
これは私的分析に依ると曲所望音色都合のピック弾きでは、アタック音が持続音に勝ってる内は太さの差が出難いらしいであった。

今迄ちっとも考えもしなかったが開放押え案件が顔を出すのは、ピック弾きでは鳴らす音の時間が一定より長い場合に生じるものだったらしい。
加えて16分音符は元からダウンピッキングオンリーでは厳しくアップダウン(単弦オルタネイト)だったから、アタック音質が元から完全均一では無かったのも加勢した様だ。

そこで苦手意識のあった弦移動を伴うオルタネートピッキングを、マスターせざるを得なくなってしまった。
ここへ来て是迄感性主導で弾いてたのへ今更乍ら頭も使って挑戦してみると、まだ無意識で弾ける程には至ってないがゴールはハッキリ目視可能な位となっている。

今回の纏めとしては「弦移動を伴うオルタネートピッキング」はBassでは、フレーズの関係で必須になる場面が少なかった。
が決して不要では無かったのに、ずっと気付かずに居たのが悪かったと出た。
その言い訳!?は次回へ。

<つづく>

2019年11月14日 (木)

音楽備忘録99 ギターのフレージングⅢ

ブツ切り音が得意なGuitarだなんて変な持論を掲げた処で、依ってStaccatoが苦手な奴はGuitar・Bass奏者としてはポンコツだぁ!。
なんてぶってばかりいないで、フレージングへの具体的な影響へ進めてみよう。

それにあたり今一度他楽器も含め「弾き方に依るブツ切り度」の確認から行くが、現行「ブツ切り音チャンピオン」は間違い無く打込みだ。
だが実際に音程等も含めて聴き取れるって条件を付けてくと、音程や音色等由来の限界があって打込みの高性能が無益となる場合も多い。
その最たるのはラッパらしい音色のラッパだとか、音程が低い物が該当している。

これも概述だが要するに鳴る時間が一定値を超えないと、音色が違ってしまうとか音程が聴き取れなくなる件だ。
管楽器は音程を変える度に発音し直す必要の無いのが多いので、その点では速いパッセージは得意だ。
だが音の鳴り始め或は鳴り終りに音色の特徴のある物では、もし途中の部分だけを切出して聴いたらかなり意外な印象を受けると思う。

Guitarでこれに相当するのを考えると差し詰めハンマリングオン・プリングオフ(押えてる方の指しか動かさない)で、音程は変えてくがその都度明確に再発音はさせない辺りか。
Guitarの場合はアタック部以外にも音色の特徴がそれなりにあるから「かおなし」迄にはならないが、それなりの深さ迄歪ませて無い場合は普段とは大分違う音色となるのは明らかだ。

ここで考察すべきは音毎のリズムの明瞭度とでも言うもので、LegatoやGurissandoは極端表現すりゃリズムを殺して音程だけを変えて行く技とも言えなく無いだろう。
特に元からアタック音の弱い楽器でなら尚更で、滑らかなのは良くても時にリズムがハッキリしないのが不都合となる場合もある処だ。

つまり俺言い「ブツ切り音が得意なGuitar」の真意!?としたら、滑らかorブツ切りの意識無しに弾いてもリズムが出易いのが特徴だと宣言したかったつもりなのだ。
それ故典型的なJazzエレキでは高域をかなり思い切ってCutした音色にしたり、フュージョンの典型的エレキではコンプを掛けるのが当たり前だったり…。

上記2例はGuitarなのになんて滑らかなって、それ迄苦手目だった表現を可能化させる手段なのだ。
Rock系でも流麗なSoloの為には方法は少し違うが、伴奏時より歪みを深めるのなんかには滑らかさUpも含まれてる場合が多々だ。

その後今ではEffectorの更なる発達や、PC等のデジタル機器を利用すれば元がどうであれ自在に加工も出来る様にはなった。
だが「らしさ」を尊重しようとするなら変化球勝負は不向きで、スポーツの勝ち負けと音楽での価値観の違いがそこにあるのだ。

これは他楽器でも実物を実在の人が演奏するなら同様なんだが、奇抜だったり不可能と思えるフレーズもアイデアとして提案するのならまだ悪くない。
だがもしどうしてもそれ以上を望むなら自分で打込んででもみるかだが、その前に一寸「頭のストレッチ」でもして自分の要望を今一度整理確認してみるのがお勧めだ。

もし「Guitarで」のイメージに誤りが無いなら、それは今迄色々耳にして来たGuitarの音で恐らく可能と判定を下したのだろう。
と言う事はこれだと思ったフレーズに実は錯誤があったりして、「Guitarで弾かれたらそんな風に聴こえそう」の具現化をしくじってた可能性が高いのだ。

この手の案件の根本的解決には主に2通りの道があるが、1つ目は正確を期したい等なら徹底的に理論・知識に精通する事だ。
しかしこれは大変な労力や時間も要するし、出来上がる前の中途半端な段階だと却って余計な縛りに振り回されるだけとなる。

俺推しは2つ目となる「感性頼み」で、少なくとも非専門に対しては敢えて理屈を封印してしまうのだ。
そもそも一般的な音楽は感性から始まって作られてる物なので、どんなに理論を尊重しようともその根底にある感性は排除不可だ。
それでも音楽理論なるものが存在しその価値が無くならないのは、例えば感性がパニック状態に陥ったりして困窮した場合等に大いに助力となるからだ。

なので自分で弾く場合もだが他人に依頼するのなら、敢えてフレージングはアウトラインに留めて置くのが賢明だ。
ほらこれは革命的なアイデアかもと大期待して実際弾いてみたら、全然サッパリ駄目だこりゃあなんてのは日常茶飯事じゃ御座んせんか?。

大変ってば大変な「イメージの具現化」、誰でも簡単に行けるならBeethovenでもMozartでも只の一介の小市民として記録にすら残らないだろうよ。
彼等みたいな天才ですら失敗の方が桁違いに多いんだけど、それでも時々瓢箪から駒的に例え副産物でもとっても美味しいのなんかも出たりするからね。

<つづく>

2019年11月13日 (水)

音楽備忘録98 ギターのフレージングⅡ

前回はGuitarist側からの編曲提示の一例を記したので、今度は基本的には「自分でGuitarは弾けない」人からの要望についてのあれこれを。
先に今回の前提条件設定をさせといて貰うが、多重録音や人海戦術に依る解決策はキリが無いから除外としまっせ。
昔は多重ったってトラック数の都合で限界があったけど、近年はPC等を総動員すれば無制限も同然なんでね。

今回案件も筆者が現在体験中なのでそれなりに説得力があるつもりで行くが、一番面倒なのは録音で弾ける腕は無いがなぞってはみられる程度の者からの要望かもと感じている。
この手の段階に居る人は自分も腕が上がれば音がもっと良くなると思い込んでたりして、フレージングがGuitar用には適してないのを感知出来ないケースが多いみたいだ。

その2は単音しか出せない楽器でみたいな発想でフレージングした人で、しかし実際には和音とか余韻も活用して貰おうと企んでる様な場合だ。
でその3は鍵盤で作ったり確認したからってだけで求めて来る様な人で、Guitar特有の音の配列事情が欠如してた様な場合だ。

何れのケースもGuitarist側から啓蒙を働きかけて行くしか無いが、あれも駄目これも無理ばかりでは芸が無いのも確かだ。
そこで限界はあるが極力実演してみせるのが大事で、無理なのでも弾こうとしてみせてその度合いを知らしめないと議論の平行線となる可能性もある。

ここからGuitarに関して充分な知識や奏力が無い人向けに記してくが、フレージング指示を出す側として損するケースを例示して行こう。
既に弾かれてる例のある物なら不可率は低いものの実現不可能なのを、そうとは気づけずに強いイメージを抱いてしまうのが最も不幸だろう。

大丈夫そうな気がしてても意外な盲点のせいで惜しくもとなる事があり、そんな時に限って代替や対応策も用意してないもんだから落胆もひとしおだ。
では近年ならではの手法で打込んではとなるかもだが、現実には非存在なフレーズを組んでもその成功率に疑念が残る。

これ等の原因はGuitarって楽器の音楽的特性由来が多いが、概述だが同時発音数や部分余韻残しが非専門の人には分り難そうな処だ。
音域や音程の飛翔案件もあるがこれについてならGuitarの画像を眺めて想像すれば、まだある程度は予測が付けられるだろう。

では例えば1弦の開放だけ鳴り続けてる等で、それが一定時間以上継続してれば気付けるかも知れない。
だがそれが短時間且つ断続的だったりすると、余程特定な意識を持って聴かぬ限りは聴き洩らしてるのが普通な位だ。
当事者(Guitar奏者)ですら初体験タイプのフレーズだと、実際弾いてみてからああそこだけ伸びてたのねなんてのも珍しくない。

この余韻案件はPiano等のペダルをどうするかでも似た部分はあるが、余韻の有無の大きさにGuitarとは大差があるので様相が異なっている。
生Pianoではペダルを踏んでから弾いた音は全部余韻が残るし、ペダルを戻したら戻したで一斉に全ての余韻が鍵盤を押える手次第に変貌する。

この性質をGuitarへ当て嵌めるとしたら開放弦の場合で、つまり普通の弦数のだったら最大で6しか無い。
開放弦じゃなくても「押えてる指」が動かぬ内は余韻は保てるが、特に移動中はグリッサンドでもし無い限り必ず音は途切れるのだ。

更に進めて行くと単音楽器の場合なら特にトロンボーンを想像すると典型的だが、完璧にグリッサンド要素を排除するのは原理的に無理である。
そこ迄行かずとも「次の音を出す準備」が他楽器の多くではGuitar左手(右利きの場合)みたいに手数が不要なので、Legato要求等でも無ければ普段意識する必要はあまり無い。

それがGuitarと来たら常時「途切れ」に注意してないと、いとも簡単に「半端なStaccato」となってしまうもんなのだ。
単音ですら押える指の順番等と弦移動のタイミングを図らねばならん位だから、コード弾きともなれば尚更なのだ。

なので「何も気にしない」で聴けばスルーされてるであろう伴奏時に多用される簡単なコード弾きも、いざ気にし出せば実に大変な騒ぎなんで御座居ます。
伴奏なだけに変な処で、音に隙間が出来たら困る事も多いでしょ。

それとGuitarの切れ目の少ないコード弾きは、Band系の音楽だと単独で継続してる状況は多く無いと思う。
実際には途切れ途切れになってるのがもう1人居るGuitarの音でとか、BassやDrum等のお陰で音の空白とならずに済んでるケースがとても多いのだ。

本件とは真逆の現象の体験が私的には面白かったから挙げとくが、単純に音符通りに打込んで鳴らしてみたら変な感じになったっけ。
それが他楽器だと全然起きなくて、最初は音源が悪いのかとも思った位だった。

だが自分が弦楽器を弾いた音を微細に渡って確かめてみるとLegato指定が無い場合、Guitar・Bassは音間に僅かでも「隙間がある」方が普通だったのだ。
そこで気になった場所をわざと少し短くなる様に修正してみると、途端にそれらしくなるし特にBassではリズムの躍動感等も俄然良くなったのだ。

是迄俺も考えてみもしなかったけど、自然・必然的に「出音がブツ切りになる」のがGuitar系の強い個性だったらしい。
因みに太鼓みたいに相対的に余韻が短い楽器でも隙間感は出易いが、Pushroll等でもして極端に出音間隔を詰めない限り解消は不可だ。

それがGuitar系では限定はされるが弾き方で避けられる場合もあり、その典型はスライド奏法等だろう。
全く出来ない・ならないのなら誰でもそう認識してくれるだろうが、上記の如く「時々繋げられる」のがあるせいで皆見落してるんじゃあるめぃかと感じている。

<つづく>

2019年11月12日 (火)

音楽備忘録97 ギターのフレージングⅠ

Bassの次はGuitarのフレージングへ言及してくが、筆者はちっともハイテク奏者では無いのはお断りさせといて頂く。
だが基本的なフレージングは速弾き等の技術以前の物なので、弦楽器特有のフレージングの可否と合せて綴って行こう。

先ずは「弦楽器特有の可否」の件であるが、Bassの項で述べなかったのはGuitarの方がより問題となりそうだと思ったから!?だ。
単音弾きでもピアノ等より遠い音程へ突然飛ぶのは苦手だが、複数音を鳴らす頻度が高いとこれは飛躍的に厳しさが増すもんだ。

それに輪を掛けて余韻の持続性の問題もあり、複数音を出せる楽器としてGuitar系は一寸特殊かも知れない。
単音しか出せない物であれば従前の音と違う音を出すには、前の音の余韻が無くなるのは誰でも容認してくれる。
それが「出せる時もあるGuitar」となると、詳しくない者からは無理な注文が来る場合もある。

編曲を優先すればどんなに弾くのが面倒で大変になっても、なるべく実現させるのが良いには違いない。
しかしそれも度を越せばらしさを損ねるのにも繋がるので、思案のし処だ。
困難に無挑戦では在り来りにしかならないし、辛うじて鳴らせるだけとなっても表現力等が犠牲になるしと。

さて何でこんな話をここへ持ち出したかってば、Guitaristが「出来る事、演り易い事」中心だけでフレージングした物には面白いアレンジが出難いからなのだ。
楽器に拘わらず過去の好凡例へ耳を傾けてみると、良い意味での外部からの発想導入が見て取れる。
大きな処では他楽器からとかだが、ミクロな部分では楽器は同じでも他ジャンルからの導入例がある。

これの具体例としては前者はBassのスラッピング等で、太鼓の要素もBassで一緒に出すのから始まったと開祖は語っていた。
しかしこれはフレージングってよりゃパートの役目を増やした方が主なので、今回はミクロサイドの方ので
例示をして行こう。

BeatlesのI Feel Fineのギターリフってかもう曲自体の根幹だが、John Lennonが歌い乍ら演ったハイブリッド奏法の発想が典型的だ。
これは第一義的には普通のコードを押さえたまま、余った若しくは余らせた小指もフル活用してメロディラインを出してるだけだ。

なのでそれなりの修練は要るが特殊と迄は行かず、発想としてもせいぜいセカンドかサードステップ程度止まりだろう。
だがその後が大問題で普通なら歌入り後は只のコード弾きにする処、コード弾きとメロ弾きの中間の弾き方がされている。
通常はメロ弾きからコード弾きへスムーズに移行可能なのがこの押え方の利点なのに、中間且つ曖昧な弾き方だなんてどうなってんのだ。

これが旧時代のなのでバージョンは際限無くあるし、2人のGuitaristの振り分け等もまちまちだ。
なのでヲタ様の完コピ用にはもっと検証が要るだろうが、編曲や一般聴者にとっては全体像の問題なので敢えてそこへは感知しませぬ。

それってのもこの曲でのGuitarは実は3段構えになってて、サビ部はコーラスが入るからか純然たるコード弾きとなってるからだ。
故に普通の神経で判断すれば出鱈目な中間曖昧弾きも、バリエーションを出すのには寧ろ必須だったのだ。

では他の楽器で可能かを考えてくと、多分△となるだろう。
ピアノ等同時発音数がGuitarを上回ってりゃ物理的には無問題だが、もし同等のニュアンスを出そうとすれば弾くのはえらく大変となってしまう。

Guitarでは左手(右利きの場合)は小指を使うかどうかだけの差しか無いが、右手のピッキングは物理的にはかなり複雑な事をやらかしてるからだ。
だが奏者意識としてはGuitarなら右手のストロークをカッティングと単音弾きのどっちでも無い、中間にするだけで大体の感じはもう出せてしまう。

のがピアノでは両手で各指も必要に応じて1打毎に、全部違う動きをさせなきやなんないからよ。
依ってGuitarで小指を遠くへ他を押さえたままで動かすのは楽じゃないが、他楽器で再現するよりゃ恐らくマシってな按配となっている。

これのネタ元を推察するとClassicやなんかでは、ピアノ独奏に近い感じで伴奏とメロを同時に鳴らす手法は昔から普通にあった。
それが金属弦が手に入る様になりチョーキングって技が発明され、だがコードを押さえたままでは端っこの弦が指板から飛び出てしまうからチョークさせられない。
依って達人級でCharの3本同時、一般的には2本同時位が限度だよね。

因みにチョーキングの変則的なのだと、複数押え乍ら別の指で押えた1本だけをチョークってのは結構多用されてる。
これが実はGuitar系の独占販売の技で、電子鍵盤系のホイールやジョイスティックでやるのですらほぼ無理だ。
尤も右手全部の指で弾き乍ら左手で操作すれば都合5音迄なら同時にチョーク可能で、こちらでは電子鍵盤系が独走状態だ。

そんな経緯で近年の野球の投手じゃないが、役割の分担化が当時丁度進行してた処だった。
ので一面では先祖返りしただけなんだが、反対側から眺めた事で恐らく斬新なアプローチになったんだと推察される。
こんなのは運も才能も要るのでそう簡単には思い付けんかもだが、Guitaristならではの編曲じゃないでしょうかね。

幾ら打込みのお陰で何でもアリになったっても、こんなテキトーとか曖昧でいい加減なのは厳しいでしょう!?。
技術じゃなくて発想するのが、実際弾いてないと中々難しいだろうからね。

<つづく>

2019年11月11日 (月)

音楽備忘録96 BassパートのフレージングⅪ

前回最後に出た「ベースは歌に弱い!?」の説明をさせて貰って、本件は一旦締めようかと思いますです。
歌とBassの関係は大き目音量の伴奏で歌う人なら分かりそうだが、特にハモり(コーラス)を付ける人だったら尚更と思うが如何だろうか。

もしそんなに伴奏音量が大きく無かったら、リードボーカルでも伴奏にハモらせる様な感じで音程を合せるのも可能だろう。
だが少なくとも各自の声量に対して倍以上の伴奏音量だと、次の様な現象が起きるのだ。
それは歌と近い音域の物では元からつられ易いのが、余計にそうなってしまうからだ。

ここで良く考察して頂きたいのが、観客聴点と奏者聴点での音量バランスの相違である。
他人に同音量に聴こえる様になるのは各奏者が物理的に合体or密着でもしてなきゃ、「自分の声だけかなり大きく」聴こえる若しくは感じられてる筈だ。

肉体の外部経由の音だって距離差で自分のの方が殆どの状況下で大きくなるが、内部経由の分は自分にしか無い
ので恐らく俺自身も含め普段無意識なんで気づいて無いだろうが、出した声量が同等だったら他人のより自分の声は必ずかなり大き目に聴こえてるのだ。

してハモらせ様とする場合に「微調整」をしようとするのは自分の声の音程等なので、只歌う時よりより大き目に聴こえるのが好都合なのだ。
これは視覚で言えばルーペ(虫眼鏡)や顕微鏡で拡大表示するのと同じで、細かい処迄把握するにはクローズアップが欠かせないからね。

因みに音響技師やプロのミュージシャンが「心地悪い爆音」でモニタする事があるのは難聴になってるからじゃ無く(一部例外氏は知らんわい)、誤って雑音が入って無いか等を確認する為だ。
実際には大きい方ばかりでは無く限界小音量等での試聴もしてて、音量のお陰で迫力が足りてる等の誤認が無いか等の検証をしている。

だが例えばMixing場面を報道等するのに蚊の鳴く様なモニタ音量では収録に難があったり、「一般との違いの分かり易さ」等の都合で爆音モニタの方だけが世間には広まってるだけなのだ。
妙な言い回しだがこの場合技師等は爆音で鳴らしてても爆音部はちっとも聴こうとしてなくて、その陰や隙間に何かちっちゃく変なのが鳴って無いかへ注力している。

それは恰も騒音の激しい工場内で上司の指示を必死に聴き取ろうとしてる部下みたいなもんで、下手な拷問より辛く苦しい。
それを毎日の様にこなしてくにはかなりの修練が必須だし、もし一歩間違えれば難聴に苛まれる危険と隣り合わせだ。

人より爆音を連発しといて語るのもなんだけど、皆さんの耳の為には「不要な大音量」は何としても避けて頂きたい。
そして音量は大きい方のみならず、普段より小さくする方にも同じ位違って聴こえる効果があるのを知ってご活用願いたい。

と予備知識も付いた!?処で戻ってくが特に声量に余裕が無い場合は、周囲音が大き過ぎればもうハモるのに必要な自声の音量確保は不可能となる。
ので近年ではその筋では「コロガシ」と呼ぶ個別モニタスピーカを配置しといたりするが、それだって耳の許容音量を越せば訳が分らなくなる。

と音量だけの観点では困難でも、そんな時に音域に着聴すると少しは余地も出て来るもんなのだ。
当然個人差千差万別ではあるが全体傾向としたら、誰でも低音より高音の方が「喧しく」聴こえてると思う。
故に音域が下がれば聴取音量限界が上がり、単にそれに耐えられるだけじゃなく分析力も存置されるのだ。

またハモりの音程が主旋律からある程度離れてれば良いが、モノに依っちゃ短3度よりも近いのもたまに出て来る。
そこ迄音程差が小さくなると例えモニタ環境が最適であっても、どっちがどっちの声かの分別が困難になる。
すると「近くて駄目」の反対で遠く(音程差が大きい)に何か適当なの無いかいなとなって、そこに丁度Bass等が該当する訳だ。

加えて「基準音」としては近隣音域に他音が無い程明瞭で好ましく、その面でもアンサンブル内に「1人しか居ない」パートが好都合となるのだ。
それでか無検証なのが毎度の如く杜撰で済まんが、私的印象としてはコーラスの上手いグループには良いBassistが居た記憶がある。

それどころかPaul McCartneyやChris Squireを始め、そもそもグループ内ではコーラスの達人はBassistに多い様な気もするが如何だろうか。
私的体験からすれば只声がデカいだけで大した歌唱力も無い割に、それなりに難しいコーラスも手に負えたのは自分がBassを弾いてたからかもと推察している。

だからブラック裏思考をすればBassistがヘボだったらコーラス付けるのは危険かも、なんて特にBassistが歌わない人の場合は要注意かも知れない。
処でインストグループには本件は一見不要っぽいが、音程微調整を演奏時にリアルタイムで行う楽器があれば同様と考えられる。
弦楽器ならフレットレスのとかトロンボーンみたいに、音階の間の音程が何でも出せる物が該当しそうだ。

近年本邦では楽器演奏について他所様では個別化が顕著な様だが、歌の入ってるのの演奏が多いのからすれば少し不足があるのではと筆者は感じている。
この点でも他パートと比すとBassは歌バックで「只大人しく」してやり過ごせず、従ってそのフレージングも歌を意識せざるを得ぬしするべきだ。

まさかこのせいで(歌無視Bass!?)近年本邦で、リードボーカルがBassなのが減ったんだとしたら残念だ。
奏者立場のみでの近年本邦は例えば歌詞90とメロ10なんかで聴かれてるのは、私的には悔しさ一杯だ。
しかし先ずBassが駄目になって聴き手の聴点がもしシフトしてたんだったら、嘆くばかりじゃ解決に繋がらないんだよね。

<つづく>

2019年11月10日 (日)

音楽備忘録95 BassパートのフレージングⅩ

では続いてBassパートの人が他パートに協力して欲しい事、これを具体的に記して行こう。
その中にはそもそも歌などへ合せるべき部分も結構含まれちゃいるが、どの位歌と伴奏の絡みについて考えてるかの差が他パートとはあるのかも知れない。

のっけからグドイけれど俺は全くたまたまだが、Bassパートもリードパートも割と常時演っている。
その体験からするとギターでもサイド(伴奏)なのかリード(ソロ部以外は「装飾!?」こりゃまた失礼)に依って、フレージングをこしらえるのにちょっと優先事項が違っていたりする。

サイドの場合は音程やコードもだが、今俺が携わってるのだと歌とサイドギターのリズムの整合性に気を付けている。
コードカッティングの場合先ずは曲の伴奏リズムに基づくのは当然だが、例えばピアノより余韻が短いアコギ(一般感覚論で)ではテンポ次第では少し刻みを追加しないと音に空白が生じるケースがある。

その時自パートの都合だけでうっかり追加刻みの仕方を決めてしまうと、歌と合せてみたらありゃりゃなんてのが起きる事があるのだ。
って何の事は無いついさっき録音する寸前で気が付いただけだったが、特に悩ましいのは伴奏は譜割り通りフラットなのに歌メロだけ食って(1つ前の小節の終りに次の小節で鳴らす音が「食い込んで」)るなんて状況だ。

因みに現在取組中のこの曲は伴奏のベーシックが、Drum・Bass・アコギの3ピースとなっている。
感覚的には誰かが少し歌リズムに助太刀した方が良さげだが、かと言ってコード音を出してるアコギを食わせると何だかリズム隊が食い損ねたみたいにもなっちまう。

んだばそれへBassを追従させればDiscoのみたく一定パターン堅持OKのBeatで無い限り、やはりドラマーが虐められてる様な変な感じが残ってしまう。
そこで歌メロ食いを一切邪魔せずに刻み追加をさせるには、次の様な手段があって今回は取敢えずそれを使った。

一寸順番が前後しちまうかもだが先ず当該箇所に関しては、アコギは基本Beat(今回例では8Beatの曲)を刻ませる。
一方余韻がアコギより稼げるエレキBassの方は、思い切ってロングトーンにしてしまった。
これは両方が刻んじまうと歌メロの食いがどうにも目立たなくなったからで、余韻の長短に応じての割振りの結果だ。

U2みたいに敢えて隙間を設けてそれを売りにするなら別だけど、そんなのの大抵はBassはルートを曲Beatの通りにずっと連打するのが常套手段だ。
そのパターンも味があって結構なんだが、主に2つの弱点がある。

1つ目は同じBeatでも刻ませ方の違いに依って曲独自のリズムバリエーションを出すのが出来なくなるので、2つ目は連打が向かない裏メロみたいなラインが使えなくなる処だ。
俺は年寄りだからの古さもありそうだが、この面でもBeatlesが神と思ってるには訳がある。

曲に依ってリードボーカルは変わったり入れ代わったりがあるが、彼等が「歌い乍ら弾いてる」部分には誰もがもっと注意深く目を向けるべきと考えている。
「歌に合う伴奏」の理想例としておあつらえ向きだからで、歌い乍ら弾けば自ずと全然合わないのなんて演り難くて仕方無いだけの話しではあるが。

因みにⅡであるが近年本邦では一部を除き良くてコーラス位しか歌わないメンバーのが多い気がするが、全く歌ってみないで歌に合せるなんてそりゃ大変ですわよ。
合唱文化!?の状況の違いもあるんだろうけど、本邦以外の多くでは音楽好きで歌嫌いってのは滅多に居ない様だ。
普段Bandじゃ歌ってないっても声質や歌唱力の都合で遠慮してるだけで、ソロアルバムになった途端ガンガン歌ってヒットまで出しちゃったなんてのがザラにある。

寧ろ演奏だけに絞ってインストアルバムにしちまうと、下手な歌のよりも売れなかったりなんてのも普通だ。
尤もチィとばかし頭を回せば誰にも関係してる「人の声」と、特定楽器に興味を持ってる人の数を比べりゃ至極当然の結果に過ぎんだろう。

は置いといてすべからく歌わないと歌えないは違うし、人前に披露してないからって歌って無いなんて保証は何処にも無いんで御座るよ。
脳内だけで常に充分に処理が出来るなら結構でやんすが、どんな凄い博士でも実験ゼロで完璧になんてのは至難の業に違いありません。

もっと小袈裟に行けばメンバー全員に「歌の体感上の共通認識」が持てるのは大変結構で、歌の無い曲だったらそんな尺度は持てんですから。
んでここ迄申し上げて来たとどのつまりは
、Bassは何しろ歌にはとっても弱いって事なんすよ。

<つづく>

2019年11月 9日 (土)

音楽備忘録94 BassパートのフレージングⅨ

いよいよ私的には最大懸案の他パート協力案件へと突入するが、俺様が一番偉いんだから大人しく言う事を訊けって言いたい位…でも無いか!?。
これの「俺」は信用に乏しそうだから別としても、もし音楽的に同レベルの集団だったら編曲面では実際にそれに近い面はあるのだ。

前回述の如くBassパート担当者は他パートより、全体俯瞰をせんとそもそもフレージングが困難だからだ。
Bass担当者の中にだって勘違いナルシス野郎も居たりはするが、演る全曲にソロパートがタップリ用意でもされてなきゃ幾らもマトモにゃ弾けないのでそれがすぐバレるですよ。

歌手なら美声・楽器のリードパートの人なら音楽性を伴った高度な演奏技術等を持ってると、その魅力欲しさに周りがついギリギリ迄我慢しちまうなんてのも考えられる。
だがBassの場合はどんなバカテクの持ち主でも、特に歌物なら伴奏がからっきしでは相手にされないからねぇ。

これが旨い事に(ホントは不味い?)リードパートのナルシス君は、大抵はバッキングなんて地味なのにゃ興味が無い分拘りが薄い場合が多い。
のでソロで存分に暴れとくれなんて言い渡しとくと、案外伴奏面では従順だったりする。

尤も消極的であるから「止めて」は訊き入れても、面倒なのをお願いした日にゃ非協力的だったりする。
からグループとしちゃ目玉商品は持てても、アンサンブル≒それ以外の商品!?は魅力が無く返品の山とでもなりそうだ。

そこで皆さんにお考え頂きたいのは自らのマネージメントについてで、どうすりゃ一番演りたいのを「無理無く実現出来るか」である。
グループミュージックとしてはソロにしか興味が無いのは困るけど、ソロパート専門のお助けマンなんて触れ込みであちこちを当たってみるのもアリだと思うのだ。

自分の好みが狭い程「適所」を見付けるのは困難にはなるが、今はネットの力を借りればそれが無かった昔程はもう大変じゃ無いよね。
だからひとたび自分の意志で集団に属すと選択したなら、全体俯瞰は絶対に意識して配慮される様に願いたい。

しかもそれをちゃんと実行出来ないと集団パワーが落ちちゃって、折角メンバーの我儘なんかを我慢してたのが無駄になるんだぜ。
そして何より熟慮して頂きたいのが俯瞰耳を得易いのはどのパートかで、この様な面では伴奏主体軍団に軍配が上がるのは単なる自然現象と言っても良い。

ソロ担当パートの第1の仕事はたった独りで何とかしなきゃなんないソロ部分で、伴奏部は協力を得られるとは云えソロのメロ等は孤軍奮闘するしかない。
そこで美しき役割分担をして悪い事なんて1つも無く、一部でGuitaristが全体を仕切ってるのへ無配慮で憧れるのは愚の骨頂だ。

その手のは傍目にはGuitaristにしか見えなくても、グループ内ではたまたま編曲家がギター弾きだっただけなのだ。
Van Halen等がその典型だろうが面白いのは、Ritchie BlackmoreやJohn Lordが全てを司ってる様に見えたDeep Purpleだ。

担当パートの技量には常に秀でて居たが良く考察すれば、曲の売行きと編曲の良し悪しは他メンバーに随分大きく左右されてたのが分かるだろう。
グループの大きな特徴として上記2人のソリストはとても重要だが、Bandとしての音的核を実質的に担っていたのはIan GillanとRoger Gloverだったのが特に本邦では酷く見落とされてる様だ。

Van Halenと共に如何に演奏面が印象的だろうと、どっちも基本的にはインストナンバーの方が少ないRock Bandに過ぎない。
しかもメジャー路線となれば先ずは曲、次に良い歌があって初めて聴いて貰える世界に身を置いてた訳だ。

前者はそれをEddie氏とDave Lee Roth氏が、後者は上述Ian氏とGlover氏が中心となって支えている様だ。
Purpleでは曲の象徴的なリフはソリスト2人由来のが大半だが、リフにしてもソロにしてももしそれ以外の部分がからっきしな駄作だったら今では恐らくラップのループネタとしての評価だけになってただろう。

かつて本邦ではRitchie Blackmoreのカリスマ性からヲタが多数出現し、その結果暫くの間は実質的ソロBandのRainbowにもそれなりの人気が継続していた。
だが映画のお陰にしても再ブームが来たQueenと同時期のなのに、未だそんな日が訪れていないのはこの辺の事情に依ると思われる。

故にソリスト観点に立っても自らを長寿命化させるには、餅は餅屋へ任せる方がホントは得策なのだ。
どの道有能なBassistを見付けて口説いて参加して貰う必要はあるが、その有能の内容には注意深くあられたい。

<つづく>

2019年11月 8日 (金)

音楽備忘録93 BassパートのフレージングⅧ

さてお待ちかね「他パートの特段の配慮」とは何ぞであるが今はBass視点で話してるからなだけで、アンサンブルでは常に相互互助は必須だ。
この点では弾き捲り過ぎのリードパートもルート固執Bassistも、色々と厄介者でアレンジャーとしては使いたくない奏者達だ。

曲事情での指定が無い場合に聴者が聴き易いのは、各パートの音域が適度に散らばってる状況だと思われる。
ここで配慮すべきは毎度ではあるが、聴者には何が・誰が出した音かは無関係って処だ。
あまりに聴いて(或は注目して)貰えんと流石に演者としては切ないが、聴いて欲しいからには何時耳を向けられても良い様にしとくしかない。

んで「音域が適度に散らばって」はどゆこってすかっつうと、音楽の或はアンサンブルの構成要素に起因している。
若い人には失礼かもだが最近は「足りなくてもそう云うものとしてそのまま演っちゃう」とか、逆にホントはそこ迄は要らなくてもテンコ盛りされてるのとかの両極端に偏ってる感じがしてしまう。

音楽やアンサンブルは曲を示す使命があり、本来なら演奏編成がどうであれ必要素は省くべきじゃないのだ。
だから例えば4パート必要な曲を2人で演るなら一人二役の二人前なんてのが要って、少し大変でもそうする事自体が4人で演るのと弾き方が全然違ったりして双方の存在意義が出て来るのである。

尤もこう云うのは技ありだから上級者専用かも知れんがそこ迄行かずとも、状況に応じて立場(分担する役割)を一時的に変える程度ならその気になりさえすりゃ誰でもすぐに出来るのだ。
ここから凡例を幾つか挙げてこうと思うけど、最初は同じ音を連打してる様なケース。

例えばRockトリオでGuitarは8分音符・Bassは4分音符だった場合、Guitarがソロ等で伴奏から離脱するとそのままでは「音程のある8分音符」がソロの間だけお留守となる。
その上有音程の伴奏楽器が半減してる訳だから、盛り上がった方が良い場合が多いソロ部で伴奏が弱体化しちまう。

そこで第一段階としてはBassが倍の音数(4→8分音符)弾いてやれば、曲の伴奏リズムはそれで維持・継続させられる。
第二段階は音域分布の問題でソロパートが余程低い音域を多用せん限りは、Bassの使用音がそのままだと中音域に空白地帯が生じる。

GuitarとBassでは音域が1オクターヴ違うから、そんじゃGuitarが弾いてた高さの音へ…。
と行こうにもそれだと今度は下がお留守にでどーすっぺって、一番簡単な対処法はDiscoの定番Bassフレーズみたいにオクターヴを行き来とかにすれば良いのだ。

典型的なのだとスラップでドンパッドンパッなんてのがあるけれど、大抵は低い方を皆先に鳴らしてるよね。
それってちっとも絶対じゃ無いんだけど、通常他パートより音数が少なくなってるBassでも小節や拍の頭では大抵は鳴らしてるからじゃないかと考えている。

しかしBassだってリフや裏メロを単独担当してたらそんなに融通が効かないが、そんな場合は最終段階で装飾音の追加等で兎に角音数や音の厚みを少しでも補えたら優秀だ。
ではBassだけが頑張れば何とか出来るかってば冒頭の如くとんでもない話だが、敢えてそれへ目を瞑っても別の大きな問題が残っている。

それこそがフレージングをどうするかで、相手がどうするかが分からなけりゃ助け舟の出し様も無い処だ。
それだと最悪時は「曲にそれが必要な箇所」で皆がバラけたり、「曲に不要な箇所」で一斉に大ユニゾン大会開催等の不始末をやらかす事になる。

これ等を考慮すると理想は全員で編曲視点を持つのが良いが、Bassistだけは編曲要素を抜きにフレージングするのは困難と思えるのだ。
良い方の過去例を見てみても殆どの良いBandには優れたBassistが居て、一般感覚では存在感と感じられるその内幕は「音的には強い発言権を持っていた」と考えられるのだ。

アンサンブルではどのパートでも相関関係があるけれど、それが直接的か間接的な場合もあるかの点でBassは特異な存在だ。
ベーシックレベルだけで見てもリズムはドラムと、音程・音域はボーカルを含むリードパートとかなりダイレクトな関係を持ってるからね。

故に勿論周囲の意見は最大限に取り入れ配慮はするがアンサンブルの構築は、Bassパートのフレージングから始めるのが理想的だ。
例えばドラムとギターがそれぞれ勝手に作り過ぎたとして、その2つだけなら何とかコラボれる場合もあろう。
だがそれで曲全体がちゃんと表現出来てるかってば、恐らく滅多に上手くは行かない。

それ以外のパートを追加しようとしてもどっちかと合わせられなく場合等が多いからで、例外があるとすればDrummer・Guitaristの脳内に「共通のBassist」が棲んでるなんてケースだ。
つまり実際弾かずとも「Bassパートの正しい認識」は持ててる訳で、外部には分からなくても脳内ではBassistを兼任してる様なもんなのだ。

<つづく>

2019年11月 7日 (木)

音楽備忘録92 BassパートのフレージングⅦ

我国でリズム隊(ドラムやBass)が過少評価されるのは由々しき事態で、少なくとも俺の若い頃はそれはかなり酷かった。
しかし妙なもんでフレージング的にはそんな時代の方が面白かって、人権が認められたらつまらなくなったのは一体何でなんだろう?。

等と昔を思うのは年寄りの典型現象?、そりゃそうかもだがそれだけだったらわざわざ恥晒して迄書きまへん。
評価が得られる迄にとてつもなく時間が掛るが、涙ぐましい努力も後で効いて来る場合もあるんで御座居ます。
それがもしかしたら音楽をやる自由の待遇改善のせいかもと思い始め、何らかの足跡を残したい意欲に差が出てるのではと思ったのでがんす。

踊りでも演奏技術でも今の方が間違い無く向上してるんだけど、どうもその使い方がよろしく無いみたいなのです。
何でも出来る様になればそれが軽く感じられてしまうのは仕方無いもんだが、使い方が悪過ぎれば出来る価値は無くなっちまう。

ポピュラー音楽では元々そんなに何でも次から次へと演れる場面は多く無く、簡単でも大した事なさそうに見えてもその1つ1つの比重は案外重いんですぜ。
そこで今回はフレージングの「流れ」へ言及したいんだが、近年本邦では「無理なコード進行」が乱用されてるのは大変気掛かりだ。

それもセミプロやデビューしたての人だったら未だしも、それなりの実績のある職業作曲家がそんなのを不特定一般大衆向け(特に子供を含む)に平気で出してしまうのには開いた口が塞がらない。
その曲は節操無く転調を繰り返した挙句元のキーへ戻れず仕舞いで、巧い間奏を作れなかったからか暫く音程を無くしリズムだけにして誤魔化していた。

音楽的挑戦には時に禁を破るのも必要だとは思うが、下手に拠り所を無くして「音痴製造曲!?!?」みたいなのを子供へ聴かせるのもどうかと思った。
しかも俺が常時吠えしてる如く同時或は凄く短時間の内に聴ける「比較対象」となる音が無いと、折角風変わりな事をやらかしても聴者には伝わり難い。

そんな曲ではもう手の施しようが無いが、これは編曲やフレージングにもそのまま当て嵌まっている。
その原因は人耳にあり、実質的には脳の解析力の都合に依っている。
人の目や耳は感度その他が自動調整となっているが、必要時に細部迄把握可能とする為に急激な変化には非対応となってるからだ。

電気・電子系音楽や音響に詳しい人なら分かると思うが、コンプリミッタの反応設定がそれに近い。
つまり反応が急峻過ぎると音色や音質迄大巾に変化してしまい、元の音とは似ても似つかなくなっちまう。
だが反応鈍めにしただけでは急な過大入力に対応し切れず、Effectなら歪むだけで済むが目や耳だったら壊れてしまう。

そんな状況下では今度は電灯線のブレーカの如く、一旦データをシャットダウンさせて対処してるのだ。
それが曲・編曲・フレーズ等の音で起きれば、問題箇所の後の暫くのデータは頭へ入って来なくなる。
故にどんなに奇抜に行くにしても人間コンピュータの画面が、ブルースクリーンにならない程度に抑えておくのが大事なのだ。

これが本件に関わるのが急に離れた音階へ飛ぶ等で、全体として特段の配慮が為されてでもいない限りは聴者耳が着いて行けなくなる。
演ってる方はどうだビックリしたか凄いだろなんて思ってても、井の中の蛙もイイ処なのだ。

「特段の配慮」については関連事項とセットにして次回以降へ譲るが、んな事言ったってルート音が離れちゃってんだけどのアナタへ助け舟。
そんな時こそ「経過音」の出番で例えば階段の段数で、一段の高さが高過ぎたら段を増やして段差を縮小するのと似た効果が得られるのだ。

だからって段数が多過ぎると歩数が増えるのを億劫に感じる場合もあるが、階段を昇降する人を一般聴者に置き換えれば子供と年寄りしか居ない様なもんになる。
この場合のタフな働き盛りや元気な若者はってぇと、音楽を演る側の人がそれに値している。

サッサと戻ってこの経過音が要る場合、コード進行や他パートが出してる音に依って制約があるのは確かだ。
でもたった1つの音しか選べないケースは少なく、となれば使える内のどれを選ぶかがプチだがフレージングや編曲って事となるのだ。

又これはどんなにルート弾き教の熱心な信者でも避けては通れず、従ってこの手の状況下ではフレージングをサボろうとしても不可能だ。
無理に省けば脇見か居眠り運転するみたいなもんで、どんな大事故になってもワシャ知らんよ。

<つづく>

2019年11月 6日 (水)

音楽備忘録91 BassパートのフレージングⅥ

続いては楽器種にあまり関係の無い、Bassパート共通のフレージングについてだ。
前回最後で匂わせた!?本邦古来!?よりのルート弾き盲信から行くが、リードパートへの過忖度も無きにしも非ずだがそれ以上に言語的にBassの意味を取り違えてるからなのではと考えている。

最も稚拙な発想から推察すると、楽器Ampやオーディオ機器の音質調整ツマミの名称からの誤解となる。
低音用のツマミの名称がBassとなってるが、「低音=Bassなのね、じゃあBassは兎に角低音だぁ」みたいなケース。

これは半分は正解だが海の向こうの皆さんの考え方はこっちと違って、音楽の土台を司る音域だからLowにしないでBassの方が感覚的に分かり易そうって按配になってるのだ。
現に音響機器でも娯楽方向のはBassだが測定器とか電子回路の呼称となると、Low FrequencyとなっててBassって単語は何処迄行っても出て来ない。

つまり音域も関係はあるもののそれよりも役割を重視した名称でベースキャンプ等の言葉の如く、海の向こうの方々は土台とか基盤等としか殆ど思っていないのだ。
意地悪思考をすれば打楽器系以外に低域を出す楽器の無かった昔の日本、それが掌返しでルート弾き盲信とは片腹痛いわいのワイだ。
その逆に親切思考とするなら低域の扱いの歴史が浅いから芸が無いのかもだが、ルート弾きにこそ意味合いやその内容次第で大変な可否が出るもんなのだ。

もしBassのフレージングなんてちっとも分からんって場合、ルート・5度・そのオクターヴ上か下辺りを均等に行き来させるなんてのが俺のお勧めだ。
コード進行に依っては最大でオクターヴより半音下の音までいきなり飛ぶ場合があり、意固地になってルートの中で一番低い音に固執するとそれが露骨に出て流れを阻害する危険があるからだ。

例えばノーマルチューニングのエレキBassでE→Dなんて時に上記が起こるが、もしEを4弦開放じゃ無くオクターヴ上のを出してれば全然飛ばないからね。
だが更にその前のコードとの都合ではEが低い方が好都合なんて場合もあり、Dに行く寸前だけ上のEになるんじゃ何だか如何にも過ぎてバレバレだ。

そうなると経過音としてルート以外の音も使って、滑らかに自然に繋がって流れる様にする必要が出て来る。
その中で一番簡単・シンプルなのが4度とか5度の音で、その場所が特殊コードで無い限り調の長短(メジャー・マイナー)にも影響が無い。

因みに鍵盤ではかつては鍵盤数の制約がやはりあったが、今ではトランスポーズ機能のお陰で解消してるから関係無いかってばそうは行かない。
打込みでもそうだがここ迄機器性能が上がるとどんな低周波でも「出せる事は出せる」が、スピーカや耳が対応し切れなかったり音程判定が困難となったりする。
ので効果音等としてなら使えても、普通の「ベースライン」としては実用性が無い。

又ルート音は何時だって大切だけれどそれを特に強調したいとか控え目にしときたいとか、他パートが鳴らす鳴らさないor鳴らせない等との絡みも考えなくてはバランスが取れない。
例えば太鼓・鍵盤・ギター・Bassの編成だとして、鍵盤もギターも複雑なテンションコード等の為ルートを省略せねばならない時もある。

その時だけルートが弱体化した様に聴こえるのを防ぐには、Bass以外の両方がルートを鳴らせてる時には敢えてこっちが避けてあげるのも思いやりだなんてな。
戯言としてはそんなに日本の鍵盤やギター奏者ってルート鳴らさなかったっけかで、私的経験値としてはその手の輩こそホントにこっちじゃ滅多にお耳に掛かれて無いんだがねぇ。

具体例を挙げてくが俺が最初に思い浮かぶのだと、自身の十八番パターン完成後のKieth Richardsなんか象徴的だ。
プログレやフュージョンみたいに複雑怪奇を狙ったのなら未だしも、シンプルでベーシックなスタイルの音楽なのにあんなに5,6弦のルートを鳴らしてないのは特筆ものだろう。

これが日本人だと出掛ってもオリジナリティが足りず、強いて言えば逆パターンだがChar位だろうか。
Charは面倒なテンションコードでも省略する音と押え方にとても独自の工夫を凝らし、普通は殆ど無理そうなテンションとルートを共存させている。

尤もわざわざそうする理由がハーモニーに対する拘りからの様で、組んだ相手(Bass)に前衛寸前な位自由に浮遊させる意図もあった様に感じられる。
それを意識したかどうかは不明だが、Johnny, Louis & Charのトリオ編成で演られると実に分かり易かった。

エレキBassは普通に聴こえる様にするには和音はせいぜい2つが限界で、音域が下がるにつれ実用性のある音の組合せは僅少になる。
又ルートと離れたハーモニーを鳴らしたくても多数派は4弦しか無いからこれもかなり限られ、その上2音となるとルート・調の長短・テンションノートのどれかを諦めなくてはならない。

幾ら操るのが世紀の鬼才の加部氏と言えど、道具が応えられんのではやはり制限は残る。
そして俺的最大注目案件は彼等は「弾き乍ら歌う」処で、余程の超人以外は歌うと楽器で演れる事に制限が掛るのも当たり前だ。

但しその場所が楽器に依って違ってるのが今回の核心で、普通のアンサンブルでは一番違いが出易いのはGuitarだ。
例に依ってその逆へ目を向けると、細かい音が少な目なBassはフレージングに依っては全く無影響な場合も多い。

因みにⅡで「細かい音少な目」の誤認回避策を取らせて頂いとくと、その主因は楽器都合や奏者力量では無い。
音域の低さに依る和音構成上の都合と、曲の基幹伴奏を維持させる為でありんす。
前者は本来ハモる音の組合せでも低域干渉が起きて濁ったりするヤツで、後者はそれの悪例比喩をすれば早口過ぎて言葉が聴き取れないなんてのと同じだ。

故に例えルートだけにしても多少動かすにしてもBassだけは普通部では弾く負担は殆ど同じ、それでも他パートの人に頑張りを無理強いするのが親切なのかよってね。
ってよりアンサンブルの柔軟性や実現性を考えりゃ、ココがBassの出番なんですがねぇ。

<つづく>

2019年11月 5日 (火)

音楽備忘録90 BassパートのフレージングⅤ

期せずしてパターン化みたいな具合になって来たが、前回エレキBassだったから今度はシンセベース等それ以外のに行ってみよう。
Rock Band等では何時もシンベってのは若干厳しそうだが、低音楽器の形態に拘らなければ自由度等を飛躍的に上げられる。

とは云えどんなBassにも得手不得手はある訳で、って冒頭から油の切れたシーソーみたいにぎっこんバッタンしてるが…。
今日に至っては打込みやループもあるから適材適所にすりゃ良いんだが、編曲観点等からは常に当り前なだけでは不都合にもなって来る。

又ジャンル毎にBassフレーズにもお約束的パータンがあったりして、それを迂闊に排除し過ぎるとらしさに不足を来したりもする。
それでかJan HammerやStevie Wonder辺りはシンベでも、かなり弦バスライクなフレージングを多用してたりだった。

Stevie氏は一説によると楽器の本職はBassなんてのがあるから未だしも、Jan(ヤン)氏のそれは却って鍵盤で弾くのは酷く大変なのをやってのけていた。
そして後者は打込みが困難で俺の場合は主にスキル不足のせいとは思うも、シンセのホイール若しくはジョイスティックを極限迄絶妙に駆使してそれは成り立っている。

近年は鍵盤にタッチレスポンスが大抵付いてるからか分からんが、かつてはリボンコントローラやブレスコントローラ等もっと「加減させる方法」が多かった。
ホイールだけでも本当に使いこなすには生楽器以上に大変な位だから常用・多用するのが廃れたのは仕方無さそうだが、個性だとか独自の表現にはそんな部分が一番モノを言う処なのだ。

フレーズ話しで弾き方を呟くのも何だが、どう弾かれるかを無視してフレージングが成り立つもんでも無いのは事実だ。
エレキBassにもそれが無くは無いが、やろうと思えばどうとでも出来る物程考慮しとく必要があるのではと考えている。

音色自体はシンベ系統のは物理的には電子合成音なので、弾いても打込んでも音源選択で一致させれば場合に依っちゃ全く同じとするのも可能だ。
だが随時随意の「手加減」の部分では正反対に近い状況で、楽器が何であっても必要なだけの加減が出来ないと存在価値が薄れる様だ。

この件がフレージングに悪影響を及ぼす典型はグリッサンド等で、ピアノみたいに音階の間の音が出ないのなら打込んでも大差無いがね。
コントラバス等フレットレスの程じゃ無いにしても、弦系は鍵盤よりは音階に階段感が付かず連続的な音程変化に聴こえるの多々なのだ。

これが楽器Bassも弾く事がある人なら未だしも打込みでは実現が面倒になる為、世のフレージング辞書にグリッサンドは無いとなっちまうのが恐ろしいのである。
概述の如くBassパートは地味っぽくて実はかなり目立つもんなんで、音は動かしたいが特定のスケール(音階)感は持たせたく無い様な場合にこれが障害となる。

ここで言う特定のスケール感とは例えば調の短長等で、Rock系ではメジャー・マイナー感を意図的に殺す場合も多いからね。
或はRockじゃなくてもBassは一定で上物が長短を選択する事で、同じ土台の上でメジャー・マイナーを行き来させる様な技が使えなくなる。

それだって上物下物のこの部分の役割を逆転させる手が残っちゃいるが、長短音の「鳴ってる時間」に大きな違いが出るのは避けられない。
つまりBassでは通常時だとルートを無視して長短音だけを鳴らしてる訳にも行かず、一方上物の方は「コード弾き」すれば絶え間なく鳴らせるからね。

故にBassパートでは長短を決定する音は使い方が要注意で、メロディとの絡み次第で効果の増減が著しい。
旨く演れば一瞬の短3度音でマイナーワールド全開に出来る場合もあるが、最悪時は経過音等として以外に何のご利益も無い場合があるのだ。

因みにⅡで俺のBassパートグリッサンドスキルは、エレキ→シンベ→打込みの順に低下している。
が表現手段として少なくとも自分には必要なので、少しでもニュルッと音階感が出ない様に労力を駆使している。
ルート弾き若しくは+5度のみでもリズムパターンの変更でバリエーションを作れはするが、Bassパートの刻みは≒曲のリズムパターンなので実質的には選択肢に強く制限の掛かるケースが多い。

出血大サービスの因みにⅢで俺がBassのグリッサンドを学んだのはPaul McCartneyで、昔から他でも使われてはいたが一寸違いもあった。
他の多くはエレキギターならテケテケみたく、瞬間芸とか装飾的要素でしか殆ど使ってない。
処が流石は第一人者たるP氏の場合、明らかに常用するフレージングとして多用してるのだ。

<つづく>

2019年11月 4日 (月)

音楽備忘録89 BassパートのフレージングⅣ

前回最後の問い掛けをちゃんと皆は想像出来たかな?、って何もコケにしようってんじゃないのよ。
もしかしたらそんなになる可能性のあるフレーズが、そもそも思い浮かばなくて分からなかったらと心配なのさ。

何でも日本のだったらJ-POPと呼ばれる様になって以降興味を逸したので聴いて無いが、それでも繁華街やお店や誰かの音漏れは一応耳には入っている。
でもオッサンには近年本邦ので印象に残ったBassフレーズが皆無で、Guitarにしても「リフの退化」には恐怖しか湧かない程だ。

そこでBassフレーズ命となってる曲紹介でもしてみっぺで、悪いが新旧趣味嗜好には一旦目を瞑っておんくなせー。
してもし知らないのがあったら、取敢えずは一度耳を通しておくんなまし。
誰にでも参考になるのは保証すっから、どんだけ「そんなのアリなんだ」を味わっとくれ。

では参るが最初はWings(Paul McCartney)のSilly Love Songsで、邦題は確か「心のラヴ・ソング 」だったっけかだ。
早出の因みにとなるがこの「邦題」ってのも洋楽浸透には考えもので、原題との関係性が遠いヤツには困らされる。

当初は英語アレルギーの人にも馴染んで貰おうとしたんだろうが、Rock寄りのあちらの曲には名称に正規の文法が通用しないのも多いからなのだ。
一寸最近何故かクイズ番組っちまってるが、
それでは問題です。

Syl Johnsonって人のFonk Youって曲があるんだが、そのFonkをどなたか英語として正確に訳して頂けないでしょうか。
独り芝居状態にすら入ったが誤認回避と親切心で答えをバラしちゃうと、正解は「無理」でしたぁケケケケケ!?。

調査結果に依りますと英語Funkの語源のアフリカの言葉だそうで、もっと知りたい人はググってちょ。
として要するにチトややこしくなるが日本語英語(和製英語若しくは日本語として定着しちゃった英語)みたく、英語アフリカ語となってて「通じる外国語」状態なんだそうです。

これは俺得意の’77年のなのとその筋の人達の間では、もっと前から使われてたらしいから何とかググれた。
だが言葉すら音の1つの位置付けのも多く、本人達だけが勝手に造語した様なのも一杯ある。
そんな一切理解を求めて無いネーミングのを意訳しようったって、土台無理なのにとっとと気が付けっての。

して歌う都合でこっちは歌詞と発音は押さえにゃならんで、洋楽に興味を持って直ちに邦題を放棄したのだ。
かなり長い審議中断になっちまったが斯様事情で邦題を知らないのが大半なんで、この先は原題だけで行かせとくれって事でした。

さて長々お付き合いさせてスマソしたがSilly…ですが、この曲は歌メロ以外にはBassフレーズしかメロディライン的な物が殆ど入って居りませぬ。
なのでもしBassフレーズを無くせば曲が半身不随になりまして、逆にBGM等になら素晴らしい出来栄えの歌メロを省いても使える様な状況となっとりゃーす。

Paul御大の場合何つったってエレキBassの第一人者ですから類例多しで、Goodnight Tonightなんかに至ると良くそんなの弾き乍ら歌えるな状態でコピーに苦労しましたわ。
でも一番有名なのはやっぱりCome Togetherなんだろうけど。

次はYesのRoundabout こっちはBassフレーズ以外にも色々散りばめられちゃいるが、この曲にしか無い部分となるとBassしかありゃーせん。
彼等は世間の分類上はプログレなので前衛オーケストラ調のアンサンブルだが、この曲だけは他のよりBassフレーズのせいでワイルドさと少しのFunkyさが加味されてポピュラリティが高まってる様に思えます。

他にも幾らでもあるのだけは分かってんだが思い出すのに酷く時間が掛る体となっちまったので又として、この他にもGuitar等とユニゾンになってるのでも全てがGuitar由来では無いのに注意して欲しいッス。
加えて仮に発端はGuitar等他のだったとしても、歌に入ってもBassはそのまま繰り返してるヤツにもご用心だす。

こんなのは2つのメロが共存してて成立してる曲なんで、もしそんなのからBassフレーズを迂闊に省けばカツラが外れて禿げバレる状態に陥ります。
しかしてこの手のを演りたい場合にBass音域のGuitarってな百人力で、エレキの弦バスを真に使う意義が出て来るので御座居ます。

<つづく>

2019年11月 3日 (日)

音楽備忘録88 BassパートのフレージングⅢ

引き続き「勘違いBass軽視」案件その2へ早速参るが、今回のは一寸本邦特有の悪癖かも知れない。
それは恐らく本邦に於けるエレキBass奏者黎明期の状況に、端を発してると私的には考えている。

これには主に3パターンが想定され、その1つは流行導入としてウッドベース奏者がエレキにも手を伸ばしたケース。
2つ目はアップライト(ウッド)では弾くのに難儀してたのが、小型化に依って演れる様になったケース。
そして3つ目が打算的だが演奏技術の低さからか、ギターを弾こうとしたがベースへ半強制的に回されたケースだ。

ここで問題視すべきは1と3のケースで俺的には従前からの意識革命を図れないと、エレキBassguitarのポテンシャルを引出せない可能性が高い処だ。
上でBassguitar とギターを付けた理由は概述且つ後に記すが、要は楽器認識が違えばそれが奏法へ及びひいてはフレーズの大差に繋がるからだ。

本邦ではエレキは極一部限定ではあったがギターの方は戦前から存在したが、環境差等のせいかBassのは西欧と比すと大分遅かった様に感じられる。
これはJazzのBassistでエレキ常用の大ベテランを探すと、Jaco Pastorius等に相当する様な人がこっちには殆ど居ないのに気付くだろう。

Jack BruceやStanley Clarkeは本邦ではRock寄り認識が未だ強い様だが、彼等はチャレンジングなだけで基本的にはJazz屋さん以外の何物でも無い。
そもそも彼等はエレキよりずっと以前から前者はチェロ・後者はコントラバスの名手で、Jazzの中で新しいとか独自のスタイルを築く為がエレキ主用の最大理由としか見えない。

ここでRock屋の俺がJazz話しを続けてるのはエレキ移行の具体的内容面で、Jazz屋さんは何を差置いても他のジャンルの人より自作フレーズへの拘りが断然強力な処にある。
つまり音量も無関係では無いだろうが、それよりも出せる音色や弾けるフレーズの拡大が目的だったと伺えるのだ。

それが証拠かは分からんもエレキBassを最初にあんなに歪ませたのはJack氏で、Jimi HendrixのFuzzにしても彼は元来Blues Manである。
過激さ元気さで先頭に立とうとしたRockの人じゃ無いのは意外感があるが、案外旧来のジャンルの人の方が新味を出すには必要性があったんだって事っだろう。

それがこっちじゃシンプルなフレーズだけでも辛うじて演れるジャンルが流行ってから普及したもんだから、例えば七徳ナイフ(万能ナイフ)の7つある機能のせいぜい2~3位しか使ってない様な状況となっちまいやがった。
私見として本邦でもBassフレーズが「活発化」したのは打込み全盛以降で、しかし今度は急に一気に完全自由化したからかベーシックがハチャメチャな事になってる始末とオォ嘆かわしやでありまする。

ほんで本件2と3の場合悪いのは本人以上に「左遷したつもり」の奴が癌なんだが、Bassを良く知りもしないエゴナルGuitarist等ならではの大失態の典型だ。
本邦では演奏技量を猿でも分かる体育会系速弾きに何時までも依存してる様だが、これはスポーツの記録更新と同じで短寿命な暫定チャンピオンに過ぎない。

近似形態でガタイの大きいエレキBassguitarは単純物理論では限界速がギターに劣るのは自明の理だが、音楽は=スポーツでは無いんだから稚拙な考え過ぎだがや。
なのでルート弾きベースを否定こそしないけれど、それしか演らないんならエレキBassである必要は無いのだ。

電気・電子の力を借りられる迄は低音を出すのはずっと大変で、演奏の都合を殆ど無視してですら辛うじて鳴らせる様な状況に近かったと思われる。
例に依って妙ちくりん比喩だが、素手で大音量Crashを鳴らせるもんなら鳴らして見せてでごんす。

Cymbalはそれ自体の硬さのせいか、叩く方も表面が硬くないと力が上手く伝わらんみたいですな。
小音量でも足りるストリートやカホンとの組合せなら兎も角、それでか昔Sheila Eは思いっ切り足で蹴飛ばしてたっけか。

拙者は割りそうで恐いし、そもそもそこ迄足が上がらんので圏外だが。
でもそれもバチ(ドラムスティック)を使えば、そんなにしなくても充分音量出せるよね。
そんな面で本邦エレキBass奏者に大影響が出てると私感してるのが、折角正式名称にGuitarって付いてんのに「まともなピック弾き」の出来る人がとても少ない処だ。

これは指にしても本邦ではピッキングのいい加減なのが氾濫しとるが、その最大原因にフレーズ問題が潜んでるとワシは睨んで居る。
例えルート弾きだって雑でムラだらけで良かぁ無いが、もしたった1回しか出て来ない音でそうなっちまったらと想像して頂きたい。

<つづく>

2019年11月 2日 (土)

音楽備忘録87 BassパートのフレージングⅡ

一般印象ではBassistってBand内で一番地味っぽいが、少なくとも演る側がそう思ってたならとんでもない勘違いだ。
もしこれに異論があるならかかって来いや相手になってやるぅ…じゃ無くって、きっと大損してまっせ。

音楽を一定以上に正しく理解出来てたらそんな勘違いはしないと思うが、先ずは「音楽自体には余計なエゴ」は
排除して考慮されたい。
ではエゴ以外にも勘違いに繋がりそうな例を挙げてくが、その1はリードパートの人が作編曲者の場合だ。

Rock系ではBassistが歌わない・歌えない人の場合に特に良くあるパターンだが、その場合少なくとも素人聴者には正規メンバーでも「バックの人」同然に見えても仕方の無い処だ。
Van Halen等特殊奏法のせい等もあってかなりワンマンっぽく映るが、親分がそんなに万能なら何故わざわざBassistを正規メンバーとして揃えてるのかが変になる。

私的にはMichael Anthonyには興味が持てず、その後息子になってからはもっと聴かなくなったが…。
は兎も角として誰にでも必ず存在意義が認められる程の人選とは思えず、しかしそれは外野の意見だ。
Eddie氏がBand形態にどの程度の拘りがあるのか知らんけど、取敢えず演る側として正規メンバーの方が良い理由があるらしいのは確かだ。

現にStonesはBill Wyman脱退以降にBassistを正規メンバーとして居らず、俺に至ってはそれ以降前よりつまらなくなったからファンから離脱した…のはどうでもよかった!?。😓
かも知れんのにそんな付加えをしたのはStonesアンサンブルの個性の核がBassフレーズとしか思えないからで、それより象徴的に目立つ他の個性はグループでは無く個人所有のと見えたからだ。

脱線係数の高い俺だからついでを少し続けさせて貰うが、彼等の作曲者クレジットには個人的にはかなりの疑惑を持っている。
例えばMiss YouからBassフレーズを省いて曲として成立するのか等で、歌メロとコード進行だけでは足りなさ過ぎる気がする。

そうで無くともグループとしてのアンサンブルへ着目すると、Jumpin’ Jack Flashは実はKiethがBassを弾いてるがその方向性は何時ものWyman氏に近く思われる。
一般的にこの曲みたいなリフは全員ユニゾンにする場合が多く、本家もLiveではそう云うバージョンも多々あった。

だが私的ではあるが原盤では敢えてBassがリフに付合ってないのがとても印象的で、その結果どのコードの上に乗ってるリフなのかが分かり易くなってる。
これはリフがドライバーでコード(Bass)が乗ってる車とすれば、顔を見て「うわっF1チャンピオンだ」となれば競う意欲は萎えるだろう。
でもこっちが軽自動車でも良く見てみてチャンプが三輪車にでも乗ってたら、俄然勝つ気が湧くかも知れんでしょ。

音楽を分解して個別評価するなら別だけど、普通は全体が聴こえてそれでどうのこうのって思う訳だからさ。
だから今既に皆が知ってからだとあまり気にならんかも知れんけど、出した当初にありきたりなユニゾンにしててあれだけ流行ったかは分かんないっすョ。

Stones様には無礼千万っぽいが純粋にリフの良さっつうと、俺としてはCreamのSunshine of Your Loveの方が大分上の様な気がするある。
これは好み尺度じゃ無くて何せ楽器はおろか歌までユニゾンで、それでいて3~4分間取敢えず退屈する人が殆ど出ないみたいなんだから。

等と言いつつ私的には両方同じ位好きだし評価してるのは、聴いたトータルでの良し悪しで楽しめるかどうかが決まって来るからだ。
段々調子が出て来たから(只の暴走!?)Creamの方のもも少し言及しとくと、実は一番凄いのは多分ドラムだ。

最初に聴いた時は録音のチープさもあって、人食い人種かなんかが演ってるのかもと思った位だ。
太鼓のリズムパターンもだがノリが何とも奇妙な独特さで、まさか英国人だけで演ってるなんてってね。

この辺でイイ加減で戻るけど、単なるワンマン暴君かどうかの見極めは部外者には一寸分かり難い。
だが暴君であれば余程弱みでも握られて無い限り、幾らもしない内にメンバーの流動が起こりそうだ。
そして音楽が主であるならば音楽的に為にならん状態を続ける筈も無く、それがグループのメンバーで「音を出す人」なら必然性があったって事だ。

又かなり時間経過してからの様子を見ないと分からなかったりするが、Stonesのスタイルを創出したのはWyman氏はおろか今は亡きBrian Jonesその人だ。
曲としての出来栄えとヒット度は彼が居なくなってからの方が良いかもだが、独自性がどんどん増えてそれをフルに発揮出来てたのは彼が健康な内だったと思う。

音楽で先ず重要なのは曲の良さと思ってるが、だからって一番売れた曲しか聴かない人は居ないってか無理な相談だ。
なので少し変な発想かもだが最悪でどの程度を維持出来てるかってのが、現実的だし次を聴いて貰えるかに繋がってる気がするのだ。

加えて聴き手のスキルに左右されないとなると、演奏技術の凄さは通用しない場合があるから本案件ではパス1。
つまり大した事無い曲・大した事無い演奏力でそれでも何とか出来るとすれば、編曲や音色面しか残っていない。
そんなテク不要でアイデア勝負が可能だとしたら、Bassパートのフレージングが一番改善の余地があるのではないだろうか!?。

<つづく>

2019年11月 1日 (金)

音楽備忘録86 BassパートのフレージングⅠ

是迄本職の話しが少な目だった言い訳ってんでも無いが、もしかしたら俺の出自に関係があるのかも知れない。
本人としてはRockやFunkyなのが大好きで、ある時点からそれを自分でも演って楽しみたいとしか思ってなかったからだろうか。

今では担当可能などのパートにも御大層な俺流みたいな自負も持っているが、BassistとArrengerについては周囲から言われてから認識を持ったのだった。
楽器を本格的に始めたのは中3位だったから遅めの中二病!?かもだが、本人としては大天才で超イカしたRocker等と恐れ多くも勝手に決め込んで居たもんだった。

それでか現行Bandメンバー内比較でも後の2人は○○奏者然としていて、特に休養中のGuitarist等はそれが氏名・年齢・性別等よりも常に先に来てる位意識高い系だ。
自パートへの意識の高低は担当に依って時に功罪も出る様で、楽曲中のSoloパートに対しては意識が低いと宜しく無い模様だ。

それでか俺は当初はエレキGuitarから始めたんだがSoloの評価があまり得られず、Soloが無くても目立てるBassへ自然に興味が移って行ったらしい。
後にはリードギタリストとしての参加要請も増えたので今では使い分けが出来る様になったが、当時そうなった最大原因はどうやらフレージングにあったみたいなのだ。

当時はひたすら強いとかカッコイイBeatを求めてたから、カッティング等の刻み系は自信・評価共早くから獲得出来ていた。
反面メロディに対する興味が不足しててリズムに面白味を持たせられないのだと、やる気も衰えるがそもそもメロディラインがあまり浮かばなかったりであった。

ここで「Soloが無くても目立てるBass」の解説をさせといて貰うと、それは各パートの通常運転時に与えられた自由度の差にあるのだ。
例示はスリーピースBandの構成としてドラムから行くと、太鼓はその強大なパワーが最大の売りだ。
が、それ故曲リズムに反するのとか他が聴こえなくなる様な真似は普通部では演れない。

Guitarは曲コードの都合から後の2人が出せない音は省けなく、普通部ではその縛りはかなりのもんだ。
実際には合奏のお約束は増減する物で、全員が違う事をする場合なんかだと平等に責任担当となる。
或はユニゾンの場合だったら「遊びを入れられる」のはドラムやGuitarの方が大抵は機会が多いが、遊びフレーズは曲に対しての必然度が低いため楽器ヲタは別として一般聴者の記憶には残り難かったりする。

また人数が増えてった場合もBassは他パートより輻輳する事が稀で、この点だけならドラムもそうだが普通なら最大同時4音鳴らせる上に太鼓とCymbal等掛離れた音色を1人で出せる。
リズム隊等を「下物」とするとメロ扱いの多いGuitar等は「上物」となるが、上物は同じ或は相当近似な楽器が複数になるのもしばしばだ。

で例えばGuitarが2人居てその音色とか音の出る場所なんかが同じか近かったら、どれがどっちの音か判別できるのは奏者本人だけになったりする。
そんな按配なのでBassのフレーズは、ある意味普通部では唯一個性の安定発揮が許された場所とも看做せるのだ。

曲の基本リズムパターンとコードから外れさえしなきゃ、割かし他パートから音域が孤立してるのもあって自由度が高い。
但し毎度述の如く自由には責任が付いて来るもんで、曲のコードとメロ以外の広範囲がBassフレーズ次第で大きく変容するのは忘れるべからずだ。

ドラムのリズムパターン・ノリ・正確性も曲に無影響では無いが、それがマイナスに響くのは主に曲の分かり易さ等に留まる。
上物系は例えば3番迄ある歌物の場合だと同じコードになる場所で毎回違うのでも弾かぬ限りは、曲が怪我をしても死に迄は至らない。

Solo部を失敗したとしてよっぽど楽しい失敗とかやらかさん限り、歌手が笑いのツボへ嵌ってその後が歌えなくなる様な悲喜劇も起こらない。
それからすると一見地味だがBassは曲中での「支配時間」が長く、その継続性も高いから大問題だ。

これらからすると何故どっちかってば目立ちたがりな方の俺がBass向きなのかが分かる気がして、目立ちたがりにもその中に種類があるからだろう。
俺の場合は常にNo.1をとは思って無くて、もしそうだったらそもそもグループなんかにゃ絶対参加しない。

どんなに用意周到で完璧な青写真に忠実に従えても、他に誰か居ると何らかのハプニングで邪魔される危惧があるからね。
つまり常に欲しいのは「居る」のがずっと分かって貰える処で、その点他パートから音域が離れてるのなんてうってつけなんだろう。

斯様にアンサンブル全体視点だと地味過ぎるBassistは困るんだが、その辺は次回以降へ宜しく。

<つづく>

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