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2019年10月

2019年10月31日 (木)

音楽備忘録85 寿命 編曲耳!?編Ⅺ

戻って来た処でボチボチ一旦締めに掛ろうと思うが、編曲耳は基本的に何でもやたらと聴くのから始まってると考えて良いだろう。
前回83の終盤で曲・編曲・演奏の貢献度分別法みたいなのをプチ披露したが、分かり易さ一択ならもっと極端な方が良い位だ。

演奏以外の部分の判定に適すのはギリギリ演ってるのが分かる位のド下手さんのが向いていて、けれどこれはかなりの拷問かも知れない。
又曲・編曲のクウォリティがあまり高く無い場合だとあぶり出しの失敗作の如くとなって、これも厳しくなってしまう。

はたまた比較出来るバージョンが非存在の場合もあり、そうなると単に受け手のままではどうしようもなくなってしまう。
しかぁ~し現代は発達した文明の利器のお陰で、手間は掛ってもまだ諦めるのは早いのだ。
そんな場合こそ無味乾燥・無情緒(おやまあ大変スンズレイぃーっと)の打込みの出番じゃないでしょうか。

打込みだと音色と演奏が共通となるので、それ以外の部分の優劣が出易くなるのは確かだ。
音色の素晴らしさで誤魔化す!?パターンのシミュレーションは出来ないが、例に依って裏思考すればそうなってるののメッキを剥がすのには最も適してそうだ。

ウチの現況では普段はあまりそう云う意図は無いけれど、それでも和音構成の「駄目な当り」を見付けたりそれが無いかの確認には常に利用しとります。
概述の通りClick使用録音を半強制状態なのでついでに打込んでるだけで、大元はと言えばそのClickの長さを何も無しでカウントする苦痛から逃れようとしただけですがな。😓

そもそもは滅多に数えないってのも問題かもと思うが、交通量調査じゃあるめいしっなんてさ。
俺がバリバリ理系の癖に何で音楽だとこうなったか考えた事も無いが、近年では見当たらなくなった俺が不得意な「割り切れない小節数の進行」等にも興味があるからだろうか!?。

普通のメロディなら小節進行が偶数なら偶数じゃないとおかしくなる場合が多いが、流れが阻害されないか寧ろ良くなるならこれに囚われる必要の無いのが音楽だ

或は歌の音程の正確さにしても最近は無理くり修正の都合もあってかジャスト至上主義的に感じるが、聴いて心地良けりゃ常に少し低目でも高目でもホントは全然構わない。

それどころかジャストじゃないのが味わいや独自表現の要素となってるのさえあって、ボカロが普及してもう随分経ってるのに今更皆対抗したってバカバカしいじゃあ~りませんか。
そりゃ意図的に微妙にズラすとなると神業に近くもなるけど、西洋で利便性と共通性の為に一応設定した音程何ぞに囚われ過ぎても仕方無いです。

和声理論からすれば現在汎用の音程である平均律は正確にはハモって居らず、綺麗にハモるのは純正率の方でがんす。
なので楽器と歌をなら未だしも歌同士で綺麗なコーラスにするには、誰もが無意識に純正率の方でハモっとるんでありんす。

楽器の方は工業的な理由等で殆どが平均律になっちゃってるからそれじゃコーラスとは少しズレてるんだが、普通に演って聴く分に幾らも問題にならないからそのまんま。
一方でエレキギターのチョーキングなんかだとBluesみたいにそのニュアンスが全てみたいなのだと、理論的にセーフでも感覚的にアウトだったら不許可と急にシビアになる。

因みに管楽器等では純正率利用の方が多いとも目にしたが、ギターチョーキングも単音な場合が多いのには共通性がありそうだ。
チョーキングは単に音階の間を連続させたくてする場合もあるが、必須となるのはブルーノートみたいな1/4音(半音の間)みたいな音階外の音を欲した場合の方策なのだ。

MIDIの規格がかなりラフなのは当時の技術レベルが大元だろうけど、今でもそんなんで通用してるのは特定時以外音楽は一部を除くと大雑把でも平気なものだからでげしょう。(少なくとも医療等と比べたら)
但しMIDIとか打込みだけで行くと普通のやり方では特定時非対応なので、それに気付かず多くの者が自ら表現巾を狭めちゃってるのは危惧すべきだと思うけどね。

これ等からすると生楽器主体のとエレキバンド系主体のアンサンブル編曲では、特に力を入れて聴いとくべき場所が少し違う事になる。
楽器数も出せる音域にも制限の多い後者は必然的に音色依存度も上がるので、独立したアレンジャーより部内兼業の方が有利となる場合が多そうだ。

だがパートが少ない分楽になるかってば寧ろ逆の方が多いし、奏者が自分の音を活かす為の副業等とタカを括るとロクな仕事が出来ないもんだ。
そもそもは良心的な奏者なら自分がどう振舞えばもっと曲の良さを引出せるかなんてアプローチをしてく訳だが、それ故力量に長けててもエゴやナルシシズムが強過ぎると編曲家には不向きだ。

そんな人だと普段の聴き方からして編曲耳には逆の聴き方になってしまい、自担当パート聴点では良くてもそれ以外の聴き方をされたら最低のなんかを過大評価してしまう。
更にそのまま続けていると一般聴者感覚からは益々乖離して行くので、下手に編曲なんかに手を出すよりスター街道まっしぐらを貫いた方がまだ成果が上がるだろう。

知識や理論以前にこれが編曲家の適正だと考えられるが、もし向いて無くても悲観等する必要は全く無い。
どんなに超人的天才でも同時にこなせる作業数が飛躍的に増えるでも無く、人に頼まなければその分時間と労力を取られるだけ。
1曲を仕上げるのに手間取れば生産量が低下と、どんなポジションに付こうと長短の場所が変わるだけの事なのだ。

何処をどれだけ担当しようとしまいと「いいね」が沢山貰えて、「あの「いいね」の人だ」ってなれれば結局はそれが全てなんじゃないかな。

<つづく>

2019年10月30日 (水)

音楽備忘録84 寿命 編曲耳!?編Ⅹ

毎度乍ら一寸順番に問題ありだが、本シリーズ78の補遺も兼ねてそれとは逆の例等を。
本日の生贄は宅にあるドラムマシンと実物Cymbalだが、前者は予想通りだったが後者は私的にはかなり意外な分析結果であった。

例に依って全くの偶然だがソフト音源もドラムマシンも偶然近い時期(年寄り時間では!?)の同社ので、概述と思うが清水の舞台から飛び降りて当時最上位機種だったYAMAHA RX-5を奮発した。
当時はまだ今みたいにゃ叩けなかったのと、楽器・録音機材共々色々不足があったのがその理由だった。

当然買う前に調べられるだけ調べた結果だが、後で「正規化12bit」なる変なサンプリングレートが俺には問題となった。
それは高域再生限界が上記のせいで低く抑えられてた事で、金物系の煌びやかさが不足する場合が出たのだ。

今では余程じゃ無いとデジタル音響物は皆16bitになってっから体験し辛そうだが、当時’90年前後だと楽器系では12bitが多かった。
なので出たてのサンプリングシンセも同様で、折角サンプリングなのに金物系のらしさではFM音源に負けてる部分がある始末だった。
かと言ってこちとら若い時からずっとどっちかってばOld Time Rockだから、露骨にテクノっぽいのばっかになっちゃ具合が悪い。

尤も変に気負いさえしなけりゃRX-5は他所でもあちこちで色々に使われていて、機械太鼓の中では一番機械っぽさが気にならないのは俺知りでは今も不変だ。
実は今になってみれば16bitでも収音の仕方や音色の整え方が悪いと駄目なのが分かったが、兎に角幾ら後からEQ等で格闘しても「元がザラついてる」と煌びやかさを増やせないらしい。

次に時間軸は乖離してるが宅の実物Cymbalの分析結果の驚きで、思ってたよりも16kHz以上が全然出て無いか拾い損ねてた件だ。
では元がブライトじゃないのかってば真逆で、これも多分概述と思うがPaiste The Lineシリーズである。

現時点では分離度を確保したいしそれどころか狭いので宅では未試験だが、モデルは違う(2002)も従兄の処でこねくり回した時Paisteのは
高域の指向性がかなり強いのは知った。
しかしそれでも聴こえる程にはスペクトグラム上では出て居らず、自説!?の「目立つ倍音」が証明された気分だった。

そこからどうして良い実物Cymbalは「ツルツルのキンキラリン」なのか暫し考えて、従前の俺はキンキラばかりに着目し過ぎてたのではって疑念が湧いて来たのだ。
得意の!?屁理屈論法で行くともしツルツルがキシキシとかカシカシだったら、キンキラに濁りが足されて「ギンギラ」にるなんじゃねぇべかである。

慌てると上記に反するが俺的にはギンギラってばZildjianで、しかしジル君はパイ娘さんより聴き味ではかなり中域が強いんだが…。
だがスペクトグラムではジル君は思ったより高域が多くて困窮のキュウでは先進みしないから、何故ジル君の中域がそんなに目立つのかを考えてみた。

自動的に消去法となった挙句辿り着いたのは中域の質で、硬いと目立って柔らかいと控え目に聴こえるって点だ。
硬いの中には音の立ち上がりが速いのも含まれると思ってるが、もし他の帯域より中域だけが先に鳴り始めてたらどうだ。
かどうか確かめて無いのが毎度の杜撰だがもしスペクトラムだけで音色が定まってるなら、これが近似な楽器は全て近似な音色になる筈だがそうはなってない。

この様に人が感じる音色には様々な要素が複雑に絡まってて、上記は極一部の抜粋に過ぎぬが中域次第で高域が違って聴こえるケースだ。
これが打込み音源では何らかの原因で収録音の中域が硬くなってたら、後からツルツルに出来ない場合が出て来るのだ。
もし生でMicのせいでなったのならそれを別のへ変えたりも出来るが、音源になってからじゃMicはもう変えようが無いからね。

煌びやか不足の原因として今回前半のはbit数の影響で後半のは恐らく収録方法等だが、どっちも後からでは緩和医療しか施せないのは一緒だ。
但し前半ので煌びやかさ不足もわざとらしさ(機械っぽさ)僅少とするのに、何らかの関係がありそうなのも確かだ。

となれば打込み音源では極力豊富なバージョンを用意して逐次対応させるとなるが、その膨大なのをどの程度覚えてられるかがかなり疑問だ。
今欲しいのは確かA-8辺りだったよなってなれないと、演る時に楽器を見付ける方へ時間を取られるみたいで非実用的になっちまう。

それを分かり易くする為に「誰それの何々風」とか「○○社の○○型」と名付けられてても、ユーザーがそれ等の音を熟知してなきゃ何の助けにもなってくれない。
常に与えられた物そのままで満足出来るなら結構だが、皆が使ってる道具そのままで独自の音世界を作れるのは多分とんでもない大天才だけなんじゃないかな。

<つづく>

2019年10月29日 (火)

音楽備忘録83 編曲のコンセプトⅡ

編曲耳案件の途中でコンセプトへ来ているが、意識次第で違って聴こえたりする場合もあるからの寄り道だ。
編曲自体には曲を駄目しない限りは無制限で、でも普通は演る人の都合等もあるのでそれへ適応させるもんだ。
これには功罪両方があるが独自性の点では編曲者と奏者が同一の方が効果的な様で、それはコンセプト自体にも大いに影響している。

例えば一等どんな音楽でも演れる物ってば偶発性を除けば打込みだろうけど、物を楽器に置き換たら今でも生ピアノではと思っている。
しかしジャンルに依ってはピアノの入る余地が無かったり、例えばRockピアニストが出自の大編曲家は居るかも知れんがすぐには思い当たらない。

なのでピアノ無関係或は距離感の遠い音楽では、既存のピアノと譜面を基本とした編曲では到達させ難い領域があると考えている。
それがBand等での編曲の特色で、優劣は無いが夫々のフィールド次第で発想の違い等はやはりある様だ。
個人的には必要に応じてピアノも弾くし稀には譜面も使うけど、譜面があると大抵はどうしても聴覚より視覚に皆が依存気味になりがちなのであまり好きくない。

Jazz屋さんからしたら偏見気味に思われるかもだが、チョーキングやアーミング・空ピッキング等は譜面では読み取り難いしそれ以上に明確な指示が出せなかったりする。
するとピアノの様な楽器と比べるとRock系エレキギター等は、必然的に譜面では演り難い処が出て来るのもある。

それ以上に編曲に影響があると感じるのが音色等で、音色の可変巾の広い楽器では理想はそのものの音自体で伝達しないと埒が明かなくなる。
例えばドラムセットの音色セッティングがDixieland JazzとMetal系でもし逆だったら、あっても物珍しさだけでアンサンブルバランスを殆ど取れなくなりそうだ。

近年ではエレキの歪みもEffectorでその場での自由度が
上がったのでかつて程では無いだろうが、同じ歪みの深さでも寧ろ生音よりも極端な音色差がある。
近年Metalのよりは実際の歪みがかなり浅くても、初期のFuzzのは壊れてるのかって位ワイルドだったりする。

こうも極端な音色差があると聴いた感じにそれに輪を掛けて違いが出るから、そんな場合はフレーズより音色指定の方がアレンジかも知れない。
ポピュラー系では歌の伴奏部だとあまり奇抜なのは向かないし、弾くのと歌うのが同一人物なら誰でも無理無く弾ける奏法はかなり限定されるしね。

この点でそれには知見が必須となって来るが奏者の個性も尊重するには、ニーズと個性が最初から一致してるか近いのが望ましい。
そこでメンバーを固定せずって人も最近は増えて来て、この面では少しJazz界のやり方に近付いたかも知れない。

但し俺的には最近のには少し感違いがある様で、失礼だが足りない個性同士で組合せだけ変えたってっと感じられる。
Jazzでは固定メンバーのグループが割合的に少な目だったからか、各奏者がとても強い個性やスタイルを持っている。
それで晩年のMiles Davis等を除けば、例え大喧嘩になってそれが音に出てもそれも1つのパフォーマンスなんて感じて出されていた。

だが決まり事の少ないJazzだから出来た特権でもあり、ポピュラー系やRock系では中々そこ迄各自が自由にしてまとめるのは難しい。
けれど逆視点で眺めれば好みの合ってる者が集まった場合に統一感を出し易い訳で、この辺の関係でソロよりグループのアーティストが多目になったんだと推察している。

それでも普段と違う音が欲しくなる事だってあるからそれはソロでってのもありだが、メンバーの了承が得られる場合は他にも方法がある。
その1つにパートチェンジってのもありどちらさんででも出来はしないが、Beatles等は録音では曲毎にかなり自由に皆移動していた。

この方法のメリットはどうしても出したい奴が自己責任でとなる処で、人に無理強いをする心配を無くせる処だ。
或はこんな風に弾いとくれと実演して見せたのを、弾けるんだったら自分で演れよとなったのが事の発端かも知れんがね。

只何れにしてもイメージやコンセプトは上手く伝達出来なかったとしとても、思い付いた本人が一番詳しいのは間違い無いのだ。
差し詰め上記手法は言葉が駄目なら音で示しましたみたいなもんで、演奏の上手下手以前に「ああ、そう云うのだったのね」は初歩段階の重要素ではないだろうか。

演奏家の技量は音楽全体に当然影響するが、純然たる作曲や編曲は演奏非依存の部分なのである。
現実的には総合判断で良いと思うが、幾ら素晴らしい演奏でもイメージやコンセプトから外れればそれは別物だ。
聴くに堪え得る範囲でって条件は付くけれど、作者自身が演奏するのにはこう云う大きな意義がある。

そこで俺は曲判定をしたい時は先ずは本人演奏か原版のを聴いてみる様にしてて、良いと思ってたのに大した曲じゃ無かったって時は後の別人のは編曲か演奏が優れていた証明にもなる。
この作曲と編曲と演奏の3者は相互に影響し合ってて分別が難しい事があるが、同じ曲で人違いやバージョンがある場合はそれも聴いてみると3者の貢献度が分り易くなる。

<つづく>

2019年10月28日 (月)

音楽備忘録82 編曲のコンセプトⅠ

近回一連のからは少し外れるが最近体験中なので、編曲のコンセプトについて忘れぬ内にひとくさりさせとくれ。
何度も生贄にされては可哀想な従兄だが、現行プロジェクトで一寸悪ループへ嵌った感があるのだ。

本職はドラムでも彼も作編曲も手掛けるし、録音に充分耐え得るクウォリティとは言い難いがギター・ベース・鍵盤等も一応弾く人だ。
現在元ネタは彼が過去に作った曲に不足分を俺が作り足し、それを録音しようとしている処だ。

従兄は俺と違って意見をゴリ押ししたりしないのは良いんだが、原因不明もコンセプトが抽象的に過ぎる場合があってこっちが困窮させられる事があるのだ。
ある意味音楽の難しさの一面なんだろうが、言葉ではどうしても上手く行かず音でじゃ無いと伝わらない事もある。

そこで俺の場合は力説したくなった時は自己責任で実演してみせる事にしてるんだが、これは不可能要求をしてないのとそんなアンサンブルがあり得るのの証明にもなりそうだからだ。
それをしたって常に採用されるもんでも無いが、最低でもイメージの伝達には効果が出ている。

だが上記の通り自分で出来ないからこそ人へ依頼するのもご尤もで、但しそんな場合演奏可否判断が出来ないからこそそこへの注意が大巾に必要なのだ。
これは只弾けぬだけでは無くそれに依って、事前に個人でアンサンブルとしての可否を試せないのにも繋がっている。

元は従兄の方が打込みも早くから手掛けていたのでそれで試せば良いのだが、彼がずっと使ってた打込み機材が恐らく寿命で使えなくなったのも障害になってるかも知れない。
やり出した時期が早かった→PCでは無く音源内臓シーケンサを使用→打込みがクウォンタイズ活用の手弾きだったってんで、俺には意外だったが現状では気楽に試せないのだそうだ。

しかし弾けないのも演れるのが打込みの利点と思ってる身からすると矛盾も感じるし、古典オールインワンタイプシーケンサの入力インターフェイスはその殆どが鍵盤形式だ。(勿論従兄使用のも!)
すると実弦楽器では弾けない様なのも多々ある筈で、その面でも編曲力の育成にはあまり芳しくない。

それに加え非本職パートでは他人の演奏のコピーに変に抵抗感が強いらしく、先日本人に訊いてみたが俺に分かる様な返答は得られなかった。
俺としてはとても単純な発想で何かが少し弾ける様になったら、それを「ごっこ遊び」に早速活用して楽しんじゃえなんて何時も思うんだけどねぇ。

ヤクザ映画を満喫して映画館から出て来る時に皆すっかり看過されちゃってその気になってなんてのと同じで、雰囲気だけを味わうってな極原始的な楽しみ方だと思うんだわ。
音楽系でも初期段階としては弾けなくても歌えなくても贔屓のアーティストと同じ髪型にしてみたり、実際は似ても似つかなくても同じ革ジャンを羽織ってみたり…。

傍目から見りゃそんなの「何だいあの変なのは」以外の何物でも無いんだが、趣味は何でも軽い模倣から入ったりするのは自然な事だと思っている。
下手に押売りされては皆が迷惑するがそれを排除し過ぎてもマズイのは、やったらどうなるのかを知る機会が著しく減る処だ。

例えば多少勇気の居る実験だがどんなに酷くても赤革ジャンでMichael武装してみれば、非難される場所に依って何処が一番本家より足りないのかを知る事も出来る。
太り過ぎが駄目なのか全く踊れないのが見掛け倒しで変なのか、もしどうしても近付きたかったらその場合の努力目標が明確化するのだ。

それで頑張ったってその後挫折するか失敗するか全く不明だが、例え最悪の結果しか招かなくても好みが明瞭化して他人にも分かり易くなるのは確実だ。
なので何でも他人に迷惑掛けず自らが一時の恥をかくだけで済むなら最後は試すしか無く、今はそのお試し部分を一手に引受ける覚悟で臨んでいた。

俺としてはなるべく従兄の個性を引出したいので兎に角指示に従って弾いて録って持って行ってるが、どうも何時まで経っても先方が煮え切らない。
こっちがともすれば器用貧乏なのもイケナイのかもだが、良く分らないけど無性にギターが好きな従兄は全く手強い相手だ。

そして今一番問題視してるのは「我々のスタイル」みたいな処で、好みの中ですぐ実現出来るのも一面でその者達のスタイルだと考えられるからだ。
これが不足してはわざわざその顔ぶれで手掛ける意味が損われ、それならば最早現代では実演奏する価値は無くなってしまう。

過去述の如く俺自身もこの件で神経過敏に陥った体験があるが、そうなると中々先進み出来ぬ分余計に成長も出来なくなってしまう。
俺的にだとこれの唯一の解決策は初心に戻る事で、編曲の場合はなるべくコンセプトに沿って「最低限で表現」しようとしてみるのが良い様だった。

昔と違って自由度が上がったのは喜ばしいが、迷い易くなったのは間違い無い処だろう。
これは道具や環境のみならず人の方も歴が一定値を越すと遭遇するらしく、考えても見りゃ只ジャカスカ演るのの楽しさを知ったばかりだとこんな風に悩まされたりしないんだよね。

<つづく>

2019年10月27日 (日)

音楽備忘録81 寿命 編曲耳!?編Ⅸ

はてさて漸く本題へ戻って行くが、編曲耳の核心は敢えて大雑把に聴く処がスタート地点だ。
いきなりこんな言葉を出すとバカにしてんのかみたいに誤解され兼ねないが、変な先入観から解放するのって案外難しいんですよ。

自らアレンジを意識して手掛けてみようかと思える位の時期に達してるってのは、それなりに音楽にある程度詳しくなってる証拠だ。
それだけ聴く能力も上がっていてあれは○○のこれは○○の音なんて聴き分けられる様になれてるって事なんだが、目だけじゃ無く耳だって何処かへピントを合わせると他はボケちまうもんなのだ。

これを無策に放置してると困るのは、複合技が検知し難くなったりする処だ。
近年は打込みやデジタルシンセのお陰で紛いもん(おっと失礼)でも、実に多彩な音色を自由に幾らでも使える様になった。
だが実はアンサンブルサウンドの真髄はそんな安易な物量作戦では無く、「コラボの魅力」なのである。

目でも耳でもそうだが細かい処迄把握しようとすれば、入って来る情報からその一部を自動的に抜粋している。
そうでもしないと分析・解析処理が追付かなくなるからで、マクロと全体を完全に同時に捉える事は出来ない。
これが編曲では全体が最優先ではあるけれど、実際に音のパズルを完成させるには隣同士のピースを詳細に比較したりしなきゃなんない。

それにはマクロと全体の両方が要るが同時は無理なので、個別に情報収集したのを脳内合成すればOKか!?。
っつうとそれでは問題が残って、個別の時と他のと同時に鳴った時の「聴こえの違い」をロスしてしまう。
そんなん言うても全部は無理言うたやないけでどうしろってば、例えばギターとベースをわざと1つの楽器と思い込ませて聴いてみるのだ。

こんなの急にだと無茶振り感満載かも知れないが、実は誰だって「ド素人時代」は寧ろある程度のまとまりでしか聴けてなかった筈なのだ。
各楽器音に疎い内は近似な音色のをもし同じ音域で鳴らされたら、映像無しで音だけでだとハッキリ区別なんか出来なかったでしょ。

これが楽器をやり出してそれがエレキギターなら、間違って途中でエレキベースのパートをコピーしたりしちゃってると大恥をかかされる。
だけど聴者或は編曲者の立場では何が出したんだろうと、聴いて同じならそんなの知ったこっちゃ無いんですよ。

それより妥協出来ないのはこの曲のこの場所で兎に角「ガーン」てなってなんてので、音楽とか表現を大事にするってなそう云う事ですがな。
尤もそれを意図的に画策するつまりアレンジするには、どれにやらせると一番良いかとか足りるのか等の知見は勿論必要ではある。

アンサンブルの編成・構成次第で実際には有限だけれども、コンビネーションのバリエーションは幾ら頑張ったって全把握出来る程少なくは無い。
なので幾ら知見を高めても事前に完全に「読む」のは不可能に近く、最後は弾いて聴いてを試して行くしか無い。

しかしその実験量と実験ポイントが、知見がある程絞り込めたりして無効量を減らせるのである。
万一あまりにも膨大になると今俺等が一寸壁と対峙してるが如く、時間や情報量の過多で元のイメージがボヤけてしまう場合すらあるからね。
そしてこれに効果的なのが俺言い「コンビサウンド」で、複数が同時に鳴ると単独時とはどんな風に違って聴こえるか等の点なのだ。

それが従兄は日常的に手掛けるパートが少ないせいか、或は常時編曲を手掛けてはいないからかどうも聴野が狭いのが災いしてる様だ。
もし現行プロジェクトが担当分野を完全分離してれば問題とならないかもだが、Band系音楽の面白味は「担当に輻輳がある」のも利点と思ってるから直ちに変えようとは思えない。

ここで今チト苦労してるのは耳で分かって貰う事で、それには普通なら兎に角色々弾いて聴かせれば良い。
だが従兄がその色々の夫々に深く入り込み過ぎる性格なので、一度に比較対象を羅列して聴かせられず時間が掛って適わない。
どっこい雑でも良いから全体の感じで比較して貰えないと困る案件なので、その方策を探ってる処だ。

直上で「時間が掛って…」で懸念されるのはこっちが待てないとかじゃ無く、なるべく等しい条件で比較・選択して貰いたいからだ。
例えば俺は幸い音感はある方だが今みたいに体や気持ちがOFF状態だと誤差が大きくなる様で、これが「ラ」と思ったのが確かめてみたら実際は半音低かった。

依って各自が現況で可能な範囲へ感度を落して構わないから、比較の場合はなるべく聴くタイミングの時間差を無くすのも大切だ。
音痴なんてのも普段は気持ち悪さや不自然さで感知してると思ってるだろうが、稀にはそう云う曲やアレンジのだってあるのだ。

だからもし変態趣味をお持ちであればそっちの方が良く…なんてのは例外だろうが、誰でも等しく音痴判定を出来るのは歌われてるメロディを既に知ってたりする場合だ。
比較対象が無いと音の様に姿が見えない物は、ウチの従兄の深層心理みたいに!?何とも分り難いもんだ。

<つづく>

2019年10月26日 (土)

音楽備忘録80 寿命 編曲耳!?編Ⅷ

またぞろ編曲耳と言っといて深海探査艇みたいになって来たが、今回は打込み音源の寿命に目を向けてみよう。
個人的に飽きてしまったは除く前提として、誰にでも共通するのは時代遅れとかだろうが果たしてそれだけか!?


21世紀に入って以降音楽音響の分野はそれ以前と比べると停滞期に入った様で、俺の若い頃みたいな悲劇は無くなった感じだ。
それでもソフト音源となるとPCのOS更新の影響は避けられず、従来からの現物楽器みたいにそれ本体の寿命が使用期限とは限らない。

音楽で道具寿命で困るのは経験値が高い程良い点で、他と比してまず膨大な習熟期間を要する処だ。
加えて他分野と異なるのは例え習熟期間が凄く短く済む者でも、道具だけじゃ無く並行して音楽自体のスキルアップが必須な処だろう。

それ故世間観からしたらともすれば一見保守的な面も見られるが、一面で道具適応より音楽の内容に注力した結果であろう。
ここのバランスは千差万別夫々だがどちらへ大きく振るにしても、必ず最低限は両立させねばならない。

戦争体験なんかと比べたら低価値だろうが参考に若い頃の体験談をしとくと、どんどん従前には無かった新しい音色が出て来るのは刺激を受けられる点では良かった。
が先ず超金満君か次にそれだけへ限定注力出来る人なら兎も角、俺みたいに非キーボーダーだとその極一部にしかご利益にはあやかれなかった。

そこへ持って来て当時はまだ制作現場サイドへ適正資金が回ってたのか、メジャープロ界では猫も杓子も状態で流行に後れるなとばかりに皆が飛び付いていた。
そのお陰で新しい物へ世間が馴染むのは早かったが、こっちは出来てもかなり遅れて入手では丁度ブームが終わったタイミングになっちまうから救いが無い。

私的典型具体例としてはYAMAHA DXのエレピが印象に強いが、当時先を争って利用を急いだせいか超一流人のでも「それ固有の奏法」みたいなのにはついぞお目に掛れずに終わっている。
元々デジタルが入って来るとその楽器はアナログなのよりゃ感覚的表現巾は狭い様だが、Roland TR-808みたいにその音色が今のHip-Hopやラップ等へ大きなインスパイアを与えた例もあった。

後者は基本的にはリズムボックスだからシンセよりは操作箇所がかなり少なく、前者よりは習熟必要期間が短かった。
その上前者みたいに極短期間に普及しなかったのも、他のでは得難い特有のサウンドを見付ける時間に繋がった様にも思える。

ちんちん因みにリズムボックスってば当初頻用されたのは、俺の記憶ではエレクトーンだけの音楽だった。
その当時としてはエレクトーン程多彩な音色な楽器は存在せず、発音数制限が極一部音色だけなのと手2段+足鍵と一度に沢山操縦出来るのが他とは一線を画していた。

すると例えば鍵盤・ギター・ベース・ドラムって編成のだと後はリズム音さえ出せれば、かなりの訓練は要すもたった1人で奏でられる訳。
なので初期機種はエレクトーンとは別にリズムボックスは単独機を持って来てたのが、その後は内蔵されてるのが当然となって今日に至っている。(それどころかシンセに迄…)

因みにⅡでDXエレピ等の類は実際には伴奏用に巾広く使える代物じゃ無いのは後から分かったが、音色開発の当初目的からすれば仕方無いかも知れない。
だからってCPシリーズ以外のYAMAHAのエレピに末永く使える様なのは出せなかった様だが、「その都度簡単に切替えて使う物」だったのは確かだろう。

この点で打込み用の音源やボカロも「ニーズ次第で切替えて音源」側なのは一緒だが、シンセやドラムマシンより音色を後からユーザー自身で殆ど調節出来ない処が違っている。
その分導入時の音色吟味がより重要になるが問題は、普通大抵は「単音単位」でばかり聴いてしまう処だ。

誰だって楽器選びは普通ならそれ自体単体で好みかどうかから始めるけれど、是又通常は割と「加工度が低い状態」ので試す場合が多いと思う。
だがPC等の音源となると上述等の理由で加工済みのが多く、高加工って事はその分利用用途が狭いのだ。

すると脳内では好みの音色で好みのアンサンブルが組めそうに思えてても、実際にやってみるとどれかが目立ち過ぎたりどれかが埋もれたりして想定外の事態が頻発しちまうのだ。
これが小編成のアンサンブル主体で音数も少ないのしか演らんのなら未だしも、大編成や隙間を埋め尽くす様なのをやりたい程配慮が要って来るのである。

打込みでは弾けない楽器も鳴らせるのと生にのみある存在感の希薄さをわきまえれば、恐らく誰でも多目に鳴らすだろうから見過ごせないポイントだと思うんだよね。
それには今一面白味に欠けてもなるべくベーシックな音色が揃ってるのが良く、例外時若しくは短命覚悟の上で無い限り特定のに特化させた様なのは避けるのが賢明だ。

本来の対策としては予め自らのやりたいアンサンブルのMIDIを作っといて持参し、なんてのが具体的で宜しいが近年の購買環境下ではこれは厳しくなった。
通販では向こう側が想定して準備されてる例しか聴けず、本来なら素晴らしい筈の個性や独自性の高い者に程そんなのちっとも参考にならんって云う…。

これじゃあ稼げてなくても才能のある奴程有名税を取られるみたいで、こっちは偶然だけど不景気中に増税みたいな無理な相談とは頂けない状況だ。
それでも皆さんには是非少しでも抵抗して頂きたく、こんなののせいもあって凡庸になってはもうミュージシャン生命からして短くなっちゃうかんね。

<つづく>

2019年10月25日 (金)

音楽備忘録79 寿命 編曲耳!?編Ⅶ

前回は何時になく絶望感漂う終わり方になったが、対応策は幾らでもあるにはあるのだ。
只懸念されるのは現状ではそれへ踏み込むと、簡単気楽な打込みでは無くなってしまう処だ。

そもそもここ数回語ってる案件自体、編曲耳をまだお持ちでない方には何をそんな神経質な細かい事をと感じられてるやも知れない。
この際一度思いっ切り単純化するならば、簡単・難しいの「場所が」視点や立場に依って移動するって事なのだ。

って何だか余計ややこしくしちまった感満載だが慌てなさんな、要は編曲や演奏で難しいのと打込みで難しいのの場所がズレとるっちゅうこっちゃ。
とっとと具体例へ入るが例えばクレシェンド表現、これは先ずは音量を徐々に大きくしてくが本来はそれだけが全てでは無い。

最近のは電気・電子楽器でもその殆どに弾く強さ(物理的には速さだが…)で音量変化させる機能が付いてるが、古いシンセを筆頭にエレキギターでも設定音色に依っては音量変化が殆ど不能となってる場合が今でも幾らでもあるのだ。

これは深く歪ませてる場合で、そもそも歪みは最大音量じゃ無いと生成不可能だ。
そんな状態でしかし生ドラムと一緒にジャジャジャジャジャなんて平然と弾かれてるが、楽器の物理的最大音量はほぼ一定なのにどうやってであるよ。

それはこうやってって見えないけど、分かり易い音色変化等で代用してるんですわ。
んで「こうやって」ってのは例えば所謂ハンドミュートってヤツで、ブリッジの上へ手を乗せる或は押付けて弦振動をわざと邪魔するんだす。

こうすると普段はギンギンギラギラな音なのがポコポコになって、音色が籠る他音の伸びは短く音程感も普段より減るのでありんす。
そんでクレシェンドの場合はその手をを徐々に浮かすor脱力させてくと、それこそ徐々に普段の音色へ戻ってく訳だす。

ここでポイントとなるのはクレシェンドの長さや上がり方等で、人力の場合は欲しい音加減と手加減は基本的にリンクしとりぁーす。
なのでどんなのでも奏者の感性性能は響きますが、出来ないなんて事は絶対に起こらんので御座居ます。

それが打込み音源となるともし完全対応させるには、その強さのバージョン全部を網羅せねばなりませぬ。
これはもし達成させた処で例えば「エレキ1強弱123」と「エレキ1強弱124」 とかって、それこそ1音毎に音源を切替えるなんて恐ろしい手間になりまっせ。

処がそこ迄苦労しといても「あれっ次は125にしたつもりだったけど合ってるかな」って、見てなら確かめられるけど聴いて確かめるのなんて先ずもう無理ですからね。
だけど音の加減ってな最終的に打込みだろうと何だろうと耳頼みなんだから、耳で確認不能じゃ思った様に加減出来ないやね。

それでも何とかしたかったら残された手段は、例えば「読み」で補ってくとかになるんだわ。
これは野球のバッターなら反応が難しい変化量の大きい変化球を攻略する補助手段で、突然だと全く無理でも分かってれば少しは何とかってヤツですよ。

でもってその「読み」の当選確率を上げるには自分は本来打つだけで良いのに、投げる人や捕る人を観察研究しないと駄目と。
これが音楽でも全く同じで弾かなくても弾けなくても、「弾くならこうする」ってイメージが持てて無いとならんのよ。

それからするとまるで皮肉みたいだが、弾かない・弾けない人程よっぽど聴き込んで詳しくなれて無いとならんのです。
だって試奏してこの位かって加減を計るのが無理なんだから、「お試し不要、こんなのにはこんな加減でバッチリ」って知見として会得しとくっきゃ無いのよ。

因みに生楽器でもポピュラー系では録音で深コンプされると、クレシェンド時の音量変化巾はかなり抑制されている。
なので深歪ませエレキ程では無いにせよこれの表現は、音量変化から音色変化へ大分シフトしてるのを聴かされている。

打込みでは生のみたいなレベルオーバーの心配が無いからその点でコンプ不要だが、当節お流行りの音圧案件や小音量悪環境下聴取時の対応を考えるとコンプされる場合の方が多いかもだ。
それを想定して予めコンプが掛ってる音源もあるが、どちっかってぇとそれを使うのはお勧めし兼ねる。

それは上記の「音量変化を音色変化へシフト」を後から加減出来なくなるからで、第一印象で便利な物が後になってみると実は不便だったの一例だ。
決して禁忌事項と迄行かないけれどこの手の選択最適化の為にも、「生だったらどうしてたか」は打込むにしても結局必要だったのだ。

因みにⅡでわしゃ電子音楽しか演らんから関係無いはわってそこのアナタ、もし一般大衆に理解されたければそんなじゃアカンでぇ。
電子音のみのなんて長い歴史のある音楽では、物凄く最近にだけしか存在せんのですぜ。
そやから「音楽表現」は今でも基本的に生楽器由来のが主体で、音色が生から掛離れる程寧ろ必要だと思うんだがね。

<つづく>

2019年10月24日 (木)

音楽備忘録78 寿命 編曲耳!?編Ⅵ

さて少しは本線復帰させて打込み氏の為の編曲耳であるが、人力時には殆ど無い部分にも影響がある。
それは「音源の選択」で、直接楽器を弄るの程音色の調節が出来ないからだ。

こう云う失敗例とか不適切例には、俺みたいに恵まれて無いのも唯一の出番と勝手に自負する悲しさよ…!?。
今日はどんどん具体的に行くが、今回の生贄は現用タダ古典音源のClosed Hi-Hatの音色だ。

近年の高級なのよりゃ多分劣ってるだろうが、取敢えず困る程酷い音でも無い。
のに何が問題かってば、中域成分不足が後になって災いをもたらすのだ。
ヘッドホンで聴くならそれは露呈しないが、スピーカで斜め横から聴かなきゃなんない時等にお留守になってしまうのだ。

件のの音質は結構頑張ってて高域の伸びに優れてるのは結構だが、高い音域(周波数)になる程指向性が鋭利になり伝播する範囲が狭くなる弱点が避けられない。
音響理論的にもスピーカの都合からもこれを皆無にするのは困難で、しかし良く考えて作られた作品ではそんなに気にしなくても良いレベルになっている。

実物Cymbalでも同じだが本当に良い物は、幾ら伸びる高域が強印象でも中域成分もそれなりに含ませてあるもんなのだ。
そうしてあると音源との向きが悪くても音色劣化は避けられんが、急に留守になる様な迷惑サプライズを回避出来るのだ。

近年本邦みたいに1億総耳穴に突っ込んで聴く化となると従前より平気かもだが、「意図した音に聴こえない場合が最初からある」のは後でどんな悪さをするか不安なもんだ。
これが俺は今の処悪運だけ強し君らしく、普段自分が作業する時にかなり不適切な聴取環境なので直ちに気付けたが…。😓
少しでも良く聴こうとして環境が向上すると却ってバレ難くなるとは、何とも質の悪い現象だ。

これがある意味打込み特有の、音楽なのに音響耳も要する案件だ。
因みに録音屋・音響屋として色んなCymbalの周波数スペクトラム(周波数毎の音量)を見てみた事があるが、案外聴いた音色の印象と実際の成分分布が不一致なのの方が多かった。

そもそも概述低域案件同様、天然で超高域だけを意図的に形成して出すのなんて非現実的な位だ。
それでかなり昔概述の俺言い「目立つ倍音」を駆使して、実際より如何にも高域盛り沢山に半ば幻聴させてるのだ。
その流れだけを引きずって行くと、出せるならもっと出したいと思うのは人情であろう。

ご多聞洩れずで俺も昔は強引にEQでバンバン上げてみたりしていたが、今となってはそんなの悲しい自己満足に終始してただろうと思う。
こっちは生の音も聴こえてる上で、○○部分をもっとと思って弄ってる。
なので気にしてる所に少しでも変化が出ればヨシヨシなんて思ってるが、聴き手が同じ所へ注聴してくれる保証も無けりゃ確率も宇宙空間並に低いであろう。

その後少し知恵が付くと、各楽器毎に少しのEQで大巾変化するポイントがあるのに気付く。
それが目立つ倍音の出てる帯域で、今聴こえてる傾向のままで強調するならそこを少し上げれば充分でしたってな。

因みにⅡでこれをデータベース化して活用すれば現物抜きでも学べると思われるかもだが、各ブランドの秘伝の部分も含まれてたりするから大々的にやられるのは期待薄だ。
だいちCymbalは幾ら機械加工度を上げても最後は職人の調整に依っている等、個体差がかなり大きい方の部類だ。

なので聴き味以上に物理的特性にはかなりの開きがあって、全メーカ・全モデルのDataを揃える迄しても参考程度にしか使えないだろう。
使う個体が決定してからそれの特性を探り…と、事前準備に不向きな処がある。

楽器の現物が実体として存在しててすらこんなであるから、大元はどんな音だったのかを聴けない音源の場合は大変だ。
何時も同じ音って点では音源のは上記の手間は一回こっきりとなるが、収録時に一体どの程度加工されてるのかが全く不明。
万一聴感上元音の基本的個性を維持できる限界レベルまで加工されてたら、「その音色でもっとハイを」なんて余地は残って無い事になるのだ。

これを良心的に解釈したら出来る事は全て事前にやっといてくれたとなるが、楽曲やアンサンブル毎のニーズは無限なのだ。
しかも同時に鳴る音の影響で人耳には違って聴こえるから、音色無調整で何にでも適応させるのは音楽的には無理がある。

今回案件の最大の恐ろしさはホントは上記瑕疵のせいなのに、やってみて良い感じにならなかったからアレンジが不味かったと誤解を生む危惧だ。
真面目に聴き込む程そう思える可能性が高いのも厄介で、そのままでは耳関係で幾ら頑張っても成果が上がらない。

<つづく>

2019年10月23日 (水)

音楽備忘録77 寿命 編曲耳!?編Ⅴ

打込み氏向けとし乍ら過去の手作業凡例が続いてるのは僭越だが、打込みではそれ等の顔ぶれさえ普通は不在なのは尚厳しい。
誰が担うかは凡例とは違うがプロセス自体には大差無いので、只で獲得出来る知見とでも思ってもう暫しお付き合い下せ―。

前回の例示は成功例でGeorge Martin氏の人柄も多分にあるだろうが、Beatlesとの意思の疎通が割と上手く行ったのはそれでも幸運なだけだ。
同じLivehouseの後釜として夫々先輩から紹介されプロになった後続2組は、様相が違って苦労もさせられた様だった。

当のBeatlesだって契約がちゃんと成立したのは2社目で、しかしある意味最初にコケて懲りてたせいで注意点等を先に知れたのは不幸中の幸いだろう。
当時は見掛けの割には無垢だったStones連中は無防備が災いしたか、本来は正規メンバーだったIan Stewartが強制的に裏方扱いへ降格させられている。

もっと後の時代だったら「1人だけ異質なのが居る」のもトランプのジョーカーみたいに捉え、売込み戦略の方を練り直したのではと思われる。
イケメングループも皆がそれを目指せば差が小さくなるが、失礼乍らもすぐ側にブーメンが居ると却ってイケメン度を誇張出来るってもんだから。

見た目だけのニーズだったら芸能界じゃ確かにそんなのありがちではあるが、著名LivehouseのNo.1=実力者に対しては下手な改変は危険な筈だ。
或は当時のStonesの実力を理解出来る者が雇側に居なかったのか、クビでは無く裏で済んでホントに助かったのは会社側の方なのは間違い無い。

因みにBeatlesだってデビューに際しPete BestがRingoと交代させられてるが、これはレーベル側の直接的な指示では無い。
契約社での初録音でセッションドラマーを用意されたのに危機感を覚え、旧知の仲で一番上手な人を引っ張って来たに過ぎない。
容姿と人気では他の3人よりPeteは断然容姿端麗で人気だったそうで、それより更にRingoが大人気だったのは交代には一切無関係の模様。

んでこの件でしんがりのYardbirdsともなるともっと混沌としてた様で、Band活動自体が不安定となってしまった。
彼等が安定したのは当初からはメンバー全替え後のZeppelinになってからで、しかし初期メンバーが駄目だったのでは無くClaptonとBeckは後に大成している。

チームワークじゃ人数は少ない方が話がまとめ易いもんだが、尻の青いガキ共が腹黒業界オヤジと対峙するには仲間が多い方が心強かろう。
私見だがそんなマネジメント面も打込み氏では孤軍奮闘しなきゃなんないが、ボカロ時代はそこそこの作品を出せてた連中がメジャーになる程衰えるのはこのせいか!?。

そして情け無い話しとは思うが、現況本邦のメジャー系に打込みのノウハウを熟知してるスタッフは居ないに等しい。
一寸前なら小室哲哉みたいなのも一部に居たが彼等は兼業アーティストであって、スタッフとしてずっと頼れる存在では無い。

George Martinは最晩年に聴力劣化で辞退した以外Beatlesからの要請を断った試しが無く、レーベルとの契約条項に既に最後まで面倒を見る条項があったのかも知れない。
Bandも打込みもヒット曲も分かる日本人だと小室氏よりつんく♂氏の方が近そうだが、お世話係としては自らのアイドル系プロジェクトが主体なのでそれ以外の者にはチャンスが殆ど無さそうってな具合だ。

ミュージシャンは理想としてはプロになる迄に必要案件が満たされてるべきだが、特殊業界の全てを素人が事前に体験するのは先ず無理だ。
そうなるとプロになって暫くの期間が一番学ぶべき時期となるんだが、近年本邦みたいにそこで良きアドバイザーに巡り合える機会が無いとなると…である。

つまり例えば「お前等○○がちっとも分かって無いから、次の録音迄に勉強して来い」なんて、向こうから言って貰える機会が激減してるのだ。
アマの世界ですら昔は今以上に変な上下関係とか勝手に仕切ってる奴が何処でも必ず居て、それ自体は悪だったがこちらの見落としを指摘してくれる点では無益では無かった。

今は良く言えば他人から干渉されなくなってホントの自由が手に入ったんだろうが、自由な程自己責任は重くなる。
これ等の面で現代での打込みとは、邪魔される心配は殆ど無いが助けて貰えるチャンスが無い方法と言えそうだ。
尤も人力演奏でも余り大差が無さそうだが、録るのに打込みよりゃ頭数が要る分誰かが少しは何かに気付く可能性が残ってそうだ。

その内「聴き方の教室」みたいなのでもやったら、少しは稼げるだろうか!?。

<つづく>

2019年10月22日 (火)

音楽備忘録76 寿命 編曲耳!?編Ⅳ

今では打込みも大いに一般化したのでそれへも時間を割いとくとして、打込み氏にとっての編曲耳についてだ。
近年では音源の質が上がり音色的使い易さも考慮されてるので、生や電気も扱うのに比べれば表面的にはかなりこの面では楽と感じられるだろう。

だがその音源の多くは各楽音の一部のみを取り出した物なので、特に編曲面では人力ではあまり出ない様々な苦労を生じる元凶となっている。
例えばアンサンブルの都合で普段とは違う加減が要る時、パート分全員が揃ってる人力だったら相互に同時に調整出来る。

理論上は打込みでもそれと同等なのが出来るとなってるが、手間も然る事乍らその可否判定に使える耳の数が全く違って少なくなるのはもうどうしようもない。
しかも違うのは数だけじゃ無く音源に対する角度や距離も含まれ、仮に手間を覚悟したとしても完全に同時に行うのが不可能だ。

丁度最近の私的体験で打込みもそれを弾くのも一通りやっているが俺の総合判定としては、
同じ音とかアンサンブルを作るのにその労力は手法に無関係と出ている。
但しこれは手弾き・打込みの両方が可能って前提があるので、これを
取っ払えば夫々に有利な場合も出て来そうとは思った。

ここで本件に関係する部分での打込みの利点を確認しとくと、制作サイドには弾けないものも鳴らせてしまう処だろうか。
楽器が全く出来ない為に具現化不可能だった作曲の才能所持者が救われるのは喜ばしいが、既存の楽器音を用いる場合に問題が出易い。

本来なら構造的に弾けない音を迂闊に多用すると、その楽器に聴こえなくなったりするからだ。
色んな楽器を色んな弾き方をして色んな録り方をしてみると、イメージよりは音色差が意外と小さかったのがかなり多かった。
そこからコード構成音とその並び方やスケールの場合の連続の仕方とか、出せる音程・出せない音程等音色以外の要素が楽器らしさにかなり影響が大きかったのを悟らされたのだ。

なのでアブノーマル第1を標榜せん限りは弾けなくても、弾けるのと同等の知見が持てて無いと思ったよりちっとも自由にならないのである。
これは非打込み氏でも自分が弾けない物に対しては同じ事が言え、どうやって知るかってば弾けない以上ひたすら耳を傾けるしか無いんであるよ。

因みに要望と指示を受けての新曲の演奏を沢山体験してくと、同じフレーズも楽器毎の対応のさせ方が身に付いて来るもんだ。
特に音的な楽器事情に詳しくない作者からの要望には構造的に不可能なものも多く、しかしそれでいて作者のイメージに致命的な欠陥は無いなんて状況も頻出する。

こんな時に鍵となるのは作者脳内では「そんな風に聴こえた」って処で、出された指示は飽く迄イメージであって実際に弾く音とは限らないのだ。
作者サイドの実現度としては「弾ける確証のある音」が指定出来る程想定通りが可能とはなるが、明確でリアル感満載に思い付く程名曲になるとも限らないしねえ。

だがこれは専門家の力を半ば自動的に借りられる人力演奏だからで、個人単独で打込むとなると直接的なアドバイスはそのままでは受けられない。
それなら予めオブザーバーを確保しとくのも手だが、それだと今度は個人の作品に他人の意向が混入しちまう危惧も出て来る。

尤も音楽なんてどんな完全Solo体制でも、実際には大勢の他人の助力があって始めて成立してるものだ。
最近の自身で作って打込んでネットへ上げてにしても、最低でもサーバーのメンテナンス等では必ず誰かのお世話になってるんだからね。

しかし唯一ほぼ完全に自己責任な部分もあって、それがオリジナリティだ。
そしてこの独自性とか個性が実は寿命と直結していて、創作活動継続の絶対条件だ。
兎に角有名になるとかどんな短期間でも世間的に売れるのにはこれは不一致も多いので、商業主義原理では要求されぬ場合が特に近年本邦のメジャー系では多い様だ。

だがそんな雇い主側は純粋にビジネスとしてやってれば、先の事より今成果を出すのが使命だ。
先方(雇う側)は売れなくなったら首を挿げ替える手もあるので、レーベルとしての寿命はとても気にしてても誠に遺憾ながら各アーティストに対してはそんなの全く眼中に無い。

それどころか売り出す・売る実力さえ持ててれば、レーベルすら名を変え体を変えたって痛くも痒くも無いのだ。
なので音楽とかの雇うのと雇われる側の関係には、市場のセリと同じ様な捉え方が本来は必要だ。
プロスポーツ界等でも最近は年俸交渉に専門化を代理人に立てたりしてるが、それからすると本邦で一番危惧すべきは力がありつつ悪用しないマネージャーの居なくなったのが深刻かもだ。

これはプロデューサーにも同じ事が言えそうで、思い起こせばかつては世間では不知でもその筋では高名な職人さんが今よりずっと大勢居たな。
あのBeatlesですらGeorge Martin無しにあそこ迄の大ブレイクは無理だったろうが、George Martinは自身が作・編曲・演奏家且つ技師でそのどれもが超一流の人だ。

だからさしものBeatlesだって青二才耳時代もあったろうが、恐らくGeorge Martinのお陰で難を逃れられてた事だろう。
Beatlesが普通じゃなかったのはそんなだから自分達で出来なくても当面は困ら無さそうなのに、積極的に彼から学んで身に付け様としてそれを実現させた処だろう。

当初はプロデュースの重要性は多分分かって無かった筈だが、Brian Epstein以外では不遜なマネージャーに苦労されられてたからだろうか。
何れにせよ完全自給自足が出来る様になって、周辺環境に恵まれない時でもそれを乗り切れる様になったのは紛れも無い事実だ。

<つづく>

2019年10月21日 (月)

音楽備忘録75 寿命 編曲耳!?編Ⅲ

本シリーズは苦労して獲得した技等を末永く活用可能化するのを念頭に置いてるが、今回は比較の意味も含め編曲家或はそれを目指す者に必要な編曲耳に言及しとこう。
その中でも電気・電子楽器を頻用する場合音色巾が広いので、その面ではよりアレンジャーとプロデューサーや音響技師との境界線が無くなってるのにも触れとこう。

更に自らも演奏出来る場合とあまりそうでない場合で相違が出て来て、幾らも弾けない編曲家の場合は曲以外には「何も音が無い」状況からスタートする事となる。
体験的に正直申せばRock系等の場合上記後者は不利が多く、生楽器主体ジャンルの編曲家と比べると知って無いと困る事が量・範囲共膨大だ。

してその中には最早耳案件とは言い難く、編曲家は音響技師では無いのに音響理論等も必要となっている。
この原因は私的分析に依れば「電気による後の加工」が介在してるからで、電気不使用で出せる音と大きな違いがあるのがその実体だ。

例えば音の低音の含有量等がその典型で電気不使用の場合は、エレキやシンセのBassみたいな高含有率はまず不可能だ。
それが本件にどう影響するかってば、混ぜた時に単純な足し算にはとてもなり難いって処だ。

生系楽器にだって他のと混ぜる前後で違って聴こえる場合もあるが、大抵は夫々の音量と音域の調整だけでバランスさせられる。
この辺でRock系のの実典型例を提示しとくと、殆どの場合バスドラの音をEQで低域を増やしてるのがそれだ。

近年では一部で敢えてバスドラの低域を放棄してアタックを極端に強調したのも聴かれるが、何れもBassと同時に鳴った時も聴き取れる様にした結果だ。
現行の最新設計のドラムセットですら低域残響の多い場所で演奏される想定もあるので、響かない場所とか残響が極端に減る収音方法で録るとBassの低音の量に負けてしまうのだ。

因みに生の場合はそんなに気にならない場合も多いが、それは振動や衝撃若しくはそれに近い物が直接体感出来るからだ。
だったら録音にだってサブソニック成分を増強してで、現にHip-Hop系等の一部ではそう云うのもある


だが一般的には聴者はこの成分をバスドラの音とあまり思って居らず、姿が見えないとそんな大袈裟なとか保険のオバチャンの無理盛りメイクみたいに不自然と認識され易い様だ。
しかも再生装置が非対応だと却って聴こえ辛くなったりもするしで、少なくとも隙間の少ないアンサンブルではこの手法は不適格だ。

概述だが念の為にクド念押ししとくが、物凄く低い音程は一定以上の時間鳴らせないと再生出来ぬである。
なので俺の嫌いなRock系でのつまんない
「ドンパン節」(リズムパターンを揶揄してるつもり)みたいにスカスカのじゃないと、鳴り切る前に他楽器に被られて聴こえんくなるあるね。

エレキやシンセのBassは状況に応じて音色を簡単に自在に変えられるが、それが困難な生楽器はあらゆる環境下での妥協点でそれ自体の音色設定をしとかなきゃならない。
またバスドラとは逆に生Pianoや歌ではエレキアンサンブルでは高域強調される場合も多いが、こちらはエレキGuitar等への対応策と云え様。

故に典型的なエレキサウンド等と生楽器を上手に混ぜるコツを先に知っとくべきで、そうでも無いとエレキの音色をアンサンブルの為に普段とはかなり違う音に変えなきゃなんなくなったりしそうだ。
時に依っちゃそれもアリだけど何時もエレキがらしくない音色ばかりになっては、「エレキのアンサンブル」って特徴を損ねちまうからねえ。

PAレスの生演奏アンサンブルだと電気・電子楽器側での協調が求められるが、大抵そんな場合は生楽器が主役のものだ。
そしてちょっと屁理屈っぽいが妙なもんで、生楽器の方がMic以降で音色操作をしても違う楽器に聴こえる事が実際には少ない。

これってエレキのはAmpのスピーカを出た時点でやっとその楽器の音になってるからで、上記生楽器の音色完成後に弄るのとは何処かで基本要素の欠落や不足を生じさせてるんだと考えられる。
これからすればClassic畑出身の編曲家と後から何でもして貰えると思い込んでる電気・電子楽器奏者の組合せが最悪となるが、近年では流石にそんな杞憂は要らなくなった様だ。

かつて’70年代に入る迄は編曲家・奏者とも近年よりは皆しっかりしたスキルを持ってたのに(機械の助力が少なかったので)、時折何じゃコリぁな事態となってる作品が耳に入って来たもんだった。
しかし冒頭の方で記した如くエレキ関係をキチンと扱うだけで大きな負担があるせいか、イージーリスニング全盛時に比すと大規模なのとかジャンルの垣根を超越したアンサンブルを組める人が減ったのは残念だ。

打込みの方では割と誰もが節操無く採り入れてるが、生の魅力体験が足りぬせいか色んなのを混ぜた成果が低目なのは仕方無いのかな。
って処で打込みの人ってほぼ基本的に全員が編曲家な必要性がある訳だが、それは次回に。

<つづく>

2019年10月20日 (日)

音楽備忘録74 寿命 編曲耳!?編Ⅱ

前回余程注意してないと奏者は訓練がされる程人に備わる習慣が災いして、聴者耳を無意識下に損ねてしまうのを指摘させて貰った。
俺自身比較的早い時期から偶然アレンジを担当したお陰で難を逃れたとも書いたが、後から思い出したのがあるのでそれから行かせて頂こう。

楽器を手掛ける様になって是又かなり早期からオリジナルも演っていたが、中には作者と人間的に遠い人との場合もあった。
コミ障と迄は行かなくもその頃はまだ創作現場体験も多く無いし、実績からの信用だって全く無い。

なので作れても「作らせて貰えない」場合もあって、半分不貞腐れつつエゴフルな奏者になってしまった事もあった。
そんな時は得てして上手く行かないし、少ないにしてもゼロでは無い実力を発揮し損ねていたもんだった。
そして最悪なのはそれを相手のせいと思い込んだりしてた処で、確かにそう云うろくでなしも居ただろうが全てでは無かったかもと反省している。

これが今思い返すと正に本案件たる全体耳を失ってたのが最大原因と思われ、全体としてどうなのかの意識が欠けてしまってた気がしてならない。
何処をどう担当したって自分は自分って思ってたから、立場に依って聴き方が変わってたのが自覚出来なかったのだ。
結局偶然だけで全て乗り切れる筈も無く、やはり意識的に使い分けられる様にして行かないと駄目ってもんみたいだ。

そして中には不遜な俺よりもっと酷いのも居て、
不適切なエゴの為につまづき招かれざる客状態となってしまった奴も居た。
俺がプロになって暫く経ってから全員プロの者が集って製作にあたった時で、そ奴は音に対する想像力がとても乏しい癖に仕切りたがる困ったちゃんだった。

今だと偏見と言われるそうだが当時そんなナルシス君てば、リードギタリストと相場は決まっていた。
これについても今分析してみると、恐らくRock Bandに慣れて無いとかどういうものなのかの理解が足りなかったのが災いしてたんだと考えられる。

一般的に楽器群の中でギターソロだけ毎度出て来るからかもだが、確かに目立つし格好良く決めてくれんと皆が困りはする場所だ。
だが曲が無けりゃそもそも弾けないし歌物曲なら歌が主役、しかもイントロがギターソロのなんて滅多に無い。

だから演者身内視点だと上級国民なのかも知れんが、聴者が曲冒頭から高頻度で耳にする音とは限らない。
視覚的にもギター氏よりゃ目立たないだろうが、それ故実際沢山聴いてそのアーティスト集団の評価の基板になるのは実はリズム隊なのである。

現に過去例の多くはリズムが命のジャンルだと、リズム隊が水準以下で大成した試しが無い。
依って自分がどのパートを担当してるにせよ、編曲では先ず「伴奏を格好良くする」のがベーシックな仕事との認識が必須なのだ。

でそのプロジェクトは歌物で以前からの友人が作者兼リードボーカル、彼の当時の彼女と俺がコーラスも担当していた。
ポピュラー系の楽曲だったから正規の思考をすれば「作って歌う人」が絶対的権力者であり、しかも友人と彼女のデュオ+バックBandって編成だった。

だが嫌な話しだがどうも政治的序列もあったらしく、件のナルシス君が一際張り切ってしゃしゃり出たのである。
実はこの仕事が俺に来る前に俺等共通の友人がトライしてたが楽曲を無視した上その横暴な態度に辟易して中途離脱し、俺に半ば「敵討ち」を懇願されて参加したのだった。

して問題となったのは当時流行りのユーロビート調の曲のギターソロ部で、ロカビリー風のしかもチープなフレーズをBassに弾け(勿論俺に)と言い出しやがった。😅
どうすればそんなミスマッチが成功すると勘違いしたのか全く分からんが、仲間の佳作をそんなので台無しには出来んからのらりくらりとかわしてやった。

そんなの合わないし無興味だからかホントは俺の当時の奏力不足かは定かじゃ無いが、一所懸命に弾こうとしてるフリをしてたら少しは変なのに気付いたのか撤回しやがったのだった。
それがキッカケで悪の交渉力が俺に付いたかこれも分らんが、兎に角最大の危機はどうにか回避出来たのである。

その後暫くの間は仲間内でアイツ最悪ぅ~とか只言い合ってたが、今になってみると随分可哀想な奴だったんだと思えて来た。
良いフレーズを思い付ける人だと全く目立たずにコッソリ弾いてても、「うわっ何今の、もっとちゃんと聴かせて」なんて放っといても何時も自然となっちまうもんだからねぇ。

そこ迄行かずともアイデア提供を促されてちっとも最高では無いにしても、曲に合ったフレーズが出せれば取敢えずは採用されるもんだ。
恐らくこのナルシス君は幾らそんな普通のやり方で頑張っても落選ばかりだったのを、相手が悪いとしか考えられなかった反動だったのだと思われる。

自分に瑕疵が無く周囲が駄目な場合それなら駄目をクビにして、その部分も自分で演ってしまえば良い。
そうして先にそれなりの評価を得る方法もあるが、プロでそれを知らない筈は無い。
実際俺は作曲を始めたのが後発だったからその時はまだアマだったが、実績(作品)無しで評価しろってなそりゃ無理かと悟ってどんどん作って録ってみたもんだ。

それが彼の場合無い=作れない→無才能若しくは努力不足、或はやり方を間違えてて完成させられなかった。
そんなの以外にあんな風になってしまう原因が無く、範囲の狭過ぎる奏者耳が大いに疑われるのだ。

何せBassに弾かそうとするフレーズを、自らのGuitarでしか試奏・確認してなかったっけね。
それに引替えアマチュアだが才能溢れる作曲家の別の親友はそんな時、特に彼自身が弾けない物はこれから弾いて貰おうと思ってる本人に最初の段階から試して貰って尚且つ相談し乍ら作り込んでましたわ。

この親友の手法だと各楽器の担当者つまりは専門家の知見も自然と知れるので、自分で弾けなくてもその楽器事情に明るくなって行く。
それ自体ももう才能なのかも知れんがチームワークの利点をある程度分かってれば、件のナルシス君みたいに踏み外しはしない筈だ。

これが編曲耳を他人の力も借りて育める1つの方法で、孤軍奮闘したり極度に意識しなくても済む。
そもそも編曲耳も今回のお題では「耳の偏り」を避ける1手段として紹介してる訳で、その他のどんな手でも有効性が認められるなら各々身近な処から工夫をしてみりゃOKだ。

<つづく>

2019年10月19日 (土)

音楽備忘録73 寿命 編曲耳!?編Ⅰ

奏者も聴くのが大事なのは弾いてる最中もだが、弾かないで聴く場合にどうなってるかも寿命に対しては大切だ。
弾いてる時は「弾け具合」を最優先せねばならんので、どうしたって俺言い「聴野」が狭まるのは避け難い。
となれば弾いて無い時にどれだけ良い意味で、奏者の立場から離れられるかが鍵となりそうだ。

より上手く弾ける為に折角習得した奏者耳も常に味方にはならず、時には曲ひいては音楽に対しては敵対する場合が出て来る事だってあるのだ。
或は正直に吐露したらその大部分は奏者のエゴ由来かもだが、かと言って万一自己主張0%になる様では最早奏者では無くなってしまう難しさがある。

なので極近所へ飲み物を買いに行く時ゃサンダルで、雨が酷けりゃ雨靴でみたいに使い分けられる様になるのが良さそうだ。
しかしこれも生粋の○○奏者で寝ても覚めてもその道一筋となると、そのままで完全に切り替えるのは難しそうだ。

そこで1つの提案に過ぎないが無興味なのに無理矢理頼まれて、編曲しなきゃなんなくなったみたいな仮想設定をしてみては如何だろうか。
大前提としては編曲の最良は全体がとか全体としては最高に聴こえる様にする事なので、最低でも自担当以外のパートへも一通り耳を通さなきゃなんなくなるですよ。

さて中途半端なタイミングだが奏者の編曲力の必要性を確認しといて貰うが、譜面や指揮者へ何時如何なる時も忠実に従うのに抵抗が一切無い方は編曲力は無くても結構です。
但しそれ等の方々は必然的に無譜面・指揮者無しの場合は実力を発揮し切れない可能性大なので、そうならない環境を確保しとく必要があると思いますです。

又例え指定や指示がちゃんとあってもオケ中のソリストみたいに、個性も同時に求められる場所はお避けになられた方が賢明でしょう。
って事って程度差はあるけれど、編曲力不要の奏者ってなかなり稀少な存在だと思うだすよ。
何時も譜面とにらめっこしてる印象の強いClassicやJazz系の人でも、譜面自体に「ハイこっから即興で」なんてのも時々出て来ますんでね。

んで超弱小かもだが全体体験がある編曲家としての体験から行きやすが、突詰めてしまえば編曲にも作曲や演奏だって含まれるので御座居ます。
これは編曲に限らず他方面から見ても同様なんだけど良い音楽にとっちゃ、何処迄が作曲でどっからが編曲かなんて境界線なんてどうでもよござんすでごんす。

誰が何のキッカケで思い付こうと良いフレーズは良いで、その面では各自が一番得意な所からアプローチするのが近道でしょう。
尤もそれが運や才能だけじゃ無くキチンと理解出来てる上でじゃ無いと、使い方でしくじったりするから駄目ですがね。
その代りっちゃなんだけどこの部分が非才能依存って事は、誰でも取組み方(本件の場合は聴き方)さえ間違えなければ手中に収めるチャンスがあるですねん。

因みに上記を明確化させる目的で「編曲の才能」とはを掲げとくと、当人以外に他人に思い付けない組合せ等って処ですかね。
それは楽器自体の組合せだったり、楽器とそのフレーズが普通とは真逆にしてあったりとか…。

つったってViolinを叩きBanjoは擦って太鼓は弾いてなんて、普通は無理だわね。
なので稀少な例外奏法を巧く組み合わせる必要があって、脳内では可能でも実現するのは並大抵じゃ無い。
のをうまいことやらかしちゃうったら、常人にはとても無理な相談ですわな。

この辺でお帰りなさいましで、取敢えず編曲家耳を持てると先ずは周りとの絡みが頭に入って来ると思うです。
原始的レベルだけどもし他パートが目立ってたら、その場所では1人勝ちは望めないのでその場は相手に花を持たせといてやるかとかね。

例えば歌物曲でドラムが派手なオカズを演ってたとして、ドラムの破壊力は最強なので他が幾ら頑張っても暖簾に腕押しになっちまう。
そやから太鼓が余計な所でエキサイトされると迷惑千万だが、逆の立場から見れば太鼓がエキサイト出来る場所はとても限定的な訳だよね。

って事ぁドラムのその少ない晴れ舞台以外はこっちが好きに出来るとも看做せ、その面ではドラムは共産主義社会下・それ以外は自由主義社会で暮らせてる様なもんだ。
ドラムでも達人になる程パワーがあっても「コッソリ演る」のが上手いもんだが、近年本邦ではゴーストノートとか半ばやっちゃマズイみたいだしーっと。

はさて置き自分だけ出来て他が何も出来ない場所なんてのをもし見付けられると、無理くりアピールなんてせんでも簡単に目立てちゃうのよ。
何より邪魔される心配が無いから、自分のしたい表現に集中できるのがイカしてるじゃん。

<続>

2019年10月18日 (金)

音楽備忘録72 寿命 内容編Ⅸ

前回お勧めした俺言い「俯瞰聴き」の続きであるが、奏者に対してそんな大雑把なのをってのは矛盾気味ではある。
他人様のだったら音程を、自らのだったら細かいミスを聴き洩らす危険があるのに…。

実際体験からも聴き始めてから云十年のBeatlesのRainで、Ending部のGuitarの変態ローチューニング(6弦E→G)を正確に把握したのはつい最近だった。
当初から何か変なの鳴ってるなとはずっと思っていたが、演ってる人達が人達なだけに追及する気が湧かなかった。(無制限で何でもアリなので)

今でもあまり追及心は無い口だが何故気付いたかってば、GuitarとBassの音域を逆転させてみましたみたいな意図が読めた気がしたからだ。
私的分析に依れば欧州系ではエレキBassは割と高い音域も平然と使われてたが、本例もそれのご多分に漏れずなだけだっと思っていた。

だがそれにしたってBassが随分上ばっかりな感じで、何だか意固地になって絶対Dより下を鳴らすのを避けてるみたいだった。
逆転説は勝手な推測に過ぎないがBassとGuitarの最低音が、これだと5度離れるので不要干渉が防げるって寸法になってるわ。

最初から気付く人も多いだろうに何時もにも輪を掛けて杜撰な話しだが、一応の言い訳としてはGuitarは最後迄はコピーしなかったからなんだもんっと😅😓。
一方Bassは最初からカッコイイと思ったから割とくまなくって感じだったけど、「下に余地を残す」へ気付くかどうかで原版とは何らかの差が生じてた心配はある。

それはBassの音色で普段からP氏のは太目と感じていたが、この曲でこの感じを得るには絶対に太さが足りないと駄目そうだからだ。
通常ならある音域の低さが無くなるんだから、余程音色でアピールしないとBassに聴こえなくなりそうだもの。

またこの曲での演奏編成は一般的なGuitar主体のRock 
Bandなのに、違和感は皆無だが半ばお約束のGuitar Soloが無い。
その代りBassがその要素もずっと兼務してる感じで、他で良くある単に動き回るBassとはやはり違いがありそうだ。

さて例に依ってこんなのがどう寿命に響くかってぇと、折角の変態技を「わざと控え目」にしてる処が該当している。
分かり易いに越した事ぁ無いのに、ってもそれは曲や歌についての話しなのだ。
下手に曲や歌より変態技が目立ってしまえば最悪は、聴き手は編曲だけに気を取られる可能性があるですから。

その編曲だってそもそもは「曲の為」にわざわざそんな風にした訳で、根幹たる曲要素が欠けてはノーコンの剛速球投手みたいなもんになっちまう。
最初はその圧倒的な球速に誰もが驚かされるがフォアボールばっかで勝てなきゃ、良くて「残念な選手」の記憶が微かに残るだけだ。

対戦相手もノーコンなのを知る迄は必死に当てようとするだろうが、振らなくても待ってりゃ確実に出塁出来るのを知ればそれ迄だ。
つまりとても短命な一発芸みたいなもんで、幾ら凄くても基本要素に欠陥があれば寿命は無きに等しい。

急がば回れじゃ無いが技やアイデアを長生きさせるには「曲として長生きさせる」のが一番で、全体として面白味が足りないとすぐに飽きられる。
ホントは素晴らしい技でも下らない曲でしか使われてないなんてなっちまうと、技自体の価値迄低いと勘違いされてしまう。

少々まとめれば曲に有用な演奏とは、一面で優れた編曲でもあるのだ。
特にはアレンジャーを立てて無いBand等だとその極致みたいなもんで、これは単独演奏をする人の場合にも大いに該当している。

各楽器特有の魅力や奏者の得意技をアピールするのも当然ではあるが、純粋な演奏だけのつもりでいるのとプチ編曲家の意識もあるのとでは場合に依っては大差が出る。
そしてこれが弾く時以上に聴く時に、その聴き方に様々な相違をもたらすんだから見過ごせない。

確実にこれだけは断言出来るのは普通は出てる音全部が誰の耳にも入るって処で、何時になったら・何回目になったら聴いて欲しい処を聴いてくれるか不明だし未定だけどね。
もし何の苦労も無しに出せた音なら当たれば儲け物で済むかもだが、散々苦労しといてバレたらお終いなんてのを作っては自傷行為に近いかも。

<つづく>

2019年10月17日 (木)

音楽備忘録71 寿命 内容編Ⅷ

例に依って風任せ的に流れ次第で来てるが、今回は聴く事の重要性についてだ。
是迄俺自身突詰めて考えた事は無いが、最近になって知ってる事分かってる事の重要性が日増しに比重を増して来た感じがしている。

散々聴き込んだ音楽ファンの耳ってのも凄いもんだが、ここでは奏者としての必要性へフォーカスして行こう。
他の人がどんなかは知らんが俺の場合、何故か昔から異常なまでのハイスペックな聴き手が身近に居る事が多かった。
音楽知識の面ではこっちは演る方にも時間・労力・経費を取られるので、悔しい事この上無いが殆ど彼等には歯が立たず仕舞いだった。

音の理解の点で奏者って当事者ならではの部分もありはするが、それって結局は単一の音に対してで音楽全体には非対応だったのだ。
これは奏でる上で必要だし大切ではあるがもし音楽自体への理解が不足してると、コピーするには役立つが応用性がとても低いのだ。

因みに聴くの専門でも楽器種限定とかだと奏者耳と似た様なもんで、それなら歌中心に聴いてる方がまだマシだ。
アカペラや特殊なのじゃなけりゃ曲中には大抵歌が休みの部分があり、歌を聴く都合からも歌無し部は恐らく伴奏のメインライン等を自然と辿るだろうから自動的に歌オンリーでは無くなってるねん。

だから自分のパートだけに耳が囚われ過ぎてると、最悪時は歌だけ聴き人にすら負ける場合さえ出て来るのだ。
この矛盾ってか制約から逃れられなくも無策で負け続ける訳にも行かぬので、奏者なりに聴き方へ工夫をしてみるのが救いの道だ。

第1歩としては自分の担当パートを聴く際、その時他はどうなってるのか「音の組合せ」にも耳を向けてみよう。
曲としてのコード(和声)・リズムは全部の音の合成で成り立ってるのだから、同じ音を鳴らすにしてもその役割が分かる様になる筈だ。

すると例えば複雑な構成の和音の場合等「分担率」が最高になってたりして、つまり自分と同じ或は同じ要素の音を出してる人が他に誰も居ないなんてのがある。
こんな時にうっかり外したりするとアンサンブルが「別物」となっちまうから、石に噛り付いてでも各自が頑張らなければならない。

それとは真逆に全員がユニゾンなんて時には肝部分が移動して、音程や強弱よりもリズムタイミングを揃えるのがしばしば大事となって来る。
これ等各音の何処がどう重要かは、全体耳で聴いてる人は無意識でも簡単に気付いてしまうもんだ。
こっち(奏者)はそこ迄大らかでは居られないんだが、だからってそんなの聴者は知ったこっちゃないのが現実あるよ。

ほいでこれがどう寿命と関わって来っかっつうと、一度に1つしか聴けない聴かない人でも回数を重ねると…なのだ。
例えばアータが「自分のにだけ拘る」Guitaristだったとして、Guitarヲタの聴者は「当分の間」は単独で聴いて評価してくれるかも知れない。

けど既にこの時点で該当ヲタ以外の人には評価されぬ危惧があるが、ヲタの人でも何度も聴く内ひょんなキッカケで「他も聴こえてしまう」可能性がある。
その時もしアンサンブルとして不適切箇所があったりすると、もっと適してるのと比べて評価が下がってしまうのだ。

また単独技術のみで勝負してると当初はオンリーワンでも、技術は進歩する物なので時間の経過で将来は在り来りとなってしまうかも知れない。
その点無伴奏で基本的に単独演奏の演奏だけで通してる人はとても厳しい境遇にあると云え、そんな者が生き残るには曲や編曲の力を借りねば到底無理だ。

ついさっき従兄のTwitterで紹介されてたデモ動画は多分10弦エレキだと思ったが、それに少し興味が湧いたのも楽器の使い方に独自の工夫が感じられたからだ。
普通の6弦のでは出せない高音域を出してたのは勿論だが、その時に低い方も同時に鳴らす場面が結構多かったのが印象的だった。

高さだけなら近年はデジタルEffector等を使えば出せなく無いが、低いのと同時且つ自由なハーモニーとなると殆ど不可能だ。
かつてLow Bが追加された5弦Bassの登場時はその音程の低さが新鮮で受けたが、最近ではその頃よりは使われなくなった感じだ。

Bassは単独で和音を出すのが音域的に難しい他アンサンブルの事情もあって、「高いのと低いの同時」がとても低頻度なのも影響したと考えられる。
弦楽器で弦が増えるメリットは音域拡大等だが、それが必須となる状況こそが通常のとの最大の差別化点なのだ。
現に経済事情が主因で(弦代が割高だもん😢)手を出せない俺も、4弦だけ1音下げ(EをD
)等はかなり頻繁にやって誤魔化せちゃってる!?

これ等は大した事無いってば全くそうなのだが、視野(聴野!?)が狭いと案外見落とし易いもんだ。
この面では「外野」が圧倒的に有利で、観察範囲の広さのみならず対象への角度等もにも大抵違いがあるからね。
故に聴き耳を立てて漏れなくってよりはどんな音があったかみたいな、単純で割かし表面的でも全体を俯瞰する感じで聴くのがコツだろう。

つまり時には敢えて「拘り極力排除」で聴くのに、意図的に拘って然るべしかと。

<つづく>

2019年10月16日 (水)

音楽備忘録70 Funkってどうすりゃ演れる16

前回の補足・増強を狙ってBeatの判定基準なんかから行かせて貰うが、俺言い「中間領域の悲劇!?」は何もBeatに限ったもんではないのだ。
音の調なんかだって同じでC♯とD♭は全く同じ音程だが、人次第で好みや習慣等でどっちかだけで言いたがるのが居るのは関係無いか😓。

調に関しては譜面の都合で♯♭は見易い方が優先されてたりもするが、SwingやFunkは本来4拍子系だが3拍子表記しようがどうしようが正しく記譜する術が今の処無い。
となれば3拍子系と4拍子系の丁度中間位を境界線として、それぞれを各々の亜流と見做すのが現実的だと思うのだ。

是迄当拙ブログでは恐らく未出だと思うが、3拍子系にだって基本線より跳ねないのが存在してる。
鈍重若しくは気怠いBluesなんかがそれの典型例で、その出自が奏者のコンディション不良かどうかはアタシャ知りませんけれど。

これ等のある意味「非正規刻み」物は無法者感のお陰で魅力的ってんじゃ無く(含まれる場合も多々ありそうだが)、それに依って音楽の表現手法が1つ増える処にその真髄があると考えている。
リズムのみでの表現手段として特に今本邦ではテンポとパターンだけに偏ってる感が物凄いが、それ以外に先ず強弱やその場所を変えるのもホントは大きな効果があるのに勿体無い…。

えー番組の途中ですが台風の影響で路盤が不安定なんじゃ無く、私超ローカル路線みたいなもんなんで常に線路がぐにゃぐにゃガタガタなだけですから。
してリズム表現手段の中でもしパターンも強弱もテンポも拍も変えたくない場合どうすればっつうと、刻みの間隔やタイミングを変えるしか無いのでごんす。

なので所詮ニーズ次第だけどもし中間領域を否定或は無視しちまうと、本来なら表現可能なおびただしいバリエーションを使い損ねるのでゲス。
俺ならそんな勿体無いのはとてもじゃないが放っとけませんで、しかも基本的には同じ弾き方のままでそれが得られるんですから。

因みにこんなのを物理的にシビアに見ると例えば27/128分音符なんてとんでもない事になってたりするので、正確性へ拘れば驚異的なリズム感が居るでせう。
しかしかなり不安定で曖昧になったとしても気持ちだけでも少しは必ず変えられる筈なので、変拍子や速い16Beat等よりは取敢えず誰でも挑戦して採り入れられるハードルの低さがあると思うんだよね。

そして物理的解析ならワシャ餅屋自認なんでこっちからも突っ込んどくと、人耳のタイミングの判別能力も併せて考えるのが大事でっせ。
対象とする音が同一だったりそれに近いと1個か複数あるのかすぐバレるけど、違う音の組合せだと凡そ20〜25mSec以下の時間差だと人耳は時間軸の分離が不能となっとります。

では敢えて上記現象になるべく抵抗してみると、ズレが0と例えば20mSecではタイミング以外の部分にその差が現われるだす。
それは強さ等で大人数での綱引きと同様あるが、アンサンブルが醸し出す全部の音が常に最大に強けりゃ良いかってば寧ろそれじゃ芸が無いですな。

それと関係があるのか黒人系ではカウントのOneだけを気にする流儀もある様で、普段は小節の頭は完全一致させるが後は自由と意図的にコントラスト付ける手法らしい。
ずっと一致してるのにも魅力はあるけど、兵役のある国じゃそれは軍隊チックな息苦しさも感じさせてしまう。
しそのスタイルも1つのジャンルとして既に確立してたんだから、明確な線引きもしたかったのかもね。

依って半ば言い訳紛いだが完全な3拍子とか4拍子なら未だしも、常にどんな曲ででも各パートのタイミングが完全一致してるかどうかなんて普通の聴き方してたら聴き分けらんないんだす。
正規の○拍子だと各音は全て等間隔にシャッフル(3拍子の2個目抜き→中抜き)でも間隔はたったの2種類になるから、それの内のどれかがズレれば誰にでも割と簡単に分かっちゃうけどね。

人は狡い生き物なんてのも何だけど個別だと幾らも違いを把握出来ないのに、並んでたりして比較が可能となると途端に僅かな差も判別出来ちゃうもんだわね。
だがもし上記みたいに複雑な分数だと、聴き乍ら
数えるのなんて不可能になるですよ。

しかも最初から等間隔では無いとなるとその凸凹具合を何となく感覚的には捕えられるが、例えば17角形と19角形を瞬時に見分けろたって無理でしょ。
健康視力を持ってしてその程度だから、耳となればもっと精度は落ちて当然よ。
ある意味中間領域リズムはこの点で許容範囲が広いと云え、それがリラックス感や開放感に繋がってるとも看做せるんですな。

この際なので限界迄突詰めると音なら未だしも、シンクロナイズドスイミングとかチームダンスなんかだともっとド偉い事態になっとりますよ。
体の大きさや形がどんなに揃えても普通はどっかが少しは違うかんね、一斉に揃えて腕を振っても腕の長い人程「指先の移動速度と距離」は速く長くなっちゃうんだ。

実際は微に入り細に入り状況に対して最適化調整してるんだろうけど、その時手に旗でも持ってて振ってる最中もその柄が判別可能にしたかったりしたら面倒な事になるずら。
これからすると全部の完全一致は自然界にはほぼ無いみたいで、しかしある程度ポイントを限定すると途端にどうって事ぁ無くなるもんだ。

速い社交ダンスじゃ余程の腕前じゃ無いとパートナーの足を踏んだりするのに、運動会のフォークダンスでそれが起きたらそんなの事故じゃなくてイジメかホントはアンタ惚れてんでしょしか無いがな。
そんでFunkってな基本的に参加無制限のポピュラー系ですんで、一致度は一緒に楽しめる範囲に収まってればそれで完全正解なんで御座居ます。

因みにⅡで4Beat SwingやFunkの魔法として、以下の様な現象が挙げられる。
4BeatもBassを基準に聴くと(何せ伴奏の基ですんで)、普段は等間隔にずっと4つしか鳴って無いのに何故かちょっち跳ねて聴こえるぞっと。
4分音符の羅列で跳ねるなんて変なんだが、時々コッソリ8分音符の跳ねたのを混入させてるからだよね。
音楽にも「パブロフの犬」みたいなのがあったんだな。

Funkも基本は飽く迄8Beatフィールだしそう聴こえる癖に、何故かちょいと跳ねてませんかってな。
こっちも4のと同じ手法である意味幻聴を意図的に誘発させてる様なもんだが、どっちも2つのリズムパターンの良い処取りさせてるのがミソだがや。
普通にバカ正直にハイルヒットラー(絶対服従の例えのつもり)で刻んでたら、こんなの絶対無理ですから。

<別のがつづく>

2019年10月15日 (火)

音楽備忘録69 Funkってどうすりゃ演れる15

今回突然突発的にFunk案件を復活させたのは、例に依って従兄のTwitterでの表現にプチ抵抗したくなったからだ。
クレーマー体質と誤解されちゃ敵わんし、従兄も多分理解はしてて表現が俺には気に入らなかっただけだとは思うが…。

俺が今回問題視したのは従兄の「Hi-Hatはロックは4分アクセントで良いけど、ファンクは一定に叩かなきゃ…」で、これ自体に大きな問題は取敢えずは無い。???
なら何でってぇと是又毎度の如くロクに確認もしてないが、結果はほぼ一定になってても奏者意識はそれでは不足する可能性があるからなのだ。

以前「音楽備忘録㊾ 速過ぎて冷徹に一定のテンポⅩ」で公開した実験音源の曲、所謂典型的なFunkじゃないけどそれを叩ける様にしようとして気付いたのは始めの内「Beat」を間違えてたって話し!?。
こんだけだと何処の星へ行かれるんですかーになっちまうから紐解いてくが、8Beatと思ってて実際は16Beatだったって事なんス。

フィールとしては跳ね感つまりFunkyさを除けば確実に「8」なんだけど、8Beat認識固執だと実は「跳ねさせられない」んですわこれが。
ある意味Beatって鉄道の線路みたいなもんだから、それを外れると脱線事故になっちゃって音楽では周りの人が合わせらんなくなるがね。

8Beatで跳ねさせるのと跳ねないのと比べどの音のタイミングが移動してるかみてみると、8つある拍の内後半の2,4,6,8が後ろへズレるです。
処がその跳ね具合が3拍子系のシャッフルより浅いんだから、それって殆どSwing 4Beatになるですねん。
無論Swingでは2と6は鳴らさないからかなり違った印象を受けるだろうが、タイミングと基本的な強弱はほぼ一緒ですぜ。

んでここで又しても例に依ってそれらBeatの由来を顧みると、上述のとは丁度逆の経緯で生まれてる。
Swing+Countryでロカビリーと来て「跳ねて無い感」の強調と差別明瞭化の為か、刻みを変えて2,6も鳴らす事にしてRock ’N' Rollって按配ですから。
チンチキよりチキチキからチチチチと強拍が増えりゃスピード感が増えるし、その方が非跳ね感も強いと思うのは俺だけじゃ無いと思うんだけど…。

更に進めてチキチキとチチチチでは強弱の有無差があるがこれは技術・肉体上の都合も含め、ローテンポの時は大抵チチチチになってますがな。
ハイテンポでチチチチはド根性Punk様位のもんで、しかし速いと間が減るからチキチキでもスピード感は不足しないっと。

故に前述の通りFunkで8Beatが無いか確認して無いが、少なくとも16より8が多かったらNew 4BeatとかNeo 4Beatなんて呼ばれたんじゃと思うですの。
実際共通性はあるにせよSwingとFunkって、別名にするだけの違いが充分あるものね。

で更々に俺のBeat勘違い案件へ戻ってくとHatを8と思って叩いてるより16の表だけと思って演ると、バスドラの跳ねさせ加減等が楽に上手に出来たんでした。
こんなの当り前だし誰にでもは当て嵌まらん低次元の下らん話しかもだが、俺の楽しようとする癖!?の欠点から逃れられるんだ。

つまり表と裏って思うとダブルストローク使って良いのね、表だけって言われると(誰も言って無いが…)ダブルの2個目全休だから表だけ叩く→結果的にシングルストロークって構造になっとりゃーす。
もしかしたら裏の裏とか間の間も瞬時に自在に操れれば無関係なのかもだが、Funkの跳ねは鳴らすのは「気紛れに時々」が主流なのを思うとこの方が確実だと思うんよ。

もっとザックリ参考例等のを語っちゃうとFunkyな黒人系のって意図的アクセント時以外では、パッと聴きだと割とHatに表裏や強弱の付いて無いのが多い様に聴こえる。
それをアホな俺は教育環境に恵まれない黒人だから、体力もあるからダブルストローク使えないとか使わないとか…
とんでもない偏見でしたがな。

実際後からAl Jackson Jr.を始め巨匠達の様々な作品を沢山聴き進めてくと、わざと表の表情を殺したでも無きゃダブル出来んなんて真逆でと😓😅😓😅…。
因みにチンチキは4Beatのでチッチキは「8のへ入れる」ののつもりで勝手に言ってっけど、チッチキの「チキ」の所は16分音符なんだからそんな奴等が遅い訳ゃ無いんだよね。

誇張の限りな暴論的比喩をするけどもしSwingの跳ねさす音を省いたら、チンチンチンチンって大昔の踏切のベルみたいに酷く単調だし間延び感も凄くなるだよ。
んーも―遅いなー、早く開かないかなぁなんてね。

だどもFunkの8Beat+16の跳ねから羽を取ったらあぶら虫(古っ)じゃのうて、跳ね取ったって只の8Beat
になるだけで間延びなんてしませんからね。
個人的にはこうなるのの面白さとしてRhythm & BluesやSoulのアルバムを挙げたいが、ほぼ同テンポで酷似なHat刻みで跳ねるのと跳ねないのの両方が演れてたりする処。

Hatに上述「チキ」を入れずバスドラでそれを入れてたりすると、「上だけ聴いてりゃ」全く同じに叩いてるのに出て来るリズムが別物の不思議なんちって。
もう少しアカデミックにも踏み込んどきたいので、取敢えず後もう一回。

<つづく>

2019年10月14日 (月)

音楽備忘録68 寿命 内容編Ⅶ

今回は前回の流れで弦楽器テクを寿命の観点から考察するが、ここで問題にするのは流行り・時代等では無いのは最初にお断りしておこう。
ブームから遠ざかればニーズは減るが、だからってもしThe VenturesがLiveでテケテケを演らなかったら非難轟々だ。

少なくとも俺が見に行ってたら金返せなんて騒ぎ出しそうだが、その技がオリジナルだとか第一人者が演るのなら寿命は奏者が生きてる限りは保証される。
だが全然流行ってもないのを本家以外の者が安易にやると、そんなのいいからさぁ等と思われたりするもんだ。

では何故そんな違いが生じるかってば、単に最初にやったからだけが原因では無い。
そのテクが認知された状況を推察すると分かると思うが、誰も演ってない変な弾き方をすれば「その場」では一応観客の気を惹ける事だろう。

だがもしそれが音楽的に未完成だと定着せずに忘れられてしまったり、音楽的効果が不足してたらテクでは無くパフォーマンスと思われるのではないか。
そして非効果的な物はもし技術的に瑕疵が無くても、周囲のフォローが得られんから広まらない。

要は出したい音に対し従前の技術では不可能だったので、その為に新開発したって処が重要なのだ。
なので極端な話し違う技で出来るのならそれで同じ表現をしても構わなく、体験としては手前味噌の邪道だがオルタネイトピッキングすべきのを変形トリルで弾いてクレームを貰った事は只の一度として無い。

しかしそんなのは当然非最適選択だから、フレーズ次第では再現困難なのも出て来る。
依って結局は後からでもオルタネイトの方もマスターせねばならなくなるが、飽く迄出音優先で取り組む特有のメリットもあるのだ。

それは技術の過不足より音の過不足が先に判別出来る様になる処で、そうなれてると持てる技術を音楽的に最大限活用出来るのだ。
演奏家観点ではどうしたって人が出来て自分が出来ない技が気になって仕方無いもんだが、何の演奏家(つまりは音楽
)なのかって原点を失念しては元も子もないのであるよ。

近年ではジャンルとそれに要する演奏技術の優劣は無くなりつつあるが、それでもジャンルやその中での路線等に依って常時要するテクレベルには差がある。
そんな中比較的正確な記録が残っている限りの歴史経緯では、意外にも新しいのになる程一般的に言われる演奏技術は不要となっている。

これは例えば音量と音色・強弱とタイミング等をより個別に操れる様になったのと、それを誰もが容易に聴き分けられる様になったのが原因と思われる。
生Pianoのみで普通に弾いてフォルテを凄く籠った音色には出来ないが、電気・電子楽器だとそんな表現も一寸の事で出来ちゃうからね。

となるとテク全体の完成度も然る事乍ら、その技を選んだ目的に対しての充足度が肝要って事になる。
それには幾ら滑らかに弾けても音色が淡泊過ぎたとか、強弱に問題が残ったりしたら意味が無い。
とどのつまりはどれだけ出音自体へ拘れるかなんだろうが、拘るにしても何処をどう注意するかが理解不足では向上の足掛かりが無いのである。

それには耳と感性の鍛錬が要る訳だが、理屈や奏者倫理とでも言おうかそう云うのが先行しちまうと駄目なのよ。
では具体的にどんなのが堅実な方法かっつうと、テクを著しく最低限に留めつつも巾広い表現をしようとすれば良いのだ。

アマチュアが趣味で模倣する分には形だけでも無問題だが、プロになってどんなに苦しくても簡単には撤退したくないなら内容が全てなのだ。
加えて俺自身も齢取ってからの新技術習得は若い頃より困難とずっと思ってたが、それより表現力の方が一朝一夕では行かないしもし「耳が成長不良」だったらその方が致命的なのを知った。

聴力は加齢で必ず劣化するものなので、衰える前に必要な成長をし終えてるのが理想だ。
一度聴き方のコツみたいなのが身に付いてれば聴力が多少劣化しても代替策等も取れるが、聴こえ足りなくなってから全貌を洩れなく把握しようったって無理な相談だからね。

<つづく>

2019年10月13日 (日)

音楽備忘録67 寿命 内容編Ⅵ

必ずしも自分の取り組み方を正当化する気は毛頭無いが、基礎技術は兎も角その先の技術をどの段階から取り組むべきかの体験からの持論だ。
本邦世間一般の音楽教室等ではひたすら技術指導に邁進してる様だが、何を一番やりたい・実現したいのかに依ってはその方法は非常に宜しくないのである。

日本ではプロと言うと変な序列が巾を利かせてて、メジャーなのもあればマイナーな「レッスンプロ」なんてのがある。
幾らもググってすら無いがこのレッスンプロは和製英語の様で、1つだけ見つかったアメリカのはどうやら「教えるのに対して特別なスキルを持った者」を称しててこっちのとは全く意味が違うみたいだった。

本邦では従兄なんかが自虐も込めて「しがないレッスンプロ」を自称したりしてるが、深く考えれば自分が弾ける様になるより人に教える方が本当は遥かに難しく大変な筈なのだ。
しかし残念乍ら今本邦では自らのパフォーマンスが評価されるのだけが上等で、それ以外のはオマケみたいな間違った序列が未だに横行してるのは嘆かわしいもんだ。

そしてこれの弊害と思しきのが「教え方」で、それは直接指導に限らず教本等でも同傾向がとても強いのが現状だ。
企業的教育の発想では例えば習い始めて1週間後には16分音符が弾ける様になった等、順次表面に成果が表れるのが望ましいのは分かるけんどもよっと…。

だがそれでは楽器が弾ける様には成れても、必ずしも「音楽が出来る」様にはちっとも成らないって裏が必ず付いて来ちゃうのだ。
これを真摯に考察すれば自分の分は自己責任だし自ら取組み方を変えられもするが、人に対して不適切な教育を施す程無責任で罪深い事は無いんだがね。

それには指導者が単なる有名なミュージシャンなんかより教えるのに関しては遥かに優れている必要があり、そんな側面があったからこそ昔は単に教えられる人が少なかっただけじゃ無く先生=尊敬だったんだと思うのだ。
これはちょっとだけ考えれば必ず気付けると思うんだが、その分野で一番最初に先生になった人にとっての人的周辺環境を想像してみなはれ。

自分唯独りしか分かって無い事を説明したり、誰かに理解して貰うだけでも滅茶苦茶困難でしょ。
余程上手なデモンストレーションでも見せられないと、最悪は詐欺師か狼少年扱いされるんだから。
では楽器が上手いより音楽が良いと思われたかったらどうなるかっつうと、本邦では無視されがちな「もう1つの基礎技術」へ目を向けねばどうしようもない。

それは物理的技術では無くそれこそ音楽的技術とでも称するべき物で、「誰でも弾ける」のを「誰とも違って良い感じに奏でられる」様な類の部分だ。
突詰めると単なる速弾きなんかより遥かに難しいんだが、それ故下手に物理的技術を先に持っているとついそっちへ流されてしまうんよ。
演奏技術を物理面から判定するなら数学みたいに答えが単一になってくれるが、音楽面から判定するとケースバイケースで答えが無数に有るんでねぇ。

しかし原点に立ち返り聴者感覚を熟考すれば、気持ち良いとか面白いのの方が唯凄いのより強力なのは論を待たない処だ。
なので速弾きにしても曲を盛り上げる効果が無ければ単なる「ひけらかし」にしかならず、最低でも「使い方」も同時に持てて無ければ音楽的には全く無効なのだ。

先に「企業的」なんて書いたのはそれ式なら誰にでも成果が明瞭って事なんだが、音楽は勝手好き好き趣味習慣で千差万別なのから逃げちゃ駄目なんですよ。
で現況では普通の所で習っててプロになれた人でも俺言い「もう1つ」は殆ど教えて貰えないので、結局肝心なこの部分は殆ど皆独学で賄ってるんだわさ。

んでもって独学だろうと然るべき人から教えを乞うにせよ、音楽を出来る様になれる唯一の方法は感性と結果に対する試行錯誤なのだ。
求める音を出し易い方法等の知識は無いよりあった方が良いけれど、それが役立つのは「今よりどうしたい」かが演者内部で明確になってからなのだ。

非音楽的技術は一発芸としての価値は残るが、それを披露して評価されるのは主にお客様1人あたり初回限定である。
後にどっかで役立つ可能性も無くは無いが非効率で、それよりも演りたくなったらそれを順にマスターしてった方が高効率だし目標もブレ難いってもんだ。

そして本人に明確な目的が無く獲得した技術は得てして完成度に難があり、自らのニーズへ試行錯誤主体で来た場合は例え上手な奏者とは思われなくても表現としての目標は大抵は達成される。
故に各自の必要性に迫られ即した練習じゃないと、技術レベルが高くてもそのスキルの寿命は思いの外短いのだ。

今回は(常時!?)クドク釘刺しさせて頂くが、各種スケールやオルタネイトピッキング等は応用範囲の広いテクだ。
なのでそれをマスターするの自体は良い事だがテク先行で身に付けると、必要な表情を充分出せず仕舞いとなったりフレージングに頼り過ぎとなる危惧がある。

例の如く個人差千差万別なので断言迄は出来ないが体験からすると、技巧的に色々操るのより人に通用する自分流の表現を会得する方が大変だし時間が掛る。
して一寸マゾ臭くなるがもし技巧皆無だったら表現に全力を注ぐ以外道が無い訳で、それ位追い詰められないと手間暇掛るものへ粘り強く継続的に挑むのは難しいと思われる。

音楽的には不足があるままでも技巧を持ってると既に「楽器は弾ける人」であるから、どうしたって「一応もう弾けてるんだから」と追及力が弱まってしまうのが多い。
楽器が何の為に存在するかを顧みれば「音楽を奏でる為」なのだから、奏者内部意識としてはホントは楽器じゃ無く「音楽が弾ける人」を目指さなきゃ仕方無いんじゃないかナァ?。

<つづく>

2019年10月12日 (土)

音楽備忘録66 寿命 内容編Ⅴ

オッサン又脱線したかとお思いの貴方残念でした、大題の寿命を決して忘れちゃちゃ居りませんぜ。
この期に及んで「練習しろっ」なんて昭和根性論だか帝国精神論みたいに聴こえそうだけど、俺的には全く真逆の考えの中から出て来た物なのだ。

昔だって只楽器を弾こうとしてもその前に準備は要って、チューニングだの奏者のウォーミングアップだのは皆やっとりましたよ。
けれどもかつては最近みたいに楽器・音響機器・録音機が高度に融合した様なのは無く、その点では没頭し易かったかも知れんです。

俺は自らの興味対象には夢中になる方だけど、それ以外では基本的に非勤勉の権化みたいなのと自認しとりゃーす。
だから練習ってもかなり平均より少なくしかやって来なかったし、少なくとも時間的には齢取って余計減ってると思うだす。

とは言え今迄全く弾いた事が無いフレーズを演なきゃなんないとなると、無準備じゃ出来ないのも当然出て来る。
それで若い頃はフレーズ自体を自分の得意なパターンにこっそり挿げ替えたりして凌いでたけど、それでは音楽家として思い浮かんだのが一部しか使えなくなっまう


ある日壁に当たって考察してみると昔そんなんしてても何とかなってたのは、簡単なフレーズしか作れなかったからだった様だ。
つまり演奏家としてより音楽家としてはより😓低レベルだった訳で、それでも凄い奏者だったら救いもあったかもだ。

俺の場合は作詞・作曲等より先に演奏へ興味を持ったか、環境のせいか自らが起こす行動としては兎に角演奏が先だった。
そして1つを極めるより先に他楽器にも興味が湧き、その関係からか次に編曲にも力が入り出した。

それを今冷静に分析すればどうやらBassistがメインになってたのが関係した様で、和音構成の中で普段はたった1音しか担当出来ないのが原因みたいだ。
ホントはどのパートを担ったってアンサンブルは全てが相関関係にあるんだが、例えばマイナーのつもりでルートを弾いても上物連中が長3度を鳴らしちまえばこっちから音では制御は出来なくなる。

それを回避するには他者より良いコードを提言するとかが必要で、それが晴れて採用され積み重なってくとアレンジャー誕生って寸法だった。
けれど何でハーモニーにそんな風に拘ったかを考えると、一部しか担当して無くても表現したい全体像が既に自分の中にあったからだったんだろうね。

自分以外の大多数の奏者は特に当時の日本では地道な技術訓練に励んで居たが、少なくともニーズのハッキリしない物に対しては全く取組む意欲さえ湧かなかった。
俺の世代では複雑とか難度の高いフレーズを弾けるのがステータスみたいな状況だったが、曲や音楽自体に効果が低いのが大半なのによくそんなのの為に頑張れるなとしか思えなかった。

その結果は功罪相半ばで曲に見合った音を奏でるのは得意になれたが、感性のみでは処理し辛いフレーズを弾きたくなって来てチビッと困ったのだ。
けれどもう若く無くて猛然と取り組む体力も気力も無いので、酷い話しだが今更生まれて初めて弾く前に演り方を科学的に考える様になったのだ。

不幸中の幸いは初心者じゃ無いから基礎技術は身に付いてた事で、取敢えずは「出来る事の使い方を変える」処からとなった。
なので練習っても100%出来ないのをゼロからやるのでは無く、例えば従前は必ずダウンピッキングで弾いてたのをアップにするのに少し体を慣れさせるってな具合だ。

この手の弦楽器の奏法選択の詳細は例に依って乞うご期待となるが、少しの不慣れのせいで弾けずにいる物に関してだったら大した練習量は要らないのだ。
これをここでは恒例の逆視点から眺めるとポテンシャルは持ってたのに、頭を使わないor頭の使い方を間違えてただけで弾けないと思い込んでたとなる。

もし弾けないと決め付けた場合は代替フレーズを作らねばならず、その方が手間も時間も掛る可能性だって否めない。
変な表現だが真に楽をしようと思えば、その為に頭は結構フル回転が必要になるもんだ。
只フレーズは曲との整合性があるので使い回しにも限度があるが、奏力アップは幾らでも応用が効くのでこっちの方が儲かるスタイルと判定しただけの事なのである。

まあ最初から練習してれば今更そんなの不要の声がしそうだし、事後承諾だかできちゃった婚だかみたいなのも確かだ。
しかし各自に何が要るのか分かる前からやるのと分かってからやるのは同じじゃなく、その技の完成度に対しての音楽的な合否判定には大差が付く場合が多そうだ。

楽器だけの向上や鍛錬としては考え得る全てを網羅した上で、難易度等を考慮して順に手掛けるのが高効率だろう。
だがその前段階にあるべき「音楽を奏でる」には、先ず音楽を良く知ってて各自がどうしたいのかが明確になって無いと難しい。

処が音楽の学びには終着点が無いので、両者は大抵は並行して進める事となる。
それであれば各自にニーズの低い物を排除出来る方が合理的でもあり、絶対に習得が必要な物へよりリソースを振れるとも考えられるのだ。
もし演りたいのが出来なけりゃ幾ら弾けても無意味となり、寿命は愚か生まれてすらいない流産みたいな悲劇じゃなかろうか。

<つづく>

2019年10月11日 (金)

音楽備忘録65 寿命 内容編Ⅳ

録音でのClick使用ってば正確性の他どのパートからでも録れるとか、機械で鳴らしたのとリンクさせるとか色々利点があるのは確かだ。
しかし機械が理論的に刻んだのと、音楽での正確なリズムは不一致な方が多いのは概述した通りだ。

そもそもMIDIの規格がこの面では元からかなり大雑把なのもあって、余程の下手っぴじゃ無けりゃ人力でClickに合せたって全体の一致度にそんなに違いは出ないもんだ。
無論理論的安定度や最大ズレ巾は大抵機械の方が良好だが、現況機械は音楽やフレーズに合せる能力なんて幾らも持って無いからどっこいどっこいとも考えられる。

そんな状況下で達人達はどうしてるのかってえと、Clickと音楽的正解の間を取る様なタイミングで弾いている。
尤もマトモにリズムが取れない人ならClick無しじゃ聴けたもんじゃないが、達人の場合はリズムやノリはClick無しの方が好結果となる。

んでもって理論的正確に合せちまった物は体裁としてはとても整然としてっから、瞬間聴きするとこっちの方が恐らく好印象だろう。
だがその時の人耳は音楽としてより単に音として捉えてるので、段々と曲が分かって来たりすると当初の印象は敢無く反転しちまうのだ。
何せ上述の通り音楽的には最適じゃないんだから当然で、幾ら整然とさせたくても音楽的要素を満たした上で可能な範囲に留めないと意味を為さないのだ。

これが又リズム楽器としてClickがドラムマシンやリズムボックスが「聴こえてる」なら、全体としては多少妙な感じになろうとも他パートがそれに沿わせてても変にはならない。
だが「録られる人」には聴こえて「聴く人」に聴かせないんだから、「Click抜きでおかしくなってないか」へ余程注意して纏められないと音楽の流れがワープしちまうのだ。

これ等へ対処するには音楽制作のどの部分に携わるにしても音楽的知識は必須で、実は演奏する当事者から遠い立場の人程それが本来は強く要求されるもんなのである。
またこれは音質面でも更に強烈に該当してて、単に良い音と楽器○○の良い音には差異がある場合の方が多いからだ。

例えば高域の煌びやかさが売りのFender系Singlecoilやリッケンの12弦のを、もし籠らせた音色にし過ぎちゃうとその楽器で弾いた意味が薄れるでしょ。
そこ迄する位マイルドトーンが欲しいのなら幾ら違うので捏ねたって、Les Paulのウーマントーンにゃとても敵わんのやさかい。

っつう事は楽器音はわざとじゃないなら原形を保ってないと、どんなにオーディオ的にHi-Fiになっても音楽では投票無効になっちまうのだ。
より具体的に申せば音楽的Hi-Fiは例えば典型的なStratトーンなのに他のよりノイズレスだとか、明らかにLes Paulの音なのに他のより高域が伸びている等々だ。

つまり欠点が緩和されてたりプラスαがあると普通より良い様に聴こえ、StratがLes Paulに聴こえて評価されるのは意外性の部分だけとなる。
しかもこれは楽器を知ってる人にとっての話しであって知らない人にすれば、それが煌びやかさなら無理無くよりそうなってる方が高評価になるのは自明の理なのだ。

ではどうすればこの理想へ近付けるのかってば近年みたいに何でも出来る状況では、先ずは「弄り過ぎない」のに気を配るのが第一歩ではないだろうか。
音のタイミングにしても音色にしても、弄り過ぎて成功するなんて先ずあり得ないのだ。

もし弄る人が超達人なら万一ってのも考えられなくは無いが、そこ迄のスキルの持ち主が大した事の無い作品に携わってくれる事はまず期待出来ない。
出来上がった音が下らないと評価を大巾に下げる懸念があり、ホントは作品の低質のせいでも聴者にとっちゃそれが一々誰のせいかなんて知ったこっちゃないのよねぇ。
これがもし専門家へ頼むなら未だしも奏者自身が不十分なスキルで挑戦するのが愚で、そんな暇があるならもっと練習しろいって但し「頭を使って良く考えて」で御座居。

唐突だし何の意図も無いが俺は特別に音楽家として優れちゃいないし、音響屋としてもちっとも特別では無い。
素人では無いし各分野に得意なのもあるけれど、何でも完璧なんてのには多分この先も縁は無さそうだ。
それで現在取組中の曲の演奏でぶっちゃけな話し、どの程度演奏自体で賄って音響技術で賄うかのバランスで迷わされたりする事がある。

打込むか手弾きするかから始まりループを使うか止すか…、やろうと思えば一応どんな方法でも出来てはしまうので。
もしどれか1つの手法だけが他のを凌駕してたらそれで推すかもだが、どれでやっても大して違いが無い様な感じに終始している。

もう少し何とかしたいがどれでも大差無いとなると、じゃあ億劫でも仕方無いからも少し演奏自体の練習でもしてみっかへ至るのだ。
俺は今の処あまり機械らしい音楽に興味が無いので、たった1つの努力で全体が向上する方法を考えるとそれしか残って無かったのだ。

狭い視点で単に音程のズレだけとかタイミングのズレだけとか、そう云う観点でなら修正は「技あり」と思えて当然だろう。
だが一部の性悪を除けば無意識の聴者は「間違い探し」をしようってんじゃ無いんだから、面白いとか珍しいとかそっちが不足してたら他が悪く無くても仕方無いのだ。

エンターテイメントとしてはお笑いを見れば分かるが、提供者が失敗したのを受け手が喜ぶなんてのが基本だ。
その意味でノーミスで面白みが足りない物をわざわざ作っちゃうのは、最低じゃありませんの。
音楽の人工中絶ですよ、そんなんじゃ。

<つづく>

2019年10月10日 (木)

音楽備忘録64 寿命 内容編Ⅲ

音楽って物の性質を考慮すると薬に例えるなら即効性の抗生物質では無く、漢方薬の様にジワリと効いて来るのが適してるのを前回迄に記した。(比喩は今回がお初だが😓)
また音質より内容が先と言っても決してHi-Fiを放棄しろって訳じゃ無く、その辺に付いても追々ご説明させて頂きまひょ。

音楽作品は体裁・内容の両面で整っている程聴き取りや瞬時の理解に貢献しはするが、その方向性が問題なのだ。
演ってる人の容姿も全体印象に影響するから、ムサ男・ドブスよりはイケメン・美人の方が良いのも確かだ。
但しそれは音の内容がちゃんと水準を超えていて、音のレベルは同じだが演ってる人の容姿に差がある場合だ。

加えて音に見合った或はその音世界をより象徴化する様な容姿の場合に有効化するもんで、音と風貌が不一致ならミスマッチを売りにでもしなきゃ却って足を引っ張るだけになってしまう。
良い曲になる程音のみでキャラクターもはっきりしてる事が多いので、映画やドラマの役者のキャスティングと似た様なもんって寸法なのだ。

当節は1にヴィジュアルなので絶世の美女のポスターは最適だが、音がどうしようもないのだったら写真集は売れても楽曲はサッパリ。
Live Eventに集客があっても、籠に積まれたCDの山は幾らも低くならずに終るだろう。
因みに熱狂的なファンだとタレント関連グッズとしての購入はあるが、これはタレントとしての売上の一部で音楽家としての収益と同列視するのは考えものだ。

そこでグラビアアイドル等とミュージシャンの違いを考えると、グラビア系では誰と競合しても勝てる位容姿端麗じゃないと厳しいだろう。
が音楽の場合は少し違ってて音のイメージと完全一致してるとか、そのイメージを増強する様なムードの持ち主の方が只の美人より有利になるのではないだろうか。

そしてこれは音質やMixについても同じ事が言え、音楽的な高音質は得てして理論的なそれよりは何処かが劣るのが常なのだ。
特にポピュラー系の場合は歌ってる所では伴奏が目立ち過ぎては聴者の耳や頭の中が混雑しちまうから、舞台なら脇役へ当たってる照明をわざと落す等も状況次第で必要になるのと同じなのだ。

では具体的に音楽的高音質ってなどんな具合になるかっつうと、歌のある場所の伴奏だったら「聴こうとすれば何演ってるか分かる」位の明瞭度が最適なのだ。
音楽と聴者の出逢い当初聴者は聞き耳を立てるでは無く、何となく聞こえて来たから聞こえちゃったとなってるでしょ。

その段階では耳が特別に訓練されてる者等を除けば一度に全体を聴けはせず 、一番聴くのが簡単な1点を辿って行く事となるですねん。
すると曲中各部の最重要ポイントになってる音の出来不出来が、音楽的にも音質的にも唯一の得点チャンスなのだ。

となれば例えば3回出て来るサビで歌詞もメロも毎回同じなら、歌手はそのどれか1回だけでも絶妙に出来れば助かる可能性がある。
野球だったら3割打てば名打者なんて言われてるから、頻度の高いパートは打者みたいなもんだ。

だが目立つのはIntroだけの伴奏だったら、そこを外せばもうお終いだ。
上例に沿えばこっちはピッチャーで、大事な処での失投で試合に負けちゃったである。

これを逆視点にすると伴奏は「歌の無い場所」さえしっかりしてれば後は聴者にとっちゃどうでも良く、歌うのに困らない程度に収まってれば充分となる。
あまり酷いノーコンだと対戦相手は痛くて困るが、危険球退場を食らわんなら点さえ取られなきゃ味方にゃ頼れるピッチャーってな按配だ。

これに従えば伴奏の歌留守部分はかなり無理してでも修正する価値がありそうだが、それ以外の部分では露骨なミストーン以外は修正しても聴者に対しては殆ど無意味なのがお分かり頂けるだろうか!?。

しかも要注意なのは突然1音だけ外した場合なら良いが、徐々に落ちて来てとうとう外れたなんてなってる場合だ。
音楽では物理的絶対値より流れ等の方が遥かに重要で影響度が高いので、理屈で修正しようとすると大抵は全体を駄目にしてしまうもんなのだ。

そしてこれは近年乱用気味の録音でのClick使用時にも当て嵌まり詳細は例の如くまた次だが、ヒントだけバラしとくと「通常聴者にはClickは聴こえない」である。ムフフ

<つづく>

2019年10月 9日 (水)

音楽備忘録63 寿命 内容編Ⅱ

本来は体裁より中身が大事な物の方が多い筈だが、当節のネットショッピング等の事情で体裁第1主義みたいなのが横行してる様だ。
この件は世間が忘れてる或は煙に巻かれてるだけの気もするが、寿命が要る物にはこれは適応しないのである。

ネット通販は店の実態が無きに等しいのも多いせいか、その時売れれば良い圧力!?がとても強い。
これを強いて擁護するならば小規模店だと供給が不安定なのと、何時までも同じ規模のままで商売する気も無いのがその裏にあると見て良かろう。

つまり形態等は凡そ似ても似つかぬがその実は、祭りだけの出店とかテキ屋さんの叩き売りの現在形とも看做せるのだ。
時代錯誤の就職戦線で相変らず大学名のみで書類選考なんてのも続いてる様だが、少子化で昔なら不合格だった連中も混じっててクウォリティが下がってるってのに呑気な話しだ。

だがもし採用担当者が数年したら他社へ移るつもりだったら、皆が困るし迷惑だが事なかれ主義に走るのも仕方無いかも知れない。
俺はその手の遅れ過ぎド阿呆はもう人間としてすら認めて無いが、それより深刻なのは自分のニーズには合って無いのにそんな流行に流されてる人達だ。

中でも熟考すべきなのは芸術作品系で、文学みたいに再版時に修正可能なの以外の物についてだ。
一度完成させてしまうとそれ自体は後で合わない処が出て来ても、変えてしまっては「別作品」になっしまう類のだ。
そしてこれには一寸した矛盾や皮肉が付いて回るんだが、音楽はこれの典型だと考えている。

ここで同一曲を10年毎に○○’00・○○’10・○○’20等と3バージョン出す作戦と仮定して、後発バージョンが大成功するのはその前のが「ロクに売れなかった場合」だろう。
初耳ってのは何にも増してインパクトが大きく、知ってる部分が多い程「焼き直し」イメージが強まってしまうもんだ。

それ故名門レーベル程新作リリースが慎重になったりもするが、近年本邦では体裁最優先が行き過ぎたせいで大失敗はしない代わりに極端に寿命が短くなってしまった様に伺える。
ではどうすれば短寿命にならず失敗を避けられるかだが、それこそが体裁より大巾に内容を吟味・重視する事なのだ。

前回私体験で取上げたアルバムMcCartneyも出た当時はLPレコード等アナログ頒布だったから、今CDや配信で聴くのよりオーディオ的には再生装置の性能も含め低音質だったのは間違い無い。
それどころか低音量で聴けば近年のみたいな俺言い「露骨なHi-Fiアピール」Mixにはなってないので、実際記録されてるのより「大した事無い」音に聴こえた。

因みに俺言い「露骨なHi-Fiアピール」とは、どんな聴かれ方をしても物理的には高音質に聴こえる様な調整の仕方を指している。
これは聴取環境を選ばないとか印象差が出難い点ではポピュラリティに優れてるとも看做せるが、それには「低い方へ基準を合せる」のが必要なのだ。

なので例えばスマホで聴いて気に入ったから帰宅して親父の金満オーディオで聴けばさぞかし…、なんて期待には全く応えられなくなってしまうのだ。
つまり「思った通り、第一印象のままの音」は聴けても、何度繰り返し聴いても「それ以上」が一切出て来なくなっちまうのだ。

それに対し例示した様な大袈裟に言えば「Lo-Fiブリッコ」な作りになってると後から後から出るは出るは、聴けば聴く程それまでに気付けなかったのがとめどなく押し寄せて来るのである。
確かに先ず聴いて貰うにはなるべく強力な第一印象を与えて耳に留めさせて、そこから高音質の威力で引っ張ろうとしたくなるのは理解出来る。

しかしその極致を行った場合「初回のみが最高」となる訳だからPV等での初聴だけで満足されちまうとか、買ってみたけど違いが何も無いからもういいやなんてな。
万一そうなれば売ろうとして聴かせた瞬間に販売力を喪失しちまう訳で、それでは悲しい死産となってしまうではないか。

<つづく>

2019年10月 8日 (火)

音楽備忘録62 寿命 内容編Ⅰ

とっても私的で今更だが、今回はPaul McCartneyのアルバム「McCartney」についての与太話しだ。
Beatles関係に関してはお気に入りになってから40年以上にもなるが、他の多くのファン同様本作は当初のミーハー!?ニーズとズレがあったのでロクに聴かないで居た物だ。

それが近年ドラム教師の従兄との関連で「ドラマー耳」で初めて聴いてみた処、全くホントに今更乍らブッ飛んでしまったのだ。
Paul氏が何でも演奏出来るのはずっと前から知ってたが、ドラムの腕前については特にテクニカル面では侮っていた。

あまり本気で叩いてないのが多かったのか、俺のイメージからするとドラムだとそんなに面白い事をやってない様にも思えていた。
今は本案件を良く聴いてみた事でそれなりにドラマーPaul McCartneyの全貌を漸く把握したつもりだが、いざ知ってみると従前の認識と真逆でとても非凡だったのに気付いた次第だ。

俺が誤認してた原因をあたってみると
1.飽く迄曲・歌重視で持てる技の数%程度しか使ってないのが大多数だった
2.ワイルドで独特なリズム感は上手下手では無く、彼独自の個性だった
3.音色や音質も飽く迄曲・歌重視でドラムとしてHi-Fiっぽいかどうかなんて気にせず収録がされていた
等となる。

個人的にも今後の指針としてとても役立ちそうだが、全部のパートを担当するのとそうでないのには大きな意識差が出易いのに気付かされた。
それは例えば歌うだけの人だったらその歌唱へ自分のしたい表現や、人に思われたい姿等を込めようとする。
そう云う演奏家なだけなんて立場へ置かれれば、誰だって演奏自体の理屈的クウォリティはとても気になるもんだ。

楽曲視点ではもしド下手に聴こえてもトータルとして良い作品になってる方が大事だし、本来はそれこそが真の名演奏ってもんだ。
だが人にエゴは付き物だし生活が掛ってるとなれば理想ばかり追ってられず、どうしたってこれでもプロなのかよみたいな醜態は見せられないのだ。(その恐れがあるだけで既に恐れるって云う…)

その結果各パートだけの精度みたいな観点に立つと、特に近年になる程専業奏者のは体裁が整ってるのである。
しかしこれは万一行き過ぎると大変危険な兆候で、ホントは演奏が非最適なだけなのに楽曲や編曲が今一なせいと誤認し易くなってしまう。

のが全て自前となると自身内部で勝手に葛藤しつつバランスを取るしか無く、曲に対してマイナス作用となるエゴは自然と出し辛くなるのである。
ここでは何時も吠えてる様に、全同時目立ちは原理的にそもそも不可能で御座居ますから。

で本題へ戻ってくとインストが多めの本作では歌が留守なら楽器が張り切ってOKだからか、P氏のドラムが普段より音数は3倍で最後の曲等ポリリズムの
もしこたま入ってたのだ。
是迄はずっとタイム感は甘めな印象だったが、ホントにそうだったら細かい組合せリズムなんて演れない。

これからすると状況に応じてノリを変動させても居るんだろうが、不正確なのでは無くエライ個性的なリズム感だったのが証明されちまった。
それで内容については失礼しましたとなったが、スピーカから小音量で聴いてる分には宅録のだからって先入観も手伝って音質は高く無いと感じていた。

その後暫く経ってから偶然被って(🎧)聴いてみた処、細部迄しっかり聴こえてみたら驚く程Hi-Fi録音だったのに気付かされて2度ビックリだ。
つまり録音すら飽く迄曲・歌重視で、オーディオ的高音質より音楽イメージを優先させてたらしいのだ。

彼にとって初Solo作なので、もしかしたら専門家を欺く意図もあったのかも知れない。
大馬鹿熟知自認の俺ったって一応専門家の端くれが見事に騙されちゃって、作者からしたら「してやったり」の極致かも知れないと思った。

して最後になるがなんでこれが寿命と関係するかってば、表面より中身が色々と高級になってたのが長寿命に大いに役立ってると感じたからだ。
私的には近年本邦のが超短寿命なのはこれの真逆を行ったせいと考えられるからで、音楽は何度も全く同じ物を繰り返し聴かれる点が見逃されてると思ったのだ。
第一印象も確かに大事だが、本当の勝負はずっと経って後でどう聴こえるかだと思うんだが…。

<つづく>

2019年10月 7日 (月)

音楽備忘録61 寿命Ⅵ

では予告した生贄君の儀式!?へと参るが、本件は幾つかの悪条件が重なっての結果であった。
特筆すべきは演奏に不都合な程フレットが摩耗するのに要した時間で、通常では考えられない10余年程度でそこ迄に至ってしまった処である。

フレットの消耗は勿論使われ方次第でかなりの差も出そうだがずっとフレットより硬い材質の弦を張っただとか、不適切な扱いをしなければ結構激しく弾いても経験からはそんな感じだ。
それより擦り減るってよりゃ陥没と言うべきだろうが、硬い床等へ誤って叩きつけられたりすると一発で凹む場合がある。

さて先ず件の楽器自体の説明から行くと、極ありふれた普通のStratcasterだ。
所謂Fender社伝統仕様のニッケル製細目フレットで、使用弦は09からの巻はニッケルのと至極オーソドックスだ。
なので普通ならどんなに激しく掻き鳴らしてても、体験的には倍位の時間は打ち換えの必要が出て来ない筈の処だ。

因みに若干大きなお世話気味だが予備知識の念押しで、もしステンレス弦(っても大抵は巻線のみだが)を常用したいなら音色・耐久性共に「フレットもステンレス」であるのが本来はお約束だ。
自分の場合はこの知識を得る以前に音色の好みの都合で少し試すだけで終わったが、Bassの場合はGuitarより時に深刻かつ重要案件と覚えといておくんなまし。

さて最大原因は「ナット高を下げた」からと書いたが、彼が入手した時点で高過ぎたからでは無かった。
弦高調整は普通はブリッジ側で行うものだが、どうやら「それ以上」に下げようとしたみたいだ。
ナットやブリッジの高さは正しい音程を得るのにも関与してるので、それを少しでも適正化しようとしたのかも知れない。

だがこれ等は全部が
セットで成立してるものなので、厳密にはそれならフレットの位置自体も非常に僅かだか合せ直さなきゃイカンのだ。
尤も弦高がどうだろうと世間は愚か持ち主のお財布以外に経済面では無関係なせいか、どの程度適正弦高で使われてるのかの実情Dataなんてのはお目に掛った試しが無い。

けれど少し思い出してみるとMetalバカテク向けのGuitarは最初から、大抵は極太ステンレスフレットになっている等それなりの対応が考えられてる様だ。
相棒の悲劇は厳しくみれば年寄りの儚い夢散るで、伝統的音色のままでテクは今風を狙って楽器が挫折しちゃった様に伺える。

しかし失敗してでも挑戦しなきゃ新しいのは絶対生まれはしないので、その面では非難するより勇気を讃えたい気もする。
俺自身では下げる前にもう減って金掛ると思って気になってしまうので、そもそも挑戦する意欲すら湧かないだろう。

それでも敢えて提言するなら、半恒久的な変更の場合はやる前に良ぉ~く考えろである。
ネジで調節出来るのだったら試す時だけ下げてそれ以外の時は正規弦高になんてのも行けるが、一度やったら戻し難い箇所の変更は出来ればやる前に専門化に相談するのがお勧めだ。

また他にも道はあって正直海外名門ブランドのよりは落ちるが、例えばMetal系のだと過去のブーム時に沢山流通した国産の中古が格安だったりした。
恐らく20年物位のが多そうだがそのお陰でPickupは無暗なHighgainで音色が駄目でも、木部・金属部自体の質は近年のより結構良いのが多かった。

悪戯に所持本数を増やしては手間も維持費も増えてアカンけど、かと言ってGuitar系は無予備では安上がりにならない事の方が多い。
それとこの面ではGuitar・Bass等とドラム系では別面での違いもあって、「無改造で出せる音色の範囲」が構造上の都合で弦系の方が狭いと感じている。

弦・皮の選択と張替えはユーザーで可能なのでイーヴンだが、ダブルヘッドの太鼓では裏を外してシングルヘッドなんて狡い!?のが簡単に出来ちまう。
その音色差を電気楽器へ対比させるとPickupのCoilがシングルかハムバッキングかってな感じがするが、コイルタップSWが付いて無きゃエレキではPickup換装と大事になる。

するとこれだって素人に必ずしも不可では無いが、普段楽器の調整には不要なハンダとハンダゴテを持って無きゃなんないのが全く条件が違っている。
なのでドラムと対比するならGuitarは太鼓よりCymbalに近いと思っても間違いじゃ無く、ドラマーだってCymbalは必要に応じて買い足すのは極普通だ。

流石にスケジュールびっしりのプロみたいにAmpにも予備をと迄は申さぬが、消耗や予備のニーズも考慮すると「最低限の複数所持」が寿命としては有利だと思う。

<つづく>

2019年10月 6日 (日)

音楽備忘録60 寿命Ⅴ

この辺でもう少し音楽用の物へ近付いて行くが、一般家電等と比べると長寿命設計の物が多いと感じられる。
しかし大抵は全体の寿命より短命な消耗部品もあったりするので、全く手放しでと云う訳にも
行かない。

電子機器の場合寿命は基本的には電子部品のご臨終だけなので、素人の誰にでも出来る延命措置は熱(若しくは高温)や湿気に用心する事だ。
再三出の本邦での耐熱性錯誤設定へ更に加えとくと、近年は西洋で導き出された基準を安易にそのまま使ってしまってる様にも思われる。

西洋と日本では最高気温がもし同等でもその日数が違うし、湿度や使われる部屋の広さ等が極端に違っている。
依ってもし長期実地試験をすればその差は明確に表れるんだが、どうもPC上だけでの計算で済ませている気がする。
なので変な話しなんだが「元から不充分」って事は、それを充足させると結構大差の付く可能性が高いから本件は案外バカにならないのだ。

それでも寿命を迎えれば専門家へ委ねなくてはならないが、部品さえ残ってれば必ず生き返るのは純然たる機械の良い処か。
物に依ってはたった1つの部品が尽きたせいで涙を飲む場合もあるが、それでも原形の完全維持を放棄すればまだ只のゴミにはならないで済む。

またGuitar弦等の完全消耗品!?ならそう簡単に供給が途絶えはしないので、予めメンテ費用を計上しとけばそんなには
考える必要の無い部分だ。
尤も弦の寿命(寿命迄に切れなかった場合)に対する正しい知識は持っとくに限り、対価を払って張替えるのは避けられない以上少しでもその経費をなるべく有効化(後述)したい処だ。

それにしても生楽器や電子楽器なら消耗部の補填は夫々に大体1つの方法で済むのが、電気楽器みたいにハイブリッドなのだと両方へ注意が要るから見落とし易いかも知れない。
それ以上に和楽器であれば通常どっかの交換が要る様な場合は必ず専門家頼みになるが、一部の西洋系由来のはその点中途半端なのが厄介だ。

西洋太鼓(ドラムセット)なら消耗部に限定すれば、
多少の学びは要るも全て奏者自身で管理出来るのは大きな利点だ。
それがエレキGuitar等となるとライフスパンは長いが、フレットは必ず擦り減るのが分かってるのにその交換がとても大変なのは不幸だ。

それ以外の場所だったらナットなら寸法の合ってる溝切加工済みのを買って来るとか、ハンダ付けのスキルは要ってもボリウムやトグルスイッチの交換は何とかユーザー自身でも可能だ。
Guitarって形態の宿命かも知れんが、俺みたいな貧民に取っちゃ厳しい部分に違いない。

そして先の「弦の寿命に対する正しい知識」はフレット寿命に影響があるからで、極端に張力が落ちた弦で弾けば悪戯にフレットを摩耗させるからだ。
しかし幾ら寿命の為でも変に軽く弾いたりするのは愚の骨頂で、そんなら全てを開放弦で絶対にフレットに触れない状態にでもしない限り殆ど効果は無い。

フレット摩耗は確かに弾かれ方でも消耗度に差は出るが、最大のポイントは弾き方なんかよりも「弦高」だ。
残念実例を次回に掲載するが、ジャンルや奏法の指向性の都合で「全体を」極端な低弦高にしてた結果である。

オープンコード(ナットの側しか押えない)オンリーの場合を除けば、弦高全体が低きゃ全体が一様に減りそうに思うかも知れない。
だが実際は1~5フレットの弦の真下だけが大袈裟に掘れちゃってて、要はナット高を下げ過ぎた(だから全体)のが不味かったのだ。

最終フレットなんてそこを押さえない限り常に弦が擦って来るから、一見そっちから減りそうな感じがある。
ライトハンド奏法(おっと今はタッピングだった、昔はそう言った)以外弦が弾かれるのもブリッジ寄りだがお忘れ物がありまして、押える場所が最終フレットに近付く程「弦長」は短くなってるのだ。
そうなると弦の振幅は小さくなってるし、押えた所からブリッジへの弦の傾斜角度も増えている。

これ等が原因で弾かれるポジションの頻度に依る差もあるとは云え、元からローフレットの方が減り易い側面もあるのだ。
本件の生贄君は何の事は無い俺の現行ユニットのGuitaristなんだが、念のために加えとけば彼は奏者としては実績充分なベテランプロだ。

それですら僅かな見込み違いで宅に修理に出される位、フレットのある楽器なら根本的な部分なんだが周知が行き届いて無いらしい。
海外事情は不明だが根本的且つ重要情報にも拘わらず、幾らもインフォメーションが無いから已む無しか…。

<つづく>

2019年10月 5日 (土)

音楽備忘録59 寿命Ⅳ

前回はPCは外見よりは意外と余裕が無いの等を暴露したが、たかだか音声ファイル如きの軽作業で気にする必要があるのかが今回のお題だ。
動画編集や高級なネトゲと比べれば、明らかに全然大した事無いんだが…。

最初は音楽関係の作業でPCの高性能が要求されるのから行くが、せいぜい高級なソフト音源と膨大なトラック数を使った時の高級なマルチトラッカー程度しか無い。
依って音楽専用機とした場合その寿命は、余程放熱に劣る設置の仕方でもして無い限り ほぼ経年劣化依存となるだろう。
だが兼用機の場合音楽では如何に軽負荷でも、他の作業時に大きな負担を掛けてる可能性が高い。

ここで改めて精緻電子機器の熱劣化に触れとくとするが、半導体素子は凡そ75℃迄なら壊れない様に作られている。
だがその温度以下ならずっと連続で何の影響も出ない訳じゃ無く、大抵は寿命の長さに直結するもんなのだ。
これは材質が主な原因だがコストの他放熱性と作り易さの為、比較的膨張率の高い材が用いられてるせいだ。

物に依って差があるも何度も伸び縮みさせればやがてひび割れを起こすのが常で、それを避けるには極力一定温度を維持させるのが良い。
ではずっと電源入れっ放しにして稼働させてたらどうなのかであるが、これは電気代が嵩んでコスト的には利点が無い。

それでも蛍光灯程では無いが電流が僅かでも流れてる分素子温度は上昇するので、消さない方が素子の温度変化巾を狭く出来る。
なので30分や1時間程度のブランクならPCは起動・終了時が高負荷となるのも含め、点けっ放しにしておいた方が好ましいのは確かだ。

だが1週間も旅に出てて使わないのが分かってたりしたら火災予防等の観点からも消すのが当然で、するとその時素子温度は気温と同じとなる。
そこで上記Dataとしての75℃へ囚われず使う場所の気温との差を気にするのが良く、体験的私見としては熱くなるのでも55℃・そうじゃない素子はなるべく45℃以上にならない様に使うと素晴らしく長持ちする結果が出ている。

これも再三出だが何故か特に近年本邦では放熱に対するマージンが最低限過ぎる様で、悪の裏読みをすればそれでわざと寿命を縮めてとっとと次を買って貰おう等と見えてしまう位である。
さすれば自前で冷却強化をするしか無いが、ケースが小さ過ぎたりノートタイプに至っては後からでは根本的な改善は殆ど無理だ。

因みに機器の内臓と外観の大きさについて普通は「止まってる時の見た目」で考えがちで、ケース内がスカスカだともっと小さく出来るやんと感じてしまうもんだ。
しかし熱を伴う物の場合はガスコンロの周囲状態等の方が状況的に近く、炎が無い熱は音と同じ様に目に見えないせいでその存在は忘れられる事が多い。

冷却性能向上に限度や制約があるなら次の手で
、「軽作業しかしない機」として熱劣化からの逃避を狙うとしよう。
この場合動画編集等は重作業とならざるを得ないので、PC自体を別け無い限り難しいだろうって寸法だ。

また上記悪の裏読みも含むが「吊るしのPC」では電源部が余裕なのが多く、ユーザーとしては高価な癖に拡張性を下げてるのはケチ臭い話しだ。
一応公平性の為メーカ側の言い分も載せとくと、最大要因はコストであるがその他に大きさ・重さと消費電力の都合がある。

但し専門家と違って素人は必ず道具に余裕を与えたりはしないので、実際には無理をさせた方が大飯喰になるなんてのもよく起きている。
この辺はもっと意識の統一が求められるが、取敢えず現状としては上記の大飯喰時は発熱も通常より多くなるので寿命も当然縮めてしまう。

因みにⅡで俺はまだ使えるのを劣化させるのが惜しいので、最初から容量が怪しい電源は使う前に取替えてしまっている。
壊す前ならどうせ緊急事態用の予備は欲しいしPC用のATX電源は数種の電圧を出力できる物なので、一工夫すれば他機器への流用が可能だからだ。

一例を挙げとくとPCには最早どれにも容量不足でも決して小出力では無いので、ACアダプタだけ逝かれちまったLCD(液晶画面)へ転用したりしている。
こ奴が骨董品でそこそこ電力を食うので、ACアダプタを新調するのに意外とお値が張るのもある。

ってな事って性能向上も良いがスキルもコストも要りゃ機種毎の限界もあるしで、程々の中古機を音楽専用に調達するのが誰にでもすぐ出来る策ではと思うのだ。

<つづき>

2019年10月 4日 (金)

音楽備忘録58 寿命Ⅲ

音楽にPC系を使うなら複数所持が推奨と頻発してるが、他所様と違うのは「貧民の体験」から連呼してる処は是非お見逃し無くで御座居ます。
短刀直入に言えば大金持ちならすぐに次を買えるし、急ぐせいで割高となっても払えるんですから。

尤も「今日はとっても調子も良いし折角乗って来たのにぃ」なんてのは身分に無関係だから、単独機固執だと出鼻を挫かれたりもしやすがね。

音楽専用のでも普及価格帯のデジタル物だと従来からの楽器みたいなご長寿は期待出来ぬが、それでも予定使用期間が最初から短くはないなら安物買いの銭失いは避けた方が得策だ。
とは言え先立つ物に限りがある場合、体験からの私的法則に過ぎないが以下の様な知見を得たつもりだ。

1.最高級品(特に新品)はとても無理だが…
もし新品購入をするならデジタル物は、基本設計がなるべく新しいのを選ぶべし。
これは運良くハードが長持ちした場合、次世代規格やOSへの対応度がその方が高い場合が多いからだ。
折角長持ちしても新OS乗らない→バージョンアップしたソフトが入らない等、内容的に使えなくなってしまえば投資した何割かがその時点でパーになる。

因みにOSのサポート期限はメーカから発表されてるが、基本的にそれはまだ使えてても過去のになりつつある物についてだ。
現時点のWINDOWSだと10が出てから結構経っちゃってるので、タイミングとしてはあまりお買い得では無い。

2.兎に角安く上げたいなら…
怪しげな新品には目もくれず、定評のある中古を狙うべし。
消耗度に注意は要るがご家庭用よりビジネス用はそっけなくもやはり信頼性は高目で、一度に同じ機種が大量採用されるので交換部品やメンテ情報等も入手し易い。

では次に避けるべき事例を以下に記すが、恥ずかしいから皆迄語らぬがどれもそれなりに苦汁を飲まされたのだけは白状しとくよ。

1.スペース的にも数は減らしたいが…
俺的に半ば隠匿気味とされてて大問題と思うのが「熱」案件で、精緻な半導体物になる程熱には基本的に弱くなる処だ。
耐熱・耐圧性等について両極を例示すると真空管とLSIなんかが該当するが、前者は短時間なら少し位定格を超えても全く平気の平左さんだ。
だがシリコントランジスタからLSI迄の後者のだと、Dataシートの絶対定格を越すとそれがどんな微量で瞬間的であっても一発で必ず死んでくれますです。

なので同内容・性能なら小さい程「熱劣化」に依る寿命短縮が顕著で、素人個人では根本的な改善が困難なノート(ラップトップ)タイプはとても割が悪い。
デスクトップ型にしてもコンパクトなのは放熱に余裕が無く、極論すれば期間限定でも場所を取らんのが良いか少々邪魔だが長持ちしたり後からより長持ちさせられる様に弄れるののどっちが良いかの選択って感じだ。

因みにⅡでスマホやipadはノートより小さいし機器的基本理念に大差は無いが、「使われ方」が大抵はノートとは違ってる処に留意されたい。
ノートは一番多いのは机等に乗せっ放しで使うが、スマホはスワイプ動作の都合等で手持ちが最多だ。

ipadの場合は卓上もあるものの平らに寝かせて無い場合も多いし、膝の上なんてのもノートより断然多い。
最新ノートでの実態を知らんのは毎度乍ら杜撰だが、ちょっと古いのだと膝上は低温火傷に至らなくてもあっちくて不快だ。

これ等の機械側観点からの相違は通気性で、板の上にべったり置かれて広い一面が封鎖されてしまうかどうかである。
もし置いた台の材質が伝熱に優れてたらその面では放熱の助けにもなり得るが、強制空冷の出入口に支障する様だと内部冷却は低化させちまう。

2.メーカや並の販売店は大丈夫と言ってるが…
業務用なら未だしもご家庭用ではフル稼働の連続はあまり想定されておらず、「出来る」と「ずっと出来る」は全然違うのだ。
しかもPCは稼働率が自動制御な上ネットからの通信要求等への随時対応の為、「その分の余裕」を基本的には常に確保されてて一般的感覚での完全なフル稼働状態はそもそも存在しない。

だからホントは苦しくても加減されてるせいで、外部からは実際どれ位苦しいのかがとても分り難くなっている。
なので寿命を気にする場合極力「自動抑制」が起きない範囲の使い方が望ましく、そうでない場合特に市販のメーカ完成品のでは余裕の少ない電源部に大きな負担が掛ってる様だ。

この俺言い「真の過負荷」の見分け方としては、作業終了迄に掛る時間の変動が1つの目安となる。
例えば3分の曲の処理が1分で6分のだと2分掛る等、通常運転の範囲に収まってれば大凡ある一定の比率となるもんだ。
もしその比率が変わればそれが余裕で稼働してるのとの分岐点で、とは云え余程使い慣れてでもいないと中々把握し辛い。
また緊急時稼働保障対策等で最低限のバックアップ部品を持つとして、1台キリでも複数台所持でもその量やコストに取り立てて違いは出ない。

では諸事情で限界一杯若しくは運を天に任せた様な使い方をするとどうなるかだが、体験からは先ず壊れる以前にエラーが頻発したり簡単にフリーズしてしまった。
通常時より思い切り発熱し何時終わるか全然分からんのをずっと我慢した挙句、最後の最後でエラーでアウトなんて信頼性が全く無くなってしまった。

近年のPC性能ではもうあまり考えられなくなったが、10年位前の当時は動画編集なんかだと恐ろしい事になっていた。
酷いのになると3日3晩待たされた挙句、4日目の朝に99%出来た処でエラーで続行不可なんて…。

<つづく>

2019年10月 3日 (木)

音楽備忘録57 寿命Ⅱ

個人的には設計段階から修理の可能性を一方的に低く設定されてる物は感心しないが、最近の電子機器がそうなったのにもそれなりに事情はある。
それは人件費の高騰もだが何と言っても部品の種類が桁違いに増えたのと、様々な理由で小さくなっておいそれとは人が手で弄れなくなったのも原因だ。

操作が割と簡単なのだったりしっかりした規格を設けて共通性が維持されれば、一般用途ではトータルのコストアップが無ければ機種変を迫られたってさして問題は無い。
これからすると音楽ってある意味特殊用途で汎用品を利用する場合に、何とも面倒な状況に遭遇し易くなる。

その筆頭はPCでスマホと比較すると使用者が少ないせいか、共通規格たる「お約束」が緩いのが仇となる。
PCもハード面ではかなり強固な規格があるので、余程特殊なのか古いので無ければ手間は掛るが代替品はそこそこ入手可能だ。

だがOSを作るメーカが中途半端に少ないせいか、ソフト面の互換性や共通性が不足してるままだ。
セキュリティや性能向上等の大義があるにせよこれではOSが更新する度に、何度も新ソフトやその操作を覚えなきゃならない。

従前のソフトで事足りててもOSのせいで余計な手間が掛る訳で、熟練を要する様な作業をするのにこの点はとてもマイナスなのだ。
では好相性のソフトが使え本体もまだ健全な場合、サポート切れのOSは使えないかってば決してネットへ繋がないって条件付きだったら無問題なのだ。

大昔のを除けばPCの強みはインターネットに繋がっている処だろうが、以前記した如く録音作業の従事中だと却って有難く無い場合もある。
これがスマホだとその基本は無線電話機なのでネット切断が色んな面で困難だが、PCで有線接続の場合だといとも簡単に切断可能だ。

また1台で何でも出来るのは便利だが、それがもし人だったらシリアスな曲を例えば歯磨きし乍ら録っても良いのかってな問題がある。
万一の不要干渉を避けるには出来るからって何でもやらせては駄目で、結局の処PCだって極力専用化出来ない限りリスクは付いて回るのだ。

それと機種やOSのせいでソフトの変更も必要になる場合が多く、ネット接続と近年の高級なソフト音源を除けば新しかったり最高性能である必要も無い。
因みにPCにとっては極端なハイレゾとかを求めん限り、音を弄るだけなんてのはとても軽重
な作業に過ぎない。

処がその簡単が災いしたかPCは音と画像では飽く迄画像優先とされていて、一例として宅のWIN8.1がギリギリ載ったPCで今これを書いてるだけだとオーディオ機能が勝手にお休みされられている。
汎用の反対が専用なのだから仕方無いけれど、すべからくそのまま普通に使っていては音楽に対してはちっとも専用化してくれない物なのだ。

なのでPC内部でそれなりの設定も出来はするが、普段使い用とは別に音楽用にもう1台用意しとくのが一番手っ取り早いのに違いは無い。
しかも前回言及した如く劣化や極僅かな故障が検知し辛いのの対策として、半ば自動的にスペアを持ったのと同じになるのだ。

因みにⅡでPCやスマホのライフサイクルの短い真の理由はセキュリティで、インターネットはバーチャルな存在なだけにかなり危険な場所にもなり得るのだ。
悪から守る為にOSを高性能化させるとそれまでのハードでは性能不足になるのが多く、しかし裏を返せばネット不接続→悪者居ない・来ないとなれば全く話が違って来るのである。

これ等の事はどれだけPCに対しても「音楽寄りに考えるか」って話しだが、汎用用途でも普通の金額で入手可能なPCで4k動画編集と重いネトゲを同時にこなすのはどうせ厳しいからね。
クリエータの端くれだと新しい物への好奇心は強い方が良いが、それへばかり気を取られては木乃伊取りが木乃伊になるの典型となってしまう。

楽器を手弾きするのは勿論今となっては打込みだって随分昔に登場した物で、そんなのを延々やってる音楽なんてそれ自体が古い物なのだ。
その点で新しさで勝負出来る範囲はかなり狭く、その代り普遍性があるので練度では他のよりかなり武器になると思う。
だから音楽に適した道具は、新しさより使い勝手等なのではないだろうか。

<つづく>

2019年10月 2日 (水)

音楽備忘録56 寿命Ⅰ

近年では音楽界でもパソコン等電子機器を道具として使うのが当たり前だが、それ等の寿命とミュージシャンにとっての対応等についてひとくさり!?してみよう。
今回執筆のキッカケは従兄宅のノートパソコンのキーボード部
と拙宅では何故か冷蔵庫なんだが、何れも普段は壊れる事だってあるのを忘れられがちな部類かと思う。

一見電気機器って以外には殆ど共通性が無さそうな両者だが、先ず言えるのは正式な呼称で捉えると電気では無く電子機器な処だ。
宅の逝かれた冷蔵庫は20数年物であるから、近年のと違って所謂CPUと呼べるほどの半導体は入っていない。
だがそれでも電子回路で制御されてるのに違いは無く、電気回路と電回路では壊れ方やその予兆に大きな違いがあるのだ。

音楽界でも楽器にだって今は電子物が一杯あるが、それでも音響機器等と比べると意外に電子物の割合はかなり低い。
その上楽器と名乗ってる物はリアルタイム性も含む「人が弄る物」の度合いが高いので、他の電子機器と比べると電気機器のまま残さざるを得ない部分が多目となっている。

では壊れ方と予兆の具体的な違いはっつうとアナクロな物程予兆が必ず出るもんで、メカニカルな要素の少ない物程人にとっては予兆は殆ど出てくれないと思っていても良い。
これは特にデジタルかアナログかでより顕著で、デジタルので極度に単純化すると原理的にはスイッチのオン・オフしか無いのだ。

因みに電気機器と電子機器・デジタルとアナログのこの面での相違を、便宜上1つのツマミで複数回路を3つへ切替えられるスイッチで想像してみよう。
両方共スイッチ(切替器)であるからには機械的部分が存在するが、その割合と任される仕事には大きな違いがある。

先ず電気の方は3つのポジションを得る機構の他、電気的にも物理的に全て「接点」が設けられててそれで直接切替えている。
一方電子の方は3つのポジションのどれにするかの指令を選ぶだけで、電気信号の切替え自体は回路に依っていてスイッチで直接は扱っていない。

なので接触不良の影響が多く大きく出る電気の方が先に不具合が出だすが、暫くの間は清掃や接点復活剤等で一応正常状態へ戻す事が出来る。
片や電子ので特にデジタルのだと接点不良等が起き始めても指令信号の許容範囲が広く、直ちに動作には響かなかったりするからそこだけを見れば高安定で長寿命と云える。

だが電子のはスイッチの他に回路の不具合も起こり小型化・簡便化・低廉化等本来は有難いが、近年では回路が集積されてたった1つの半導体となっている場合も多い。
この有難い筈の半導体も修理の点では色々問題が多く、その1はたった1ヵ所だけの故障でもそれが半導体内部だと全体が異常を来したり問題箇所だけをピンポイントで直す事が出来ない。

その2は部品の互換性と入手性で複雑なだけにモデルチェンジが早く多く、一部を除き汎用的に有効な規格が制定されていない処だ。
その為少し古くなったり特殊(例えば専用設計)な半導体だったりすると、単純な部品交換すら出来ずそのせいで分かってても修理が大変困難化するのだ。

故にデジタルで壊れると良くあるのは突然電源が入らなくなったりして、アナログチックなのみたいに少しづつ元気が無くなってとか音が小さくなってみたいな人が感知し易い予兆段階が殆ど存在しないのだ。
ここから先は各人のライフスタイル次第で大まかに二手に別れるが、音楽を演ってようとなかろうとスマホやPC等を頻繁に買換える人にはあまり問題にはならなさそうだ。

但し音楽家視点では不要に道具が交代するのは歓迎されぬもんで、自在に高度に操るには習熟期間や経験値がかなり必要だからだ。
殊に楽器やその代りとして用いるなら鉄則並と言っても過言でなく、姿形が違っても幼少の頃から延々Classic Pianoを習い続けるのと同じ事なのだ。

生楽器だって完全に無メンテナンスにしてりゃ持ってせいぜい10年位のが多いが、それでも少なくとも他の健全なのと比べれば不調は簡単に把握可能だ。
これの詳細は例に依って次回以降へ譲るが、修理し辛い不具合が感知し辛い道具を使うならどうするかだ。

最も簡単確実なのは予め「スペア」を用意しておく事しか無いんだが、諸事情でそれが困難だったりするのも充分理解はしてるつもりだが…さてさて。

<つづく>

2019年10月 1日 (火)

音楽備忘録55 ちっとも細かく無い所の演奏姿勢Ⅱ

ドラマー等の場合はスローンの影響も大きいので先ずこれが問題だが、他楽器で道具が直接は影響しなくても考えるべき点があるものだ。
そこで今回はスローン案件と併せて、エレキ奏者の姿勢等にも触れて行こう。

私的ではあるがスローン案件は体験からすると条件整理が出来たが、座面径とクッションの組合せが解決の糸口と感じられた。
もし座面径が大きいのであれば中心に座らない・座れない場合が当初から想定出来るので、クッションが厚過ぎたり弾力があり過ぎるとイケナイ。(理由は前回述済み)

なので大きいならせめて固目・薄目(低弾力)にしてあると良いんだが、近年の多くは演奏し易さより座り心地重視と最早インテリア化しちまったか!?。
それでか高級なのは良いが高価な割に必ずしも全体が長持ちしてはくれず、下手をすると却って状態の悪さを黙認して使う事にも繋がってる気がする。

個人的希望としてはせめてもっと消耗品とするか一生モノとするか、設計思想の段階でハッキリさせといて欲しい。
折角ドラム用ハードウェアは割と規格化が進んでるのに特にスローンだと、交換部品の高価格やバリエーション充実度が低いのではそれこそ企画倒れじゃないのさ。

さて後半はエレキの演奏姿勢の話しだが、只弾くだけなら特殊形状の以外は自由だ。
だが様々な奏法や楽器形状の利点を考えると昔Char氏が語った如く、基本的に「エレキは立って弾く物」ってのは真理を突いていると思う。

第1点は他のどんなのでも立って演奏出来るもんじゃ無いって処で、必要が無いと座る方が楽だがそれに捉われ過ぎては特権を放棄する事にもなり兼ねない。
歌う場合はMicワークの自由度が座ってるのより上がるし、場合に依っちゃ「隣の人のMicへ乱入」なんてのは座ってたらまず不可能だ。

第2点は楽器と体の位置関係の問題で、座っていると一般的な形状のでは変更が不可能だ。
普段は楽器が不要に動かない方が弾き易く感じるだろうが、ホントは「必要とあらば位置を変えられる」のは一部楽器にだけ与えられた特権なのだ。

Full Concert Grand Pianoみたいなのだと、弾いてる時は人の方で動くしかないでしょう。
それでいて座ってる分動けないんだから、かなり変な無理な姿勢が必要になっても必死に堪えるしか無い。
でも立っててぶら下げてるだけのエレキ等だったら必要時だけ一寸付き出すなんてのも簡単で、しかしStrap無しで座ってたらボディの窪みで半固定になってるからそうは行かなくなる。

第3点は上記のハイブリッドみたいなもんで立ち疲れたら奏法上支障が無い間だけ、何処かへ寄り掛かるとかしててまた普通に立つのなんてのも労せず自由になる処だ。
しかし自由となると自己責任がセットで付いて来るんだが、人はどうしても表面的な楽さだけを求めてしまいがちだ。

ここで是非再考して欲しいのは立ってたから出来た奏法がある点で、音色以上に奏法は楽器の個性に影響があるのだ。
例えばGuitar系でも本家程巧くは出来ないがViolinのBowで擦って音を出せるし、Violinにも指で弾くPizzicato奏法は存在している。

大きさは違うが某社の俗称Violin BassにはGuitar版もあったから、Ampへ繋がなきゃそれで擦ってたら原理的には殆ど同じ音が出る事になる。
それがあまりそうは聴こえない場合が多いのは道具や奏法ばかりでは無く、体に対して楽器の位置や保持の仕方が全く違うのが恐らく最大の要因であろう。

楽に弾いて悪い場合はそんなに多くも無いけれど、奏法選択の自由度とか楽器と体の位置関係は音に当然影響がある。
依って今回指摘した観点を忘れて座るのと、確かめた上で座るのでは何処かに違いが出てる可能性が高い。
プロは面白味や見栄えの為に敢えて変な姿勢や構え方をする場合もあるが、録音時もそうしてるとは限らないし他の楽器でもそうだ。

本件関連で過去体験で意外に感じたのがEdward Van Halenで音色的には当時お初だったのに、構えはそんなに低くも無いしCharもそうだが演ってる内容からしたら随分と薄く軟らかいピックを使っていた処だ。
我々外野からどう見えようと彼等はちゃんと考えた結果そうしてた様で、前者は半音下げチューニング・後者は使用楽器の事情でどっちも弦のテンションが平均より弱目なのに対応させた結果なのだろう。

因みにこれの手前味噌一例としては筆者はBassもアコギも頻用する関係とジャンル的趣味性から、彼等とは逆に弦を09では無く10を張る事でMedium Heavyピックで至って極普通の感触を得られる様にしている。
最近ピックがMedium Heavyは若干入手難なのには参っているが、暫くGuitarばかり弾いててBassに持ち替えたらすぐバテたになるのが怖くて…夫々に色々事情ってのはあるもんなのだ。

<つづく>

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