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2019年10月31日 (木)

音楽備忘録85 寿命 編曲耳!?編Ⅺ

戻って来た処でボチボチ一旦締めに掛ろうと思うが、編曲耳は基本的に何でもやたらと聴くのから始まってると考えて良いだろう。
前回83の終盤で曲・編曲・演奏の貢献度分別法みたいなのをプチ披露したが、分かり易さ一択ならもっと極端な方が良い位だ。

演奏以外の部分の判定に適すのはギリギリ演ってるのが分かる位のド下手さんのが向いていて、けれどこれはかなりの拷問かも知れない。
又曲・編曲のクウォリティがあまり高く無い場合だとあぶり出しの失敗作の如くとなって、これも厳しくなってしまう。

はたまた比較出来るバージョンが非存在の場合もあり、そうなると単に受け手のままではどうしようもなくなってしまう。
しかぁ~し現代は発達した文明の利器のお陰で、手間は掛ってもまだ諦めるのは早いのだ。
そんな場合こそ無味乾燥・無情緒(おやまあ大変スンズレイぃーっと)の打込みの出番じゃないでしょうか。

打込みだと音色と演奏が共通となるので、それ以外の部分の優劣が出易くなるのは確かだ。
音色の素晴らしさで誤魔化す!?パターンのシミュレーションは出来ないが、例に依って裏思考すればそうなってるののメッキを剥がすのには最も適してそうだ。

ウチの現況では普段はあまりそう云う意図は無いけれど、それでも和音構成の「駄目な当り」を見付けたりそれが無いかの確認には常に利用しとります。
概述の通りClick使用録音を半強制状態なのでついでに打込んでるだけで、大元はと言えばそのClickの長さを何も無しでカウントする苦痛から逃れようとしただけですがな。😓

そもそもは滅多に数えないってのも問題かもと思うが、交通量調査じゃあるめいしっなんてさ。
俺がバリバリ理系の癖に何で音楽だとこうなったか考えた事も無いが、近年では見当たらなくなった俺が不得意な「割り切れない小節数の進行」等にも興味があるからだろうか!?。

普通のメロディなら小節進行が偶数なら偶数じゃないとおかしくなる場合が多いが、流れが阻害されないか寧ろ良くなるならこれに囚われる必要の無いのが音楽だ

或は歌の音程の正確さにしても最近は無理くり修正の都合もあってかジャスト至上主義的に感じるが、聴いて心地良けりゃ常に少し低目でも高目でもホントは全然構わない。

それどころかジャストじゃないのが味わいや独自表現の要素となってるのさえあって、ボカロが普及してもう随分経ってるのに今更皆対抗したってバカバカしいじゃあ~りませんか。
そりゃ意図的に微妙にズラすとなると神業に近くもなるけど、西洋で利便性と共通性の為に一応設定した音程何ぞに囚われ過ぎても仕方無いです。

和声理論からすれば現在汎用の音程である平均律は正確にはハモって居らず、綺麗にハモるのは純正率の方でがんす。
なので楽器と歌をなら未だしも歌同士で綺麗なコーラスにするには、誰もが無意識に純正率の方でハモっとるんでありんす。

楽器の方は工業的な理由等で殆どが平均律になっちゃってるからそれじゃコーラスとは少しズレてるんだが、普通に演って聴く分に幾らも問題にならないからそのまんま。
一方でエレキギターのチョーキングなんかだとBluesみたいにそのニュアンスが全てみたいなのだと、理論的にセーフでも感覚的にアウトだったら不許可と急にシビアになる。

因みに管楽器等では純正率利用の方が多いとも目にしたが、ギターチョーキングも単音な場合が多いのには共通性がありそうだ。
チョーキングは単に音階の間を連続させたくてする場合もあるが、必須となるのはブルーノートみたいな1/4音(半音の間)みたいな音階外の音を欲した場合の方策なのだ。

MIDIの規格がかなりラフなのは当時の技術レベルが大元だろうけど、今でもそんなんで通用してるのは特定時以外音楽は一部を除くと大雑把でも平気なものだからでげしょう。(少なくとも医療等と比べたら)
但しMIDIとか打込みだけで行くと普通のやり方では特定時非対応なので、それに気付かず多くの者が自ら表現巾を狭めちゃってるのは危惧すべきだと思うけどね。

これ等からすると生楽器主体のとエレキバンド系主体のアンサンブル編曲では、特に力を入れて聴いとくべき場所が少し違う事になる。
楽器数も出せる音域にも制限の多い後者は必然的に音色依存度も上がるので、独立したアレンジャーより部内兼業の方が有利となる場合が多そうだ。

だがパートが少ない分楽になるかってば寧ろ逆の方が多いし、奏者が自分の音を活かす為の副業等とタカを括るとロクな仕事が出来ないもんだ。
そもそもは良心的な奏者なら自分がどう振舞えばもっと曲の良さを引出せるかなんてアプローチをしてく訳だが、それ故力量に長けててもエゴやナルシシズムが強過ぎると編曲家には不向きだ。

そんな人だと普段の聴き方からして編曲耳には逆の聴き方になってしまい、自担当パート聴点では良くてもそれ以外の聴き方をされたら最低のなんかを過大評価してしまう。
更にそのまま続けていると一般聴者感覚からは益々乖離して行くので、下手に編曲なんかに手を出すよりスター街道まっしぐらを貫いた方がまだ成果が上がるだろう。

知識や理論以前にこれが編曲家の適正だと考えられるが、もし向いて無くても悲観等する必要は全く無い。
どんなに超人的天才でも同時にこなせる作業数が飛躍的に増えるでも無く、人に頼まなければその分時間と労力を取られるだけ。
1曲を仕上げるのに手間取れば生産量が低下と、どんなポジションに付こうと長短の場所が変わるだけの事なのだ。

何処をどれだけ担当しようとしまいと「いいね」が沢山貰えて、「あの「いいね」の人だ」ってなれれば結局はそれが全てなんじゃないかな。

<つづく>

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