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2019年10月29日 (火)

音楽備忘録83 編曲のコンセプトⅡ

編曲耳案件の途中でコンセプトへ来ているが、意識次第で違って聴こえたりする場合もあるからの寄り道だ。
編曲自体には曲を駄目しない限りは無制限で、でも普通は演る人の都合等もあるのでそれへ適応させるもんだ。
これには功罪両方があるが独自性の点では編曲者と奏者が同一の方が効果的な様で、それはコンセプト自体にも大いに影響している。

例えば一等どんな音楽でも演れる物ってば偶発性を除けば打込みだろうけど、物を楽器に置き換たら今でも生ピアノではと思っている。
しかしジャンルに依ってはピアノの入る余地が無かったり、例えばRockピアニストが出自の大編曲家は居るかも知れんがすぐには思い当たらない。

なのでピアノ無関係或は距離感の遠い音楽では、既存のピアノと譜面を基本とした編曲では到達させ難い領域があると考えている。
それがBand等での編曲の特色で、優劣は無いが夫々のフィールド次第で発想の違い等はやはりある様だ。
個人的には必要に応じてピアノも弾くし稀には譜面も使うけど、譜面があると大抵はどうしても聴覚より視覚に皆が依存気味になりがちなのであまり好きくない。

Jazz屋さんからしたら偏見気味に思われるかもだが、チョーキングやアーミング・空ピッキング等は譜面では読み取り難いしそれ以上に明確な指示が出せなかったりする。
するとピアノの様な楽器と比べるとRock系エレキギター等は、必然的に譜面では演り難い処が出て来るのもある。

それ以上に編曲に影響があると感じるのが音色等で、音色の可変巾の広い楽器では理想はそのものの音自体で伝達しないと埒が明かなくなる。
例えばドラムセットの音色セッティングがDixieland JazzとMetal系でもし逆だったら、あっても物珍しさだけでアンサンブルバランスを殆ど取れなくなりそうだ。

近年ではエレキの歪みもEffectorでその場での自由度が
上がったのでかつて程では無いだろうが、同じ歪みの深さでも寧ろ生音よりも極端な音色差がある。
近年Metalのよりは実際の歪みがかなり浅くても、初期のFuzzのは壊れてるのかって位ワイルドだったりする。

こうも極端な音色差があると聴いた感じにそれに輪を掛けて違いが出るから、そんな場合はフレーズより音色指定の方がアレンジかも知れない。
ポピュラー系では歌の伴奏部だとあまり奇抜なのは向かないし、弾くのと歌うのが同一人物なら誰でも無理無く弾ける奏法はかなり限定されるしね。

この点でそれには知見が必須となって来るが奏者の個性も尊重するには、ニーズと個性が最初から一致してるか近いのが望ましい。
そこでメンバーを固定せずって人も最近は増えて来て、この面では少しJazz界のやり方に近付いたかも知れない。

但し俺的には最近のには少し感違いがある様で、失礼だが足りない個性同士で組合せだけ変えたってっと感じられる。
Jazzでは固定メンバーのグループが割合的に少な目だったからか、各奏者がとても強い個性やスタイルを持っている。
それで晩年のMiles Davis等を除けば、例え大喧嘩になってそれが音に出てもそれも1つのパフォーマンスなんて感じて出されていた。

だが決まり事の少ないJazzだから出来た特権でもあり、ポピュラー系やRock系では中々そこ迄各自が自由にしてまとめるのは難しい。
けれど逆視点で眺めれば好みの合ってる者が集まった場合に統一感を出し易い訳で、この辺の関係でソロよりグループのアーティストが多目になったんだと推察している。

それでも普段と違う音が欲しくなる事だってあるからそれはソロでってのもありだが、メンバーの了承が得られる場合は他にも方法がある。
その1つにパートチェンジってのもありどちらさんででも出来はしないが、Beatles等は録音では曲毎にかなり自由に皆移動していた。

この方法のメリットはどうしても出したい奴が自己責任でとなる処で、人に無理強いをする心配を無くせる処だ。
或はこんな風に弾いとくれと実演して見せたのを、弾けるんだったら自分で演れよとなったのが事の発端かも知れんがね。

只何れにしてもイメージやコンセプトは上手く伝達出来なかったとしとても、思い付いた本人が一番詳しいのは間違い無いのだ。
差し詰め上記手法は言葉が駄目なら音で示しましたみたいなもんで、演奏の上手下手以前に「ああ、そう云うのだったのね」は初歩段階の重要素ではないだろうか。

演奏家の技量は音楽全体に当然影響するが、純然たる作曲や編曲は演奏非依存の部分なのである。
現実的には総合判断で良いと思うが、幾ら素晴らしい演奏でもイメージやコンセプトから外れればそれは別物だ。
聴くに堪え得る範囲でって条件は付くけれど、作者自身が演奏するのにはこう云う大きな意義がある。

そこで俺は曲判定をしたい時は先ずは本人演奏か原版のを聴いてみる様にしてて、良いと思ってたのに大した曲じゃ無かったって時は後の別人のは編曲か演奏が優れていた証明にもなる。
この作曲と編曲と演奏の3者は相互に影響し合ってて分別が難しい事があるが、同じ曲で人違いやバージョンがある場合はそれも聴いてみると3者の貢献度が分り易くなる。

<つづく>

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