音楽備忘録72 寿命 内容編Ⅸ
前回お勧めした俺言い「俯瞰聴き」の続きであるが、奏者に対してそんな大雑把なのをってのは矛盾気味ではある。
他人様のだったら音程を、自らのだったら細かいミスを聴き洩らす危険があるのに…。
実際体験からも聴き始めてから云十年のBeatlesのRainで、Ending部のGuitarの変態ローチューニング(6弦E→G)を正確に把握したのはつい最近だった。
当初から何か変なの鳴ってるなとはずっと思っていたが、演ってる人達が人達なだけに追及する気が湧かなかった。(無制限で何でもアリなので)
今でもあまり追及心は無い口だが何故気付いたかってば、GuitarとBassの音域を逆転させてみましたみたいな意図が読めた気がしたからだ。
私的分析に依れば欧州系ではエレキBassは割と高い音域も平然と使われてたが、本例もそれのご多分に漏れずなだけだっと思っていた。
だがそれにしたってBassが随分上ばっかりな感じで、何だか意固地になって絶対Dより下を鳴らすのを避けてるみたいだった。
逆転説は勝手な推測に過ぎないがBassとGuitarの最低音が、これだと5度離れるので不要干渉が防げるって寸法になってるわ。
最初から気付く人も多いだろうに何時もにも輪を掛けて杜撰な話しだが、一応の言い訳としてはGuitarは最後迄はコピーしなかったからなんだもんっと😅😓。
一方Bassは最初からカッコイイと思ったから割とくまなくって感じだったけど、「下に余地を残す」へ気付くかどうかで原版とは何らかの差が生じてた心配はある。
それはBassの音色で普段からP氏のは太目と感じていたが、この曲でこの感じを得るには絶対に太さが足りないと駄目そうだからだ。
通常ならある音域の低さが無くなるんだから、余程音色でアピールしないとBassに聴こえなくなりそうだもの。
またこの曲での演奏編成は一般的なGuitar主体のRock Bandなのに、違和感は皆無だが半ばお約束のGuitar Soloが無い。
その代りBassがその要素もずっと兼務してる感じで、他で良くある単に動き回るBassとはやはり違いがありそうだ。
さて例に依ってこんなのがどう寿命に響くかってぇと、折角の変態技を「わざと控え目」にしてる処が該当している。
分かり易いに越した事ぁ無いのに、ってもそれは曲や歌についての話しなのだ。
下手に曲や歌より変態技が目立ってしまえば最悪は、聴き手は編曲だけに気を取られる可能性があるですから。
その編曲だってそもそもは「曲の為」にわざわざそんな風にした訳で、根幹たる曲要素が欠けてはノーコンの剛速球投手みたいなもんになっちまう。
最初はその圧倒的な球速に誰もが驚かされるがフォアボールばっかで勝てなきゃ、良くて「残念な選手」の記憶が微かに残るだけだ。
対戦相手もノーコンなのを知る迄は必死に当てようとするだろうが、振らなくても待ってりゃ確実に出塁出来るのを知ればそれ迄だ。
つまりとても短命な一発芸みたいなもんで、幾ら凄くても基本要素に欠陥があれば寿命は無きに等しい。
急がば回れじゃ無いが技やアイデアを長生きさせるには「曲として長生きさせる」のが一番で、全体として面白味が足りないとすぐに飽きられる。
ホントは素晴らしい技でも下らない曲でしか使われてないなんてなっちまうと、技自体の価値迄低いと勘違いされてしまう。
少々まとめれば曲に有用な演奏とは、一面で優れた編曲でもあるのだ。
特にはアレンジャーを立てて無いBand等だとその極致みたいなもんで、これは単独演奏をする人の場合にも大いに該当している。
各楽器特有の魅力や奏者の得意技をアピールするのも当然ではあるが、純粋な演奏だけのつもりでいるのとプチ編曲家の意識もあるのとでは場合に依っては大差が出る。
そしてこれが弾く時以上に聴く時に、その聴き方に様々な相違をもたらすんだから見過ごせない。
確実にこれだけは断言出来るのは普通は出てる音全部が誰の耳にも入るって処で、何時になったら・何回目になったら聴いて欲しい処を聴いてくれるか不明だし未定だけどね。
もし何の苦労も無しに出せた音なら当たれば儲け物で済むかもだが、散々苦労しといてバレたらお終いなんてのを作っては自傷行為に近いかも。
<つづく>
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