音楽備忘録68 寿命 内容編Ⅶ
今回は前回の流れで弦楽器テクを寿命の観点から考察するが、ここで問題にするのは流行り・時代等では無いのは最初にお断りしておこう。
ブームから遠ざかればニーズは減るが、だからってもしThe VenturesがLiveでテケテケを演らなかったら非難轟々だ。
少なくとも俺が見に行ってたら金返せなんて騒ぎ出しそうだが、その技がオリジナルだとか第一人者が演るのなら寿命は奏者が生きてる限りは保証される。
だが全然流行ってもないのを本家以外の者が安易にやると、そんなのいいからさぁ等と思われたりするもんだ。
では何故そんな違いが生じるかってば、単に最初にやったからだけが原因では無い。
そのテクが認知された状況を推察すると分かると思うが、誰も演ってない変な弾き方をすれば「その場」では一応観客の気を惹ける事だろう。
だがもしそれが音楽的に未完成だと定着せずに忘れられてしまったり、音楽的効果が不足してたらテクでは無くパフォーマンスと思われるのではないか。
そして非効果的な物はもし技術的に瑕疵が無くても、周囲のフォローが得られんから広まらない。
要は出したい音に対し従前の技術では不可能だったので、その為に新開発したって処が重要なのだ。
なので極端な話し違う技で出来るのならそれで同じ表現をしても構わなく、体験としては手前味噌の邪道だがオルタネイトピッキングすべきのを変形トリルで弾いてクレームを貰った事は只の一度として無い。
しかしそんなのは当然非最適選択だから、フレーズ次第では再現困難なのも出て来る。
依って結局は後からでもオルタネイトの方もマスターせねばならなくなるが、飽く迄出音優先で取り組む特有のメリットもあるのだ。
それは技術の過不足より音の過不足が先に判別出来る様になる処で、そうなれてると持てる技術を音楽的に最大限活用出来るのだ。
演奏家観点ではどうしたって人が出来て自分が出来ない技が気になって仕方無いもんだが、何の演奏家(つまりは音楽)なのかって原点を失念しては元も子もないのであるよ。
近年ではジャンルとそれに要する演奏技術の優劣は無くなりつつあるが、それでもジャンルやその中での路線等に依って常時要するテクレベルには差がある。
そんな中比較的正確な記録が残っている限りの歴史経緯では、意外にも新しいのになる程一般的に言われる演奏技術は不要となっている。
これは例えば音量と音色・強弱とタイミング等をより個別に操れる様になったのと、それを誰もが容易に聴き分けられる様になったのが原因と思われる。
生Pianoのみで普通に弾いてフォルテを凄く籠った音色には出来ないが、電気・電子楽器だとそんな表現も一寸の事で出来ちゃうからね。
となるとテク全体の完成度も然る事乍ら、その技を選んだ目的に対しての充足度が肝要って事になる。
それには幾ら滑らかに弾けても音色が淡泊過ぎたとか、強弱に問題が残ったりしたら意味が無い。
とどのつまりはどれだけ出音自体へ拘れるかなんだろうが、拘るにしても何処をどう注意するかが理解不足では向上の足掛かりが無いのである。
それには耳と感性の鍛錬が要る訳だが、理屈や奏者倫理とでも言おうかそう云うのが先行しちまうと駄目なのよ。
では具体的にどんなのが堅実な方法かっつうと、テクを著しく最低限に留めつつも巾広い表現をしようとすれば良いのだ。
アマチュアが趣味で模倣する分には形だけでも無問題だが、プロになってどんなに苦しくても簡単には撤退したくないなら内容が全てなのだ。
加えて俺自身も齢取ってからの新技術習得は若い頃より困難とずっと思ってたが、それより表現力の方が一朝一夕では行かないしもし「耳が成長不良」だったらその方が致命的なのを知った。
聴力は加齢で必ず劣化するものなので、衰える前に必要な成長をし終えてるのが理想だ。
一度聴き方のコツみたいなのが身に付いてれば聴力が多少劣化しても代替策等も取れるが、聴こえ足りなくなってから全貌を洩れなく把握しようったって無理な相談だからね。
<つづく>
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